死を投げ棄てる方法:第一草稿

1989年に出版されたものよりも長い第一草稿です。1987年に 書かれています。

I.序論

 その長老の死から数えて六日目の早朝、集っていた人々は例の水浴びをすませ、死者の残された夫人たちや子供たちが頭を剃られるのを見物した後、呪医の調合した薬を喉元に塗ってもらっては、三々五々家路についた。昼頃までにはもう誰もいなくなった。死者の近親者、その未亡人と子供や孫たち、別の屋敷に住む死者の兄弟たちを除いては。分別のある者ならもはやこの屋敷でいつまでもぐずぐずしているべきではない。私のあつかましい執拗な要求はまたしても穏やかに拒まれ、その後行なわれるであろうことはただ話して聞かされただけである。夕暮どきに男たちはこの六日間にでた残りものやゴミ、飲み食いに用いられた薪木の残りなどを掃きあつめてそれに火をつけるだろう。日が暮れると、二人の未亡人は長老の指図に従って、屋敷の外のブッシュのムコネの木の下の地面に横たわって、長老が前夜のダンスの出席者のなかから選んだ一人の若者がやってくるのを待つだろう。その若者はあわただしく無言のうちに彼女らと性交を行なう。それが済むと彼らは呪液で下半身を洗い、残った呪液を道の別れ目にぶちまけるだろう。明日から死者の近親者たちは、その年長順に厳密に従って一日に一人ずつ、その妻ないしは夫と今までどおりの性生活を開始していってよいのである。

 ケニア南東部に住むドゥルマの人々のあいだでは、この種のブッシュでの無言の性交は「マトゥミアをとりおこなうこと ku-usa matumia 」と呼ばれている。マトゥミアとは、本来「長老に関する事柄 mambo ga atumia」を意味するが、事実上もっぱらこうした性交を指す言葉になっている。死者をめぐる活動が一区切りついた後に行なわれるマトゥミアはまた「死を投げ棄てること ku-tsupha chifo 」とも呼ばれている。あるいは、人々の説明によると、マトゥミアをとりおこなうことによって人々は「死を投げ棄てる」のである。このようにして「死を投げ棄てた」死者の屋敷には次の日からいつもどおりの日々の暮しが戻ってくることになる。

 この「死を投げ棄てる」行為が人類学者が「儀礼」あるいは「儀礼的行為」と名付けているものの一例であることは、あらためて言うまでのこともなかろう。以下の論文の本当のねらいは、むしろ「儀礼」ないしは「儀礼的行為」という概念そのものの再検討にあるのであるが、その際、具体的な儀礼を例にとり、ある程度詳しく分析する必要が生じるだろう。その際取り上げるのがドゥルマのこの儀礼である。

 私は、儀礼を何らかのメッセージを含んだコミュニケーションとして捉える立場や、それよりはやや緩やかな規定であるが、儀礼を一種の表現行為として捉える立場に対する反対意見を提出することになろう。誤解を恐れず言うならば、儀礼とは特定の目的の実現に向けられた一種の技術であるというのが私の見解である。ただし「技術」とは言っても、それが実現するはずの目的には、とらえどころのないきわめて独特な性格、「語られうるもの」の秩序には属さず、それ故せいぜい比喩的にほのめかされるしかないという性格が付随している。もし儀礼が仕える目的というものがこうしたものであるとすれば、言うまでもないことだが、このような目的に対する「手段」の適合性について語ることなど、所詮不可能というものであろう。事実そのような適合性の基準など誰ももっていないのである。かくして、これこそがその方法であると語られたものを受け入れるしかないという、儀礼のもつ一種の催眠作用の根拠が明らかになる。

II. 儀礼はコミュニケーションか

 「儀礼がコミュニケーションの手段であることは明らかであるが、それは何をコミュニケートしようとするのか。あるいは、そのコミュニケーションはいかなる性質のものなのか。」『儀礼の象徴性』と題された青木保の儀礼論の一節はこのような書き出しで始まっている(青木保 1984:48 )。手放しの確信に満ちた断言と自信なさが同居するこの奇妙な文章は、儀礼はコミュニケーションであるという命題が、しっかりとした理論的裏付けをもった命題というよりは、人類学者が安心して彼らなりのやり方で儀礼に取り組んでゆくために、進んで身を任せる一種の根拠のない信念にすぎないのかもしれない、という事実を、はからずも示しているかのようである。儀礼が読み解かれるべきメッセージを含んだ「象徴的行為」であるというのは、いまや人類学者の共通の了解事項、常識となっているが、儀礼の当事者である人々の常識とこうまでかけ離れた常識も珍しい。当の人々にとっては儀礼はあくまでもある目的に仕える手段なのであって、ドゥルマにとって未亡人が行なう余所者との無言の性交、マトゥミアは、彼らの言い方を借りれば、まさに「死を投げ棄てる」ために必要とされているのであり、けっして自らの社会に対する深遠なメッセージを伝える(いったい誰に対して?)ためのものではないのである。

 グーディは、人類学における「象徴的」という言葉の使用が「往々にして、単に観察者がある行為を内在的な手段−目的関係、『合理的』な因果連関の観点からは理解することができないということを告げる一つの方便にすぎないと判明する」と早くから指摘している( Goody 1961:156)。ある行為が象徴的であるとされるとき、そこには当の人々に従ってその行為を手段−目的関係の観点からとらえることに対する、人類学者たちの側での当惑とためらいがあったはずなのである。彼らは、儀礼的行為を「呪術 magic」という名で呼ばれる倒錯した技術的企てと見做すことからくる、現地人に対するフレーザー流のいわれのない中傷に組するわけにはいかなかった。そこで儀礼が置かれている手段−目的連関から、むしろ目をそらすことを選らんだのである。しかしこれはあまりにも安易な選択であった。むしろ所謂儀礼的行為がいかなる意味で「技術」であるのかを問うてみてもよかったのである。

 儀礼は何らかのメッセージを伝える象徴的行為であるという命題が、人類学者のあいだで単なる方便から一つの信念にまで高まるに至る過程で、 E. リーチの儀礼をめぐる言説はきわめて興味深い位置を占めている。彼はその命題を単に前提として受け容れるだけに止まらず、それに説得的な根拠付けを与えようと腐心しているのである。そしてその後の人類学者が書いたものを見る限り、その目論見はかなりな成功を収めたようなのだ( Tambiah, Lewis, Turner) 。ここでそれを少し詳しく検討してみることも意味のないことではあるまい。

 1954年に彼は、ほとんどすべての社会的行為が、手段−目的関係で理解できる「技術的」な側面と、行為者についての何か(彼によると行為者の社会的地位)を語る表現的なあるいは伝達的な communicative 側面をあわせもっていると論じ、後者を「儀礼的」側面と呼ぶことを提唱している( Leach 1954:10-14)。後者を「儀礼的」と呼ばねばならない必然性などどこにもないではないか、という疑問はさておき、彼のこの議論は、儀礼を行為のもつ伝達的な側面と関係付けたうえで、この「行為には二つの側面がある」という一見妥当な命題によって儀礼がコミュニケーションであるという主張を補強しようとした試みとなっている。かくしてリーチは1968年に次のように語ることができた。

 文化的に規定された状況で生じるあらゆる人間行為はこうしたやり方で分割可能である;
何かをなすという技術的な側面 technical aspect と何かを言うという美的、伝達的側面 aesthetic, communicative aspectである。以上で検討したいかなる定義によるにせよ、儀礼と名付けられた種類の行動においては、美的、伝達的側面がとりわけ顕著であるけれども、技術的側面がまったく欠けているわけではない。
(Leach 1968:523)

よく引用される別の論文では、彼は人間の行動を、技術的、伝達的 communicative、呪術的の三つに分類し、後の二者をまとめて「儀礼的行為」と呼んでいる(Leach 1966) 。そこでは儀礼は技術から完全に切り離され、もっぱらコミュニケーションとして扱われることになる。

 行為に技術的と表現的(あるいは伝達的)の二つの側面があるという命題が、リーチにおいて、なぜこうした儀礼とコミュニケーションとの同一視を可能にしているのかについては、もう少し立ち入った検討が必要である。

 意外なことにリーチの議論のなかには、行為の伝達的な側面なるものがどのようなものであるのかについての、積極的な規定を見い出すことはできない。それは二つの仕方で読者に提示されている。第一に「技術的」側面の残余の部分として。第二に2〜3の印象的な例を通じて。

 カチンの稲作を例にとって彼は語る。土地を開墾し、植えつけ、除草するといった面を見る限りそれは単純な技術的行為である。しかしそういったすべての活動は同時に「ありとあらゆる種類の技術的には余分な装飾物 technically superfluous frills and deco- rations 」によって彩られている。こうした技術的には余計な要素こそ当の人々について「何かを語る」伝達的あるいは「儀礼的」側面なのだ(Leach 1954:11-12) 。ただし次のことは注目に値する。何が技術的に余計な要素なのかという点は人類学者の判断に基づいているという点である。ともあれ、行為の伝達的側面は行為からその技術的側面を差し引くことによって得られることになる。

 あらゆる行為に伝達的な側面があることは、また次のような例によっても示される。確かに空腹を満たす目的でなされる行為が、例えばナイフとフォークの使い方などを通じて、はからずもその人の育ちや社会的地位を語ってしまうといったことがある。また、寒さを防ぐ目的で着る洋服が、何をどのように着るかを通じて着る人についての情報を与えるといったこともある(Leach 1968)!こうした例から「伝達的」な側面が何であるのかを推し測ることができるかもしれない。

 しかし、いずれのやり方にしても伝達的なものを同定するための非常に良い方法だとはとても言い難い。純然たるコミュニケーション行為に他ならぬ発話行為を考えてみよう。リーチが例によって示していることから判断する限り、発話行為の「伝達的側面」は、しかじかのメッセージの「伝達」そのものに関わる部分ではなく、発話行為がイントネーションその他を通じて発話者の身分や態度、聞き手との関係などを表現してしまうといった現象、つまり言語学者が言語の心情的機能などと呼んでいる側面に対応することになってしまう。もちろん、それもまたコミュニケーションであると言って言えないこともない。しかしそれは発話行為をつうじて行なわれるコミュニケーションのなかでは、せいぜい副次的、随伴的なものである。もしリーチが発話行為をとりあげていたとしたら、彼は逆に、多くの行為は言語によるコミュニケーションが「何かを語る」ような仕方では何かを語っていない、という結論を出さねばならなかったはずなのだ。しかしこの相違はコミュニケーション=何かを語ること、という曖昧な規定によって無視されてしまう。

 一方、純然たる儀礼的行為を論じる際に援用されるのが、行為マイナス技術的側面という規定である。そのためには技術的側面の同定がまず必要であるが、すでに見たように、リーチにとってはそれは別段難しいことではないらしい。それは観察者が判断する問題なのである。かくしてカチン族の宗教的供犠の「技術的側面」について、その「目的」が食肉の獲得と分配であるという、文化唯物論者ならおおいに喜びそうな驚くべき言明に我々は出合うことになる(Leach 1954:13)。技術的側面は手段−目的関係からとらえられるものに関しているが、当の人々がその行為をどんな手段−目的関係のなかに位置付けているかは、その際考慮する必要がないのである。このように一たび儀礼がおかれている当該文化における意味連関を排除し、観察者の側でそれを設定してやればよいのだとすれば、所謂「儀礼的行為」のほとんどが「技術的には余計な装飾物」からなり、儀礼をもっぱら伝達的側面に関わるものだとするのは、実に容易なことである。

 こうして「儀礼」と「言語」は、本来一致する保証のどこにもない伝達的な側面に関する二つの規定のうす暗い空隙の中で出会い、ひそかに結びつくことになる。コミュニケーションすなわち「何かを言うこと」という曖昧な規定を頼りにして、2〜3の例によって示された、ほとんどすべての行為がコミュニケーションの側面をもっているという指摘が、行為マイナス技術的側面というやり方でもっぱら伝達的なものだということになった儀礼について、あたかも言語のようにそのメッセージを読みとったりできる伝達行為であるかの如く語りうるという錯覚を与えているだけなのである。

 以上簡単に見てきたようにリーチの議論は、儀礼が何らかのメッセージを伝える象徴的行為であるという命題に理論的裏付けを与えるようなものではない。むしろそれは、現地の人々が儀礼を位置付けている手段−目的関係には目をつぶって、儀礼をコミュニケーションの行為として分析していこうという、古くからおなじみの根拠のない選択を再び繰り返しているだけのものなのである。

 もちろん理論的根拠を与えることができないものがすべて間違っているという訳ではない。事実、人類学者は儀礼を一種のコミュニケーションとして分析することを通じて、それなりの成果をあげてきている。しかしそれは儀礼が置かれている手段−目的の意味連関を分析の外に排除することと引き換えにであった。もしこれを正当に考慮に入れたうえで儀礼をこれまでに劣らず実り豊かに分析する枠組があるなら、我々はもはや理論的根拠のない信念にいつまでもすがっている必要はないということになる。

 さしあたり二つの事実を認めておこう。1.儀礼はある結果、目的を実現するためのものである。これは現地の人々が自分たちの儀礼に対する説明として、常にもち出すものである。つまり儀礼は人々によって何らかの手段−目的関係のなかに位置付けられている。2.儀礼は伝統や権威によって裏うちされ、定められた規則に従った諸行為からなる。「しかじかのことを為さねばならない。これは大昔から、あるいは我々の祖先によって定められたことである。」これも儀礼の説明に際して我々が現地でいつも出くわす決り文句である。要するに、儀礼とは何らかの目的の実現のため、あらかじめ定められた規則あるいはシナリオに、あれこれその根拠や意味を問題にせずともかくも従うということからなる行為をさす。

 次に問わねばならないのは、それがどんな種類の目的であり、どのような性格をもった規則なのかということである。儀礼=コミュニケーションの文脈のなかで、儀礼に似たもの、あるいは儀礼がそれに似ているものとして、しばしば引きあいに出されている諸行為との比較を通して、まずその「規則」のもつ性格について検討することから始めよう。

III.儀礼が従う規則

演劇

 儀礼も演劇もあらかじめ定まった筋書に従っておこなわれる。従って両者は類似している。行為者はいずれにおいても、自分なりに最も適切と思う仕方で、あらかじめ定まった筋書を演じ出す。その結果、所謂パフォーマンスの次元が顕著に見られる。さしあたって両者を突き合わせてみても、これ以上のものは得られそうにないし、これ以上の類似を見るべきでもなかろう。とりわけ、今日の我々の社会で、演劇が何のために存在するのかという意味連関が見失われている以上、演劇を手掛りにして、儀礼が社会の潜在的な諸価値を目に見える形で演じ出してみせるのだといった、一見意味ありげな結論を引き出したりするのは慎んだほうがよい。今のところ儀礼と演劇は、どちらがどちらの比喩にもなりうるといった関係であり、こうした場合に必要なのは、けっしてどちらか一方を既知の自明のものとは見做すまいという態度なのである。とは言うものの、両者の類似のもととなっている「儀礼はあらかじめ定まった筋書、規則に従う」という点は、繰り返し強調しておいてもよいだろう。

挨拶

 挨拶は、人と人とのあいだでとり交される明白なコミュニケーション行為だとされている。これはある意味ではまったく正しい。一方、この事実を以って儀礼が一種のコミュニケーションであるということに、暗黙のうちに支持が与えられたと感じさせる程、挨拶と儀礼には似たところがあると考えられている。これは例えば、動物行動学者たちが動物にみられる「挨拶」めいた振舞いを「儀礼化 ritualization」という概念で捉えていることをみても、ごく一般的な連想であるらしい。しかし何が両者を似かよったものとしているのであろうか。青木保は、挨拶に日常的レベルのものから「儀式的(儀礼的)」なものまで、さまざまな変異があることを確認したうえで、「儀式的になるに従って形式性と象徴的な含意が大きくなる傾向がみられる」と述べている(青木 op.cit:27) 。とすると挨拶に含まれる形式性と象徴性が儀礼との類似点ということになろう。もっとも象徴性云々については、あまり大きな意味を置く必要はあるまい。すでに挨拶がコミュニケーションであることを認めた以上、ここでいう象徴性は単なる伝達性と同義ではないだろう。おそらく前述のグーディのいう「一つの方便」にあたるものと考えるべきなのだ。定義によると何かを意味するものが「象徴」である。しかし実際には、何を意味するのかよくわからないものに直面したとき、我々はそれを、何かを意味しているはずだという根拠の薄い確信のもとで、象徴と呼ぶ傾向にある。事実、青木は別のところで、「ごく一般に儀式的といわれる場合には、通常の場合よりも、より形式的、より厳粛な形で行なう、という点と、真実味のない空虚な形という二重の意味が含まれている」と述べている(ibid:20)。「空虚な形」つまり「意味のない」形式。要するに挨拶は、形式的かつ厳粛に、つまりなぜそれに従わねばならないのかというわけが我々にとってよくわからないような、細ごまと定められた規則に正確にのっとって行なわれるとき、儀礼ときわめて似かよった性格を顕にするということなのである。言い換えれば、儀礼と挨拶行為との共通点は、ともに前もって定められた規則に従うという形をとる行為であり、またその行為そのものと、規則によって規定された細部とのあいだに意味連関が見出し難いという二点からなり、それ以上のものではない。

