ドゥルマ社会の老人:権威と呪詛

 この節では、ケニア・コーストプロビンスに住むドゥルマ人(註1)のあいだでの老人の地位と彼らに払われる尊敬を、父としての老人に備わる子供を呪詛する能力と、老人一般が持っていてもおかしくないとされる呪薬を使った呪詛の能力との関係において、検討してみよう。最初にある女性が私に語ってくれた思い出話を紹介したい。

メムンガの思い出話

 「私のあのムァディガのことだけどね。あの子は、父親に学校にやってもらったわけじゃないんだよ、あの子は。私自身があの子を学校に行かせてやったのさ。私の着るものといったら!皆がきれいなレソ(女性用の身体に巻くプリント地の布)を着ているときでも、私の身に着けているものといったらグーシェ(荒い織りの薄手の黒い布)のぼろ布ばかり。せっせとビュンゴ(ヤシの葉で作った屋根材)を編んでは、市の立つ日の朝早くここを発って売りに出かけた。...あの子が学校に連れていかれることになったときのことだよ。あの人(彼女の夫)が来て言ったのさ。『誰に学校で勉強させるって?ムァディガ、こいつか?俺にはそんな力はない。ムボゼとキルムオには学校へ行かせようと思っていた。でもこいつ、ムァディガはね。こいつにはドゥンブーレで牛追いをさせるつもりだった。』それを聞いて、私の心はさーっと(冷たくなった)。」
 ムァディガ氏(仮名)は、1994年現在30代後半で6人の子供の父である。妻はまだ一人しかいない。ケニア政府の植林事業の仕事に常勤の職員として雇われており、わずかではあるが定収がある。とりわけ羽振りが良いというわけでもないが、遠く離れたモンバサの町に一時雇用の賃稼ぎの仕事に出た若者の収入をあてにする以外にはこれといった現金収入の道のない近隣の多くのドゥルマの屋敷の中にあって、最近自分の住む小屋の屋根をトタン葺にするなど、ひとかどの暮しぶりである。父の死後、彼は自分の母メムンガ(仮名)を引き取って、自分の屋敷で彼女の面倒を見ているのであるが、これは、そのメムンガが語る思い出話である。メムンガの夫であった故ンデグァ氏(仮名、1990年に死亡)には4人の妻がおり、メムンガはその第一夫人であった。ンデグァは当時二つの屋敷を構えており、40キロほど離れたもう一つの屋敷の方に若い妻たちを住まわせ、メムンガの住んでいる屋敷には滅多に帰ってこなかった。ムァディガはメムンガの産んだ9人の子供のうちで一番末の息子であった。彼女によると、ンデグァはこのメムンガの末の息子を、ことさらないがしろにした。
 「私は言ってやった。なんとしてもムァディガは学校へやるよ。ドゥンブーレ(ンデグァのもう一つの屋敷がある)なんかにやるもんですか。」
 こうして彼女の苦労が始まった。粗末な身なりに甘んじ、畑仕事のかたわら、ヤシの葉を編んで屋根材を作っては市の日に売りに行った。稼ぎはいくらにもならなかったが、他の息子たちの援助もあり、ムァディガをなんとか学校に通わせることができた。ンデグァはムァディガが現在の妻と結婚する際にも、何の援助も行わなかった。息子の結婚に際して婚資を提供するのは父親の義務であるにもかかわらず。ムァディガは小学校卒業後、さまざまな賃稼ぎの職に就きながら、その収入をためて自力で現在の妻をめとったのであった。ンデグァはこの頃から、しばしば酒代をせびりににやってくるようになった。要求はときに少しエスカレートすることもあった。
 「あの人がやってきて言った。『俺には着るものがない。俺には服がない。』ムァディガのところにさ。ムァディガが言うには『おかあさん、お父さんが今度は服が欲しいなんて言うんだ。僕を学校へもやってくれなかったのに。』私は言ったよ。『ああ、そんなこと言っちゃあいけないよ。我慢しなさい。お父さんに服を買っておあげ。お前はお前で自分の仕事をしていればいいんだよ。』あの子は服を買ってやった。ほらね。ムァディガが傘を買ったことがあった。あの人がやってきて言った。『ふむ、俺には傘がいる。ふむ、この傘でいいからもらっていくぞ。』あの子が言うには、『お父さん、止めてください。お父さんには別のを買ってあげますから。』『いいや、これをもらっていく。』私はあの子に言ったよ。『ああ、好きなようにさせておやり、おまえ。あの人の好きにさせておやり。』という訳だよ。あの子、あのムァディガのことさ。」

