施術師就任のためのンゴマである「外に出す」ンゴマ(ngoma ya kulavya konze)一般についての解説はここを見ていただきたい。
施術師のキャリアは、ムルング(ムルング子神 mwanamulungu1)11を「外にだす」ンゴマを開催してもらうことから始まる。それが無事終われば、その後は、同様な要求を持った他の憑依霊たちについても外に出してもらうことが可能になる。こうして施術師はたくさんの憑依霊を持ち霊とするより強力な施術師になる道を進んでいく。 私が憑依霊について話を聞き、その施術に参加させてもらうのは、当然すでに施術師である人々なので当然の話なのだが、この最初のムルングを外に出すンゴマを私が実際に経験する機会はなかなか訪れなかった。
ここで紹介するのは私が初めて経験したムルングを「外に出す」ンゴマである。ムウェレ(muwele12)のムニャジは、私の助手でありドゥルマ語の先生であったカタナ君のtsangazimi(FZ(父の姉妹))の僚妻(mukakazi17)の娘。つまりカタナ君にとって父方交差イトコ(mukoi18)にあたる。ひょんな出会いだった。1989年12月9日にカタナのところに彼の交差イトコの一人がやってきて、「今日カタナ君のFZの屋敷でフィンゴ19抜きがあるよ」と教えてくれた。ありがとう!「フィンゴ抜き」という抗妖術の施術が見られるというので、私は大喜び。カタナ君に案内を頼んで2人で自転車で出発。1時間以上かけて目的の屋敷に着くと、なんとほとんど誰もいない。フィンゴ抜きなんて真っ赤な嘘。忘れちゃいけない。交差イトコどうしは人類学で言う「冗談関係」、会えば悪口や嘘をつきあう関係だった。がっくりくる私。カタナ君のFZのほぼ無人の屋敷にいたのが、ムニャジさんだった。カタナ君はいきなり嫁に来ないかなんて、冗談かまし始めてる。せっかくなので雑談していると、なんだかやたらと憑依霊について話題豊富なおばさん。聞くと、彼女自身はまだ施術師ではないが、近々「外に出す」ンゴマを実施する予定だという。そのやり方についても詳しく教えてくれる。日時が決まったら教えてね。見に来るからね。
その後、しばらく音沙汰なかったが、1月3日、突然私の小屋にムニャジがやって来て(遠路はるばる徒歩で)明日、施術師のムァインジさんとンゴマの打ち合わせがあるから家に来いと言う。急な話だなぁ。翌日、自転車でMazoraのムニャジ宅に。「外に出す」ンゴマは1月11日と決まる。午前11時にムニャジ宅に来いと。決まるときには素早い。
(日記より)
1990/1/11(Thu, kpwaluka) 午前中review。午後1:30、例によって一人でMunyaziのところへ行く22。Munyaziといっしょに近所の人々にNgomaの開催を告げて回る。17:00mugangaの一人(baba wa chiganga15)Mwainzi氏が来る。必要なものが揃っていないと判明。私が自転車をもっているということで、キナンゴまでchidemuを買いに走らされる。人使い荒いよ。もう一人のmuganga(mayo wa chiganga16)Mejumaaの到着が遅れ、Munyaziやきもきする。その分、Mwainzi氏から瓢箪子供を隠すこととか、儀礼の手順とかいろいろ聞くことができた。Mwainzi氏も、もったいぶったり隠したりせず、すごく細かく話してくれる。憑依霊系の施術師は、こういう人が多い(妖術系の施術師と違って)。それでも開始まで、手持ち無沙汰な時間。というわけでなんと出先で日記をつけてしまうという。 今日はドゥルマ風の日の数え方によると、kpwaluka, kumi ra kahi, mwezi phiri ということでkayambaには絶好の日。kpwishaとjummaはkayambaもkumit'a23 nyungu24もできないとのこと。
登場人物 施術師: 男性 Mwainzi wa Lugo(Munyaziの施術上の父)、女性 Mejumaa 患者: Munyazi(Mechombo) wa Beruwa Shala
場所・日時 開催場所: Shaleの屋敷(Munyaziの小屋が所属する) 日時: Jan.11,Thu,1990―Jan.12,Fri,1990
ムウェレの経歴 ムニャジは、他の施術師たちの多くと異なり、幼少期の「発狂」や、祖先(祖霊 k'oma)の癒しの術(uganga)の継承については語らない。中年以降の重い病気が施術師の道を選ぶにいたる端緒となっている。しかしその経緯はなかなか波乱に富んだものだ。 ムニャジはごく普通に娘として成長し、B氏の息子Hとの、婚資のやり取りによる正式な結婚を行った。そして妊娠した。ところがそこでとんでもない事件が起こった。彼女の父S氏は当時のドゥルマの長老の多くがそうであったように一夫多妻婚をしていたのだが、なんとムニャジの夫Hの兄Gが、彼女の父S氏の第三夫人Wと、つまりムニャジの母の僚妻(ムニャジにとってのメソモ(mesomo25)と駆け落ちし、周囲の反対を押し切って結婚してしまったのである(婚資のやり取りをともなわない非正規の結婚、つまり日本風に言うと単なる同棲だが)。
兄弟のそれぞれが、母娘(実の母娘ではないが)の関係にある女性とそれぞれ性関係をもつことは、きわめて深刻なマブィンガーニ(maphingani26)である。ムニャジの父S氏はただちにムニャジを屋敷に連れ戻し、そこでクブォリョリャ(kuphoryorya27)、つまりこの異常な関係がもたらす危険を冷やす施術を行うことになった。Hの父B氏は定められた日に供犠のヒツジ(ng'onzi)を連れてS氏の屋敷にやって来た。しかしWが頑強に施術を受けることを拒絶したため、結局クブォリョリャは行われなかった。 ムニャジの夫Hがいつまでたってもムニャジを連れ戻しにやって来ないので、SはHのところに行って直談判した。しかしHはムニャジを妻として連れ帰ることを拒否した。どうせ連れて帰っても次の日にマブィンガーニのせいで死んでしまうのだから、と言って。S氏はHをキナンゴの町のサブチーフの法廷に訴え、結婚の解消を争った。法廷はBはSに婚資を返却し、Hとムニャジの結婚を解消するべしという形で決着した。しかし婚資は返却されないままに終わった。すでに妊娠していたムニャジは父の屋敷にとどまって、そこで娘Cを出産した。こうしてムニャジは夫の弟のとんでもない振る舞いのとばっちりで、最初の結婚に失敗したことになった。 その後ムニャジは2人の男性と「結婚」したが、いずれも婚資の支払いをともなわないもので、正式な結婚ではなかく、長続きはしなかった。その後で生まれた彼女の2人の子供JとMは、それぞれ別の男性との間にできた子供である。
その後、ムニャジは父の屋敷を出て、別の地域で約5ヶ月暮らすが、JとMが病気になったため、父の屋敷に戻った。2人の子供は、病院に連れて行く以前に、ムニャジが父親に帰宅の挨拶をしただけで治った。実は子どもたちの病気は、父親のムフンド(mufundo28)つまり彼がムニャジに対して心のなかで密かに抱いていた怒りのせいだったのだ(ということになった)。それ以降、ムニャジは父親からはなれることを断念し、父の屋敷でずっと暮らすことになる。結婚もあきらめたという。
