憑依霊(nyama, p'ep'o, shetani)に対する治療の一つで、草木(muhi)を詰めた土器製の鍋(nyungu)を火にかけ、沸騰後、低い椅子に座った患者の両脚のあいだに鍋を置き、鍋と患者の全身を布で覆って、その蒸気を浴びる(ku-dzifukiza)もの。中に詰める草木その他は、対象となる憑依霊の種類によって異なる。多くの憑依霊は独自の鍋をもたず、「世界の住人すべて arumwengu osi」のための鍋に呼ばれる。
「鍋 nyungu」は屋内、あるいは屋外に設置された「キザ chiza」と対になっている。「キザ」には「鍋」に用いた草木と同じものの葉を水で揉み砕いた液(vuo)が入っている。キザには屋内に置かれる「屋内のキザ chiza cha nyumbani」と戸外に置かれる「戸外のキザ chiza cha konze」がある。後者は「池 ziya」とも呼ばれる。「鍋」と対になっているのは通常は「屋内のキザ」である。蒸気を浴びて汗をかいた後に、患者は「キザ」で水浴び(koga)して、身体を冷やす。鍋で発汗し、その後にキザで冷やす。これを決められた日数繰り返す。 鍋と対になった屋内のキザのなかの液(vuo)は、唱えごとにおいてはしばしば施術師用語を用いてmubut'o(ku-but'a munya「水をばちゃばちゃさせて遊ぶ」より)と呼ばれる。鍋から出る蒸気は同じくmwachivuche(vucheは「湯気」)と呼ばれる。
憑依霊に対する治療に共通することだが、これは我々の言うところの「薬」を使って患者の病気を治すという通常の捉え方では理解してはならない。たしかに患者は身体的、心的なさまざまな症状に苦しんでおり、それを取り去ることが目的である。しかしいわゆる「薬」が、患者の心身に働きかけ、その作用で患者の苦痛が取り除かれるという形で理解されているのに対し、憑依霊による病気(ukongo wa nyama)1の治療においては、使用される草木(muhi)2は、症状をひきおこしている憑依霊に対して差し出されており、憑依霊に対して働きかけるものだという点に、注意せねばならない。
「鍋(nyungu)」のなかで煮られた草木その他から立ち上る蒸気を患者は浴びて汗をかく。この行為は、患者が「自らを燻す」(ku-dzifukiza)とか「焼かれる」(ku-ochwa)などと語られる。しかし同時にこのとき、患者に憑いている霊たちはその「鍋」を食べていると言われる。それは患者に憑いている霊たちに対する饗応なのである。その意味では患者そのものを治療するという、通常の理解からは外れている。「鍋」は患者に対してというよりも、取り憑いている憑依霊に対して差し出される贈り物なのである。
この意味でも、憑依霊の治療に用いられる草木(mihi)を「薬」「薬草」と呼ぶことは(私は以前、なんのためらいもなく薬草という言葉を平気で使用していたが)誤解を招きやすい。病気に対して、直接作用するものではないからである。
施術師たちは、「鍋」治療のやり方について以下のように説明している。
M1: (鍋の調理者(mujiti wa nyungu)4は)鍋が熟すまで煮る。沸騰し、熟すまで。つぎに鍋を火から下ろし、地面に置く。布をもってきて、(患者に)すっぽり被す。そしてこちらをちょっとめくる。鍋は葉っぱで蓋をされている。それらの葉っぱを取り除く。さて、今やその熱気(teri)が身体にやってくる。 Q: それが済めば、池で水浴びするんですね。 M1: その火の場所から出ると、汗びっしょりになっている。つまりその憑依霊(shetani)自身もその鍋を食べたということだ。そして喜んでいる。というわけでそっちで浴びに行くことになる。「池」にね。身体を冷やしにね。 M2: でも、もし憑依霊がその鍋が気に入らなかったら、(患者は)全然汗をかかない。 Q: 汗をかかない? M1: 汗をかかない。でも、もし汗をかいていたら... M2: そいつは食べたっていうことさ。 Q: 憑依霊はよろこんでいるということですね。よくわかりました。 (DB 995)
「鍋」の設置は男女二人のムガンガ(癒し手、治療師、施術師 muganga)によって行われなければならない。
