トゥシェ(ウマジ)を「外に出す」ンゴマ

概要

施術師就任のためのンゴマである「外に出す」ンゴマ(ngoma ya kulavya konze)一般についての解説はここを見ていただきたい。

さて、いよいよトゥシェの施術師就任のンゴマの日になった。ChariとMurinaの夫婦は16日から17日にかけて徹夜のカヤンバを主宰(私はナイロビからその日に帰宅した直後だったので不参加)、さらに18日夜から19日夕方まで、10キロ離れたBang'a1のMwainziとAnzaziという施術師夫婦の屋敷で、Chari本人のための徹夜のカヤンバと憑依霊シェラのための「重荷下ろし ku-phula mizigo2」(Chariはシェラとライカの施術を「外に出す」ためにすでに2度も、この大規模なカヤンバを受けており、これが三度目の正直)をノンストップで受けていた(こちらには私も参加で疲労困憊)。その疲れも取れぬうちの開催となった。トゥシェは20日から、Murina夫婦の屋敷に滞在し、この日に備えていた。20日の「招待の鍋」についてはここを参照されたい。

主宰者および主要人物 施術師: 男性 Chai wa Wima(Chariの施術上の父の一人), 女性 Chari wa Malau 患者: Tushe(本名 Umazi wa Kumbe)(from Kinango town) muteji(筆頭)3: Mbeyu (from Chiziyamonzo village) mwanamadzi(筆頭)3カヤンバのngui4: Mawaya wa Chumba(from Ngelenge village) 太鼓(筆頭): Kalimbo wa Mwero(from Gbwadu village) ゲスト施術師: Munyazi wa Shale(Mechombo)(from Mazora)

場所・日時 開催場所: Murina & Chariの屋敷 日時: Nov.22,Sat, 1991― Nov.23,Sun, 1991

特記事項 トゥシェにとっては、初めての「外に出す」ンゴマであったが、そうした場合の通例とは異なり、ムルングだけではなく、同時に憑依霊ドゥルマ人5と世界導師11も出される、欲張りなンゴマであった。瓢箪子供も、ムルングの瓢箪に加えて、ドゥルマ人の瓢箪と世界導師の瓢箪の3つの瓢箪が授けられた。いずれも超大物の霊なので、こんなに一緒くたにできるのか、私ですら若干疑問に思った。

Chariは今回の「外に出す」ンゴマは、文字通りンゴマ(ngoma「太鼓」)によって行うことにしていた。彼女によると、カヤンバ楽器による演奏は、もともと隣接するディゴ人のもので、ンゴマでやるのが「3つのカヤ(kaya tahu)」の本来の伝統なのだと。実施にあたってもいろいろ昔ながらの「やり方」の復活が試みられていた。野心的なンゴマだったとは言える。しかし、結果は以下の日記の記述(こちらは私の個人的な見立てなのだが)にあるように、大きな盛り上がりに欠ける残念な結果に終わった。

(日記より) ただしこの日記のンゴマの部分は翌朝(11月23日)帰宅後に作成。

Nov. 22, 1991, Sat, kurimaphiri

朝9時MurinaとChari28たち寄って、自転車で今からChibaoni34までmurandze35をとりに行くという。遠い。1時過ぎに戻ってきたが、自転車が途中でパンクして押しながら帰ってきたらしい。すぐにngoma36の準備にとりかかるという。...(中略)... 午後7時にChariの屋敷へ行く。Munyazi38が来て、ndonga39にushanga43を巻く手伝いをしている。かなり時間がかかりそう。女たち、例によって(きまりどおり)歌いながら作業。このため、余計に遅くなっているのではないかと思ってしまう。Murinaたちは太鼓で遊んでいる。もう一組の女たちは、庭の隅でチャパティを作っている。今日はやけに手際がよいと思っていたら、このチャパティはmakoloutsiku44のためのものではなく、夕食(wari45とmaharagbwe46の)後にすぐ出てくる。chai ya ngoma47 というのだそうだ。

太鼓の奏者たちがやってくる。Kalimbo(実は太鼓の名手)も来る。Mwanza氏も夫婦で来る。ちょっと悪い予感(結果として一部は予感的中) ndonga48の準備が予想通り遅れ、ngomaは12時近くになって、ようやく始まった。始まったのは良いが、まったく盛り上がりに欠ける。MwanzaとKalimbo、それに本来呼ばれていた人たちが、互いに対抗し、主導権争いのような格好になる。Kalimbo、とくに仕切りたがる。いわゆる船頭多くしての状態。しかもあまり上手でない者が多く、すぐ途中で演奏が乱れてしまう。また歌もあまり歌える人がおらず、さらに一つの曲が終わる度に、次を何にするかでまたストップ。 この間、Murinaたちは小屋のなかで別の作業に従事(ndongaの準備、瓢箪一つ制作するのも大変なのに3つもではたいへん)。さらに後でわかったのだが、Murinaは途中で屋敷を抜け出し、muzuka49にmafufuto51を採りにいったりもしていたらしい。muwele53がなかなかkuvina55しないのを、妖術のせいだと考え、muweleをmafufutoで燻して、妖術使いに奪われた「汚れ50」を取り戻そうとしていたとか?とにかくMurinaもChariも始まってから数時間、ngomaの場には姿を見せなかった。....結局、makoloutsiku44抜き(これ、けっこう辛い)で、途中からMurinaはkayambaに変更するよう指示。kayambaに変えてからも、golomokpwa56させようと焦ってか、最初からkusuka57抜きで早いリズムをうつ(でもうまくいかない)、なんてことも。 例によってChariが自らgolomokpwaし、Murina相手にmutsai58が居るなどと告げるが、この掛け合いもどことなく芝居がかってわざとらしく見える。jamba59でMunyaziが大golomokpwaするなどの面白いこともあったが、全体に盛り上がらず、Tusheは占いを打つこともできなかった。その後、mihini17では自らmuhiをkuvunza60することはできたが、ndongaのkufitsa61は行われなかった。 Chariはkayambaを舞台に見立てるなら、そこでのplayerとしては卓越していて、すぐれたパフォーマンスを見せる。しかし施術師は同時に演出家でもなければならず、muweleのパフォーマンスを上手に誘導するよう、全過程を仕組む必要がある。Chariたちに欠けているのはこれ。Mwainzi氏夫妻62は、この点でChariよりも上を行っていると思う。 人々が、muweleは夜中くらいまでに踊らなかったら、最後まであまり踊らないものだ。うまくいくときは最初のうちからよく踊ると言っている。前半のngomaの不手際が、今夜のkayamba全体をダメにしてしまったような気がする。Chari,Murinaの不在(別作業)、普通ならMawayaがngui4として歌をリードしていたはずだが、に加えて、MwanzaとKalimboが正式に呼ばれてやってきていた奏者たちを差し置いて、ngomaを仕切ろうとした点に問題があったように思われる。Chariが今日のkulavya nzeで男性施術師として選んだChaiは、まったく目立った働きをしなかった。

Nov. 24, 1991, Sun, kpwisha

疲れが残っているのでぐだぐだしていると、午前中、MurinaとChariが自転車を引き取りに来る。ChariはTusheの占いがうまくできなかったのはmutsaiのせいだと言う。やっぱりそうくるか。muhiはTusheは教えられなくても自分でkuvunzaした。かりにndonga隠しもやっていたとしても、ngari waona83という。ngomaはうまく行ったと言いたいのか。 Chariは昨日、徹夜の後にもかかわらず眠れなかったと言う。床にkuchiを敷いてあげるとその上に布を広げてうとうとしている。二人とも昼前に帰っていく。

当日の出来事

(Nov. 22, 1991のフィールドノートより)

例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ただしこのフィールドノートは、徹夜のンゴマの際に作成した簡単なメモをもとに、翌々日(24日)作成したもの。ナンバリングの一部(憑依霊の歌の)は転記の際に付与。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。

【Tusheのngoma(kulavya konze)】 (DB 4083-4121)

 

準備作業 昼過ぎより、女性たち(Chari, Munyazi38, Mbeyuらの女性ateji) marero84の準備 およびushanga43をndonga39に巻く 歌を歌いながら作業せねばならない ngomaの当日におこなわねばならない →案の定、この作業が長引きngomaの開始が遅くなる 他の女性たち(Tusheの親族女性やChariの娘たち、他のanamadzi)はmahamuri85やchapati86の準備

男たちは ngoma をkugota87 (というか、遊んでいるだけにしか見えない)

23:10 ziya25 の用意完了

23:20 Murina、marashi88をバケツの水に注ぎながら mwalimu dunia11などに対する makokoteri89(なんちゃって「アラビア語」で)

23:25 Tusheをkogesha90する Murina、左手でTusheの右耳をもって、Jamba59、dunia11 に対し ngomaを開く旨告げる(「アラビア語」なので内容はわからないが)

23:50 ngoma 開始 小屋の中で始まる。一曲目 lombe...のngoma演奏

二曲目 nikalole anangu... で小屋の外に出る。

結婚式の花嫁の導き出しと同様に、leso92で覆った行列の形で。 行列の先頭はChari、ChariにぴったりくっつくようにTushe chihi93の周りを反時計回りに二周した後、muwele は着席 Tusheの隣に Mbeyuが座り、いっしょにkuphunga94される

  1. mulunguの歌 ドゥルマ語テキスト (ムルング3) (ムルング4)

  2. mwarabu95

  3. zimu96

  4. musambala97

  5. dungumale98

Mwanza氏、Kalimboの2人の老人がngomaを仕切る格好になる muweleの反応は鈍い

Chariはkayamba107に切り替えることも考えているようだ

Chariはndongaの準備でngomaの場を離れ、小屋の中で作業

Murinaも何をしているのか姿が見えない。

Murinaは、muzuka49まで mafufuto51を取りに行っていたことが後にわかる

ngomaは統制が取れておらず、まったく盛り上がらない

瓢箪子ども制作 02:15 小屋の中でMurina&Chari、 ndonga に対するmakokoteri (最後の mwalimu dunia11に対するもののみ録音) 世界導師の瓢箪に対する唱えごと (DB 4087-4091)ドゥルマ語テキスト

maroho108(=mapande20)はUmazi(Tushe)とChitiの夫婦によって ngomaが始まる前に前もって入れられていたらしい トゥシェの夫に瓢箪子供を示し、その後ンゴマの場に移動 (DB 4092)ドゥルマ語テキスト

02:20 Murina、ngomaは中止し、明日の朝再開すると宣言。Kayambaに切り替える。 このことでngoma奏者たちとちょっともめる。

02:35 kayambaに切り替えて、chitsimbakazi64

02:40 Murina、chivo109に炭を入れ、muzuka49のmafufuto51をkufukiza52

ngomaが失敗するようにと、mutsaiが昨日か一昨日にmuzukaにmuweleをkuwala110したかもしれない。それを取り戻すため。どうやらMurinaはngomaが盛り上がらず、muweleもgolomokpwaしないのは妖術による妨害だと考えていたらしい。

kayambaに移行後、muweleはよく踊る

おそらく違いは、ngomaは一人のリーダーが取り仕切らず、混乱していたのに対し、kayambaはngui4のMawayaが、一人で次に歌うべき歌を決め、間髪おかず率先して歌いリードしていたこと。従ってより集中力が高まる?

