「子供」としての憑依霊 :ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼(註1) |
チェレコの呪文 至高神ムルングと憑依霊ムルング 瓢箪子供の話 チェレコ(chereko)について 呪医の瓢箪子供について 瓢箪子供の身体性 瓢箪子供のアイデンティティの曖昧さ ムルングとその子供 儀礼の構造 結婚における「外に出す」儀礼 出産における「外に出す」儀礼 上/下の対立 出産の比喩 子供としての瓢箪子供 瓢箪子供の儀礼の目的と結果 シンボルとしての瓢箪子供
目次に戻るさて、私はお話します。こんな時間に話すこともなかったでしょうに。私が話 すのは、そう、おまえ瓢箪子供 mwana wa ndonga のためです。おまえ、瓢箪 子供よ、おまえはただの瓢箪 chirenje だと言われます。そう、おまえは瓢箪 だ。でもそれは過ぎたこと(字義通りには「昨日や一昨日のこと」)です。今 やおまえは子供として(この世に)置かれました。カゾ(患者の女性の名前) という女性がいて、彼女は瓢箪子供が必要とされていると言われました。瓢箪 子供が必要とされているといわれたので、私達は儀礼(ngoma)の日取りを決 めました。壷も設置しました。おまえ、瓢箪子供よ。さて、今、今日がその儀 礼の日です。おまえ、瓢箪子供を外に出す儀礼の。
さて、おまえはただの瓢箪 murenje でした。おまえは瓢箪 murenje によっ て産み落とされました。そして瓢箪 chirenje になりました。今日私はおまえ に心を入れてやりました。それとヒマの油を。心は呪木の小片 mapande です。 さあ、私はこれからおまえをカゾに与えます。カゾがおまえの母親です。カゾ のために子供を育ててやってください。昼も夜も。子供が激しい熱病に捉えら れることがないように。もしおまえが確かに瓢箪子供であるなら、もう彼女が 二度と「おまえは瓢箪子供が必要とされている」などと言われることもありま せん。この子供、こいつが瓢箪子供です。さて今、今日、私はこいつを外に出 します。私には二心はありません。これはもはやただの瓢箪 chirenje ではあ りません。チェレコの瓢箪 ndonga ya chereko なのですから。
こいつは瓢箪子供と呼ばれます。その相棒の子供(患者の女性が産んだ本物の 子供のこと)、実際に足で歩く子供、と一緒に進みます。つまりこの子供、こ いつを彼女カゾが抱いている限り、彼女に背中に自分の子供達を背おわせてあ げましょう。彼女が閉経期をむかえて、もう子供を産まなくなるまで。もしお まえムヮナムルングよ、おまえが瓢箪子供であるなら。
おまえムヮナムルングよ。私はおまえを盗んではいません。私はおまえをバン ジュさんから与えられたのです。実に首尾よく。私はバンジュお父さん(治療 上の)から、二心無く、つつがなく与えられたのです。私のこの子供、バンジ ュさんによって与えられたこの子供は、未だに壊れていません。今こうして喋 っているこの瞬間に至っても。それも、私がそれを全く首尾よく与えられたか らこそです。そして今、私もそれと同じ様に子供を外に出そうとしています。 私はそれを友に(患者の女性のこと)、丁度私がお父さんから与えられたとお りに与えようとしています。私も賞賛されますように。呪医は蔑まれるべきで はありません。呪医はいつも「そのとおり」と言われるべきです。
私はおまえをフピ母さん(治療上の)とマシュディ父さんからも与えられまし た。おまえ、ムヮナムルングの瓢箪子供よ。そのとき私は言われました。もし おまえが難儀に苦しんでおり、瓢箪子供が必要とされている人を見たなら、今 度はおまえが与える番ですと。私はおまえを盗んではいません。私はおまえ、 ムヮナムルングをニャマウィ父さんからも与えられました。チャイ父さんから も与えられました。おまえムヮナムルングよ。おまえムヮナムルングよ。私は ムァインジ父さんとその妻アンザジからもおまえを与えられました。考えてみ ると5人ものお父さん、5人ものお母さんに達します。10人です。...
さて今日、私はカゾにこの子供を与えます。そしてこの子供について、(その 与えかたが)失敗していたとか、なんとか言われることがありませんように。 私が見るところ、これは成功しています。これは、もはやただの瓢箪ではあり ません。今やこいつは立派な瓢箪子供です。この子供は、血を手に入れました。 心も手に入れました。この子供が彼の相棒、彼の兄弟を育てますように。今、 私はつつがなきことを願います。
[呪医チャリ Dec.15, 1991]
ドゥルマに数多くいる憑依霊のうちで、その筆頭と考えられているものにムルング mulungu というのがいる。ムルングは憑依の文脈を離れたところでは、天(mulunguni)にいて雨を支配する一種の至高神として語られ、すべての人間の生死を究極のところで支配する存在でもあるとされる。ドゥルマの起源伝承によると、ドゥルマの始祖はムルングによって男女一対で空から地上に落とされたことになっている。憑依霊たちもこの時同時に落とされたのである。
一方憑依の文脈では、ムルングはムヮナムルング mwanamulungu という名で言及されることの方が多い。呪文や、憑依儀礼で歌われる歌のなかでは頻繁にこの名前が用いられる(註2)。mwana はドゥルマ語では「子供」を意味し、mwanambuzi(仔山羊), mwanakuku(ヒヨコ)といった用例から考えると mwanamulungu は文字通りには「子供のムルング」であることになる。しかしなぜ「子供」なのだろうか。天にいるとされるムルングと憑依におけるムルングが別個の存在であり、文字どおり後者が前者の「子供」だと考えられているのだとすれば話は簡単なのであるが。
呪医の中には両者をはっきりと別個の存在と語る者もいるが、呪医達の間ではあくまでも小数意見に属しているようだ(註3)。こうした区別にはもちろん理由がある。同じムルングといっても両者の儀礼的なコンテクストはほとんど重なりあわない。降雨祈願は憑依霊の呪医の責任ではなく、地域のクランの長老の手によって行なわれる。またドゥルマでは「ムルングの病い ukongo wa mulungu」は、「妖術の病い ukongo wa utsai」、「憑依霊の病い ukongo wa p'ep'o」などと並ぶ、病気の基本的なカテゴリーの一つであるが、憑依霊ムルングによって引き起こされる病気は「憑依霊の病い」のカテゴリーに属しており、憑依霊の呪医によるしかるべき治療を必要とする病気である。それに対して「ムルングの病い」には、呪医による治療を必要としない、あるいは呪医によっては治療することの出来ない病気が属しているのである。こうした相違にもかかわらず、二つのムルングは通常区別されない。両者を区別する少数意見にしても、憑依霊のムルングが天のムルングの「子供」だと言っている訳ではない。
憑依霊の呪医が唱える呪文の中には、mwana を前につけた多くの呼称が登場する。mwanaduga(muduga 「水辺に生える草の一種」)mwanamatoro(matoro 「蓮」), mwanamayunga(viyunge 「浮き草」), mwanamukangaga(mukangaga 「葦の一種」), mwanamwamunyika(mwamunyika 雨を運ぶ伝説上のヘビ), mwananyoka(nyoka「蛇」)などはすべて憑依霊ムルングの別名であり、ムルングと水辺や蛇などとの結びつきをよく物語っている。しかし他にも mwana pepo(憑依霊「アラブ人」の別名),mwana pungahewa(pungahewa 憑依霊の一種)mwana musambala(musambala 憑依霊の一種)、mwanakp'aphi(mukp'aphi憑依霊「マサイ人」)、mwanakatsimbakazi(katsimbakazi 憑依霊の一種)、mwanalaika(laika 憑依霊の一種)、mwanabulushi(bulushi憑依霊「ブルシ人」)また歌の中ではあるが mwanaduruma(憑依霊「ドゥルマ人」)などがあり、mwana を付けて呼びかけられるのが、必ずしもムルングだけでないことがわかる。
この場合、たとえば mwanapungahewa が pungahewa の「子供」であるといった解釈は問題にならない。なぜこれらの憑依霊が mwana を付けて呼ばれるのかという質問に対しては、多くの呪医は「敬意を示している(kumweshimu あるいは kumuheshimu)のだ」と答える。ちょうどイスラム系の霊の名前に「導師」を意味する mwalimu を付けて、たとえばスディアニ導師 mwalimu sudiani ソロタニ導師 mwalimu sorotani などといった具合に呼ぶのと同じようなもので、一種の尊称だというのである。憑依霊のムルング mwanamulungu の mwana についても同様に考えることが出来るかもしれない。
しかしこれはムルングをめぐる最初の疑問の解決にはなっていない。そもそもドゥルマの他の生活の場面では「子供 mwana」が尊敬の意を表すのに用いられることなどないのであり、なぜ憑依霊に関しては「子供」が尊称になりうるのかという問題が相変わらず残るのである。
目次に戻るドゥルマでは自分に憑いている憑依霊の助けを借りて占いや病気治療を行なう憑依霊の呪医 muganga wa p'ep'o と呼ばれる人々がいる。彼らは自分たちの治療行為を助けるこうした憑依霊の数に応じた瓢箪をもっている。こうした瓢箪は「瓢箪子供 mwana wa ndonga」と呼ばれる。またドゥルマでは乳飲み児を背負った女性が、赤ん坊を背負う布の一端に瓢箪を結びつけて胸のところにぶら下げている姿をしばしば見受ける。この瓢箪も「瓢箪子供」と呼ばれる。後者は前者と区別して、「子供祈願の瓢箪子供 mwana wa ndonga wa kuvoyera mwana」とか、単にチェレコ(chereko :kp'ereka「子供を背負う」より)とか呼ばれることもある。
ムルングはときに女性を捕えて不妊にするといわれる。女性を不妊にする憑依霊は数多いが、ムルングは中でももっとも頻繁にひきあいにだされる霊である(註4)。憑依霊が人を病気にするときには、必ず憑依霊の側に何か要求があってそれを人に伝えようとしているのだと相場がきまっており、ムルングについてもそれは例外ではない。女性を不妊にする際のムルングの要求は実に奇妙な要求である。ムルング自身が自分の子供を欲しがっているというのだ。それを知らせるために女性の「腹を塞いだ ku-funga ndani」というのである。その治療はムルングにその子供を、つまり「瓢箪子供」を与えてやることである。患者の女性は憑依霊の呪医 muganga wa p'ep'o に依頼して瓢箪子供を授けてもらわねばならない。
儀礼に先立つ4日前に呪医は患者のもとを訪れ、彼女のためにムルングの「壷 nyungu」と「池 ziya あるいは chiza」を調え、ムルングに子供を与えることを約束する。このときまだ何も手を加えられていない瓢箪が一つ用意される。「壷」とは土器製の壷の中に種々の植物の根や葉を詰めたもので、少量の水を加えて火にかけその蒸気を浴びるためのものである。「池」は臼あるいはスフリアの中に種々の植物の葉を入れ水のなかで揉んだもので、壷の蒸気を浴びた後その水で全身を洗うためのものである。どちらにも同じ種類の植物(ムルングの薬草 mihi ya mulungu)が成分として用いられている。患者は4日間朝夕この療法を繰返さねばならない。瓢箪はこの間「池」の脇に置かれ、朝夕患者とともに「壷」の蒸気を浴び、「池」の水で洗われる。
祈願の儀礼は4日後呪医が「壷」の中身を空けに来たときに行なわれる。呪医は瓢箪のくびれた部分(首 tsingo と呼ばれる)に黒い(mulungu の色、むしろ紺に近い)布の端切れを巻いて(あるいは白と黒のビーズを一本だけ巻いて)カヤンバを打ってムルングにそれを差し出し、何時いつまでにこの女性に子供を産ませてくれ、と頼む(註5)。このとき瓢箪はまだ口を開けられていない。
この儀礼でムルングに差し出された瓢箪は「手付け mufunga」と呼ばれる。以下は、その際に語られる呪文の一部である。呪文はムルングに対する語りかけの形でなされる。
「...さて、私はつつがなきことを望みます。私はこの儀礼を開きます(文字どおりには『この太鼓を打ちます』)。私は壷を差し出します。私は瓢箪子供の手付け mufunga wa mwana wa ndonga を差し出します。(子供が生まれたあかつきに)再びやって来て儀礼をさせてください。私は小屋の中に池をおきます。外にも池をおきます。お気の毒に。でもつつがなきことを。あなたが求めていたのはこの子供です。今、今日あなたにこれを差し出します。私たちの方としても子供が欲しいのです。あなたの子供については私たちは約束を果しました。それがこの子です。私たちの方でも私たちの子供が欲しいのです。私達は子供が欲しいのです。私達がやって来てあなたの子供の口を開けてやることが出来ますように(瓢箪子供に口を開ける儀礼を指している)。私は子供が欲しいのです。さて、今日、私は瓢箪子供の手付けを差し出します。そしていずれやって来て瓢箪子供を外に出してあげます。(この女性の)腹が快くなりますように。...
