施術師就任を前にしたTusheのための「招待の鍋」

概要

Nov.8, 1991に憑依霊ドゥルマ人の「鍋」を始めたTusheTusheのための憑依霊ドゥルマ人の「鍋」だが、私の個人的予想に反して12日間しっかり湯気浴びが行われた。施術師就任のンゴマ(ngoma ya kulavya nze1)は予定では11月22日の夜に開催されることになっていたので、ドゥルマ人の鍋に12日かけてしまうと、憑依霊全般(世界の住人 arumwengu2)のための4日間の鍋が難しくなるので、ドゥルマ人の鍋は短縮されるだろうと思っていたのだ。そんなに大事だったのか、憑依霊ドゥルマ人対策は。

しかもChari自身のための、シェラ(shera)、憑依霊ディゴ人(mudigo)、ライカ(laika)の3種類の憑依霊の施術師就任のンゴマ--これまでに2回も異なる施術上の父母によって受けていたのだが、手続き上に間違いがあって(チャリ談)うまくいっておらず、これが3度目の挑戦になる--が11月18日の夜から19日の日暮れまで予定されていた。あまりにも過密なスケジュール。11月9日の夜にも徹夜のカヤンバ(Chari自身の「月のカヤンバ」see kinds of kayambaの予定をキャンセルして、Chariの施術上の子供である女性のためのcherekoの瓢箪子供を授けるカヤンバを開いた)を主宰し、11月16日の夜もNgonzini3の施術上の子供のための徹夜のカヤンバ主宰したばかり。

私が憂慮していた通り、Tusheのための「招待の鍋」は11月20日に据えられた。本来は4日間の鍋なのだが、場合によっては2日でいいのだという。朝夕2回kudzifukiza し、キザを浴びる。この日の晩に始めると22日の朝にちょうど4回が終わるから、これでいいのだと言う。いいのか? 憑依霊全般に対して、ンゴマを告知し、鍋に招待して、当日機嫌よく踊ってトラブルを起こさないよう頼むのが目的である。

(from diary) Nov.20, 1991, Wed, kpwisha 目覚めても疲れが残っていたが4、Murinaたちのことが気になったので、ちょっと様子を見るつもりで訪問。Mwanakombo(昨日来ていて、Bang'a5の帰りにMurinaのところに荷物を届けたときにであっていた)6たちに対するkuphendula7が始まるところだった。それに参加。午後TusheのNyungu ya kurongeshaを据えると言うので、あまり期待していなかったが、一応同行することにする。一発目、学業不振の青年に対するfyulamoyo8のkuphendula7。すっかり慣れたkuphendulaの手順。3時に再訪すると、まだMwanakomboたちに対するugangaの続き。Mwamakomboのmukakazi Chiziに対するtego9の治療と、Mwanakombo に対するkutsodza10。Tegoの治療は面白かったのだが(呪文が)、テープレコーダの操作をミスって録音失敗。どうも外部マイクにしてからミスが目立つ。昨日のkayambaでも録音したつもりであった箇所がすっぽり抜け落ちていた。....(中略)... 5時過ぎて、ようやくkurongeshaが始まる。単に普通にnyunguを据えるだけだと思っていたら、Chari, Murina, Tabu, Muchenzala11の4人でTusheを囲んでいきなりkayamba12を打ち始めたのでびっくり。ぼんやりしてたら、お前も入れと言われて打つ。8時過ぎにキジヤモンゾに帰る。TusheはあさってのngomaまでChariの家で過ごす。あさってのNgoma はngoma zenye13だそうだ。

施術師

MurinaとChari夫妻。男性施術師Chaiはンゴマ当日に来訪予定。 患者はTushe(本名Umazi)、Chariの施術上の子供(mwana wa chiganga)14

「世界の住人 arumwengu」の「招待の鍋nyungu ya kurongesha」設置の流れ

(1991年11月20日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートにおけるもの。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

【Umazi(Tushe)のための kumita nyungu ya kurongesha】

mihi ya mulungu15 mulagap'ala(Croton pseudopulchellus; =muyama(?) kalagapala, chilagapala) chinukamuhondo(Sesbania sesban, Egyptian riverhemp; =mwamusunza mwamutsanza)16 etc.

