Umaziのためのmulunguの「鍋」とlaikaのngata, mudoeのpingu, 施術途中の思いがけない憑依

概要

(from diary) Oct. 5., 1991, Sat, kpwaluka

Tabuが来て、Mwainziのngoma1に行く前に寄ってくれとの伝言。行ってみると、nyungu2を据えに行くので荷物運び役。キナンゴの近くでMunyaziに会う。今日のngomaが中止になったことを伝えに。危うく無駄足を踏むところだった。しかし二時間近い道のりをこのことを伝えに来てくれたMunayziには感謝。 ただちに予定変更して,nyungu据えに付き合う。患者はUmaziという名の女性。驚いたことにmakokoteri4だけで golomokpwa5して、うううううなり始める。チャリはその声からnyari ngombe6だろうと判断。mapande7を約束すると静まる。....(中略)... 結局ngomaは中止になったので故Zuwa氏のkayamba ra pore8に行くことにする。...(中略)... kayambaは施術師Chizi wa Golofaの到着が遅れたため11時過ぎにようやく始まる。彼女を迎えに行くというので自転車を提供したり、いろいろあたふた。午前二時過ぎても、別に何も面白いことがおこりそうになく、全体にノリも低調、muwele9がgolomokpwaする気配もないので、午前3時に帰宅。 (後でLuvunoに聞くと、私が帰った後くらいからけっこうよく踊ったという。そういう彼女も3時すぎに寝たらしいのだが。)

ムルングの「鍋」治療がメインであるが、同時にライカの護符(ngata10)と憑依霊ドエ人の(pingu11)差し出しも行う。そのため「鍋」の成分はムルングの草木以外にライカの草木などもちょっと加えられている。施術師は唱えごとの中で「世界の住人」のための(つまり憑依霊全般に対する)「鍋」という言い方をしている箇所があるように、いくつかの霊はその草木を混ぜ合わせて用いることができる。それを拒む霊もあり、例えば憑依霊ドゥルマ人はその代表格である。

ムルングの鍋治療の他の事例と、大きな違いはないが、今回は唱えごとの途中で患者が正体不明の霊による憑依状態になり、施術師がその正体を推測して対処するという突発的な出来事があった点が興味深い。実は、こうしたことはけっして珍しいことではないのだが、私はいつもびっくりしてしまう。その対処(唱えごとによる説得)で患者はおとなしくなったので、結果的に施術師の推測があたっていたということになった。

施術師

ムリナとチャリの夫婦。

患者はキナンゴ在住のウマジという名の女性だが、チャリの弟子で後に施術師になるトゥシェ(同じく本名はウマジ)の兄弟の娘、つまり彼女の分類上の娘である。チャリとの関係は遠いが、ウマジは一応分類上のチャリの「母」にあたる(こじつければ。人々はできる限りなんとかこじつけて親族的な関係を見出そうとする)。

ムルングの「鍋」、ライカの護符(ngata)、mudoeの護符(pingu)施術の流れ

(1991年10月5日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートにおけるもの。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

【mulunguのnyungu】 KinangoのUmaziに対するmulunguのnyungu _____ | | △ ○Umazi(Tushe) | Umazi(本日のnyunguの患者)

mulunguのnyunguにはchiserema12は入れない。chiseremaを入れるのはnyari13のnyunguの特徴。 mulunguのnyunguには makala20 を入れ、ubani21でmihi22をkufukiza24する。

nyungu ya mulungu は7日間ku-oha25する ngomaの前、あるいはmudurumaのnyunguを必要としている場合など、4日間に短縮 される場合もある

一番重要なmuhiは chinukamuhondo(=mwamusunzu; Sesbania sesban, Egyptian riverhemp)

(1)chinukamuhondoをnyunguの縁に当ててmakokoteri 鍋の用意開始の唱えごと (DB 3356-3358)ドゥルマ語テキスト (2)nyunguにまずchinukamuhondoを入れ、次いで以下のmihiを加える26 muvumo (ハマクサギ属 Premna chrysoclada) muhumba (Cassia singueana, nyariの草木でもある) mudzala (Monanthotaxis fornicata, mudoeおよびmudurumaの草木でもある) murindaziya (Sesbania bispinosa) muk'ulu (Diospyros cornii,カキノキ属の樹木) mukalahani muhi wa malaika mukaphaha(kaphaha) chiranzya munda vuwakoe mup'ep'o
(3)続いて laika のngataとmudoeのpinguを kufukiza

