インセスト関係引用資料

ウェスターマーク

一般的にいって、幼少期からきわめて密接に一緒に暮らしてきた人々の間には性愛感情が著しく欠如しているのである。いなむしろ、この場合には他の多くの場合と同様に、性的無関心は、その行為が念頭に浮かぶ際にいだかれる積極的な嫌悪の情と結びついているのである。...幼少期から密接に一緒に生活してきた人々とは一般に近親者である。それゆえ、彼ら相互の性関係にたいする彼らの嫌悪感は、慣習や法において近親者間の性交の禁制として現れるのである...

ハヴェロック・エリス博士はこう書いている−−『幼少期から一緒に育てられてきた人々の間には、視覚・聴覚・および触覚の一切の感覚的刺激が、たえざる使用で鈍化され、平静な感情の水準にまでならされ、性的腫起をもたらす機能亢進的な興奮を喚び起こす能力を奪われてしまっているのである』」
(ウェスターマーク 1970(1926):84)

フロイト

トーテム饗宴の祝祭をひきあいにだすことによって、われわれはある答えを出すことができる。ある日のこと、追放された兄弟たちが連合し、父親を打ち殺して食べてしまい、そこで父親群(Vaterhorde)に終止符をうっのである。彼らは団結して、個々の人にとって不可能だったことをあえて行なって、それを実現したのである。(これはたぶん、文化の進歩、つまり新しい武器の使用が、彼らに優越感を与えていたおかげかもしれない。)殺したものを彼らが食べさえもしたのは、未開の食人種にとって当然のことである。だしかに暴力的な原父(Urvater)は、兄弟集団のだれにも羨やまれ、かつ恐れられだ模範であった。そこで彼らは、それを食いつくす行為において、父との一体化を遂行して、おのおのが父の強さの一部を自分のものとしたのである。人類の最初の祭りかもしれないトーテム饗宴とは、この重大な犯罪行為の反復であり、記念祭であろう。そしてこの行為とともに社会的組織、道徳的制約、宗教など多くのことがはじまったのである。...

この結論が信用できることを知るためには、徒党を組む兄弟集団が、父親に対する同じ感情、しかも、たがいに矛盾しあう感情によって支配されていた、と考えさえすればよい。この感情はコンプレックスの両価性の内容として、われわれの子供や神経症者の一人一人に指摘できるものである。彼らは、自分たちの権力欲と性的要求を極めて協力に邪魔している父親を憎んだが、しかし、その父親を愛し、崇拝してもいたのである。彼らが、彼をかたづけて、自分たちの憎悪を満足させ、彼との同一化の願望を実現したあとでは、そのぱあいおさえつけていたやさしい感情が頭をもたげざるをえなかった。それは後悔という形であらわれて、みんなが感じた後悔と一致するような罪意識が生じたのである。そこで死者は、生きていたときよりもさらに強くなった。こうしたことはすべて、今日でも人間の運命において見られるのだ。以前には彼がその存在によって妨げていたことを、いまでは彼らが自分自身に禁止するのだった。つまりそれは、精神分析学によってわれわれがよく知っている「事後服従」(nachtraglicher Gehorsam)という心的状態のせいなのである。彼らは、父親代理であるトーテムの屠殺は許されないと宣言することによって、自分の行為を撤回し、また、自由になった女たちをあきらめることによって、自分たちの行為の成果を断念したのである。こうして彼らは、息子の罪意識からトーテミズムの二つの基本的なタブーをつくりだした。まさにこのためにこの二つのタブーは、エーディプス・コンプレックスの抑圧された二つの願望と一致せざるをえなかったのであろ。これに反する行為をしたものは、原始社会にかかわりのある、二つにして唯一の犯罪を犯したことになったのである。

(S・フロイド,1970(1913):367-368)