ミジケンダ(the Mijikenda)はその多くがケニア海岸地方(Coast Province)に暮している。「9(kenda)の村(miji)」を意味するその名称が示すとおり、ギリアマ、カウマ、カンベ、リベ、ジバナ、チョーニ、ラバイ、ドゥルマ、ディゴの9のサブ・グループからなっている。人口は全体で約73万人(1989年の人口調査による)。それぞれのグループは北東海岸バントゥ(Sabaki Group)に属するバントゥ系の諸方言を話しているが、各方言は相互に理解が可能である。またスワヒリ語ともきわめて近い関係にある。スピアは彼らの口頭伝承をもとに、ミジケンダがソマリアとの国境付近のシュングワヤと呼ばれる起源の地からオロモ系の牧畜民(ガラ)に追われて、16世紀末から17世紀にかけてケニアの海岸地方に移動してきたとしている。一方、彼らのミジケンダとしての共通の意識自体は、英国植民地下でのスワヒリ人との相互排除の過程で生れてきたものに過ぎないという研究もある。少なくともドゥルマをはじめとするいくつかの集団は、雑多な起源の人口を取り込むことによって19世紀末から20世紀半ばにかけて急激に膨張してきたことが知られている。
私が研究してきたドゥルマは、クワレ・ディストリクト(Kwale)の海岸沿いにはしる山脈の内陸側に広く広がって暮している。トウモロコシ栽培を中心とする農耕主体の生活を営んでいるが、西部のより乾燥した地域では牧畜の重要性も高い。若者の多くはモンバサやウクンダなどの海岸部の都市への一時的出稼ぎをおこなっている。人々は広いブッシュによって隔てられた比較的孤立した大きな屋敷で生活し(町およびその周辺部では別だが)、こうした屋敷のつつがない平穏を維持するためのさまざまな手続きをもっている。キリスト教やイスラム教への改宗者を除いて、多くの人々は自らを「無宗教」であると語るが、日々の実践的問題に深く結びついたさまざまな宗教的と呼んでも少しもおかしくない観念にはこと欠かない。病院や診療所の西洋医学ではらちがあかないとされるさまざまな病気や災いは、やっかいな霊(憑依霊)どもや他者の悪意(妖術・邪術)と結びつけてとらえられている。私の研究テーマは、人々にとって最大の関心事である屋敷とそこに属する人々の幸・不幸に直結したさまざまな手続きや、屋敷の平穏をおびやかす種々のエージェントに対処する実践である。
.....といきなり固くなってしまいましたが、このコーナーではミジケンダに関するさまざまな情報を紹介していくつもりです。
最終更新 June 5, 1997
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