物象化論再考:マルクス・廣松渉・柄谷行人





0.はじめに

私が自分なりの物象化論の構想をまとめたのは1980年代の半ばである。私は当時より災因論---人々が不幸の経験をどのように説明=整序しているか、そのやり方とそこで用いられるさまざまな観念や語り口の解明がその主な研究テーマである---の問題に取り組んできた。人々が不幸の経験を整序する際に持ち出すさまざまないわゆる「神秘的エージェント」---妖術や憑依霊、諸神格などなど---の経験上の位置づけを問う作業の中で、私はそれらエージェントの観念がしばしば、経験が記述される異なる論理階型の水準を縫い合わせる(当時はそれを論理階型の「混同」というやや誤解を招く言い方で述べていたのだが)まさに縫い目の位置をしめているらしいことに気がついた。つまり、出来事の水準から見ると上位の水準(メタ・レベル)における実体---それらの出来事が形づくっているパターンなど---が、当の諸々の出来事自体が属しているオブジェクトレベルに滑り込み、そこにおける一つの実体として現れたものではないかと。その「神秘的」な性格は、それらが概念としてもつこの特殊な存在性格に起因している。しかしまさにこのようなエージェントを登場させることではじめて、諸々の出来事がまさにそこに示されたパターンをもつ出来事として整序され中心化される。出来事の相貌・パターンの文字通りの「物象化」を通じて、経験の整序化が可能であること、これがその当時私が明らかに出来たと思ったことであった。私の一連の論考(浜本 1986, 1989b, 1989c, 1990, 1992, 1993)はもっぱらこの物象化の構想を核になりたっている。

しかし当時私はそれを一つのまとまった理論として論じることはせず、具体的な民族誌的問題を解明するなかで断片的に示すにとどめた。一つには、単に面倒であったのに加えて、理論としてそれを体系的にきちんと定式化する仕事は本来は哲学者の領分で、人類学者の作業ではないと考えていたこともある。人類学者にとって理論はその整合性や完成度においてよりも、具体的な問題にそれがいかなる照明を当て、どのような洞察へと導いてくれるかが、重要であると私は思っていた。私は物象化の議論をそうした照明器具として用いることで満足し、理論としてそれをきちんと完成させること自体には、あまり関心がなかった。第二に、より大きな理由として、私自身がこの構想そのものをきわめて単純な発想だと考えていたことがある。とりわけ最初の1986年の論文を読んでくださった何人かの方々から読むよう勧められた柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』(柄谷 1978)および廣松渉の一連の著作に目を通した結果、私はこの二者の著作の中で物象化論の基本的な構想が完全に言い尽くされていると感じ、私自身の議論はその単なる延長にすぎないように思えた。いずれにせよ、物象化論のみを主題化して自分でわざわざ論じる必要もあるまいと思われたのである。

この20年前の議論を今になって再びとりあげ、物象化論の構想のとりあえずの全体像を---粗雑なスケッチのレベルではあるが---提示してみようという気になったのは、学部の一人の学生の提出した卒業論文---彼は我々の経験における「自己」という存在を物象化の産物としてとらえる議論をおこなっていた---にコメントする過程で、物象化の問題に関する私自身の見解を手短に説明する必要に迫られたという偶然がきっかけとなっている。彼のテーマはまさにかつて私が物象化の構想に出会う過程で取り組んでいた問題の一つだった(浜本 1986a, b)。

最初それはごく簡単な作業に見えた。マルクスの貨幣論を中心に、柄谷行人と廣松渉の著作から関連する個所を引用して、私が考えるところの物象化の意味することを簡単に説明することができるだろうと予想していた。しかし柄谷と廣松のいくつかの著作を再検討してみた結果、物象化に関する議論がこの二人によってほぼ言い尽くされているという強い印象とは別に、両者の議論に多くの異論と不十分な点を見出すことになってしまった。彼らの議論を単に引用するだけでは、私自身の物象化の構想を完全に表現することはできないように思えた。

