「鍋 nyungu」治療

「鍋 nyungu」治療とは

概要

憑依霊(nyama, p'ep'o, shetani)に対する治療の一つで、草木(muhi)を詰めた土器製の鍋(nyungu)を火にかけ、沸騰後、低い椅子に座った患者の両脚のあいだに鍋を置き、鍋と患者の全身を布で覆って、その蒸気を浴びる(ku-dzifukiza)もの。中に詰める草木その他は、対象となる憑依霊の種類によって異なる。多くの憑依霊は独自の鍋をもたず、「世界の住人すべて arumwengu osi」のための鍋に呼ばれる。

「鍋 nyungu」は屋内、あるいは屋外に設置された「キザ chiza」と対になっている。「キザ」には「鍋」に用いた草木と同じものの葉を水で揉み砕いた液(vuo)が入っている。キザには屋内に置かれる「屋内のキザ chiza cha nyumbani」と戸外に置かれる「戸外のキザ chiza cha konze」がある。後者は「池 ziya」とも呼ばれる。「鍋」と対になっているのは通常は「屋内のキザ」である。蒸気を浴びて汗をかいた後に、患者は「キザ」で水浴び(koga)して、身体を冷やす。鍋で発汗し、その後にキザで冷やす。これを決められた日数繰り返す。 鍋と対になった屋内のキザのなかの液(vuo)は、唱えごとにおいてはしばしば施術師用語を用いてmubut'o(ku-but'a munya「水をばちゃばちゃさせて遊ぶ」より)と呼ばれる。鍋から出る蒸気は同じくmwachivuche(vucheは「湯気」)と呼ばれる。

憑依霊に対する治療に共通することだが、これは我々の言うところの「薬」を使って患者の病気を治すという通常の捉え方では理解してはならない。たしかに患者は身体的、心的なさまざまな症状に苦しんでおり、それを取り去ることが目的である。しかしいわゆる「薬」が、患者の心身に働きかけ、その作用で患者の苦痛が取り除かれるという形で理解されているのに対し、憑依霊による病気(ukongo wa nyama)1の治療においては、使用される草木(muhi)2は、症状をひきおこしている憑依霊に対して差し出されており、憑依霊に対して働きかけるものだという点に、注意せねばならない。

「鍋(nyungu)」のなかで煮られた草木その他から立ち上る蒸気を患者は浴びて汗をかく。この行為は、患者が「自らを燻す」(ku-dzifukiza)とか「焼かれる」(ku-ochwa)などと語られる。しかし同時にこのとき、患者に憑いている霊たちはその「鍋」を食べていると言われる。それは患者に憑いている霊たちに対する饗応なのである。その意味では患者そのものを治療するという、通常の理解からは外れている。「鍋」は患者に対してというよりも、取り憑いている憑依霊に対して差し出される贈り物なのである。

この意味でも、憑依霊の治療に用いられる草木(mihi)を「薬」「薬草」と呼ぶことは(私は以前、なんのためらいもなく薬草という言葉を平気で使用していたが)誤解を招きやすい。病気に対して、直接作用するものではないからである。

施術師(muganga、癒し手、治療師、施術師)による説明

施術師たちは、「鍋」治療のやり方について以下のように説明している。

M1: (鍋の調理者(mujiti wa nyungu)4は)鍋が熟すまで煮る。沸騰し、熟すまで。つぎに鍋を火から下ろし、地面に置く。布をもってきて、(患者に)すっぽり被す。そしてこちらをちょっとめくる。鍋は葉っぱで蓋をされている。それらの葉っぱを取り除く。さて、今やその熱気(teri)が身体にやってくる。 Q: それが済めば、池で水浴びするんですね。 M1: その火の場所から出ると、汗びっしょりになっている。つまりその憑依霊(shetani)自身もその鍋を食べたということだ。そして喜んでいる。というわけでそっちで浴びに行くことになる。「池」にね。身体を冷やしにね。 M2: でも、もし憑依霊がその鍋が気に入らなかったら、(患者は)全然汗をかかない。 Q: 汗をかかない? M1: 汗をかかない。でも、もし汗をかいていたら... M2: そいつは食べたっていうことさ。 Q: 憑依霊はよろこんでいるということですね。よくわかりました。 (DB 995)

