(from diary) Dec.7, 1993, Tue, kpwisha
今日はなんとなく外出するのがおっくうで家で入力を行っていようと思ったが、9時すぎにChariがmwana wa ndonga1のためのnyunguを据えるから同行するようにと誘いに来る。Mwandaroの屋敷。続いてMukalaの屋敷でvuo8を調製。4時すぎに帰宅する。昼飯を食べそこなってしまう。
多くのケースでは、瓢箪子供の差し出しの背景に、さまざまな複合的な事情が重なり合っているのが普通である。以下で紹介する事例は、他の厄介な憑依霊たち、イスラム系の憑依霊や憑依霊ドゥルマ人その他との複合ケースではないので、不妊に対する対処に絞った瓢箪子どもの差し出しの構造がよく見て取れる。
(1993年12月7日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートのもの。フィールドノートの記述内容に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。
【nyungu ya chereko: 出産祈願の瓢箪子供のためのnyunguとchiza】 (Chari_Malau, at Mwandaro's mudzi) patient: N'kauli(mukaza9 Mwadaro) fungu10: nyungu 44/= chiza4 cha nyumbani 8/= chiza cha konze 22/=
preparing "nyungu ya mwana wa ndonga" mihi ya mulungu, esp. munyumbu(Lannea schweinfurthii) 1-1. nyunguに中指を使って灰で模様を描く(直線主体) 1-2. mwanamulunguの瓢箪の中の液体を垂らしいれる 1-3. nyunguの縁に手を添えてmakokoteri11 Chariのmuganga12としての経歴がつぶさに語られているのも興味深い 最初の唱えごと (DB 6338-6340)ドゥルマ語テキスト
1-4. nyunguにmihiを詰めていく
preparing chiza4 cha konze 私との会話: chiza cha konze と chiza cha nyumbaniの区別 chiza cha konze is for chitsimbakazi14 chiza cha nyumbani is for mulungu chitsimbakazi は mulungu の子供 nyunguをfukiza15した後、chiza cha nyumbaniで沐浴し、最後に chiza cha konzeで沐浴する(vuri16の方角を向いて) キツィンバカジについて (DB 6341)ドゥルマ語テキスト
2-1. chiza cha konze(chinu17)に炭と灰で模様をえがく(直線模様) chiza cha mulunguはkudona18しない 斑点模様を描くのはlaika19系のnyamaたちのもの
2-2. chereko(まだ口を開けていない瓢箪)1をnyunguのmihi41の上に置く
2-3. chizaに水を加える(両方とも)
makokoteri for chereko 3-1. chereko をchiza cha nyumbaniの薬液で洗う
3-2. chereko をmavumba6でkufukizaしながらmakokoteri 瓢箪を燻しながらの唱えごと (DB 6342)ドゥルマ語テキスト
3-3. nyunguの前に腰を下ろした患者に、cherekoを持たせて(両手で)、 makokoteri 鍋の前の患者に対する唱えごと (DB 6343-6345)ドゥルマ語テキスト
chiza cha nyumbani chiza cha nyumbani(sufuria)を小屋の隅に置き、その横にcherekoを 置く Chari、患者にchiza cha nyumbaniについての指示を与える 患者への指示 (DB 6346)ドゥルマ語テキスト
chiza cha konze(chinu) 患者をchiza cha konzeの前にvuriの方向を向いて座らせ 頭からchizaの薬液をかけながらmakokoteri 外のキザでの唱えごと (DB 6347)ドゥルマ語テキスト
6338 (鍋を準備する唱えごと)