 この第二の点は、ここでいうあらかじめ定まった規則が、規則のうちでもやや特別な部類のものであることを示している。実際、同じく規則に縛られた行動でも、儀礼や挨拶とは似ても似つかない行動はいくらでもある。例えば、自動車を運転する際、我々は赤信号で停止するなどの交通規則に従っているのであるが、これを儀礼と呼ぶものは誰もいるまい。そしてなぜ赤信号で停止せねばならぬのかについては、交通安全の観点から正当化が可能である。しかし、なぜ挨拶の際に頭を下げなければならないのかと問うことには意味がない。それが挨拶というものだからだ、としか答えようがないのである。

構成的規則

 法律学者ロールズ J. Rawls によると規則には、大きく分けて二つの種類がある。すでに存在している行為について、その指針を与えたり、規制したりするものと、規則に先立っては当の行為は存在せず、まさにその規則によって当の行為が創り出されるといった類の規則である。彼は後者を「慣行の規則 rules of practice」と名付けている。例えば自動車を運転するという行為自体は、それをめぐる諸規則の有る無しにかかわらず、そうした諸規則に先立ってすでに存在している。交通規則に違反したからといって、運転していなかったということにはならない。これに対して、遺言を残したり結婚したりするという行為は、ある意味で、そうする際に我々が従う諸規則があってはじめて、それとして存在するような行為である。もしそうした規則に従っていなければ、その人は単に遺言を残していなかった、あるいは法的には結婚していなかったということになる。「結婚する」とはまさにこうした諸規則に従った行為をするということ以外の何ものでもないのである。これらの規則がまさに当の行為を「定義」しているのである。ロールズによると「もしある慣行によって特定されている行為をしようと欲するなら、それを定義しているところの諸規則に従う以外に道はない」のだ。ゲームの規則はこうした「慣行の規則」の良い例である。三振するとか、盗塁するとか、ボークするとかの行為は、すべて野球というゲームの中でしか生じない。人がどんな振舞いをしてみせようと、その人が同時に野球をしていると言えるのでなければ、その振舞いを例えば盗塁として記述することはできないであろう。それらの行為は野球というゲームに含まれる諸規則の存在をそもそも前提にした、そうした規則によって創り出された行為なのである。

 言語学者サール Searle も「規制的規則 regulative rule」と区別して「構成的規則 constitutive rule 」という概念を提唱している。「構成的規則」は同時に「規制的」でもありうるので、規制的規則という言い方のほうにはやや問題があるが、「構成的規則」という呼び方はロールズの「慣行の規則」という言い方よりややまさっている。肝心な点は、その他の規則においては、規制される当の行為が規制する規則に先行するのに対して、構成的規則の場合、規則が当の行為に先行するという点である。前者は「YするならばXせよ」という形をとるが、後者は「XすることをもってYと見做す」という形を、つまり当のYそのものを定義する形をとりうる。

 挨拶が前もって定まった規則に従う行為であると言うとき、ここでいう規則が「慣行の規則」あるいは「構成的規則」にあたるということは言うまでもなかろう。「挨拶するときには頭をしかじかの形で下げよ」という規則は「エスカレーターに乗るときには手摺りをもて」という規則とは、はっきり異なる。前者は「頭をしかじかの形で下げることをもって挨拶とみなす」という形をとる。つまり頭をしかじかの形で下げることが、すなわち挨拶するということであり、それに従わないということは挨拶をしなかったということ以外の何ものでもないということになるのである。同様にマトゥミアをとり行なうためにはしかじかのこと、ブッシュでの余所者との無言の性交をせねばならぬ、と人々が言うとき、それは単に、それらの行為をもってマトゥミアを行なうことと見做す、ということを教えているだけなのである。それ以外のいかなる振舞いをしようとも、マトゥミアを行なったことにはならないだろう。それらの法式、規則はまさに「挨拶」や「マトゥミア」を定義するところの構成的規則なのである。

伝達的行為

 例えば、舌を突き出して「軽蔑」の意を示す、首を横に振って「否定」の意を示す、席から立ち上がって「尊敬」の意を示す、などは明白なコミュニケーションの行為である。しかしこれらも挨拶と同様、構成的規則に従う行為としても見ることができる。例えば、舌を突き出して軽蔑の意を示す行為は、「誰かに軽蔑の意を伝えるときには、舌を突き出せ」という規則に従う行為であるが、この規則は同時に「軽蔑の意を伝える」とはどういう行為であるのかを定義する規則でもある。こうした規則なしに、ただ単に軽蔑、あるいは尊敬の意を示せと言われても人は途方に暮れるだけであろう。何をすることが軽蔑、あるいは尊敬の意を示す行為にあたるのかについての規則を与えられる必要がある。これは具体的にはどうすれば「結婚」したことになるのかを教えられないまま、ただ「結婚せよ」と言われても途方に暮れるだろうことと同じである。こうした指示を与えるものが構成的規則なのである。構成的規則は、例えば、なぜそうすることで結婚したことになるのかといった問いを排除する。結婚するとはそうすることだからだとしか答えようがない。同様に、何故舌を突き出すことが軽蔑を示したことになるのか、という問いにも意味がない。規則の性質上、そこに何らかの理由があるべき必要性などないからである。あからさまな意味、機能的な連関が発見できないとき、ただちにそこには「象徴的な」意味があるはずだとする我々の悪癖をここに持ち込まねばならない理由も、またない。

 ところで今問題としている伝達的行為に関しては、この点はいささかこみ入っている。例えば、舌を突き出して軽蔑の意を示すという行為は、「突き出された舌は軽蔑を意味する」と書き換えても、けっして不自然ではない。つまり「突き出された舌」を「軽蔑」を意味する記号、象徴だとすることもできる。これは別に問題はない。しかしながら、突き出された舌が軽蔑を意味する記号であるから、舌を突き出すことによって軽蔑を示すことができるのだ、と言ったとすればどうであろう。一見まともなようであるが、その実、この主張には何の根拠もない。「舌を突き出すことをもって軽蔑を示す行為とみなす」という構成的規則があるから、突き出された舌が「軽蔑」を意味する記号となったのだ、という主張も同様に成立しうる。根拠がないという点では両者とも同じである。つまりこの二つの書き換えのあいだに優先順位を設けねばならない理由はどこにもないのである。しかし多くの人々は、そしてとりわけ人類学者は、こうした場合シムボリズムの側に優位を認めがちである。かくして挨拶行為、例えば握手は次のような象徴的伝達行為として解釈されうることになる。差し出された右手は(おそらく武器が握られていないということを示して見せることによって)平和的な意図を意味する象徴である。従って握手は、お互いに平和的な意図をもっているというメッセージを伝えあうコミュニケーション行為である。仮りにこの解釈が妥当だったとして、それが互いに握手を交わしあう当の人々にとっていったい何の関係があるというのだろう。彼らは単に「挨拶」しているだけなのである。彼らは差し出された右手が何かを「意味している」から握手するわけではない。そうすることが挨拶になるからそうしているだけのことである。

 しかし「軽蔑」を示す行為については、さらにこう論じられるかもしれない。誰かを軽蔑するという状態にある人は、それを示そうとするしないにかかわらず、舌を出してみたり、鼻をならしてみたりといったさまざまなことを、自然にしてしまうかもしれない。こういった軽蔑の状態にある人々が露呈するさまざまな所作は、軽蔑の「徴候」として、あるいは「指標」として解読されうる。こうした自然な結びつき、煙と火のような自然的指標がもとになって、例えば突き出された舌とか、鳴らされた鼻とかを「軽蔑」という意味をもった記号として使用することが可能となったのである。軽蔑を意味する記号がこうしてまず成立し、それを使用する行為として軽蔑を示すという行為があることになる。これは全くもっともな議論である。しかし単に露呈されたつながりと、それを意図的に示す行為のあいだには、この説によって示されている以上の大きな隔たりがある。実際に軽蔑の状態にある人だけが、軽蔑の「徴候」を露呈することができる。それに対して、軽蔑を示すことに関しては、その人が軽蔑の状態にあるなしにかかわらず、それを示してみせることが可能であるという条件を満たす必要がある。それが単に徴候のいくつかをシミュレートすることからなっていることもおおいにありうるが、何にせよともかく軽蔑を示すという行為の筋書を作り、それに従うことができなければならない。そしてその筋書、構成的規則が必ずその徴候のいくつかのシミュレーションになっていなければならないという必然性はない。こうした単純な伝達行為においても、何かが何かを意味しているから、という理由付けは、そうした行為の成立に必ずしも必要ではないのである。この場合、むしろそうした行為が構成的規則に従うものとして成立しているということが、すなわち、「何か−−例えば突き出された舌−−が何かを意味する」という記号学的な事態が成立しているということでもまたあるのだ。

 従って、舌を突き出して軽蔑を示す、といった構成的規則に従う行為が、なんらかの他の所作、徴候とのあいだのつながりを明らかに示している場合、そうしたつながりや、徴候とそれが結びつけられている事態とのつながりについて語る言葉は、すでに成立した記号について語る言葉である「意味する−−意味される」という言葉ではなく、「しかじかの形で関係付けられる」あるいは「関与的である」といった類の言葉でなければならないだろう。この一見些細な区別が、後の議論において、きわめて重要な役割を演じることになる。

 以上の議論はもちろん記号論でいう、「記号の恣意性」といった類のことを別の言葉で言い換えただけのものだとも考えられよう。話を記号に限ればたしかにそうだとも言えよう。しかしもちろん話は記号に限られないのだ。

IV. 枠付けられた行為

 しばしば言われる「儀礼の象徴性」なるものは、儀礼が何かを意味する象徴、記号から構成されているからというよりも、単に、儀礼が構成的規則に従う行為であるということからきているように思われる。もちろん構成的規則に従う行為がすべて類似の性格をもったものであるとは期待できないであろう。同じく構成的規則に従うさまざまな行為のなかから、儀礼をとりわけ区別している特徴は何であるかを考えてみなければならない。

構成的知識と構成的規則

 まず手始めに、構成的規則をいま少し正確に定義しておこう。

 ある行為をすることが、どのような条件下で何を、あるいは何と何をすることであるのかを人々が知っており、しかも逆に何をしなければその行為をしたことにならないかを知っている場合、つまり、ある行為Aをするとは条件C(c1,c2...) において行為D(d1,d2...)をすることに他ならず、CやDに欠落があればAをしたことにはならないということを知っている場合、この知識をその行為についての「構成的知識」であると考え、CやDはAに対して「構成的 constitutive 」であると呼ぶことにする。この定義によってまず、同じ規則の名を与えられていても「構成的」ではないような規則、サールの言う「規制的規則」が排除されることになる。例えば、自動車を運転するという行為において、運転者が自動車に乗り込んでいることは「構成的」であるが、赤信号で停止することは「構成的」ではない。赤信号で停止しなくても、だからといって自動車を運転していなかったということにはならないが、自動車に乗っていなければ、自動車を運転しているとは言えないだろう。

 しかし構成的な行為についての知識がすべて構成的規則に関係しているという訳でもない。例えば、湯を沸かすという行為において、容器に水を入れること、その容器に熱を加えること等々は構成的である。湯を沸かす際には、容器に水を入れ「ねばならない」といった言い方も可能であるが、だからといってそれを「規則」と呼ぶのは不自然である。同様に自動車を運転する際には、まず自動車に乗り込まねばならないが、これも規則の名には値しない。これらと、結婚する際には婚姻届を提出せねばならないということとの違いはどこにあるのだろうか。

 これは必ずしも、人々が規則と自覚しているもののみを考慮の対象とする、ということではない。両者の違いは、後者の場合、婚姻届を提出する等々が結婚することに対して構成的であるという知識がそもそも可能となるためには、「婚姻届を提出する等々をもって結婚とみなす」という構成的知識についての知識、あるいは「規則」を別個に必要としているのに対し、湯を沸かす例においては、「水を容器に入れ、加熱する等々をもって、湯を沸かす行為とみなす」というタイプの知識を別に必要としていないという点である。つまり「条件Cにおいて行為Dをすることをもって、行為Aをすることとみなす」という知識があり、しかもその知識があって初めて、条件C、行為Dが行為Aに対して構成的であるということが可能になっているという場合に限り、行為Aは構成的規則に従った行為であるということなる。

 もっとも、CやDの内容について、それが正確に同定可能であるとか、その知識が万人に共有されているとか考える必要はない。Aを構成するCやDの幾つかが欠けていても、結局それらがAとみなされるということは、よくあることである。肝心な点は、「C、DをもってAとみなす」というタイプの知識がAという行為の存在そのものに先行しているかどうかという点である。これが構成的規則に従った行為を特徴付ける。

 言うまでもないことだが、そうした知識を示すことができるのは当の人々をおいて他にない。このことは、チョムスキーの流れをくむ言語学者たちが主張する生成規則のように、人々自身によって上に述べたような形で取り出すことが不可能な、記述モデルの中にしか位置付けられないような「規則」を、問題にしないという選択に我々を導く。これは一見、大きな限定のようであるが、私は人間行動のあらゆるレベルを「規則」の概念によって説明することには関心がなく、それによって規則の存在性格をめぐる困難な問題を招くよりは、むしろ限定された問題領域の解明に構成的規則の概念をとっておきたいと思うのである。

ゲームの自閉性

 ところで、サールやロールズがはっきりそれとは指摘していないことであるが、構成的規則に従う行為のなかには、言わば自己言及的とでも呼べるような、きわめて特殊な類型が含まれているという事実は注目に値する。すでに何度もふれたように、野球にはそこにしか存在しないさまざまな行為がある。ヒットを打つ、エラーする、ファウルを打つ、盗塁する、ストライクをとる、三振する等々である。これらはいずれも構成的規則に従う行為であり、如何なる条件で何をすることが、例えば、エラーすることにあたるのかは規則としてはっきりと知られている。これらの行為は、同時にすべて「野球をする」行為でもある。しかしヒットを打つ等の行為と、その上位概念である「野球をする」との関係は、実はちょっと奇妙な関係である。「ヒットを打つ」は、「トーストを食べる」行為が「食事をとる」行為の一種であるというような意味では、「野球をする」の一種ではないし、また「食べ物を口に運ぶ」行為が「食事をとる」行為の一部分であるというような意味では、「野球をする」の一部分ではない。特殊と一般の関係でもなければ、一連の行為連鎖で部分と全体の関係にあるのでもない。とすると、「野球をする」はどのような上位概念なのであろうか。

 サールやロールズは「野球をする」「フットボールをする」などの行為を構成的規則に従う行為の典型としてあげているが、如何なる意味でそれらが構成的規則に従う行為といえるのかを考えてみれば、その点はただちに明らかになる。「エラーをする」などの、ゲームの中の行為については、「条件CにおいてDをすることをもってエラーをすることとみなす」といった言い方が可能であるが、奇妙なことに、「野球をする」についてはそれは一見不可能なのである。もしDにくるものとして単なる行為を考えているのであれば。ためしにそれを試みてみればよい。何をすることが野球をすることにあたるのかという構成的知識を述べようとすると、どうしても「規則に従う」という言葉自体をその構成的知識のなかに含めねばならないことに気付くはずである。「エラーをする」などの単に構成的規則に従うだけの行為の場合、その構成的知識そのものは、『規則』という言葉を登場させることなしに述べることが可能である。言い換えれば「野球をする」という行為は、それを構成する行為Dにある特殊なタイプの行為、「規則に従う」という行為それ自身が来るようなタイプの行為なのである。つまり、「エラーをする」等がしかじかの具体的な行為からなり、「構成的規則に従う」行為であると言うことができるのに対して、「野球をする」行為は「構成的規則に従うことからなる」行為、その内部の諸行為が従う構成的規則に規則として言及することをつうじてのみ定義される行為なのだ。「野球をする」という行為が従う構成的規則は、「条件Cにおいてしかじかの規則に従うことをもって、野球をすることとみなす」という規則、あるいはメタ・規則であるということになる。

 「野球をする」行為は、各々の構成的規則に従う行為がその内部でのみ相互に関係付けられるような、閉じられた場を定義するという意味で、個々の行為に対する上位概念となっている。かくして人は同時に「野球をしている」といえる限りにおいて、「ヒット」を打ったり、「エラー」をしたりすることができるということになるのである。

 構成的規則に従う活動がこうした閉域を形成している場合、それは通常「ゲーム」と呼ばれている。それは強固に枠付けられ、囲い込まれた活動領域であり、その強固な枠は、ゲームそのものやゲームの内部の諸行為をゲームの外の諸活動と、手段−目的関係であれ何であれ、機能的に関係付けることをほとんど不可能にしている。それは外の世界を一時的にであれ消し去ってしまいさえする。こうした完璧なまでの隣接性の軸における分離に保証されて、異なるゲーム相互に、あるいはゲームとその外部のあいだに、あくまで一つの可能性として、隠喩性が成立することもありうるだろう。「人生ゲーム」や戦略ゲームなどの盤ゲームのなかにもそういったものを見てとることができるかもしれない。もちろんそれは、外部との機能的連関を排除された、言わば牙を抜かれた隠喩性である。人生ゲームに一着でゴールインし「億万長者」になったからといって、その人の人生に対する物の観方に変化が起こったりすることはまず期待できないのである。