「鍋」治療の多くは、単純な病気治療の手段としての鍋治療である。 こうした病気治療としての「鍋」は占い(mburuga5)によって指示される。
咳に苦しみ畑仕事もする気になれない女性患者について、ある占いは次のように指示している。彼女はかつて憑依霊ディゴ人(mudigo6)とシェラ(shera7)のためのカヤンバ儀礼(ku-pungbwa)を(憑依霊たちに)約束したのだが、それを果たしていなかった。それが現在の症状の原因だとされている。占い師はまずディゴ人とシェラのためのキザ(ziya)の設置を指示する。
Muganga wa mburuga(占いの施術師): 今言ったようにキザなんだけど、なんのためのものかわかる?ディゴ人とシェラたちのだよ。 P(患者): まさにそいつらが(約束との引き換えに)私に再び手鍬(をもって畑を耕す力)を私にくれたのです。 Mm: あらら、そりゃ耕せなくなるさ、だって(約束を)果たさなかったんだから。 P: この小雨季にしても、耕してみようとすらしなかった。 Mm: 外のキザ(chiza cha konze=ziya)と屋内のキザ(chiza cha nyumbani)、それからムルング(憑依霊mwana mulungu)の「鍋」をしてもらってちょうだい。その湯気を浴びて(adzifukize)、それがおわったら、お金に余裕ができたら、シェラとディゴ人の「鍋」を設置しておもらい。 (DB 1147)
別の占いでは腹部の膨満が憑依霊ドゥルマ人のせいだとされている。
Mm: あんた、ドゥルマ人の布はもってる? P(患者): ええ。 Mm: ドゥルマ人の「鍋」の湯気をあびた(wadzifukiza)? HP(患者の夫): もうずっと以前のことだ。 Mm: ドゥルマ人の「鍋」を用意してもらって頂戴。お前さん、お腹が膨れ上がるだろうよ。こいつはムァミンバの妖術12にやられたのかと思うほど。だって、空気で膨れているんだから。ウガリも自分では料理しないでしょ。すぐにお腹いっぱいになる。空気でね。それってあいつ、ドゥルマ人のせいだよ。 (DB 1870-1871)
この2つの事例では、患者の身体的不調は、すでに患者が関係をもっている憑依霊たちがおり、彼らとの約束を患者が果たさずにいたためか、患者が憑依霊たちにたいする饗応を長期間怠っていたために起きているとされている。お金がかかるカヤンバ儀礼(makayamba13)は、そう簡単に開けるものではないが、とりあえず憑依霊をなだめるためには、キザ浴びのようなちょっとした心付けも一つのやり方だし、鍋のような饗応であればかなりの効果が期待できる。
饗応の要求が満たされないことに怒っていた憑依霊ならば、鍋でその要求をかなえられたことで、催促のしるしであった病気を引っ込め、患者をときほどいてくれる(はず)のである。結果として、それは病気の治療にもなっている(かもしれない)。鍋のなかの草木はそれぞれの憑依霊の好物である。病気への効果は間接的で、けっして薬が効くように効くわけではないのである。
憑依霊ドゥルマ人(Muduruma)26のための鍋
憑依霊ペンバ人(と仲間たち)33のための「鍋」
「鍋」治療が、それ自体で一応完結するものとしてではなく、最初から別のより大掛かりな治療の前段階として実施される場合がある。これも多くは占い(mburuga)の指示による。「鍋」をその手続に含む、より大きな治療についてはそれぞれ別個に詳しく扱うので、ここでは、大きな治療法のなかに含まれた「鍋」について、いくつかの事例を紹介するにとどまりたい。
憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(あるいはカヤンバ)「治療」についてはここに概略を紹介しているので参照していただきたい。
ンゴマ(あるいはカヤンバ)には、その目的やコンテクストに応じて様々な種類がある。
こうしたカヤンバやンゴマの多くでは、その開催に先立っていくつかの「鍋」治療がともなう。カヤンバ(ンゴマ)に先立つ「鍋」がまず要請されないのは「憑依霊を見る」と「嗅ぎ出し」と「除霊」である。それに対して、「鍋」が必須となるのは患者が施術師に就任するためのカヤンバ(ンゴマ)である。 それ以外の場合に、カヤンバに先立って「鍋」が必要となるかどうかは、患者が多くの憑依霊をすでにもっているかどうか、ややこしい憑依霊がいるかどうかなどに依存する。
