老婆Mariamuのための「鍋」設置

概要

(from diary) Sept. 5, 1991, Thu, kpwisha

午前中、キナンゴに行く途中でまたチャリのところに寄って、mburuga1の録音。すでに始まっていた。Bekozaの屋敷から来た二人連れの女性。mburuga終了の際のmganga2の選択に関していろいろあって、nyari4のnyungu12やmapande8を整えるのは結局チャリの仕事になる。午後2時出発ということになる。チャリに頼まれてmbuzi14の肉を買いにキナンゴまで走る。 (中略)道々mihi15を集めながら,ugangani3に出発。こうして歩いているときにチャリとムリナが交わしている会話は面白そうだが、よくわからないところも多々。これからはこうしたときにも録音の用意をしておくべき?uganga終了はすでに夜8時近い。真っ暗な道を帰る。

Chariのもとに占いに来たのは二人の女性、Chariはすぐに患者が彼女らの母であることを言い当て、その主症状(物がつかめないほど手が痛いなど)も当てる。途中Chari自身が憑依されてしまい、占いの客そっちのけで延々と自分の夫に対して妖術に対する対処をアドバイスし始めるというハプニングはあったが、その後は順調に、患者とその家族が、もっぱら妖術の治療(nyoka wa tambo etc.16)のみを施してきたこと、その患者自身が憑依霊の施術師であること、すでに以前からその活動を止めていることも言い当てる。驚く相談者たち。患者の癒やしの術が停止させられた原因は、特定の憑依霊たちを怒らせたためで、彼らを満足させれば、彼女の施術師としての活動も再開する。その第一歩が、ニャリに対する「鍋」治療だという話になる。 占いのテクスト:占いの開始より治療の打ち合わせまで: (DB 2739-2797)

施術師

治療に当たる男女の施術師の選択17でも少し曲折はあったが、結局、相談者たちの希望で、ChariとMurinaが治療に当たることになる。今日にでも来てほしいということで、あわただしく出発の準備。

ニャリの「鍋」設置の流れ

(1991年9月5日のフィールドノートより) Nyari のnyunguとは別に、laika18 のchiza cha konze を小屋の外に設置。 chiza cha nyumbani はNyariのnyunguとセット

14:00 uganganiに出発、途中のChirazini川でmihiを集める34 jengatsongo(laika) musindaalume (shera35) mukunguma (shera) boko (nyari boko) chivumanyuki(alt. chivumanyuchi) (mulungu) mukangaga mupholong'ondo (laika) munyika nzovu (nyari 葉と根を用いる) muhumba (nyari 根を用いる) muvumo (mulungu) mulozi (nyari for nyungu) ---------------------------- mubono mubono nyono mubono nyono nzovu ndongaに入れると「喋る」(?)

Nyariの nyungu は終了すると施術師の手によってその中身を捨てる。 病人自身が捨てると kpwayuka38

16:00 Bekozaの屋敷に到着 (1)chinu(chiza cha konze ya laika)39 vurini40に向けて据える 周囲にmukangagaを植える(差す)mupholong'ondoを二箇所に chinuをアーチ状にまたぐように木の枝(mukone)をまげて地面に突き刺す。 枝には三色(chiru, cheruphe, cha mulungu)のchidemu41 (2)nyariのnyunguにはmihi ya pwani(シナモンなどの香辛料も)42とmihi ya bara[^mihi_bara] ともに使う。 (3)空のnyunguにjembeの先(chiserema43)を手に持ってmakokoteri44後、nyunguの底に 置く。 (DB 2798-2800) ドゥルマ語テクスト (4)chinuにmihi ya pwaniを入れて kuphonda45。細かく砕かれたものを取り出して 紙に包んでおく。 (5)Murina、nyunguにmihiを詰めていく。mihi ya pwaniを加える。 (6)chikaphu46にmihiの葉をしごき取って入れる。それをchinuに詰め、水を加える。 (7)Chari、赤いchidemuにmavumba47を入れ、laikaとdena7のndongaの中身をたらす。 (8)kuku wa kundu48(ひよこ)、蹴爪の一部を切り落とし切り口をchinuの水につける。 このkukuはkatsinzwa49。施術師がもって帰る。 (9)kuphondaしたmavumbaをnyunguに入れてmakokoteri 途中で左手にkukuをもち、kukuの足をnyunguにつける (DB 2801-2802) ドゥルマ語テクスト (10)家の中にnyunguを入れてmakokoteri (11)chiza cha nyumbani をvuriniに向けて置く。 その前にnyunguを置いて,mukongo50の頭に5回chizaの水をかけ,makokoteri (DB 2803-2807) ドゥルマ語テクスト (12)chiza cha konze(chinu)の前にmukongoを座らせてmakokoteri laikaのngata33と、nyariのmapande8をMariamuの右腕に巻きつける。 (DB 2808) (13)その後、「念のため」と言って、再度(イスラム系の霊に対する言及も加えて) ムルングと憑依霊全般に対する短いmakokoteriで締めくくる (DB 2809-2811) ドゥルマ語テクスト
朝夕、nyunguの蒸気を浴び、その後家の中、外のchizaで薬液を浴びるなど、細かい 指示を与える。

