ムニャジを「外に出す」ンゴマ

概要

施術師就任のためのンゴマである「外に出す」ンゴマ(ngoma ya kulavya konze)一般についての解説はここを見ていただきたい。

施術師のキャリアは、ムルング(ムルング子神 mwanamulungu1)11を「外にだす」ンゴマを開催してもらうことから始まる。それが無事終われば、その後は、同様な要求を持った他の憑依霊たちについても外に出してもらうことが可能になる。こうして施術師はたくさんの憑依霊を持ち霊とするより強力な施術師になる道を進んでいく。 私が憑依霊について話を聞き、その施術に参加させてもらうのは、当然すでに施術師である人々なので当然の話なのだが、この最初のムルングを外に出すンゴマを私が実際に経験する機会はなかなか訪れなかった。

ここで紹介するのは私が初めて経験したムルングを「外に出す」ンゴマである。ムウェレ(muwele12)のムニャジは、私の助手でありドゥルマ語の先生であったカタナ君のtsangazimi(FZ(父の姉妹))の僚妻(mukakazi17)の娘。つまりカタナ君にとって父方交差イトコ(mukoi18)にあたる。ひょんな出会いだった。1989年12月9日にカタナのところに彼の交差イトコの一人がやってきて、「今日カタナ君のFZの屋敷でフィンゴ19抜きがあるよ」と教えてくれた。ありがとう!「フィンゴ抜き」という抗妖術の施術が見られるというので、私は大喜び。カタナ君に案内を頼んで2人で自転車で出発。1時間以上かけて目的の屋敷に着くと、なんとほとんど誰もいない。フィンゴ抜きなんて真っ赤な嘘。忘れちゃいけない。交差イトコどうしは人類学で言う「冗談関係」、会えば悪口や嘘をつきあう関係だった。がっくりくる私。カタナ君のFZのほぼ無人の屋敷にいたのが、ムニャジさんだった。カタナ君はいきなり嫁に来ないかなんて、冗談かまし始めてる。せっかくなので雑談していると、なんだかやたらと憑依霊について話題豊富なおばさん。聞くと、彼女自身はまだ施術師ではないが、近々「外に出す」ンゴマを実施する予定だという。そのやり方についても詳しく教えてくれる。日時が決まったら教えてね。見に来るからね。

その後、しばらく音沙汰なかったが、1月3日、突然私の小屋にムニャジがやって来て(遠路はるばる徒歩で)明日、施術師のムァインジさんとンゴマの打ち合わせがあるから家に来いと言う。急な話だなぁ。翌日、自転車でMazoraのムニャジ宅に。「外に出す」ンゴマは1月11日と決まる。午前11時にムニャジ宅に来いと。決まるときには素早い。

(日記より)

1990/1/11(Thu, kpwaluka) 午前中review。午後1:30、例によって一人でMunyaziのところへ行く22。Munyaziといっしょに近所の人々にNgomaの開催を告げて回る。17:00mugangaの一人(baba wa chiganga15)Mwainzi氏が来る。必要なものが揃っていないと判明。私が自転車をもっているということで、キナンゴまでchidemuを買いに走らされる。人使い荒いよ。もう一人のmuganga(mayo wa chiganga16)Mejumaaの到着が遅れ、Munyaziやきもきする。その分、Mwainzi氏から瓢箪子供を隠すこととか、儀礼の手順とかいろいろ聞くことができた。Mwainzi氏も、もったいぶったり隠したりせず、すごく細かく話してくれる。憑依霊系の施術師は、こういう人が多い(妖術系の施術師と違って)。それでも開始まで、手持ち無沙汰な時間。というわけでなんと出先で日記をつけてしまうという。 今日はドゥルマ風の日の数え方によると、kpwaluka, kumi ra kahi, mwezi phiri ということでkayambaには絶好の日。kpwishaとjummaはkayambaもkumit'a23 nyungu24もできないとのこと。

登場人物 施術師: 男性 Mwainzi wa Lugo(Munyaziの施術上の父)、女性 Mejumaa 患者: Munyazi(Mechombo) wa Beruwa Shala

場所・日時 開催場所: Shaleの屋敷(Munyaziの小屋が所属する) 日時: Jan.11,Thu,1990―Jan.12,Fri,1990

ムウェレの経歴 ムニャジは、他の施術師たちの多くと異なり、幼少期の「発狂」や、祖先(祖霊 k'oma)の癒しの術(uganga)の継承については語らない。中年以降の重い病気が施術師の道を選ぶにいたる端緒となっている。しかしその経緯はなかなか波乱に富んだものだ。 ムニャジはごく普通に娘として成長し、B氏の息子Hとの、婚資のやり取りによる正式な結婚を行った。そして妊娠した。ところがそこでとんでもない事件が起こった。彼女の父S氏は当時のドゥルマの長老の多くがそうであったように一夫多妻婚をしていたのだが、なんとムニャジの夫Hの兄Gが、彼女の父S氏の第三夫人Wと、つまりムニャジの母の僚妻(ムニャジにとってのメソモ(mesomo25)と駆け落ちし、周囲の反対を押し切って結婚してしまったのである(婚資のやり取りをともなわない非正規の結婚、つまり日本風に言うと単なる同棲だが)。


兄弟のそれぞれが、母娘(実の母娘ではないが)の関係にある女性とそれぞれ性関係をもつことは、きわめて深刻なマブィンガーニ(maphingani26)である。ムニャジの父S氏はただちにムニャジを屋敷に連れ戻し、そこでクブォリョリャ(kuphoryorya27)、つまりこの異常な関係がもたらす危険を冷やす施術を行うことになった。Hの父B氏は定められた日に供犠のヒツジ(ng'onzi)を連れてS氏の屋敷にやって来た。しかしWが頑強に施術を受けることを拒絶したため、結局クブォリョリャは行われなかった。 ムニャジの夫Hがいつまでたってもムニャジを連れ戻しにやって来ないので、SはHのところに行って直談判した。しかしHはムニャジを妻として連れ帰ることを拒否した。どうせ連れて帰っても次の日にマブィンガーニのせいで死んでしまうのだから、と言って。S氏はHをキナンゴの町のサブチーフの法廷に訴え、結婚の解消を争った。法廷はBはSに婚資を返却し、Hとムニャジの結婚を解消するべしという形で決着した。しかし婚資は返却されないままに終わった。すでに妊娠していたムニャジは父の屋敷にとどまって、そこで娘Cを出産した。こうしてムニャジは夫の弟のとんでもない振る舞いのとばっちりで、最初の結婚に失敗したことになった。 その後ムニャジは2人の男性と「結婚」したが、いずれも婚資の支払いをともなわないもので、正式な結婚ではなかく、長続きはしなかった。その後で生まれた彼女の2人の子供JとMは、それぞれ別の男性との間にできた子供である。

その後、ムニャジは父の屋敷を出て、別の地域で約5ヶ月暮らすが、JとMが病気になったため、父の屋敷に戻った。2人の子供は、病院に連れて行く以前に、ムニャジが父親に帰宅の挨拶をしただけで治った。実は子どもたちの病気は、父親のムフンド(mufundo28)つまり彼がムニャジに対して心のなかで密かに抱いていた怒りのせいだったのだ(ということになった)。それ以降、ムニャジは父親からはなれることを断念し、父の屋敷でずっと暮らすことになる。結婚もあきらめたという。

やがて父が亡くなったので、また屋敷を出て、同じマゾラ地区であるがキナンゴとマリアカーニを結ぶ街道の反対側、カンバ人が多数居住している地区に小屋を立てて暮らし始めた。がほどなく彼女自身の病気が始まった。5年前(1984年)のことである。さまざまな治療(妖術に対する治療を含む)が試みられたが、憑依霊に対する治療によって、快方に向かった。その後も病気が繰り返す都度、新たな憑依霊に対する治療が付け加わり、彼女はいくつもの厄介な(苛烈な要求を突きつけ、それが叶えられないと重い病気にする)憑依霊をもつ人になった。彼女に憑いているいくつかの霊は、癒しの術を求めている(彼女自身が施術師になることを求めている)ことが判明し、彼女は施術師になる一歩手前まで行った。しかし彼女はそれを嫌って、まだ当時としてはきわめて信者も少なかったキリスト教に改宗し、そこでの祈りによる健康回復を求めた。しかし、性関係の問題でキリスト教から「出る」ことになった。彼女は「私が自分で負けてしまったのさ(nashindwa mwenye)」と自嘲する。このことがきっかけで、2年前に母が暮らしている今の屋敷に移った。彼女は再び憑依霊の治療を求め、バンガ(Bang'a29)地域に住む施術師ムァインジとアンザジの夫妻30に出会い、二人のもとで、ある程度の健康を取り戻した。それとともに憑依霊についての知識も増え、たくさんの夢を見、自分で霊に導かれて誰からも教えられないのに草木を採ってくるようになり、次第に施術の仕事につくことを、彼女自身が望むようになった。そしていよいよ「外に出す」ンゴマを受けようというときに、私と出会ったのである(ンゴマ開催に必要な結構な出費は彼女の兄と、彼女の2人の息子が苦労して捻出しつつあったが、最後の後押しは私が行った)。当時の私の目には、現在彼女は健康そのものに見えた。 今回のンゴマではムルングのみが「外に出」される。それが済んだ後に、シェラ(shera=ichiliku73)、ライカ(laika55)、ドゥルマ人(muduruma=kasidi48)を一緒にした瓢箪子供を手に入れる(それらの憑依霊についてまとめて「外に出す」ンゴマを開く)予定だという。もしかしたらドゥルマ人については、それだけで単独の瓢箪子供が必要になるかもしれない(別の「外に出す」ンゴマが必要となる)。そんな計画を彼女は語った。 長引く病気の中で、憑依霊の要求がエスカレートし、「癒しの術」を要求する(と占いが指摘する、あるいは憑依霊自身がカヤンバの席上で表明する)までに至った結果、施術師になることになったというケースである。

