MejumaaのためのMudurumaの「鍋」

概要

(from diary) Dec. 17, 1991, Tue, kurimaphiri

Murina宅に寄ると、Mwachiduduの娘とMurinaの妹(Mwanzaの妻)が来ており、Murinaの兄Berocha(2週間前にCoastGeneralHospitalに入院)の容態が思わしくないと告げに来ている。Berochaには妻もすでに死んで、子供もいない。下痢とkuphaphika1で入院したが、今は意識不明で下痢が続いている。MurinaとChariはmariakani2までのバス代がたりないのだが、今日のugangaでなんとかなるだろうという。先日Mwalimu duniaのnyungu3を据えたMejumaaのところに mudurumaのnyunguを据えに行く予定だった。この間、あれこれありすぎてのびのびになっていた。muranzeは容易に手に入らないため、すでにあるストックからもっていく。muphingo、muzala、muvumoについては途中で根を掘り出す。 Mejumaaは頭がおかしくなっており、chariに会って声を聞いてもわからない。私に対しても誰だといい、カリンボだと応えると、兄弟だと言って、自分の苦しみをしきりに訴えてくる。どうも誰かと勘違いしている様子。nyunguをすえて、Chariは20シルを受け取る。ちょうど治療を終えたときに、Bemurezi氏がやってくる。utsai系の施術師で,majine5に関する治療を平行して行う模様。 (中略) Murinaたちは、明日ただちにMariakaniに向けて出発するつもりらしい。Berochaの重態の知らせに、思いがけない出費に見舞われChariたちはあたふたしているわけだが、それでもしかるべき義務を果たそうとしているところがえらい。 MurinaがこれまでBerochaの見舞いに行かなかった理由は、Mwachiduduの娘に対してMurinaがしていた説明によると、makushekushe6に関係している。BerochaはMurinaの恋人(彼が寝た女性)を奪って妻にした。MurinaはBerochaに対して、彼女と結婚してはいけない、私がすでに寝た女性だから、と言って止めたのだが、Berochaは耳を貸さなかった。Berochaはまた兄の恋人とも寝てしまっている。兄弟が誰かと関係を持つと、その後を追う(その相手を自分の者にしてしまう)のがBerochaの若い頃の振る舞い。このためMurinaが見舞いに行くと、その場でBerochaは死んでしまうだろう。Vanda7で治療しmapande8またはpingu9をBerochaに与えてからでないと見舞いにいけない。Berochaのkuphaphika1、kufyoka10もchitiyo11のせいだと見られている。 一昨日昼夜ぶっ続けのkayamba2連発をこなしたかと思ったら、昨日は例の妖術告発含みの法廷闘争、そして今日の突発的事態、私もクタクタだが、Murinaたちはそれどころじゃない。20日のMunyaziのngomaには間に合わないだろうな。私一人で行くか。

Nov.28に世界導師(mwalimu dunia12)の鍋を据えた、頭痛と盲目に苦しむMejumaaに約束していたMudurumaの鍋。予定からたびたびの延期となったが、ようやくこの日実現。Mejumaaの症状はさらに悪化しているように見えた。

施術師

Nov.28, 1991同様、MurinaとChariの夫婦。

Mudurumaの「鍋」設置の流れ

(1991年12月17日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。 フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。今回のフィールドノートの記述は簡単なメモ程度

【nyungu ya muduruma】(for Mejumma) (DB 4614-4631)

nyono16を数粒nyunguに

muphingo(Dalbergia melanoxylon) mudzala(monanthotaxis trichocarpa, fornicata) muvumo(Premna chrysoclada) ....以上3つ、来る途中に根をkutsimbaして用意 murandze(Dalbergia boehmii)... すでに採ってあったもの

先日 duniaのnyunguを据えたMejumaa 今日行くと、またkulaga17で泣く Chariを認知できない...認知症? わけのわからないことを喋る

nyungu をkujitaする人の危険 ドゥルマ語テクスト については Nov.28のノートも参照

唱えごと(makokoteri)

  1. muphingoの根を掘り出す前の唱えごと ドゥルマ語テクスト

  2. 完成した鍋に対する唱えごと ドゥルマ語テクスト

  3. 締めくくりの唱えごと ドゥルマ語テクスト

  4. ドゥルマ人を相手にした唱えごと ドゥルマ語テクスト

  5. 最後にだめ押しの唱えごと ドゥルマ語テクスト

唱えごとの日本語訳

4614 (muphingo(黒檀)の根を掘り出すための唱えごと)