 構成的規則に従う行為がすべてゲームを構成しているわけではない。しかし、構成的規則に従う行為は、ゲームの形で最もはっきり見てとれるような自閉性を、単独の形でも多かれ少なかれ備えていることがある。構成的規則に従う行為Aはさまざまな要素CやDが結合したものであるが、そもそも、そうした要素がそうした形で結びつかねばならない理由など、当の構成的規則の存在ということ自身を除いては、どこにもないからである。Aを構成するDに含まれる行為に似た行為が、仮りに他のコンテクストのなかにも見られるとしても、Aのなかではその行為は、普段の文脈においてそれがもっている関係性をほとんど喪失しているということもありえるのだ。もちろん、その逆があっても少しもおかしくはない。舌を突き出して軽蔑を示すという行為の場合のように、構成的規則が既存の関係性を再評価し、それをなぞることも充分ありうる。肝心なのは、構成的規則は既存の一切のコンテクストあるいは関係性から、それを採用するにせよ無視するにせよ、原理的には自由でありうるという点である。かくして、挨拶をする、例えば握手をするという行為に含まれる「ものを握る」という行為は、ものを握ることが他の文脈でもつ関係付けの可能性をほとんど排除した形でそこに登場する。それは、もし構成的規則の存在ということがなければ、文字どおりほとんど「場違いな out-of-context 」行為なのだ。動物行動学者たちが、「ある動作様式が、系統発生の経過をたどるうちに、もともとあった本来の機能を失う」という事態をもって「儀礼化」と呼んだのは、儀礼が構成的規則に従う行為の別の典型であるということを考えると、そうした行為がもつこの特徴をとらえたものであったといえる。

 しかし、仮りに構成的規則に従う行為が、それを構成する諸行為が普段置かれているところのコンテクストからの相対的自由を手に入れているとしても、それはもちろんゲームに見られるような、完全な自閉性をもつには至らないであろう。例えば、儀礼にゲームが示すような自閉性を求めても無駄である。儀礼は−−儀礼の本質を伝達性に求めようとする人類学者なら、出来れば無視してしまいたいところであろうが−−明確な手段−目的関係でその外部と接続している。マトゥミアをとり行なうのは明らかに「死を投げ棄てる」ため以外の何ものでもない。同様に挨拶も次にくるべきコミュニケーションに接続しそれを目指した行為である。それを構成するところの諸行為については既存の関係性から解放したものの、構成的規則に従う行為それ自身は、再びさまざまな形で既存の関係性のなかに組み込まれてゆくのである。

「遊び」と行為の枠付け

 構成的規則に従う行為が多かれ少なかれそなえることのできるこうした自閉性は、ベイトソンがある種の「遊び」を分析するなかで示してみせた「枠 frame」の概念ときわめて大きな類似をみせる。

ベイトソンの議論をやや詳しく検討してみても、けっして回り道にはなるまい。彼は、遊びのなかでもやや特殊な部類、人間以外の動物にも観察されるような、「ふざけて」噛んだりぶったり怒ったりしてみせるといった類の行動を問題にする。これらは行為の種類としては実際の戦闘や「けんか」において見られるものと酷似している。しかしそれは実際の戦闘ではなく、それに従事する者たちもそれがけんかではなく「遊びである」ことを知っているように見える。こうした種類の遊びにおいては、「これは遊びである」つまり「そこで行なわれる行為は、それらが指示する denote ものが指示することがらを指示していない」というメッセージが交換されているのだと、ベイトソンは指摘する。ふざけて噛んだり怒ったりしてみせる行為は、文字どおり噛んだり怒ったりする行為を指示しているのだが、こうした行為が指示するもの「けんか」を指示していない、という了解が成立しているのだという訳である。しかしこの「枠」は本質的に不安定なものである。それは容易に本当の「けんか」に移行してしまうのである。

 ベイトソンがこの種の遊びを、記号を記号として使用するコミュニケーションが可能となるための前段階として位置付けていることに、もっと大きな注意が払われるべきであろう。「遊びは、コミュニケーションの進化における一つの前向きのステップ−−地図−領土関係(記号とそれが指示するところのものは別のものである)の発見に至る決定的な一歩−−を示すものである」と彼は言う。これを考えに入れると、彼がすでに言わば「成熟した」記号の存在を予想させる「指示する denote 」という言葉を、ここで多用しているのはいささか不用意であると言わねばなるまい。彼が「代理する stand for」とともに「指示する」と等価に用いているもう一つの言葉「関係している be related to」のほうが、この種の遊びのなかで起こっていることをより正確に記述することになろう。つまり「遊び」のなかの諸行為、ふざけて噛んだりぶったりする行為は、「遊び」でない諸行為、噛んだりぶったりする行為と「関係している」が、そうした行為が「関係している」事柄には「関係していない」、という訳である。事実、ふざけて噛んだりぶったりする行為も、噛んだりぶったりする行為であることには変りなく、また怒ったふりをしてみせる行為は、怒りを示す行為と行為そのものにおいては何の違いもない。違いは、そうした行為が「普段の」コンテクストの中で関係付けられるもの、利害の衝突、相手に危害を加えようという意図、憎しみ、行為のエスカレーション、その他との関係付けが「遊び」のなかで見られるそれらには欠けているという点なのである。

 ベイトソンが彼の「枠付け frame」の概念を説明する際に、実体的でありすぎるという注意をしたうえで取りあげる別の比喩、「絵の額縁 frame」の比喩は、こうした解釈を支持している。額縁は絵の観賞者に、その中に描かれているものに対しては、その外の、例えば壁紙の模様などを解釈する場合に使うのと同じ解釈態度をとったり、それと関係付けてとらえたりしてはならないと告げている。額縁の中の諸要素は、その相互の有意性の関係のなかでとらえられるべきものなのである。

 私は既に伝達的行為を問題にした際に、「関係する」という言葉が「意味する」あるいは「指示する」といった言葉の代りに用いられるべき別の例を指摘しておいた。「舌を突き出して軽蔑を示す」という行為において、「舌を突き出すこと」は実際に軽蔑の状態にある人が示すかもしれない徴候としての舌を突き出すことと「関係」しており、しかもそれが「関係」しているものとも「関係」している。これがこの行為において「突き出された舌」が軽蔑を意味する記号となっているということである。一方その他の多くの構成的規則に従う行為、例えば握手や「ヒットを打つ」においては、それを構成する行為は、別のコンテクストでの類似の行為と、そもそもほとんど「関係」していない。これらに対して遊びにおいては、行為は遊びの外のコンテクストにおける同様な行為と「関係」しているが、そのコンテクストにおいてそれが「関係」しているものとはあまり「関係」していないというわけだ。

 しかし、「遊び」において実際には何がこうした「枠 frame」を成立させているのであろうか。ベイトソンは「これは遊びである」というメタコミュニケーション的メッセージの交換がそうした枠を確定すると述べているが、前以って「遊びである」とことわったうえでなされる場合は別として、それ以外の場合にどのようにしてそれが「遊び」であるとわかるのだろうか。むしろ、ある行為が「遊びである」と知れるのは、それらの行為が普段の関係付けの脈絡から切り離されて、別の有意な関係性のなかに組み込まれることを求めて、いわば空中に浮遊していることを知ることを通じてではないのか。たいして痛みを感じない殴打、微笑を伴う怒りのしぐさ、あるいは、あまりにもおおげさな芝居がかった怒りの所作、こういった一つの行為に含まれる欠如や過剰が、しばしばその行為を、そうした行為が普段置かれるはずの関係付けの網の目から引き剥がすのに充分であるかもしれない。しかしこれらは確かに、それが「遊び」であることを保証するものとしてはいかにもたよりなげではある。「遊び」の枠 frameの不安定さの理由がここにある。

 私の三才になる娘が、その怒りを示してみせるとき、しばしばあたかも「ふざけて」怒ってみせているかのように見えることがある。もちろん彼女は「本気で」怒りを示そうとしているのであって、その幼い試みが効を奏さないとき、それはただちに制御をこえた感情の爆発にとってかわられる。「遊びで」怒っていたのが、やがて本当の怒りに変ったという訳ではない。後者は彼女にとっては「怒り」と呼ぶことさえできないような、単なるコントロールできない感情の暴発にすぎない。彼女が自分の感情を「怒り」のような他人に伝えてみせることのできるものとして把握できていたのは、むしろ、我々大人の目には、いささか芝居がかったふざけた所作を実行してみせている段階の方だったのである。つまりこうした点で、幼児は「本気で」遊んでいる。あるいは「遊び」という大人のカテゴリーが通用しない行動様式をとっている。「怒り」を示すとはどのようなことをすることであるのかという、彼女なりのシナリオ、構成的知識に基づいて、そうしたシナリオに従うことによって示されるものとして「怒り」を理解し、それを幼く実行してみせてくれているのである。それこそが彼女の所作、振舞いを芝居がかった、冗談めいたものにしてしまっているのだ。彼女の側では、そうしたシナリオに従ううえでの、自分の過剰や欠如について、それらをそれとして知るすべはまだないため、そうした行為はけっして「遊び」ではない。

 ベイトソンが論じる種類の「遊び」は、こうした発達の途上にある幼児が示す行動と似ている。あらゆる行為が「遊び」的に遂行できる。「遊び」は任意の行為に対して、その構成的知識に基づき、その上に繰り広げられる複数の戦略、その行為をそれが置かれている普段のコンテクストから無理やりに引き剥がす戦略の呼び名なのである。

 構成的規則は自らの規則としての権利において、遊びが巧みな、しかししばしば不首尾に終わる企てをつうじて為し遂げることを、言わば強引に成就させる。それはしばしば、あまりにも首尾良くそれを為し遂げるので、我々は構成的規則に従う行為Aを構成する諸行為と、その外部にあるそれに対応する諸行為のあいだ何らかの関係を見出すことが一切出来ないほどである。そしてその完全さの故に、それはもはやベイトソンが論じたような意味での「遊び」とは似ても似つかないものである。例えば、握手における「何かを握る」行為を考えてみればよい。それは何かを握る行為が置かれる普段のコンテクストの一切からほとんど完全に分離し、握手という行為とそれがもつ関係の網の目のなかに強引に組み込まれている。そして既に見たように、構成的規則に従う行為A自身が、それより上位の構成的規則によってのみ相互に関係付けられるゲームにおいて、その自閉性は極限に達する。

 儀礼も構成的規則に従う行為である。だがそこに見られる「枠」は、ゲームにおいて典型的に見られるものよりも、むしろベイトソンが論じる「遊び」に見られる「枠」に似た点をもっている。ベイトソンがアンダマン島民の儀礼における「殴打」に遊びのなかの行動と同じものを見たのは、ある意味では正しい。その殴打は、本物の闘争の中で見られる殴打が他の諸々の事柄、憎悪や敵意等、と関係付けられるような形では関係付けられてはならない。しかしそれはなおも殴打であることには違いないのである。同様にマトゥミアにおけるブッシュでの無言の性交は、性交が普段置かれているコンテクストから引き剥がされてはいるが、なお性交であるという事実には変りがないのである。つまり、儀礼は他の構成的規則に従う行為が首尾よく為し遂げていること−−それを構成する諸行為の既存のコンテクストからの完全な分離−−を為し遂げていないのである。しかしだからといってそれは「舌を突き出して軽蔑を示す」行為のように、既存のコンテクストを構成する関係性の一部にぴったりよりそったものでももちろんない。それは単に「不完全な分離」を目指しているのである。ベイトソンの「遊び」が任意の行為の構成的知識を対象化し、それに働きかけることをつうじてそれを行なっているのに対し、儀礼は構成的規則に従う行為であることをつうじてそれを行なうのだ。

 ここまでの議論を儀礼を焦点にすえて簡単にまとめ直しておこう。儀礼は構成的規則に従う行為である。なぜしかじかのことをすることが、「マトゥミアをおこなう」ことになり、なぜそれが「死を投げ棄てる」ことになるのかといった問いが、一切の既存の機能連関をつうじての説明を拒んでいるのは、単にこの事実によっている。儀礼、ゲーム、挨拶、伝達的行為などに共通すると言われる「象徴性」は、いずれもが構成的規則に従う行為であるという明白な事実が間違ってとらえた結果にすぎない。儀礼の本質はけっして伝達行為ではない。またこのことの結果として、儀礼を構成する諸々の行為は、ゲームの行為を構成する諸行為がそうであるように、それらが置かれている普段の関係性から引きはがされ、新しい関係性の中に置き直されることになろう。しかし、それは二つの点でゲームのような自閉性を欠いている。儀礼を構成する行為が、それが置かれている儀礼の外の関係性の網の目から完全に分離していない点で、及び、儀礼そのものがその外部と手段−目的の機能連関によって接続している点で。従って、マトゥミアを構成する性行為は、性行為が置かれている普段のコンテクスト、儀礼の内部で構成的規則によって設定されたコンテクスト、及び、儀礼の目的、の三つがその中でどのように結びついているのかを示すことを通じて解明されるであろう。それはまた儀礼がどのようにしてその「目的」を果すのかを示すことともなろう。

V.儀礼の目的

 儀礼には通常、何らかの明確に定まった目的がある。儀礼を執行する当の人々がそう言うのであるから、間違いない。一方、人類学者の方では、儀礼をこのように表明された目的に仕えるものという角度から見ることを、極力避けようとしてきた。その結果とられた選択肢が儀礼を象徴的な表現体系、あるいはコミュニケーションと見るという立場であった。しかしそもそも何故、儀礼を目的に向けられた行為として捉えることに問題があったのだろう。もちろん、それが象徴的行為だから、というのは答にはなっていない。技術的行為ではないから、というのなら、何が技術的行為なのかということが問題になろう。目的に向けられた行為とその目的の関係を問いなおしておく必要がある。

 「彼が会社を辞めたのは、その退職金で新しい事業を始めるのが目的であった」などというもってまわった関係は、一応考慮の対象から外し、行為とその直接の目的に議論を絞ろう。最も些末な意味においては、任意の行為をその結果を目的とした行為として考えることが可能である。例えば、「手を上げる」という行為は「手が上がる」ことを目的としていると言って言えないこともない。しかしだからといって、「手を上げる」行為が「手があがる」ための技術的行為であるとは、とても言えまい。両者の関係は、手段と目的の関係というよりは、目的や意図が行為にとって「内的」であるとウィンチが言うような意味において、「内的」関係である。「彼の手があがった」と書こうと、目的や意図を内属させて「彼は手を上げた」と書こうと、ともにある意味では同じ行為の記述なのである。 同じことは「木を倒す」と「木が倒れる」についても言える。目的−手段といった外的な関係が問題になるのは、「木を倒す」とは何をすることであるのか、という「木を倒す」についての構成的知識が問題になるレベルである。ここである架空の状況を想定してみよう。一人の文明人が、一群の人々が一本の木の周りを踊り歌いながら回っている場面に出くわした(「未開人」のあまりにも古典的なイメージだが)とする。彼らは彼に自分たちは今「木を倒している」ところであると告げる。その文明人は溜息をつきながら、彼らに「木を倒す」とはどういうことであるのかを親切に説明してやるだろう。しかし彼らは頑強に、自分たちのところでは「木を倒す」とはこういうことなのだと主張するばかりか、その文明人に対して、一体なぜお前たちのところではそうすることが「木を倒す」ことになるのか、と逆に質問してくる有様である。困り果てた彼に残された道は、「木が倒れる」とはそもそもどのような事態からなっているのかを、こと細かに説明してやることだけである。忍耐強く彼の説明に耳を傾けていた人々は、しかし哀れむような調子でこう付け加える。「なるほど、それも木が倒れるということには違いない。しかし木が倒れるということは、単にそれだけのことではないのですよ。」

 このお世辞にも出来がよいとは言えない寓話は、行為と目的との技術的連関が実は二種類の構成的知識のあいだの連関であることを示している。「木を倒す」という行為がその内的な目的としてもっている「木が倒れる」という事態が、どのような事柄からなっているのかについての知識が、「木を倒す」という行為が何をすることからなるのかという知識を正当化するのである。我々は、降雨儀礼あるいは呪術が技術的行為ではないと言う。我々は「雨が降る」ということがどういう事態からなっているのかを知っている。あいにくにして、我々はこの知識に対応する「雨を降らせる」という行為がどういう行為からなるものであるのかを知らないが、同じこの知識をもとにして、我々は降雨儀礼が雨を降らせる行為にはなっていないと断定するのである。しかし我々は、「雨が降る」とはどういう事態からなっているのかを、人々自身に聞いたことがあっただろうか。「子供を大人にする」成人儀礼についてはどうだろう。我々が「子供を大人にする」技術をもっていないことは言うまでもない。「子供が大人になる」とはどういうことかについても、ろくに知ってはいないのである。目的とされている事態についての構成的知識が、それに対応する行為を「技術的」と呼ぶことを正当化しているのだとすれば、こうした儀礼が「技術的」行為である可能性は充分すぎるほどあるのである。

 ところで「死を投げ棄てる」ドゥルマの儀礼の目的は、さらに驚くべき性格をもっている。目的そのものが、我々がいかに頭をひねろうと、隠喩的にしか把握できないのだ。そもそも「死」は手にとったり、投げすてたりできるような「物」ではなかろう。「死を投げ棄てる」という言い方で隠喩的にほのめかされるしかない事態が問題になっているのである。「子供が大人になる」という目的についても、これは言えたことかもしれない。「雨が降る」ですら、そうでなかったという保証はない。我々は儀礼が目的としている事態について、何かとんでもない間違いをしていたのかもしれないのだ。

 もしそうだとすると、儀礼は通常の意味での「技術」とは呼び難いという我々の印象も一部正しかったということになる。目的、例えば「木が倒れる」こと、が如何なる事態からなっているのかに関する知識に規定され、それに対応する形で成立しているのが「技術的」行為である。目的とする事態に関する構成的知識が変化すると、当然「技術的」行為の内容も変化するし、同じ理由から、一つの目的に対して、より効率的なとか、より危険が少ないとか、様々な実行上の基準に応じて技術的行為には選択の余地が生じることもありうる。しかし、目的とされる事態が、本来隠喩的にしか把握できないものであるとすると、こうした通常の技術的行為に見出せる特徴が、そういった目的に向けられた行為のなかにも同様に見出せるとは、とても期待できないだろう。そもそも「死を投げ棄てる」のにより良い方法も何もあったものではない。そして事実、そこには唯一の方法しかないと我々は告げられるのである。それは「構成的規則」、しかじかの行為をもって死を投げ棄てる行為とする、という一切の意義申し立てを受けつけない規則のうえにはじめて成立する行為なのだ。

