(from diary) Nov.20, 1993, Sat., kurimaphiri 約束通り午前8時にMerochaの屋敷前でChariと待ち合わせするが、Chariは9時すぎになってようやく現れる。Zumaの屋敷に行く。話と違ってぜんぜん近くない(徒歩で1時間以上かかった!)。おまけに着いても雑談ばかりで、なかなか準備を進めない。....(略)...一部を録音する。nyungu1の終了したのは、午後一時半。わざと行かせないためにぐずぐずしたのではないかと勘繰ってしまう3。
瓢箪子供の手付けを差し出す「鍋」は、通常は不妊の妻の治療の一環として行われる。フィールドノートに簡単に書かれているように、実際今回の患者ビティ(ズマ氏の妻)はかつて不妊に悩み、すでに手付けの瓢箪子供4を授けられており、その後子供を授かっていた。
そうした場合には、出産後、新生児が「外に出された」後(生後約1週間ほどのち)に、徹夜のカヤンバを開催する必要がある。出産に至るまでのあいだベッドの下に置かれていた、まだ口を開けていない手付けの瓢箪子供を、一夜を徹してのカヤンバを通じて、ムルングとの約束通り、瓢箪子供として完成させムルングに差し出さねばならない。カヤンバが開かれているなかで、瓢箪に口を穿ち、くびれた部分にムルングのビーズを巻き、夫婦の手でそのなかに「心臓」(3種類のムルングの草木で作った3つのpande7)と「内臓」(ムルングの草木をくだいた香料mavumba8、「血」(ヒマの油mafuha ga nyono9)を入れて、「舌」(木の栓)を差し、瓢箪子供は完成する。夜明け前に、再びムルングの曲が演奏されるなか、憑依した妻(=ムルング)に完成した瓢箪子供を渡す。ムルングは自分に子供が出来たことを喜んで、ムルングの布にくるまれた瓢箪子供を両手で大切そうに持ってひとしきり踊る。
以後、瓢箪子供は生まれた新生児とともにベッドの上に寝かせられ、新生児を背負う背負い布に結び付けられて、つねに新生児といっしょに育てられる。瓢箪子供(夫婦の子供であると同時にムルングの子供でもある)は背中の新生児の成長と健康を守る。そしてさらなる妊娠出産をもたらしてくれることになる。
問題は、この瓢箪子供を「外に出す」徹夜のカヤンバの開催には、それなりの費用がかかることである。それを主宰する男女二人の施術師に対する支払い以外に、集められたカヤンバ奏者と歌い手への支払い、彼らに対する食事、夜中に来客と彼らに振る舞われる夜食(通常は十分な量のヤシ酒、揚げパン、紅茶など)の経費も含めて、相当な出費が必要なのである。
そんな訳で、子供が生まれたものの資金不足のため、この約束のカヤンバを開かないままにしている夫婦がいる。今回のズマ夫妻もそうしたケースだった。
そして子供が病気になった。占いに行った結果(占い師は夫婦の瓢箪子供のことなど知らぬ遠方の占い師だったのだが)、子供の病気が約束を果たされていない瓢箪子供のせいであると告げられたのである。そして占いが示した対処法が、ムルングに対してもう一度、手付けの瓢箪子供を「鍋」とともに示し直して許しを乞い、子供の病気が治ったら、その手付けの瓢箪子供をカヤンバを開いて、正式な瓢箪子供にし、ムルングに差し出すというものだった。資金難が解消されない限り、前途多難というしかないが、病気の子供の健康が第一ということで、再び手付けの瓢箪子供を示す「鍋」の設置となった。
(1993年11月20日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートのもの。フィールドノートの記述内容に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。
【kpwika nyungu: mwana wa ndongaに対する】Zuma's mudzi10
Zumaの妻に対しては、すでにmwana wa ndonga wa kuvoyera mwana[^kuvoyeremwana]を授けている。
それは子供が実際に生まれるまではchitanda11の下muvunguriri12に置かれているが、子供が生まれたら、徹夜のngomaを催し、mwana wa ndoga4 の口を開き、そこに mapande7, mafuha ga nyono9, mavumba8を入れて、正式にmulungu6に対して与え ねばならない。
しかしそのngoma13のための資金がないため、その処置がなされないままだった。 今回の子供の病気はそのせいだと診断され、急遽、まだ口を開かれていない瓢箪(chirenje)をmwana wa ndongaの手付けmufungaとしてmulunguに改めて示すことになった。
そのためのnyungu治療である。
nyunguにmihi16を詰めた後に、mwana wa ndonga5にmulunguの布のchidemu18を巻いて、ubaniでkufukiza19してmakokoteri 手付けの瓢箪子供を燻しつつ唱えごと (DB 6241-6242)ドゥルマ語テキスト
