Hamisi(Mwachiti)氏のための「鍋」設置

概要

この事例は、全身のさまざまな症状に苦しみ、外出も困難で、町での賃仕事も続かない、一人の男性に対する治療である。占いの見立ては、多くの憑依霊が、一族の祖先の癒やしの術(unganga1)の継承を彼に求めているというもので、この「鍋」は彼自身が癒し手(muganga)になるという到達点を射程にいれたものなので、単純な病気への対処とはやや性格を異にしている。そのため順序としてムルングの「鍋」から始まっている。癒し手としてのキャリアはまずムルングを外に出す(ムルングの瓢箪子供をあたえられ、癒やし手になる)ことからはじめねばならないからである。霊の筆頭であるムルングの鍋は、他の諸々の憑依霊も来て恩恵を受け取ることができるが、いくつかの霊はムルングの鍋とは両立しない。そうした霊たちには別個の鍋を後に据えてやる必要がある。例えば彼を最も苦しめているとされる憑依霊ドゥルマ人はその代表格で、同じく彼を苦しめているイスラム系の霊たちについても、同様に別に対処しなければならない。が、こうした先々の計画は、このムルングの「鍋」に期待された効果がなければ、話にもならない。その点では、このムルングの鍋治療は、通常の鍋治療の事例と変わるところはどこにもない。

施術師

すべての鍋治療と同様、鍋は(通常男女の)二人の施術師によって据えられなければならない。

男性施術師: Murina Chimera 女性施術師: Chari Malau

ムルングの「鍋」設置の流れ

(1989年12月2日のフィールドノート(DB 2099)より、この時点では、私はmugangaを呪医、nyungu2を壺、muhi(mihi)を薬草となんとも無反省に適当な訳をあてていた。呪医は施術師または癒し手、治療師と、壺は「鍋」、薬草は草木とそれぞれ読み替えていただきたい。訳語は今後も変更の可能性あり。)

ハミシ本人が朝 mburuga4を打ちに来て、その結果 Chari5たちが呪医として 選ばれた。呪医夫婦でムルングの池(ziya ra mulungu)とムルングの壺(nyungu ya mulungu)を据えにいくという。連絡をうけてさっそくChariたちの家へ。
14:00 呪医の屋敷に到着

薬草のほとんどはチャリの家の周辺で手に入れ mukoba6に入れて運ぶ。家の周辺で手に入らなかった分はハミシの家へいく途中のtsaka7で手に入れる。

15:00 ハミシ氏の屋敷に到着 nyunguを両手で逆さにもち、下に炭熾makala8を置き、ubani9で内部を燻す。 nyungu に灰を水で溶いたもので彩色する。先程の炭熾をnyunguの底に置き、 薬草を円を描くように壺の縁から詰め込んでいく。中心部に丸く隙間ができるように。 さらに嗅ぎタバコとムルングの瓢箪(mwana wa ndonga wa mwanamulungu) の 内容物を加える。 スフリアの中に、同じ薬草の葉を細かく千切っていれ、水を加えて水の中でよく 揉みほぐし、薬液(vuo)を作る。これがそのまま屋内のキザ(chiza cha nyumbani)となる。 壺の中心のところにチャリのムルングの瓢箪子供 mwana wa ndonga を置き、 唱えごと(ku-kokotera) それが済むと小屋の中に設置する。

次いで chiza の vuo を使って患者に対し唱えごと(makokoteri) njerejere10を上げながらvuoを七回患者の頭に振りかける。 次いで患者に頭からムルングの布(nguo ya mulungu)をかぶせて締めくくりの唱えごと

今後は、壺のkudzifukizaと、chizaのkogaを7日間朝夕小屋の中で行う。 7日が過ぎると、中身は自分たちで捨ててしまってもよい。 それが済むと束ねられた植物の枝や根(「飲むための薬草(mihi ya kunwa)」)を ku-jita11して飲む。

 

使用草木(muhi)リスト

(このリストは不完全。患者宅に向かう道すがら採集した19種のみで、ムルングの木で最重要の mutserere(mujongolo)などが抜けている。mukoba6のなかのmuhiのストックにあったのか。なお、同定可能なものについては後に加筆する。Chariによると、以下の草木のうちでムルングの鍋に絶対不可欠なのは4番目のmwamusunza 別名 chinukamuhondo(字義通りには「明後日の臭いがする」学名 Sesbania sesban(Maundu&Tengnas2005:20))だという。)

