(from diary) Sept. 5, 1991, Thu, kpwisha
午前中、キナンゴに行く途中でまたチャリのところに寄って、mburuga1の録音。すでに始まっていた。Bekozaの屋敷から来た二人連れの女性。mburuga終了の際のmganga2の選択に関していろいろあって、nyari4のnyungu12やmapande8を整えるのは結局チャリの仕事になる。午後2時出発ということになる。チャリに頼まれてmbuzi14の肉を買いにキナンゴまで走る。 (中略)道々mihi15を集めながら,ugangani3に出発。こうして歩いているときにチャリとムリナが交わしている会話は面白そうだが、よくわからないところも多々。これからはこうしたときにも録音の用意をしておくべき?uganga終了はすでに夜8時近い。真っ暗な道を帰る。
Chariのもとに占いに来たのは二人の女性、Chariはすぐに患者が彼女らの母であることを言い当て、その主症状(物がつかめないほど手が痛いなど)も当てる。途中Chari自身が憑依されてしまい、占いの客そっちのけで延々と自分の夫に対して妖術に対する対処をアドバイスし始めるというハプニングはあったが、その後は順調に、患者とその家族が、もっぱら妖術の治療(nyoka wa tambo etc.16)のみを施してきたこと、その患者自身が憑依霊の施術師であること、すでに以前からその活動を止めていることも言い当てる。驚く相談者たち。患者の癒やしの術が停止させられた原因は、特定の憑依霊たちを怒らせたためで、彼らを満足させれば、彼女の施術師としての活動も再開する。その第一歩が、ニャリに対する「鍋」治療だという話になる。 占いのテクスト:占いの開始より治療の打ち合わせまで: (DB 2739-2797)
治療に当たる男女の施術師の選択17でも少し曲折はあったが、結局、相談者たちの希望で、ChariとMurinaが治療に当たることになる。今日にでも来てほしいということで、あわただしく出発の準備。
(1991年9月5日のフィールドノートより) Nyari のnyunguとは別に、laika18 のchiza cha konze を小屋の外に設置。 chiza cha nyumbani はNyariのnyunguとセット
14:00 uganganiに出発、途中のChirazini川でmihiを集める34 jengatsongo(laika) musindaalume (shera35) mukunguma (shera) boko (nyari boko) chivumanyuki(alt. chivumanyuchi) (mulungu) mukangaga mupholong'ondo (laika) munyika nzovu (nyari 葉と根を用いる) muhumba (nyari 根を用いる) muvumo (mulungu) mulozi (nyari for nyungu) ---------------------------- mubono mubono nyono mubono nyono nzovu ndongaに入れると「喋る」(?)
Nyariの nyungu は終了すると施術師の手によってその中身を捨てる。 病人自身が捨てると kpwayuka38
16:00 Bekozaの屋敷に到着
(1)chinu(chiza cha konze ya laika)39
vurini40に向けて据える
周囲にmukangagaを植える(差す)mupholong'ondoを二箇所に
chinuをアーチ状にまたぐように木の枝(mukone)をまげて地面に突き刺す。
枝には三色(chiru, cheruphe, cha mulungu)のchidemu41
(2)nyariのnyunguにはmihi ya pwani(シナモンなどの香辛料も)42とmihi ya bara[^mihi_bara]を
ともに使う。
(3)空のnyunguにjembeの先(chiserema43)を手に持ってmakokoteri44後、nyunguの底に
置く。
(DB 2798-2800)
ドゥルマ語テクスト
(4)chinuにmihi ya pwaniを入れて kuphonda45。細かく砕かれたものを取り出して
紙に包んでおく。
(5)Murina、nyunguにmihiを詰めていく。mihi ya pwaniを加える。
(6)chikaphu46にmihiの葉をしごき取って入れる。それをchinuに詰め、水を加える。
