時間と規約性


要旨

このページに置いた一連の議論が一応の完結を見たので、その全体を取りまとめる議論をここに置いておく。全体の結論にあたると考えて頂いてさしつかえない。
前半部分はこのページのそれぞれの論考の論点をまとめて要約している。「秩序と災厄」で扱われた素材の残っていた最後のものが、この論考の中心部分にあたる「息子の結婚順の正しい矯正法」という節である。すでに繰り返しばかりになっている。最後は全体の構想をその出発点であったソシュールの恣意性についての議論と接続して、今後の展望とする。

目次

  1. はじめに
  2. 『儀礼的』な行為の特徴
  3. 比喩的なリアリティ
  4. 比喩的な行為の実行方法
  5. 有縁性の領域
  6. 秩序の可変性
  7. 息子の結婚順の正しい矯正法
  8. 恣意的な秩序の二面性
  9. 引用・参考文献

はじめに

キドゥルマあるいは「ドゥルマのやり方」には一見すると矛盾した二つの顔があるように見える。一つは選択の余地のない必然性の相貌であり、もう一つは偶然的な変化と多様な変異という相貌である。

前者はたとえば、「なまの弔い」の最後に寡夫(婦)による余所者との無言の性交が選択の余地のない行為として語られるときに、それが見せる顔である。なぜそんなことをする必要があるのかという問いは、なぜ死を「投げ棄てる」必要があるのかという、答えがすでに与えられている自明な別の問いにただちに横滑べりしてしまう。もし「投げ棄て」なければ死は屋敷のなかに残ってしまう(「お前はそれをもったままでいる(uchere nacho)」)ので、屋敷の人々は引き続いて死に続けるだろう。配偶者の死は「投げ棄て」られねばならない。このことを納得しながら、なおかつなぜ無言の性交をせねばならないのかと問うことは、まるで物事をまだわきまえていない子供の質問のようにひびく。「お辞儀をする」ことに同意していながら、さらに「でも、なぜ頭を下げねばならないのか」と問うているようなものだからである。死を「投げ棄て」たければそうするしかない。なぜならそうすることが死を「投げ棄てる」ということだからだ。これは根拠づけようのない--恣意的な--、しかしそれであるからこその必然的な結びつきである。理由も何も、げんにそうなのだ、そうすることが死の「投げ棄て」を行なうということなのだ。そう言うしかない。この根源的無根拠性こそが、逆にその仕方でなされてはならないという議論の可能性を封じてもいる。何らかの根拠をあげて、そのやり方が間違っていることを示すことも同じくできない相談なのであるから。

しかし、根拠を問われることもなければ問うすべもないこの結つきにひとたび不確かさが介入してしまうと、逆にこの結びつきは際限ない非決定性にさらされることになる。余所者との無言の性交で本当に「死を投げ棄て」たりできるのだろうか、という問いがひとたび浮上してしまうと、ではどうすれば<本当に>「死を投げ棄て」たことになるのかという、まさに答えようのない問いに人は向かい合う羽目になる。この問いに解が存在しない、つまり「死を投げ棄てる」という言葉は何の具体的な行為にも対応していない無意味な言い回しなのだという結論--この語り口を共有していない者にとってはおそらくは最も正しいと見えるかもしれない結論--だけは問題外である。「死を投げ棄てる」ことだけの問題ではないからである。それは孤立した語り口ではない。「死を投げ棄てる」という表現に意味がないと認めてしまうと、それに関連した他の一連の語り口、屋敷や妻を「産」んだり、事故を「冷やし」たり等々の一連の表現も意味を失ってゆくことにはならないだろうか。それは経験のきわめて重要な部分について語るための語り口を失うことを意味する。「死を投げ棄てる」正しいやり方があるはずだということ、真の解が一つ存在するはずだということが、このゲームの前提条件なのである。際限ない非決定性のまっただなかで、この唯一であるはずの解が、当面する状況の偶然性をとりこみながら場当たり的に再びうちたてられてしまうのを、我々は見ることになる。それは唯一の正しいやり方と主張されるものの、ほとんど予測不可能な変異と変化の可能性を意味している。

言うまでもなく必然性と偶然性というこの二つの側面は密接に関係している。というよりも、それらは恣意的な規約性ということの表裏なのである。一連の考察の結びにあたるこの論考では、これまでの議論のポイントを再度整理しつつ、この点を確認したい。

『儀礼的』な行為の特徴

一連の論考では人類学者が『儀礼』と呼んできたありとあらゆる雑多な行為を、ひとまとめにして論じてはこなかった。そのような一般化が可能であるとも、意味があるとも思えない。『儀礼』というカテゴリー自身は、いろいろ雑多なものを、それぞれ違った理由からそこに放り込むことができる合切袋のようなものである。袋の中身にはたいした共通性はない。重要なのは、『儀礼』という袋そのものについて考えてみようとすることではなく、そこに何かを放り込むときいったいそれのどこに着目しているのかを、そこに何かを放り込みたくなる都度たちどまって検討してみることである。それは『儀礼』とは何であるかという問いに答えを出すことにはならないだろう--もともとそんな答えなどありはしない--が、少なくとも、人間的実践に潜むさまざまな問題点のどこかに確実に焦点を当てていく作業になる。私は一連の具体的な事例をとりあげながら、それらを『儀礼的』に見せる特徴について検討するところから出発した。例えば「なまの弔い」の最終日に行なわれる寡婦(夫)を「巣立ちさせる」という手続きは、--この「巣立ち」を含む「ドゥルマのやり方」全般が--この意味で『儀礼的』であった。

私は当初、それを『儀礼』に分類させる特徴が、そこで行われている行為そのものの特殊な性格にあるというよりは、そこで行われている具体的行為--寡婦に大声をあげさせ走り回らせること--と、それが行われるコンテキスト--配偶者の死にひきつづく一連の出来事--との接合の唐突さであると指摘した。この唐突さはさらに詳しく見ると、そのコンテキストで必要とされている行為と、その行為を行なう特定のやり方との接合の恣意性であることがわかる。一方に、配偶者の死の状況から残された配偶者を離脱させることが不可欠な作業であると納得させるような仕方で、配偶者の死の経験が構築されているとき、その作業--それがまさに「巣立ち」である--を遂行する何らかのやり方が存在していることは、その世界そのものの前提になる。問題はなぜ寡婦を走り回らせたり木によじ登らせたりすることで、その作業が遂行されたということになるのかという点である。恣意性、無根拠性はまさにそこに見出される。そうすることが「巣立ち」なのだから、という答えにならない答え--構成的規則の表現--しかそこにはないからである。

それだけであれば、例えば人と出会った際のコミュニケーションを「挨拶」で始めることも、それを頭を下げるという仕方で行なうことも、きわめて『儀礼的』である--事実それを儀礼と呼びたくなる人も多いかもしれないが--ということになってしまうだろう。しかし「巣立ち」を始めとする「ドゥルマのやり方」に特徴的なのは、行為とそのやり方の結つきの恣意性、無根拠性のみではない。問題となっている行為--例えば当の「巣立ち」という行為--そのもののもつ際だった<比喩性>が観察者の目を惹く。ここ日本の文脈においては「巣立ち」させる、あるいは死の状況から残された配偶者を離脱させるといっても、それがどうすることであるのか私には見当もつかない。そんな行為は私にとってはそもそも存在しない。何をしようとそんなことは出来るわけがないのであり、ましてや寡婦を走り回らせて何になるというのだろう、そんな風に思えてしまう。この事実が私に、この行為に内在する恣意性をますます際だたせて見せている。それらの行為は私には、現実の具体的な行為に置き換え不可能な、何をたとえているのかも定かではない比喩的言い回しにしか見えない。未亡人には翼がないのだから、<文字どおりに>彼女を「巣立ち」させたりすることはできない。ではそれはなにをすることなのだろうか。遂行されようとしている行為のこの「比喩性」の特殊な性格こそが注目に値するのである。