ムニャジ、自分が受ける「外に出す」ンゴマについてワクワクしながら説明する

(Dec.9, 1989のフィールドノートより)

ndonga75 の首のところに ushanga76 を巻き、ndonga の中に指導呪医Aの muhaso20を入れた ndonga(mwana wa ndonga77)が用意される。 neophyteBに対し徹夜でカヤンバが演奏されBは nyama78 に満たされる( ukale tele79)。 明け方 ndonga がAによって bush のどこかに隠される。Bは vuo80 を被り、muhaso の匂いを嗅ぐ。Bは ndonga を探しに行くよう命じられる。AはBに何のヒントも与えない。Bの nyama がその所在を教えてくれる。ndonga の中のmuhaso の匂いが鼻のあたりにたちこめてくるのでわかるのだという。 見つけて戻ってくると皆が拍手で迎える。 再びカヤンバが打たれ、今度はBは weruni81に行くように言われる。Bの後をAとカヤンバ奏者がついて行く。Bは nyama に教えられ、その nyama の muhi37 のところにくると言われなくてもわかる。 ただしい nyama の muhi がわかると、それを折りとる。Bに続いてAもそれを折りとっていく。 最後のもっとも重要な muhi を折りとったところで mbuzi82 nyiru83が kutsinza84 される。mbuzi の皮の痙攣している部分(choyo)を切取り muhi とともに ndonga の中に入れる。 夜が明けると一休み。後に素面の状態で(matso mafu85)AはBに各々の muhiの使用法などを説明する。 隠された ndonga を探し出すテストに失敗しても muganga にはなれる。しかしkuzuza53 はできない。ku-zuza できる nyama がいないと、そもそもこのテストにはパスしない。

当日の出来事

(Jan.11, 1990のフィールドノートより)

例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。この年の調査まではすでにフィールドノートはテキストファイルとして電子化済(逆に言うと、この年以降のフィールドノートはまだ手書きのままであり、今年2024年に入ってシコシコ打ち込んでいるという為体なのだ)。といっても、ドゥルマ語がそのまま使われていたりして、私以外には読みづらいものであることには変わりなく、かといってフィールドノートそのものの記述(訳語としても「呪医」といった不適切なものもあり)に手を加えるのは避けたいので、ドゥルマ語箇所は注釈の形で補足説明することにしている。セクションごとの表題は、ウェブページ化する際に追加。使用している訳語などはそのまま。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。

ンゴマ開催日の設定理由

Jan.11 この日は kumi ra kahi の mwezi phiri にあたる。 ngoma がこの日になったのは ① 月がでている kumi ra kahi が適当 ② kpwisha と jumma の日は避けねばならない。 これは ngoma そのものだけではなく、nyungu を設置する場合も避けねばならない日である註:ドゥルマの日の数え方

ンゴマを告げる

13:30 Munyazi の屋敷を一人で訪問。Munyazi と二人で近所の人々に ngoma を告げて回る。この近所にはカンバ86の人々が多い。3時間ぐらいかけて一巡する。

Mejumaa を待ちながら

呪医の一人 Mwainzi 17:00 過ぎに到着。準備を始めるが chidemu87 がないことに気付き、私が自転車で来たことからキナンゴに買いに走るよう言いつけられる。やれやれ。 もう一人の女性の呪医 Mejumaa の到着が遅れ、それを待つ間に Mwainzi からいろいろ説明を受ける。一部録音。

今回のンゴマの目的など

ngoma は mulungu で始まり、mulungu で終わる。 mulungu の mwana wa ndonga3 を Munyazi に授けるのがこの ngoma の目的

nyungu24 の kufukiza88 は4日間、Jan.8(Mon)kurimaphiri に kumit'a nyungu23 4日目が Jan.11(Thu)kpwaluka にあたる。

男女二人(abaye wa chiganga15, ameye wa chiganga16)の muganga が必要。

Mwainzi氏による説明

(DB 1889-1897)やり取りの一部 ムァインジ師による解説 (DB 1889-1897)ドゥルマ語テキスト

(注意!)以下のフィールドノートの記述には、少なくとも一箇所誤りがある。Mwainzi氏の説明を一部私が理解しそこねていたことからくる誤り。フィールドノートではムニャジが途中の休憩(マコロツィクmakolotsiku89)の直後に占いに挑戦したが失敗し、ンゴマの最後にもう一度挑戦したかのように書いているが、Mwainzi氏の説明では、最初の占いは単なる、占いのやり方を選ぶ試行にすぎず、本格的な占いは瓢箪子供を授かって後のものだとわかる。 このように、フィールドノートの記述は(とりわけまだ完全にドゥルマ語がわかっていたわけではないこの時期の調査のフィールドノートについては)、書き起こしテキストときちんと対照して検証する必要がある。残念ながら、書き起こし担当のカタナ君は、施術関係にはややうとく、歌もあまり知らないため90分テープ2本をわずか200行ほどのテキストにしてしまっている。さらに不運なことに、この年度の調査のテープは郵便事故でほとんど(機内で聴くために機内持ち込みした以外は)紛失してしまったため、検証自体が困難になっている。 なおカタナ君の名誉のために言っておくと、1989年度までの調査の大部分を占める(それ以降の調査でもそうなのだが)インタビューでのやり取りの書き起こしについては、カタナ君は完璧であり、また彼のドゥルマ語のイディオムなどの解説も実に明快で正確だった。誰にでも苦手分野はあるってことだ。ただ自分はこの分野は苦手だから、別の書き起こし要員を雇ったほうがいいと伝えてほしかった。もう時効だし、翌年からはカタナ君以外にも書き起こし担当を増員したので、問題はほぼ自然解消したのだが。

Mwainzi は到着後すぐ mwana wa ndonga3 の準備をする。穴を開け、中身(mioyo90)を取り出す。

中身(「心臓」など)は、この時間には入れない。 相棒の呪医(Mejumaa)が来たら、ンゴマが打たれている間に、小屋の中でいっしょにビーズを巻く。夜明けが来て雄鶏が刻を告げたら、鶏(ひよこ)を殺してその心臓を入れる。 mavumba9 と mafuha10 を入れて、chidemu87で栓をし、瓢箪子供を完成させる。 (チャリたちの説明では、心臓を入れるのはmuwele12夫婦だったはず?またチャリたちは心臓はムルングの呪木のpande5だといい、鶏の心臓を用いることには反対)

最終的には4つの ndonga が Munyazi に渡される。 ① mwana wa ndonga (mulungu) ② chititi91(mburuga に用いる) ③ ndonga75 ya mureya92 ④ ndonga ya mavumba9 ③④は別の日に matso mafu85 の状態で mihi37 を再び示し、その用い方を説明した後に与える。

③は mihi を kukalanga93 した黒い粉(mihaso20, mureya)を入れる為のもの。 ④はmavumba を入れる為のもの

瓢箪子供を隠すこと 二人の muganga のうち一人(Mwainzi)が①を夜中に weruni81 に隠しにいく。 その後、彼は muwele に一人で探してくるように言う。「Mwana yunarira ukatsakule mwenye94 muwele は数人の女性と2人の男だけを連れて出発する。先頭で。 隠しに行った者たちはその間 mudzi の中にとどまって muwele が①を探し出して戻ってくるのを待つ。

もう一人の muganga(Mejumaa)は隠し場所を知らない。muwele の後からついて行くだけ。「mwana yunarira, haya haya95」「mwana yundariwa ni diya96」などと声をかける。

みごと見つけ出して帰ってくると muwele は mwana①を vuo80 で洗い、mukamba97 に包んで胸に抱く。

mihini98 ngoma が再び打たれ、muwele は weru81 に行って mihi37 を折り取ってくるように言われる。 muwele が出発すると、ngoma(演奏者たち)が後に続き、少し遅れて Mwainzi と Mejumaa が続く。 黒と白の鶏、uchi99 と chiparya100、黒い山羊を連れて行く。

muwele が折り取った草、木の所にくると二人の呪医は各々、この木をmuwele に与えることに同意する旨、kukokotera[^kukokotera] 地面に uchi を少したらして、白い鶏の羽根をむしる。(白い鶏は musambala101 別の木では黒い鶏の羽根をむしる。(黒い鶏は mulungu11

この鶏たちは屠殺されない。それはそのまま育てられ、それが大きくなって子供をたくさん産むと、これらの生まれた鶏は売られ、得られた金で nguo102 ya mulungu, musambala を購入する。

最後のもっとも重要な mihi(muhi wa mwisho103)を見事に見つけ出すと、そこで黒山羊を供犠し、その血を①にかける。

黒山羊は mudzi104 に帰るとすぐ、皮膚の痙攣している部分(choyo105)を少しずつ切取って、①に入れる。 (MurinaとChariは、瓢箪子供に死んだ動物の心臓や革を入れることを認めていない。)

占いを打たせる muwele を再び座らせ、mulungu の ngoma を打ち、muwele に mburuga106 を打たせる。 二人の人間が進みでて2ペニーずつ mukoba14 の中に入れ、muwele は mburuga が打てることを示さねばならない。 [以上 Mwainzi による先立つ説明]

実際の ngoma の遂行手順

ンゴマの開始 22:00 ngoma 開始 mulungu は最初小屋の中で打たれるが、一曲目を数分打つとすぐ戸外にでる。

makolousiku までの間に muwele は何度も golomokpwa107 する。mukamba108では、ngoma に来ていたカンバの女性も golomokpwa する。 いろいろな nyama78 が入替わり立ち代り踊る。