やがて父が亡くなったので、また屋敷を出て、同じマゾラ地区であるがキナンゴとマリアカーニを結ぶ街道の反対側、カンバ人が多数居住している地区に小屋を立てて暮らし始めた。がほどなく彼女自身の病気が始まった。5年前(1984年)のことである。さまざまな治療(妖術に対する治療を含む)が試みられたが、憑依霊に対する治療によって、快方に向かった。その後も病気が繰り返す都度、新たな憑依霊に対する治療が付け加わり、彼女はいくつもの厄介な(苛烈な要求を突きつけ、それが叶えられないと重い病気にする)憑依霊をもつ人になった。彼女に憑いているいくつかの霊は、癒しの術を求めている(彼女自身が施術師になることを求めている)ことが判明し、彼女は施術師になる一歩手前まで行った。しかし彼女はそれを嫌って、まだ当時としてはきわめて信者も少なかったキリスト教に改宗し、そこでの祈りによる健康回復を求めた。しかし、性関係の問題でキリスト教から「出る」ことになった。彼女は「私が自分で負けてしまったのさ(nashindwa mwenye)」と自嘲する。このことがきっかけで、2年前に母が暮らしている今の屋敷に移った。彼女は再び憑依霊の治療を求め、バンガ(Bang'a29)地域に住む施術師ムァインジとアンザジの夫妻30に出会い、二人のもとで、ある程度の健康を取り戻した。それとともに憑依霊についての知識も増え、たくさんの夢を見、自分で霊に導かれて誰からも教えられないのに草木を採ってくるようになり、次第に施術の仕事につくことを、彼女自身が望むようになった。そしていよいよ「外に出す」ンゴマを受けようというときに、私と出会ったのである(ンゴマ開催に必要な結構な出費は彼女の兄と、彼女の2人の息子が苦労して捻出しつつあったが、最後の後押しは私が行った)。当時の私の目には、現在彼女は健康そのものに見えた。 今回のンゴマではムルングのみが「外に出」される。それが済んだ後に、シェラ(shera=ichiliku73)、ライカ(laika55)、ドゥルマ人(muduruma=kasidi48)を一緒にした瓢箪子供を手に入れる(それらの憑依霊についてまとめて「外に出す」ンゴマを開く)予定だという。もしかしたらドゥルマ人については、それだけで単独の瓢箪子供が必要になるかもしれない(別の「外に出す」ンゴマが必要となる)。そんな計画を彼女は語った。 長引く病気の中で、憑依霊の要求がエスカレートし、「癒しの術」を要求する(と占いが指摘する、あるいは憑依霊自身がカヤンバの席上で表明する)までに至った結果、施術師になることになったというケースである。
(Dec.9, 1989のフィールドノートより)
ndonga75 の首のところに ushanga76 を巻き、ndonga の中に指導呪医Aの muhaso20を入れた ndonga(mwana wa ndonga77)が用意される。 neophyteBに対し徹夜でカヤンバが演奏されBは nyama78 に満たされる( ukale tele79)。 明け方 ndonga がAによって bush のどこかに隠される。Bは vuo80 を被り、muhaso の匂いを嗅ぐ。Bは ndonga を探しに行くよう命じられる。AはBに何のヒントも与えない。Bの nyama がその所在を教えてくれる。ndonga の中のmuhaso の匂いが鼻のあたりにたちこめてくるのでわかるのだという。 見つけて戻ってくると皆が拍手で迎える。 再びカヤンバが打たれ、今度はBは weruni81に行くように言われる。Bの後をAとカヤンバ奏者がついて行く。Bは nyama に教えられ、その nyama の muhi37 のところにくると言われなくてもわかる。 ただしい nyama の muhi がわかると、それを折りとる。Bに続いてAもそれを折りとっていく。 最後のもっとも重要な muhi を折りとったところで mbuzi82 nyiru83が kutsinza84 される。mbuzi の皮の痙攣している部分(choyo)を切取り muhi とともに ndonga の中に入れる。 夜が明けると一休み。後に素面の状態で(matso mafu85)AはBに各々の muhiの使用法などを説明する。 隠された ndonga を探し出すテストに失敗しても muganga にはなれる。しかしkuzuza53 はできない。ku-zuza できる nyama がいないと、そもそもこのテストにはパスしない。
(Jan.11, 1990のフィールドノートより)
例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。この年の調査まではすでにフィールドノートはテキストファイルとして電子化済(逆に言うと、この年以降のフィールドノートはまだ手書きのままであり、今年2024年に入ってシコシコ打ち込んでいるという為体なのだ)。といっても、ドゥルマ語がそのまま使われていたりして、私以外には読みづらいものであることには変わりなく、かといってフィールドノートそのものの記述(訳語としても「呪医」といった不適切なものもあり)に手を加えるのは避けたいので、ドゥルマ語箇所は注釈の形で補足説明することにしている。セクションごとの表題は、ウェブページ化する際に追加。使用している訳語などはそのまま。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。
Jan.11 この日は kumi ra kahi の mwezi phiri にあたる。 ngoma がこの日になったのは ① 月がでている kumi ra kahi が適当 ② kpwisha と jumma の日は避けねばならない。 これは ngoma そのものだけではなく、nyungu を設置する場合も避けねばならない日である註:ドゥルマの日の数え方。
13:30 Munyazi の屋敷を一人で訪問。Munyazi と二人で近所の人々に ngoma を告げて回る。この近所にはカンバ86の人々が多い。3時間ぐらいかけて一巡する。
呪医の一人 Mwainzi 17:00 過ぎに到着。準備を始めるが chidemu87 がないことに気付き、私が自転車で来たことからキナンゴに買いに走るよう言いつけられる。やれやれ。 もう一人の女性の呪医 Mejumaa の到着が遅れ、それを待つ間に Mwainzi からいろいろ説明を受ける。一部録音。
ngoma は mulungu で始まり、mulungu で終わる。 mulungu の mwana wa ndonga3 を Munyazi に授けるのがこの ngoma の目的
nyungu24 の kufukiza88 は4日間、Jan.8(Mon)kurimaphiri に kumit'a nyungu23。 4日目が Jan.11(Thu)kpwaluka にあたる。
男女二人(abaye wa chiganga15, ameye wa chiganga16)の muganga が必要。
(DB 1889-1897)やり取りの一部 ムァインジ師による解説 (DB 1889-1897)ドゥルマ語テキスト
(注意!)以下のフィールドノートの記述には、少なくとも一箇所誤りがある。Mwainzi氏の説明を一部私が理解しそこねていたことからくる誤り。フィールドノートではムニャジが途中の休憩(マコロツィクmakolotsiku89)の直後に占いに挑戦したが失敗し、ンゴマの最後にもう一度挑戦したかのように書いているが、Mwainzi氏の説明では、最初の占いは単なる、占いのやり方を選ぶ試行にすぎず、本格的な占いは瓢箪子供を授かって後のものだとわかる。 このように、フィールドノートの記述は(とりわけまだ完全にドゥルマ語がわかっていたわけではないこの時期の調査のフィールドノートについては)、書き起こしテキストときちんと対照して検証する必要がある。残念ながら、書き起こし担当のカタナ君は、施術関係にはややうとく、歌もあまり知らないため90分テープ2本をわずか200行ほどのテキストにしてしまっている。さらに不運なことに、この年度の調査のテープは郵便事故でほとんど(機内で聴くために機内持ち込みした以外は)紛失してしまったため、検証自体が困難になっている。 なおカタナ君の名誉のために言っておくと、1989年度までの調査の大部分を占める(それ以降の調査でもそうなのだが)インタビューでのやり取りの書き起こしについては、カタナ君は完璧であり、また彼のドゥルマ語のイディオムなどの解説も実に明快で正確だった。誰にでも苦手分野はあるってことだ。ただ自分はこの分野は苦手だから、別の書き起こし要員を雇ったほうがいいと伝えてほしかった。もう時効だし、翌年からはカタナ君以外にも書き起こし担当を増員したので、問題はほぼ自然解消したのだが。
Mwainzi は到着後すぐ mwana wa ndonga3 の準備をする。穴を開け、中身(mioyo90)を取り出す。
中身(「心臓」など)は、この時間には入れない。 相棒の呪医(Mejumaa)が来たら、ンゴマが打たれている間に、小屋の中でいっしょにビーズを巻く。夜明けが来て雄鶏が刻を告げたら、鶏(ひよこ)を殺してその心臓を入れる。 mavumba9 と mafuha10 を入れて、chidemu87で栓をし、瓢箪子供を完成させる。 (チャリたちの説明では、心臓を入れるのはmuwele12夫婦だったはず?またチャリたちは心臓はムルングの呪木のpande5だといい、鶏の心臓を用いることには反対)