朝夕ku-ohaする17 その後vuoでkoga18 4回、つまり今晩始めると明後日(Nov. 22)の朝に終了

(1)chinukamuhondoを手に持ってnyunguの端に置き makokoteri chinukamuhondoの唱えごと (DB 4065-4066)ドゥルマ語テキスト 次いでTusheがmakokoteri Tusheによる唱えごと (DB 4067-4069)ドゥルマ語テキスト
(2)nyunguの中に集めてきたmihiを次々に円を描くように詰めていく

(3)chivumbani(luvumbani?=Ocimum gratissimum)で作ったmwingo、およびnzugaを用意

(4)nyunguとchizaの用意ができると、Tusheを座らせ、mulunguの布19 頭からすっぽりかぶせ、kayambaを打つ(Murina、Chari、私、Chari の2人の娘) カヤンバ開始 (DB 4070)ドゥルマ語テキスト カヤンバ演奏曲 (DB 4071-4076)ドゥルマ語テキスト
(5)Tushe、golomokpwa20する mwingo21とnzuga22を渡して、ngomaを告げる その後Chari, Tusheにkudzifukiza23のやり方教示 Tusheが持ってきたkuni24をくべて kujita nyungu25 憑依状態のトゥシェに唱えごと (DB 4077-4080)ドゥルマ語テキスト

(6)Tusheがnyunguをkufukizaする。kayamba演奏のなかでChariはmakokoteri 鍋の湯気浴び開始 (DB 4080-4082)ドゥルマ語テキスト

今日からTusheはngomaが終了するまで、Chariたちの屋敷で寝泊りし 朝晩 nyunguをkufukizaする。

唱えごとの日本語訳

4065 (チャリ、キヌカムホンドを持って鍋の縁に手を置き、唱えごと)

Chari: さて、私はお話しします。私がお話しするのはウマジのためです。ウマジはその父と母から、きれいな息をもって生まれました。なのに今、このとき、どうでしょうウマジは。ウマジが発狂したのは昔のことです26。彼女に求められていたもの、それは癒やしの術(uganga)だと言われております。ウマジは長い年月、発狂していました。ついに今や(憑依霊たちと)互いに手を結び合います。そして今や、彼女は癒やしの術を差し出すことを望んでいるのです。 こうして今日、私は鍋を差し出します。この鍋はあなたムルング子神のものです。ムルング子神に続くは憑依霊アラブ人(p'ep'o)27。あなたはバラワ人28、サンズワ29、バルーチ人30、ムクァビ人31、キツィンバカジ32をおもちです。おだやかに、おだやかに皆さま。私は皆さまに「おだやかに」の言葉を発しに参りました。 私は皆さまにおしずまりくださいと申し上げます。そして「おしずまりください」の言葉に皆さまどうかご傾聴ください、私の兄弟の皆さま。こうして、私はウマジのためにこの鍋をお置きします。この鍋が、癒やしの術をほぐし開いてくれますように。癒やしの術が首尾よく輝きますように。

4066

Chari: もし本当にあなたムルング子神によるものであれば、あなたが自分の瓢箪の子供を欲しておられるのなら、あなたの子供はすでに用意されております。もしあなた世界導師、あなたなら、あなたの子供も用意できています。 でもまずは、彼女にこの上なく良い夢33を与えてください。降りてきて、ウマジとともに薬液(vuo)34の水を浴びてください、あたなムァムニィカ35、またの名をヴンザレレ36、偉大なるヘビよ。あなた、バラ・ナ・プワニ(内陸部と海岸部37)よ。あなたこそ、昔からウマジに癒やしの術を求めている者です。あなたは(ウマジの)夢の中にやってきて、彼女のために護符(pingu)を吐き出してお見せになった。あなた世界導師。そしてあなた世界導師こそ、偉大なるムルングその人ですね、あなた。こうして今日、私たちはウマジに鍋を与えます。(癒やしの)仕事のための鍋だと、お知りおきください。この鍋は癒やしの術(uganga)の鍋で、ンゴマはもう明後日です。月の5日目です。施術師たちよ、ご傾聴ください38 H: ムルングの。 C: さあ、私は鍋を差し込みます。