ngomaのときは、一つの曲が途中でリズムが乱れて中断したり、次に演奏する曲をめぐって議論が起こったり、といった具合でこれでは盛り上がりようがない。また多くの人々はngomaの曲をしらず歌で唱和できない。

ジャバレ(世界導師)で大騒ぎ 03:50 jabale(=世界導師) に始まる一連の歌 ジャバレで憑依 (DB 4093)ドゥルマ語テキスト

とりわけJabaleで、Tushe、golomokpwa。Murinaからmarashi88をとりあげて飲む。 Mbeyuも同じくgolomokpwa。続いてChariも。 トゥシェは自分で水を頭からかぶる

(DB 4094)ドゥルマ語テキスト

奏者たち、歌をしらない チャリ自身がリードする トゥシェ再びgolomokpwa、Murina「アラビア語」で唱えごと Mbeyuも再びgolomokpwa MurinaはTabuに手伝わせ、スケッチブックの憑依霊の絵を2人に見せている。 Tushe、頭から水を何杯も被る。

チャリ(ジンジャ導師=ガンダ人)による占い Chari、Chiluuを被って現れる(憑依状態) 例の占いを始める。→kuphendula111の必要 チャリの霊による占い (DB 4095-4111)ドゥルマ語テキスト nasikira kululu112...の歌とともに、杖をもって踊りだす

04:15 kalumeng'ala6に始まるmuduruma muwele踊るが、それだけ カヤンバ再開 (DB 4112)ドゥルマ語テキスト 04:35 mwanamulungu113を再び kusuka57抜きで、いきなりkutsanganya114から

トゥシェ占いの試練に挑戦 04:55 再びngomaにもどって mwanamulungu、トゥシェの占いテスト トゥシェの占いテスト (DB 4112-4115)ドゥルマ語テキスト

lungo115を与え、Chariまず自分で描いてみせ、次いでMuwele に描かせる。これを何度か繰り返した後、mapeni116を置き、誰が病人であるかを言い当てさせる。 Tushe、kaphana mukongo117 などと言う。 Chari, 置いたのは病人の金ではないから Tusheの答えで当たっているという。

トゥシェ、musambala97で再度挑戦。占い断念。

ジャンバ導師で大騒ぎ 05:45 kayambaでjambaを打つ→ Tushe yugolomokpwa Munyaziがいきなり激しくgolomokpwa ムニャジの憑依: ジャンバ導師 (DB 4116-4118)ドゥルマ語テキスト 両手を飛行機のように広げて、そのまま倒れ掛かる

06:00 Munyazi、Murina とchiryomo118でやりとり。 スケッチブックの絵を見せられると、それをもって喜んで踊りまくる。 占いを打ちたがる。

最後に Munyazi、小屋のなかに連れ入れられる。 Tushe、すっかりしらけてしまった様子。

トゥシェに瓢箪子供授与 06:10 ngomaでmuduruma 演奏 (DB 4118) Chari、Chai(今回のパートナーの男性施術師)、MbeyuとTusheの4人は 白い布ですっぽりと覆われる。その下でTusheに mwana wa ndonga が 与えられる。 もちろん見物している我々には見えない。


[瓢箪子供を授けられたトゥシェさん。ちょっとしんどそう。後ろで太鼓を打つのは老太鼓奏者カリンボさん]

06:20 mushombo119が出る。 ngoma の演奏が続く中、全員でsufuria120一杯を食べつくす。

06:30 mwana wa ndonga39の授け、終了。

 

草木採集試験 06:45 再び、mulungu を演奏、mihini121 に出発する。 Chari、wimbi122、灰、mafuha123、 kuku mwiru124、kuku mweruphe 用意 wimbi は各々の木の周りに撒くためのもの。 同じchikaphu125に、Tusheに授けられた mwana wa ndonga とChari のmwana wa ndongaを入れる。 06:52 Tushe、立ち上がって踊る。 Chikaphuを抱えて出発。 Chaiが先頭。しばらく進んだところでTusheが先頭になる。

最初のmuhi=murindaziya126 (mulungu) ムルングの草木に対するkuhatsa (DB 4119-4121)ドゥルマ語テキスト

kuku 黒、白、ともに爪を切ってその血をmihiと、その根元に置かれたndongaにつける。 Chai、Chari それぞれがkuhatsa127 uchi128を垂らしながら、再びkuhatsa 葉のついた枝と根をとる その他のmihiは、Chai、Chariが先に教えてやっている。

mudurumaのmuhi= muphingo129 同じ手続きが繰り返される。

mwalimu dunia のmuhi= muzyondoheranguluwe130(mwehani131で)

ここでもkuhatsaの手続きが繰り返されるが、uchiの代わりにivu132とmafuhaが注がれる。 イスラム系の霊は uchi128を好まない。

07:50 屋敷に戻ってくる

Tusheを座らせて、再びngoma Dena79(Makumba)、mudigo133、shera81 と演奏されていく。

09:05 mulunguを最後に打って、終了。 Chai がmakokoteriする。

09:30 朝食(mahamuriとchai)が出席者全員に振舞われる。

09:45 fungu134についての談判始まる(私はここで帰宅)

(Nov.24, 1991の朝、やって来たチャリ夫妻による情報) Nov.23 13:00 に人々解散 funguの分配は、ChariとChaiの二人の施術師は 130シリングずつ。 Munyaziは40シリング、Kalimboは30シリング受け取った。 残りの funguの分配をめぐって、anamadziたち、喧嘩しそうになったという。

まとめ

3人の大物憑依霊を同時に「外に出す」という点で、かなり気合のはいったンゴマだったはずなのだが、冒頭で述べたように、若干盛り上がりに欠け、結末も見事なフィナーレというにはほど遠かった。日記にもおなじ感想を書いているが、その原因を整理しておきたい。

演奏者の問題

ンゴマ(カヤンバ)では、曲目の組み立てと、そのスムーズな継起が、ムウェレが機嫌よく(?)踊れるか(憑依状態になれるのか)にとって、意外と重要だということが、改めてわかった。ムウェレが上手に憑依状態に入り、普段の彼/彼女にはできないような(しないような)振る舞いを見せる、ここにンゴマの結構重要なポイントがある。この日のンゴマの最大の難点もここにあった。

  1. ChariとMurinaの弟子(anamadzi)たちのほとんどはカヤンバに熟練した奏者であり歌い手だったが、太鼓については素人同然だった。そのため、地域の太鼓奏者を別途招かざるを得なかった。彼らは、Chariたちのアナマジ(弟子たち)と、ともすれば対立しがちだった。

  2. 太鼓でやる!ということで近隣の「かつて太鼓で鳴らした」老人たちがやって来た。私の初期の調査からの良き相談相手だったカリンボ老人や、同じく太鼓打ちだったマンザ老人である。彼らがンゴマの流れ自体を仕切りたがった。

  3. カヤンバに慣れた女性たちは、ンゴマの歌の多くを知らず、独唱者の先導に、うまくフォローできなかったので、歌が盛り上がらなかった。

演出の問題

  1. ChariとMurinaが瓢箪子供作り、その他の作業で、夜中過ぎまでンゴマを主宰できなかったのだが、そういう場合に、ちゃんと進行を任せられる人物(通常であれば、歌い手筆頭の弟子Mawaya氏)がいるべきなのだが、今回は外部から来た人々が仕切りたがり、彼らのあいだに意見の不一致が見られた。曲が終わるたびに、次に何を演奏するかでもめたりしては、うまくいくわけもない。Chariのパートナーを務めるはずだった男性施術師Chai氏は、進行を手配するうえで進行役の役目を果たさなかった。

隠れた人間関係の齟齬

  1. 日記の方に、Mwanza夫妻がやってきているのをみて「嫌な予感」がしたと書いているが、実は当時、ChariとMurinaはこのMwanza夫妻が自分たちを攻撃している妖術使いだと思い込んでいた。ChariはMwanzaの母系親族であり、その伝手でMwanzaたちの土地に住まわせてもらっていたのに。詳しくは、ややこしい話なので、別の機会に譲るが、結局このンゴマの約一ヶ月後に2人はMwanzaとその第4夫人をサブ・チーフの法廷に訴えた、と言うとその深刻さがわかるだろう(この妖術告発はチャリたちがあまりにも込み入った作戦―表面的には妖術告発という形をとらない―を立てすぎたために不発におわり、チャリたちは名目的な勝ちはとったものの、毒の試罪法まで進むという目的は達せずに終わった)。とにかくこの時点でMwanza一族とChariたちの関係はすでにギクシャクしており、それがこのンゴマに影をおとしていた(特に観客にとってほとんど興味をもてそうにない妖術使いについてのChariの占いの場面。Murinaがずっと興奮していきり立っており、ほとんどの人がなんとなく白けていた。) 私は、はっきり言って、Mwanzaさんたち、なんで来たの、やめてー、という感じだった。

  2. やや遠方のMazoraからやってきていた客人のMunyaziは、その前年に最初の「外に出す」ンゴマを受け施術師になっていた。その施術上の父と母はMwainzi氏とAnzaziの夫婦62であったが、この2人はこの年Chariにライカとシェラを「外に出す」ンゴマを主宰した、Chariの施術上の父と母でもあり、したがってMunyaziとChariは施術上の姉妹。そのよしみでの今回の訪問であった。Munyaziは前年ムルングを出して施術師になって以来、非常に野心的で、今年もすでにシェラとライカを外に出してもらい、今やさらに世界導師も外に出してもらいたいと思っていた。そうなるとChariが世界導師については彼女の施術上の母になる。というわけでChariの新しい施術上の子供トゥシェに、あからさまにライバル心むき出しで、今回のンゴマでも、アピール強すぎだよー、なところがあった。トゥシェが主人公として憑依状態になるべきところで、必ず彼女も憑依状態になり、まわりの関心を自分に集めてしまい、トゥシェがちょっと白んでいるような場面が何度か見られた。 こうしたことは、たいていのカヤンバやンゴマにもつきものなのだが、今回の盛り上がりにやや欠けるンゴマでは、かなり浮いた感じになっていた。

クライマックスの欠如

  1. 通常の徹夜のカヤンバは、カヤンバ奏者たちや主宰する施術師は、夜明けにライカやシェラ、マサイなどを演奏し、ヤケクソに盛り上がるのだが、「外に出す」ンゴマでは最後がムルングなので、こうした音楽的盛り上がりはあまり期待できない。しかし、それ以上のスペクタクルが参加者の感心を高める。それが3つのテスト、とりわけ瓢箪隠しのテストである。通常の順番では、最初に瓢箪探しが行われ、見事に成功した場合、ムウェレは拍手でンゴマの場に迎えられる。そしてそのままムルングの「最後の草木muhi wa mwisho」を見つけられるかどうかのテストが行われる。この「最後の草木」をクライマックスとする、様々なムルングの草木採集とそこでの施術師によるクハツァ(ku-hatsa127)は、ある意味フォーマルにムウェレに施術師の資格を与える手続きとなっている。なにしろ草木の知識とコントロールあっての施術師なのである。そして施術師としての能力をまさに人々に披露して見せるのが、人々の前での占い(mburuga)という最後の見せ場である。 しかしこの日は、夜明け前に、まだ瓢箪子供の授与すらする以前に、占いのテストがあった。それは残念な結果だった。その後に瓢箪子供が、被された布の下で単に手渡されるという形でおこなわれ、最後が草木採集だった。その後、まるで通常のカヤンバ(ンゴマ)の場合のように、脈絡なくライカやシェラが演奏された。まるで「外に出す」施術師就任のクライマックスを打ち消すみたいに。これでは、いやー、何のためのンゴマだったんですかぁ、である。

