フィールドにおいてわからないということ

1989年4月1日に京都大学で行なわれたシンポジウム『フィールドからわかるということ』において発表したもの。その後、同年9月に刊行された『季刊人類学』Vol.20 に掲載された。他の発表者の論文が刊行に向けて改めて書かれたものであるのに対して、さまざまな手違い--あえて誰が悪いとは言わないが--から私のものだけが、発表時の原稿のまま一切手を加えずに刊行されることになってしまった。註も引用文献も一切なしで論文の体裁もなしていないのだが、今さら書き改めるのも妙なので、刊行されたそのままの形でここに提示する。

 私はフィールドワークに関しては素人である。学生時代、初めて実習という名のもとで東北地方のとある農村に出かけたときから、それは既にわかっていたような気がする。その期間を通じて私は、現地の人々とのあいだの埋めようのない隔たりだけを感じていた。我々を指導するために同行していた助手のI氏は、優れたフィールドワーカーだった。現地の人に尋問しているような感じは、いささか私をたじろがせはしたものの、彼は我々の見守る前で、鮮やかな手つきで、その農村に生きる人々の「事実」を次々と引き出してみせてくれた。これこそ我々がマスターするべき「技術」であった。当然聞かねばならない事柄というものがある。それを聞かずに済ませておいたとすれば、それは迂濶のそしりを免れないだろうという訳である。私ももちろん、そのための努力は怠らなかったつもりである。しかし同時に、こうして集められる事実が、私が感じ続けている一種の疎隔感を埋めつくしてはくれないだろうともわかっていた。

 すべては私の拙なさからくるものであったのかもしれない。他人の世界に踏み込むことが、おそろしく苦手で、それでいながら、あるいはそれゆえに、他人の世界に丸ごと参入したいというじりじりするような焦躁感につねに悩まされていた私は、ごく差し障りのない質問をすることにすら大きな抵抗を感じていた。ましてや矢つぎ早やに質問を繰り出して、納得の行くまで知るべき事実を手に入れてしまうことなど、とても出来そうになかった。私の調査は自然、相手がうちあけようと決めた話だけを熱心に聞いているだけのものとなっていたのである。私はその場をコントロールしようという意志を放棄してしまったのだ。何が相手の人々をして語り続けることを選ばせていたのかは、わからない。当然私がそういうふうにしむけていたのだろうが、それは私の意識してしたことではなかったはずだ。ともかく、それはいつもそんな風に進行した。

 集めてくることが期待されていた「情報」があまり手に入らなかったのはもちろんであるが、だからといって人々の語りが私を失望させることもなかった。彼らは実に多くのことを語ってくれた。結構なことではないか。しかし、彼らのこうした語りは、私が感じ続けている疎隔感を強めこそすれ、けっして解消してはくれなかったのだと付け加えておかねばならない。むしろ彼らの語りこそが、そうした疎隔感の源だったのである。私は、彼らの語りの随所に散りばめられている「ねえ、そうでしょう」「ねえ、わかるでしょう」という目くばせ、コミュニケーションが成立していると言われるときには必ずや交わされているはずの目くばせ、他者の語りを自らの語りとし、相互に相手の語りを引用しあうことを可能にしているはずのこの目くばせのやりとりに、参入できない自分を、その都度発見しているだけだったのだ。私はそれに合わせるふりをするのが、せきのやまであった。 この悲惨な初めての「調査実習」の経験が、呪いのようにその後の私のフィールドワークにまとわりついて、いくら進んでもまた見たことのある風景に戻っているような迷路のなかに私を閉じこめてしまったような気がする。

 何も別に深刻ぶっているわけではない。フィールドでのこうした疎隔感が私を深く思い悩ませたという訳でもない。フィールドは私にとってむしろ楽しい驚きに満ちたものであった。アスピレーションの有無がドゥルマ語の音韻体系において重要な弁別特性になっているということを知ることはそれだけで一つの喜びであったし、猫が人間以外では唯一埋葬される動物であることを知ることも、トウモロコシが14もの異なる成長段階に応じてそれぞれ違った仕方で語られると知ることも、その他あらゆる些細な知識の獲得がその都度私を興奮させた。私は、言わば手あたり次第にあらゆるノイズを吸いあげる「精神なき民族誌的電気掃除機 mindless ethnographic vacuum cleaner」のようなものであった。それなら、こうした知識や事実の網羅的な収集に向けてもっと体系的な調査ができただろうにという気がする。何かを数え上げたり、系譜図の空白を埋めたり、アメリカ留学中に訓練を受けなかったわけででもまんざらないエスノサイエンスの手法を駆使したり、といった、それこそ人類学のベーシックとでも言えるような効率的な情報収集が不可能なわけではなかっただろうに。