 以上の話は、ちょっと聞いただけでは、ありふれた美談の一つととられかねない。若い妻たちと酒とにうつつをぬかし、第一夫人の子供をないがしろにするろくでなしの父親。自分のほうからは息子に何もしてやらないでいて、要求だけはかけてくる。しかし息子のほうでは、母の賢明なアドバイスによって、そんな父の要求にその都度応えるのを怠らない。自らを犠牲にしてでも子供のためにつくす母と、理不尽な父親にも礼をつくして応える孝行息子。そして言外の結論:そんな息子だったからこそ、今日の成功があるのだ。
 しかしメムンガのこの話のポイントは、そんな昔の修身の教科書が好んでとりあげそうな「孝行」の主題とは、実は微妙にずれている。彼女が私にこの話をしてくれたのは、ドゥルマにおける父親と母親の「呪詛」についてのインタビューの中でのことなのである。父親の理不尽な要求にも応えよという、母メムンガの、息子ムァディガに対するアドバイスは、実際きわめて的確なものであった。しかしそれはいわゆる道徳的義務とは無縁な判断であり、父の呪詛を避けるという現実的実践的な判断に基づいていたのである。もし、ムァディガが父の要求に逆らっていたとしたら、彼に父の「呪詛」がかけられたであろうことは、その父がろくでもない人物であるからこそ一層間違いのないところであり、ムァディガは必ずやその悲惨な結果を経験したに違いないからである。父親あるいは母親という立場と呪詛とは切っても切り離せない関係にある。

Q:彼みたいな父親、つまり息子に何もしてやらないような父親が、仮に呪詛を打っても、効目がないということはないんですか?
A(メムンガ):いったいどんなわけで効目がないっていうんだい?
Q:やっぱりおんなじように(呪詛は)捕らえるんですか。
A:おんなじように捕らえる。だってお前の父親だよ、あんた。

父親の呪詛:ムァバヤ老人のケース

 父親の呪詛の効果は、実際にそれに捕えられた人についての、どこにでもある話の中でくり返し表明されている。どの村に行っても、「あいつは父親の呪詛に捉えられているのだ」と噂されている零落れた人物のサンプルには事欠かない。誰それは父親を殴ってしまったのだ、誰それは父の妻と寝てしまったのだ、といった具合に。例えばムァバヤ老人(仮名)のケースもそうした例の一つである。彼の屋敷では不和が絶えず、何人もの妻と離縁をくり返し、成人した息子たちも一人としてまともな人間がいないと噂されている。ムァバヤ氏本人が無類の酒好きで、このため各方面に借金を作りまくっている。最近では、土地をめぐる訴訟のために親族が出し合った金を届ける役目を引き受けながら、裁判の場に現われず、それを全て「飲んでしまった」事件が、近所の人々の笑いの種になっていた。

 「あいつは父親に呪詛を打たれたんだよ。いつもあんな風だ。努力しても何も手に入れられない。努力はしているんだろうよ。でもあんな風だ。...あいつムァバヤはタバコ、あのつぶして紙に巻いて吸うタバコの葉を、父親に与えられたんだよ。『お父さん、タバコの葉をください。私がモンバサで売ってきてあげましょう。』タバコを与えられて、売りに行った。でも金はすっかり自分で使ってしまった。家に着くと、『ああ、お金は来月くれるってさ』。そうこうして(父親が)『お前、私のお金を受け取りに行ってくれよ。』帰ってきて言うには、『ああ、もらえなかったよ。』『本当か?』『本当だとも。』そのうち、ついに老人も自分が騙されていると気が付いた。そして言った。『我が子よ、お前は私にタバコを所望したね。お前は、タバコをください、お父さんのために売ってきてあげましょうといった。私は確かにお前にタバコを渡したじゃないかい。お前は結局私を騙した。騙しつづけだった。朝が来るたびに、お前はカタツムリの殻を見るだろうよ。でもカタツムリそのものは見ることはないだろう。』...カタツムリの殻!でもカタツムリそのものは見ることはないだろう。こんな風に父親に言われたのさ。ほらね。こんな風に言われて、なんと今や実際あんな具合だ。」