一例として1989年12月14日から3日間にわたって、施術師チャリがライカ、シェラ、ムディゴ、ニャリをまとめて「外に出す」呪医就任の一連の大掛かりな施術(瓢箪子供とビーズの装身具の作成に始まり、「嗅ぎ出し」、「重荷下ろし」、徹夜の「外に出す」の3連続カヤンバを含む)を、自宅から30キロほど離れた施術師(男性施術師ニャマウィNyamawi+女性施術師Mwaka)の屋敷で受けるに先立って、自宅で浴びた「鍋」は以下の通りだった。いずれも鍋を据えたのは、Chari自身の手で施術師に就任した女性(Chariの治療上の「子供」ということになる)とその夫である。
ムァナムルングmwanamulungu (+サンバラ人musambala)の鍋...7日間
「招待の鍋」nyungu ya kurongesha... 4日間 これは「外に出す」カヤンバの前に行う「鍋」の通例どおりである。
「招待の鍋」とは、本格的なンゴマ(太鼓 ngoma)やカヤンバ(makayamba)の前に4日間湯気を浴びる(ku-dzifukiza)鍋。これにはすべての憑依霊(nyama osini)の草木(mihi ya nyama osi)を入れる。といってもすべてを入れるのではなく、それぞれの憑依霊のための「鍋」に入れられる代表的な草木を入れたもの。これはそのンゴマ(カヤンバ)で主に演奏される憑依霊たち以外の憑依霊がムエレ(muwele)36が踊る(ku-vina=憑依霊に満たされて憑依状態になる)のを邪魔しないようにと前もって諭しておくために差し出される鍋だとされる。患者がそれほど多くの霊をもっていないことが明らかである場合には2日間に短縮され、あるいはまったく省略されることもある。
同じく施術師chariが1991年11月9日に開催する予定だった「月のカヤンバ(kayamba ra mwezi)」(急遽別のカヤンバの開催が要請されたため中止になった)に先立って行った「鍋」は以下の通り。これらの鍋も、Chariが「外に出し」施術師にした女性(上の例とは別人)とその夫によって据えられた。
ドゥルマ人mudurumaの鍋...12日間
シェラShera(+mudigo, laika)の鍋...4日間
「招待の鍋」nyungu ya kurongesha...4日間
月のカヤンバは、特定の問題(病気など)の解決を求めて開くものではなく、施術師自身が自分の憑依霊たちに感謝を示すために開くものである。ここでは彼女の持ち霊であるドゥルマ人とシェラに特別な配慮がなされていることがわかる。
ここではこうしたンゴマ(あるいはカヤンバ)の準備としての「鍋」について、施術師就任のンゴマに向けての鍋と、やや特殊ではあるがチェレコと呼ばれる瓢箪子供の差し出しに際しての鍋を、事例としてやや詳しく紹介しておきたい。
施術師にとって、弟子(mwanamadzi[^mwanamadzi])を「外に出す」ンゴマは、他のンゴマ(カヤンバ)にはない特別な重要性がある。そこに至るまでに、彼(彼女)が自分のもっている霊に対して、どれだけ上手に交渉し、必要な助力を引き出しうるかが試されていると同時に、弟子がその持ち霊と上手につきあっていけるかどうか、それを見極め指導していかねばならない。そしてンゴマ(カヤンバ)の当日に、弟子がその持ち霊との協力関係を見事に立証して見せるかどうかが明らかになる。施術師にとって嫌でも気合のはいった特別なンゴマなのである。失敗は許されない(とはいえ、しばしば起こる)。
そうした失敗を防ぐために、ンゴマの開催を施術師見習いがもっているすべての憑依霊に周知し、それがとどこおりなく実施されるよう協力を要請する必要がある。そのための準備が「鍋」である。初めて施術師になる者は、まずムルングの施術師にならねばならない。同時に他の憑依霊も「出される」かもしれないが、ムルングがまず先頭を切る。したがって、時間と日程に余裕があれば、まずはムルングの「鍋」7日間、その後、弟子の持ち霊によってはンゴマの障害になりかねないものもおり、それらを説得するための「鍋」(日数は問題となる憑依霊ごとに異なる)、最後に、すべての憑依霊に対する「招待の鍋」(4日間、ただし日程の都合で短縮されることもある)という風に、入念な「鍋」活動が必要となる。
