メムァカを「外に出す」ンゴマ

概要

施術師就任のためのンゴマである「外に出す」ンゴマ(ngoma ya kulavya konze)一般についての解説はここを見ていただきたい。

施術師のキャリアは、ムルング(ムルング子神 mwanamulungu1)11を「外にだす」ンゴマを開催してもらうことから始まる。それが無事終われば、その後は、同様な要求を持った他の憑依霊たちについても外に出してもらうことが可能になる。こうして施術師はたくさんの憑依霊を持ち霊とするより強力な施術師になる道を進んでいく。

ここでここで紹介するのは私が二度目に居合わせることができたムルングを「外に出す」カヤンバである。施術師は前回1990年のムルングを「外に出す」ンゴマを主宰したムァインジ(Mwainzi)さんと、彼の妻アンザジ(Anzazi)さん12。前回はンゴマを受けるムウェレ(muwele59)のムニャジ13との関係で参加したのだが、今回はムァインジさんからの招待だった。前回は初めてのことでもあり、ンゴマの表舞台(太鼓演奏の場面)で何が起きているのかに関心があった。そこで今回は、表舞台の方ではなく、施術師たちが舞台裏でやっているさまざまな作業の方をできるだけ見ることにした。面白いという点では、どちらも面白いのだが、情報量では後者が圧倒的に多い。勉強になりました。

登場人物

施術師: 男性 Mwainzi wa Lugo(Memwakaの施術上の父)、女性 Anzazi(Memwakaの施術上の母)、補助 Chizi wa Kakongo(Memwakaの僚妻、故Jeffa wa Mwachiti氏の未亡人)、Munyazi Mechombo(1990年に施術師になったばかりのMwainziの施術上の子供(弟子)) 患者: Memwaka(故Jeffa wa Mwachiti氏の未亡人、Mumbo氏の母)

場所・日時

開催場所: Mumbo wa Jeffa氏の屋敷(Bang'a) 日時: Oct.25,Fri,1991--Oct.26,Sat,1991

患者の背景

ムウェレのメムァカさんとは全くの初対面。小柄の中年の女性だった。最初の「嗅ぎ出し(ku-zuza36)のカヤンバ」の待ち時間に聞いた話では、7人の妻がいた故ジェッファ氏の未亡人の一人。ジェッファ氏の死後、息子のムンボ氏の屋敷に暮らしている。私が暮らしていた「ジャコウネコの池」地区の大物C長老もジェッファ氏の息子だが、ムンボ氏とは親子ほどの年の開きがある。メムァカの最後の子供は、学齢期の少年である。 メムァカは、多くの病気を経験し、憑依霊関係の治療を重ねてきた、多くの憑依霊をもった女性である。その日に起こるだろうことを夢で知らされ、それを家族に語り、実際にその通りになるので家族のものが驚くといった「発狂」も稀ではなかった。ンゴマも何度も経験している。そして多くの霊が「仕事」(彼女が施術師になること)を要求していた。彼女はそれを拒み続けてきた。しかし、彼女が最後に産んだ子供は、もう小学校に通っていてもおかしくない年齢なのに、まだ歩くこともできない。占いの結果、ムルングが、度重なる要求の拒絶にしびれを切らして、その子を捕らえたのだというものだった。メムァカが「外に出され」施術の仕事を始めたなら、子供は歩き始めるだろうと。そしてついにメムァカはその要求に屈することになった。

日誌より

Oct. 23, 1991, Wed, kpwisha

9時前にMwainzi12, Murina, Chari14 来訪。週末のChariのngomaの予定がMwainziのngomaとぶつかって難しくなり、相談の末、来月まで延期することになったらしい。ヤギの調達でもたついてMwainziに日程の確認をするのを怠ったのが原因。計画性なし。代わりにMwainziに金曜のngomaに招待される。Mwanamulungu11のkulavya nze16。.... Chari, Murina, Mwainziの4人でChariの家に行き、ngomaを延期する旨Chariの霊たちに対してkukokotera64

Oct. 25, 1991, Fri, kpwaluka

午前10時出発。Mwainziとの約束は午後1時だったが、その前にMurinaのところへ寄っていこうと。しかしMurinaもChariも不在。Tabu65によるとMaliakani66にMuzungu mumiani67の治療に、朝早く発ったという。 キナンゴでチャイとマハムリ。タバコを2箱買って、Mwainziのところへ。自転車だと楽な道のりだ。12時前に着く。ちょうどバラザ68が始まるところで同席する。学校を建てる問題で、金を募っている...14:00終了。 Mwainziの屋敷でwari69とnyama70。Munyazi13、4時ごろ到着。全員でngomaを開催する予定の屋敷に。例の「すぐそこ」にまたひっかかる。歩いて1時間以上かかる。この間に自転車もパンクするし、ろくなことはない。到着してすぐkuzuza36の準備。手抜きなく、Mwainziは闇の中を遠くのmuzuka71に向かって出発。私は遠慮する。来る途中で蛇を見たばかりなので、闇の中を行くのにびびったということもある。 カタナの祖母(分類上)Chizi wa Kakongoが来ている。カタナくんのつてで、ニョンゴーの治療についてお話を聞いたことのある施術師。向こうは私を覚えていたのだが、私は一度会ったきりだったので忘れていた。ごめん。Muwele59のmukakazi73だそうだ。Mwainzi帰宅後、wariとkuku74で夕食。ngoma、11時近くになって始まる。徹夜だが、私は2時から4時くらいまで仮眠。bamba75の音がうるさすぎて、すぐに録音は断念。

Oct. 26, 1991, Sat, kurimaphiri

午前中、自転車のパンク修理。近所に奇跡的にsolution77を置いているキオスクがあり、一瞬にして直る。ありがたい。朝食チャイとマハムリで生き返った心地。12時まで例のごとくグダグダ過ごす。例によって写真をいっぱい撮らされる。珍しくfungu78の支払いであまり揉めない。Mumbo(Muweleの息子)が、抜かりなく揃え、さっさと払うつもりだったらしい。anamadzi79たちが図に乗って要求するが、それも想定内? すぐにでも辞去したかったのだが、昼食を食べていくよう強く望まれ、午後になってようやく解放された。頭痛がするのでパナドルを飲んだ。... (帰宅後)すぐ水浴びと洗濯。夕食はまたず、パパイヤとオレンジを食べて5時にベッドに入る。

フィールドノートより

例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。 今年2024年に入って手書きのフィールドノートからテキスト化した。文章などに一切変更は加えておらず、ドゥルマ語がそのまま使われていたりして、私以外には読みづらい代物。ドゥルマ語箇所は注釈の形で補足説明することにしている。セクションごとの表題やリンクは、ウェブページ化する際に追加。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。

【Mumbo宅でのngoma】進行のあらまし

(DB 3477-3517)

kusimika80 mulungu

17:40 小屋の中でmuwele59を入り口に向けて座らせmakokoteri81 (by Anzazi) アンザジによる唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 3478) mwanamulungu1の歌から開始 mueleの前にChizi wa Kakongoが座り"kazi ni rero, pore82"とmuweleに 語りかける 17:50 muweleすぐに身体を前後に揺すり始める Mwainzi"ngoma rero, ngoma rero83"と煽る 18:00 Mwainzi、kayambaの輪の中に入って踊り始める kayamba players 全員立ち上がってkayambaを打つ Mw: ngoma rero, ngoma rero. Nahenza mwanangu aphole.84 Chizi: 良く聞き取れない 18:05 Mw 輪の外に出て、ushanga85を頭につけ、上半身裸になり、腰にmulungu の布を巻き、肩にshera57の赤い布をまとって登場 歌はmulunguの歌がまだ続いている Mw muweleの前に座って muweleと握手しながら語りかける "wira ni wako etc.86"

ku-zuza

kuzuza36において用いられる楽器はkayamba87とbamba75 18:15 muwele 外に出る muweleに代わってMwainzi、mulunguの布を被り,kayambaの輪の中に 戸口を向いて座る mwanamulunguのkusuka89から始める MwainziとChizi、普通に会話を交わしている Mw 二曲目から身体を小刻みに振るわせ始める 18:25 ukumbuke... 激しく踊る。 Anzazi入ってきてMwainziの横に座り、しきりとけし掛ける 18:27 muwele再び小屋の中に入り、Mwainziの横に座らされる Mwainzi、muweleに対して何かしきりに話しかけている 18:35 Mwainzi自らmupemba17の歌にスィッチ 18:36 すぐにまたmusambala90の歌にスィッチ 小屋の外に移動し、chinu91のところでkayamba Mw mavuo92をかぶり、口笛を吹きながら早足で屋敷内を歩き回り mwingo93を振り回しながら外の様子を伺う素振り ついに一人で屋敷の外に歩き出し、kayamba演奏者、その他の人々その後を追う

Munyazi によると、Mwはmusambalaで出発したが、途中でlaika38の歌に変わる という。muzuka71から戻るときにはまた別の歌に変わるが、屋敷に近づくと 再びlaikaに変わる。

muweleの名前はMemwaka、Jeffaの7人いた妻の一人 Chizi wa Kakongo もJeffaの妻(従ってMemwakaの僚妻) Chiziyamonzo94のChiti氏はJeffaの息子 JeffaとMemwakaの間に生まれたのがMumbo氏

20:00 Mwainziたち屋敷に戻ってくる muweleは小屋の中で足を戸口の方向に向けてmulunguの布を かぶせられて仰向けに寝ている Anzazi、Mwainzi、ndonga95を各関節に吹きつける mulunguの布を広げてkuku74 mwiru96でmavuoの水を注ぎ、mukongo97にかける "vugula...98" laikaの名前を挙げたてる
20:20 mukongoを外に連れ出し、chinuの前で座らせてkayamba mulunguの歌に戻る Anzazi: tserera、tserera...99 mukongo、立ち上がって踊り始める masai100のfumo103を与えられ、それを持って踊り始める

20:30 fumoを別の女性に渡し、自分から座る kayamba players 自分たちだけで盛り上がっている Anzazi、chiyuga aganga104を歌い始める(kusuka) muwele、座ったまま,身体を前後に Mwainzi: muvugule, muvugule, machero saa mbiri chikala walembwa...106 Anzazi、いきなり踊りながら私のところに来て握手を求める。 Anzazi、Mwainziに何か一生懸命しゃべっている。overactionで、あきらかに golomokpwa107しているのがわかる。 kayambaが鳴り続けているので、話の内容はまったく聞き取れない 録音も無理

Munyaziによると、AnzaziはMwainziにchiyuga agangaの布を買うように要求している。 その後Muweleの息子に、Mupemba17の布とpehe108とmukpwaju[^mukpwaju]を買うように勧めていた

21:00 kuzuza 終了 Anamadzi79たちはMumboに200シル109要求 kadzama110 4(1はuchi111で、後は各20シル) mbuzi112 1(kuku74+4シル)113

Ngoma ya kuchesa

ここからは太鼓が中心のンゴマ 23:50 ngoma再開(小屋の中で) Mwainzi 戸口にchiparya115のuchi111を垂らしつつgomba116 ムァインジによるクハツァ114 ドゥルマ語テキスト (DB 3479) (クハツァの様子。背後にンゴマの太鼓と歌が聞こえる) muweleはnyungu21を膝の間に挟み、全身をnguo117で覆ってkufukiza118 戸口の方を向いて kufukizaが終わるとmuweleはvuri119の方向を向かされる
00:10 外に出てngoma

01:00 bulushi(白いスモック) ubao120を置いてやると、そこに何かを描いてchititi123を振る しかしそればかりなのでAnzazi、別のnyamaの曲に変えるよう促す
(02:00-03:50) 仮眠(うっかり寝過ごす)

04:00 Nyariからlaikaへ

瓢箪子供を制作する

05:00 mwana wa ndonga3を整える Mwainzi、Anzaziの各々が、mihaso124、pande5を入れ、mavumba9(ndago125)、 黒いkuku74の毛を毟ってmakokoteri81 ムァインジによる瓢箪子供に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 3480-3482) (唱えごと冒頭部、屋内だが太鼓の音が聞こえている) アンザジによる瓢箪子供に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 3482-3485) kutsinza126して、その心臓を取り出しmulunguのchidemu127に包んできつく縛り、ndongaに入れる その後mafuha128を加える ubani129を燻してmakokoteri81 ムァインジによる出来上がった瓢箪子供に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 3486-3489) アンザジによる出来上がった瓢箪子供に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 3489-3493) (アンザジの唱えごと、冒頭部)

 

05:30 Memwakaの息子MumboとAnzaziがndongaを隠しに行く ドゥルマ語テキスト(DB 3493)

ンゴマの盛り上がり

ムァインジとともに前庭、ンゴマの場に戻る。 masai100、mudigo130と演奏
06:00 Muduruma29の大乱舞始まる 何人も(少なくとも4人)がgolomokpwa107 golomokpwaしたものどうしでmatungo131のやりとり みんな、嬉しそうだが、不気味 ぞんざいな振る舞いを互いにしあう
06:45 Dena すっかり夜が明けて太陽が昇ったのに、もうみんな好きでやっていると しか思えない盛り上がりよう
07:10 Mwainzi、mulunguを打つように指示する しかしmudurumaでgolomokpwaしてゲーゲーいっていた女性がいて、Anzazi は彼女がmupemba17を必要としていると主張
07:16 Mwainzi、女性に憑いているmupembaを説得