唱えごと(makokoteri)の日本語訳

唱えごと全文テキスト(ドゥルマ語)

キセレマ(chiserema 使い古してすり減った手鍬の刃)を持って唱えごと DB 2798-2800

Chari: さて、どうかおだやかに友の皆さま。どうかおだやかに。私はこの言葉を申し上げに参りました。私たちは「鍋」を設置いたします。 (患者に向かって)ところで、お母さん、あなたのお名前は。 W1: (本人の代わりに娘が返答する)彼女はニブンダ・マリアムと言います。 C: さて、(普通なら)このような時間に、お話することもないでしょう。私がお話するのは、マリアムが病気だからです。彼女の病気は、昨日始まったものではありません、また一昨日に始まったものでもありません。彼女の病気が始まってからというもの、彼女はとても長い年月を病人としてすごしてきました。彼女は癒やしの術もあたえられました(施術師になった)。それは順調でしたが、やがてその癒やしの術そのものが、うまくいかなくなりました。そして今、私たちは、彼女の言わば人の度肝をぬく病気のため、鍋を置こうとしています。人の度肝をぬく病気というのは何でしょう。腕です。この腕は、物がまったくつかめないのです。(なんの用もなさない)単なる腕なのです。彼女の身内の者が占いに相談したところ(「山々に出かけたところ」)、ニャリがいると言われたのです。ニャリにもたくさんの(種類の)ニャリがいます。ニャリ・キティーヨ(nyari chitiyo51)がいます。ニャリ・キウェテ(nyari chiwete53)もいます。ニャリ・ジュンジューラ(nyari junjula54)もいますし、ニャリ・ムァルカノ(nyari mwalukano55)、ニャリ・ムァフィラ(nyari mwafira56)、ニャリ・ムァニョーカ(nyari mwanyoka57)もいます。 さて私は、皆様方にどうかおだやかにと申します。私の心からの、おだやかにです。今日、今、私は鍋を置きます。誰のためにですか?マリアムのためにです。彼女のために鍋を置きます今このとき、この人、人の妻は言わば古びた擦り切れたキセレマ。なぜなら、あなたニャリは、あなたがやって来たところから、あなたが行き着くところまで、妖術(utsai)そのものなのですから。 今、今日、私はあなたがたのために鍋を置きます。鍋は他の誰のためのものでもありません。鍋は、あなたニャリ・マウンバ(nyari maumba58)、あなたニャリ・ドゥラジ(nyari durazi59)。ニャリ・ムァルカーノもいます。皆さま全員、私はあなたがたのためにあなたがたの鍋を置きます。この鍋です。(この鍋が)病んだ筋(あるいは血管)を一掃しますように。その腕が、ものを握れるようになりますように、私はこのように語ったのです。腕が断ち割られたように痛むことも、トゲが刺さる(ように痛む)ことも、熱くなることもない。腕が冷たくなることもない。私はこれを望みます。もしあなたニャリ・ムァフィラ、あなたニャリ・ムァルカーノ、あなたニャリ・キウェテ、あなたニャリ・ピンダモンゴ60、あなたニャリそのものであるキピンデ(nyari chipinde61)のせいであるなら。 今、今日、あなたがたのためにこの鍋を据えれば、すぐに今日にでも、明日にでもこの者が、腕でものを握ることができるようになりますように。それを見届ければ、さて、わたしたちはまたやって来て、彼女に彼女の癒やしの術(uganga)を取り戻させてあげます。もし、かつて癒やしの術を与えられたあなたがた皆さんのせいであるなら。今は癒やしの術はここにはありません。あなたがたは、ただ戻ってきて(癒やしの仕事をするかわりに)、彼女の両腕を捕らえてしまっている。もし皆さんがたのせいだというのなら、私たちにその徴(dalili)を見せてください。徴とはなんでしょうか。彼女がすっかり健康なのを見ることです。そうすれば、私たちは後ほど戻ってきて、あなたがたのために癒やしの術のための鍋をお据えすることになるでしょう。あなた、子神ムルング(mwanamulungu62)よ、どうか「どうしてこのものは癒し手(muganga 施術師、治療師)であるのに、朝目覚めたら、鍋を置かれているのか。この鍋はいったいどこのろくでなしのための鍋なんだ?」などとおっしゃらないでください。私は、まずあの怒り狂っている人(憑依霊ニャリたちのこと)を、(満足させて)立ち去らせたいのです。もし本当にあなた(ムルング子神)で、あなたが癒やしの術がなされることをのぞんでおられるのなら、私は、やって来てあなたのために癒やしの術の鍋をお据えいたします。でも、今日、今は、まずあの獰猛な者に去ってもらいたいのです。私は申します。どうか御主人様。 ドゥルマ語テクスト