 儀礼は、「構成的規則に従う技術的行為」という、きわめてありえない組み合わせを我々に示してくれる。儀礼はあくまでもある想定された目的に仕える行為であるが、おそらくその目的とされている事態は、逆にその目的のために為さねばならないこと、つまり儀礼的行為そのものを通じてはじめて、幾分なりとも具体的に把握できるものであるのかもしれない。とすると、儀礼の目的について何かわかったようなつもりになって議論を進めることは出来まい。儀礼を構成する諸行為が置かれている、他の二つの関係性の網の目を解きほぐすことを通じて、それを明らかにするしかないのである。

VI. 儀礼における性

 関係性について、あるいは関係の網状組織について語るという作業は実は矛盾に満ちている。そもそも語る to relate ことは関係付ける to relate ことでもある。二項対立の一覧表や、擬似数学的等式といった限られた手段を駆使して四苦八苦して関係性をただ「示す」代りに、語るという作業を選ぶことによって、私は一つの「物語」を提出してしまうことになろう。しかし儀礼の分析においてはこれが適切な方策であると後にわかるはずである。ただ注意せねばならぬのは、それが「物語」という形ではけっして語られることのない物語であり、経験のしかじかの組織化として単に生きられているだけのものであるという点である。この点を除いては、私は象徴について語る者が語る口吻で語ることになろう。

死を投げ棄てるマトゥミア

 死を投げ棄てる目的で行なわれるマトゥミアについて、ここで簡単に整理しておこう。それは「熟していないハンガ hanga itsi 」と呼ばれる葬送−服喪儀礼(「熟したハンガ hanga ivu」と呼ばれる第二の儀礼は普通その数年後に行なわれる)が、死者の親族の水浴びと剃髪をもって終了した後に行なわれる。その概要は既に述べたとおりであるが、死者が誰であるかによって、その行なわれかたには若干の変化がある。

 妻帯した男が死んだ場合、マトゥミアを行なうのはその未亡人である。それは夜間、屋敷を離れたブッシュの中の、特定の木の下あるいは道の分かれ目で行なわれる。相手をつとめる男性は、死者や自分と親族関係のある人間以外なら誰でもよいとされているが、「余所者 goryogoryo 」と呼ばれる範疇に属す者が望ましい。これには他部族の人間、何らかの意味でその土地の正式のメンバーとは考えられていない人々、素姓の知れぬ若者などが含まれる。実際にはハンガに踊り目当でやって来た若者の誰かに長老が依頼する形で選ばれる。性交に際しては一切口をきいてはならず、またそれに不必要に時間をかけてもならない。長びいた場合、未亡人たちはその男を拒絶することができる。そうなると別の日に別の男によって再び行なわれねばならないことになる。無言のうちに手早く済ましてしまうことが望ましいのである。

 妻が死んだ場合、その夫にマトゥミアを行なう責任がある。二人の親族以外の女性なら誰でもよいとされるが、キヴングェ chivungbe と呼ばれる、未婚で妊娠し何らかの理由で婚資を支払われることに失敗し、かくして親元で暮しつつ誰の相手でもつとめるようになった女性が手近にいる場合、そうした女性がその相手となる。しかし実際には多くの場合、夫は長老からモンバサまでの旅費と幾ばくかの現金をもらい、モンバサで娼婦を相手に行なうことになる。この場合にも、いくらかの困難は伴うが、相手と口をきかず、手早く済ませることが必要である。他の場合とは異なり、妻に死なれた男の場合、呪液 vuo による治療は、マトゥミアの後ではなく、それに先立って水浴びの前に行なわれる。

 未婚の子供が死んだ場合、マトゥミアはその両親が行なう。母親がいない場合は夫は別の夫人を相手に行なえばよい。それすら不可能なときには、妻に死なれた場合と同様となる。夫婦で行なう場合、あえてブッシュに行く必要はなく家の中で行なうが、その際にもベッドを用いてはならず、床の地面のうえで、やはり無言のうちに手早く済ましてしまわねばならない。

 もしマトゥミアが行なわれないと、死者の屋敷の人々、死者の近い親族のあいだに次々と死が訪れることになる。マトゥミアが結局行われずじまいであったという例を私は聞いたことがない。キリスト教に改宗したという理由から、夫の死に際して、夫の親族からのあらゆる物質的権利の剥奪という脅しにも負けずに、頑強にこれを拒んだある未亡人の場合でさえ、実の母親からの「お前は私の孫を死なせたいのか」という非難の前には屈服せざるを得なかったのである。

 マトゥミアは、それ自体はきわめて単純な行為、性交、からなっている。しかしその性交は、通常のコンテクストで性交が結びつけられているさまざまな事柄との結びつきを欠いている。第一にそれは「無言」でなされねばならないことによって、性が営まれる関係に常に伴う親密さがそこから取り除かれている。ベッドでの楽しい語らいと性の行為は彼らが夫婦の性について語るとき、けっして切り離されることのない要素である。第二にそれは性に伴う快楽の要素からも切り離されている。それは手早く済ませねばならず、「一回きり」であるという点がしばしば強調される。第三にそれは生殖そのものとの結びつきも欠いている。マトゥミアの結果妊娠してしまうという可能性を人々は考えてもみない。それについて質問するだけでも、人々を当惑させるのに充分である。

 一方それは、二つの点で「屋敷の外部 konze」の空間との強い結びつきを示す。相手に余所者が選ばれる点で、およびブッシュにおいて営まれる点で。夫婦が家の中でマトゥミアを行なう際にも、この結びつきがまったく見られない訳ではない。言葉も交わすことなく、性急に行なわれる性交は、その行為を夫婦間での通常のそれが置かれる関係性から切り離すと同時に、この性交によって結ばれる二人を、あたかも互いに余所者どうしであるかのように見せているし、ベッド/床の地面の対立は、屋敷/ブッシュの対立を小規模に再現してみせたものだとここでは一応考えておくことができる。

 ドゥルマ語で「外で寝る kulala konze 」あるいは「ブッシュで寝る kulala musuhuni」という言い方は、正式な夫婦関係以外の性行為に言及するもので、こうした浮気の相手は、しばしば「外の夫(妻)」とか「ブッシュの夫(妻)」と呼ばれることがある。これは非道徳的と考えられているだけではなく、ときに屋敷を危険に陥れる。妊娠中、あるいは出産後子供がひとり歩きできるようになる以前に、夫あるいは妻のいずれかが「外で」寝ると、その子供は衰弱しやがて放置すれば死亡すると信じられている。こうした行為は「子供を凌ぐ kuchira mwana」と呼ばれ、その結果生じる子供の病気はキルワ chirwa と呼ばれる。また前もって、適切な処置を呪医によって施されていない場合、夫婦のいずれかが「外で寝る」ことは、常に牛の乳の出を悪くし、下手をすると牛の群を全滅させるとされている。それは「牛を凌ぐ kuchira ngombe 」と呼ばれる。

 マトゥミアを済ませた後(妻を失った場合はその前に)、それを行なった者は特別な呪液 vuo で身体を洗わねばならない。その成分は、四種類の木の根や葉( reza, muphozo, mukone, munyundu )、羊の胃の一部 chipigatutu cha ngonzi からなっている。羊 ngonzi が呪液の成分として用いられる他のケースには、先に述べた子供や牛のキルワの治療と、近親相姦 maphingani やそれと結びついた行為 makushekushe の治療 kuphoryorya、未亡人が死者の兄弟によって相続される際の治療(これは本来近親相姦 maphingani と見做される事態である)、および後でふれるが、葬送−服喪期間中に性の禁止を破る(「ハンガを凌ぐ kuchira hanga」と呼ばれる)ことの結果として生じる事態に対する治療がある。近親相姦や未亡人の相続、および「ハンガを凌ぐ」行為に対しては、新たに羊が特別なやり方で、つまりまず腹に穴をあけ胃の内容物 ufumba を取り出してから羊を殺害するというやり方で、屠殺されねばならないが、羊の胃の一部 chipigatutu は、それほど深刻でない近親相姦などの際には、この胃の内容物 ufumba の代りに用いられる。またそれは呪液の成分としてではないが、兄が弟のベッドや寝具を性交の目的で借りて使用するといった軽いマクシェクシェや、同様に一種の近親相姦と考えられている、兄弟が気付かずに同じ女性(例えば娼婦)と関係をもってしまった場合(「外で混じる kutsanganyika konze」と呼ばれる)の治療に用いられる呪薬の束 mupandeの成分としても不可欠のものである。こうした例においては、羊 ngonzi は屋敷の人々のあいだに生じた、性の秩序の乱れとそれが引き起こす結果を矯正する目的で常に使用されているのだと言える。そしてその乱れは、大別して、「外で寝る」ことと、近親相姦の場合のように「混じりあう kutsanganyikana」ことからなっている。唯一の例外が葬送−服喪の期間に関するものであるが、これについては後で触れよう。

 マトゥミアにおける性交は、性交に通常結びつく一切のもの、人と人との感情的なふれあい、快楽、はては生殖行為という要素さえ剥ぎ取られた「外で寝る」行為である。しかしそれは通常の「外で寝る」行為とも異なり、屋敷を危険にさらすどころか、逆に、それが具体的にはどういうことであれ「死を投げ棄て」、屋敷に引き続き死が訪れるのを防いでくれるという訳だ。しかし同時に、羊の使用に見られるように、それは「外で寝ること」に伴う性の秩序の乱れと全く関係がないわけではない。マトゥミアを行なう行為が置かれている、葬送−服喪のコンテクストを検討することを通じて、マトゥミアを死の文脈と特に関係付ける要素について考えてみたい。

葬送−服喪における性行為

 親族の死によって引き起こされた状況は、ドゥルマにおいて最も重要な儀礼的機会となっている。その各段階は、細かい規則によって規定された儀礼的行為によって彩られている。ここでは特に「性」との関係において、そのアウトラインを描き出すだけにとどめておきたい。

 死者が出た日は「悪しき日 tsiku ya mai 」と呼ばれ、屋敷の人々は、親族たちに死を知らせにやるかたわら、一切の日常的活動、料理、水浴び、洗濯、清掃などを停止し、女性は家のなかに、男性は屋敷の外のブッシュにある空き地 ndarani の木の下に、それぞれ別々にかたまる。この日からベッドの使用が禁じられる。それを使用しているのは死者だけである。埋葬はその日のうちに行なわれるか、あるいは次の日になされる。死の知らせを聞いて集ってきた死者のクランの人々およびそのクランが属する半族の人々、その他死者ゆかりの人々の手によって、死体は整えられ、墓が掘られる。屋敷の人々はこうした活動の一切に手を出さない。墓掘りは男の仕事で、主として若者がそれにあたる。墓穴が完成すると、屋敷にやってきていた女性たちの一群が隊列を組んで墓場に現れ、墓の周りでムセゴ musego と呼ばれる卑猥な歌と踊りをする。その歌は性器や性交に直接言及する内容をもち、その踊りには腰布のなかに棒を入れて男性性器に見立てたり、性交の動作を模した動きが見られる。同時に彼女らは傍で休んでいる男たちに攻撃を加え、その持ち物を取り上げようとする。彼女たちが引き上げると、程なくして、布を張って内側が見えないようにされた上下逆にしたベッド gyenesa に載せられた死体が、小屋の中から小屋の戸口で屠殺された山羊の血の上を通って運び出され、何人もの男たちによって担がれて墓場にもってこられる。女性たちは列を組んで泣きながら後に続く。死体は性交の体位で、つまり男は右を下に、女は左を下にして横臥する形で埋葬される。埋葬が終了すると、クランの人々(具体的には小リニージに対応するその下位区分)による会議が開かれ、死因に疑問がない場合、その場で、葬送−服喪「熟していないハンガ hanga itsi」が開かれることが居あわせた人々に告げられる。ハンガの一切はこのクランの長老たちによって取り仕切られることになる。近隣から訪れた多くの人々は一旦めいめいの屋敷に戻り、次の日、あらためてハンガに参加するためにやって来る。

 ところでこの埋葬に至る過程で、死者が、屋敷の外からやってきた人々に裸体を晒し、身体じゅうの毛を剃られ、しかる後に同じ人々の手によって念入りに屋敷の人々の目から隠蔽されるということに、注意されたい。ムセゴの場では逆に、屋敷の外からやってきた女性たちが自らのセクシュアリティを人々に晒すことになる。

 熟していないハンガの第一日目は、「マットをたたく kubita chitseka」と呼ばれる。屋敷の人々にとって一切の日常的活動は停止している。ハンガが終了するまで屋敷の人々は料理その他の活動には一切手を出さないだろう。既に「悪しき日」以来、屋敷の人々やその日以来そこにいた人々はやっていたことであるが、この日からあらためて弔問客たちはベッドの使用を禁じられ、男たちはブッシュのなかの空き地で、女たちは小屋の中やその周囲の地面にマットを敷いてそこで夜を過ごすことになる。婚出した娘や、他の場所に自分の屋敷をもつ息子も含め、死者の近い親族たちには、ハンガ終了まで夫婦間の性交は禁じられる。男と女、屋敷の人々と弔問客たちは、相互に隔離される。肉と酒はふんだんに提供される。料理は男たちはブッシュで、女たちは屋敷内で、別々に行ない、さらに未亡人や死者の長男など死者に最も近い親族は、最近自らの屋敷で死者を出したことのある者あるいは孤児に付き添われ、彼らが別に料理したもののみを食べる。人々はこうした近い親族が座るマットに座ってはならないし、彼らをじっと見つめたり指さしたり、彼らに話しかけたりしてはならない。

 こうした禁止、とりわけ性交の禁止を破ることは「ハンガを凌ぐ kuchira hanga」と呼ばれ、羊を用いた治療がなされねばならない。なかでも死者の息子、娘、夫(死者が第一夫人の場合)、妻、両親(死者が長子の場合)による性交の禁止の違反は深刻であり、違反したものを発狂 kpayuka に導くとされており、羊をまるごと屠殺せねばならない。埋葬の際にムセゴが行なわれなかったり、ハンガの細々とした規則が従われなかったりといった不手際は、屋敷に死や病いがひき続きふりかかるという結果を導くかもしれない。しかし人々によると、これは死者の怒りのせいであり、マトゥミアの場合とは異なる。占いmburuga の結果死者の怒りが明らかとなると、墓での供犠だけでは充分ではなく、「熟していないハンガ」を再び短期間開くことが必要とされることもある。

 ハンガの期間を通じて、昼間は飲み食い以外にはこれといった活動はない。そして夜になると、近隣の若者たちが集って、屋敷の庭で、キフドゥ chifudu と呼ばれる歌と踊りをハンガが終了するまで連夜催す。弔問客もこれを見物したり、まわりで歌にあわせて踊ったりしてもさしつかえない。これはムセゴと同様に「性」に直接言及したきわめて猥褻な歌と踊りである。若い青年男女が互いに懸合いの形で、お互いの性器をからかいあう歌もみられる。これらの若者(男女ともに)にとってハンガは、気にいった相手を見つけ一夜をともにする公認された絶好の機会となっている。また私は目撃したことはないが、死者と冗談関係にあるその孫娘がまわりの女たちによって衣服を剥ぎとられ、裸体を晒すのもまたこうした機会であるという。

 「水に寝る kularira madzi 」と呼ばれるハンガの最終日が終わると翌朝、暁けがた近く死者の親族たちは男女別々に一列になって川に向い、水浴びを済ませると屋敷に戻り、死者に近い親族は頭を剃る。洗濯、清掃が解禁され、屋敷に残った人々は、「箒に寝る kularira luphyero」の名で知られるその夜一晩地面の上で寝るが、翌朝からはすべてが日常に復帰する。ただし夫婦間の性交を除いては。前の晩にマトゥミアが滞りなく行なわれた場合、残された親族は年長順に、一晩に一人ずつ性交を再開する。モンバサに行かねばならぬなどの何らかの理由で、マトゥミアがその日行なわれなかった場合、性交の再開はそれが済むまで延ばされることになるのである。

 死者の未亡人や娘など、死者に近い親族女性は、その後「熟したハンガ hanga ivu」が催されるまで数年にわたって、水浴びのときに石鹸を用いないとか、化粧油の使用を禁じられるとか、丸刈り以外の髪型を禁じられるとかの軽い喪に服する。「熟したハンガ」の終了後にようやく、死者の財産や未亡人が相続される。

 繰り返すが、以上はドゥルマの葬送−服喪儀礼のほんのアウトラインにすぎない。その気になれば、この簡単なアウトラインからもさまざまな関係性を取り出すことができるだろう。例えば埋葬をめぐる手続のなかに、象徴的解釈の語り口で言うなら、死者の再生、あるいは「死者の死への誕生」とでも呼べるものを読みとることも可能である。ムセゴの場での女たちによる攻撃的なセクシュアリティの顕示の後に、死体は赤ん坊が血のなかを通って生まれ出てくるように、戸口で流された山羊の血を通って小屋から運び出される。通常の出産に先立つ男の攻撃的なセックスが、死への出産においては女性の攻撃的なセックスにとって代られている。等々。儀礼のなかにこうした、それに注意する者だけが読みとるような、かろうじて見え隠れする関係性が仕組まれていることも充分ありうる。しかしこの儀礼に関して言えば、儀礼を解釈の対象としたときにはじめて読みとられうる関係性を問題にする以前に、それ程魅惑的とは言えないが、それだけにあからさまに現われ、また人々がまんざら気付いていない訳でもないような、そうした関係性に満ちあふれている。ここでは最も明白なつながりだけを極力取り出すことに努めよう。