Chari: 私はあなた草木とお話します。あなた草木は(ただの)草木です。黒檀です。でもあなたは憑依霊の草木です。それも他ならぬドゥルマ18人の草木です。私はあなたを盗んではおりません。盗んではおりません。私自身が病気に捕らえられ、ついには癒やしの術(uganga24)が外に出てまいりました。その癒やしの術はバンジュさん(Chariの最初の施術上の父)によって示してもらいました。その後、再び病気になりました。というのも私はムルングについて外に出してもらっただけだったからです。病気が戻ってきました。なんと、あなたドゥルマ人だったのです。あなたカシディ20です。..<よく聞き取れない部分あり>..私は草木を他の誰かによって与えられたわけではありません。他ならぬフピ・ンゴメさん(Chariの2番目の施術上の母)によって与えられました。私はドゥルマ人(による病気)を治療しました。それも、とても多くの人を治療いたしました。 今こうして、私はあなた草木を掘り出そうとしています。草木とはあなた黒檀です。私はメジュマーのためにあなたで治療いたします。こうして私が行ってメジュマーに鍋を据えてあげたら、あの子供がもっているところの(すべての)病い(maradhi)が治るように、と断定いたします。彼女が、死を語ることはもはやありません。頭痛も二度とありません。ええ、そう私は欲します。もしメジュマーが実際にドゥルマ人を持っているのであれば!そして、私がここで根を手に入れるうえで、なんのトラブルにも遭いませんように。

4615 (完成した鍋についての唱えごと)

C: さて、私はお話しいたします。このような時間にお話するつもりはありませんでした。さて私がお話しするのは困窮についてです。困窮とはこの者メジュマーの困窮です。困難と難儀に苦しんでいる者です。憑依霊ムルング(mulungu25)の方々も、憑依霊アラブ人(p'ep'o30)の一族もそこに関係しています。ムルングのお仲間の方々の問題がいったいなぜなのか、私たちにも今はわかりません。私は鍋についてお話します。あなたムルング子神(mwanamulungu31)にお話しするのです。 私はお祈り(お願い)いたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu32)の方々、ニェンゼ33の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga34)、子神トロ(mwanatoro35)、子神マユンゲ(mwanamayunge36)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga37)、キンビカヤ(chimbikaya38)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera39)、そして子神サンバラ人(mwana musambala40)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi41)、皆さまにお祈りいたします。ですが、私がお話するとしたら、砦42の主であるあなたムルング子神とです。私たちはこの子の病気のわけのわからなさ(chitai)に、ただただ驚いております。(妖術使いによって)投げつけられたムハッソ(muhaso薬)のせいだろうか、でも全然違いました。 そもそも、私たちが最初に驚いたのは、この者の目の問題でした。まだ未熟のカシューナッツの実のような子供(まだ盲目になるような年齢にはほど遠い)なのに、目が全然見えないなんて。誰か(知り合い)がやって来ても、彼女からどなたですかと尋ねられることになるなんて。

4616

C: さて、私は鍋をお置きします。この鍋は他の誰のものでもありません。この子供は長い年月のあいだ病気でした。彼女が夫のもとで暮らしていたときです。私はあなたカシディの鍋を置きに行ってまいりました。 彼女を扇いだ(ku-mupunga 彼女のためにカヤンバを開いた)こともあったと思います。そこで彼女に瓢箪子供(mwana wa ndonga27)を授けました。その瓢箪子供は、私は正しく差し出しました。正しく差し出したのち、私がその瓢箪子供に問題があるのを最後に見たのは、まだそれが(彼女の夫の)屋敷にあったときです。私がそれを最後に見たとき、それは香料(mavumba29)を買ってやる必要がありました。瓢箪子供に香料を買って入れてやらねばならなかったのですが、香料はついに買えなかったというのです。なんとその時以来、香料は買われることなく、瓢箪子供はすっかり固くなってしまったまま。今日にいたるまで。その過ちが起こってから今年でもう4年目です。瓢箪子供はいまや、油(瓢箪子どもの血とされる)も切れ、香料(瓢箪子どもの内蔵とされる)も切れた状態です。 さて、今私は鍋をお置きします。私は困窮の鍋を置きます。

 

