最後の民族誌記述のために、溜まった資料の中から、憑依霊が出現し人々とやり取りするさまがわかる資料を、まず日本語化することを考えた。憑依霊が出現する典型的な場面は、憑依霊のための徹夜の儀礼である。それはさまざまな治療手段、施術師就任の手続きなどとして催される儀礼なのだが、ンゴマ、カヤンバなどの楽器が大音量で演奏され、各憑依霊の持ち歌が歌われていくのが中心の儀礼で、近所の人々も含め多くの観衆が参加し、一種の娯楽の機会とすらなっている儀礼である。ときには観衆の中からも憑依される者が現れ、ばたばた倒れまくったり、出現した憑依霊が火渡りしたり、血を吸うぞと言って観衆を追い回したり、占いを始めたり、まあ確かにイベントフルで面白い機会なのだ。しかし、太鼓やカヤンバ、人々の歌声や飛び交う会話などで、肝心の憑依霊と施術師のやり取りなどはほとんど聞き取れないことが多い。演奏が静まり返って、みんなが憑依霊の言葉に耳を済ましているような瞬間に限定された資料となる。ビデオでもあったらよかったのだが、あいにく機材の持ち合わせもなく、撮影している暇があったら色んな人に話を聞いていたいよ、ってなもので、そもそも使う気もなかった。が、さて民族誌資料として形にしようという段になって、困り果ててしまった。というわけで、こいつらの資料化は後回しじゃ!
さいわい、患者とその家族、施術師、それに私くらいしかいない地味な治療の場で、憑依霊が飛び出してくることがある。上記の儀礼とは異なり、観客は(私を除いて)いない場面での登場である。録音もほぼしっかりできている。そんなケースの一つを紹介したい。
でも、面白がっているのは私ひとり、という話もある。うん、たしかに、たいした話ではない。でも民族誌的資料の提供にはなるかも。コンテクスト情報が圧倒的に足りないので、あわてて解説Webページも建設中。そこへのリンクもひいておいたので、「鍋治療」って何?という場合は、そちらも参照していただきたい。
日記をあげるなんて、そんな恥ずかしいことを。でも一応フィールドでの日々の覚書なので、その時の調査のコンテクストを提供してくれている。ただ、あまりにも私事にわたるプライベートな記述は省略させていただいている。それ以外は、当時ノートに書き込んだものを(テキスト化はしているが)そのまま転記。でもそれだと、ドゥルマ語が断りなしに出てきたりしてわけがわからない。だからといって、それに説明を書き加えたりしてしまうと、ある意味過去の改竄の誘引になる1。というわけで、鬱陶しいが、追加説明が必要と思われるものは、すべて脚注の形で行った。読みにくくてごめん。
Feb.10, 1994, Thu, jumma
朝起きて外に出るとtsalafu2の群れ。まさに小屋に進入しつつあるところだった。大慌てで粉末の殺虫剤を撒く。でも平気でうじゃうじゃ侵入してくる。小屋の床には馬鹿でかい蜘蛛。Katanaによると毒が あるというのでこれも退治する。 tsalafuの群れが立ち去り、ほっとして朝食の準備をし、さて食べようとしたところ椅子の上にtsatsapala3がとぐろを巻いている。カップボードの隅にはカエル。何という日だ。 Katanaによるとtsalafuの進入で小屋の壁の穴に棲みついていた奴らが全て追い出されたのだということだが、ということは、これまでずっと猛毒ヘビと同居していたということで、これも考えると恐ろしい。 Chari49時半にGandini5からのmuganga6を迎えるために来る。 ちょうど、ukuche7の役割についてHamisi,Ngolokoも交えて論争していたところ、Chariも加えて大論争になる。Katana言い負かされて不愉快そう。mugangaは...16時にようやく到着。その間、Chariとの雑談で仕事は完全停止状態。 nyungu8 を据える時間には遅すぎ、夜にかかることが確実なので同行しない旨告げると10、Chariは不愉快そうだし、Katanaは無責任に行け行けなどという。 一旦は行かないことにしたのだが、いかにもサボリみたいにおもえて良心が痛む。結局、テント11持参で泊まることを覚悟して自転車でChariたちの後を追う。 案の定、準備に手間取り結局nyunguを据えるのは9時すぎになる。夕食(11時)を挟んで、結局明け方近くまでかかってしまう。Chariはnyunguの前に座らされてmakokoteri12を受けているうちにgolomokpwa13。例のchiryomo14でmugangaと応酬するが、Mupemba15のはずだが、chiryomoはMuganda16、Musegeju17、Mwalimu Dunia18と同じである。その後、Giryama21語、Duruma語、スワヒリ語、などいろんな言語で応酬する。 それが去った後に、mugangaがarumwengu 全体22のmakokoteriで締める。 終わったかと思ったところ、実はMuduruma23が居残っていて、我々3人とひとしきり応酬、ついでpini24が最後に登場して泣く。 なんかいかにも芝居がかっているのだが、Murina25はすべてに真剣に応対する。風邪ぎみでのどが痛かったのが、ますますひどくなる。幸いテントの中では熟睡できた。
