憑依霊としての白人:東アフリカの憑依霊信仰についての一考察(註1)

1.序論

旅の支度をせよ 旅の支度をせよ
旅だ、 旅の用意だ
旦那の勝手 旦那の勝手 ケヤの勝手

ケニアのドゥルマ族(註2)のあいだには、白人(muzungu)と呼ばれる憑依霊(pepo)が存在する。そのうちの一人、「ケヤの白人(muzungu wa keya)」★1は、この歌にも歌われているように、銃をかついでブッシュをあてもなく常に旅して歩いている。もう一人、「ムミアニの白人(muzungu wa mumiani)」と呼ばれる霊は、白い半ズボンに白い上着を着て黒人の従者を従えている。水泳を好み、川のほとりや水辺に出没する。一説によると彼はドゥルマの人々を捕えてはモンバサの工場に連れて行き、血をぬきとってその血を輸出しているともいわれる。

彼ら「白人」は、他の憑依霊たちと同様、しばしば人々にとりつき彼らを病気にする。そしてその治療儀礼の席上で患者の口を借りて自分たちの雑多な要求を伝える。こうした要求がのまれると病気は治るが、以後患者はズボンと上着を着用し、白人が被っているような帽子をかぶり、卵を皿からスプーンを用いて食べるなどといった、「白人にふさわしい」振舞いをすることが要求される。こうした振舞いは「白人」を喜ばせ、患者が再び病気になるのを防いでくれる。人々は患者が「白人」を「信心する(kp'amini)」★2ようになったと語る。

ドゥルマ族のあいだには、この「白人」の他にも数多くの憑依霊(pepo)が存在する。憑依霊たちは人々の思惑とは無関係に無差別の攻撃をくりかえし、それによって引き起こされた病気の治癒とひきかえにさまざまな要求を人々に課す。被害者の側には何の道徳的落ち度も、特に思いあたるふしもないのがふつうである。人々の言い方にならえば、憑依霊は単に特定の個人に一方的に「惚れ(kutsunuka)」彼を「捕える(kugb'ira)」のである。こうして捕えられた人々は、病気がなおった後も、それぞれの憑依霊にふさわしい振舞いを採用するよう強いられる。

憑依霊によって引き起こされる病気、「憑依霊の病い(ukongo wa pepo)」の治療にあたるのは憑依霊の呪医(muganga wa pepo)と呼ばれる専門家たちであるが、こうした専門家自身、かつて幾つかの憑依霊にとりつかれ、回復後に自分を捕えている霊にふさわしい振舞いとして治療行為を行なうように定められた人々である。彼らは治療に際して幾許かの報酬を受け取り、ときにその額はかなりのものになるが、これとて憑依霊によって定められた事柄に属しており、これに逆らって無償で治療を行なう「良心的」な呪医を待っているのは、再び彼自身の病気だということになるのである。このように、憑依霊の病いにかかったものは彼に病気をもたらした霊に対して、一生をつうじた関係に入ることになる。

2.周縁的精霊憑依

ドゥルマ族の憑依霊信仰は東アフリカというコンテクストのなかでは、けっして特異な信仰形態ではない。それはルイス(I.M. Lewis)がさまざまな意味を込めて「周縁的精霊憑依(peripheral spirit possession)」と呼んだ、東アフリカにも広く見られる憑依霊信仰の一部をなしていると考えることができる(Lewis 1971: 31)。彼によると周縁的精霊憑依の「周縁性」は次のような特徴によくあらわれている。(1)精霊はもっぱら、あるいは主として、男性優位の社会における女性、成層化した社会における下層民といった具合に、社会の周縁的な構成員にとりつく。(2)精霊の振舞いは気まぐれで、被害者の道徳的責任は問われない。精霊は社会構造や道徳規範を維持する点で何の役割も演じていない。(3)精霊はしばしば当該社会の外部に起源をもつと考えられている。この三つは必ずしも論理的なつながりはもたないが、ルイス自身が調査したソマリ族のサール(sar)信仰をはじめ(Lewis 1969)、彼が問題にするいくつかの典型的なケースでは確かにはっきりと結びついてあらわれる。

彼によるとこうした周縁的精霊憑依は社会的弱者にとっての一種の間接的抗議手段、「遠回しの攻撃戦略(oblique aggressive strategy)」になっているという。つまり精霊憑依は、そうでもしなければ自分を認めさせ要求を聞き入れさせるための通常の手段を持ちあわせていないような社会的弱者や被抑圧者、とりわけソマリのような男性優位の社会における女性たちにとって、彼らの利害にぴったりの形で機能しているというのである。

こうした結論を導くにあたって、ルイスは次の二つのことを想定している。(1)精霊が患者の口を通じて課す要求は、実は患者自身がもっている要求である(それ以外の何でありえようか)。(2)患者は憑依状態において彼女の日常においては決して許されないような地位の上昇を味わう。彼女は丁重に扱われ、その発言のすべては精霊の権威をもって尊重される。これこそ患者が求めているものに他ならない。同様の前提は、ルイスの分析に刺激を受け、それを修正ないしは精緻化しようとするいくつかの試みにも共通してみられるものである(Wilson 1967, Gomm 1975, Constantinides 1977)。

このように、すべてに個人的利害の「偽装」を嗅ぎとってしまう見解が、完全に的外れだというわけではない。実際、露骨に自らの物欲を満たすため精霊に憑依されたふうを装い、それが露見してひどい目にあった女性の例などがこの種の信仰に注目した最も初期の研究以来報告されてきているし(Lindblom 1920)、ルイス自身もこれに類した事例を報告するのに余念がない。当の社会の男たち自身、女性に対するこうした疑惑をあからさまに表明しているというのである(Lewis 1969:207-209)。

しかしながら、我々にとってこれが的外れでないと言えるのは、そもそもいかなる制度も、程度の差はあれ、その「個人的利用」に道を開いているものだ、というなかば自明の事実を追認する限りにおいてである。ある制度の隠された道具性を指摘することは、法学者ハート(H.L. Hart)が「内的見解(internal view)」と呼んでこうした「外的見解(external view)」と区別したところの、その制度の論理に即した制度理解をもたらしてはくれない(Hart 1961:86-88)。そうすることはいわば、結婚詐欺師の行動規準によって結婚という制度を理解しようとするようなものである。