nyunguとchiza2完成 chizaの上にmunyumbu(Lannea schweinfurthii)を置く
mwana wa ndonga を患者(Biti=Zumaの妻)の両手にもたせ、chizaの液を、患者とその 赤ん坊にかける makokoteri(このなかでmwana wa ndongaについて、正式なngomaの日程が未定である ことについての事情が述べられている) ムルングに瓢箪子供を提示する唱えごと (DB 6243-6246)ドゥルマ語テキスト
患者、vuo20の液を3度すする
muduruma21に対して申し訳をする ドゥルマ人に対する唱えごと (DB 6247)ドゥルマ語テキスト makokoteriしながら患者と握手
その後、私、患者の夫Zumaらとchizaやmwana wa ndongaについての質疑応答 (DB 6248-6249)(和訳省略)
別件でMasaiがZumaに要求していた布nguoを与えるmakokoteri 憑依霊マサイ人の布に対する唱えごと (DB 6250-6255)ドゥルマ語テキスト
6241 (鍋に草木を詰めたのち、Chariは瓢箪のくびれた部分(tsingo「首」)にムルングの布の細長い切れ端を巻き付け、瓢箪を乳香で燻しながら唱えごと)
Chari: うう、さて、世界の住人の皆さま、おだやかに。私はお話しします。こんな時間にお話しするつもりではありませんでした。私がお話しするとすれば、それはビティのためです。ビティはその父と母から生まれました。生まれたときは神の被造物です。ムルングの人間です。しかし、今、私がこんな風にするというのは、どうしてでしょうか。ビティはかつて、瓢箪子供を望まれていると言われていたのです。 その瓢箪子供は、未だに口を穿たれてはおりません。でも私たちは驚かされたのです。私たちは子供に驚かされました。子供は病気です。子供は病気です。病気は、高熱です。高熱で足が冷たくなる。私は皆さまにおだやかにと申し上げます。やって来て、おだやかにと申します。子供です。私は子供がつつがなきことを欲します。もしそれが本当にあなたがた皆さまの仕業なのでしたら、世界の住人の皆さま、あなたムルング子神、ムルング子神、ムルングジ、またの名をマレラ、私はあれなる美しい小さ子(kanyinyi27)が健康であり、その父や母を発狂させないこと(心配のあまり狂乱させないこと)を望みます。 この子供に対するこの施術には、ンゴマが伴えばよかったのですが、この鍋はンゴマを伴い、この鍋には布(ムルングの布)もあればよかったのですが。鍋には歌があればよかったのですが。今、今日、私はあなたムルング子神6、ムルングジ28、あなたヴンザレレ29こと偉大なる蛇の鍋を置きます。あなたがたに、おしずまりくださいと申し上げます。
6242
Chari: 私は癒やしの術(uganga)を盗んだわけではありません。癒やしの術は、祖霊とムルングから与えられました。私は、誰かのところへ行ってその人が話すことを聞き、そこから技をもって帰ったりはしませんでした。私は癒やしの術を手に入れたのは、その持ち主自身から与えられたのです。私は癒やしの術を他の誰からも与えられておりません。私は世界導師(mwalimu dunia30)から与えられたのです。そして世界導師は大いなるムルングその人です。 今日、私は子供がその母ともども治ることを望みます。鍋に熱気あれ。鍋の湯気、浴びられれば、病気を取り除け。病気は、ダルマワシの如く飛び去れ。 私は皆さま方におしずまりくださいと申します。「おしずまりください」の言葉に耳を傾け、砦31を開いてつつがなきようにしてください。私は癒し手(muganga)ではありません。癒やしの術そのものはムルングのもの。私のすることは、手を置き、彼女(ビティ)らの祖霊と私の祖霊たち、そして私の唾液、そしてムルングがつながること。私が望むのはただ、こうして私がここを去ると、まるで私がここに来て病気を持ち去り、川でその息の根をとめたかのように、この子供が健康になりますように。もし本当にあなたムルング子神のせいならば、この子供が健康になりますように。 私はあなたに子供をお与えします。まだ布切れを結んだだけですが。ビーズ紐もついていません。でもあなたに知っていただきたい。もし子供が健康になれば、この瓢箪の子供も、口を開けてもらえるということを。子供祈願の瓢箪子供は、祈願された子供が生まれたら、こんな風にただ置いておかれるものではないことは、私もわかっております。それは口を開けてあげなければ。でも瓢箪の口を穿つこと自体、余裕次第なのです。なぜなら口を穿つには、ンゴマを開催せねばなりません。このンゴマ、もし開催するなら、人をいっぱい集めなる(奏者や歌い手など)必要があります。その集められた人々はお金を求めます。どうか御主人様(ご理解ください)!