 しかしまたしても、私は人類学者としての働きに麻痺をきたした「でく人形」と化してしまっていた。というのは私はここでも、こうした事実や情報そのものによりも、それらが私に開示される「語り」そのものの方にとらわれていたのだ。それは相も変らぬ一種の疎隔感の源泉であった。フィールドの経験のある方には私が言おうとしていることに、思いあたる節があるのではないかと期待している。それは単なる距離感というのとは異なっている。ある人々にとってはリアリティーについての、あるいはリアリティーに関係した、あるいはリアリティーそのものであるはずの語りが、自分にとっては単なる「おはなし」としてしか受けとめられないような状況で感じる、そうした状況そのものに対する一種の違和感のようなものだと言えば、もっとはっきりするかもしれない。その語りが特に難解であるとか、飛躍しているとかいうのではない。ただの「おはなし」としてなら言っていることはよくわかる。しかしそれに対して、例えば反駁しようという気すら起こさない程度には、それは自分とは「関係ないお話し」にすぎない。私はそれを「転写」あるいは「転記」することはできても、自分の言説のなかに「引用」することはできない。それは「他人性」の刻印を刻みつけられた語りであると言ってもよい。それはいつも私をたじろがせるし、同時に私と相手とのあいだで交わされるそうした異常なコミュニケーション、あるいはむしろその欠如を、インタビュー状況として一方ではあたりまえのこととして受けいれている自分に対しても、違和感を感じないわけにはいかなかったのである。

 こうしたことにこだわることが、何かたいしたことででもあるかのように私が考えているとは思わないでいただきたい。私自身がこれを一種の欠陥であると考えていることは、繰り返し強調しておきたい。それは私の人格的欠陥ですらある。

 まず第一に、これはこだわってもしかたのない問題だという見解があるだろう。人類学者に求められているのは、現地人と同じように考え行動することではなく、対象社会についての客観的な知識を提供することである。君は、そのために必要なフィールドワークの作業における君自身の怠慢を、こうしたこだわりをもちだして正当化しようとしているだけだ。確かに私は現地人と同じように考え行動することなどめざしていない。しかし私は理解した気になりたいのだ。そして事実をいくら集めても、そして実際けっこう熱心に集めてはいるのだけれど、いっこうに理解した気になれそうにないから困っているのだ。

 第二に、現地の人々に対する共感の有無が問題だという見解もあろう。君にはそうした共感の能力が欠けているのだ。相手の立場に立って、物事を考えるということができないのだろう。そう言われると、私にも思いあたる節がないでもない。これは私の人格的欠陥だということになるかもしれない。しかし私にとっては、人々の語りこそ、私が相手の立場に立ち、共感の回路に入り込むことを妨げているように思えてしまうのだ。

 第三に、現地の人々に対して実践的にコミットすれば、自然に共通の地平のようなものを共有することができるはずだという見解もあろう。そして事実、臆病で実践的なコミットメントに踏み切れない半端者が私なのだから、再びこれもどうしようもないことだということになる。

 という訳で、私には結局居直るしか道はないようである。他人にとやかく言われる筋あいはない。私のフィールドとはこんなものなのだ。そしてこうした経験が私の書く作業にとっての唯一の源泉であるしかない。違和感や疎隔感をもとでに書くこと、それらを解消するためにというよりも、それらが何から来るものであるのかを正確に見定めること、理解した気になるためにというよりも、何がそれを阻んでいるのかを明らかにすること、差しあたって私が目ざしているのはこれである。

 何か具体的なケースで考えてみよう。例えば「妖術」をめぐる語りのわかりにくさについては、私自身最も深くこだわってきた問題でもあるし、私が目ざしている作業の一応の段階を示す目安にはなってくれるだろう。

 別にフィールドに行かなくとも妖術信仰はわかりにくい。これはこの種の信仰の存在にあまりにも馴染みすぎた人類学者がしばしば忘れている点である。

 ケニアのドゥルマの人々のあいだには、不幸や災厄のありふれた原因の一つにウツァイと呼ばれるものがあります。妖術と呼んでおきましょう。ある呪薬や呪物の助けを借りて、犠牲者のうえに不幸や災いをもたらす一種の呪いのようなものだと考えて下さい。病気や事故、死、妻の不妊、作物の不作、家畜の病気や死、その他ありとあらゆる不幸は妖術のせいかもしれないと考えられています。妖術を使う人はムツァイと呼ばれますが、彼らは夜はだかで墓に集まり死体を掘り出して、それを食べたりするとも言われています。また...