瓢箪子供を探す

07:20 やっとmulunguに入れる

07:30 Memwakaブッシュに行ってmwana3をさがす。 見事にmwana wa ndongaを見つけ出す。一瞬。

草木探し

ただちにmihini132が始まる。 07:40 白kuku、黒kuku、黒ヤギ uchi111の入った瓢箪、chiparya115を用意してmihini132に出発 murindaziya133のところで 一発でmuhi wa mwishoにたどり着いた! Mwainzi & Anzazi、黒いkukuの毛を毟ってkukokotera64 黒い鶏で草木のクハツァ(kuhatsa114) ドゥルマ語テキスト(DB 3494-3497) 白いkukuの毛を毟ってmakokoteri81 ムァインジ白い鶏で草木のクハツァ ドゥルマ語テキスト(DB 3497-3498) Mwainzi、uchi111でkuhatsa ムァインジ、ヤシ酒でクハツァ ドゥルマ語テキスト(DB 3498-3500) Anzazi、uchiでkuhatsa Mwainzi、黒ヤギの首をもち、muwele 黒ヤギの左耳をもち、 Mwainzi、makokoteri81 ムァインジ黒ヤギに対する唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 3501-3503)
08:05 黒ヤギkutsinza126

08:10 他のmihiのところで黒kuku、白kukuでkuhatsa114を繰り返す

08:30 mudzi134に戻る

占いテスト開始

mburuga121テスト ドゥルマ語テキスト(DB 3504-3508)

(占い冒頭部、もう熟練した占い師さながらの技を披露)

makokoteri by Anzazi アンザジによる占い終了後の唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 3509-3514)
09:00 chikaphu135にmburugaの金をいれ、布を入れて、瓢箪とchititi123を入れる

ンゴマ終了

Munyazi, muduruma その他のnyamaに対してmakokoteri81 ムニャジの他の憑依霊に向けての終了の唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 3515-3517)

 

解説

施術師の唱えごとからわかること

冒頭でも紹介したように、今回のンゴマのムウェレ(muwele59)であるメムァカさんは、すでにたくさんの憑依霊をもった女性だった。それらの霊の多くが、仕事を欲しがっていた、つまりメムァカが施術師になることを欲していた。患者が「外に出される」ンゴマによって施術師(muganga)となり「外に出る」ことは、同時に、それによって霊自身も、自分の子供(瓢箪子供3)を作って=産んでもらい、自分たちも「外に出」て、施術師の癒しの仕事(uganga20)の担い手になることができる、ということである。霊たちが仕事をしたがる、というのはそういうことだ。ここで訳出した施術師たちの唱えごとを読めば納得できるだろう。ムウェレを「外に出す」こと、憑依霊を「外に出すこと」、「癒しの仕事」を「外に出すこと」、ムウェレが癒しの仕事を手に入れること、憑依霊が癒しの仕事を手に入れること、憑依霊であり、憑依霊の子供でもある瓢箪子供を、ムウェレの子供として差し出すこと、それを憑依霊の子供として憑依霊に差し出すこと、が互換的に語られているのがわかる。

憑依霊を出してしまうこと、実はその後が大変なのだ

結構じゃないか、さっさと出してもらえよ、と言いたいところだが、話はそう簡単ではない。ンゴマ開催の費用の問題以上に(ほとんどの患者にとってそれは大きな問題ではあるが、今回のムウェレは裕福な一族に属しており、日記の記述からもわかるように費用の問題はなかったと思われる)、いろいろ面倒を抱え込むことになるからである。それを理解していただくためには、特定の施術師の生活をある程度長期にわたって見ていくことが必要になるだろう。とにかく、メムァカさんは霊の要求を拒み続けてきた。彼女の末っ子が、学齢期に達しているのに歩けるようにならないという問題が、霊たちの同じ要求のせいだと(占いで)判明したことで、彼女の拒否の壁はくずれることになった。

たくさん憑依霊をもっている人の問題点

ムウェレは、すでに多くの霊をもち、ンゴマ経験も豊富であった。ライカやシェラたちが彼女のキブリ(chivuri35)を自分たちの棲み処に隠しているということで、ンゴマを始める前に、まず奪われたキブリを取り返す「嗅ぎ出し」が行われる必要があったのも、彼女が多くの霊の持ち主であることを物語っていた。ムルングを外に出すことがメインなのだが、そのために彼女のもつイスラム系の憑依霊たちや、その他の霊たちに対する配慮も必要だった。最後に、最も厄介な憑依霊ドゥルマ人に対しては、ンゴマとは切り離して個別に説得、懐柔する必要があった。

舞台裏の施術師

私は今回はンゴマの舞台よりも、舞台裏での施術師の活動を中心に見ていたのだが、ンゴマ経験豊富な参加者たちで表舞台の方も大いに盛り上がっていた。それには主宰するムァインジさんの采配もおおいに関係していた。ムァインジさんは、舞台裏での作業がけっこう多かったのだが、例えば小屋の中での唱えごとの最中でも、外でンゴマの演奏が弱まったり、ストップしたりすると、いきなり大声で「太鼓、太鼓」と叫んだり、太鼓の音だけになって、歌声が途絶えたりすると「太鼓が落ちてるぞ」と叫んで歌を促したり、その臨機応変の采配で場を白けさせなかった。他のンゴマではしばしば見られた、次の曲を何にするかで演奏者たちが議論しあう、などという場面もなかった。ムァインジやアンザジが適宜、選曲を指示していた。ムニャジやムウェレの僚妻だったキジさんのような施術師が、助手として協力しているのも表舞台のンゴマが順調に運んだ一因だろう。

憑依霊たちのノー天気な盛り上がり

表舞台での最大の盛り上がりは明け方、憑依霊ドゥルマ人の演奏で起こった。ムウェレのメムァカ、ムニャジ、キジ、それと名前のわからないもう一人の女性が、同時にドゥルマ人に憑依された。全員、もともとドゥルマ人なんだが。憑依霊ドゥルマ人は、奥地の荒れ果てた土地に住んでいる超田舎者としてイメージされている。ンゴマにやってくる際には自分の住む荒れ果てた未開地(nyika)や山から、サボテンの木やミドリサンゴの木をなぎ倒しながら、はるばるやって来て、未だに木を彫って作ったお椀で練粥を食べ、野草の煮物をおかずにする。しかも無作法で、無礼者、礼儀知らずときている。ドゥルマ人の自己イメージとしては、卑下しているにもほどがある。

ドゥルマ人がいかに手に負えない憑依霊であるかは、彼らに「鍋」を提供する際などの唱えごと(一例)の中にも見て取れる。

ンゴマに憑依霊ドゥルマ人が登場し、お約束どおり木の椀で練粥を要求すると、主催する施術師や演奏者たちは「ごめんなさい。私たちのところディゴではお望みのものは手に入りません」などと受け答えしたりする。いやいや、ここはドゥルマでしょ、と突っ込みたくなるが、憑依霊ドゥルマ人が登場するときには、人々のいる場所はより洗練されたディゴ地域にシフトし、自分たちをディゴ人とみなして、異人ドゥルマ人に応答するのである。

というわけで、ドゥルマ人が登場すると、ンゴマは虚構性を加速し、一気にコミカルな様相を呈する。

この日は、4人も同時に登場したドゥルマ人が意気投合してしまい、お互いに無礼者ぶりを自慢し合ったり、持ち物を交換し合ったりしながら、実に嬉しそうに踊りまくり、周囲の見物客たちに無理難題をふっかけたりする。私も一人のドゥルマ人(キジさん)から、目のところにつけている鏡(メガネ)がメタメタ(metameta 日本語にするとギラギラ)して、お前は不細工だ(kuhama)、ちょっとよこせと言ってからまれた。今回は太鼓とウパツ76の音が大きすぎて、彼らのあいだでの会話は全く録音不可能であったが、こうしたやり取りの実際は、このあたりの掛け合いが、きちんと記録されている別のンゴマで、またの機会に紹介することにしたい。

占いの試練

今回の「外に出す」ンゴマの特筆すべき点は、最後の占い(mburuga)のテストにおいて、ムウェレの占いの能力が遺憾なく発揮されたことである。他のムルングで「外に出す」ケースでは、占いについては、まあ、当たったことにしておこうみたいな感じで終わることが結構あったのだが、メムァカはほぼ熟練占い師のようなパフォーマンスを見せた。喋り方まで、普通のときの控えめなドゥルマのおばさん喋りの口調とは打って変わって、まるで幼児のような舌足らずの口調で、かなり相談者の真相に迫る占いとなっている。彼女は、施術師になることをずっと拒んでいたというのだが、すでに若い頃から「気が狂って」いろいろな問題の真相を告げたり、これから起きることを予兆したりしていたというのだが、それも関係しているのかもしれない。

本当に解決したのだろうか

彼女が「外に出す」ンゴマを開くことに同意した理由が、彼女自身の病気というよりも、彼女の息子の病気(すでに大きくなったのに歩けるようにならない)であったというのも、このケースの特殊な点である。そのときの私の身も蓋もない予想では、このンゴマの後、突然歩けるようになることなど、とてもなさそうだったので、その場合が心配だった。このンゴマの後、メムァカさんとは会うことはなかったが、ムニャジ経由の話では、彼女は普通に施術師の仕事をしているようだった。ただ子供は相変わらず歩けないとのことだったが。

唱えごとで声を張り上げるのはなぜ?

最後に、憑依霊の施術師の唱えごとについても一言、述べておきたい。唱えごとがかなり声を張り上げてなされているという事実である。ここではムァインジによる唱えごとアンザジによる唱えごとで、それぞれの唱えごとの冒頭部の音声データを示しておいた。このように声を張り上げて、はっきり聞き取れるようになされるという点は、同じ施術師でも妖術関係の施術師が行う唱えごとと大きな対照を見せる。後者の多くは、ほぼ口の中でもごもご言うだけで聞き取ることは不可能である。憑依霊の施術における唱えごとが大声でなされる理由は、けっしてンゴマのように大勢が集まっている前で、それらの聴衆に聞かせるためではない。ここでの事例のように、聴衆が一人もいない(私を勘定に入れると一人いることになるが)屋内での施術師夫婦のあいだでの唱えごとである。もちろんこれらの唱えごとは、憑依霊に対して語りかけるものになっている。

これはドゥルマの憑依霊の特徴の一つと関係している。つまり憑依霊たちは、人間を超えた力を持ち、人間にはアクセスできない情報を知っている強大な存在である。ところが彼らは、人間の社会についてはあまりよくわかっておらず、理解力に乏しい存在、聞き分けのない子どものような存在だとも考えられている。彼らを説得するには、大きな声ではっきりと聞き届けられるように、繰り返し繰り返し話してやらねばならない。手を変え品を変え説得せねばならない。好物を提供して懐柔せねばならない。こうした憑依霊の属性については、これからも徐々に触れていくことになるだろうが、憑依霊の施術師がはっきり聞き届けられるような大声で唱えごとするのも、いわば子どものような存在を相手に理を諭す必要があるからなのである(と私は思う)。

書き起こしテキストの和訳

ムルングを据える(セットアップする)

3478 (アンザジによるンゴマ開始の唱えごと)

Anzazi: ...ムルング子神1そしてカツィンバカジ子神39とあなたライカ38、そしてサンバラ人子神90。あなたムクァビ子神136、カルングジ子神137、そしてペポコマ子神138 おだやかに、おだやかに。バラワ人子神139、バルーチ人子神140、アラブ人141、そしてブルサジ142とロハニ子神143。おだやかに、おだやかに。今日この日、私はンゴマを差し出します。このンゴマに招待されること(murongo144)を、皆さまはずいぶん以前にお求めになりました。もうやってこないのではないかとおっしゃるほど。でもついに今日、今、ンゴマへの招待はやってまいりました。皆さま方、お一人お一人ずつお行儀よくお着きになりますように。そして互いに譲り合いながら、幼子をとき解いてください。あなたライカよ、とき解いてください。あなたキツィンバカジよ、あなた方がお解きくださることを願います。サラマ、サラミーニ145!皆さま、お一人、お一人、とてもお行儀よく、平和的に、お着きになりますように。

ムルング子神の歌1

私は遠くにいる、ウェー、帰りなさい 私は遠くにいる、ウェー、帰りなさい 帰りなさい、ウェー、帰りなさい 帰りなさい、ウェー、帰りなさい (何度も繰り返す)

ムルング子神の歌2

おだやかに、おだやかに、ムルングよ、とき解(ほど)け。 おだやかに、おだやかに、ムルングよ、とき解け。 (何度も繰り返す)

「嗅ぎ出し」のカヤンバ

(ムルングの歌3 song of mwanamulungu) (solo)

Mwanamulungu unauya vyoga ziya ムルング子神が帰ってくる、池に踏み込め chikala u kumbu, ukumbuke もしも思い出し、思い出して。 vyoga ziya 池に踏み込め mwanamulungu unauya vyoga ziya ムルング子神が帰ってくる、池に踏み込め chikala ukumbu, ukumbuke もしも思い出し、思い出して vyoga ziya 池に踏み込め

(合唱)

Mayee mwanangu Changa(女性の名前) ああ、我が子チャンガよ Vyoga ziya 池に踏み込め ra uganga 癒しの術の ra uganga 癒しの術の

徹夜のンゴマ

3479 (ムァインジによるヤシ酒による戸口でのクハツァ114)

Mwainzi: 下界の祖霊たち、上界のムルング。私たちは今、ンゴマをクハツァします。そうンゴマ、明日の夜明けまで、首尾上々に。そう、私たちはつつがなきことを願います。あなた祖父もごいっしょに、あなたの息子ンゴメもごいっしょに、あなたの息子ベニャレもごいっしょに、あなたの息子キティもごいっしょに。あなたの息子ムンボもごいっしょに。そしてニャワも最近そちらへ参りました。そしてあなたベムァレワご自身もごいっしょに。ベムァレワ、この屋敷全体はあなたのものです。 私たちはあの子供が治ってほしいのです。ンゴマが鳴っている、小屋のなかのカザマ(大きい瓢箪に入った酒)なら、これです。ほらどうです。皆さま方、お酒をお飲みください。それも機嫌よく。私がここでいたします事どもを、いっしょに護りましょう。いっしょにムルングに祈りましょう。この酒は癒しの術(uganga)の酒です。

(背後にンゴマの太鼓と歌が聞こえる)

(ムルングの歌4)

降りてきてください、降りてきてください、空を昇るムルングよ、降りてきてください 降りてきてください、降りてきてください、空を昇るムルングよ、降りてきてください (何度も繰り返す)

Mwainzi: 急いで、ムルング子神よ、急いで、ムルング子神よ。ンゴマはこれです!