4067 (チャリはトゥシェ(ウマジ)を呼ぶ。ウマジやってきて、チャリに代わって唱えごとを続ける)

Tushe(Umazi): 私の苦難は昔に始まりました。当時、私には調えてくれる者はおりませんでした。なぜなら、もしお前が子供であれば、お前はお前の配偶者(dzumbero)をお待ちなさいと言われるからです。私は自分の配偶者を待ちましたとも。ついに配偶者を得ましたが、彼はまったく関心をもちませんでした。キリスト教徒だったのです。どうしようもありません。相変わらず苦難つづき、苦難つづき。ああ、私はいったいどうなってしまうのでしょう。私はクェチェ(占いの瓢箪の音)をしに行きました。そして憑依霊のせいだと言われたのです。憑依霊たちが癒やしの術を欲しているというのです。さて、本当にあなたがた私の憑依霊たちのしわざだったのですね。あなたがたは知識をおもちでした。あなたがたは癒やしの術の皆さまでした。私は地面に頭を打ちつけました。そして頭を満たし、ついに今では、癒やしの術に通じております。癒やしの術が輝きますように。輝きますように。癒やしの術とはそれです。この鍋は癒やしの術の鍋です。このキザは癒やしの術のキザです。この癒やしの術が輝きますように。もしあなたがた憑依霊が本当に癒やしの術を望んでおられるのであれば。

4068

Tushe: なぜなら私の困難は昔に始まったもの。本当に昔に、まだ私が小さかった頃に始まったのです。クェチェをしてもらって、憑依霊(p'ep'o)だと言われたのです。 Murina: 鍋はもう煮たのかい? T: いいえ、まだよ。煮ないといけないの?じゃあ、もし私のなかに、どこかちょっとした恨みごと(結び目 kafundo)39があるとしたら、ほどけますように。わたしは自分であれこれ奮闘してまいりました。もしなにか「しこり」があるとしたら、徹底的にそのしこりを取り去ったほうが良いでしょう。そもそも私は今や、どこにも悲しむようなことはありません。私のお母さんをすら売り払うにいたった(これは母の遺産として手に入れたウシを売却したことを差している)私のこの奮闘努力についてすら。私は地下の世界(死後の世界)にいる母をすら売ってしまいました。ですから、私はこの癒やしの術が順調に外にでてくることを望んでいるのです。 (トゥシェは口に含んだ水を自分の胸に吹きかける) T: プーッ、プーッ。これでいいかしら、皆さん。 C: ええ。

4069

Murina: 鍋に熱気あれ。 Tushe: 鍋に熱気あれ。そして夢(k'oma)。私はあらゆる種類の夢を見ます。意味のないバカバカしい夢は嫌いです。もし(憑依霊の)皆さま方、皆さま方が癒やしの術の方々なのでしたら、バカバカしい夢は嫌です。私は言葉と良き段取り(の夢)を望みます。皆さま方が癒やしの方々であり、癒やしの術を望んでおられることの証拠となるような。 C: ンゴマの当日に、草木を示していただけることを。 T: やがてンゴマの当日になれば、どうか皆さま方が癒やしの術を本当に求められていることをお示しください。でも、どこか知らない場所に連れて行かれて、夜が明けたら、頭が気の触れた言葉を喋りだす、そんな夢を見せないでください。まずもって、頭がおとなしくしていますように。癒やしの術とはこういうものだと頭が理解しますように。そしてもしお一人、彼女はどうせうまく行かないよとおっしゃる方がいらっしゃるなら、その方、彼女はうまく行くまいよとおっしゃる方は背中に置き去りにして、皆さま方だけ外に出てらしてください。 これでおしまいでいいですか。それともほかに言うべきことがありますか?

4070

Tushe: じゃあ、あとは煮てもらうだけね。 Chari: いやいや、まだ。黒い布はもってる? T: 布は持ってきました。でも向こうにあります。私が来たときに、受け取って行かれたでしょう。真っ黒な布。 (Tushe 黒い布を頭からすっぽりかぶって鍋の前に座る。) (Chari、長声とともに、キザの薬液をトゥシェの頭に振りかける) C: ヒリリリリリ... T: これが一回目。 C: ヒリリリリリ... T: これで二回目。 (以下、7回目まで繰り返す) C: ヒリリリリリ...