比喩的なリアリティ

一般に比喩というと、ある対象Aを別の対象Bになぞらえたり、たとえたり、見立てたりといった構図を考えることが多い。この場合、Bに見立てられている当の対象Aはこうした見立てとは独立に、それに先だって既に存在しているような対象である。Bにたとえられようと、たとえられまいと、それはAとして既に存在している(註1)。例えば行為の比喩を例にとると、「人の顔に泥を塗る」という言い方は、それが比喩であることが忘れられがちであるとはいえ、あきらかに比喩的な言い回しである。ある仕方で人に恥をかかせること、人の名誉を傷つけること(A)を、顔になにやら汚い物質を塗り付ける行為(B)になぞらえている。それを「人の顔に泥を塗る」行為と呼ぼうと呼ぶまいと、そうした仕方で人の名誉を傷つけること(A)はできる。それはこの比喩に先だって、存在している行為である。

これに対し「巣立ちさせる」とか「屋敷を冷やす」とかいう--同じくあきらかに比喩的な--言い回しは、上のような構図で考えることがむずかしい。「屋敷を冷やす」という場合、何かをする行為(A)を、冷却する行為(B)になぞらえているのだろう。しかしそもそもこのAが何であるのかがはっきりしない。Bという見立てに先だって、それに見立てられるような行為がすでに行われていたと言えるだろうか。「屋敷のまぜこぜを解消する」行為を、冷却になぞらえているのだと言いたくなるかも知れないが、ほかならぬ「まぜこぜの解消」自体が、「冷却」という見立てに劣らずそれ自身比喩的な言い回しである。屋敷がこうむったダメージの修復作業が「冷却」にたとえられているのだと言えば、どうだろう。調査地で流通している語り口のかわりに、我々の語り口を用いるわけだが、比喩的であることには変わりない。「屋敷がこうむったダメージの修復」ということで一体具体的に何を、どんな具体的な作業を意味しようとしているのか、少し考えてみるだけでわかるだろう。互いが互いの言い替えであるような一連の比喩が出てくるだけで、それらの比喩によってなぞらえられ、それらの比喩に先だって存在している当の行為には行きつけそうにない。ではしかじかの植物を揉みこんだ水をそこら中に撒き散らすことが、Aであるというのではどうだろうか。こうした薬水を撒き散らす行為を冷却にたとえているのであると。しかしこれは奇妙である。なぜなら「屋敷を冷やす」という観念がそもそもないときに、この撒き散らしの行為が意味のある行為として遂行されえたとは考えられないからである。それは「屋敷を冷やす」ことにたとえられる行為などではない。それが「屋敷を冷やす」行為なのである。

ここでは比喩は、すでに存在している事態や行為を何かになぞらえる比喩ではない。まさに比喩によって、その比喩によってしか語りえない事態や行為が作り出されているのだと言った方がよい。あえて譬えという意味で比喩という言葉を用い続けるとすれば、それは自らが譬えようとする対象を自らで作り出すような比喩なのであり、おまけに当事者たちにとっては比喩である--何かの譬えであるとか見立てであるとか--とは受け取られず、単に現実的に実行可能な行為として通ってしまっているような比喩なのである。

比喩的な行為の実行方法

一群の構造化された比喩は、単に現実をある仕方で--ある一貫した見立てを通じて--眺めたり経験したりするように人を仕向けるというだけではない。そうした比喩が存在しなかったとしたら存在しえなかったような現実をそこに作り出す。屋敷は「壊し」たり「混ぜこぜにし」たり「冷やし」たり、そこに何かを「据え」たり「産」んだり、あるいはそこから何かを「投げ棄て」たり出来るような何かとして語られるだけではない。まさにそのような現実として存在し、生きられることになる。「混ぜこぜ」になった屋敷は「熱い」あるいは「火のなかに」あるので「冷や」さねばならないのは当然である、こうした論理が現実的な論理として--そこに比喩性などまるでないかのように--語られる。さらにこうした比喩のうちに含まれている論理は、その比喩がなかったとしたら存在すらしなかったはずの諸行為を実行可能な行為として次々に要請するかたちで、比喩のシステムを増殖させていくかもしれない。時間が『節約』したり『浪費』したり、人のために『割い』たり『とっておい』たりできるものであるなら、人に自分の時間を『預け』たり『託し』たり、他人の時間を『預っ』たりもできるということにはならないだろうか、などといった具合に。もしこんな風に時間を一種の財であるかのようにみたてる比喩のシステムが拡張されるとき、それはそれ以前には存在していなかった、時間を『預け』たり『預っ』たりする行為を実行可能な行為として要請することになるだろう。何をすれば時間を『預け』たことになるのだろうか。既存の何かがそうした行為に見立てられるのだろうか、それともそれはまったく新奇な行為として出現するのだろうか。

比喩的な語り口の網の目が、単に既存の何かについての見立てを提供するのに留まらず、その比喩が存在しなければ存在し得なかったであろうような現実を作り出し、またいくつもの新奇な行為を実行可能な行為として要請するものである程度に応じて、一つ一つの比喩とそれに対応する具体的な実行形態との結つきは、ますます恣意的で無根拠であるという性格をもつことになるだろう(註2)。それは一種の新しいゲームが考案されてプレーされ始めるのに似ているかもしれない。たしかにそれらは特定のゲームの中で定められている行為に似ている。『盗塁する』という行為は野球などの特定のゲームの中でのみ存在し、何をすれば『盗塁』したことになるのか、なぜそれが『盗塁』になるのかは、そのゲームにおいてはそうすることが『盗塁』するということなのだ、という構成的規則の表現をもってしか答えることができない。同じように、例えば屋敷を「冷やす」という行為もある比喩的な語り口の網の目の中でしか存在できず、何をすれば屋敷を「冷やし」たことになるのか、なぜそれが屋敷を「冷やす」行為になるのかという問いも、ここではそうすることが屋敷を「冷やす」ということなのだ、という構成的規則の表現でしか答えようがない。

ただしゲームが他の日常的現実とは区別され隔てられた領域、枠づけられた現実のなかで生きられるだけであるのに対して、比喩的な語り口の網の目がからめとり作り出すのは、そこでありとあらゆる生が営まれる日常的現実そのものなのだという点に注意せねばならない。比喩は現実の外に囲いこまれた花壇からではなく、あらゆる生の舞台となる現実のただなかで発芽し、自らの土壌そのものをからめとっていく。よくできた比喩そのものがそなえている呪縛力に負うところのこの日常的現実との癒着とでも呼ぶべき関係が、比喩的な秩序をゲームの秩序とは異質なものにする。それはゲームを特徴づけるあからさまなフレーム付け、明示的な規約性や約束事によってではなく、自然性、自発性によって特徴づけられる。それは自らが創出した現実とその属性をすでに最初からそこにあったものであるかのように、自らは外在する現実とその属性の単なる描写、その見立てにすぎないものであるかのように装うことによってそれを首尾よく成し遂げるのである。しかし、屋敷をめぐる一連の比喩的表現が、屋敷が備えている特徴、さまざまなものをそこに「産」んだり、そこから「投げ棄て」たり、「まぜこぜ」にして「壊し」てしまったり、再び「分け」て「冷やし」たりできるという特徴を描写しているのだなどという説明を我々は受け入れられるだろうか。この一連の比喩的語り口に先だって、これらの比喩が提供する見立てに先だって、屋敷はこうした属性をそなえたものとしてすでに存在していたなどと言えるだろうか。この一連の比喩を生きていない私にとっては、これらの表現が描写する行為や出来事や属性など、もとより経験のなかに見出しようすらない。しかしこれらの語り口に呪縛された者にとっては、世界はまさにそうした特徴をもったものとして対象化されてあらわれる。