さらに話をドゥルマ族の例に戻すと、こうした形での解明が精霊憑依の理解にとって特に有効であることを疑わせるような諸事実にぶつかる。第一にここでは精霊憑依を特定の人間のカテゴリーに結びつけるような単純な関係は見いだされない。たしかに人々は女性がその「知性(achiri)」と「力(nguvu)」の欠如のゆえに憑依霊の要求に屈しやすく、憑依霊たちの格好の餌食になるという。憑依霊と人との関係は一種の「争い(maneno)」ととらえられており、憑依霊の側でも当然くみし易い相手を選ぶであろうと類推されているのである。実際には人々は、自分は憑依霊にとりつかれることはないという根拠のない自信と確信のなさとの間をゆれうごいており、ひとたび現実の憑依霊の攻撃の前にあってはすべての人間が男女の別を問わず無力であると認めているのである。こうした信仰のもとでは、憑依霊の病いにかかって治療をうけている人々は、彼らの言い方を借りれば、憑依霊に「屈服し」敗北を自他ともに認めている人々であり、彼らの弱気や自信のなさをア・ポステリオリに取り出すことは常に可能である。しかしだからといって彼らを社会的弱者であったというとすれば、それは循環論法を持ち込むことになろう。少なくとも精霊憑依の実際例において特に女性が多いという結果は、私の限られた資料からは出てこない★3

またドゥルマ族のあいだでは、憑依霊の病いは、ごく普通の病気の症状で始まり、心的分離やヒステリー様の発作のような、他で報告されている精霊憑依に特徴的な症状によってそれと知られるわけでもない。従って精霊憑依を、何らかの問題状況に対する個々の患者の自然な心因反応に還元することもできない。それを単純に、社会的コンフリクトの病いであると断定する根拠はないのである。このようにドゥルマ族のあいだでは、憑依霊による病気と社会的諸変数との関係は、あったとしてもせいぜい間接的なもので、しかもきわめて見えにくくなっている。

ドゥルマ族の例は、こうした事実を別にすると、東アフリカに広くみられる「周縁的精霊憑依」とあらゆる類似性を示している。この点でそれは、ルイスらの分析によってはとらえ切れない、憑依霊信仰の諸々の問題点をかえって我々に気づかせてくれるかもしれない。本論ではこうした問題の一つを取りあげ、検討してみたい。

3.ドゥルマの憑依霊の世界

神、祖霊の妻、犬、ライオン、先生、葬式、牛追い、鶏、妖術の呪薬、山、マサイ族、カンバ族、アラブ人、白人、死体、....この一見とりとめのないリストがドゥルマの憑依霊の世界の一端を示している★4。憑依霊は総称では pepo と呼ばれるが、会話などではドゥルマ語で「動物」を意味する nyama という語によって語られる。憑依霊の活動の主な舞台はブッシュで、水辺や古木のうろ、岩穴などを特定の住処とするものと、場所を一定せずさまよい歩いているものとに分かれる。その活動の点で「肉体を食らう霊(nyama aryao mwiri)」と「子供を食らう霊(nyama aryao mwana)」に分られるが、同じ霊が両様の活動をする場合も多い。精霊憑依が問題になるのは前者の場合である。憑依霊には男女の性別があるが(なかには男女の対で存在するものや両性具有のものもある)、別に男の憑依霊が女性に憑き、女の憑依霊が男性に憑くといった区別はない(註3)。各々の憑依霊は冒頭で「白人」についてみたように、それぞれ固有の衣装や持ち物、行動様式(一括して chiryangona と呼ばれる)や食物(karamu)をもち、それらを自分が憑いた病人に要求する。

こうした憑依霊がドゥルマ族のあいだには60以上も存在する。それらは外部世界のさまざまな事物に由来する名を持っており、先に挙げたような雑多なリストを形作る。私が集めた68の憑依霊のうち、正体のはっきりしない22の例を除くと、8つが外部世界にはっきりした対応物をもたない精霊(例えば神 mulungu, 祖霊の妻 ch'iliku, ライカ laika, キツィンバカジ ch'itsimbakazi など)、5つがジネ(jine)と呼ばれる、海岸部のイスラム教徒たちの妖術によって解きはなたれた憑依霊、5つが動物や鳥(ライオン tsimba, 犬 mudoe, キルイ ch'irui など)、4つが「アラブ人」と総称される憑依霊(アラブ人 mwarabu, 先生 mwalimu kuruwani, mwalimu sudiani など)、17がその他の部族の名をもつ憑依霊(マサイ masai, カンバ mukamba, ソマリ人 musomali, ペンバ mupemba, ギリアマ mugiriama, ドゥルマ muduruma, 白人 muzungu など)残り7つがその他雑多な事物と結びつく憑依霊(山 much'irima, 死体 dzich'ilimaiti, 葬式 mwahanga, ある種の妖術に用いる呪薬 fyulamoyo, 牛追い murisa, 太陽 dzuwa, 100シリング(?) magana)となっている。

第一にあげた外部世界に対応物をもたないと述べた憑依霊の多くは強力な霊だとされている。神(mulungu)はすべての憑依霊の筆頭と考えられており、憑依霊の病いの治療儀礼においても真っ先に歌われる霊である。ドゥルマ族には、雨を支配し人の運命の最終的決定者と考えられている至高神 mulungu の観念があるが、憑依霊としての神 mulungu は、この至高神とは別物だと言われ、しばしば「神の子供(mwana mulungu)」と呼ばれたりもする。この意味では憑依霊 mulungu は現実に対応物をもっていないどころか最高の対応物をもっているのだとさえ言える。同じことは祖霊の妻 much'etu wa koma の別名をもつ ch'iliku についても言えるかもしれない★5。mulungu は黒い布や黒いヤギ、鶏の犠牲を要求する。

