ンカウリための、「手付けの子供」をムルングに示す「鍋」

概要

(from diary) Dec.7, 1993, Tue, kpwisha

今日はなんとなく外出するのがおっくうで家で入力を行っていようと思ったが、9時すぎにChariがmwana wa ndonga1のためのnyunguを据えるから同行するようにと誘いに来る。Mwandaroの屋敷。続いてMukalaの屋敷でvuo8を調製。4時すぎに帰宅する。昼飯を食べそこなってしまう。

多くのケースでは、瓢箪子供の差し出しの背景に、さまざまな複合的な事情が重なり合っているのが普通である。以下で紹介する事例は、他の厄介な憑依霊たち、イスラム系の憑依霊や憑依霊ドゥルマ人その他との複合ケースではないので、不妊に対する対処に絞った瓢箪子どもの差し出しの構造がよく見て取れる。

ムルングの「鍋」設置の流れ

(1993年12月7日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートのもの。フィールドノートの記述内容に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

【nyungu ya chereko: 出産祈願の瓢箪子供のためのnyunguとchiza】 (Chari_Malau, at Mwandaro's mudzi) patient: N'kauli(mukaza9 Mwadaro) fungu10: nyungu 44/= chiza4 cha nyumbani 8/= chiza cha konze 22/=

  1. preparing "nyungu ya mwana wa ndonga" mihi ya mulungu, esp. munyumbu(Lannea schweinfurthii) 1-1. nyunguに中指を使って灰で模様を描く(直線主体) 1-2. mwanamulunguの瓢箪の中の液体を垂らしいれる 1-3. nyunguの縁に手を添えてmakokoteri11 Chariのmuganga12としての経歴がつぶさに語られているのも興味深い 最初の唱えごと (DB 6338-6340)ドゥルマ語テキスト

    1-4. nyunguにmihiを詰めていく

  2. preparing chiza4 cha konze 私との会話: chiza cha konze と chiza cha nyumbaniの区別 chiza cha konze is for chitsimbakazi14 chiza cha nyumbani is for mulungu chitsimbakazi は mulungu の子供 nyunguをfukiza15した後、chiza cha nyumbaniで沐浴し、最後に chiza cha konzeで沐浴する(vuri16の方角を向いて) キツィンバカジについて (DB 6341)ドゥルマ語テキスト

    2-1. chiza cha konze(chinu17)に炭と灰で模様をえがく(直線模様) chiza cha mulunguはkudona18しない 斑点模様を描くのはlaika19系のnyamaたちのもの

    2-2. chereko(まだ口を開けていない瓢箪)1をnyunguのmihi41の上に置く

    2-3. chizaに水を加える(両方とも)

  3. makokoteri for chereko 3-1. chereko をchiza cha nyumbaniの薬液で洗う

    3-2. chereko をmavumba6でkufukizaしながらmakokoteri 瓢箪を燻しながらの唱えごと (DB 6342)ドゥルマ語テキスト

    3-3. nyunguの前に腰を下ろした患者に、cherekoを持たせて(両手で)、 makokoteri 鍋の前の患者に対する唱えごと (DB 6343-6345)ドゥルマ語テキスト

  4. chiza cha nyumbani chiza cha nyumbani(sufuria)を小屋の隅に置き、その横にcherekoを 置く Chari、患者にchiza cha nyumbaniについての指示を与える 患者への指示 (DB 6346)ドゥルマ語テキスト

  5. chiza cha konze(chinu) 患者をchiza cha konzeの前にvuriの方向を向いて座らせ 頭からchizaの薬液をかけながらmakokoteri 外のキザでの唱えごと (DB 6347)ドゥルマ語テキスト

唱えごとの日本語訳

6338 (鍋を準備する唱えごと)