(7)Chari、赤いchidemuにmavumba47を入れ、laikaとdena7のndongaの中身をたらす。
(8)kuku wa kundu48(ひよこ)、蹴爪の一部を切り落とし切り口をchinuの水につける。
このkukuはkatsinzwa49。施術師がもって帰る。
(9)kuphondaしたmavumbaをnyunguに入れてmakokoteri
途中で左手にkukuをもち、kukuの足をnyunguにつける
(DB 2801-2802)
ドゥルマ語テクスト
(10)家の中にnyunguを入れてmakokoteri
(11)chiza cha nyumbani をvuriniに向けて置く。
その前にnyunguを置いて,mukongo50の頭に5回chizaの水をかけ,makokoteri
(DB 2803-2807)
ドゥルマ語テクスト
(12)chiza cha konze(chinu)の前にmukongoを座らせてmakokoteri
laikaのngata33と、nyariのmapande8をMariamuの右腕に巻きつける。
(DB 2808)
(13)その後、「念のため」と言って、再度(イスラム系の霊に対する言及も加えて)
ムルングと憑依霊全般に対する短いmakokoteriで締めくくる
(DB 2809-2811)
ドゥルマ語テクスト
朝夕、nyunguの蒸気を浴び、その後家の中、外のchizaで薬液を浴びるなど、細かい
指示を与える。
キセレマ(chiserema 使い古してすり減った手鍬の刃)を持って唱えごと DB 2798-2800
Chari: さて、どうかおだやかに友の皆さま。どうかおだやかに。私はこの言葉を申し上げに参りました。私たちは「鍋」を設置いたします。 (患者に向かって)ところで、お母さん、あなたのお名前は。 W1: (本人の代わりに娘が返答する)彼女はニブンダ・マリアムと言います。 C: さて、(普通なら)このような時間に、お話することもないでしょう。私がお話するのは、マリアムが病気だからです。彼女の病気は、昨日始まったものではありません、また一昨日に始まったものでもありません。彼女の病気が始まってからというもの、彼女はとても長い年月を病人としてすごしてきました。彼女は癒やしの術もあたえられました(施術師になった)。それは順調でしたが、やがてその癒やしの術そのものが、うまくいかなくなりました。そして今、私たちは、彼女の言わば人の度肝をぬく病気のため、鍋を置こうとしています。人の度肝をぬく病気というのは何でしょう。腕です。この腕は、物がまったくつかめないのです。(なんの用もなさない)単なる腕なのです。彼女の身内の者が占いに相談したところ(「山々に出かけたところ」)、ニャリがいると言われたのです。ニャリにもたくさんの(種類の)ニャリがいます。ニャリ・キティーヨ(nyari chitiyo51)がいます。ニャリ・キウェテ(nyari chiwete53)もいます。ニャリ・ジュンジューラ(nyari junjula54)もいますし、ニャリ・ムァルカノ(nyari mwalukano55)、ニャリ・ムァフィラ(nyari mwafira56)、ニャリ・ムァニョーカ(nyari mwanyoka57)もいます。 さて私は、皆様方にどうかおだやかにと申します。私の心からの、おだやかにです。今日、今、私は鍋を置きます。誰のためにですか?マリアムのためにです。彼女のために鍋を置きます今このとき、この人、人の妻は言わば古びた擦り切れたキセレマ。なぜなら、あなたニャリは、あなたがやって来たところから、あなたが行き着くところまで、妖術(utsai)そのものなのですから。 今、今日、私はあなたがたのために鍋を置きます。鍋は他の誰のためのものでもありません。鍋は、あなたニャリ・マウンバ(nyari maumba58)、あなたニャリ・ドゥラジ(nyari durazi59)。ニャリ・ムァルカーノもいます。皆さま全員、私はあなたがたのためにあなたがたの鍋を置きます。この鍋です。(この鍋が)病んだ筋(あるいは血管)を一掃しますように。その腕が、ものを握れるようになりますように、私はこのように語ったのです。腕が断ち割られたように痛むことも、トゲが刺さる(ように痛む)ことも、熱くなることもない。腕が冷たくなることもない。私はこれを望みます。もしあなたニャリ・ムァフィラ、あなたニャリ・ムァルカーノ、あなたニャリ・キウェテ、あなたニャリ・ピンダモンゴ60、あなたニャリそのものであるキピンデ(nyari chipinde61)のせいであるなら。 