私は護符を差し出しました。手付けの瓢箪子供もこうして差し出しました。壷も差し出しました。池も差し出しました。これがたいしたことではないとでも言うのですか。私の言うことに耳を傾けてください。そしてそれを受け入れてください。私がこのようにお話するままに、それを聞いてください。ああ、あなた、私の兄弟よ。もう争うこともありません。」
(呪医チャリ Nov.17, 1989)
この瓢箪はその日以来、患者の女性のベッドの足の脇の地面の上に、ムルングの布を座布団状に巻いた上に安置される。この状態でその女性に実際に子供が産まれるのを待つのである。もしこの女性が妊娠したことがわかると呪医は再び訪れ、「腹の中の子供が順調に育ち、瓢箪子供を上に上げられるように」とムルングに唱えかける(註6)。
こうしてこの女性に子供が無事生まれると、生後しばらくたった頃(ku-gb'a madzi =ku-finika dzungu といい、赤ん坊の皮膚の色が変り始めた頃)カヤンバ儀礼を再度開いて、瓢箪子供を正式に授ける儀礼が開かれる。このカヤンバは「瓢箪子供を連れ出す ku-lavya mwana wa ndonga」カヤンバと呼ばれる。もしこの儀礼を開かずにいると、瓢箪子供の口が開いていないように生まれてきた赤ん坊も口がきけなくなるだろうといわれている。
儀礼に先立つ4日前に再びムルングの「壷」と「池」が据えられ、朝夕の蒸気浴びと沐浴が繰返された後、儀礼の当日を迎える。
当日徹夜のカヤンバが始まる直前になって、呪医の指揮のもとで瓢箪子供がととのえられる。
まずその女性と夫は二人で自ら瓢箪の口を開ける。これは文字どおり瓢箪子供に「口 mulomo」を開けると呼ばれる。次いで瓢箪の中身(mioyo: moyo「心臓」の複数形)を掻きだして捨てる。鶏がつついたりしないよう遠くのブッシュに捨てねばならない。次に、ムルングの呪薬に用いられる木(mwerekera, muvunzakondo, mutserere の三種の木)を削ってつくった小片 mapande を夫婦で交代に一片ずつ入れていく。これが「心を入れる ku-tiya roho」と呼ばれる手続きである。呪医によってはここで木の小片の代りに黒い雌鶏を殺してその心臓をとりだし、それを入れる場合もある。
これが終わると屋敷の庭で、患者の女性を中心に座らせてカヤンバ儀礼が始まる。ムルングに今日その子供が与えられることを告げた後、ムルングの曲から始めて種々の憑依霊の曲が次々に演奏されてゆき、患者に憑いているすべての霊を呼出して満足させる。この間呪医は小屋の中で瓢箪子供の中にムルングの三種の木を細かく砕いたものや、ある種の香辛料 mavumba などを入れる。これらは瓢箪子供の「内臓 uhumbo」と呼ばれる。続いて閉経期をすぎた女性によって抽出されたヒマの油(mafuha ga nyono: mubono の実から抽出される油)が加えられる。この油は瓢箪子供の「血」であるといわれる。
呪医は瓢箪のくびれた部分(「首」)に白と黒(紺色)のビーズを念入りに巻きつけ、出来上がった瓢箪子供を乳香で燻しながら、それに対して「背中の子供をきちんと養うように」と呪文を唱える。本論の冒頭にあげた呪文は、この際のものである。
明け方カヤンバで再びムルングの一連の歌が演奏され、患者の女性を憑依状態にする。呪医を先頭に数人が一列になって、頭から布をすっぽり被って小屋から進みでる。呪医は手のなかに瓢箪子供をだいている。カヤンバの輪の中に入り、患者の女性に瓢箪子供を手渡す。患者の女性はそれを受け取ると両手で大切に抱えるようにして踊り始める。自分の夫や兄弟、父親などにその瓢箪子供を示し、ひとしきり踊る。踊りながら呪医に導かれて小屋の中に入り、今度は自分が産んだ赤ん坊を抱いて現われる。その子供をムルングに見せるためである。ムルングに対して「子供を養え、子供に乳を与えよ。きちんと養え。」と唱えられる。
瓢箪子供を作った呪医は、それを作ってから三日間は妻と(あるいは夫と)寝ることができない。もちろん妻以外の女性との関係も禁じられている。患者夫婦もそれを与えられた日の夜は性交を禁じられる。次の日の夜患者夫婦は儀礼的性交マトゥミア(無言で地面の上でなされる性交)を行うことによって瓢箪子供を「産む ku-vyala」ことになる。呪医はそれが終わるまでは性交を慎んでいなければならないのである。これらが守られないと、せっかく作った瓢箪子供も壊れてしまうだろう。
こうして正式に授けられた瓢箪子供は、それからは常に実際の赤ん坊とともに世話をされる。昼間は赤ん坊をおぶう布の一方の端にくくり付けられ、女性の胸に抱かれることになる。瓢箪子供は背中にいる赤ん坊を養っているのだと言われる。夜になると瓢箪子供は女性とその赤ん坊とともにベッドの上で寝かされる。もし彼女が長い間瓢箪子供に触れないでいると、瓢箪子供は実際の赤ん坊のように泣き出すと言われる。つまり瓢箪の中の呪薬がひとりでに溢れ出すのだというのである。
それを授けられた女性自身やその夫が浮気をしても(kulala konze 文字通りには「外でねる」)瓢箪子供は涙を流し、そのままにしておくと壊れてしまうという。夫が妻以外の女性と性関係をもち、帰宅後瓢箪子供に触れると、ただ触れただけで瓢箪子供は首のところで折れて壊れてしまうだろう。呪医たちは瓢箪子供が事故で壊れたりすることなどけっしてないと主張する。壊れるには必ずこうしたちゃんとした原因があるに違いないのである。
瓢箪子供が壊れると、再び新しい瓢箪子供を授けなおしてもらわねばならない。さもないと背中の子供が病気になったり、死んだり、あるいは以後その女性に再び子供が産まれなくなってしまう。
瓢箪子供はいったん授けられるとその女性が子供を産み続けている限り、彼女の産む子供たちを「養う。」ムルングが別名マレラ marera(ku-rera 「養育する」より)と呼ばれるのもこのことに基づいている。そしてその女性が年老いて、もはや子供を産まなくなっても、瓢箪子供はベッドの上に置かれ続け、彼女とすでに産まれた彼女の子供たちを守り続ける。その女性が死ぬと、瓢箪子供は首に巻かれたビーズを切られ、その中身をすべて取り出されて、ついにその役割を終えるのである。
憑依霊の呪医が所持する瓢箪のなかにも「瓢箪子供」と呼ばれる瓢箪がある。これらの瓢箪子供は、不妊の治療に際して授けられるものとはその性格も役割も異なっており、呪医のキャリアと密接に関係している。それは呪医の占いや治療の能力の源泉である。呪医の持つ瓢箪子供は、子供祈願のための瓢箪子供と区別されて「治療上の瓢箪子供 mwana wa ndonga wa chiganga」と呼ばれることもある。
人が呪医になるきっかけは常に自らの病気である。占いの結果それが憑依霊によるものであり、またその憑依霊が「仕事 kazi」あるいは「治療術 uganga」を欲しているのだと判明したとしよう。それは患者自身がその憑依霊についての呪医にならねばならないことを意味する。患者は別の呪医からその憑依霊の「瓢箪子供」を授けられることによって、自分を悩ませている憑依霊に仕事を与え、つまり自らも呪医となる訳である。
人に最初にこうした要求を突きつける憑依霊は、やはりムルングである。かくして呪医はその経歴をムルングの呪医になることから始めることになる。やがて他の憑依霊たちがムルングにだけ仕事が与えられたことに嫉妬して、自分たちにも仕事が与えられるようにと、その呪医の占いや治療の能力を封じてしまうだろう。呪医は再び病気になる。こうして自らの病気を治し、呪医としての仕事を続けていくためには、順番に他の憑依霊たちについても「瓢箪子供」を授けてもらわねばならないことになる(註7)。
瓢箪子供を授ける儀礼、それは同時に呪医の就任儀礼でもあるのだが、の基本的な手順はどの憑依霊についてもほぼ同様である。この儀礼は「外に出す ku-lavya konze」という名で呼ばれる。ここではムルングの瓢箪子供について紹介しよう。儀礼に先立って「招待の壷 nyungu ya kurongesha」と呼ばれる4日間のムルングの「壷」と「池」による治療が行なわれる。これに先立って、さらに7日間の別の「壷」と「池」の治療が行なわれるかもしれない。これは患者を悩ませている他の憑依霊たちにまずはムルングに仕事を与える旨の了解を求めるためのものである。特に問題のある霊についてはさらに別個の「壷」が必要とされるかもしれない。4日間の「壷」では、その蒸気を浴びるに際してその都度ムルングの歌がカヤンバで演奏される。
瓢箪子供に入れられる「心」や「内臓」や「血」は患者自身によって用意されていなければならない。「心」つまり瓢箪子供に入れる木は、患者の父系氏族の誰か(通常父か兄弟)と母系氏族の誰か(通常母の兄弟、母方並行イトコなど)に頼んで取ってきてもらったものが用いられる。これらの木は各々「父系氏族の木 mihi ya ukulume」、「母系氏族の木 mihi ya ukuche」と呼ばれるが、どの木を取ってもらうべきかは呪医が患者に指示する。それはムルングの木のうち主要な3種の木(mwerekera, muvunzakondo, mutserere)である。「血」すなわち瓢箪のなかに入れる油も、閉経期をすぎた女性によってムボノ mubono の実から抽出されたヒマの油を調達しておかねばならない。
儀礼には男女二人の呪医が必要とされる。この二人は必ずしも夫婦である必要はないが、彼らは以後患者にとってそれぞれ「治療上の父 baba wa chiganga」、「治療上の母 mayo wa chiganga」と呼ばれる存在なる。