瓢箪子どもの制作

[ムァインジによる瓢箪子供に対する唱えごと] 3480

Mwainzi: ここ、この場所で私たちは今日チェレコ(chereko4)を差し出します。あ、チェレコじゃなくて、これはあなた全能のムルングの子供です。そしてあなた全能のムルングこそ、砦146の主です。(Anzaziに向かって「乳香を継ぎ足してよ」) さて、ここ、この場所に私ことムァインジが参りました。私ムァインジは癒しの術を盗んではおりません。私自身たくさんの困難に捕らえられたのです。私は、ムサンブェーニ147まで行って、白人に治療してもらいすらしました。私が申しますように、私は騙されておりました(それには何の効果もありませんでした)。家に帰って、じっとしておりました。じっとしておりましたが、困難は相変わらずでした。問題は私を捕らえ、私は、「あの白人たちのところに、お前は何のために行ったのだ」と言われました148。「おやなんと、たくさんの困難のためだったのかい」。

(屋内だが外の太鼓の音が聞こえている)

(カセットテープ交換)

Mwainzi: 私は、「癒しの術というのなら、私はそれを調えます」といいました。「そう、私はもうすぐに死んでもいいくらいです。この世界に、私は子供もおりません。」そう、私は同意いたしました。私が同意すると、問題は大人しくなりました。私には連れ合いもできました。私は言いました。さてさて、もう例の問題は過去のことだと。すると私はまた(問題に)戻ってこられ、したたかに捕らえられたのです。誰が見ても、私が、ええ(もう死ぬだろう)と、わかりました。そしてムルングが私を助けてくださりました。

3481

Mwainzi: ムルングとは、今日ここにいらっしゃるあなたです。今、ここにはとてつもない難儀に見舞われている子供がおります。今、(普通なら)この子供は少年になっていることでしょうよ。数々の占いで、それは彼の母親の(に憑いている)憑依霊のせいだと言われるのです。病院にも、(モンバサの)コースト・ジェネラル病院であれ、他の病院であれ。子供は戻ってきても、人に抱えあげてもらう。今日、この日も、抱えあげてもらっているのです。 なんと、私たちには(憑依霊に呼びかける)癒しの術(urongi149)が必要だというのです。この子供が全能のムルングの癒しの術(urongi)を手に入れられますように。あのメムァカさん、あの方です。今日、私は、(彼女に)こうして癒しの術を差し出します。 私は癒しの術を量り売りで買った訳ではありません。私を捕らえた(憑依霊が引き起こした)困難によってなのです。この私ムァインジは。今、今日、もしあの子供が本当に(憑依霊が引き起こした)困難なのでしたら、彼のあの母が占いを打つ子供(瓢箪子供のこと)を手に入れたら、子供は健全になる。2日(歩き回った)後に、私に、あの子は小学校に入ったよと告げられることを、私は望みます。私に、なるほど全能のムルングは本当に(人を)捕らえるんだと、教えて下さい。そしてその子が、仲間の子どもたちといっしょになれるように。でも主はあなたなのです。そして私たちは今日あなたに仕事を差し上げます。 とき解いてください。サラマ、サラミーニ。 鶏はこれです。黒い鶏です。この鶏はここで屠られます。そしてその心臓がこの(瓢箪子供の)なかに入れられます。もしあなたがムルング子神であるなら、私は上首尾であることを望みます。

3482

Mwainzi: 男性の施術師は私です。女性の施術師は彼女です。誰もがそれぞれの困難に捕らえられたのです。彼女は、彼女の実家で問題をもちました。私は私たちの屋敷で、問題を持ちました。ムルングが私たちを一緒にしてくれました。なんと、それぞれにそれぞれの困難がありました。そして今、私はそれがここで始まるとは申しません。それはずっと以前に始まりました。そしてこのようにすることで、人は治ります。今、もしこの争いごとが、あなたムルング子神のせいであるなら、あなたがメムァカのために癒しの術を望んでおられるのなら、あの子供をお治し(uphoze150)ください。今日、あなたは癒しの術を与えられます。とき解いてください。サラマ、サラミーニ。 私の存じ上げている祖霊たちも、私の存じ上げていない祖霊たちも、皆さん全員一緒にお立ちになり、私が行います事どもに力をお貸しください。私が申し上げているこれらの言葉に。 [アンザジによる瓢箪子供に対する唱えごと] Anzazi: あなたライカ子神、サンバラ人子神、そしてバラワ人子神、ムクァビ子神、カルングジ子神、そしてペポコマ子神。ンギンドゥの女(muchetu wa chingindo153)。おだやかに、おだやかに。私たちはここで歌を差し出します。その歌とはあなたムルング子神の歌です。あなたムルング子神、訴えごとがあって来られました。あなたムルング子神は癒しの術(ウロンギ149)を探し求めているとおっしゃる。ついには幼な児(chidunduruma154)に病気を注ぎ込まれた。あなたムルング子神が癒しの術がほしいから。

3483

Anzazi: ずっと以前より癒しの術を乞いながら、あなたムルング子神よ、癒しの術を与えられずに来た。 ところで、今日のこの日、あなたムルング子神よ。あの幼な児が、あんな具合で歩かない。地面を這うだけ。あなたムルング子神と、サンバラ人子神、カツィンバカジ子神、そしてライカ子神のせいだと言われています。あなたが癒しの術が欲しい、それが最大の諍い、それだけ。 今、今日、あなたにお与えする癒しの術はこれです。それを差し出すのは誰でしょうか、あなたムルング子神よ。それはムァインジが差し出します。癒しの術を差し出すのは誰でしょうか。それはアンザジが差し出します。ムァインジはその父と母(施術上の)によって出されました。私もまた父と母によって出されました。ヴィグルンガーニ(Vigurungani155)にいる母はメムンガです。あちらマズマルメ(Mazumalume156)の母は、ニムィンゴです。お父さんはベチェカヤです。各々がその父と母をもっています。癒しの術を盗んだ者はおりません。癒しの術を量り売りで買った者もおりません。困難が私たちを捕まえ、この癒しの術が出されたのです。そして私たちも、友たちを治療したいのです。私たちが友たちをこんな風に治療(huchitibu152)すれば、私たちが彼らを治療(huchilagula151)すれば、彼らも治りますように。 さてメムァカです。彼女がムルングの子供の仕事(kazi ya mwana wa mulungu)を上手につかまんことを。

3484

Anzazi: あの幼な児をとき解いて、健全にならせてください。その脚を折り壊し、腕を折り壊すこともなし、あの子供、幼な児の。あなたムルング子神とサンバラ人子神、バラワ人子神、カルングジ子神、そしてペポコマ子神。あなたアラブ人とバルーチ人子神もご一緒に。そしてロハニ子神も。皆さま、癒しの術(urongi)をお受け取りください、どうか。癒しの仕事をなさってください。 癒しの術を与えられたのに、家の中でじっとしているのは、なしです、ムルング子神よ。だめです。あんな風に泣いて乞うておられたのは、昨日、一昨日のことです(すでに過ぎたことです)。あなたは「私は癒しの術を手に入れられないだろう」とおっしゃっていた。今日、癒しの術です、これです。しっかりと上手にお受け取りください、あなたムルング子神。あの子供、幼な児をとき解いて、健康にしてください。あの児が良き涼しき風に打たれますように。脚がしっかり固まり、あの幼な児が歩きますように。あの児こそが、ゆくゆくは彼の母のムコバ(mukoba61)を携行する者。これこそ彼女が望むこと。彼女が自分の弟子(mwanamadzi79)を求め、その結果、弟子が彼女の後ろを歩いてゆく。それはいったい誰でしょう?あの幼な児なのです。

3485

Anzazi: さて、この児をどうかとき解いてください。どうかこの児を外に出してください(これは字義通りに外で元気に遊べるようにして欲しいという意味)。この児の腕を折り壊すことは、なし。腹を壊すことは、なし。 どうかあの仕事の子供(瓢箪子供のこと)をこの場に、お吐き出しください。(この瓢箪子供が)よい冷気に打たれますように。悪い冷気は上空を通り過ぎますように。ニャリ(nyari56)の皆さま全員、デナ・ムカンベ(dena mukambe157)の皆さま、マサイ様(bwana masai100)の皆さま全員、皆さま方に発した諍いは、なしです。どうかお受け取りください。子供(瓢箪子供)は、この子です。ペポコマ(p'ep'o k'oma138)の皆さまがた、どうかお受け取りください。子供(瓢箪子供)は、この子です。争いごとは、なし。プンガヘワ(pungahewa158)の皆さま全員、キユガアガンガ(chiyuga aganga104)、ボコ・ムサウェ(boko musawe159)、おだやかに、おだやかに、友たちよ。 争い合うものは二人。三人目がやってくると、その者は争いを仲裁します。私どもは、皆さま方の仲裁者です。私どもは皆さま方に、皆さま方の喜びと癒しの術(urongi)の子供を差し上げに参りました。皆さま方どうか、仕事をなさってください。つつがなきこと、これこそ私どもが欲していることです。 皆さまどうかとき解きください。サラマ、サラミーニ。世界の住人の皆さま、穏やかに。

3486 [ムァインジによる、完成した瓢箪子供についての唱えごと]

Mwainzi: ごめんください、ごめんください、全能のムルングよ。全能のムルングこそ砦の主です。生まれ出たる者にして、ムルングのいない者などおりません。私はあなた全能のムルングをお迎えいたします。 そしてメムァカという女性。メムァカは子供を産みました。でも今、その子供は歩きません。この子が今日、歩くとしましょう。明日には子供はまた寝具の中に後戻り。多くの事がなされました。私の友人の治療者たちもここにやって来ました、あなた全能のムルングよ、やって来て治療いたしました。子供は歩きませんでした。占いに戻ると、対処に間違いがあったと言われたのです。全能のムルングに戻りなさいと。 こうして今日、私たちはあなた全能のムルングを手にしています。今日この日より、こうして、あなた全能のムルング、今、あなたは子供(瓢箪子供)です。仕事をするための。私はあなたを今日、この日に、メムァカに与えます。今から、私はあなたを私の(選んだ)場所に置きに行きます。メムァカが自分で行ってあなたを持ち帰るように。メムァカがたしかに子供(瓢箪子供)をつかんだと私に教えて下さい。なぜなら彼女は子供を欲しているからです。

3487

Mwainzi: あの幼な児もまた、治りますように。なぜならその子の病気はすべて、その母が癒しの術を授けられていないからだと言われているのです。だから、彼女に癒しの術が与えられれば、子供もまた歩きます。私たちが私たちの事柄を試しにやって来て、帰りました。そして私たちは鍋を据えに参りました。 (唱えごと中断) Anzazi: あなた急いでね。明るくなってしまうわ、あなた。 Mwainzi: ああ、(明るくなってもンゴマは)それでも打てるよ。 A: この子供(瓢箪子供)を置きに行くこと(隠しに行くこと)の話よ。 Mw: お前と、この人、あなたがた二人でお行きなさい。もうかねてから、私はあなたとこの人に行ってもらう計画でした。私は行きませんよ。 (唱えごと再開) Mw: さてあなた全能のムルング、こうして今日この子供(瓢箪子供)はメムァカの子供です。そしてムルングの太鼓が鳴れば、メムァカは自分の子供を取りに行かねばなりません。そう、さらにあの子供(病気の)も歩きますように望みます。なぜなら憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きに来たところ、子供が歩いたからです。私も、その子が車(おもちゃの)を押しているのを見たほどです。先日私が、再度鍋を置きに参ったところ、聞いたところによると、その子は歩き、丘の下までたどり着いたそうです。でも昨日、私が来ると、病気が舞い戻り、子供は抱え起こされました(自力では立てないということ)。 あなた全能のムルング、憑依霊アラブ人も、バラワ人子神も、サンバラ人子神もごいっしょに。