 

鍋にmavumbaを加え、赤雌鶏(ひよこ)を提示しつつ唱えごと DB 2801-2802

私はお話しします。なぜ私はお話しするのでしょうか。(患者に向かって)あなた、マリアムでしたっけ? 私はマリアムのためにお話しするのです。この者は病気です。病気なのですが、彼女の病気というのが、私たちを当惑させるものなのです。何にでしょう。腕が物をつかめないのです。腕が冷たくなっている。腕が断ち割られる。腕にトゲが刺さる(ように痛む)。腕が焼けるようにひりひりする。腕に火がつく。腕に何かが這い回る。胸(脇腹)もです。腹もグルグルいう。さらに頭です。目眩。悪寒。背中が重苦しい。眠気がまったく失せた。彼女は全然眠れないのです。 今日、私は鍋をお置きします。他のどなたのでもございません。他ならぬあなたマウンバ(maumba58)の鍋です。マウンバとはあなたニャリ(nyari4)です。あなたピンダモンゴ(pindamongo)もおられます。ピンダモンゴまたの名をキピンデ(chipinde)。ピンダモンゴといっしょにいるのは誰でしょう。キウェテ(chiwete)、キティーヨ(chitiyo)、ニャリ・ムァルカーノ(nyari mwalukano)です。皆さん全員ニャリに属しています。今、私は鍋をお置きします。私の兄弟の皆さま。 私は、この鍋が熱気(teri)を発するよう願います。赤い雌鶏はこれです。この鍋はあなたがたのためのご馳走(karamu66)です。あなたがたのための香料(mavumba)はこれらです。このあと、マリアムがこの鍋の蒸気を浴びて、浴び終えると、健康になりますように。争いはございません。 Murina: カリンボ、さあ、護符(mapande)を渡してちょうだい。 H: もうお母さん(Chariのこと)に渡しましたよ。 C: 渡してもらったんだけど、どこに置いたか忘れちゃった。 M: また失くしちゃったのかい。 C: まあ、どこにいったんだろうね。 M: 紐は通さなかったのかい? C: さて、今、私が求めているのは、つつがなきことです。私はつつがなきことを欲します。さあ、これがあなたの鶏です。 (患者に向かって) C: あれら(護符(mapande))はね、薬(mihaso ya kujita=煎じ薬)を煮るときに、中にいれるんだよ。いくつ用意したんだっけね。3つだっけ。 ドゥルマ語テクスト