(4)ngataを頭に置き、pinguを首にかけさせる Chari、vuoの薬液を三箇所に滴らせ、3回飲ませる 薬液を患者の頭に三回掛ける
(5)左手を患者の頭の上に置いてmakokoteri開始 鍋、護符授与の唱えごと (DB 3358-3362)ドゥルマ語テキスト
(6)患者突然 yugolomokpwaし、叫び声をあげ始める そのうなり声などから nyari ng'ombe であると判断、交渉に入る mapandeを約束し、vuoを飲ませると沈静化 突然の憑依 (DB 3363-3364)ドゥルマ語テキスト

唱えごとの日本語訳

3356 (鍋を用意する唱えごと)

Murina: (Chariの鍋準備を手伝いながら)おい、お前。今日はあの彼女いろいろ大変だったみたいだよ。一睡もしていないんだって。 Chari: うう。(ビスミラーイに始まる唱えごとの最初の文言は、「アラビア語」だということで書き起こし担当者が省略した。いつものコーランの最初の章句Al-Fatihahの耳コピ風朗唱。) おだやかに、友の方々。世界の住人(arumwengu27)の皆さま、私はおしずまりくださいと申します。私はゾンボ山28の方々に、おしずまりくださいと申します。私は皆さま方におしずまりくださいと申し、お入りしてよろしいでしょうかと申します。私の兄弟の皆さま方。皆さまに「お入りしてもよろしいですか」と申すことは、何を申すことでしょうか。私が到着しましたということです。私はやってまいりました。呼ばれたのでやってまいりました。どう呼ばれたのかと申しますと、ウマジのために呼ばれたのです。ウマジは病気です。ウマジの病気は、頭痛と目眩、耳鳴り。ウマジの病気は、胸、胸が重苦しく、背中が重苦しく、脇が押しつぶされること。腹がごろごろ鳴り、かっと熱くなり、トゲで指されるように痛む。ウマジの病気は、腰が切断され、脚が歩けず、心臓が張り裂け、心臓の動悸が速い。彼女には落ち着ける場所がない。どこにいても、ここは私の場所ではないと思う。目の前が暗くなる。これがウマジです。問題は口にも及んでいます。棒のようなものが突き刺さり、口の中にとどまって、物を飲み込むこともできない。これがウマジの症状(tabiya ya kpwakpwe)です。そして何者かが胸のあたりを動き回る。

3357

Chari: そしてかっと熱くなり、同時にトゲで刺され、脇を押しつぶされる。そして身体そのものも。この心臓が張り裂けると、不安がやってきて、身体が震える。さて、人々が占いに行くと、あなたがたゾンボ山の方々のせいだと言われるのです。ゾンボ山の方々とは、あなたがた世界の住人の皆さまのことです。世界の住人の方々とはほかでもありません。ですから私はあなた方、私の兄弟の皆さまにお祈り申し上げます。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu29)の方々、ニェンゼ30の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga31)、子神トロ(mwanatoro32)、子神マユンガ(mwanamayunga33)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga34)、キンビカヤ(chimbikaya35)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera36)、そして子神サンバラ人(mwana musambala37)とともにおられる子神ムルング、ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi38)、皆さまにお祈りいたします。 ですが、私がお話しするとすれば、それはあなたムルング子神39です。あなたこそが砦44の主なのです。そしてなんと、砦はあなた自身の手によって破壊されています。客人たちも砦を放置なさいました。そしてあなた自身も、今はそこにおられなくなっている。私はあなたにおしずまりくださいと申し上げます。私自身の「おしずまりください」の言葉です。私はあなたにおしずまりくださいと申し上げます。さらにあなたに鍋も差し上げます。この鍋を、どうか2つの腕でお受け取りください。この鍋が熱気を出しますように。この鍋が熱気を放てば、病気の筋肉(および血管)の一本一本を探し出します。