唱えごと(makokoteri)の日本語訳

唱えごと全文テキスト(ドゥルマ語)

鍋を据えるための唱えごと 1001(途中から)

さて、私たちはムルング(mulungu)の鍋を置きに参りました。こうしてたくさんの問題を述べに来たわけです。まず、私たちはムルングの鍋を置きに参りました。祖先より続く癒やしの術(k'oma ya chiganga) が問題になっていると言われています。彼の一族に受け継がれた(施術師の)「袋」(mukoba6)のことです。そして癒やしの術をのぞむ憑依霊たちが、その督促に来たのだというのです。しかし、あなたがたはこの者を押さえつけて、病人にしてしまうという仕方でおいでになりました。 1002 この者は女性ではありません。養い手の夫(dzumbe)を待ちなさい(=患者が結婚するまで待ちなさい)と(憑依霊に向かっての唱えごとで)述べられる立場ではないのです。彼自身が養い手の夫(dzumbe)本人なのですから。もしあなたがたがこの者をずっと家から出られないような状態に置くとしたら、いったい誰によって、彼に(癒し手になるために)必要な治療(のための出費)が賄われるというのでしょう。彼に必要なのは、自分自身でそうすることなのです。今日、あなたがたは彼を四六時中、家の中に置いておかれる。彼はただ途方に暮れるしかないのです。そこにいるのは彼の妻。妻とは(憑依霊に)かかわられる者で、夫は必要な費用を稼ぎ出す(のが普通のこと)。夫が(憑依霊に)かかわられてしまうとなると、では妻はいったいどこからそのお金を引き出してこれるというのでしょう。 そんなわけで、私たちはムルングにお願いに参ったわけです。私たちは鍋を置きに参りました。鍋はムァナムルング(mwanamulungu=子神ムルング12)のものです。この者に要求されていることが癒やしの術(uganga 施術、治療術)の仕事なのでしたら、やってきて彼にこのうえなく良き夢(k'oma mbidzo)を見せてください。夢の中で彼に草木(muhi)をあたえてください。眠り、夜明けに目覚めると、行って、まさにその草木を手に入れること。けっしてやって来て、このように彼を押さえつけることではないのです。 1003 私はあなたがたにムルング子神の鍋を差し出します。ムルング子神の「池(ziya)」とともに。もし癒やしの術の憑依霊(nyama13)であるのなら、さあ、みんな出てきてください。頭にやってきて、頭をゆらし、癒やしの術が出てまいりますように。出てきて、彼を発狂させ、行って水の中に身を沈めさせたりしないでください。癒やしの術が出てきて、彼に草木を示し、彼に癒やしの術があたえられますように。あなたがたが彼に草木を示したなら、彼は治療上の父と治療上の母とによって、彼に癒やしの術があたえられるでしょう。これこそ癒やしの術にふさわしい祈りなのです。 しかしながら、現在、あなたがたは彼を悲しませている。憑依霊の問題など、もはや知らないかのように立ち尽くしている。なぜなら、彼は窮状にあるのです。彼は苦しみ、食べられず、眠ることもできず、じっとしてもいられない。今や、彼は世界を放浪する者。道を迷い歩き、この世を彷徨うもの。どこへ行っても、そこは彼の居場所ではない。行く先々で、そこは彼の居場所ではない。 1004 彼を治療する者は、誰一人として(本物の)癒し手ではない。彼があなたがたにどんな間違いを犯したというのでしょうか。この者を、あなたがたはまだ外に出してはおられない(kamudzangbwe wakukala mwamulavya nze14正式に癒し手に就任させていない)。もし彼が癒やしの仕事を放置しているというのなら、彼があなたがたを軽視していると、あなたがたがおっしゃる(のももっともです。)でも、あなたがたはまだ、自分たちは仕事がほしいと彼におっしゃってさえいないではないですか。なのにいま、どうして人間をお苦しめになるのでしょう。彼はムルングの人間、あなたがたの被造物(chumbe chenu)なのですよ。 さて、今日、いま、私は鍋を差し出します。頭が痛くなることも、めまいも、耳鳴りも、背中の重苦しさ、胸の重苦しさも、疲労も、腹がとげが刺さったように痛むことも、腹が熱くなることも、腎臓が噛み潰されることも、腰が断裂することも、腹が音をたてることも、すべてなくなるように。 さて、今日、いま、もし(これらが)あなたがたの仕業なら、あなたがたが本当に仕事を欲しがっておられるのなら、私はあなたがたに何をお与えするのでしょうか。私はあなたがたに鍋をお与えします。私たちに(彼を回復させることによって)そのとおりだとお知らせください。私たちはつつがなきことをのぞんでおります。脚が斧で割られる(ように痛む)こともない。脚がしびれることもなくなるように。なくなるように、どうか御主人様。目が闇に閉ざされることもなくなるように。なくなるように。 1005 どうか、御主人様方、御主人様方、わたしどもはみなさまの足元に身を投げ出します。もう争いはございません。争いは一昨日、昨日のこと(もう過ぎたこと)。争い合う二人、三人目がやってきて、争いを鎮めます。今日、私は仲裁する者です。私は争いを鎮めます。 この者は、配偶者に生活を稼いでもらう女性ではありません。彼自身が養い手たる夫なのです。どうか彼に余力(nafasi 金銭的・体力的な二重の意味での)をあたえてあげてください。もしあなたがたが、しかるべく調えてもらうことを本当にお望みなら、彼に余力を与えてください。かれが自分で調えて差し上げられるように。かれはけっして癒やしの術を外にだすことを面倒がってはおりません。でも、あなたがたの要求の仕方がひどいのです。 (唱えごと、一旦中断) (DB 1001-1005)翻訳