女性に降りかかるさまざまな災難の一つが、妊娠・出産・子育てを巡る諸問題である。妊娠を妨げるさまざまな要因があるとされており、憑依霊もその一つである。妊娠しても、流産や死産で子供を失うことがある。それを引き起こす要因もいろいろあるとされているが、やはり母親に憑いている憑依霊の仕業とされる場合がある。さらに出産しても、赤ん坊が無事に育たずに、死んでしまうことがある。「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる、特別なグループの霊(キツツキ(nyuni)と総称されるが、想像上の巨大な怪鳥を含め、鳥が多くを占める)も、母親に憑くことを介して子供を苦しめ、死に至らせる場合がある。こうしたケースのいくつかは「除霊(ku-kokomola)」というドゥルマの人々が「危険」だとみなす施術でしか対処できない。
内陸部の霊(nyama a bara31)の筆頭で、池の霊(nyama a ziya)すべての母であるとも言われるムルング(mulungu あるいはムルング子神 mwanamulungu3714)も、女性の妊娠・出産を封じてしまう霊であるが、先に触れた「除霊」の対象になる霊たちとはある意味で正反対の仕方で、それを行う。ムルングは、自分の瓢箪子供がほしくて、高い出産能力のある女性に目をつけて(ある人によると嫉妬して)、彼女の腹を封じてしまう。したがって瓢箪子供を差し出すことを約束すれば、ムルングは彼女を解放し、妊娠させてくれるだろう。子供が無事出産したら、約束通り瓢箪子供を差し出し、それ以降は彼女はse背中の子供と瓢箪子供をいっしょに育てることになる。瓢箪子供=ムルングは背中の子どもの成長を助け、彼女のさらなる妊娠出産を助ける。ただ一方的に子供に害を及ぼし、最終的には危険な除霊によって関係を絶ってしまう必要がある霊たちとは違って、霊と彼女の間には恒常的な共生関係が築かれていくことになる。
例えば次に紹介する占いでは、妻(出産経験あり、しかしその後子供に恵まれない)の婦人科的諸問題を占いに来た男性客に対して、占いの施術師は、「出産祈願のための瓢箪子供の差し出し」17という一連の治療プロセスの最初の段階として、ムルングに対する「鍋」の差し出しを指示している。さらに、彼女の病気の別の側面に責任がある憑依霊ドゥルマ人26の「鍋」設置も指示されている。こちらは憑依霊ドゥルマ人自身を満足させるための、瓢箪子供を差し出すこととは独立した「鍋」の設置であるが、ドゥルマ人によって本筋の瓢箪子供の差し出しが邪魔されないための予防措置という側面もある。前節の実例においても、見られるように憑依霊ドゥルマ人は、他の憑依霊のための饗応を妬み、妨害するという厄介な存在なので、患者が憑依霊ドゥルマ人をもっていることがわかっている場合は、ドゥルマ人に介入を思いとどまるよう、説得する必要がある。そのためにもドゥルマ人だけのために「鍋]の饗応を行うことが有効だと考えられる場合がある。
瓢箪子供を差し出す一連のプロセスについては、別項で詳しく紹介するので、ここでは「鍋」に関わる部分のみ挙げておきたい。
(占いの施術師(muganga wa mburuga=Chari(Mm))、開始してすぐに、客の男性(Client(Cl))の妻が病気であり、問題は腹部38にあることを言い当てる)。
(DB 1156)途中から。一部編集。 Mm: でも腹がとりわけ病気だね。 Cl: それこそ私をここにもたらしたものです。 Mm: 腹は空っぽだね。中に人(胎児)はいない。 Cl: 私の見るところ、なにもないです。 Mm: なのに中で何かが動き回っている。