比喩的語り口の網の目を構成する行為とその具体的な実行方法との結つきがしばしば構成的規則の表現しかもてないという事実の意味を誤解しないようにしよう。それは両者の結つきが恣意的であり、無根拠であり、単にそういうものとして実践され生きられているということを別の仕方で言っただけのことに過ぎない。もしそのような種類の結び付きを表現するとすれば、それは構成的規則の表現をとることになるということであって、けっして、ゲームの場合のように構成的規則の存在がその結び付きの根拠となっていること、問題の行為が規則に従うことからなる行為であるということではない。実際、「正しさの問題:『悪い死』の冷やし方」で論じたようにこの結つきにおいては、取決めによってあるいは合意によってそうなっているのでは<ない>という点が重要なのである。これらの比喩が描き出している秩序とは、我々が考えるところの<自然>の秩序のように、取決めや合意でどうこうできる種類の秩序ではないからである。ここではそうすることになっている、そういうきまりである、という言明はしばしば規則の存在を指し示しているというよりは、単に自分たちは根拠なく、特別な理由なくそのように振舞うのだという言明とむしろ等価なのである。根拠づけることができようとできまいとそんなことにはお構いなしに有無を言わさず現実そのものとして生きられてしまっている秩序がそこでは表現されている。

比喩的語り口の内部の論理性と比喩的帰結は、ある種の因果性の主張を含んでいる。比喩的語り口にからみとられた者が、出来事の不確定な展開の中にいかにこの因果性を経験的に見てとっていくかについては、「出来事の因果性」ですでに論じた通りである。

有縁性の領域

比喩的な語りのなかで存在する行為とその具体的な実行形態との結び付きは、無根拠で恣意的な結び付きである。しかしこの恣意性に制限を加えるかのように見える有縁性=動機付けの原理も働いている。

一群の比喩的な表現が互いに関連しあって作り上げている網の目そのものが、行為とそのやり方との結び付きを相対的に動機付けている場合もある。ちょうど日本語において10が「ジュウ」であり、2が「ニ」であるという二つのいずれも恣意的である結び付きが、20が「ニジュウ」と呼ばれることを動機付けていると言えるように。ある比喩的な行為「A」とその実行形態「a」との結つき--それ自体は全く恣意的であるとしても--が、比喩的な語り口の内部で「A」とある関係にたつ行為「B」とその実行形態「b」との結つきを類比的に動機づける、つまり「A」の「B」に対する関係が「a」の「b」に対する関係と同じであるような形で動機づけるという場合が考えられる。たとえば「A」の逆--比喩の論理性においてのことではあるが--にあたる行為「〜A」の実行形態が「a」の正反対の行為「〜a」になっているというのは、おおいにありそうな話である。「〜A」と「〜a」との結つきは、「A」と「a」の結つきによって動機づけられており、もはや恣意的であるようには見えないだろう。「なまの弔い」の期間中「死者に先立たれた当人たち」とりわけ死者の配偶者が「下に(地面に)座る」行為が--文字通り地面の上で起居することに加えて--大きな身振りをせず、声も立てず、他人と直接言葉を交わさない等々であるという事実は、死者の配偶者が「巣立つ(=飛び立つ)」ということが具体的には施術師の呼びかけに大声で答えて走り回る等々であることを、相対的に動機付けている--あるいはその逆でも同様--ように見える。「下に(地面に)座る」と「巣立ちする(=飛び立つ)」とは比喩的な意味において正反対の行為であり、具体的な実行形態においても、一方は他方の正反対の属性をもつことになる。「屋敷の成り立たせ方:『産む』という比喩について」で、屋敷の成員のさまざまな性行動が、屋敷の維持やそれに加えられる打撃や修復の作業などについての比喩的な語り口に絡みとられて、互いに関係付けられている様子を分析したが、これも複雑に絡まりあった有縁性=動機づけのきわめて明瞭な例である。互いに関連しあった比喩が、それぞれの比喩に結びつく実行形態--行為の「やり方」--が互いに関係し合うように仕向けるのである。

さらに動機付けとして働く関連性は、関係しあった比喩的な表現によって語りうるような単一の経験領域の内部にはとどまらないかもしれない。さまざまな経験領域を横断して張り巡らされた類似性や対立、隣接性などの諸関係が、動機付けとして機能している場合もある。「妻を引き抜く」行為、「子孫を死に絶えさせる(呪詛を打つ)」行為、「異常児(vyoni)をもといた場所に戻す」行為など--他にもいくつもの行為を付け加えることができる--は、けっして互いに関連しあった一つの語り口を構成していない。しかし各々の行為とそのやり方との結つきは、必ずしも完全に互いから独立してはいないし、恣意的ですらないように見える。それぞれは水甕を夫が動かすこと、老女が呪詛の言葉とともに壷を地面に投げつけて壊す--あるいは自分のヴァギナをこぶしでたたく--こと、異常児を水をはった水甕のなかに沈めることなどによって遂行される行為である。「妻を引き抜く方法」で論じたように、いずれも土器の壷と子宮との類似性がそれぞれの結つきを動機づけていると解釈可能なのである。

こうした動機付け=有縁性の領域が、人類学の象徴分析が長く対象とし、分析手法を磨いてきた領域であることは確かである。動機付けの分析が興味深い作業であることを否定するつもりはないし、それを軽ろんじる気もない。しかし動機付け=有縁性の関係を明るみに出すことによって、ある慣行や制度がなんらかの意味において説明できたと考える錯覚からは自由であるべきである。動機付けの存在を指摘することは、現に成立している事態についての記述の一部ではあっても、それによっては何かが説明できたわけではない。2が「ニ」と呼ばれ、10が「ジュウ」と呼ばれているという事実は、現に20が「ニジュウ」と呼ばれているという事実においてその結び付きを動機付けている。しかし2が「ニ」と呼ばれ、10が「ジュウ」と呼ばれていたからといって、20が必ず「ニジュウ」と呼ばれねばならなかったというわけではないのだ。それは他のなにかでもありえた。有縁性つまり動機付けられていることは、恣意性の否定ではない。ある結び付きが現にどれほど動機付けられていたとしても、その結び付きがそうでなければならない理由、それ以外のものではありえなかったという根拠はまったくないという意味では、結び付きの恣意性はいささかも減じてはいない。息子の振舞に怒り、自暴自棄になった老婆が、呪いの言葉とともに土器の壷を地面に投げつけて壊すとすれば、それは土器の壷が子宮と似ており、それを象徴しており、したがってその破壊が子宮の破壊を、さらに子宮の破壊が豊饒性の破壊を意味しているから、といった理由などからではない。単にそうすることが、自らを含め母系の子孫たちを死に絶えさせる恐るべき呪詛を打ったことになると、理屈抜きでわかっているからである。その呪詛がおそろしいのも、別に土器の壷が子宮に似ているからではない。もし人々の間で、その呪詛が小屋の扉に頭を打ちつけることによって発せられると知られていたとすれば、それも--たとえ一切の動機付けがここに介入していなかったとしても--同じくらい恐れられるはずである。大事なのはある行為が呪詛として知られていることであって、そのようなものとして知られていれば、なぜそうすることで呪詛になるのかの理由がそれに加えてさらに必要であるわけではない。そして事実は、この論考で繰り返し確認してきたように、そこには実際に理由などないのである。水甕を夫が動かしてしまうことが妻に危害を及ぼす「妻を引き抜く」行為になるのも、土器の壷である水甕が子宮に類似しており、妻を象徴することになるからではない。すでに「妻を引き抜く方法」でも述べたように、水甕のかわりに臼(chinu)がここに登場していたとしても、動機付けという点でもまったくおかしくはなかったであろう。今日土器の壷にとってかわりつつある、子宮や土器の壷とは似ても似つかないプラスチック容器の水甕を動かすことは相変わらず「妻を引き抜く」行為であり続けている。プラスチックになったからといって、妻に及ぶ危害の可能性が減じるわけではない。一方、老婆がプラスチックの容器をどんなに破壊して見せても、それで呪詛を打ったことになるという話は聞いたことがない。

