Mwasamaniの屋敷でのmulunguの「鍋」とchiza cha photsi(地面のキザ)

(Sept. 23, 1992のMwasamaniの屋敷でのmupembaの「鍋」に続く)

概要

(from diary) Sept. 6(Sun), 1992, kurimaphiri

朝7時、チャリの家へ向かう。キラボ1のあるマサマニ2のところでuganga3。朝早く行けばキラボが見られるという言葉を信じて早起きしたのに、...(中略)。しかしその間に、nzongo4対策やらを見ることができた。新生児に対する。こうしたちょこちょことした施術は偶然現場に出くわさないとわからないものだ。11:30やっとマサマニのところへ。ただのnyungu5とchiza6を据えるだけのugangaかと思ったら、カヤンバまで動員するけっこう派手なugangaだった。チャリが今年から始めた新機軸chiza cha photsiが中心。これがすむと今度はMenandaのところでShera7のnyunguを据える。こちらは若干手抜き。マサマニのところではさすがに80シルものfungu12をもらう。対照的にMenandaの方は、金が出せず、jamvi13がfunguがわり。しかしMenandaは顔は不細工だが気持ちのいいおばさん。サツマイモをお土産にもらう。

1992年、調査地についた私を待っていたのはムリナとチャリの夫婦が、新しい土地に転居したという知らせだった。昨年の近隣との妖術を巡るトラブルは、夫婦が土地を追い出されるという残念な形で終止符をうったらしい。もう一つのお知らせは、チャリが新しい治療法を夢で手に入れたという話。地面のキザ(chiza cha photsi)といって、搗き臼やアルミの容器を「池ziya」に見立ててそこに薬液を入れるかわりに、実際に地面に穴を掘り、その周りに葦などを差して、リアルな池にするという趣向。実際にやってみるとバケツで水をいれてもすぐ地面に吸い込まれてしまうので、あ、これはダメかもと思ったが、案の定、数年後には姿を消してしまった。 この日の施術は、この「地面のキザ」とムルングの鍋の設置。施術の背景については、フィールドノートより転記。

(from fieldnote Sep. 06,1992)

【Mwasamaniの屋敷でのnyungu & chiza cha photsi】 patient: Mejumaa(mukaza Maguta) 今日はmwanamulungu14のnyungu, laika21とmwamunyika42 (=mwanamulungu)のchiza6を据える

chamuno43 身体各部の不調: 頭痛、chizungu[^chizungu]、耳鳴り、動悸、胸が締め付けられる、peho44 食欲不振、腹痛、足腰の痛み

顕著な問題としては、患者の見る夢 男と寝る夢、ヤギと寝る夢 ウシに追いかけられる 家の屋根に上る 象に追いかけられて木の上に上る madzini45に行く

患者の悩み 夜夢の中に男がやってきて彼女と寝る まる一ヶ月見なかったが、また見るようになった

夢にやって来る男はChariによると、p'ep'o mulume46=Sudiani(male)47 ngata41(25シリング)が必要

なお、この日のムルングの鍋がおわったら、後日イスラム系の憑依霊の鍋と大皿を差し出すことになっていた。 Sept. 23, 1992のMwasamaniの屋敷でのmupembaの「鍋」

施術の流れ

(Sept. 06, 1992のフィールドノートより転記) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングは転記の際に付与。フィールドノートの記述内容に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

  1. 途中で採集したmihi(Shera専用は除く51) murindaziya(Sesbania bispinosa) mukangaga(Cyperus exaltatus) chilongozi(pistia stratiotes, water lettuce) mukunguma musindaalume...bok'oのためのmuhiだが、mulunguのnyunguにも使用

  1. nyungu と chiza cha nyumbani を用意52

  1. chiza cha photsiの準備 (chizaphotsi.jpg)  これを夢でチャリに教えたのは mwamunyika42(mulungu wa pindiだという)  地面に直径40センチくらいの穴を掘って、水を入れる(すぐに吸い込まれてしまう)  穴の周りにmikangagaを5箇所差し、chilongozi53を3箇所に差す  muwele54はvuri56の方向を向いて座る(mukongo alole ko endako nyama)

  2. ngata41 ya laikaの準備 chilongoziの根とmavumba ga shera57(madukani & matoro)  各mwana wa ndonga58 の中身少しずつ

  1. mulunguのnyunguとchiza cha nyumbaniの提示 小屋の中に患者を座らせる (chizanyumbaninyungu.jpg)

    (DB 5089-5105)ドゥルマ語テキスト

開始のことば ドゥルマ語テキスト カヤンバ開始 mulungu (DB 5090) ドゥルマ語テキスト mulungu no response

続いて muduruma muduruma no response (DB 5091) ドゥルマ語テキスト 中断

再度 mulungu mwana wa ndongaの口を患者の耳etcに当て、吹き込む mulungu 再開(vunzarereから) (DB 5094) ドゥルマ語テキスト 来ない、来ないと皆がぶつぶつ文句を言っていると、muwele突然golomokpwa59 泣きながら歌いだす チャリ、カヤンバを打たせながら語りかけるが患者は応答しない チャリ、そのままマココテリ60に移る (DB 5098) ドゥルマ語テキスト

世界の住人全体に対する マココテリ。最後のところでは、チャリ患者と握手を繰り返す (DB 5101) ドゥルマ語テキスト

最後に mwarabu (DB 5104) ドゥルマ語テキスト

なぜMwarabu?=mulunguとmwarabuはmutu na nduguye61だから ムリナ,ubani62を燃やしながら、例の変体アラビア語で語りかける 患者反応なし matso mafu genye63 と言い捨てる(ムリナ)

以上で屋内のkayamba終了

  1. 「地面のキザ」を差し出す

戸外のchiza cha photsi64 vuriに向かって患者を座らせ、chizaの薬液をnjerejere65を上げつつ患者の頭に 注ぎ、makokoteri60 (DB 5106) ドゥルマ語テキスト

chari地面に寝転びchizaの水を飲む 再度makokoteri (DB 5107-5109) ドゥルマ語テキスト

その後chizaの水で患者の頭を洗う 次いでlaikaのngataを患者の左腕に巻いてやる

テキストの日本語訳

5089 (小屋の中で鍋をkayambaの演奏とともに憑依霊に示す) (憑依霊たちをkayambaに招待する唱えごと)