なんだかンゴマ評論家みたいになってしまった。ごめんね。

補足(Nov.3, 2024記)

とここまで読んだところで、ふと疑問に思った。なぜChariは、ムルングとドゥルマ人と世界導師を同時に「外に出す」などというやり方をとったのだろうか。まず、ムルングを外に出し、施術師として活動させた後に、ドゥルマ人、世界導師と順に、それぞれ別のンゴマで出すという、普通のやり方にしなかったのだろうか。もちろん3回のンゴマを一回で済ませるという方が、資金的には負担が小さいのはわかるのだが。そしてなぜ瓢箪子供を探し出すという見せ場を省略してしまったのだろうか。トゥシェにとっては、これがムルングを外に出す最初のンゴマであったにもかかわらず。

で、思い出したのがChari自身の経歴である。Chariは最初、普通にムルングだけを外に出してもらっている。しかし、半年間は順調に施術師の仕事が続いたのだが、それが「蓋をされて」(あるいは「覆われて」)しまい、重病になった。「誰もがこの人はもう死ぬだろう」と覚悟するほどの重病だったという。そしてChariの前に世界導師自身が大蛇の姿で現れ、Chariに、世界導師の草木を教えた。世界導師がChariの癒しの術を覆ってしまった理由は、世界導師の癒しの術を出してもらいたかったからなのだった。その後、Chariはマリアカーニの町に住む施術師Fupiのもとで治療を受け、Fupiによってムルングとドゥルマ人と世界導師の3人の憑依霊について「外に出す」ンゴマを主宰してもらった。そのとき、Chariはすでにムルングは出し終えていたのだが、Fupiの下で、再度「出し直し」てもらったのだった。そして同じンゴマで同時に、ドゥルマ人と世界導師を「外に出し」た。すでに最初のムルングを「外に出す」ンゴマで、隠された瓢箪子供を見つけ出すことを済ましているので、Fupiが主宰したそのときのンゴマでは、瓢箪子供を隠すテストは必要なかった。

とすると、今回のトゥシェと同じじゃないか。もしかしたらChariは世界導師と憑依霊ドゥルマ人(この2人の霊がトゥシェの病気を引き起こしている張本人の最も厄介な霊だった)を外に出すンゴマを主宰するにあたって、自分自身が受けたンゴマの手順を踏襲しようとしたのではなかったのだろうか。今となっては確認するすべもないが。

なぜ当時、そしてこれを書いているときに、すぐにこれに思い当たらなかったのだろうか。自分でも呆れてしまうしかない。

録音書き起こしテキストの和訳

「外に出すンゴマ」に連続して参加したため、今回のンゴマは録音よりも、ゆっくり観察する方に力を入れた。そのため歌の録音は一部のみ、というのは嘘で、テープレコーダーの調子が悪く、無音録音に終わったり、回転していなかったりと散々だったのです。 歌の日本語訳は、あくまでも私はこんな風に読み取りましたというだけのもので、正しさを主張したりはするつもりはない。というか、ほとんどの歌ははっきり言って何を言っているのかわからないのが正直なところ。歌の中でしか使われない単語で、ドゥルマの人でも意味がわからないというものも多い。しかも歌詞は固定したものではなく、歌い手が即興でアレンジしたりしているので、十全な理解など、フィールドで早々に放棄してしまった。というわけで、以下の訳は、ご参考までにとどめておかれたい。

ムルング子神の歌 4083 (ムルング1)

祈って、私のために祈って、あなた 祈って、私のために祈って、あなた 祖霊に祈願して 私のためにムルングに祈願して 祈って、私のために祈って、あなた

4084 (ムルング2)

私はどうしたらいいでしょう? お母さん、私の子供たちに会いに行かせて、私の友よ ムァチェ川まで、私の子供たちに会いに行かせて

4085 (ムルング3)

ああ、祈れ、癒しの術を求めて祈れ

4086 (ムルング4)

どちら様かの長老は、こっそり独りで食事する135 なんと、トウモロコシの練り粥、一握りすら残さない すっかり食べ尽くす

「すっかり」tsetsetse ツェツェツェと繰り返し歌われているところをお聴き取りください。

世界導師の瓢箪子供に対する唱えごと 4087 (02:15) 世界導師(mwalimu dunia)の瓢箪子供に対する唱えごと(途中から) (そろそろ瓢箪子供が仕上がった頃だろうと思って小屋に行くと、すでに唱えごとが最後の一つに差し掛かっていた。ムリナに続いてチャリが唱えごとをする。聞き手は私ひとり(もちろん本当の聞き手は今や瓢箪子供として現前した憑依霊たち)。 ムリナによる唱えごと

Murina: こうして今、私たちは彼女(ウマジ)を正します。彼女に何を示してでしょうか。道をです。彼女に息を出します。しかし、癒しの術は、あなた方の癒しの術です。この世に、人から癒しの術を与えられる者などおりません。癒しの術を全能の神より与えられる以外には。 今、ここにおられるあなた、私はこの癒しの術の瓢箪を差し出します。癒しの術は月のごとく光ります。癒しの術は彷徨します。癒しの術は油です。癒しの術は収穫です。遠くの人を引き寄せます。 ウマジが占いを打つと、彼女にただしくお語りください。私は(ウマジのところが)いつも(人で)一杯であることを望みます。あなたが本当に癒やし手であるかどうか、私にはわかるでしょう。私はさらに一層お調えいたします。調えられるあらゆるものを、同様に調えましょう。なぜなら、私は隣人を、兄弟を、友人を得たのですから。 今日、今、私はあなたをウマジに与えます、あなた世界導師よ。夜に昼に訪れ、ウマジに幸運をもたらし、彼女に癒しの術の夢をお見せください。

4088

Murina: 彼女のために繁く占いを打ち、彼女のために包み隠さずなにもかもをお話ください。これこそ、私が望んでいることです。私にはこれ以上申し上げることはございません。これが私の言葉です。他のことごとは、チャリが言い尽くしてくれるでしょう。でも、私は、癒しの術をウマジの身体のなかにとどけるよう、あなたをお遣いいたしました。 チャリによる唱えごと Chari: ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム.... さて、私はお話しいたしますが、あなた世界導師と議論したりはしないでしょう。あなたバラ・ナ・プワニ27。私としてはあなたと議論したりすることはなかったでしょう。私個人は、悩み事と不安に見舞われました。誰もがみな、「彼女は治らないだろう、彼女は死ぬだろう」と知っていました。私は、他人に占い(mburuga136)を打ってもらいはいたしません。あなた自身がやって来て私にお話になったのです。だって、誰もがチャリは今日、今にも死ぬだろうと知っているのですから。 そう。私はあなたご自身に、やって来て、ほらこれが癒しの技だよと話していただいたのです。私は、行ってあなたご自身に癒しの術(uganga18)を授けられました。でもそれでは十分じゃなかったのです。

4089

Chari: 私はそんなわけで世界導師の癒しの術を盗みはしませんでした。私はそれを(治療上の)お母さんフピ・ワ・ンゴメと、マシュディ・ワ・マンガレによって与えられました。私は世界導師の瓢箪を与えられました。世界導師の瓢箪とは、これです。これをお母さんフピ・ワ・ンゴメにクハツァ(ku-hatsa127)してもらいました。そしてこう言われたのです。もしあなたが友人が苦境にあるのを見たなら、今度はあなたがその人に子供(瓢箪子供)を与えるように、と。今日、私はウマジ・ワ・クンベにこのバラ・ナ・プワニの子供を与えます。 あなた世界導師、ジャンバ導師、ふたりとも同じ皆さんです、あなたカリマンジャロも。皆さんは全員、山々のなかに、大きな木々のなかに、ゾンボ山137におられる。皆さんはウマジにとり憑いた。皆さん方がウマジに取り付いたのは、昨日一昨日(過ぎた過去)のことです。でももしかしたら彼女はまだ準備が出来ていなかった。でも今日、今、ウマジは悔い改めています。そしてもし本当に、あなた世界導師の仕業なら、私たちが望んでいるのはつつがなきことです。そしてあなたがご存知の仕方で、つまりウマジを一杯に満たすことで、占いをなさることです。なぜなら、あなたがいらっしゃるところどこでも、繁栄すると私は聞いております。

4090

Chari: 今、そう、私はウマジにあなたが昼も夜も占いをお与えになるよう望みます。施術師は食事もせず、眠らず、自分の家にじっとしていることもない、昼も夜も動き回る(そうありたいもの)。でもウマジが、病気のせいで道をさまよい歩き、世界をさまよい歩くのには一休み。今、そう、ウマジは癒しの仕事を欲しています。彼女に、占い板をお与えください。そしてウマジが眠るときには、癒しの業の夢をお見せください。眠るとなにかに組み敷かれる夢を見るのも、死体の夢を見るのも、なしです。とんでもない。 今、ウマジは悔い改めています。今、今日、私たちは彼女に癒しの術を与えます。 私はあなたを盗んではおりません。私はあなたをお母さんフピ・ワ・ンゴメとマシュディ・ワ・マンガレによって与えられました。そして、こうして、つつがなくあります。私は、もし私が友人が苦境にいるのを見たら、あなたを与えるようにと言われました。そして私があなたを与えたら、私が申し上げる通りに私に応答なさってください。ちょうど私があなたに申し上げておりますような具合に。私は癒やし手ではございません。癒し手はムルングです。私の唾液(言葉)とムルングの唾液(言葉)がともに眠りにつきますように(静かに定着しますように)。

4091

Chari: 彼ら(ウマジの一族)の祖霊たちと、私たちの祖霊たちが、いっしょに眠りにつきますように(騒ぎをおこしませんように)。ムリナの一族の祖霊たちも、一緒に眠りにつきますように。キティ(ウマジの夫)の一族の祖霊たち、ムァキティの一族の祖霊たちも、ともに眠りにつきますように。皆さんでいっしょに、彼女をお見守りください。ウマジに癒しの術をお与えください。これこそ、喜ばしき良きことです。ウマジが癒しの術を外に出されたのに、再び何もせずに座っているといったことがありませんように。 あなた世界導師、あなたは何もせずにいることがどういうことかご存知です。あなたの仕事は仕事を割り振ることです、あなたジャバレ29、あなたメッカを徘徊する者、メッカのジャバレ、メッカのスディアニ16。皆さんは全員一体です。ジャンバ導師ともごいっしょです。 今日、今、私は立ち止まってウマジに癒しの術を与えます。そしてウマジと癒しの術が輝きますようにと願います。病気はダルマワシのごとく飛び去れ。脚は家の土台の支柱のごとく立て。腕は握りこぶしのごとくつかめ。頭は木の椀のごとくまっすぐ立て。占いは、しっかり、良好に打つこと。私の言葉は以上です。皆さん。