最終的には4つの ndonga が Munyazi に渡される。 ① mwana wa ndonga (mulungu) ② chititi91(mburuga に用いる) ③ ndonga75 ya mureya92 ④ ndonga ya mavumba9 ③④は別の日に matso mafu85 の状態で mihi37 を再び示し、その用い方を説明した後に与える。
③は mihi を kukalanga93 した黒い粉(mihaso20, mureya)を入れる為のもの。 ④はmavumba を入れる為のもの
瓢箪子供を隠すこと 二人の muganga のうち一人(Mwainzi)が①を夜中に weruni81 に隠しにいく。 その後、彼は muwele に一人で探してくるように言う。「Mwana yunarira ukatsakule mwenye94」 muwele は数人の女性と2人の男だけを連れて出発する。先頭で。 隠しに行った者たちはその間 mudzi の中にとどまって muwele が①を探し出して戻ってくるのを待つ。
もう一人の muganga(Mejumaa)は隠し場所を知らない。muwele の後からついて行くだけ。「mwana yunarira, haya haya95」「mwana yundariwa ni diya96」などと声をかける。
みごと見つけ出して帰ってくると muwele は mwana①を vuo80 で洗い、mukamba97 に包んで胸に抱く。
mihini98 ngoma が再び打たれ、muwele は weru81 に行って mihi37 を折り取ってくるように言われる。 muwele が出発すると、ngoma(演奏者たち)が後に続き、少し遅れて Mwainzi と Mejumaa が続く。 黒と白の鶏、uchi99 と chiparya100、黒い山羊を連れて行く。
muwele が折り取った草、木の所にくると二人の呪医は各々、この木をmuwele に与えることに同意する旨、kukokotera[^kukokotera]。 地面に uchi を少したらして、白い鶏の羽根をむしる。(白い鶏は musambala101) 別の木では黒い鶏の羽根をむしる。(黒い鶏は mulungu11)
この鶏たちは屠殺されない。それはそのまま育てられ、それが大きくなって子供をたくさん産むと、これらの生まれた鶏は売られ、得られた金で nguo102 ya mulungu, musambala を購入する。
最後のもっとも重要な mihi(muhi wa mwisho103)を見事に見つけ出すと、そこで黒山羊を供犠し、その血を①にかける。
黒山羊は mudzi104 に帰るとすぐ、皮膚の痙攣している部分(choyo105)を少しずつ切取って、①に入れる。 (MurinaとChariは、瓢箪子供に死んだ動物の心臓や革を入れることを認めていない。)
占いを打たせる muwele を再び座らせ、mulungu の ngoma を打ち、muwele に mburuga106 を打たせる。 二人の人間が進みでて2ペニーずつ mukoba14 の中に入れ、muwele は mburuga が打てることを示さねばならない。 [以上 Mwainzi による先立つ説明]
ンゴマの開始 22:00 ngoma 開始 mulungu は最初小屋の中で打たれるが、一曲目を数分打つとすぐ戸外にでる。
makolousiku までの間に muwele は何度も golomokpwa107 する。mukamba108では、ngoma に来ていたカンバの女性も golomokpwa する。 いろいろな nyama78 が入替わり立ち代り踊る。
3:00 makolousiku ここまで太鼓は地面の上に直接置かれている。これを過ぎるとベッドがもちださ れ、その上で打たれる(ngoma dzulu110)。
makolousiku89 は uchi99 だったので仮眠をとる。つい寝過してしまい、目が覚めたときは 3:45 すでに ngoma は再開されていた。
[一回目の試しの占い] muwele の左前に灰を被せた lungo111 が置かれ、muwele は mburuga を打とうとしている。 人々は mukongo112 を見つけ出せと言っているが、muwele は身体を前後に大きく揺すぶって lungo に何か書こうとしたり、またそれをじっと見詰める仕草をするが、mukongo を見つけ出さない(失敗 人々は waheza tu, wasema tu113 と言う)。
[ンゴマ再開] Munyazi、musomali114で憑依状態。 その後nyari72やmudigo115と演奏が進むが、なんだか段取り悪し。
(憑依霊ムァヴィツヮ、癇癪をおこす) ドゥルマ語テキスト いつの間にか霊は mwavitswa116 に入替わってしまう。 ちょうど Mwainzi は mwana wa ndonga を隠しに行っていて不在。 anamadzi13 たちは mwavitswa の ngoma を知らない為、mwavitswa は怒り出してしまう。
その後別の曲が打たれるが、muwele はku-taphukpwa117 してしまう。
Mwainzi いつのまにか戻っている。 somali114 が打たれ、別の女性が golomokpwa し、Mwainzi から「お前の ngoma ではない」と諭され kukokotera される。
その後、shera, masai118 などで muwele は golomokpwa し、Mejumaa の anamadzi の一人が shera で、Mejumaa 自身が masai で golomokpwa してとび跳ねる。
隠された瓢箪子供を探索 ドゥルマ語テキスト 夜が開けると再び mulungu が打たれ、muwele は mwana wa ndonga を探しに行くように言われる。anamadzi13たちはkayambaを持ってmuweleのあとに続く。 Mejumaa後ろから、mwana yunarira, unatsoka mwana121...などと声をかけながら続く。 私もMejumaaについていく。
ndongaを隠したMwainziは屋敷に残る。
Munyazi泣きながら探し回るが一向に見つからない。 一度屋敷に戻ろうということになる。
屋敷でkayambaをうち、もう一度nyama78を満たし、再出発。 mwingo122 を手渡され、再度挑戦。 誰も隠し場所を知らず、Mejumaa は私のときは一発で見つけた。mwana wa ndonga は yunanuka muno123 だからすぐわかるなどと会話している。
ようやく見つける。そんなに屋敷から遠く離れた場所ではなかった。 大声を上げて屋敷に駆け戻るMunyazi。
見事 ndongaを見つけて帰還すると、女性たち長声124で迎える。 Munyaziはndongaをmavuoで洗い、おぶい布(mulunguの)に包んで大事そうに抱いて踊る。
以後は比較的プログラム通りに進行する。
mihi 探しに随分遠くまで連れ出される。行く先々でムルングの草木を折り採り、その都度クハツァ125される。しかし、muhi wa mwisho103 を探し出すのが本題。 muhi wa mwisho が何か聞きだそうとする人もいるが(mwele の兄 Mwanyawa氏)、Mwainziは答えない。
muwele は早く muhi wa mwishoを示せと急かされる。
行く手を uchigo に阻まれるが、こっちだ、こっちだと言うように muwele が奇声を上げるので、人々はやむなく uchigo126 を壊して直進する。
さらにもう一つのuchigo も乗り越え、何と他人のトウモロコシ畑の中の 3-40cm 程の高さの木の前で立ち止まる。
Mwainzi, Mejumaa も駆けつけてくる。それが muhi wa mwisho であった。 ちょっとびっくり。もしかしたら前もって知っていたのかも?