Chari(C): (途中から録音)...私は人(憑依霊)がやって来て、お話ししに来ていただきたい。私は、ところで、子神ムルングをお呼びします。私は子神ムルングの鍋を差し出したいのです。 Murina(Mu):(Maguta氏にカヤンバ(楽器)の件で) もし(これらが)あなたのカヤンバ楽器じゃないのなら、彼(演奏者・歌い手)がそれを思い出して、自分の楽器(複数)を本人が取って来たんですよ。 C: そしてこうして彼を招待しているのですから、ムルング子神に来ていただきたいのです。病気という争いがあります。私たちは誰が苦しみを引き起こしているのか知りません。どんな過ちがあったのか、私たちは知りません。私たちは、人が苦しみ、もはや健康な身体を持っていないということはわかっています。こうして今日、私たちは争いの主が現れて、来て話してくれることを望んでいます。 (唱えごと終了) W1: (施術に関係ない内輪の会話) C: カヤンバ(楽器)はどこにあるの? Maguta(Ma): ほら、ここに。 C: 打ち板がついてないじゃない。 Ma: 私によこしな。その小壺のところに。 W1: そこに捨てたの? C: (天井裏に積んであるカヤンバを指して)ああ、あの上に。あれから一つ取り出したら、あの上から。 W1: (私に向かって)あなた座らないの? Ma: すわって、あちらに、あちらに。

5090 (カヤンバ開始)

Chari: (甲高い嬌声とともにキザの液を患者の頭に注ぐ) ヒリリリリ、ヒリリリリ、...ヒリリリリ(計7回)。これでよかったけ? W1: 施術師さん、どっか行っちゃってたの?(チャリが回数を数え忘れたのをからかっている66) C: 施術師は(昼食で出された)いんげん豆のスープで酔っ払ったのよ。 W1: (キナンゴの町の)古着市のことでも考えてたんでしょ? C: さあ、さあ、若者たち。彼ら何を売ってるの? Mu: また、古着だろ。古着商売もちょっとした仕事。 C: 仕事は歌ですよ、我が子たち。 (ムルング子神の歌、開始) (独唱) ムルング子神、 ウェー ハイ ウェー ほら、池に 私は怖いよ ウェー ほら なんと ムルング 池に ムルングがやってくる (合唱) 上記の歌詞を繰り返す

5091 (憑依霊ドゥルマ人の曲を数曲演奏した後に)

Murina: (スワヒリ語で)ドゥルマ人、あなたがたはどこにいなくなったのでしょう? Woman2(W2): (同じく少し文法的におかしいスワヒリ語で)ドゥルマはドゥルマ去った。ドゥルマ、ディゴ行った。ディゴ行った、ドゥルマ。 Mu: (ブロークン・スワヒリ語で)いいえ。ドゥルマ、ここいる。 C: あら、これは誰かのコップ(空き缶の)。

(Chari、瓢箪子供の栓を抜いて、患者の女性の耳、目、鼻と吹きかけていく。患者とくに反応なくじっとしている。この作業の間も、女性たちこの状況を冗談めかして話している)

W2: え、あなた彼女には憑依霊ドゥルマ人がいる、おとなしくなさいって言わなかったっけ。 W1: なんと、(女性の憑依霊ドゥルマ人カシディじゃなくて)ザーニ(zani67)なんだ。お前さん。 W2: 今さっきここで踊ったじゃない、ドゥルマ人が? C: 本人、もういなくなったのかな、それともまだここにいて待ってる... W2: ああ、いなくなったよ。 Woman3(W3): ああ、それどころか近くじゃないよ。 W2: コーラン学校(madarasa)へ行っちゃたとか。 W1: あいつら煙を噴き出してる(忙しくせわしない様子)。鍋があるのに、学校(madarasa)にいかなくっちゃ、みたいな。 W3: さて、何をお祈りしようというのやら。 W1: ドゥルマ人はまずやって来て鍋を与えられ、それからモスク(musikitini)へでも行けばいい。 W4: 締めくくりの曲がまずかったんじゃない? W2: 学校(chuwo)に行きな、学校に行きな。

5092

Man2: (半開きに開いている入口を指して)その扉、どうなってるんだ。 W1: サイディだよ、そこにいるのは。お前、ムァナミシ行きなさい、さあ。 C: (患者について)もしかして、彼女の実家の方に施術上の母(ameye wa chiganga)がいます? W2: 私も知りませんよ。 C: 誰にカヤンバを扇いでもらった(主宰してもらった)の68 W1: ねえ、ムラム69のアリーさんの人たちに扇いでもらったんじゃなかったけ? C: 女性の施術師は呼んでもらわなかったの。アリーだけだったの? W1: 薬液(vuo)を好むのは女性じゃない?男たちはとっととカヤンバを打たせろって。 5092-l10 C: 要するに、カヤンバは開かれたけど、施術師はいなかったてことね。 W1: そう、ただ打ってもらっただけね。 C: ちゃんとした施術師はいないと。 W1: そう。いないわ。 C: もし彼女に治療上の母がいるのなら、そんなふうにやったら、うまくいかない。そいつ(憑依霊)のことを知らない人に歌ってもらう、これもうまくいかない。 W1: そもそも、(霊が)やってきて、もし喋ったとしても、いったい私は誰に呼ばれたんだって言うだろうね。 C: で(霊が言うには)、私はお前のことを知らないぞって。 W1: そうそう。 C: こんなことしたら、結局その人(憑依霊)は無駄にそれをされた(呼び出された)ってことよ。 W1: そうね。

5093

Chari: 私までびっくりしたわ。すっかり。 Murina: うむ。たしかにびっくりだね。 W2: どういう意味? Mu: 彼女がこれまで見たことがなかったことってこと。 W2: あなたの仲間たちが治ったのだから、あなたは驚かないでよ。 Mu: その人たちは、その彼らを治すもの(癒しの術)で、いわば無理やり治されている。 C: あのね、彼はそれ(自分の癒しの術)が癒やすと知っている。でもそのことがムルングを縛りつけてしまうの。 W1: そんな。あなたは彼女を妊娠させた。そこからどこへ行くの? Mu: 瓢箪子供のこと?そうじゃないよ。 W1: (戸口にいる子供に)お父さんのところにいたいの?外へお行き。 Mu: 名前はムルングだけど、そのムルングはまだほどけていない。卵のまま。 C: そこでムルングを縛り付けたその人は... W4: あなたはその人にまだ会ったことがない? C: いいえ、会ったわ。でも問題はムルング本人よ。 Mu:それを必死に引っぱっても、きりがないんだよ。 W1: ムルングが?