3:00 makolousiku ここまで太鼓は地面の上に直接置かれている。これを過ぎるとベッドがもちださ れ、その上で打たれる(ngoma dzulu110)。

makolousiku89 は uchi99 だったので仮眠をとる。つい寝過してしまい、目が覚めたときは 3:45 すでに ngoma は再開されていた。

[一回目の試しの占い] muwele の左前に灰を被せた lungo111 が置かれ、muwele は mburuga を打とうとしている。 人々は mukongo112 を見つけ出せと言っているが、muwele は身体を前後に大きく揺すぶって lungo に何か書こうとしたり、またそれをじっと見詰める仕草をするが、mukongo を見つけ出さない(失敗 人々は waheza tu, wasema tu113 と言う)。

[ンゴマ再開] Munyazi、musomali114で憑依状態。 その後nyari72やmudigo115と演奏が進むが、なんだか段取り悪し。

(憑依霊ムァヴィツヮ、癇癪をおこす) ドゥルマ語テキスト いつの間にか霊は mwavitswa116 に入替わってしまう。 ちょうど Mwainzi は mwana wa ndonga を隠しに行っていて不在。 anamadzi13 たちは mwavitswa の ngoma を知らない為、mwavitswa は怒り出してしまう。

その後別の曲が打たれるが、muwele はku-taphukpwa117 してしまう。

Mwainzi いつのまにか戻っている。 somali114 が打たれ、別の女性が golomokpwa し、Mwainzi から「お前の ngoma ではない」と諭され kukokotera される。

その後、shera, masai118 などで muwele は golomokpwa し、Mejumaa の anamadzi の一人が shera で、Mejumaa 自身が masai で golomokpwa してとび跳ねる。

隠された瓢箪子供を探索 ドゥルマ語テキスト 夜が開けると再び mulungu が打たれ、muwele は mwana wa ndonga を探しに行くように言われる。anamadzi13たちはkayambaを持ってmuweleのあとに続く。 Mejumaa後ろから、mwana yunarira, unatsoka mwana121...などと声をかけながら続く。 私もMejumaaについていく。

ndongaを隠したMwainziは屋敷に残る。

Munyazi泣きながら探し回るが一向に見つからない。 一度屋敷に戻ろうということになる。

屋敷でkayambaをうち、もう一度nyama78を満たし、再出発。 mwingo122 を手渡され、再度挑戦。 誰も隠し場所を知らず、Mejumaa は私のときは一発で見つけた。mwana wa ndonga は yunanuka muno123 だからすぐわかるなどと会話している。

ようやく見つける。そんなに屋敷から遠く離れた場所ではなかった。 大声を上げて屋敷に駆け戻るMunyazi。

見事 ndongaを見つけて帰還すると、女性たち長声124で迎える。 Munyaziはndongaをmavuoで洗い、おぶい布(mulunguの)に包んで大事そうに抱いて踊る。

以後は比較的プログラム通りに進行する。

草木探索 ドゥルマ語テキスト

mihi 探しに随分遠くまで連れ出される。行く先々でムルングの草木を折り採り、その都度クハツァ125される。しかし、muhi wa mwisho103 を探し出すのが本題。 muhi wa mwisho が何か聞きだそうとする人もいるが(mwele の兄 Mwanyawa氏)、Mwainziは答えない。

muwele は早く muhi wa mwishoを示せと急かされる。

行く手を uchigo に阻まれるが、こっちだ、こっちだと言うように muwele が奇声を上げるので、人々はやむなく uchigo126 を壊して直進する。

さらにもう一つのuchigo も乗り越え、何と他人のトウモロコシ畑の中の 3-40cm 程の高さの木の前で立ち止まる。

Mwainzi, Mejumaa も駆けつけてくる。それが muhi wa mwisho であった。 ちょっとびっくり。もしかしたら前もって知っていたのかも?

kuhatsa125 し mbuzi82 nyiru83を屠殺して mudzi に帰る。

[最終の占い試験] 最後にmburugaのテスト。 Mwainziのanamadzi の一人とカタナのtsangazimi127(彼女は muwele の mesomo25 でもある)が諮問する。 muwele は最初どちらに対しても答えるのを拒む。 前者の場合は kasidi48 だと言い、後者に対してはchiphurye128 だと言う。 kasidi, chiphurye の内容を説明するように言われ、結局前者の場合は死んだ母親のhanga ivu129 を遅らせているせいだ、後者の場合は nyama に対する約束を果さないでいるという事実が指摘される。

どちらにも思い当る節があるということで、mburuga は一応成功ということになる。

[いつも揉める料金支払い] その後、料金の交渉。何故か何時もこれが長引き帰りが遅くなる。 Mwainzi, Mejumaa に対する fungu130 がそれぞれ 200shils131 ずつ。kadzama132(酒2、金2:金は 40shils)。 これに加えて、anamadzi たちがさらに自分たちの分として 300shils + kadzama を要求したので、話がこじれる。結局早く家に帰りたい私が 540shils 援助する。これで援助総額は940shils。

[食事を待つ] 食事の準備の間、人々は仮眠をとったり、今後のプランなどについて打ち合せ。(私は頭痛もし、この会話には加わらず、横になって身体を休める)

Mejumaa はブッシュに nyungu133 をぶちまけにいく。

食事が出されるが、ちょっとだけ食べて、私は帰宅。

終わりに: ムニャジの「外に出す」ンゴマについて

冒頭でも述べたように、このンゴマは私が見た最初の施術師就任のンゴマだった。それだけに期待は大きかったし、前もって何が行われるのかをいろんな人に聞きまくって、それなりの知識とイメージをもって臨んだンゴマだった。このンゴマを受ける当人ムニャジの説明(それにはなぜか占いテストの話が含まれていなかったが)、私が信頼をおいているムリナ&チャリ夫妻による説明、近所の施術師ムロンゴさんによる説明など、どれも大筋において同様なプログラムを描いていた。が、当日、たまたまもう一人の施術師の到着が遅れていたので話を聞くことができたムァインジ氏による説明が、話がいろいろ飛んでわかりにくい点も多々あったが、何度も根掘り葉掘り聞き返しても辛抱強く答えてくれ、おかげで私はこの日におこることを前もってそれなりにつかんでおくことができた。

徹夜のンゴマの表舞台で行われていること自体は、他のンゴマやカヤンバととくに違っていたわけではない。憑依霊の歌が次々と演奏され、ムウェレや観客が憑依状態になったり、淡々と踊ったりが続く。 ムルング、アラブ人、キツィンバカジなどの序盤が終わると、すでにムニャジが持っていることが知られている霊の曲が主として演奏されるので、演奏される憑依霊の種類自体はンゴマとしてはあまり多くない。その結果だろうが「憑依状態」の頻度は、他のンゴマよりも多いように思った。実際、ムニャジさんは、おどろくほど片っ端からいろいろな霊にgolomokpwaした。彼女がgolomokpwaすると、人格豹変して、口汚く演奏者たちに食って掛かったり、冗談の応酬をしたりの掛け合いが見られる。さらにムニャジ自身が予定外の憑依霊の歌を要求し、演奏者たちがしばしば曲を知らずに困惑したりする場面も、見慣れたンゴマの光景とは違っていた。望み通りの曲が演奏されず、ムニャジが(あるいは霊が)ふてくされてしまったりするのも、まあ面白い。ただ全体にちょっと芝居がかっている感じもした。病気を引き起こしているのが本当に憑依霊なのか、どの憑依霊がどういう理由で病気を引き起こしているのかを探る「憑依霊を見るカヤンバ kayamba ra kulola nyama」にある緊迫感は少なく、どちらかというと娯楽的な要素が多かった。単に私の個人的な印象と言えばそれまでだが。

重要なンゴマであるはずなのに、肝心の主宰する施術師たちが、別作業で忙しく、ンゴマそのものにあまりタッチせず、ほぼ弟子たちに任せっきりにしているのも、ちょっと想定外だった。いろいろな作業が同時進行している、けっこう忙しいイベントなのだ。

山場となる3つのテストの場面は、施術師たちがしっかり主宰し、きちんとおおいに盛り上がっていた。 (なおフィールドノートのなかで、夜中に一回目の「占いテスト」が行われ、それは失敗に終わったと私は書いているが、それはテストではなく、単に占いのやり方を選ばせていただけだったんだなぁ。書き起こしテキストを読んだら、ムァインジさんがちゃんと説明していたよ。)

でも全てが筋書き通りに運んだわけではない。一番重要な、ブッシュに隠された瓢箪子供を見つけるテストでは、見つけ出せずにムニャジが泣き出してしまって、また最初からやり直しなんてハプニングもあった。テストそのものはヤラセではなく、ガチ・マジなのだ。のちにムニャジが言うには、「本来は瓢箪子供は栓をせずに隠さねばならないのに、ムァインジは栓をしたまま隠した。それが間違い。瓢箪子供の中の薬の匂いで在処がわかるのに、それじゃあ、私がわからなかったのは当然。それでも見つけられたのは、私、すごい!」だった(DB2228)。ちなみに私が瓢箪子供を嗅がせてもらった経験から言うと、匂いはけっして強くない。

このンゴマの後に、なされたことについても、のちにムニャジから教えてもらった。ンゴマの1週間後(正確には1月19日)にムァインジがやって来て、一緒にブッシュに行き、ムルングの草木を改めて一本、一本教示され、それらを折り採り、また根を掘って、屋敷に持って帰って、砕いて香料(mavumba)にしたり、土器片の上で煎って黒い粉末の薬(muhaso)を作ったりの手ほどきを受けた。一日限りの施術師研修だ。