6243 (Chariは瓢箪子供をビティに持たせ、キザの薬液を彼女の頭と身体と赤ん坊に振りかける。7回の長声とともに。その後唱えごとに入る。)
Chari: ビスミラーイ、ラフマニ、ラヒーム(以下略:コーランの最初の章句Al-Fatihahの途中までの耳コピと思われる)。 さて、私はお話しいたします。このような時間にお話しすることもなかったでしょうに。でもお話しいたします。私がお話しいたしますのは、ビティのためです。ビティはその父と母から生まれました。生まれたときは神の被造物です。ムルングの人間です。しかしながら、彼女は難儀しております。彼女の苦難は、出産でした。それとともに、彼女の身体の問題も。でも本人にも、いろいろ言い訳がございます。曰く、「私は妊娠出来ました、そして子供も生まれました、でもその後も病気が次から次へと、全く休むまもありません。」と。 ですが、私は兄弟の皆さまにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu32)の方々、ニェンゼ33の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga34)、子神トロ(mwanatoro35)、子神マユンガ(mwanamayunga36)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga37)、キンビカヤ(chimbikaya38)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera39)、そして子神サンバラ人(mwana musambala40)とともにおられる子神ムルング、ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi28)、皆さまにお祈りいたします。私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がたに、ングラとングラ(ngura na ngura41)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo42)、ムガマーニ(Mugamani43)のサンブル(Samburu、地名[^samburu])で争っておられる皆さまに、ンディマ(ndima44)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe45)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいなのです。どうか皆さま、おだやかに。
6244
Chari: 私はキンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の方々に、皆さまおだやかにと申します。キンガンギーニ(Ching'ang'ini 池の名前)の方々に、おだやかにと申します。ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の皆さまに、高い木々の皆さまに、(キヴリ46や草木16を)探索する池(ziya ra chitsanze)の皆さまに、鷺(mangera)の池の皆さまに、おだやかにと申します。皆さまに穏やかにと申します。 私は皆さまにおだやかにと申します。しかし私がやって来ておだやかにと申し上げるのは、あなたヴンザレレ29に対してなのです。あなた偉大なる蛇、あなたムルング子神、そのまたの名をムァムニィカ(mwamunyika48)。あなたムルング子神、マナの名をマレラ(marera39)、まさにムルング子神、あなたこそこれなる美しい小さ子を養い、育て上げる方なのです。 今、子供は病気です。そして私たちには何が間違っていたのかわかりません。私たちは何が問題なのかわかりません。でも、他ならぬあなたムルング子神が子供をしっかり捕らえてしまっているのだと、私たちは言われたのです。そしてあなたには離してあげる気がないと。(病気を直そうと)やったことは全然うまく行きませんでした。 あなたムルング子神、それに続くはペーポー子神(=憑依霊アラブ人(mwana p'ep'o49))とバラワ人(mubarawa50)、サンズア(sanzua51)、ムクヮビ人(mukpwaphi52)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi53 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma54 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。あなたガラ人(mugala55)、あなたボニ人(muboni56)、ダハロ人(mudahalo57)、あなたコロンゴ人(mukorongo58)、コロメア人(mukoromea60)、ドゥングマレ(dungumale63)、ジム(zimu64)とキズカ(chizuka65)、スンドゥジ(sunduzi66)、ドエ人(mudoe67)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao68)。あなた奴隷(mutumwa69)、またの名をンギンドゥ人(mungindo59)。 あなたデナ(dena70)とニャリ(nyari71)、キユガアガンガ(chiyugaaganga72)、ルキ(luki73)、ムビリキモ(mbilichimo25)、カレ(kare89)とガーシャ(gasha90)、あなたレロニレロ(rero ni rero91)、あなたマンガーノ(mangano[^mangano])、プンガヘワ(pungahewa96)子神もいます。