3358

Chari: 今日、今、もしウマジが肺に捕らえられているのであれば、あなたムルング子神に捕らえられているのだとすれば、私は強く言います。ウマジは今日にも睡眠が得られますようにと。心臓の問題も、目眩の問題も、背中の問題も、肺の問題も、もうありません。腰が切断されることも、身体が壊れに壊されることもありません。身体がかっと熱くなることも。耳が笛を吹き鳴らすことも、耳に蓋がされてしまうことも、眼の前が暗くなることも、ありません。このように、もしあなたムルング子神のせいなら。私は多くを申しません。私はつつがなきことを、ウマジがつつがなきことを望みます。彼女が健康であるのを見れば、カヤンバを開くことすら、私たちは行うでしょう。でもまず私たちにウマジが、なんの問題もないことを見せてください。プッ(唾液を吐く)。施術師の皆さま、ご傾聴願います。 人々(Murina、ウマジの夫、Tushe、Hamamoto): ムルングの! (この後Chariはライカ(laika)のンガタ(ngata)とドエ人(mudoe)のピング(pingu)--これらはすでに自宅で作成済みのもの--を乳香で燻し、鍋の前に座らされたウマジに着け、薬液をウマジにかけて唱えごとを開始する) おだやかに、おだやかに、世界の住人の皆さま、私は皆さまにお話しいたします。おだやかに、おだやかに、北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu29)の方々、ニェンゼ30の小池の方々に。おだやかに、さらにマンゲラ(mangera「鷺」)の池の方々にも、私はおだやかにと申し上げます。ウヴンヴニ(uvumvuni45)の方々にも、おだやかにと申し上げます。チャキチャキ(Chakichaki46地名)の皆さま、おだやかに。私はまた、おだやかにと申し上げます。子神ドゥガ(mwanaduga)、子神トロ(mwanatoro)、子神マユンギ(mwanamayungi)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga)、キンビカヤ(chimbikaya)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。

3359

Chari: 子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera)、そして子神サンバラ人(mwana musambala)。それともにおられる子神ムルング、ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi)。 でも、私がお話しするとすれば、あなたムルング子神とお話しします。あなたこそ砦の主なのです。お話しするつもりではなかったのですが、お話しするのはウマジのためです。ウマジはずっと以前より苦境におりました。ウマジは病気です。ウマジは頭痛です。悪寒があります。目眩があります。背中も肺も重苦しい。そして咳です、ウマジ。口の中に小さな棒が突っかかっている。私たちは妖術を口にしさえします。棒が口の中に引っかかっているのです。本当に病気です。ひどく咳き込み、止まるところを知りません。ウマジは食事もしない、眠らない、じっとしていない。道を迷い歩き、世界を放浪し、この世を彷徨う者なのです。この者は。そして頭痛、背中、腰が切断、脚は壊れに壊れ、腹はかっと熱くなり、トゲが突き刺さる。心臓は破裂し、心臓は不安、身体は震える。どこもかもがどうしようもない。何者かが臍のあたりで動き出し、心臓をつかむ。そいつは口の中にやってきて、脇が内側に押し込まれる。でも私たちは語り合う。もしかしたら、いや、もしかしたら薬(muhaso)ではないだろうか(妖術ではないだろうか)と。

