憑依霊としての白人修正集

このファイルは「憑依霊としての白人」についての訂正箇所についての情報を読者に与える。

★1
ケヤ(keya)は KAR つまり Kings African Rifles の読みがなまったもの。こういう基本的な事実を書いていないとは。

★2
憑依霊の場合、「信心する」の意味では kp'amini --「信用する、頼る、信頼する」というニュアンスが強い -- よりも、より近いのは ku-shiriki --「仲間になる、結びつく」というニュアンスもある --だろう。

★3
この最後のポイントは誤りであった。その後の調査によって憑依は圧倒的に女性中心であることが判明した。必ずしも女性が多いとは言えないという判断は、その当時私が滞在していた屋敷--その最年長者がこの論文でも登場する故M氏で、彼自身が憑依霊の病いの治療者であり、彼の交友関係を通じて、私は男性の患者や治療者がけっこう多いという印象をもったのである。病気の原因が憑依霊だと診断されるという点だけに関して言えば、男女の差はそれほどでもないという印象がある。男性の場合はお金はかかるが地味な治療で事がすむイスラム系の霊の仕業と判断されることが多く、一方女性の場合はお金はかからないが、最終的には金もかかる派手な徹夜のカヤンバ儀礼に行き着く「内陸系」の霊の仕業とされることが多い。

★4
この節は、恥かしくなるような間違いがもっとも多い節である。ごめんなさい、ごめんなさい。
一番ひどいのが「祖霊の妻」。 muchetu wa k'oma で、ドゥルマ語ではたしかに k'oma は祖霊なのだが、これはディゴ語であると判明した。ディゴ語では動詞 ku-koma は「気がふれる」という意味で、したがって muchetu wa k'oma は「きちがい女」という意味。これはディゴ起源とされる霊キリク chiliku の別名の一つで、キリクは重要な憑依霊が一般にそうであるように、そのさまざまな側面を表わす多くの別名をもっている。シェラ(shera)という別名はギリアマ語の「ホウキで掃く」を意味する ku-shera から来ており、「胸をホウキでなすられたような」症状から。さらに「髪長女(mwadiwa)」「重荷を背負った女(muchetu wa mizigo)」「おしゃべり女(chibarabando--ディゴ語では『雷鳴』らしい)」などの別名も。
「葬式(mwahanga)」も、葬式そのものを指しているというよりも、それと結びついた人として考えられている。したがって「弔い女(男)」と呼んだ方が正確だった。自分の父や母が死んだ、もう帰ってこないといって泣いてばかりいる。カヤンバの席でも歌が始まるといきなり泣き出すので mwahanga が憑いたと知れる。
「100シリング(magana)」は、別にお金そのものではなく、「大金持ち」を換喩的に指す表現であると判明。憑依霊「アラブ人」の一種、あるいは「アラブ人」の別名でカヤンバの席でお金を見せられるとおお喜びしてみせる。「先生」は特定の職業の「霊化」というよりも、単に一群のイスラム系の霊に対して冠せられる敬称であることが判明。「スディアーニ師(mwalimu Sudiani)」「コーラン師(mwalimu kuruani)」など。「山」と紹介した muchirima はムキリマと呼ばれる太鼓を指しているのかもしれない。しかし山のことだと説明する人もあり、不確定。
ライオン(tsimba)は、ジネ系の霊の一つ、ジネ・ツィンバ(jine tsimba)であった。ジネ系の霊は、犠牲者の血を奪うのだが、その手段がさまざまである。ジネ・ツィンバはライオンのように鋭い爪で襲い掛かるのでそう呼ばれているのだとされ、けっして自らがライオンであるわけではない。しかし彼を描いた絵ではライオンの姿で描かれている。同様に「牛(ng'ombe)」も、ジネ系のジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)のことであった。この霊に襲われると、牛がナイフで屠殺されるように、喉をかき切られたように血を奪われることから、この名で呼ばれると説明される。と言うわけで、これもウシの霊だというわけではない。それでいて、絵では牛の姿で描かれる。犬と紹介したムドエ(mudoe)も部族名らしく、単にイヌが治療の必需品--ちょうど香水が「ムミアニの白人」の必需品であるような意味で--だというだけで、イヌの霊というわけではないらしい。サンバラ人も同じように犬を必要とする。ムドエが黒犬であるのに対し、サンバラは赤犬を必要とする。太陽として紹介した dzuwa, sandzuwa はギリアマ人の別名、あるいは仲間として説明されることが多い。しかし「太陽」とも結びついている。占いを司る霊であることが知られている。「死体」として紹介したジキリ・マイティ(dzichili maiti あるいは zikiri maiti)はジキリと呼ばれるイスラム系の霊の一種で、ジキリ・マウラナとジキリ・マイティの2種類がある。ジキリはもちろんスワヒリ語で dhikiri と呼ばれるイスラムの儀礼からきている。ジキリ・マイティが引き起こす症状は死体(maiti)のように硬直して体が冷たくなるなどでそこからそう名付けられているらしい。しかし患者は葬式を避けなければならないとか「死体」との連想も強固だ。
とにかく6ヶ月やそこらの調査で書いたことは無謀というしかない。間違いだらけで恥かしい。ごめんなさい。ごめんなさい。

