さまざまなンゴマ(カヤンバ)のうちでも、最も重要で大規模なものが「外に出す」ンゴマ(カヤンバ)であり、人はこのンゴマを打ってもらって、首尾よく終わることによって、施術師(癒やし手)になる。いわばその合否のかかった試験であり、就任儀礼でもある。
「外に出す(kulavya nze(konze))」という表現は、ドゥルマではやや両義的な比喩である。内と外という、観点に応じて相対的である二つの秩序の境界面における移動であり、例えば新生児とその母の、生後数日間、小屋の中での(寝台を使用しない地面の上での)隔離の後に、小屋の外に連れ出される手続きは「子供を外に出す」と呼ばれるし、同じように新婦が新郎の両親によって「産んでもらった」後に、新郎の小屋内部での隔離の後に、婚礼の日に屋敷や近隣の人々の前に連れ出される手続きも、「外に出す」手続きである。一方、購入した家畜などを屋敷の家畜の群れに加える前に、夫婦によってそれを「産み」、その後に夫婦のいずれかの浮気によって家畜の健康に被害が及ぶおそれを除去する目的で、「薬」によって家畜を守りつつ、それを「外に出す」手続きや、生まれた新生児が、夫婦のいずれかの婚外性交で危険にさらされた場合、今後そうしたことが起こらないよう新生児を(同様に「薬」の保護のもとで)「外に出し」てしまう手続きも、同じく「外に出す」という言葉で語られる[浜本 2001]。
ところでンゴマの「外に出す」だが、何をどこに出すというのだろう。何が「内」で何が「外」なんだろう。こんなところで、理屈っぽくなっても仕方ないのかもしれないが、気になる。「外に出す(ku-lavya nze)」の目的語には、人も憑依霊も来る。 「マリアカーニ(町の名前)(の施術師)。実際その人が私を外に出してくれた人なのよ。Mariakani. Hata ndiye yenilavya konze」(DB 963)、「私には医療上の私の子供がいるんだけど、彼女を外に出したんだよ。彼女に憑依霊ドゥルマ人とムルングを出したんだよ。Ta mimi nina mwanangu wa chiganga namlavya nze. Namulavya muduruma na mulungu.」(DB 5983)、「そこで私(患者の夫)は、彼女(患者)を外に出すンゴマを開いたのさ。(施術師は)ムルング一人だけを外に出した。Ndo nichipiga ngoma kumulavya nze. Achilavya mulungu hicheye.」、といった具合である。目的語は癒しの術かもしれない。「まずムルングを、その癒しの術を出すことから始めたわけさ。Nanza kulavya mulungu ugangawe.」(DB 3369)。憑依霊たちは主語になったりもする「どうして?皆さま方(憑依霊)は何を(間違ったことを)されたとおっしゃるのですか?皆さま方は今もって、この者を外にお出しになったわけではないのに。Kpwadze? Mwakoswani? Na yuno kamudzangbwe wakukala mwamulavya nze.」(DB 1004)もちろん、患者が主語の受動態でも。「私は生き続け、ついに憑依霊ドゥルマを出してもらいました。Nami nidzenderera hata nidzilaviwa nze muduruma. 」(DB 4460)あまりこだわるところではないのかもしれない。
すでにンゴマの概要のなかで述べたように、占いではじめて憑依霊の病と診断される病は、通常は身体的な疾患で、それは憑依霊がなんらかの要求を患者に対してもっているために引き起こしたものだとされる。その要求に応えることが、その疾患への対処ということになる。きわめて乱暴に簡略化して言えば、それがいきなり「ンゴマを開け」という要求であることは、まったくないわけではないにせよ、まずない。普通は、煎じ薬1や護符5、鍋8や大皿(イスラム系の霊の場合10)くらいから始まる。憑依霊の数やその要求は、憑依霊の病につきあっているうちに次第にエスカレートしていくかもしれない。そしてついには徹夜のンゴマの要求に行き着くことになるかもしれない。そして、さらに稀なケースであるが、憑依霊の要求のエスカレートが、「仕事がほしい」という要求になることがある。憑依霊にとっての仕事とは「癒しの仕事 uganga」である。そしてそれは、その病人自身が「癒やし手(治療者、施術師)muganga」になることである。