儀礼の当日、夕方までに患者夫婦によって瓢箪の口が開かれ、その中身が掻き出され、父系氏族の木と母系氏族の木で作られた小片が夫婦の手によって瓢箪のなかに入れられる。チェレコの場合と同様の「心を入れる ku-tiya roho」作業である。これがすむと呪医の女の弟子たちによって瓢箪にビーズ飾りが施される。木の小片の代わりに呪医によっては、黒い鶏の心臓を「心」として入れる者もいる。その場合には、この「心を入れる」作業は瓢箪子供に内臓を入れる過程と同時に明け方近くに行われる。
儀礼は呪医の唱えごとによって始まる。
「...主な争いは、あなたが呪医の仕事を欲しているということでした。それだけです。さて、今日その呪医の仕事をあなたに与えます。あなた、ムヮナムルングよ。あなたは誰によって外に出されるのですか。ムァインジ(その日の儀礼を主宰する男の呪医)によって外に出されます。呪医の仕事は誰によって出されるのですか。アンザジ(男の呪医のパートナーをつとめる女の呪医)によってです。ムァインジはその父と母(治療上の)によって外に出されました。そしてアンザジもその父と母によって出されました。...このようにだれもに父と母がいます。だれ一人として治療術 uganga を盗んで手に入れたものはいません。だれ一人として治療術を量り売りで買ったものはいません。私達をとらえた難儀 mashaka の故に治療術を外に出してもらったのです。そして今私達は私達の友を治そうとしています。メムァカ(その日呪医に就任しようとする患者の名前)が彼女の仕事、ムルングの子供(mwana wa mulungu)の仕事を首尾よく自分のものに出来ますように。あなたムヮナムルングよ、呪医の仕事を受け取ってください。呪医の仕事をしてください、友よ。私には仕事が与えられないって?とんでもない。あなたがそんな風に泣いていたのは、過ぎたことです。自分には仕事が与えられないといって泣いていたのは。さあ今日仕事が与えられます。それをしっかり受け取ってください、あなたムヮナムルングよ。」
(呪医ムァインジ Oct.25, 1991)
儀礼には憑依霊の儀礼に通常用いられるカヤンバの代りに太鼓が用いられる。最初小屋のなかで数人の歌い手が患者を取り囲んでムルングの曲を演奏する。やがて彼らは一列になって布を頭から被って小屋からでてくる。ついで屋敷の庭でムルングに始まる各憑依霊の歌が次々と演奏され、患者がもっている憑依霊が一つ一つ呼出されていく。
明け方近くに呪医たちは小屋のなかに入り、チェレコの場合同様、瓢箪子供にその「内臓」と「血」を与える。次いでふたりの呪医は交互に瓢箪子供を乳香で燻しながら唱えごとをする。以下は完成した瓢箪子供に対する呪文の一部である。
「こんにちは、大いなるムヮナムルングよ。大いなるムルングこそ砦の主です。ようこそいらっしゃいました、あなた、大いなるムルングよ。...今日、今、私達はあなたを前にしています。今、あなたは仕事をする子供です(Uwe u mwana vivi be wa kufanya kazi.)。これから、私はあなたをある場所に置きにいきます。メムァカ(患者の女性の名前)がやって来てあなたを自分で取ってこれますように。私に、確かにメムァカは子供をしかと手に入れた、彼女は子供を好いている、とわからせてください。そして彼女が治りますように。というのは彼女の病気すべては彼女が治療術 ugangaを与えられないせいだと言われているからです。..
あなたムヮナムルングよ。今日、今、この子供はメムァカの子供です。ムルングの曲が演奏されると、メムァカが彼女の子供を取ってこれますように。...私があなたを置くと、あなたは泣き始めてください。あなたのお母さんがやって来てあなたを連れていけるように。私が、彼女メムァカに治療術を与えられますように。そして人々が、ああムァインジ(この呪医の名前)はまだ若造だが、確かに難儀に捕らえられた者だ(本物の呪医だ)と言いますように。私が男の呪医。そして彼女(アンザジ)が私のパートナーです。この子供は、男と女の間に出来た子供です。あなたムヮナムルングよ。もう争いはありません。あの争いは過ぎたこと(昨日、一昨日のこと)です。でも今、今日、仕事の子供を差し出します。人々がよい風に打たれますように。...
あなたムヮナムルングよ。この仕事の子供を吐き出してください(註8)。あなたの子供を首尾よく受け取ってください。もう争いはありません。もし、この子供、仕事の子供が確かに問題だったのなら。...お気の毒でした。でも今、あなたの子供、仕事の子供を受け取ってください。これです。サラーマ、サラミーニ。ハイ、ハイ。」
(呪医ムァインジ Oct. 26, 1991)
それが済むと、呪医の一人は弟子の一人とともに出来上がった瓢箪子供をどこかに隠しにいく。
夜が白み始めるころ、再びムルングの歌が演奏され、憑依状態の患者は「子供を探しにいくように」告げられる。患者は踊りながらふらふらと歩み出し、人々がその後に続く。屋敷ではこの間じゅう、ムルングの歌の演奏が休みなく続けられている。瓢箪を隠しにいった当の呪医自身は屋敷に残り、この探索には加わらない。患者につきそう方の呪医はしきりと「さあ、お前の子供が泣いている。早く見つけないと犬に喰われてしまうぞ。」などとせき立てながら首尾を観察している。これはいわば、この日患者に対して行なわれる最初のテストにあたり、首尾よく瓢箪を見つけることが出来てはじめて、確かにムルングがこの患者に「仕事」を要求していたのだと確認できる訳である。
患者は瓢箪を見つけると、狂喜しながら駆け戻り、瓢箪子供を両手に抱えもちながら踊り続ける。
この第一のテストに引き続いて行なわれる第2のテストは、患者の占いの力をためすものである。ムルングの要求が真に仕事をもとめるものであるなら、瓢箪子供が与えられた今、患者は占いが出来るようになっている筈なのである。憑依状態の患者の前に占いに用いる浅い篭 lungo が裏返しに置かれ、儀礼に集っていた人々の中から、患者の知らない人物が数人進みでて、伏せた篭に向って腰を下ろした患者に小銭を投げてよこす。患者は、彼らの一人ひとりについて、彼の抱えている問題が何であり、それが何によって引き起こされたものであるかを語らねばならない。
続いてこの日最後のテスト。それは、同時に二人の呪医、治療上の父と母から正式に治療術を引継ぐ儀礼でもある。太鼓でムルングの歌が演奏され、瓢箪子供を抱いた憑依状態の患者はブッシュへいくよう告げられる。やがて患者は立上がり足早にブッシュへと向っていく。二人の呪医がそれに続き、数人の男が太鼓を打ちながら後を追う。人々も首尾を見届けようと遅れがちに後を追っていく。患者は、憑依霊ムルングによって引き起こされる病気の治療に必要な正しい薬草を見つけ出していかねばならない。患者が首尾よく重要な薬草の前に立ち止まる都度、二人の呪医は黒い鶏の羽根をむしり、ヤシ酒をたらしながら、患者自身がそれを見つけ出したこと、この薬草を正式にこの患者に与えることに同意することを宣言して回る。もっとも重要なムルングの木のところ(私が見た儀礼ではそれはいつも murindaziya、字義通りには「池を守るもの」を意味する名前をもつ木であった)で黒い山羊が屠殺され、その血が瓢箪子供に注がれる。山羊の皮膚の痙攣している部分が切取られ瓢箪子供の中に入れられる。人々は屋敷に戻りひとしきりさまざまな憑依霊の曲を演奏する。
こうして昼近くにようやく前夜から続いた呪医就任の儀礼は終了する。就任儀礼のすんだ日患者夫婦は性交を慎み、翌日の夜儀礼的性交マトゥミアを行なって瓢箪子供を「産」まねばならない。呪医自身はこの間性関係を慎んでおり、患者がマトゥミアをすませた次の日から夫婦の性関係を再開することが出来る。この点は、子供祈願の瓢箪子供、チェレコの場合と同様である。
後日患者は再び日を選んで呪医のもとを訪れ、今度は憑依されていないしらふの状態で、薬草を示されその一つ一つについて使用法を伝授される。こうしてこの駆出しの呪医は占い師としてその呪医としての活動を始めるとともに、治療上の父や母の主宰する儀礼にその助手として参加しながら、徐々に自分自身の患者をもち、一人前の呪医になっていく。
瓢箪子供は呪医に占いと病気治療の能力を与えてくれる。しかし、呪医が自分の妻以外の女性と関係をもったり、あるいは呪医の妻が他の男性と関係をもったりすると(呪医が女性の場合も同様で、彼女の夫や彼女自身が浮気すると)涙を流し、つまり中の油が自然に溢れ出し、ひどい場合には壊れてしまう。呪医は占いの能力を失い病気になる。呪医が新しい妻をもとうとする場合(女性の呪医の場合、その夫が新しい妻をもとうとする場合)、まずカヤンバ儀礼を開いて結婚しようとする女性を紹介し、了承をもとめねばならない。さもないと瓢箪子供は誤解して問題を引き起こすだろうという。
呪医が死亡すると、呪医の葬送儀礼の際にその呪医が所持していた瓢箪子供を患者に見立ててカヤンバ儀礼を開いてやり、瓢箪子供にもうお前には父(あるいは母)はいなくなったのだと説明してやる。そして瓢箪の首に巻いたビーズ飾りを切り、瓢箪の中身を出して捨てる。こうして呪医の死とともに瓢箪子供の役目も終わりを告げるのである。
まず、なぜここで「瓢箪」が持ち出されるのかを少し考えておこう。
瓢箪の種に対して「種 mbeyu」という言葉の代りに「心臓 moyo 」という言葉が用いられることからもわかるように、瓢箪はドゥルマの栽培植物の中でやや特殊な位置を与えられている。私は瓢箪が中空の器としての身体の比喩を提供しているのではないかと考えている。瓢箪子供はこの対応を、口、舌、血、内蔵、心臓などの対応物を与えられることによって、より念入りな形で完成させたものだと言える。