長声

T: これで七回目。 C: さてンズガ(nzuga 三日月型の金属製の鈴)を始めてね。こんな風にチャランチャラン ngbwenje ngbwenje、って。カリンボ、どこに腰掛ける?ランプはないの? Muchenzala(Chari's younger daughter): ランプはあるわ。すぐに持ってくる。

4071

Chari: じゃあ、持ってきて。それと(Tusheに)水の入った割れ鍋(chigae)をもってきてあげて。 (ムルング子神の歌、開始) 降りてこい、おだやかに、ムルング子神 エーエ、降りてこい 昨日、私たちはやって来てとまった。ムクセ(=laika mukusi)子神のおやつ。40 お母さんのところに行きましょう、我が子よ 降りてこい、おだやかに、ムルング子神 エーエ、降りてこい

4072

カンガガの池(カイエンガヤツリ41の生えている池)、お前は不思議。 睡蓮の池には不思議があるよ。 私は眠らない。私は(憑依霊の棲み家の)池を畏れている。そうとも。 睡蓮の池には不思議があるよ。

4073

Chari: カリンボ!なんでずっと黙ってるの。歌いなさいよ。ほらあんたのカヤンバよ。 H: はーい。 (歌) ヴンザレレ(東アフリカグリーンマンバ)、ヴンザレレ まさに偉大なるヘビ 後ろをよく見てごらん そいつはビーズの飾り物を身につけているよ

(Murina、歌が繰り返されているあいだにトゥシェに語りかける)

Murina: さあ、我が友人よ。さあ、我が友人よ。

4074

ヘー、蛇、ヘー、蛇、ヘー、蛇 空(mulunguni)の上の方には蛇がいるってさ 争いごとを壊すもの42 おお、蛇、エエ、蛇、エエ、蛇 争いごとを壊すもの、エエ、蛇

4075

私の子どもたちに会いに行かせて、みなさん ムァチェ(地名、川の名44)に私の子どもたちに会いに行かせて ムァチェに、私の子どもたちに会いに行かせて お母さんのところに 私の子どもたちに会いに行かせて

(歌の演奏中、Chariはトゥシェに繰り返し呼びかける)

Chari: 降りなさい、降りなさい。

4076

おぉ 私の蝿追いハタキ お母さん、私の蝿追いハタキ 私はひどい扱いを受けているわ、おぉ、私の蝿追いハタキ 私に蝿追いハタキをちょうだい、施術師の方々 おぉ、私に蝿追いハタキをちょうだい、施術師の方々 私に探索させて(nivoyere)45

(トゥシェ、憑依状態に)

4077

Chari: 皆さん歌いなさいよ。 Tabu(Chari's elder daughter): お父さんにも歌ってもらいましょうよ。(歌い続ける) Murina: ああ、私には歌えないよ、お母さん。 (Chariは彼女に憑いていると思われる霊ムルング子神に語りかける) あなた、あなたに小さな鍋を置いて差し上げましたよ。この小さな鍋は、喜びの鍋ですよ、あなた。癒やしの術(を外にだすため)の鍋ですよ。癒やしの術のための鍋が必要とされていると言われているのです。私たちが言われたことには、その癒やしの術はあなたムルング子神の癒やしの術なのです。わたしたちはあなたがたにあなたがたの鍋を差し上げます、あなた。わたしたちは、仕事が必要とされていると言われております、あなた。だからお互いに理解し合いましょう。私はあなたに小さな鍋を差し上げましょう。私はあなたこそが、あなた、仕事を欲しがっていると言われております。バラ・ナ・プワニ37もいらっしゃいます。でもあなた、それはあなたでもあるのでしょう?あなたじゃないのですか? (中断) Chari: ちょっとそのランプをちょうだい。 (唱えごと再開) Chari: わたしは仕事が外に出てくるよう望んでいます、あなた。ほら蝿追いハタキ(mwingo)ですよ。これは何かを探索する(見出す)ための蝿追いハタキです、この蝿追いハタキは。降りてきてください。 (歌はキツィンバカジの歌に変わる)

4078

キツィンバカジ ムルング子神 ムルング あなたには不思議がある、あなた ああ、池 わたしンダワは苦しめられている ウェー わたしはわたしのムルングに祈ります ムルング あなたには不思議がある、あなた わたしは池に わたしンダワは苦しめられている ウェー わたしはムルングに祈ります 雨が打ちつけてきたら何を背負えばいいの?