Chari: プッ(唾液を吐く)。さて、私はお話しいたします。このような時間にお話しするつもりはありませんでした。私がお話しするとすれば、それはンカウリさんのためです。ンカウリはその父と母から産まれました。産まれたときにはムルング42の被造物です。ムルングの人間です。でも、私がここに参ったのは、彼女のためにムルングに祈りに参りました。彼女のためにムルングに祈るというのは、どういうことでしょう。彼女自身の身体の具合がよくないのです。第一に、人とは生まれた者ですが、それが今度は産む者となり、そのことで救われるのです。彼女は子供を産みました。その娘はもう人に娶られることを考えるまでになりました。なのに次の子供がまだ来ないのです。私たちはこうした事態をみるとき、驚きます。いったいどうしてこんな事になったのだ。何が間違っていたのだと。そしてその理由を探しますと、やがて見つかるのです。つまり占い(mburuga43)に行って、言われるのです。黒い布(nguo nyiru ムルングの布)が必要とされていると。瓢箪子供が必要とされていると。瓢箪子供は、この「鍋」に伴われます。 本日、私は参りました。ンカウリのためにムルングに祈りに参りました。私は癒し手ではございません。癒し手はムルングです。私のすることは、祈ること、祝福の手を置いて、小指の爪に引き下がり、そこに座って大人しくしていることです。「この者は祈っている。では私たちは彼女に何をしたら良いのだろう。」そう問いあってください。あなたムルング子神よ。あなたは誰と話し合うのですか。あなたの子どもたちとです。なぜならあなたムルング子神に、子供さんたちがいないはずがないからです。

6339

という訳で私は参りました。この者のためにムルングにお祈りいたします。そしてこのようにこの者のためにムルングにお祈りする際に、開いた口が塩のごとく、たちどころに効き目をみせることを願います44。癒やしの術は少女のごとく、順調に成熟しますように。施術師は「そのとおりだ」との誉れを得るもの。施術師は謗られることなし。「私はかつて子供を産めませんでした。でもチャリと呼ばれる女性、その癒やし名をムチェムェンド(Muchemwendo45)という女性に会ったときです。ああ、私はこの女性に救われたのだと私は思います。」 今日、今、私は彼女のためにこの鍋を置きます。この鍋はできればンゴマとともにありたいもの。できればそれで踊る(kuvina)歌、まさにンゴマそのものの歌とともにありたいもの。この鍋は(ムルング子神の黒い)布とともにありたいもの。でも、鍋の湯気を浴びれば、鍋は熱気を出し、単に身体を焼く汗ではなく、良き汗をもたらす。私が求めているのはつつがなきことです。争いはございません。 私はこの鍋を、あなたムルング子神3に差し出します。憑依霊アラブ人46もごいっしょに、バラワ人47もごいっしょに。サンズア48、ブルシ49、ムクヮビ人50、天上のキツィンバカジ14も池のキツィンバカジも、地下のペポコマ51も池のペポコマもごいっしょに。あなたガラ人52、ボニ人53、ダハロ人54、コロンゴ人55、あなたコロメア人57。あなたドゥングマレ60、ジム61、キズカ62、スンドゥジ63、ドエ人64。ドエ人またの名をムリマンガオ65。あなた奴隷66、またの名をンギンドゥ人56。皆さん全員、どうかこの鍋をお受け取りください。あなたデナ35とニャリ36、キユガアガンガ67、ルキ68とムビリキモ38、カレ69とガシャ70。あなたレロニレロ71、あなたマンダーノ39、プンガヘワ子神76。あなたがた皆さん、どうかこの鍋をお受け取りください。

6340

私はこの鍋に、子供を望んでいます。今年が終わらないうちに、子供が背負われていますように。最初に、この小雨季に望みます。だって今は12月。1月には妊娠していますように。1月に妊娠、人々がトウモロコシを収穫する頃には、子供が産まれている。(そうすれば)私は、その通りだったとわかるでしょう。騙されてはいなかったと。 私は癒やしの術(uganga)をバンジュ・ワ・ムレマ、それとメズマから与えられました77。その後、再び後戻りして、癒やしの術をフピ・ワ・ンゴメとマシュディ・ワ・マンガーレによって癒やしの術を与えられることになりました。その後、後戻りして、ムワカとニャマウィによって与えられました。さらにキジとチャイによって与えられました。そしてムァインジとアンザジによって与えられました。この二人は夫婦(mutu na muchewe78)です。こんな風に、私に癒やしの術を授けたこれらの人々が全員、正しい草木(mihi)を示してくれなかったということがあるでしょうか?私自身にとっては、それはどうでも良いことです。この方たちは言わば証人で、私は癒やしの術を人から与えられたわけではないからです。私は自分で発狂し、草木も自分で探し集めたのです。私は癒やしの術を人から与えられたのではありません。癒やしの術を私は祖霊(k'oma)とムルングによってあたえられました。そして世界導師(mwalimu dunia)によって与えられました。こうして、私は進んできたのです。私は世界導師こそ、私の(施術上の)父であり母であると申します。でも、私は証人の方々も手に入れました。こうして今日、バンジュによってそうするよう言われたことを、私はそのとおりに行います。そしてそのように言われたやり方で、効き目が出ますように(vikole)願います。私はこの鍋に子供を望んでいます。この鍋を据えた今、私たちが徹夜のンゴマを打つその日に、私は何を見ることになっているでしょうか?(この患者が無事に出産し終えた)子供を見ているはずなのです。今ここで、私たちは小さい歌(kawira)を打ってもよいかもしれません。その小さい歌は、同じく祈願のための歌です。そんなにたくさんではないです。でも大事なのは、子供(瓢箪子供)の口を穿つ(最後の徹夜の)ンゴマです。今は、私は瓢箪子供に口を穿ちません。私が(本物の)赤ん坊をこの目にするまでは。プッ。ビスミラーイ。