6245
Chari: あなたディゴ人(mudigo97)もいます。ディゴの女性とはあなた、またの名を狂気を煮る者(mujita k'oma)、あなたシェラ(shera92)。あなた、またの名をマディワ(mwadiwa94)。あなたシェラ、心をホウキで掃き、頭をホウキで掃き、お腹をホウキで掃き、脚をホウキで掃き、心臓をホウキで掃く。あなたにおしずまりくださいと申します。 私は皆さま方におだやかにと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai98)もいます。あなたゴロゴシ(gologoshi99)、ンガイ(ngai100)、カンバ人(mukamba101)、カヴィロンド人(mukavirondo62)、マウィヤ人(mawiya102)、ナンディ人(munandi61)、マニェマ人(mumanyema110)。私は皆さま方におだやかにと申します。 私は皆さま方におだやかにともうします。あなたゴジャマ(gojama104)もいます。ゴジャマはマウィヤ人とつるみます。あなたがたにおしずまりくださいと申します。あなたがたは一度捕らえるとなると、とことん捕らえます。どうか、おだやかに、おだやかに。あなたがたこそ子供をびっくりさせる(痙攣を引き起こす)張本人です。あなたがたこそ、子供を捕らえて、子供を捻り上げる張本人です。果ては目を捕らえて、その目をねじ上げる。あなたマウィヤ人とゴジャマがともになさることです。私はあなたがたにおしずまりくださいと申します。おしずまりくださいと言われたら、お聞き入れください。砦31を開いて、つつがなきようにしてください。もしかして、あなたがたは旅がお望みかもしれません。つまり(子供の母親の身体から)取り除かれることが105。あなたがたは旅をする方です。でも物事は金銭的余裕次第なのです111。 今日、私はあなたムルング子神の鍋を置きます。あれこれ調えたことは、どれもうまくいきません。あなたが捕らえている張本人だと言われております。今、鍋に熱気あれ。私はこの子供のつつがなきことを欲しています。もしかしたらンゴマ(を欲しておられるの)かもしれませんが、それは別の日にさせてください。まずは子供が健康になりますように。 私は今、鍋が熱気を、子供を癒やす熱気を出すようにと欲しています。子供とその母ともども。もう争いごとはございません。争いごとはございません。 あなたライカ(laika74)、ライカ・ムェンド(laika mwendo)77、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、あなたキグェンゴ(chigbwengo[^laika_chgbwengo])、ムカンガガ(makangaga37)、ヌフシ(nuhusi112)、パガオ(pagao113)よ。どうかおだやかに、おだやかに。私どもはあなたがたの足元に身を投げ出しております。争いごとはございません。
6246
争いごとは、昨日、一昨日のこと(すでに過ぎ去ったこと)。争い合う者は二人。三人目がやってくると、その者は調停します。今日、私は調停者、争いごとを鎮めます。私は癒し手ではございません。本物の癒し手はムルングです。私のすることは、平安の手を置き、小指の爪に引き下がって、腰をおろし、静かにしていることです。私は皆さま方におしずまりくださいと申し上げます。 これなる鍋、これなる薬、これなる薬液、お浴びください、そして子供をそっとしておいてください。子供の病気が、ナピアグラスの如く清らかなれ。子供がもう泣くこともなく、高熱を出すことも、足先が冷たくなることも、咳こむこともなし。日中は元気なのに、日が暮れると、(症状が悪化し心配した)人々が一睡もせず夜を明かしたりすることもなし。どうかこの子供を解き放ってください。解き放ってください。だってあなたはその名もマレラ(marera)「育てる者」ではないですか。私はあなたにどうかおしずまりくださいと申します。ンゴマに関しては、私はあなたに開催日をお約束することはできません。私はこの子供、手付けの瓢箪子供をお与えしました。これは手付けです。しかしながら、物事は余裕次第、稼ぎ手次第なのです。私たちは、もし子供が健康になるのを見れば、そのときにンゴマを打ち、瓢箪子供の口を開ける余裕ができます。しかしながら今のところは、私はあなたに鍋を、(煎じて飲む)薬を、薬液を、そして(手付けの瓢箪)子供をお与えいたします。この子供が健康になりますように。どうかおだやかに、私の兄弟の皆さま。 やれやれ疲れた。ホーフィ!