チャリは甲高い嬌声(njerejere)を上げながら、屋内のキザ(chiza)の前に座らせたマリアムの頭にキザの液(vuo)をふりかけ、憑依霊全般(「世界の住人」 arumwengu)に対するとなえごとをする。 DB 2803-2807

Chari: アマーニ、アマーニ、アマーニ。ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム。 (患者にたいして) Chari: こっちを向いて。キザの方を向いて。 ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム(コーランの最初の章の冒頭の章句か).... むー。どうかおだやかに、世界の住人の皆さま。この時間にお話するつもりはありませんでした。でも私はお話します。お話します。そのつもりはなかったのですが。マリアムです。この者は病人です。その病気が昨日始まったとは申しません。それはずいぶん昔に始まりました。ずいぶん昔に始まってというもの、人々は治療をいたしました。癒やしの術にすら入門しました。そして「外にも出」されました(正式な癒し手(muganga 施術師、癒し手、治療師)に就任しました)。でもその癒やしの術(uganga)そのものは、上首尾には進みませんでした。うまくは行きませんでした。でも今、私たちが驚いているのは、まったく別の問題です。それは腕の問題です。腕が麻痺(unafuwa)しているのです。すっかり冷たくなっています。わたしたちは、いったい何が腕をそんなに冷たくしているのか、わかりません。「不思議のヘビ(nyoka wa tambo16)」の妖術の反転治療(kuphendula67)もしました。タンバジ(tambazi68)の妖術の反転治療もしました。わたしたちは妖術の反転治療をしたのですが、これも助けにはなりませんでした。というわけで今日にいたるまで、この腕なのです。でも占いに参りましたところ、わたしたちは憑依霊(shetani)がいると告げられたのです。憑依霊は世界の住人(arimwengu)です。世界の住人というのはいわゆる彼ら憑依霊(nyama)のことなのです。