今、今日、あなたがたのためにこの鍋を据えれば、すぐに今日にでも、明日にでもこの者が、腕でものを握ることができるようになりますように。それを見届ければ、さて、わたしたちはまたやって来て、彼女に彼女の癒やしの術(uganga)を取り戻させてあげます。もし、かつて癒やしの術を与えられたあなたがた皆さんのせいであるなら。今は癒やしの術はここにはありません。あなたがたは、ただ戻ってきて(癒やしの仕事をするかわりに)、彼女の両腕を捕らえてしまっている。もし皆さんがたのせいだというのなら、私たちにその徴(dalili)を見せてください。徴とはなんでしょうか。彼女がすっかり健康なのを見ることです。そうすれば、私たちは後ほど戻ってきて、あなたがたのために癒やしの術のための鍋をお据えすることになるでしょう。あなた、子神ムルング(mwanamulungu62)よ、どうか「どうしてこのものは癒し手(muganga 施術師、治療師)であるのに、朝目覚めたら、鍋を置かれているのか。この鍋はいったいどこのろくでなしのための鍋なんだ?」などとおっしゃらないでください。私は、まずあの怒り狂っている人(憑依霊ニャリたちのこと)を、(満足させて)立ち去らせたいのです。もし本当にあなた(ムルング子神)で、あなたが癒やしの術がなされることをのぞんでおられるのなら、私は、やって来てあなたのために癒やしの術の鍋をお据えいたします。でも、今日、今は、まずあの獰猛な者に去ってもらいたいのです。私は申します。どうか御主人様。 ドゥルマ語テクスト
鍋にmavumbaを加え、赤雌鶏(ひよこ)を提示しつつ唱えごと DB 2801-2802
私はお話しします。なぜ私はお話しするのでしょうか。(患者に向かって)あなた、マリアムでしたっけ? 私はマリアムのためにお話しするのです。この者は病気です。病気なのですが、彼女の病気というのが、私たちを当惑させるものなのです。何にでしょう。腕が物をつかめないのです。腕が冷たくなっている。腕が断ち割られる。腕にトゲが刺さる(ように痛む)。腕が焼けるようにひりひりする。腕に火がつく。腕に何かが這い回る。胸(脇腹)もです。腹もグルグルいう。さらに頭です。目眩。悪寒。背中が重苦しい。眠気がまったく失せた。彼女は全然眠れないのです。 今日、私は鍋をお置きします。他のどなたのでもございません。他ならぬあなたマウンバ(maumba58)の鍋です。マウンバとはあなたニャリ(nyari4)です。あなたピンダモンゴ(pindamongo)もおられます。ピンダモンゴまたの名をキピンデ(chipinde)。ピンダモンゴといっしょにいるのは誰でしょう。キウェテ(chiwete)、キティーヨ(chitiyo)、ニャリ・ムァルカーノ(nyari mwalukano)です。皆さん全員ニャリに属しています。今、私は鍋をお置きします。私の兄弟の皆さま。 私は、この鍋が熱気(teri)を発するよう願います。赤い雌鶏はこれです。この鍋はあなたがたのためのご馳走(karamu66)です。あなたがたのための香料(mavumba)はこれらです。このあと、マリアムがこの鍋の蒸気を浴びて、浴び終えると、健康になりますように。争いはございません。 Murina: カリンボ、さあ、護符(mapande)を渡してちょうだい。 H: もうお母さん(Chariのこと)に渡しましたよ。 C: 渡してもらったんだけど、どこに置いたか忘れちゃった。 M: また失くしちゃったのかい。 C: まあ、どこにいったんだろうね。 M: 紐は通さなかったのかい? C: さて、今、私が求めているのは、つつがなきことです。私はつつがなきことを欲します。さあ、これがあなたの鶏です。 (患者に向かって) C: あれら(護符(mapande))はね、薬(mihaso ya kujita=煎じ薬)を煮るときに、中にいれるんだよ。いくつ用意したんだっけね。3つだっけ。 ドゥルマ語テクスト
チャリは甲高い嬌声(njerejere)を上げながら、屋内のキザ(chiza)の前に座らせたマリアムの頭にキザの液(vuo)をふりかけ、憑依霊全般(「世界の住人」 arumwengu)に対するとなえごとをする。 DB 2803-2807