祖霊の妻 ch'iliku, ライカ laika, キツィンバカジ chitsimbakazi は mulungu に次いで強力な憑依霊たちである。ライカは水辺を住処とする片腕、片足の半身しかもたない怪物で、その後姿を見ただけでも重病になる★6。キツィンバカジは背丈が子供ほどしかない女性として描かれ、バオバブの大木の辺りに出没する。憑依霊たちのあいだに「仕事をふり分ける(kutsimba kazi)」役目があるとも言う。この3つは、白い布、白い犠牲などを要求する(註4)。神 mulungu やこれら強力な憑依霊たちにとり憑かれた者は、回復後は憑依霊の呪医として治療行為に従事せねばならないという★7

ジネ(jine)も、それがしばしば致命的な病気をもたらすという意味で強力な憑依霊だが、その完全な治療には他部族(特にディゴ族)のイスラム教徒の呪医を必要とするという点で他の憑依霊たちとはいささか性格を異にしている。jine という名称自体、イスラム教における悪霊 jinn を思いおこさせる。

「アラブ人」として一括される霊も極めて強力だと考えられており、彼らにとり憑かれた患者は形の上だけにせよイスラム教に改宗することが必要になる。パーキン(D. Parkin)がギリアマ族において、巧みにも「治療上のイスラム教徒(therapeutic Muslims)」と名付けた人々が出現することになる(Parkin 1972:40)。彼らの多くは、イスラム教徒が被るような帽子を被り、汚れた肉を食べることを慎むかもしれないという以外には、イスラムの厳格な戒律には必ずしも従わない。しかしこうした意味では、他の民族、部族の名をもつ霊についても「治療上のマサイ族」とか「治療上の白人」といった同様の言い方がされてもおかしくないかもしれない。というのは、これらの霊も患者に例えばマサイ族の身につけるような赤い布を着、牛乳を食すといった、各霊にふさわしい行動をとらせることになるからである。「アラブ人」を含め、これら種々の部族の憑依霊はドゥルマの憑依霊の世界の最も多くの部分を占め、彼らの信仰の最も顕著な特徴となっている。

最後に種々の動物や鳥の霊、その他雑多な諸事物の霊が、全体にさらなる多様性を付け加えている。これらの霊も異民族の霊と同様、単に対応する外界の事物から名前を借りてきているだけでなく、それら事物の特徴的な行動を受け継ぎ、患者にもそれを要求する。例えば犬の霊 mudoe は、犬の生き血を飲みそれを頭からかぶるといった治療を必要とし、患者は mudoe の犬と呼ばれる仔犬をどこへ行くにもつれあるく。

4.憑依霊としての異人

こうした憑依霊の数の多さに加えて、それらが示す雑多な性格は、ルイスの行なったような分析にとっては明らかに一つの過剰でしかない。周縁的憑依に帰せられる社会的機能を遂行するのに、かくも多数の霊の存在を必要とする理由はない。またこれら霊のそれぞれが、別に異なる病気や特定の症状に対応している訳でもないので(註5)、災因論の観点からみても、これは過剰以外の何物でもないのである。にもかかわらず、これこそがまさに東アフリカにみられる憑依霊信仰を捉えがたいものにしている最大の特徴の一つなのだ。

この点に関する例証は枚挙にいとまがない。なかば期待できることであるが、ドゥルマと同じミジケンダに属するギリアマ族についてもドゥルマとほぼ同様なリストが報告されている(Noble 1961)。リンドブロム(G. Lindblom)はカンバ族のあいだの mbebo と呼ばれる憑依霊について報告しているが、それらは異民族の霊で、その部族にぴったりのさまざまな要求を行なうとされる(Lindblom 1920)。上だが報告するキューソ地区のカンバ族でも ngai と呼ばれる憑依霊は、種々の動物の霊に加えて、マサイ族、ソマリ人といった異族の霊を多数含んでいる(上田 1983:688-689)。同様な報告はケニアのルオ族やタンザニアのセゲジュにおいてもなされている(Whisson 1964, Gray 1969, 阿部 1983)。

北部スーダンのザール(zaar)信仰においては、憑依霊 Zaar は7つのグループに分かれているが、それはさながら、人々の異民族についての知識の総合展示場といった観を呈する。ヨーロッパ人として一括されるグループの中には、ユダヤ人やギリシャ人、フランス人やイギリス人、果ては「ゴードン将軍」といった個人や「電気」までが含まれる(Constantinides 1977)。ザンビアのトンガ族についてコルソン(E. Colson)が提供する masabe 霊のリストはさらに驚くべきものである。彼女のあげる40の霊は、12の動物、7の異民族、「警官」や「兵士」といった4の職名、「汽車」や「飛行機」といった乗り物5つ、「ポンプ」「ギター」といった諸事物という具合に、そこに何らかの統一性を見出すことがきわめて困難なものである(Colson 1969:83-84)。

こうした憑依霊の「完全」な一覧表を作成しようとすることは無益な試みであるかもしれない。というのもこれら憑依霊は絶え間なく増殖する傾向にあるからである。コルソンは「飛行機」の霊の出現を1954年頃としている。一人の女性が頭上を飛んでいった飛行機を見て憑依されたのが始まりだった。彼女は幻視や夢を通じて「飛行機」の要求とそれに結びついた太鼓のリズムや歌、治療に必要な植物の種類などを学び、それを人々に教えたのである。それは「飛行機」に憑かれて病気になる人の増加とともに人々のあいだに広まっていった(Colson 1969:79-80)。北部スーダンでは、新しい霊は夢の中で自らの存在を知らせ、必要な知識を教えるという。こうした新しい霊は、その知識が実際の治療で試され、その有効性が示されるにつれて既存の憑依霊のグループに一員として加えられていくという(Constantinides 1977)。

ドゥルマにおいてはこうした増殖のプロセスに関する公式見解は存在しない。人々は単に自分たちの知らない霊がまだ存在することを知っており、そうした霊の出現に際しては個別的かつ実務的に対応する。私の観察したある治療儀礼の席上、こうした新参の霊が歌の持ち主である本来の霊をおしのけて登場したことがあった。彼は自らを「人に知られていない長老」で「ngai の仲間」だと語り、カンバ族の呪医による治療を要求した。こうした個人レベルでの「革新」は、標準化された知識として受容されるかどうかは別として、とりたてて珍しいことではないと思われる。このケースでも人々は、前代未聞のこの要求に対してためらうことなく対処したのである。憑依霊の世界はきわめて雑多な要素を取り込みうる開いた世界で、人々自身その全容を知り尽くしているわけではないのだ。