 「カタツムリの殻」つまり成功は目の前にちらつくだけで、「カタツムリの本体」つまり成功そのものが手に入ることはない、との呪詛である。父親に「お前はろくな人間にならないだろう」と言われてしまうと、実際に子供はろくな人間にはなれないというようなものだ。この種の父親の呪詛は、しかるべき手続きを踏めば、解除可能である。しかしムァバヤ氏は愚かにも父親の存命中にそれをしなかったので、彼にかけられた呪詛は永久に解除不能になってしまったのだといわれている。(別の噂では、ムァバヤは父の妻の一人と性関係をもってしまい、それがもとで父は彼を呪詛し、死ぬまで彼を許さなかったのだという。)呪詛がもとで一生を棒に振ることもあるのである。

呪詛:バコ

 ここで私が「呪詛」と訳したのは、ドゥルマ語でバコ bako と呼ばれる言葉である。両親との関係においては、このバコという言葉は、ムフンド mufundo という言葉ともしばしば互換的に用いられる。これらの観念について簡単に解説しておこう。

 バコとは、相手に悪い言葉 maneno mai を投げ付けることによって、相手になんらかの災難をもたらす行為である。「バコを打つ ku-piga bako」というのがドゥルマ語での言い方である。厳密に言うと、バコにも2種類ある。「父親や母親のバコ bako ra abayo na ameyo」は、父や母が子供に対して打つバコで、悪い言葉を口にするだけでその効果を発揮するというものである。それに対して「ドゥルマ人のバコ bako ra muduruma」(これはむしろ「他人のバコ」と訳されるべきかもしれないが)は、口に含んだ呪薬の力を借りたバコで、むしろ妖術(邪術)utsai の一種であるとみなされている。普通父や母以外の人間がただ呪いの言葉を投げ付けただけでは、相手に何も起こったりはしない。ただし呪いの言葉を吐いた人がその口に「もの utu」すなわち「呪薬 muhaso」を含んでいた場合は別である。それが「ドゥルマ人のバコ」である。妖術使いの何人かは「『もの』を食べる kurya utu」ことによって、いちいち呪薬を口に含まなくともバコを打てる能力を身に付けてしまっているとされる。また、生まれつき舌の先が黒い人がいるが、そうした人にも生まれつきバコの能力が備わっていると言われている。実際問題として、相手が口に「もの」を含んでいるかどうかは調べようがないので、すべての悪い言葉はバコである可能性があるということになる。

 しかるべき人が発するとバコになる悪い言葉には、一定の決まり文句とでも呼べるような型がある。ムァバヤ老人が若いころ父から打たれたバコもその一つである。「殺してやる」とか「死んでしまえ」とか、「おまえの仕事など失敗してしまえ」といった直接的な言及は、むしろめったにバコとはみなされない。相手の悪い未来についてただ暗示するような言葉がバコの言葉である。「おまえが男なら、明日また会えるだろう」、「今にわかるだろう」、「おまえは男に会うだろうよ」などは相手の死にいたらしめる、妖術タイプのバコである。また「おまえは仕事でたんまり金を稼いで、好きなものを買うことになるだろうよ」などという字義通りには良いことを予想しているかのような言葉も、その発言がその場にいかにもそぐわない状況ではバコの言葉である。

 しかし、一つ一つ挙げていくときりのない「悪い言葉」が、それらが発されたときに実際にバコととられるかどうかに関しては、年齢とジェンダーに基づくバイアスがある。若者や若い女性は「分別がない」ためすぐに「悪い言葉」を喧嘩相手に投げ付けてしまうものだとされている。それは通常、分別のなさのせいにされ、それがバコである可能性は余り問題にされない。自分の産んだ子供をたて続けに失ったある若い母が、それらの死を僚妻の妖術によるものと疑い、葬式の席で相手に向かって「お前は、これからも何人もの子供を産み、みんな立派に育つことだろうよ」と言い放つという事件があった。これは最も忌まわしいバコでありえたのだが、人々は彼女の自暴自棄と分別のなさを噂しあっただけであった。彼女が「もの」を所持している可能性などほとんど問題外であるかのようであった。一方、年配の男性の言葉は、バコをほのめかしたようにとれないこともないといった程度の言葉でも、相手を憂慮させるに充分である。ある老人が自分と冗談関係にある孫娘の一人に「結婚」を申し込み、娘が断ると(ここまでは祖父−孫間にごく普通に見られる冗談である)「私がその気にならないと、お前さんは誰とも結婚できまいよ」と言ったらしい。その後、娘が実際に嫁にいき遅れてしまったため、これは冗談ではなくなり(もちろん他の問題もあったのだが)この老人は妖術告発を受ける羽目になってしまった。本人は、あくまでもただの冗談関係の中での冗談だと言い張り、そもそもそうした発言自体を忘れていたのであるが、その娘も、そのとき居合わせた人々も、何年も前のその発言をしっかり覚えていたのである。老人なら当然、呪薬の知識を持っていてもおかしくない。これは、ドゥルマにおける老人の一種のステレオタイプである。