比喩的な行為とそのやり方--実行形態--の結合は本質的に無根拠で恣意的であるしかない。この空虚に動機付け=有縁性の網の目が張りめぐらされているという事実は、たしかに興味深いことである。それはまるで人の生きる秩序の根源的な恣意性、無根拠性を人々の目から隠すベールのようでもあるし、恣意的で根拠のない結び付きをリアリティとして生きやすくするためのとっかかりであり、無味乾燥な下地のうえに描かれた人の目を楽しませる装飾のようでもある。しかしそれは当の秩序の根拠の位置を占めることだけはけっしてない。

私がこの一連の論考を通じて注目してきた秩序は、きわめて特異な性格をもった秩序である。それは比喩的な語り口を通じて提示され、秩序の内部の論理性は比喩的な論理性であることが判明する。それを具体的な実行行為に結び付ける絆は恣意的である。そしてそのすき間に動機付けの網の目が張りめぐらされている。「妻を引き抜く方法」で結論付けたように、この3つのパーツのそれぞれは、それだけを見るとすべてを馬鹿げたものにしてしまいかねないほど頼りない。語り口の比喩性があからさまに意識され、それらが単なる言葉の綾、言葉だけの存在であると見られたとたんに、それは経験を絡めとり組織する呪縛力を失うだろう。それぞれの行為のやり方の無根拠性があからさまに露呈してしまうと、その当り前さ、必然性の外貌はもろくも剥がれ落ちてしまう。動機付けが、まるで唯一の根拠ででもあるかのようにしゃしゃり出ると、それは端的にうそくさくなる。土器片の呪詛(chirapho cha dzaya)の力が、実は土器と子宮が似ているところにある--そしてそれだけである--などという形で提出されたなら、自暴自棄になった老婆も自分がやろうとしていることの馬鹿ばかしさに白けてしまいかねないだろう。しかし人が秩序に呪縛されている、それをリアリティとして生きているというのは、多かれ少なかれこういうこと--それぞれは脆く危うい諸原理の結合と微妙なバランスを生きるということ--なのである。人類学の作業の一つは、そうした現に生きられている秩序とそれを構成する語り口や恣意的な連結や相対的な動機付けを描き出していくこと、そしてそれを通して自分たちとは異なる語り口が可視化する秩序とそれを生きる現実感覚に出来る限りの接近を試みることである。本論考の第三部で試みてきたのはそれであった。

秩序の可変性

秩序は完結したものでも固定したものでもない。比喩的な語り口も、実行行為との連結も、有縁性の原理も、いずれもたまたま現に実現した組合せをそのときどきに示しているだけであり、そのどこをとっても可変性と流動性を特徴としていることがわかる。

比喩的な語り口は拡大したり縮小したりしうる。それは単に、新たな表現がまるで流行のように好んで用いられるようになったり、すでにある表現がしだいに人々の口にのぼらなくなり、言説空間から消えて行くといった事態でもありうる。しかし拡張や縮小は比喩そのものの本性の一部でもある。時間について一種の『財』であるかのように語る日本語の語り口は、時間を「節約する」、「浪費する」、「投資する」などと表現することを許すが、時間を「預け」たり「蓄え」たりといった表現はまださしあたって許していないように見える。しかしそうした拡張が不可能であることを示すものは何もない。反対に特定の表現--たとえば時間を「投資する」といった--がいずれ意味をなさないように見え始める可能性も排除することは出来ない。見立ては極限まで大胆に押し進められるかもしれないし、逆にごく限られた範囲での控え目な適用で満足しているかもしれない。特定の比喩的語り口が可能性としてもつ論理空間のすべてが、言説空間を実際に流通する語りとして実現されるわけではない。

さらに「『外』の想像力」で見たように、この論理空間の一部には当の比喩的な語り口が可視化しようとする秩序の否定さえもが含まれているかも知れない。あるいは一つの語り口は、同時にそれに対抗する他の語り口を可能性として喚起し得る。日本語の表現において、時間を『財』のように語る比喩的語り口とは別に、それとは共約不可能な比喩的語り口、たとえば時間を『流れ』や一種の『流体』に見立てる比喩的語り口も存在しているように、一つの領域の秩序を可視化する比喩的語り口が単一の一枚岩的な体系をつくっていると想定することもできない(註3)。実際「屋敷の壊し方(1)」で「まぜこぜ」を論じた際に確認したように、同一領域に関する共約不可能な比喩的語り口が競合し、それぞれが異なる行動を指示する--祖父母と孫のあいだの性関係を「まぜこぜ」を引き起こすものとして避けるべきかどうか--場合もありうるのである。

こうしたことすべてが、秩序についての比喩的語り口のコンポーネントにおける流動性と可変性を用意することになる。

一方、有縁性の原理の方に関して言えば、その可変性や流動性についてはほとんど多言を要さない。とりわけ単一の比喩的な語り口によってカバーされた個別の経験領域の境界を越えて作動する類似や隣接性の関係については、その流動性はほとんど捉えどころがないと言ってよいほどである。原理的には、あらゆるものが何らかの点であらゆるものに似ており、あらゆるものが他のあらゆるものを表しうるというベンヤミンがバロックのアレゴリーについて指摘した状況(ベンヤミン 1995:212-213)が、いつなんどきにでも出現しうるのである。類似やアナロジーは際限なくどこにでも見出しうる。それがある限られたパターンに収斂しているとすれば、むしろそちらの方がはるかに興味深いくらいである。なぜ類似性の限られたパターンしかみられない--土器の壷が子宮との類似性を強調されるような用い方ではしばしば登場するが、頭蓋骨との類似はめったに強調されないこと、さらにありえただろうはずのその他のたとえばパンとの結び付き(なぜならどちらも手でこねて焼いたものであるから)などが全く注目されていないことなど--のか、いかなる慣行や行為のシステムと接合することによってそうした限定が実現しているのか、おそらくたまたまそうなっているという以外には説明できないであろうこうした有縁性の特定の布置を描き出すことは、今後も我々の課題の一つであろう。捉えどころのなさ、可変性、流動性はここではむしろ前提であり、それに加えられる制約の方が問題なのである。