....(以下、憑依霊全般に対するChariの定型的な唱えごと69だが、とりあえず翻訳しておく) DB 2804-2808

さて、私はお祈り(お願い)いたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu70)の方々、ニェンゼ71の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga72)、子神トロ(mwanatoro73)、子神マユンゲ(mwanamayunge74)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga75)、キンビカヤ(chimbikaya76)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera77)、そして子神サンバラ人(mwana musambala78)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi79)、皆さまにお祈りいたします。 ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura80)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo81)、ムガマーニ(Mugamani82)のサンブル(Samburu 地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima83)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe84)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいなのです。どうかおだやかに。皆さまに、どうかおだやかにと申します。 おだやかに、キンガンギーニ(地名)の方々、キンベーブォ(池)の方々。私は皆さまにおだやかに、と申します。皆さまにおだやかに、と申します。おだやかに、ゾンボ(地名)の方々、大きい木々の方々、ゾンボ山の方々。皆さまに、おしずまりくださいと申し上げます。 おだやかに、キンベーブォの方々、マレレ(淵)の方々、マカンガ(池)の方々、皆さまにおしずまりください、と申します。おしずまりください。そしておしずまりくださいには耳を傾けるものです。砦85をお解(ほど)きください、そして砦が健康でありますように。 でも私がお話するとすれば、私がお話するのは、あなたムルング子神(mwanamulungu)に対してです。あなたムルング子神こそ砦の主です。なんと、お客人がおられるとしても、そのお客人はあなたの子供たちなのです。今、砦は壊れようとしています。こうして私は何を置こうとしていますか。私は鍋を置いているのです。あなた、ムルング子神よ、どうかお聞きください。ムルング子神よ、そこにいるのは、ペーポー子神(mwana p'ep'o86)、バラワ人(mubarawa87)、サンズア(sanzua88)、バルーチ人(bulushi89)、ムクヮビ人(mukpwaphi90)、キツィンバカジ(chitsimbakazi19)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma91)、天空のペーポーコマ。あなたガラ人(mugala92)、ダハロ人(mudahalo93)、コロンゴ人(mukorongo94)、コロメア人(mukoromea96)もごいっしょに。 おだやかに、ドゥングマレ(dungumale99)、ジム(zimu100)、キズカ(chizuka101)、スンドゥジ(sunduzi102)、ドエ人(mudoe103)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao104)。奴隷(mutumwa105)、奴隷、またの名をンギンドゥ人(mungindo95)。皆さまのあいだには、あなたデナ(dena7)とニャリ(nyari4)、そしてキユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki106)、ムビリキモ(mbilichimo10)、カレ(kare107)とガーシャ(gasha108)。あなたレロニレロ(rero ni rero110)、マンダノ(mandano11)、プンガヘワ(pungahewa112)子神。 ニャリ・キウェテ(nyari chiwete53)がいます。ニャリ・ジュンジューラ(nyari junjula54)もいますし、ニャリ・ムァルカノ(nyari mwalukano55)もいますし、ピンダモンゴ60のニャリもいます。あなたニャリ・ピンダモンゴ、またの名をニャリ・キピンデ。あなた、ニャリ・キティーヨ(nyari chitiyo51)。ニャリ・キウェテもいます。わたしたちは、あなたがたにおしずまりくださいと申します。 わたしたちは、鍋を置きます。あなたニャリ・マウンバ、あなたニャリ・ムァフィラの鍋です。ニャリ・ジュンジューラもいます。皆さん全員、ごいっしょですね、皆さま。ニャリ・ボコ(nyari boko113)もいます。私はおしずまりくださいと申します、御主人様方。私たちは皆さまの足元に身を投げ出しています。争いは一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)です。二人が争いあっている。三人目が来ると、その人は争いを鎮めます。今日、私は調停者となって、争いを鎮めます。 私は癒し手ではありません。本当の癒し手はムルングです。私にできるのは、ただ慈悲の手を置いて、小指の爪に引き下がり、そこに座って静かにしております。おだやかに、おだやかに、おだやかに。このうえなくおだやかに。 さて、今日私はンガタ(ngata33)をこの者に結びます。なんのためのンガタでしょう?ライカ(laika18)のためのンガタです。 私はパンデ(pande8)も結びます。これらのパンデはニャリのパンデです。ニャリ・ムァフィラ、ニャリ・マウンバ。あなたニャリ・マウンバ、またの名をニャリ・ドゥラジ。ボコもいます。私は皆さまに、おしずまりくださいと申します。おだやかにと。 さて、こうして私は、腕は明日にでも、物がつかめるようにと、言い切ります。腕が上がるように、上に上がって下に戻るように。そして例の冷たくなることが、消えますように。どうか御主人様方。私は皆さまの足元に身を投げ出しています。あなたニャリ・キティーヨ、ニャリ・ジュンジューラ、腕が麻痺することはもうありません。あなた、ニャリ・キウェテ、ニャリ・マウンバ。あなたマウンバ、またの名をムァルカーノ。あなたピンダモンゴ、またの名をニャリ・キピンデ。御主人様方、私たちはあなたがたの足元に身を投げ出しています。おだやかに、おだやかに。 ライカ・ムェンド(laika mwendo22)がいます。風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)よ。ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo114)よ、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga75)よ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi115)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao116)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka20)。ライカ・キフォフォ(laika chifofo27)がいます。ライカ・キウェテ(laika chiwete29)もいます。私は皆さまに、おしずまりくださいと申します。 今日、今、私はこの者にンガタを結びます。このンガタ、皆さましっかり感じてください。腕です。もしあなたライカ・キウェテのせいであるなら、私はおしずまりくださいと申します。彼女を解き放ってください。もう争いはございません。私の兄弟の皆さま。おだやかに、おだやかに。私たちはあなたがたの足元に身を投げ出しています。おだやかに! Chari: なんと。腕、ぱんぱんに膨れ上がってますね。腕が断ち割られるように痛いってことはないですか? Patient: ...(聞き取れない)... C: さて。(ニャリのパンデを)ここに結んでも良いですか?人はエダウチヤシの葉でくくったりするものではないのですが。今はとりあえず、このまま寝てください。明日の朝になったら、布の周りのほつれた糸(mutse)で、くくり直してください。朝になったら、布の端のほつれ糸で結び直してもらってください。エダウチヤシの葉を身体につけて寝たりするものではないのですがね。ああ!人に護符(pande)をくくりつけるのに、エダウチヤシの葉でなんて!さあ、(薬液(vuo)を)おすすりなさいな。 P: 何回? C: 3回ですよ。 ドゥルマ語テクスト