4617

C: 今こうして私は鍋をお置きします。あなたカシディの、あなたドゥルマ人の、内の問題も外の問題もご存知だという、あなたカルメンガラ(kalumengala19)の、皆さまの鍋を。もし本当にあなたのせいだったのなら、あなたドゥルマ人よ、私はあそこに座っているあれなる者を、立ち上がらせてください。目がみえるように、自分の脚で外にでられるように。どうして彼女はこのような窮状にいるのですか、私の兄弟の皆さまがた。あの病人は、突然こんなに苦しむようになりました。おまけに健康だった者たちまで、突然、苦しみ始めています。いったいどうしてですか? もしこの者が、自分で稼ぎに行けるだけの体力を得たなら、稼ぐということ。施術師たちにあたえるもの(報酬)を稼ぐということ。病人もそうした余力を与えられたら。もし病人がおかゆをしっかり食べ、病人でも良く「売れる」ようになります。 病人が自分で外に出ます。どうしてあなたは健康な者たちまで縛ってしまおうとするのですか。今、今日、私は鍋を置きます。この鍋は他の誰のものでもありません。あなたカシディ、あなたドゥルマ人の鍋です。

4618

C: あなたは、サカケ(Sakake 地名)出身か、ニョンゴロ(Nyongoro 地名)出身か、ゴブォ(Gpho 地名)か、ルカカーニ(Lukakani 地名)か。あなたがルカカーニの方なのか、ニョンゴロの方なのか、どこの方なのか、キザヤ(Chidzaya 地名)の方なのか、私はあなたのことは存じません。でもあなたはそちらで大仕事をされ、こちらにいらっしゃる途中でも、サボテンやミドリサンゴの木を上手に切り開き、とうとうジュマーさんの一族とお出会いになりました。そこの踊り広場で踊り、メジュマーをお見初めになった。ですが今、メジュマーは、道を迷い歩き始めました。道を迷い歩き、世界を放浪し、この世を彷徨する。どこにいても、ここは私の場所じゃない。眠ることも出来ず、食べることも出来ず、座っていることもできない。皆さま! どうして?驚き呆れるしかないじゃないですか?この悲しみは、いったい何なんですか? こうして私は鍋をお置きします。そしてこの鍋が、さあ、病気を取り除いてくれることを望みます。そもそもあなたはこうしたことを引き起こすことがお出来です。人に(痙攣して)脚をつっぱらせたり、気が変になったような物言いをさせたり、ムルングの話をさせたり。

4619

とりわけ頭痛です。身体を太らせる。まずは身体をほぐしてやることから始めてください。そして目が見えるように。頭痛が去るように。どうか御主人様、私たちはあなたの足元に身を投げ出しております。もしあなたカシディのせいなら。 (唱えごと終了) ..... C: ...憑依霊アラブ人43がいたとしてもね。でもなにか邪魔をしているものがあれば。 Woman: お座りください。お母さん(Mejumaaのこと)が、なにか言いたいことがあるんですって。あなたに。 Man: 途中で座っているわけにはいかない。これからすぐにモンバサに向かうんだ。彼女は彼女の病気といっしょにここに置いていかせてよ。 Mejumaa: あんたの夫はなんて言ってるんだい? W: あなたを残してモンバサに行くんだってさ。メコザも実家に行くって。チャカの母も来ないって。だって、あなたの性格が強情だって知ってるから。だって、あなたって強情な人だもの。「来て、私に何ができるっていうの」だって。テキパキやってもらえるのは誰だろうってよく考えないと。テキパキやってくれるのは彼だけど、彼はもう出発しちゃうし。 C: 私は自分の鍋を持ってきたんだよ。この鍋は寝てばかりいる人とは合わないんだ。

4620

Mej: なんの料理を作ったの?ウィフィ(wifi兄弟の配偶者とその姉妹、姉妹の配偶者の姉妹)は何の料理を作ったの? W: 野草のスープ、ワリ(wariトウモロコシ粉を熱湯で捏ねたもの)といっしょに、お母さん(チャリのこと)とお食べ。どう? Mej: 私はここから外までとどくほどのワリを頂いたよ。 W: ここから外までだって? W2: 今みたいにお母さん(チャリのこと)に会って、ワリを置いてもらったら、こちらの紳士(浜本のこと)とお母さんといっしょにしっかり頂きなさいな。 Mej: ねえ、ねえ、私、ここから外までくらいの山のようなワリをすでに頂いたわ。 W2: その料理してもらったワリとやら、こちらのお母さんは見てませんよ。今、与えられるのよ、でしょ。お母さんと一緒にお食べ、お母さんがあなたが食べるところを見られるように。 Mej:(ここからスワヒリ語で)(浜本に向かって)お聞きしますけど、あなたはどなた? H: 私はカリンボといいます。 Mej: おお、じゃああなた私の兄弟よ。