 こんな風に、学生相手に妖術信仰についての講義をした後で、彼らの感想を聞いてみると、そのほとんどは「信じられなーい」「うそみたーい」といったお決りの型に落ち着くのが常である。これはある意味では無理からぬことである。人々が「我々とは違って」迷信にとり憑かれた非合理な人々、無知な人々だとして済ましてしまうほうが、彼らにとっては、はるかに簡単なのだ。人類学の既存の説明を総動員してみたり、あるいは実際にはドゥルマの人々がいかに実際的な人々であるかを口をすっぱくして説明してみたりしても、学生たちのこうした反応を修正することはおそろしく困難なことだとわかる。最終的には学生たちは一つの循環論に陥っている。学生たちは、彼らが非合理的な人々であるから妖術を信じたりするのだ、と言うが、何故彼らが非合理的なのかというと、それは彼らが妖術などを信じているからだという訳である。

 一方、我々もよく考えてみれば非合理的な部分をもっているではないか、という形で納得してしまう学生もいる。我々だって「過去」においては呪いを信じ恐れもしていたし、現在でも験をかついだり、運勢を気にしたりする人々がいるにはいるという訳である。しかし当の本人自身が、験をかついだり呪いを恐れたりすることから距離をとってしまっている限り、彼とて結局何もわかっていないのだという点では何の変りもない。

 我々とは正反対であると言うにせよ、我々と同断であると言うにせよ、こうした観念を信じている人と信じていない人のあいだにある違いが何であるのかは、少しも明らかにはなっていないのである。

 フィールドで出会う妖術信仰のわかりにくさは、こうしたわかりにくさとはやや異質な側面をもっている。それは、それについて語る当の人々から切り離された形で妖術信仰が示すわかりにくさとは別のわかりにくさである。当の人々の口から語られるとき、それはけっして荒唐無稽な物語にはなっていない。妖術をめぐる語りの一つを例にとってみよう。私が親しくしていたある青年が私に語ってくれた事の顛末は次のようなものであった。長い話なので要約のみを示そう。

    セカンダリー・スクールに在学中、彼自身認めているように、彼はけして模範的な学生とは言えなかった。彼の関心は女性と関係をもつことにあり、その点にかけては他の若者たちより一歩抜きんでていた。この目的で彼は「惚れ薬」の使用すら辞さなかった。セカンダリー・スクールは終えたものの、彼の成績は彼に望ましい職を得させるには不充分なものであった。ちょうどその頃、近くの村の成人教育を担当する教師が募集になった。彼はその職を、自分と同じ村に住むセカンダリー・スクール当時の同級生と張りあうことになった。彼は見事競争に勝ってその職を手に入れることができた。その同級生の父親は、彼が何か不自然な手段を使ったに違いないと触れまわっていた(著者註:これは彼が妖術を使用したことをほのめかす中傷である)。
    彼の病気が始まったのは、それからまもなくであった。彼はさまざまな身体的不調を訴えるようになり、病院へも行ったが、その結果はおもわしいものではなかった。治ったと思ってもまた発病の繰り返しだったのである。彼は病院へは行くことをやめた。彼の症状はしだいにひどくなり、誰もが彼はもう長くないと考えていたという。占いの結果、はじめはそれは憑依霊の仕業だとされた。ただちに治療儀礼が開かれた。しかしその結果、彼には確かに憑依霊がついてはいたが、その霊は彼の病気に直接責任がないことが判明した。別の占いを諮問した結果、それは妖術であるとわかった。占いは、それが占いの常であるように、誰が妖術使いであるかまでは明言を避けたが、彼とその家族のものには、その正体は明らかであった。例の同級生の父親に相違ないのだ。この男は、ここしばらく彼の屋敷を訪れず、彼が病気と聞いても見舞いにも来ていなかった。彼の父親は占いの結果に激怒し、家族の人々はその男の屋敷へは立ち寄るまいと話あった。
    彼に対してただちに治療が開始されたが、それはなかなか功を奏さなかった。治ったと思っても、またしばらくすると再び病気になった。彼の屋敷の人々はその男のさらなる攻撃を恐れた。彼の父と兄弟たちは、自分たちがその男の妖術の犠牲とならないように、呪医に高い料金を払ってクフィニュア・キルメと呼ばれる術を施してもらったほどである。これはあらゆる妖術使いの攻撃から身を守ることのできる術である。その後、呪医による治療のかいあって、彼は回復した。彼に攻撃をかけていたその男も病気になったと聞いたが、それはその男の術が自らに返ってきた結果であるに違いない。彼らはついに勝ったのである。しかし彼の屋敷の人々はまだこの一件では腹をたてており、今でもその男とは口もきかないし、道であっても挨拶もしない。