身体が中空の器であるとすれば、そこには当然何か入れるものがあるということになろう。それがキブリである(註9)。キブリは人間の不可欠の構成要素の一つであるが、必ずしも我々の言う「魂」や「霊魂」には翻訳することは出来ない。それはその人の「影」、「像」、「反射像」、「イメージ」という形で捉えられている。鏡や水面に映った人の姿はその人のキブリである。また、地面に映った影もその人のキブリである。しかし、一方ではキブリとは目にみえない何かであり、当人によっても完全にはコントロールできない何かでもある。この意味でのキブリは人が眠っている間に身体を抜け出して、遠方まで旅することができるなどと言われる。夢とは眠っている間に、その人のキブリが経験していることで、そこでキブリは祖霊 k'oma や憑依霊達と交渉を持つことも出来る。キブリ、祖霊、憑依霊は同じ様な存在様態をもっているのである。
ライカやシェラといったある種の憑依霊は、人からそのキブリを奪い、それを自分たちの棲処であるほら穴の中や水の中に隠すことによって人を病気にするといわれている。妖術使いもさまざまな方法で犠牲者のキブリを奪うことができる。キブリが憑依霊や、妖術使いによって奪われると、奪われた人は病気になり、頭痛や悪寒、吐き気、関節痛などの症状を示す。もっとも人は自分のキブリが奪われたことを自分から気付くことはまずない。場合によっては何年も気付かずに過したりすることさえある。気になる病気を占いに相談に行って、占い師にキブリが奪われていると告げられることによってはじめて、自分のキブリが奪われていると知るのが普通である。
憑依霊によって奪われたキブリを探し出し患者に戻すこと(クズザ kuzuza「嗅ぎだすこと」と呼ばれる治療)は、憑依霊の呪医達の重要な活動の一つである。本稿ではこの儀礼を詳しく紹介することは出来ないが、ここで注目しておきたいのは、この儀礼において奪われたキブリを探し当てそれを患者のところまで持ち帰るのに瓢箪子供が使われるという点である。見つけだされたキブリは瓢箪の中に入れられ、持ち帰られた後、患者の開口部(耳、鼻、口)から瓢箪の中身を吹き込んでやるという仕方で患者に戻される。あきらかに瓢箪子供の瓢箪と、キブリの容器としての身体との間には並行関係がみられる。憑依霊がキブリを奪ったときにそれを隠しておくとされる憑依霊の棲処も、岩穴にせよ、バオバブの木の根元のうろにせよ、池にせよ、川の深みにせよ、その形状において中空の容器であると言えなくもない。もちろん人の身体が憑依霊にとってのもう一つの(一時的であるにせよ)棲処となりうるという事実も忘れてはならない。
妖術使いが犠牲者のキブリを奪うのに用いる道具も瓢箪(キブリの瓢箪と呼ばれる)である。それは妖術使いが自分の親族(とりわけ母や姉妹といった近親女性)を殺し、そのキブリを入れて作ったとされる物で、この殺された女性のキブリが他人のキブリを呼寄せるのだという。こうして奪われたキブリを取り戻すのにもまた同様なキブリの瓢箪が用いられる(註10)。瓢箪はすぐれてキブリの容器なのである。こうした点を考えるとき、瓢箪=子供という発想は必ずしも突飛であるとばかりも言えないことになろう。
目次に戻る不妊の治療における瓢箪子供がムルングの子供であるとされていることは、呪医達の説明から明らかである。ムルングが自分の子供を欲しがって、患者を不妊にしてしまったとされているのであるから(註11)。 一方、呪医就任に際して与えられる瓢箪子供については、この点は呪医達の説明の中では明示されていない。そこではムルングが欲しがっているのは治療の仕事 kazi ya uganga であるという点に強調が移動している。しかしここでの瓢箪子供がやはりムルングの子供だとされていることは、儀礼の中で語られる呪文の中に見て取ることができる。例えば次にあげる呪文、呪医就任の瓢箪子供に「心」を入れる際の呪文にも、それははっきり述べられている。
「..今日ここで、私達は、あなた偉大なるムルングの子供を差し出します。あなた、偉大なるムルングこそ、この砦(これから呪医になる患者の女性の身体のこと)の主です。さて、今日ここへやって来たのは私ことムァヴォイです。男の呪医は私です。女の呪医がこの人です。誰もが自分の難儀を抱えています。...
さて、今日、私達はあなたに仕事を与えます。それこそ、あなたが要求していたものです。だから、彼女を解き放してやってください。鶏はこの黒い鶏です。この鶏を今ここで屠殺します。そしてその心臓をここに入れます(この呪医は瓢箪子供の中に「心」として呪木の代わりに黒い鶏の心臓を入れるやり方をとる)。あなた、もしあなたがたしかにムヮナムルングであるなら、もしこの争い(の主)があなたムヮナムルングで、メジュマ(患者の女性の名前)のためにあなたが呪医の仕事を手に入れたいというのであるのならば、彼女の病気が治りますように。今日あなたには呪医の仕事が与えられます。解放してください。サラーマ、サラミーニ。私の知っているコマ(祖霊)達も、私の知らないコマ達も皆さん私の言葉に力を貸してください。今述べたとおりの私の言葉に。解放してください。あなたムヮナマムニーカ(ムルングの別名)、あなたムヮナキリマンジャロ(ムルングの別名)よ。この子供が、あなたの子供です。...」
(呪医ムァヴォイ Jan.26, 1992)
つまりいずれの儀礼においても、「瓢箪子供=ムルングの子供」という関係が出発点になっており、儀礼の明示された前提になっていることは疑いの余地がない。
しかし同時に呪文の中には、この関係と一見矛盾するような関係も表明されている。例えば、呪医の就任儀礼において完成した瓢箪子供を隠しに行く直前に語られる呪文(すでに引用)を見てみよう。ムルングに対して「この子供(瓢箪子供)はメムァカ(患者の女性)の子供です。...メムァカが彼女の子供を取ってこれますように。...私があなたを置くと、あなたは泣き始めてください。あなたのお母さんがやってきて、あなたを連れていけますように」と唱えられている。一見したところここでは「瓢箪子供=患者の子供」という等式が表明されている(註12)。
そればかりではない。このくだりがムルングに対して語りかけられたものだということも忘れてはならない。ここで「あなた」と呼び掛けられているのはムルングである。その意味では、瓢箪子供が最初のうち「この子供」という3人称の形で言及されているのは、極めて納得のいくことである。しかし、「私があなたを置くと...」以下では、呪医によって隠しに行かれるのは完成した瓢箪子供なのであるから、「あなた」と呼び掛けられているムルングは同時に瓢箪子供でもあるということになってしまう。つまり「瓢箪子供=ムルング」である。ここで再引用した呪文のすぐ前のくだりでは「あなた、大いなるムルングよ。...今日、今、私達はあなたを前にしています。今、あなたは仕事をする子供です(Uwe u mwana vivi be wa kufanya kazi.)。これから、私はあなたをある場所に置きにいきます。メムァカがやって来てあなたを自分で取ってこれますように。」という形で、より直裁にこの等式が表明されている。さらに同じ呪文の中で「あなたムヮナムルングよ。この仕事の子供を吐き出してください。あなたの子供を首尾よく受け取ってください。」とも語られているのであるから、「瓢箪子供=ムルングの子供」ということにもなる。わずか5分にも満たない呪文の中で、瓢箪子供=ムルングの子供、瓢箪子供=患者の子供、瓢箪子供=ムルングという3つの等式が同時に表明されているのである。
冒頭における完成したチェレコ、つまり不妊の治療の瓢箪子供を前にしての呪文においても、同様な事態が生じている。儀礼の目的の中でおおっぴらに表明されている「瓢箪子供=ムルングの子供」という関係にもかかわらず、この呪文ではその瓢箪子供の母親が患者であると語られ、瓢箪子供を与えられること=ムルングを与えられること、という言い換えを通じて「瓢箪子供=ムルング」という関係も同時に提示されている。
儀礼の中で成立しているこの3つの等式、(1)瓢箪子供=ムルングの子供、(2)瓢箪子供=患者の子供、(3)瓢箪子供=ムルング、は我々の目にはどの二つをとっても互いに両立しない矛盾した等式のように思える。しかし、呪医も儀礼に参加する人々も、この点に全く無頓着であるからには、我々には限られた選択肢しか残されていないことになろう。人々が混乱していると考えるか、我々が根本的に誤解しておりその誤解さえとけばそこには矛盾などないのだと考えるか、それが儀礼の中で故意に設定された矛盾で、その儀礼にとって本質的なものだと考えるか、である。私は第二、第三の選択肢にそって考えていこうと思う。つまり我々の側での有りうべき誤解を取り除いた後に、なお残る矛盾を儀礼の理解の中で解決するという方針である。
目次に戻る等式(1)と(3)の関係は、恐らく我々の側での誤解を修正することによって理解可能となるであろう。この二つが我々に矛盾しているように見えるとすれば、我々のうちで暗黙に、「子供」という言葉に含意される親子関係を個体間の関係と捉えているためである。「Aさん」と「Aさんの子供」は当然別人であって、両者が一致することなどあり得ない、という訳だ。しかしこの親子関係がカテゴリー間に適用されているとすればどうであろう。例えば「ヤギの子供」という表現を考えてみよう。ヤギの子供はやはりヤギである。つまり「ヤギの子供」=「ヤギ」という等式には何の矛盾もない。