この一連の会話は理解しがたい要素を含んでいるので、少し解説したい。最後にムリナ氏がした発言「それを必死に引っぱっても、きりがないんだよ」は、ムルングはヘビだという知識に基づいたちょっとしたジョーク。巨大なヘビなので引っ張り出そうとしても、あまりに長くてきりがないくらいだ、と。憑依霊と施術師が、密接な関係にならないと治療が難しいことを述べている。下手な施術師(あるいはその心得すらない者に呼び出された憑依霊は、ちゃんとした施術師が後で対応しようとしても、なかなか交渉ができなくなる。今チャリたちが直面している問題はそれである。それでもチャリはムルングとじっくり腰を据えて交渉しようとする。

5094 (チャリ、ムルングの歌を再び自ら歌い出す。ゆっくりの「呼び出し ku-suka」の歌。カヤンバそれに続く)

(独唱) ヴンザレレ(vunzarere70) ヴンザレレ そいつは 大きなヘビ 背後をよくご覧なさい ムゼレ(mudzele71) (合唱) ヴンザレレ ヴンザレレ そいつは 大きなヘビ 背後をよくご覧なさい ムゼレ

(患者、いきなり憑依状態に)

P: あああ エヘイェ ウェー ヘー ヘー ヘー

(ムルングの別の歌に変更)

(合唱) わたし見られているわ、お仲間さん 池にムルングがやって来た ホォウェー

Chari: まだ彼女は見てなかった。

5095 (ムリナ歌に参入)

(ムリナ独唱) ムルング子神 ほら ウェー なんと池に ムルング子神 私はムルングを畏れるわ ハイ ウェー 池に ムルングがやって来た

(患者自身も歌い始める)

(患者の独唱) ムルング子神 ほら ウェー ヘー 池には ムルングがいる ムルング子神 あんた 母さん あんた 池に ムルングがやって来た

Mu: あんた、ムルングあんた、もし私がお前の居場所を知っていたら、お前を切り刻んでやったのに。

(歌続く。患者は独唱パートを歌う。そして泣き出す)

Chari: しずまって、しずまって、しずまって、我が子よ。しずまって、我が子よ、しずまって。私たちはあなたをお呼びしています。私たちは知りたいのです。人の子が苦しんでおり、私たちは何がこの子を苦しめているのかわかりません。わたしたちはそれを知りたくてあなたをお呼びしているのです。

5096 (患者、なおも歌い続ける)

(患者の独唱) ムルング子神 ああそうなの ええ、お母さんの池 ムルング子神 ええ お母さん、池に問題がやって来た(現在完了形)

(合唱は普通の歌詞を繰り返す(略)) (患者の独唱)

ムルング子神 ああそうなの 私は眠らない ムルング子神 ムルング子神 お母さん、あなた 池に問題がやって来た(過去形)

(チャリ、歌唱に加わる。独唱パートを歌う)

私は驚いた だって あんた だって 池に 私は ああそうなの ムルングを畏れるの 池に問題がやって来た(現在完了形) (合唱) さて、ムルング子神 ウェー だって 池に ムルングがいる 私は畏れる あなたがたのお仲間 池に問題がやって来た(現在完了形)

(以上ゆっくりの「呼び出し ku-suka」の歌) W2: 降りてこい、降りてこい、降りてこい

5097 (歌は速いリズムの「落とす ku-bita」に切り替わる)

(Woman1による独唱) 私は喋らない ムルング子神 お母さん 狂気(あるいは夢)を煮る人 あなたは言われる 解(ほど)いてくださいと ウェー なぜなら、あなたは問われた あなたが解かれますようにと (合唱) 喋って 喋って ムルング子神 お母さん 封じた方は こう言われる 解きなさいと ウェー

(チャリ、舌足らずの砕けた調子のドゥルマ語で患者に語りかける)

C: 私は田舎者なのよ、あんた。私に言ってちょうだい。私はあんたの友達だけど、あんたは私のことを嫌ってるね、友よ。私はあんたに、とっても美味しい美味しい良いものを持ってきたのよ。 W2: あなた、おしゃべりなさりたくないのね。そいつは喋らないよ。 W1: まあやって来たんだから、それ(鍋)は見えているよね。 Murina: (文の途中からスワヒリ語に)そいつはそこにいるよ。ムルングは自分からやって来た。 W1: 呼ばれたからでしょ。 Mu: いいや。いつの話だよ? C: 最初に始めた歌でしょ。 Mu: (まだスワヒリ語で)その時にはムルングはまだだった。その端っこ72があっただけ。