DB 2809-2811

Chari: (腕は)まだ健康ですね。 Murina: まだ温かい?脈もちゃんと打ってる? C: 打ってるよ。 さて、おだやかに、おだやかに、おだやかに。私たちは、おだやかにと申します。そして私たちの言うおだやかにですが、私たちはすでに唱えごとは済ませました。今これからするのは、言わば、念を入れようとしているのです。あなた、ムルング子神、そしてあらゆる憑依霊(nyama)、イスラム教徒(mudzomba)である者も。全員が、ムルング子神、あなたの子供たちです。モスクに行く者も、そこでムルングに祈るのですから。そしてムルングというのはあなたのことに他なりません。 今、こうして、私はあれなる家の中に鍋を差し出しました。(鍋は)ニャリのです。今、私は池(ziya)を差し出しました。この池は、ライカの池です。ライカ・ムズカ、風とともに進むライカ、ライカ・キグェンゴ、ライカ・ムカンガガ、ライカ・ヌフシ。ヌフシ、またの名をパガオ。そのまたの名があなたムズカです。皆さま方におしずまりくださいと申し上げます。そしてこの「おしずまりください」に耳をお傾けください。 どうか砦を解いて、つつがなきものにしてください。さて、わたしはお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu)の方々、ニェンゼの小池の方々に。皆さま、どうぞ降りてきてください。私の兄弟のみなさま。いらっしゃって、この者とともに薬液(vuo)を浴びてください。 さてこうして皆さまのために、私はキザ(chiza)と、護符(ngata)と護符(mapande)を設置いたしました。皆さまのそれぞれが、何を召し上がりことになるでしょう。それぞれの食べ物をです。だから、御主人様方、私の兄弟のみなさま。私は皆さまの足下に見を投げ出しております。もう争いはございません。 人を閉じ込める懲役期間ですら、解かれる日がやってきます。人を閉じ込める懲役期間が、永遠の懲役期間であって良いものでしょうか!今、今日、もし皆さま方のせいでしたら、私はムルングにただお祈りいたします。私は癒し手ではありません。癒し手はムルングです。(私の祈りを)どうかお受け取りください。施術師はノーと言われる者ではありません。施術師は、そのとおりだ!と言われるべきです。おだやかに。おだやかに。どうかこの者をほっておいてやってください。 さて、このあとですが、この鍋をこの者が終えてしまわないうちに、腕がまっすぐに、すばらしく伸ばせますように。そうすれば、わたしたちは確かに皆さま方(が原因)だったのだと知ることになります。わたしたちにそうさせてください。さらに、この者のあの癒やしの術(uganga)をこの者の身体に再び戻してほしいとおっしゃるのなら、今、癒やしの術はここにはないのですが、私たちはお調えいたします。でも、わたしたちはまず腕が物をつかめるのを見たいのです。それによって、私たちに、たしかに本当だったんだとわからせてください。おだやかに。