Chari: アマーニ、アマーニ、アマーニ。ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム。 (患者にたいして) Chari: こっちを向いて。キザの方を向いて。 ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム(コーランの最初の章の冒頭の章句か).... むー。どうかおだやかに、世界の住人の皆さま。この時間にお話するつもりはありませんでした。でも私はお話します。お話します。そのつもりはなかったのですが。マリアムです。この者は病人です。その病気が昨日始まったとは申しません。それはずいぶん昔に始まりました。ずいぶん昔に始まってというもの、人々は治療をいたしました。癒やしの術にすら入門しました。そして「外にも出」されました(正式な癒し手(muganga 施術師、癒し手、治療師)に就任しました)。でもその癒やしの術(uganga)そのものは、上首尾には進みませんでした。うまくは行きませんでした。でも今、私たちが驚いているのは、まったく別の問題です。それは腕の問題です。腕が麻痺(unafuwa)しているのです。すっかり冷たくなっています。わたしたちは、いったい何が腕をそんなに冷たくしているのか、わかりません。「不思議のヘビ(nyoka wa tambo16)」の妖術の反転治療(kuphendula67)もしました。タンバジ(tambazi68)の妖術の反転治療もしました。わたしたちは妖術の反転治療をしたのですが、これも助けにはなりませんでした。というわけで今日にいたるまで、この腕なのです。でも占いに参りましたところ、わたしたちは憑依霊(shetani)がいると告げられたのです。憑依霊は世界の住人(arimwengu)です。世界の住人というのはいわゆる彼ら憑依霊(nyama)のことなのです。
....(以下、憑依霊全般に対するChariの定型的な唱えごと69だが、とりあえず翻訳しておく) DB 2804-2808
さて、私はお祈り(お願い)いたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu70)の方々、ニェンゼ71の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga72)、子神トロ(mwanatoro73)、子神マユンゲ(mwanamayunge74)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga75)、キンビカヤ(chimbikaya76)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera77)、そして子神サンバラ人(mwana musambala78)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi79)、皆さまにお祈りいたします。 ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura80)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo81)、ムガマーニ(Mugamani82)のサンブル(Samburu 地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima83)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe84)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいなのです。どうかおだやかに。皆さまに、どうかおだやかにと申します。 おだやかに、キンガンギーニ(地名)の方々、キンベーブォ(池)の方々。私は皆さまにおだやかに、と申します。皆さまにおだやかに、と申します。おだやかに、ゾンボ(地名)の方々、大きい木々の方々、ゾンボ山の方々。皆さまに、おしずまりくださいと申し上げます。 おだやかに、キンベーブォの方々、マレレ(淵)の方々、マカンガ(池)の方々、皆さまにおしずまりください、と申します。おしずまりください。そしておしずまりくださいには耳を傾けるものです。砦85をお解(ほど)きください、そして砦が健康でありますように。 でも私がお話するとすれば、私がお話するのは、あなたムルング子神(mwanamulungu)に対してです。あなたムルング子神こそ砦の主です。なんと、お客人がおられるとしても、そのお客人はあなたの子供たちなのです。今、砦は壊れようとしています。こうして私は何を置こうとしていますか。私は鍋を置いているのです。あなた、ムルング子神よ、どうかお聞きください。