フィールドノートの記述は、あえて編集せずに、そのまま転記した。それではわけがわからなくなるので、必要な補足は(使用されているドゥルマ語の意味など)注釈の形でおこなった。アホみたいに拙い英語で書いている部分は、恥ずかしすぎるので、適当にまともな日本語に訳して提示している。ナンバリングは、フィールドノートにはなく、ここでの整理の都合である。各セクションのタイトルは、フィールドノートに書かれたタイトルと、ここで整理するために加えたものが混在している。本当はここも区別するべきか。
紐づけされている該当するテクストデータ全文(DB 7950-8003)
at Murina's mudzi26 patient: Chari wa Malau patient's Husband: Murina wa Chimera muganga: Moneni(通称)(本名=Mugala Masinde)
イスラム系のnyama(nyama27 wa chidzomba)20だが、ndonga28をもつ イスラム系でndongaをもつのは mwalimu dunia18 と mupemba29 のみ
イスラム系のnyamaは紙巻きタバコsigaraを欲し、bara系のnyama19は tumbaku34を欲する。
しかしmupembaはtumbakuを受け入れるし、gushe35の黒い布をku-linga36する イスラム系のnyama(たとえばSudiani)ならgusheをまとったりはしない。
という具合にイスラム系でありながらbara系のnyamaの特徴ももつ
mupembaのためのkombe治療30では、mupemba専用のkombe=kombe dziru37を用いる nyunguについたmisizi38をzafarani39と混ぜたものを絵の具にして 黒みがかったアラビア文字風の模様を描く
mihi(薬草=葉、根、樹皮などの植物成分)...
mulozi(Acacia zanzibarica)40
mbulushi tsaka(Carpolobia goetzeiか?)
mbulushi(Sphaerocoryne gracilis)
mshilo(?)
mudungu(Zanthoxylum chalybeum)
vwaha(galagala tsui, chigalagala tsui)(Plectranthus tenuiflorus)
mujafari(mjafari)(Zanthoxylum holtzianum)
mubambara(Commiphora Africana)
mwembe dodo(a kind of mango, mangifera indica)
mumbu(Aeolanthus zanzibaricus, or Artabotrys modestus?)
chiserema41
mitsanga ya funguni42
madzi ga baharini43
kafuri44
haluwa(ス=halua)45
zabibu46
tende47
marashi48
nyuchi49
nyunguにmitsanga(ya funguni)42を入れ、水を入れたmukebe50をもってmakokoteri12。 (DB 7950) ドゥルマ語テキスト
続いてnyunguにchiseremaとmuloziの根を入れ、さらにくわえるmavumba31について、そしてm(u)bulushi tsaka(mbulushiに似た臭い)、さらに mbulushi、mshilo、mudungu、galagalatsui(vwaha)、mujafari、mubambara(葉と樹皮(4つの方角すべてから削り取る)、mwembe dodoと、それぞれのmuhi(木、薬草)について名前を確認しつつ(Chariに教えながら)加えていく。 (DB 7951-7953) ドゥルマ語テキスト
次のmuhiは、Chariにはmbulushi tsakaと区別できない。Moneni、区別を教える。こちらの方が葉が固く厚い、丈も高い。Chari、仕事に用いたことのないmuhiについて知っているかと聞く方が悪いと逆ギレ。さらにMoneniこちらは手に入りにくいと説明。muhiの名前はmumbuだと明かす。 (DB 7954-7956) ドゥルマ語テキスト
mihiを詰め、その上に mitsangaを再び振りまく。その上にさらにmihi。 kafuriを砕いて加え、細い木の枝をたわめて十字に差し込む(木の名前を確認し忘れた) haluwa, zabibu, tendeを少しずつ入れ、madzi ga baharini, marashi, nyuchiを入れて出来上がり。
sfuria51にnyunguで用意したmihi(根以外、葉のみ)をいれ、mitsanga, madzi ga baharini, marashiを加える
nyunguの煤とzafaraniを混ぜ、少量のmadzi ga dafu52で溶いて、白い磁器製の皿に描く。