しかし最も重大で逆説的な可変性は、諸配置の中枢に位置する、行為とそのやり方との恣意的な結合部において見出される。恣意性は、言語におけるそれがそうであるように、その関係の内部にいるもの、それを生きる者にとっては根拠を問いえない必然性として経験される。しかしまさにその同じ恣意性がまさに偶然的と呼びうる変化の条件となっている。このことが逆説的なのである。最後に、一つの具体的な事例を扱うことによって、本論考の冒頭で提示したこの問題を中心に、行為とそのやり方の接合の恣意性という事実が提示する問題系と、さらにそれが時間性に対してもつ意味を、再び整理しなおすことで本論考の結びにしよう。

息子の結婚順の正しい矯正法

調査期間中、兄よりも弟が先に結婚した何件ものケースを目にしたが、そのほとんどは、兄が屋敷を離れて町などで暮らしている(独身の場合も女性と暮らしている場合も含めて)ケースであった。屋敷から離れていたがために弟に先を越されることになったのか、弟が先に結婚したために屋敷から離れるようになったのかは、微妙なところである。少なくとも一見すると、これらの「先を越された」兄たちは屋敷へ戻ることを拒んでいる、あるいは断念しているかのように思えた。にもかかわらず、兄が屋敷へ戻ることを望んだときには、結婚順の矯正の手続きが不可欠なものとなる。近所に触れ回るような種類の作業ではないので、運良くそこに立ち会うことは難しい。次に述べる事例が私が唯一接近遭遇できたケースであった。

憑依霊関係の病気の施術師をしている女性メローチャ(仮名)には二人の息子ローチャとキメラ(ともに仮名)と三人の娘がいた。彼女は正式な夫を持ったことがなく、二人の男性と婚資のやり取りのない関係を持ったことがあるだけである。二人目の「夫」と別れた後、後に彼女を施術師の道へ進ませる原因にもなった病気を長年にわたって患い、それがきっかけで子供たちとともに自分の父親の屋敷で暮らすようになっていた。その彼女の父も数年前になくなり、その屋敷には亡父の年老いた身体の不自由な未亡人とメローチャの家族だけが残った。亡父の他の未亡人たちは既にしかるべきクランの男と再婚していた。メローチャの兄弟もすでに父の屋敷から独立し、歩いて数分のところに別々の屋敷を構えていた。メローチャの住む屋敷は未だに亡父の名で呼ばれてはいたが、事実上メローチャの屋敷であった。上の息子ローチャは早くからモンバサで賃労働に従事し、屋敷にもほとんど戻らず、いつまでも独身の生活を続けていた。そうこうするうちにキメラが結婚して、メローチャの屋敷に妻を迎えやがて子供をもうけた。その後兄のローチャはモンバサで結婚したが、まもなくモンバサでの職を失い、突然メローチャの屋敷に戻って来る意向を伝えてきた。1991年のことであった。

結婚順矯正の手続きがすぐにも行なわれることになった。私がそれを知ったときには、キメラの妻はすでに数週間にわたって子供とともに実家に帰されていた。ローチャは予定していた日になっても屋敷に戻ってこず、一週間、二週間とただ日にちだけが過ぎており、キメラは生活の不便にいらだっていた。ローチャが帰ってきたら私にすぐ連絡をくれるという手筈にもかかわらず、その三週間ほど後に私が再びメローチャの屋敷を訪問すると、すでに全ては終わった後であった。ローチャは数日前に帰ってきていた。すぐに炉の火は消された。そして日をおかずしてメローチャは金で頼んだカンバ族の男性とマトゥミアの性交を行ってローチャとその妻を「産」んだのだという。キメラはさっそく、実家に戻っていた妻を連れ戻しに行っていた。多くの人から話に聞いていた手続きとはいろいろな点で違っているように思われた。「火は火起こしの木(ndindi)でおこしたんでしょう?」という私の確認--矯正の手続きについて語る人が最も強調する点の一つがこれであった--に、彼女はけげんそうに答えた。「なんで?マッチでに決まってるだろう。」この手続きでは屋敷へ通じる古い道がすべて封鎖されるということなのだが、そうされた形跡もなかった。「冷やす」薬液が臼に用意されたはずだが、それを尋ねても答えは同じく否定的であった。「何のための?何か『間違い』があったとでもいうのかい?いやいや。ローチャに彼の『上位性(uvyerewe)』を返してやるというだけのことじゃないかい。」この手続きについて私が聞かされていた話とは、なにやらずいぶん違うのである。よくある話だ、と言えるかもしれない。

結婚順序の矯正をめぐるメローチャの語り口そのものは、他の人々の語り口とほとんど違っていない。「屋敷の壊し方(2):追い越しと後戻り」で述べたように、それは弟の結婚が作り出した順序構造をキャンセルし(弟の「上位性」を「拭い去」り)、兄にその「上位性」を返した新たな順序に作り直すという2種の操作からなる。メローチャも他の人々も、順序のつけ直しを強調する点においてはほぼ一致している。正式な夫のいない彼女は、近隣に暮らしている他部族の男性を頼んで、きちんとマトゥミアを行ない、自分から始めて順序をつけ直してさえいる。違いは、多くの人々が、弟によって作られていた古い順序付けを、新しく作りなおされるべき順序付けの観点から、矯正されるべき「過ち」であると捉えて、それを「冷やし」キャンセルするのに大いに気を配るのに対して、メローチャは古い順序のキャンセルという問題をわりとあっさり片付けているという点にある。

単純に考えると、メローチャのやり方は間違っているか、あるいは控え目に言ってかなりずさんなやり方だということになるかもしれない。何人かの人は、メローチャのやり方を「ものを知らない者」のやり方だとコメントしている。「冷たい木」で全員を冷やさなかったことも、屋敷へ続く道をつけ直さなかったことも、過ちである。それは彼らが正しいやり方「本当のキドゥルマ(chiduruma chenye)」として知っているやり方とは違っている。

しかし話はそう簡単ではない。彼らの知っているやり方が正しいと何を根拠に言えるのだろうか。彼らはそれが衆知の知識であることに訴えるかもしれない。「物事をわきまえている長老たちなら誰でもそれがキドゥルマであることを知っている。どこへでも行って、ものを知っている長老に聞いてみなさい。すぐに話してもらえるだろうよ。これこれ、これこれがするべきこと。こうして年長者にその上位性をかえしてやるのだと。」ここで同意の可能性がもちだされるのは、ごく自然な成り行きにみえて、よく考えてみれば--さらに見解の一致以外を正しさの理由として持ち出すことができないのだとすれば--奇妙な話である。「正しさの問題」で述べたように、同意という事実そのものは<正しさ>の根拠にはなりえないのではなかっただろうか。少なくとも、古い順序をキャンセルしなければ災いが起こるのは、別に皆がそのことに同意しているからではないし、皆があるやり方に同意していることが、そのやり方で正しく災いが回避できるということを保証するわけではない。「誰でも知っている」という事実に訴えることは、それ以外の根拠を与え得ないということとほとんど同じことであるように見える。

おまけにこの同意の共同性は、単に想像的に喚起された共同性でしかない。上のアドヴァイスをばか正直に実行していろいろな長老たちに聞いてまわったところで、まったく同じ知識が披露されることなどめったにないのである。同じ内容であるというためには、細かい違いに目をつぶらなければならないだろう。