4092 ウマジの夫キティ(Chiti)氏が呼ばれて入ってくる。瓢箪子供3つ(ムルングの瓢箪、ドゥルマ人の瓢箪、世界導師の瓢箪)をキティに示す。ウマジが使用する占いの瓢箪キティティ(chititi138)は、とりあえずチャリのものを使わせる。ウマジ自身のキティティは後に制作して与えることに。ンズガ(nzuga139)もキティがウマジ用のものを制作するまでのあいだチャリのものを使わせてあげることに。

Murina: そのキティティは彼女のものにはならないの? Chari: そうよ。だって彼女のはこれから作るんだもの。私も最初は人のを与えられたわ。メズマさんのをもらったでしょ。 Mu: でも、ンズガ(nzuga)はあげるでしょ。 C: ええ。でもあのンズガは、彼女が家に持って帰って家で鳴らせるようにってあげるのよ。 Mu: じゃあ、お前が分けてあげるんだ。 C: (Chiti氏に向かって)あんたが作ってあげるまではね。 Chiti(husband of Tushe): でも中に何を入れたらいいか教えてください。 C: トウアズキ(トゥリトゥリ t'urit'uri37)の粒を入れるんですよ。 キティ氏、ムリナ、チャリ、私、小屋を出てンゴマに加わる。 午前2時20分、ムリナは人々に太鼓は止めて、カヤンバ演奏に変更するよう命じる。 午前2時35分、カヤンバ演奏、キツィンバカジの歌から始める。

02:20~03:50 録音失敗(pause解除に失敗、テープ走行せず)

(ジャバレで憑依) 4093 03:50 ジャバレ導師のku-sukaの途中から録音再開

(ジャバレ導師の歌・クスカ57)

ごめんください、エエ、導師よ、ごめんください、エエ 今日、ごめんください、導師よ、ごめんください、エエ 私は何事もございません、私は扉を開きます、私です 王、ジャバレの息子 今日は、導師よ、いらっしゃい 師よ、スルタンよ

(トゥシェ、いきなり憑依状態になってしまう。ムリナからローズウォーターの瓶をとりあげて自分で飲む。続いて付き添いのムベユさんもgolomokpwa。続いてチャリも。 トゥシェは自分で頭から水を被りはじめる。)

Chari: あんた、かき回して、皆さん、かき回して(クツァンガーニャのリズムで) Kalimbo(太鼓の名手の): ほら、皆さん、かき回しなさいな。皆さん方がご存知のやり方で。 (チャリ、自ら先導して歌い始める) (ジャバレ導師の歌・クツァンガーニャ) ああ、私は食われているよ、私は、ああ スルタン、ウェー、エー 今日、今、スルタン、ホーワー 内陸部(bara)のスルタンがやってくる スルタン世界導師の

(人々歌を知らないらしく、すぐに唱和できない)

Kal: なんだよ、あなた方3人だけかい。他の人たちはどうなってるんだ! (人々しだいに唱和し始める)

4094 (チャリ、別の曲を先導して歌い始める) (ジャバレ導師の歌)

押せ、押せ140、アラブ人 押せ、(施術の)仕事人、ジャバレ

(トゥシェ、また憑依。ムリナは彼女に唱えごとを始めるが、それは彼独自の「アラビア語」でだった)

Murina: ズルー、ズルー、(意味不明な言語が続く)

(ムリナがトゥシェに唱えごとをしている間もカヤンバの演奏は続く) (ジャバレ導師のもう一つの歌 この歌の冒頭部にムリナの「アラビア語」の唱えごととトゥシェのやりとりが一瞬はっきり聞こえている)

あなたの出身地から、おいでなさい あなたの出身地から、おいでなさい 導師よ、あなたの出身地から、おいでなさい わたしは雲とともに去り 雲とともに戻る わたしは太陽とともにやって来る、蝿追いハタキ141 ジネ[^jine]よ、あなたの出身地から、おいでなさい

(ジンジャ導師の歌) (これはチャリが作詞作曲(夢で憑依霊本人に教えてもらったという)した曲なので、しばし誰も付いてこれない。しかしすぐに唱和するところはさすが)

わたしは憑依霊を扇ぐ、ジンジャ導師です 我が子ジンジャは癒やし手 ジンジャ導師がいます 我が子ジンジャは癒やし手、ウェー さあ、今日は(以下2語ほどよく聞き取れない) 結構!いっしょに行って仕事をしましょう わたしは内陸部にも、海岸部にもいます 癒し手です 私に蝿追いハタキを渡して、祈らせてください

Chari: 皆さん、カヤンバを打ちなさいってば! Murina: あんたたち、打ち止めるのかい。

4095 (ムリナはトゥシェに対する「アラビア語」の唱えごとを続ける) (ムベユ(トゥシェの付き添い)も突然憑依)

Mbeyu: ヒイイイ、ヘエエ、ヘエエ Chari: お静まりなさい、お静まりなさい 人々: 降りてきなさい、降りてきなさい (ムリナは「アラビア語」でムベユと議論を始める。トゥシェとムベユの2人に、彼が描いた憑依霊の絵を見せながら、なにやら説明している(「アラビア語」で)

(憑依状態のチャリの占い) (チャリは演奏者たちにカヤンバ演奏を止めるよう指示。彼女自身も憑依状態、なんどもため息をつきながら占いに入っていく)

Chari: ホーフィ、ホーフィ(ため息繰り返し)...(周囲の騒音で聞き取れない)... 私はおしゃべりは嫌いなんだよ。 Murina: おしゃべりではありません。仲間に話してあげることは、まさに良いことです。 C: さて、私に何を話せと言うんだい、皆さん。私は見物に来ただけだよ。もう帰ります。 Benyawa: あなたがここに見て取った問題、その太陽ですよ。だって病気の子供がいるんですよ。 C: なあ、私が問題を見てとったとしても、私が話すと、皆さん方は私は口が悪いやつだと言うんじゃないかい。

4096

Murina: まずその問題そのものについて話してしまってくださいよ。 Man1: 問題そのものを話してくださいよ、お母さん。私たちは急いでません。 Chari: 急いでないだって? Benyawa: さて、どんな風に急ぐっていうんですか?私たちが注文された仕事が私たちがする仕事で、私たちはそれをするだけです。 C: じゃあ、あんたがた、その仕事を追求しますっていうんなら、やってちょうだいな。私は… Man2: もしかして何か見たんだったら、お母さん、私たちに喋ってください。 C: 私ゃ、何かを見るのはやめたんだよ。あんた方を見ることもね。 人々: ああ、私たちに今ここでお話してくださいよ。 Ben(Benyawa): 私たちを見ることはともかくね。私たちはここにいます。でもある者たちは病人なんです。私たちには遠くのトウモロコシの芯があります(「外からは見えない隠れた病気があります」の意味) C: そいつが言うには、もう人々を見るのは止めるってさ、あんた。 人々: でも、もしお母さん、あなたが見たんだったら、もしかしたらですが、私たちにお話ください。私たちは知らないのですから。 Ben: いいですか。病気とは私を見ることだけじゃありません。いえいえ。

4097

Man2: もし隠れている病気なら、私にお話ください。 Chari: あんたたち、私にはそんなに言うべきことはないんだよ。もし私がたくさん喋ったら、私ゃ、まるで気狂いだってことになるだろうよ。だから、ンゴマをお打ちなさいな。あんたたちンゴマを打ってたんだろう?仕事(癒しの仕事)の(を外に出す)ンゴマ。ンゴマの仕事だろう。 Man2: ええ。 C: ンゴマをお打ちなさいな。そして仕事を(外に)お出しなさいな。さらに、お仕事をなさいな。 Man1: 私たちに仕事(癒しの仕事)をしろと? Man2: そんなことしたら、この場で死んでしまわないかな(冗談)。 C: ンゴマを打って、仕事をお出しなさいな。そして仕事をなさいな。 Man1: ンゴマを打ち、仕事を出し、その上で私たちに仕事をしろと? C: ああ、私は(霊の言うことを)しゃべっているだけさ。もし違っていたら、あんたたち違いますとお言いなさいな。 Murina: 私にすっかり言ってくださいよ。すっかり言って。後で調えなければならないその仕事っていうのが、いったいどんな仕事なのか。 C: ああ、私はだって (ここでカセットテープ片面終了)

4098

Chari: あんたたちに今すぐ言ってあげます。そもそも、私は人に隠しごとをしたりしないわよ。 Man2: そうですとも!隠しごとをしないということは、良いことですよ。 C: でも、あんたたち、私に何をくれたというの? Man1: まあ、まあ。私たちに同じようにすっかり話してくださいよ。 Murina(Mu): だって、あなたはいっぱい踊ったじゃないですか。 C: 踊るってことで言えば、私は自分でやめたとでも。私はいつまでもいつまでも踊り続けるだけよ。さあ、憑依霊カンバ人を、私に踊らせてよ。明日までだって私は踊れないとでも? Mu: じゃあ、踊りなさいよ。 C: でも、あの病人(ムウェレ=トゥシェ(ウマジ))には、何を打ってもらえるの? Mu: 二人いっしょに踊ればいいよ。 C: でも、私ゃ踊るだけでいいとなると、なにも見ないわよ。二度と立ち去らないわ。 Man2: 二人で一曲だけ踊れば、お母さん。あなたは自分の子供と一緒に踊るんですよ。 C: でももしかして、彼女がもっていない(憑依霊)かも。

4099

Man1: あああ。彼女(ムウェレ)が持っていない憑依霊を怒らせてしまうよ。 Chari: 私ゃ陰口好きだよ。話し始めたら、どこまでも止まらなくなっちゃうわ。おやおや。 Man1: ああ、お話しなさいな。 Murina(Mu): さて、私たちが(小屋の)なかで、何をひっくり返し(妖術返し111)すれば良いんだい? C: しっかりひっくり返しなさいな。だってあんたたちがひっくり返したら、事態は収まるんだから。 Mu: そのとおり。 C: さしあたってはね、瓢箪子供をお出しなさいな。頑張らないとね。だって、あんたたちが、お前らは(本物の)癒やし手(aganga)じゃない、なんて言われているのが見えたよ。 Benyawa(Ben): ああ、私たちアナマジ(弟子たち)は、あなたを頼りにしているのに。 Mu: 今すぐに? C: そう。だって彼女(ムウェレ)は、埋め隠せるどこかに埋め隠されてしまったもの(wakpwenda susumbikpwa142)。さて、私はなにか隠しごとをしてるかい(すべてをあからさまに話しているよ)? Mu: 彼女がどこかに埋め隠されてしまったって?