(DB 1157) Cl: その動き回っているものをよく見てくださいな。それが人なのか、物なのか。見えるんでしょう? Mm: 病気だよ。腹が切られるよう(に痛い)ってこと、奥さんはあなたに言った? Cl: 言ってました。 Mm: 腹が(なにかで)一杯になっている39感じ。 Cl: 便秘40ってことでは、便秘してます。 Mm: 便秘、一杯になっているということはそういうこと。 Cl: まさにそのとおりですね。 Mm: そしてこの両の腎臓が重苦しいよ、あんた。何かに噛み潰されている41よ、あんた。 Cl: タイレです。 Mm: この下腹部42も。噛み潰されている。 Cl: まさに、そのとおりです。 Mm: 重苦しい。もし違っていたら、違うと言ってちょうだい。間違いだと。
(DB 1158) Cl: 私は否定の仕方なら知ってますよ。でも、あなた、私はタイレだと申しているのです。 Mm: 下腹部が重苦しい。そしてここと、このあたり、針で刺されるような痛み。感じているかい。これから別のことも言いたいんだけど、あなたは私が分別がない(人前では口にできないことを口にする)と言うだろうね。 Cl: ああ、言ってください。 Mm: でもね。 Cl: 私の見解はこうです。もう(あなたの指摘に)私はうなずいたじゃないですか。私が嘘をつくとでも?病気を隠したいと思っているとでも? Mm: まずね。水が(性器から)溢れてくるという、ちょっとした異常(kajama)43だね。
Cl: 今日もありました。
(以下、女性の性器に関するいくつかの不調と、月経不順、夫婦の性関係その他の指摘などが続くが、ここでは(内容が「人前では口にできない」類のものを含んでいるので)訳出しない。次々となされる症状の指摘に、夫は思わず握手を求めるが、施術師は拒む。まだ続きがあると言って。ドゥルマ語のテキストは公開しているので、具体的に知りたい方はドゥルマ語を解読していただきたい。)
(DB 1172)途中から。 Mm: そして、睡眠のちょっとした異常(kajama ka kulala)はどうです。ちっちゃな子供みたいに突然なにかに驚いたみたいに目を覚ます。そんなことはなかったかい。 Cl: ああ、そもそも彼女の異常な癖ですよ。異常な。
(DB 1173) Mm: 夢と話をしているみたいな。ときには何かを食べているみたいに口をむしゃむしゃ。 Cl: ああ、私本人がその場にいるんですよ。見ていますとも。 Mm: 彼女には(解決すべき)いろんなことがあるよ、あんた。 Cl: ああ、あなたが見たものをすべて言ってください。もしもっとご覧になるのなら、言ってください。 Mm: たくさんの心配事。ところで...(小声で聞き取れない)...については、憑依霊(shetani)についてのことは全部、調えたのかい、最後まで。 Cl: やりました。でも最後までかどうか知りません。全部終わったかどうか、見てくださいよ。 Mm: 終わってはないね。 Cl: 私はやりましたと申しましたが、すべて終わったとは言ってません。やりましたと言っただけです。 Mm: 瓢箪子供(mwana wa ndonga17)は彼女に与えたかい? Cl: 瓢箪子供、彼女はまだ瓢箪子供は受けていません。
(DB 1174) Mm: まだ彼女に子供をあたえてないの? Cl: いいえ、まだです。そもそも... Mm: ところであなたは子供はほしいの? Cl: 私自身の子供ですか。 Mm: そうだよ。 Cl: ああ、私が彼女を急かしたとして、いったい何になるでしょう。子供をもうけるまさにその場所が(病気に)捕らえられているんですから。そこが捕らえられているとすれば、私になにが出来ましょう? Mm: 彼女がどうであれ、彼女には可能だよ。でも、今はそんな具合。憑依霊ドゥルマ人26の鍋35はまだ置いてないのかい? Cl: ああ、それなら、私はまだ鍋を置いてません。まだ(そうしろと)言われたこともなかったのです。