しかし憑依霊は個体ではないのだろうか。ある意味ではそれは個体である。例えばムルング mulungu あるいは mwanamulungu は常に単数形でしか用いられない。呪医の呼び掛けも常に一人に対する呼び掛けの形、「あなた、おまえ we, uwe」、をとる。尊敬の意を込めて二人称複数、「あなたがた mwi, mwimwi」が用いられることもあるが、その場合にもムルング mulungu という名詞自体は単数形で用いられる。ムルングの複数形ミルング milungu は、文法的には可能であるが、それはムルング以外の他の憑依霊もひっくるめてそれに言及するような場合に稀に用いられるだけである。そもそも、呪医達はムルングが何人もいるといったことを認めない。「ムルングは一人の人間だ mulungu ni mutu mumwenga tu.。」というのがこうした質問に対する決まりきった答えだ。
しかし同時に、ムルングは我々が理解するような意味での「個体」とも違っている。どの憑依霊についてもそうなのであるが、治療儀礼や憑依儀礼の場で、ムルングは同時に複数の人に憑依することがある(註13)。ムルングは口のきけない霊(ヘビだから口がきける訳がない、などと説明されたりする)であるため、憑依された者達はめいめい好き勝手に踊るだけであるが、これが口のきける霊(例えば憑依霊「ドゥルマ人」や憑依霊「白人」など)である場合、憑依された複数の人々が、おのおの例えば憑依霊「ドゥルマ人」として互いに言葉を交わしあったり、別々の要求を述べたりする。「ドゥルマ人」と呼ばれる霊がたくさんいて、その各々がそれぞれに憑依しているのだという風には決して説明されない。すべてが「一人のドゥルマ人」に憑依されているのだと説明されるのである。つまり憑依霊は、一つの「個」でありながら、複数の個体として現れうるような存在であると言うしかない。
日本語でこのような概念の対応物を探すことは容易ではない。あえて探せば、役柄 personage の観念がそれに近い。例えば「銭形平治」は何人もの人物によって(同時にではないが)演じられる。テレビで放映されている行為は、それがどの人物によって演じられているにせよ、その人物の行為としてではなく、「銭形平治」の行為として眺められるだろう。例えば、我々は決して「今、大川橋蔵が銭を投げたぞ」といった風にはそれを見ず、「今、銭形平治が銭を投げたぞ」という形で我々が見ているものを捉える。したがって、異なる人物が銭形平治を演じているのを見ても、われわれは「銭形平治を演じている異なる人物」を見ているのではなく、「異なった銭形平治」を見ているのだということになる。しかし同時に我々は「銭形平治」が一人しかいないと知っている(?)。
しかし、憑依霊と役柄の類似は完全なものではなかろう。少なくとも我々は、役柄と、それを演じる人物が異なる論理階型に属する概念であることを知っている。役柄は人物が存在しているような意味では存在していない。我々は「銭形平治」の本体などという物が今何処かにいるとは考えない。それは単なる役柄、役割であって実体ではないからだ。ちょうど、「先生」を演じて教壇の上で四苦八苦しているしかじかの人物とは別に、何処かに「先生」なる実体が存在していて、その実体がときにはそのあたりを散歩していたりするなどとは決して考えないように。しかし憑依霊は、それが憑依するしかじかの人物とは別に、何処かに存在する実体であると考えられており、ときには風のようにあたりを徘徊しているのだ。
今ここでは十分に論じる余裕はないが、憑依霊の観念を、ちょうど役柄と人物、カテゴリーと個のように異なる論理階型に属する上位の観念が、実体として下位のレベルに紛れ込んだものと捉えても、そう的はずれではあるまい。もしそうだとすると、そうした観念が観念としてきわめて奇妙な振る舞いをするとしても驚くには当たらない。それは「一」であると同時に「多」であるような、つまり個とカテゴリーの中間のような在り方を示すだろう(註14)。後者の相で捉えられたとき、「ヤギの子供」=「ヤギ」が、何ら矛盾を含んでいないように、「ムルングの子供」=「ムルング」もまったく矛盾した等式ではないということになる。等式(1)と(3)の関係を、とりあえずこうした形で解決しておこう。
目次に戻る問題は、(1=3)瓢箪子供=ムルングの子供=ムルング、と(2)瓢箪子供=患者の子供、との関係に絞られる。この問題の検討自体に先立って、まず、瓢箪子供を授ける儀礼そのものがもつ構造的特徴に目を向けることにしよう。 瓢箪子供を授ける儀礼はともに「外に出す ku-lavya nze(konze)」「連れ出す ku-lavya」という言葉で呼ばれている。ドゥルマでは憑依とは無関係な儀礼で、同じくこの言葉で呼ばれる儀礼(あるいはその部分)がある。結婚の儀礼のクライマックスと、出産儀礼がそれである。これらの儀礼にどのような共通点が見られるかを検討したい。
結婚儀礼では、花嫁は婚礼の日までの数日間夫の小屋に隔離され、食事も、水浴びも小屋の中でとる。そして婚礼の日、花嫁は、全体を何枚もの布で覆った独特の行列(芋虫の行進のようにみえる)の中に隠されるようにして、その小屋から屋敷の広場に連れ出される。これが「外に出す ku-lavya konze」と呼ばれる婚礼のクライマックスである。
この特徴的な行列は憑依霊の儀礼においても観察される。呪医就任の儀礼などではカヤンバあるいは太鼓は最初小屋の中で患者を囲んで演奏され、ついで屋敷の広場に舞台を移す。その際患者は、同様な芋虫行列のなかに入れられて小屋から外に進み出る。最初から戸外で演奏されるカヤンバ儀礼においても、カヤンバの開始を告げる呪医の呪文(ku-hatsa ngoma と呼ばれる)の後、患者は小屋の中からこの芋虫行列によって連れ出され、演奏者の輪の中へ導きいれられる。チェレコの瓢箪子供を授ける儀礼では、完成した瓢箪子供はこの芋虫行列によって小屋から連れ出され患者に手渡される。
人々は、このくだりと結婚式との類似に気付いている。患者 muwele は「まるで結婚式の花嫁のように」連れ出されると説明されるのである。もちろん、急いで付け加えると、だからといって患者=花嫁という等式が成り立っている訳でも、カヤンバ儀礼が結婚式と(例えば霊との)見なされているという訳でもない。チェレコの瓢箪子供=花嫁という関係にいたっては、全く問題外である。ドゥルマでは、患者と憑依霊の関係は、アフリカの他の地方の憑依信仰に特徴的に見られるように「結婚」の比喩によってはけっして語られない(註15)。
婚礼と憑依儀礼に共通に見られる、小屋の中から屋敷の広場へという移動に示される変化は、一方の儀礼が他方の儀礼をモデルにしているというよりも、両者の共通の構造を示すものととるべきである。
この変化は、「隠されてあること」から「顕になること」への変化である。ドゥルマ自身も、小屋から屋敷の庭への行列を、花嫁を、あるいは憑依儀礼の患者を皆に「お披露目する、見せる ku-onyesa」ためのものとしばしば説明する。芋虫行列は、屋敷の広場の所定の位置に達すると、それを覆っていた布を取り去られ、花嫁を、あるいは患者を人々の輪の中にさらす。こうした演出は、憑依儀礼の主要な目的、患者が持っている憑依霊を目にみえる形で顕在化させること、と無関係ではないだろう。
小屋から外への行列行進は、むしろ出産の比喩で理解することも出来るかもしれない。ドゥルマで小屋がすぐれて女性の空間と考えられていることを考えあわせると、大いにありそうなことである。このような移動は、婚礼や憑依霊の儀礼以外に、埋葬や、すぐ後で触れる出産儀礼自体にも見られる。埋葬においては、死体が逆さにした寝台に載せられ布ですっぽり覆い隠されて小屋の入り口から運びだされるときには、ご丁寧に小屋の戸口でヤギが屠殺され、行列はその血を踏みながら死体を外に運びだす。まさに出産そのものの演出ではないかと思えるほどである。埋葬がしばしば「最後の結婚式」と呼ばれているのも、もし結婚式のクライマックスの「外へ出す」行列とのあいだの類似が埋葬をそう呼ばせているとすれば、示唆的である。ただし、私はこの小屋から外への移動を出産の演出と結論づけるに十分な具体的証拠を持っていないし、ドゥルマの人々がこの関係を指摘してくれた訳でもない。
いずれにせよこの行列は、単に瓢箪子供に関する儀礼のみならず、「外に出す」という名前では呼ばれないほとんどすべてのカヤンバ儀礼に共通に見られる。この意味ではそれは、瓢箪子供を授ける2種類の儀礼がなぜことさら「外に出す」儀礼と呼ばれて他のカヤンバ儀礼と区別されているのかを、あまりよく説明してくれない。
憑依以外の文脈で「外に出す」と呼ばれるもう一つの儀礼が出産儀礼である。
出産後、産婦と新生児は最初の7日間戸外で地面の上で寝起きし(これは「外の7日間 tsiku saba ya konze」と呼ばれる。最近はこれはほとんど省略されているらしい)、次の7日間、今度は小屋の中で隔離される(これは「小屋の七日間 tsiku saba ya nyumbani」と呼ばれる)。この間も産婦と新生児には寝台の使用が禁止されている。つまり二人は小屋の床の地面の上に寝起きするのである。「外に出す」儀礼は閉経期をすぎた老女によって仕切られる。全身の毛を剃られ、額に煤を塗られた新生児は少女に背負われ、生まれたのが男児であればおもちゃの弓矢と山刀を持って、女児であれば薪に見立てた小さな枝を束ねたものと篭を持って、小屋から外に、つまり屋敷の広場に連れ出される。新生児を背負った少女は、老女の指示にしたがって、畑に行き、赤ん坊が男児の場合「男は木を切る、男は木を切る、男は狩りをする、男は狩りをする」と歌うように唱えながら、それぞれの動作を模倣する。この日に新生児にはクランが所有している名前の中から選ばれた正式な名前が与えられる。この日以降、産婦と新生児には寝台の使用が許されることになる。