瓢箪子供はンゴマののちにムァインジたちが、いったん持ち帰ってビーズ飾りも完全に施し、完成したものを同じ日(1月19日)に持ってきたという。一週間もたっていたのだが、ムァインジ氏はその妻のひとりが出産したばかりで、生まれた子供をまだ「外に出し」ていないので、性関係の禁止に服しており、彼が誤って瓢箪子供を「自分の子供」として「産んで」しまうおそれはなかった。だから心配しなかったとムニャジは言う。ムニャジ自身が、その瓢箪子供を「産」まなければならないのだが、ムニャジには夫がいないので、誰かよその男を雇って産まねばならない。そのためには相手の男は、ムニャジに10シリングを払って、彼女のムコバ14に入る。その後、彼に4シリング渡し、3日間一緒に(性関係抜きで)過ごした後、一回きりの無言の性交(マトゥミア134)を行うという手順。

というわけで、その前後のさまざまな手続き、実践を含めて、やっぱり「外に出す」ンゴマは、なかなか大変な「大仕事」であり、結局「不合格」に終わる(費やした大金も無駄に終わる)可能性があるという、軽々しくは開けないイベントである。それにかかわる誰もが、そこで起こっている諸々に、必死に「大真面目に」かかわっていることにあらためて気付かされるのである。

録音書き起こしテキストの和訳

いろいろ不完全な録音だが、録音し書き起こされた部分はすべて和訳しておく。

ムァインジ氏によるンゴマ前の解説

1889

Mwainzi: さて、私たちの計画(picha)はこうです。私たちの試験(mutihani)は、人は自分自身で(瓢箪子供)を取ってこいというものです。そして、それが置かれている場所を、人は知りません。ただ行って来いです。(瓢箪子供を見つけて)彼女が前庭に到着すると、私たちはその者が試験にパスしたと知ります。すると、人がやって来て、「私は癒しの術を求めていますので、私に占いを打ってください」と言います。そしてその人は、何もかも全て話してもらいます。でももし(ムウェレが)、(瓢箪)子供に失敗したのなら、占いにも失敗します。望遠鏡(ムァインジはこの言葉を、ここでは隠れたものを見つける能力の意味で用いている)は彼女を打ち負かしたのです。 Hamamoto(H): そうすると、あなたは瓢箪子供を隠しに行ったら、そのままその場に残っているのですか? Mw: いえいえ、私たちがそれを隠しに行くでしょう?それを隠したら、その場を離れ、私たちはここに戻らねばなりません。さて彼女にその子供を取りに行かせる太鼓が始まった。さて今や、彼女は自分で、人を伴わずに、立ち去らねばなりません。 H: 誰も彼女の先を行ったりしないのですね。

1890

Mwainzi: いいえ。私たちが行くとでも?私たちはここで彼女が戻ってくるのを待っています。彼女が戻ってきたら、さあ、私たちは今度は、彼女とともに草木探しに出発します。だって、望遠鏡を彼女は打って(隠れたものを見つける力を発揮して)、当たったのですから。というわけで、私たちは、ほらこの(瓢箪)子供は彼女と一緒にやって来た、ほらこの子供だと言いましょう。さあ、この子供をしっかり持って、あちらに草木を求めに行きましょう。私たちもそこでヤギをしっかり持ちます。さあ、草木探しに行きましょう。彼女はそうして草木をつかみます。ヤギを供犠するべきあの草木を探し当てたなら、さあ、私たちはそこでヤギを供犠しましょう。ああ、施術は終了しました。さあ、屋敷に帰りましょう。もしヤギを供犠するべきその草木を彼女が知らなかったとしたら、さてさて、彼女はまたしても望遠鏡に失敗したことになります。私たちは言うでしょう。どうしてヤギを供犠できましょうか。あなたはあの草木が見えないのですからと。ヤギは死にません。あなたは試験に失敗したのです。

1891

H: とっても厳しい試験ですね。ところで、例の瓢箪子供は、もう出来上がっているのですか? Mwainzi: 瓢箪子供だったら、友人(相棒の女性施術師)が、到着したら、夜中にビーズを巻かれます。こちらでは太鼓が打たれています。私たちはあっちでビーズを巻きます。とこか場所を見つけて。 H: 心臓も入れるのですか? Mw: はい、心臓も入れますが、鶏が刻を告げたらです。今のような時間には何も入れないことになっています。そばでは太鼓が打たれています。そしてあなた(相棒の女性施術師)は彼女(ムウェレ)にキティティ(chititi91)を差し出します。そして占い板(bao135)を彼女に描いてみせてあげます(お手本を示すため)。その場に、病人がいれば、彼女(ムウェレ)は自分でその病人をつかまえ、告げます。「あんたは病人だよ、あんた」って。相手が「そうです。私は病気です」と応える。さて、あなたは仕事がすでに始まったことがわかります。彼女自身がただ告げていきます。そばでは太鼓が鳴っています。さあ、あなたは彼女に占い板を描いてみせてあげます。こんな風に、こんな風にと。ついに彼女が、「私は、私が仕事に使う占い板はこれよ。」と言うまで。さて、彼女自身が今後やっていく仕方を、選好したのです。(この時点では)例の(瓢箪)子供は、まだあちらの方で調えられてはいません。

1892

Mwainzi: こちらの方では、彼女がこんな風に喋っている。さて最初の雄鶏が刻を告げます。あちらで(瓢箪)子供が調えられることになります。そして海岸の方(の空)が赤みを帯びると、私はあなたに言います。さあ、この瓢箪子供を隠しに行きましょうと。(いっしょに隠しに行ったなら)あなたは(ムウェレが隠された瓢箪子供を探しに出発する時には)それに同行しません。私たちはここ(屋敷内)に残ります。彼女(ムウェレ)は何人かの女性と、そして二名の男性と出発します。私たちは(彼女たちが戻ってくるのを)待っています。隠しに行った私たちは行かないのです。「あの人(ムウェレ)は彼女の子供を求めに行ってます。あなた方ご婦人方お二人、さあ、立ち上がってください。彼女のあとをゆっくりついて行ってください。さあ、そこの男たちお二人、ご一緒にお行きなさい。そして彼女が自分の子供を連れてここに帰ってくるまで、彼女たちのあとをゆっくりとついて行ってください。」 あなたがたがここに戻ってくると、「さあ、一緒に草木探しに参りましょう。」ヤギが(ロープで)括られます。ヤギをロープに繋いだら、人々は草木探しに行きます。彼女(ムウェレ)は、次々と草木を折り採って行きます。ついにあのヤギがそれに対して供犠される草木、彼女がそれをつかむと、さあ、ヤギがその場で屠られます。 さて、彼女(ムウェレ)がここに戻ると、彼女は再び占い板を準備してもらいます。いよいよ占いを打つのです。

1893

Mwainzi: 彼女に硬貨、8枚の1シリング硬貨と、10セント硬貨2枚、5セント硬貨1枚が投げ出されます。一人が自ら進み出て「私は病気です。私のために占いを打ってください。」ここでまた望遠鏡です。(占いを依頼した人がムウェレが述べたことが正しいと同意し)頷き、終われば、この癒しの施術も終わりです。あとは人々は食事します。施術はおわり。仕事はこういうことです。 H: つまり試験は3回ですね。瓢箪子供をつかまえる、そしてヤギがそのために供犠される草木をつかまえる、そして占いを打つ。 Mw: そうです。 Mw: (ムニャジに向かって)ムコバ(mukoba14)を編んでくれる人は見つかったかい?ちょっと、エダウチヤシ(mulala136)は伐採しなかったのかい?ああ、エダウチヤシの葉がここにあれば、あなたが編みなさいよ。 Woman: エダウチヤシはありますよ。 Mw: そもそもあんた、ちゃんと言ってくれないと困るよ。だって、こんな風にンゴマを打つときには、ムコバはその場で編まれることになってるんだから。鶏が刻を告げるときには、ここにちゃんと出来上がってないと。二つ分の大きさでいいよ。ムコバは。あのムルングの子供とキティティ(chititi91)を入れるだけの。

1894 (ンゴマ前の「鍋」、ムレヤ(mureya 薬)と香料(mavumba)の用意)

Mwainzi: ムルングの場合は、その日にちは4日です。鍋を設置したら、ンゴマを告げていいです。鍋がまだ設置されていないのに、ンゴマを告げたりしますか? さて(施術師が鍋を据えに)やって来たら、さあ、(施術師は、持ってきた)その草木を(土器片の上で)煎ります。草木を煎り終わったら、さあ(鍋のための)ンゴマが打たれます。さて、採集された数々の草木は、施術師が再び持ち帰ります。(施術師は)さらに草木の根を掘り出しに行き、(キナンゴの町にある)商店で例の香料を購入します。香料を買うと、帰ってそれを彼の草木(複数)といっしょに細かくすりつぶし、香料と草木と(草木を煎って作った)あの黒い粉(mureya92)といっしょにすりつぶします。 さて、もし彼(施術師)が憑依霊ライカの患者を得たら、彼は香料の(瓢箪の)舌(lulimi137)を上下させ(香料を呼び覚まし)ます。ムルングの(瓢箪)子供を持ってきます。香料(の瓢箪)をこんな風にして、こんな風に傾けて(香料を布の上に振り出します)。このムルングの瓢箪子供は、油(ヒマ油)を手に入れて、ここ(香料を振り出した布の上)に垂らして、(それを包み込むように布をひねって紐状にし、それで患者の上腕部を)縛る。さあ、その子供(患者)がライカに(キブリ52)を持ち去られていたのなら、その子は治ってしまいますよ。


1895 (浜本は当時、上記の説明がすでに香料と瓢箪子供を用いた、ライカのせいで病気になった子供の治療の話にズレているのに気づいておらず、よくわからないまま、瓢箪子供の作り方についての質問を続けている)