「鍋」の設置は男女二人のムガンガ(癒し手、治療師、施術師 muganga)によって行われなければならない。

「鍋」治療の種類

単純な病気治療としての「鍋」

「鍋」治療の多くは、単純な病気治療の手段としての鍋治療である。 こうした病気治療としての「鍋」は占い(mburuga5)によって指示される。

咳に苦しみ畑仕事もする気になれない女性患者について、ある占いは次のように指示している。彼女はかつて憑依霊ディゴ人(mudigo6)とシェラ(shera7)のためのカヤンバ儀礼(ku-pungbwa)を(憑依霊たちに)約束したのだが、それを果たしていなかった。それが現在の症状の原因だとされている。占い師はまずディゴ人とシェラのためのキザ(ziya)の設置を指示する。

Muganga wa mburuga(占いの施術師): 今言ったようにキザなんだけど、なんのためのものかわかる?ディゴ人とシェラたちのだよ。 P(患者): まさにそいつらが(約束との引き換えに)私に再び手鍬(をもって畑を耕す力)を私にくれたのです。 Mm: あらら、そりゃ耕せなくなるさ、だって(約束を)果たさなかったんだから。 P: この小雨季にしても、耕してみようとすらしなかった。 Mm: 外のキザ(chiza cha konze=ziya)と屋内のキザ(chiza cha nyumbani)、それからムルング(憑依霊mwana mulungu)の「鍋」をしてもらってちょうだい。その湯気を浴びて(adzifukize)、それがおわったら、お金に余裕ができたら、シェラとディゴ人の「鍋」を設置しておもらい。 (DB 1147)

別の占いでは腹部の膨満が憑依霊ドゥルマ人のせいだとされている。

Mm: あんた、ドゥルマ人の布はもってる? P(患者): ええ。 Mm: ドゥルマ人の「鍋」の湯気をあびた(wadzifukiza)? HP(患者の夫): もうずっと以前のことだ。 Mm: ドゥルマ人の「鍋」を用意してもらって頂戴。お前さん、お腹が膨れ上がるだろうよ。こいつはムァミンバの妖術12にやられたのかと思うほど。だって、空気で膨れているんだから。ウガリも自分では料理しないでしょ。すぐにお腹いっぱいになる。空気でね。それってあいつ、ドゥルマ人のせいだよ。 (DB 1870-1871)

この2つの事例では、患者の身体的不調は、すでに患者が関係をもっている憑依霊たちがおり、彼らとの約束を患者が果たさずにいたためか、患者が憑依霊たちにたいする饗応を長期間怠っていたために起きているとされている。お金がかかるカヤンバ儀礼(makayamba13)は、そう簡単に開けるものではないが、とりあえず憑依霊をなだめるためには、キザ浴びのようなちょっとした心付けも一つのやり方だし、鍋のような饗応であればかなりの効果が期待できる。

饗応の要求が満たされないことに怒っていた憑依霊ならば、鍋でその要求をかなえられたことで、催促のしるしであった病気を引っ込め、患者をときほどいてくれる(はず)のである。結果として、それは病気の治療にもなっている(かもしれない)。鍋のなかの草木はそれぞれの憑依霊の好物である。病気への効果は間接的で、けっして薬が効くように効くわけではないのである。

「鍋」治療の事例

  1. 憑依霊ムルング14のための鍋

    1. Hamisi(Mwachiti)氏のための「鍋」設置

    2. Mwasamaniの屋敷でのmulunguの「鍋」とキザ設置

    3. Umaziのためのmulunguの「鍋」とlaikaのngata, mudoeのpingu,施術途中の思いがけない憑依

     

  2. 憑依霊ニャリ(Nyari)21のための鍋

    1. 老婆Mariamuのための「鍋」設置

 

  1. 憑依霊ドゥルマ人(Muduruma)26のための鍋

    1. Mejumaaのための「鍋」設置

 

  1. 憑依霊世界導師(Mwalimu Dunia)2930のための鍋

    1. Mejumaaのための「鍋」設置

 

  1. 憑依霊ペンバ人(と仲間たち)33のための「鍋」

    1. Mwasamaniの屋敷での「鍋」設置

 

より複合的な治療の一環としての「鍋」:

カヤンバ(makayamba)あるいはンゴマ(ngoma)に先立つ、あるいはそれに至る諸手続きの一つとしての「鍋」

「鍋」治療が、それ自体で一応完結するものとしてではなく、最初から別のより大掛かりな治療の前段階として実施される場合がある。これも多くは占い(mburuga)の指示による。「鍋」をその手続に含む、より大きな治療についてはそれぞれ別個に詳しく扱うので、ここでは、大きな治療法のなかに含まれた「鍋」について、いくつかの事例を紹介するにとどまりたい。

憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(あるいはカヤンバ)「治療」についてはここに概略を紹介しているので参照していただきたい。

ンゴマ(あるいはカヤンバ)には、その目的やコンテクストに応じて様々な種類がある。

こうしたカヤンバやンゴマの多くでは、その開催に先立っていくつかの「鍋」治療がともなう。カヤンバ(ンゴマ)に先立つ「鍋」がまず要請されないのは「憑依霊を見る」と「嗅ぎ出し」と「除霊」である。それに対して、「鍋」が必須となるのは患者が施術師に就任するためのカヤンバ(ンゴマ)である。 それ以外の場合に、カヤンバに先立って「鍋」が必要となるかどうかは、患者が多くの憑依霊をすでにもっているかどうか、ややこしい憑依霊がいるかどうかなどに依存する。

一例として1989年12月14日から3日間にわたって、施術師チャリがライカ、シェラ、ムディゴ、ニャリをまとめて「外に出す」呪医就任の一連の大掛かりな施術(瓢箪子供とビーズの装身具の作成に始まり、「嗅ぎ出し」、「重荷下ろし」、徹夜の「外に出す」の3連続カヤンバを含む)を、自宅から30キロほど離れた施術師(男性施術師ニャマウィNyamawi+女性施術師Mwaka)の屋敷で受けるに先立って、自宅で浴びた「鍋」は以下の通りだった。いずれも鍋を据えたのは、Chari自身の手で施術師に就任した女性(Chariの治療上の「子供」ということになる)とその夫である。

  1. ムァナムルングmwanamulungu (+サンバラ人musambala)の鍋...7日間

  2. 「招待の鍋」nyungu ya kurongesha... 4日間 これは「外に出す」カヤンバの前に行う「鍋」の通例どおりである。

「招待の鍋」とは、本格的なンゴマ(太鼓 ngoma)やカヤンバ(makayamba)の前に4日間湯気を浴びる(ku-dzifukiza)鍋。これにはすべての憑依霊(nyama osini)の草木(mihi ya nyama osi)を入れる。といってもすべてを入れるのではなく、それぞれの憑依霊のための「鍋」に入れられる代表的な草木を入れたもの。これはそのンゴマ(カヤンバ)で主に演奏される憑依霊たち以外の憑依霊がムエレ(muwele)36が踊る(ku-vina=憑依霊に満たされて憑依状態になる)のを邪魔しないようにと前もって諭しておくために差し出される鍋だとされる。患者がそれほど多くの霊をもっていないことが明らかである場合には2日間に短縮され、あるいはまったく省略されることもある。

同じく施術師chariが1991年11月9日に開催する予定だった「月のカヤンバ(kayamba ra mwezi)」(急遽別のカヤンバの開催が要請されたため中止になった)に先立って行った「鍋」は以下の通り。これらの鍋も、Chariが「外に出し」施術師にした女性(上の例とは別人)とその夫によって据えられた。

  1. ドゥルマ人mudurumaの鍋...12日間

  2. シェラShera(+mudigo, laika)の鍋...4日間

  3. 「招待の鍋」nyungu ya kurongesha...4日間

月のカヤンバは、特定の問題(病気など)の解決を求めて開くものではなく、施術師自身が自分の憑依霊たちに感謝を示すために開くものである。ここでは彼女の持ち霊であるドゥルマ人とシェラに特別な配慮がなされていることがわかる。

ここではこうしたンゴマ(あるいはカヤンバ)の準備としての「鍋」について、施術師就任のンゴマに向けての鍋と、やや特殊ではあるがチェレコと呼ばれる瓢箪子供の差し出しに際しての鍋を、事例としてやや詳しく紹介しておきたい。

(1)施術師就任のンゴマの準備としての「鍋」

施術師にとって、弟子(mwanamadzi[^mwanamadzi])を「外に出す」ンゴマは、他のンゴマ(カヤンバ)にはない特別な重要性がある。そこに至るまでに、彼(彼女)が自分のもっている霊に対して、どれだけ上手に交渉し、必要な助力を引き出しうるかが試されていると同時に、弟子がその持ち霊と上手につきあっていけるかどうか、それを見極め指導していかねばならない。そしてンゴマ(カヤンバ)の当日に、弟子がその持ち霊との協力関係を見事に立証して見せるかどうかが明らかになる。施術師にとって嫌でも気合のはいった特別なンゴマなのである。失敗は許されない(とはいえ、しばしば起こる)。