4079

Chari: ムルングはまさしくキツィンバカジ。降りてきてください。降りてきてください。さあ、わたしの友よ。わたしの友よ、あなたに小さな鍋を差し上げます、あなた。仕事の鍋です。さあ、今、鍋をお受け取りくださることを願います。これが招待の鍋です、これが、あなた。さらに後ほど、あなた自身のキティティ(chititi 占いに使用する小さい瓢箪のマラカス)も差し上げます。鍋、こちらがムァキヴチェ(mwachivuche 施術用語で「蒸気」、ここでは鍋nyunguを指す)ですよ、あなた。そしてこちらがムブソ(バチャバチャ mubuso、ku-but'a 池や川などの水場で水をバチャバチャさせて遊ぶ、より、ここではキザchiza46を指す)ですよ、ムブソ。それは仕事のためのもの。さあ、わたしの友よ。ムァキヴチェご覧になりましたか。ご覧になって、首尾よくお受け取りいただけましたか? Tushe:(憑依状態で)えぇぇぇぇ! C: 仕事についても、のちに私たちはしっかり見ることになるでしょうね、わたしの友よ。ムルングとその仕事について祈りましょうね、あなた。あなた、バラ・ナ・プワニの仕事も、そして憑依霊ドゥルマ人の仕事も。わたしの友よ、仕事こそ私たちが望んでいるもの。私たちは(さまざまな病気の原因に)仕事があるとだけ言われています。私たちには、その仕事の問題がいつ始まったのかは、わかりません。仕事があるとだけ言われています。私たちはそれについて知りません。

4080

Chari: でも今や、私たちはムァキヴチェを差し出しました。仕事のムァキヴチェです。ンゴマもすでに明後日ですよ、わたしの友よ。 (唱えごと中断、ChariはTusheに普通の口調で鍋の蒸気を浴びる際の注意を与える) C: この鍋は、ここに置いておきます。そしてンズガ(nzuga)はここに。蒸気を浴び終わったらチャラン、チャラン、チャラン、チャラン。 Murina: さて、鍋を火にかけようかね。 C: (Tusheに)さあ、あそこにある薪を焚べて。(Hに)彼女自身に薪を持ってこさせて、来て焚べさせ、すぐに湯気を浴びさせる。そうしないと効果がないのよ。 M: (Hに)彼女が湯気を浴びるとき、このンズガは腕につけておくのさ。 C: そして彼女のキヴンバニ(を束ねて作った蝿追いハタキ)。そしてカヤンバもここに。 (Tushe戻って鍋を火にかけ、kudzifukizaの準備を調える。) (カヤンバが演奏されムルング子神の歌が歌われる中、チャリが唱えごと) C: さてあなたムルング子神。わたしたちは鍋を差し出しています。この鍋は、そう仕事の鍋なのです。

4081

Chari: 別の鍋については、すでに差し上げています。憑依霊ドゥルマ人たちでしたら、すでに仕事について告げるための彼らの鍋を与えています。今、今日はこの鍋です。鍋よ、熱気あれ。それも、癒やしの術と癒やしの術の夢47にふさわしい熱気を。さらにンゴマの当日には、どうか皆さま、彼女に草木をお示しください。彼女が自分でブッシュに入り、自分で草木を折り採って来て、私たちに彼女は本当に求められているのだと知らしめてください。 でも私たちは、彼女がたしかに仕事を求められているのだということを、確信してはいます。というのも(彼女の病気は)子供のときに始まっていたからです。いまこそ、皆さま方、仕事に降りてきてください。あなたムルング子神、どうか降りてきてください。北の皆さま(a kpwa vuri)も、南(a kpwa mwaka)の皆さまも、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまも、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまも、ブグブグ(bugubugu48)の方々も、ニェンゼ49の小池の方々も、皆さま降りてきてください。降りてきてください、ミドゥングニ(lemon scented knobwood,高木)の方々、おだやかに。降りてきてください、キンガンギーニ(Ching'ang'ini 池の名前)の方々、おだやかに。降りてきてください、キンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の方々、降りてきてください、マレレ(Marere 淵の名前)の方々。皆さまそろって降りてきてください、キグルフュラ(Chigulu fyula 池の名前)の方々、ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の、キリマンジャロの高い木々の方々。