(DB 1175) Cl: こうしなさい、ああしなさいと言われたら、私は言われたとおりにいたします。あるときなど、(占いに)見てもらい指示されて、そのとおりにして、太陽があれくらいの時(朝8時くらい)、妻の様子を見ると、もう完全に健康。人も、この女性は健康そのものだと言うほど。 Mm: ああ、彼女のこの病気はね、...そもそも、朝あなたが出かけるときには、彼女は健康そのもので、あなたが帰宅すると、病気の彼女をみることになる。 Cl: そう、まさにそんな感じです。 Mm: 逆に、朝、別れるときには重病人そのもの、でも帰宅してみると、しっかり目を開いている(元気そのもの)28。 Cl: まさにそのとおり。 Mm: さて、私はこんなふうには言いません。さあ、行って施術師をさがし、10000シリングの料金をおはらいなさい。彼女の「重荷下ろし(kuphula mizigo)10」の治療に何千シリングですって?あなたはンゴマを開き、重荷下ろしをする。なのに彼女は相変わらず病気。
(DB 1176) Mm: 私はあんたにほんのちょっとした課題だけをあげるよ。それであなたはここに戻ってきて、私に握手を求めることになるよ。まず、ムルング子神(mwanamulungu14)の鍋を彼女においてあげてちょうだい。 Cl: ムルング子神の鍋。 Mm: それとムルング子神のキザ15。 Cl: それとムルング子神のキザ。 Mm: わかった? それとシェラ7と憑依霊ディゴ人6の「外のキザ」 Cl: シェラと憑依霊ディゴ人の。 Mm: それとライカ・ムズカ本人の。奥さんが鍋の湯気を浴びて、終わったらこのキザ(ムルング子神の)を浴びるのよ。この(ムルング子神の)キザを浴びたら、まずは彼女はよくなるから。このキザを浴び終わったら、彼女はあっち(外)に行く。(搗き臼は)上手に模様を描いてある(灰の白、炭の黒とオーカーの赤で)。(赤、白、紺三色の)布切れをこんな風にね。ムコネの枝を2本こんな風に(搗き臼の上に)渡してね、カンエンガヤツリ草44をこんな風に差して、搗き臼に向かってこちら(北)を向いてね。とっても気にいるわよ。奥さん自身も。ここ(小屋の中)で鍋の湯気を浴びて、終わったらそちら(小屋のキザ)で浴びる。
(DB 1177) そちらが終われば、彼女はあちら(外のキザ)に行く。それが済んだら、また小屋に戻って煎じ薬(muhaso)を飲む。鍋が終わるまで。7日間で終わります。さあ、中身は捨てて。さあ、憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きなさい。 Cl: この彼女が湯気を浴びるのはムルング子神の鍋ということでしょうか。 Mm: ムルング子神のです。 Cl: で、あちらで浴びるのは。 Mm: 池はムルング子神の池です。あちらの方には、ライカ45・ムズカ47とシェラと憑依霊ディゴ人いっしょのキザです。 Cl: あちらの外れのほうの? Mm: そう。さて、彼女が湯気を浴びて、終わったら、そちらで水浴び。そちらで水浴びして終わったら、あっちの方で水浴び。で、終わりです。 Cl: 7日が終わるまで。 Mm: 7日が終わると、このドゥルマ人の鍋を(施術師が)設置に来ます。奥さんは良くなりますよ。
(DB 1178) Cl: 鍋を設置に来る。そしてタイレと? Mm: さらに、そんなふうに彼女が(ムルング子神の)鍋の湯気を浴びているときに、こちらに瓢箪(chirenje)、まだ口を開けていない瓢箪を。 Cl: ベランダに置いておくのですか。 Mm: ここ、(ムルングの)キザのところによ。で唱え手に唱えてもらいます。「私は、この腹が小康を得ることを望みます」って。小康を得ることは、治ることよ。腹が治るのを見ることは、腹に子供を見ることよ。その腹を見ても(妊娠がわかっても)、この子供(瓢箪)の口は穿ちません。それからは、寝台の脚のところ(gunguhi)に置いておかれます。その子供(瓢箪)にはこれ(占いに用いる瓢箪のマラカス(chititi))みたいに3連程度のビーズを巻いておくだけよ。それは寝台の脚のところに置いておかれます。この子は口を穿ちません、脚をもった(人間の)子供が生まれるのを見るまではね。そのときにこの子の口を穿って、彼女に二人の子供(生まれてきた人間の赤ん坊と瓢箪子供)を与えるのよ。この鍋の湯気を浴びて、このムルングの鍋が終わったら、施術師を連れてきて、彼(彼女)にこの子を寝台の脚のところに置いてもらいます。でもこの子を寝台の上に上げてはだめよ。