6341

H: では、外のキザはキツィンバカジのためのものなのですか?で、小屋の中のキザは... Chari: ムルングのためのキザ。 H: ムルングの。 C: ムルングはキツィンバカジたちの母親なんだよ。人がこんな風に言うのを聞いたことない? ヴィツィンバカジ(vitsimbakazi pl. of chitsimbakazi)・ムルング。ヴィツィンバカジとムルング、それはまったく同じものなんだよ。 Woman: よく池の夢を見るのよ。そこはヘビがいっぱいいて、どこに足を踏み入れてもヘビばかりなの。 C: そいつらはムルングでしょ。 W: ムルングね。この手の夢ばかり、私の日課みたいに。かと思うと、夢... C: ところでアラビアゴムノキ(chikpwata)、ここにあったっけ? W: ええ、あります。 H: というわけでこの鍋の湯気を浴びさせるのですね。 C: そのあと、まず小屋の中で沐浴して、そのあとあちらの外に行って沐浴する。ちょっとジェレさん、ここに置きましょうか。それともずっと離れたところに置きましょうか。 W: ここではいかが?

6342 (瓢箪をムルングの香料で燻しながら唱えごと)

Chari: あなた、子供(瓢箪子供)は草木、草木は子供、使いに出されると、使いを果たす。さて、今、私はここにやってきました。鍋を差し出しにやってきました。ンカウリに鍋を与えにやってきました。瓢箪子供を彼女に与えにやってきました。 瓢箪のこの子供は祈願の子供です。私は、彼女がこの鍋の湯気を浴び、池で水浴びし、池で水浴びし、煎じ薬を飲むようにと願います。そしてこの鍋が終わったら、この者が子供をなすことを望みます。私がこのあなたの瓢箪(chirenje)の子供を差し出すのは、二本の脚をもった子供がほしいからです。このあなたの子供は、ああ私はその口を穿ちません。本物の子供をこの目にするまでは。子供が生まれたなら、そこで私はやってきてあなたの子どもの口を開いて差し上げます。 この(瓢箪の)子供を、どうか皆さま方しっかりお護りください。そして彼女の腹が心地よくなること(出産すること)を、私は望みます。腹が心地よくなれば、私はンゴマを催して、瓢箪子どもの口をあけにやってまいります。でもさしあたって今は、私は祈ります。この子供は、祈願の瓢箪(chivoyero)と呼ばれます。祈願の瓢箪です。この段階で、私自身が先走ってンゴマを開催して、いったいなんの美味しさが感じられるというのでしょう?人はまず美味しさを経験して初めて、ンゴマを打つものでしょう。それが徹夜からそのまま日暮れまでのンゴマだったとしても、だめだとは申しません。でも、実際の子供を目にしてからです。私は(本当の)子供をこの目で見るまでは、この子供の口はあけません。そして今、私はこの子供を、患者自身に与えます。この子供が、彼女の腹のなかに子供をなさせますように願います。この鍋に何をしてもらいたいのでしょう?この鍋が彼女の救いになってほしいのです。そしてあちらの池も彼女を救いますように。 さて、私は施術師が謗られないことを望みます。施術師はそのとおりだと言われるものです。私は癒やしの術を盗んではいません。私はムルング子神の癒やしの術を、バンジュ父さんから与えられました。私は癒やしの術の開始を望みます。順調に始まるようにと願います。

