Mwasamaniの屋敷でのmupembaの「鍋」

(Sept. 6, 1992のMwasamaniの屋敷でのmulunguの「鍋」とchiza cha photsiの続編

概要

正直に言って、当時の私は同じ憑依霊といってもイスラム系の憑依霊関係の施術には、あまり興味が持てなかった。内陸系の憑依霊とちがって、なんだか借り物風の印象だったし、唱えごとがスワヒリ語っていうのも魅力的じゃなかった(個人的趣味。スワヒリ語よりもドゥルマ語の方が表現的にも魅力を感じていた。要するに単なる好み)。ただ今から思うと、イスラム系の施術と内陸系では、世界観も違っていて、そのあたりが面白いといえる。 この日の施術の中心は憑依霊ペンバ人に対する鍋(nyungu)の設置であったが、同時に他のイスラム系の霊も招待されている。またそれぞれの霊にpingu(一応護符と訳しているのだが、その考え方は魔除け的な意味での護符とはまったく異なっているので注意が必要)の作成、鍋とセットで行われる「大皿(kombe)」も準備された。

(from diary) Sept. 23, 1992, Wed, kpwisha ....朝ムリナとチャリ来てNdzivaniへmihi ya pwaniを取りにいくという。ムリナ一人で行き、チャリはNzovuniとYaphaでmburugaを諮問する。ヤギが流産する理由を知りたいとのこと。一瞬、同行しようかとも思うが、今日Mwanyawa(Munyaziの兄)が来る約束だったので断念。.... Sept. 24, 1992, Thu, jumma ....mupembaのnyunguのugangaへ。昼前にチャリが来て、一緒に出発する。pinguつくりから始まるugangaの過程そのものは時間がかかるが、内容はあんまり、というか全然面白くない。6時近くになってようやく終了。.....ムリナはなんとkombe20シル、pingu一個50シル(x3)nyungu60シルという、けっこう高めな料金を要求。相手を金持ちと見てのことなのだろうか。....

施術師

二人の施術師(muganga1)は、MurinaとChariの夫婦。イスラム系の霊はもっぱらMurinaが中心になって対応する。Murinaは正式に呪医に就任してはいないのだが。

患者(mukongo)は屋敷の長Mwasamaniの息子の一人Magutaの妻Mejumaa

施術の流れ

(フィールドノートより転記) Mwasamaniの屋敷での施術 【メジュマMejumaに対するコンベkombe+壺nyungu治療】

13:00 pinguの絵を描く 一枚目はmupemba pingu はsiku yiyo ya kulavira nyungu3 つまり前日に作っておいたりすることはできない。 なぜpinguが必要なのか→nyunguを与えるにはchihi4が必要だから pinguはmupembaが座るためのchihiなのだ さらに saa kpwa masaa、つまり夕方6時までに完成する必要がある siku sabaa つまり七日かけて描きあげるものもあり、たとえばmupemba5 sudiani11,rohani13

13:30 一枚目が描き終わり、続いてrohaniの絵にとりかかる。 mupembaには月と星が描かれるが、rohaniには太陽が描かれる

14:25 rohaniの絵が終了し、sudianiの絵にとりかかる。 毛玉のようなもの(花なのだそうだ)が描かれる
rohaniとsudianiには白いchidemu14、mupembaには赤いchidemuが用意される

15:10 描き終わった絵をmukongoに見せる。絵にmavumbaを包んでpinguを作る。

15:50 kombe ra kunwa6 を描き終わる サフランを水で溶いたオレンジ色で描く。モスクのような建物。月と星。 その周りをアラビア文字風の文章ふうのもので囲む。 描き終わるとmarashiで溶いて溶液を コップに移し、二枚目のkombe(kombe ra koga)に着手。