さらに憑依霊の分類についても、とんでもないポカをやっている。憑依霊の分類で一番重要なのは「内陸の霊 nyama a bara」と「海辺の霊 nyama a pwani」の区別なのに、それをどこにも書いていない。これは知らなかったのではなく、単純な書き忘れ。後者は一般にイスラム系の霊であるとされており、その治療法も内陸系の霊とは異っている。「白人」は「海辺の霊」つまりイスラム系のグループに入っている。通常はこの「陸」と「海」の二分法で充分なのだが、人によっては「上の霊 nyama a dzulu」と呼ばれる鳥たちの霊をこれに加える者もいる。これらは一般にニューニ(きつつき)という名前で呼ばれる。「上の霊」は、その治療法や症状や患者との関係において他とは明確に区別されるし、憑依霊の呪医がその治療にあたることもない。「上の霊」は主として生後まもない子供をとらえ、ヒキツケなどの症状を引き起こす。憑依霊の呪医とは異り、誰でも薬を購入することによってその治療者になることができる。

霊の分類は、これ以外にも、「身体の霊(nyama wa mwirini)/除去の霊(nyama wa kuusa)」--つまり身体に入って患者と一生の関係を結ぶ霊と、除霊(kukokomola)によって取り除くことができる霊--という区別がある。これは霊に対する対処法の違いによる分類だということができるだろう。本論中で唯一言及している「身体を食べる霊」と「子供を食べる霊」の区別は、霊が犠牲者をとらえるやり方の違いによる分類である。さらに各霊は、治療用の瓢箪をもつことになるが、どの霊とどの霊が同じ瓢箪を共有できるかでもいくつかのグループに分けることができる。

★5
だから「祖霊の妻」じゃないってば。「きちがい女」だってば。ああ、はずかしい、はずかしい。以下、「祖霊の妻」はすべて「きちがい女」ことキリクことシェラこと髪長女ことおしゃべり女 etc. の誤り。

★6
これは間違いというよりは、不正確。それもかなり不正確。ライカ(laika)にはおそろしく多くの種類があり、ここで述べたように半身しか持たないのはライカ・グドゥ(laika gudu)と呼ばれるライカの一種についてのみ当てはまる。ライカは一般に、犠牲者のキブリ=影(chivuri)を奪い、奪われた人は悪寒、頭痛などの症状を覚える。その場合の治療法は「嗅出し(ku-zuza)」と呼ばれるやり方で、奪われたキブリを探しだしそれを取り戻して犠牲者に戻してやることである。それを行なうことができるのは憑依霊の治療者のなかでも、ライカについて「外に出された」専門家である。一つ一つについて解説はできないが、以下にライカの一覧をあげる。
laika chibwengo, laika dondo, laika mukangaga, laika tophe, laika manyoka, laika mwafira, laika mbawa, laika tsulu, laika zuzu, laika mwendo, laika jaro, laika chiwete, laika chitiyo, laika gudu, laika bingiri, laika muzuka, laika chifofo, laika nuhusi, laika tunusi, laika makumba

なおこのすぐ下でライカ、キツィンバカジ、キリクが白い犠牲を要求すると述べているのも不正確。キリクは白い犠牲に加えて、赤い犠牲(茶色い山羊、茶色い鶏など)も要求する。キリクを表わす衣装は肩に羽織る赤いケープである。

★7
あまりにも大ざっぱな記述。言うまでもなくムルングのせいで病気になったものの全員が治療者への道を歩むわけではない。憑依霊ムルングの要求が、患者が治療者になることであるというどちらかというと稀な場合に限る。そうなると患者は「外に出る」カヤンバを通じて、治療者にならねばならない。詳しくは1992「子供としての憑依霊」を読んでください。治療者のキャリアの第一段階がムルングの治療者になることである。それで患者の病気が再発しなければ、彼あるいは彼女はムルングの治療者で終わる。ムルングの治療者になっても相変わらず病いに苦しめられると、それは大概、ムルング以外の霊も「外に出」してもらいたがっているからだと解釈される。その場合、患者はさらなる治療儀礼を通じて、ライカの治療者に、さらにキリクの治療者にという具合に、ムルング以外の霊についても治療者になる次なる段階へと進んでいく。

★8
これも過度の一般化。霊によっては特定の症状と明確に結びついているものも多い。例外などではない。ただし、一対一ではないので症状から霊を確定することはできない--それどころか霊以外の理由からも同じ症状は引き起こされうるので、霊による病気であるとすら確定できない--という点は、事実である。


Mitsuru_Hamamoto@dzua.misc.hit-u.ac.jp