講義メモと参考文献


第九回講義

インセスト・タブーのパラドクス(1)

問題としてのインセスト・タブー


    インセスト・タブーはなぜあるのか(1970以前の人類学の議論)

        親族的秩序が成立するための基底規則
        インセスト・タブーは唯一普遍的(自然)な規範(文化)
    
     インセスト・タブーの起源

     参考資料


        ウェスターマークの説明(1891(1926)『人類婚姻史』)(上記参考資料参照)
            レヴィ=ストロースによる反論
               放っておいても行われない行為をわざわざ規則を使って禁止する必要?      

        フロイトの説明(1913『トーテムとタブー』)(上記参考資料参照)
            レヴィ=ストロースによる反論
               過去についての実証性を欠く、ほとんどありえない想定


        遺伝的弊害による説明(H・モーガン 1877『古代社会』他)
            レヴィ=ストロースによる反論
              インセストは集団にとってはむしろ有益
                   (致死遺伝子による生存に不適切な属性の発現→淘汰
                      →致死遺伝子の比率低下)

        下図において同じ遺伝子座を占める遺伝子のうち、
        Aは優性(顕性 dominant)遺伝子、aは劣性(潜性 recessive)遺伝子
        、Bは優性(顕性)、bは劣性(潜性)であるとする。このうちaが
        致死遺伝子であるとすると以下のようになる。

     inbreeding
     outbreeding


インセストの功罪:インセストと進化

     インブリーディングとアウトブリーディング  

             潜在的に害のある遺伝子(劣性 recessive)はインブリーディング
             によって発現する
     
             アウトブリーディングの度合いが高いと、こうした致死遺伝子が蓄積
                 ↓
             インブリーディングが生じると系全体の死滅を帰結しうる

             アウトブリーディングのコスト
                    eg. アゴの大きさ⇔歯の大きさ のミスマッチ etc.
     
             哺乳類はインブリーディング傾向が高い

             過度のインブリーディングは遺伝的バリエーションを小さくしてしまう
             一方、遺伝子の複製効率は高い

        最適解  ⇒    十分に似ていて少し違っている
     
     生物学的進化の盲目的ロジック
     
     種にとって、あるいは集団にとって「良い」かどうかは進化の説明には関係がない

            進化=遺伝子の複製率の違い

                  遺伝子 a →その表現型効果でより多くの繁殖成功につながる
                     /
                  遺伝子 a'

                  インセスト回避をもたらす遺伝的要因 →より大きな複製率
                            /
                  インセストの頻度を上げる遺伝的要因
     
     
     哺乳動物におけるインセスト回避行動
	     ヒト以外の霊長類においてもインセストはめったに起こらない

	     交尾回避
	     京都大学霊長類研究所の囲いのある放飼場で暮らしているニホンザルの
             集団でDNAフィンガープリントによる父子判定
             ↓
	     母と息子、同母兄弟姉妹の間には子どもが生まれていない
	     父と娘、異母兄弟姉妹間では生まれている
             
	     バーバリマカクの集団
	     ↓
             母系的血縁の四親等(イトコ)以内の組み合わせのうち、実際に交尾が
	     見られたのは一割にも満たなかった。一方、父系的血縁内では、四親等
	     以内の五割をこえる組み合わせで交尾が見られた。

     そのメカニズムは?
         ネズミの場合
           MHC遺伝子 → 尿の臭い
              自分の両親とは異なるMHCタイプと交尾する傾向
     
         大型霊長類
                  若い個体の他の群れへの移動

           ゴンベ自然公園のヒヒ
              成熟した89頭のオス全員が生まれた群れを離れて分散し、他の群れに合流
              メスは生まれた群れにとどまる

           チンパンジーその他
              オスが出生の群れにとどまり、ほぼすべてのメスが生殖期前に他の群れに
              合流

         チンパンジーの母子における身体接触
              チンパンジーのオス 1才で penile erection
                                  3〜6才 copulate and intromission
                                       母親と頻繁に交尾(母ザルの交尾の5〜7%)
                                       離乳期にぐずる子供をなだめるため
                                       7才以降になると母との交尾はなくなる

                      3〜4才の時期は姉妹とも交尾(4%)
                                       これも5才以上になるとほぼなくなる
     
                                  9〜10才 射精可能


       以上の結論
            インセスト回避行動は生物学的進化の過程でできてきた
            当然ヒトにもある?
     

ヒトにおける生得的インセスト回避プログラム

     ウェスターマーク効果
           ヒトにも備わっているインセスト回避行動プログラム?

                   タレンシ(ガーナ)
                      M. Fortes, 1959 Oedipus and Job in West African Religion
                                 1949 The Web of Kinship among the Tallensi
      
                      緩やかな性的規範
                      インセストを指す言葉がない
                      インセストに対する恐れ・忌避感の欠如
                      幼い兄弟姉妹の性的遊戯に対する無頓着
      
                        →インセストは実際にはほとんど生じない
      
                   中国の幼児婚(シンプア simpua)
                      (A Wolf, 1966)
		              男女ともに幼児のうちに将来結婚する相手が決められ、娘が婿
		              になる息子の家に引き取られて一緒に育てられる。
		              シンプアで結婚した者を含む14.200人の女性
		              シンプアで一緒になった女性の出産率が有意に低く、離婚率も
		              高い (婚姻全体では離婚率は 10.5% であるのに対し、シンプ
		              ア婚では46.2% が破局。)

                   キブツ(イスラエル)
                      (M. Spiro 1958)
                       家族が解体され、子どもたちは親と離されて共同保育。
		               Spiro のKiryat Yadidim kibbutz での調査
                         1〜5    互いの性器に触れ合う、抱擁、キス
                         6〜12  一緒のベッドで寝る
				                   お医者さんごっこ、公衆の場での抱擁、キス
				                   性交渉なし
			             12〜      羞恥心、男女の敵対、シャワーの分離要求

      	                キブツでの2769組の結婚のうち、同じキブツの出身者同士の
		                結婚はわずか13組だった(Shepher, 1971)。


結論?
     ヒトにはインセストの回避を帰結する生得的なプログラムがある。
     これは進化の産物。

     ↓
     では、ほっておいてもインセストが避けられるのに、なぜわざわざ規則を
     設けて禁止する必要があるのか?
     

参考文献

レヴィ=ストロース 1968「家族」(原ひろ子訳)『文化人類学リーディングス』祖父江孝男編、誠信書房より pp.2-28

E・A・ウェスターマーク,1970,『人類婚姻史』江守五夫訳,社会思想社

Fox, R., 1980, The red lamp of incest, London : Hutchinson

Spiro, M., 1958, Children of the Kibbutz, Cambridge: Harvard University Press

Wolf,A. P., 1966, "Childhood association, sexual attraction, and the incest taboo:a Chinese case," American Anthropologist Vol.68: 883-898

Wolf, A.P., & W.H. Durham eds., 2004, Inbreeding, Incest, and the Incest Taboo: The State of Knowledge at the Turn of the Century, Stanford University Press.