kuhatsa125 し mbuzi82 nyiru83を屠殺して mudzi に帰る。
[最終の占い試験] 最後にmburugaのテスト。 Mwainziのanamadzi の一人とカタナのtsangazimi127(彼女は muwele の mesomo25 でもある)が諮問する。 muwele は最初どちらに対しても答えるのを拒む。 前者の場合は kasidi48 だと言い、後者に対してはchiphurye128 だと言う。 kasidi, chiphurye の内容を説明するように言われ、結局前者の場合は死んだ母親のhanga ivu129 を遅らせているせいだ、後者の場合は nyama に対する約束を果さないでいるという事実が指摘される。
どちらにも思い当る節があるということで、mburuga は一応成功ということになる。
[いつも揉める料金支払い] その後、料金の交渉。何故か何時もこれが長引き帰りが遅くなる。 Mwainzi, Mejumaa に対する fungu130 がそれぞれ 200shils131 ずつ。kadzama132(酒2、金2:金は 40shils)。 これに加えて、anamadzi たちがさらに自分たちの分として 300shils + kadzama を要求したので、話がこじれる。結局早く家に帰りたい私が 540shils 援助する。これで援助総額は940shils。
[食事を待つ] 食事の準備の間、人々は仮眠をとったり、今後のプランなどについて打ち合せ。(私は頭痛もし、この会話には加わらず、横になって身体を休める)
Mejumaa はブッシュに nyungu133 をぶちまけにいく。
食事が出されるが、ちょっとだけ食べて、私は帰宅。
冒頭でも述べたように、このンゴマは私が見た最初の施術師就任のンゴマだった。それだけに期待は大きかったし、前もって何が行われるのかをいろんな人に聞きまくって、それなりの知識とイメージをもって臨んだンゴマだった。このンゴマを受ける当人ムニャジの説明(それにはなぜか占いテストの話が含まれていなかったが)、私が信頼をおいているムリナ&チャリ夫妻による説明、近所の施術師ムロンゴさんによる説明など、どれも大筋において同様なプログラムを描いていた。が、当日、たまたまもう一人の施術師の到着が遅れていたので話を聞くことができたムァインジ氏による説明が、話がいろいろ飛んでわかりにくい点も多々あったが、何度も根掘り葉掘り聞き返しても辛抱強く答えてくれ、おかげで私はこの日におこることを前もってそれなりにつかんでおくことができた。
徹夜のンゴマの表舞台で行われていること自体は、他のンゴマやカヤンバととくに違っていたわけではない。憑依霊の歌が次々と演奏され、ムウェレや観客が憑依状態になったり、淡々と踊ったりが続く。 ムルング、アラブ人、キツィンバカジなどの序盤が終わると、すでにムニャジが持っていることが知られている霊の曲が主として演奏されるので、演奏される憑依霊の種類自体はンゴマとしてはあまり多くない。その結果だろうが「憑依状態」の頻度は、他のンゴマよりも多いように思った。実際、ムニャジさんは、おどろくほど片っ端からいろいろな霊にgolomokpwaした。彼女がgolomokpwaすると、人格豹変して、口汚く演奏者たちに食って掛かったり、冗談の応酬をしたりの掛け合いが見られる。さらにムニャジ自身が予定外の憑依霊の歌を要求し、演奏者たちがしばしば曲を知らずに困惑したりする場面も、見慣れたンゴマの光景とは違っていた。望み通りの曲が演奏されず、ムニャジが(あるいは霊が)ふてくされてしまったりするのも、まあ面白い。ただ全体にちょっと芝居がかっている感じもした。病気を引き起こしているのが本当に憑依霊なのか、どの憑依霊がどういう理由で病気を引き起こしているのかを探る「憑依霊を見るカヤンバ kayamba ra kulola nyama」にある緊迫感は少なく、どちらかというと娯楽的な要素が多かった。単に私の個人的な印象と言えばそれまでだが。
重要なンゴマであるはずなのに、肝心の主宰する施術師たちが、別作業で忙しく、ンゴマそのものにあまりタッチせず、ほぼ弟子たちに任せっきりにしているのも、ちょっと想定外だった。いろいろな作業が同時進行している、けっこう忙しいイベントなのだ。
山場となる3つのテストの場面は、施術師たちがしっかり主宰し、きちんとおおいに盛り上がっていた。 (なおフィールドノートのなかで、夜中に一回目の「占いテスト」が行われ、それは失敗に終わったと私は書いているが、それはテストではなく、単に占いのやり方を選ばせていただけだったんだなぁ。書き起こしテキストを読んだら、ムァインジさんがちゃんと説明していたよ。)
でも全てが筋書き通りに運んだわけではない。一番重要な、ブッシュに隠された瓢箪子供を見つけるテストでは、見つけ出せずにムニャジが泣き出してしまって、また最初からやり直しなんてハプニングもあった。テストそのものはヤラセではなく、ガチ・マジなのだ。のちにムニャジが言うには、「本来は瓢箪子供は栓をせずに隠さねばならないのに、ムァインジは栓をしたまま隠した。それが間違い。瓢箪子供の中の薬の匂いで在処がわかるのに、それじゃあ、私がわからなかったのは当然。それでも見つけられたのは、私、すごい!」だった(DB2228)。ちなみに私が瓢箪子供を嗅がせてもらった経験から言うと、匂いはけっして強くない。
このンゴマの後に、なされたことについても、のちにムニャジから教えてもらった。ンゴマの1週間後(正確には1月19日)にムァインジがやって来て、一緒にブッシュに行き、ムルングの草木を改めて一本、一本教示され、それらを折り採り、また根を掘って、屋敷に持って帰って、砕いて香料(mavumba)にしたり、土器片の上で煎って黒い粉末の薬(muhaso)を作ったりの手ほどきを受けた。一日限りの施術師研修だ。
瓢箪子供はンゴマののちにムァインジたちが、いったん持ち帰ってビーズ飾りも完全に施し、完成したものを同じ日(1月19日)に持ってきたという。一週間もたっていたのだが、ムァインジ氏はその妻のひとりが出産したばかりで、生まれた子供をまだ「外に出し」ていないので、性関係の禁止に服しており、彼が誤って瓢箪子供を「自分の子供」として「産んで」しまうおそれはなかった。だから心配しなかったとムニャジは言う。ムニャジ自身が、その瓢箪子供を「産」まなければならないのだが、ムニャジには夫がいないので、誰かよその男を雇って産まねばならない。そのためには相手の男は、ムニャジに10シリングを払って、彼女のムコバ14に入る。その後、彼に4シリング渡し、3日間一緒に(性関係抜きで)過ごした後、一回きりの無言の性交(マトゥミア134)を行うという手順。
というわけで、その前後のさまざまな手続き、実践を含めて、やっぱり「外に出す」ンゴマは、なかなか大変な「大仕事」であり、結局「不合格」に終わる(費やした大金も無駄に終わる)可能性があるという、軽々しくは開けないイベントである。それにかかわる誰もが、そこで起こっている諸々に、必死に「大真面目に」かかわっていることにあらためて気付かされるのである。
いろいろ不完全な録音だが、録音し書き起こされた部分はすべて和訳しておく。
1889