古い順序をキャンセルするといっても、具体的にはいったいどうすれば本当にそうしたことになるのだろうか。これがわかりきった問いに見えている限りは問題はない。しかしいったんそれが議論すべき問いとして問われてしまったとたんに、人は決定不能性に直面することになる。口で「キャンセルしました」と宣言しただけでは、きっと駄目だろう。メローチャの場合も、ローチャが妻を連れて屋敷に入る前にキメラの妻を実家に帰しておき、さらに屋敷の火を消してもいる。他の人々は、さらに屋敷に入る道を全て塞げとか、薬液で念入りに洗って「冷やせ」といったことを付け加えている。しかし、ただ宣言するだけではだめで、あるいはメローチャのやり方では不充分であるが、屋敷に通じる道を塞げば十分だなどということが、どのような根拠に基づいて言えるのだろうか。古い順序をキャンセルするということがどういうことであるのかを、それを行う特定のやり方とは独立にそれ自体でとらえることができてはじめて、それに照らしてどのやり方が正しくてどのやり方が間違っているのかを確定することができる。しかしまさにそれができないのだ。

弟の上位性を「拭い去る」と言おうと、弟の結婚で出来上がった序列をキャンセルすると言おうと、いずれにせよ比喩的な語りであることが露呈する。そもそも「順序」なるものは、結局何かが行なわれる「順序」でしかなく、ある順序を踏まえて既に行われてしまった行為の中から「順序」だけを取り出してキャンセルすることなんかできる訳がない。つまりそれは文字通りの行為としては実行不可能な話なのである。しかし序列をめぐる一連の比喩的な語り口のなかでは、「順序」は屋敷にそなわった客観的な構造として経験されてしまっている。だからこそ、単に別の順序でなにかを行ないなおすだけでは駄目で、まずそれをキャンセルしなければならないということになるのである。それは比喩的語り口に含まれる論理性がその存在を要請しているような行為なのである。

こうした比喩的な行為においては、どんなやり方がその正しいやり方とされようとも、その根拠は循環的なかたちでしか主張できない。そうすることが順序をキャンセルするということだからだという同語反復か、そのように<決まっている>、誰もが知っている決まったやり方であるというお馴染みの答えしか出て来ようがないのである。無根拠性のもとでは、同意という事実あるいは理解の共同性という事実の喚起は、「正しさの問題」で論じた過去の事例の召喚とともに、正しさの主張を裏付けるなけなしの根拠の役割を--実はそんな資格がないにもかかわらず--演じさせられる。

しかし実際に必ずしもそう<決まっている>とすら言えないとしたらどうだろう。意見に調停不可能なばらつきがあるとすれば。その場合どれが正しいかを決定することは原理的に不可能となる。極端な話、何をしたところでけっしてキャンセルなどできない、という立場と、何もしないでもいいという立場の両極のあいだの、いかなるポイントも、それ自体では自らの正しさを根拠付けることはできないという点では等価なのである。

こうした不確実さは、ほとんどすべての「ドゥルマのやり方」に潜在している。たとえば、娘の婚資は「産」まねばならないと誰もが言う。だがいつ何をすればそれを「産んだ」ことになるというのだろうか。両親が性交をすることであるとは誰もが知っている。しかしある人がしかるべき時期に合計3回行わねば「産」んだことにはならないとするのに対して、別の人は2回で良いとし、またある人が地面の上で無言で行うべきだとするのに対して、別の人はベッドの上で普通にやればよいと言う。どの人に聞いても、そうすることがなぜ「産む」ことになるのかの根拠はあげようがない。<そう決まっている>と言う以外には。にもかかわらず、まさにこの意見のばらつき自体が、それがけっして完全には一つには「決まって」いないのだということを立証してしまっている。それは決定不能である。誰もが「産」まねばならないことは知っている。だがどうすれば「産」んだことになるのかは、決して満場一致の確実な知識ではない。

おまけに、すでに繰り返し見てきたように、問題は知識についての合意そのものですらない。まんいちキャンセルできてなければ、災いが起る。兄夫婦は子供にめぐられず、兄の妻にも危険は及ぶ。こうすることでキャンセルできたということにしようといくら合意したところで、どうにもならない話である。

未来の災いとのこの想定された結び付きが、「ドゥルマのやり方」の非決定性を原理的に解消不可能なものにする。「正しさの問題」で見たようにこの種の非決定性に直面する都度、実際には合意形成に類するプロセスを通じて、人々は唯一の正しいやり方を再び見出している。しかしたとえ満場一致であっても、未来の不確定性を前には、合意など<正しさ>の根拠としてはあまりにも無力である。やり方と未来の帰結との想定された結つきのおかげで、やり方の<正しさ>はその結果によってしか、つまり未だ起こっていない未来の災厄によってしか確かめ得ないことになる。結婚の順序を付け直す際に、いくら念入りに道を塞ぎ、薬液で洗ったところで、その後の展開で屋敷に不幸が続けば、その手続きは十分ではなかったということになるし、極端な場合、何もしなくてもなんの不幸も起こらなかったとすれば、それで十分キャンセルできていたのだということになる。やり方の<正しさ>は事後的にのみ確定する。それが行なわれる時点でのいかなる<正しさ>も--たとえそれがいあわせた人々全員の同意するところの<正しさ>、満場一致の<正しさ>であってさえ--不確定な未来においてそれが実際そうでないことが示されるまでのあいだの、暫定的な<正しさ>以上のものではない。それはいつまで経ってもそうである。「ドゥルマのやり方」が一時的にせよ確実な知識としてその姿をあらわすのは、逆説的なことに、実際に起こってしまった災厄が遡及的に不在の「過ち」を発生させたときだけである。このときにはじめて「やり方」の正しさは、単なる合意以上の根拠、経験的な根拠を獲得するのだといえる。しかも経験的な根拠に訴える人々の実証的な語りは、自らの遡及的性格を隠蔽した語りであることによってのみ経験的な根拠になりえるだけなのである。

この事実が、<正しい>やり方の知識そのものに際限ないばらつきの可能性をあたえてしまう。結婚順序の矯正のいかなる「やり方」も、それが誤りであると判明する可能性と、結局はそのやり方でよかったと判明する可能性を、等しくもつことになるからである。おまけに正しいと判明したやり方も、誤りだと判明したやり方も、それぞれの知識は伝言ゲームのように姿を変えつつ言説空間を転送されて行く。時とともに拡大して行くだろう知識のばらつきが再びすり合わされ、「正しい」とされたやり方に一時的に収斂することがあるとしても、それは再び未来の出来事に投げ出されてしまうことになる。しかも「出来事の因果性」でのルワの第二夫人ムベユの浮気とマブィンガーニのケースが示しているように、見解の相違は実際には必ずしも完全には解消されない。とられた対処に対する疑いが必ず誰かによって抱かれている。こうした不一致は、知識の伝言ゲームのような転送の過程でさらに偶然の変化をこうむり、それぞれがこれも偶然的な災厄の生起によって正しいやり方として登録されたり削除されたりをくりかえし、こうした一連の過程が不可逆的に進行することにより<正しい>やり方の知識に再び調停不可能な多様性を与えてしまいうる。