3488

Mwainzi: そしてあなたサンバラ人子神、あなたこそ偉大なる施術師。すり減った鍬の刃の人、噛みタバコを耕作する人。キティティ(chititi123)を手に取り、激しく打ち鳴らす(占いをする)。それを今日この日に、とき解きください。メムァカがこのあと、この彼女の子供を見つけますように。 クァビ人子神、カツィンバカジ子神、ライカ子神もご一緒に。ドエ人(mudoe160)も、バルーチ人子神も、あなたムァンガラ(mwangala161?)も、ご一緒に。とき解きください。それから、誰でしょう。あなたドゥングマレ(dungumale162)とあなたジム(zimu171)もご一緒に。それとあなたキロボト(chiroboto172)も。皆さま方、どうかとき解きください。 この子供(瓢箪子供)を今日、私はメムァカに与えます。でも、私がそれを取ってきて、彼女に渡すために、(ムルングの紺色の布を)私がそれにかぶせるなんてしたくない174。もし皆さま方がメムァカのために癒しの術(urongi)をお望みでしたら、(これまでの他の)施術師仲間たちはやっては来たものの、対処を間違っていたのです175。私ムァインジもやって参りましたが、私自身は癒しの術を量り売りで手に入れたりはいたしませんでした。癒しの術は全能のムルングによって与えられました。そして私は全能のムルングの業を同じくなすだけのことです。私はメムァカが立ち上がり、自分で自分の子供を取ってくることを望みます。彼女に癒しの術を、私に与えさせてください。

3489

Mwainzi: 私もここで、この子供(瓢箪子供)のために泣いてあげます。そして私があなたをあっちに置いたら、あなたはすぐに泣いてください。あなたのお母さんがやって来てあなたを取ってくるように。そう、私に彼女に癒しの術を与えさせてください。そして人々にも、ムァインジはまだ若輩者176だが、本当に困難に見舞われていた(そしてそれによって癒しの術を手に入れた)のだとわかるように。私の相棒はこの者(アンザジのこと)です。この子供は、男と女(の施術師)の子供です。しっかりとき解いてください、あなたムァニィカ子神(Mwanyika177?)、あなたキリマンジャロ子神(chirimanjaro180)、皆さま方、どうかとき解きください。子供(瓢箪子供)はあなた方の子供です。 他の(憑依霊の)皆さますべてもいらっしゃいます。仕事を欲しがっておられます。しかしながら、あなた全能のムルングが与えられるまで、彼らはあなたを追い越しません。今日、私はあなたに差し上げます。ですから、あの子供(メムァカの病気の子供)をとき解いて、その子が歩くように。そして私もまた喜ばせてください。なぜなら、あの子供(瓢箪子供)が取ってこられさえすれば、この子(病気の子供)も歩くようになると私にはわかっているからです。子供(瓢箪子供)とは、他でもない、あなたです。置き去りにされた場所で、もし(見つけられるのが)遅れているとお思いになったら、あなたはただ泣けばいいです。あなたのお母さんがやって来て、あなたを連れてきてくれるでしょう。 どうか皆さま、とき解きください。サラマ、サラミーニ。世界の住人の皆さま、全員で。

[ムァインジの唱えごと終了]

[アンザジによる、完成した瓢箪子供についての唱えごと]

Anzazi: さあ、さて。とき解くこと。とき解きください、あなたムルング子神。ムルング子神、あなたには乞い願うことがおありでした。乞い願うこととは何でしょう。癒しの術(urongi)を求めていらっしゃったのです。

3490

Anzazi: さて、癒しの術(urongi)は他でもありません。癒しの術はこれです。あなたが、ずっと以前からお求めになっていた、その癒しの術です。サンバラ人子神とご一緒に。サンバラ子神こそ偉大な施術師です。そしてあなた憑依霊クァビ人。あなた方は偉大な施術師の皆様です。皆さまは、風が私どものところにやってくるのをお示しになり、人に夢を見させ、戦争がやってくるとお告げになります。しかじかの日に戦いがやってくると。人はすでに知る者となります。自分たちにできるやり方で備えます。なんと、池を掘る、街道に小さな池をたくさん堀り作るのです。 さて、あなたムルング子神と、あなたキツィンバカジ、ライカ子神とサンバラ人子神、バラワ人子神、カルングジ子神、ペポコマ子神。この子供(瓢箪子供)はあなた方の癒しの術の子供です。今こうして私はあのメムァカにこの子を与えます。幼な児が病気で、仕事を欲しがっておられるあなたムルング子神のせいであると言われているからです。人々(憑依霊)は大勢います。しかしながら私たちは全能のムルングから始めます。彼女に子供(瓢箪子供)を差し上げることから始めさせてください。それが済んだら、私たちはデナ・ムカンベ(dena mukambe157)の子供を差し出しに参るでしょう。

(アンザジの唱えごと、冒頭部)

3491

Anzazi: そしてそれが済んだら、私たちはディゴの女性(muchet'u wa chidigo130)とマレラ(marera182)子神の子供(瓢箪子供)を差し出しに参ります。あなたシェラ(shera57)の女。一緒にいるのは誰でしょう。カルメ・ムドゥルマ子神(kalume muduruma30)。彼らもまた仕事を求めている方々(憑依霊)です。でも今は、あなた方皆さま全員の母親(であるムルング)のこの子供(瓢箪子供)を、お受け取りになることからお始めください。皆さま、あれなる砦(メムァカのこと)の内にお住まいの世界の住人子神の皆さま。皆さま、あれなる人の幼な児をとき解き、健康になるように。あなたムルング子神、私はあなたに平安の長声(njerenjere184)をお打ちいたします。 「おやおや、私たちも仕事をするための、私たち自身の幼子(瓢箪子供)を貰えるんじゃなかったのか」(とおっしゃるかもしれませんが)、皆さま、友よ、これが仕事です。もう始まっています。「私たちも仕事が欲しい、私たちも仕事が欲しい」(によって引き起こされた)家(患者の身体)のなかの、こうした病の数々が、外に出てしまいますように。あの幼な児、子供(病気の)が健康になりますように。良き冷風に打たれますように。悪い冷風は上空を通り過ぎますように。子供は食事を食べ、太るもの。子どもの脚が折れ壊れることも、腕が折れ壊れることも、脇腹が潰されることも、なしです。なしです。あなたムルング子神。あの諍いは一昨日、昨日のことです(過ぎたことです)。

3492

Anzazi: でも、今、今日は、奴隷なる子供(メムァカの病気の子供)を解放し、良き冷風に打たせてください。争いはございません。サラマ、サラミーニ。 皆さま方、世界の住人子神の方々全員。おだやかに。あなたニャリ・キピンデ(nyari chipinde185)もご一緒に、お静まりください。ニャリ・ンゴンベ(nyari ng'ombe186、ニャリ・ムァフィラ(nyari mwafira187)、あなたニャリ・ムァルカーノ(nyari mwalukano188)、ニャリ・マウンバ(nyari maumba189、ニャリ・キティーヨ(nyari chitiyo190)。ニャリ、壊し壊す者、頭を壊し、腕を壊し、胸を壊し、脇腹を壊す、あなたニャリ。ブワナ・マサイもご一緒に。それと、あなたが脚を壊すと、子供は歩かなくなる。なんとあなた、ニャリ・ジョカ・ボム(nyari joka bomu192)のせいだったのですね。 どうかあの奴隷なる子供を吐き出して、あなたがたの子供(瓢箪子供)をしっかりとお受け取りください。長声とともに。長声を打ち、子供をとき解き、健康にしてください。子供が良き冷風に打たれますように。悪しき冷風は上空を通り過ぎますように。争いはございません。もし子供(瓢箪子供が欲しいということ)であったのなら、これが癒しの術の子供です。どうか平安とともに仕事をしっかりなさってください。「おやおや、私たちは知っている。仕事を与えられるってことを。ずっと以前から仕事を乞い願っていた。私たちが仕事を手に入れることはないだろうと言っていたものだ。でも今日、今、私たちは仕事を手に入れた。」

3493

Anzazi: プンガヘワ子神158、ルキ105とガザ194、キユガアガンガ104、ボコ・ムサウェ159もご一緒に。しっかりお静まりください。どうか あなたがたの癒しの術の幼子(瓢箪子供のこと)をお受け取りください。この子です。サラマ、サラミーニ。 [アンザジの唱えごと終了]

[メムァカの息子ムンボとアンザジが瓢箪子供を隠しに行く]

Mwainzi: この子はここにはもう置かれることはありません。 Hamamoto: 二人で行かなければならないのですか。 Mw: ふたりです。 H: 隠しに行く? Mw: 隠しに行きます。さあ、私の仕事は終わりました。あとは太鼓を打ちに行きます。打ちに行きますか。私は、マサイ人がいいな。私は太鼓を打ちたい。さて、ここでお話しますが、ここでお話するのは、私たちはここにメムァカについてお話しようとやって来たわけで。さあ、太鼓、太鼓!

3494 [ムァインジ黒い鶏で草木をクハツァ]

Mwainzi: 子供は病気でマカダラ(makadara196)にまで参りました。マカダラでも駄目でした。ドゥルマのやり方に戻りなさいと言われたのです。そうすれば子供は治るでしょうと。メムァカに私は申しませんでした。...(聞き取れない)...一つの心をもって。憑依霊アラブ人、バラワ人子神、クァビ人子神、そしてキツィンバカジ子神、ライカ子神、カルングジ子神。カルングジ子神、またの名をムァンガラ(mwangala?)、そして憑依霊ガラ人。そしてペポコマ子神。どうか、とき解きください。 今日、この草木を私はメムァカのためにクハツァ114します。一つの心をもって。困難といえば、私も自分自身の困難に捕らえられました。そして私も(外に)出され、仲間の人々を救いなさいと言われました。救うとは他でもありません。あなたムルング子神。私はこのメムァカを救います。彼女の子供が歩けるようにと、そして(メムァカの)仕事が明るく輝くようにと。子供が治り、そして(メムァカ)自身が歩く機会を得ると、さあ、この子供が来て、彼女とともに歩まんことを。いっしょに癒しの仕事に行くことを。

3495

Mwainzi: あなた全能のムルングと、ご一緒のドゥングマレ(dungumale162)、ペポコマ(p'ep'o k'oma138)、キロボト(chiroboto172)もご一緒に。しっかりとき解くこと、憑依霊ディゴ人もご一緒に。しっかりとき解くこと、あなたムァニィカ子神177もご一緒に。あなたキリマンジャロ子神197もご一緒に。 私は少し喋りすぎました。ごめんなさい。私はここにやってまいりました。私ムァインジは。私は癒しの術を盗んではおりません。癒しの術はンガニャワさんから与えられました。さらにムンボさんから与えられました。さらにニャレさんから与えられました。そしてムベガさんから与えられました。そして私も仲間を救います。 しっかりお静まりください。カニィニィ子神(kanyinyi198ここでは草木ムリンダジヤ(murindaziya)の別名。しかしここでの語りは草木に対してであると同時にムルング子神に対しての語りにもなっている)。日照りにも萎れず、雨にも萎れない。今日、今、私はあなたがこの者とその子供に、つつがなきことをとき解いてくださることを願います。彼女の子供が歩きますように。もしこの争いごとがあなたのせいだった(あなたが癒しの仕事を臨んでいたせいだった)のなら、私はあなたカニィニィ子神のこの場所に参りました。私は癒しの仕事を盗みも、量り売りで手に入れもしませんでした。本当は、私は癒しの術を臨んでいなかったのです。私はムルングに打ち負かされたのです。 [ムァインジのクハツァ、終了]

3496 [アンザジ、黒鶏で草木をクハツァ]

Anzazi: あなたカニィニィ子神、私たちはあなたをそちらにいるメムァカに与えます。メムァカはずっと以前から、癒しの術を乞われておりました。幼な児が病気で小屋の中から出ることがないのです。そのメムァカですが、今日、今、あなたカニィニィ子神の仕事が今日です。 さて私はあなたムルングの草木に語ります。あなたこそ偉大なるムルングです。私はあなたにここで語ります。私は癒しの術を盗んではおりません。癒しの術は、(施術上の)ウマジ・ワ・ビンドゥ母さんから頂きました。私は次に誰から癒しの術を頂いただいたでしょうか?(施術上の)ムァインジ父さんから頂きました。そしてさらに誰から癒しの術を頂いたでしょうか?(施術上の)ベチャカヤ父さんからです。癒しの術を誰から頂いたでしょうか。(施術上の)メムィンゴ母さんから頂きました。私はあなたムルング子神とサンバラ人子神の癒しの術を盗みませんでした。そしてバラワ人子神とクァビ人子神、カルングジ子神、ペポコマ子神、ドゥングマレ子神、ジム子神171。どうか皆さんの癒しの術(urongi)をしっかりとつかんでください。あの子供(病気の)が大雨季に耕作しますように。昼に夜に彼の仕事を解き解いてください。