Mwainzi: さて、私たちの計画(picha)はこうです。私たちの試験(mutihani)は、人は自分自身で(瓢箪子供)を取ってこいというものです。そして、それが置かれている場所を、人は知りません。ただ行って来いです。(瓢箪子供を見つけて)彼女が前庭に到着すると、私たちはその者が試験にパスしたと知ります。すると、人がやって来て、「私は癒しの術を求めていますので、私に占いを打ってください」と言います。そしてその人は、何もかも全て話してもらいます。でももし(ムウェレが)、(瓢箪)子供に失敗したのなら、占いにも失敗します。望遠鏡(ムァインジはこの言葉を、ここでは隠れたものを見つける能力の意味で用いている)は彼女を打ち負かしたのです。 Hamamoto(H): そうすると、あなたは瓢箪子供を隠しに行ったら、そのままその場に残っているのですか? Mw: いえいえ、私たちがそれを隠しに行くでしょう?それを隠したら、その場を離れ、私たちはここに戻らねばなりません。さて彼女にその子供を取りに行かせる太鼓が始まった。さて今や、彼女は自分で、人を伴わずに、立ち去らねばなりません。 H: 誰も彼女の先を行ったりしないのですね。
1890
Mwainzi: いいえ。私たちが行くとでも?私たちはここで彼女が戻ってくるのを待っています。彼女が戻ってきたら、さあ、私たちは今度は、彼女とともに草木探しに出発します。だって、望遠鏡を彼女は打って(隠れたものを見つける力を発揮して)、当たったのですから。というわけで、私たちは、ほらこの(瓢箪)子供は彼女と一緒にやって来た、ほらこの子供だと言いましょう。さあ、この子供をしっかり持って、あちらに草木を求めに行きましょう。私たちもそこでヤギをしっかり持ちます。さあ、草木探しに行きましょう。彼女はそうして草木をつかみます。ヤギを供犠するべきあの草木を探し当てたなら、さあ、私たちはそこでヤギを供犠しましょう。ああ、施術は終了しました。さあ、屋敷に帰りましょう。もしヤギを供犠するべきその草木を彼女が知らなかったとしたら、さてさて、彼女はまたしても望遠鏡に失敗したことになります。私たちは言うでしょう。どうしてヤギを供犠できましょうか。あなたはあの草木が見えないのですからと。ヤギは死にません。あなたは試験に失敗したのです。
1891
H: とっても厳しい試験ですね。ところで、例の瓢箪子供は、もう出来上がっているのですか? Mwainzi: 瓢箪子供だったら、友人(相棒の女性施術師)が、到着したら、夜中にビーズを巻かれます。こちらでは太鼓が打たれています。私たちはあっちでビーズを巻きます。とこか場所を見つけて。 H: 心臓も入れるのですか? Mw: はい、心臓も入れますが、鶏が刻を告げたらです。今のような時間には何も入れないことになっています。そばでは太鼓が打たれています。そしてあなた(相棒の女性施術師)は彼女(ムウェレ)にキティティ(chititi91)を差し出します。そして占い板(bao135)を彼女に描いてみせてあげます(お手本を示すため)。その場に、病人がいれば、彼女(ムウェレ)は自分でその病人をつかまえ、告げます。「あんたは病人だよ、あんた」って。相手が「そうです。私は病気です」と応える。さて、あなたは仕事がすでに始まったことがわかります。彼女自身がただ告げていきます。そばでは太鼓が鳴っています。さあ、あなたは彼女に占い板を描いてみせてあげます。こんな風に、こんな風にと。ついに彼女が、「私は、私が仕事に使う占い板はこれよ。」と言うまで。さて、彼女自身が今後やっていく仕方を、選好したのです。(この時点では)例の(瓢箪)子供は、まだあちらの方で調えられてはいません。
1892
Mwainzi: こちらの方では、彼女がこんな風に喋っている。さて最初の雄鶏が刻を告げます。あちらで(瓢箪)子供が調えられることになります。そして海岸の方(の空)が赤みを帯びると、私はあなたに言います。さあ、この瓢箪子供を隠しに行きましょうと。(いっしょに隠しに行ったなら)あなたは(ムウェレが隠された瓢箪子供を探しに出発する時には)それに同行しません。私たちはここ(屋敷内)に残ります。彼女(ムウェレ)は何人かの女性と、そして二名の男性と出発します。私たちは(彼女たちが戻ってくるのを)待っています。隠しに行った私たちは行かないのです。「あの人(ムウェレ)は彼女の子供を求めに行ってます。あなた方ご婦人方お二人、さあ、立ち上がってください。彼女のあとをゆっくりついて行ってください。さあ、そこの男たちお二人、ご一緒にお行きなさい。そして彼女が自分の子供を連れてここに帰ってくるまで、彼女たちのあとをゆっくりとついて行ってください。」 あなたがたがここに戻ってくると、「さあ、一緒に草木探しに参りましょう。」ヤギが(ロープで)括られます。ヤギをロープに繋いだら、人々は草木探しに行きます。彼女(ムウェレ)は、次々と草木を折り採って行きます。ついにあのヤギがそれに対して供犠される草木、彼女がそれをつかむと、さあ、ヤギがその場で屠られます。 さて、彼女(ムウェレ)がここに戻ると、彼女は再び占い板を準備してもらいます。いよいよ占いを打つのです。
1893
Mwainzi: 彼女に硬貨、8枚の1シリング硬貨と、10セント硬貨2枚、5セント硬貨1枚が投げ出されます。一人が自ら進み出て「私は病気です。私のために占いを打ってください。」ここでまた望遠鏡です。(占いを依頼した人がムウェレが述べたことが正しいと同意し)頷き、終われば、この癒しの施術も終わりです。あとは人々は食事します。施術はおわり。仕事はこういうことです。 H: つまり試験は3回ですね。瓢箪子供をつかまえる、そしてヤギがそのために供犠される草木をつかまえる、そして占いを打つ。 Mw: そうです。 Mw: (ムニャジに向かって)ムコバ(mukoba14)を編んでくれる人は見つかったかい?ちょっと、エダウチヤシ(mulala136)は伐採しなかったのかい?ああ、エダウチヤシの葉がここにあれば、あなたが編みなさいよ。 Woman: エダウチヤシはありますよ。 Mw: そもそもあんた、ちゃんと言ってくれないと困るよ。だって、こんな風にンゴマを打つときには、ムコバはその場で編まれることになってるんだから。鶏が刻を告げるときには、ここにちゃんと出来上がってないと。二つ分の大きさでいいよ。ムコバは。あのムルングの子供とキティティ(chititi91)を入れるだけの。
1894 (ンゴマ前の「鍋」、ムレヤ(mureya 薬)と香料(mavumba)の用意)
Mwainzi: ムルングの場合は、その日にちは4日です。鍋を設置したら、ンゴマを告げていいです。鍋がまだ設置されていないのに、ンゴマを告げたりしますか? さて(施術師が鍋を据えに)やって来たら、さあ、(施術師は、持ってきた)その草木を(土器片の上で)煎ります。草木を煎り終わったら、さあ(鍋のための)ンゴマが打たれます。さて、採集された数々の草木は、施術師が再び持ち帰ります。(施術師は)さらに草木の根を掘り出しに行き、(キナンゴの町にある)商店で例の香料を購入します。香料を買うと、帰ってそれを彼の草木(複数)といっしょに細かくすりつぶし、香料と草木と(草木を煎って作った)あの黒い粉(mureya92)といっしょにすりつぶします。 さて、もし彼(施術師)が憑依霊ライカの患者を得たら、彼は香料の(瓢箪の)舌(lulimi137)を上下させ(香料を呼び覚まし)ます。ムルングの(瓢箪)子供を持ってきます。香料(の瓢箪)をこんな風にして、こんな風に傾けて(香料を布の上に振り出します)。このムルングの瓢箪子供は、油(ヒマ油)を手に入れて、ここ(香料を振り出した布の上)に垂らして、(それを包み込むように布をひねって紐状にし、それで患者の上腕部を)縛る。さあ、その子供(患者)がライカに(キブリ52)を持ち去られていたのなら、その子は治ってしまいますよ。