ムルング子神よ、そこにいるのは、ペーポー子神(mwana p'ep'o86)、バラワ人(mubarawa87)、サンズア(sanzua88)、バルーチ人(bulushi89)、ムクヮビ人(mukpwaphi90)、キツィンバカジ(chitsimbakazi19)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma91)、天空のペーポーコマ。あなたガラ人(mugala92)、ダハロ人(mudahalo93)、コロンゴ人(mukorongo94)、コロメア人(mukoromea96)もごいっしょに。 おだやかに、ドゥングマレ(dungumale99)、ジム(zimu100)、キズカ(chizuka101)、スンドゥジ(sunduzi102)、ドエ人(mudoe103)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao104)。奴隷(mutumwa105)、奴隷、またの名をンギンドゥ人(mungindo95)。皆さまのあいだには、あなたデナ(dena7)とニャリ(nyari4)、そしてキユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki106)、ムビリキモ(mbilichimo10)、カレ(kare107)とガーシャ(gasha108)。あなたレロニレロ(rero ni rero110)、マンダノ(mandano11)、プンガヘワ(pungahewa112)子神。 ニャリ・キウェテ(nyari chiwete53)がいます。ニャリ・ジュンジューラ(nyari junjula54)もいますし、ニャリ・ムァルカノ(nyari mwalukano55)もいますし、ピンダモンゴ60のニャリもいます。あなたニャリ・ピンダモンゴ、またの名をニャリ・キピンデ。あなた、ニャリ・キティーヨ(nyari chitiyo51)。ニャリ・キウェテもいます。わたしたちは、あなたがたにおしずまりくださいと申します。 わたしたちは、鍋を置きます。あなたニャリ・マウンバ、あなたニャリ・ムァフィラの鍋です。ニャリ・ジュンジューラもいます。皆さん全員、ごいっしょですね、皆さま。ニャリ・ボコ(nyari boko113)もいます。私はおしずまりくださいと申します、御主人様方。私たちは皆さまの足元に身を投げ出しています。争いは一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)です。二人が争いあっている。三人目が来ると、その人は争いを鎮めます。今日、私は調停者となって、争いを鎮めます。 私は癒し手ではありません。本当の癒し手はムルングです。私にできるのは、ただ慈悲の手を置いて、小指の爪に引き下がり、そこに座って静かにしております。おだやかに、おだやかに、おだやかに。このうえなくおだやかに。 さて、今日私はンガタ(ngata33)をこの者に結びます。なんのためのンガタでしょう?ライカ(laika18)のためのンガタです。 私はパンデ(pande8)も結びます。これらのパンデはニャリのパンデです。ニャリ・ムァフィラ、ニャリ・マウンバ。あなたニャリ・マウンバ、またの名をニャリ・ドゥラジ。ボコもいます。私は皆さまに、おしずまりくださいと申します。おだやかにと。 さて、こうして私は、腕は明日にでも、物がつかめるようにと、言い切ります。腕が上がるように、上に上がって下に戻るように。そして例の冷たくなることが、消えますように。どうか御主人様方。私は皆さまの足元に身を投げ出しています。あなたニャリ・キティーヨ、ニャリ・ジュンジューラ、腕が麻痺することはもうありません。あなた、ニャリ・キウェテ、ニャリ・マウンバ。あなたマウンバ、またの名をムァルカーノ。あなたピンダモンゴ、またの名をニャリ・キピンデ。御主人様方、私たちはあなたがたの足元に身を投げ出しています。おだやかに、おだやかに。 ライカ・ムェンド(laika mwendo22)がいます。風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)よ。ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo114)よ、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga75)よ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi115)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao116)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka20)。