憑依霊の世界は容易には我々の理解を受け付けない。確かに憑依霊たちのあるものについては、我々は別段奇異の念を抱くことなくそれらの表象を受け入れることができる。人々の文化的想像力によって純粋に析出してきたかのように見える霊たち、身体の片側しかもたないライカや矮人キツィンバカジ、尾を持つ半人半獣のゴジャマなどは、それなりの特徴をそなえたものとして理解可能である。しかしその反面、「飛行機」や「ギター」、「葬式」や「100シリング」が憑依霊として人にとり憑くという観念は、我々を当惑させる。それらはいかにも憑依霊にそぐわぬという感じがするのである。そして種々の異民族として表象される霊たちについては、我々はどちらつかずの態度をとる。考えようによっては、それらが人に憑く霊として登場するのも理解できなくもない、というわけである。しかし現実にはこうした差異は存在するわけもなく、すべてが人々にとっては等しく憑依霊として受けとめられているのだ。

こうした事態が起るとき、むしろ問題にすべきは我々研究者自身の「霊観念」の方であるのかもしれない。「霊」というものの存在を信じているかどうかは別として、霊とはどの様なものでありうるのか、どういった形で表象されたものが「霊」として自然に理解しうるのかに関する一定の暗黙の前提が我々のあいだにも存在している。こうした暗黙のタイプに照らし合わせて、例えば「祖霊」のような形なら受け入れやすいが、「100シリングの霊」となると具合が悪いといったことが起るのである。東アフリカの憑依霊の世界に直面する際の当惑から導き出され、照明をあてられるべきは、こうした我々自身のもつ暗黙の前提やタイプなのかもしれない。

憑依霊としての異民族はこの点を問題にする上で格好の舞台を提供する。この種の憑依霊たちはある形での自然的な理解、暗黙のタイプの適用によって把握できなくもないからである。つまり彼らは明らかに人間に起源を持っているので一種の死霊のようなものではないだろうか、というわけだ。

残念なことにこの期待はほとんどの場合裏切られることになる。北部スーダンのザール信仰では「理論上すべての憑依霊は古来より存在していたことになっている」(Constantinides 1977)。もちろん霊は増殖するが、それはすでに気付かれることなく存在していた霊の再認知と解釈されてしまう。「死霊」の入りこむ余地はないのである。セゲジュ族でも、異民族の霊をはじめとするすべての表霊 shetani は、単に神の敵対者イブリースの被造物として最初から存在していた(Gray 1969:173)。イスラム圏を離れても事情はさして変らない。たしかにカンバ族のあいだでは、上田の報告によると憑依霊 ngai は、「人間や動物の死霊」であるという(上田 1983:688)。しかしすでに言及したトンガ族においても、ケニアのタイタ族においても異民族の形をとる霊が死者の霊であるという考え方は見られない(Colson 1969, Harris 1957)。ドゥルマ族でも事情は同じである。ルオ族については、阿部は憑依霊 juogi の多くを「明らかに死者の霊である」とし、異民族の霊もこれに加えているが、同じルオを調査したウィッソン(M.G.Whisson)は juogi を「死者の霊ではなく、至高神に直接由来する霊である」としている(阿部 1983:621, Whisson 1964:287)。異民族の姿で表象される憑依霊が必ずしもそれら異民族の死者の霊だというわけではないのである。

そうだとするとそれらは一体何者なのであろうか。憑依霊としての異民族と、それによって指し示されている現実の異民族との関係は何であろうか。これを明らかにすることは同時に、我々の霊観念にみられるひとつの暗黙の前提を明るみに出すことにもなるだろう。

5.憑依霊としての「白人」

ドゥルマ族のあいだでは異民族の憑依霊とその指示対象、例えば憑依霊としての「白人(muzungu)」と現実にいる白人(muzungu)は、はっきりと区別されている。現実の白人たち、例えば調査者たる私などに人にとり憑いて病気にする力があるなどとは誰も考えていない。彼らは単に人(mutu)であって憑依霊(nyama)ではない、と人々は言う。もっともブッシュの中などで思いがけず見かけた白人は、憑依霊が具体的な姿をとって現れたものかもしれない。しかしもちろん、ここではそれが人としての白人だと確証できないからこそそうして怖れられるのである。両者、人と憑依霊はまったく別物であると人々は主張する。

一方憑依霊としての「白人」が現実にいた白人の「死霊」だと考えられているわけでもない。これは私が申し出たそうした説明にかわる説明を人々が持っているということではない。人々は憑依霊としての「白人」がその指示対象である人としての白人からどのようにして出てきたものであるか、といった形では問題を単に立てていないだけのことなのである。だからこそ何人かは私の説明にむしろ「説得」されたのである。中には私のこうした形での追究に刺激されて、そうした憑依霊がジネと同じく一種の邪術の産物であるかもしれないという説明を申し出る者も出た(註6)。いずれにせよ、人々は憑依霊としての「白人」が白人たちのあいだからやってきたかもしれないと認めはするものの(それ以外のどこからやってこれよう!)、そうした形で問題を立てることにはほとんど関心がないのである。彼らにとっては単に、ちょうど人としての白人がいるように憑依霊としての「白人」も存在するというだけのことなのだ。

この点についての関心のなさとは対照的に人々は、憑依霊としての「白人」がいかに白人らしいかという点にはおおいに関心を示す。「白人」はその振舞いにおいては、まさに白人そのものなのである。人々のこうした関心は憑依霊の病い ukongo wa pepo の治療儀礼の場で遺憾なく表明される。