注釈


1 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
2 癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga3であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
3 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
4 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)5」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena7が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee9)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande8には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
5 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri6を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
6 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza5と呼ばれる手続きもある。
7 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari4)との共通性あり。治療は黒檀(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande8)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
8 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
9 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo10)マンダーノ(mandano11)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
10 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
11 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
12 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza13、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
13 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
14 ヤギ, ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊
15 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術3においても固有の草木が用いられる。
16 「不思議のヘビ」妖術の一種。妖術使いは木で作ったヘビの形をしたものを隠し持っている。それで触れられると、毒ヘビに噛まれたのと同様に、その日のうちに死ぬのだという。触れられても、気が付かない。その後、何かが皮膚を這い回るように感じたり、トゲが刺さったように感じる。直ちに死なないとしても、触れられた箇所がただれたようになる。治らずにやがて死に至る。あるいは人は、切り株に蹴つまずく。または、草の葉で切れる。または木のトゲにささる。しかし、実はそれらはすべて「不思議のヘビ」nyoka wa tamboであり、ヘビに噛まれたと同様に死んでしまう。
17 治療にあたる施術師を決めるために、占いの客は複数の候補を提示しなければならない。客は藪に入り、5cmほどの枝を4~5本持ってきて、占い師の前に差し出す。一本一本が、特定の施術師なのだが、それぞれが誰であるのかは占い師にはわからない。占い師は枝を一本一本嗅ぎ、最後に「あなたがたの施術師はこの人さ」と言って一本の枝を客に差し出す。それが治療に当たる施術師になる。
18 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi19)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka20) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri6)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi21など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo22,laika mukusi23など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe24, laika ra nyoka24, laika chifofo27など。(4) その他 laika dondo28, laika chiwete29=laika gudu30), laika mbawa31, laika tsulu32, laika makumba[^makumba]=dena7など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze13)で薬液を浴びる、護符(ngata33)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza5)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
19 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
20 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
21 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
22 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
23 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
24 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira25)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka26)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
25 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
26 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
27 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
28 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi19)の別名ともいう。
29 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
30 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
31 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
32 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
33 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
34 施術に用いる草木を集め、整えるのは施術師の弟子 mwanamadzi の役目なので、私は同行するときには一つ一つの草木を教えられながら折り取ったり、引き抜いたりする(一応弟子)。でもあいにく全然、覚えられない。ここでリストした草木には、同時に設置されるlaika系の憑依霊のための池(ziya, chidza cha konze)のための草木も含まれる。一方、Nyariに必要な草木のうち、木については施術師がストックしているものが用いられるので、Nyariの鍋に必要なすべての草木が挙げられているわけではない。あくまで道すがら採集された草木のみのリストである。
35 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)5、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす36)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku37)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
36 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
37 憑依霊シェラ(shera35)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
38 「発狂する」
39 搗き臼。laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。
40 ほぼ北。北西モンスーンの風、小雨季の雨が来る方向。その反対がほぼ南に対応するmwakaniで大雨季の雨がやってくる、南東モンスーンの風がくる方角。ちなみに、東は mulairo wa dzuwa(太陽の出る方角)、西はmutserero wa dzuwa(太陽が落ちる方角)。
41 短冊状の布。それぞれの憑依霊に応じて、白cheruphe 赤cha kundu 黒(実際には紺色)cha mulunguが用いられる。この場合、白はlaika、赤はshera、黒はmulunguとarumwengu(他の内陸系憑依霊全般)を表す。
42 今回のNyariの「鍋」では、施術師の家にストックしてあるものが用いられた。「海辺の草木(mihi ya pwani)」は海岸部へいかないと手に入れられないので、イスラム系の憑依霊を扱う施術師は、つねに若干のストックをもっている。Nyariはイスラム系ではないが、内陸系の憑依霊のなかでなぜかイスラム系の特徴をもつ(しかし、あくまでも内陸部の霊)霊である。
43 使い古し、すり減った手鍬(jembe)の刃
44 唱えごと。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
45 搗き臼で搗く動作
46 麻あるいはエダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋
47 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
48 赤い雌鶏
49 ku-tsinza は「(首を)切って殺す」を意味する動詞。katsinzwaはその3人称単数否定受動態=She is not slaughtered.
50 病人、患者
51 四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。chitiyo52はドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
52 キティーヨとはインセストに類した不適切な性的つながりがもたらす状態。父と息子、兄と弟などが、ともに一人の女性と関係を持つとマブィンガーニ(maphingani)という事態(混ざり合う)が生じる。それが及ぼす災いがchitiyoと呼ばれる。その特徴的な症状のひとつが、われわれのいうギックリ腰(chibiru kutoka「腰が断ち切られる」)である。また嘔吐、止まらない下痢もしばしばchitiyoの特徴とされる。
53 ニャリ・キウェテ(nyari chiwete)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。