 人々によるとハンガに見い出される最も顕著な特徴は、その猥褻性とほとんど浪費に近い食物の消費である。この二つの特徴は、充分うなづけることであるが、キリスト教に改宗した若者がハンガを批判する際にももち出される。死者を出した屋敷の人々が悲しんでいるところに行って、卑猥な歌を歌ったり、さんざん飲み食いすることに何の意味があるのか、という訳だ。弔問客、特に親族は幾ばくかの現金やトウモロコシの粉を提供することが期待されているが、飲み食いの負担のほとんどは屋敷の人々にかかってくる。あからさまな猥褻性は、ハンガの機会のみにみられることである。人前での下半身の露出は、それがたとえ幼児であっても嫌悪される。その母親が叱責の対象となり、そればかりか子供の親族の他の女性は、ハンガの機会をつかまえてそうした母親の衣服を剥ぎとってしまうことさえする。ハンガの機会以外で、人前で卑猥な歌、ムセゴやキフドゥを歌う者は、文字どおり「病気」であると考えられる。そうしたふるまいは「マハンガ mahanga」と呼ばれる憑依霊のしわざなのである。また妖術師は、犠牲者を殺すために裸で夜出歩くと言われているが、彼らの行なう妖術の一つに、夜中に犠牲者の家のまわりでキフドゥを催すというものがある。「性」は普段の生活では慎重に隠蔽されるべきものであり、それを公然と晒すほとんど唯一の機会とでも言えるのがハンガなのである。

 男 mulume と女 muche、屋敷 mudzi とその外部 konze、屋敷の人々と屋敷に属さない人々、という彼らの普段の生活においても重要な区別が、ここではあらゆる行動を組織するうえでの区別を提供している。死者の親族(父系) enye afererwa とそうでないただの弔問客 atui の区別もあるが、ハンガを取り仕切るという親族に与えられる役割を別にすると、屋敷の人々との対比においては、両者は同じ振舞いをする。

 ハンガにおいて起こっていることは、簡単に言えば、屋敷が屋敷の外部によって、ほとんど完膚なきまでに席捲されているという事態である。ベッドの使用が禁じられて地面に寝ることによって、屋敷の空間はブッシュの空間に近づく。人々は外で、とりわけ男たちはブッシュで調理する。屋敷の人々は一切の活動を停止し、なかでも一切の夫婦間の性交が禁止される。一方屋敷の外からやってきた人々、とりわけ女性たちは、性をおおっぴらに誇示し、男たちは屋敷の富をおおいに飲み食いする。なかでも余所者たちは、屋敷の庭にまで入りこんで猥褻なキフドゥを踊り、まわりのブッシュでなかば公然と性交にふける。屋敷の人々のなかで自らの裸体−セクシュアリティをやって来た人々に露呈するのは、死者本人と、親族関係のなかで死者と等置される死者の孫娘だけである。あたかも死者とともに「性」は屋敷から消えてしまったかの如くなのだ。屋敷の人々にとって性の秩序は「一切の性交をしない」という凍結した形でのみ存在する。それを破ることが、今や、羊の屠殺によって治療されるべき性秩序の乱れとされる。あるいはここでは夫と妻が寝ることが、羊で矯正されるべき「外で寝る」行為になってしまっている。

 とすると屋敷から「性」が消えたというよりも、屋敷が消えてしまったのだと言ったほうが良い。事実、屋敷の人々、特に死者に最も近い位置にいる者たちは、文字どおり、そこに居ながらあたかもそこにはいないかのように扱われ、同じくそこでは不可視な存在である付き添い人をつうじてのみ自らの用を足し、自らの意志を伝える。

 ハンガにおける屋敷の外部に対する屈服は、ずっと世俗的な事柄に関しても見られる。クランの長老たちが、死者の屋敷の親族義務不履行をなじり、それに対する罰金 makosa の山羊を有無を言わせず取り立てるのは、あろうことか埋葬の直後の会議においてなのである。

 これらは、お気付きのように、いささかも「象徴的」な事態ではない。まさにそこに文字どおり起こっていることなのだ。ドゥルマにおいて身近な者の死を経験するとは、屋敷の外の世界のほしいままの侵入を許し、それに屈服するということでもあるのだ。誤解を避けるために付け加えておこう。これは「身近なものの死」に関する何らかの観念があり、それがこうした形で「表現」されたのだ、といった関係にはない。ドゥルマにおいては身近な者の死を経験するとは、すなわちハンガを経験するということであり、それ以外の形で経験される抽象的な「身近な者の死」などどこにもない。両者は「すなわち」の関係であって、けっして表現と表現されたもの、象徴とそれによって「意味されたもの」の関係ではないのだ。

 しかし屋敷の外部からのセクシュアリティの侵入は、その攻撃的、否定的な面のみで捉えられるべきではない。そもそもムセゴやキフドゥは、人々の説明によると「死者を喜ばすために」催されるのである。そして既に見たように、死者の側でもちゃんとそれに答えている。しかしそれは死者にとってのものではあっても、残された屋敷の人々にとってのものであるとは言えまい。少なくとも、この外部からの「性」の注入は、葬式の場での同様な猥褻性の提示に対して多くの論者が論じるように(e.g. Huntington & Metcalf 1979) 死の不毛性を中和する一匙の豊穣性といったものではない。ドゥルマのムセゴやキフドゥの歌は、性行為や性器に対する露骨な言及には溢れているが、彼らが夫婦や恋人の性について語るときに特徴的な、情感的なニュアンスや、「産めよ殖せよ」といった豊穣性の含意を一切欠いている。例を一つだけ挙げておこう。

まず男が歌う。

 Heka kudu                どうして赤いの(女性の性器を指して)
 kp'achotwa ni kuku     鶏にでもつっつかれたのか 
 hebu dze?           それとも何かい?
  続いて女たちが答える。
 ulumewo kauhenda kazi    あんたのペニスが役に立たないからよ
 ndio mutswano         ほんとにおいしいのは
 ni wa Akamba         カンバ族の男たちのよ

 しかも、こうした外部からの「性」が死者のためのものであると言うのなら、まさに死者はその妻や夫との性交を放棄して、「外で寝」てしまっているのだということになるではないか。

マトゥミアを行なうことからなる他の儀礼

 このハンガの後に行なうマトゥミアによって、人々は「死を投げ棄てる」。しかし、マトゥミアそのものについて言えば、他の目的でもしばしば行なわれている。それは一見、死とは無縁の雑多な状況のリストを示す。

 「子供を産む kuvyala mwana」:息子の結婚に際して行なわれる。息子が花嫁を屋敷に連れてきて住み始めた日、父とその第一夫人は一晩、性交抜きに同じベッドで眠り、次の晩、二人でマトゥミアを行なう。無言で手早く済ませねばならないが、ベッドは使用してよい。これが済むと、その次の晩は第二夫人と寝る(これはマトゥミアではない)といった具合にすべての夫人と順番に寝てゆき、すべて終ったら息子夫婦は初めて屋敷内で性交を許される。この間、あるいはそれ以前に二人が屋敷以外のところ、ブッシュで性的交渉をもっていようと一向にかまわないが(そしてまたそれはごく普通のことであるが)、屋敷内で夫婦として寝るためには、まず父親がマトゥミアを行なわねばならないのである。これを怠ると息子夫婦には子供が育たない。

 「妻を産む kuvyala muche」:夫が新しい妻を屋敷に連れてきた場合、上の場合と同様に、まず第一夫人とマトゥミアを行ない、その後順番にすべての夫人と寝たあと、新しい夫人と屋敷内で性的交渉をもつことができる。これを怠ると、屋敷の人々に死が訪れる。 「屋敷を産む kuvyala mudzi」:屋敷を別の土地に移転する場合、場所が決まると、第一夫人と二人でそこに赴き、ブッシュのなかの小屋を立てる予定の場所で一晩、性交ぬきで眠る。次の晩、同じ場所で二人は無言のうちに手早くマトゥミアを行なう。これが済むとブッシュを拓いて、屋敷をそこに創る作業を開始してよい。これは新しい屋敷に死が訪れるのを防ぐためである。

 「畑を産む kuvyala munda」:屋敷の畑 munda dzumbe を拓くとき(各々の妻に割り振られた畑 koho についてはこの限りではない)、第一日目 kubata munda の日、夫と第一夫人の二人だけで畑になる土地に行き、作業をする。その晩、二人は背中合わせに(性交ぬきに)寝る。次の日、再び二人で畑仕事をし、その晩小屋の床の地面でマトゥミアを行なう。これが済むと次の日から、畑仕事には他の妻たちも参加する。これを怠ると、作物が育たない。

 「財産を産む kuvyala mari 」:娘が結婚し、婚資のうち一頭の雌山羊とその子供からなる「大黒柱の山羊 mubuzi ya mulongohini 」が支払われた日、父とその第一夫人は山羊たちを大黒柱につないで一晩寝かせ、本人たちは性交ぬきで寝る。次の晩、二人は大黒柱の下の地面にマットを敷いて、その上でマトゥミアを行なう。これを怠ると屋敷の家畜の群が減少する。

 山羊や牛を購入したときも同様にマトゥミアを行なう。購入した家畜を一晩寝かせ、自分たちはその日性交ぬきで眠る。次の晩、小屋の床の地面の上で、二人は無言の性交を行なう。これも「財産を産む」と呼ばれる。

 「金を産む kuvyala pesa 」:もし息子が働いて得たサラリーをもって帰ってきた場合(子供が働いて得た金も父親のものであるということになっている。もっともすなおに差し出す息子はけっして多くはないが)、父はその金を小屋の中で一晩「寝かせ」、自分たちは性交ぬきに眠り、次の日の晩、マトゥミアを行なう。ベッドで行なっても差しつかえない。これを怠ると金がなくなる!

 これらのマトゥミアは、その重要性においてハンガの後のマトゥミアとは比べようもないものである。このためベッドの使用の禁止についても、必ずしも一貫していないことがわかる。なかには、家畜の購入にともなう「財産を産む」マトゥミアや、「金を産む」マトゥミアについて、口をきいてもかまわないという意見すらある。手早く、一回だけするという点では、しかし意見の相異はみられない。またハンガのあとのマトゥミアとは異なり、これらはすべて夫と第一夫人のあいだで行なわれる。もっとも妻が屋敷の中で「外部性」を担う唯一の存在であることを考えると、これもそれ程大きな相異とは言えないかもしれない。これらの例は、いずれも「性の禁止」がマトゥミアに先立っていることをはっきりと示している。ハンガの場合には、この禁止は、ハンガ期間中の性交の禁止の影に隠れて見えなかったものである。

 人々はハンガのあとのものがマトゥミアのなかでも最も重要なものだと口をそろえる。しかし、何がこれらのマトゥミアすべてに共通している状況なのであろうか。一見すると死の状況との共通性は何もないように見えよう。それどころか、「産む kuvyala」という言葉に引きずられて、これらを単純に豊穣性の儀礼と見誤る危険性すらある。とするとハンガのあとのマトゥミアも死の不毛を中和する一匙の「豊穣性」だったということにもなろう。しかしただちに明らかになるように、こうした解釈は的はずれである。上のすべての例からわかるように、そもそもマトゥミアの目的は、既にある初期状態に何かを付け加えることにはない。それは常に予期される減少、破壊、死滅をくい止めることを目的としているのだ。あたかもマトゥミアを必要とする状況は、すべて何らかの意味で危険な状況と考えられているかのようである。しかし婚資を受けとったり、新しい家畜を購入したりすることのどこに危険が潜んでいるというのだろう。

 この六つの例に共通する状況は、息子の嫁を屋敷に迎えることといい、新しい妻を迎えることといい、ブッシュであったものを屋敷そのものに、あるいは屋敷の一部の畑として取り込むことといい、婚資を受けとることといい、家畜を購入し、サラリーを受けとることといい、すべて屋敷の外のものを屋敷のなかに導入するという状況である。そしてこの「外部」を屋敷の中にもちこむということのなかに、一種の危険が感じとられているのだとすれば、すべては辻褄があう。すでに見たように、ハンガあるいは身近なものの死は、屋敷の人々の外部への屈服、外部の屋敷のなかへの徹底した侵入として経験されているのだ。

 「産む kuvyala」という言葉のなかに「さらなる増殖」豊穣性を読み取る必要はない。事実マトゥミアの行為をつうじて何を「産む」のかといえば、上述のリストからも明らかなように、子供(息子の嫁)であり新しい妻であり、支払われた婚資である等々、外部から導入されたものが屋敷に帰属するものとして、あらためて「産みなおされて」いるだけなのである。外部と屋敷との境界が改めて引き直されているのだ。

普通の性交

 普通の性交について何が語られるべきであろう。確かにあらゆることが語られうる。おそらく普通の性交についても、ハンガやマトゥミアを論じつつ明らかにしてきた関係の網の目の先に、たぐり寄せることができるもののみが語られることになるだろう。そこに取り出されるものは、普通の性交が置かれている関係性の錯綜した網状組織のなかに見え隠れしているが、それ自身はけっして「普通」のものではない性の姿である。

 普通の性交は、屋敷の内 mudzi での夫婦の性と、屋敷の外 konze での性の二つに分けられる。屋敷をかまえた正式な夫婦には、外で寝ることは禁止されている。それは浮気が裏切りであるということ以上に、すでに述べたように屋敷を危険に陥れるためである。そして、逆に夫婦には、とりわけ夫には屋敷内の性をとどこおりなく、規則的に遂行する義務あるいは責任のようなものがあると考えられているようである。「妻たちをないがしろにすると、屋敷を駄目にする。Kala uchikosera achetu udzibananga mudzi. 」という言い方が広くみられる。もちろんこれは性の問題に限らないし、単に妻たちを満足させなければ、屋敷をうまく運営していくことができない、といった程度のことを言っているのだともいえる。しかし、これはまた妻たちとの性交が、屋敷を維持していくための積極的な力であると示しているともとれないだろうか。

 性はいずれの場合にせよ、注意深く隠蔽されるべき行為である。しかし屋敷内の空間、とりわけ小屋の内部は、すぐれて「性的」な空間でもある。それは隠されてはいるが、同時にあまりにも明白なことがらなのだ。女性と二人きりで小屋の中にいることは、とりわけ他人の妻や、実の孫娘のように、望ましくはないが性関係が不可能ではない者と小屋の中で二人でいることは、実際にはどうであれ、性交渉をもっていたものと見做される。屋敷内の空間は相互に区分され秩序付けられた性的空間として組織されているのである。思春期を迎えた息子たちが、同じ屋敷内に別個に小屋を建てて暮すようになるのも、親子や兄弟が互いの寝具を借りることが一種の近親相姦に類する行為 makushekushe として禁止されるのも、性的空間としての屋敷の内部区分と明らかに関係がある。

 屋敷が新しい土地に移るとき最初に立てられるのが第一夫人の小屋である。そして以下厳密にセニオリティー順に従って小屋が建てられてゆく。万一下位の妻や弟に先んじられた場合、上位の妻や兄はもはやその屋敷に加わることが許されず、別の土地に住むか、近隣ではあってもその屋敷の土地の外に小屋を建てて住むしかない。これは未婚の青年には適用されないことである。マトゥミアを行ない、性交が再開される際にも、同じ順序に従ってセニオリティ順に夫婦の性交が再開されていく。かくして空間の秩序は性の秩序とパラレルである。はたしてここで重要なのはセニオリティの事実であろうか、それともこの並行関係のほうであろうか。

 少なくとも屋敷の内部での性は、単に生殖や、夫婦の絆、快楽といった事柄のみではなく、屋敷の秩序とも緊密に関係した事柄なのだと言うことはできる。それは近親相姦 maphingani やそれに類する行為、とりわけ屋敷内部の性的空間秩序を混ぜあわせること makushekushe によって、そして夫婦が「外で寝ること kulala konze 」によって内側から危険に晒される。この危険は羊 ngonzi によって治療される。しかしそれは、既に見たように、屋敷の外から何かが侵入したとき、導入されたときにも、マトゥミアによって新たに再開せねばならぬ秩序でもあるのだ。

 一つの仮説がここに浮び上ってくる。そしておそらくそれのみが、マトゥミアのあらゆる事例が求めている一つの物語を完結させる。屋敷内での夫婦の滞りない規則的な性交は、屋敷をその外部からへだてる見えない境界を作り、それを維持していく行為なのだという仮説がそれである。この行為が外部の混沌が屋敷内に侵入するのをくいとめているのだ。とすると「妻たちをないがしろにすると、屋敷を駄目にする」という語り口によって語られていたのは、単に夫婦仲のこじれが引き起こすありふれた「いざこざ」ではなく、はるかに基本的な事態だったのだということになる。

 もちろんこの仮説は人々の証言による確認を得ていない。その意味では根拠がない。しかしそれは、性を通じて一生結び付かねばならない関係としての「結婚制度」をめぐる暗黙の問いに対応する可能な答えではある。