6343

Chari: ヒリリリリリリリ(長声、4回繰り返す)。ふうう。後は唱えるだけ。ああ、息が苦しい。身体も火照っているし。 (唱えごと開始) プッ(唾液を吐く)。ビスミラーイ、ラフマ―ニラヒーム。うう。さて私はお話しいたします。こんな時間にお話しするつもりはありませんでした。私はお話しいたします。私がお話しするとすれば、ンカウリのためにお話しするのです。 (患者に向かって)ンカウリだったよね。 Patient: はい。 C: この者は父と母とから産まれました。ムルングの被造物として生まれました。ムルングの人です。なのに苦しんでいます。彼女にとっての苦しみは病気です。まず頭痛から始まり、目眩、背中、肺、そして腹です。腹は音をたてる、腹は針を刺される、腹は重苦しい。腰は切り折れる、脚は折れ壊れる。身体じゅうどうしようもない。身体に寒気が入り込む。人々が占いに行った所、私たちはあなたがた世界の住人79の皆さまのせいだと言われました。 さて皆さまがたに、私はお願いいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu80)の方々に、ニェンゼ81の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga82)、子神トロ(mwanatoro83)、子神マユンガ(mwanamayunga84)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga85)、キンビカヤ(chimbikaya86)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera87)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)、皆さまにお祈りいたします。でも、私がお話しするとしたら、私はあなたムルング子神、砦の主(mwenye ngome90)にお話しいたします。もしかしたらお客人たちがいらっしゃるかもしれません。でもその人たちはあなたのお子さんたちです。

6344

C: ムルング子神。あなたに続くのが、ペーポー子神(mwana p'ep'o91)。バラワ人(mubarawa47)、サンズア(sanzua48)、ムクヮビ人(mukpwaphi50)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi14 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma51 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。あなたガラ人(mugala52)、ボニ人(muboni53)、ダハロ人(mudahalo54)、コロンゴ人(mukorongo55)、あなたコロメア人(mukoromea57)、ドゥングマレ(dungumale60)、ジム(zimu61)、キズカ(chizuka62)、スンドゥジ(sunduzi63)、ドエ人(mudoe64)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao65)。あなた奴隷(mutumwa66)、またの名をンギンドゥ人(mungindo56)。あなたデナ(dena35)とニャリ(nyari36)、キユガアガンガ(chiyugaaganga67)、ルキ(luki68)、ムビリキモ(mbilichimo38)、カレ(kare69)とガーシャ(gasha70)、レロニレロ(rero ni rero71)、あなたプンガヘワ(pungahewa76)子神。イキリク(74)とともに、あなたディゴ人(mudigo92)もいます。あなたディゴ人、またの名をディゴの女(muchetu wa chidigo)、狂気を煮る者(mujita k'oma)。あなたシェラの女(muchetu wa shera72)、心をホウキで掃くシェラ(shera usheraye moyo)、頭もホウキで掃き、腹もホウキで掃き、脚もホウキで掃き、心臓もホウキで掃く。私はおしずまりくださいと申します。おしずまりくださいと申します。おしずまりくださいという言葉には耳を傾けるものではないでしょうか。 私は皆さま方におだやかにと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai93)もいます。あなたゴロゴシ(gologoshi94)、ンガイ(ngai95)、カンバ人(mukamba96)、カヴィロンド人(mukavirondo59)、マウィヤ人(mawiya97)、ナンディ人(munandi58)、マニェマ人(mumanyema105)。私は皆さま方におだやかにと申します。私は、あなた白人106にもおだやかにと申します。おだやかにと申します。皆さま方におしずまりくださいと申します。おだやかに、ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo107)、ムガマーニ(Mugamani)のサンブル(Samburu、地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe108)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 キツァンゼの池の方々、マンゲラの池の方々にも、私はおだやかにと申します。キンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の方々に、キグルフュラ(Chigulu fyula 池の名前)の方々に、おしずまりくださいと申します。ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の、高い木々の、キリマンジャロの、皆さま方におしずまりくださいと申します。