4100

Chari: そうよ。そして今もそのまま。だから(するべきことを)なさいな。で、それが済んだら、彼女をしっかりひっくり返してあげなさい(muphendule vyenye111)。だって、このままじゃ、あんたたち自身もそのうち同じように、埋め隠されてしまうだろうからね。 Murina(Mu): うう。私たち自身も... (チャリ突然歌いだし、杖を振り回しながら踊りだす。でもほんの短い間。) (チャリの占いの歌) 私は悲しみを感じる、癒しの仕事が争いだから ホー、私の癒しの仕事 私は泣きます、お母さん、何を話せばいいの 争いよ、ウェー、癒しの仕事 私は嫉妬されている 癒しの仕事は悲しみだから、ウェー 私は食べられています、お母さん、何を話せばいいの 争いよ、ウェー、癒しの仕事

Chari: 癒しの仕事(uganga)よ。それが済んだら、あんたたち、ムジム(muzimu143)そのものを片付け(ku-usa100)にお行きなさい。とても強大なムジムよ。ちっぽけなとは言えません。 Mu: なるほど、獰猛なムジムそのもの? C: 強大そのものなムジムよ。彼女の憑依霊たちをもって行かれてしまったの。(妖術使いが考えたことには)「こいつが癒しの術を欲しているとは、なんと。施術師になるというんだな」。そうして彼女の憑依霊たちをじっとながめて、悟ったのね。「なんとこいつは本物の施術師になるぞ。今のうちに(憑依霊たちを)ひっつかまえて、然るべき場所にガチッと閉じ込めてしまおう。蟻塚とか、ムズカ49とかな」

4101

Murina(Mu): 3つのステップかい? Chari: さしあたってね、おやりなさい、おやりなさい、おやりなさい、一段階、一段階。まず第一段階は、あんたはちゃんとやったってことだよね。だって、ムジムの棲み処にはもう行ったんだよね。 Mu: しっかり行きましたとも。 C: で、ンゴマを打つに至ったと。 Mu: ええ。 C: よくできました。じゃあ、これからそこに(ムズカに)支払いに行っておいで49100 Mu: 私に行って支払ってこいと? C: 支払いに行っておいで。 Mu: はい、そうします。 C: このあとね、白い雄鶏をもって支払いにお行きなさい。それとご飯(米の)とバナナもね。それでおしまい。あるいは、まず蟻塚に行くことから始めてもいいね。行って、(そこに埋め隠された)品々をとってくる。

4102

Murina(Mu): 彼女(ムウェレ)を出してくると? Chari: 彼女を出しておいで。その後で、お前は支払いに行く。あっちの蟻塚には彼女をすでに出しに行ったんだから。 Mu: そうだね。 C: さあ、でもね、今度はいよいよ彼女をひっくり返し(umuphendule111)始めないと。 Mu: もちろんだとも。 C: 彼女をひっくり返してあげて。(ムズカに)支払いに行き、戻ってきて彼女をひっくり返してあげて。 Mu: そうだね。 C: さあ、彼女の方も、解いてもらったみたいに見えるだろうよ。 Mu: 彼女は3回にもわたって埋められたということかい? C: さて、その後もあんたにはまだする仕事があるよ。だって、彼女は今もまた埋められようとしているんだから。だって、あんたが「お前は施術師(muganga)なんかじゃない」と言われるようになるように、彼女は埋められようと言うんだから。だって、彼女は、あの連中のために、今埋められようというんだから。あの…。(かつて)それらのことをした奴は、そもそもこのあたりにはいない。でも今、(ことをこれからしようとしている奴を)探し出そうとしたら、近くで見つかるよ。今度は、この近くに住んでいる奴らによって埋められようとしているんだよ。 Mu: 近くにいる奴ら?

4103

Chari: あんた私に話して欲しいのかい... Murina(Mu): 話してくださいよ。 C: 言わないよ。 Mu: 話して、話して。 C: 私は話さないよ。もうされちゃったこと。 (チャリは突然、その場に居合わせている女性を指さして) C: おやあの御婦人には獰猛な憑依霊がいるよ。それについて話そうか。それとも話さないほうがいい? Mu: (まだ自分たちを攻撃している妖術使いの話題にこだわっている)片付けてやる。たいした問題じゃない。 C: ご本人たち、もしそのことについて(その女性についている強力な憑依霊について)まだ聞いたことがないのなら、まだ話されていませんと私に言っておくれ。 Woman(W): 聞かされています。 C: あの女性には獰猛な憑依霊がいる。ほらそこの女性だよ。 W: タイレ144です。 Mu: (まだこだわっている) 片付くさ。たいしたことじゃない。あいつはすでにわかっている。ここには深い穴が待っていることを! C: (再びムリナに向かって)それ、それ、そいつ(妖術使い)はそういうところが嫌だったんだよ。

4104

Murina(Mu): あなたがただ私に話してくれた通り、私にわかっているのは... Chari: あんた、彼女(ムウェレ)は妖術をかけられたんだよ。彼女を治療する者のなかには、自分たちは彼女を治療すると言う者もいる。でも別の者は、彼女を治療するといって、なんとそいつらは彼女に「布の縁飾り(chipaji)」145を与えたいのさ。彼女自身は、「私は妖術をかけられた」と言う。「それから、私は行きました。あちこち連れて行かれました。さて、私が着くと、そいつら(妖術の治療師であるが、実は妖術使いでもある)は言う『お前が、二度と(こうした災難に)あわないように』と。」それから彼女は見てもらう。(その妖術使いは知る)「くそ、なんてことだ。こいつの星(持って生まれた良い運勢)、こいつの。こいつは、今に(すごい癒し手になるぞ)...」というわけで彼女はすっかり「覆われて(akakandirwa 文字通りには「隙間を埋められて、塗り込められて」)」しまう。本人は、自分が治療してもらっていると思っている。でもなんと、しこたまやられちゃってるんだね。そんなに以前のことというわけでもない。 (解説すると、チャリ(憑依霊)が言っているのは、トゥシェは自分の病気が妖術のせいだと思って、何人もの妖術の施術師にかかった。でも彼らの中には妖術使いも混じっていて、そうした施術師はトゥシェの運勢を見通して、きっと優れた憑依霊の癒やし手になると知って、嫉妬し、彼女に妖術をかけてその彼女の能力を封じてしまったのだ、ということ) Mu: 彼女はすっかり覆われた、本人が知らないうちに。 C: そもそもほんの一昨日(少し前)にも覆われたんだよ。 Mu: ほんの少し前にだって?

4105

Chari: 私はそう言ってるんだよ。 Murina(Mu): たしかに、彼女はよくあちこち脚を運んで、施術師たちと相談しに行ってるね。 C: 彼女自身、占い(mburuga)を打って、(占いの終わりに)小枝を置いて、(占い師から)あんたを治す施術師はこの人だと言われる146。(その施術師が)来ると、(占いであなたに)「云々のこと(治療)をしてもらうようにと言われています」。施術師は「簡単なことさ」と答える。なんと、その施術師は(実は妖術使いであり)、彼女をあそこ(ムズカ)に置きに行く。戻って来ると、(その施術師は)彼女が望むものを手に入れられるようにと彼女を治療する(ふりをする)。もちろん(彼女が望んだそれらの)ものは、すべて死んでしまう。彼女は仕事がうまくいくようにと治療してもらうつもりだった。 Mu: そうとも。 C: さて、結局彼女の商売すらも死んでしまうってわけ(トゥシェはキナンゴの町で商店を営んでいる)。 Mu: 私もこの目で見たよ。 C: 彼女は、(人々から)彼女には悪い憑依霊が憑いていると思われている。「あいつは施術師になるというが、どうせ『引き寄せ(luvuho)』の類の霊だろうさ(彼女の憑依霊は真正な霊じゃなくて、彼女自身が妖術を用いて招き寄せた霊だ)」なんてね。実際にはそうじゃないのにね。

4106

Chari: (トゥシェがもっている)その憑依霊は、古くからの憑依霊だよ。だってそれは彼女が生まれたときからもっている、彼女自身の憑依霊なんだから。彼女は幼い頃からあの暗闇を見ていた。彼女は言ってるよ。彼女が発狂するとき、それは暗闇から始まったって。目眩だね。 Murina(Mu): その通り。 C: その憑依霊自身が富をもたらす霊。だから人々(妖術使い)は気に食わない。彼女のことを調べれば、わかるからね。曰く「なんとこいつは、ああ...!」 Mu: そこで奴ら(妖術使いたち)は、黒いもの(妖術をかけるのに用いる黒い薬(muhaso))をもって、大急ぎ。 C: ああ、彼女はますます妖術をかけられる、こうしている今も、さらにかけられる。ああ! (ムリナに向かって) C: そもそも、あんた施術師さん自身、(妖術使いたちは)あんたが、まるで生きていながら生きていないようになるように(文字通りには「この世のうちに在り、かつこの世のうちになきかのように」)、願われているみたい。 Mu: ああ、それなら奴らはくたびれもうけさ。 C: 彼らはますます頑張って... Mu: 奴ら、以前から頑張ってるさ、でももう疲れ切っている。俺は大丈夫。

4107

Chari: 彼らはお前を覆うよ。 Murina(Mu): 奴らは覆おうとして、どんな痛い目にあうだろうか、さ。 Benyawa(Ben): もっと頑張って覆うさ。 C: あんたは(妖術の薬を)差し込まれ(unaomekpwa147)、差し込まれするだけ。 Mu: 私も差し込むさ。私も奴らに差し込みかえすだけ。今や互いに差し込み合うのさ。 C: 私は分別なしだから、しゃべっちゃうよ。 Mu: 話して、すっかり話してくださいよ。あとはもう差し込み合うだけ。奴がずっと前に先に始めたんだから。 Man1: あんたがやられる(差し込まれる)だけ。 Mu: 私は差し込まれる。でも残りは一人だ。私がそいつにギシッと差し込んでやる。 Ben: 互いに差し込みあいなさいな。 Mu: そいつにしっかりと味あわせてやる。力を奮い起こすがいいさ、もしできるというのなら。 C: ところでね、あの蟻塚のところだけど、あの蟻塚では明日にでも施術が必要だよ。

4108

Chari: さらにその蟻塚のところへは、まずそこに行くのなら、地面に埋まっているアフリカマイマイの殻をもっていきなさいね。 Murina(Mu): それがどこにあるかはもう知ってる。 C: 地面にすっかり埋まった殻だよ。でもそれを持っていくのは彼女自身。あんたじゃないよ。彼女自身に覆いをめくらせなさい。あんたも病人といっしょに行って、彼女自身に最後までこんな風に話させなさい。「私は云々のことをされました。というのも私は、どうやら私の癒しの術(uganga)がうまくいきませんようにと唱えられたらしいのです。今日、今、私は自分自身の覆いをめくるためにここに参りました。」施術は明日ですよ。 Mu: それに年月を経た墓、死体がとっくに腐ってしまった。 C: だって、死んだ人がまた戻ってきたりすることがあるでしょうか、皆さん! Man2: ありません。 Mu: 土のなかさ。墓にまっしぐらさ。 C: さあ、あんたもそんな風にされたのさ。あんたは頑固に認めようとしないけど