Chari: プッ(唾液を吐く)。さて、私はお話しいたします。このような時間にお話しするつもりはありませんでした。私がお話しするとすれば、それはンカウリさんのためです。ンカウリはその父と母から産まれました。産まれたときにはムルング42の被造物です。ムルングの人間です。でも、私がここに参ったのは、彼女のためにムルングに祈りに参りました。彼女のためにムルングに祈るというのは、どういうことでしょう。彼女自身の身体の具合がよくないのです。第一に、人とは生まれた者ですが、それが今度は産む者となり、そのことで救われるのです。彼女は子供を産みました。その娘はもう人に娶られることを考えるまでになりました。なのに次の子供がまだ来ないのです。私たちはこうした事態をみるとき、驚きます。いったいどうしてこんな事になったのだ。何が間違っていたのだと。そしてその理由を探しますと、やがて見つかるのです。つまり占い(mburuga43)に行って、言われるのです。黒い布(nguo nyiru ムルングの布)が必要とされていると。瓢箪子供が必要とされていると。瓢箪子供は、この「鍋」に伴われます。 本日、私は参りました。ンカウリのためにムルングに祈りに参りました。私は癒し手ではございません。癒し手はムルングです。私のすることは、祈ること、祝福の手を置いて、小指の爪に引き下がり、そこに座って大人しくしていることです。「この者は祈っている。では私たちは彼女に何をしたら良いのだろう。」そう問いあってください。あなたムルング子神よ。あなたは誰と話し合うのですか。あなたの子どもたちとです。なぜならあなたムルング子神に、子供さんたちがいないはずがないからです。
6339
という訳で私は参りました。この者のためにムルングにお祈りいたします。そしてこのようにこの者のためにムルングにお祈りする際に、開いた口が塩のごとく、たちどころに効き目をみせることを願います44。癒やしの術は少女のごとく、順調に成熟しますように。施術師は「そのとおりだ」との誉れを得るもの。施術師は謗られることなし。「私はかつて子供を産めませんでした。でもチャリと呼ばれる女性、その癒やし名をムチェムェンド(Muchemwendo45)という女性に会ったときです。ああ、私はこの女性に救われたのだと私は思います。」 今日、今、私は彼女のためにこの鍋を置きます。この鍋はできればンゴマとともにありたいもの。できればそれで踊る(kuvina)歌、まさにンゴマそのものの歌とともにありたいもの。この鍋は(ムルング子神の黒い)布とともにありたいもの。でも、鍋の湯気を浴びれば、鍋は熱気を出し、単に身体を焼く汗ではなく、良き汗をもたらす。私が求めているのはつつがなきことです。争いはございません。 私はこの鍋を、あなたムルング子神3に差し出します。憑依霊アラブ人46もごいっしょに、バラワ人47もごいっしょに。サンズア48、ブルシ49、ムクヮビ人50、天上のキツィンバカジ14も池のキツィンバカジも、地下のペポコマ51も池のペポコマもごいっしょに。あなたガラ人52、ボニ人53、ダハロ人54、コロンゴ人55、あなたコロメア人57。あなたドゥングマレ60、ジム61、キズカ62、スンドゥジ63、ドエ人64。ドエ人またの名をムリマンガオ65。あなた奴隷66、またの名をンギンドゥ人56。皆さん全員、どうかこの鍋をお受け取りください。あなたデナ35とニャリ36、キユガアガンガ67、ルキ68とムビリキモ38、カレ69とガシャ70。あなたレロニレロ71、あなたマンダーノ39、プンガヘワ子神76。あなたがた皆さん、どうかこの鍋をお受け取りください。
6340
私はこの鍋に、子供を望んでいます。今年が終わらないうちに、子供が背負われていますように。最初に、この小雨季に望みます。だって今は12月。1月には妊娠していますように。1月に妊娠、人々がトウモロコシを収穫する頃には、子供が産まれている。(そうすれば)私は、その通りだったとわかるでしょう。騙されてはいなかったと。 私は癒やしの術(uganga)をバンジュ・ワ・ムレマ、それとメズマから与えられました77。その後、再び後戻りして、癒やしの術をフピ・ワ・ンゴメとマシュディ・ワ・マンガーレによって癒やしの術を与えられることになりました。その後、後戻りして、ムワカとニャマウィによって与えられました。さらにキジとチャイによって与えられました。そしてムァインジとアンザジによって与えられました。この二人は夫婦(mutu na muchewe78)です。こんな風に、私に癒やしの術を授けたこれらの人々が全員、正しい草木(mihi)を示してくれなかったということがあるでしょうか?私自身にとっては、それはどうでも良いことです。この方たちは言わば証人で、私は癒やしの術を人から与えられたわけではないからです。私は自分で発狂し、草木も自分で探し集めたのです。私は癒やしの術を人から与えられたのではありません。癒やしの術を私は祖霊(k'oma)とムルングによってあたえられました。そして世界導師(mwalimu dunia)によって与えられました。こうして、私は進んできたのです。私は世界導師こそ、私の(施術上の)父であり母であると申します。でも、私は証人の方々も手に入れました。こうして今日、バンジュによってそうするよう言われたことを、私はそのとおりに行います。そしてそのように言われたやり方で、効き目が出ますように(vikole)願います。私はこの鍋に子供を望んでいます。この鍋を据えた今、私たちが徹夜のンゴマを打つその日に、私は何を見ることになっているでしょうか?(この患者が無事に出産し終えた)子供を見ているはずなのです。今ここで、私たちは小さい歌(kawira)を打ってもよいかもしれません。その小さい歌は、同じく祈願のための歌です。そんなにたくさんではないです。でも大事なのは、子供(瓢箪子供)の口を穿つ(最後の徹夜の)ンゴマです。今は、私は瓢箪子供に口を穿ちません。私が(本物の)赤ん坊をこの目にするまでは。プッ。ビスミラーイ。