物象化論であることを表立って謳い、そのさまざまな側面にわたって議論を尽くしているのは廣松渉の方である。後に見るように、マルクスの資本論における後期の物象化論を、初期の疎外論と区別すべきであることを指摘した点は廣松渉の功績である。しかしマルクス自身が初期の疎外論を最後まで引きずっているのと同様に、廣松渉の物象化論も最後までマルクスの初期の定式化に呪縛されているところがある。また物象化論を貨幣論以外の領域に拡張し、イデア的な実体概念一般の成り立ちにまでその射程を広げようと企てている廣松の後期の物象化論の野心は高く評価できるが、その一方で、この拡張は物象化の概念をあまりにも拡散させることにもなり、物象化プロセスをその最も注目すべき特徴---マルクスが貨幣の物神性のなかに見て取っていたような---においてとらえることにかえって失敗してしまっているように思われる。

他方、柄谷行人は廣松渉のように物象化論としては論を展開しておらず、貨幣論におけるマルクスの議論が見据えている問題とそれに対する洞察を浮き彫りにすることを主に目指しているようにみえる。その結果として、かえってそれは物象化の核心に迫る議論になっている。しかし、廣松渉の物象化論とは異なり、貨幣の物神化に見られる構図をより一般化する方向へは踏み出していない。むしろ逆に、貨幣における物象化に固有の---そこでは連鎖(相互参照・等置・転移・類比などの)の実践は交換という具体的な社会的実践の形をとるのだが、まさにその事実に由来する---売る立場と買う立場の非対称性を社会関係における他者性の問題として展開する方に重点が移ってしまい、物象化一般において働いている機構、つまり連鎖の実践を通じての経験世界の整序化という問題が視野の外に置き去りにされてしまっているようにすら見える。

もちろん、物象化に関する私自身の議論が、この二人の議論に比してさして目新しくなく、たいして代わり映えのしないものだというのは、相変わらず事実である。単に両者の議論を足し合わせ、妙な部分を強調しただけのものであるようにも見える。おそらくこのことが、当時の私に、この二人によって言いたいことはほぼ言い尽くされているという感想を抱かせたのだろう。とは言うものの、単に両者の著作から引用して示すことができない以上、それをここできちんとまとめて定式化しておくことは、私の今後の作業の上でも必ずしも無駄なことではないように思う。例の卒論を書いた学生に対する約束も果たさないわけにはいかない。

以下においては、廣松渉、柄谷行人の議論を簡単に検討しながら、それらとの異同を明らかにする形で、できるだけ簡潔に私が考えているところの物象化の枠組みを提示していくことにしたい。

ここでそのスケッチを描く物象化論は、人類学という学問にとっては一種の基礎理論のような位置を占める(しか占めない)ものであろう。それはけっして具体的な民族誌的問題を直接解明する役には立ちそうにない。しかしそれは研究対象を別の光の下で眺め、問題に対する少し別のとらえ方を可能にするという意味で、理論的パースペクティヴとしての有効性はいくぶんかはもちうるものではないかと思う。あえて人類学者の分際でこうした理論的作業に手を染めてみる所以である。

1.物象化概念の諸形態

1−1.物と非・物

言葉の確認からはじめよう。そもそも物象化とはどうなることなのだろう。意味としては物象化とは物化であり、要するに「物になる」ということだ。最初から物として存在しているものならわざわざ物になる必要はないわけだから、これは「もともとは物でなかったもの」が「物になる」というプロセスを指しているはずである。しかしもちろん物理的な組成が変わるという話ではないし、あやしげな物質化のプロセスが問題になっているわけでもないだろう。例えば水が氷になる変化のように、わたしたちとは無関係に外の世界で生じているプロセスでもないはずだ。それは、わたしたちの世界の経験の仕方にかかわる問題なのであり、言い換えれば、「物ではないもの」「物としては存在していないもの」が私たちの経験の中に(意識に対して)あたかも物であるかのように、実体として立ち現れてくるという事態を指していることになる。それはある種の錯覚のようなものについて語ることなのかもしれない。「物象化的錯視」といった言い方もしばしば耳にする。