4109

Murina(Mu): ああ、墓で奴らが私に何ができるっていうんだ。私はそこをよく知っている。奴らが別の(薬)を手にいれたのか、私にはわからない。でも墓の薬と言うなら。 Benyawa(Ben): このお父さん(ムリナのこと)が、すでに差し込まれたっていうんですか? Mu: 私は(薬を)差し込まれたよ、お父さん。思うに、奴らはまだ私を捕らえてはいない。 Man2: まだあなたを手に入れてはいない? Mu: 全然。 Chari: もう、私は帰るよ。このことを言いたかっただけ。 Mu: そもそも私は(薬なら)すごくたくさん持っている。あいつらは思い知ることになるだろうさ、あいつらは。 C: (アナマジたちに向かって) でも、まずは彼女(トゥシェ)に癒しの術をだしておあげ、兄弟たちよ。 Mu: (まだ妖術使いたちに対して息巻いている) もし奴らがわたしにふざけたことをしようものなら。 C: 皆さん、聞いてらっしゃいますか。 人々: しっかりお聴きしております。 C: 彼女に癒しの術を出してあげて、そして奮い立たせてあげて。この癒しの術の行く手には、とっても怖い人が立ちはだかっているわ。

4110,

Murina(Mu): わたしもね、だってこの人は私の子供(施術上の)なんだから。私の癒しの術を出してあげて、それが済んだら、彼女をマジュト148のところに連れて行って、彼女自身と彼女のムコバ(mukoba149)に対して、術をかけてもらう(ukaapizwe150)。あいつら(妖術使いたち)がどうなるか見てやろう。 Benyawa(Ben): その差し込むやつ(muomeki)自身が差し込まれよ、だね。 Mu: ヒツジ148に差し込まれて、思い知れ。私は彼のために占いを打ったりはしないだろう151 Ben: だって奴らは隣人を次々と差し込んでいるからな、奴ら。 Mu: そいつが(死体となって)横たわっているそばで、足を地面に打ち付けながら激しく埋葬歌(chifudu)を踊ってやる。そしてそいつを棒で作った寝台(遺体を墓場に運ぶのに用いられる)で(墓まで)運んでいってやる。 Chari: ああ、私は帰りますよ、皆さん。 Mu: ありがとう。しっかりお聴きしました。 Ben: これがあなたのお話なら、たいへん結構なことでした。どうかおしずかに、おしずかにお立ち去りください。

4111

Murina(Mu): 私はどこにだって行ってやる。問題は収まるだろう。あいつらは知っているだろうが、マジュトのところ(の施術によって処置された場所)には近づけない。そこを通り過ぎただけで、お前はブッと膨れ上がる。傍からは身体を丸めているように見える。だれかと喧嘩しているわけでもないのに拳を握りしめている。ついには身体じゅうが破裂。ブワーッ、血が噴き出す。私はあいつらを眺めているだけ。マジュトこそあいつらの天敵さ。やつらをマジュトに委ねるだけ。破裂して思い知るがいい。口がこの辺りまで裂けて、耳は埋まってしまう。まるでキトゥクルのヒツジ(ng'onzi ya chitukuru152)みたいにね。徹底的に差し込まれてしまう。 Benyawa(Ben): そいつは最後のひとトゲを差し込まれてしまう。 Mu: まさに!もう二度と私を困らせることはない。 Ben: 彼には抜けない。 Mu: 私はね、お金を使い尽くすかもしれない。こっちの施術師某のところへ行き、あっちの施術師某のところへ行きしてね。でもほらマジュトがここにいる。それですべておしまい。ヒツジで蓋をされて、お前は、そいつが膨れ上がって破裂するのを見ることだろう。それがそいつの時間(の終わり)じゃないかい?そいつらが、他人の足跡を拾い上げて(足跡の土を拾って持ち帰り)それを墓にもって行く153。こんなこともすべて終わる。

占い終了し、カヤンバ演奏再開 4112 (04:15 カヤンバ演奏再開。カルメンガラ(憑依霊ドゥルマ人・男性)から。しかし録音失敗。テープ無音状態が続く。)

トゥシェの占いテスト (04:55 太鼓演奏に変更。トゥシェの占いテスト開始。太鼓によるムルングの歌5=2) (テストでのムウェレと施術師のやり取りは太鼓の音のせいで、ほとんど聞き取れない)

ムァチェ川まで、私の子供たちに会いに行かせて 私はどうしたらいいでしょう? 私の子供たちに会いに行かせて、私の友よ ムァチェ川まで、私の子供たちに会いに行かせて 私の子供たちに会いに行かせて

(ムルングの歌6)

ヘー、蛇、ヘー、蛇、ヘー、蛇 空(mulunguni)の上の方には蛇がいるってさ 争いごとを壊すもの154 おお、蛇、エエ、蛇、エエ、蛇 争いごとを壊すもの、エエ、蛇

(この間に聞き取れた会話)

Tabu(Ta): どうしてもうこの歌を歌ってるの? Man2: だって、ムァンザさんだよ(ムァンザが歌い始めたからだよ) Ta: まだあの人(トゥシェ)が終わってないのに、あんたたちもう歌っている。蛇なんて。 Chari:(トゥシェに向かって)...あんた、病人が死んでしまうよ、あんた。ここにいる誰が病人か告げなさいと言われているんだよ。病人はいないだって?(もう一人の施術師Chaiに向かって)病人はいないって言ってるよ。

4113 (ムルングの歌7)

ウンバ川156の雨よ、降りてきてください(降ってください) ウンバ川の雨よ、降りてきてください ああ、ウンバ川の雨よ、降りてきてください ムァチェ川157の皆さま、雨、そしてウンバ川、降りてきてください ハー お婆さん、雨は創造する(yinaumba)、降りてきてください

4114 (太鼓の演奏止む)

Chari: 太鼓はお休みかい? Man1: 休んでるもんですか。あなた方に耳を傾けているんですよ。だって... Woman: 私たちは仕事を見ているんです。病人(複数)はいるんです。 Munyazi: 彼らはしっかり見てもらいたがっている。なのに彼女(ムウェレ)は病人はいないって言う。健康な人ばかりだって。彼女は苦しんでいる人もいるのがわからない。 H: 何に苦しめられているんですか? Woman: 脚です。 人々: この人、言っちゃったよ。 Woman: 私って、そそっかしいのよ。 Murina: やれやれ、じゃあ... C: 置かれたのは病人の硬貨じゃなかったのよ、あれは。(硬貨をムウェレの前に置いた人が)ムウェレを測ろう(能力を見定めよう)と思ったのね。病人の所持していた硬貨を置かなかったの。さて、彼女(ムウェレ)は占いを打って、最後に、病人はこの人だよ、って言い当てることになっていたのよ。でも彼女は占いを打ったあと、病人はいないって言ったのよ。 Man2: ということは、その硬貨は病人の所持していた硬貨じゃないと。 C: ちがったのよ。

4115

Man2: その硬貨は病人のものではなかった。テストの硬貨だった。 Murina(Mu): ということは、彼女は当たってたということ? Chari: つまり彼女は言い当てたってこと。病人はいないっていったんだもの。置かれたのは病人の硬貨じゃなかった。 Man2: じゃあ、ンゴマは終了した? C: 終了って? Man2: さあ、太鼓は置きましょう。 Mu: さて、なんで置かなきゃならないんだ。大いに打たなくては。 Mwanza(Mw): サンバラ人を打ちましょうや。その人こそ偉大な癒やし手では? Mu: サンバラ人と言えば、強力な癒やし手じゃないかい。 Mw: 今こそサンバラ人を。 Mu: サンバラ人を今! 力をこめてサンバラ人を、皆さん。 Woman: 彼女はカヤンバの演奏が良いんだって。 Mw: でもサンバラ人こそ癒やし手そのものじゃないかい?

4116

Man1: さあ、もう折り合いはついたかい、それともまだ? Murina(Mu): サンバラ人をやろうということで折り合いはついたさ。 (サンバラ人、太鼓で開始。しかしトゥシェの占いの試みは、またしてもうまくいかなかった。彼女自身が、もうできないと告げた。)

ジャンバ導師で憑依 (05:45 太鼓終了し、再びカヤンバ演奏に戻る。最初がジャンバ導師、続いてジャバレ導師。始まるやいなやムニャジが突然、憑依状態に。両手を広げて飛行機ごっこをする子供のように飛ぼうとし、そのまま倒れかかる。ムリナのzuruuuuという「アラビア語」に嬌声で応える。)

(ジャンバ導師の歌1 ku-suka) (独唱)

さあ、あなた、ジャンバ導師、太鼓を打ってもらえ ウェー、その名は我が導師、ウェー、人食いジャンバ (合唱) ジャンバ導師、太鼓を打ってもらえ、お母さん、ウェー 不運、ウェー、人食いジャンバ (独唱) 遠くの海に行きましょう、ウェー ジャンバ導師、太鼓を打ってもらえ、お母さん、ウェー 私たちは行きましょう、ウェー、人食いジャンバ (合唱) ジャンバ導師、太鼓を打ってもらえ、お母さん、ウェー 我が導師、太鼓を打ってもらえ、お母さん、ウェー (独唱) お母さん、ウェー、その名はジャンバ、太鼓を打ってもらえ、ウェー 我が導師、人食いジャンバ その名は、海に、ウェー ンゴマに招待される、ドラゴン、ウェー 私たちは行きましょう、ウェー、人食いジャンバ

(ジャンバ導師の歌2 ku-tsanganya) (独唱)

さあ行こう、エエ、さあ行こう、太鼓を演奏しろ さあ行こう、海の導師 (合唱) さあ行こう、エエ、さあ行こう、海 さあ行こう、太鼓が鳴っている、さあ行こう、海のライオン

憑依状態のムニャジとムリナのやり取り付き

(倒れようとしたところを支えられ、叫び続けるムニャジ)

Munyazi(Mun): ヒイイイ、ヒイイイ、アアア Man2:(スワヒリ語で) お静まりなさい、断固、お静まりなさい Murina(Mu): あああ、ズルルルルル、お静まりなさい、お静まりなさい、お静まりなさい、ズルルルルル。 (数分間にわたって大混乱) Munyazi:(スワヒリ語で) 絶対いやだ、絶対いやだ。お前たちは私を騙した。絶対いやだ。 (ムリナ「アラビア語」でムニャジに説き聞かせる。やがてムニャジは同意するように首を振りながら、スワヒリ語で「そうです(Ndiyo)、そうです」と応える) Mun: そうです、そうです、そうです。

4117 (ムリナ「アラビア語」で語りながら、ムニャジにローズウォーターの瓶を見せる。ムニャジ歓喜の笑い。さらにムリナは憑依霊を描いた彼のスケッチブック159をムニャジに見せる。ムニャジはスケッチブックを持って、笑いながら踊る。続いてムニャジは占いを打つ真似事をする。)

Man2: 降りなさい、降りなさい、降りなさい。

ムリナとジャンバ(ムニャジ)のやり取り(意味不明だが)

(ジャンバ導師の歌 ku-bita) (独唱)

私は山に登る マングローブの蛇に会おうと (合唱) 私は山に登る マングローブの蛇に会おうと

Man2:(to Hamamoto) おまえ、マングローブの蛇を見たかい? H: はい、確かに見ましたよ。 (ムニャジはまだ占いをしようとしている) Munyazi(Mun): 太鼓の響きがないよ、ここには。太鼓の響きが全然ないよ、ここには。 Man2: 太鼓の響きがないだって?これが響きではないと?(鳴っているのはカヤンバだが) Chari: 私はあなたにつつがなきことのお静まりを与えましょう、私の友よ。(以下、騒音で聞き取れない)