 これは妖術ということで想像されるような神秘的でおどろおどろしい魔訶不思議な物語ではない。人々が妖術という言葉を用いて語るのは、けしてファンタジーではなく、現実の平凡な事の成り行きである。妖術使いといっても、それは同じ村に住んでいる、どこといって変ったところのない隣人にすぎない。妖術という耳慣れない言葉が随所に登場することを除けば、ここで語られている事の経緯そのもののなかには、別段荒唐無稽なところはどこにもない。「不思議」な出来事など何も起こっていないのである。とするとこうした語りそのものに感じる違和感は、いったいどこから来るものなのだろうか。それは、妖術使いは裸で敵を呪うとか、コウモリになって空を飛ぶ、とかいった言説が喚起する表面的な非合理性の外見とは無縁なのである。

 そこで、試しにこの語りの中から、妖術(ついでに「憑依霊」も)関連の記述をすべて取り除いてみよう。この操作によっても、物語の構造がほとんど変化しないことに気付くだろう。ただしその結果、物語は事実のありのままの記述と呼んでもおかしくないものになる。青年の在学中の乱れた振舞いと成績不良、職をめぐる争いとそこでの勝利、競争相手の父親との葛藤、発病、相手の男が示す敵意、治癒、その男の発病、これらはいずれも実際にあったことなのである。しかしこの操作は、我々がこの語りに感じていた違和感をり除いてくれただろうか。否である。こうして「浄化」された物語には、なおも我々をどこか不安にさせるものが残っている。彼は自分の病気の経験を語っている。しかしそうだとすると、この物語のなかには、あまりにも関係ない事柄、確かに事実ではあるのだが、一つの物語として、つまり互いに関係付けて語るには値しないと思われるような事柄、が登場しすぎているのだ。

 従って妖術なる観念を用いて展開される語りの奇妙さは、二重の構造をもったものとなっている。まず第一に、我々なら互いに関係付けてとらえることを拒むであろうはずの諸事実が、独特の関係性のなかで結びつけられていること。例えば、本来無関係であってしかるべき、職をめぐる競合にまつわるトラブルが、その後の発病に関係付けられてしまい、トラブルが発病との関係で眺められると同時に、発病がそれに先立つトラブルとの関係で眺められ、その結果両者がともに言わば「変質」を蒙っているという状況、こうした変質を我々が現地の人々と共有することができないことからくる違和感がある。第二に、こうした違和感を表層的な違和感に引き渡してくれるところの、妖術観念そのものがもつ構造的な奇妙さ、妖術観念を、語りの構造をほとんど変えることなく、語りのなかから消去してしまうことがそもそも可能であったという事実そのものが雄弁に示しているところの奇妙さがある。妖術は、その語りのなかで結びつけられる諸々の出来事と相並んで、それらとは別に登場する一つの出来事ではない。それは、その語りに何ものも付け加えない、余分で空虚な要素なのである。妖術による語りにおいて、それは出来事の原因であるかのように語られるが、実際にはそれは出来事としての資格を剥奪されており、従って原因などに、そもそもなりようがないものだったのである。

 しかし、我々はこれに似た語りをどこかで耳にしてはいないだろうか。それは例えば、どこかの国のスパイに身辺を監視されていると確信している青年が語る物語、あるいは上司の秘密を知ってしまったばかりに会社ぐるみで自分を抹殺しようとしていると確信している青年が語る物語、これら「妄想」ということで通常片着けられることになる諸々の物語を思い起こさせる。

 それらは結構首尾一貫した物語である。実際にはいもしないはずのスパイや、ありもしないはずの陰謀が登場する点を除けば。実際、ためしに彼らの話から「スパイ」や「陰謀」を取り除いてみれば、妖術の語りの場合と同様、そこに残るのはやはり、実際にあった事実、実際にあった出来事だけなのである。彼の所持品がしばしば紛失すること、不審な間違い電話が何度もかかってくること、同僚の意味ありげな冗談、彼が入室したとたんに中断されたひそひそ話、等々。にもかかわらず、こうして「浄化」された形でも、彼らの物語は妄想の性格をはっきりとどめている。実は「スパイ」や「陰謀」の登場が彼らの話を妄想にしていたわけではなかったのである。一つひとつをとれば、確かに実際にあった事実ではあるが、我々なら互いに関係のない偶然の継起、意味のない出来事であるはずのものが、妙に関係付けられてしまっている。そこにこそ、それが妄想たる所以があったのだ。関係付けてしまうことが異常なのだという訳である。我々が浄化された妖術の物語に見出していたのも、またこれであった。そして妖術の物語における妖術の観念と同様に、これらの妄想におけるスパイや陰謀も、一旦関係付けられてしまった出来事の継起にとっては、その物語としての構造に何も付け加えることのない余計で空虚な要素だったのである。