占いにより憑依霊の病いと診断された患者が訪れるのは、各地にいる憑依霊の呪医 muganga wa pepo と呼ばれる専門家たちである。もし患者にすでに憑依霊の病いにかかった経験があれば、今度も同じ霊が原因であることが多い。その場合呪医は、問題の霊に特有の植物を水に浸した呪液 vuo を用意し、左手を患者の頭において呪文を唱え、しかじかの日にカヤンバ kayamba と呼ばれる治療儀礼を開きそこで霊の要求をかなえる旨約束する。もし問題の霊が引き起こした病気ならば、この約束によって患者は快方に向かう。しかし、もし患者に憑依霊の病いにかかった経験がなく、どの霊の仕業かはっきりしない場合や、本当に憑依霊の病いであるかどうかに疑問がある場合、急激な症状の場合、その他、憑依霊の正体をまず確認する必要があるときには、短縮版のカヤンバ儀礼 kayamba ra ngudungudu がただちに開かれる。憑依霊の病いは症状などの点では「神の病い」「祖霊の病い」「妖術使いの病い」といった、ドゥルマ族が区別する他の病気と何ら違いは示さないし、心的分離のような「憑依」独特の症状から始まるわけでもない。当然、症状からそれを引き起こしている憑依霊の種類を確定することもできない(註7)。カヤンバ儀礼がこれらを真に確認する唯一の手段となっているのである。

縮小版のカヤンバと正式なカヤンバは、参加者の人数や所要時間、舞台装置となる小道具類を除けば、大きな相違はない。通常日没後に開始され夜を徹して行なわれる。カヤンバが開かれるのは phabuli と呼ばれるマークされた空間であるが、普通小屋の前庭や屋敷の広場(rome)が選ばれる。昼間行なう必要が生じたときにはブッシュの中の空き地で開かれることもある。

患者(muele)は、村の未婚の成年男子によって組織された憑依霊の歌の歌い手(mangui)の輪の真ん中に両足を投げ出して座る。患者には「神」の黒い布にはじまり、各憑依霊ごとに異なる布が歌に従ってその都度かぶせられ、内側では香がたかれる。呪医は患者に向かい合い、患者の反応を促すべく呪液(vuo)をふりまく。縮小版ではしばしば簡略化されるが、正式なカヤンバでは種々の憑依霊に特有の布をはじめとするさまざまな品物(chiryangona)や食物(karamu)、憑依霊のイメージを粘土で形どった人形などが前もって用意されている。

カヤンバには診断あるいはその確認の場という側面と、憑依霊との交渉の場としての側面があるが、儀礼の進行に深くかかわっているのは前者である。「神(mulungu)」の歌に始まり、ライカ、「アラブ人」、キツィンバカジといった順序で、カヤンバと呼ばれる一種の打楽器のリズムにのって、憑依霊の歌が次々と歌われていく。一つの憑依霊に対して複数の歌があるのが普通である。「神」の歌が最初に来るという点を除いては、歌われる憑依霊には厳格な順番はない。こうして歌われていくどの歌のところで患者に憑依の症状が現れるかによって、患者に憑いている霊が何者であるかが判明するのである。カヤンバ儀礼を通じて患者は無言で身動き一つせず呪医のなすがままになっていることが要求される。憑依が始まると荒い息遣い、体の震えやリズミカルな動き、うなり声や叫びといった独特の状態を示しはじめる。一つの歌が一段落つく毎に呪医は布の下の患者を注意深く調べ、こうした症状がみられるかどうかをチェックする。もしそれが見られると呪医は歌い手たちに命じて一層の激しさで同じ歌を演奏させ、患者がはっきりと憑依状態にはいるのを待って霊との交渉に入ってゆくのである。

患者に憑いている霊が一つであるという保証はないので、このプロセスはほとんどすべての憑依霊の歌が歌い終わるまで繰り返されることになる。縮小版のカヤンバでは、呪医の判断で主要な霊についてのみこれが行なわれる。いずれにせよカヤンバ儀礼にはかなりの時間が必要であることになる。

こうしたカヤンバの一つで見られた「白人」と呪医たちとの交渉の様子を以下に紹介しよう。患者はペレの屋敷と呼ばれる大きな屋敷の最長老M氏である。彼は以前に憑依霊の病いにかかった経験があり自らも憑依霊の呪医をしている。この数年にわたって病気がちであったが、数日前から容態が悪化した。実はそれに先立ってこの屋敷の一人の女性が出産後意識不明になるという事件があり、急遽開かれた縮小版のカヤンバでM氏は呪医として徹夜で治療にあたった。しかしM氏はその報酬を要求しなかった。彼によると自分の容態の悪化は、彼の憑依霊の一つ「神」がこの行為に腹を立てて引き起こしたものだろうということだった。しかし周囲の人々の勧めで縮小版のカヤンバが彼のために催されることになった。呪医自身は自分の病気治療はできないので、別の村から呪医N氏が呼ばれてきた。参加者は、歌い手たちと呪医、それに私を除くとすべて屋敷の人々だけであった。

人々の予想ではM氏は「神」と「アラブ人」で憑依状態にはいる(kugolomokp'a)はずであった。しかし繰り返し歌われても彼は何の変化も示さなかった。数時間の後「白人」が試みられた。M氏はズボンと上着を身につけ、フェルトのつば広帽をかぶって席についた。何曲か歌われるうちに氏は変化した。