そうした失敗を防ぐために、ンゴマの開催を施術師見習いがもっているすべての憑依霊に周知し、それがとどこおりなく実施されるよう協力を要請する必要がある。そのための準備が「鍋」である。初めて施術師になる者は、まずムルングの施術師にならねばならない。同時に他の憑依霊も「出される」かもしれないが、ムルングがまず先頭を切る。したがって、時間と日程に余裕があれば、まずはムルングの「鍋」7日間、その後、弟子の持ち霊によってはンゴマの障害になりかねないものもおり、それらを説得するための「鍋」(日数は問題となる憑依霊ごとに異なる)、最後に、すべての憑依霊に対する「招待の鍋」(4日間、ただし日程の都合で短縮されることもある)という風に、入念な「鍋」活動が必要となる。

ンゴマ開催に向けての「鍋」の事例

  1. 施術師就任を前にしたTusheのための憑依霊ドゥルマ人の「鍋」

  1. 施術師就任を前にしたTusheのための「招待の鍋」

  1. Chariの憑依霊ペンバ人(等)の施術師就任のための「ペンバ人の鍋」

 

 

(2)瓢箪子供を差し出す手続きにおける「鍋」

女性に降りかかるさまざまな災難の一つが、妊娠・出産・子育てを巡る諸問題である。妊娠を妨げるさまざまな要因があるとされており、憑依霊もその一つである。妊娠しても、流産や死産で子供を失うことがある。それを引き起こす要因もいろいろあるとされているが、やはり母親に憑いている憑依霊の仕業とされる場合がある。さらに出産しても、赤ん坊が無事に育たずに、死んでしまうことがある。「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる、特別なグループの霊(キツツキ(nyuni)と総称されるが、想像上の巨大な怪鳥を含め、鳥が多くを占める)も、母親に憑くことを介して子供を苦しめ、死に至らせる場合がある。こうしたケースのいくつかは「除霊(ku-kokomola)」というドゥルマの人々が「危険」だとみなす施術でしか対処できない。

内陸部の霊(nyama a bara31)の筆頭で、池の霊(nyama a ziya)すべての母であるとも言われるムルング(mulungu あるいはムルング子神 mwanamulungu3714)も、女性の妊娠・出産を封じてしまう霊であるが、先に触れた「除霊」の対象になる霊たちとはある意味で正反対の仕方で、それを行う。ムルングは、自分の瓢箪子供がほしくて、高い出産能力のある女性に目をつけて(ある人によると嫉妬して)、彼女の腹を封じてしまう。したがって瓢箪子供を差し出すことを約束すれば、ムルングは彼女を解放し、妊娠させてくれるだろう。子供が無事出産したら、約束通り瓢箪子供を差し出し、それ以降は彼女はse背中の子供と瓢箪子供をいっしょに育てることになる。瓢箪子供=ムルングは背中の子どもの成長を助け、彼女のさらなる妊娠出産を助ける。ただ一方的に子供に害を及ぼし、最終的には危険な除霊によって関係を絶ってしまう必要がある霊たちとは違って、霊と彼女の間には恒常的な共生関係が築かれていくことになる。

例えば次に紹介する占いでは、妻(出産経験あり、しかしその後子供に恵まれない)の婦人科的諸問題を占いに来た男性客に対して、占いの施術師は、「出産祈願のための瓢箪子供の差し出し」17という一連の治療プロセスの最初の段階として、ムルングに対する「鍋」の差し出しを指示している。さらに、彼女の病気の別の側面に責任がある憑依霊ドゥルマ人26の「鍋」設置も指示されている。こちらは憑依霊ドゥルマ人自身を満足させるための、瓢箪子供を差し出すこととは独立した「鍋」の設置であるが、ドゥルマ人によって本筋の瓢箪子供の差し出しが邪魔されないための予防措置という側面もある。前節の実例においても、見られるように憑依霊ドゥルマ人は、他の憑依霊のための饗応を妬み、妨害するという厄介な存在なので、患者が憑依霊ドゥルマ人をもっていることがわかっている場合は、ドゥルマ人に介入を思いとどまるよう、説得する必要がある。そのためにもドゥルマ人だけのために「鍋]の饗応を行うことが有効だと考えられる場合がある。