H: では、外のキザはキツィンバカジのためのものなのですか?で、小屋の中のキザは... Chari: ムルングのためのキザ。 H: ムルングの。 C: ムルングはキツィンバカジたちの母親なんだよ。人がこんな風に言うのを聞いたことない? ヴィツィンバカジ(vitsimbakazi pl. of chitsimbakazi)・ムルング。ヴィツィンバカジとムルング、それはまったく同じものなんだよ。 Woman: よく池の夢を見るのよ。そこはヘビがいっぱいいて、どこに足を踏み入れてもヘビばかりなの。 C: そいつらはムルングでしょ。 W: ムルングね。この手の夢ばかり、私の日課みたいに。かと思うと、夢... C: ところでアラビアゴムノキ(chikpwata)、ここにあったっけ? W: ええ、あります。 H: というわけでこの鍋の湯気を浴びさせるのですね。 C: そのあと、まず小屋の中で沐浴して、そのあとあちらの外に行って沐浴する。ちょっとジェレさん、ここに置きましょうか。それともずっと離れたところに置きましょうか。 W: ここではいかが?
6342 (瓢箪をムルングの香料で燻しながら唱えごと)
Chari: あなた、子供(瓢箪子供)は草木、草木は子供、使いに出されると、使いを果たす。さて、今、私はここにやってきました。鍋を差し出しにやってきました。ンカウリに鍋を与えにやってきました。瓢箪子供を彼女に与えにやってきました。 瓢箪のこの子供は祈願の子供です。私は、彼女がこの鍋の湯気を浴び、池で水浴びし、池で水浴びし、煎じ薬を飲むようにと願います。そしてこの鍋が終わったら、この者が子供をなすことを望みます。私がこのあなたの瓢箪(chirenje)の子供を差し出すのは、二本の脚をもった子供がほしいからです。このあなたの子供は、ああ私はその口を穿ちません。本物の子供をこの目にするまでは。子供が生まれたなら、そこで私はやってきてあなたの子どもの口を開いて差し上げます。 この(瓢箪の)子供を、どうか皆さま方しっかりお護りください。そして彼女の腹が心地よくなること(出産すること)を、私は望みます。腹が心地よくなれば、私はンゴマを催して、瓢箪子どもの口をあけにやってまいります。でもさしあたって今は、私は祈ります。この子供は、祈願の瓢箪(chivoyero)と呼ばれます。祈願の瓢箪です。この段階で、私自身が先走ってンゴマを開催して、いったいなんの美味しさが感じられるというのでしょう?人はまず美味しさを経験して初めて、ンゴマを打つものでしょう。それが徹夜からそのまま日暮れまでのンゴマだったとしても、だめだとは申しません。でも、実際の子供を目にしてからです。私は(本当の)子供をこの目で見るまでは、この子供の口はあけません。そして今、私はこの子供を、患者自身に与えます。この子供が、彼女の腹のなかに子供をなさせますように願います。この鍋に何をしてもらいたいのでしょう?この鍋が彼女の救いになってほしいのです。そしてあちらの池も彼女を救いますように。 さて、私は施術師が謗られないことを望みます。施術師はそのとおりだと言われるものです。私は癒やしの術を盗んではいません。私はムルング子神の癒やしの術を、バンジュ父さんから与えられました。私は癒やしの術の開始を望みます。順調に始まるようにと願います。
Chari: ヒリリリリリリリ(長声、4回繰り返す)。ふうう。後は唱えるだけ。ああ、息が苦しい。身体も火照っているし。 (唱えごと開始) プッ(唾液を吐く)。ビスミラーイ、ラフマ―ニラヒーム。うう。さて私はお話しいたします。こんな時間にお話しするつもりはありませんでした。私はお話しいたします。私がお話しするとすれば、ンカウリのためにお話しするのです。 (患者に向かって)ンカウリだったよね。 Patient: はい。 C: この者は父と母とから産まれました。ムルングの被造物として生まれました。ムルングの人です。なのに苦しんでいます。彼女にとっての苦しみは病気です。まず頭痛から始まり、目眩、背中、肺、そして腹です。腹は音をたてる、腹は針を刺される、腹は重苦しい。腰は切り折れる、脚は折れ壊れる。身体じゅうどうしようもない。身体に寒気が入り込む。人々が占いに行った所、私たちはあなたがた世界の住人79の皆さまのせいだと言われました。 さて皆さまがたに、私はお願いいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu80)の方々に、ニェンゼ81の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga82)、子神トロ(mwanatoro83)、子神マユンガ(mwanamayunga84)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga85)、キンビカヤ(chimbikaya86)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera87)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)、皆さまにお祈りいたします。でも、私がお話しするとしたら、私はあなたムルング子神、砦の主(mwenye ngome90)にお話しいたします。もしかしたらお客人たちがいらっしゃるかもしれません。でもその人たちはあなたのお子さんたちです。