6247 (ムルングに彼女の子供(瓢箪子供)を示した後に、Chariは、繰り返しBitiと握手を繰り返しながら憑依霊ドゥルマ人に許しを請い始める)
Chari: あなたドゥルマ人、カルメンガラ子神(mwana kalumengala22)、またの名をカシディ(kasidi23)、私はあなたにおしずまりくださいと申します、私の友よ。私がおしずまりくださいと申しますのは、私が鍋を差し出したからです。鍋はほかでもない、ムルング子神の鍋です。ムルングを凌駕することができる者などおりません。たしかにあなたもたいしたお方です。他の連中の上に立つお方です。でも何事もまずはムルングに対してなされねばなりません。 今、私はムルング子神の鍋をあなたに差し上げます。どうかこの鍋をあなたがたそろってごいっしょにお受け取りください。あなたがこの鍋をお食べにならないのは、わかっております。でもそろって鍋をお受け取りください。お仲間(ムルングのこと)が湯気をお浴びになっているときは、あなたはどうか脇にいらしてください。けっして鍋を捕らえないでください。この鍋の湯気が浴びられ、この鍋が終了すれば、あなたにはあなた自身の鍋を差し上げます。あなた自身の鍋を差し上げます。それが私の望みです。でも今は、お仲間に譲って、彼女に彼女の鍋の湯気を浴びさせてやってください。 私たちは何をしようとしてるのでしょうか。私たちは子供に鍋を与えております。その子供が健康になるようにと。生まれて以来、この子はずっと病気なのです。まったくいつも病気です。今日、今、私は鍋を差し出しました。どうか皆さま方いっしょに2つの眼でこの子供をお見守りください。なぜならこの子供は、ムルングの下僕、あなたがたの人間なのですから。 今、子供は苦しんで、もはや健康な身体ではありません。どうかときほどいてください。もしあなたなのでしたら、あなたのための鍋を差し上げましょう。でもまずこの鍋を終わらせてください。だって、あなたの鍋の日数は多いのですから114。どうか御主人様。けっして後になって、「どうして私には告げられなかったのだ。なにかが起きているのに、私は知らなかったぞ。」などとおっしゃらないでください。おだやかに。 さて、仕事は終わりましたよ。
Chari: さて、おだやかに、世界の住人の皆さま。私はお話しいたします。このような時間にお話しするつもりではありませんでした。私がお話しいたしますとすれば、それはズマのためです。ズマはその父と母から生まれました。生まれたときは、神の被造物です。ムルングの人間です。しかしズマは苦しんでいます。彼の苦しみはというと... Zuma: ああ、その薬液(妻のために用意されたムルングのキザの薬液)なら気にしないでいいです。 C: あなたに振り撒いていいの? Z: ああ、どうぞお撒きください。 C: ところで、あなたには嫉妬深い憑依霊がいたりしない?霊の中には、他の霊の薬液(vuo20)を嫌うのがいる。私たちは癒やしの術でそういった連中を相手にすることがあるのよ。ほんとうに。薬液も中傷の臭いがしたりする。(イスラムの)信仰告白は3回。 (Chari、そう言いつつ3回に分けて薬液をズマの頭に振りかける) C: さあ、ときほどいてください、ときほどいてください。ときほどいてください。私は皆さま方に申します。この者をときほどき、お金が次々とやってきますように。 (唱えごと本体再開) C: ビスミラーイ。さて、私がお話しいたしますとすれば、それはズマのためです。ズマは病気です。ずっと以前より、こうしてこの布に対して唱えごとをするこのときにまで。ズマ自身が言うには、頭がなんといっても健康ではないのです。けっして昨日始まったものではありません。はるか以前に始まったものです。 今日、私はあなた方に布を差し上げます。その布は他の誰の布でもありません。それはマサイ人の布です。ところで今後問題になってくる可能性があることがあります。それはどういうことでしょうか。まさにあなた全能なるムルングのことです。あなたは決して誰かに凌駕されることも、なおざりにされることもないからです。
6251