5098

C: (患者=ムルングに向かってドゥルマ語で)まあ、なんと、まだ故郷の池にいらっしゃったのですか。そこを早くお発ちになって、早くも上ってこられたわけですね。で、今やって来たと。 Mu: 話ししたくないんだよ。 C: 話したくない。 W2: きっと子供たちの食事を作ってたんでしょうよ。蓋をして、だって... C: (患者=ムルングに向かってドゥルマ語で)さてさて、私のお友だち。だってムルング本人は本当は完全にとことんドゥルマ人ですから。ムルングはドゥルマ人です。私はあの鍋とキザを持ってまいりました。それとムァムニィカMwamunyikaの地面のキザそのものです。私は言われているのですが、本当でしょうか。子供を苦しめているのは、あなたなのだと、あなた。私はこの問題をかかえて、ここに参りました。ねえ、私たちは病気を目にしています。私の友よ。とっても重い病気そのものです、あなた。そしてこの病気はこう言われているのです。本当でしょうか。あなたが、あなたこそが、争いの主なのだと、あなた。あなたが騙され続けてきた(約束を破られ続けてきた)というのか、私は知りません。いったい何が理由なのか、私は知りません、あなた。私は何も知りません、私の友よ。もしあなたが騙され続けてきたとしたら、あなたを騙してきたのは私ではありません。今日、私はあなたに差し出しに参りました。私は一昨日来、お約束いたしてきました、あなた。そして今、今日、私はあなたに持って参ったのです。あなたのための、あれなるvibuto(バチャバチャ水をはねるもの=キザのこと)、そしてあなたのためのmwachivuche(少しの湯気をたてる子供=鍋のこと)です。さらにあれなる大いなる地面のキザ(chiza cha photsi)、ムァムニィカのキザです。ムァムニィカ、他ならぬあなたヴンザレレ、あなた大いなる蛇のことです。あなたこそがこの人間の身体を苦しめている、苦しめている者にほかならないと言われております。そして砦はあなたのもの、あなた。それをあなたは壊しに壊していらっしゃる。

5099

W2: こっちを持って。 W3: 彼女疲れてるんだよ、身体の持ち主の方。 W2: 薬液(小屋の中のキザの)を浴びせられた。 Murina: ほら、彼女(ムルング)池に去っていくよ。 W2: そらそら、彼女山を上っていくよ。 Man2: 自分の棲み家に帰っていくんだよ。 Chari:(唱えごとが続く)くわえて、立ち去りあれなる鍋をご覧になるなら、あれなる鍋が病気を治しますように。(その病気について)もう再び耳にしたくはございません。あれなる鍋が病気を治し、病みたる筋肉を一筋一筋辿りますよう。鍋が病気を癒やしますよう。腹が痛むことも、また腹がトゲに刺されることもなし。腎臓が噛み潰されることもなく、頭が痛むことも、悪寒もなし。私たちは人の身体が失われていくのを見、この者を食らっているのが何であるのかもわかりません。今日は、私はいったい誰なのか、あるいはなんの過ちが犯されたのか、それを知りたかったのです。あなたが騙されているのならそう教えて下さい。今日は、それなる鍋、これなる薬液と、本物の大いなる地面のキザです。あなたムァムニィカのキザです。あなたは地面で水浴びするのが習性ですよね。そして問題を話していただければ、それはしかるべく対処され、たしかに調えられます。なぜなら、あなたムルングは、あなた、まったくまったくドゥルマ人だからです。そしてあなたこそが完全なる人、砦の主にほかなりません。今、砦は壊され、身体は失われています。私たちは、何に間違いがあったのかわからないのです。

5100 (チャリの唱えごとは続く)

C: 立ち去ること、鍋を見ること。鍋は熱気を出し、別の鍋(別の憑依霊に対する)が話題に上るまでに、この者が水場にも行き、野草摘みにも行き、薪とりにも行き、トウモロコシを臼で搗くこともこなす、そんな風であってほしいものです。そもそもこの鍋ですが、彼女に薪を持ってきてくれる人は、いったい誰だというのでしょう。彼女に水を持ってきてくれる人は、誰でしょう。だって、人が鍋の湯気に当たるというとき、その人自身が薪を集めに行き、来て彼女の鍋を煮る、その人自身が水場に行き、来て彼女の鍋を煮るものなのです。そして(トウモロコシを)臼で搗いて、石臼で挽く。湯気に当たるのが終わったら、トウモロコシの練り粥が欲しいものです。 今、今日、私は鍋を置きに参りました。そしてそれなる鍋が、病気を癒すようにと願います。もしかしたらあのドゥルマ人たちが来て、その鍋を置きに来ることになるとしても、そのときには、この病人が外に出られるようになっておりますように。外にでて、それも申し分なく、人間らしい健全な身体をもって。 W2: あんた、もしムルングが遠いところ、ムァマンディ(地名)あたりにいるんだとしたら、ここに来る途中で、疲れてしまうことでしょうね。 C: 人間とはこの世に腰を落ち着ける者、食事をすれば、食べ物は心臓に調和する。なのになぜあなたがたはこの者から食べることを奪うのですか。彼女はそもそも食べない。(トウモロコシの練り粥の)一握りすら、腹の中にとどまらない。腹が痛み続けるだけ。ああ、御主人様、もしそれが皆さまのせいならば。 (チャリ、世界の住人全体への唱えごとに移行)

5101

Chari: 穏やかに、皆さま全員に、私はお願いいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu73)の方々に、ニェンゼ74の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga75)、子神トロ(mwanatoro76)、子神マユンゲ(mwanamayunge77)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga78)、キンビカヤ(chimbikaya79)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera80)、そして子神サンバラ人(mwana musambala81)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi82)、皆さまにお祈りいたします。 私は皆さまにお祈り申します。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura83)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo84)、ムガマーニ(Mugamani85)のサンブル(Samburu、地名[^samburu])で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima86)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe87)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 おだやかに、あなたムルング子神。ペーポー子神(mwana p'ep'o88)、バラワ人(mubarawa89)、サンズア(sanzua90)、ムクヮビ人(mukpwaphi91)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi22 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma92 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。あなたガラ人(mugala93)、ボニ人(muboni94)、ダハロ人(mudahalo95)、コロンゴ人(mukorongo96)、あなたコロメア人(mukoromea98)、ドゥングマレ(dungumale101)、ジム(zimu102)、キズカ(chizuka103)、スンドゥジ(sunduzi104)、ドエ人(mudoe105)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao106)。あなた奴隷(mutumwa107)、またの名をンギンドゥ人(mungindo97)。このなかには、あなたデナ(dena36)とニャリ(nyari37)、キユガアガンガ(chiyugaaganga108)、ルキ(luki109)、ムビリキモ(mbilichimo39)、カレ(kare110)とガーシャ(gasha111)、レロニレロ(rero ni rero112)、あなたプンガヘワ(pungahewa114)子神。