Hamamoto: つまり、その黒い粉薬(mureya92)と、油は、瓢箪子供に入れるのですか。 Mwainzi: そう。これらの香料も。彼は、あなたが(キナンゴで買って)もってきたあれと同じような布切れを持ってきます。そしてその布切れをこんな風に置きます。そして黒い粉薬の瓢箪をもってきて、ここに置きます。黒い布切れのところにね。そして香料の瓢箪を持ってきて、あれらの根と、あれらの買ってきた香料を一緒につき砕きます。さあ、こちらにはこちらの瓢箪、そちらにはそちらの瓢箪。 さて、彼は香料の瓢箪の舌を上下させ(香料を呼び覚まし)、ここに垂らします。その後、ムルングの瓢箪子供を持って来てそのなかの(ヒマの)油10を、ほんの少し垂らします。または中の小さな埃を掻き出して、少し垂らします。もし油が切れていて、無いならです。あとは結ぶだけです。 子供が病気です。身体が熱い。または腹がぐるぐる鳴るのかも。下痢も少し。病院にはすでに行った。行ったのだがだめだった。曰く、「この問題はドゥルマのやり方(で解決するべき)問題です。」ってね。

1896

Mwainzi: さて、(病人が)ここのような場所にたどり着く。そこであれら(上で述べられた処置)を調えてもらいます。さあ、病人は護符ンガタ(ngata7)を結んでもらう。次は、「嗅ぎ出し」をしてもらう(adze azuzwe53)。嗅ぎ出しをしてもらって、それが終わると、次は護符ピング(pingu8)を縫ってもらいます。この(瓢箪のなかの)薬と、あの嗅ぎ出しに行った先から持ち帰ってきたもの。さて、紙に男女(の憑依霊の)絵が描かれる。この紙が下になる。そしてその薬が上になる。それから、それはあなたが買ってきたこの布切れといっしょに縫われます。それから、布にはビーズが縫い付けられます。病人は、ちょうどこれ(彼が袈裟懸けに身につけているピングを指しながら)みたいに、それを身に着けます。ピングはこんな風に作られます。ビーズをこんな風に付けて、患者が身につけるためにね。 H: ちょっと戻っていいですか?今日与えられる瓢箪は、3種類でしょうか。キティティ(chititi)の瓢箪、ムァナムルング(mwanamulungu)の瓢箪、ムレヤ(mureya)の瓢箪、香料(mavumba)の瓢箪。ああっと、4種類ですね。 (せっかく話に熱が入ってきたところに、冷水を差す浜本である)。 Mw: はい。さて、ここを去って、ここが終われば、さあ、さらに別の憑依霊たちに(外に)出てもらうことになるでしょうね。例えばキリク(ichiliku74)とか。

1897

Mwainzi: さて、それら(別の憑依霊たち)が出されたら、それらはそれらで自分たちの瓢箪がある。彼女(ムウェレ)は別の草木を示されることになります。さて、それら、また別の草木を、彼女はまた煎ることになるでしょう。また香料の別の草木も、これらの草木に加えられることになるでしょう。別の(瓢箪)がまた(これらのムレヤや香料のために)作られるだろうとは言いません。でも瓢箪子供は別のものになるでしょう。ムルングの瓢箪子供ではなく。キリクの瓢箪子供ということになるでしょう。もし自分の子供を欲しがる別の憑依霊がいれば、その瓢箪子供はそれ独自の仕方でビーズを飾られるでしょう。さあ、また別の旅(大仕事)になります。でも始める者はこの一人の人です。出発点そのものは、この全能の神、それこそが全てを始める者です。あれら別の者たちは、小さい者たち、この者こそが大きい者です。(憑依霊との)すべてのもめ事において、偉大なる者はこの者なのです。というわけですよ。 (ムルング以外の瓢箪子供) 憑依霊ドゥルマ人の瓢箪子供 世界導師の瓢箪子供

 

ムニャジを「外に出す」ンゴマ

1771 ムルングの歌1小屋の中で ドゥルマ語テキスト ムルングの歌2屋外で ドゥルマ語テキスト

Mwainzi: さあ、ムルング子神よ、ンゴマはこれです。降りてこい、降りてこい。

ムルングの歌3 ドゥルマ語テキスト ムルングの歌4 ドゥルマ語テキスト

Man: 施術師の皆さん、ご傾聴ください。 People: 神の。 Man: さて、ご機嫌いかがですか。(男は途中でやって来たため、挨拶するために演奏を止めさせたのである) People: 私たち、問題はありません。あなたはいかがでしょう。(通常の挨拶のプロトコルが続くが書き起こしはそれを省略している)

(太鼓演奏再開) [ムルングの歌5](書き起こされていない。以下NT(not transcribed)と記す) ムルングの歌6 ドゥルマ語テキスト [ムルングの歌7~10](NT) (ムニャジの兄が食事の用意がやっとできたと伝えてくる)

男1: 私もそのうちンゴマに馴れるでしょう。来年くらいには、私もね。私は問題を提起しているんです。私はここでは黙っているなんておっしゃらないでください。私が言いたいのは、あなた方、あっちで腹一杯になってはいかがですか、ってことです。それとも皆さん、食べるのが嫌いなんですか。 演奏者A: いや、いや。私は食べるのは、もうけっこうです。むしろわたしはンゴマと歌が好きだ。 演奏者B: はあ、別の霊(の歌)に変えましょう。もしこの人(ムウェレのこと)がもういいというのなら、(この霊の歌は)終わり。このンゴマには歌がお似合いだ。

1772 [キツィンバカジの歌、数曲](NT)

演奏者A: 彼女の中には霊はいなさそうだ。

[ムクヮビ(クヮビ人)の歌] (書き起こしでは何の霊の歌か不明となっているが、書かれている歌詞の断片から判断すると憑依霊ムクヮビ人138の歌である。書き起こされている部分と、想定される全体を以下に示す)

ションゴリオ、ションゴリオ エエ ブラ エエ

(参考: ムクヮビ人の歌 1993年12月1日のンゴマより) (solo)

hoo nariwa wee ホー、わたしは食べられる、ウェー hoo mukpwaphi wee ホー、ムクヮビ、ウェー dzana napiga hati 昨日、わたしは誓いをたてた nichamba nolab'e, ga pindi nagaricha 私を殺すがいいさ、昔のことはもう捨てた tsitsuma mukaza mutu 私はもう人妻を口説きません (chorus) shongoliyo shongoliyo hee mbura he ションゴリヨ、ションゴリヨ、ヘー、ブラヘー shongoliyo shongoliyo hee mbura he139

[曲名不詳](NT)

演奏者: キズカ(chizuka140)を忘れているのでは? Mwainzi(Mw): はー、どこに忘れるというんですか(忘れたりするもんですか)。彼らがここにいたら... 演奏者: じゃあ、早くあなたの子供たち(治療上の)に、用意するように言ってくださいよ。 Mw: これらの太鼓を演奏する者たちのことですか? 演奏者: そうです。探してきてくださいよ。 Mw: 心配なく。ここに来ますよ。ここに来ると言ってましたよ。あの長老たち。 [曲名不明](NT) [カセットテープ1A終了](おいおい、うそやろ!)

1773

Woman: 彼女が踊り始めたのに、あんたたち彼女を困らせている。その布はカンバ人108の布よ。 (女性はカンバ語で喋り始める NT) (続いてカンバ語の歌 NT) 演奏者: おい、キロンゾさん、おい、こっちへ来て、ここでカンバ風にプオ(puo141)を打ってくれないか? (カンバ語の歌4曲 NT) W: 私にスワヒリ語で喋れと? 演奏者: どうぞ、純粋なカンバ語でお話ください。 (女性再びムニャジに対してカンバ語で語り始める NT) 演奏者: おまえさん、もしカンバ人の太鼓をお持ちだったら、賃貸できるよ。一晩5シリングでね。(女性に対して冗談を言っているらしい) 演奏者: さて、もう我々の言葉の(を喋る)憑依霊に代えようじゃありませんか。 (彼らはドゥルマの憑依霊の曲を4曲演奏する。NT) (憑依霊インド商人143の歌 NT)

1774

演奏者: この人は太鼓を打つときは、ブンブンブ(bumbumbu141)2台で打つんだよ。1台じゃなくてね。 (人々、太鼓の革を締めている) 演奏者: 人が皆のところへ来たときには、まず彼に話させないと。来たらお話する。来て黙っているのは駄目。なあ、(ムウェレの身体の)なかにやって来た者は誰だ?マサイ人か? Munyazi(Mn): 荒れ狂ってるのは(憑依状態をもたらしたのは144)インド商人だよぉぉぉ! Mwainzi(Mw): そうなんだ! (演奏者たちに向かって)ところでムボンデーニ(ボンデーニ人 mubondeni145)の太鼓、あんたたちには打てなかったのかい? 女性: 彼(憑依霊)は打ってもらいたがってるよ。ねえ、一曲だけ打ってあげて、踊らせて、立ち去らせましょうよ。 Mw: あんたたち、試しにやってみてくださいよ。だって、こいつムボンデーニが打てる太鼓打ちはここにはいませんから。一人もいない。 Mn: お前たち打ちなさいってば。そいつに立ち去らせようよ。アーメン! 演奏者: あああ、あんた押し動かされるよ。そもそも(憑依霊が)はまだ動いているのに。

1775

Mwanamadzi(Mm Mwainziの弟子):どこか場所を見つけて、そこで大人しくしていてください。ここには専門家がいないのです、専門家がいないのです。その太鼓をよく知っている者がここにはいないのです。どうかこの者の身体を壊しまくることは、なしです。頭を壊すのはなし、背中を壊すのも、なし、脚を砕くのも、なし、肺を潰すのもなしです。どうか場所を見つけて、よろしく静かにしていてください。この者の身体を壊しまくらないでください。ここには専門家がいないのです。 (歌が始まる。どの霊の歌かは不明(浜本注: と書き起こし者は注記しているが、明らかにスルタン導師146の歌である) ホワ、ホワ、スルタン導師、ホワ 子供は病気 憑依霊に悩まされている ホワ [カセットテープ1B終了](そんな、あんまりな!)