4621

H: 私のことを覚えてるんですか? Mej: ああ、ごめんなさい。私痛いのよ、お兄ちゃん。 H: お気の毒に、お気の毒に。きっと良くなりますよ。 Mej: 頭が痛いの。頭に蛆虫が入り込んだのよ。私の頭、蛆虫に入りこまれたのよ、お兄ちゃん。ここにいるお父さんとお母さんに、蛆虫が私を殺そうとしてるって言いたかったの。二人が来たら、きっと蛆虫を取り除いてくれる。もし二人が嫌だと言ったら、私はここには住まないわ。お母さんのお家に行って蛆虫を取り除いてもらうわ。お母さんがわたしをおんぶしてくれる。疲れたら家に着くまでお父さんに代わってもらう。 Chari: たしかに。私たちは人を背負いたくない。私たちが求めているのは、あなたが自分で歩いていくこと。一緒に家まで行くことはいいのよ。でもあなたには自分の脚で行ってほしいの。 Mej: じゃあ、蛆虫を取り除いてちょうだい。そうすれば私は歩いていけるわ。でも蛆虫がいたら、どこに着けるっていうの? C: あんたが行くところが蛆虫がいるところさ。だって蛆虫は頭の中にいるんでしょ。

4622

Mej: あんたたちがそんな風に始めるなら、私は出かけることも出来ないわ。頭全体が針だらけ、心臓はふっとばされる。(ここまでスワヒリ語) C: さて、私はドゥルマ語でお話します。ここにはもうイスラム教徒はいません。さあ、すすってごらん。ヒマの油(nyono)だよ。どうだい?さあ、それまで。じゃあ、お前に唱えごとをしよう。寝たらダメだよ。 (締めの唱えごと開始) プッ(唾液を吹きかける)。さて、私はお話します。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。おだやかに、おだやかに世界の住人の皆さま。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。私はあなたムルング子神にお話しいたします。あなたムルング子神こそ砦の主です。なんと、お客人がおられるかもしれませんが、そのかたたちもあなたの子供たちです。わたしたちは彼らにまだお会いしてないだけです。砦は壊されています。私たちは驚き呆れています。するべきことは何もございません。どうしてでしょう。何が悪かったのでしょう。私はあなたがたにおしずまりくださいと申します。私はお祈り(お願い)いたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu32)の方々、ニェンゼ33の小池の方々に。私は皆さまに、おだやかにと申します。

4623

C: 私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga34)、子神トロ(mwanatoro35)、子神マユンゲ(mwanamayunge36)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga37)、キンビカヤ(chimbikaya38)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、どうかおだやかにと申し上げます。そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera39)、そして子神サンバラ人(mwana musambala40)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi41)。私がお話しするとすれば、それは病気のためです。 おだやかに、ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura44)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo45)、ムガマーニ(Mugamani46)のサンブル(Samburu、地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima47)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe48)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 おだやかに、あなたムルング子神、ペーポー子神(mwana p'ep'o)、バラワ人(mubarawa49)、サンズア(sanzua50)、バルーチ人(bulushi51)、ムクヮビ人(mukpwaphi52)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni53)、池のキツィンバカジ(chitsimbakaza cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma54)、ガラ人(mugala55)、ボニ人(muboni56)、ダハロ人(mudahalo57)、コロンゴ人(mukorongo58)、コロメア人(mukoromea60)、ドゥングマレ(dungumale63)、ジム(zimu64)、キズカ(chizuka65)、スンドゥジ(sunduzi66)、ドエ人(mudoe67)もごいっしょに。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao68)。あなた奴隷(mutumwa69)、またの名をンギンドゥ人(mungindo59)。 皆さまのあいだには、あなたデナ(dena70)とニャリ(nyari71)、キユガアガンガ(chiyugaaganga74)、ルキ(luki75)、ムビリキモ(mbilichimo22)、カレ(kare91)とガーシャ(gasha92)、レロニレロ(rero ni rero93)、あなたマンダノ(mandano23)、あなたプンガヘワ(pungahewa98)子神。