憑依霊とはそもそも病気を引き起こす張本人である。その憑依霊が、その病気を治す仕事をしたいというのは、マッチポンブのようでなんだか理解に苦しむが、それが憑依霊たちの究極的な要求の形なのだ。「外に出す」ンゴマによって、病人は「外に出され」施術師になる。それは同時に、その病人にとり憑いていた憑依霊自身が「外に出される」ことでもある。実は憑依霊たちは、そうした形で自分たちが外に出ることを可能にする、そうした人間に「惚れ(kutsunuka)」とり憑いているのでは、という気すらする(最後は、私の個人的感想(解釈)です)。
どんな人が「外に出す」ンゴマを受けることになるのだろうか。実際には(私が聞き集めた範囲内では)、上で述べたような緩慢なエスカレートの結果「外に出す」ンゴマを受けることになったと語る施術師は少なかった。あるいはこうした面白みのない緩慢なプロセスについては忘れてしまっているのかもしれないが、重病だったというところから話が始まることが多い。重篤化が契機で「外に出す」ンゴマへと急加速するケースは、実際にはおそらくあるはずである。
身体的疾患からンゴマ開催へ、そこで初めて患者は解離を経験する。その解離の質・内容は人それぞれだ。ただ忘我状態で踊るだけや、失神・昏倒、さらに泣きじゃくったり、怒り狂ったりといった感情過多に始まり、何度もンゴマにおける解離(ムウェレ11としての、および他人のンゴマでの観客の一人としての)を経験した後の、あたかも別人格であるかのような憑依霊そのものの出現に至るまで。瓢箪から駒ではないが、単なる身体的症状から憑依霊の世界につながったとしても、この最後のケースのところまでエスカレートしたなら、出現してきた霊が執拗に「仕事」を要求するという形で「外に出す」ンゴマ開催へ至るという可能性もあるだろう。
私が話を聞いた施術師たちのすべてが、自分が「外に出す」ンゴマを受けるに至った経緯について、3つの理由(のどれか、あるいは二つ、あるいはすべて)を挙げている。第一は発狂(kpwayuka13、母に背負われていた赤ん坊の時にすでに発狂していた、みたいな)、第二は親族内の継承(死んだ祖先[^koma]が高名な施術師であった、みたいな)、第三はあらゆる治療を拒む病(誰もがこの人は死ぬだろうと思っていた、みたいな)である。実際には、これらの理由が後づけで、上記のようなエスカレートの結果であったという可能性もあるが、少なくとも、自分が施術師であることの必然、あるいは正当性が、この三つの理由に求められているとは言えるだろう。
多くの人が憑依霊による病気に苦しめられ、ンゴマまで受けることになるが、施術師になるのは限られた者だけで、有象無象は施術師にはなれないという点だけ、確認しておこう。 そんなわけで、占いで仮に「おまえは外に出されねばならない」と告げられたとしても、当人が「そんなばかな」とその占いを却下するようなことも起こるのだ。
私の近所にいるお婆さんで、近隣の噂話の宝庫であったムチェムンダさんは、憑依霊についても熱心(?)で、身体になにか不調があるとすぐに占いを打ちに行き、すすんで憑依霊の治療を受ける(妖術の治療の場合もあるが)、そんな人だった。あるとき私の小屋にたちよって妖術(ドゥアduaの妖術)の治療のために赤い雄鶏を用意しなくては、などとひとしきり話して帰った。なんでもこの妖術のせいで脚が痛いし、目もよく見えないんだとか。でもその妖術の治療が終わったら、再度、憑依霊の方に戻らなくっちゃと言う。もう一度よく見てもらわないとと。よく聞いてみると、なんでも占いで「外に出される」必要があると言われたというのだ。そんなのありえないと彼女は言う。だって「私は夢を見せられていないもの」。今まで一度も、施術的に意味のある情報を与える夢を見たことがないというのだ。「こんなふうに私は発狂したことがないのよ。」憑依霊によって「頭を揺すぶられ」、意味深い夢を見る、これは「発狂」の重要な一部である(Oct.14, 1992のフィールドノート、および日記より)。
この3つの理由について、詳しくは施術師の経歴について紹介する際に検討することにしたい。