1776

演奏者: おんなたち、いやいややってるな。歌に唱和せずに、布のほつれを噛み噛みしているよ。

(他の演奏者たちも、太鼓の革の張りを強めている) (ムニャジ、憑依状態) (歌い出す。) ムガイ(mugayi148の歌) ドゥルマ語テキスト

私は孤児として生まれました 私の惨めな境遇 お父さんに先立たれました 惨めな境遇よ、お母さん

演奏者: さあ皆さん、ムガイ(mugayi 惨めな者148)の歌を打ちましょう

(ムニャジは泣き出す。人々は太鼓の演奏を始める。)

演奏者: なあ、あんた太鼓に腰掛けるものじゃないよ。 Munyazi: お前たち、私をからかってるのかい? 演奏者: 私たちがなんであんたをからかうっていうんだい?

1777

Munyazi(Mn): もう家に帰るよ。なんだい、お前たち私を知らないのかい。私をからかうのかい。 演奏者: 太鼓はこれであってるだろう、違うかい? Mn: お前たちは私をからかってるんだな、なんと。じゃあ、もう私は立ち去ります。何もおしゃべりしますまい。 演奏者: ああ、ここを去ってどこへいくというんだい。太鼓はこれなのに。 Mn: いや、いや、私はここを去って、家に帰ります。(身内に)死なれた者は、一つの場所すらもていない。ごらん。私は布すら与えられない。もう行くよ。家に帰るよ、人妻は。 演奏者: (あなたが求めている)ンゴマはこれです。そして仕事はこれです。布はこれですよ、ねえ私の友人。 Mn: あいつらが私をからかっているって言っただろう、あいつらが。あいつらは私をからかっている。さあ、私は行きますよ。さあ、私は行きますよ。もう立ち去りまくりますよ。あんたたちが私をからかうから。(身内に)死なれた者には、父も母もいない。お前さん、ンゴマをバカにしている。お前は、ここで自分の仕事が何かもわかっちゃいない。

1778

演奏者2: 私はよく知りません。彼の方がましでしょう。つつがなきこと、そして癒しの術がこのうえなく、たくさんあらんことを。演奏者たちはこの憑依霊についてよく知りません。 演奏者3: この人に言ってください。気分が悪くなる人はこの人に、ちゃんと聞いてもらって。 演奏者: ああ、皆さん「混ぜ合わせ149」ましょうや(クツァンガーニャのリズムで打ちましょうや)。

(憑依霊ドゥルマ人46の歌、続いてライカ55、ライカ・ムェンド60の歌) ドゥルマ人の歌 ドゥルマ語テキスト ライカ・ムェンドの歌1 ドゥルマ語テキスト ライカ・ムェンドの歌2 ドゥルマ語テキスト

演奏者: ディゴゼー(digozee49)を打ちましょう。 (ディゴゼーの歌 NT) 夜が明けた、ウェー... (イキリクの歌 NT) さあ、ウェー、エー...

[カセットテープ2A終了] (ああ、もう!)

1782 (ムニャジ、ソマリ人114で憑依状態) (憑依霊ソマリ人の歌 NT) (人々は太鼓奏者たちが怠惰だと非難)

演奏者: とき解いてください。身体がこのうえなくつつがなきこと。そして癒しの術(uganga)がとてもとても素晴らしいこと。そして人は、言いたいことがあれば、それをとても上手に人に語れること。これこそ、私たちが望んでいることです。 (ニャリ72の歌、2曲。NT) Mwainzi: 私はすこし席をはずしますよ。 (ディゴ人115の歌。NT)

[ムァヴィツヮ怒り出す] (ムニャジ、ムァヴィツヮに憑依されたらしい。しかしムァインジが去り、誰もムァヴィツヮの太鼓と歌を知らないため、お手上げになる。ついにムァヴィツヮ怒り出す)

Mejumaa(Me 女性施術師): 私はあなたが踊りますよう望みます。そしてつつがなきこと、そして良好に進んでいくこと、癒しの術が良好であることを。 演奏者: ねえ、憑依霊ムァヴィツワ116を打って。あなたがた(ムァインジ一行)どこへ行くんですか。

1783

Mwainzi(Mw): マサイ118、マサイ、あなたがたマサイを打ちなさいってば。 演奏者: 彼女ムァヴィツワで憑依してるんだけど。 Mw: いったい、どの女性が? 演奏者: 扇がれている人(ムウェレのこと)ですよ。 Mw: 扇がれている人。じゃあ、彼女に打ってあげてよ。(ムァインジ、去っていく) 演奏者: ムァインジさん、来てあなたがムァヴィツワを打ちなさいよ。実は、私たちはよく知らないんですよ。 Munyazi(Mn): 私はあいつ(ムァインジ)にちゃんと話しておいたのに。なんてこと。ああ、ごらん、もう何の意味があるの?私はもう行きません。絶対行かないわ。さあ、もうごらん、なにもかも台無しよ。さて、御本人はどこにいっちゃったの。わからないわ。あいつに話しておいたのに、ああ。事が不首尾に終わるのは、私にはわかってる。あんた、くたびれ儲けよ、あんた。もう私は踊りませんから。絶対に。踊りません。絶対、絶対、踊りません。何の意味があるの?もう何もかもいやよ。何もかも。 (浜本注: この後の経緯が抜けているようだ)

1784 (ムァインジ、瓢箪子供隠しから戻って来ている)

Munyazi(Mn): 私はもうここには腰を下ろしません。あんたがた、別のことでお話になるのか知らないけど、もうここでの事にはうんざり。 Mwainzi(Mw): 腰を下ろしてください。友よ。私たちは(瓢箪子供を)置き去りにしてきました。

(憑依霊ソマリ人の歌 NT) 憑依霊マサイ人の歌 ドゥルマ語テキスト

Mw: あなた方に今日、お仕事を差し上げます。つつがなきことを。 (デナの歌、その他 NT)

[隠された瓢箪子供を探しに行く] ドゥルマ語テキスト

1786 (ムルングの歌3)

降りてきてください 降りてきてください、空高く昇るムルングよ 降りてきてください、ええ、ムルングよ

(ムルングの歌7)

雨は創造する(土をこねる) 心安らかにあれ 雨は創造する、心安らかにあれ Mwainzi(Mw): さあ、ムルング子神よ、私たちはあなたに仕事を差し上げます。仕事とはこれです。あなたは子供を探し出しに行かねばなりません。子供は泣いていますよ。 Mejumaa(Mej): ムルング子神は仲間を欲しがっています。

(ムルングの歌8)

関節飾り(matungo[^matungo])の女、関節飾りの男 彼らは畑仕事をしない、ウェー、惨めな貧乏人、アイェー

1787 (ムルングの歌3が繰り返し演奏されるなか、瓢箪子供探しは続く)

Mejumaa(Mej): 泣いているよ、おまけに子供は疲れちゃうよ、あんた。癒しの業の狂気を煮て(憑依状態をあげて)、あんたの子供を探しなさい。きっと見つかるよ。その子は、今いる場所で泣いているから。子供に会いに行きなさい。子供は惨めな思いをしているよ。狂気を煮なさいな。それだけ。

(ムニャジ、泣き始める)

Anzazi(Mwainziの妻で施術師、この日は施術師としてではなく客として参加): ねえ、わかってる?子供を探しながら泣くと、子供が見つかったときには死んでるよ。子供を探して、子供を殺そうとしている。子供は両脇腹を押さえつけられて、二度と泣かなくなる。 Mej: 今はただ狂気を煮て。本当に仕事がほしいのなら、どうして子供で頭が乱れるのよ?ああ、さあ、いったん屋敷に戻りましょう。

(人々屋敷に戻って、もう一度最初からやり直す) (浜本注: その後の経緯が抜けている)

(最後の草木でのクハツァ125) 1788

Mwainzi: 私はお前、草木にお話します。今日、この日、お前はメチョンボ(ムニャジの子供名150)に買われました。今日、あなたはムルングです。偉大なるムルング、あなたはメチョンボに買われました。癒しの術の草木としてです。彼女自身の苦しみによって手に入れられたのです。彼女はただ驚いていました。病院もすっかり疲れてしまいました。癒しの術だったのです。今あの子供(瓢箪子供)も彼女自身が言って見つけて来ました。今、今日、私はメチョンボのためにお前、草木をクハツァします。お前草木よ。ついにメチョンボによってつかまれました。私、彼女の父(治療上の)ムァインジが彼女に与えました。そして相棒の施術師はこの者です。 Mejumaa: 草木はこれです。ほかのものではありません。癒しの術の草木です。

[カセットテープ 2B 終了](いや、いや、いや...)