 妖術(邪術)としてのバコとは異なり、父や母のバコは一切の呪薬なしで、ただ悪い言葉のみによって作動する。それは親子関係そのものの中に内在した効果である。とは言うものの、この区別を厳密に主張しても、実践上はあまり意味はないであろう。年配の父親なら、当然呪薬の一つも持っていよう。父にバコを打たれた者は、それが悪い言葉のみによるのか、それとも呪薬もそこに加わっているのかなどと問題にしないものである。いずれにせよ、バコである限り彼にとっては同じことだ。しかし分析的には両者を区別することは重要である。父や母に備わった、呪薬の助けを必要としない呪詛としての父母のバコのもっとも純粋な、そして最も恐るべき形態は、母親が自分の乳房をつかみながら(あるいはその性器に触れながら)、そして父親が自分のペニスをつかみながら発する、乳房のバコやペニスのバコに見て取ることができる。「私はお前を産むんじゃなかった」というのがその際の決まり文句である。出生と養育に基づく親子の身体的つながりが強調されている。バコの効果はそうした連続性の関係に内在しているのである(註2)。

呪詛:ムフンド

 親子関係に内在する効果としてのバコは、私が同じく「呪詛」と訳したもう一つの観念ムフンド mufundo とも曖昧に重なりあっている。

 バコがはっきりと口に出された「悪い言葉」であるのに対し、ムフンドにおいては悪い言葉が実際に口にされたかどうかはあまり大きな問題ではない。息子あるいは娘のひどい振る舞いに、父あるいは母親が「怒り=悲しむ(ku-shononeka)」と、それだけで子供に災いがもたらされるとされている。これがムフンドである。ムフンドはフンド(fundo 「結び目」)から来た言葉で、心の「しこり」とか「わだかまり」などと訳すこともできるかもしれない。口に出された呪詛ではないからといって、バコよりも程度が軽いというわけではない。それがもたらす災いは、しばしばバコ以上に深刻なものでありうる。自分が親のムフンドに捕えられているという事実は、占いによって判明する。占いで親のムフンドに捕えられていると知った子供がヤギとヤシ酒を差し出して許しを乞うと、親は自分がその子供に対して感じたかもしれない全ての不満をあらいざらい口にし、いっぱいの水を口に含むと、それを子供の胸元に噴きかける。たしかにその子供に対して怒っている覚えがあれば、口に含んだ水を子供の口の中に直接吐き入れる必要があるかもしれない。更に深刻なときには唾液をそのまま相手の口に吐き入れる。そしてもはや自分には何一つ「悪い言葉」はないと宣言する。こうしてムフンドは解消される。この手続きをクハツァ ku-hatsa という。「父親と母親のバコ」を解消する際にも同じ手続きが用いられる。「ドゥルマ人のバコ」つまり妖術による呪詛の解消にはこうした決まった手続きはない。後者においては、犠牲者が既に死んでしまっている場合が多いので、いずれにせよたいていは手遅れである。