6345

Chari: 今日、今、私は祈ります。私は子供を願います。その者の子供はすでに大きくなったのに、まだその仲間を産んでもらえておりません。それはあなたムルング子神のせいだと言われております。あなたマレラ(marera 育てる者)、女性を育て、男性を育て、昼に夜に育てる者よ。もしあなたムルング子神のせいで、あなたが瓢箪子供と、鍋と、キザを欲しておられたせいだというのなら、今日、私は鍋と子供(瓢箪)とキザ、さらにもう一つのキザ、それに煎じる薬を差し出しに参りました。 さて、施術師は謗られず、そのとおりだとの誉れを得るもの。私は、私の口が、私が申し上げるとおりに、私の開いた口が塩のごとく効き目をあらわせと願います。私は癒やしの術が、少女のごとく成熟せよと願います。私は癒やしの術が、池の水のごとく満ちよと願います。私は皆さま方におしずまりくださいと申します。おしずまりくださいと申します。そしておしずまりくださいの言葉には耳を傾けるものです。私は子供を祈願いたします。私は哀願いたします、私の兄弟の皆さま。この子供(瓢箪)に関しましては、私はその口を穿ちません。口を穿ちません。この目で(生まれてきた)子供を見るまでは。そのときにこそ、この(瓢箪の)子供の口をお開けいたします。もし祈願のためだけの小カヤンバをとおっしゃるなら、皆さま方にそれを差し上げに参ります。でも現在、彼女の夫が不在のため、私はいつ開くと日にちをお約束は出来ません。でも祈願のための小カヤンバでしたら、皆さま方に差し上げます。しかしながら(瓢箪)子供の口を開けることについては、2本の脚のある子供を実際に目で見てから、そしてその子供が(出産後の籠もりの期間を終え)外に出されるのを見てからです。そのときに(瓢箪)子供の口を開けさせていただきます。 というわけで、あなたムルング子神、どうかお聞きください。私が望んでいるのは子供です。あなたにおだやかにと申し上げます。どうか御主人様、私はおしずまりくださいと申します。もしかして、あなたが騙されていたとおっしゃるのでしたら、あなたが騙されていたのは昨日、一昨日のこと(もう過ぎたこと)、私はあなたを騙したことはございません。こうして今日、子供はその母親になにか言われたなら、それに耳を傾けるものです。今日、私はあなたに何を差し上げましたか?私は鍋を差し上げました。瓢箪を差し上げました。さらに池と(煎じる)薬を差し上げました、御主人様。

6346 (チャリは患者にその後の指示を与える。録音は途中から。)

Chari: (外のキザでの)水浴びを終えたら、この子(瓢箪)をチェックしてね。というのもこんな風にしておくと、シロアリがたかるかもしれないから。7日のあいだ。 Patient: その後は? C: その後は、私が来てこの鍋の中身を捨てます。それから私のすべきことあれこれをいたします。じゃあ、外に行きましょう。あなたに水をかけてあげますね。

6347 (外のキザでの唱えごと)

Chari: さて、私はお話しいたします。このような時間にお話しするつもりはありませんでした。私がお話しするとすれば、それはンカウリさんのためです。どうかおだやかに。私はお願いいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu80)の方々に、ニェンゼ81の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga)、子神トロ(mwanatoro)、子神マユンガ(mwanamayunga)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga)、キンビカヤ(chimbikaya)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera)、そして子神サンバラ人(mwana musambala)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi)、皆さまにお祈りいたします。 ムルング子神。あなたに続くのが、ペーポー子神(mwana p'ep'o)。バラワ人(mubarawa)、サンズア(sanzua)、ムクヮビ人(mukpwaphi)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。 あなたキツィンバカジ、おだやかにと申します。こうして今、私はあなたがたにこの外のキザを差し上げます。このキザで水浴びなさってください。このキザに私は何を望んでいるのでしょうか?私がこのキザに望んでいるのは子供です。2本の脚をもって生まれてくる本物の子供です。さらに私は、この小雨季(vuri)が終わらないうちに、この者が腹に子供をなすことを望んでおります。これこそ私が望んでいることです。もし歌(カヤンバ)をお望みだというのなら、皆さま方はそれを手に入れることになるでしょう。でも今は、どうか解きほどいてください。それも十分に解きほどいてください。 (Chariはキザの薬液で患者を洗ってやる) C: さあ、解いてください、彼女の腹を解きほどいてください。頭を解きほどいてください。目眩を解いてください。心臓も、そのたあらゆる場所も、問題が消え去るように。私が欲しがっているのは子供です。こうして本心から祈りに参っているのです。ああ! (Chariは薬液についての指示を与える) C: このキザの水が少なくなりすぎないようにしてね。でもしっかり飲んでちょうだい。ね、この水、美味しいでしょ。さあ、飲んで。3回飲んで。

注釈

 

 