4082

Chari: 皆さまそろって、世界導師(mwalimu dunia)37の仲間の方々。あなた世界導師、またの名をカリマンジャロ(kalimanjaro)50。あなたバラ・ナ・プワニ、あなたジャバレ導師(mwalimu jabale)51。わたしはおしずまりくださいと申します。この仕事、この鍋は仕事の鍋です。ここにおわしますあなたムルング、そこはあなたバラ・ナ・プワニのおわすところ。これなる鍋、この鍋、どうか二本の腕でお受け取りください。憑依霊ペンバ人の皆さまのおられるところ、皆さま、わたしの兄弟の皆さまも。どうか皆さま力を合わせて、この人間の者であるこの者に仕事をお与えください。どうして彼女は苦しんでいるのでしょう。おだやかに。どうかムツァンゾーニ(mutsanzoni 「外に出す」施術師就任のンゴマの際に草木が示される場所を指示する施術師用語)に、わたしは皆さまを心から招待したいのです。皆さま方に招待の鍋を差し上げるのです。この鍋の湯気を浴び、外に出て草木を折り採ってきますように。彼女が眠れば、皆さま彼女に草木を見せてあげてください。この鍋は招待の鍋です。 Murina: そしてわたしはテキパキした52癒やしの術を望みます。 C: それこそフピ(Fupi53)さんのところであった話よ。彼女は鞭打たれたのよ。ンズガを手に取ったらもう、追い立てられて。行って草木を折り取ってこいって。無理やりね。 M: 噛みタバコ、食べさせてよ。