キザを差し出す唱えごと 1085

Pts(唾液をchizaに)。ビスミラーイ。うう、どうかおだやかに、おだやかに(haini)、北の皆さま(a kpwa vuri)、南(a kpwa mwaka)の、東(mulairo wa dzuwa)の、西(mutserero wa dzuwa)の皆さま。私はみなさまに、ハミシのためにお祈り申します。どうか耳をお傾けください。私は「池」と「鍋」を差し上げます。耳をお傾けください、ブグブグ(bugubugu15)の方々、ニェンゼ16の小池の方々、みなさまに申し上げます。降りてきて、ご傾聴ください。なぜなら私は、どこからやってきたかもわからない病気に驚いているからです。さらにわたしたちは、男性の病気を治療しています。女性の病気を治しているのではないのです。男性の場合、もしあなたがたが仕事がしたくて、その者をお望みになったのなら、ただやって来てその者にそうお告げになればよいのです。彼を(病気によって)悲しませたりしないものです。だって、彼には、彼本人以外では、彼のために調えてくれる者がいないのですから。 hiriririri hiriririri(甲高い嬌声 njerejereを4回)平安を(amani)、平安を(6回)(その間 キザの薬液(vuo)を手ですくい上げて7回患者の頭に垂らし掛ける) 皆さま、おだやかに、降りてきてください(mutserere)、降りてきてください、降りてきてください。やって来て、私が話すことに耳を傾けてください。このうえなくおだやかに、御主人様。

締めくくりの唱えごと 最後にその他の憑依霊たちすべて(arumwengu=世界の住人たち)に対する唱えごと。とりわけ、葉(makodza)を用いない根のみを用いる(mizi miphuphu)鍋を必要とする憑依霊ドゥルマ人に対して、今回の鍋に対して怒らないよう請い、これが終わり次第またお前だけのために鍋を据えに来ると約束する唱えごとで、この日の治療は締めくくられる。(DB 1086-1098)