1 不妊の女性に与えられる瓢箪子供2。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神3がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande5)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料6)、血(ヒマ油7)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
2 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供1がある。
3 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza4)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる2。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている1。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
4 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
5 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
6 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
7 ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
8 pl. mavuo、「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
9 ~の妻。e.g., mukaza Kalimbo= Kalimbo's wife
10 施術師に払う料金
11 唱えごと。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
12 癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga13であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
13 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
14 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
15 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
16 小雨季、10月から1月にかけての雨。またそれがやって来る方角(北)。北そのものは vurini(反対に大雨季の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう)
17 搗き臼。laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。
18 斑点模様を入れる
19 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi14)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka20) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri21)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi23など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo24,laika mukusi25など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe26, laika ra nyoka26, laika chifofo29など。(4) その他 laika dondo30, laika chiwete31=laika gudu32), laika mbawa33, laika tsulu34, laika makumba[^makumba]=dena35など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze4)で薬液を浴びる、護符(ngata40)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza22)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
20 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
21 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza22と呼ばれる手続きもある。
22 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri21を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
23 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
24 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
25 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
26 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira27)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka28)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
27 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
28 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
29 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
30 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi14)の別名ともいう。
31 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
32 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
33 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
34 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
35 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari36)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande5)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
36 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)22」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena35が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee37)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande5には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
37 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo38)マンダーノ(mandano39)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
38 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
39 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
40 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
41 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術13においても固有の草木が用いられる。
42 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)3との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
43 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
44 ku-kola munyu は「しっかり塩味がつく」という意味の言い回し。これを用いたドゥルマの諺に"Uganga kaukola dza munyu."というのがあり、その意味は「施術は塩のようにはすぐに効果が見えない。=施術は効き目が出るまでに時間がかかるものだ。」というものだ。ここでは施術師はこの諺をもじって、「私の口(発言が)塩のようにすぐに効き目が出ますように」と唱えているわけである。
45 「俊足おばさん」とでも訳せようか。
46 憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
47 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
48 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
49 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
50 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
51 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
52 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
53 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
54 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
55 民族名の憑依霊、ンギンド人56の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
56 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
57 民族名の憑依霊、ナンディ人58の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
58 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea57、mukavirondo59はいずれもナンディ人の別名であるという。
59 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
60 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
61 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
62 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
63 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
64 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。image_pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
65 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
66 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)56の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
67 ルキ(luki68)、キツィンバカジ(chitsimbakazi14)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
68 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika19)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
69 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
70 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena35)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari36)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga67)がいる。
71 憑依霊シェラ(shera72)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza22)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)73」、「外に出す(ku-lavya konze75)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
72 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)22、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす73)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku74)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
73 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
74 憑依霊シェラ(shera72)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
75 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
76 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
77 施術師(muganga)として「外に出される(ku-laviwa konze)」される際には男女二人の施術師が必要である。彼らは、あらたに施術師になった者の施術上の父と母(abaye na ameye wa chiganga)になる。しかし施術の仕事がうまくいかず、病気が反復した場合は、別の二人の施術師によって再度「外に出し」てもらう必要があるかもしれない。
78 夫婦(mutu na muchewe)、字義通りには「人とその妻」。
79 憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ
80 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
81 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
82 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
83 トロ(toro)は睡蓮
84 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
85 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
86 水辺に生える草の一種
87 ムルング子神の別名。「養う者」。動詞kurera(子供を「養う」)より
88 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
89 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
90 憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
91 p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetaniもあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞)という言葉が用いられる。
92 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
93 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)とは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
94 憑依霊カンバ人の女性の別名。
95 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
96 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai95)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ95を参照のこと。
97 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde98)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama99)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
98 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
99 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola100)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
100 憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa」と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊(ku-kokomola)によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume101)、カドゥメ(kadume102)、マウィヤ人(Mwawiya97)、ドゥングマレ(dungumale60)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga103)、ライカ・トゥヌシ(laika tunusi23)、ツォヴャ(tsovya104)、ゴジャマ(gojama99)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu」あるいはニューニ(nyuni 「キツツキ」)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。
101 男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
102 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォーヴャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
103 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
104 子供を好まない。母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa」。see p'ep'o mulume101, kadume102
105 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
106 憑依霊「白人」。白人という名の憑依霊には、ケヤの白人(muzungu wa keya)とムミアニの白人(muzungu wa mumiani)の2種類がいる。ケヤの白人はイギリスのアフリカ植民地軍Kings African Rifles(KAR=keya)の兵隊たちで、銃を肩にかけて進軍する。ムミアニの白人は、白衣を着て注射器でアフリカ人の血を吸い取り、それで薬を作っているという。
107 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
108 チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)