5102

Chari: イキリク(11)とともにディゴ人(mudigo115)もいます。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai116)もいます。あなたゴロゴシ(117)、またの名をンガイ(ngai118)もいます。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba119)、カヴィロンド人(mukavirondo100)、マウィヤ人(mawiya120)、ナンディ人(munandi99)、ムマニェマ人(mumanyema123)。私は皆さま方におだやかにと申します。私は皆さま方におだやかにと申します。あなたムビリキモもいます。ムビリキモ、いつもディゴゼーとつるんでいるのは、あなたムビリキモ。私はあなたがたにおしずまりくださいと申します。私はおしずまりくださいと申します。あなたライカ(laika21)、ライカ・ムェンド(laika mwendo25)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo124)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga78)。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi125)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao126)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka23)。ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka29)、ライカ・マフィラ(laika mwafira28)、ライカ・ズズ(laika zuzu127)、ライカ・ドンド(laika dondo31)。ライカ・トブェ(laika tophe27)もいます。あなたライカ・トブェ、またの名をライカ・キフォフォ(laika chifofo30)。私は皆さまにおだやかにともうします。ライカ・マジャロ(laika majaro128)もいます。 ご主人の皆様どうか、私たちは皆さまの足元に身を投げ出しています。私は癒し手(muganga)ではございません。癒し手はムルングです。私がすることといえば、乞い願い、祝福の手を置いて、小指の爪をとり、そこに行って腰を下ろしじっとしているだけです。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、争いを鎮めます。今日、私は仲裁者。争いをしずめます。 私が、治療するとすれば、なぜするのでしょう。私はムルングに祈っているのです。(患者の)一族の祖霊と、私たちの祖霊がともに力を合わせ、ムルングもまたこの者が治るように、受け止めてくださる。この世にいる人間で、つねに寝台にいるような者はいません。

5103

Chari: 私は穏やかに、さらにおしずまりくださいと申します。もう、頭(が痛むこと)はありません。目眩もありません。背中(が重苦しいこと)も、悪寒もありません。肋骨が押しつぶされることも、腎臓が噛み潰されることも、下腹部が重苦しいことも、心臓が破裂することも、心臓が速く打つことも、腰が折れることも、脚が折られることもありません。もし物が全然握れないとしたら、いったい何事でしょう。耳鳴り、食欲が奪われること。私は皆さま方に、おしずまりくださいと申します。そして「おしずまりください」の言葉には耳を傾けるものです。皆さま、どうか砦をほどいてください、そしてそれを健全にしてください、私の兄弟の皆さま。 人間とは歩くように生まれてきています。ずっと寝台に寝ているようには生まれついていません。もし、なんとあなたがたが扇がれる(カヤンバ儀礼を開いてもらう)ことをお望みだというのなら、兄弟よ、私はあれなる鍋を差し出させていただきました。鍋が病人を癒やしますように。そしてかりにさらに別の鍋も来て置かれることになろうとも、これらの鍋は、私たちは喜びを手に入れられるようにと望んで置きに参るのです。病人が自分で外に出て、薪を集め、水を汲み、トウモロコシを搗いて、挽く。(そうなれば)ンゴマすら、私たちは開催することになるでしょう。でも、今は、いま私たちが扇いだところで、それにどんな美味しさ(喜び)があるというのですか。皆さま方、穏やかに。どうか御主人様方、私たちは皆さまの足元に身を投げ出しています。今はもう争いはございません。穏やかに。今は、この者をどうかお構いにならないでください。この者にちゃんと食欲と、ちゃんとした便通をお与えください。腹が唸り音、あるいはいかなる徴も出さぬよう、皆さま。腹が燃えることもない、腹が刺されるように痛むこともない、腹が膨満することもない、腰が折れることもない、脚が燃えることもない、脚が折れ潰れることもない。どうか皆さま、私たちは皆さまの足元に身を投げ出しております。穏やかに、穏やかに、世界の住人の皆さま。胸が燃えることもない、どうか皆さま。背中に石が打ちつけられることもない。どうかおしずまりください。私たちはこのように哀願いたしております。目が暗闇に閉ざされることもない。どうか皆さま!!

5104

W3:(泣いている赤ん坊について)ちょっと、この子を連れてってよ。連れてってしまってよ。この子は厄介なのよ。クワレ(地名)に着くまで私は眠れないわ。 W2: 誰? W1: もう最後よ。だって、ここではそいつ(患者に憑いている憑依霊)と面識のない人に扇がれているんだから。 Chari: おまけに、そいつも私のことを全然知らないんだものね。 W1: これからお互いに知り合うんじゃないの。あなたは言わば、あなたのムワレ(muwale=共同耕作でその人に割り当てられた耕作地)に、最初のあなたの一鍬を入れたところ。これからお互いに知り合いになるのよ。 W2: 痩せた女性が見えるだけよ。 W1: ちがうよ。そいつの方でもあなたを知るようになるのよ。 W4: 古着市からやって来たって知るだけ。 W2: そいつはあなたが古着市からやって来たのを知る。 Murina: やってきたのは、なんとアラブ人かも。 W1: お互いに知り合うだろうよ。さあさあ、仕事してくださいな。

(憑依霊アラブ人の歌を数曲続けざまに演奏)

Mu: C: そして、踊っている。 W2: そうね、踊っている。 W4: 私は、それが誰だかわからないわ。みなさん。 C: 私は速いカヤンバ(演奏)は無理だわ。「混ぜ合わせる(kumutsanganya)129」んだったらね。でも、ああ!まるで機関車そのものみたいに、ヴァガ、ヴァガ、ヴァガ。 W2: (浜本に)ねえ、カリンボ。あの人(患者)のこと、いっしょに治療なさいな。 H: うう。無理です。