1086

ビスミラーイ、ラハマーニ、ラヒーム...(以下省略。アラビア語風の祈祷、不正確だが、明らかにコーランの最初の章句と思われる) 1087 おだやかに、おだやかに、世界の住人(arumwengu)のみなさま。世界の住人のみなさま、私は語りますが、このような時間にお話するつもりはなかったのです。さて、私はお話します。そんなつもりはありませんでした。 ハミシです。ハミシはその父と母から生まれました。父と母から生まれし者、ムルングの子供です。ムルングの被造物です。彼は苦しんでいます。彼は食べられず、眠ることもできず、じっとしてもいられない。道を迷い歩き、世界を放浪する者、この世を彷徨う者なのです。人々が占いにまいったところ、あなたがた世界の住人の皆さまのせいだと言われるのです。 世界の住人の皆さま、私は皆さまにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu15)の方々、ニェンゼの小池の方々、キグルフュラ(の池)の方々、マレレの淵、キンベーブォ(の池)の方々、ゾンボ山の方々、皆さま全員、耳をお傾けください。マカンガの池の方々も。 ここに病気の人がいます。彼の病気は、頭痛とめまいから始まりました。耳鳴り、分別がかき乱され、きちんと思考ができなくなってしまいました。 1088 目は暗闇にふさがれ、胸の重苦しさ、背中の重苦しさ。身体全体が折れ折れに。腹は音をたて、トゲに刺され、熱く焼ける。両腎臓は噛み潰され、尿まで滞る。 どうしてこんなふうになるのかわかりません。一体あなたがたは何を怒っておられるのでしょうか。 腰が断裂する(chibiru kutoka)という問題もあります。脚も斧で割かれるように痛む。しびれて感覚がなくなる。脚は火がつく。ときには冷たくなって、まるで何日も前に死んだ人みたいに。 あなたがた皆さまにはこうしたことを引き起こすことがお出来です。今、今日、私たちは「どうか御主人様」と申します。私もどうか御主人様、お願いです。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga17)、子神トロ(mwanatoro18)、子神マユンゲ(mwanamayunge19)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga20)、キンビカヤ(chimbikaya21)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera22)、そして子神サンバラ人(mwana musambala23)、彼らとともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi24)、皆さまにお話しいたします。 でも、私がお話するのは、あなたムルング子神(mwanamulungu)に対してです。あなたムルング子神こそ砦の主です。なんと、お客人がおられるかもしれませんが、わたくしは(どなたがおられるのか)存じ上げません。 1089 あなたムルング子神よ、あなたに続かれるペーポー子神(mwana p'ep'o)、バラワ人(mubarawa25)、サンズア(sanzua26)、バルーチ人(bulushi27)、ムクヮビ人(mukpwaphi28)。ムクヮビ人、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni29)、池のキツィンバカジ(chitsimbakaza cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma30)、ガラ人(mugala31)、ボニ人(muboni32)、ダハロ人(mudahalo33)、コロンゴ人(mukorongo34)、コロメア人(mukoromea36)もごいっしょに。 おだやかに、ドゥングマレ(dungumale39)、ジム(zimu40)、キズカ(chizuka41)、ペンバのズカそのもの(zuka renye ra chipemba[^zuka])。あなたドエ人(mudoe42)、またの名をムリマンガオ(murimangao43)。あなた奴隷(mutumwa44)、またの名をンギンドゥ人(mungindo35)。皆さまのあいだには、あなたデナ(dena45)とニャリ(nyari46)、そしてキユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki53)、ムビリキモ(mbilichimo50)、カレ(kare69)とガーシャ(gasha70)。あなたレロニレロ(rero ni rero72)、マンダノ(mandano51)、プンガヘワ(pungahewa76)子神。