 

ンゴマ歌

(ムルング子神の歌1) 1766

ホー、お前は盗んだ、ホー、お前は盗んだ 妻の父親の家 ホー、お前は盗んだ、ヘー、ホー

(ムルング子神の歌2) 1767

ムァチェ(Mwache151)、ビーズ飾り、私の子供に会いに行かせて ムァチェ、私の子供に会いに行かせて 私の子供に会いに行かせて、ビョー ムァチェ、私の子供に会いに行かせて

(ムルング子神の歌3) 1768 (独唱)

降りてきてください、空高く昇るムルングよ 降りてきてください エエ、私の兄弟たち (以上、何度も繰り返し) (合唱) 降りてきてください 降りてきてください、空を昇るムルングよ 降りてきてください、施術師の方々

(ムルング子神の歌4) 1769

祖霊に祈ります、ヨー、祈ります 私は祖霊に祈ります、ヨー、おだやかに 祖霊に祈れ、ムルングに(誰かのために)祈ってください 私に祖霊に祈り、祈らせて、ヨー

(ムルング子神の歌6) 1770

ムボゼ(女性の名前) あなたはムボゼを盗んだ あなたはムボゼの親の家を盗んだ あなたは盗んだ、へー、フォー 私は肉を食べた、エー 私は肉を、女たちを食べた 私は食べた、エー

(憑依霊ドゥルマ人の歌) 1779 (solo)

ドゥルマ人子供、難儀がいっぱい 泣かないで、我が子よ、お前は美しく生まれました (合唱) 泣くな、子供よ、ウェー お前は可愛く生まれました、ウェー

(ライカ・ムェンドの歌1) 1780

ライカ・ムェンド、ホーワー 降りてきて、池で水を浴びなさい 地下界のライカ・ムェンド 降りてきて、池で水を浴びなさい

(ライカ・ムェンドの歌2) 1781

ライカ・ムェンド、ウェー お父さんに呼ばれました、ウェー なんと、お前は素早い者、ホーウェー お父さんに呼ばれました なんと、お前は素早い者

(憑依霊マサイ人の歌) 1785 (独唱)

マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。 マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。 (合唱) マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。 マサイ施術師、私はタンガ(タンザニアの海岸部の都市の名前)のニュースを尋ねます 山で何があったのですか。戦闘。

 

注釈

 