5105

Murina: (スワヒリ語で)ねえ、乳香をここに置いてよ。もし(憑依霊の)アラブ人なら、私は、アラブ人がいるのがすぐにわかる。もしいるんなら、私が彼を一発でかき立ててやろう(nitachafua=make dirty, disturbed130)。ここに乳香を置いてよ。 W2: 彼をつかむだろう。 Mu: 私は彼のことがとっても気に入っているんだ。もしアラブ人がいれば、私にはわかるだろう。もし別の人(憑依霊)がいるとしても、同じように対面するだけのこと。ここでは私は畏れられている。 W2: ここでは畏れられている。 Mu: 私はここでは敬意を持たれている。もし本当にアラブ人がいるとしたら、私には彼が見える。 C: この布ときたら、この。彼女は座ることもできないわ。 Mu: 私は、本物のアラビア語そのものを話そう。

(ムリナは「アラビア語」で唱えごとを始める。しかし患者は憑依する気配を見せない。ムリナは「完全に素面だmatso mafu genye」と言い捨て、唱えごとを止める。)

5106 (戸外の「地面のキザ」で患者の頭に薬液をかけつつ唱えごと)

Chari: ヒリリリ、ヒリリリ..... ビスミラーイ ラフマーニ ラヒーム アウドゥビラーヒ ミナシェトワーニ ワヤカナブドゥ.... うう。さて穏やかに、おだやかに、世界の住人の皆さま。世界の住人の皆さま、私はお話しいたします。こんな時間にお話しするつもりではありませんでした。私がお話しするとすれば、私は...

(周りの人々に)

C: この女性の名前は?メジュマー? さて私はこんな時間にお話しするつもりではありませんでした。私がお話するとすれば、メジュマーのためです。メジュマーは父と母のあいだに産まれた人です。ですが、苦しんでいます。彼女の苦しみは、いったい何でしょうか。病気の苦しみです。人が苦痛を感じるのは普通のことです。でも人間は、今日熱を出したとしても、明日、あるいは明後日には外に出てきます。どうしてこの者は、(小屋の中に)こんな風にずっといつづけようとしているのでしょうか。

5107

Chari: さて、おだやかに。私は癒し手ではございません。癒し手はムルングです。私はムルングに祈ります。私は皆さまにお祈り申し上げます。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu73)の方々に、ニェンゼ74の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga)、子神トロ(mwanatoro)、子神マユンゲ(mwanamayunge)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga)、キンビカヤ(chimbikaya)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera)、そして子神サンバラ人(mwana musambala)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi)、皆さまにお祈りいたします。あなたヴンザレレ、大いなる蛇。私は皆さまにお祈り申します。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo)、ムガマーニ(Mugamani)のサンブル(Samburu、地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 おだやかに。キンガンギーニ(Ching'ang'ini 池の名前)の方々、キグルフュラ(Chigulu fyula 池の名前)の、キンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の、マレレ(Marere 淵の名前)の、ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の、高い木々の、皆さますべて、皆さま方におしずまりくださいと申します。おだやかに、皆さまに穏やかにともうします、あなたムルング子神、ペーポー子神(mwana p'ep'o)、バラワ人(mubarawa)、サンズア(sanzua)、ブルシ人(bulushi バルーチ人)、ムクヮビ人(mukpwaphi)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala)、ボニ人(muboni)、ダハロ人(mudahalo)、コロンゴ人(mukorongo)、あなたコロメア人(mukoromea)、ドゥングマレ(dungumale)、ジム(zimu)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)、ドエ人(mudoe)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao)。あなた奴隷(mutumwa)、またの名をンギンドゥ人(mungindo)。このなかには、あなたデナ(dena)とニャリ(nyari)、キユガアガンガ(chiyugaaganga)、ルキ(luki)、ムビリキモ(mbilichimo)、カレ(kare)とガーシャ(gasha)、レロニレロ(rero ni rero)、あなたプンガヘワ(pungahewa)子神。

5108

Chari: イキリク(ichiliku)とともにディゴ人(mudigo)もいます。私はあなたがたにおしずまりくださいと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)もいます。あなたゴロゴシ(gologoshi)、またの名をンガイ(ngai)もいます。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba)、カヴィロンド人(mukavirondo)、マウィヤ人(mawiya)、ナンディ人(munandi)、ムマニェマ人(mumanyema)。私は皆さま方におだやかにと申します。あなたディゴゼー(digozee)、ムビリキモ(mbilichimo)ともども。おだやかに、私の兄弟たち。 私は癒し手ではありません。私は祖霊とムルングに祈ります。この身体ある私本人の望みは、私が病人のために祖霊にこのようにお祈りすることが、ちょうど、かつて同じように病に苦しんだ私自身が、私の治療上の母フピ・ンゴメ(Fupi wa Ngome)とマシュディ・マンガーレ(Mashudi wa Mangale)に、そしてバンジュ・ムレマ(Banju wa Murema)とメズマ(Mezuma)によって、私のために祈ってもらえたのと同じ(ように患者を癒すこと)であることです。この私は、もし私が私の草木の束(vanda)をこの者に試みれば、この者が治り、治って仕事ができるようになることです。私は皆さまに穏やかにと申し上げます。 おだやかに、あなたライカ(laika)、ライカ・ムェンド(laika mwendo)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga)。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka)。ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira)、ライカ・ズズ(laika zuzu)、ライカ・ドンド(laika dondo)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。あなたライカ・キフォフォ、またの名をライカ・トブェ(laika tophe)。 私はあなたに、おだやかにと申します。あなたムァムニィカ(mwamunyika42)。ムァムニィカはあなたヴンザレレ70、大いなる蛇、あなたこそ地面のキザの主です。さて、多くの人が無くなって年月が経ちました。(こんにちの)人々はキザといえば、シェラどものキザしか知りません。ミルング(milungu131)のキザの存在は、すっかり忘れ去られてしまいました。私は祖父の癒やしの術を与えられましたが、その祖父は今の人ではなく、大昔の人間です。私はそれ(その祖父の癒やしの術)を手に握りました。というのもその祖父の施術師の袋(ムコバmukoba132)を与えられたからです。祖父のムコバをあたえられたとすれば、私が自ら発狂したからです。私は薬を人に教えられたりしませんでした。発狂したことで、ムコバを与えられたのです。ですが、その発狂は、私自身でしたことでした。