どうか御主人様方、御主人様方。私たちはあなたがたの足元に身を投げ出しています。 ディゴ人(mudigo77)もいます。あなたディゴ人、またの名をシェラ(shera73)、シェラまたの名をイキリク(ichiliku75)、またの名をキバラバンド(chibarabando78)、またの名を「重荷の女」(muchetu wa mizigo79)。そこに出くわすのはムミアニの白人(muzungu wa mumiani80)、またの名をライオンのジネ(jine tsimba81)。突然とり憑く「インド商人」(baniyani wa kutsunuka82)、ゴジャマ導師(mwalimu gojama83)、スルタン・ムァンガ(sorotani mwanga84)。ともにおわすはマサイのジネ(jine bara wa chimasai86)。 1090 あなた、ゴロゴシ(gologoshi87)もいます。ゴロゴシ、またの名をンガイ(ngai88)。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba89)、カヴィロンド人(mukavirondo38)、マウィヤ人(mawiya90)、ナンディ人(munandi37)、ムマニェマ人(mumanyema92)。 どうか御主人様、私たちは、おしずまりくださいと申します。おしずまりくださいの言葉をお聞き届けください。砦を解(ほど)いてください。つつがなきように。もしかして、皆さんは欺かれていた93のでしょうか。みなさんが欺かれていたのは、一昨日、昨日のこと(もう過ぎたこと)です。それとも皆様に対して過ち94を犯したのでしょうか。過ちが犯されたのは、一昨日、昨日のことです。しかし今、今日、私たちはつつがなきことを望みます。そしてこのつつがなきこと、私たちがのぞんでいるつつがなきことは、この者の頭に癒やしの術(uganga)を与えることです。人に癒やしの術を与えるやり方が、彼に癒やしの術を求めるやり方が、彼に激しい痛みを与えることであってよいでしょうか、いいえ。そうではありません。彼に癒やしの術を求めながら、彼の腰を断裂させる。癒やしの術を乞いながら、腹を火のように焼く。トゲを刺す。腹を膨満させる。便秘させる。そんなことはなしです。なし。 今、今日、彼に便通をあたえるよう、私は命じます。食事をして、用を足しに行き、それをこなす。もどってきて、またしっかり食べる。このうえなくしっかりと。 1091 そして彼に癒やしの術(uganga)を与えてくださる。それも頭に。頭が揺れる。癒やしの術のために揺れる。夢の中で草木が示される。寝ているときに、彼に草木について教える。夜が明ければ、彼はすぐに出かけてその草木を採ってくる。それをもって家に戻る。そうすれば、私たちにも、皆さまが本当に仕事を求めていたのだとわかります。 しかし今、どうして皆さまは私たちを驚き途方に暮れさせるのでしょうか。この者が下腹部を、腹を捕らえられることがないように。もし癒やしの術が皆さまに求められているのなら、彼はこれから何をしたらよいのでしょうか。そもそもその仕事は、どうやったら彼に与えられるのでしょうか。仕事が与えられると言いながら、彼は病人。どうやって彼に仕事をしろと言うのでしょうか。皆さまの要望の仕方は、ひどいというしかありません。 御主人様方、この者は女性ではありません。男性です。この者を癒し手らしいやり方で狂わせてください(Mwayuseni chiganga)。彼を狂わせることは、彼に草木を与えることです。けっして彼を押さえつけることでも、彼に血を排尿させることでも、彼に激しい痛みを感じさせることでも、彼の腰を切り断つことでも、彼の脚を切ることでも、胸に激しい痛みを感じさせることでも、背中に石を叩きつけることでも、頭に目眩を注ぎ込むことでも、目を見えなくさせてしまうことでもありません。そもそも彼はどうやって物を見るというのでしょう? 1092 どうか御主人様方、おしずまりください、私の兄弟たちよ。おしずまりくださいという言葉をお聞き届けください。砦を解いて、健全な眠りを。 どうか、平穏に、そしておしずまりください。あなたがた、カドンゴの方々もいらっしゃいます。ディゴゼー(digozee49)も、ムビリキモ(mbilichimo50)もいます。皆さん、私の兄弟たちよ。あなた方はお仕事が大好きな方々です。今、今日、私は鍋を差し出します。この鍋は他ならぬ、あなたムルング子神のものです。私は、おしずまりくださいと申し上げます。もし仕事が必要だというのなら、この者に仕事を良き仕方でお与えください。この者を悲しませることでは、仕事を与えることにはなりません。この者は仕事を拒みはしませんでした。