4624

C: あなたディゴ人(mudigo99)も、あなたイキリク(ichiliku96)とごいっしょにおられます。皆さまにおしずまりくださいと申します。 あなた、ゴロゴシ(gologoshi100)、またの名をンガイ(ngai101)。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba102)、カヴィロンド人(mukavirondo62)、マウィヤ人(mawiya103)、ナンディ人(munandi61)、ムマニェマ人(mumanyema106)。皆さま方におしずまりくださいと申します。 あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(107、私は皆さまにおしずまりくださいと申します。 私はおしずまりくださいと申します。あなたライカ(laika76)、ライカ・ムェンド(laika mwendo79)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo108)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga37)。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi109)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao110)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka77)。ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka83)、ライカ・マフィラ(laika mwafira82)、ライカ・ズズ(laika zuzu111)、ライカ・ドンド(laika dondo85)、ライカ・ムユユヒコ(laika muyuyuhiko 不明)、ライカ・マジャロ(laika majaro112)。 御主人様、私たちはあなたの足元に身を投げ出しています。争いはございません、私の兄弟の皆さま。どうしてわたしたちは、異様なこと(chitai)に驚いているのでしょうか。人間は痛み苦しむものです。そのとおりです。でもちょっと御覧ください。この者の身体をあなたがたは、まるでバオバブの木(muyu)やガンジ(ganziサボテンの一種)のように肥大させておしまいになった。どうしてですか?

4625

C: そして今や目も見えない、頭痛は耐えられないほど。皆さま方は目も殺してしまわれた、脚は地面を踏むこともできない。なにもかもできない。どうしてですか。あらゆることができない。何が悪かったというのですか。 もし何かを欲してらっしゃるのなら、お告げになれば、調えて差し上げられるのですよ、私の兄弟の皆さま。憑依霊(nyama)なのでしょうか、兄弟の皆さま、それとも別の問題なのでしょうか。憑依霊(p'ep'o)は人と同じ、語りきかせれば、聞き届けるもの。憑依霊(nyama)は血(milatso)、話されれば耳を傾ける。この者を、あなたがたがこんな風になさるのは、いったいなんというひどい仕打ちでしょう。それにこの者は、あなたがたDzombo山の一族45なんですよ。さて、もしなんと癒やしの術(uganga)を皆さまが望んでいらっしゃったんだとしても、だからその人がひどい目にあうんだという。そうなんですか?さあ、ご覧ください。今や稼ぎ手自身がびっくりしてしまっている。稼ぎに家を発つこともできない。だって自分が出発したら、すぐに呼び戻されるとわかっているから。 ねえ、この者に光を与えてください。光とは何?彼女自身が外に出て、たとえそれが火付け用にしかならない細切れの薪だったとしても、自分で採って来れるように。外に出て、陽の光にあたることができるように。

4626

C: でもこの脚です。もし人の手を借りて外に出してもらうような状態だったら、どうやってお金を手に入れようと言うのでしょう。もしかして皆さま方が何かを調えてもらいたがっていらっしゃるとしても、どんなふうにして調えてもらえるというのでしょう。ねえ、憑依霊(p'ep'o)は語り聞かせれば、聞き入れるというものです。今、どうか御主人様、(この病気が)もし本当にあなたのせいだというのなら。私はあなたに、おしずまりくださいと申します、私の兄弟よ。さらに皆さま方全員に。 そこにいらっしゃる、あなたがたイスラム教徒の皆様、ペンバ人(mupemba113)、ロハニ(rohani116)、アラブ人(mwarabu43)、コーラン導師(mwalimu kuruani117)、あなたジキリ(zikiri118)、ジキリ・マイティ(zikiri maiti119)、ジキリ・マウラーナ(zikiri maulana120)、ジネ・バハリ(jine bahari121)、皆さま全員、どうか私の兄弟の皆さま。どうかお聞き届けくださり、この者と仲直りなさってください。いったいどうしてこの神の奴隷を、皆さまなこんな風に扱われるのですか。皆さまは、耐えようのない苦しみをこの者に与えておられます。何が悪かったのですか、あなたがたに何をしたというのですか。あなたがたが要求した何を、この者がはねつけたというのですか。どうか御主人様方。私は皆さま方に平安をおねがいしているのです、私の兄弟の皆さま。 (ドゥルマ人をターゲットにした唱えごと) 私は鍋を差し出します。鍋は誰のものですか?鍋はカシディのための鍋です。カシディはドゥルマ人、内の問題も外の問題もご存知だというあなた。

4627

C: 頭を捕らえ、耳を捕らえ、脚を捕らえる。でも私はあなたに鍋を差し上げます。この鍋は約束していたものです。鍋の約束はずいぶん以前にいたしました。そして今、鍋はこれ、薬(煎じ薬)がこれ、そして薬液(vuo122)がこれです。私は、今日こうして去ろうとしています。家に参るのです。この鍋はお置きします。私はつつがなきことを望みます。 頭のことを聞くのはもう嫌です。蛆虫が頭の中を動き回っていると言われるのも嫌です。そんな話は聞きたくありません。今日、頭を解き放ってください、蛆虫ももう終わりにしてください。そして目が見えるように。私を凝視しているのに、実は目が見えていない、それは、なしです。 御主人様、もしかしてあなたがた憑依霊(p'ep'o)が仕事を欲しがっておられるというのなら、あなたがたに差し上げます。私が懇願しているすべては、この者が外へ出られること、この者が。そして目が見えること。なぜ、あなたがたはこの身体を、あたかも身元不明の誰かのように、しておしまいになるのですか。