16:00 mupembaのpingu仕上がる 二枚目のkombe(kombe ra koga)仕上がる。こちらはアラビア語風のものを3行 書いただけ。

16:30 nyunguの用意を始める mihi ya pwani(葉と根ともども) mukoko mukandaa chipunga(mukungamvula) mutswi mudazi mbuu

16:35 makokoteri(ムリナ風アラビア語) 地面に火のついたmakala15を撒き,ubaniを入れる。その上にnyunguを 逆さにかぶせて、両手でもったままマココテリ 鍋を乳香でいぶしつつ唱えごと(ムリナ) スワヒリ語テキスト

鍋を乳香(ubani)で燻す(nyunguubani.jpg) nyunguにmukokoの葉と根を入れる 次いでChiziyamonzo16でとってきたbaraのmihiを加える mavumbaをたっぷり入れる chipunga、その他のmihiを入れる 再びmavumbaをたっぷり入れる mukokoの根と、mutswiの葉 もう一度mavumba

完成した鍋とkombe(nyungukombe.jpg)

残った一握りほどのmavumbaは後に患者がkudziphaka

17:05 最後のpingu完成 紐を通して、脇腹に身につける(mbavuni) pinguに対してmakokoteri

17:15 nyunguに差した udiに火をつけ,pinguをnyunguの上に置く

17;20 Chari mukongoに白い布をかぶせ左耳をつかんでmakokoteri 鍋についてのチャリの唱えごと ドゥルマ語テキスト つづいてMurina、mukongoの左耳をつかんでスワヒリ語でmakokoteri 途中から例のムリナ風アラビア語に移行 イスラム系の霊に鍋を差し出す唱えごと(ムリナ) スワヒリ語テキスト

17:35 mukongoにkombe ra kunwaを飲ませる

nyunguは7日間のあいだkudzifukiza17せねばならない 朝夕 1.nyunguをkudzifukiza17 2.ku-oga na kombe ra kuoga18 3.kunwa kombe ra kunwa19 4.muhaso wa kujita20 5.mavumba ga kudziphaka[^dziphaka] これを朝夕7日間繰り返すのである。

pinguは死の場面や、月経期、トイレに行くときなどは、身につけてはならない →Mupembaはきれい好き

唱えごと日本語訳

唱えごと全文テキスト(スワヒリ語・ドゥルマ語: DB 5532-5539)

(ムリナによる、メジュマー(mukaza Maguta)に対するスワヒリ語の唱えごと) 5532 (ムリナ、出だしは彼の「アラビア語」による唱えごと。書き起こし不可能。しばらくしてスワヒリ語にスィッチされる。以下スワヒリ語になってから)