もし仮にあなたがたが草木をお与えになるのなら。仕事が放棄されているって?あなたがたはまだ彼に、一本たりとも草木をお与えになっていないじゃないですか。 今日、あなたがたはどんなふうに彼にちょっかいを出されるのですか。激しい痛みを与えるのですか。腹をつまらせるのでしょうか。排便を拒むのでしょうか。あんなふうに激しい痛みを与えるのでしょうか。彼が何をしたというのですか?そして、あなた方はまだ彼に、草木をお与えになっていない。たった一本すら。もし彼が、癒やしの術を(手に入れることを)拒んだというならいざ知らず。ああ、皆様方、おしずまりください。 1093 さて、御主人様。御主人様、おしずまりください。そしておしずまりくださいの言葉を、お聞き届けください。お聞き届けくださることは、この者を解いて健康であるようにすることです。私は皆さまがた全員にお願いします、兄弟たちよ。皆さま、降りてきて、ここにいらっしゃり、私が申しますとおりに耳をお傾けください。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さま。ブグブグの方々、ニェンゼの小池の方々、私の兄弟たちよ、皆さん全員私の言うことをお聞き届けください。ゾンボ山の方々、マレレの淵の方々、マカンガ(の池)の方々、キンベーブォ(の池)の方々、キグルフュラ(の池)の方々。さあ、皆さま私の言葉に耳を傾けてください、兄弟たちよ。 施術師は否定されたりしない、そうあるべきものです(muganga kazumwa)。施術師は「そのとおり(taire)」と言われる、そうあるべきものです(Amba muganga wambwa taire)。これまで私がそうしてきたように、人々を治療する(nichilagula)と、人々は回復する、そして私は癒やしの術を与える。今日、私は、皆さま方がこれまでそうであったように、私の言うことをお聞き届けいただきたいのです。皆さま、毎日私の言うことをお聞き届けくださってきた。憑依霊は人間です(nyama ni mwanadamu)。話してきかせれば、理解する(achiambirwa ni kusikira)。憑依霊は血です(nyama ni mulatso)。話してきかせれば、理解する(achiambirwa ni kusikira)。施術師は否定されたりしない、そうあるべきものです。施術師は「そのとおり」と言われる、そうあるべきものです。 1094 私のしていることは、お話して、聞きとどけていただく、それだけです。私は癒し手ではありません。本物の癒し手はムルングです。あなたがたが私にお応えくだされば(返事をしていただければ)、私の方でも、今日、皆さま方に調えて差し上げようと考えるというものです。あなたがたが、もし彼をそっとしておいて、彼が良くなるくのがいやだというのなら、彼はどこから力を得られるというのですか?ねえ、兄弟たち。 どうしてあなたがたは彼を驚き当惑させるのですか。賃仕事も今や彼にはもうありません。ただ何もできないただの人間、道を迷い歩き、世界を放浪する者、この世を彷徨い、ただ立ち尽くしているのです。食べられず、眠られず、じっとしておられず、立ち尽くしているのです。あなたがた、どんな風にそれを始められたのですか。彼がどんな過ちをしたというのですか?なぜ、あなたがたは彼を惨めな子供になさろうというのですか。実際、かれはすでに惨めな人間です。ねえ、もし誰かになにか物をお求めになるとしたら、善良な仕方でお求めになってください。(憑依霊の立場での語り)『私たちは、「はい」または「いいえ」を欲している。』もし彼が「いいえ」と言ったなら、それは拒絶です。その後で、あなたがたはお話なさればよいのです。『この者に、私たちは癒やしの仕事を求めている。しかしこの者はその仕事を私たちに与えることが嫌なのだ』なのに、あなたがたはいきなりやって来て、彼を押さえつける。それが客のすることでしょうか。 1095 しかもこの者は、言わば自分で稼ぎ出す者です。誰かに稼いでもらう者ではありません。 ああ、おしずまりください。私の兄弟たちよ。私どもはあなたがたの足元に身を投げ出しております。争いはございません。今、私は仲裁者。争いを仲裁いたします。どうか私に耳をお傾けください。 ここにおわします御主人様キツィンバカジ(chitsimbakazi29)、ここにおわします御主人様ペーポーコマ(p'ep'o k'oma30)。あなたキツィンバカジ、またの名をペーポーコマ。そしてまたの名をムルング子神(mwana mulungu)。あなたムァムニーカ(mwamunyika95)、偉大なムルング。皆さま全員、降りてきてください。降りて、いらっしゃって、この鍋の湯気にあたり、池で水浴びし、この子供に健康をお与えください。