N:若者たち、歌をやめなさい。
M:(英語と思われる意味不明の叫びを上げている。人々はそれを聞いて爆笑している。)
N:(英語で)イエス、イエス、イエス。
M:(意味不明の叫び)
N:(スワヒリ語で(註8))これは実に難しい。どうかスワヒリ語で話してください。あなたはケヤの白人ですか。何が欲しいのですか。
M:ケヤの白人、ケヤの白人(註9)。
N:何が欲しいのですか。私たちはあなたが欲していることをやりましょう。
M:袋、背中に背負う袋と鉄砲。背中に背負う袋を手にいれた後で盛大なカヤンバが開かれねばならない。そこでお前たちはケヤの従者として振舞わねばならない。ドゥドゥドゥ。もし袋が手にはいれば鉄砲もそこになければならない。聞いているか。
N:聞いています。
M:私の背中は痛いので、背中に背負う袋が必要だ。
B(M氏の弟):聞いたか。彼は背中が痛いと言っている。だから袋を必要としている。白人はどこへ行くにも袋を背負っていく。ベッドさえその中にある。彼は疲れるとどこでも止って寝ることができる。
M:だから私はケヤの袋が欲しい。大きな袋。そして vyazi。
N:vyazi は鉄砲のためのもの。
B:それはお前が袋を手に入れたら、そこに入れて運ぶものだ。
Mu(M氏の息子):鉄砲は本物でなくてもよい。木でもよい。
M:(肯定ととれる叫び声)
N:さてあなたが彼を咳で苦しめている者(mwenye kukohola, 文字どおりには「咳の所有者」)、呼吸困難で苦しめている者(mwenye pumzi chache)、満腹感で苦しめている者(mwenye kukuta)です。(M氏、うなづく)なるほど、なるほど。
B:私が袋やすべてのものを求めて来たら、すべて用意が整ったら、彼がよくなるのは確かか。私がそれらを買ったら彼を回復させるというのは確かか。私たちはお前に明日にでも良くなってほしい。明日お前が自分で行って袋を探せるように。私たちが従えるように本当のことを言ってくれ。
N:本当のことを言ってください。というのはこの者は、咳のためにできない、腹づまり(ndani tele)のためにできない、話すことも歩くこともできないのです。私たちは彼の気分が良くなり(nabaha)、回復してもらいたいのです。彼が自分で行けるように。
Mu:彼が体の中に何も感じないように。
M:聞け。
(以下「白人」は約束を与えるかわりに要求を何度も繰り返す。呪医は丁寧に応じているが、最後にたまりかねて問う。)
N:あなたは本当の病気の所有者(mwenye ukongo)ですか。私たちがあなたの欲する通りのものを買えば彼を回復させる本物の霊(mfalme)ですか(註10)。話して下さい、あなたが咳を引き起こし腹をつまらせている本物の霊だと言ってください。もし私たちがあなたの袋を買い、彼がそのままであるのなら、あなたは本当の霊ではないということになります。友よ、あなたは良く御存知だ。もしあなた一人の仕業なら「私一人だ」と言って下さい。そうすれば重要な言葉を続けることができます。もしあなたが袋が原因でこれらすべてをひきおこし、咳をひきおこし、腹づまりをひきおこしている者であるなら、「私一人だ」と言って下さい。私はあなたに重要な言葉を与えるでしょう。
M:ケヤの人のための物がある。ケヤの白人のタバコだ。
B:(自分のタバコを示して)これで充分か彼に聞いてくれ。彼に見せろ。もしこれでいいなら予備がある。E(タバコの銘柄)だ。それともS(タバコの銘柄)がいいのか。
N:(タバコを示しながら)E、E、E。
B:火があれば彼に味わわせてみろ。これでいいかどうか。その香りはSと同じだ。このタバコは白人のためのものだ。(Eは私が町で買い求めB氏に贈ったものである。)
N:白人は重い荷物を遠くまで運んで行きたがります。彼らはそれを降ろすことができません。それは彼らの背中にあります。この荷物のせいで彼は痛みを感じますが、彼は降ろそうとしません。これは第1級のタバコ(sigara namba wan)です。白人たちが吸ってまた旅を続けるのはこの種類のタバコです。
B:それともSが欲しいのか、このことを尋ねてくれ。(私はいつもSを吸っていた。)
N:もしあなたがSを好む者で、あなたが一人であるなら、言って下さい。私はあなたに言うことは何もありません。あなたが私たちに「私は一人だ」と言ってください。もしあなたが袋が欲しいのなら....
M:(理解不能の叫びをたてはじめる。)
N:(笑い出しながら)ワイ?
M:(英語とおぼしき言葉で語り続ける。)
N:あなたがそんな風に叫ぶのは、あなたの勝手です。私は答えを待っています。私はあなたが何年間、村で眠らずブッシュで眠る日々を送ってきたのか知りません。あなたがもし彼を攻撃した者であるのなら説明して下さい。そんな風に英語で話さないで下さい。私がこうして笑っているのは楽しいからではない、苦々しいからです。(N氏も周囲の人々も大笑いしている。)
M:聞いているか。私はケヤの人だ。
N:それで?ゆっくり説明して下さい。
M:私はブッシュからブッシュと泊り歩いている。
N:あなたはブッシュに泊る。なぜならあなたは戦いの人だからだ。なるほど。
B:白人は基地(boma)がないと一カ所にはとどまっていない。必ず基地を持っている。もし彼が旅していても結局は自分の基地に帰っていく。さあゆっくり続けてくれ。
M:聞いているか。もしお前たちが約束を忘れなければ、私は遠くまで旅を続けることができ、そこに留まることができる。この病気はよくなると思う。
B:そうだ。私たちも同じ事を言っている。
M:私を邪魔する者がまだ出てこない。ここは動物(nyama、あるいは他の憑依霊のことか)だらけだ。(以下、はっきり聞き取れない。)しかしすべての約束は急いで果たされねばならない。鉄砲も手に入れなければならない。
B:鉄砲は木の模型でいいのか。どんな種類の鉄砲か。よい例がほしい。
Mu:白人は歩いたり、歌を歌ったりするときそれを肩にかついでいる。
M:(大きなうなり声)

(以下、鉄砲の作り方、木の種類についての議論が続く。呪医は「白人」に対して特定の期日を定めて病気を治すよう求めるが「白人」は応じない。「英語」を話す「白人」を脅したりなだめたりしながら忍耐強く交渉が繰り返される。)

N:すべてわかりました。私たちが袋を見つけ、鉄砲を用意したら、彼が回復してくれることを望みます。あなたが本当の霊だと知るためです。彼が話そうとするとあなたは彼の肋骨をつかみ、咳がよくできず息すらできなくします。彼の腹はいつもいっぱいで食物を摂ることもできません。さて、あなたは多くの言葉を話しました。私たちは同意しようと思います。しかし...
M:(大きな叫び声)それならば木の台(uringo)を作り、彼が食事をするとき、そこにお椀を置き、揚げパン三つを入れろ。(聞き取れない呟き。ケヤの白人の旅について語っているらしい。)
B:白人はテーブルで食事をする。どんな椀でもいいのか。新しい物か、古いのでいいのか。
M:新しいもの、木の台は明日作れ。
N:椀と揚げパンはこの辺でも手に入るでしょう。明日にはできます。
M:(叫び声)かなり遠くだ。それはプラスチック製(lailoni)だ。
N:プラスチック製?どんな色ですか。
M:ch'ibitsi(緑あるいは空色)
B:カリンボ(私に向かって)。いらない椀を持っているか?(私は青いプラスチックの洗面器を使っていた。)
K(私):いや、持っていない。それはどんな色のものか。