54 ニャリ・ジュンジュラ(nyari junjula)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。属性等不明。
55 ニャリ・ムァルカーノ(nyari mwalukano)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。lukanoは筋肉、筋、腱、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande8には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。
56 ニャリ・ムァフィラ(mwafira)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。
57 ニャリ・ムァニョーカ(nyari mwanyoka)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。mwanyokaはmutu wa nyoka「ヘビの者(人)」の意。
58 ニャリ・マウンバ(nyari maumba)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ku-umbaは粘土をこねる動作を表す動詞。
59 四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。
60 ニャリ・ピンダモンゴ(nyari pindamongo)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、mongoはドゥルマ語で「背中」。ニャリ・キピンデの別名とも。pindamongoは妖術の名前にも見られる。
61 四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。
62 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza13)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる63。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている64。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
63 瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供64がある。
64 不妊の女性に与えられる瓢箪子供63。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神62がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande8)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料47)、血(ヒマ油65)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
65 ヒマの実、そこからヒマの油を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
66 スワヒリ語で、「お供え」「ご馳走」の意味。憑依霊などに与える動物の血などの供物を指す。
67 「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。
68 身体じゅうの関節が痛む病気。神の病い(ukongo wa mulunguつまり何か特定の原因(妖術や憑依霊、祖霊)によらない病気)であるが、タンバーの妖術(utsai wa tambaa)によっても引き起こされる。この病気にかかり、施術師の治療を受けて治った者は、その施術師から「薬 muhaso」を購入し、自らも施術師にならねばならないとされている。
69 arumwengu(憑依霊全般)にむけてChariが唱える定型唱えごと。施術師ごとに定型の唱えごとがあり、多様性に富む。その中で使われる言葉の多くは説明してもらえたが、Chari本人にもよくわからない言葉がある。なぜなら定型の唱えごとは、彼女によると「夢のなかで(k'omani)」教えられたものだから。さまざまな地名が挙げられるが、それは憑依霊たちが移動の都度、滞在する場所であり、憑依霊が頻繁に出現する場所であり、不思議と恐怖の場所(chituko(スワヒリ語kitukoより))である。これらのなかには実際にChari本人が驚異を経験した場所も多く含まれる。それらを解説してくれたテクスト(DB 7289-7297)については、そのうち翻訳するつもりであるが、とりあえずテクストデータへのリンクを作成しておく。チャリによる唱えごと解説
70 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
71 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
72 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
73 トロ(toro)は睡蓮
74 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
75 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
76 水辺に生える草の一種
77 動詞kurera(子供を「養う」)より
78 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
79 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
80 意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
81 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある高い山。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
82 地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cookes2003;393)
83 チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
84 チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
85 憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
86 p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetaniもあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞)という言葉が用いられる。
87 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
88 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
89 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
90 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
91 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
92 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
93 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
94 民族名の憑依霊、ンギンド人95の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
95 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
96 民族名の憑依霊、ナンディ人97の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
97 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea96、mukavirondo98はいずれもナンディ人の別名であるという。
98 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
99 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
100 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
101 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
102 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
103 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
104 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
105 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)95の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
106 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika18)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
107 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
108 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena7)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari4)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga109)がいる。
109 ルキ(luki106)、キツィンバカジ(chitsimbakazi19)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
110 憑依霊シェラ(shera35)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza5)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)36」、「外に出す(ku-lavya konze111)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
111 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
112 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
113 四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。 bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ボコは施術師によっては、ニャリの一種とも、ニャリと独立した単独の憑依霊ともみなされうる。いずれにしても、瓢箪子供は、デナ、ニャリ、キユガアガンガ、ガシャと共有。
114 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。
115 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao116))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka20)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
116 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。