3360

Chari: しかし占いに参りますと、本当でしょうか、私たちは、ほかでもない彼ら世界の住人の方々のせいなのだと言われるのです。世界の住人の方々とは、ほかでもないあなた方ゾンボ山の方々です。先日のことです。彼女はその母(施術上の母=Chariのこと)に来て、唱えてもらいました。本人がいうことには、唱えごとをしてもらって以来、少し快方に向かってきた感じがすると。そこで、私はあなたムルング子神にお話ししているのです。あなたこそ砦の主です。あなたムルング子神、あなたに続くのが、ペーポー子神(mwana p'ep'o47)。ペーポー子神、バラワ人(mubarawa48)、サンズア(sanzua49)、ムクヮビ人(mukpwaphi50)。ムクヮビ人、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi51 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma52 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。あなたガラ人(mugala53)、ボニ人(muboni54)、ダハロ人(mudahalo55)、コロンゴ人(mukorongo56)、あなたコロメア人(mukoromea58)、ドゥングマレ(dungumale61)、ジム(zimu62)、キズカ(chizuka63)、スンドゥジ(sunduzi64)、ドエ人(mudoe65)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao66)。あなた奴隷(mutumwa67)、またの名をンギンドゥ人(mungindo57)。 この者の母系クランに憑依霊ドエ人がいると言われております。今日、私は彼女にピング(pingu11)を与えます。他のどなたのピングでもございません。あなたドエ人自身のピングです。そう、私はあなたにあなたのピングを差し上げます。私はピングを差し出します。ンガタ(ngata10)はライカ(laika68)のものです。実は、昨日私は、この者の母系クランの人々の間に憑依霊ドエ人がいると聞かされたのです。ですから、どうか2つの腕でお受け取りください。あなたドゥングマレ、ジム、キズカ、スンドゥジ、ドエ人。ドエ人は、あなたムリマ・ンガオ。奴隷は、あなたムンギンドゥ。このなかには、あなたニャリ(nyari13)とデナ(Dena16)、ムビリキモ(mbilichimo18)、カレ(kare82)とガーシャ(gasha83)、レロニレロ(rero ni rero86)、あなたプンガヘワ(pungahewa91)子神。

3361

Chari: プンガヘワとあなたディゴ人(mudigo92)とあなたイキリク(ichiliku8987)。みなさんが、彼女の中にいらっしゃらないとは私は申しません。でも、より深刻なこと(とそれほどでもないこととの違いがあること)は人の常です。私は、皆さま方におしずまりくださいと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai93)に対してまでも。そしてあなたゴロゴシ(gologoshi94)、またの名をンガイ(ngai95)も。ンガイ、またの名をカンバ人(mukamba96)。カヴィロンド人(mukavirondo60)、マウィヤ人(mawiya97)、ナンディ人(munandi59)、マニェマ人(mumanyema105)。私は皆さま方におしずまりくださいと申します。 おだやかに、おだやかに、おだやかに。私たちは皆さまにおだやかにと申しにやってまいりました。この者、ウマジのために私は鍋を置きます。鍋はムルングの鍋です。これより鍋に熱気あれ。。施術師(muganga)はノーと言われる者ではありません(kazumwa)。施術師は、そのとおりだ(taire106)!と言われるべきです。私は癒し手(muganga)ではありません。癒し手はムルングです。私のすることといえば、祝福の手を置いて、小指の爪に引き下がり、座って大人しくしていることです。争い合う者は二人。三人目がやって来ると、仲裁します。今日、私は仲裁者、争いを鎮めます。私は、おしずまりくださいと申します。私はおしずまりくださいと申します。そして皆さまどうかお聞き届けください。ムビリキモとともにいらっしゃるディゴゼー(digozee17)も。私はおだやかにともうします、あなたカドンゴ(kadongo)にも、私はおだやかにと申します。おだやかにおだやかに、はてはウヴンヴニの皆さま方にも、おしずまりくださいと申します。あなたライカもいます。ライカ・ムェンド(laika mwendo71)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo107)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga34)。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi108)もいます。ヌフシ、またの名をパガオ(pagao109)。

3362

Chari: ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka75)もいます。ライカ・ムァフィラ(laika mwafira74)もいます。ライカ・ズズ(laika zuzu110)もいます、ライカ・キウェテ(laika chiwete78)もいます。あたなライカ・キフォフォ(laika chifofo76)、またの名をライカ。ライカ・ビンギリ(laika bingili111)。私は皆さま方におだやかにと申します。私はおだやかにと強く申します。結局、皆さま方全員、ライカ・ムズカ(laika muzuka69)なのです。あなた、トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga70)、夜に昼に人にとり憑く。あなたトゥヌシ・ワ・バハリーニ(tunusi wa baharini「海のトゥヌシ」70)。私はあなた方におしずまりくださいと申します。 今、今日、もしあなた方のせいだというのでしたら、私は彼女にライカのンガタを結びつけました。この者にこのンガタが病気を取り除いてくれますように。頭痛も、悪寒も、目眩も、背中も、速い動悸も、ありませんように。心臓がときに彼女にお前は今日死ぬだろうと告げるという奇妙な症状も、ありませんように。 ドエ人のピングでしたら、これです、すでにお差し出ししました。今、今日、私はつつがなきことを願います。鍋が熱気を発しますように。そして鍋が病気の血管や筋肉をひとつひとつ追い出しますように。腹が治りますように。咳が治りますように。二度と病気がありませんように。背中も、頭も、肺も。御主人様方、二度とありませんように。私は皆さま方におしずまりくださいと申し上げます。あちらの薬液を浴び、あちらの薬液の蒸気を浴び(おそらく「鍋」の言い間違い)、煎じる薬を飲めば、施術師が「その通り!」と言われますように。