やり方のばらつきが<原理的に>排除できないものであることに注意しよう。出来事についての共通の了解や、やり方の単一の知識がいかに広く共有されていようとも、それは「ものを知らない者」がとんでもないやり方で何かを実行してしまうことを妨げることはできない。メローチャは、いくら何人かの人々から「ものを知らない者」と非難されようとも、すでにことを自分のやり方でしでかしてしまった。ルワは第二夫人ムベユの引き起こした「まぜこぜ」を、地域の長老たちの不興を買いつつも、自分なりの理屈で処理してしまった。そしていったんしでかされてしまったものは、それで結局はよかったのだと判明する可能性を獲得してしまう。「ものを知らない者」によってであれ、誰によってであれ、何らかの仕方でことがしでかされてしまうと、それは例えば何をすることが「順序」をキャンセルすることにあたるのか、何をすれば「産」んだことになるのか、などなどの一連の正しいやり方について、すでに成立しているかもしれない了解に変更をもたらしてしまいうるのである。それはちょうど何かが実行されるたびに、その実行によってルールの解釈自体が変わってしまうようなゲームに似ている。一回一回の実行行為が、ルールに対する再解釈の行為ともなり、ルールそのものに変更をもたらす行為ともなりうる。

恣意的な秩序の二面性

恣意性を中核に据えた秩序は、一見いかにも逆説的な性格によって特徴付けられる。それは自らの内部では変化ということを考えることができず、その一方で不断の偶然的な変化をこうむり続ける。いずれもが恣意性の効果として理解可能である。

ある結合について語る際に、規約性、恣意性、無根拠性という3つの言葉は、すべて同じことを指している。規約性という言葉が、明示的な規約と、それについての同意や合意の共同性の観念を好むと好まざるとにかかわらず含意してしまうというという点--そして繰り返し論じてきたようにこれはたいていの場合誤りである--を別にすれば、それらの言葉はすべてその結合の、あるいは結合のシステムの、あらゆる外的なものからの独立性を意味している。

ソシュールが共時的な体系としてのラングあるいは内的言語を見出したのは、恣意性の観念を通してであった。自らの根拠を自己以外のどこにももたない自己完結したシステムとしての言語は、こうしたシステムの最良の例を提供してきた。それは意識されない自然として生きられてしまうシステムでもある。水のことを指して「ミズ」と言い、それはけっして「ミソ」とは混同されない。規約的=恣意的なシステムを生きている人とは、こうした混同を誤りとして指摘することができる人である。しかし彼は、それが「ミズ」であることの積極的な理由を示すことはけっしてできない。この無根拠性=恣意性--言語を構成するタームが積極的な価値をもちえないこと--が、逆に消極的な共時的差異のシステムとしての言語を可能にする条件となる(註4)。

しかしこの差異のシステムの内部にとどまるとき、奇妙なことが生じる。それは歴史性を消去されてしまうのである。ソシュールはそれをチェスの比喩を巧みに用いて示している。

チェスを見ていると、そこで与えられる布陣はどんなものも先行の布陣と手が切れている。そういう奇妙な性格がそこにある。これこれの布陣に達するのに、あの道を通ったかこの道を通ったかはどうでもいい。それも、ある程度ではなく、徹底的にどうでもいいわけだ。だから、ゲームの開始からずっと戦局をにらんでいた者が、いい場面だけのぞきにきた物好きより少しでも得をするかと言うと、ぜんぜんそうではない。なおさら、布陣を描写するのに、いまあるものとまえにあったものを取り混ぜようとは思いもよらない。それがたとえ十秒前にあったものでも。(ホイットニー追悼 Ms.fr.3951N.10, 前田 1993[1989]:224)

規約的恣意的なシステムは、いかなる先行するシステムとも切れている。その体系性を理解する上で、その外部--先行するシステムもその一つである--は、無関係である。それも「ある程度ではなく、徹底的にどうでもいい」のである。外部にいっさい根拠をもたないという、恣意的なシステムのこの特質は、歴史を拒絶した自己完結性という一つの幻想をつちかう。かくしてレヴィ=ストロースにとっては、言語が徐々に成立してきたと考えることなどとてもできない相談になる。「動物的な生活段階のいかなる時点で、またいかなる状況下に言語が出現したのかはともかくとして、言語の誕生はただ一挙にしかあり得なかったのである。事物は漸次的に意味をもっていくことはできなかった」(レヴィ=ストロース 1973:39)。恣意的システムの自己完結性に幻惑された別の人類学者は、これをさらに布衍して言う。「規約は規約共同体があってはじめて理解可能である。...規約は共同体のメンバーによって一気に獲得される。もし規約が変化するとすれば、それはまた一挙に変化するであろう」(中川 1996:13)。経験的には絶対ありそうにない与太話である。しかし恣意的なシステムの内部から眺めると、そうとしか見えない。それは歴史性を欠いた共時的な眺望のみを与える。

慶田勝彦によると、ソシュール自身はこうした幻想から自由であった。ソシュールは彼が言語の二重性--共時と通時の調停不可能にも見える二重性--と呼んだものにとどまり続けようとする。慶田はチェスの比喩にソシュール自身によって付け加えられた註釈に注目する。「ソシュールはチェスの盤面に一瞬体系を見て取るのだが、10秒後には、その体系を破壊=消去する」(慶田 1999:9)

そこで、かなり本質的な特徴をひとつこの比喩に付け加えるために、まったく馬鹿で無思慮な指し手というものを考えてみてもいい。それは、言語のなかの音声的、その他、もろもろの異変の偶然性に相等する。(ホイットニー追悼 Ms.fr.3951 N.10, 前田 ibid:225)

「この注釈にいたったとき、我々は規約概念の共同性あるいは体系性そのものの変更を迫られている。少なくとも、<無思慮で馬鹿な指し手>とは、規約共同体の人間ではないからだ」(慶田 op.cit.:10)ソシュールの言う、言語の二重性とは「体系的な眺めが構築された瞬間に、それとは違う通時的視点からも眺めることができるという可能性からのみ生じる二重性」(慶田 ibid.)なのである。

<無思慮で馬鹿な指し手>がいったいどこからやって来るのかと問うてもよいかもしれない。彼がもたらすのは偶然性であるが、彼がけっして恣意的な体系にとってまったく偶然的な外部からやって来るのではないのだという点が重要である。そもそも恣意的でない体系においては、<無思慮で馬鹿な指し手>という存在自体が不可能である。物理的な体系において、例えば太陽系において<無思慮で馬鹿な惑星>などというものの存在を考えることができないように。そこではシステムの外部から介入する偶然ですらも、その介入はシステム内部の法則性に従う以外にはない。いわば<思慮深く>ふるまってしまうのである。体系の恣意性こそが<無思慮で馬鹿な指し手>の存在を可能にする。そしてこの無思慮で馬鹿な指し手がしでかしてしまったことが、それぞれの恣意的な結合の総体にいったいどのような効果を及ぼしてしまうかは、前もってしても、事後的にも説明不可能なところがある。これが我々が生きている秩序の中枢が無根拠で恣意的な結合によってできているということの意味なのである。