しかしそもそも「物である」とはどういうことだろう。あるいは逆に「物でないもの」というのはいったいなんだろう。上の説明では、「物」がなんであり、「物でないもの」がなんであるかが、あたかも誰でも知っているすでにわかりきったことであるかのように扱ったわけだが、しかし本当にそうだろうか。もし「物」であるということが、そんなにわかりやすい話であり、「物」と「物でないもの」の違いがそんなにはっきりしているのなら、そもそも「物でないもの」を「物」として経験するなどという奇妙なことは、そう頻繁に起こるようなことではないはずだし、もしそれが起こったとしたらたしかに錯覚や勘違いについて語りたくもなる話である。

物象化について論じるつもりであるなら、そこで問題になる「物」と「物でないもの」がそれぞれ何であるのかを確認してからでないと話は始まらないだろう。実際には同じ物象化という(あるいはそれに類した)表現を用いていても、「物」と「物でないもの」との区別がまるで別のところに立てられていたなら、それはまったく別のプロセスを指しているということもありえる。

1−2.人間/物あるいは主体/客体

早くからマルクスの物象化論を軸にその独自の哲学を構築してきた廣松渉は、1960年代にすでにルカーチの物象化論を、初期マルクスの疎外論と、資本論における物象化論を正しく区別し損ねていると批判しているが(廣松 1969)、ここで問題になっているのもそれぞれの物象化論において何が「物/物でないもの」として対置されているかである。廣松によると初期マルクスの疎外論における物象化概念において物に対して対置されていた<非・物>とは他ならぬ<人間>そのものであった。あるいは主体と客体の対立が問題になっていたといってもよい。廣松によると、これは物象化が主題化されるありふれた経路の一つである。それは以下の3つの層をもつ。

「(1)人間そのものの“物”化。−たとえぱ、人間が奴隷(商品)として売買されるとか、単なる機械の附属品になってしまっているとかいうような状態。ここでは、人間(さしあたり他人)の在り方が「人格」としてではなく、事物と同類なものに映じ、事物 と同様なものとして扱われる状態になっているという意味で「人間が物的な存在にな ってしまっている」と看ぜられる。

(2)人間の行動の“物”化。−たとえぱ、駅の構内での人の流れや満員電車のなかでの人々の在り方など、群衆化された人々の動きが個々の成員の意思では左右できなくなっているような事態の謂いであり、これは或る屈折を経て、行動様式の習慣的な固定化にも通ずる。ここでは、本来人間の行動であるところのものが、個々の自分ではコントロールできない惰性態になっており、主体的意思行為に対して“自存的抵抗性”をもつようになっているという意味で「人間の行動が物的な存在になってしまっている」とされる。

(3)人間の力能の“物”化。−たとえば、彫刻とか絵画とかいった芸術的作品や、俗流投下労働価値説的に考えられた商品価値など。ここでは、元来は人間主体に内在していた精神的・肉体的な力能が、謂わば体外に流出して物的な外在的存在となって凝結するとでもいった意味あいで「人間の力能が物的な存在になっている」と表象される。」
(廣松 2001:74-5)

いずれも「主体的なものが物的なものに転化する」という発想であり、初期の疎外論においてはマルクスもこうした経路--特に第三のもの--で物象化をとらえていた。『経済学哲学草稿』では私有財産が疎外された労働、疎外された生活、疎外された人間という三重の疎外から説明されているが(マルクス 1964:102)、その基礎にあったのが人間的労働の物象化、つまり労働の生産物を「対象のなかに固定化された、事物化された労働であり、労働の対象化」と見る視点であった(マルクス 前掲書:87)。物象化が「もともと物ではないもの」が「物」として経験されることであるとすれば、ここでの「もともと物ではないもの」とは人間、あるいは人間に内属する能力であるということになる。