(DB 1179)繰り返し一部省略 Cl: 上にあげたらだめ? Mm: (施術師に)寝台の脚のところに、こんな風に置いてもらいます。この子はそこにずっといます。ときどき、見てあげます。それはそこにいます。奥さん本人も、ときどきその子を見てあげます。 Cl: ああ、自分でもその子を見るんだね。 Mm: ああ、そうそう。まずね黒い布(nguo nyiru=ムルングの布。実際には色は黒というよりも紺色)を手に入れて、その上に置いてあげる。石(このあたりにみられる平たい粘板岩)があれば、そこに置いてあげる。そこに座らせておく。以上。あんたは(奥さんの病気が治ったと言って)私に握手を求めに来るでしょうよ。それから憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きます。ドゥルマ人に鍋の湯気を浴びさせるのよ。12日間。ドゥルマ人の鍋を差し出す際には、ほんの少しばかり歌を用意してね。 Cl: 歌を用意しておく? Mm: さらにいっそう祈願するのよ。つつがなきことと、子供が生まれることをお願いするんだよ。 Cl: (徹夜のじゃなくて)昼間の(カヤンバ)でも?
(DB 1180) Mm: 昼間のでも。ちょっとした歌だよ。でも(本当の子供が生まれた後で、正式に)瓢箪子供を与える日にはね、夜の歌(カヤンバ)といっしょに与えられるんだけどね。というのも瓢箪子供は昼に差し出すものではないから。そうされる場合もあるけど、施術的にはちょっとね。瓢箪子供といえば、ンゴマを打ってもらうこと。その日の早いうちに、瓢箪子供の口を穿ちます。そしてンゴマが明け方のひんやりする時間まで打たれます。夫婦がその子作りに励む時間ね、その時間に瓢箪子供は差し出されるんです。おわかり? Cl: わかりました。 Mm: でも祈願すること、それなら、昼間で大丈夫。そのときっていうのは、しっかりこの子を(ムルングに)お示しするのよ。私はこの子に口を穿ちません。 Cl: はっきり口に出して言うんですね。私はこの子に口を穿ちませんって。 Mm: 私はこの子に口を穿ちません。脚をもった子供をこの目で見るまでは。
この占いの訳出されなかった部分を含む全文ドゥルマ語テキスト
こんな具合に、占いはかなり詳細にわたって実施するべき治療を指示する。女性のかかえている問題は、ムルングが自分の子供(瓢箪子供)を求めて、その欲求をかなえるために引き起こした問題だった。したがってムルングの鍋をムルングに振る舞い、同時に瓢箪子供にする瓢箪をムルングに示してやることで、当面の問題は解決するはずだ。この瓢箪は、口を開けないまま夫婦の寝台の下にきちんと置いてやる。あとは彼女が妊娠し、無事子供を産むのを待つばかり。だが、それを邪魔しかねない憑依霊ドゥルマ人に対して「鍋」を振る舞ってちゃんと言い聞かせておかなくては。その時、ムルングに対しても小さい昼間のカヤンバ(3人程度の歌い手で良い)で、出産の祈願に念を入れておく。そして無事、妊娠出産の暁には、徹夜の儀礼を開き、たくさんの憑依霊たちを踊りに招待し、その夜のうちに瓢箪の口を穿って、その中に「心臓」「内臓」「血」を入れて瓢箪子供を仕上げ、夜明け前の儀礼のクライマックスに、ムルングに憑依されたその女性(かつムルング)に、瓢箪子供を差し出せばフィナーレである。それ以降、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、赤ん坊を負う際には、背負い布(mukamba61)の端に結ばれ、赤ん坊と行動をともにしつつ、赤ん坊を「養う」。「鍋」はこの一連のプロセスの重要な結節点となっている。
「鍋」の差し出しとともに、 口を穿ってない瓢箪が「手付けの子供(mwana wa mufunga)」あるいは「瓢箪子どもの手付け(mufunga wa mwana wa ndonga)」が差し出される。
浜本満, 1992, 「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」, 『アフリカ研究』Vol.41:1-22 浜本満, 1993, 「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28