6344
C: ムルング子神。あなたに続くのが、ペーポー子神(mwana p'ep'o91)。バラワ人(mubarawa47)、サンズア(sanzua48)、ムクヮビ人(mukpwaphi50)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi14 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma51 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。あなたガラ人(mugala52)、ボニ人(muboni53)、ダハロ人(mudahalo54)、コロンゴ人(mukorongo55)、あなたコロメア人(mukoromea57)、ドゥングマレ(dungumale60)、ジム(zimu61)、キズカ(chizuka62)、スンドゥジ(sunduzi63)、ドエ人(mudoe64)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao65)。あなた奴隷(mutumwa66)、またの名をンギンドゥ人(mungindo56)。あなたデナ(dena35)とニャリ(nyari36)、キユガアガンガ(chiyugaaganga67)、ルキ(luki68)、ムビリキモ(mbilichimo38)、カレ(kare69)とガーシャ(gasha70)、レロニレロ(rero ni rero71)、あなたプンガヘワ(pungahewa76)子神。イキリク(74)とともに、あなたディゴ人(mudigo92)もいます。あなたディゴ人、またの名をディゴの女(muchetu wa chidigo)、狂気を煮る者(mujita k'oma)。あなたシェラの女(muchetu wa shera72)、心をホウキで掃くシェラ(shera usheraye moyo)、頭もホウキで掃き、腹もホウキで掃き、脚もホウキで掃き、心臓もホウキで掃く。私はおしずまりくださいと申します。おしずまりくださいと申します。おしずまりくださいという言葉には耳を傾けるものではないでしょうか。 私は皆さま方におだやかにと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai93)もいます。あなたゴロゴシ(gologoshi94)、ンガイ(ngai95)、カンバ人(mukamba96)、カヴィロンド人(mukavirondo59)、マウィヤ人(mawiya97)、ナンディ人(munandi58)、マニェマ人(mumanyema105)。私は皆さま方におだやかにと申します。私は、あなた白人106にもおだやかにと申します。おだやかにと申します。皆さま方におしずまりくださいと申します。おだやかに、ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo107)、ムガマーニ(Mugamani)のサンブル(Samburu、地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe108)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 キツァンゼの池の方々、マンゲラの池の方々にも、私はおだやかにと申します。キンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の方々に、キグルフュラ(Chigulu fyula 池の名前)の方々に、おしずまりくださいと申します。ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の、高い木々の、キリマンジャロの、皆さま方におしずまりくださいと申します。
6345