Murina: ご傾聴ください。コーラン導師(mwalimu kuruani21; mwalimu=先生, kuruani=コーラン)に私は傾聴を呼びかけます22。スディアニ導師(mwalimu Sudiani11)に、ペンバ人導師(mwalimu mupemba5; ペンバ人)に、私は傾聴を呼びかけます。私はまたマスカット導師(mwalimu masikati; masikati=Muscat, Capital of Oman)に、ジネ・マウラーナ(jine maulana23)に傾聴を呼びかけます。私はジネ・バハリ(jine bahari24)、ジネ・シンバ(jine simba25)、ゴジャマ導師(mwalimu gojama26)、スルタン・ムァンガ(sorotani mwanga27; sorotani=スルタン,ただしスワヒリ語ではsultani,mwanga=妖術使いor光)に傾聴を呼びかけます。私はカドゥメ(kadume29)、ツォヴィヤ(tsovya30)にも、ジネ・ムァンガ(jine mwanga28)にも、傾聴を呼びかけます。皆さま方にご傾聴をと申しましたのちには、この木曜日のこの日に、私は皆さま方に鍋(chungu32)を置いてさし上げます。(患者に)あなた名前は? Patient: メジュマーです。 M: さて、私の兄弟の皆さま、先日、皆さま方に皆さまは鍋(chungu)を、そして飲む大皿(kombe la kunywa)と浴びる大皿(kombe la kuoga)を手に入れられるでしょうと申しました。空におわします王ジャバレ(jabale33)のいるところ、あなた世界導師(mwalimu dunia; dunia=世界)が、あなたメッカのスディアニ、メッカの巡礼者スディアニ、メッカのジャバレとごいっしょにいるところ、メディナとメッカの洞窟(panga34)のすべての皆さまにお話させていただきます。果てはキルワ(タンザニア沿岸部のかつて交易都市として栄えた場所)の皆さま、皆さますべてにお話させていただきます。 今日という日を、このメジュマーが手配するにお任せください。何に関して手配するのかというと、皆さま方の椅子(viti vyenu4)についてです。各人が自分の椅子におかけください。ロハニ導師(mwalimu rohani13)、スディアニ導師、ペンバ人導師、マスカット導師、ジネ・マウラーナ、お一人お一人、各人の椅子に紳士のやり方でお座りください。私の兄弟のみなさま、私は、すべての皆さま方に、満足していただけるようにいたします35。チョウジの木の生える場所の皆さまにも、ミドドーニ(Midodoni=ザンジバル島北部の地名)の皆さまにも。砂漠の皆さまにもお話しいたします。高い木々におわします皆さまにもお話しいたします。同じくペンバの子供(toto la kipemba)もいますが、この子も自分の椅子に座わっていただきます。そして浴びる大皿が、このjama(不明)です。平安のうちに大皿を与えあいましょう、私の兄弟の皆さま。

5533

Murina: 私は人から癒やしの術を授けられたのではありません。私はそれを、皆さま首長、高貴な方々、そして導師の皆さまから手に入れました。こうして私は(皆さまの)使用人となり、こうして奉仕いたしております。私はロハニの皆さまに奉仕いたします。私はジネ・マウラーナに奉仕いたします。私はジネ・マスカットに、ジネ・ペンバ人に奉仕いたします。私はジネ・ロハニとメッカのスディアニ、メッカの巡礼者に奉仕します。私はジネ・シンバ、ゴジャマ導師、スルタン・ムァンガに奉仕します。サンゴ礁におわすヘビたちの頭目ジャンバ(Jamba36, mukuu wa majoka mukalia mwamba)とその配下の皆さまにお話しいたします。皆さま、私は皆さまに、どうか耳を傾けてくださいと申します。さあ、しっかり耳をお傾けください、紳士の皆さま。ご傾聴ください、ジキリ(zikiri37)の皆さま、ジキリ・ナビ(dhikri nabi; dhikri=ムリナ氏のここでの発音,nabi=スワヒリ語nabii=預言者)、ジキリ・マウラーナ38、ジネ・バハリの方々。 皆さますべてに私はシャイルラ(shailula39)と申します。日は、今日、木曜日。今日この日。そして私アマニ(Amani=ムリナ氏の憑依霊名)が、この今日の日をしっかりとおひきうけ(ninaaminisha)いたします。私の兄弟のみなさま、ご傾聴ください。そして「ご傾聴ください(taireni)」(という言葉)は、人を押し倒しはしません。剣を振るうジネの専門家。さあ、あなた(患者に)。