瓢箪子供を差し出す一連のプロセスについては、別項で詳しく紹介するので、ここでは「鍋」に関わる部分のみ挙げておきたい。

占い(mburuga)による瓢箪子供のためのムルングの「鍋」指示

(占いの施術師(muganga wa mburuga=Chari(Mm))、開始してすぐに、客の男性(Client(Cl))の妻が病気であり、問題は腹部38にあることを言い当てる)。

(DB 1156)途中から。一部編集。 Mm: でも腹がとりわけ病気だね。 Cl: それこそ私をここにもたらしたものです。 Mm: 腹は空っぽだね。中に人(胎児)はいない。 Cl: 私の見るところ、なにもないです。 Mm: なのに中で何かが動き回っている。

(DB 1157) Cl: その動き回っているものをよく見てくださいな。それが人なのか、物なのか。見えるんでしょう? Mm: 病気だよ。腹が切られるよう(に痛い)ってこと、奥さんはあなたに言った? Cl: 言ってました。 Mm: 腹が(なにかで)一杯になっている39感じ。 Cl: 便秘40ってことでは、便秘してます。 Mm: 便秘、一杯になっているということはそういうこと。 Cl: まさにそのとおりですね。 Mm: そしてこの両の腎臓が重苦しいよ、あんた。何かに噛み潰されている41よ、あんた。 Cl: タイレです。 Mm: この下腹部42も。噛み潰されている。 Cl: まさに、そのとおりです。 Mm: 重苦しい。もし違っていたら、違うと言ってちょうだい。間違いだと。

(DB 1158) Cl: 私は否定の仕方なら知ってますよ。でも、あなた、私はタイレだと申しているのです。 Mm: 下腹部が重苦しい。そしてここと、このあたり、針で刺されるような痛み。感じているかい。これから別のことも言いたいんだけど、あなたは私が分別がない(人前では口にできないことを口にする)と言うだろうね。 Cl: ああ、言ってください。 Mm: でもね。 Cl: 私の見解はこうです。もう(あなたの指摘に)私はうなずいたじゃないですか。私が嘘をつくとでも?病気を隠したいと思っているとでも? Mm: まずね。水が(性器から)溢れてくるという、ちょっとした異常(kajama)43だね。

Cl: 今日もありました。

(以下、女性の性器に関するいくつかの不調と、月経不順、夫婦の性関係その他の指摘などが続くが、ここでは(内容が「人前では口にできない」類のものを含んでいるので)訳出しない。次々となされる症状の指摘に、夫は思わず握手を求めるが、施術師は拒む。まだ続きがあると言って。ドゥルマ語のテキストは公開しているので、具体的に知りたい方はドゥルマ語を解読していただきたい。)

(DB 1172)途中から。 Mm: そして、睡眠のちょっとした異常(kajama ka kulala)はどうです。ちっちゃな子供みたいに突然なにかに驚いたみたいに目を覚ます。そんなことはなかったかい。 Cl: ああ、そもそも彼女の異常な癖ですよ。異常な。

(DB 1173) Mm: 夢と話をしているみたいな。ときには何かを食べているみたいに口をむしゃむしゃ。 Cl: ああ、私本人がその場にいるんですよ。見ていますとも。 Mm: 彼女には(解決すべき)いろんなことがあるよ、あんた。 Cl: ああ、あなたが見たものをすべて言ってください。もしもっとご覧になるのなら、言ってください。 Mm: たくさんの心配事。ところで...(小声で聞き取れない)...については、憑依霊(shetani)についてのことは全部、調えたのかい、最後まで。 Cl: やりました。でも最後までかどうか知りません。全部終わったかどうか、見てくださいよ。 Mm: 終わってはないね。 Cl: 私はやりましたと申しましたが、すべて終わったとは言ってません。やりましたと言っただけです。 Mm: 瓢箪子供(mwana wa ndonga17)は彼女に与えたかい? Cl: 瓢箪子供、彼女はまだ瓢箪子供は受けていません。