私は、もっぱらドゥルマの屋敷の維持や修復をめぐる実践と--我々をそのあからさまな比喩性でたじろがす--語りの問題に終始してきた。しかしそこで明らかにされた特徴--比喩性と恣意性と有縁性の組み合わせ--が、我々が無造作に「儀礼」的実践という合切袋に放り込んできたような種類の実践に特有の、特殊なものだと考えるとすれば、大きな過ちであろう。ニーチェが言うように我々にとってのリアリティが、比喩であることを忘却された比喩、字義通りの真実として通ってしまう比喩なのだとすれば、こうしたリアリティを踏まえた我々の日常的な振舞いのそれぞれに--比喩の連鎖を通じて、最終的に実行可能な字義通りに解釈できるかもしれない行動に接続するとしても--根拠のない見立てが行なう認識論的ジャンプで知らぬあいだに埋められてしまっているようなギャップが無数に横たわっているとは言えないだろうか。「誠意を見せるように」といわれて、ところで「誠意」とはいったいなんだったのだろうと突如あやしくなってしまったり、「きちんとけりをつけておくように」と言われて、さてこの場合何をすれば「けりがつく」ことになるのだろうと考え込んでしまったり、社会を優雅に泳ぎ渡る技倆を突然失ったかのように自らの無様さに気付かされる瞬間ごとに、そうしたギャップがさりげなく顔をのぞかせる。そのままでは私は<無思慮で馬鹿な指し手>になってしまいかねない。システムの内部、規約の共同性の内部にいる人は、<無思慮で馬鹿な指し手>の疑問に対して、そんなことは考えてみるまでもなく自明なことである、あたりまえのことであると指摘する。彼らにとっては、すべては昔からそうに決まっていたような常識、あたりまえの秩序の内部での、あらためて問題にするまでもないあたりまえのやり方に属している。

恣意的な隙間がありとあらゆる行為に内在していることは、別の意味でも真である。日常生活を構成するどのような些細な行為であっても、それらはすべて「何かをある仕方で」遂行することである。どんなやり方でもないやり方で何かをやって見せろと言われても無理な話だ。行為とそのやり方との結つきが、決まりきっていて説明を要さないものである度合いに応じて、両者の接合にある奇妙な自由度が滑り込んでくる。行為の<やり方>のあらゆるディーテイルが、コンテクストのみから決定されるということはありえない。この意味で、あらゆる行為は程度の差はあれ、そのコンテキストとの間にギャップを抱えている。行為が遂行されるやり方がある特定の形に固定している場合、そこには根拠の欠如と恣意性が見えかくれしている。

こうした行為の隙間こそが、「ドゥルマのやり方」を特徴づけていたのと同様な、類似性や対立、アナロジーによる関連づけの想像力が発動する空間である。接合の恣意性が、自由な動機付けを許す隙間をそこに開いてみせる。かくしてありとあらゆる日常的な実践が、動機付けの網の目を張り巡らすコスモロジー的実践、秩序の実践にもなりうる。家に出入りする際に、律儀に履物を脱いだり履いたりすることを通じて、<外/内>、<浄/不浄>などなどの二項対立的区別をその都度可視化してしまっているように。『儀礼的』にみえる実践とは、これらの特徴をもっとも華々しく示している実践だというだけのことなのである。 システムの恣意性は、そのシステムにあらゆる外部から切断された自己完結性の相貌を与えるが、まさにこの恣意性こそがシステムをほとんど無制限の変化と多様性に開いてもいるのだということを忘れてはならない。人間の生きる秩序の中枢にあるのがこの恣意性だとすると、ソシュールが指摘する二重性こそが、人間の生のリアリティなのだ。人々が生きている生の秩序をとらえる際には、したがって、ソシュールが踏み止まった二重性のなかに我々自身も踏み止まっている必要がある。そこに何らかのパターンや体系性を見て取ることができるあらゆる地点において、この二重性を確保する必要がある。体系的な眺めを可能にする視座を獲得しつつ、同時にそれとは異る通時的な視座のなかにいつ何時でも立ち戻ることができること、ある特定の言説空間に接続し、その言説空間のなかで流通するさまざまな語りが複雑なパターンをその都度描きながら変貌していくその瞬間瞬間を、そこに生きる人々の実践としてとらえていくこと、これが人類学者が自らに課す作業なのである。私は、こうしてようやく探求の出発点に立つことができた。


(註1)これが比喩についてのきわめて単純すぎる考えであることは、あらためて指摘するまでもないと思う。ここでは違いを際立たせるためにあえて誇張した単純な区別を立てている。いかなる比喩も--「死んだ比喩」でさえ--創造的に新たな現実、あるいは認識をその都度打ち立てる作用からまったく無縁ではないのである。「顔に泥を塗る」ですら、同じ程度の名誉の毀損をそう呼ばれなかった場合以上にはるかに酷い非難するべき仕打にし、はるかに激しい反撃を引き起こしうるものにする。

(註2)これは接合の恣意性が、その行為が比喩的な語り口の内部で捉えられた行為である場合にのみ見られるということではない。
例えばある種の身体化してしまった行為、習慣化してしまった行為においても、なぜその行為を他ならぬそのやり方でやるのかと質問された場合に、行為者を戸惑わせるに十分な自明性がそこには備わっている。やり方の根拠をめぐる問いが主題化されないという点では、それは我々が注目してきた『儀礼的』と呼びたくなる種類の行為に似通っている。この論考では私は、これらにまで議論を拡張することは慎んできた。もちろん両者はまったく別物である。単にやり方が決まりきっているということは、そのこと自体では技術的な目的−手段の合理的連関を(あるいはなんであれ外的な意味連関を)別に排除したりはしない。決まりきったやり方が、同時に目的−手段連関から見て合理的であったとしても(あるいは他の意味連関から見て有意味であったとしても)何の不都合もないし、むしろ結構なことである。こうした実践は「ドゥルマのやり方」を特徴づける根拠の不在そのものとはたしかに別物である。しかし、そのやり方の根拠が問われる必要すらないまでに、きまりきったやり方で行なわれていることが、そこに同質の恣意性の介在を許してしまう。規約性は、こうした外的な動機付けの連関から、いついかなるときにもその行為を引き剥がしてしまう可能性を用意しているのである。

(註3)ここでは共約不可能性(incommensurability)ということで、二つの概念が単一の基準に換算して互いに比較不可能であるという事態を意味している。それはけっして理解不可能という意味でも、比較不可能という意味でもない。時間を「財」の比喩で語る人は、同時に「流れ」の比喩で語られた時間が理解できないわけでもない。しかし一方の比喩で語られている経験内容を、もう一方の比喩にそのまま移し変えてその比喩を用いた表現に言い直すことは出来ない。あるいは二つの比喩的語り口を、別の共通の語り口のなかに包接してしまうことも出来ない。

(註4)以下の議論は、ウェブ上で公表され(1998)、後に公刊された慶田勝彦の刺激的な論考(慶田 1999)に多くを負っている。慶田はソシュールの言語の二重性についての認識を、人類学における民族誌作業の問題に接続する試みの中で、ソシュールのチェスの比喩について細かく論じている。ソシュールの「ホイットニー追悼」草稿からの引用は、すべてこの慶田論文からの孫引きである。

参考文献

W・ベンヤミン, 1995, 「アレゴリーとバロック悲劇」,『ベンヤミン・コレクション 1 近代の意味』pp.187-322, ちくま学芸文庫

慶田勝彦, 1999,「ソシュールの<二重性>−人類学的対象に関する一考察−」『文学部論叢』第64号, pp.1-19, 熊本大学文学会

前田英樹編・訳・著 『沈黙するソシュール』, 書肆山田:東京,1993[1983]年

中川敏, 1996, 「オリエンタリズムと数学の直感主義」『社会人類学年報』Vol-22, pp.1-21, 弘文堂

C・レヴィ=ストロース, 1973, 「マルセル・モース論文集への序文」有地享他訳『社会学と人類学 I』pp.1-46, 弘文堂


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