1895
(浜本は当時、上記の説明がすでに香料と瓢箪子供を用いた、ライカのせいで病気になった子供の治療の話にズレているのに気づいておらず、よくわからないまま、瓢箪子供の作り方についての質問を続けている)
Hamamoto: つまり、その黒い粉薬(mureya92)と、油は、瓢箪子供に入れるのですか。 Mwainzi: そう。これらの香料も。彼は、あなたが(キナンゴで買って)もってきたあれと同じような布切れを持ってきます。そしてその布切れをこんな風に置きます。そして黒い粉薬の瓢箪をもってきて、ここに置きます。黒い布切れのところにね。そして香料の瓢箪を持ってきて、あれらの根と、あれらの買ってきた香料を一緒につき砕きます。さあ、こちらにはこちらの瓢箪、そちらにはそちらの瓢箪。 さて、彼は香料の瓢箪の舌を上下させ(香料を呼び覚まし)、ここに垂らします。その後、ムルングの瓢箪子供を持って来てそのなかの(ヒマの)油10を、ほんの少し垂らします。または中の小さな埃を掻き出して、少し垂らします。もし油が切れていて、無いならです。あとは結ぶだけです。 子供が病気です。身体が熱い。または腹がぐるぐる鳴るのかも。下痢も少し。病院にはすでに行った。行ったのだがだめだった。曰く、「この問題はドゥルマのやり方(で解決するべき)問題です。」ってね。
1896
Mwainzi: さて、(病人が)ここのような場所にたどり着く。そこであれら(上で述べられた処置)を調えてもらいます。さあ、病人は護符ンガタ(ngata7)を結んでもらう。次は、「嗅ぎ出し」をしてもらう(adze azuzwe53)。嗅ぎ出しをしてもらって、それが終わると、次は護符ピング(pingu8)を縫ってもらいます。この(瓢箪のなかの)薬と、あの嗅ぎ出しに行った先から持ち帰ってきたもの。さて、紙に男女(の憑依霊の)絵が描かれる。この紙が下になる。そしてその薬が上になる。それから、それはあなたが買ってきたこの布切れといっしょに縫われます。それから、布にはビーズが縫い付けられます。病人は、ちょうどこれ(彼が袈裟懸けに身につけているピングを指しながら)みたいに、それを身に着けます。ピングはこんな風に作られます。ビーズをこんな風に付けて、患者が身につけるためにね。 H: ちょっと戻っていいですか?今日与えられる瓢箪は、3種類でしょうか。キティティ(chititi)の瓢箪、ムァナムルング(mwanamulungu)の瓢箪、ムレヤ(mureya)の瓢箪、香料(mavumba)の瓢箪。ああっと、4種類ですね。 (せっかく話に熱が入ってきたところに、冷水を差す浜本である)。 Mw: はい。さて、ここを去って、ここが終われば、さあ、さらに別の憑依霊たちに(外に)出てもらうことになるでしょうね。例えばキリク(ichiliku74)とか。
1897
Mwainzi: さて、それら(別の憑依霊たち)が出されたら、それらはそれらで自分たちの瓢箪がある。彼女(ムウェレ)は別の草木を示されることになります。さて、それら、また別の草木を、彼女はまた煎ることになるでしょう。また香料の別の草木も、これらの草木に加えられることになるでしょう。別の(瓢箪)がまた(これらのムレヤや香料のために)作られるだろうとは言いません。でも瓢箪子供は別のものになるでしょう。ムルングの瓢箪子供ではなく。キリクの瓢箪子供ということになるでしょう。もし自分の子供を欲しがる別の憑依霊がいれば、その瓢箪子供はそれ独自の仕方でビーズを飾られるでしょう。さあ、また別の旅(大仕事)になります。でも始める者はこの一人の人です。出発点そのものは、この全能の神、それこそが全てを始める者です。あれら別の者たちは、小さい者たち、この者こそが大きい者です。(憑依霊との)すべてのもめ事において、偉大なる者はこの者なのです。というわけですよ。 (ムルング以外の瓢箪子供) 憑依霊ドゥルマ人の瓢箪子供 世界導師の瓢箪子供
1771 ムルングの歌1小屋の中で ドゥルマ語テキスト ムルングの歌2屋外で ドゥルマ語テキスト
Mwainzi: さあ、ムルング子神よ、ンゴマはこれです。降りてこい、降りてこい。
ムルングの歌3 ドゥルマ語テキスト ムルングの歌4 ドゥルマ語テキスト
Man: 施術師の皆さん、ご傾聴ください。 People: 神の。 Man: さて、ご機嫌いかがですか。(男は途中でやって来たため、挨拶するために演奏を止めさせたのである) People: 私たち、問題はありません。あなたはいかがでしょう。(通常の挨拶のプロトコルが続くが書き起こしはそれを省略している)
(太鼓演奏再開) [ムルングの歌5](書き起こされていない。以下NT(not transcribed)と記す) ムルングの歌6 ドゥルマ語テキスト [ムルングの歌7~10](NT) (ムニャジの兄が食事の用意がやっとできたと伝えてくる)
男1: 私もそのうちンゴマに馴れるでしょう。来年くらいには、私もね。私は問題を提起しているんです。私はここでは黙っているなんておっしゃらないでください。私が言いたいのは、あなた方、あっちで腹一杯になってはいかがですか、ってことです。それとも皆さん、食べるのが嫌いなんですか。 演奏者A: いや、いや。私は食べるのは、もうけっこうです。むしろわたしはンゴマと歌が好きだ。 演奏者B: はあ、別の霊(の歌)に変えましょう。もしこの人(ムウェレのこと)がもういいというのなら、(この霊の歌は)終わり。このンゴマには歌がお似合いだ。
1772 [キツィンバカジの歌、数曲](NT)
演奏者A: 彼女の中には霊はいなさそうだ。
[ムクヮビ(クヮビ人)の歌] (書き起こしでは何の霊の歌か不明となっているが、書かれている歌詞の断片から判断すると憑依霊ムクヮビ人138の歌である。書き起こされている部分と、想定される全体を以下に示す)
ションゴリオ、ションゴリオ エエ ブラ エエ
(参考: ムクヮビ人の歌 1993年12月1日のンゴマより) (solo)
hoo nariwa wee ホー、わたしは食べられる、ウェー hoo mukpwaphi wee ホー、ムクヮビ、ウェー dzana napiga hati 昨日、わたしは誓いをたてた nichamba nolab'e, ga pindi nagaricha 私を殺すがいいさ、昔のことはもう捨てた tsitsuma mukaza mutu 私はもう人妻を口説きません (chorus) shongoliyo shongoliyo hee mbura he ションゴリヨ、ションゴリヨ、ヘー、ブラヘー shongoliyo shongoliyo hee mbura he139
[曲名不詳](NT)
演奏者: キズカ(chizuka140)を忘れているのでは? Mwainzi(Mw): はー、どこに忘れるというんですか(忘れたりするもんですか)。彼らがここにいたら... 演奏者: じゃあ、早くあなたの子供たち(治療上の)に、用意するように言ってくださいよ。 Mw: これらの太鼓を演奏する者たちのことですか? 演奏者: そうです。探してきてくださいよ。 Mw: 心配なく。ここに来ますよ。ここに来ると言ってましたよ。あの長老たち。 [曲名不明](NT) [カセットテープ1A終了](おいおい、うそやろ!)