この儀礼と瓢箪子供を授ける儀礼との間には、婚礼に見られたような目を奪う類似は見られない。しかし両者の間にはより重要な構造的類似がある。それは特にチェレコの瓢箪子供を授ける儀礼において顕著に見て取れる。手付けの瓢箪子供は、それを「連れ出す」儀礼に先立っては、寝台の下の地面の上に置かれている。この儀礼によって、その口を開け、「心」や「血」を入れられ、「連れ出され」た後、この瓢箪子供は患者の女性と彼女が産んだ子供とともに寝台の上で寝ることが出来る。つまり小屋の中から屋敷の広場への移動によって示される「隠されてあること」から「顕になること」の変化に加えて、ここでは地面の上から寝台の上への移動に示される「下」から「上」への変化が共通に見られるのである。
ドゥルマでは地面に寝ること/寝台を使用すること、地面に直接座ること/椅子を使用することなどに見られる下と上の対立は、多くの儀礼の文脈で「外」と「内」の対立、より正確には「ブッシュ」と「屋敷」の対立と等価である。それは死をめぐる儀礼にはっきり表れている。屋敷内で死者が出ると、その時から屋敷の人々は寝台と椅子の使用を禁止される。人々は男女別れて地面の上で寝起きせねばならない。調理も戸外で屋敷外の人によって行われる。水浴びや洗濯、掃除といった日常的な活動も、夫婦の性関係も禁止される。埋葬後数日間続くこの「なまの葬式 hanga itsi」においては死の状況はブッシュの無秩序として演出される。これらの禁止は最終日の水浴びによって終わりを告げる。水浴びからの帰り道、死者の未亡人や長男は「巣立ちさせられる ku-uruswa」という名前で呼ばれる儀礼的手続きを受ける。水浴びを済ませた(例えば)長男は、屋敷から彼の名を呼ぶ声に応えていきなり走り出し、そのまま小屋の中の穀物倉によじ登ろうとする(註16)。そこを呪医によって「冷まされ」、つまり呪薬の液を振りかけられ、よじ登ろうとするところを引きずりおろされて、用意してあった椅子に腰掛けさせられる。これが「巣立ち」である(註17)。これによって椅子や寝台の使用の禁止が解除される。その夜マトゥミアと呼ばれる儀礼的性交がブッシュの地面の上で行われ、次の日から屋敷は再びもとの秩序に戻っていく(註18)。
人を殺したり、ブッシュの大型の獣(例えばゾウやライオン)を殺した後などにも、その下手人は同様な「巣立ち」の治療が済むまでは屋敷に入ることを許されない。彼はその間、外の地面の上で寝起きする。つまり地面に「座らされku-zagazwa」儀礼的に「冷やされ」、しかる後に「巣立ちさせられ」てようやく彼は屋敷に入ることが許されるのである。それ以前に彼が屋敷に入ってしまった場合、屋敷の人々全員が治療の対象となる。
近親相姦、火事、重大な事故その他、屋敷の秩序が危険にさらされた、あるいは崩壊したとされる場合の儀礼においても、この「上」と「下」の対立がさり気なく演出されている。屋敷は「冷やされ」ねばならず、人々は地面に「座らされ」、儀礼的治療を受けた後に、呪医は彼らの手を取って立ち上がらせていくのである。
憑依儀礼においても、患者が地面に脚を投げ出した格好で座らされ、儀礼の終了とともに呪医に手をとられて立ち上がるという手続きは同じである。憑依霊が「外」の、あるいは「ブッシュ」の存在であるとされていることを考えると(註19)、こうした形で上/下の対立が演出されるのも、別に驚くべきことではない。
ところでチェレコの瓢箪子供を授ける儀礼に表われている上/下の対立は、こうしたさり気ない演出以上に、より直接的に出産儀礼、新生児を「外に出す」儀礼との類似を際立たせている。出産後の「外へ出す」儀礼が、未だ屋敷の秩序に組み込まれていない新生児を屋敷の秩序に組み込むための手続きであり、この移行が(無秩序から秩序への、あるいはブッシュから屋敷への移動と様々な点で等価な)「下」から「上」への移動によって演出されているのだとすれば、チェレコを授ける儀礼におけるこの同じ移動にも、同様な意味が見出されるだろう。つまり、「外」のあるいは「ブッシュ」の存在である何者かを屋敷の秩序の中に取り込むという構図である。その何者かが憑依霊ムルングであることは言うまでもあるまい。
社会関係の地平では、屋敷の外部の者を屋敷内に編入する最も主要な方法は、配偶者として彼(彼女)を組み入れることである。他の多くのアフリカ社会で、外部の存在として捉えられている憑依霊と憑依されている人との関係が、しばしば結婚の比喩で語られるのもこれを反映していると見ることができよう(註20)。しかしドゥルマでは、結婚は、外部から内部への変換の主要な比喩とはなっていない。そうした比喩は「出産」が提供している。配偶者としての屋敷の秩序への編入、つまり結婚の方が逆に、出産の比喩で語られるくらいである。新しく妻を娶る者は、自分の第一夫人との儀礼的性交の後にのみ彼女を屋敷に迎え入れることが出来る。この手続きは「妻を産む」と呼ばれる。息子の結婚に際しても、息子夫婦が屋敷内で性関係をもてるようになる前に、まず彼の両親による儀礼的性交が必要である。この儀礼的性交は「子供を産む」と呼ばれる。
ここでの「産む」という言葉には、もちろん、親子関係の含意はない(自分の妻と親子関係に立つとすれば、それこそ奇妙な話しである)。ドゥルマは屋敷の外部のものを屋敷の秩序にとりこむ必要のある様々な機会にこの儀礼的性交を行う。新たにブッシュを開墾したとき、新たに家畜を手に入れたとき、現金を手に入れたとき、やはりそれらが屋敷の中に定着するためには、儀礼的性交によって「産」んでやらねばならない。それらの儀礼的性交はそれぞれ「畑を産む ku-vyala munda」、「財産を産む ku-vyala mali」「金を産む ku-vyala pesa」という名前で呼ばれる。親子関係が一切含意されていないことは、改めて言うまでもあるまい。そこに見られるのは、屋敷への編入の比喩としての出産の観念である。
しかし、チェレコの瓢箪子供を授ける儀礼においてはこの「出産」の比喩は、その儀礼が実際の出産の儀礼と同じ名前(「外に出す」)で呼ばれ、同じ構造を持つことによって、単なる比喩以上のものになっている。それは瓢箪子供を授ける儀礼を、「外部」の何者か、憑依霊ムルング、をまさに「子供」として屋敷の秩序に組み込む儀礼にしているのである。
以上の分析が完全にあてはまるのは瓢箪子供を授与する儀礼のうちでもチェレコ、つまり不妊治療の瓢箪子供の場合だけだといえるかもしれない。呪医就任の「外に出す」儀礼は、チェレコの場合と異なり、出産儀礼を特徴付ける「下」から「上」への移動はことさらに演出されていない。しかしチェレコの儀礼と呪医就任の儀礼に共通に見られる儀礼終了後の瓢箪子供に対する処置や、それをめぐる禁止は、二つの儀礼が成し遂げようとしていることが、この点では同じであることをはっきり示している。
チェレコの瓢箪子供と、呪医の瓢箪子供に共通する禁止として、それを授けられて以降は、夫婦は浮気をしてはならないというものがある。夫婦の一方が浮気をする、つまり「外で寝る ku-lala konze」と、瓢箪子供は「泣き」、放置しておくと壊れてしまう。浮気をしたほうがそれに触れようものなら、たちどころに壊れてしまう。この禁止は、出産後の一定期間夫婦に課されている禁止とまったく同じものである。つまり出産後、子供が一人歩きできるようになるまでの期間は夫婦は浮気を慎まねばならないのである。さもないと、生まれた子供はやせ細り、力なく泣くばかりで放置すると死に至るとされている。浮気をしてきた者が帰宅してその子供に触れようものなら、子供は即座に死んでしまうだろう。両親の浮気によって子供が陥る状態はキルワ chirwa と呼ばれ、子供は「陵駕された mwana yuchirwa」と語られる。この言葉はそのまま、浮気によって生じた瓢箪子供の異常を指す言葉でもある。つまり、この禁止は瓢箪子供をそれを授けられた夫婦の実の子供と等価な関係に置いているのである。
瓢箪子供を授ける儀礼の次の日、授けられた夫婦は儀礼的性交を行い、「瓢箪子供を産む。」既に述べたようにこの言い方自体は必ずしも夫婦と瓢箪子供の親子関係を示唆するものではない。しかし、瓢箪子供に関してはそれは事実親子関係を打ち立てるものになっている。なぜ瓢箪子供が儀礼の日のうちに作り上げられねばならないかについて、ある呪医は次のように説明している。これは呪医就任の瓢箪子供についての説明ではあるが、この説明自体はチェレコについても同様であろう。
呪医:(もし呪医が瓢箪を家にもって帰ってゆっくり作る、などということが許されたら)私(患者)は、山羊のロープを短くして草を食べられないように繋いでおくように、彼(呪医)がその妻に近づかないようにせねばならない。もし彼が瓢箪子供を産んでしまったら、つまり彼の妻と寝てしまったら、それはもう私の子供 mwanangu ではなく、彼の子供 mwanawe だということになってしまう。
私:?
呪医:つまり、私(患者)はこの子供を求めていたんだから。そしてこいつには名前がある。我が子 mwanangu というね。そこで私は呪医に言う。私に(瓢箪)子供を産ませて欲しい。だから、あんたに待ってもらわねばならない。(完成した)瓢箪子供を持ってきて欲しい。(例えば)ちょうど2週間後(majuma mairi:8日後)。だって、あんたはゆっくり完成させると言うんだから。でもその間あんたは(妻と寝るのを)待ってなければならない。我慢できるかい?
私:我慢できませんか?
呪医:妻に触るに決まっている。違うかい?おまえが妻に触れたら、もうおしまいだ。おまえはやってきて私におまえの子供 mwanao をくれることになるだろう。それは私の子供ではない。つまりその呪医は失敗したというわけさ。
私:?