Chari: (ズマに問いかける) ムルングの布を身につけていますか、あなた。 Zuma: ええ、以前着ていました。でも破れてしまいました。 (唱えごと再開) C: 今、私は布を差し出します。なにの布でしょう。それはマサイ人の布です。 Z: ムルングの布でしたら、一週間も過ぎないうちに行って買ってまいります。 C: ムルング。あなたムルング。「私に語りかけておりながら、布は私のものではない」などと、どうかおっしゃらないでください。とんでもない。私はあなたムルング子神にお話ししています。あなたこそ砦の主です。もしかしたら私の存じ上げない客人がいらっしゃるかもしれません。 あなたムルング子神、それに続くはペーポー子神(=憑依霊アラブ人(mwana p'ep'o)とバラワ人(mubarawa)、サンズア(sanzua)、ムクヮビ人(mukpwaphi)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala)、ボニ人(muboni)、ダハロ人(mudahalo)、あなたコロンゴ人(mukorongo)、コロメア人(mukoromea)、ドゥングマレ(dungumale)、ジム(zimu)とキズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)、ドエ人(mudoe)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao)。奴隷(mutumwa)はあなた、ンギンドゥ人(mungindo)。私はあなたにおしずまりくださいと申します。 私はあなた全能のムルングにおしずまりくださいと申し上げます。あなたの子どもたちみなさんとお戻りください。私は布を差し出します。布はジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai98)の布です。この者(ズマ)は、いわゆる人に雇われている者です。その仕事は牛乳を売る仕事です。収入があります。しかし今、彼自身が苦しんでおります。そして彼には、お金がどこへ行ってしまったのかわかりません。お金がただこぼれていくのを見るだけです。そしてお金がどの方面に行ってしまうのか彼にはわかりません。
6252
Chari: 今日、私は皆さまと握手いたします(手を差し上げます)。上首尾(t'ot'ot'o)の握手と呼ばれています。私は皆さまに憑依霊の布と呼ばれている布を差し上げます。皆さま、今この者をとき解きください。この者をとき解きください。彼の仕事、そこに着けば、彼がお金を、過分のお金を手に入れますように。彼には、この布を購入してくれた息子がおります。この息子も、その雇い主ととてもとても馬が合い、使い道がないほどのお金を手に入れますようにと、願います。皆さま彼も、どうかとき解きください。彼は皆さま方の使用人たる者です。彼はあなたがたの兵士になれます。皆さま方に立派に務めます。ですが、皆さま、彼に仕事の場所で決して面倒を与えないでください。そしてこの者(ズマ)本人も、お金を稼げますように。一部は彼自身の、一部は彼の息子の。ここ屋敷に戻れば、物事が明るく(vinang'ala)なる。申し分なく(t'ot'ot'o)なる。今日、私はあなたジネ・バラ・ワ・キマサイに布を差し上げます。以前に布をお手に入れてから、ずいぶん経ったかもしれませんが、私にはわかりません。でもどうか布をお受け取りください。そしてこの者の仕事をとき解きください。彼がお金のことを失念するようなことは、もうありません。お金がどこに行ってしまったのかわからなくなることも、もうありません。 Zuma: 心が破裂し、仕事にうんざりすることも。 C: 人とは、稼ぎ手が(富を)手に入れるものです。ではもし、仕事に就いても、仕事のことがまるでどうでもよく、いつも鬱憤ばかりが多く、不機嫌でばかりいたら、なんの助けになるでしょうか。彼は自分の屋敷に戻っても不機嫌でしょう、仕事先でも不機嫌でしょう、果ては、そこで彼に金をくれる雇い主(パトロン(tajiri115))に対してすら。あなたが会うと、あなたに何か物を買ってくれる人、それがあなたの雇い主(パトロン)というものでしょう。じゃあ、もしあなたの方から不機嫌でぷんぷんしていたら、物は同じように買ってもらえるでしょうか?避けられてしまうでしょう!