どうか御主人様方、おだやかに、おだやかに、私の兄弟たちよ。 さてさて、おしずまりください、御主人様、私の兄弟たち。どうか御主人様、私たちは、良き夢がやって来ることを、草木を示してもらい、ぐっすり眠ることを望みます。(7日間の鍋が終われば)私自身がやって来て、鍋(の中身を)捨てさせていただきます。 1096 この者が眠れば、皆さま方この者に草木をお示しください。そして私が鍋の中身を捨てにまいるときには、彼がすでに自分で草木を手に入れているのを、私に見せてください。この者が、「お母さん、私はこれらの草木を示されたよ。」と言う。まさに、あなたがたに仕事を差し上げたわけです。私はけっして怠け者でも、臆病者でもございません。でも御主人様、この者も「どうか御主人様」と申しております。皆さま方がこの者を打ち据える杖の打擲は、もう十分でございます。おだやかに。まずこの者をそっとしておいてください。おだやかに。 さて、あなたカシディ(kasidi=無礼者96)に言うことがあります。あなたカシディ、またの名をムルング・マランボ(mulungu marambo97)。あなた、内側のことも外側のことも知っておられるというカルメ・ンガラ(Kalume ngala=光る小男[^kalume_ngala])。あなたとは朝からずっとお話してまいりました。今、私は鍋を置きに参りました。この鍋は葉っぱの鍋です。薬液(vuo)も葉っぱの薬液です。この者がこの鍋の湯気を浴び、あの池で水浴びし、それが終わったらあなた自身の鍋を置きに参ります。それが済んだら、あなたの鍋で締めくくります。だから葉っぱで締めか、などとおっしゃらないでください。まずはあなたもこの者に鎮まりを与え(umuphe pore)、この者に彼の幸運を下ろしてやってください。そして病気を去らしてください。 1097 それが終わって、この者がもし健康であるなら、私はただちにあなたのための鍋を置きに参ります。もしあなたが仕事をのぞんでいるのなら、まず彼に仕事を与えてやってください。彼の身体じゅうを砕くことも、ひたすら眠ることも、仕事ができないことも。なぜならあなた、またの名をカシディ、またの名をカルメ・ンガラ。あなたカルメ・ンガラ、またの名をマシキーニ(masikini=貧乏人98)、またの名をムガイ(mugayi=困窮者99)。あなた、またの名をレロ・ニ・レロ(rero ni rero=今日のことは今日中に72)、またの名をマンダーノ(mandano=黄色51)御主人様!あなた、カシディ。子供を産むと、その子はお前の母親メカシディ(Mekasidi100)に似る。私はあなたがたの棲み処が田舎(nyika)だということを知っています。そこがニョンゴロ(地名)なのか、ニサカケ(地名)なのか、それともゴブォ(地名)なのかルカカーニ(地名)なのかは存じません。でもあなたは田舎者ですね。(子どもの命名の際に)耳を掴んだり、頭に手をおいたりする習慣はありませんね。だって、あなたが掴まれるとき、それはもう大人になったとき。あなた、またの名をニョエ(Nyoe=バッタの一種101)。耳をつかまれません。つかまれたときには、ひねり潰されている。今日は、さてさて、おしずまりください。この「おしずまりください」をご理解ください。この(煎じ)薬(mihaso)、この薬液。あなたのための鍋は、これが無くなってからです。だって、ムルングは追い越しても追い越されてもならないのだから。あなたたちの長上者なのですよ。私の兄弟よ。 1098 あなたは3つのカヤのドゥルマ語で話されたら、耳を傾けてくださる。さて、私はこの子供のつつがなきことを欲しているのです。彼に本当に仕事を与えさせてください。私が昼にこの者にあたえたこのムユンボ(muyumbo)の木が、晩になるとたくさんの草木を彼に示してくれるように。彼の心を不安にさせないでください。だって、この鍋はあなたのではないのですから。彼の心臓を持っていかないでください。ダメです。だってあなたは、すぐに人の心を不安にさせて、この者に「ああ、私はこの鍋の湯気を浴びるまい。だって私は死んでしまうんだから」と言わせてしまう。私は知ってますよ。あなたは、そういう方なのです。ですからこうして前もって言っておくのです。ちゃんと聞いて下さい。この者が、薬液を浴び、煎じ薬を飲み、この鍋が終了すれば、私はあなたの鍋を置きに参ります。仕事がほしいとおっしゃるなら、私は拒絶しなかったでしょう?でも、私はこの子どものつつがなきことをまず望んでいるのです。はい、おしずまりください、私の友よ。さて御主人様、どうかおしずまりください。私たちはつつがなきことを望みます。この子供がなおりますように。彼が治れば、私たちはあなたがたに本当に仕事を差し上げます。