この呪医の解説の中では、儀礼の後の性交、つまり瓢箪子供を「産む」ことが、その瓢箪子供を患者夫婦の子供にすることであると明瞭に述べられている。
呪医によってではなく、夫婦二人の手によって瓢箪子供に穴が穿たれねばならないこと、夫婦自身によってその「心」が入れられねばならないこと、これらも、その瓢箪子供を患者夫婦の子供として位置付ける手続きの一部をなしていると考えることも出来よう。
実際、チェレコの瓢箪子供が、「私の子供 mwanangu」として言及されるのはしばしば耳にする。また瓢箪子供は、その女性が産んだ実の子供に対して、相棒 muyawe であるとか、兄弟 nduguye であるとかとも語られる。呪医の持つ瓢箪子供についてはこの後者の関係は見られないが、自分の瓢箪子供を「私の子供」として言及することについては呪医の場合も同様である。
1.チェレコを授ける儀礼
チェレコの瓢箪子供を「連れ出す」儀礼においては、その目的は一貫して「ムルングに彼女の子供を与えること」であると語られる。そうすれば、瓢箪子供=ムルングの子供=ムルングは、患者と彼女が産む子供を守りつづけてくれるだろう。つまりムルングは、彼女の別名であるマレラ(marera つまり「子供を育てるもの」)にふさわしく振る舞ってくれるという訳だ。しかし、その儀礼自体は一貫してこれとは別の関係、瓢箪子供=患者の子供という関係を打ち立てる演出に、全力を注いでいるようにみえる。呪医がそこで語る呪文は、この二つの関係に引き裂かれている。呪文の中での指示代名詞や人称代名詞の使用は、ほとんど破綻をきたしていると見えるほど一貫性を欠いている。
今や、それらは何ら驚くには値しないことだとわかる。この一連の不妊の治療が目指しているのは、患者の女性の妊娠と出産を妨げていた「外部の」あるいは「ブッシュの」生き物 nyama であるムルングを、「内部の」あるいは「屋敷の」秩序、つまり社会的な秩序の中に取り込み、その力を人間にとって好ましい方向に作り変えることである。そしてドゥルマにおいてはこれは「出産」の比喩によって、つまり「子供」としてこの秩序に編入することによってのみ可能である。瓢箪子供とはこのように、患者の子供として取り込まれたムルングの子供=ムルングだった。瓢箪子供=患者の子供という関係は、あらゆる一貫性を犠牲にしてでも打ち立てねばならない関係だったのである。
2.呪医就任の儀礼
呪医の就任儀礼においても、同様であろう。しかし、ここでちょっとした疑問がもちあがる。明らかに、呪医の就任儀礼の方では、瓢箪子供=患者の子供という関係は、チェレコの場合のように表立っては表明されていないし、儀礼の演出もこの関係を打ち立てるのにそれ程熱心ではないようにみえる、という問題である。このあたりでチェレコを授ける儀礼と区別される呪医の就任儀礼に固有の特徴を、きちんと押さえておく必要があるだろう。
呪医の就任儀礼の明示的な目的は、治療の仕事がしたいためにその患者を病気にしていたムルングに「仕事を与える」ことであるとされる。しかし、この儀礼の後呪医として仕事を始めるのは、もちろん当の患者である。われわれはチェレコの場合とは更に別の曖昧さに直面していることになる。そもそもこの儀礼は「外に出す ku-lavya konze」と呼ばれるが、いったい何が外に出されるのだろうか。呪医達とのインタビューの中で彼らは自分が受けてきた「外に出す」儀礼に頻繁に言及する。そうした会話の中で何が「外に出てきた ku-laa, ku-laira」という言い回しで語られているだろうか。「呪医の術は確かに出てきたとも uganga walaa jeri、でも半年もしないうちにまた封じられてしまった。」ここでは「外に出」されるのは、ウガンガつまり治療の術、呪医の仕事である。「私はムルングに出てきてもらった。nalairwa ni mulungu.」ここでは「外に出」されるのはムルング=ムルングの子供=瓢箪子供である。しかしより頻繁に耳にするのは、例えば次のような語り口だ。「(病気になって)6年目の年だった。私は外に出た ndo nalaa konze sambi。」つまり「外に出る」のは当の患者本人なのである。すでに引用した呪文の中にも、この3つがすべて述べられている部分がある。その部分を再び引用しよう。
「あなた、ムヮナムルングよ。あなたは誰によって外に出されるのですか。ムァインジ(その日の儀礼を主宰する男の呪医)によって外に出されます。呪医の仕事は誰によって出されるのですか。アンザジ(男の呪医のパートナーをつとめる女の呪医)によってです。ムァインジはその父と母(治療上の)によって外に出されました。そしてアンザジもその父と母によって出されました。...このようにだれもに父と母がいます。」
ここに見られる「外に出される」対象の複数性は、呪医就任の儀礼自体が持つ重層性に由来している。第一に、そして何よりもまず、呪医就任の儀礼は患者にとっての一種のイニシェーション、治療される立場から治療する立場への、である。この新しい地位への移行は、再び出産の比喩によって語られる。儀礼には男女二人の呪医が必要である。それぞれが患者にとって「治療上の父 baba wa chiganga」、「治療上の母 mayo wa chiganga」となる。患者は彼らによって「外に出」され、これ以後、彼らの「治療上の子供 mwana wa chiganga」となる。
同時に、ある意味でそれは憑依霊にとってのイニシェーションでもある。それまで患者を病気で苦しめていた「外部」の、あるいは「ブッシュ」の生き物である憑依霊を、人間の秩序、「屋敷」、に編入して、その力を呪医としての活動を始める彼を導き助けるものに変えねばならない。ここに再び出産の比喩が用いられることになる。つまり、憑依霊ムルングは、呪医への道を歩み始めた患者の「子供」として「外に出」されねばならない。
しかしこの二重の地位の変化は、一つの条件にかかっている。我々の言葉で言えば、患者に本当に呪医になる資格があるのか、呪医達の言葉で言えば、患者に憑依しているムルングが本当に呪術の仕事を欲しがっているのか、という点である。かくして呪医就任儀礼の最大のクライマックスであり、またフィナーレは、憑依状態の患者に課せられる三重のテストである。彼は隠された彼の「子供」を見つけださねばならない。彼は占いを語らねばならない。彼はムルングの呪木を探し当てねばならない。このテストを人間としての彼の能力をテストしているのだとは考えないようにしよう。彼の勘のよさが問題なのではない。それならば彼は憑依されている必要がないはずである。テストされているのは人間としての彼ではなく、ムルングに憑依された彼、つまりムルングとしての彼なのだ。では、ムルングの能力をテストしているのであろうか。これは問題外である。ムルングは原理上、あるいは教義上、すべてを知っている。とするとこれはいったい何のテストなのだろう。もちろん既におわかりのことと思う。患者=ムルングという等式そのものの検証が行われているのである。
呪医の就任儀礼はこの等式、「患者=ムルング」をうち立てることにそのすべてがかかっている。そしてこの等式が疑問の余地なく成立している状況で、患者は、そしてムルングは「外に出」されることになる。儀礼の明示的な目的、ムルングに呪術の仕事を与えること、と儀礼の結果、患者が呪医として仕事をすることも、この「患者=ムルング」という等式のもとでのみ矛盾なく結び付く。
チェレコを授ける儀礼と呪医就任の儀礼の違いは今や明らかであろう。単なる不妊治療の絞めくくりであるチェレコを授ける儀礼、「瓢箪子供を連れ出す」儀礼においては、「患者=ムルング」の関係は主張されない。徹夜のカヤンバで患者が憑依することは望ましいことであるが、もし患者がいっさい踊らなかったとしても、いずれにせよ瓢箪子供は外に出され患者に授けられるであろう。この状況では「瓢箪子供=患者の子供」の関係は、念入りな演出によってことさらに主張され、確立されねばならない関係である。「瓢箪子供=ムルングの子供」という儀礼の前提は、儀礼が結果として目指している「瓢箪子供=患者の子供」という関係をそのままでは導かないからである。
一方、呪医就任の儀礼においては、その成否は「患者=ムルング」という等式にかかっている。そしてこの等式が成立しているもとでは、「瓢箪子供=ムルングの子供」という等式は、ロジカルに「瓢箪子供=患者の子供」という等式を導くことになる。儀礼は等式「患者=ムルング」を確認しさえすれば「瓢箪子供=患者の子供」の関係をことさらに演出するまでもないということになる。
目次に戻る瓢箪子供は、ドゥルマの憑依にまつわる諸観念の中で中心的な位置を占める「シンボル」の一つであると言ってよかろう。私はここで、この論考においてはじめて「シンボル」という言葉を使用している。しかし、このシンボルという言葉を、何らかの観念や思想を伝達するための記号といった通常の意味では捉えないで欲しい。儀礼とは何らかの観念や思想を表明し伝達するコミュニケーション行為であるという、人類学では言い古された、そしておそらくは誤った考え方がある。シンボルという言葉もこの誤った考え方の文脈で通常使用されている。しかし儀礼を行う当の人々の見方からこれほど隔たった見方というのも珍しい。というのは当の人々は、自分達が行っていることを世界に働きかけること、現実を変えたり、再生産したりすることと見ているからである。そして儀礼とは事実そういった企てなのだ。私がここで検討を加えてきた儀礼もまさにそうした企て、患者の置かれている状態を根本的に変更すること、であった。
ところで、現実を変えるとは、それを構成している諸関係に変更を加えることである。そして諸関係の変更とは、それら対他的な関係を内自化した項を操作することにほかならない。ここで私はあえて、主観的に、あるいは客観的にという区別にこだわらないことにしたい。物の見えかたが変わるということと、見えている物が変わるということのあいだには本質的な違いは何もない。仮に儀礼的行為が主として、あえてこうした区別を立てれば前者に属するであろう領域で、変化をおこすことを目指していると言えるとしても、だからといってそれが現実を変えたことにはならないなどとは言えない。
「シンボル」という言葉に何か意味があるとすれば、まさにこの変更の企てとの関連においてである。それは、それを操作することを通じて諸関係の変化が実現するような項、論理的には矛盾しているとすら言える諸関係を同時に内自化した特異な関係項である。一つの同じ「シンボル」が儀礼の中で操作されるとき、それは同じ一つのものでありつづけながら、出発点においてはそれはある関係を受肉、内自化したものとして登場し、終着点においてはまったく別の関係を内自化した項として現れる。一つの項の中で、諸関係の変化がもたらされるのである。私はこの論考においてドゥルマの瓢箪子供がこうしたシンボルであることを示し得たと思う。それは何かを「言い表し」たり「伝達し」たりする記号ではなく、関係を操作するための項、変換子なのである。瓢箪子供を患者の「子供」として「産む」ことを通じて、それ以前は患者にたいして様々な苦難をもたらしていた「外部」あるいは「ブッシュ」の生き物である憑依霊が、患者に様々なプラスをもたらす秩序内部の存在に作り変えられる。それを可能にしたのが瓢箪子供というシンボルだった。