4628

C: いったい何を食べたら、身体がこんな風になってしまうのか。あなたドゥルマ人なら、こうしたこと、人をバオバブのように太らせてしまうことが、お出来です。もうやめて、御主人様。第一に、もしかしたらあなたがたが、して欲しがっておられる別のことがあるのかもしれません。でも今、私は何もいたしません。この鍋の湯気を、この鍋が尽きるまで彼女が浴び、彼女が自分の脚で外にでられるようになる。そうすれば私も(その問題を調える)力を出すでしょう。蛆虫の問題は、今日、なくなりますように。頭痛も去りますように。 御主人様、さあ、おしずまりください、私の友達よ。御主人様、御主人様、御主人様、私はおしずまりくださいと申します。私があなたを罵倒しているとはおっしゃらないでください。これは罵倒ではございません。 人間にくわえられるひどい仕打ちが、続きました。ごらんなさい。健康な者たちまで、苦しめられ始まりました。人々みなが、あなたを見ているのです。誰がお金を稼いでこれると言うのでしょう、あなた。私は今、ワリ(トウモロコシの練粥)を皆が食べられることを願っています。 (唱えごと終了) Mej: 私はたくさんたくさん食べたわ。 C: (冗談めかして)私はワリを皆さんに食べてほしいね。あんたがさっき言ってた、「私はここから外まであるくらいのワリを与えられた」って、あれだよ。

4629

Mej: 私は朝ここでたくさんワリをもらったわ。ここから外に届くほどまでの。でね、私たちは3人で食べたんだけど、いっしょに食べてた人はみんな途中でお手上げ、私が一人で残り全部を食べたのよ。 C: あんた一人で食べきったの? Mej: 一人で食べきったわ。休み休み。それからムションボ(トウモロコシの粒を他の食材と混ぜて茹でたもの)ももらったの。キャッサバと落花生が混ざったやつ。ここからあそこまで届くほどの山のような。私は同じように食べたわ。もう食べ切れないほど。お腹に潰瘍ができるほど。でも満腹したわ。どうしてここドゥルマの地は、食べられてしまうの、なんてこと!ここに一人女の人がいてね、朝料理を始めて、ずっとどこにもいかずに料理してるの。 C: 日が暮れるまでそんな風にずっと料理しているのね。 Mej: 料理しては差し出し、の繰り返し。あの人自身、おなじように食べているのか、私わからないわ。どうしてるんだろ。 C: さてね。その人が食べているにせよ、食べてないにせよ。あんたは食べるだけ。 Mej: ときどき、彼女は私の心を悲しませるのよ。あんた。

4630

C: 彼女がお前の心を悲しませるって?ああ、あなたのために料理して、自分も食べるって、その人は別に悪くないよ。 (突然唱えごとを再開する) C: でも私が欲しているのは、つつがなきことです。今、私はあの脚が地面を踏みしめるように。あの脚が、歩いていくように。でも私が望んでいる最も大きなことは、もう一度、問題を調えにやって来ることです。でも、あの脚がちゃんと地面を踏みしめるのを見るまでは、私は二度と何もしません。あの目がちゃんと見え、脚の問題をもう耳にすることがなくなりますように。 (唱えごと終了) Mej: じゃあ、このままほっておいて。私は健康よ。 C: じゃあ、ほっておきましょう。まる三日がすぎて、やって来て、蛆虫が相変わらずで、脚で外に出られないのを見たら、私はこの私の鍋と、私の薬液と、私の薬をとって、頭に載せ、持って立ち去りましょう。家に帰って、ほんとうに二度と戻りますまい。 Mej: わかったわよ、あんた。でもワリを料理しているから、それをまっててちょうだい。