 ムフンドは、典型的なバコとは異なり、父親や母親本人には子供の不幸を願ったり、子供を罰しようという意図が全くなくても、彼らが怒り=悲しんだという事実そのものによって作用してしまう。彼ら自身が気付かないままに子供に災難をもたらすこともありえるのである。このため、遠方で暮らす子供の病気の知らせを聞いた母親は、それが自分のせいかもしれないと考えて、もうすっかり水を吐きかける用意をして、子供のもとに泣きながら駆けつけたりするという。これはドゥルマの人々が、父親との比較で母親の「やわらかさ」「速さ」を語る際に、決まって持ち出す論点である。母親は子供の不幸を願ったりはけっしてしない。これはドゥルマが母親というものに対して抱いているステレオタイプである。これに対して、父親は自分のムフンドが子供に災いをもたらしているのだと指摘されると、それを徹底的に利用しようとするだろう。これも父親についての一つのステレオタイプである。しかしかなり事実でもある(註3)。例えば、ルゴ氏(仮名)の婚出した娘のケース。彼女は死産を繰り返していたが、占いによってそれが父親ルゴ氏のムフンドによるものと判明した。彼は娘に対する婚資の支払いが滞っていることに怒りを覚えていた。しかし娘の夫が娘とともに山羊とヤシ酒をもって解除クハツァを頼みに来たとき、ルゴはクハツァを拒んだ。まず婚資の支払いを要求したのである。「私がこれで充分と思うまでは、私はクハツァするまい。お前が払えなくて、(ムフンドの結果)お前自身の手でお前の妻(ルゴの娘!)を殺すことになってしまったとしても、私の知ったことではない。」ルゴは二人にこう告げたという。私はことの成り行きにいささか驚いたが(ルゴは近所でも指折りの金持ちで多くの家畜を所有していた)、私の友人は「父親とはそんなものだ」とコメントした。こうなると再び、父親の場合には、悪い言葉が実際に口にされたのか、ただ心の中で怒り=悲しんでいただけで危害を加えようという意図はなかったのか、などという微妙な区別は、実践上ほとんど無意味だというしかないことになる。

 ムフンドはまた、その作用においても持ち主の制御を越えた部分がある。それはときに間違った相手を捕えてしまう。マイング氏(仮名)の8才になる息子マタノ(仮名)は、生まれつき口が聞けなかった。ある(別件で開かれた)憑依儀礼の席上で、憑依した呪医が告げたことには、マタノの唖はマイングのムフンドのせいである。マイングはある息子の振る舞いに対して怒りを覚えているのだが、ムフンドは当の息子を捕えずこのマタノを捕えてしまったのだ。これからは朝夕マタノに対してクハツァし、「お前ではないのだ、お前ではないのだ」と唱えよ、こう呪医は命じた。マイング氏も呪医も、本来ムフンドが捕らえるはずであった当の息子の名は明かさなかった。しかし、たまたま私の友人でもあったマイングの長男は、この経緯を聞いてかなり慌てた。彼もまたマタノという名で、しかも父親が選んだ結婚相手を拒んで以来、父親との折り合いが悪く、一人父の屋敷を離れて隣の村に土地を買い、そこに小屋を建てて暮らしていたのであった。この友人は、この託宣を行った呪医は嘘つきであると私には語ったが、その一ヶ月後彼が自力で妻をとろうと貯えていた資金の一部を、父マイングの生活援助の要求に応えてに差し出したのであった。

 父母のバコとムフンドが、そのはっきりした違いにもかかわらず、ある意味で連続した観念であることは、単にそれらがしばしば互換的に用いられるという事実ばかりでなく、ともにクハツァの手続きによって解消できるという点からも明らかである。クハツァにおける決まり文句の一つに「ムフンドよ、我が股を捕らえよ。mufundo,gb'ira mago.」とか「我が股に帰れ。uuye magoni.」というのがある。これに対する説明は、ムフンドが性器から上ってくるものだから、というものである。この点でムフンドは、父母のバコのもっとも恐ろしい形態である性器のバコやペニスのバコとも観念的に結び付いている。

ドゥルマの呪詛:まとめ

 ドゥルマの呪詛の3形態は次の表の形で簡単にまとめることができるだろう。

関係に内在 外在(呪薬の媒介)
顕在的
制御された
父親と母親のバコ ドゥルマ人のバコ
潜在的
制御されない
ムフンド .

親子関係に内在する効果としてのバコやムフンドの系列と、そうした特定の関係に縛られない呪薬を媒介とした効果が区別され、さらに前者はその効果が、はっきりした行為によってもたらされた制御された効果であるバコと、それをもたらす行為が表に出ず、制御されないムフンドとに区別される。しかし、何度も触れたようにこうした概念上の区別は、実践上は限りなく曖昧になる。バコのための呪薬の所持が、女性よりも男性に、若者よりも年配者により強く結び付けられているという事実は、関係に内在/外在する二つの効果の系列の区別すら曖昧にする。年老いた父親の呪詛においては、それが口に出されない怒りのみに発しているのか、彼がその怒りを実際口に出したのか、そのとき口になにかを含んでいたのかの区別は、ほとんど決定不能の領域に属する。したがって、ある出来事が子供に対する父親の呪詛として語られ、しかもそれがこの3つの形態のどれとして語られるかには、この事件に対する人々の(当事者たちを含む)社会的評価が反映している。それがムフンドとして語られるなら、主として非難されるべきは子供のほうであり、一方はっきりと呪薬の使用が含意されているなら、父親のほうが明らかに非難されるべき存在として語られていることになる。それが単にバコとして語られるだけの場合、事件の解釈は両義的である。