人間を主体として特権化して、その他すべての事物・客体と区別したいという気持ちはわからないでもないが、この区別の存在論的な根拠はいささか怪しげなものである。わざわざ物象化するまでもなく、人間もある意味で最初から一種の「物」でもあるからだ。その主体性を盾に、事実問題として人間は物とは違うのだとむきになって主張することは、ネコやイヌもそれなりに主体的に振舞うとか、生後すぐの人間はネコといい勝負だとか、脳死状態では人間ももはや物なのだとか、植物状態ではどうかとか、胎児は人間や否やとかの、同様にいかがわしい議論を相手にする羽目になってしまうのが目に見えている。人間が「物」になったと騒ぐ前に、そもそも何をもって人間と「物」を区別していたのかが問題だろう。それはこの種の議論においてはたいていは暗黙のうちにとどめられている。

人間に内属する能力が外化・対象化するという意味での物象化となると、問題はさらにやっかいになる。廣松渉によると、商品の価値を人間の労働力が対象化・結晶化したものとみる初期マルクスの疎外論は、神を人間の自己疎外(物象化)態としてとらえたフォイエルバッハのロジックに照応したものであり、もっぱらヘーゲル学派的なものであった。フォイエルバッハは、神の諸性質(全知、全能、愛などなど)は類としての人間の規定性が倒錯的に神に帰せられたものであり、神とは人間が自己の類的本質を疎外して立てたものに他ならない、にもかかわらず当の人間はこの事実を自覚せずもっぱらこの「神」の前に倒錯的に拝跪してきたのだ(したがってこの神の秘密を知ることによって、自己の神性にめざめそれにふさわしい生き方が可能になる)と論じていた。マルクスはこのロジックを、人間と彼が生産する商品---彼の労働の産物---との関係に適用する。

「労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分に対立して創造する疎遠な対象的世界がますます強大となり、彼自身が、つまり彼の内的世界がいよいよ貧しくなり、彼に帰属するものがますます少なくなる、ということである。このことは宗教においても同様である。人間が神により多くのものを帰属させれぱさせるほど、それだけますます人間が自分自身のうちに保持するものは少なくなる。労働者は彼の生命を対象のなかへと注ぎこむ。しかし対象へ注ぎこまれた生命は、もはや彼のものではなく、対象のものである。したがって、この活動がより大きくなればなるほど、労働者はますますより多くの対象を喪失する。彼の労働の生産物であるものは、彼ではないのである。したがってこの生産物が大きくなればなるほど、労働者はますます自分自身を失っていく。労働者が彼の生産物のなかで外化するということは、ただたんに彼の労働が一つの対象に、ある外的な現実的存在になるという意味ばかりでなく、また彼の労働が彼の外に、彼から独立して疎遠に現存し、しかも彼に相対する一つの自立的な力になるという意味を、そして彼が対象に付与した生命が、彼にたいして敵対的にそして疎速に対立するという意味をもっているのである。」
(マルクス前掲書:87-88)

しかし人間的本質の外化・物化を比喩的にではなく額面どおりに主張するとき、それは神秘主義的な主張とならざるをえない。廣松によると、神のような宗教的対象について論じるフォイエルバッハの場合、「自己疎外といい、外化といっても、それは意識内部の出来事であり、いわば想像的・幻影的な対象化だとされたのであって、.....まさしくそのことによって形而上学的な神秘性を免れることができた。マルクスの場合には、しかるに、私有財産や貨幣といった感性的対象の現実的定在を、人間の労働という対象的活動の「外化」「凝固化」として、「現実的な疎外」を説かねぱならなかった。そのため、形而上学的な妄言を避けようとする限り、困難な事態に途着する。社会的諸形象をフォイエルパッハのあばいた神になぞらえつつ、人間の類的本質の自己疎外という規定をレトリックとして適用する限りでは、現にマルクスが確保しえた通り“現状批判の素晴しい修辞法”たりうる。だが、「自己疎外」という概念に原理的な意義をもたせる限り、そして現に『経哲手稿』の立言はそれを要求するわけだが、そのとき、自己疎外の主体たる類的存在としての人間が擬神化されてしまう。....謂うところの外化、疎外は、所詮、形而上学的な神秘性を免れきれない。」(廣松前掲書:240-241)