4631

Chari: 粉(vidzunga= dim. of unga; ここではドゥルマの香料mavumbaのこと)はある? Murina: 火に注いで。 W: この粉を火に入れるの? C: そう。数える葉っぱは持ってないよ。(鍋の口を)覆ってちょうだい。あなた、鍋の煮方をすでに知っている人なのでは? W: はい、煮方は知ってます。でもそもそも、彼女が鍋を煮る役なんです。 W2: あなたたちのお母さんね、あちらにいる。でも、私たちは迷子になった(そうしたことをもう知らない)者です。 Mej: みんな居なくなっちゃうの、って聞いてるのよお。 W: ああ、私は居なくなりませんよ。ここにいます。でも規則そのものとしては、鍋を置く適格者は、彼女なのですよ。だって、私が困難に陥ったときにも、彼女に煮てもらわねば。私も以前はこうしたことは知らなかったんです。で、私が煮る役目にされて、そのせいで(私自身が)病気になったんですよ(文字通りには、その人たちが私に病気を注ぎ込んだ)。 C: あんたがお母さんのために煮てあげたの? W: そうなの、すっかり全部。私は当時(やり方を)知らなかったし、施術師も私に何も言ってくれなかった。最初から最後まで全部(煮るのは)私がやったの。 C: 何ももらわずに?(鍋を置いてもらう患者自身が、鍋を煮ることができない場合は、鍋を煮る係の者にryale(1234シリングまたは8シリング)を支払わねばならない。さもないと憑依霊が誤解して、鍋を煮る係を病気にしてしまう) W: おかげで、それが終わってから、私はまる一ヶ月、小屋の中に覆われていました(病に臥せっていた)。