 しかし出来事の経緯をこのように関係付けて把握してしまうこと自体は、ほんとうに異常なことだといえるだろうか。ここにはやや微妙な問題がある。というのは、もし彼が事実重要機密を握っており、あるいは事実陰謀が進行中であったとすれば、逆にこうした出来事の関連性に気が付かないほうが、むしろ迂濶で「異常」だということになるはずだからである。映画などではお馴染みの状況である。観客である我々は、我々には与えられているさまざまな出来事、鍵の関連性にいっこうに気付こうとしない主人公に、はらはらさせられるわけである。とすると、こうした出来事を関係付けてとらえることは、それ自体ではとりたてて異常であるとかないとか決めつけることはできないということになる。

 では彼の物語が妄想であるのは何故であろう。「スパイ」や「陰謀」が事実であるなら、彼が気にとめているような出来事の関連性に気付くことはむしろ正しいことである。しかし我々は彼の話が妄想であることを確信するために、いちいち「スパイ」や「陰謀」が事実であるかどうかを確認してみようとはしない。我々は単に怠慢なだけなのだろうか。そうではない。彼の物語は、そもそも我々から「スパイ」や「陰謀」の事実を確認してみようという気を削いでしまうような、致命的な欠陥をかかえているのである。彼は「スパイ」や「陰謀」によって、出来事のあいだの関連性を説明する語りを提供している。しかし同時に、そうした出来事の関連性そのものを「スパイ」や「陰謀」の唯一の証拠として提出してしまっているのだ。彼は「陰謀」のせいで出来事がしかじかの経緯でおこったと語る。しかし同時に、出来事がしかじかの経緯でおこったからそこに「陰謀」があるに違いないのだと語ってもいるのである。物語はこうして、救いようのない相互反照的な内部循環に陥ってしまう。「スパイ」や「陰謀」は出来事を関係付ける中心であろうと望んでいるにもかかわらず、実際には、そうして関係付けられた出来事の経緯によって根拠付けられてあるものにすぎない。

 さて、我々はドゥルマの人々の妖術の語りのなかに、これと似かよった構造を見てとったわけである。その語りのなかで、教師の職をめぐるライバルとの競争、その結果をめぐるトラブルが、ほとんど強引とも思える仕方で主人公の発病と治療の過程に関係付けられてしまっているのに我々は気付いていた。ちょうど妄想患者の妄想において、彼が見てとった諸事実のあいだの関係付けが、「スパイ」や「陰謀」の概念のまわりに付置されなおして、自らを根拠付けてしまったように、対人関係のトラブルと発病のあいだに見てとられた関係性が、妖術の概念のまわりに再付置され、自らを根拠付けてしまっているのである。いずれの場合も人々は、自らを根拠付けてしまう関係性にとり憑かれてしまっているわけである。人々は自分たちが「妖術」にとらえられていると語る。しかし実際に彼らをとらえているのは、「妖術の物語」、つまりそうして物語られる出来事の経緯のなかに見てとられざるをえない関係性そのものなのである。

 私は何も、こうした構造をもつ語りが「妄想」と同じであるとか、妖術の語りは一種の妄想であるとか主張している訳ではない。人を呪縛する物語の一般的な構造を指摘しているだけである。同じ構造をそなえた語りのなかには、妄想とはほど遠いごくありふれた日常的な語りも含まれていることを指摘しておく必要があるだろう。

 例えば一組の夫婦がいたとする。たまたま二人のあいだに、些細な理由からの喧嘩や齟齬が頻発したとしよう。一つ一つをとれば、いずれも全く別の、それも取るに足らない原因で起こったいさかいであり、もちろんそれらは互いに何の関係もなかったのである。それらはその都度修復されうるものであり、二人をもとどおりの仲の良い夫婦に還すことはその都度可能であった、そんな類の齟齬であった。しかし、こうしたトラブルを経験しているあるとき、二人がふいに自分たちは「相性」が悪いのではないかと思いあたったとしよう。にわかに、ばらばらの出来事がこの「相性の悪さ」という観念のまわりに再付置され、一つの反復するパターンとして互いに関係付けられてしまうことになる。これらの齟齬は二人の「相性」が悪いために、つまり「相性の悪さ」が「原因」で生じたのだという訳である。