1773
Woman: 彼女が踊り始めたのに、あんたたち彼女を困らせている。その布はカンバ人108の布よ。 (女性はカンバ語で喋り始める NT) (続いてカンバ語の歌 NT) 演奏者: おい、キロンゾさん、おい、こっちへ来て、ここでカンバ風にプオ(puo141)を打ってくれないか? (カンバ語の歌4曲 NT) W: 私にスワヒリ語で喋れと? 演奏者: どうぞ、純粋なカンバ語でお話ください。 (女性再びムニャジに対してカンバ語で語り始める NT) 演奏者: おまえさん、もしカンバ人の太鼓をお持ちだったら、賃貸できるよ。一晩5シリングでね。(女性に対して冗談を言っているらしい) 演奏者: さて、もう我々の言葉の(を喋る)憑依霊に代えようじゃありませんか。 (彼らはドゥルマの憑依霊の曲を4曲演奏する。NT) (憑依霊インド商人143の歌 NT)
1774
演奏者: この人は太鼓を打つときは、ブンブンブ(bumbumbu141)2台で打つんだよ。1台じゃなくてね。 (人々、太鼓の革を締めている) 演奏者: 人が皆のところへ来たときには、まず彼に話させないと。来たらお話する。来て黙っているのは駄目。なあ、(ムウェレの身体の)なかにやって来た者は誰だ?マサイ人か? Munyazi(Mn): 荒れ狂ってるのは(憑依状態をもたらしたのは144)インド商人だよぉぉぉ! Mwainzi(Mw): そうなんだ! (演奏者たちに向かって)ところでムボンデーニ(ボンデーニ人 mubondeni145)の太鼓、あんたたちには打てなかったのかい? 女性: 彼(憑依霊)は打ってもらいたがってるよ。ねえ、一曲だけ打ってあげて、踊らせて、立ち去らせましょうよ。 Mw: あんたたち、試しにやってみてくださいよ。だって、こいつムボンデーニが打てる太鼓打ちはここにはいませんから。一人もいない。 Mn: お前たち打ちなさいってば。そいつに立ち去らせようよ。アーメン! 演奏者: あああ、あんた押し動かされるよ。そもそも(憑依霊が)はまだ動いているのに。
1775
Mwanamadzi(Mm Mwainziの弟子):どこか場所を見つけて、そこで大人しくしていてください。ここには専門家がいないのです、専門家がいないのです。その太鼓をよく知っている者がここにはいないのです。どうかこの者の身体を壊しまくることは、なしです。頭を壊すのはなし、背中を壊すのも、なし、脚を砕くのも、なし、肺を潰すのもなしです。どうか場所を見つけて、よろしく静かにしていてください。この者の身体を壊しまくらないでください。ここには専門家がいないのです。 (歌が始まる。どの霊の歌かは不明(浜本注: と書き起こし者は注記しているが、明らかにスルタン導師146の歌である) ホワ、ホワ、スルタン導師、ホワ 子供は病気 憑依霊に悩まされている ホワ [カセットテープ1B終了](そんな、あんまりな!)
1776
演奏者: おんなたち、いやいややってるな。歌に唱和せずに、布のほつれを噛み噛みしているよ。
(他の演奏者たちも、太鼓の革の張りを強めている) (ムニャジ、憑依状態) (歌い出す。) ムガイ(mugayi148の歌) ドゥルマ語テキスト
私は孤児として生まれました 私の惨めな境遇 お父さんに先立たれました 惨めな境遇よ、お母さん
演奏者: さあ皆さん、ムガイ(mugayi 惨めな者148)の歌を打ちましょう
(ムニャジは泣き出す。人々は太鼓の演奏を始める。)
演奏者: なあ、あんた太鼓に腰掛けるものじゃないよ。 Munyazi: お前たち、私をからかってるのかい? 演奏者: 私たちがなんであんたをからかうっていうんだい?
1777
Munyazi(Mn): もう家に帰るよ。なんだい、お前たち私を知らないのかい。私をからかうのかい。 演奏者: 太鼓はこれであってるだろう、違うかい? Mn: お前たちは私をからかってるんだな、なんと。じゃあ、もう私は立ち去ります。何もおしゃべりしますまい。 演奏者: ああ、ここを去ってどこへいくというんだい。太鼓はこれなのに。 Mn: いや、いや、私はここを去って、家に帰ります。(身内に)死なれた者は、一つの場所すらもていない。ごらん。私は布すら与えられない。もう行くよ。家に帰るよ、人妻は。 演奏者: (あなたが求めている)ンゴマはこれです。そして仕事はこれです。布はこれですよ、ねえ私の友人。 Mn: あいつらが私をからかっているって言っただろう、あいつらが。あいつらは私をからかっている。さあ、私は行きますよ。さあ、私は行きますよ。もう立ち去りまくりますよ。あんたたちが私をからかうから。(身内に)死なれた者には、父も母もいない。お前さん、ンゴマをバカにしている。お前は、ここで自分の仕事が何かもわかっちゃいない。
1778
演奏者2: 私はよく知りません。彼の方がましでしょう。つつがなきこと、そして癒しの術がこのうえなく、たくさんあらんことを。演奏者たちはこの憑依霊についてよく知りません。 演奏者3: この人に言ってください。気分が悪くなる人はこの人に、ちゃんと聞いてもらって。 演奏者: ああ、皆さん「混ぜ合わせ149」ましょうや(クツァンガーニャのリズムで打ちましょうや)。
(憑依霊ドゥルマ人46の歌、続いてライカ55、ライカ・ムェンド60の歌) ドゥルマ人の歌 ドゥルマ語テキスト ライカ・ムェンドの歌1 ドゥルマ語テキスト ライカ・ムェンドの歌2 ドゥルマ語テキスト
演奏者: ディゴゼー(digozee49)を打ちましょう。 (ディゴゼーの歌 NT) 夜が明けた、ウェー... (イキリクの歌 NT) さあ、ウェー、エー...
[カセットテープ2A終了] (ああ、もう!)