(DB 1174) Mm: まだ彼女に子供をあたえてないの? Cl: いいえ、まだです。そもそも... Mm: ところであなたは子供はほしいの? Cl: 私自身の子供ですか。 Mm: そうだよ。 Cl: ああ、私が彼女を急かしたとして、いったい何になるでしょう。子供をもうけるまさにその場所が(病気に)捕らえられているんですから。そこが捕らえられているとすれば、私になにが出来ましょう? Mm: 彼女がどうであれ、彼女には可能だよ。でも、今はそんな具合。憑依霊ドゥルマ人26の鍋35はまだ置いてないのかい? Cl: ああ、それなら、私はまだ鍋を置いてません。まだ(そうしろと)言われたこともなかったのです。

(DB 1175) Cl: こうしなさい、ああしなさいと言われたら、私は言われたとおりにいたします。あるときなど、(占いに)見てもらい指示されて、そのとおりにして、太陽があれくらいの時(朝8時くらい)、妻の様子を見ると、もう完全に健康。人も、この女性は健康そのものだと言うほど。 Mm: ああ、彼女のこの病気はね、...そもそも、朝あなたが出かけるときには、彼女は健康そのもので、あなたが帰宅すると、病気の彼女をみることになる。 Cl: そう、まさにそんな感じです。 Mm: 逆に、朝、別れるときには重病人そのもの、でも帰宅してみると、しっかり目を開いている(元気そのもの)28 Cl: まさにそのとおり。 Mm: さて、私はこんなふうには言いません。さあ、行って施術師をさがし、10000シリングの料金をおはらいなさい。彼女の「重荷下ろし(kuphula mizigo)10」の治療に何千シリングですって?あなたはンゴマを開き、重荷下ろしをする。なのに彼女は相変わらず病気。

(DB 1176) Mm: 私はあんたにほんのちょっとした課題だけをあげるよ。それであなたはここに戻ってきて、私に握手を求めることになるよ。まず、ムルング子神(mwanamulungu14)の鍋を彼女においてあげてちょうだい。 Cl: ムルング子神の鍋。 Mm: それとムルング子神のキザ15 Cl: それとムルング子神のキザ。 Mm: わかった? それとシェラ7と憑依霊ディゴ人6の「外のキザ」 Cl: シェラと憑依霊ディゴ人の。 Mm: それとライカ・ムズカ本人の。奥さんが鍋の湯気を浴びて、終わったらこのキザ(ムルング子神の)を浴びるのよ。この(ムルング子神の)キザを浴びたら、まずは彼女はよくなるから。このキザを浴び終わったら、彼女はあっち(外)に行く。(搗き臼は)上手に模様を描いてある(灰の白、炭の黒とオーカーの赤で)。(赤、白、紺三色の)布切れをこんな風にね。ムコネの枝を2本こんな風に(搗き臼の上に)渡してね、カンエンガヤツリ草44をこんな風に差して、搗き臼に向かってこちら(北)を向いてね。とっても気にいるわよ。奥さん自身も。ここ(小屋の中)で鍋の湯気を浴びて、終わったらそちら(小屋のキザ)で浴びる。

(DB 1177) そちらが終われば、彼女はあちら(外のキザ)に行く。それが済んだら、また小屋に戻って煎じ薬(muhaso)を飲む。鍋が終わるまで。7日間で終わります。さあ、中身は捨てて。さあ、憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きなさい。 Cl: この彼女が湯気を浴びるのはムルング子神の鍋ということでしょうか。 Mm: ムルング子神のです。 Cl: で、あちらで浴びるのは。 Mm: 池はムルング子神の池です。あちらの方には、ライカ45・ムズカ47とシェラと憑依霊ディゴ人いっしょのキザです。 Cl: あちらの外れのほうの? Mm: そう。さて、彼女が湯気を浴びて、終わったら、そちらで水浴び。そちらで水浴びして終わったら、あっちの方で水浴び。で、終わりです。 Cl: 7日が終わるまで。 Mm: 7日が終わると、このドゥルマ人の鍋を(施術師が)設置に来ます。奥さんは良くなりますよ。