 しかしよく考えてみれば、これは実に奇妙な語りだということになる。というのは、こうした齟齬を同じパターンで頻繁に経験するということが、すなわち「相性が悪い」ということなのであって、こうした個々の出来事と相並んで、それとは別に「相性の悪さ」なる何かがあったりするわけではないのだ。その証拠に、「相性の悪さ」による語りから、当の「相性の悪さ」そのものを取り除いてみても、語られる内容には何の変化も生じない。語られるのはやはり個々の齟齬やいさかいだけである。それらが、今や互いに関係付けられてしまっているということを除いては。「相性」は、妖術の語りにおける「妖術」、妄想における「スパイ」や「陰謀」と同様、既に関係付けられてしまっている出来事の経緯にとっては余計な要素なのである。またある点で、それは妄想と同様な救いがたい相互反照的な内部循環を示してもいる。つまり人々は、「相性の悪さ」が原因でしかじかの齟齬が起こっているのだと語り、しかじかの齟齬のあいだの関係付けを「相性の悪さ」によって説明するという構図をとっているが、実際には同時に、しかじかの齟齬がある仕方で互いに関連付けられて経験されているという事実そのものを「相性の悪さ」の唯一の根拠として提出するしかないのである。二人は「相性の悪さの物語」、つまり再び自分自身を根拠付けてしまう関係性に呪縛されているのだ。

 「相性の悪さの物語」は、こうした構造をもつ語りについての、もう一つの重要な特徴を明らかにする。夫婦の間の細々としたいさかいや齟齬のなかに、あるときふいに見てとられた、こうした出来事の経緯が示す表情、それが「相性の悪さ」である。それは出来事そのものとは異なる論理階梯に本来属している。それは個々の出来事と相並んで語ることのできる一つの項ではなく、それらの出来事を項とする関係態に言及するものである。それが当の出来事と相並んで存在し、それらの出来事を引き起こしたりする一つの実体として語られたもの、それが「相性の悪さの物語」なのである。それは論理階梯の混同のうえに成立した語りなのだ。

 妖術や妄想についても、実は同様だったのだ。しかじかの出来事がしかじかの経緯で関係付けられて経験されていること、職をめぐるトラブルと発病が関係あるものとして経験されていること、それが即ち人々が「妖術」を経験しているということであり、不審な間違い電話や所持品の紛失が互いに関係あるものとして経験されていること、それが即ち妄想患者が「スパイ」や「陰謀」を経験しているということである。「妖術」であれ妄想における「スパイ」であれ、いずれもそうした出来事の経緯のなかに見てとられている、出来事の経緯が示す表情、出来事の形づくる関係態に言及していたのだ。それらが「原因」として語られるとき、そこに生じているのは同じ、論理階梯の混同である。

 妄想が妄想としてもっている特殊な性格も、この点から一層はっきりするだろう。「相性の悪さ」などとは異なり、「スパイ」や「陰謀」は本来通常の語りにおいては、語られる出来事と同じ論理階梯に属する出来事に言及するはずのものなのだ。それは通常、出来事の経緯の不可欠の要素として登場し、従って、それを取り除くことが出来事の経緯そのものを変更してしまうことになる、そんな出来事に言及している。それが自らを根拠付ける関係性以外の形で登場できないところに、妄想の妄想たる所以があったのである。妖術の語りや相性の悪さの語りが、妄想と同じ語りの構造によって特徴付けられるということは、従って、それらが妄想であるということを意味しない。同じ構造をもつ語りの中で、妄想が特殊な類型に属しているというほうが実際なのである。

 このような物語の形で人を呪縛する関係性は、同時に一種の「自己実現的」性格を備えてもいる。妄想患者の経験において、現実がけっして妄想を裏切らないことはよく知られている。何が起ころうとそれは彼の確信を強めてしまうだけのことなのだ。妖術の語りにおいても、同様な事態が見られる。ドゥルマの青年が経験した妖術の物語を思い出してみよう。青年の屋敷の人々は、出来事の経緯のなかに妖術をみてとったとき、いったい何をしたであろうか。ドゥルマでは面とむかっての妖術告発はなされない。彼らが行なったのは、相手の男とのコミュニケーションを唐突に断ってしまうことであった。あるときから突然、自分とは口もきかなくなったその屋敷の人々の態度に、当の男がどう反応したかは想像に難くない。この男から好意的な反応を期待するほうが無理な相談というものだ。しかし、その結果として屋敷の人々に示されたであろう男の敵意は、青年の屋敷の人々にとっては、単に妖術使いの正体についての確信を強めさせるだけのものとなる。相手が自分たちに敵意をもっているかもしれないという互いの懸念が、現実に示された敵意によって次々に証明されていく。妖術の「物語」は、疑う余地のない「現実」になる。青年の家族は男のさらなる攻撃を恐れ、防御呪術を施すために妖術の専門呪医を訪れる。ある日を境に自分に敵意を示し始めた人々が妖術の呪医のもとを訪れたことは男の耳にも入るに違いない。彼がそれに平静でいられるということがあろうか。いったい彼らは私に何をしようとしているのだろう。そもそも彼は息子の就職の失敗に関して、彼らの妖術を疑ってみたこともあったのだ。はたして、その後彼自身が病気に襲われたのである。互いに相手を妖術使いと見做す二つの物語が、互いにつき合わされることなく併存したとしてもおかしくない状況だ。現実はこうして妖術の「物語」を裏切るどころか、ますますそれを確実なリアリティへと導いていくのである。