呪詛と老人の力

 印象からすると、ドゥルマでは老人 mutumia はかなりの力をもち、また尊敬されている。老人の言うことに若者が正面切って異論を唱えたりする場面には滅多に出会わないし、出自集団内部の行事に関する多くの重要な決定は老人たちによってなされている。そのような集まりでは、若者にも意見を述べる機会が与えられないこともないが、多くの場合若者は神妙な聞き手の役割に甘んじている。結婚や婚資の支払いをめぐるトラブルなどが当事者たちの間で解決できない場合、それは地域の長老たちの集まりで調停される。その際紛争当事者の双方はそれぞれ一人の長老を代弁者としてたてなければならない。さまざまな場面で、老人の助言は積極的に求められ、老人から助言を受け取る際には、カザマと呼ばれるヤシ酒などの贈り物が欠かせない。老人にはまた、若者に命令する権利がある。結婚や死者の埋葬、葬式、さまざまな治療儀礼などの機会に、老人たちの手配にしたがって手先となって立ち働くのは若者たちである。ここで老人あるいは長老と訳したドゥルマ語のムトゥミア mutumia という言葉自身、文字どおりには「使役する者」を意味する(それに対しムトゥムア mutumwa は「使役される者」つまり「奴隷」である)。一方、年老いた父母に対しては大きな顧慮が払われ、親身の世話が行われる。老齢のために脚が不自由になった父を毎日かかさず、抱えて日向に出してやっている息子の例を私は知っている。また老齢のために、やたらひがみっぽく、無理難題ばかりふっかけてくる母親の罵倒にじっと耐えて、彼女の要求に応えようとしている男(彼自身もすでに老人 mutumia であるが)も知っている。

 一言注意しておきたい。ここで言う「老人 mutumia」とはただ年をとった人という意味ではないということだ。ただ年をとったと言う意味での老人に当たる言葉も存在する。ムカレ mukare は文字どおりにはムトゥ・ワ・カレ mutu wa kare つまり「昔の人」で、「祖先」と言う意味でも用いられる。ムツァカラ mutsakara は「古びた人」とでも訳せようが、やはり肉体的な老齢に言及している(註4)。これらの言葉は、その字義通りの意味以外の他の価値とは結び付かない。それに対して、ここで老人と訳したムトゥミアは社会的地位である。正確には、まず男であり、結婚し、子孫をもち、さらに自分の屋敷をもっている(屋敷の長である)者だけが、ムトゥミアと呼ばれる。年をとった独身者ほど情けない存在はない。日々の食事すら父や兄の妻たちに依存する彼らは、からかい半分に「独身長老 mutumia mundaka」と呼んで蔑まれる。子孫を残さず死んだ者に対しては、葬式もきちんとは行われず、また死後も祖霊 k'oma になって生者を訪れたりすることもない。ただ忘れ去られるのである。彼らは同じ年配の者からも「女子供 mwanache」と呼ばれ(面と向かってではないが)、その意見もあまり尊重されない。つまり老人 mutumia であるということは、単なる年齢の問題以前に、まず「人の親 bemutu」であることである。その上で年代(rika, komo)の違いがさらに地位の違いを付け加える(註5)。年老いた女性の地位も同様に「人の親 memutu」であることに由来する。これは呪薬に対する唱えごとにあらわれる決まり文句にも反映している。「...呪薬よ、お前には他に父親はいない。父親は私だ。お前には他に母親はいない。母親は私だ。子供は父に命じられると、言うことを聞く。母に命じられると、言うことを聞く。呪薬よ、奴隷よ、使役される者よ。捕えよといわれれば、お前は捕らえる。離せといわれれば、お前は離す。私は命じる...」