1枚は「アラビア文字風」のものをびっしり書く。もう一枚には「モスク」らしき建物の絵を、アラビア文字風で囲んだもの。
前者は kombe ra koga30、後者は kombe ra kunwa。通常のkombe ra kunwa とは異なり、市販の sharbat rose53のかわりに、madzi ga dafuで溶いて 瓶にいれて、すこしずつ飲む。
施術師の唱えごとは、イスラム系の霊が対象ということで基本的にスワヒリ語。唱えごとと、その過程での憑依霊たちとのやり取りは、なんちゃってアラビア語、ドゥルマ語、ギリアマ語、正体不明のデタラメ語などが入り交じる。以下がほぼ全文の日本語訳である。
なお以下でのフィールドノートの記述は、(当時の私が一体なにを思ってか)拙い英語のメモになっており、そのままここに転記するのがすごく恥ずかしい代物なので、それなりの日本語になおして提示する。なおナンバリングはフィールドノートにはなく、ここでの整理のために振ったもの。
5-1. 鶏54についての唱えごと 鍋をキブラに向けて据え、それに向かってまず白い雄鶏、つづいて赤い雄鶏の 毛をむしりつつ唱えごと 白鶏、赤鶏の脚をもって鍋の上を円を描くように動かしつつ唱えごと 聞き取れないささやき声から始まり、次に「アラビア語」の唱えごと(書き 起こされていない)、その後スワヒリ語に切り替わる。 DB 7957-7958(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-2. 鍋を憑依霊ペンバ人に示す チャリは鍋の前に座らされ、ムワリム・ドゥニアの白い布で覆われる。 施術師、唱えごとを再開。 DB7958-7959(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-3. 施術師はチャリの頭に赤い雄鶏を置き、次に白い雄鶏を置く、 唱えごと再開。 DB 7959(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-4. 雄鶏は飛び去り、施術師はチャリと握手(右手で)、新しい唱えごと(締めの?)を始める。 DB 7960-7963(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-5. 施術師は「アラビア語」で祈祷風の唱えごとを始める。 すぐにスワヒリ語に切り替わり、咳き込み、今にも嘔吐しそう。 意味不明な言葉(chiryomo)に切り替わる。憑依? 「ゼン・ゼン・ゼン!」という叫び声の後、スワヒリ語に戻る。 チャリもどうやらトランス状態?施術師、スワヒリ語で憑依霊の正体を明かすよう 問いかける。 DB7964(日本語訳) ドゥルマ語テキスト チャリは何も答えず、うめき声を上げる。 やがて2人は意味不明な言語(chiryomo)で会話を始める。 DB 7965-7966(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-6. chiryomoでの会話の後、施術師はギリアマ語にスィッチして説得を続ける。 DB 7967-7969(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-7. チャリは少し舌足らずの奇妙なドゥルマ語で応答する。結局、憑依霊ペンバ人 のようだ。彼は約束のものがあたえられないので、癒やしの術(uganga)を止めて しまうぞと脅す。 DB 7969-7971(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-8. チャリはスワヒリ語にスィッチ。 施術師は他にどの憑依霊が自分たちが無視されていると感じ、そのことで 癒やしの術を封じようとしているのか、を聞き出そうとする。 しかしペンバ人はそれには答えず、食べ物を要求する。ムガンガは彼に一杯の ローズウォーターを差し出す55。 DB 7971-7974(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
5-9. 施術師はムリナを呼び、何が問題なのかを説明する。ムリナによると 主な問題は憑依霊ペンバ人に約束した家。ほぼできあがってはいたのだが、 彼らがキジヤモンゾから追い出されたことで大幅に遅れることになった。 現在暮らしている新しい土地で、ようやく約束した家(イスラム教の霊のため の)がほぼ完成していると言う。 施術師はペンバ人に、彼の要求がすべて叶うことになるンゴマの予定日を告げる。 DB 7975-7977(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
6-1. 「世界の住人たち」全員に対する締めの唱えごと DB 7978-7979(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