Chari: 今日、今、私は祈ります。私は子供を願います。その者の子供はすでに大きくなったのに、まだその仲間を産んでもらえておりません。それはあなたムルング子神のせいだと言われております。あなたマレラ(marera 育てる者)、女性を育て、男性を育て、昼に夜に育てる者よ。もしあなたムルング子神のせいで、あなたが瓢箪子供と、鍋と、キザを欲しておられたせいだというのなら、今日、私は鍋と子供(瓢箪)とキザ、さらにもう一つのキザ、それに煎じる薬を差し出しに参りました。 さて、施術師は謗られず、そのとおりだとの誉れを得るもの。私は、私の口が、私が申し上げるとおりに、私の開いた口が塩のごとく効き目をあらわせと願います。私は癒やしの術が、少女のごとく成熟せよと願います。私は癒やしの術が、池の水のごとく満ちよと願います。私は皆さま方におしずまりくださいと申します。おしずまりくださいと申します。そしておしずまりくださいの言葉には耳を傾けるものです。私は子供を祈願いたします。私は哀願いたします、私の兄弟の皆さま。この子供(瓢箪)に関しましては、私はその口を穿ちません。口を穿ちません。この目で(生まれてきた)子供を見るまでは。そのときにこそ、この(瓢箪の)子供の口をお開けいたします。もし祈願のためだけの小カヤンバをとおっしゃるなら、皆さま方にそれを差し上げに参ります。でも現在、彼女の夫が不在のため、私はいつ開くと日にちをお約束は出来ません。でも祈願のための小カヤンバでしたら、皆さま方に差し上げます。しかしながら(瓢箪)子供の口を開けることについては、2本の脚のある子供を実際に目で見てから、そしてその子供が(出産後の籠もりの期間を終え)外に出されるのを見てからです。そのときに(瓢箪)子供の口を開けさせていただきます。 というわけで、あなたムルング子神、どうかお聞きください。私が望んでいるのは子供です。あなたにおだやかにと申し上げます。どうか御主人様、私はおしずまりくださいと申します。もしかして、あなたが騙されていたとおっしゃるのでしたら、あなたが騙されていたのは昨日、一昨日のこと(もう過ぎたこと)、私はあなたを騙したことはございません。こうして今日、子供はその母親になにか言われたなら、それに耳を傾けるものです。今日、私はあなたに何を差し上げましたか?私は鍋を差し上げました。瓢箪を差し上げました。さらに池と(煎じる)薬を差し上げました、御主人様。
6346 (チャリは患者にその後の指示を与える。録音は途中から。)
Chari: (外のキザでの)水浴びを終えたら、この子(瓢箪)をチェックしてね。というのもこんな風にしておくと、シロアリがたかるかもしれないから。7日のあいだ。 Patient: その後は? C: その後は、私が来てこの鍋の中身を捨てます。それから私のすべきことあれこれをいたします。じゃあ、外に行きましょう。あなたに水をかけてあげますね。
6347 (外のキザでの唱えごと)
Chari: さて、私はお話しいたします。このような時間にお話しするつもりはありませんでした。私がお話しするとすれば、それはンカウリさんのためです。どうかおだやかに。私はお願いいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu80)の方々に、ニェンゼ81の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga)、子神トロ(mwanatoro)、子神マユンガ(mwanamayunga)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga)、キンビカヤ(chimbikaya)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera)、そして子神サンバラ人(mwana musambala)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi)、皆さまにお祈りいたします。 ムルング子神。あなたに続くのが、ペーポー子神(mwana p'ep'o)。バラワ人(mubarawa)、サンズア(sanzua)、ムクヮビ人(mukpwaphi)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。 あなたキツィンバカジ、おだやかにと申します。こうして今、私はあなたがたにこの外のキザを差し上げます。このキザで水浴びなさってください。このキザに私は何を望んでいるのでしょうか?私がこのキザに望んでいるのは子供です。2本の脚をもって生まれてくる本物の子供です。さらに私は、この小雨季(vuri)が終わらないうちに、この者が腹に子供をなすことを望んでおります。これこそ私が望んでいることです。もし歌(カヤンバ)をお望みだというのなら、皆さま方はそれを手に入れることになるでしょう。でも今は、どうか解きほどいてください。それも十分に解きほどいてください。 (Chariはキザの薬液で患者を洗ってやる) C: さあ、解いてください、彼女の腹を解きほどいてください。頭を解きほどいてください。目眩を解いてください。心臓も、そのたあらゆる場所も、問題が消え去るように。私が欲しがっているのは子供です。こうして本心から祈りに参っているのです。ああ! (Chariは薬液についての指示を与える) C: このキザの水が少なくなりすぎないようにしてね。でもしっかり飲んでちょうだい。ね、この水、美味しいでしょ。さあ、飲んで。3回飲んで。