(DB 1178) Cl: 鍋を設置に来る。そしてタイレと? Mm: さらに、そんなふうに彼女が(ムルング子神の)鍋の湯気を浴びているときに、こちらに瓢箪(chirenje)、まだ口を開けていない瓢箪を。 Cl: ベランダに置いておくのですか。 Mm: ここ、(ムルングの)キザのところによ。で唱え手に唱えてもらいます。「私は、この腹が小康を得ることを望みます」って。小康を得ることは、治ることよ。腹が治るのを見ることは、腹に子供を見ることよ。その腹を見ても(妊娠がわかっても)、この子供(瓢箪)の口は穿ちません。それからは、寝台の脚のところ(gunguhi)に置いておかれます。その子供(瓢箪)にはこれ(占いに用いる瓢箪のマラカス(chititi))みたいに3連程度のビーズを巻いておくだけよ。それは寝台の脚のところに置いておかれます。この子は口を穿ちません、脚をもった(人間の)子供が生まれるのを見るまではね。そのときにこの子の口を穿って、彼女に二人の子供(生まれてきた人間の赤ん坊と瓢箪子供)を与えるのよ。この鍋の湯気を浴びて、このムルングの鍋が終わったら、施術師を連れてきて、彼(彼女)にこの子を寝台の脚のところに置いてもらいます。でもこの子を寝台の上に上げてはだめよ。

(DB 1179)繰り返し一部省略 Cl: 上にあげたらだめ? Mm: (施術師に)寝台の脚のところに、こんな風に置いてもらいます。この子はそこにずっといます。ときどき、見てあげます。それはそこにいます。奥さん本人も、ときどきその子を見てあげます。 Cl: ああ、自分でもその子を見るんだね。 Mm: ああ、そうそう。まずね黒い布(nguo nyiru=ムルングの布。実際には色は黒というよりも紺色)を手に入れて、その上に置いてあげる。石(このあたりにみられる平たい粘板岩)があれば、そこに置いてあげる。そこに座らせておく。以上。あんたは(奥さんの病気が治ったと言って)私に握手を求めに来るでしょうよ。それから憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きます。ドゥルマ人に鍋の湯気を浴びさせるのよ。12日間。ドゥルマ人の鍋を差し出す際には、ほんの少しばかり歌を用意してね。 Cl: 歌を用意しておく? Mm: さらにいっそう祈願するのよ。つつがなきことと、子供が生まれることをお願いするんだよ。 Cl: (徹夜のじゃなくて)昼間の(カヤンバ)でも?

(DB 1180) Mm: 昼間のでも。ちょっとした歌だよ。でも(本当の子供が生まれた後で、正式に)瓢箪子供を与える日にはね、夜の歌(カヤンバ)といっしょに与えられるんだけどね。というのも瓢箪子供は昼に差し出すものではないから。そうされる場合もあるけど、施術的にはちょっとね。瓢箪子供といえば、ンゴマを打ってもらうこと。その日の早いうちに、瓢箪子供の口を穿ちます。そしてンゴマが明け方のひんやりする時間まで打たれます。夫婦がその子作りに励む時間ね、その時間に瓢箪子供は差し出されるんです。おわかり? Cl: わかりました。 Mm: でも祈願すること、それなら、昼間で大丈夫。そのときっていうのは、しっかりこの子を(ムルングに)お示しするのよ。私はこの子に口を穿ちません。 Cl: はっきり口に出して言うんですね。私はこの子に口を穿ちませんって。 Mm: 私はこの子に口を穿ちません。脚をもった子供をこの目で見るまでは。

この占いの訳出されなかった部分を含む全文ドゥルマ語テキスト

こんな具合に、占いはかなり詳細にわたって実施するべき治療を指示する。女性のかかえている問題は、ムルングが自分の子供(瓢箪子供)を求めて、その欲求をかなえるために引き起こした問題だった。したがってムルングの鍋をムルングに振る舞い、同時に瓢箪子供にする瓢箪をムルングに示してやることで、当面の問題は解決するはずだ。この瓢箪は、口を開けないまま夫婦の寝台の下にきちんと置いてやる。あとは彼女が妊娠し、無事子供を産むのを待つばかり。だが、それを邪魔しかねない憑依霊ドゥルマ人に対して「鍋」を振る舞ってちゃんと言い聞かせておかなくては。その時、ムルングに対しても小さい昼間のカヤンバ(3人程度の歌い手で良い)で、出産の祈願に念を入れておく。そして無事、妊娠出産の暁には、徹夜の儀礼を開き、たくさんの憑依霊たちを踊りに招待し、その夜のうちに瓢箪の口を穿って、その中に「心臓」「内臓」「血」を入れて瓢箪子供を仕上げ、夜明け前の儀礼のクライマックスに、ムルングに憑依されたその女性(かつムルング)に、瓢箪子供を差し出せばフィナーレである。それ以降、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、赤ん坊を負う際には、背負い布(mukamba61)の端に結ばれ、赤ん坊と行動をともにしつつ、赤ん坊を「養う」。「鍋」はこの一連のプロセスの重要な結節点となっている。