 夫と妻は性交を行なう義務あるいは責任がある。ドゥルマの人々も我々と同程度あるいはそれ以上にこれを感じているようであるし、我々とは違って事実口に出す。夫にとって「妻」なるものは手軽で安上がりな性の相手、家事や子育てや労働の担い手にすぎないわけではなかろう。もしそうならより手軽で安上がりな手段があれば、簡単にとって代られるということになる。社会的強制によって維持されているのだというのであれば、そもそも何故夫婦制度を維持することを目的とした社会的制裁がそもそも存在しているのかと問うことになろう。人類学者なら、結婚が単なる個人間の問題ではなく、集団間の交換を通じた同盟関係であるという事実に注意を促すかもしれない。結婚という形態がその理由は何であれ維持されねばならないとすれば、それは結局夫と妻の結び付き、性を通じての結び付きにかかってくる。かくして夫婦の性交の義務と責任ということになる。

 男たちは夫婦の性交のこの言わば強いられた側面を説明するのに、しばしば女性の満たされることを知らない性欲を口に出す。妻が夫にそれを強いるのだという訳である。しかし女たちも同時にそれを男たちのせいにしているとすれば、これは実に奇妙なことであると言わねばなるまい。

 しかし夫と妻が性交をつうじて愛情の確認や性欲の充足以外に、自らがそこに根づき、それに依存している世界についての安心も同時に手に入れているのだとすればどうであろう。その世界に対する危険が「外部」の侵入として把握され、感じとられているのであれば、飼い馴らされた外部としての妻に対する行為が外部の侵入を防いでいるのだとすることによって、義務や責任、そしてそれを遂行して手に入れることができる安心のすべてに根拠が与えられることになろう。マトゥミアの「物語」は普段の夫婦の性をこうした関係性のなかに置くことによって完結する。

 ドゥルマに隣接するギリアマの人々のあいだにも、詳細においては異なっているもののマトゥミアと同様な行為が知られている。それが行なわれる機会ははるかに多く、小屋に新しい扉をつける、新しい炉を設置する、新しい壷を購入する、といった具合に実に多岐にわたっている。人々はこの理由を、次のようなマトゥミアの起源説話で説明しているらしい。「かつて、遊び好きで、外に愛人を作ってばかりいる妻がいた。夫はその妻を屋敷に引きとめておくために、こうしたさまざまな機会を作っては、妻に性交を強要したのである」と(慶田勝彦personal communication)。これはマトゥミアという制度の起源を説明するのに、その制度を前提としてしまっているという点で、矛盾した奇妙な話ではあるが、屋敷内での夫婦の滞りない性交を望ましい事態として、屋敷の秩序を再建する行為であるマトゥミアと結び付けてとらえている点で興味深いものである。それは両者の不可分の結び付きを物語っている。

VIII. 儀礼のもたらすもの

マトゥミアの物語

 夫婦間の性交が屋敷をその外部から守る行為、屋敷にとって最大の危険である外部の侵入をくい止める行為であるとするならば、屋敷に外部から新しい要素を導入しようとするとき、夫婦間の性交が一旦禁止されねばならないという点も容易に理解できる。外部の侵入は屋敷にとって危険な事態かもしれないが、それは同時に屋敷の存続と繁栄にとって必要な事態でもある。取り込まれる外部は、息子の嫁や新しい妻の形で、屋敷の永続性を保証するものであるし、また家畜の形で富の源泉でもある。ブッシュは毎年きり拓かれて屋敷に食料を提供する畑に作り変えられねばならない。こうしたものを屋敷の内部に取り込んだとき、夫婦の交わりがこれらを排除してしまわないように、それは停止される必要がある。屋敷の境界を外部に対して一時開放せねばならないのである。そして、この一度は崩れた境界をマトゥミアの行為が修復、再建する。

 マトゥミアの行為は、すぐれて性的な空間である屋敷内の、性のためにとっておかれた場所でないばかりか、おまけに一切の標識を欠いた場所、つまり地面の上で、第一夫人を相手に無言のうちに手早く行なわれる。それは愛情とも性欲とも子供の妊娠とも無縁の行為である。地面はベッドに対立する。同時に地面は文字どおり屋敷の「地」、その上に屋敷が築かれる基盤である。同様に外部は屋敷と対立するが、同時に、図と地の関係のなかでは、屋敷の背景となる「地」であったものである。ここで夫婦は余所者どおしとして出会い、夫婦の通常の性行為とは異質な原初的な性交をつうじて、無標の地面のうえに、あるいは、いまだ屋敷と敵対的に対立するに至らない始源の「地」としての外部のまっただなかに「屋敷」を創出するのである。

 外部による屋敷の蹂躙として経験されるハンガ、屋敷の成員の死がもたらす状況に引き続いて行なわれるマトゥミアにおいて、こうした特徴が最も明確に現われているのは当然のことであると言えよう。それは文字どおりブッシュで余所者を相手に行なわれねばならない。そしてその後にようやく、セニオリティ順に従って屋敷内での性交が、屋敷の性的秩序の再建が再開される。ハンガとその後のマトゥミアは、比喩的に言えばまさに「屋敷の死と再生」の物語なのである。無標の大地を切り裂き、それを屋敷とその外部とに分断するマトゥミアの「原初的」な性は、また、女性を征服すること、あるいはむしろ女性が征服されること、飼い馴らされた外部としての女性が再び克服されることでもあるかもしれない。ギリアマのマトゥミアをめぐる説話はこの点を強調しているようでもある。ドゥルマの人々は性がこうした意味で、女性の征服でもあるということを表立っては表明しない。夫婦がいつも交わっていることが、屋敷の維持に不可欠であると認めるだけで満足しているようである。しかしこの関係性の軸を認めるとすれば、逆に屋敷内での夫婦の性交に、すでに屋敷に取り込まれ飼い馴らされた外部である「妻」に対して不断に行使される征服の行為であるという側面を見い出すことになるだろう。マトゥミアの性は日常の夫婦の性においては覆い隠された暴力的な性の力を垣間見せるものになる。

 私は少々比喩的に語りすぎたかもしれない。屋敷に外部のものを導入する際には、夫婦の性交は一時停止せねばならない。逆にハンガにおいては夫婦の性交が禁止される。そしてそれを再開する前にマトゥミアが行なわれねばならない。これが我々が見い出したすべてであると言えれば言える。想像上の「境界」やその「修復、再建」について、あるいは始源の「地」としての外部における屋敷の「創出」について語ることはやはり行きすぎかもしれない。しかしあらゆる「関係性」のネットワークは、それについて語られるとき、「物語」の形をとらざるを得ない、語られざる物語なのである。「お話」は入り組んだ関係性が提示される最もありふれた、しかもてっとり早い仕方の一つにすぎない。

 そしてこれは人類学者の語り口でもある。儀礼のなかに見出される諸要素を相互に、あるいはその外の文脈に関係付ける関係性について語るとき、それは、関係性について語るべきより良き言葉の不在の故に、一つの物語によって構造化された比喩の形をとる。中心と周縁の物語や、内と外、男と女あるいは生と死の物語等である。私がここで採用してきたのも、結局はそういう語り口なのだ。しかしここには一つの落とし穴がある。こうして語られた比喩、あるいは物語が儀礼の「意味」あるいは「メッセージ」と取り違えられるとき、儀礼はその社会の基本的なあるいは究極の価値を伝えるコミュニケーションだと誤認されることになる。実際にはそれらは、そこに含まれる関係性「について語ろう」という人類学者の側での特殊な選択によってもたらされたものにすぎないにもかかわらず。

 もちろん儀礼は、それについて語られるためにあるわけではない。それは単に遂行される。関係性は一つの物語として語られるためにそこにあるのではない。それは単に経験をそうした物語と相似の経験として組織するだけである。ハンガにおいて屋敷の人々が隔離され、その存在感を失うのは、屋敷の人々の無力さ受動性を「象徴」しているわけではない。事実彼らを無力で受動的であるしかない存在にしているのである。屋敷の外からやってきた人々の遠慮のない飲み食いや、セクシュアリティの表現は、外部の屋敷へのあつかましい侵入を象徴しているのではなく、事実そうした侵入そのものなのである。そしてこれらすべては、屋敷の成員の死を外部による屋敷の蹂躙として象徴しているのではなく、文字どおりそうしたものとして経験させているのである。こうした形以外に屋敷の成員の死を経験するすべなどどこにもないからである。これらはいずれも、もし語られるならば一つの物語的な構造を反映する比喩の言葉で語られるしかないが、実際には語られず単にそれとしてあるだけである。同様に婚資の山羊を受け取ることは、外部のものを屋敷に導入することを象徴しているのではなく、まさに外部のものを導入することそのものである。それは「外部の導入」として語られることになるが、実際には語られず単にそうされるだけである。

 ある男が木を切り倒している場に人類学者が出くわしたとする。彼はそれを「木を倒している」と記述するだろうが、まさかその行為が「木を倒す」ことを象徴しているとは言うまい。しかしコンテクストの分析を通じて、それが地面から離れた存在(木の先端)を地面に接触させるという特性において、他の諸要素と関係していると発見するかもしれない。とするとその行為は「木を倒す」行為と記述されるよりは「上のものを地面に下げる」行為として記述したほうがよいということになろう。いずれにせよ当の行為のコンテクストに即した、あるいは関係性に即した単なる記述にすぎない。しかし人類学者はおうおうにして、後者の場合、その行為は「上を下にすること」を象徴しているなどと言い出すのである。実際にはその行為は「上を下にすること」そのものなのであるが。

 同様にマトゥミアにおける行為は、「性交」として記述できる以外にも、その関係性に即して語られるとき、屋敷の「地」としての外部における屋敷の創出行為とか、屋敷の性的秩序を再建する行為とか、飼い馴らされるべき外部としての女性の征服だとか、さまざまに記述できよう。そうした記述の当否は当の関係性のみによって判断される。もしマトゥミアの行為が「性交」を象徴すると言うことがおかしいとすれば、こうした記述のうちの他の何を象徴していると言おうと、やはりおかしいのである。それは象徴的行為ではない。

 スペルベルのように「象徴的」なる言葉を関係付けが通常の脈絡でのそれとは異なっているという意味で使用するというのなら別段問題はない。しかしもしそうなら、スペルベルが主張するように「メッセージ」とか「コミュニケーション」については語るのをやめるべきなのだ。この場合象徴は何かを象徴しているわけではない。明らかにこれはきわめて逆説的である。こんな無理までして「象徴」という言葉を保存する必要がどこにあろうか。

死を投げ棄てる目的と方法

ドゥルマの死を中心とする事の成りゆきは、次のような「可能な」物語として語られうるような形で組織されている。

屋敷はそれをとりまく外部の侵入を、飼い馴らされた外部である妻を犯し続けることによって、くい止めている。
夫あるいは妻が死ぬ。
屋敷を守る性の秩序と過程は停止する。死者はこの義務から解放され、屋敷の人々の犠牲のうえに、「外で寝る」ことを喜ぶ。
外部が屋敷に侵入し、屋敷を消滅させる。人々は「死者を喜ばすために」これに耐えねばならない。
しかし人々は反撃を開始する。今や全体となった外部のまっただ中で、仮面を脱いだ暴力的な性によって、女性は征服され、屋敷と外部の境界がうち立てられる。
人々は再び各々の妻を相手に屋敷の性的秩序を再建していく。

もちろんこれは唯一可能な物語ではない。マトゥミアを中心にして広がる関係の網をたぐりよせたところに見て取れる関係性の一つの可能な構造にすぎない。既に指摘したように、別のところでは、強引に「死者の死への誕生」として語りうるかもしれない物語が見え隠れしている。また特に指摘しなかったが、墓を掘った道具の処理や、親族の水浴びなどに関係して、死を時間・空間的に囲い込み、その痕跡を一気に消し去る物語や、山羊の供犠によって印付けられる「死者の祖霊化」の物語として語りうるような事の成りゆきもある。

 これらはいずれも物語としては語られない。語られるためのものではない。「もしそれについて語るとすれば」こうした「物語」として語ることができるかもしれない「関係の網状組織」は、語られないばかりか、見てとられることを目指して提示されているのだとさえいえない。それは単にそういう形で人々の行動を組織しているだけのことである。それは構成的規則を通じて、有無を言わさず行為をそうした仕方で組織する。儀礼とはそもそも、単に「しきたり」として盲目的に従うことも可能であるような行為なのである。

 しかしマトゥミアのような「並みはずれた」行為は、さもなければ盲目的に規則に従っている人々の目を覚まさせるのに充分であるかもしれない。事実マトゥミアは「秘儀」あるいは簡単に口外すべきでない問題・秘密 maneno ga siri であるとされ、人前で話題にするには猥褻で不適当な話 maneno ga hakana であるとされているわりには、けっこう話の種になっているのである。さもなければどうして私のような異邦人がとっくにそれを知っているというのだろう。

 人がその手順、規則に無感動に盲目的に従っているだけであれば、儀礼が行なわれることによって何かが起こると期待するほうが無理というものであろう。しかしもし人々が、ムセゴを歌うあるドゥルマの女性が言ったように、なかば驚きかつ当惑しつつそれに従っているのだとすれば、あるいは面白がりつつそれに従っているのだとすれば、我々はそこでは何かが起こっているのだと期待してよい。

 ハンガを通じて人々は屋敷の成員の死を、まさにハンガをとりしきる規則がそうと決めた形で経験させられる。むしろそうした規則に当惑しつつ従うことを通じて、人々は屋敷の成員の死を経験するとはどういうことであるかを知らされるのだと言ってもよい。しかしその経験は、同時にそれを死が生じる以前の、あるいは死とは無縁の日常と特殊な形でいやおうなく関係付けるような仕方で組織された経験でもあるのだ。死とは無縁の日常の姿は、いわばこの死の経験に照らされるような形で、思いがけない姿をとって現れる。それは死によって停止し、マトゥミアによって再開されるような性の秩序なのだ。

 身近な人間の死は我々の社会においてさえ、その死者が生きていたときには何げなく受け入れていた、彼とともにあった日々の暮しの姿を思いがけない照明のもとに浮かび上がらせる。死はすぐれて物語的な契機なのである。それは死によって終りを告げ、二度と取り返しのつかない日々として現れるかもしれない。死がまさに結末となる一つの物語として経験が組織されているのだと言えるかもしれない。儀礼が制御しようとするのは、こうした経験の組織化がとるべき形である。ドゥルマの死の儀礼は、死と無縁な日常を、二度と帰ってこない日々としてではなく、再生可能な秩序として経験させる。人々は、けっして語られることのない、そしてもし物語として語られるとにわかに嘘っぽいものとなる一つの物語を単に生きさせられるのである。語られないもの、単に経験されているもの、自分の経験に他ならないものに対して、人は異議を申し立てることなどできない。

 ドゥルマの死の儀礼、死を投げ棄てる儀礼には目的がある。しかしその目的は、まさに当の儀礼が遂行されることを通じて、人々が当惑しつつ一つの物語を受け入れさせられ、それを生きさせられることを通じて、はじめてその姿を現わすのだ。それは「死を投げ棄てる」ことであると語られる。しかし「死が投げ棄てられる」という事態がどういう事態からなっているのかは、その儀礼を遂行することのみを通じて経験され、それと知られるのである。その目的は最も能のない比喩を使えば、「日常性への復帰」だということになろう。しかしその「日常性」は、死に先立って経験されていた単なる普段の暮しではなく、儀礼の物語を生きることを通じて思いもよらぬ姿で捉え直された日常性、性の秩序としてとらえられた日常性なのである。ここでは手段は目的に対して適合的であるしかない。ちょうど繰り返し振り下されるハンマーが、打ち込まれるべき釘を期待させるように、手段が目的を、自らのかなたに現出させるのである。

 儀礼は構成的規則に従う行為である。しかしそれはゲームに見られるような完全な自閉性をもっていない。それは外部の日常性と、しかも儀礼の遂行を通じて姿を現わす日常性と接続している。儀礼のなかの出来事や行為は、それらが普段置かれている関係性の網の目から、なかば引き剥がされ新しい関係性を設定しているが、まさにそれを通じて普段の関係性の網の目を改変し、そこに意外な形で出現する日常性のなかに人々を送り込むのである。

儀礼の死

 こうしたことを首尾良くなし遂げている限りにおいて、生きている儀礼はすぐれてイデオロギー的な装置であるといえる。物語として語られてしまうと、あるいは荒唐無稽なものとして、あるいは根拠のない臆説として異議にさらされるかもしれない、出来事相互のあいだに強引に引かれた関係付けは、けっして語られることのない物語として単に生きられ経験されることによって、一切の異議を受けつけないものとなる。マトゥミアを行なうことを通じて、ただ漠然とのみ義務あるいは責任として感じられている夫婦の性交が晒されるかもしれない問い、普通は問われることも答えられることもない問いに、前以って答えが与えられてしまうのである。かくして夫婦の性交に義務や責任をうすうすとではあれ感じることは、きわめて「自然な」ことだということになる。

 死を投げ棄てなければ、屋敷には次々と死が訪れるであろう。そして死を投げ棄てるためにはしかじかのことを為さねばならない。なぜならそのしかじかの行為を為すことが、そもそも「死を投げ棄てる」ということだからである。かくして、構成的規則に従う行為一般がそうであるように、ここには一切の逃げ道はない。そして人々は「死を投げ棄てる」という目的が具体的にはどのようなものであるかをはっきりとは知らぬまま、ハンガを経験し死を投げ棄てる。そしてそのとき事実死が投げ棄てられたのだと知るのである。