3363

Chari: 今、あなたがたのせいだとわかれば、私たちはすべてを調えて差し上げるでしょう。でも今のところ私たちはまだ、結核かもと言っています。病院へ行って、もし少しも良くならなかったら... (ウマジ、突然憑依状態になり、言葉にならない声で叫び始める(書き起こし係は「ウシのような声で」と書いている)) (Chari、スワヒリ語で)さあ、しずまって、しずまって、しずまって、しずまって。何ごとですか?というよりどなたですか?さあ、おしずまりください。やって来て、お告げください。さてさて、おしずまりください、御主人様。おしずまりください、おしずまりください、おしずまりください。そしていったいどなたなのか、お告げください。私たちは彼女本人が咳が出るのが、あなた方がいったいどなたなのか知りたいのです。さあ、おしずまりください、もしあなたがニャリ(nyari13)なら、ニャリ・ンゴンベ(nyari ng'ombe6)なら、ニャリ・ンゴンベよ、私たちはあなたの要求が護符パンデ(pande7)であることは、わかっています。でも今日は私はあなたに差し上げることはしません。私たちはまだ、あなたのせいだとわかっていないからです。もし本当にあなたなら、おしずまりください、私の御主人様。よくおしずまりください。繰り返し、御主人様おしずまりください、御主人様。さて、おしずまりください。おしずまりください。おしずまりください。もしパンデでしたら、私はあなたに差し上げましょう。もし布だというのなら、あなたに差し上げましょう。でも今は、人は語られると、聞き届けるものです。御主人様!

3364

Chari:(私に向かって)こいつがニャリ・ンゴンベだよ、あんた。ね、聞いたでしょ? (唱えごと再開、ドゥルマ語で) さて、ご主人様、もしあなたニャリ・ンゴンベなら、私はすぐにでもあなたのパンデをもってまいります。おだやかに。御主人様。今は私はあなたにお関わりいたしません。でもパンデ(複数)でしたら、後ほどあなたに差し上げます。でも御主人様、私たちはいったい誰のせいなのか知りたかったのです。そして今、あなたニャリ・ンゴンベが出ていらっしゃいました。あなたはあなたのパンデを手に入れられます。布とおっしゃるなら、まずはこの者が快方に向かうのを、私たちにお見せください。そして二度と彼女を咳き込ませることのないように。 (ウマジ次第に大人しくなる) (私に)カリンボ!終わったよ! Umazi: この薬は煎じて飲む薬かしら? Chari: 煎じて飲む薬ですよ、お母さん。