3497

Anzazi: ムコバ(mukoba61)は外を歩くものです。ムコバは家の中を歩いたりしません。今は、お聴きください、あなたカニィニィ子神。日照りにも萎れず、雨にも萎れない。あなたカニィニィ子神、私はつつがなきことを望みます。メムァカがその子供ともども、健康でありますように、そして彼女の仕事を順調に握りますように。サラマ、サラミーニ。世界の住人の皆さま。おだやかに、キリマンジャロの方々、憑依霊ガラ人の方々、皆さまおだやかに。 [アンザジのクハツァ終了] [ムァインジによる白い鶏での草木のクハツァ] Mwainzi: あなた憑依霊アラブ人、バルーチ人そしてロハニ子神とご一緒に。そして誰とご一緒でしょう。ソマリ人子神とです。そして誰とご一緒でしょう。皆さま方イスラムの憑依霊の方々です。世界導師(mwalimu dunia22)、コーラン導師(mwalimu kuruani199)、カドゥメ(kadume165)、ツォヴャ(tsovya170)。皆さま方全員、ムルングの鍋を据えますと、その病人は、皆さま方とも、世界の住人の子神皆さまとも関係があったのでしょうか、皆さま方こそ、そこにお出でになった方々なのです。それは結構なことです。つまり、あなた方があの、あなた方の母(ムルングのこと)とご一緒で上機嫌であられるなら。 今日、私はメムァカのためにクハツァいたします。メムァカは、その子供が病気です、歩けないほどです。そしてメムァカは自分からここ(最重要な草木のある場所)にやってまいりました。「さあ、行きましょう。私が教えてあげます」などと私は申しませんでした。

3498

Mwainzi: 彼女は自分でやって来て、あなたカニィニィ子神を握ったのです。日照りにも萎れず、雨にも萎れない。 さて、子供をとき解いてください。サラマ、サラミーニ。私は今メムァカの子供が、彼女自身ともども、治ることを願います。彼女の子供が治り、彼女の癒しの術が輝きますように。サラマ、サラミーニ。 [ムァインジのクハツァ終了] [ムァインジ、ヤシ酒で祖霊にクハツァ] Mwainzi: 私の存じ上げている祖霊の方々よ。私の存じ上げていない祖霊の方々よ。私はあなたムァインジお祖父さんとお話いたします。あなたムァインジお祖父さん、そして私が幼い頃に死んだお父さん、お父さんは結婚し、たくさんの子供をお生みになりました。私はちょうど真ん中の子供です。 さて、今日、ムァインジお祖父さんとその兄弟、ベムァレワさん、私は今日、ここでメムァカに草木を握らせました。彼女はあなた方の妻(分類上の)ですね。私は彼女にカニィニィ子神の草木を握らせました。 (演奏が途切れたので演奏者に向かって)太鼓! 私はあの子供が治るように望みます。私は、彼女本人もつつがなく、彼女の仕事が光り輝くことを望みます。酒はこれです。私は言われました。今、酒はこれです。酒を飲む方たちはお握りください。そしてここで話されることを両手をもってお受け取りください。

3499

Mwainzi: さて、私はあなたカニィニィ子神にお話いたします。あなたカニィニィ子神、あなたの草木は日照りにも萎れず、雨にも萎れない。今日、私はあなたをメムァカに与えます、あなたカニィニィ子神よ。一つの心をもって。私はンガニャワお父さん(施術上の)に言われました。「私はお前に癒しの術を与えましょう、我が子供よ。癒しの術は、けっして怒りの心で行なってはいけないよ。」と。私は彼の言葉をしっかり握りました。こうして今私はあなたカニィニィ子神を握っております。私は癒しの術をンガニャワによって与えられました。彼こそお父さんです、あなたカニィニィ子神よ。その後、私はランギ父さんとともに進み、ムロイ(muroi200)をニャレとミンベッガによって与えられました。ンガニャワ父さんは、ムヮカとともに私を外に出しました。彼は私に(他の)草木を見せませんでした。彼が見せたのは、あなたカニィニィ子神、日照りにも萎れず、雨にも萎れない。今日、今、私はあなたにメムァカを「嗅ぎ出し」いたしました。一つの心をもって。メムァカ、彼女の子供が治りますように、もしあの子供が歩くことをしないのが、憑依霊たちのせいだというのなら。今日、彼女が彼女自身でやって来てこの草木(カニィニィ)を握ったように、私はあなた全能のムルング(カニィニィ)を欲しております。私はあの彼女の子供が治ることを望みます。そして彼女自身が、人を癒やすよう願います。

3500

Mwainzi: 私たちはまず、この者(黒ヤギ)を食べます。私は満腹で出発したいのです。彼女(メムァカ)も満腹して来る。でも、もし私が空きっ腹のまま立ち去ったら、彼女も空きっ腹に陥ります。あなたカニィニィ子神、私はあなたを盗んではおりません。あなたカニィニィ子神、どうかムァモンゴの一族の祖霊全員、ミキシマの一族の祖霊全員とともに、平安にとき解きください。それからウェキジの一族の祖霊の皆さまも。 さあ、今名前を挙げた皆さま、どうかこの酒にご参加ください。あなた方の子孫たちも、あなた方の祖先たちも、ごいっしょに酒をお飲みください。私の心は一つです。癒しの術(uganga)を首尾よく差し出すことです。人は自分で失敗してしまうことがあります。人々が、ムァインジいったい何ごとですか、などと言うことがありませんように。この酒を、さあ。とき解きください。メムァカの子供をおとき解きください、健康になりますように。そしてメムァカ本人も、癒しの術(urongi)を切望いたしておりました。癒しの術を、本日、彼女に与えました。そして私の心はひとつです。 [ムァインジによるヤシ酒のクハツァ、終了]

3501 [ムァインジ、黒山羊でクハツァ]

Mwainzi: あなたは偉大なムルング、そして今日、今、私はあなたにこのメムァカをクハツァします。メムァカ、彼女の子供の問題をかかえています。その子は多くの癒やし手によって治療されてきました。それらの癒やし手は打ち負かされ、私のような若輩が呼ばれたのです。そう、私は無駄に白髪ですが、若輩です。私は困難に捕らえられました。私の言葉(唾液)を、あなたカニィニィ子神。日照りに萎れず、雨に萎れない。私は望みます。あの子供、すべての問題が。あなたは、メムァカがあなたを毎日採りにくるのを望んでおられました。今日、私はあなたをメムァカにクハツァいたしました。メムァカがここに毎日あなたを採りにやって来て、治療に盛んに出かけますように。あなた、カニィニィ子神、さあ、黒いヤギはこれです。今、私は平安を欲しています。サラマ、サラミーニ。 クァビ人子神(mwana kpwaphi136)とライカ子神と、ガラ人子神とご一緒に。友よ、お鎮まりください。あなた方こそは、全能のムルングとともに先をお進みになる方々です。ペポコマとドゥングマレとジムもご一緒に。そしてムァンガラ(mwangala161)お静まりください、ンギンドゥ人(mundingu153)もご一緒にお静まりください。

3502

Mwainzi: どうかとき解きください、友よ。ドエ人もご一緒に、お静まりください。ヤギはこれです。あなたムァニィカ子神(mwanyika177)、そう、あなたは偉大なムルングです。お静まりください。ヤギはこれです。どうかお怒りにならずに、あなた方のヤギをお受け取りください。私は彼女をつつがなくあちらへ出しました。だから皆さま彼女に癒しの術(urongi)をお与えください。彼女が昼に夜に癒しの術を行えますように。 あなたカニィニィ子神はおっしゃいました。「私はメムァカが毎日、やって来て私を採っていくようにと望んでいる」と。私は、そう、今日こうしてあなたにメムァカを与えました。そう、一つの心で。一つの心であなたに与えました。さらにあなたにヤギもお与えしました。メムァカがここにやって来ても、どうか彼女を驚かせたりなさらぬよう、お心得ください。彼女が家を出て、あなたを採りにやって来たら、そこに何者かが立ちはだかっているのを見る。そんなのは嫌です。私はあなたをクハツァし、彼女は自分からここに参りました。私は彼女に、さあ、行きましょうとは言いませんでした。彼女は自分でここに到達しました。あなたご自身も御納得でしょう。この者があなたのお言葉に同意したということに。あなたを採りにやってくるなら、家にいるあの子供も健康になるべしと。

3503

Mwainzi: 黒いヤギでしたら、そう、これです。とき解いて、キリマンジャロ子神。私の最後の草木はこれです。あなた全能のムルング、あなたが示された道筋、あなたが問題にされていた事柄は以上です。どうか今度はイスラム系の霊にやってこさせてください。男の施術師は私。女性はあちらの方です。それぞれがそれぞれの困難や問題を経てまいりました。今日こうしてあなたはメムァカに採っていかれます。どうかメムァカを煩わすのは終わりにしてください、そして彼女の子供が歩くようになりますよう。 (メムァカに向かって) Mw: 枝を一本折りなさいよ。 [黒いヤギをここで屠殺して、終了。この後、屋敷に戻るまで他の草木で黒鶏と白鶏によるクハツァが繰り返される。]

3504 [メムァカによる占い試験]

Mwainzi(Mw): 太鼓が落ちてるぞ、太鼓が落ちてるぞ(ngoma yidzegbwa. 太鼓だけが演奏されていて、人々の歌声が止まっていること)。こいつ(キティティ123)を打って、病人を見つけなさい。もし見つかった病人がたくさんだったら、私に言って。私は愚かな子供(施術上の)は嫌いです。私は聡明な子供が好きだ。最初に、あいつに(占いの見立てを)話しなさい。そいつを立たせて、こっちに連れてきなさい。そしたらこの人(メムァカ)が彼に話してくれるでしょう。先に彼女が見つけた者(病人)も、行って連れてきて。太鼓を少し止めて。彼女が話して、人々が聞こえるように。この人を救いなさい。言いたいことがある者たち(憑依霊)は、ほっておいて、問題を抱えたまま立ち去らせなさい。さあ、どうしてできないんだい?ほらウシ(ng'ombe201 =占いへの支払いの硬貨)はすでに、この人によって置かれているよ。 Memwaka(Me): (突然舌足らずな喋り方で)私が見るところ、この人は病気、病気だね。この人、私にゃわからないけど、この人、この人、何に苦しめられてる?問題に苦しめられている。別の問題にね。彼の身体の中のことは、そう。わからないけど、彼は出歩く。こんな風に歩き回る(日常生活は普通に営める)。でも何もかもうまく行かないのよ(文字通りには明るくはならない)。 Mw: さあ、ちゃんと返事しなさいよ。私の子供(施術上の) Man: タイレ(そのとおり)。 (人々笑い) Mw: もうタイレだよ、この人。 Me: 私に見えるのは、彼が出歩き、歩き回っているのは、お金稼ぎだね。そう、まったくうまくいかない。なにかする、なにかしても、往々にして家にこもってばかり。私にはそんなふうに見えるね。

3505

Mwainzi(Mw): タイレって言えよ。 Man: 何も手に入らないんだよ。そして家に入っても、私は拒まれる。 (人々大笑い) Mw: 家に帰るのも問題ってか? (人々笑い、言葉交わし合う) Memwaka(Me): 歩き回って、あちこち回って、その挙げ句、家に戻る。彼はただただ驚いている。もうどうしようもない(何もできることがない)。 Mw: タイレだよ、我が子よ。 (人々各々コメントしあう) Man: もうそう言ってるよ。まさにタイレですよ。 Me: おまけに、彼の妻も、私の見るところ、屋敷にはいないね。とっくに立ち去っている、そして何が彼女を追い出したのか、お前はそれを知っているかい? Man: 知りません。私は彼女が立ち去ったのがわかっただけです。 Me: そう、立ち去り、立ち去りしただけ。さて、そう、あんた自身だよ。駄目にされたのは。ところで、そう、あいつら(妖術使いたち)は、うう。 Man: 私はその破壊工作について、説明してほしいです。 (メムァカ、キティティ123を振る) Man: それをした者が、もしここにいるなら、その小枝でそいつを打ってください。

3506

Memwaka: ああ、今日このごろでは、人は名指しされないんだよ。 Man: ああ、そいつがどんな服をきているかだけでも言ってくださいよ。そうしたら誰かわかりますから。 Memwaka: あんた、専門家(妖術の施術師)を探してきなさいな。お前の身体をしっかり調えておもらい。だって、大したことじゃないんだから、友よ。それだけのこと。あんた、私の見るところ、あんたの身体もずいぶん壊されてるね、健康がすっかりなくなってる。おまけにどこに行っても、何も手に入らないね、あんた。 Man: いったいどうしたらいいんだ?ところで、その(妖術に対する)施術だけど、どんな風にするんだい?媒介物(chiryangona202)として何を用意すればいい? Me: 黒いヒヨコ(kiiru = kadzanakuku kiiru96)を見つけておいで。雌のね。それだけ。 (ムァインジに向かって)この男はしっかりクブェンドゥラ(妖術返し203)してもらわないと。ヒヨコは(殺さず)彼と一緒に暮らす。きっと彼は(その結果が)とても気にいるだろうよ。でも、そうしなければ、ああ、こいつはこれからもあちこち彷徨い、彷徨い回るだけ。あそこに留まったかと思えば、あちらに戻るといった具合。こいつが明るくなることは(事態が好転することは)ない、まったくない。あんた、私の友人よ、この男はしっかりクブェンドゥラされないとね、あんた。 (男に向かって)施術師と黒いヒヨコを探して。でも、あんたもし今のままだと、そう、あんたはこれからも、もがき苦しみ続けるだろうよ。何もかもうまくいかないだろうよ。