6-2. チャリは再び憑依状態の徴候を示す。 施術師は特定のイスラム系の霊に焦点を当てて説得を試みる。 さらに、叶えられていない要求をもつまだ名前の上がっていない霊にも探りを入れ、 全員に静まるよう乞う。 これで終了と思ったら、一人の霊が出現する。 DB 7979(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
6-3. それは男性の憑依霊ドゥルマ人であると判明。 みんな少しリラックスし、ちょっとコミカルなやり取りが始まる。 ドゥルマ人は、この場所は臭いと言って逃げ出そうとする。 この田舎者のドゥルマ人は、海岸の草木(mihi ya baharini)がたくさん入った 鍋から出る蒸気を嫌っているらしい。 ムガンガは、チャリの癒やしの術にあらたにイスラム系の憑依霊たちを迎え 入れようとしているのだと説明、ドゥルマ人に彼らを受け入れるように言う。 ドゥルマ人は、イスラムの霊たちに捧げられる新しい家に苛立ちを見せる。 ドゥルマ人は自分の家も手に入れることを約束される。 DB 7980-7987(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
6-4. ドゥルマ人、約束を果たせなかった場合、ムリナを殺すと脅す。 そして、イスラムの霊の悪口を言い、ムリナが自分たちの金(自分たちの 癒やしの術(uganga)からの収入)を盗んでいる?と非難する。 DB7988-7989(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
6-5. ドゥルマ人は、家の中で放尿すると脅してくる。 ムリナは、ンゴマの日に各霊に渡す約束の物をたくさん用意すると約束する。 施術師が締めの唱えごとを始めると、ドゥルマ人はさらに自分だけのための ンゴマが欲しいと言い出す。 ペンバ人を「外にだす ku-lavya konze56」ンゴマの予定日の前に、ドゥルマ人は 少しでいいから自分のンゴマをと頼むが、「ラマダンだから」と断られる。 ドゥルマ人は、働きたい憑依霊がもう一人いると言う。 施術師とムリナは彼の名前を聞き出そうとするが、ドゥルマ人は答えない。 そして泣き出す。 DB7990-7996(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
6-6. 施術師、ドゥルマ人をなだめる。 ドゥルマ人は泣き止み、新たに仕事を欲しがっている霊の名前が明らかになる。 チャリはその霊ピニの歌を歌い始め、再び泣き出す。 彼女がピニに憑依されているのか、それともまだドゥルマ人に憑依されているのか ははっきりしない。 施術師はギリアマ語で語りかけ、一方ムリナはドゥルマ語で話しかけている。 締めの唱えごとを受けながら、チャリは全員と握手を始める。 チャリ、最終的に沈静化。 DB 7997-8000(日本語訳) ドゥルマ語テキスト
(DB 8002-8003) ドゥルマ語テキスト
nyunguをkudzifukiza57する7日間は、一切仕事も炊事も水汲みもせず、ただjamvi58に座っている。来客が来ても挨拶しない。身につけているのは2枚のgushe35. 用を足すのにも付き添いに連れて行ってもらう。
Feb.11, 1994, Fri, kpwaluka
朝食後、ngomaの日取りについて議論。Chariたちは私がいるうちにngomaを開こうとしているようなのだが、あいだにラマダン月が挟まるので、日程が苦しい。ラマダンの終了はおそらく3月14日くらい。私の出発予定は3月17日なので、3月15日に強引にngomaの日を設定する。月がまだでないkumi ra kpwanza59なので、暗闇のngomaになってしまうが。私は出発間際のどたばたは嫌なので、できればパスしてしまいたいところだ。気持ちはありがたいけど、僕のことはいいからラマダン明けてからゆっくり開いてくださいよ~ 本格的な風邪で体調極めて悪い。
夜明けの記念写真(左から、私、チャリ、施術師モネーニ、ムリナ、セルフタイマー撮影)
Kokwaro, J.O., 1976, Medicinal Plants of East Africa, Nairobi: East African Literature Bureau
Parkia, M. & JA Cooke, 2003, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses", South African Journal of Botany 69(3): 382–395
Maundu, P. & B. Tengnas, eds., 2005, Useful trees and shrubs for Kenya, World Agroforestry Centre—Eastern and Central Africa Regional Programme
浜本満, 1992, 「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」, 『アフリカ研究』Vol.41:1-22