1 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza2)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる3。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている4。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
2 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
3 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供4がある。
4 不妊の女性に与えられる瓢箪子供3。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神1がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande5)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料9)、血(ヒマ油10)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
5 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符6。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
6 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata7)、パンデ(pande5)、ピング(pingu8)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
7 護符6の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
8 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符6の一種。
9 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
10 ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
11 ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)1との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
12 その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)13であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
13 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba14)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji)とも呼ばれる。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)15や母(女性施術師の場合)16ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
14 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
15 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」13を参照されたい。
16 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」13を参照されたい。
17 ムカカジ(mukakazi)「僚妻」。一夫多妻婚において、自分の夫の他の妻をムカカジと呼ぶ。
18 ムコイ(mukoi)「交差イトコ」。父の姉妹(tsangazimi)の子供、母の兄弟(aphu)の子供。ムコイどうしは互いに「冗談関係」にあり、会うたびに冗談を言い合ったり、嘘を吐いたり、いたずらを仕掛け合ったりする。ムコイとは結婚することも可能。一方平行イトコは単にンドゥグ(ndugu「兄弟」であり「姉妹」)であるので結婚も性関係も不可。
19 フィンゴ(fingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso20)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine21)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
20 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。
21 マジネ(majine)はjineの複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲う、など。憑依霊のjineと、一応区別されているが、あいまい。fingoのような埋設呪物も、供犠を怠ればjineに変化するなどと言われる。
22 熱心過ぎるキリスト教徒のカタナ君は、異教の儀礼には参加できないというので、ほとんどの行事や治療等はいつも私が独りで行くのが、1983以来の私の調査の基本スタイルになっていた。カタナ君は私が録音してきたものを書き起こし、それを私が読んでわからないところをしつこく質問し、カタナくんがそれに答えてくれるというわけ。1989年の調査からは、書き起こし要員が2人に増えたが、私への説明係はもっぱらカタナ君という格好になっていた。冒頭のreviewというのがその作業。
23 クミタ(ku-mit'a)。「突き立てる」「差す」を意味する動詞だが、「鍋」nyunguやキザchizaを「設置する」という意味でkpwika「置く」と並んで用いられることが多い動詞。
24 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza2、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttp://kalimbo.html.xdomain.jp/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
25 メソモ(mesomo)。一夫多妻婚において、生みの母以外の父の妻のことを、子供はメソモ(mesomo)と呼ぶ。
26 マブィンガーニ(maphingani, sing. phingani)。ドゥルマにおいても近親の異性との性関係は不適切で、さまざまな災いを引き起こすと考えられている。こうした性関係がもたらす異常な状態をマブィンガーニと呼び、それが引き起こす災いや症状をキティーヨ(chitiyo, pl. vitiyo)と呼ぶが、両者を互換的に用いる人々もいる。この概念を日本語の「近親相姦」と翻訳するのは不適切である。例えば、父と息子や、2人の兄弟が一人の女性(たとえそれが町の売春婦であっても)と誤って性関係をもってしまうと、それもマブィンガーニになるからである。それはその女性との性関係によって、父と息子、あるいは2人の兄弟が「混じり合う」が故にマブィンガーニなのだと言われる。この概念についての詳しい分析は〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章参照のこと〕。こうした不適切な性関係によって引き起こされた状態を解消するためにはクヴォリョリャ(kuphoryorya27)と呼ばれる手続きが必要になる。
27 クブォリョリャ(ku-phoryorya)。不適切な性関係によって生じた状態、マブィンガーニを解消するための手続き。混じり合ってしまった全ての人々が地面に互いの脚を重ね合いながら一列に座らされ、施術師によって一匹の(深刻な場合は8匹までの)ヒツジが彼らを周回させられた後に、通常の殺し方ではなく、生きたまま腹部を刺され、胃の内容物を取り出した後に、首を切って屠殺される。その胃の内容物は、特別な草木の薬液に混ぜ合わされ、全員に振り撒かれる。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章:162-172〕
28 fundoは縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをkuhatsaと呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、kuhatsaの手続きがしばしば挿入される。
29 キナンゴからヴィグルンガーニを経てサンブルに至る道の途中の地名。プーマ・ロケーションのチーフのオフィスがあった。
30 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「糞」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi31)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari32)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)54」とライカ(laika55)およびシェラ(Shera73)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師39を「外に出し」てもらうことになる。
31 ムニャジ(Munyazi Mechombo)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジの夫婦。
32 私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師33などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze34を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba35)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)39」とドゥルマ人(muduruma46)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri52)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza53)」をつかさどるライカなど、多くの霊をもっている。
33 憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
34 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
35 民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」36、香料9と海岸部の草木37の鍋24。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
36 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
37 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術38においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba9)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande5)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu24)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
38 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
39 世界導師40、内陸bara系41であると同時に海岸pwani系42であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」45)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
40 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia39)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
41 非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。
42 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume43)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani44)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
43 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」の意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
44 スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」37による鍋(nyungu24)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe36)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu8)。
45 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia39)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
46 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性47)、カシディ(kasidi 女性48)、ディゴゼー(digozee 男性老人49)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
47 憑依霊ドゥルマ人(muduruma46)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
48 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma46)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
49 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo50)マンダーノ(mandano51)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
50 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
51 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
52 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza53と呼ばれる手続きもある。
53 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri52)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。この施術は、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」とも呼ばれる。
54 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
55 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi56)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka57) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri52)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi58など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo60,laika mukusi61など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe62, laika ra nyoka62, laika chifofo65など。(4) その他 laika dondo66, laika chiwete67=laika gudu68), laika mbawa69, laika tsulu70, laika makumba[^makumba]=dena71など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze2)で薬液を浴びる、護符(ngata7)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza53)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
56 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
57 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
58 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni59)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
59 キツツキ。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)
60 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
61 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
62 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira63)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka64)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
63 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
64 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
65 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
66 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi56)の別名ともいう。
67 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
68 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
69 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
70 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
71 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari72)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande5)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
72 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)53」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena71が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee49)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande5には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
73 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)53、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす54)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku74)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
74 憑依霊シェラ(shera73)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
75 瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。ndonga.jpg
76 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。
77 瓢箪子供、特定の憑依霊についての施術師は、その就任に際して瓢箪を授与される。複数の霊が単一の瓢箪を共有する場合もある。瓢箪をもたない霊(特にイスラム系の霊)もある。1992年の時点でチャリが持っている憑依霊の瓢箪子供は、mulungu(musambala, chitsimbakazi)、muduruma、mwalimu dunia(jinja, kalimanjaro)、shera(laika, mudigo)、dena(nyari)だった。なお、施術師がもつ瓢箪子供とは別に、不妊問題をもつ女性に与えられるchereko4と呼ばれる瓢箪子供もある。
78 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o)、シェターニ(shetani)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。
79 「お前は(霊に)満たされていなければならない」
80 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
81 ウェル(weru)ブッシュ一般を指すが、同じくブッシュの一種である tsaka(人が入り込めないほど低い木が生い茂った場所、「森」)、mukalakala(まばらに木の生えたブッシュ)、musuhu(大木が生い茂った場所、「森林」)、vuwe(草が密生している場所、状態、「草むら」)などとの対比では、木がほとんど生えていない草原、ブッシュのなかの空き地などになる。
82 ヤギ, ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊
83 ドゥルマの色彩名称。形容詞:「白い」 -eruphe; 「黒い」-iru; 「赤い」-a kundu(茶色も含む); 「青い、緑の」 -chitsi(chanachitsi)
84 ク・ツィンザ(ku-tsinza)。「(ナイフで)切る」「喉を切って殺す」「屠殺する」
85 マツォ マフ(matso mafu)。「素面(しらふ)」(字義通りにはmatso=目 -fu=固い、固い目=素面)。憑依霊の文脈では、憑依状態にない、素面であるの意味。「憑依状態にある」ことは、kugolomokpwa 以外に kukala t'ele(字義通りには「満たされている」、なおこれは、酒に酔っているという意味でも用いられる)
86 キナンゴの町にほど近いマゾラ(Mazora)地区は、カンバ人(ドゥルマの地域に隣接する民族集団)の人口が比較的多い。植民地時代に移住してきた人々だという。
87 キデム(chidemu)は布の端布一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、施術の過程で必要となる3種の短冊状の布を指す。それぞれの憑依霊に応じて、白cheruphe 赤cha kundu 黒(実際には紺色)cha mulunguが用いられる。この場合、白はlaika、赤はshera、黒はmulunguとarumwengu(他の内陸系憑依霊全般)を表す。
88 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
89 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
90 瓢箪やカボチャの種を指すのにモヨ(moyo, pl. mioyo「心、心臓」)という言葉が用いられる。瓢箪子供を作る際には瓢箪の種を取り出して捨て、代わりに草木の根を削って作るパンデ(pande, pl. mapande)を「心」として入れる。こちらの「心」にはroho, moyoともに用いられる。
91 キティティ(chititi)。占い(mburuga)に用いる、中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れた小型瓢箪のマラカス。
92 ムレヤ(mureya)。黒い粉末の薬。草木や、さまざまなものを煎って炭にして粉状にしたもの。黒い薬(muhaso mwiru)、煎った薬(muhaso wa kukalanga)、ムグラレ(mugurare)などとも呼ばれる。
93 ク・カランガ(ku-kalanga)、「炒める、煎る、揚げる」などの意味を持つ動詞。
94 「子供が泣いているよ。自分で探しておいで。」
95 「子供が泣いているよ。さあさあ。」
96 「子供が犬に食べられちゃうよ。」
97 ムカンバ(mukamba, pl. mikamba)子供を抱いたりおぶったりするための肩から斜めがけに回して用いる布。
98 ミヒーニ(mihini)。字義通りには「草木の場所に」だが、「草木を採集する行為・作業」の意味で使われることもある。「外に出す」ンゴマの文脈ではムツァンゾーニ mutsanzoniという言葉が用いられることもある。
99 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
100 キパーリャ(chiparya, pl. viparya)。小型の細長い瓢箪。酒を飲むコップとして用いられる。
101 憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
102 ングオ(nguo)。「布」「衣服」の意味。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。多くはカヤンバなどにおいてmuwele12として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
103 ムイショ(mwisho)は「最後、終わり」。muhi wa mwisho 「最後の草木」
104 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。
105 皮膚などの小刻みな痙攣、ひくつき
106 占い。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
107 動詞 ku-golomokpwa は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。
108 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai109)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ109を参照のこと。
109 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
110 ヅル(dzulu)。名詞として「上」、副詞として「上に」。
111 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である
112 ムコンゴ(mukongo, pl. akongo)。「病人、患者」を意味する名詞。病気はウコンゴ(ukongo)。
113 「試しただけさ」「話しただけさ」
114 憑依霊ソマリ人。民族名をもつ憑依霊。イスラム系。剣を要求する。
115 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
116 ムヮヴィツワ(mwavitswa)。憑依霊の一種。ヴィツワ(vitswa)は名詞キツワ(chitswa,「頭」を意味する)の複数形であるが、「気狂い」の意味になる。「気狂いである」は字義通りには「ヴィツワをもっている」という意味の句 kukala na vitswa で表現する。ムァヴィツワに憑依されると、人は友人たちと意見を同じにすることができなくなったり、友人の丁寧な物言いに対して、悪罵で答えたり、卑猥な表現を叫んだりする(ku-hakana)。要求は、白い布(赤い線が刺繍されているもの)。
117 クタブクヮ(ku-taphukpwa)。「初物を食べる」「課せられていた禁止を解く」「呪詛(キラボchirapho)を解除する」などの意味を持つ動詞クタブラ(ku-taphula)の派生形。stative クタブカ(ku-taphuka)は病気などを主語にして人を「解放する、正常な状態に戻す、呪縛を解く」などの意味をもつ。クタブクヮはその受動形。例えば酔っ払っている人の酔が覚めることは"Hamamoto yutaphukpwa ni uchi sambi"(字義通りには、浜本は今、酒によって呪縛を解かれた(正常な状態に戻してもらった))=「浜本は今、酔いがさめた」となる。憑依の文脈では「霊が去って憑依の状態が終わる」ことを意味する。
118 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai119 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande5)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka120)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
119 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
120 「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を mtso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
121 「子供が泣いているよ。疲れているよ、子供が。」
122 施術師が「嗅ぎ出し」ku-zuzaなどで使用する短い柄の蝿追いハタキ(fly-whisk)。
123 「すごく匂う」
124 長声、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声
125 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。
126 ウキゴ(uchigo)。「柵」「バリケード」
127 ツァンガジミ(tsangazimi)。父の姉妹。
128 キブーリェ(chiphurye)。「無視」。動詞ク・ブーリャ(ku-phurya)「無視する、相手にしない」より。「キブーリェの人(mut'u wa chiphurye)」とは他人の言うことに耳を貸さない、丁寧な依頼も相手にせず、無礼に拒絶する、といった人間を指す。人として好ましくない人格だと考えられている。
129 ハンガ・イヴ(hanga ivu)。直訳すると「熟した服喪」。死者のハンガ・イツィの数年後に開催される。父系親族集団(ukulume)はクラン(mbari)、ムランゴ(mulango, 「戸口」を意味する)、ニュンバ(nyumba, 「家、小屋」を意味する)、ムジ(mudzi104, これは父系集団というよりも居住集団であるが)に分節するが、ハンガ・イヴを開催するためにはニュンバレベルの話し合いで許しを得る必要がある。ハンガ・イブにはいくつものダンスや演奏集団が招待され(最近では車のバッテリで音響システムを駆動するディスコも人気だ)、主宰者の屋敷の周囲の広い敷地が会場になる。広い範囲から客が集まり、出店や簡易食堂なども出され、徹夜で賑わう。かつて(30年ほど以前)は、ハンガ・イヴを開催して初めて死者の財産や残された未亡人の相続が行われていた。死者の霊(祖霊 k'oma)に対する供犠は、ハンガ・イヴを開催したあとでしかできなかった(今日でも)。祖霊のもっとも執拗な要求は、早く自分のハンガ・イヴを開催せととの要求である。
130 フング(fungu)。施術師に払う料金
131 当時1ケニア・シリングは日本円で10円を少し切る辺りだった。
132 カザマkadzama。本来はヤシ酒を入れる大型の瓢箪製の容器を指す。しかし「ヤギとカザマ mbuzi na kadzama」は、長老からアドバイスを受けるとか、他のクランの所有する土地に一時的に小屋を立てる許しを得る、父の呪詛(mufundo)の解除を願うなど、さまざまな機会に差し出す課金を表す表現になっており、もちろん文字通り(昔ながらのやり方で)本物のヤギとヤシ酒を差し出してもよいのだが、本物を出せという明確な指示がない限り、金銭に換算して支払われるのが普通である。カヤンバ奏者たちが要求する際には、わざわざ酒のカザマ2つとお金のカザマ2つなどという形で要求する。いくらになるかは交渉次第だが、お金のカザマに関しては私の調査期間中は20シリングと相場が決まっていた。当然酒の方が高くつく。
133 これはンゴマの直前の「招待の鍋」(今回のケースではムルングの鍋でもあった)で、その内容物は施術師によって捨てられねばならないという決まりだった。他の鍋の場合は、場合によるが、施術師の手を煩わせるまでもないこともある。
134 マトゥミア(matumia)。地面の上での手を使わない一回きりの無言の性行為。ドゥルマにおいてはマトゥミアはさまざまな機会に執り行われねばならない。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第8章〕
135 バオ(bao)。スワヒリ語で「占い板」。ドゥルマでは占い(mburuga106)には穀物をより分ける箕(lungo111)を地面に裏返しに置いたものを用いる。その上に灰をまいて、中指で線を引きながら占う。クピガ・バオ(ku-piga bao)はスワヒリ語であるが、クピガ・ムブルガ(ku-piga mburuga)と同じく「占いを打つ」という意味で用いられる。
136 ムララ(mulala, pl.milala)。「エダウチヤシ」(doum palm)。その葉の繊維はマットや籠などを編むのに用いられる。
137 ルリミ(lulimi)。「舌」を意味する名詞。ndonga(瓢箪)の栓の瓢箪内部に入っている部分もlulimi舌と呼ばれる。
138 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
139 クヮビ語(マサイの話すマー語の一種)の音真似
140 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
141 木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri142)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。
142 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
143 イスラム系(!)憑依霊の一種 Baniyaniは「インド商人」。この霊をもつと牛肉が食べられなくなる。食べると病気になる。また母乳が飲めなくなる。なんでも昔々、バニヤニの祖先が死に、後に赤ん坊を残した。この赤ん坊は牛の父で育てられて、牛を自分の母として育った。バニヤニに取り憑かれると赤ん坊は母乳が飲めず、牛乳のみを飲む。母乳を飲むと重い病気になる。護符pinguで治る。カヤンバを打っても踊るだけで、そこではkakuna maneno manji(あまり大したことはしない)。
144 ク・チャフア(ku-chafua) は「汚くする」「かき乱す」「興奮させる」などの意味をもつスワヒリ語だが、ここでは患者を golomokpwa させる(憑依状態にする)の意味で用いられている。ク・チャフクァ(ku-chafukpwa)はその受動態の一種で、ほぼ ku-golomokpwaと同義。
145 民族名の憑依霊、ボンデーニ人(正確にはボンデイ人、Bondeni or rather Bondei)。タンザニア海岸部の後背地に住むバントゥ系農耕民。ミジケンダに属するディゴとサンバー人らとの混合民族とも言われる。
146 イスラム系憑依霊「スルタン」、スルタン導師 mwalimu sorotani、スルタンアラブ人 Mwarabu sorotani、スルタン・ムァンガ sorotani mwangaなどとも同じとも。jine mwanga147と同じともいう。イスラム系の霊として不潔なもの(尿、精液など)を嫌う。
147 =sorotani mwangaとも。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
148 憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは「困窮者」
149 カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
150 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
151 クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni152と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
152 異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。