(以下、これらの品がどこで手に入るかをめぐって「白人」を交えた議論が始まる。袋(ルックサック)の色や形状、机の高さなどの詳細が論じられ、正式なカヤンバの準備についても話しあう。N氏は期日を定めて病気を取り去るよう重ねて懇願するが、これは成功しない。)

N:私たちが行って見つけてくるまでは、特定の日は定められないのですね。私はあなたに嘘はつきません、我が友よ。しかし私たちはこれらの物を探しに行きたいので、今彼に力を与えてください。
B:彼が自分で行って必要なものを探せるように彼に力を与えてくれないか。
N:彼に力を与え、満足するまで食事を摂らせ、よい息を与えて下さい。
M:(大きな唸り声)
N:あなた方はお互いに相棒を理解しあった。あなたが袋と椀を欲していることがわかった。彼を解き放して下さい。彼は降伏したと言っています。彼は約束を破りません。しかし彼にチャンスを与えて下さい。というのは彼は今驚いているからです。彼に咳をせず、食事をとっていつものように排便するチャンスを与えて下さい。そうすれば彼は知るでしょう。「ああ、私の友が私をほどいてくれた。だから急いで約束をはたそう。」彼をほどいて下さい。友よ、この争いは随分昔に始まった。もうやめましょう。
M:(唸り声)聞け。神(mulungu)に祈ろうではないか。明日、あさって、あるいはしあさって、もし神がいれば、少しは歩く力を手にいれるだろう。そうすれば私は行く。
N:彼は明日、あさって、あるいはしあさって、力を手にいれて行くと言っています。
B:問題ない、問題ない。
N:よし、若者たち、「先生 mwalimu Sudiani」を一回。
B:それから「ソマリ人」を。

この日現れたのは、ケヤの白人の他に「ソマリ人」、「カンバ族」、ギリアマ族の長老」、デナ(dena 正体不明)であった。「ソマリ人」と「カンバ族」は「白人」が病気を引っ込めようとするのを妨害しており、デナと「ギリアマ族の長老」はM氏の下がらぬ熱に責任があると判明した。最後に呪医は再びすべての霊に呼びかけ、彼らの要求を確認し約束を与えてカヤンバに幕を降ろした。B氏によると、M氏に憑いているはずの「神」と「アラブ人」がやって来なかったという点で、このカヤンバの成果には確信がもてず、また「白人」が病気に責任がある本当の霊であるかどうかも疑わしいという。

ここで「白人」が人々に課した要求--正式なカヤンバ、袋(ルックサック)、鉄砲、タバコ、机、プラスチックの椀、揚げパン--はカヤンバと鉄砲の要求を除くと、「ケヤの白人」について私が前もって知っていた要求のリストからは大きくはずれたものであった。そのいくつか、ルックサックや揚げパンなどは、単に私の存在によって刺激された物かもしれない。私は町へ出る度、揚げパンをしこたま買込んできて子供らと食べたりしたものだった。こうした「新奇な」要求も人々によってごく自然に受け入れられている。しかしそうする際に人々が語っているのは、憑依霊としての「白人」についてなのだろうか、それとも現実の白人についてなのだろうか。彼らは憑依霊としての「白人」を相手にしながら、彼が出すさまざまな要求を、憑依霊「白人」について既に知っている事柄ではなく、私をも含む現実の白人について知られている事柄を参照することによって理解しようとしているのである。

憑依霊としての「白人」のタイプ--それについて既に知られている事柄--はそれ自体をとるとむしろ空疎で抽象的な性格を持っている。それは人々の推論の充分な基盤を提供していない。人々はその都度、現実の白人について彼らが知っている断片的な知識を動員しながら、「白人」のタイプに豊かな内容を与える。そのようにして「白人」と彼の要求について語り、理解しながら、人々は現実の白人について彼らが知っていることを再確認しているのである。現実の白人についての組織だっていない知識が、抽象的な「白人」のタイプを豊かにする。そしてこうした「白人」を通じて、人々は現実の白人について自分たちが知っているあれこれに、奇妙な形ではあるがともかくも一定の統合を与えているのである。かくして両者は相互反照的(reflexive)に結びつく。

首尾よく終わったカヤンバは病人から彼を苦しめていた症状を取り去ることを約束するが、同時に一人の白人を作り出す。既に時おりズボンと上着を身につけ、つば広帽を被り、卵を皿から食べるといったことをしていたM氏は、この後、ルックサックをかついだいでたちで方々を訪れ、机の上のプラスチックの容器から揚げパンを食べるといったことをしてみせるようになるかもしれない。彼は白人について人々がもつ断片的な知識のその場かぎりのこうした統合を、個人の上に身をもって体現することになるのである。

ドゥルマの人々は憑依霊としての「白人」がどこからやって来たのか、現実の白人からどのように発生してくるのか、といった問いにはほとんど関心を示さない。しかし現実の白人について語ったり考えたりすることなしには、人々は憑依霊としての「白人」を語ることはできないのである。

6.結論--隠喩的な霊・換喩的な霊

ドゥルマの憑依霊としての「白人」について見てきた以上の事実は、憑依霊としての異民族、東アフリカに広く見られる憑依霊の形態について何を教えてくれるであろうか。これらの霊たちはたしかに、自らの外部に指示対象をもつ霊という形でまとめられる一類型の部分集合を形作っている。そしてこの類型自体には我々にも馴染み深いさまざまな他のタイプの霊が所属している。祖霊はそれがかつて生きていた父や母、親族の誰彼を指し示す限りにおいてやはりこの類型に所属する。もっともこの場合、指示対象は不在によって特徴付けられるのであるが。かつて生きていた個人や人間のタイプを指し示す死霊や怨霊もこうした意味では指示対象を有する霊だということになる。日本の昔話を一瞥すれば、霊というにはやや気が引けるが、古下駄や破れ傘、地中の埋蔵金などの化物に出会う。種々の動物霊もこれに含めて考えることができる。となると、こうした類型を設定すること自体が無意味であるように思えてこよう。