1 ku-phaphika 「嘔吐する」
2 マリアカーニ。モンバサ街道沿いの町およびその周辺を指す。ドゥルマ人、ギリアマ人、カンバ人が混住する。
3 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza4、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
4 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
5 イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲う、など。憑依霊のjineと、一応区別されているが、あいまい。fingoのような埋設呪物も、供犠を怠ればjineに変化するなどと言われる。
6 兄弟がともに、一人の女性と性関係をもつなどで混じり合う過ち(maphingani)が累積したもの
7 複数形 mavanda、草木(muhi)をしばしば円環状に束ねたもので、それで皮膚を擦る。さまざまな治療に用いられる。
8 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
9 薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに縫い固めたもので、「護符」と訳することもできるが、憑依霊のpinguについては、その憑依霊を寄せ付けない防御的なものというよりは、やってきた憑依霊が座る「椅子」として捕らえられている点に注意。椅子がないと憑依霊は人間の身体の諸部分に腰をおろしてしまう。それによって人は病気になる。椅子を提供すれば、憑依霊は身体に座らないので少なくともそれに起因する病気にはならないことになる。
10 ku-fyoka「下痢する」
11 キティーヨとはインセストに類した不適切な性的つながりがもたらす状態。父と息子、兄と弟などが、ともに一人の女性と関係を持つとマブィンガーニ(maphingani)という事態(混ざり合う)が生じる。それが及ぼす災いがchitiyoと呼ばれる。その特徴的な症状のひとつが、われわれのいうギックリ腰(chibiru kutoka「腰が断ち切られる」)である。また嘔吐、止まらない下痢もしばしばchitiyoの特徴とされる。
12 世界導師13、内陸bara系14であると同時に海岸pwani系15であるという2つの属性を備えた憑依霊。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
13 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu duniaは世界導師(mwalimu dunia)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
14 非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。
15 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。
16 ヒマの実、そこからヒマの油を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
17 「別れを告げる」「(再開など)約束する」
18 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性19)、カシディ(kasidi 女性20)。ディゴゼー(digozee 男性老人21)、この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
19 憑依霊ドゥルマ人の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
20 女性のドゥルマ人憑依霊。kasidiは、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。
21 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo22)マンダーノ(mandano23)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
22 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
23 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
24 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
25 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)26との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
26 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza4)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる27。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている28。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
27 瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供がある。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。授けられた瓢箪子供は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し、瓢箪子供に正式に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande)、内蔵(香料)、血(ヒマ油)を入れて「子供」にし、それをムルング子神(に憑依された妻)に示す。以後、瓢箪子供は夫婦の寝台の上に置かれ、生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。このチャリの唱えごとの中でチャリは、メジュマーがかつて出産した際に瓢箪子供チェレコをさずけられたこと、しかしその後そのメンテを怠っていたことを明かしている。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
28 不妊の女性に与えられる瓢箪子供27。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神26がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande8)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料29)、血(ヒマ油16)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
29 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
30 p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetaniもあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞)という言葉が用いられる。
31 憑依霊は多くがmwanaという称号で呼ばれる。mwanaは字義通りには「子供」を意味する。これについては以下で詳しく論じた。浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22
32 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
33 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
34 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
35 トロ(toro)は睡蓮
36 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
37 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
38 水辺に生える草の一種
39 動詞kurera(子供を「養う」)より
40 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
41 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
42 憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
43 憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
44 意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
45 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある高い山。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
46 地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cookes2003;393)
47 チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
48 チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
49 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
50 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
51 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
52 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
53 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
54 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
55 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
56 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
57 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
58 民族名の憑依霊、ンギンド人59の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
59 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
60 民族名の憑依霊、ナンディ人61の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
61 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea60、mukavirondo62はいずれもナンディ人の別名であるという。
62 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
63 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
64 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
65 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
66 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
67 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
68 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
69 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)59の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
70 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari71)との共通性あり。治療は黒檀(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande8)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
71 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)72」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena70が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee21)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande8には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
72 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri73を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
73 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza72と呼ばれる手続きもある。
74 ルキ(luki75)、キツィンバカジ(chitsimbakazi53)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
75 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika76)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
76 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi53)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka77) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri73)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi78など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo79,laika mukusi80など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe81, laika ra nyoka81, laika chifofo84など。(4) その他 laika dondo85, laika chiwete86=laika gudu87), laika mbawa88, laika tsulu89, laika makumba[^makumba]=dena70など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze4)で薬液を浴びる、護符(ngata90)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza72)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
77 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
78 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
79 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
80 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
81 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira82)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka83)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
82 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
83 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
84 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
85 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi53)の別名ともいう。
86 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
87 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
88 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
89 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
90 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
91 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
92 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena70)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari71)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga74)がいる。
93 憑依霊シェラ(shera94)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza72)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)95」、「外に出す(ku-lavya konze97)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
94 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)72、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす95)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku96)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
95 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
96 憑依霊シェラ(shera94)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
97 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
98 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
99 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
100 憑依霊カンバ人の女性の別名。
101 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
102 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai101)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ101を参照のこと。
103 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde104)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama105)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
104 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
105 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
106 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
107 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)とは別。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
108 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。
109 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao110))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka77)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
110 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
111 ライカ・ズズ(laika zuzu)。ズズ(-zuzu)は「愚かな」を意味する形容詞。属性などについては不明。ライカ・ズズによって奪われたキブリを戻す「嗅ぎ出し」を得意とする施術師がいるという話を1993年に聞く。この施術師は通常の「嗅ぎ出し」とは異なり屋敷内ですべてを行った。川にも池にもムズカにも行くことなく屋敷の庭に据えたchizaに奪われたキブリを呼び戻して瓢箪に入れ、それを患者に戻すという施術。
112 ライカ・ジャロ(laika jaro)、ライカ・マジャロ(laika majaro)とも。ジャロ(jaro)は「旅」を意味するチャロ(charo)のaug.形、その複数形がmajaro。このライカは休むことを知らず、ひたすら旅を続ける(mutu ariye kaoya, jaro kpwenda tu.)。ライカ・ムェンド(laika mwendo79)の別名。
113 民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」114、香料29と海岸部の草木115の鍋3。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
114 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
115 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術24においても固有の草木が用いられる。
116 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
117 クルアーニはイスラムの経典「コーラン」。 イスラム系の憑依霊、アラブ人 Mwarabuの別名とも。
118 イスラム系憑依霊のグループの一つ。イスラムの神を称える踊りや祈祷を意味するスワヒリ語 dhikiri より。zikiri maiti, zikiri maulana, zikiri nabisi(nabii=「預言者」の誤りか), zikiri labi(nabiiの間違いか)など。
119 イスラム系憑依霊zikiriの一種。憑依霊「死体」lufuと同じとも。白い布(死者の埋葬に用いるsandaのような),白い雄鶏あるいは山羊。この霊に憑かれると患者は意識を失ったままである。一般に憑依霊は死体を嫌うが、とりわけzikiri maitiはそう。埋葬、服喪などから戻ると水とローズウォーターを浴びなければならない。jineの仲間で kukokomolaの対象だという人もいる。
120 イスラム系憑依霊zikiriの一種。maulanaはスワヒリ語で「主、神、主人」
121 ジネ・バハリ(jine bahari)。直訳すれば「海のジン」。男性。杖(mukpwaju)を要求。
122 pl. mavuo、「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
123 英国植民地期の貨幣単位リアール。施術師への支払いは今なお当時の貨幣単位で語られることがある。ドゥルマでは1リアールを現在の4シリングまたは8シリングに換算して考えている。