最後に、冒頭であげた疑問、なぜ憑依霊に対する呼び掛けのなかで「子供 mwana」が「尊敬を表わす」言葉になっているのかという疑問に答えておこう。今やその答えは簡単である。憑依霊は外部の、あるいはブッシュの存在である限りにおいては気紛れに災厄をもたらす厄介な存在である。しかし、一度秩序にとりこまれると、相変わらず身勝手で気紛れではあるが、女性の多産を保証し占いや治療などの活動を可能にしてくれる好意的な存在となる。「子供」は秩序に編入された憑依霊のこの好意的な側面に対応する。憑依霊は「出産」の比喩を通じて「子供」としてのみ秩序に編入されるのであるから。憑依霊に対する歌や呼びかけのなかで、呪医達は憑依霊のこの善なる側面をこの「子供」という言葉で賞揚しているのである。
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(註1) ドゥルマはケニア・コーストプロビンスに住むバントゥ系農耕民ミジケンダ・グループに属する人口15万を越える集団で、クワレディストリクトの内陸側に広がる広大な丘陵地帯に広く居住している。トウモロコシを主に栽培しているが、ヤギや牛の牧畜も経済的にかなりの重要性を持っている。近年若者達の中では現金収入を求めてモンバサなどの都会へ出稼ぎに出る者も多い。二重単系出自をもつが、ウクーチェと呼ばれる母系集団は、経済的、政治的な重要性を既に失っている。この論考のもとになった資料は、1983年4月〜9月、1986年11月〜1987年8月、1989年9月〜1990年2月、1991年8月〜1992年2月の4度の調査に基づいている。この内 1983年の調査はトヨタ財団、1989年以降の2度の調査は文部省科学研究費助成金によるものである。
(註2) 憑依霊の儀礼であるカヤンバ儀礼で真っ先に歌われることが多いムルングの歌を紹介しておこう。
ziyani mwanamulungu wee 池にはムヮナムルング ziyani mayo 池にはお母さん nambwa ni mayo pore お母さんに「かわいそうに」と言われたよ ukavyoge ziya ra uganga 「医術の池に踏み入りなさい」ってね haini ハイーニ mvula ya vuri yagb'a 小雨季の雨が降って yichimala mwiri wee 身体を痛めつけた ziyani mwanamulungu 池にはムヮナムルング mukangaga unyetera ziya 葦が池じゅうに生い茂っている
ムルング(ムヮナムルング)と、雨や水辺との結び付きがはっきり表われている。ムヮナムルングはまたすべての他のブッシュ系の霊達の産みの母であるとも考えられている。
(註3) 「あのムルングというのは上の方にいるあのムルングのことだ。しかし憑依霊(p'ep'o)のムルングは我々と同じ人間であり、我々のところに要求を述べにやってきているのだ。Yuya mulungu ni yuyatu mulungu kuratu dzulu. Lakini p'ep'o ye mulungu ni chumbe binadamu dza swiswi akadza kp'ambira maneno.」これは、ある憑依霊の呪医の意見である。さらに別の呪医によると「ムルングというのは我々が祈願する天にいるあれのことだ。一方、我々が関わりうるのは天からこの地上にやってきたあの女性(憑依霊のムルングは女性であると考えられている)である。Mba mulungu ni nyo uvoywao ko mulunguni, na kuno kp'akudza patikana ye muchetu yelaa ko mulunguni kudza kuku.」至高神ムルングが、人間が直接に関わることの出来ない天上(mulunguni)の存在であるのに対して、憑依霊のムルングは人々が直接交渉可能な地上の存在として区別されていることがわかる。
(註4) 不妊を引き起こす憑依霊には「清潔好きで、そのため子供を嫌う」と言われるイスラム系の霊や、「上の霊 nyama a dzulu」と呼ばれる霊などがある。後者は「鳥」のイメージと結び付いていることが多く、すべて除霊の対象である。
(註5) 憑依霊の儀礼はマカヤンバ makayamba、カヤンバ kayamba 、ンゴマ ngoma などと総称されるが、それは儀礼で用いられる楽器の名から来ている。憑依霊の儀礼には太鼓 ngoma が用いられることもある(とりわけ呪医の就任儀礼など)が、普通はカヤンバが用いられる。カヤンバというのはエレファントグラスを並べて束ねた板の間にトゥリトゥリと呼ばれる実を入れた一種の打楽器で、マラカスに類した音を出す。
(註6) ここで「瓢箪子供を上に上げる」というのは、後述するように、この儀礼の後に瓢箪子供を寝台の上に移すことを指している。
(註7) 実際には呪医の病気経験は呪医としての道を歩みはじめたときから、通常の病気経験とは別のレベルに変化している。彼を呪医にした最初の病気は、我々の言う意味での病気ででもある。しかし、それ以降は例えば彼が占いの能力を失ったり、夢を見なくなったり(あるいは無意味な夢ばかり見るようになったり)するとそれだけで彼は自分が病気であると語るだろう。
(註8) この表現の意味は良くわからない。
(註9) ドゥルマのキブリの観念については、別の論考で紹介しているのでここでは簡単に触れるだけにする。詳しくは [3] を参照されたい。
(註10) 実はキブリの妖術の治療にあたるキブリの呪医が治療に用いる瓢箪は、まさに妖術使いが用いるものと同じものである。このためキブリの呪医は人々から妖術使いであるとも見なされている。つまり彼はその瓢箪を使って、他人からの殺人の依頼を請け負う殺し屋だとも考えられているのである。
(註11)占いで患者に瓢箪の子供が処方される際にも、それは明瞭に述べられている。「ムルングの壷を用意してちょうだい。それからムルングの池。そして彼女の瓢箪子供 na mwanawe wa ndonga.。」「ムルングは彼女の瓢箪子供を欲しがっている mulungu unahenza mwanawe wa ndonga.。ムドゥルマは壷を欲しがっている。...」ここで用いられている mwanawe という表現は子供 mwana に3人称の所有格をあらわす we が付いたもので、直訳すると「瓢箪の、彼女(ムルング)の子供」という表現になる。
(註12) 呪文のこのくだりは、これが憑依の状況であるということを考慮に入れるといささか曖昧さを含んでいる。というのも、この呪文が言及しているのは憑依状態の患者が隠された瓢箪子供を探しに行く場面であるが、憑依のイディオムでは憑依状態の人間の行為の主体は、その人ではなく、その人に憑依している霊にほかならないとされるからである。自分の「子供」を探しに行くメムァカは実はムルングである。とするとこのくだりは同時に瓢箪子供=ムルングの子供という等式も成り立たせるのだ。
(註13) この点でドゥルマの憑依霊はランベクが報告するコモロ諸島マヨッテに見られる憑依霊信仰と大きく異なっている。ランベクによると、そこでは憑依霊は完全な意味で「個体」であり、同時に一人の人物にしか憑依しない。このため、憑依儀礼でも一人の人物から別の人物へシステマティックに憑依霊がスゥイッチングするのが観察されるという。[4]
(註14) 同様な特徴を持つ諸観念についてはリーンハートによるディンカの JOK の観念の分析、および浜本によるその解釈を参照されたい。また小田による分析も参照のこと。[6,2,7]
(註15) 女性に憑依し家事嫌いにさせるシェラあるいはイキリクと呼ばれる憑依霊の儀礼(「重荷おろし ku-phula mizigo」と呼ばれる)は、そのフィナーレを結婚の演出で締めくくる。しかしそこでは花嫁は患者に憑依しているシェラで、その患者の夫がシェラの花婿に擬せられる。つまり患者の夫は、既に患者と結婚しているのだが、この儀礼によって、その患者に憑いているシェラとも結婚させられるということになる。この結果、患者は再び夫のために甲斐甲斐しく働く妻になるであろう。ここでは結婚の比喩は、アフリカの他の事例におけるように、憑依霊と患者の関係に適用されているのではなく、患者=憑依霊と、その夫の間に適用されているのである。それは患者の夫婦関係の、憑依霊の領域での再確認なのだ。
(註16) ドゥルマでは穀物倉 chitsaga は小屋の中に作られている。小屋の三分の一が二層構造になっており、その二階の部分に収穫されたトウモロコシが貯蔵される。
(註17) ku-uruswa という言葉は「(鳥などを)飛び立たせる、羽ばたかせる」を意味するディゴ語である。ドゥルマ語では ku-buruswa (「飛び立つ、羽ばたく」を意味する ku-buruka の使役形の受動態)になるはずなのであるが、儀礼の名前としてはもっぱらこのディゴ語の表現が用いられている。
(註18) ドゥルマの死の儀礼を、性との関係で論じたものとしては浜本1989を参照されたい[1]。
(註19) 憑依霊はドゥルマ語でペーポー p'ep'o、シェターニ shetani、ニャマ nyama などと呼ばれている。日常最も良く使われるのが最後のニャマという言い方であるが、ドゥルマ語ではニャマ nyama は、第一義的には「動物、獣(人間と区別する意味で)」を意味する。憑依霊は大きく二つのグループに別れている。一つは「海辺の憑依霊 nyama a pwani」、もう一つは「ブッシュの憑依霊 nyama a bara, nyama a nyika」と呼ばれるグループである。前者には、もっぱらイスラム系の霊が属している。ムルングやライカなどはすべてブッシュ系の霊に属する。この2グループでは、その治療や儀礼の体系もまったく異なっている。瓢箪子供が関係するのはもっぱら第2のブッシュ系の霊達である。
(註20) 憑依霊と憑依されたものの関係が結婚の比喩で語られる社会は多い。例えばルイス 1971 参照[5]。この結婚の比喩が、事実上の(あるいは想像上の)霊との結婚や性的関係を意味するというよりは、憑依霊の「社会化」、姻族としての人間社会への編入の比喩であることはランベクが分析している。[4]
[1] 浜本満, 1989, 「死を投げ棄てる方法:儀礼における日常性の再構築」 田辺繁治編, 『人類学的認識の冒険』, pp.333-356 同文館.
[2] 浜本満, 1986, 「異文化理解の戦略(1)(2)〜ディンカ族の「神的なる もの」と「自己」の観念について」 『福岡大学人文論叢』Vol.18(2)(3), pp.381-407, pp.521-543.
[3] 浜本満, 1992, 「ドゥルマにおけるコマの観念について」『九州人類学会報』 Vol.20 (in print).
[4] Lambek,M., 1981, Human Spirits: A Cultural Account of Trance in Mayotte, Cambridge: Cambridge University Press..
[5] Lewis,I,M., 1971, Ecstatic Religion: An Anthropological Study of Spirit Possession and Shamanism, Penguin.
[6] Lienhardt,G., 1961, Divinity and Experience: The Religion of Dinka, London: Oxford University Press.
[7] 小田亮, 1989, 『構造主義のパラドックス』, 勁草書房.