3507

Man: 私の妻は戻ってくるだろうか? Memwaka(Me): そりゃあ、あんたがちゃんとちゃんと(施術を)してもらったら、あんたが彼女を連れ戻しに行ったら、彼女はやってくるさ。でもこの処置を受けなかったら、あんた、これからも、もがき苦しむだろうよ。お前自身が壊されたんだよ。自分でどう思う? Man: それをやってもらわないうちは、私はもう妻を娶れない、そうなのか? Me: お前の(立ち去った)妻を連れ戻しに行けば、そうすれば、一緒に暮らすことになる。もし彼女のことが嫌いで嫌いでしかたないなら、別の女性を探すことになる。それはあんたの勝手だろうよ。あんた、私はあんたの身体を調えてもらうよう言っただろう。そうすれば物事は順調になる。でもそうしなければ、さあ、お前は混乱し続けるだろうよ。 Mwainzi(Mw): 仕事も、こいつが探せば、手に入るでしょうか。 Me: はい、手に入れられるとも。そもそも彼がちゃんと調えてもらえば、彼が仕事を求めて行ったら、もうみだりにそこを去ることはない。家に戻ってきては、また仕事に行く、その繰り返し。 Man: さあ、それこそ私が望んでいることです。それだけじゃなく、たくさんの妻、妻の群れ。

3508

Mwainzi: さて、もしそれ以上の質問ができないのなら、このテストは終わりです。たしかに確認できました。私が望んでいたとおりが、手に入りました。だから、もう彼のウシ(占い師に差し出した料金の硬貨)をもらっても、問題在りません。この場に間に合わなかったのは(その硬貨を入れるべき)ムコバ(mukoba61)の件です。あれら私の子どもたち(瓢箪子供)が、収まる(その中に腰掛ける)ことになるのですが。 Munyazi(Mun): この場で必要なのは、ほんの小さな編み籠です。あれら子供たち(瓢箪子供たち)を座らせるだけの。 Mw: それも新品のね。まだ使用されたことのない。ここにありますか?別のあれは駄目だよ。気に食わない。さて、彼のウシをもらいます。瓢箪子供も地面におくことになるな。ところで、あなたここにおられますか? Man: はい。 Mw: おばさん(Chane「母の姉妹」)、唱えごとしてもらえますか。私の喉は声がでないんですよ。え、もしもう帰ってしまったのなら、それらの鶏をもってきて、それに唱えごとしてしまいましょう。もう問題ないでしょう。私の喉は声が出ないんです。眠気のせいです。(妻のアンザジに向かって)お前、寝ちゃったの?唱えごとしてよ。唱えごとしてください。すべて終了しました。

3509 [占いの締めくくりの唱えごと]

Anzazi: おだやかに、私はお話します。私がお話するのは、あなたムルング子神とキツィンバカジ子神、そしてライカ子神、サンバラ人子神、バラワ人子神、クァビ人子神、カルングジ子神。 おだやかに、おだやかに、おだやかに、おだやかに。あなたアラブ人もごいっしょに。そしてバルーチ人、ロハニ子神、ソマリ人子神、コーラン導師、スディアニ導師、ジネ・ムァンガ169、ジネ・バハリ204、ペポムルメ26、カドゥメ165、ジキリマイティ205 皆さまおだやかに、おだやかに、おだやかに。あなたムルング子神。私たちはあなたにあなたのウシ(占いの報酬の硬貨)を差し上げます。このウシはあなたのものです。ウシを昼によるにお護りください。ウシが冷たい風に打たれますように。このウシが、次々に双子を出産しますように。 しかしながら、もしあなたがそれをお護りになると言うのなら、ここにいる病気の幼な児のことです。その幼な児は、ずっと以前よりこのかた病気でした。そして(占いで)この児はその母親のせいで治らないのだと言われております。彼女が癒しの業(urongi)を要求されているからです。さて、癒しの業とはほかでもありません。これです。今日、ここで外に出てきたものです。

3510

Anzazi: あなたムルング子神、砦の中におられるあなたの子どもたち全員とともに、あの幼な児をとき解いて、健康にしてください。まず、あの両足が歩行できるようにと願います。どうしてあなた方はこの児を不具者として小屋の中に置いておかれるのでしょう、あの幼な児を。尋ねましたところ、あなたムルング子神のせいだと言われるのです。あなたが癒しの術(urongi)を欲しておられるのだと。 さて、あなたが一昨日、昨日乞うておられたというその癒しの業ですが、今日、この日に私たちがお与えしたのがそれです。もしあなたが本当に争いごとの主でいらっしゃるなら、どうかあなたの癒しの業をおつかみください。そして幼な児をとき解きください。私は欲します。今日、この日に、あるいは明日になったら、幼な児が歩くことを。その子が、あちらのすべての場所に、そしてそちらのすべての場所にたどり着けたとしたら、私は、皆さま方、世界の住人の方々だったのだ、皆さまは仕事を欲していらっしゃるのだと、たしかに知ることになるでしょう。 もしかしたら、他の方々もおられるのかもしれません。私たちはあなたムルング子神から始めました。でも他の方々は全員、まだ自分たちの癒しの業を与えられないでいる。もしそうなら、私たちは大急ぎで走ります(彼らの要求をかなえるために全力を尽くします)。幼な児はが、こういう有り様でしたので、私たちは皆さま方にこの仕事を差し上げました。

3511

Anzazi: たとえ物(資金)がなかったとしても、私たちは大急ぎで走ります、たとえ盗みを働いてでも。でも他の残された皆さま方も、お受け取りになります。 というのも、デナ・ムカンベ(dena mukambe157)もいます。彼、デナ・ムカンベは自分の仕事をずっとずっと以前より強くせがんでおられましたが、まだ与えられておりません。ブワナ・マサイ人もおられます。自分の仕事を欲しがっておられます、がまだ与えられていません。ディゴの女(muchetu wa chidigo130)も、マレラ子神(mwana marera182)もおられます。あのキバラバンド(chibarabando206)、小雨季の轟き、大雨季の轟き、あなた狂気を煮る女(mujita k'oma58)、あなたシェラ(shera)、水と石を掃く者(usheraye madzi na mawe)も。さて、皆さま方もまずは、身体につけるビーズ飾り(marero)を欲しておられますが、まだ与えられておりません。 この者(メムァカ)に力をお与えください。彼女の幼な児たち全員とともに。彼らが健康でありますように。あの地面を這う児を、まずは歩けるようにしてください。普通に起き上がって歩き、物を手に入れること。これが私たちが望むこと。皆さま方、世界の住人子神全員が、自分たちのお仕事を与えられますように。どうかしっかりおとき解きください。 このウシ(占いの報酬の硬貨)は、あなたアラブ人とロハニ子神のものです。

3512

Anzazi: そしてソマリ人子神、コーラン導師、ジネ・ムァンガ、ジネ・バハリ、ペポムルメ、ペポカドゥメ、ジキリ・マイティ、ペンバの女(chetu ra chipemba)。それはあなた方のウシです。 私は皆さま方に差し上げました。私が皆さま方にこうして差し上げるからには、私は、まず皆さま方が皆さま方の仕事をしっかりとおつかみになるよう望みます。何とともにでしょう。長声を打つこととともにです。「なんと、私たちは自分たちの仕事を与えられたんだ。」その仕事は、皆さま方がずっと以前からせがんでいらっしゃいました。あの幼な児が、地面に倒れたら、そのまま地面を引きずるように進む。それは皆さま方が仕事を望んでおられるからだと言われるのです。さあ、仕事とは今日外に出てきたこれです。皆さま方の仕事です。 私は、人の子供が脚をしっかりと保持し始め、二度と地面に戻ってしまわないことを願います。なぜなら、もし戻ってしまい、また戻ってしまうのなら、私たちは、あなたがたではなかったのだと知ることになるでしょうから。私たちは別の方面の、整えるべき問題を探します。あの幼な児を調えねばと。

3513

Anzazi: しかしながら、こうして私たちが望んでおりますのは、つつがなきことです。その子自身が歩きはじめ、まず彼女(メムァカ)のムコバ(mukoba61)を握るように。というか、彼女の助手(mutejiwe)にその子供がなるように。だって健康なのですから。本当に皆さま方世界の住人子神の皆様なのだと、私にわかるように。 ですから、この子をとき解きください。あなたルキ(luki105)とガザ(gaza194)、プンガヘワ子神(pungahewa)、ボコ・ムサウェ(boko msawe)。おだやかに、おだやかに。とき解きください、ドエ人子神(mudoe)とともに。キズカ子神(chizuka)とあなたジム(zimu)とともに。おだやかに、しっかりとき解きください。あなたキリマンジャロ子神、またの名をムレジ(murezi207)。 私たちは、あなたムルング子神とムキリマ子神208の仕事を出しました。皆さま方がそれをお受け取りになり、昼に夜に癒しの仕事をおなさりください。施術師は、眠らず、腰を据えず、忙しく動き回るものです(字義どおりには「行動を耕作する」)。私たちは皆さま方に仕事をお与えしました。どうか仕事を家の内に閉じ込めることのないように。仕事が家の外で歩き回るように願います。私たちが、「ああ、今日はあの人はヴィグルンガーニにいるよ」という風に語られますように。それこそ、私たちが望むものです。それこそが施術師らしさというものです。

3514

Anzazi: そのようにお聞き届けください、あなたムルング子神、あなたのお子様たち全員もご一緒に。争いはございません。とき解きください。サラマ、サラミーニ。 皆さま方のウシを昼に夜にお護りください。これらのウシが、双子、双子を産みますように。そんな風に産みますと(そのお金で)、皆さま方には皆さまの、ムルング子神の布を買って差し上げるでしょう。そしてあなたアラブ人にもあなたがたの布を買って差し上げましょう。とはいえ、今、私が望んでおりますのはつつがなきことです。サラマ、サラミーニ。あなたがた世界の住人の皆さまのいらっしゃるところ、どうかおだやかに、友たちよ。あの幼な児をとき解き、仕事を喜びをもってお受け取りください。 [アンザジの占いを締めくくる唱えごと、終了]

3515 [ムニャジ、憑依霊ドゥルマ人、その他の厄介な霊たちに向けての唱えごと209]

Munyazi: カルメンガラ(kalumengala30)、あなた奴隷(mutumwa210)、あなたカガイ(kagayi211)、あなたカシディ(kasidi31)。あなたという方は、昔にやってこられました。このドゥルマの土地に、昔にやってこられました、あなたという方は。そしてあなたはおっしゃる。「私は貧しい、みじめな者だ。というのも私は自分の仕事を求めている。私はずいぶん以前に仕事を乞うたのに、どうして未だにそれを見ることができないんだ?私は握った。決して離さない。私が離すとすれば、お前たちが私に仕事をくれたときだ」と。そう、あなたのご同輩たちもそんなふうに乞うていらっしゃるのですよ、あなた。まず人を殺す(死ぬほど苦しめる)、そして(要求したものを)手に入れる。静かにお願いしたら、与えられないとでも? さあ、今、あの幼な児の身体を引きずりながら進む有り様をごらんなさい。あなた方は、この児をいざりのように家の中にお置きになった。外には出てこない。あなた、ドゥルマ子神(のせい)なのですか。 ところで、今日、この日、あなたドゥルマ子神、私はまずあなたにお返しをしに参りました。私はあなたの薬液(mugovigovi213)をもってまいりました。私はまたあなたの椅子214をもってまいりました。このあなたの椅子を、私はあなたドゥルマ子神に差し上げます。あなたカルメンガラ、あなたカシディ、あなたニョエ(nyoe215)。もう二度と人々を隠れて待ち伏せしないでください。仮に隠れるということなら、あなたが隠れていたのは一昨日、昨日のこと(過ぎた昔のこと)です。

3516

Munyazi: またあなたは口を開くと、「私はもらえない。あいつらのずる賢さで何ができるか楽しみだ」とおっしゃる216。人々にはずる賢さなどありません。彼らにそれがないことをご存じないのですか。あなたが求めていたことはいつになったら与えられると考えておいででしたか?今こうして与えられたではないですか。 さて今、今日、あなたドゥルマ子神、まずあの幼な児を立ち上がらせることから初めてくださるようお願いします。さらにもし、あなたがこのムルング子神の仕事をなさるとすれば、この幼な児もあなたといっしょに伴ってください。もしあなたがこの児を立ち上がらせてくださったのなら。あなたカルメンガラ子神。 こんな風にしていらっしゃったなら、あなたも、あなたが欲しいとおっしゃっていたあなた自身のお仕事を手に入れることになるのですよ。あなたもあなたの子供(瓢箪子供)を手に入れて、ムルング子神のように、あなたも癒しの術をなすことになるのですよ。 どうか腹をたてないで。「なぜムルング子神には与えられて、私は与えられなかった、いったいなんでだ?」などとおっしゃらないで。あなたも、あなたの子供を与えられることになります。だって、ムルング子神より先に、あなたドゥルマ子神の子供(瓢箪子供)を出すことなどできないのですから。もしそんなことをしたら過ちになります。なぜなら、私たちはムルング子神を出し、続いてデナを、ニャリやマサイ人、そしてディゴの女といっしょに出すのです。