「外に出す」ンゴマを受けることによって、人は特定の憑依霊をもつ施術師となる。だが、たとえ自分にとり憑いて永い霊であっても、ただちにその憑依霊の施術師になれるわけではない。憑依霊の筆頭はムルング(ムルング子神 mwanamulungu)であるので、彼女(ムルングは女性である)が最初に出てこなければならない。施術師は、その最初の経歴を憑依霊ムルング子神の施術師となることから始める。ここではこの最初に「外に出す」ンゴマである、憑依霊ムルング子神の場合で、このンゴマの概要を説明したい。
ざっくり言うなら、「外に出す」ンゴマ(カヤンバ)も、徹夜でさまざまな憑依霊の歌を演奏し、ムウェレmuweleを踊らせる(憑依状態にする)という基本にはあまり違いはない。違いは、このンゴマには男と女の2名の施術師が必要であること(それぞれがムゥエレにとっての施術上の父と母ということになる)、このンゴマでムウェレに対してムルング子神の瓢箪子供(mwana wa ndonga)を授与すること、そしてムウェレに課せられる試練(試験 mutihaniという言葉もよく使われる)である。
瓢箪子供とは 瓢箪子供とは何か、については私が1992年に書いた論文『「子供」としての憑依霊 :ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼』に詳しい。ドゥルマ語に対する訳語にいくつか問題があるが(「呪医」は「施術師」に、「呪木(笑)」は「草木」に、「壺」は「鍋」に、など他にも読み替えるべきものがある)、分析そのものは現在でも妥当なものだと考えている。 簡単に言うと、それは瓢箪で作った子供である。乾燥した瓢箪の口を開き、中の種(「心、心臓 moyo pl. myoyo」)を取り出し、首(瓢箪のくびれたところ)にビーズ飾りを巻き、中に心臓(roho, moyo ムルングの場合、ムルングの草木の根で作った3種のパンデ4、施術師によっては鶏の心臓を入れる者もいる)、腸(uhumbo ムルングの草木を細かく砕いた香料3)、そして血(milatso ムルングの場合はヒマの油14)を入れる。 出来上がった瓢箪子供は、ムルングの子供であると同時に、ムウェレの子供として、「外に出す」ンゴマの終わり近くにムウェレに授けられる。ムルングに憑依されたムウェレ=ムルングであるので、ムルングの子供であり同時にムウェレの子供である事態がそこでは現実化している。
瓢箪子供の作成 瓢箪子供はンゴマに先立って作っておくことはできない。ンゴマが開かれる日の午後、ムウェレ夫婦によって口を開かれた瓢箪は、女性施術師とアテジ(ateji15)たちによって、首にビーズが巻かれる。この作業は歌を歌いながら行う。あまり丁寧にのんびりやっておられるので、ンゴマの開始が遅れるのではないかとハラハラするが、実際ンゴマの開始は大幅に遅れる。(施術師によっては、ここまではンゴマに先立って自分でやってしまう人もいる。それじゃあ駄目、という施術師も多いのだが。) [ムルングの瓢箪子供。ムルングが「外に出される」際に、憑依霊サンバラ人(musambala16)も一緒に出されることになっている。ビーズ飾りの赤と白のラインが憑依霊サンバラ人を表している。憑依霊サンバラ人は占いを担当する霊でつねにムルングと瓢箪を共有する。] 瓢箪の中に入れる「心臓」と「腸」になる草木は、ムウェレの母系親族(通常ムウェレの母の兄弟)とムウェレの父(あるいはその他の父系親族)によって、前もってそれぞれ用意されている。前者は「母系クランの草木 mihi ya kuche」、後者は「父系クランの草木 mihi ya kulume」と呼ばれる。草木はムルングの草木で、ムヴモ(muvumo17)、ムヴンザコンド(muvunzakondo20)、ムジョンゴロ(mujongolo, 別名 mutserere21)などである。ムウェレの母の兄弟も、父も、それぞれ主宰する施術師から指示されたとおりに、クハツァ(kuhatsa22)の唱えごとの後、所定の草木を折り、根を掘り出すなどして、施術師に渡す。そして施術師から、4シリングを受け取る。草木はそれぞれ一種類ずつでよく、また、同じ日に一緒に採取する必要もない。父系クランの草木と母系クランの草木の一部は、ンゴマに先立つ4日間の「鍋 nyungu」にも加えられる23。 父系クランの草木と母系クランの草木の根はそれぞれパンデ4に整形され、残りの部分は細く削り取られて粗い粉末にされている。 ンゴマが始まる前に、瓢箪子供の「心臓(母系クランの草木、父系クランの草木それぞれのパンデ)」は施術師の指示に従って、ムウェレ夫婦によって瓢箪のなかに入れられる。