「手付けの子供(mwana wa mufunga)」を示すための「鍋」

「鍋」の差し出しとともに、 口を穿ってない瓢箪が「手付けの子供(mwana wa mufunga)」あるいは「瓢箪子どもの手付け(mufunga wa mwana wa ndonga)」が差し出される。

事例

  1. ンカウリの「手付けの子供」を見せるためのムルングの鍋

  2. ビティのための「手付けの子供」をムルングに示す「鍋」

 

 

参考文献

浜本満, 1992, 「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」, 『アフリカ研究』Vol.41:1-22 浜本満, 1993, 「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28

注釈

 


1 憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o)、シェターニ(shetani)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。
2 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術3においても固有の草木が用いられる。
3 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
4 「鍋」を火にかけて煮る役目の人には、たとえ姉妹や母親であっても、4シリングないし8シリング(ryale)を渡す必要がある。そうしないと憑依霊が嫉妬して料理人を病気にしてしまうかもしれないという。
5 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
6 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
7 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)8、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす10)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku11)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
8 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri9を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
9 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza8と呼ばれる手続きもある。
10 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
11 憑依霊シェラ(shera7)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
12 妊娠していないのに妊娠したかのように腹部が膨れ、死に至る妖術
13 憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(makayamba=pl. of kayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にmuturituriの実を入れてガラガラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。
14 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza15)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる16。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている17。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
15 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
16 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供17がある。
17 不妊の女性に与えられる瓢箪子供16。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神14がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande18)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料19)、血(ヒマ油20)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
18 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
19 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
20 ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
21 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)8」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena22が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee23)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande18には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
22 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari21)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande18)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
23 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo24)マンダーノ(mandano25)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
24 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
25 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
26 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性27)、カシディ(kasidi 女性28)、ディゴゼー(digozee 男性老人23)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe、名詞chimwemwe=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
27 憑依霊ドゥルマ人の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
28 女性のドゥルマ人憑依霊。kasidiは、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。
29 世界導師30、内陸bara系31であると同時に海岸pwani系32であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
30 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu duniaは世界導師(mwalimu dunia)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
31 非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。
32 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。
33 民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」34、香料19と海岸部の草木2の鍋35。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
34 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
35 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza15、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
36 その特定のンゴマがその人のために開催される、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)[^mwana_wa_chiganga]であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
37 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)14との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
38 「外 nze, konze」に対する「内、内部」を意味するが、「胃」「腹部」の意味でも用いられる。母を同じくする兄弟のことを ndugu ndani mwenga(一つ腹の兄弟)という言い方もある。
39 「一杯になる、溢れそうになる、はち切れそうになる」を意味する動詞
40 ku-odzala とほぼ同義だが、「便秘になる(ku-vumbirwa)」の意味もある。
41 むしゃむしゃ食べる、噛み砕く、またはその動作
42 陰部も含む下腹部。「彼は私のchinenaに触った yudzinikumba chinena」は「彼は私を怒らせた」の意味になる。
43 vyama(=人や出来事が示す悪性の異常な傾向性)の指小辞(diminitive)。「ちょっとした異常」と訳したが、過小評価にみせつつ、大変だとのニュアンスがこもっている。
44 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
45 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi46)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka47) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri9)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi48など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo49,laika mukusi50など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe51, laika ra nyoka51, laika chifofo54など。(4) その他 laika dondo55, laika chiwete56=laika gudu57), laika mbawa58, laika tsulu59, laika makumba[^makumba]=dena22など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze15)で薬液を浴びる、護符(ngata60)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza8)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
46 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
47 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
48 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
49 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
50 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
51 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira52)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka53)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
52 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
53 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
54 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
55 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi46)の別名ともいう。
56 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
57 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
58 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
59 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
60 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
61 片方の肩に掛けて赤ん坊を背負い、胸の前でくくる。 任意の長方形の布(レソlesoとして2枚一組で売られているもの)が用いられるが、瓢箪子供(chereko)による赤ん坊の場合はムルングの布(nguo ya mulungu)あるいは黒い布(nguo nyiru)とよばれる紺色の布が用いられることが多い。瓢箪子供はこの布の一方の端、胸の前で結ぶ部分に結び付けられている。