注釈

 


1 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
2 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza3、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
3 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
4 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
5 私が最も親しくしていた女性施術師のひとり
6 mugangaがその瓢箪や草木を入れて運ぶ編んだ袋。ugangaの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをmukobaを受け継ぐという言い方で語る。
7 「ブッシュ」、「森」
8
9 乳香
10 長声、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声
11 「料理する」「煮る」
12 憑依霊は多くがmwanaという称号で呼ばれる。mwanaは字義通りには「子供」を意味する。これについては以下で詳しく論じた。浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22
13 憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o)、シェターニ(shetani)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。
14 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
15 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
16 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
17 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
18 トロ(toro)は睡蓮
19 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
20 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
21 水辺に生える草の一種
22 動詞kurera(子供を「養う」)より
23 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
24 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
25 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
26 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
27 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
28 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
29 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
30 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
31 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
32 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
33 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
34 民族名の憑依霊、ンギンド人35の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
35 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
36 民族名の憑依霊、ナンディ人37の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
37 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea36、mukavirondo38はいずれもナンディ人の別名であるという。
38 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
39 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
40 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
41 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
42 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
43 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
44 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)35の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
45 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari46)との共通性あり。治療は黒檀(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande52)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
46 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)47」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena45が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee49)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande52には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
47 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri48を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
48 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza47と呼ばれる手続きもある。
49 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo50)マンダーノ(mandano51)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
50 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
51 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
52 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
53 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika54)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
54 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi29)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka55) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri48)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi56など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo57,laika mukusi58など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe59, laika ra nyoka59, laika chifofo62など。(4) その他 laika dondo63, laika chiwete64=laika gudu65), laika mbawa66, laika tsulu67, laika makumba[^makumba]=dena45など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze3)で薬液を浴びる、護符(ngata68)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza47)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
55 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
56 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
57 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
58 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
59 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira60)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka61)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
60 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
61 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
62 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
63 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi29)の別名ともいう。
64 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
65 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
66 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
67 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
68 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
69 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
70 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena45)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari46)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga71)がいる。
71 ルキ(luki53)、キツィンバカジ(chitsimbakazi29)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
72 憑依霊シェラ(shera73)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza47)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)74」、「外に出す(ku-lavya konze14)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
73 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)47、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす74)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku75)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
74 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
75 憑依霊シェラ(shera73)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
76 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
77 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
78 「おしゃべり女 chibarabando」はsheraの別名の一つ
79 「重荷の女性 muchetu wa mizigo」はsheraの別名の一つ
80 ムミアニの白人
81 イスラム系憑依霊jine(fr.(ス)jini,(英)genie,(ア)jinn)の一種。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴だが、ジネ・ツィンバはもちろんそのライオンtsimbaのように鋭い爪で犠牲者の血をとる。症状:首を圧えられる、血の咳、腎臓(噛み潰されるkpwafunwa)、カヤンバで憑依されると地面を4足歩行し、ライオンのように吠える。
82 イスラム系(!)憑依霊の一種 Baniyaniは「インド商人」。この霊をもつと牛肉が食べられなくなる。食べると病気になる。また母乳が飲めなくなる。なんでも昔々、バニヤニの祖先が死に、後に赤ん坊を残した。この赤ん坊は牛の父で育てられて、牛を自分の母として育った。バニヤニに取り憑かれると赤ん坊は母乳が飲めず、牛乳のみを飲む。母乳を飲むと重い病気になる。護符pinguで治る。カヤンバを打っても踊るだけで、そこではkakuna maneno manji(あまり大したことはしない)。
83 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
84 イスラム系憑依霊「スルタン」、スルタン導師 mwalimu sorotani、スルタンアラブ人 Mwarabu sorotani、スルタン・ムァンガ sorotani mwangaなどとも同じとも。jine mwanga85と同じともいう。イスラム系の霊として不潔なもの(尿、精液など)を嫌う。
85 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
86 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)とは別。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
87 憑依霊カンバ人の女性の別名。
88 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
89 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai88)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ88を参照のこと。
90 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde91)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama83)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
91 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
92 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
93 例えば、何かを差し出す約束をしてそれを不履行のまま放置していたといったことが念頭にあると思われる。
94 たとえばイスラム系の霊が酒を禁止しているのに、その禁を破って飲んでしまったといったこと。
95 大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)
96 女性のドゥルマ人憑依霊。kasidiは、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。
97 mulungu maramboは憑依霊 mudurumaドゥルマ人の別名
98 憑依霊ドゥルマ人の別名、masikini(masukini)は「貧乏人」
99 憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは「困窮者」
100 子供を産んだ女性は、その子どもの名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。Kasidiカシディを産んだ(長女として)女性はMekasidiとなる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。
101 憑依霊ドゥルマ人の別名、nyoeはバッタの一種で、トウモロコシの中に頭を突っ込んで「隠れる」習性がある。