注釈


1 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
2 憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ
3 地名。私の小屋の近所のキジヤモンゾの街道分岐点から3キロほどの村域。
4 準備も含めると11月18日の午前中からはじまったチャリの3憑依霊シェラ、ムディゴ、ライカについての施術師就任のンゴマは、その日の夜からの徹夜の歌と踊り、次の日の早朝の「嗅ぎ出しkuzuza」と「重荷下ろしkuphula mizigo」の連続で、ほとんど仮眠もとらないまま夕方まで続いた。
5 地名。11月18日から11月19日のチャリの「重荷下ろし」を含む施術師就任のカヤンバはBang'aの施術師夫妻Mwainzi&Anzaziの屋敷で行われた。
6 Murinaの分類上の姉妹(FBD)。その夫は9月30日にキナンゴ病院で死亡。夫を殺した妖術使いが、残された二人の妻(Mwanakomboと僚妻)に攻撃を向けたとの占いの結果を受けて、Murinaに治療(kuphendula)を求めに来ていた。
7 「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。
8 妖術の一種。さまざまな症状を示す。自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がするなど。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo mwenye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye( mbayumbayu, mbonbg'e) etc.
9 男性性器からの膿と痛みを伴う症状。妖術 utsai あるいは呪詛 chirapho によって引き起こされる。ku-hega t'ego 姦通の防止に夫が妻の性器に仕掛けた呪詛 chirapho、もし他人がこの女性と寝ると tego になる。t'ego にはさまざまな種類がある。例えば t'ego ya diya 「犬のテゴ」妻の不義を防ぐため部屋の入口にしかけ、もし誰かが妻と性交すると、彼の性器はワギナに挟まれて抜けなくなる、など。
10 ku-tsodza tsoga 妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。tsoga は薬を刷り込まれた傷。憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を刷り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
11 TabuはChariの長女、MuchenzalaはChariの次女。この年には両者とも未婚
12 憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(makayamba=pl. of kayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にmuturituriの実を入れてガラガラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。
13 木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもngomaと総称される。憑依霊の踊りの催しにはngomaよりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にmuturituriの実を入れてガラガラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれるが、使用楽器によらず、いずれもngomaと呼ばれることが多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれる。
14 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji)とも呼ばれる。彼らは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
15 mihi=草木(muhiの複数形)、mihi ya mulungu=ムルングの草木、つまり憑依霊ムルング(ムルング子神)の治療に使われる草木群のこと
16 ムルングの鍋のメインになる草木。別名 mwamusunza、mwamutsanzaとも。学名Sesbania sesban(Egyptian riverhemp)。chinukamuhondoドゥルマ語で文字通りには「明後日も匂う」あるいは「明後日の香り」の意。
17 (火や日光に)あたる、(火に)かける。「鍋」の文脈では kudzifukiza に同じ。
18 ku-oga(koga)「浴びる」
19 ムルングの布=黒い(実際には紺色の)布
20 憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になること。受動形のみで用いるが。ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。
21 施術師が「嗅ぎ出し」ku-zuzaなどで使用する短い柄の蝿追いハタキ(fly-whisk)。
22 三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
23 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
24
25 ku-jita「煮る」、「料理する」、「煎じる」
26 「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を mtso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
27 憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
28 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
29 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
30 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
31 憑依霊ムクァビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクァビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクァビを語る。ムクァビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クァビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクァビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
32 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
33 祖霊。祖霊は夢に現れてさまざまなメッセージを子孫に伝える。子供を残した者のみが死後、祖霊になる。k'omaという言葉は「夢」ndoso の同義語でもある。
34 pl. mavuo、「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
35 大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ36。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
36 猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps
37 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu duniaは世界導師(mwalimu dunia)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
38 2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
39 fundoは縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをkuhatsaと呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、kuhatsaの手続きがしばしば挿入される。
40 歌の翻訳はいつも難しい。多くのドゥルマの人々も歌の意味については詳しく解説できない。mukuseは laika mukusiのことだという人もいるが、mukuse の歌はムルング子神で歌われる歌なので、ムルング子神の別名だという人もいる。dunda についてもちょっと厄介。動詞の ku-dunda は鳥が「降り立つ」以外に「動悸がする」「繰り返し打つ」などの意味があり、hwakudza dunda までなら「私たちは降り立った」で、その前の部分の「降りてこい」と呼応している。しかしその後に続く ra は、英語のofにあたる所有関係を示す言葉で、dunda は名詞(単数形 dunda, 複数形 madunda)で、dunda ra mwana mukuse でムクセ子神の嗜好品(dundaは名詞ではタバコや酒のような滋養にならない non-essential luxury foodの意味になる)となる。和歌などでいうところの掛詞になっているのかもしれない。という具合で、歌の歌詞の翻訳は、私のようなドゥルマ語の素人には歯が立たない。というわけで、日本語訳は参考程度にしておいていただきたい。
41 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
42 muvunzakondo43はムクロジ属の木の名。憑依霊ムルング子神の草木の一つ。ここではその名が由来する ku-vunza kondo「争いごとを破壊する=終わらせる」の意を表に出している。
43 ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
44 クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoniと呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
45 ku-voyeraは ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
46 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
47 k'oma が癒やしの術(uganga)が継承されてきた祖霊(k'oma)を差しているのか、癒やしの術にふさわしい夢(k'oma)を差しているのか、この文脈からだけでは不明。
48 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
49 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
50 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。かつて憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語られていたが、後には憑依霊ドゥルマ人(女性)だとされた。一方使用する草木は、世界導師の草木と同じ。
51 スワヒリ語 jabali 「岩、岩山」ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。
52 テキパキした仕事ぶり、スピード感のある動作を現すスワヒリ語の副詞的表現。ku-chapa「鞭打つ」より。それが続いてのChariの発言に引き継がれている。
53 Fupi wa Ngome。Chariの二人目の施術上の母。彼女のもとでChariは世界導師、憑依霊ドゥルマ人その他の霊について「外に出した」。Chariは彼女の影響を大きく受けている。後に不和になり決裂。