しかし憑依霊としての異民族について見てきた諸事実は、却って以上に挙げた我々に馴染み深い霊たちの特殊性に照明をあててくれる。つまりこれらの霊が、その指示対象との関係において換喩的 metonymic に構成された表象だという事実である。古下駄や破れ傘は単に忘れ去られ時を経ることによって霊に「転化」する。生者は死を介することによって死霊や怨霊に変貌する。そこには保証された連続性、同一性が見られるのである。これらは、その指示対象との関係においてインデックス的な霊であると言うこともできよう(註11)。

これに対し、ドゥルマ族の憑依霊信仰に登場する霊の多くは、もっぱら指示対象から隠喩的 metaphoric に構成された表象だということになる。ここで隠喩的な表象操作というのは、二つの実体AとB、--ここでは「霊」とその指示対象--を根本的に異ったものと認めて受け入れたうえで、その両者の平行性、類似性の根拠を保持するという表象操作のことである。隠喩的な表象操作においては、類似性は仮定されてはいるが、いわば後から打ち立てねばならないようなものである。かくして、ちょうど言説とその指向対象が相互反照的に結びつくように、霊はその指示対象とのあいだの不断の相互反照性 reflexivity に身をまかせる。この意味で、これをイコン的な霊と言い換えることもできよう。

隠喩的な霊表象が「差異を越えた類似」を打ち立てる操作に基づくのに対し、換喩的に構成された霊においては、反対に、二つの実体のあいだの保証された同一性を前提とした差異性の主張が行なわれることになる。根本的同一性のこの前提に立って、例えば生前はひたすら愛情に満ち敬愛の対象であった「母」を、死後ただ自分勝手な要求を伝えるべく災厄を送りつける、おそろしくまた生者にとっては厭わしいだけの「祖霊」として描き出すような表象操作が可能となる。ある意味で母とその祖霊は「似ても似つかない」ものとなる。生前の、取るに足らぬ弱者が、怨霊や死霊においては強者の特性をもって立ち現れるという逆転すらここでは許される。

換喩的な霊と隠喩的な霊はけっして互いを排除しあう関係には立っていない。隠喩的な霊表象に、その指示対象からの由来の理論を付け加えることは常に可能である。そもそもいかなる記号も、二つの実体のあいだに類似性と差異を同時に打ち立てることなしには成立しない。しかしだからといって一方を他方に還元してしまうことはできない。指示対象から隠喩的に構成された霊表象を換喩的な霊が構成されるやり方から理解することはできないのである。東アフリカの憑依霊の世界の我々にとっての奇妙さは、そこに見られる隠喩的な霊たちを、我々に馴染み深い換喩的な霊概念に無理矢理おしこめて理解しようとするときにあらわれる困難を示しているのかもしれない。レヴィ=ストロースも、トーテム理論の困難性が、本来隠喩的な表象操作によって生み出されたものを換喩的に捉えようとした点に由来することを、我々に示してはくれなかっただろうか。

隠喩的な霊は、人々にとって常に断片的で構造化されない知識の総体としてたちあらわれる指示対象の前に、いわば半透明なのぞき窓のように置かれた記号平面を形作っている。人々は対象世界を見ていると言いながら、実は半透明な窓ガラスに目をこらしている。そして窓を見ているのだと言いながら、実はその向うの世界を覗き見ているのだ。空間的には、それは既知の世界の周縁を構成するブッシュと強い結つきを持つ。こうした霊に憑依され、それに屈することで人々は、未だ既知ならざる断片的に立ちあらわれる世界に対する敗北を認める。しかしこうした敗北を演じ、憑依霊たちについて語り思考することを通じて、人々はそこに一時的な知識の統合をもたらすことに成功する。彼らは自ら敗北を認める世界に対する象徴的な勝利を手にいれるのである。

註釈

(1)この論考は、1982年8月、1983年3月〜9月におこなったケニア・ドゥルマ族の調査に基づいている。1983年の調査はトヨタ財団研究助成金によって可能となったものである。

(2)ドゥルマ族はケニア海岸部に住むミジケンダ諸族の一つで、主としてクワレ地区に居住する。人口は約15万、トウモロコシ栽培と山羊や牛の牧畜を主たる経済的活動としている。

(3)ディゴ族ではこうした異性憑依が一般的である(Gomm op. cit.)。また、セゲジュ族で報告されているように(Gray 1969)人によっては、強力な憑依霊が他を従えるという形でいくつかのグループを形成しているという者もいるが、これに関して正確な情報は得られていない。

(4)憑依霊の病の治療儀礼には黒、白、赤のシンボリズムが顕著であるが、黒はつねに mulungu の色、白は laika や ch'itsimbakazi の色と説明される。赤は特定の指示物をもたずコンテクストに応じて、マサイ族、ペンバ族などのさまざまな霊と結びつく。

(5)例えば「マサイ」は女性の性器からの出血と結びつくといった対応がないわけでもないが、こうしたケースはむしろ例外に属する

(6)ハリスによるとタイタ族は彼らのあいだの憑依霊 saka を他部族からタイタに仕掛けられた邪術のせいにしている。従ってこれも憑依霊についての可能な説明の一つには違いない(Harris op.cit.)。

(7)ドゥルマ族の病気観についての詳細は浜本(1984)。

(8)以下の会話はすべてスワヒリ語とドゥルマ語をおりまぜて行なわれている。

(9)M氏の発言は全体をとおしてきわめて聞きとりにくい。従って以下の記録には幾分かの「合理化」が含まれているのは避けられない。

(10)カヤンバにおいては憑依霊はしばしば「王 mfalme」あるいは「友 musenangu」などと語られる。

(11)ここではパース(C. S. Peirce)のたてた「インデックス」「イコン」「シンボル」の区別を念頭に置いている(Peirce 1955)。

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First coded: Nov. 13, 1998:21:17 Last modified: Sat Nov 14 18:13:24 1998
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