(これも施術師によっては、自分でやってしまう人もいる。それじゃあ駄目、という施術師も多いのだが) ンゴマが始まると、しばらくして主宰する男女2名の施術師はンゴマの管理を、アナマジ、アテジたちに任せ、小屋に引っ込む。瓢箪子供を完成させるためである。二人は、母系クランの草木と父系クランの草木の粉末に加え、自分たちがもってきたムルングの他の草木で作った香料(mavumba3)を瓢箪子供の「腸」として入れ、ヒマの油(ムルングの瓢箪子供の場合)を瓢箪子供の「血」として加え、完成した瓢箪子供を乳香で燻しつつ唱えごと、その後、瓢箪の口にムルングの「黒い(実際には紺色の)」布切れを栓がわりに詰める。
瓢箪子供を隠す
瓢箪子供が完成すると、二人の施術師はンゴマの場に戻って、ンゴマを主宰する。明け方近くになって、施術師の一人はこっそりンゴマを抜け出し、誰にも見られないように瓢箪をもって近くのブッシュに隠しに行く。隠し場所は彼(あるいは彼女)以外、誰も知らない。
こうしてムウェレに対する最初のテストの準備完了である。
夜が明けると、ムウェレを囲んで再びムルングの歌が演奏され、憑依霊に充たされたムウェレは瓢箪子供を探しに行くよう言われ、キザ(chiza)の薬液(vuo)を頭から浴びて踊りながら、カヤンバ演奏者を引き連れて出発する。瓢箪子供を隠した施術師は同行せず屋敷に残る。もう一人の施術師はムウェレの少し後ろを行きながら、早く見つけろと急き立てつつ、首尾を見届ける。
瓢箪子供の在処は、憑依霊ムルングがちゃんと教えてくれるはずだという。瓢箪子供のなかの香料の香りが鼻のあたりにたちこめてくるのでわかるそうだ。
[隠された瓢箪子供を見つけ出し、嬉しそうに抱いて帰るムウェレ]
みごとに見つけて出して帰ってくると、ムウェレは瓢箪子供をキザの薬液で洗ってやり、ムルングの黒い布(負ぶい布)に包んで抱いて踊る。最初のテストに合格したわけである。
このテストは、ムルングを出す最初のンゴマでのみ行われる。それ以降の、他の憑依霊を出すンゴマでは行われない。
またこのテストに落ちても施術師にはなれるという施術師もいるが、異論もある。
見つけ出した瓢箪子供を抱えてひとしきり踊った後に、ムウェレは今度はブッシュへ行って草木を採ってくるように言われる。ムウェレが出発すると、カヤンバ隊が続き、少し遅れて2人の施術師が、ヤシ酒とそれを注ぐ瓢箪を持ち、黒い鶏、白い鶏、黒いヤギ(ムルングの場合)を連れて続く。 ここでもムウェレは独力で草木を見つけ出さねばならない。ムウェレが重要な草木を見つけてそれを折り採ると、2人の施術師は地面にヤシ酒をたらし鶏の羽をむしりつつ、この草木をムウェレに与える旨唱えごとする。白い鶏は憑依霊サンバラ人の草木のための鶏で、黒い鶏は憑依霊ムルングの草木のための鶏である。黒いヤギは憑依霊ムルングの最も重要な草木に対するものである。鶏2羽は殺さずに持ち帰り、ムウェレの屋敷で飼い育てられる。憑依霊に捧げられた鶏なので、殺して食べたりはできない。ただ繁殖させる。 ムウェレが最も重要なムルングの草木(「最後の草木 muhi wa mwisho」と呼ばれる)をみごとに見つけると、2人の施術師は再び唱えごとをし、黒いヤギを供犠し、その血を瓢箪子供にかける。この黒ヤギは屋敷に戻るとすぐに、皮膚の痙攣している部分(choyo)を少し切り取って、瓢箪子供の中に入れる(それをしない施術師もいる)。
首尾よく二つのテストに合格したムウェレは最後に占い(mburuga)の力を証明せねばならない。 ムウェレを再び座らせ、ムルングの歌を打つ。ムウェレの前に2人の人が進み出て、小銭をムウェレの前の編み袋(ムコバ mukoba24)の中に入れる。ムウェレは一切のヒントを与えられないまま、誰が病人で、どのような病気に苦しんでいるのかを言い当てねばならないとされている。
以上が、「外に出す」ンゴマにおいて何が行われるかについて、施術師たちが与えてくれる説明の概要である。 これだけ聞くと、施術師になるのはめちゃめちゃ大変そうである。
私が初めて見たムルングを外に出すンゴマ(太鼓中心+カヤンバ併用)
私が二度目に見た、同じ施術師による、ムルングを外に出すンゴマ(カヤンバによる)
ンゴマに先立つ鍋治療から、ンゴマ開催後の「施術師教育」、施術師としての実践までカバーできた事例(太鼓中心、途中からカヤンバに移行) 「トゥシェを施術師にするまで」も参照のこと