たしかに、人間の本質的規定性、本来人間に帰属する諸属性が外化して物の属性として立ち現れる、あるいは物に備わった性質と見えるものが実は人間の類的本質の外化したものなのだという議論のほとんどで、そうした物化や外化の具体的な仕組みやプロセスがどのようなものであるかはどこにも示されていない。となると社会的諸形態の何に物象化を見出し、何に見出さないかをどうやって知ることができるというのだろう。当のプロセス自体が示されていない以上、あるものが物象化の産物である証拠を上げることもできなければ、逆にそうではないことを示すこともできない。この意味でもそれは神秘的なのだ。人間/物の対立にもとづく物象化論は、社会的諸形態の「秘密」を暴くのだという狙いから言っても、かならずしもとりたてて有効な議論とはいいがたいのである。

廣松によると後期の資本論におけるマルクスの物象化概念は、これとは「およそ異質な発想と構制にもとづく」ものになっているというのだが、それを検討する前に、廣松渉自身の物象化論---彼によるとその源泉はもちろんマルクスなのだが---を先に検討しておきたい。というのは、これも物/非・物の区別のもう一つの、今日では良く知られた立て方に対応しているからである。

1−3.関係/項(実体)

後期マルクスが「『実体=主体』の自己外化と自己獲得という『疎外論』の構制を自己批判的に止揚する旋回と相即的に、近代哲学流の『主−客』図式の拠って立つ地平そのものを決定的に超克しつつ、社会・歴史理論の新しいパラダイムを提出するに至った」(廣松 2001:52)と評価する廣松渉は、後期マルクスの物象化論を核に据えた独自の哲学を展開した。もちろん廣松自身認めているように、マルクスの物象化論は商品の価値と貨幣の物神性の解明を中心に展開され「『価値』以外の物象化存立態に関して、存在性格を主題的に論及した文典を遺していない。」(廣松前掲書:121)これに対し、廣松が展開する物象化論は、歴史的世界全体の存立構造へとその射程を広げたものである。マルクスの価値論とのつながりは後に検証することにして、ここでは廣松自身の到達した物象化論の特徴に注目したい。

80年代にはいってからの廣松において、物象化の構図でとらえられた「物/物でないもの」の対立がどこに置かれているかは、むしろいくつかの一般向けの概説書(それにしてはあい変らず言葉遣いは難しいのだが)において彼が「物象化」(あるいは「物性化」)という用語で語るいくつかの事例を見ると明らかだろう。

「肝要なのは、実態的な或るものがそれ自身で具えているかのように映現する性質が、例えば色の場合、光線や背景など、他のものとの関係性において存立するものであって、けっして内自的に具わっている性質ではないという点です。性質とは対他的な規定性が物性化的に帰属されたものにほかなりません。」(廣松 1980:195)

「人々が実存的な実体的個体に内属する個性として思念しているところのものは、決して個体それ自体に内在するものではなく、まさに関係的『結節』のユニークネスが実体的属性として、『物性化』的に錯視されたものにすぎない。」(廣松 2001:47)

「しかし、“力”が実在するとはどういうことでしょうか。論者たちは“力”なるものが在って、それが能因として作動するから変化という現象が生起する、と考えます。が、認識手続から言えば、“力”なるものが直載に先ず認識されるのではなく、経験的に確認される変化現象がまず在って、これを手掛りにしつつ、諸変化を整合的・統一的に説明しうべき項として“実在的力”なるものが“構成的〃に措定されるというのが実態です。....私としては、この経緯とそこにおける“物象化”に自覚的であるかぎり、“力”なるものの“実在性”措定とそれに拠る“説明”を顛から卻けてしまう心算はありません。がしかし、論者たちは説明項として“力”なる能因を立てているけれども、実質的には、状態Aから状態Cへの推移の具体相を「記述」しているにすぎないこと、原理的な次元での話としてはこのことを指摘せざるをえません。」(廣松 1988:133-4)