4118

Kalimbo(ンゴマ奏者の): お前は言葉をもって立ち去り、論争をつかむだろう。さあ、キナンゴへ行って、誰が憑依状態になったか報告なさい。そして今日、捕まるがいい。 Chari: (スワヒリ語で)お静まりなさい、お静まりなさい、お静まりなさい。こちらにお座りなさい。お静まりなさい。あなたは本(憑依霊の絵が描かれたスケッチブック)を手に入れますよ。あなたはあなたの癒しの術を手に入れますよ。でも、どうか解きはなしてください、解きはなしてください、仕事をもう一度解きはなしてください。私はつつがなきことを欲しているのです。お静まりください。さらにもっとお静まりください。さあ、お静まりください、お静まりください、お静まりください。 (ムニャジは2人の女性によって小屋の中に連れて行かれる)

(06:10 トゥシェに瓢箪子供が与えられる。その後、人々はまわりを踊りながら周回する。手にムションボをもって、それを口に運びながら。06:30 ンゴマ終了)

トゥシェ最後の試練: 草木採取 (06:45 カヤンバ再開、ムルングの歌6が最後まで繰り返し演奏される)

Murina(Mu): カヤンバを打って、カヤンバを打って! Chari: 急ぐように言って。 Mu: 走ってやるところだからな。キビをちょうだい。とっとと渡してくれ。それと灰も。

4119 ムルングの草木に対するクハツァ (ウマジ、無事にmurindaziyaにたどり着く。チャイとチャリそれぞれがクハツァする) (チャイによる唱えごと)

Chai(男性施術師): ...<聞き取れない>...ウマジには困難と苦悩がありました、ウマジ。身体はいつも病気。今こうして子供(瓢箪子供)を握っている、なんと彼女に求められていたのは施術師になることだったのですね。こうして私たちは癒しの術を外に出します。この癒しの術は、あなたムルング子神、サンバラ子神もおわします。私は皆さま方にお呼びかけいたします。穏やかにと。 黒い鶏はあなたムルング子神のです。そこには憑依霊アラブ人、ペーポー、サンズワ、バラワ人もおられます。サラマ、サラミーニ(安全に、平和に)。草木よ、奴隷よ、お前は使役できる。とき解きください、とき解きください、とき解きください、解け。ウマジが、たとえ夜中の12時であっても、ここにたどり着けば、彼女をご用立てください。サラマ、サラミーニ。 憑依霊バルーチ人のおわすところ、アラブ人のおわすところ、ロハニたちのおわすところ、スディアニたちのおわすところ。とき解きください。お前は黒い鶏です、サラマ、サラミーニ。躊躇い(恐る恐るすること)も何もありませんように。<聞き取れない数語>サラマ、サラミーニ。

背後でムルングの歌6が演奏され続けている

4120 (チャリによる唱えごと)

Chari: ...<聞き取れない>...道を迷い歩き、世界を彷徨い、この世をさすらう。 さて、ウマジには癒しの術の祖霊がいると言われました。今日、ウマジに私は癒しの術を与えました。彼女に癒しの術を与え、私はこの癒しの術が、月のごとく輝くことを願います。癒しの術が、少女のごとく成熟しますように。癒しの術が、ムヴモ(muvumo160)の木のごとく、唸り響きますように。 今、この者は人によってその草木をつかませてもらったのではありません。彼女自身が、自分でつかんだのです。それゆえ私は願うのです。癒しの術が輝きますようにと。癒しの術が、蜂蜜のごとく飲まれますようにと。お前は白い鶏、そしてお前は黒い鶏です。 Murina: 子供たち、カヤンバを打って、カヤンバを打って。 (チャイによる唱えごと) Chai: この者ウマジ、ウマジには困難と苦悩がありました。そして占いに行って、癒しの術(を出す)までは、病気は治らないよと言われたのです。今、私たちは彼女に癒しの術を与えました。まったくまったく真正なる癒しの術を。あなたムルング子神、そしてあなたペーポー・アラブ人、サンズワ、バラワ人、バルーチ人、カニキ。デナもプンガヘワもいます。あなた方、お酒飲み。さて、皆さまとき解きください。癒しの術の全ての祖霊を、安全に、平和に。サラマ、サラミーニ。彼女の癒しの術が、どこまでもどこまでも永続しますように。

4121 (チャリによる祖霊たちに対する唱えごと、ヤシ酒を地面に注ぎながら)

Chari: 私はウマジとともにお話いたします。この者ウマジが病気に苦しみ始めたのは、昔のことです。彼女は、彼女には癒しの術(を出してもらうことが)必要だと言われたのです。癒しの術は、彼女がまだ外に出されていない頃から、今日にいたるまで、ずっと継続してきたのです(彼女が施術師のような特殊な能力を示し続けてきたということ)。そしてついに今日、私たちはンゴマを打ちました。ウマジはやって来て、自分でこの草木をつかみました。あなたムルングよ、あなたの草木の偉大なるものはこれです。こうして今、ウマジです。 癒しの術が輝きますように。癒しの術が月のごとく輝きますように。少女のごとく成熟しますように。ムヴモのごとく唸り響きますように。(これこそ)癒しの術の健全さ。癒しの術は軽からず、ずっしり重くあれ。 今、私はウマジの癒しの術を欲します。彼女のために癒しの術をとき解いてあげてください。彼女の一族の祖霊たちも、私の一族の祖霊たちも、ともに眠りにつきますように。彼女の一族の祖霊たちと、チャイの一族、ムブイの一族が皆、一つ所で眠りにつきますように。