5534

Chari: どうかおだやかに、おだやかに、世界の住人の皆さま。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。私がお話しするとすれば、私はメジュマーのためにお話しします。彼女は父と母から産まれました。父と母から生まれたところ....でも彼女は悲嘆と難儀に苦しんでいます。彼女は食べられず、眠ることもできず、じっと座ってもいられない。道を迷い歩き、世界を放浪する者、この世を彷徨う者なのです。人々が占いにまいったところ、あなたがた世界の住人の皆さまのせいだと言われるのです。 さて、どうかおだやかに。私たちはお願いに参りました。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu40)の方々に、ニェンゼ41の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga42)、子神トロ(mwanatoro43)、子神マユンゲ(mwanamayunge44)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga45)、キンビカヤ(chimbikaya46)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera47)、そして子神サンバラ人(mwana musambala48)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi49)、皆さまにお祈りいたします。私はお祈り申します。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura50)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo51)、ムガマーニ(Mugamani52)のサンブル(Samburu 地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima53)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe54)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいなのです。どうかおだやかに。 私たちは、(すでに)ムルングの鍋を置きに参りました。今日、今、私たちはイスラム教徒(の憑依霊)たちの鍋を置きます。彼らもその日数が尽きるまで、その鍋の湯気を浴びることになります。さて、あなたムルング子神、もしかしたら他の方々もいるかもしれません。ペーポー子神(mwana p'ep'o55)、バラワ人(mubarawa56)、サンズア(sanzua57)、ムクヮビ人(mukpwaphi58)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi59 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma60 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala61)、ボニ人(muboni62)、ダハロ人(mudahalo63)、コロンゴ人(mukorongo64)、あなたコロメア人(mukoromea66)、ドゥングマレ(dungumale69)、ジム(zimu70)、キズカ(chizuka71)、スンドゥジ(sunduzi72)、ドエ人(mudoe73)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao74)。あなた奴隷(mutumwa75)、またの名をンギンドゥ人(mungindo65)。

5535

C: あなたデナ(dena76)とニャリ(nyari77)、キユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki84)、ムビリキモ(mbilichimo81)、カレ(kare100)とガーシャ(gasha101)、レロニレロ(rero ni rero103)、あなたプンガヘワ(pungahewa108)子神。イキリク(106)とともにディゴ人(mudigo109)もいます。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai110)もいます。あなたゴロゴシ(111)、またの名をンガイ(ngai112)もいます。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba113)、カヴィロンド人(mukavirondo68)、マウィヤ人(mawiya114)、ナンディ人(munandi67)、ムマニェマ人(mumanyema116)。私は皆さまにおしずまりくださいと申します。おしずまりください(の言葉)は、聞き届けるものでしょう。皆さま方、どうか砦を解(ほど)いて、皆さま方がつつがなきことを。私は癒し手ではございません。癒し手はムルングです。私のすることは乞い願うこと(ku-tayamamu)そして祝福の手を置いて、小指の爪に戻り、そこに腰をおろして静かにしていることです。 こうして今日、あなたがたは鍋を与えられます。鍋は(憑依霊)ペンバ人の鍋です。もしあなたがた(ペンバ人の仕業)なら、降りてきて、腰をおろし、静かにしていてください。私の兄弟の皆さま、仲直りして、皆さん(憑依霊全員)で鍋をお受け取りください、そしてお互いに仲良く手をつなぎ合ってください、どうか私の兄弟の皆さま。この者(メジュマー)がつつがなきことを私は欲します。今より、この者がこの場を出たのちには、頭が痛むこともくらくらすることもありません。腹の問題も、完全になくなりますように。どうかおだやかに。 さて、あなた(憑依霊)ドゥルマ人もいます。ドゥルマ人はこれらの(イスラム系の霊の)香料を食べませんね。今日、このときより、まずはここをお発ちください。どうか家に帰り、あなたがたの家キリマンジャロで腰をおろしていてください。この鍋はと申しますと、あなたのものでは全くありません。全然。これはイスラム教徒たちのものです。あなたはイスラム教徒のものはお食べにならない。今日、今、この鍋があなたのものではないとご理解いただけたなら、あなたの鍋というなら、あなたはお手に入れられるでしょう。でも、これらがすべて終わってからです。御主人様! やれやれ、終わった。

5536 (ムリナ氏のスワヒリ語での唱えごと)