 「老人 mutumia は尊敬され、その言うことには従わねばならない。」これはドゥルマでは自明の命題である。「どうしてですか」という問い自体がまったく場違いなものである。その問いは人々を一瞬絶句させる。そのような問いの可能性を考え、前もってそれに答を用意しておく必要すらないほどの自明な命題なのである。

 もっともこのような満場一致で真だと認められているような命題は、多くの場合怪しいと相場が決まっている。それは、例えば個別の事例からは切り離されることによって真であると認められるような類の命題であるかもしれない。上の命題の前半部に関しては日本でも、おそらく誰もが正しいと認めることであろう。「老人など尊敬する必要はない」とおおっぴらに言える人はそう多くはあるまい。しかしこの命題を認めることは、必ずしも特定の老人に対してその人が敬意を払うということを意味しない。「老人はたしかに尊敬しなければならない。でもあいつの場合は...」という訳である。にもかかわらず、あるいはそれだからこそなおさら、なぜそしてどのようにしてこの特定の命題が満場一致の真なる命題としての地位を獲得しているのか、が解明すべき問題になってくるのだとも言える。

 ドゥルマの上記の命題についても事情はいくぶんかは同様である。現実には、老人の命令がすべてのケースにおいて従われる訳でないことを、改めて指摘する必要もないであろう。ドゥルマには約束や命令の不履行を正当化するさまざまなロジックがある。また「分別のない」若者や女性の多くが、老人の命令に従わないとしても、それほど不思議ではないと考える空気もある。さらに今日多くの若者が、父親の支配する屋敷の内部によりも、外の世界に経済的自立のチャンスを見出している。屋敷のほうも、そうした外に出た若者の収入により多くを依存するようにもなってきている。かつて存在したと言われる年齢階梯制のもとで老人が持っていたであろう政治的、経済的実権の多くは、今日失われてしまっている。にもかかわらず、現実と上記の満場一致の命題との乖離は、けっして目に見える形では顕在化していない。なぜならそれが目に見える形で露出するとき、それはすでに「呪詛」の語りの中に取り込まれているからである。「誰それは父を殴った。恐ろしいことだ。きっと呪詛に捕えられるだろう。」当の誰それはとっくに姿をくらましている。たいがい遠く離れた町に出払ってしまっている。しかし「ろくなことになっていないに違いない。」実際町で成功を収めているドゥルマ人の数は恐ろしく少なく、また本当に成功したドゥルマ人はまず故郷には帰ってこない。帰ってくる者はといえば、町での失敗を自分の父の呪詛のせいだと考え、その解除を求める者たちである。呪詛そのものがというよりも、呪詛の物語がことの成り行きをながめる眼差しを呪縛している。

 ドゥルマで力をもち人々から敬意を払われる老人であることは、まず人の親であることに基づいている。そして人の親であることは、そこに内在する呪詛の観念と切り離して考えることはできない。さらに年代の問題が新たな呪詛の源泉を付け加える。ドゥルマのかつての年齢組織においては、上の年代はより強力な呪薬の独占的な管理によって下の年代と区別されていた。今日においても年代の上昇と呪薬の知識は相関関係にある。老人の権威についての満場一致の命題は、呪詛の語りによって保証されているのである。

 こう述べたからといって、私は別にドゥルマの若者が父や年配者の呪詛を怖れるがゆえに、彼らに敬意をはらい、その命令にしたがっているのだと言うつもりはない。それはあきらかに誤っている。老父を毎日、日の当たる場所に運びだしてやっている男が、単に父親の呪詛を怖れてそうしているなどと言えるだろうか。日本でも、子供にとって親からの仕送りの打ちきりの可能性は、親に反抗する際に頭をかすめぬではない可能性である。しかし日本の青少年が親に敬意を払うのは、仕送りの打ちきりを怖れてのことだと言ったとしたら、それは明らかに馬鹿げた議論である。

 ドゥルマの人々の老人に払う敬意と服従は、一つの世界の中で育つことによって身に付けられた自然な所作、日本人が年配者に自動的に敬語を使うのに似た、外部の観察者によっては対象化不可能な所与性をもった一つの傾向性(ハビトゥス)と言ったほうがより正確なのかもしれない。にもかかわらず、そこには呪詛の観念が組込まれている。それは、尊敬や服従を動機づけるものではなく、むしろ当然生ずるであろう現実との乖離から、満場一致の命題を保護する物語の装置なのかもしれない。