1984 |
ドゥルマ族における病気の体験(1) 『福岡大学人文論叢』Vol.16(1) 87-123 |
1984 |
ドゥルマ族における病気の体験(2) 『福岡大学人文論叢』Vol.16(3) 1033-1059. |
1985 |
憑依霊としての白人〜東アフリカの憑依霊信仰についての一考察 『社会人類学年報』Vol.11 35-60 |
1988 |
インセストの修辞学:ドゥルマにおけるマブィンガーニ=インセストの論理 『九州人類学会報』Vol.16 35-51 |
1988 |
憑依論序説(未公刊) 西日本宗教学会における発表原稿 |
1989 |
フィールドにおいて「わからない」ということ 『季刊人類学』Vol.20(3) 34-51 |
1989 |
死を投げ棄てる方法:儀礼における日常性の再構築 田辺繁治編 『人類学的認識の冒険』 333-356 同文館 |
1990 |
キマコとしての症状:ドゥルマ族における病気経験の階層性について 波平恵美子編 『病むことの文化』 36-66 海鳴社 |
1991 |
病気の身体における自己 『教育と医学』 Vol.39(4) 11-16 慶応通信 |
1991 |
マジュトの噂:ドゥルマにおける反妖術運動 『九州人類学会報』 Vol.19 47-72 |
1992 |
病気の表情 波平恵美子 『人類学と医療』(講座「人間と医療を考える」4) 70-93 弘文堂 |
1992 |
ドゥルマにおけるコマの観念 『九州人類学会報』 Vol.20 33-51 |
1992 |
子供としての憑依霊:ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼 『アフリカ研究』 Vol.41 1-22 |
1993 |
文化人類学は何を提供できるか:ドゥルマの事例 (特集:国際医療協力と文化人類学) 『メディカル・ヒューマニティ』Vol.22 45-49 蒼穹社 |
1993 |
ドゥルマの占いにおける説明のモード 『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 |
1994 |
J・ウィリス著『モンバサ、スワヒリ、ミジケンダの形成』 『アジア経済』Vol.35(7) 73-77 |
1995 |
ドゥルマ社会の老人−−権威と呪詛 中内敏夫・長島信弘他 『社会規範−−タブーと褒賞』 445-464 藤原書店 |
1995 |
ケニア・ミジケンダ諸族における「病気の文化」 吉田禎吾・上田冨士子・慶田勝彦・小田昌教と共著 学術月報 Vol.48 No.4: 54-60 |