Murina: さて、紳士の皆さま、私は皆さまおそろいの場所に入るお許しを乞う117ています。この時間は、鍋の時間だと申せましょう。木曜日の今日、この日が鍋の(約束の)日なのです。というわけで、私の兄弟の皆さま、私は紳士の皆さまがおそろいの場所に入るお許しを乞うています。こう述べたうえで、私はコーラン導師にお話しいたします。コーラン導師、私は導師アラブ人自身にお話します。導師アラブ人ロハニ、アラブ人ロハニ、マスカット導師、マスカット導師、私は導師ジネ・マウラーナにお話します。ジネ・マウラーナ、私はスディアニ導師、メッカのスディアニ、メッカ巡礼者のスディアニにお話します。私たちは、争いがあったとお聞きしました。何を巡っての争いでしょう。鍋を巡っての争いに過ぎません。それと皆さまの護符(hanzima)、さらに皆さまの装身具(mapambo)。 しかしながら、私たちは今日という日に感謝いたします。私たちは必要なものを一つお差し出しするのです。全能の神に感謝するべきでしょう。思うに、いまこの瞬間に。 あなたがた紳士の皆さまに申し上げます。シャイルーラ(Shailula39)と、そして「ご傾聴ください」は人を打ち倒すものではございません。このように申し上げましたうえで、さて、この者は病人です。彼女の病気は腹です。腹にトゲが突き刺さる(ような痛み)。腹は焼ける。腹は切られる。人の子の眠りが得られない。こうした状態とその理由は、あなたがた憑依霊(shetani)だというのです。憑依霊は人です。話し聞かされれば、傾聴するもの。私は皆さま自身に言われた通りに、こうしてお話しているのです。

5537

Murina: 私は癒やしの術を授けてもらいに、人のところに行ってはおりません。私が思いますに、あなたがた自らがこの癒やしの術を私にくださったのです。この癒やしの術は、憑依霊ペンバ人のものです。私は使用人になることを承諾いたしました。昼に夜にお使え申しております。もし私があなた方のように困っている隣人を見れば、表も裏もございません。また、私の兄弟の皆さま、互いの声に傾聴しあいます。声は重要なロープです( sauti ni ukambaa kabaila)。私の兄弟の皆さま、兄弟として隣人として信じ合うこと。 ロハニ様、今日私はあなたに鍋を差し上げます。ペンバ人様、今日私はあなたに鍋を差し上げます。スディアニ様、皆さま方は全員、導師です。必ずや、あなたがた全員、なにをお使いになりますか。今日は、皆さま方の鍋です。木曜日の今日、私は皆さま方の鍋を皆さまに差し上げます。大いにお喜びください、兄弟の皆さま。大いにお喜びください、身分高きお方たち。もうこれなる女性を悩ませる118ことはございません。 今、あなたがたが隣人を得たこと、兄弟を得たことを心にお留めください。私の兄弟の皆さま。そして全能の神のもとでの平安を。助け合いましょう、私の兄弟の皆さま、さらにいっそう7と70の扉をお開きください。思いますに、このように私が神にお話しすれば、神自らが私に幸運をお恵みになるかもしれません。 (ムリナ氏、突然「アラビア語」での理解不能(書き起こし不能)な語りに入る。) 私の兄弟の皆さま、どうか鍋を紳士のやり方でお取りください。どうか、鍋とあなたの人生を、全能の神よ。ペンバ人よ、ロハニ、スディアニ、マスカット導師、ジネ・バハリ... (以下若干の言葉は聞き取れない)