 しかし一方で儀礼を、きわめて効果的なイデオロギー装置としているこの同じ特性、「構成的規則に従う技術的行為」という一見ありえない組みあわせが、イデオロギー装置としての儀礼の死をも準備している。隠喩はつねに死んだ隠喩 dead metaphorとなる運命にある。そしてどの社会にも、隠喩を隠喩として受け入れることができず、何が何でも「字義どおりの表現」に言い直さねば気がすまない馬鹿や、隠喩を字義どおりにとってしまう馬鹿がいる。儀礼の目的の隠喩性が失われるとき、儀礼はまさに構成的規則に従う行為というその特性の故に、目的との連関を失い、「意味のない形式性」に転落する。

 もちろんそうした状態にあっても、無意味であると知りつつ儀礼が遂行され、儀礼が張りめぐらした関係性の網の目に人々を首尾よく捕え、かくして人々がその語られることのない物語を生きてしまう限り、儀礼はなおその効果を発揮し続ける。しかし、再生産されるべき秩序そのものが外部の暴力によって既に失われ、あるいは人々が自らの行為に対する感受性を失い、儀礼が、まさに構成的規則に従う行為であるというその特性故に可能となることであるが、単に規則として無感動に盲目的に従われるとき、それは物語として人々の経験を組織する力を失うだろう。儀礼が設定する関係性の網状組織は、もはや生きられない。それは解読されるべきもの、見て取られるべきもの、そして語られるべきものとなる。儀礼は観賞の対象、単なる見世物となる。そして今や儀礼の物語は、物語として語られ、かくして誰が発したわけでもなく、また誰が受けとるわけでもないメッセージとなる。誰もが儀礼を観賞し、その「象徴性」について語り始める。彼らこそ儀礼の最後の殺害者である。


補論:日常的な性が置かれる関係性を意味の四角形の理論で呈示すること

上記の草稿と並行して、おそらくそれより先に刊行されることを 予想して書いた草稿。結局まだ刊行されていない。

ドゥルマの儀礼的性交と性の秩序

序論

 ベイトソンが言うように、儀礼は「枠付けられた」現実を構成する。つまりその内部において見られる諸行為は、儀礼という枠の外において見られる同様な行為と明らかに関係があるが、枠の外でそうした行為が関係付けられるものとは必ずしも関係付けられていない。儀礼的に誰かと性交することも、なるほど性交には違いない。しかし儀礼の外の日常のコンテクストでは性交は、性愛、生殖、その他諸々の要素との関係のなかでしか現れない。儀礼のなかでの性交はそうした形では、普段の性交が関係付けられているものとは関係付けられていないのである。かくして、それは性交ではあるが同時に単なる性交ではないという特殊な性格を帯びることになる。

 本稿では、ケニア南東部に住むドゥルマにみられるマトゥミア matumia と呼ばれる儀礼的性交をとりあげ、それが屋敷 mudzi/ 外konze というドゥルマの世界観の一つの軸に関係しており、性の秩序としての屋敷を再認する行為となっていることを示すと同時に、それが儀礼の枠の外における性交と構造的な関係に立っていることを示そうと思う。

民族誌的背景

 ドゥルマはケニアの南東部クワレ県に住むバントゥ系農耕民で約十五万の人口をもつ。彼らは一夫多妻婚を基礎とした、通常三世代からなる拡大家族によって構成されたムジ(屋敷 mudzi) に分れて暮している。二重単系出自を認め、各人はウクルメ ukulumeと呼ばれる父系クランとウクーチェ ukuche と呼ばれる母系クランの双方に所属する。今世紀の半ば頃までは相続も両系をたどり、土地や農具、武器などは父から息子へと相続され、家畜その他の財産はすべて母の兄弟から姉妹の息子へと相続されていた。今日では相続は父系のみとなり、ウクーチェは殺人の賠償を受けとる権利とそれを支払う義務のみにおいて機能している。十四ある父系クランは七つずつの半族に分れ、各クランはその内部で「戸口 muyango」と呼ばれる最大リニージと「家nyumba」と呼ばれる四〜五世代の深度をもつ小リニージに分節している。小リニージはさらに多くの屋敷mudzi に分れ、この屋敷が経済的、社会的な基本単位を構成している。

屋敷とその外部

 屋敷mudzi はコスモロジカルにはその外部であるブッシュ(konze or weru)と対立するものである。屋敷はブッシュを切り拓いて作られる。しかし完成した屋敷の内にブッシュのものが入り込むことは不吉なしるしと考えられている。カメレオンやムココと呼ばれる蛇が小屋のなかで見つかること、オオアリクイが小屋の近くで鳴くこと、ある種の鳥や猿が屋敷内の木の上にとまること、ブッシュの獣が屋敷内に迷い込むこと、こうした出来事はいずれも屋敷の人々に死が訪れる前兆と考えられており、特別な儀礼を必要とし、時には屋敷をそっくり移転させる必要すら生じるとされている。

 屋敷mudzi と、ブッシュに代表されるその外部konze の対立は、ドゥルマの生活のさまざまな側面において重要な対立の軸を提供している。しかし、外部 konzeと対立する屋敷の秩序が具体的に何であるかは、人々が行なう儀礼的性交、マトゥミアのコンテクストを分析することを通じて、最も明瞭に見て取ることができる。最初に儀礼的な性交とはどのような行為であるのかを具体的に示しておこう。

儀礼的性交のいろいろ

 儀礼的性交−マトゥミアmatumia −はさまざまな機会に行なわれる。それは夜間、ブッシュあるいは地面の上で行われる無言の性交である。それは余計な時間をかけずに手早くなされねばならず、また射精も一回きりでなければならない。性交を済ませた後に、羊の胃壁の一部を成分に含んだ呪液によって身体を洗う必要がある。

 マトゥミアは多くの場合、第一夫人を相手に行われる。しかしマトゥミアの原則としては、それは「誰を相手に行ってもよい」ということになっている。実際、屋敷の成員の死に引き続いて行われるマトゥミアにおいては、考えうる限り最も雑多な人々のなかから相手を選んでよい。妻に死なれた夫は、他に夫人がいれば彼女を相手に行うが、そうでない場合、他部族の女性や、町の売春婦を相手に行なうことも普通である。

 マトゥミアの結果妊娠するという可能性は問題とされない。それはありえないことだと見做されているが、あえてその可能性を指摘してみせることは、人々を当惑させるのに充分である。

 こうした規則は、儀礼的性交、マトゥミアをさしあたって通常のコンテクストにおける性交と区別させるものとなっている。通常の性交は、当事者どうしの親密な感情の表現、性欲の充足、生殖などと結びついている。それに対し、儀礼的性交は、まず無言である点で、親密さの表現がそこでは原理的に禁じられているばかりでなく、時間をかけず射精も一回きりであることが要求される点で、性に伴う快楽の要素からも切り離されている。またマトゥミアの結果妊娠する可能性が表だって否定されている点で、それは生殖との結び付きも拒絶されている。それは単なる普通の性交ではない何かなのである。

 マトゥミアが行なわれる機会には次のようなものがある。

 息子が結婚に際して、妻を屋敷に連れてきて一緒に暮し始めた日。その日、父とその第一夫人は一晩性交抜きに同じベッドで眠り、次の晩二人で無言のマトゥミアを行なう。この行為は「子供を産む kuvyala mwana」と名付けられている。その後、父はその第二夫人以下と、毎晩一人ずつ通常の性交を行ない、すべてが済むと、そこで初めて息子はその妻と寝ることが許される。このマトゥミアを怠ると息子夫婦には子供が育たないと信じられている。

 夫が新しい妻を屋敷に連れてきたとき。まず第一夫人と性交ぬきにベッドをともにし、次の夜小屋の床の上で無言の性交、マトゥミアを行なう。その後順番にすべての夫人たちと通常の性交をもった後、夫は新しい妻と寝ることができる。これは「妻を産む kuvyala muche」と呼ばれている。

 屋敷の移転に際して。移転先が決まると、夫は第一夫人とともにそこに赴き、ブッシュの中の小屋を立てる予定の場所、特に小屋の主柱 mulongohiを立てる予定の地面の上で、一晩、性交ぬきで眠る。次の夜、二人は同じ場所で無言のうちに手早くマトゥミアを行なう。これが済むとブッシュを拓いて、屋敷をそこに作る作業を開始してよい。これは「屋敷を産む kuvyala mudzi」と呼ばれ、これを怠ると屋敷に死が訪れることになる。

 屋敷の畑を拓くとき。まず夫と第一夫人の二人だけで畑になる土地に行き、作業を開始する。その晩は、二人は背中合わせに(性交ぬきに)寝る。次の日、再び二人だけで畑仕事をし、その晩小屋の床の地面のうえでマトゥミアを行なう。これが済むと次の日から、畑仕事には他の妻たちも加わってよい。これは「畑を産むkuvyala munda 」といい、これを怠ると作物が育たない。

 婚資の受けとりに際して。娘が結婚し、婚資の一部「主柱の山羊mbuzi ya mulongohini」が支払われた日、父と第一夫人は山羊たちを小屋の主柱につないで一晩寝かせ、本人たちは性交抜きに眠る。次の晩、二人は主柱の下の地面のうえでマトゥミアを行なう。これは「財産を産むkuvyala mari」と呼ばれ、これを怠ると屋敷の家畜の群が減少する。

 新たに山羊や牛を購入したときにも同様にマトゥミアが行なわれる。これも「財産を産む」と呼ばれている。

 息子が働いて得たサラリーをもって帰ってきたとき。父はその金を小屋の中で一晩「寝かせ」、自分たちは性交抜きに眠り、次の夜マトゥミアを行なう。この行為は「金を産むkuvyala pesa」と呼ばれ、これを怠ると金がなくなるという。

死の儀礼におけるマトゥミア

 マトゥミアのなかでもとりわけ重要なものが、死の儀礼に関連して行なわれるそれである。それは埋葬後に数日間催される服喪の儀礼、ハンガhanga が終了したのちに行なわれる。夫に先立たれた未亡人は、長老の指示に従ってブッシュの特定の木の下、あるいは道の別れ目に行き、その地面の上で、長老によって選ばれた若者を相手に、無言のうちに性交を行なう。妻に先立たれた夫は、彼の他の妻を相手にブッシュのなかで行なう。他の妻がいない場合は相手は誰でもよく、しばしば町で売春婦を相手に済ませることもある。子供が死んだ場合には、その両親が行なえばよいとされている。これらのマトゥミアは「死を投げ棄てるkutsupha chifo」と呼ばれており、これを怠ると屋敷の人々に引き続き死が訪れると考えられている。

 ハンガ−服喪の期間中、屋敷の人々および死者の近親者のあいだでは夫婦の性は禁じられている。マトゥミアが済んだ後、厳密に年長順に従って、一晩に一人ずつ夫婦の性を再開していき、すべてが済んだのちに普段の生活が戻ってくる。

 夫婦の性が禁じられているハンガの期間を通じて、屋敷はいわば消滅し、その空間は外部によって席捲されている。屋敷の人々は一切の活動を停止し、やって来た人々と直接口をきくことは許されない。弔問客たちは、屋敷の人々が座るマットに腰かけたり、彼らを指さしたり、じっと見つめたりしてはならない。料理は男女別々に戸外でなされ、またベッドの使用も禁じられている。人々は外の地面のうえにマットを敷いて、そこで寝泊りする。やって来た人々は埋葬を済ませてしまうと、楽しく大いに飲み食いし、「死者を喜ばせる」ために、あからさまな性に対する言及を含んだ卑猥な歌や踊りを、屋敷の庭で夜毎催す。

 露骨な猥褻性の表現は、ドゥルマのハンガ−服喪の期間を特徴付ける最も顕著な特徴であり、逆にこうした機会にのみ許された行為である。それは死者に対して捧げられた性である。ハンガは死者にとっては「最後の婚礼harusi ya mwisho」のようなものだと人々は語る。死者に向って解き放たれたこの「外部の性」は、屋敷の人々にとっては、屋敷に対する外部の侵入に他ならない。屋敷の人々は「死者に悲しみを示す」ために、こうした一切に「耐え」ねばならない。屋敷の空間は、外部の人々によって儀礼的な乱痴気騒ぎが演じられる外部の空間と化し、屋敷の人々はそこでは居ながらにして、あたかも不可視であるかのような存在と化しているのである。マトゥミアがそうした状況に終止符をうつことになる。

儀礼的性交のコンテクスト

 さまざまな機会に行なわれる儀礼的性交マトゥミアは、いずれも一つの共通したコンテクストを有していることがわかる。ブッシュまたは地面の上で行なわれる、一回だけの射精をともなうこの無言の性交の前には、必ず夫婦の性が一旦禁止されている。そしてマトゥミアの後に、それは決った順番に従って、少しずつ再開されている。

 マトゥミアが行われる状況は、すべて何らかの点で危険な状況だと考えられている。マトゥミアを怠ると、屋敷に死が訪れたり、子供が育たなかったり、家畜が死んだり、作物が育たなかったりといった結果が引き起こされるのである。

 この状況は、屋敷 mudzi/外部 konzeの対立に関係した状況である。息子の嫁を屋敷に迎えること、新しい妻を迎えること、ブッシュであったものを屋敷に作り変えること、ブッシュを拓いて畑を作ること、婚資を受け取ること、家畜を購入したり、サラリーを受けとったりすること、これらはいずれも、屋敷の外部のものを屋敷のなかに導入するという状況である。死に続く服喪ハンガの期間、屋敷はいわば消滅し、外部の侵入にまかされている。

 とすると、いくつかの関係をここに読み取ることができよう。すなわち、儀礼的性交は屋敷への外部の侵入あるいは導入という状況によって要請される行為であり、この状況が屋敷にとって危険な状況であると見做されていること。儀礼的性交がこうした状況に終止符を打ち、外部との対立として捉えられた屋敷の秩序を回復させるものであること。一方屋敷への外部の導入あるいは侵入は、夫婦の性の停止と関係付けられている。それが停止すると外部は侵入し、逆に外部を導入する際にはそれを停止させる必要があるというわけだ。マトゥミアの後に行われることは、こうして停止させられた夫婦の性を、順序を追って再開することである。

 外部に対する屋敷の秩序が、夫婦の性と密接に関係していたものであることがわかるであろう。

屋敷と性の秩序

 屋敷の秩序が同時にその内部での性の秩序でもあることは、ある意味ではあまりにも当然のことでもあるので、表面的な観察においては、しばしば看過されがちである。

 男がもつ複数の妻は、屋敷内に各々別の小屋を与えられる。小屋の内部は、入口から見て左に炉と穀倉が設けられ、右側にベッドが置かれている。小屋はすぐれて私的、性的な空間と考えられており、男女が二人きりでそこにいることはただちに性交と結びつけてとらえられる。一人の妻の小屋の穀倉には、彼女とその許しを得た彼女の娘以外、他の僚妻も夫も息子も入ることはできない。

 息子たちは幼いうちは母と同じ小屋で寝起きするが、思春期をすぎると各自自分の小屋をたてて暮す。未婚の息子たちは屋敷の外で女性と性関係をもつことは許されているが、たとえ自分の小屋をもっていても、屋敷内で性関係をもつことはできない。彼が自分の妻となる女性と屋敷内で性関係をもてるようになるためには、既に述べたように、父がマトウミアを行なうのを待たねばならない。

 父子や、兄弟が互いに相手のベッドや寝具を使用すること、とりわけ性交の目的で使用することは、一種の近親相姦 maphingani と考えられており、厳しく禁止されている。

 屋敷を移転する際に、小屋は屋敷の長の第一夫人の小屋から順番に、厳密に順をおって立てていかねばならない。自分より下位の僚妻や、あるいは弟がすでに小屋を立て終えた後に、上位の妻や兄が小屋を立てることは、屋敷の人々のあいだに死をもたらすと考えられており、禁止されている。このような場合下位の僚妻や弟に先んじられた妻や兄は、その屋敷に加わることを諦めるか、後に見るように、近親相姦の際と同様な治療儀礼を行なった後、既に立てられた小屋をすべて壊し、全員でもとの屋敷に戻って、再び一から屋敷の移転をやり直さねばならない。

 つまり屋敷は、相互に区分され、序列付けられた性の空間、夫婦の性のみがそこでは営まれるような空間として、組織されているのである。それらの区分や序列を混同することは、屋敷の人々を危険に陥れ、近親相姦のような他の性の秩序の乱れに対するのと同じ処置が必要とされることになる。

夫婦の性と屋敷の秩序

 屋敷の秩序は外部の混沌との対立のかたちで外から規定されていると同時に、性の秩序として内的にも規定されていることがわかるだろう。それは夫婦がその性の営みをとどこおりなく遂行することのなかに見てとられる秩序である。夫婦の性には、文字どおり、屋敷の秩序の維持という積極的な意味が与えられているのである。

 ドゥルマはしばしば「妻をないがしろにすると屋敷を駄目にする kala uchikosera mu-chetu, udzibananga mudzi」と語ることによって、夫婦の性が、結婚をつうじて獲得される権利である以上に、それをつうじて引き受けねばならない義務である点を強調する。それは日本風の言い方をすれば、まさに「夜のお勤め」ということになるが、この義務はけっして夫婦の一方が他方に負うという形での義務ではない。もっとも夫婦の性のこの「強いられた」側面は、相手の満足を知らない性欲に帰せられることもある。しかし彼らがしばしば冗談めかして語るこの「理由」は、実際には男女ともが同じ説明をもち出してくるという、まさにその理由で、夫婦の性交の義務の真の理由とはなりえないことを、自ら露呈している。それが義務であるとすれば、それは文字どおり屋敷の秩序に対する義務なのである。