 「相性の悪さ」の物語においても、同様な自己実現的な過程が発動する。自分たちは相性が悪いのではないかと思いあたった二人が、その後再び、いさかいや齟齬を経験したとき、彼らはそれを間違いなく自分たちの「相性の悪さ」のせいにすることだろう。それは二人の関係修復へ向けての努力に水をさす。どうせ我々は相性が悪いのだ、という訳だ。かくして、しこりを残したままの二人のあいだに再び齟齬が生じるであろうことは必定なのである。やはり我々は相性が悪かったのだ、ということになるのだ。こうして二人の相性の悪さは「現実」になる。

 人間は物語に呪縛されやすい存在である。あるいは物語の形で自らを示す関係性は、いつなんどきでも人を呪縛しようと身がまえている。それは、ほんのちょっとしたきっかけをとらえて、人をその呪縛の網の目に引き込むのだ。例えば、一切の神秘的な思惟から遠ざかっていると信じている現代に生きる誰かが、あるとき、たまたま白い靴下を履いて出かけた日に限って、仕事が思いの外うまく運んでいたという事実に気付いたとしよう。単なる偶然の一致だとは思っていても、一たびこの事実に気をとめたあとでは、何か大切な仕事を前にした日の朝、白い靴下を履いて出ようという気にならない人は稀であろう。なにもわざわざ臍まがりに別の靴下を履いて出る必要もあるまい、という訳である。もちろん彼は、白い靴下と仕事の成功を結びつけるいかなる理論ももちあわせていないし、また、両者の関係を説明すること自体は彼の関心の外にある。にもかかわらず、彼はこの関係性そのものにとり憑かれて始めている。

 ベイトソンがいみじくも述べているように、「人は物語で考える。」そもそも経験するとは関係付けることなのだ。とすれば人が関係をまさに関係として生きていること自体は驚くには値しないことである。真に驚くべきことは、ときに、こうした関係が出来事相互のあいだに単に見てとられるのを、おとなしく待ってはおらず、出来事と相並んで存在する一つの実体として物象化し、未だ関係付けられていない出来事の無秩序に自ら介入し、それらを関係付け、逆にそのことによって自らの存在を示すような、関係付けの原理そのものとして機能することがあるという点である。妖術や相性などとして実体化しているものが、まさにそれにあたる。言い換えれば、物象化を通じてそれらは文化的に制度化された物語発生装置となっているのである。

 「私は職をめぐる競争で、ある男の妬みをかった。」そして「私は病気になった。」妖術の観念は、こうした形で呼応する二つの出来事のあいだの関係性に自らの根拠を負っている。それは物象化した関係性そのものである。しかし逆に、妖術の観念の存在が、こうした二つの出来事を関係付けているということもできるのだ。我々の社会で、この二つの出来事の関連性をもっともらしく語ったとしても、それを多くの人に受けいれさせることは困難であろうし、少なくとも、医者や裁判所はまともにはとりあってくれないだろう。一方、妖術が事実として確信されている社会においては、人々は両者の結び付きを単に事実として受けとるであろうし、両者のあいだに何の関係もないと考えることのほうが、むしろ困難だといえるくらいである。つまり妖術の観念は自らを根拠付けるものを、自ら生み出すという、相互反照的な機制、我々が妄想において確認したのとまさに同様の機制にその特徴をもっている。

 それは既に述べたように、出来事のしかじかの関連性を「スパイ」の存在によって説明する一方で、出来事がそういった風に関連付けられるから「スパイ」がいるに違いないのだと語る妄想と、まさに紙一重なのだ。それを文化的妄想と呼びたくなってしまうほどである。妖術や相性その他の文化的物語発生装置が、こうした相互反照的な内部循環から逃れているとすれば、それは自らの外部に、同じく文化的な承認装置をもっているからに外ならない。結局妖術は「占い」によって「証明」されねばならないし、そう言えば、相性が気になる人々は「相性判断」なる占いによって、その良し悪しを確認することができるようになっている。出来事の経緯のなかに見てとられた関係性は、こうした承認装置を経由してのちに、それを根拠付ける物語発生装置の相互反照的な過程に引き渡されるのである。