5538

M: ...ジキリ・マウラーナ、ソマリ人たち、ボラナ、ジネ・シンバのお仲間、皆さま全員に申します。どうぞ平安の鍋をお取りください。皆さまに申し上げます。木曜日。今日のこの日。皆さま方が騙されることなどありえないこと、私たちがもしお話しするとしたら、まさに(正直に)お話したということを、ご理解ください。そしてわたしたちも、改善するよう119力を注がねばなりません。今、私たちはこのようにお改めしました。ですから皆さまがたも同様に、7と70の扉をお開きください。また、(患者の)身体が太り、血が身体に戻ってまいりますように。二度と、人の子の腹に殺到なさったりすることのないよう、私の兄弟の皆さま。もし皆さまにこの先、他の要求がおありになるとしても、まずは私どもに健康のしるしをはっきり、はっきりとお示しください。皆さま方はこのように話し聞かされれば、お聞き届けくださり、同じようにお待ちくださる。忍耐は幸福を引き寄せます。私の兄弟の皆さま。私は皆さまに申し上げます。さあ、7と70の扉を開けてください。皆さまの鍋はこれです。両手でしっかりとお受け取りください。皆さま方の大皿、飲む大皿と浴びる大皿とともに。そして皆さまの護符も。お一人お一人が自分の椅子にお座りください。 ロハニのいらっしゃるところ、スディアニのいらっしゃるところ、ペンバ人のいらっしゃるところの皆さま、私は皆さまにご傾聴くださいと申し上げます。ご傾聴ください(という言葉)は人を打ち倒しはしません、私の兄弟の皆さま。洞窟のジネの皆さま全員、皆さまに申し上げます。どうか皆さまのことを私たちが忘れずにいたことを、お忘れなく。そして皆さまの方でも同様に、人々のことを覚えおいてください。 私たちの仕事は、私たちはこの女性のつつがなきことを望んでおります。もう二度と、腹の病気は嫌です。その他も、嫌です。絶対嫌です。友情と隣人であること、この場でお互いに信頼しあいましょう。皆さま方が、つつがなきことをくだされば、大変嬉しく思います、私の兄弟の皆さま。私の方でも同様に、怠けたりせずに、望むものを皆さまにただちに調えて差し上げることができます。

5539

Murina: この鍋と飲む大皿と浴びる大皿についての証言をいたしました以外に、私にはこれ以上申し上げることはないと思います。今のこの時から、私の高貴なる皆さま。夕方です。私は今、皆さま方全員、7と70の扉を開いてくださることを欲します。そしてこの鍋に、どうか一斉に殺到なさらぬよう。高貴な皆さま、全員、歓迎いたします。けっしてお一人のための鍋ではありません。違います。ひとりひとりがこの鍋に満足なさってくださいますよう。この鍋はスワヒリの皆さま全員にお出し致しております。この鍋は団結の鍋です。今日の木曜日に私が皆さまにお出ししたこの鍋に、皆さま全員、どうかお行儀よく振る舞い、感謝していただけたらと申します。平安とともに、私の兄弟の皆さま。私にはもうこれ以上お話しすることはございません。以上です。憑依霊自身は人間です。話し聞かせられれば、聞きとどけます。私の兄弟の皆さま、御主人様、御主人様方、ご傾聴ください(という言葉)は、人を打ち倒したりしません。そこにいらっしゃる施術師の皆さま、バラカトゥ・スワラ・ハマドゥ(barakatu swala hamadu?)の方々。皆さま全員に私はお話しいたします。洞窟の皆さまにお話しいたします。アウトリガー船の皆さまにお話しいたします。白亜(chaki120)の皆さまにお話しいたします。ミゴロショ(migoroshoni121?)の皆さまにお話しいたします。私は、多くの大木の場所の方々に、多くの洞窟の方々に、多くの大岩の方々に、プランテンバナナの方々に、空中におわします方々に、世界導師にお話しいたします。皆さま全員、どうかご傾聴ください。ご傾聴くださいは人を打ち倒しはしません。私の兄弟たちよ。アマーニ。