 しかし屋敷の秩序は、同時に、屋敷の外部を排除することによって成立する秩序でもある。したがって夫婦の性の営みが、そこにおいて性の秩序としての屋敷の秩序があらわれる行為であるというばかりでなく、それを通じて屋敷の外部が排除される境界維持行為でもあるということも、何ら驚くにはあたらない。かくして屋敷に本来外部に属するものを導入する際には、夫婦の性がそれを排除してしまわないように、それは停止させられるべきであるし、死によって死者が夫婦の性の営みの義務から解放され、屋敷に流入してきた外部の性、おおっぴらな猥褻性を満喫しているハンガ(服喪)の期間においては、屋敷内の通常の夫婦の性は禁止され、屋敷は外部の侵入にまかされることになるのである。

 夫婦の性の禁止に続いて行われる儀礼的性交、マトゥミアは、こうしてほころびの生じた、あるいは解体した屋敷の秩序が新たに再建されるために必要なステップとして位置付けることができる。マトゥミアののちに屋敷内の夫婦の性の営みが、決った順序に従って着実に再開されていくことを通じて、屋敷は再び秩序を獲得する。

 しかしこの秩序の再建が、なぜ夫婦の性そのものとは異質なしかじかの特徴をもつ儀礼的性交によって、そもそも始められねばならないのか、という点に関しては、さらに説明を要する。

マブィンガーニ(近親相姦maphingani)

 屋敷のなかでの夫婦の性が、外部に対立するものとしての屋敷の秩序と密接な関係にあることを見てきた。しかし一方において、夫婦の性関係は、他の異常な性関係、とりわけ近親相姦および婚外の性関係に対して相互に対立関係にたっている。

 ドゥルマ語で近親相姦にあたる言葉はマブィンガーニmaphinganiである。マブィンガーニとされる関係には、もちろん互いに近親関係にある男女の性関係も含まれるが、単にそれらのみに限定されてはいない。それは一人の異性との共通の性関係によって媒介された、互いに近親と見做される者どうしの関係に言及する場合もある。例えば互いに兄弟あるいは親子の関係にある二人の男性が、一人の女性(あるいは互いに母子、姉妹の関係で結ばれた二人の女性)を性関係の相手として共有してしまったとすると、それもマブィンガーニである。

 マブィンガーニが犯されると、屋敷の人々にはキティーヨchitiyo と呼ばれる災厄がふりかかる。深刻な場合には、それは人を不具にしたり、発狂させたりする。あるいは死産や、異常児vyoni の出産という形で表れることもある。家畜の死やトウモロコシの不作もキティーヨでありうる。それはマブィンガーニの関係をもった特定の誰某のみを襲うというよりも、屋敷の成員に無差別に襲いかかる災厄だとされている。またいかに軽いマブィンガーニであれ、マブィンガーニの相手が見舞いにくると、病人の病いは悪化し死に至ると考えられている。

 兄弟や父子が、互いに気付かぬうちに、同じ女性(例えば売春婦)と性関係をもってしまったような場合などは、兄弟や父子のうち一方が病気になった際に、他方が見舞いに来た結果病気が悪化したことで、人々がそうした関係にあらためて気付くことがある。

 実際の性関係を一切含まないマブィンガーニもある。例えば同性の親子、兄弟が、相手のベッドや寝ゴザ、シーツなどを使用することは、とりわけそこで性交渉がもたれるなら、マブィンガーニである。またこうした近親者の衣類、とりわけ腰巻きを洗濯しないで借用することも、同じくマブィンガーニであるとされる。こうしたケースは、一つ一つはとるにたらない行為であるが、それが累積すると異常児の出産のようなキティーヨに結びつく。

 ドゥルマはマブィンガーニの行為をほのめかすのに、しばしば「混じりあうkutsanganyika 」といった言い方を用いる。しかし誤解してはならない。母と息子が性関係をもってしまった場合、それによって「混じりあう」のは母と息子ではなく、父と息子なのだとされるのである。同様に、例えば親子や兄弟が町で同じ女性と性関係をもってしまうことは「外で混ざりあうことkutsanganyika konze 」と呼ばれる。災厄キティーヨは当の売春婦のうえには及ばず、もっぱら「混じりあった」屋敷の人々のうえにのみ及ぶ。また寝具の無断借用のようなケースが累積した状態はマクシェクシェmakushekusheと呼ばれるが、これも「混ぜこぜ」という意味をもった言葉である。

 夫婦の性が、性の行為あるいは性の対象との関係における差異によって組織された屋敷の秩序を、再生産するものであるとすれば、近親相姦、マブィンガーニはこうした差異を破壊し混ぜこぜにすることによって、屋敷の秩序を内側から脅かす反秩序的な性行為だということになる。

 夫婦の性が、しかじかの相手と性交すべしという義務によって特徴付けられているのに対し、マブィンガーニはしかじかの相手と性交してはならないという禁止によって表明される。夫婦の性がポジティヴに強制された性であるとすると、近親相姦はネガティヴに強制された性である。出産に関して言えば、夫婦の性が正常な出産を導くのに対し、マブィンガーニは異常児の出産を導く。両者は一貫した対立の関係にある。

婚外交渉

 夫婦の性と別の形で対立関係に立つのが、婚外交渉である。これはドゥルマ語で、「外あるいはブッシュで寝ることkulala konze, kulala weruni 」と呼ばれる。こうした交渉の相手はしばしば「外の妻muche wa konze」「ブッシュの妻muche wa weruni 」と呼ばれる。「外で寝ること」に含まれる強姦や姦通は、もちろん反社会的な行為と考えられている。しかしそれ以外の形であれば、結婚前の若者が「外で寝る」ことは大目に見られているし、ごく普通のことである。しばしばそれは実際の結婚への先駆けとなる行為である。しかし既婚の男女にとっては、それは屋敷を危険に陥れる行為となる。妻の妊娠中に、あるいは出産後子供がひとりで歩くことができるようになる以前に、仮りに夫あるいは妻のいずれかが「外で寝る」、つまり浮気をすると、生まれてきた子供は衰弱し放置すればやがて死に至ると信じられている。これは「子供を凌ぐことkuchira mwana 」と呼ばれる。生まれてきた子供が弱く、うまく育たないとき、憑依霊など他の原因によるものでなければ、それは例外なく、両親の浮気のせいであると見做される。

 また前以って適切な予防措置を講じていない場合、夫婦のいずれかが「外で寝る」と、それは牛の群に悪影響を及ぼす。極端な場合には牛の群は全滅するかもしれない。これは「牛を凌ぐkuchira ngombe」と呼ばれる。

 「外で寝る」行為はこのように屋敷を危険にさらすのであるが、にもかかわらず、それは性の喜びに直結した、社会的な拘束の外にある自由な行為としてもとらえられている。それは夫婦なら断念せねばならない純粋に性の快楽に向けられた行為なのである。

羊の供犠

 屋敷の秩序を危険にさらすこうした禁じられた性関係によってもたらされた災厄は、羊ngonziを供犠することによって取り除くことができる。

 近親相姦が問題である場合、羊は小屋あるいはマブィンガーニを犯した者の周囲を、左回りに七回引き回され、生きたまま腹を切られ、胃の内容物ufumbaが取り出された後に屠殺される。胃の内容物は他の木の根などともに、呪液vuo の成分として、二つに割られたヒョウタンに入れられる。これに向かってすべてを告白した後、全身に呪液を塗布することによって、キティーヨは取り除かれる。この儀礼はクボリョリャkuphoryorya と呼ばれている。

 屠殺される羊の数はケースの深刻さによって変り、深刻なあるいは累積したマブィンガーニの結果に対しては、最大八頭の羊が屠殺される。一方、軽い場合には、羊は屠殺されず、羊の胃壁の一部を含んだ呪液の塗布、あるいは羊の胃壁の一片を護符として身に着けるだけで充分だとされる。

 羊の供犠は、山羊あるいは牛の供犠と区別され、もっぱら屋敷の秩序=性の秩序の乱れとの関連においてのみなされる。羊の供犠、あるいは羊の胃壁の呪薬としての使用は、マブィンガーニ以外には、寡婦の相続(これは本来マブィンガーニとされる関係を含む)、「外で寝ること」の結果として生じた子供の衰弱の治療、「牛を凌ぐこと」の治療、服喪の期間中の性の禁止の違反に対する治療、小屋の建造順の乱れを矯正する際の治療、一言で要約すれば、相互に区別された性の秩序としての屋敷の秩序の乱れと、その結果の矯正に限られているのである。

 既に触れたように、儀礼的性交、マトゥミアの後に用いられる呪液にも、羊の胃壁の一部が使用されている。これは私の知る限り唯一の例外とも言える使用例である。しかしこれは逆に、儀礼的性交が、屋敷の秩序を維持する夫婦の性交とは異なる、屋敷の秩序の外部に位置付けられた性交であることを物語っているとも言える。

性の三角形

 レヴィ−ストロースの料理の三角形にならって、ドゥルマにおける夫婦の性、近親相姦、婚外交渉が、相互の対立によって組織された性の「基本三角形」を構成していると言ってもよいかもしれない。近親相姦と婚外交渉は、夫婦の性が否定される二つの形態を表わしている。前者と後者は各々、屋敷の内部と外部に対応する。

 夫婦の性が特定の相手(夫および妻)との義務付けられた性交であり、近親相姦は特定の相手との禁じられた性交であるのに対し、婚外交渉においては、特定の誰かとせねばならないという規則はない。それは夫婦の性との矛盾においてのみ、禁じられた性となる。 夫婦の性は、外部を排除し、屋敷内の性の秩序(差異の体系)の維持にかかわるのに対し、近親相姦は屋敷内の性の秩序を混同し、差異を消去する。これに対し、既婚者によって行なわれる婚外交渉は、本来屋敷内に限られるべき「既婚者の性」を外部にまで広げてしまう。それは親子、兄弟が「外で混じりあうkutsananyika konze」危険を用意する。屋敷の外部に、その混同が屋敷を危険にさらすような差異が引かれてしまうのである。それは屋敷の秩序を「凌ぐkuchira 」。

 夫婦の性が正常な子供の出産を導くのに対し、近親相姦は異常児の出産を導き、婚外交渉は既に出産した、あるいは妊娠中の子供の出産後の成長を異常にする。

 以上をまとめると次の図(図1)が得られる。

			夫婦の性:秩序の肯定
			          義務的(肯定的命令)
			          
			          

   近親相姦:秩序の破壊			婚外交渉:秩序の無視
             禁止(否定的命令)                   規制の欠如

 ところで儀礼的性交、マトゥミアはどこに行ってしまったのであろう。あきらかにそれは、この三角形のいずれの項にも属さない。 ドゥルマの性の基本三角形は、相互に媒介不可能な対立について語るものである。まさにこの理由で、三角形はすでに成立した完結した性の宇宙について述べるものではあっても、他ならぬ混沌のなかでの秩序の創出について思惟するにはきわめて不適切なモデルしか提供できない。三角形の三つの頂点は、そこに第四の点を付け加えることによって流動化する。儀礼的性交、マトゥミアはまさにそうした第四の点なのである。

性の四角形と儀礼的性交

 ドゥルマの性の三角形を構成する二つの頂点、近親相姦と婚外交渉は、夫婦の性が否定される二つのやり方に、各々対応していた。 ところで、任意の項に加えられる二種類の対合的な操作involutive operation(同じ操作を繰り返すともとに戻るような操作)のあらゆる結合の可能性は、数学においてはクラインの群Klein group として知られる四点体系によって表すことができる。例えばある数xに対して、符号を変えるという操作と逆数に変えるという操作を考えるとき、そのすべての結合の可能性は、次の図(図2)によって表示することができる。


    X    ---------------  1/X  逆数にする
    |                      |
    |                      |
    |                      |
   -1/X ------------------- -X 符号を変える
   
符号を変えて逆数にする

あるカテゴリーに対して、特定の仕方でそれを否定する操作は対合的な性格をもっていること(つまり否定の否定は肯定であること)に注目すると、任意のカテゴリーを二つの異なる仕方で否定する操作は、三角形で表示されるような三項関係ではなく、必然的に四項関係を含意しているはずだということがわかる。グレマスGreimas の提出する記号学的四角形semiotic square のモデルがこうした関係を表示する(図3)。

    S1  -------------------  S2     S1 / S2  : contradiction
                                    S1 / ~S1 : negation(privative)


   ~S2  -------------------  ~S1    ~S2 / ~S1 : contradiction(reduced)
                                     S1 / ~S2 : implication

 彼のモデルそのものはきわめて演繹的、形式的なものであるが、今仮りに、このモデルにおけるS1 とS2 の関係を、両立しえない特性にもとづく対立とし、Si と〜Si の関係を、特定の特性の有無に基く欠性対立であると考えると、これはカテゴリー間の関係について、我々のよく知っているものに一致する。例えばS1 に「黒」、S2 に「白」をあてると〜S1 には「黒くないもの」、〜S2 には「白くないもの」が、各々くることになる。〜S2 とS1 (あるいは〜S1 とS2 )の関係は、補完的な「含意」あるいは基礎づけの関係であることがわかる。

 このモデルに従ってドゥルマの性の三角形を表示すると図4のようになる。モデルとの完全な整合性はもちろん望むべくもないが、それでもなお、ドゥルマの性の三角形に含まれないモデルの第四項〜S2 が、どのような特性をもった性行為でなければならないかについて、モデルから演繹することが可能である。それは屋敷の外部における秩序の肯定の形態でなければならない。それは近親相姦を特徴付ける特性を欠いており、婚外交渉とは正反対の特性によって特徴付けられるものであるはずである。

          [affirmation of order]              [negation of order]

[homestead: inside]  夫婦の性 S1 ---------------- 近親相姦 S2
          秩序の維持                          秩序の破壊
          強制された                          禁止された
          差異の維持                          差異の解消(混同)
          正常な出産(豊穰性)                異常な出産(不毛)
          
                   マトゥミア ~S2----------------婚外交渉 ~S1
          秩序の創出                          秩序への無関心
          禁止の欠如                          強制の欠如
          差異の創出                          差異の溢れだし
          出産の欠如                          出産後の成長の異常
          性の快楽の否定                      性の快楽の肯定
[bush: outside]

 ドゥルマの儀礼的性交マトゥミアは、外部性をになった場所(ブッシュあるいは地面の上)で行なわれる屋敷の秩序の再建に先立つ行為である。それは誰を相手にしてもよく(禁止の欠如)、子供の出産にはそもそも結びついておらず、当然異常な出産を引きおこさない。それは秩序、差異が未だ存在しないところにそれを創出する。それは一切の親密性の表現を許さず、また性の喜びを与えない点で、婚外交渉の正反対のものとなる。かくして儀礼的性交マトゥミアこそが、このモデルの第四項に来るべきものに他ならないと知れるのである。

結論

 人類学者は、さまざまな文化の表象の世界を、カテゴリー間の対立の体系として記述し語ってきた。と同時に人類学者は、そうした基本的な対立が調停されるさまざまなやり方についても語っている。それはしばしば二つの対立項を媒介する項を一つの頂点にもった三項関係として示されることになる。

 卑近な例で言えば、交通信号の体系において、赤(S2 )は禁止(止れ)、青(S1 )は命令(進め)を表すが、黄色は赤に続くときには禁止の解除(〜S2 )を、青に続くときには命令の解除(〜S1 )を各々意味し、同時に〜S1 であり〜S2 であることによって、命令と禁止の対立を媒介するものとなっている。これは対立が三項関係の中に解消される一つのやり方を示している。

 しかし「現実」が、記号学的四角形の三つの頂点を各々占めるような、そもそも相互に媒介不可能な対立の三項関係として捉えられてしまっている場合、「現実」には存在しない第四項が、現実ならざる場所において構想され創出されることによって、体系は安定をめざすことになる。儀礼はまさにそうした場でありうる。それは日常とは区別される「枠付けられた現実」のなかで、行為を特殊な関係性のなかに提示することを通じてそれを行なうのである。私がこの小論のなかで示そうとしたのはこれであった。

 任意のカテゴリーは、自らの否定をつうじてその特性を明らかにする。それは自らの否定をさらに否定することによって、そのより高次の実現へと向かうと、哲学者たちは語っていなかっただろうか。儀礼はこの弁証法的運動を、現実のなかでではなく、いわば空想の中で遂行する。ドゥルマの儀礼的性交マトゥミアは、夫婦の性の「否定の否定」として構想されたものととらえることができる。しかし、この第四項は、それがまさに現実のものではないという理由で、現実のもとでの調停不可能な対立の三角形に、単にイデオロギー的な閉鎖をもたらし、それを総体として想像的に再認させる以上のものではないことになる。

 そしておそらくは、これこそが儀礼的想像力のはたしている機能なのである。

 この論考は、構造分析の名で知られているすでに手垢のついたアプローチを、ドゥルマの一儀礼に、いささか不手際に適用したものであり、すでにさまざまな形で批判されている、このアプローチに従うことからくる危険をそっくり背負いこんだものとなっている。しかしこうしたダイナミズムを欠いた見取図でも、一つの儀礼を支える世界の姿を、それこそ「想像的に」とらえかえす手助けにはなっているのではないだろうか。

参考文献

Barbut, M.( マルク・バルビュ), 1978,「数学における<構造>という言葉の意味について」マイケル・レイン編『構造主義』研究社出版:457-476.

Bateson, G., 1972, Steps to an Ecology of Mind. New York:Ballantine.

Greimas, A.J., and F. Rastier, 1970,"Les Jeux des Constraintes semiotiques" In Greimas, 1970, Du Sens. Paris:Seuil.