5109

Chari: 私は人から癒やしの術を授けられたのではありません。こうして今、私はムルングの鍋とムルングのキザ、そして地面のキザを設置しました。地面のキザ、それはあなたムァムニィカ、あなた大いなる蛇、あなたヴンザレレです。私はつつがなきことを欲します。つつがなきこと。頭(が痛むこと)もない。くらくらすることもない。背中や肺が重苦しいこともない。腰が断たれることもない。脚が折れ潰れることもない。心臓が速く打つこともない、食欲がなくなることもない。どうか御主人様。腹が唸ることもない、腹が突き刺されることもない、腎臓が噛み潰されることもない。下腹部が重苦しいこともない。この者には全身、良いところがありません。私は断言します。こうした問題は、水辺のナピアグラス133のごとく、清らかなれ、どうか御主人様。

(チャリは地面のキザの水を患者の頭に繰り返し掛ける)

C: ヒリリリリ(甲高い嬌声)、ヒリリリリ、ヒリリリリ.さあ、降りてきてください、あなた大いなる蛇、あなたヴンザレレ。ヒリリリリ、あなた大いなるムルング、ヒリリリリ。 穏やかに、私の兄弟たち。あなたがたが振るった鞭を、彼女は身にしみています。私はお話ししますので、どうか皆さまお聞き届けください。私は癒し手ではありません。私はムルングによって力を与えられているだけです。お話しなら、私はお話しします。でもムルングがそれをお望みになる限りのことです。ムルングがお望みになるなら、皆さま、私にターバンを身に着けさせてください134。私の一族の祖霊たちと、この患者の一族の祖霊たち、一ところで静かに眠れ。どうか御主人様方。穏やかに、私の兄弟たちよ。この者は人間、ムルングの被造物(chumbe cha mulungu)、ムルングの奴隷(muja)、皆さま方の人間なのです。穏やかに!