ライカ・キフォフォ(laika chifofo27)がいます。ライカ・キウェテ(laika chiwete29)もいます。私は皆さまに、おしずまりくださいと申します。 今日、今、私はこの者にンガタを結びます。このンガタ、皆さましっかり感じてください。腕です。もしあなたライカ・キウェテのせいであるなら、私はおしずまりくださいと申します。彼女を解き放ってください。もう争いはございません。私の兄弟の皆さま。おだやかに、おだやかに。私たちはあなたがたの足元に身を投げ出しています。おだやかに! Chari: なんと。腕、ぱんぱんに膨れ上がってますね。腕が断ち割られるように痛いってことはないですか? Patient: ...(聞き取れない)... C: さて。(ニャリのパンデを)ここに結んでも良いですか?人はエダウチヤシの葉でくくったりするものではないのですが。今はとりあえず、このまま寝てください。明日の朝になったら、布の周りのほつれた糸(mutse)で、くくり直してください。朝になったら、布の端のほつれ糸で結び直してもらってください。エダウチヤシの葉を身体につけて寝たりするものではないのですがね。ああ!人に護符(pande)をくくりつけるのに、エダウチヤシの葉でなんて!さあ、(薬液(vuo)を)おすすりなさいな。 P: 何回? C: 3回ですよ。 ドゥルマ語テクスト
Chari: (腕は)まだ健康ですね。 Murina: まだ温かい?脈もちゃんと打ってる? C: 打ってるよ。 さて、おだやかに、おだやかに、おだやかに。私たちは、おだやかにと申します。そして私たちの言うおだやかにですが、私たちはすでに唱えごとは済ませました。今これからするのは、言わば、念を入れようとしているのです。あなた、ムルング子神、そしてあらゆる憑依霊(nyama)、イスラム教徒(mudzomba)である者も。全員が、ムルング子神、あなたの子供たちです。モスクに行く者も、そこでムルングに祈るのですから。そしてムルングというのはあなたのことに他なりません。 今、こうして、私はあれなる家の中に鍋を差し出しました。(鍋は)ニャリのです。今、私は池(ziya)を差し出しました。この池は、ライカの池です。ライカ・ムズカ、風とともに進むライカ、ライカ・キグェンゴ、ライカ・ムカンガガ、ライカ・ヌフシ。ヌフシ、またの名をパガオ。そのまたの名があなたムズカです。皆さま方におしずまりくださいと申し上げます。そしてこの「おしずまりください」に耳をお傾けください。 どうか砦を解いて、つつがなきものにしてください。さて、わたしはお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu)の方々、ニェンゼの小池の方々に。皆さま、どうぞ降りてきてください。私の兄弟のみなさま。いらっしゃって、この者とともに薬液(vuo)を浴びてください。 さてこうして皆さまのために、私はキザ(chiza)と、護符(ngata)と護符(mapande)を設置いたしました。皆さまのそれぞれが、何を召し上がりことになるでしょう。それぞれの食べ物をです。だから、御主人様方、私の兄弟のみなさま。私は皆さまの足下に見を投げ出しております。もう争いはございません。 人を閉じ込める懲役期間ですら、解かれる日がやってきます。人を閉じ込める懲役期間が、永遠の懲役期間であって良いものでしょうか!今、今日、もし皆さま方のせいでしたら、私はムルングにただお祈りいたします。私は癒し手ではありません。癒し手はムルングです。(私の祈りを)どうかお受け取りください。施術師はノーと言われる者ではありません。施術師は、そのとおりだ!と言われるべきです。おだやかに。おだやかに。どうかこの者をほっておいてやってください。 さて、このあとですが、この鍋をこの者が終えてしまわないうちに、腕がまっすぐに、すばらしく伸ばせますように。そうすれば、わたしたちは確かに皆さま方(が原因)だったのだと知ることになります。わたしたちにそうさせてください。さらに、この者のあの癒やしの術(uganga)をこの者の身体に再び戻してほしいとおっしゃるのなら、今、癒やしの術はここにはないのですが、私たちはお調えいたします。でも、わたしたちはまず腕が物をつかめるのを見たいのです。それによって、私たちに、たしかに本当だったんだとわからせてください。おだやかに。