3517

Munyazi: 彼ら全てが済めば、さあ、あなたが、ゴジャマ導師(gojama168)やマウィヤ人(mawiya166)とごいっしょに、あなたの瓢箪子供を与えられることになります。あなたドゥルマ子神、あなた荒れ地の人(mutu wa nyika)、あなたはあなた自身の子供を手に入れます。 でも、今は、あなたにムルング子神の仕事を受け取って頂きたいのです。そしてあなたもごいっしょに仕事をしていただきたい。昼に夜に癒しの業をなす。癒やし手(muganga)は眠ったりしない。夜中の12時に起こされる。癒やし手は起こされる。「私の子供がこんな状態なので私はやって来ました。」癒やし手はその仕事を行う。これこそ私が望むことなのです。 しかしながら、ここ、この家では、いたるところつつがなくあってほしいのです。私の友たちよ。あなたがたがこの屋敷を苦しめていた係争のすべては、仕事が欲しかったということだったのですから。仕事は今日、今与えられた、これです。皆さま方、この屋敷全体をとき解きください。最初はこの病気の幼な児に始まり、他の歩いている者たちも。彼らをとき解きください、あなたカルメンガラ子神、あなたドゥルマ人、あなたカガイ、あなたカシディ、あなたニョエ。とき解け、我が友よ。仕事をとき解け。係争事は、もうございません。サラマ、サラミーニ。

注釈

 

 

 

 

 