注釈


1 薬(muhaso)を使役する者が、命令によって薬にターゲットを攻撃させるという点で、キラボ(chirapho)も妖術(utsai)と同じ理屈に従うが、妖術の場合とは異なり、chiraphoにおいてはその命令は条件節を伴う構文をとる。妖術が単純に薬に「誰それを云々の仕方で殺せ」といった命令を出すのに対し、キラボでは例えば、もし「私のウシが勝手にいなくなったのではなく、誰かがそれを盗んでいったのだとすれば、キラボよその者とその一族を捕らえよ」といった形で命令する。その主たる用法は、作物などの盗難除け、何者かによってなされた損害を当人とその一族に賠償させることを目的とした使用、そして妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める「試罪法」での使用である。私の調査地の近所には最後のタイプのキラボで、単にドゥルマ地域を超えて広くミジケンダ地域全体によく知られた施術者がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。
2 この屋敷のパパイヤを用いた毒の試罪法(パパイヤのキラボ chirapho cha payu)は、妖術告発の採集決着手段としてドゥルマ地域のみならず広くミジケンダ全域でも有名である。
3 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
4 邪視。見ただけで対象に害を及ぼす能力。生まれつきのもの。邪視の持ち主が、美味しそうと思って眺めたものは不味くなり、健康そうだと思って眺めた子供は病気になる。意図的に災いをおこそうとしたものではなく、不可抗力と考えられている。邪視の持ち主を告発したりはしないが、避けたり、それを予防する措置を講じたりはする。
5 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza6、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
6 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
7 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)8、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす10)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku11)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
8 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri9を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
9 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza8と呼ばれる手続きもある。
10 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
11 憑依霊シェラ(shera7)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
12 施術師に払う料金
13 mulala(エダウチヤシ)の葉で編んだ長方形の敷物、茣蓙
14 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)15との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
15 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza6)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる16。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている17。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
16 瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供17がある。
17 不妊の女性に与えられる瓢箪子供16。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神15がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande18)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料19)、血(ヒマ油20)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
18 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
19 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
20 ヒマの実、そこからヒマの油を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
21 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi22)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka23) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri9)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi24など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo25,laika mukusi26など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe27, laika ra nyoka27, laika chifofo30など。(4) その他 laika dondo31, laika chiwete32=laika gudu33), laika mbawa34, laika tsulu35, laika makumba[^makumba]=dena36など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze6)で薬液を浴びる、護符(ngata41)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza8)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
22 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
23 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
24 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
25 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
26 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
27 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira28)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka29)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
28 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
29 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
30 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
31 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi22)の別名ともいう。
32 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
33 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
34 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
35 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
36 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari37)との共通性あり。治療は黒檀(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande18)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
37 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)8」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena36が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee38)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande18には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
38 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo39)マンダーノ(mandano40)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
39 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
40 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
41 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
42 大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)
43 主要な身体症状
44 悪寒
45 川、池など水がある場所
46 男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
47 スーダン人だと説明されるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」48による鍋(nyungu5)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe49)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu50)。
48 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術3においても固有の草木が用いられる。
49 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
50 薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに縫い固めたもので、「護符」と訳することもできるが、憑依霊のpinguについては、その憑依霊を寄せ付けない防御的なものというよりは、やってきた憑依霊が座る「椅子」として捕らえられている点に注意。椅子がないと憑依霊は人間の身体の諸部分に腰をおろしてしまう。それによって人は病気になる。椅子を提供すれば、憑依霊は身体に座らないので少なくともそれに起因する病気にはならないことになる。
51 括弧内は転記の際の注記。この日はMwasamaniの屋敷での施術の後にChariの「子供」であるMenandaに対するSheraの治療もあり、途中でそのためのmuhiも採集した。ここではmulunguのchizaやnyunguにも使われるものだけを抽出転記した。他に多くのmihiが用いられたが、それらはすでに私の到着前にChariの家周辺で採集済みで、内容確認は不可能だった。
52 それぞれに対する短い唱えごと、人々との雑談は録音せず
53 浮草の一種。Water Lettuce= pistia stratiotes
54 その特定のンゴマがその人のために開催される、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)55であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
55 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji)とも呼ばれる。彼らは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
56 小雨季、10月から1月にかけての雨。またそれがやって来る方角(北)。北そのものは vurini(反対に大雨季の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう)
57 憑依霊シェラのための香料。店で買える香料(ピラウミックス)にmatoro(睡蓮)の葉・根を乾燥させ粉にしたものなどを混ぜる
58 瓢箪子供、特定の憑依霊についての施術師は、その就任に際して瓢箪を授与される。複数の霊が単一の瓢箪を共有する場合もある。瓢箪をもたない霊(特にイスラム系の霊)もある。この時点でチャリが持っている憑依霊の瓢箪子供は、mulungu(musambala, chitsimbakazi)、muduruma、mwalimu dunia、shera(laika)、dena(nyari)だった。
59 憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になること。受動形のみで用いるが。ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。
60 唱えごと。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
61 mutu na nduguye 「人と彼の兄弟」=兄弟どうし
62 乳香
63 「素面(しらふ)そのもの」(字義通りにはmatso=目 -fu=固い、固い目=素面)
64 地面のキザ。チャリが編み出した(夢で彼女の憑依霊から教えられた)新機軸。容器に薬液を入れる代わりに、地面に掘った穴に入れるというもの。その方がたしかにリアルな「池ziya」の演出だとは言える。でも水がどんどん吸い込まれて無くなってしまうんですけど。
65 長声、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声
66 この施術に参加している人々の軽口の多さはなんだろうかと思う。施術師まで、部分的にはそれに乗っている。こうした傾向は、他の憑依霊関連の施術にも見られないこともないが、今回のそれは、あきらかに度を越しているように見える。
67 女性の憑依霊ドゥルマ人の名前の一つがカシディ(kasidi)であるが、このkasidiという言葉には、なにか悪いことをしでかしてそれが「わざと故意に」なされたものだといった場合の「わざと、故意に」の意味がある。それに対し、その悪いことが(例えば人を殺す)が事故で、殺害を意図せずに起こってしまった場合それはザーニ(zani)という。
68 ku-phunga 字義通りには「扇ぐ」という意味だが病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。
69 兄弟の妻の兄弟姉妹、姉妹の夫の兄弟姉妹。
70 猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps
71 mudzeleとは、施術師(muganga)が身につけるビーズ(ushanga)の装身具(marero)のうち、たすき掛けに身につけるもの
72 ムリナ氏は、先程のムルング=ヘビ・ジョークを引きずっている。ムルングはヘビなので、さっきはその端っこしか出てきていなかったと。
73 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
74 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
75 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
76 トロ(toro)は睡蓮
77 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
78 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
79 水辺に生える草の一種
80 動詞kurera(子供を「養う」)より
81 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
82 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
83 意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
84 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある高い山。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
85 地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cookes2003;393)
86 チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
87 チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
88 p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetaniもあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞)という言葉が用いられる。
89 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
90 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
91 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
92 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
93 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
94 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
95 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
96 民族名の憑依霊、ンギンド人97の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
97 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
98 民族名の憑依霊、ナンディ人99の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
99 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea98、mukavirondo100はいずれもナンディ人の別名であるという。
100 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
101 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
102 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
103 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
104 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
105 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
106 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
107 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)97の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
108 ルキ(luki109)、キツィンバカジ(chitsimbakazi22)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
109 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika21)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
110 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
111 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena36)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari37)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga108)がいる。
112 憑依霊シェラ(shera7)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza8)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)10」、「外に出す(ku-lavya konze113)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
113 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
114 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
115 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
116 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)とは別。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
117 憑依霊カンバ人の女性の別名。
118 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
119 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai118)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ118を参照のこと。
120 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde121)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama122)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
121 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
122 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
123 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
124 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。
125 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao126))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka23)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
126 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
127 ライカ・ズズ(laika zuzu)。ズズ(-zuzu)は「愚かな」を意味する形容詞。属性などについては不明。ライカ・ズズによって奪われたキブリを戻す「嗅ぎ出し」を得意とする施術師がいるという話を1993年に聞く。この施術師は通常の「嗅ぎ出し」とは異なり屋敷内ですべてを行った。川にも池にもムズカにも行くことなく屋敷の庭に据えたchizaに奪われたキブリを呼び戻して瓢箪に入れ、それを患者に戻すという施術。
128 ライカ・ジャロ(laika jaro)、ライカ・マジャロ(laika majaro)とも。ジャロ(jaro)は「旅」を意味するチャロ(charo)のaug.形、その複数形がmajaro。このライカは休むことを知らず、ひたすら旅を続ける(mutu ariye kaoya, jaro kpwenda tu.)。ライカ・ムェンド(laika mwendo25)の別名。
129 カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」する歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
130 ku-chafua は「汚くする」「かき乱す」「興奮させる」などの意味をもつスワヒリ語だが、ここでは患者を golomokpwa させる(憑依状態にする)の意味で用いられている。
131 至高神(?)ムルング(mulungu, mwanamulungu)のさまざまな化身あるいは、常に一緒にいるとされる仲間の憑依霊たちを総称してムルングの複数形milunguと呼ぶことがある。同様な概念にムルングジ(mulunguzi)があるが、あまり厳密に定義されているようではなさそうである。
132 mugangaがその瓢箪や草木を入れて運ぶ編んだ袋。ugangaの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをmukobaを受け継ぐという言い方で語る。
133 ナピアグラス。別名 elephant grass(Pennisetum purpureum)。カヤンバの材料になる水辺のガマのような草。
134 ターバン。(ス =kilemba)。「ターバンを身に着けさせる」は資格を認定するという意味。