6253
Chari: こうして貧困が屋敷に入り込むのです。人は自分の所有物で心を乱されるものではない、人はその仕事によって不安にさせられることはない、人は自分の仕事にうんざりしたりしないもの。今日、今、皆さま彼をとき解いてください。頭(の問題)もない、目眩もない、背中(の重苦しさ)もない、腰が切り断たれることもない、心臓が破裂することもない、不安もない、うんざりすることもない。第一に、妻と仲睦まじいこと、これこそ良いこと。富はそこからやってきます。もし人がその妻とうまく行かなければ、屋敷には富はありません。今、私は彼がその妻と仲良くあること、その妻と、さらにはその子どもたちとも仲良くあることを望みます。いかがでしょう、彼はこのような布をその息子に買ってもらえました、その息子はまさにあなたがたの使用人ではないでしょうか。どうか彼もその仕事場でとき解いてください。彼がそこで万事が順調、順調でありますように。彼が一層、この者に(物を)買ってくれますように。第一に、ムルングの布ですが、一週間もしないうちに(手に入ること)を私は望みます。(お金や財布などを)拾うというのなら、彼が拾いますように。これこそ私が願うことです。どうか御主人様方、あなた方私の兄弟の皆さま。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイよ、布をお受け取りください。布をお受け取りください、ゴロゴシ(gologoshi)、ンガイ(ngai)、カンバ人(mukamba)、カヴィロンド人(mukavirondo)。なぜならマサイ人のおわしますところ、そここそンガイのおわしますところ。ンガイは、あなたカンバ人なのですから。どうか皆さま方。 ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム。(以下略:コーランの最初の章句Al-Fatihahの途中まで)。
6254 (Chali 唱えごとはスワヒリ語になる。イスラム系の憑依霊に対する唱えごと116)
Chari: 私の兄弟の方々にお話しいたします。またお話しいたします。いくらかの時間をお許しください。どうか、御主人様方。私たちはあなたがたの脚下に身を投げだしております。どうか私のためにキブラの扉を、7と70の扉をお開けくださるようお願い申し上げます。 私のために祝福の扉を開いてください。どうか御主人様方。水の農園(konde la maji)の皆さま、血の湖(ziwa la damu)の皆さま、マングローブ林(mikokoni)の皆さま、クローブ林(mikarafuni)の皆さま、ミドドニ(Midodoni ザンジバル島北部の地名)の皆さま、砂漠(jangwa)の皆さま。おしずまりください。 私はあなた憑依霊ペンバ人(mupemba117)にお話しいたします。ロハニ(rohani119)のペンバ人、憑依霊アラブ人(mwarabu120)、コーラン導師(mwalimu kuruani121)。ジキリ(zikiri122)もいます。ジキリ・マイティ(zikiri maiti123)、ジキリ・ナヴィ(zikiri navi)、ジキリ・マウラーナ(zikiri maulana124)、ジネ・バハリ(jine bahari125)、メッカの巡礼者(zurura maka)、メッカのスディアニ(Sudiani makka126)、メッカのジャバリ(jabale wa maka128)、天空におわします御主人様方。どうか御主人様方、私たちはあなたがたの脚下に身を投げ出しております。「私たちは話しかけられた。何を?私の兄弟たちよと。さらに話しかけられたが、何も出されない。何の申し出もない」どうか、こんな風に来ておっしゃらないでください。私たちはちょっとした布を差し出しました。誰の布でしょうか?憑依霊マサイ人の布です。 スディアニのペンバ人もいらっしゃいます。ペンバ人も、ロハニも、導師も、メッカのスディアニも、メッカの巡礼者も、メッカのジャバリも。皆さん全員アラブ人です。モスクのアラブ人、ソマリアのアラブ人もいらっしゃいます。ムシヒリ人(mshihiri 南アラビアのアラブ人)もいらっしゃいます。どうか御主人様方、皆さま全員私の兄弟です。導師の皆さま全員、一緒に集まってください。私の兄弟の皆さま。仲良く仲間になってください。この者(ズマ)に余力をお与えください。もしなにか調えてほしいのでしたら、この者に余裕をお与えください。道を開いてやってください。けっして幸運を封印しないでください。皆さま方には(ご要望に)お応えいたします。でも物事は一つ、一つなのです。 そしてこの布を購入した、あの息子にも、余力をお与えください。彼の幸運を開いてやってください。道を閉ざさないでください。皆さま方も(物を)手に入れることになります。その者は、あなたがたの使用人、あなたがたの兵士なのです。
6255
そして彼本人と彼の商売についてですが、仕事に行けば、雇い主とよい関係になれますように。御主人様方、シャイルーラ129、私たちは皆さまの脚下に身を投げ出しております。どうか御主人様方、この布を皆さんでお受け取りください。私の兄弟のみなさま。この布を仲良くシェアしてください。一人ひとりにはほんのちょっとしか手に入りませんが、皆さまどうか、今は飢饉なのだとご理解ください。御主人様。シャイルラーヒ。 私は皆さまに申し上げます。私の兄弟の皆さま。この布をお受け取りください。 (唱えごと終了) chari: ああ、お父さん(ズマはChariの分類上の父親に当たる)。疲れました。しっかり言いましたよ。