1 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza2)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる3。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている4。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
2 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
3 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供4がある。
4 不妊の女性に与えられる瓢箪子供3。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神1がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande5)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料9)、血(ヒマ油10)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
5 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符6。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
6 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata7)、パンデ(pande5)、ピング(pingu8)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
7 護符6の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
8 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符6の一種。
9 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
10 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
11 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)1との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
12 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi13)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari14)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)37」とライカ(laika38)およびシェラ(Shera57)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師22を「外に出し」てもらうことになる。
13 ムニャジ(Munyazi Mechombo)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(12)の夫婦。
14 私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師15などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze16を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba17)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)22」とドゥルマ人(muduruma29)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri35)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza36)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
15 憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
16 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
17 民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」18、香料9と海岸部の草木19の鍋21。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
18 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
19 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術20においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba9)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande5)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu21)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
20 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
21 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza2、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
22 世界導師23、内陸bara系24であると同時に海岸pwani系25であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」28)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
23 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia22)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
24 非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。
25 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume26)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani27)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
26 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
27 スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」19による鍋(nyungu21)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe18)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu8)。
28 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia22)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
29 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性30)、カシディ(kasidi 女性31)、ディゴゼー(digozee 男性老人32)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
30 憑依霊ドゥルマ人(muduruma29)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
31 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma29)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
32 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo33)マンダーノ(mandano34)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
33 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
34 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
35 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza36と呼ばれる手続きもある。
36 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri35)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。この施術は、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」とも呼ばれる。
37 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
38 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi39)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka40) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri35)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi41など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo43,laika mukusi44など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe45, laika ra nyoka45, laika chifofo48など。(4) その他 laika dondo49, laika chiwete50=laika gudu51), laika mbawa52, laika tsulu53, laika makumba54=dena55など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze2)で薬液を浴びる、護符(ngata7)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza36)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
39 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
40 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
41 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni42)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
42 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)
43 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
44 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
45 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira46)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka47)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
46 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
47 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
48 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
49 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi39)の別名ともいう。
50 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
51 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
52 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
53 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
54 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena55)の別名。
55 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari56)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande5)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
56 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)36」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena55が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee32)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande5には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
57 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)36、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす37)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku58)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
58 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera57)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchetu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
59 その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)60であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
60 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba61)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、アテジという言葉を使う人もけっこういる。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)62や母(女性施術師の場合)63ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
61 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
62 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」60を参照されたい。
63 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」60を参照されたい。
64 ク・ココテラ(ku-kokotera)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokoteri)。
65 施術師チャリの長女。
66 マリアカーニ。モンバサ街道沿いの町およびその周辺を指す。ドゥルマ人、ギリアマ人、カンバ人が混住する。
67 憑依霊「白人」。白人という名の憑依霊には、ケヤの白人(muzungu wa keya)とムミアニの白人(muzungu wa mumiani)の2種類がいる。ケヤの白人はイギリスのアフリカ植民地軍Kings African Rifles(KAR=keya)の兵隊たちで、銃を肩にかけて進軍する。ムミアニの白人は、白衣を着て注射器でアフリカ人の血を吸い取り、それで薬を作っているという。
68 バラザ(baraza)。スワヒリ語で「集会」「委員会」。ドゥルマでは政府の役人や政治家が催す集会のこと。
69 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。大きな更に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。
70 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o)、シェターニ(shetani)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。
71 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ72」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
72 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ71などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
73 ムカカジ(mukakazi)「僚妻」。一夫多妻婚において、自分の夫の他の妻をムカカジと呼ぶ。
74 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 黒地に白や茶の細かい斑点、'k'uk'u wa chiphangaphanga' 鳶のような模様の毛色の鶏など。
75 日記ではバンバ(bamba)と書いているが、実際に用いられていたのはウパツ(upatsu76)という別の楽器。どちらも金属製の板が楽器の本体だが、バンバはそれを擦ることで音を出し、ウパツは棒で叩くことで音を出す。ウパツは音が大きいので、人声などかき消してしまう。これが登場すると、録音は断念するしかない。
76 ウパツ(upatsu, pl. mipatsu)。パツ(patsu)とも言う。金属製の板を棒で叩いて音を出す楽器。ときどきカヤンバ(kayamba)に加えて、ンゴマにおいて使用される。音が大きく、人声などは完全にかき消してしまうので、録音の敵。
77 パンク修理用のゴム糊
78 フング(fungu)。施術師に払う料金
79 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
80 クシミカ(ku-simika)。「据える」「設置する」「セットアップする」
81 マココテリ(makokoteri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
82 「仕事は今日よ、落ち着いて」
83 「ンゴマは今日、ンゴマは今日。」
84 「ンゴマは今日、ンゴマは今日。私は我が子に治ってほしい。」
85 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。
86 「歌はお前のだよ」
87 憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti88)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
88 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
89 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
90 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
91 キヌ(chinu)。「搗き臼」。laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
92 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
93 施術師が「嗅ぎ出し」ku-zuzaなどで使用する短い柄の蝿追いハタキ(fly-whisk)。
94 キジヤモンゾ(Chiziyamonzo)。地名。1989-1998まで私の調査小屋があった。民族誌ではその現地名 Chiziya cha monzoを直訳した「ジャコウネコの池」村と記述。まあ場所の特定を避けるためだが、ここでバレてしまうことになる。あーあ。monzoは本当はジャコウネコじゃなくてジェネット(genet、より正確にはオオブチ・ジェネット)なのだが、一応ジャコウネコ科なのでわかりやすくジャコウネコにしてしまった。どうせ偽名だし。
95 瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。ndonga.jpg
96 ドゥルマの色彩名称。形容詞:「白い」 -eruphe; 「黒い」-iru; 「赤い」-a kundu(茶色も含む); 「青い、緑の」 -chitsi(chanachitsi)
97 ムコンゴ(mukongo, pl. akongo)。「病人、患者」を意味する名詞。病気はウコンゴ(ukongo)。
98 クヴグラ(ku-vugula)。「とき解く」「ほどく」「解放する」
99 「降りてこい、降りてこい」
100 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai101 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande5)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka102)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
101 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
102 「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を mtso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
103 フモ(fumo, pl.mafumo)。「槍」。牧畜民がもっている槍。ンゴマなどの際に立てられる三色の布を縛り付けた棒もフモと呼ばれる。
104 ルキ(luki105)、キツィンバカジ(chitsimbakazi39)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
105 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika38)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
106 「この者をとき解いてください、とき解いてください。明日午前8時です。もし嘘をつかれていたなら...(聞き取れない)」
107 動詞 ku-golomokpwa は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。
108 ペヘ(pehe)。「指輪」(スワヒリ語 pete「指輪」より)
109 シルはケニアシリングの略。当時1シリングは日本円で10円弱だった。
110 カザマkadzama。本来はヤシ酒を入れる大型の瓢箪製の容器を指す。しかし「ヤギとカザマ mbuzi na kadzama」は、長老からアドバイスを受けるとか、他のクランの所有する土地に一時的に小屋を立てる許しを得る、父の呪詛(mufundo)の解除を願うなど、さまざまな機会に差し出す課金を表す表現になっており、もちろん文字通り(昔ながらのやり方で)本物のヤギとヤシ酒を差し出してもよいのだが、本物を出せという明確な指示がない限り、金銭に換算して支払われるのが普通である。カヤンバ奏者たちが要求する際には、わざわざ酒のカザマ2つとお金のカザマ2つなどという形で要求する。いくらになるかは交渉次第だが、お金のカザマに関しては私の調査期間中は20シリングと相場が決まっていた。当然酒の方が高くつく。
111 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
112 ヤギ, ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊
113 ヤギ(mbuzi)と言っても実物のヤギではなく、ここでは鶏1羽と4シリングでヤギ1頭と換算されている。鶏(本物の)と現金の組み合わせ。
114 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。
115 キパーリャ(chiparya, pl. viparya)。小型の細長い瓢箪。酒を飲むコップとして用いられる。
116 ク・ゴンバ(ku-gomba)。ドゥルマ語では「話す、発話する、発言する」など発話行為全般を意味する動詞。スワヒリ語では同じ言葉が、議論する、談判する、叱るなどの強い意味をもつが、ドゥルマでもそうした用法もある。とりわけprepositional formのku-gombera などの場合。
117 ングオ(nguo)。「布」「衣服」の意味。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。多くはカヤンバなどにおいてmuwele59として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
118 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
119 小雨季、10月から1月にかけての雨。またそれがやって来る方角(北)。北そのものは vurini(反対に大雨季の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう)
120 バオ(bao)またはウバオ(ubao)。スワヒリ語で「占い板」。ドゥルマでは占い(mburuga121)には穀物をより分ける箕(lungo122)を地面に裏返しに置いたものを用いる。その上に灰をまいて、中指で線を引きながら占う。クピガ・バオ(ku-piga bao)はスワヒリ語であるが、クピガ・ムブルガ(ku-piga mburuga)と同じく「占いを打つ」という意味で用いられる。
121 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
122 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である
123 キティティ(chititi)。占い(mburuga)に用いる、中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れた小型瓢箪のマラカス。
124 ムレヤ(mureya)。黒い粉末の薬。草木や、さまざまなものを煎って炭にして粉状にしたもの。黒い薬(muhaso mwiru)、煎った薬(muhaso wa kukalanga)、ムグラレ(mugurare)などとも呼ばれる。
125 ンダゴ(ndago)。シュロガヤツリ。水辺に生えるスゲの一種。パピルス。Cyperus alternifolius,or Cyperus kaessneri(Pakia&Cooke2003:389)
126 ク・ツィンザ(ku-tsinza)。「(ナイフで)切る」「喉を切って殺す」「屠殺する」
127 キデム(chidemu)は布の端布一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、施術の過程で必要となる3種の短冊状の布を指す。それぞれの憑依霊に応じて、白cheruphe 赤cha kundu 黒(実際には紺色)cha mulunguが用いられる。この場合、白はlaika、赤はshera、黒はmulunguとarumwengu(他の内陸系憑依霊全般)を表す。
128 マフハ(mafuha)。「油」
129 乳香
130 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchetu wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
131 トゥンゴ(tungo, pl.matungo)。ビーズを紐に通して作った飾り物で、関節部に身につける。施術師の装束の一部。
132 ミヒーニ(mihini)。字義通りには「草木の場所に」だが、「草木を採集する行為・作業」の意味で使われることもある。「外に出す」ンゴマの文脈ではムツァンゾーニ mutsanzoniという言葉が用いられることもある。
133 ムリンダジヤ(murindaziya)。キバナツノクサネム。Sesbania bispinosa(Maundu&Tengnas2005:387)。murinda は動詞 ku-rinda(「守る」)より、ziya は「池」、つまり「池を守るもの」という意味になる。ムルングの草木。マメ科、刺、黄色い花、ネムノキに似た葉。
134 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。
135 麻あるいはエダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋
136 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
137 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
138 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
139 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
140 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
141 憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
142 ブルサジ(burusaji)。憑依霊ペンバ人(mupemba17)とともに現れる。長刀をもつ。ペンバ人と同様の症状。ペンバ人に対する治療で治る。
143 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
144 ムロンゴ(murongo)。施術師用語。ウガンガ(uganga)「癒しの術、施術、治療術」と同じ意味のウロンギ(urongi)という言葉に関係している。動詞ク・ロンガ(ku-ronga)には(これも施術師用語なのだが)、憑依霊に呼びかける、招待するなどの意味があり、ンゴマやカヤンバは憑依霊を招待する機会であるので、ンゴマと同義語として用いられているのではと思う。
145 サラマ(salama)。スワヒリ語で形容詞としては「平安な」「安全な」「平和な」、名詞としては「平安」「健康」。さまざまな唱えごとで、締めくくりの言葉として使われる。salama salamini「平和に、そして安全に」とでも訳せるかもしれないが、唱えごとの締めの決まり文句として、「サラマ、サラミーニ」とそのまま音表記する。
146 憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
147 ケニアのモンバサ以南の海岸沿いの町。
148 以下のやりとりは、ムァインジ氏の夢の中に現れたムルングとのやり取りらしい。
149 ウロンギ(urongi)。施術師の用いる「専門用語」の一つ。ウガンガ(uganga「癒しの術、施術」)とほぼ同義。「憑依霊を呼ぶ、召喚する、招待する」を意味する(これも施術師用語である)動詞ク・ロンガ(ku-ronga)より。
150 ク・ブォザ(ku-phoza)は第一義的には「冷ます」を意味する動詞だが、人の病気を「治す」「治療する」という意味でも用いる。ク・ブォラ(ku-phola)は「冷める」「治る」。治療する行為そのものを指す動詞としてはク・ラグラ(ku-lagula151)がある。またスワヒリ語のク・ティブ(ku-tibu152)も同様に用いられる。
151 ク・ラグラ(ku-lagula)。「治療する」行為を意味する動詞。私が「治療する」「治す」と訳している動詞には他に、ク・ブォザ(ku-phoza150)やク・ティブ(ku-tibu152がある。
152 ク・ティブ(ku-tibu)。スワヒリ語で「治療する」「癒やす」を意味する動詞。ドゥルマでも普通に使われる。英語における cure, heal, treat(medically)などの意味をカバーしている。治療する行為を指すにはク・ラグラ(ku-lagula151)、「癒やす」、「治す」の意味にはク・ブォザ(ku-phoza150)がより一般的に用いられている。
153 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
154 キドゥンドゥルマ(chidunduruma)。「球体」「丸いもの」また「幼児(生後数年で、なにか簡単な用事を言いつけることができるような)」を指す。
155 ヴィグルンガーニ(Vigurungani)。キナンゴとモンバサ街道沿いの町サンブルを結ぶダートロードの途中にある町。私の最初の調査地「青い芯のトウモロコシ」地区の近く(徒歩1時間)。何軒かの商店と軽食堂があって、日曜には買い出しに出かけた。
156 マズマルメ(Mazumalume)。バンガ(Bang'a)から、植民地時代にディストリクト・オフィスがあったマカミーニへと通じる分かれ道の途中にある地区。
157 デナ・ムカンベ(dena mukambe)。バンガ(Bang'a)のムァインジとアンザジ12の施術師夫妻、ムァモコ(Mwamoko)の施術師ニャマウィらの唱えごとに出てくる。ムカンベ(Mukambe)は、民族集団で、ミジケンダの9グループの一つ。他の施術師はデナはギリアマ(Giriama ミジケンダの9グループの一つ)の長老の霊であるとしている。デナには、マクンバ(makumba)あるいはムァクンバ(mwakumba)という別名があり、可能性としてはこれが伝承の過程で変化したのかもしれない。逆かもしれないが。あるいはデナの異なる独立した下位区分。こうした変異形は、他の憑依霊についてもときおり見られる。
158 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
159 bokoは「カバ」。ニャリ・ボコに捕らえられると、全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間であるからという。ボコは施術師によっては、ニャリの一種とも、ニャリと独立した単独の憑依霊ともみなされうる。いずれにしても、瓢箪子供は、デナ、ニャリ、キユガアガンガ、ガシャと共有。
160 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。image_pingu_mudoeムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
161 ムァンガラ(mwangala)。ムァインジ夫婦の唱えごとの中に出てくる憑依霊の名前。動詞ku-angaは、全裸でなど奇怪な振る舞いで妖術をかける行為や、憑依霊が人を驚かせる行為を指す。動詞ku-angalalaは「驚く」、動詞ku-ngalaは「輝く、光る、明るくなる」をそれぞれ意味するが、ムァンガラがいずれから由来した言葉であるかは不明。調査時点では、私はMwangalaをjine mwangaと誤解していた。
162 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola163の対象になる)164。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
163 憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa」164と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊(ku-kokomola163)によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume26)、カドゥメ(kadume165)、マウィヤ人(Mwawiya166)、ドゥングマレ(dungumale162)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga169)、ライカ・トゥヌシ(laika tunusi41)、ツォヴャ(tsovya170)、ゴジャマ(gojama168)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」42)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。
164 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」72など)を行うことなどを意味する。
165 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォーヴャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
166 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde167)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama168)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
167 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
168 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola163)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
169 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
170 子供を好まない。母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola163)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa164」。see p'ep'o mulume26, kadume165
171 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
172 キロボト(chiroboto)。「蚤」。憑依霊としては、占いをすることができる憑依霊の一種。人に憑いて起こす症状は脚の痛み。nzuga173を足首に装着すると治る。ンゴマでは楽器は太鼓を要求する。上下に飛び跳ねて踊る。
173 ンズガ(nzuga)。三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
174 ク・ピガ・タジ(ku-piga taji)。タジ(taji)はスワヒリ語で「王冠」の意。しかしドゥルマでは女性が外出する際にカンガなどの布を頭からすっぽり被ることを、この言葉で指す。カヤンバやンゴマでムウェレが憑依霊の布を頭から被るのもku-piga tajiである。
175 ク・ブォニャ・ンガオ(ku-phonya ngao)。ク・ブォニャ(ku-phonya)は、「的を外す、~しそこなう」などの意味の動詞。ンガオ(ngao)は「盾」であるが、やや意味不明。他の仲間の施術師たちに言及しているところから、憑依霊の問題に「適切に対処しそこねる」という意味で用いたのだろうと解釈した。一応カタナ氏とのSMSのやり取りで、この解釈が可能であることは確認した。
176 ドゥルマでは40~50代の成人でも、力をもつ長老との対比で「子供」と呼ばれる場合がある。日本で言う「駆け出しの若輩者」といった感じ。
177 ムァニィカ(mwanyika)。ムァインジ夫婦に固有の憑依霊名。他の施術師が言うムァムニィカ(mwamunyika178)か。
178 大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ179。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
179 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps
180 キリマンジャロ(chilimanjaro)。山の名前であるが、ここでは文脈から憑依霊ムルングの別名であるらしいとわかる。チャリたちが世界導師22と同一視するカリマンジャロ(kalimanjaro181)とは別物(草木が違う)。
181 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。ムリナとチャリの夫婦は、かつて憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語っていた。ジンジャ導師は世界導師の別名とされる。しかし後には憑依霊ドゥルマ人(女性)だとしていた。使用する草木は、世界導師の草木と同じ。歌の中でも「自分は内陸部(bara)にもいる。海岸部(pwani)にもいる」と歌われる。
182 マレラ(marera)という名は、「養う、養育する」という意味を持つ動詞ク・レラ(ku-rera)に由来し、通常はムルング子神(mwanamulungu)の別名と考えられているが、施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo130)やシェラ(shera57)のグループに入れる者もいる。バンガ(Bang'a183)在住の施術師夫婦ムァインジとアンザジ12もそんな施術師の一例である。
183 キナンゴからヴィグルンガーニを経てサンブルに至る道の途中の地名。プーマ・ロケーションのチーフのオフィスがあった。
184 ンジェレジェレ(njerenjere)。「長声」、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声のこと。
185 ニャリ・キピンデ(nyari chipinde)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。
186 ニャリ・ンゴンベ(nyari ng'ombe)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ng'ombe はウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。
187 ニャリ・ムァフィラ(mwafira)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。
188 ニャリ・ムァルカーノ(nyari mwalukano)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。lukanoは筋肉、筋、腱、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande5には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。
189 ニャリ・マウンバ(nyari maumba)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ku-umbaは粘土をこねる動作を表す動詞。
190 ニャリ・キティヨ(nyari chitiyo)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。chitiyo191はドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
191 キティーヨとはインセストに類した不適切な性的つながりがもたらす状態。父と息子、兄と弟などが、ともに一人の女性と関係を持つとマブィンガーニ(maphingani)という事態(混ざり合う)が生じる。それが及ぼす災いがchitiyoと呼ばれる。その特徴的な症状のひとつが、われわれのいうギックリ腰(chibiru kutoka「腰が断ち切られる」)である。また嘔吐、止まらない下痢もしばしばchitiyoの特徴とされる。
192 ニャリ・ジョカ・ボム(nyari joka bomu)。おそらくニャリ・ニョカ(nyari nyoka193)に同じ。ジョカ(joka)は「蛇(nyoka)」のaugmentative。ボム(bomu)は形容詞-bomu「大きい」。
193 ニャリ・ニョカ(nyari nyoka)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。nyokaは「ヘビ」。全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。
194 おそらく他の施術師たちの言うガーシャ(gasha195)であろう。
195 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena55)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari56)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga104)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。
196 マカダラ(makadara)。モンバサにある国立の病院。コースト・ジェネラル・ホスピタル(Coast Provincial General Hospital)が正式名称。makadaraはスワヒリ語で「(神の)力、威力」といった意味があるが、単に1898年に非ヨーロッパ人用の病院として設立された際の立地がモンバサのマカダラ地区であったから、そう呼ばれ続けているにすぎない。多くのドゥルマの人々にとってモンバサの大病院といえばここである。
197 キリマンジャロ(chirimanjaro)。山の名前としては普通に使われているが、憑依霊名としてはムァインジ夫婦の用法。世界導師の別名としてのカリマンジャロ(kalimanjaro181)に同じか。
198 ku-nyinyirika「肌がすべすべして美しい」より。健康な赤ん坊を kanyinyi と呼んだりする。ka-はdiminitive。kanyinyi はまた憑依霊ムルング子神mwanamulunguの別名。ムルングの草木の一つmurindaziyaの別名。
199 クルアーニはイスラムの経典「コーラン」。 イスラム系の憑依霊、アラブ人 Mwarabuの別名とも。
200 ムロイ(muroi)。先端部をビーズなどで飾り立てられた杖。強力な、最高ステージに達した(といっても基準は明確ではないが)施術師のみが持つことができるとされる。別名「施術上の祖霊(k'oma ya chiganga)」とも呼ばれる。ムコバその他の施術上の品を納めておく特別な小屋(chuko)に立てておき、施術の際にはそれをもって行く。
201 ンゴンベ(ng'ombe)。「ウシ」。憑依の文脈では、ンゴンベは占い(mburuga)に際して、支払われる報酬。ずっと2シリングだった。
202 キリャンゴーナ(chiryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴーナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
203 クブェンドゥラ(kuphendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。
204 ジネ・バハリ(jine bahari)。直訳すれば「海のジン」。男性。杖(mukpwaju)を要求。
205 イスラム系憑依霊zikiriの一種。マイティ(maiti)は「死体」を意味する名詞。憑依霊「死体」lufuと同じとも。白い布(死者の埋葬に用いるsandaのような),白い雄鶏あるいは山羊。この霊に憑かれると患者は意識を失ったままである。一般に憑依霊は死体を嫌うが、とりわけzikiri maitiはそう。埋葬、服喪などから戻ると水とローズウォーターを浴びなければならない。jineの仲間で kukokomolaの対象だという人もいる。
206 「おしゃべり女 chibarabando」はsheraの別名の一つ
207 ムレジ(murezi)。アンザジ(Anzazi12)の唱えごとのなかで、キリマンジャロ(chirimanjaro)という名の霊の別名として言及される。mureziは「養う、養育する」を意味する動詞ク・レラ(ku-rera)に由来する名詞で「養育者、養い手」を意味する。
208 ムキリマ(muchirima)。憑依霊の一種。昔からいる古くから知られている憑依霊。施術師によって意見は分かれるが、憑依霊ペンバ人(mupemba17)の別名とも、ムァムニィカ(mwamunyika178)=ムルングの別名とも言われる。しかし要求する布は「赤い布」でムルングの布とは異なる。ムキリマ(muchirima)はまた大型太鼓の一種の名前でもある。
209 憑依霊の中でも、とりわけ厄介だとされるのが憑依霊ドゥルマ人である。田舎者で地域の事情やマナーを知らず、わきまえず、いつも自分勝手に振る舞う。ドゥルマ人が機嫌を損ねると、患者はとんでもない苦しみを味わう。というわけで、ンゴマの主役が主神ムルングであってさえ、もし患者にドゥルマ人がついていれば、別個の対処が必要になる。というわけでンゴマ終了後に、メムァカの治療チームの一員である昨年施術師になったばかりのムニャジにドゥルマ人対処の任務が与えられていたのである。ドゥルマ人に対する治療として、薬液(vuo92)と護符6を持参し、ドゥルマ人の瓢箪子供を出すのが後回しになる理由を納得させる。
210 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)153の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi13)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
211 カガイ(kagayi)。ムガイ(mugayi212)に同じ。ka-は指小辞。
212 憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは「困窮者」
213 ムゴヴィゴヴィ(mugovigovi)。施術師用語で薬液(vuo)と同義。
214 キヒ(chihi)。「椅子」を意味する普通名詞だが、憑依の文脈では、憑依霊に対して差し出される「護符6」を指す。私は pingu、ngata、pande、hanzimaなどをすべて「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防・治療になる。
215 ニョエ(nyoe)。憑依霊ドゥルマ人の別名、nyoeはバッタの一種で、トウモロコシの中に頭を突っ込んで「隠れる」習性がある。
216 ナロレラ(nalorera)は妖術使いの口にする呪いの言葉の定型である。「見る」を意味する動詞クロラ(ku-lola)のprep.form ク・ロレラ(ku-lorera)は、「期待する」「楽しみに待つ」「待ち構える」といった意味の動詞だが。妖術使いが口にすると、呪われた相手に不幸がおこると知っていることをほのめかす言い方になる。日本語風に言えば、「今に見るがいい」とか「今に思い知るがいい」といった感じか。