注釈


1 キナンゴからヴィグルンガーニを経てサンブルに至る道の途中の地名。プーマ・ロケーションのチーフのオフィスがあった。
2 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
3 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji)とも呼ばれる。彼らは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
4 ングイ(ngui pl. mangui)。カヤンバやンゴマにおいてリードヴォーカルを務める歌い手。歌の名人。即興で自ら作詞作曲、アレンジも行う。ンゴマを首尾よく主宰するうえで重要な役割を果たす。
5 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性6)、カシディ(kasidi 女性7)、ディゴゼー(digozee 男性老人8)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
6 憑依霊ドゥルマ人(muduruma5)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
7 女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma5)。kasidiは、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。
8 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo9)マンダーノ(mandano10)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
9 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
10 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
11 世界導師12、内陸bara系13であると同時に海岸pwani系14であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」27)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
12 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia11)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
13 非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。
14 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume15)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani16)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
15 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」の意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
16 スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」17による鍋(nyungu24)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe26)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu23)。
17 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術18においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba19)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande20)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu24)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
18 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
19 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
20 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符21。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
21 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata22)、パンデ(pande20)、ピング(pingu23)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
22 護符21の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
23 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符21の一種。
24 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza25、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
25 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
26 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
27 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia11)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
28 私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師29などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze30を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba31)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)11」とドゥルマ人(muduruma5)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri32)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza33)」をつかさどるライカなど、多くの霊をもっている。
29 憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
30 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
31 民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」26、香料19と海岸部の草木17の鍋24。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
32 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza33と呼ばれる手続きもある。
33 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri32)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。この施術は、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」とも呼ばれる。
34 キナンゴとクワレを結ぶ街道の、マチンガ方面への分岐点あたりの地名。そこを過ぎるとキナンゴやモンバサへの水源であるマレレのダムに至る。私の小屋から自転車で約1時間ほどの距離。
35 ムランゼ(murandze)の木。Dalbergia boehmii(Pakia&Cooke2003:391)。憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba)の重要成分。昔はドゥルマの女性が香料として用いており、出産後の女性や赤ん坊に塗ったり、週ごとの踊り(wirani)に行く際に少女が塗った。今や老人である当時の若者が言うことには、遠くからでも香りでわかったという。
36 木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri37)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれるが、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれる。
37 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
38 ムニャジ(Munyazi Mechombo)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジの夫婦。
39 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供40がある。
40 不妊の女性に与えられる瓢箪子供39。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神41がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande20)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料19)、血(ヒマ油42)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
41 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza25)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる39。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている40。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
42 ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
43 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。
44 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
45 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。大きな更に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。
46 ハラグェ(haragbwe, pl. maharagbwe)。インゲン豆の一種。水で煮たスープは副食として用いられる。
47 「太鼓のお茶」。夕食の後、ンゴマを開始する前に食される紅茶とチャパティ、揚げパンなどの簡単な食事。昔の習慣だとされ、現在では、ほとんど供されることはない。
48 瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。ndonga.jpg
49 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ50」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
50 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ49などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
51 フフト(fufuto, pl. mafufuto)。ムズカ49に溜まった枯れ葉やゴミ。これらを持ち帰って燻し(kufukiza52)に用いる。妖術使いが奪ったとされる犠牲者の汚れを取り戻す際に必要な手続き。
52 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
53 その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)54であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
54 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji)とも呼ばれる。彼らは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
55 ku-vinaは「踊る」を意味する動詞。憑依の文脈では、ンゴマなどでmuweleが憑依された状態で踊ることを意味する。
56 動詞 ku-golomokpwa は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。
57 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
58 ムツァイ(mutsai, pl. atsai)。「妖術使い」。薬を用いて犠牲者に危害をもたらす術を行使する者。
59 ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿26、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
60 クヴンザ(ku-vunza)は「割る、破壊する、折る」などを意味する動詞。施術の文脈では、施術に必要な草木を採集する行為を指す。「折り採る」
61 クフィツァ(ku-fitsa)は「隠す」を意味する動詞
62 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「糞」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi38)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari28)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)2」とライカ(laika63)およびシェラ(Shera81)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師11を「外に出し」てもらうことになる。
63 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi64)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka65) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri32)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi66など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo68,laika mukusi69など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe70, laika ra nyoka70, laika chifofo73など。(4) その他 laika dondo74, laika chiwete75=laika gudu76), laika mbawa77, laika tsulu78, laika makumba[^makumba]=dena79など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze25)で薬液を浴びる、護符(ngata22)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza33)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
64 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
65 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
66 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni67)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
67 キツツキ。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)
68 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
69 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
70 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira71)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka72)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
71 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
72 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
73 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
74 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi64)の別名ともいう。
75 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
76 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
77 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
78 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
79 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari80)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande20)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
80 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)33」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena79が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee8)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande20には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
81 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)33、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす2)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku82)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
82 憑依霊シェラ(shera81)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
83 「きっと見つけていただろうよ。」
84 マレロ(marero pl.のみ)。ビーズ(ushanga)で作った装身具、特に施術師らが身につける装身具。chisingu 頭部につけるもの、tungo(pl. matungo) 関節部につけるもの、mudimba 首から背中にかけてつけるもの、mudzele たすき掛けにつけるもの、など。
85 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
86 チャパティ(chapati, pl. vyapati)。
87 クゴタ(ku-gota)。「ノックする、叩く」を意味する動詞。太鼓のペグを打ち叩いて革を強く張る。
88 スワヒリ語で「香水」、ドゥルマではもっぱらローズウォーターのこと。ローズウォーターは化粧水などの目的で使用されるもので、市販されている。このあたりではもっぱらkombe治療などの目的で使われている。
89 唱えごと。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
90 コゲシャ(kogesha)。koga91のcausative. 「洗ってやる」を意味する動詞。
91 コガ (ku-oga(koga))。「浴びる」を意味する動詞。
92 レソ(leso pl.maleso)。女性が腰巻きにしたり羽織ったりするプリント柄の一枚布。ポルトガル語に由来するスワヒリ語。スワヒリ語のkanga(pl.kanga)に同じ。
93 「椅子」を意味する普通名詞。pingu、ngata、pande、hanzimaなど「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防になる。
94 ku-phunga 字義通りには「扇ぐ」という意味だが病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。
95 憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
96 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
97 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
98 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola99の対象になる)100。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
99 憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa」100と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊(ku-kokomola99)によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume15)、カドゥメ(kadume101)、マウィヤ人(Mwawiya102)、ドゥングマレ(dungumale98)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga105)、ライカ・トゥヌシ(laika tunusi66)、ツォヴャ(tsovya106)、ゴジャマ(gojama104)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」67)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。
100 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」50など)を行うことなどを意味する。
101 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォーヴャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
102 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde103)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama104)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
103 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
104 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola99)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
105 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
106 子供を好まない。母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola99)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa100」。see p'ep'o mulume15, kadume101
107 憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti37)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
108 ロホ(roho pl.maroho)。「心」まれに「心臓」。p'umuzi(息)を蓄えておくところだと言う人もいる。モヨ(moyo)は「心」の意味でも「心臓」の意味でも等しく用いる。
109 キヴォ(chivo)。ココナツの核を半分に割って作った容器。
110 クワラ・ノンゴ(ku-wala nongo)。クワラ(ku-wala)は「持ってくる、取ってくる、連れて来る」などを意味する動詞。ノンゴ(nongo50)は「汚れ」。クワラ・ノンゴは「汚れをもってくる」の意味で、妖術の一種。妖術使いは犠牲者の持ち物、毛髪などを盗んでムズカ(muzuka49)(あるいは蟻塚、墓場、かつて道のあった場所など)に置いてくる。それによって犠牲者にはさまざまな災難が降りかかる。治療は「ノンゴを(犠牲者に)返してやる」ことによって行う。一々「汚れ」という代わりに、誰それさんはムズカにもって行かれた( sb. wawalwa muzukani)などと言うだけでも通じる。
111 クブェンドゥラ(kuphendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。
112 「騒がしい音が聞こえる」チャリが占いの際によく歌う歌
113 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)41との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
114 カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」する歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
115 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である
116 ペニ(peni, pl. mapeni)。10セント硬貨だが、「硬貨」一般の意味でも用いられる。
117 「病人はいない」
118 憑依霊はときに普通の人には理解不可能な、未知の言語でしゃべる。いわゆる異言(tongues, glossolalia)であるが、chiryomoは動詞 ku-ryoma (訛って喋る、うまく喋れない)から来ており、人々が聞いたことのない外国語全般がchiryomoと呼ばれる。
119 ムションボ(mushombo)。トウモロコシ、いんげん、ササゲなどを一緒に煮た料理。
120 スフリア(sufuria)。煮炊きに用いるアルミニウム製の、取っ手のない鍋。
121 ミヒーニ(mihini)。字義通りには「草木の場所に」だが、「草木を採集する行為・作業」の意味で使われることもある。
122 ウィンビ(uwimbi, pl. wimbi)。「雑穀粒」
123 マフハ(mafuha)。「油」
124 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 黒地に白や茶の細かい斑点、'k'uk'u wa chiphangaphanga' 鳶のような模様の毛色の鶏など。
125 麻あるいはエダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋
126 ムリンダジヤ(murindaziya)。キバナツノクサネム。Sesbania bispinosa(Maundu&Tengnas2005:387)。ムルングの草木。マメ科、刺、黄色い花、ネムノキに似た葉。
127 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。
128 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
129 ムブィンゴ(muphingo)。アフリカ・ブラックウッド。幹の外側は通常の木質だが、芯は黒檀のように黒く重く固い。Dalbergia melanoxylon(Pakia&Cooke2003:391)。憑依霊ドゥルマ人の草木。
130 Asteranthe asterias; 世界導師11、カルメンガラ6、カシディ7の草木。ku-zyondoha は「地面に座ったまま知りで移動する」という意味の動詞。nguluweは「野ブタ」。
131 ムウェハ(mweha)。雨季にのみ水が流れる程度の小さな川。mwehaniはそうした場所を示す副詞。
132 イヴ(ivu, riri-)。「灰」。
133 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
134 施術師に払う料金
135 ドゥルマでは食事は共食するのが習わしで、独りで食事を摂るのは不適切な行為と考えられている。しかし飢饉の際には、貪欲な長老が手に入れた食物をこっそり隠れて独りで食べるという恥ずべき行為が横行する。クトナ(ku-tona)とは、この独りで隠れてこっそり食べる行為、あるいは共食の場でも、独りガツガツ食べて、他の人がわずかしか食べられなくする行為を指す動詞。
136 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
137 ゾンボという地名は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
138 キティティ(chititi)。占い(mburuga)に用いる、中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れた小型瓢箪のマラカス。
139 三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
140 動詞 ku-songaはドゥルマ語では「髪を結う、編む」の意味だが、スワヒリ語では「押す、進む、圧倒する」などの意味がある。この歌のコンテクストでは「髪を結う」は意味不明。
141 「蝿追いハタキ(mwingo)」は「雲(maingu)」の誤りか? 'paka mwingo'はあえて訳すと「蝿追いハタキまで」で意味不明だが、「雲まで(paka maingu)」は「次に雨季が来るまで」と解釈可能。
142 クビニキザ(ku-binik'iza)「覆う、蓋をする、被せる」などを意味する動詞。施術師(muganga)がその「癒しの術(uganga)」の能力を封じされることは、しばしば彼(彼女)やその癒しの術が、なにかに「覆い隠され(ku-binik'izwa)」てしまう、(布などに)「覆われ(ku-finikirwa)」てしまう、「埋められ、埋め隠され(ku-susumbikpwa)」てしまう、などの被覆・隠蔽の比喩で語られる。あるいは「閉ざされ、封印され、縛られ(ku-fungbwa)」てしまうという拘束・閉鎖の比喩で語られる。前者は妖術使いによってそうされるという文脈で用いられることが多く、後者は憑依霊自身によってそうされるという文脈で用いられることが多い(ような気がする)。
143 ムジム(muzimu)。ムズカ49を棲み処とする憑依霊の名前であるが、ムズカ(場所としての)と同じ意味で用いられることもある。
144 2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
145 キパジ(chipaji)は、文字通りにはビーズで作った布の縁飾りだが、ここではその治療者がもつ妖術の技を指している。
146 キゴンゴ(chigongo pl.vigongo)。「小枝、棒」。占い(mburuga136)の最後に、診断されたトラブルを治療する施術師の選定のプロセスがある。選定は当の占いの施術師(muganga wa mburuga)が行うが、相談に訪れた者はブッシュに行って5cmほどの小枝(chigongo)を何本か折り取ってくる。一本、一本が相談者が念頭に置いている異なる施術師に対応する。取ってきた小枝を無言で占いの施術師に差し出すと、占いの施術師はその一本一本を念入りに嗅ぐ仕草を見せ、そのうちの一本を「これがあなたの(トラブルを治療する)施術師です」と言って差し出す。その後に、相談者が選ばれた施術師の名前を明かすこともあるが、何も言わずに帰っていくこともある。
147 クオメカ(ku-omeka)は「挿入する、差し込む、入れる」を意味する動詞。動詞クティヤ(ku-tiya)とほぼ同義。妖術をかけるのに用いる薬(muhaso)を犠牲者に「入れる」というところから、「犠牲者に妖術をかける」を意味する言い回しとして用いられることがある。
148 マジュト(Majuto)。1980年代に海岸地方で活躍した抗妖術施術師。ムバレmbaleと呼ばれる抗妖術の薬(muhaso)を詰めた羊の頭部を埋め、ドゥルマ各地からその地の水と土を持ち寄った人々を前に、イスラムの戦闘の祈祷書アル・バディリを用いた祈祷をした。人々が水と土を持ち帰り、各地の水源に投げ入れた。それによってその地域は妖術に対して封印され、もし妖術使いが術を行使しようと試みると、その場に不可視の羊が現れ、その妖術使いの頭を蹴り飛ばす。その日のうちにその妖術使いは死に至る。全身が膨れ上がり、身体じゅうから血を吹き出しながら。というもの。この地域の人々の絶大の信頼を集めていた。詳しくは〔浜本 1991「マジュトの噂:ドゥルマにおける反妖術運動」『九州人類学会報』 Vol.19 47-72、および浜本 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会12章〕を参照のこと。
149 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、mugangaがその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをmukobaを受け継ぐという言い方で語る。
150 クァピザ(kpwapiza, ku-apiza)はスワヒリ語にもある動詞で、意味は「誓約を立てる、呪う」。ドゥルマではキラボ(chirapho)と総称される、薬(muhaso)に対する条件付のコマンド(命令)の行為ということができる。作物の盗難除などでは「もし誰かがこの果実を盗んで食べたなら、薬何某よ、その者を捕らえよ」といった構文をとる。妖術使いに対する防御(カゴkagoなどと総称される)もその一種であり、「もし誰かが~に対して妖術をかけようとするなら、薬某よ、その者を捕らえよ」という形になる。〔浜本 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、1章3節〕を参照されたい。
151 ku-ahula は「裂く、割る」を意味する動詞で ku-ahurira はそのprepositional form。baoはスワヒリ語で「占い板」。トウモロコシのより分けなどに用いる箕を裏向きに地面に伏せ、その上に灰をまいてそこに指で線を描きながら占うタイプの占い。
152 キトゥクルのヒツジ(ng'onzi ya chitukuru)。ドゥルマで飼育されているヒツジの一種で、耳が小さく折りたたまれたような形状のヒツジ。
153 犠牲者の足跡の土を、ムズカ49や、蟻塚や墓場にもって行くのもクワラ・ノンゴ(ku-wala nongo110)と総称される妖術の一つである。それによって、犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。
154 muvunzakondo155はムクロジ属の木の名。憑依霊ムルング子神の草木の一つ。ここではその名が由来する ku-vunza kondo「争いごとを破壊する=終わらせる」の意を表に出している。
155 ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
156 ウンバ川(Umba)。タンザニア国境近くを流れる川の名前。
157 クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni158と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
158 異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。
159 憑依霊を絵で表現することは、単なる表現活動ではない。施術師は憑依霊の絵を描いて、それを護符に入れたり、皿に描いて治療に用いたりする。憑依霊自身が、自らの姿を描いてもらうことを望んでいる場合がある。イスラム系の霊にはその傾向がある。
160 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ67と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo161の治療にも用いられる。
161 妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。