注釈


1 木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもngomaと総称される。憑依霊の踊りの催しにはngomaよりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にmuturituriの実を入れてガラガラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれるが、使用楽器によらず、いずれもngomaと呼ばれることが多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれる。
2 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza3、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
3 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
4 唱えごと。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
5 憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になること。受動形のみで用いるが。ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。
6 ニャリ・ンゴンベ(nyari ng'ombe)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ng'ombe はウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。
7 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
8 憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(makayamba=pl. of kayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にmuturituriの実を入れてガラガラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
9 その特定のンゴマがその人のために開催される、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)[^mwana_wa_chiganga]であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
10 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
11 薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに縫い固めたもので、「護符」と訳することもできるが、憑依霊のpinguについては、その憑依霊を寄せ付けない防御的なものというよりは、やってきた憑依霊が座る「椅子」として捕らえられている点に注意。椅子がないと憑依霊は人間の身体の諸部分に腰をおろしてしまう。それによって人は病気になる。椅子を提供すれば、憑依霊は身体に座らないので少なくともそれに起因する病気にはならないことになる。
12 使い古し、すり減った手鍬(jembe)の刃
13 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)14」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena16が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee17)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande7には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
14 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri15を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
15 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza14と呼ばれる手続きもある。
16 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari13)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande7)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
17 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo18)マンダーノ(mandano19)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
18 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
19 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
20
21 乳香
22 治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術23においても固有の草木が用いられる。
23 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
24 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
25 ku-oha「(火に)あたる」「身体をあたためる」を意味する動詞。「鍋にあたる」は kudzifukiza nyungu と同義。ku-ochwa「焼かれる」も同様。
26 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には〔Kokwaro 1976; Parkia&Cooke 2003,2003a; Maundu&Tegnas eds. 2005〕を参照した。これらはそれぞれの植物の現地名と学名の照合を可能にしてくれる。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能な訳ではないが。
27 憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ
28 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ゾンボ山に棲まう憑依霊のみならず、それらの憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々も含めて mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)(複数形 adzombo)」という言い方もある。
29 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
30 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
31 憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
32 トロ(toro)は睡蓮
33 別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
34 葦, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Parkia2003a:377)
35 水辺に生える草の一種
36 ムルング子神の別名。「養う者」。動詞kurera(子供を「養う」)より
37 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
38 至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる
39 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza3)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる40。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている41。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
40 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供41がある。
41 不妊の女性に与えられる瓢箪子供40。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神39がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande7)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料42)、血(ヒマ油43)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
42 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
43 ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
44 憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
45 不明。ただしドゥルマ語でuvumvuは「孤独」「寂しさ」の意味。
46 ペンバ島の中央部の町。
47 p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetaniもあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞)という言葉が用いられる。
48 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
49 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
50 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
51 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
52 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
53 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
54 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
55 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
56 民族名の憑依霊、ンギンド人57の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
57 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
58 民族名の憑依霊、ナンディ人59の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
59 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea58、mukavirondo60はいずれもナンディ人の別名であるという。
60 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
61 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
62 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
63 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
64 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
65 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。image_pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
66 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
67 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)57の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
68 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi51)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka69) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri15)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi70など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo71,laika mukusi72など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe73, laika ra nyoka73, laika chifofo76など。(4) その他 laika dondo77, laika chiwete78=laika gudu79), laika mbawa80, laika tsulu81, laika makumba[^makumba]=dena16など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze3)で薬液を浴びる、護符(ngata10)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza14)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
69 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
70 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
71 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
72 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
73 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira74)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka75)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
74 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
75 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
76 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
77 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi51)の別名ともいう。
78 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
79 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
80 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
81 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
82 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
83 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena16)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari13)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga84)がいる。
84 ルキ(luki85)、キツィンバカジ(chitsimbakazi51)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
85 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika68)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
86 憑依霊シェラ(shera87)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza14)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)88」、「外に出す(ku-lavya konze90)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
87 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)14、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす88)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku89)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
88 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
89 憑依霊シェラ(shera87)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
90 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
91 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
92 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
93 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
94 憑依霊カンバ人の女性の別名。
95 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
96 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai95)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ95を参照のこと。
97 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde98)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama99)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
98 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
99 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola100)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
100 憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa」と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊(ku-kokomola)によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume101)、カドゥメ(kadume102)、マウィヤ人(Mwawiya97)、ドゥングマレ(dungumale61)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga103)、ライカ・トゥヌシ(laika tunusi70)、ツォヴャ(tsovya104)、ゴジャマ(gojama99)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu」あるいはニューニ(nyuni 「キツツキ」)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。
101 男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
102 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォーヴャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
103 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
104 子供を好まない。母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa」。see p'ep'o mulume101, kadume102
105 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
106 2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
107 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。
108 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao109))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka69)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
109 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
110 ライカ・ズズ(laika zuzu)。ズズ(-zuzu)は「愚かな」を意味する形容詞。属性などについては不明。ライカ・ズズによって奪われたキブリを戻す「嗅ぎ出し」を得意とする施術師がいるという話を1993年に聞く。この施術師は通常の「嗅ぎ出し」とは異なり屋敷内ですべてを行った。川にも池にもムズカにも行くことなく屋敷の庭に据えたchizaに奪われたキブリを呼び戻して瓢箪に入れ、それを患者に戻すという施術。
111 属性不明。