 私は特定の話題にやや深入りしすぎてしまったようである。そもそも私はフィールドワークについて考えようとしていたのだ。フィールドワーク「について」書くことは思いの他困難なことである。やはり人類学者にとって、あるいは私にとってフィールドワークとは、それについて書くためのものではなく、「そこから」私の書くという作業が開始する場所である。それは私にとって一つの端緒なのだ。フィールドワークについて書こうと始めながら、私はいつのまにか場外乱闘にもつれこんでしまい、ふと我に還って赤面するという失態を演じてしまっていたのかもしれない。

 私にとってフィールドとは、事実収集の場であるというよりも、もちろんそれもあるが、それ以上に、そうした事実が開示される人々の多種多様な語りに自分自身を委ねる場に他ならない。私は、人々の経験世界へは、それらの語りを通じて接近するしかない。しかし同時に人々の語りは、そうした世界と私のあいだにある距離を明らかにする。私に出来ることは、人々の語りの内部構造にまで分け入ることを通じて、私と人々の経験世界のあいだのこの疎隔のよって来るところを、文化の違いなどと言う言葉で曖昧に語られてきたこの疎隔の仕組そのものを、できる限り正確に測定することだけである。

 妖術の語りの分析を通じて、そうした仕組の一端が示せたとすれば、私はかろうじて当初のゲームを演じ続けていたことになるというものである。妖術「による」語りは出来事の経緯「について」の語りである。あらゆる語りがそうであるように、そこには語られるべき現実があり、語りはその現実によって根拠付けられているというそぶりを示す。しかし妖術の語りは、我々が見てきたように、自らを根拠付けるはずの現実を、実は、自らの力で作り出してしまうような語りであった。こうした相互反照的な内部循環は、論理階梯の混同を語りのなかにもちこんでしまう。そこでの論理階梯の混同を隠蔽するべく登場しているのが、出来事の経緯のなかには本来身を置くべき場所をもたない奇妙な観念、相性とか妖術とかの観念なのだ。それらは、出来事の配置、関係性を単に表現しているといった類のものではない。逆に出来事のあいだの関係性、その特殊な配置は、当の関係付けの空虚な中心として機能するそうした観念の登場によって、まさに作り出されているのである。しかも念のいったことに、この種の語りは、いったんそれに呪縛されるや、現実そのものがその語りを証拠付けるしかない形で展開するような自己実現的なメカニズムを内蔵している。まさにそれは現実を物語に一致させてしまう物語発生装置とでも言うしかない観念なのだ。

 それは自らが生み出す関係性の網の目に我々を誘いこみ、我々がそれによって呪縛されることをねらっている。それは語り手と聞き手のあいだに一つの現実を共有させること、互いを承認させることを目論んでいる。フィールドを訪れる人類学者の前でおこるのは、こうした語りの目論見の挫折に他ならない。物語発生装置の作動は不発に終り、語りは現実と無関係な単なる「おはなし」になってしまう。妖術による語りは、荒唐無稽とはいわないまでも、とうてい理解不可能な、非合理的なものと映る。

 しかしながら、妖術による語りほど念がいってはいないけれど、あらゆる語りはそれが報告し、自らを根拠付ける現実を自ら作り出してしまっているという側面をもってはいなかっただろうか。事実、エスノメソドロジーが常に主張しているように、あらゆる語りは相互反照的 reflexive なのだ。それが内蔵する内部循環の回路のなかに参入することを人が拒むとき、あらゆる語りは現実からずれた「おはなし」になる。そして人は語り手と一つの現実を共有することに失敗するのである。

 フィールドにおける人類学者の経験は、あるいは少なくとも私の経験は、こうした失敗の連続からなっている。もちろんそれは人類学者が彼自身の「語り口」をもっているからだ。どこへ行こうと、現実はそうした語り口で関係付けられたような現実としてしか経験されない。フィールドワークとは、しばしば言われているように、異なる文化の現実を経験し人々とともにそれを共有してくることなどではなく、異なる文化に生きる人々にとっての現実の共有にシステマティックに、そして「正確」に失敗してくることなのである。こうした手痛い失敗を通じて、人類学者は逆に当該文化の人々にとっての現実を、そのずれを元手に伺い知ることができるのかもしれない。そして我々自身、人類学者自身の語り口についても学んでいくことになるのである。