注釈


1 癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga2であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
2 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
3 siku yiyo ya kulavira nyungu 訳せば「鍋を差し出すまさにその日に」
4 「椅子」、pingu、ngata、pande、hanzimaなど「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防になる。
5 民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」6、香料7と海岸部の草木8の鍋9。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
6 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
7 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
8 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術2においても固有の草木が用いられる。
9 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza10、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
10 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
11 スーダン人だと説明されるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」8による鍋(nyungu9)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe6)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu12)。
12 薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに縫い固めたもので、「護符」と訳することもできるが、憑依霊のpinguについては、その憑依霊を寄せ付けない防御的なものというよりは、やってきた憑依霊が座る「椅子」として捕らえられている点に注意。椅子がないと憑依霊は人間の身体の諸部分に腰をおろしてしまう。それによって人は病気になる。椅子を提供すれば、憑依霊は身体に座らないので少なくともそれに起因する病気にはならないことになる。
13 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
14 chidemuは布の小片一般。しかし憑依霊用にということで赤、白、紺、黒などのchidemuがキナンゴの商店で売られている。それにmavumbaその他をくるんで、糸でぐるぐる巻きにしたものがpingu12である。
15
16 当時(1989-1997)の私の調査地での滞在場所であった近隣(村)
17 鍋(nyungu)から立ち上る湯気を身に浴びる
18 ku-oga(koga)「浴びる」
19 ku-nwa「飲む」
20 ku-jita「煮る」、「料理する」、「煎じる」
21 クルアーニはイスラムの経典「コーラン」。 イスラム系の憑依霊、アラブ人 Mwarabuの別名とも。
22 ku-taizaという言葉はスワヒリ語にはない。taire(taireni pl.)=施術の場で、その場にいる人(人々)の注意を喚起する言葉を動詞化したものと思われる。ムリナMurina氏独特の言葉遣いに思える。
23 ジネ・マウラーナ。maulanaは「主、神、主人」を意味するスワヒリ語。
24 ジネ・バハリ(jine bahari)。直訳すれば「海のジン」。男性。杖(mukpwaju)を要求。
25 イスラム系憑依霊jine(fr.(ス)jini,(英)genie,(ア)jinn)の一種。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴だが、ジネ・ツィンバはもちろんそのライオンtsimbaのように鋭い爪で犠牲者の血をとる。症状:首を圧えられる、血の咳、腎臓(噛み潰されるkpwafunwa)、カヤンバで憑依されると地面を4足歩行し、ライオンのように吠える。
26 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
27 イスラム系憑依霊「スルタン」、スルタン導師 mwalimu sorotani、スルタンアラブ人 Mwarabu sorotani、スルタン・ムァンガ sorotani mwangaなどとも同じとも。jine mwanga28と同じともいう。イスラム系の霊として不潔なもの(尿、精液など)を嫌う。
28 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
29 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォーヴャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
30 子供を好まない。母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa」。see p'ep'o mulume31, kadume29
31 男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
32 「鍋(nyungu)」を指すスワヒリ語
33 スワヒリ語 jabali 「岩、岩山」ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。
34 スワヒリ語のpangaは「山刀」を意味するが、ここではドゥルマ語のpanga「洞窟」の訳の方が適切と判断した。洞窟はイスラム系憑依霊の棲み処であると考えられているからである。イスラムで言う精霊ジンは、スワヒリ語ではjiniだが、ムリナ氏はドゥルマ語のjineと言う言葉をそのまま使っている。ジンの一種であるruhaniについても、ムリナ氏はrohaniというドゥルマ語での呼称をそのまま用いている。必ずしもスワヒリ語として一貫した訳をめざすべきではあるまいと判断した。
35 おそらくku-ridhishaの誤り。ku-ridhishaは「許し、満足、祝福」を意味する名詞 radhiから派生した動詞。ムリナ氏は ku-radhisha と言う形で用いているが、スワヒリ語にはku-radhishaという動詞はない。
36 ヘビの憑依霊の頭目。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿6、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
37 イスラム系憑依霊のグループの一つ。イスラムの神を称える踊りや祈祷を意味するスワヒリ語 dhikiri より。zikiri maiti, zikiri maulana, zikiri nabisi(nabii=「預言者」の誤りか), zikiri labi(nabiiの間違いか)など。
38 イスラム系憑依霊zikiriの一種。maulanaはスワヒリ語で「主、神、主人」
39 スワヒリ語にはないが、ザンジバルにおける憑依霊について書いたLarsenは、憑依霊ruhani(ドゥルマのrohaniに相当するか?)に対する特別の挨拶として、現地の施術師がShaulilaと唱えることを報告している(Larsen 2008:65)。Murina氏は、しばしば唱えごとをShaulilani tena taireniで締めており、Shailulaもこのザンジバルにおけるアラブ系憑依霊に対する挨拶の言葉に類似した(に由来する)と考えてよいかもしれない。伝わった経路は不明だが。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
40 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
41 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
42 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
43 トロ(toro)は睡蓮
44 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
45 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
46 水辺に生える草の一種
47 動詞kurera(子供を「養う」)より
48 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
49 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
50 意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
51 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある高い山。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
52 地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cookes2003;393)
53 チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
54 チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
55 p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetaniもあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞)という言葉が用いられる。
56 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
57 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
58 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
59 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
60 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
61 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
62 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
63 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
64 民族名の憑依霊、ンギンド人65の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
65 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
66 民族名の憑依霊、ナンディ人67の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
67 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea66、mukavirondo68はいずれもナンディ人の別名であるという。
68 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