1782 (ムニャジ、ソマリ人114で憑依状態) (憑依霊ソマリ人の歌 NT) (人々は太鼓奏者たちが怠惰だと非難)
演奏者: とき解いてください。身体がこのうえなくつつがなきこと。そして癒しの術(uganga)がとてもとても素晴らしいこと。そして人は、言いたいことがあれば、それをとても上手に人に語れること。これこそ、私たちが望んでいることです。 (ニャリ72の歌、2曲。NT) Mwainzi: 私はすこし席をはずしますよ。 (ディゴ人115の歌。NT)
[ムァヴィツヮ怒り出す] (ムニャジ、ムァヴィツヮに憑依されたらしい。しかしムァインジが去り、誰もムァヴィツヮの太鼓と歌を知らないため、お手上げになる。ついにムァヴィツヮ怒り出す)
Mejumaa(Me 女性施術師): 私はあなたが踊りますよう望みます。そしてつつがなきこと、そして良好に進んでいくこと、癒しの術が良好であることを。 演奏者: ねえ、憑依霊ムァヴィツワ116を打って。あなたがた(ムァインジ一行)どこへ行くんですか。
1783
Mwainzi(Mw): マサイ118、マサイ、あなたがたマサイを打ちなさいってば。 演奏者: 彼女ムァヴィツワで憑依してるんだけど。 Mw: いったい、どの女性が? 演奏者: 扇がれている人(ムウェレのこと)ですよ。 Mw: 扇がれている人。じゃあ、彼女に打ってあげてよ。(ムァインジ、去っていく) 演奏者: ムァインジさん、来てあなたがムァヴィツワを打ちなさいよ。実は、私たちはよく知らないんですよ。 Munyazi(Mn): 私はあいつ(ムァインジ)にちゃんと話しておいたのに。なんてこと。ああ、ごらん、もう何の意味があるの?私はもう行きません。絶対行かないわ。さあ、もうごらん、なにもかも台無しよ。さて、御本人はどこにいっちゃったの。わからないわ。あいつに話しておいたのに、ああ。事が不首尾に終わるのは、私にはわかってる。あんた、くたびれ儲けよ、あんた。もう私は踊りませんから。絶対に。踊りません。絶対、絶対、踊りません。何の意味があるの?もう何もかもいやよ。何もかも。 (浜本注: この後の経緯が抜けているようだ)
1784 (ムァインジ、瓢箪子供隠しから戻って来ている)
Munyazi(Mn): 私はもうここには腰を下ろしません。あんたがた、別のことでお話になるのか知らないけど、もうここでの事にはうんざり。 Mwainzi(Mw): 腰を下ろしてください。友よ。私たちは(瓢箪子供を)置き去りにしてきました。
(憑依霊ソマリ人の歌 NT) 憑依霊マサイ人の歌 ドゥルマ語テキスト
Mw: あなた方に今日、お仕事を差し上げます。つつがなきことを。 (デナの歌、その他 NT)
1786 (ムルングの歌3)
降りてきてください 降りてきてください、空高く昇るムルングよ 降りてきてください、ええ、ムルングよ
(ムルングの歌7)
雨は創造する(土をこねる) 心安らかにあれ 雨は創造する、心安らかにあれ Mwainzi(Mw): さあ、ムルング子神よ、私たちはあなたに仕事を差し上げます。仕事とはこれです。あなたは子供を探し出しに行かねばなりません。子供は泣いていますよ。 Mejumaa(Mej): ムルング子神は仲間を欲しがっています。
(ムルングの歌8)
関節飾り(matungo[^matungo])の女、関節飾りの男 彼らは畑仕事をしない、ウェー、惨めな貧乏人、アイェー
1787 (ムルングの歌3が繰り返し演奏されるなか、瓢箪子供探しは続く)
Mejumaa(Mej): 泣いているよ、おまけに子供は疲れちゃうよ、あんた。癒しの業の狂気を煮て(憑依状態をあげて)、あんたの子供を探しなさい。きっと見つかるよ。その子は、今いる場所で泣いているから。子供に会いに行きなさい。子供は惨めな思いをしているよ。狂気を煮なさいな。それだけ。
(ムニャジ、泣き始める)
Anzazi(Mwainziの妻で施術師、この日は施術師としてではなく客として参加): ねえ、わかってる?子供を探しながら泣くと、子供が見つかったときには死んでるよ。子供を探して、子供を殺そうとしている。子供は両脇腹を押さえつけられて、二度と泣かなくなる。 Mej: 今はただ狂気を煮て。本当に仕事がほしいのなら、どうして子供で頭が乱れるのよ?ああ、さあ、いったん屋敷に戻りましょう。
(人々屋敷に戻って、もう一度最初からやり直す) (浜本注: その後の経緯が抜けている)
Mwainzi: 私はお前、草木にお話します。今日、この日、お前はメチョンボ(ムニャジの子供名150)に買われました。今日、あなたはムルングです。偉大なるムルング、あなたはメチョンボに買われました。癒しの術の草木としてです。彼女自身の苦しみによって手に入れられたのです。彼女はただ驚いていました。病院もすっかり疲れてしまいました。癒しの術だったのです。今あの子供(瓢箪子供)も彼女自身が言って見つけて来ました。今、今日、私はメチョンボのためにお前、草木をクハツァします。お前草木よ。ついにメチョンボによってつかまれました。私、彼女の父(治療上の)ムァインジが彼女に与えました。そして相棒の施術師はこの者です。 Mejumaa: 草木はこれです。ほかのものではありません。癒しの術の草木です。
[カセットテープ 2B 終了](いや、いや、いや...)
(ムルング子神の歌1) 1766
ホー、お前は盗んだ、ホー、お前は盗んだ 妻の父親の家 ホー、お前は盗んだ、ヘー、ホー
(ムルング子神の歌2) 1767
ムァチェ(Mwache151)、ビーズ飾り、私の子供に会いに行かせて ムァチェ、私の子供に会いに行かせて 私の子供に会いに行かせて、ビョー ムァチェ、私の子供に会いに行かせて
(ムルング子神の歌3) 1768 (独唱)
降りてきてください、空高く昇るムルングよ 降りてきてください エエ、私の兄弟たち (以上、何度も繰り返し) (合唱) 降りてきてください 降りてきてください、空を昇るムルングよ 降りてきてください、施術師の方々
(ムルング子神の歌4) 1769
祖霊に祈ります、ヨー、祈ります 私は祖霊に祈ります、ヨー、おだやかに 祖霊に祈れ、ムルングに(誰かのために)祈ってください 私に祖霊に祈り、祈らせて、ヨー
(ムルング子神の歌6) 1770
ムボゼ(女性の名前) あなたはムボゼを盗んだ あなたはムボゼの親の家を盗んだ あなたは盗んだ、へー、フォー 私は肉を食べた、エー 私は肉を、女たちを食べた 私は食べた、エー
(憑依霊ドゥルマ人の歌) 1779 (solo)
ドゥルマ人子供、難儀がいっぱい 泣かないで、我が子よ、お前は美しく生まれました (合唱) 泣くな、子供よ、ウェー お前は可愛く生まれました、ウェー
(ライカ・ムェンドの歌1) 1780
ライカ・ムェンド、ホーワー 降りてきて、池で水を浴びなさい 地下界のライカ・ムェンド 降りてきて、池で水を浴びなさい
(ライカ・ムェンドの歌2) 1781
ライカ・ムェンド、ウェー お父さんに呼ばれました、ウェー なんと、お前は素早い者、ホーウェー お父さんに呼ばれました なんと、お前は素早い者
(憑依霊マサイ人の歌) 1785 (独唱)
マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。 マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。 (合唱) マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。 マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。