69 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
70 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
71 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
72 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
73 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
74 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
75 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)65の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
76 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari77)との共通性あり。治療は黒檀(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande83)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
77 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)78」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena76が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee80)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande83には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
78 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri79を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
79 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza78と呼ばれる手続きもある。
80 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo81)マンダーノ(mandano82)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
81 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
82 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
83 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
84 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika85)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
85 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi59)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka86) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri79)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi87など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo88,laika mukusi89など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe90, laika ra nyoka90, laika chifofo93など。(4) その他 laika dondo94, laika chiwete95=laika gudu96), laika mbawa97, laika tsulu98, laika makumba[^makumba]=dena76など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze10)で薬液を浴びる、護符(ngata99)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza78)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
86 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
87 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
88 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
89 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
90 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira91)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka92)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
91 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
92 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
93 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
94 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi59)の別名ともいう。
95 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
96 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
97 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
98 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
99 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
100 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
101 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena76)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari77)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga102)がいる。
102 ルキ(luki84)、キツィンバカジ(chitsimbakazi59)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
103 憑依霊シェラ(shera104)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza78)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)105」、「外に出す(ku-lavya konze107)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
104 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)78、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす105)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku106)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
105 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
106 憑依霊シェラ(shera104)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
107 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
108 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
109 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
110 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)とは別。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
111 憑依霊カンバ人の女性の別名。
112 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
113 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai112)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ112を参照のこと。
114 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde115)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama26)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
115 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
116 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
117 ムリナ氏はここでku-bishiaという動詞を用いているが、これは不平をいう、文句を言い合うといったニュアンスで「議論し合う」という意味の動詞なので文脈にそぐわない。
118 ムリナ氏はここでku-subuaという言葉を用いているが、スワヒリ語にはこの言葉はない。ku-sumbuaの間違いであろうと思われる。
119 これも辞書にはない。繰り返し用いられているので、書き起こしのミスとは思えない。意味から推測して ku-fanyiza が正しいように思える。訳にはこれを採用した。
120 chakiはスワヒリ語では白亜(チョーク)であるが、ペンバ島の中心町Chakichaki(or Chakechake)のことだともとれる。その場合は「チャキチャキ町のペンバ人」ということになる。
121 ムリナ氏は他の唱えごとでもmigoroshoniという言葉を繰り返し使用しているが、m(u)korosho(pl. mikorosho)つまりカシューナッツの木と考えたほうが語形から言っても意味が通るように思える。その場合 achina(akina) mikoroshoni は「カシューナッツの木がたくさん生えているところの方々」ということになる。