対他的な関係による規定性が、関係項そのものに内在する何かとして捉えられること、関係態が一つの実体的な何かとして(例えば「力」)として捉えられること、こうしたことが物象化であるとされているのがわかる。廣松自身が、物象化という際に、「物象へと化する当の“何かしら或るもの”」「それ自身ではまだ物象ならざるもの」とはいったい何かという問いに答えて、「それは一種独特の『関係』である」と述べている(廣松 2001:314-5)。物象化とは「学理的省察者の見地にとって(fur uns)一定の関係規定態であるところの事が、直接的当事意識には(fur es)物象の相で映現することの謂い」(同上)なのである。

この廣松による定式化は、後に見るように、後期マルクスの物象化論を特定の方向に延長したものである。それは物象化によって説明される対象を広げるが、それは行き過ぎとも見えるほどである。廣松はこの物象化の構図によって、例えば<犬というもの><人間というもの><果物というもの>といったおよそあらゆる普遍的本質、意識の対象であるイデア的存在としての「意味」までもを、「物象化的錯認の所産」として説明しようとするのであるから。廣松がこれを説明するのに好んで用いているのが黒田節の例である。われわれがあるメロディを聴いて、それを黒田節と認めるとき、<黒田節なるもの>(廣松の言い方によると「所識」)が対象的に意識されているものと考える。肉声で歌われたものであれ、ピアノで弾かれた場合であれ、音質・高さ・強さ等々およそ異なるにもかかわらず同じ<黒田節>として聴き取る。それが黒田節と命名されていることも与って、個々の具体的な実演の背後に同一の<黒田節なるもの>が自存するかのような思念を抱く。しかし実際には、と廣松は言う。

「当人にとって直接に覚知されているのは、レアールな『所与的音声』と一定の『反応態勢的意識態』とだけです。『所与』とこの『意識態』のほかに〈黒田節〉そのものという第三のものが“本質直観”されてなどおりません。....しかしながら、黒田節与件を聞いた時と、木曾節、八木節…与件を聞いた時、ひいては、リンゴ与件、…等々を見た時、との『反応態勢的意識態』の相違を、第三者的・反省的には、〈黒田節〉というメロディ・ゲシュタルト所識と、〈木曾節〉(八木節)…〈リンゴ〉…等々という〈所識〉の相違ということで人は規定しようとします。こうして、実態においては、現認的所与に対する『反応態勢的意識態』の示差的区別たるにすぎないところ、人々はとかく、(〈黒田節〉〈木曾節〉〈八木節〉…〈何々節〉…のみならずまた〈リンゴ〉〈バラ〉…等々といった)志向対象的〈所識〉なるものが直載に弁別・認知されるのであるかのように思念し、しかも、諸々の志向対象的〈所識〉が示差的に区別された相で自存しているかのように物象化して思念します。」
(廣松 1988:72-74、また1985:155-158)

要するに、当事者が経験しているのは具体的個別的な「与件」に対する「意識態」(意識のあり方)の相互の違いなのであるが、この「差異」の認識が、そうした差異を内自化した対象、個々の現実的な与件とは区別されるイデア的な対象に対する認識として現れる。廣松によると、これこそが「〈意味的所識〉なるものを自存する対象性であるかのように物象化して錯認する機制」(廣松 1985:159)に他ならない。ここでは物象と化する当の関係態が、構造主義でいう対他的・示差的関係にまでその内容を削ぎ落とされているのがわかるだろう。

こうしたとらえ方そのものは、構造主義の見解をすでに織り込みずみの今日の人類学にとっては馴染みのないものではない。構造主義は、人間の経験の対象がそれ独自の特性をそなえた自立的な実体ではなく、関係性であることを教えている。実体にそなわっていると見える諸特性は、他の実体との対他的な反照規定にほかならない。関係の一次性という見方では、一定の特性を備えた自立的な諸実体がまずあって、ついでそれら諸実体が(二次的に)関係を取り結ぶというのではなく、こうした諸実体そのものが、諸関係の結節点を占める項としてのみ成立しているのだとされる(eg. 浜本 1991:57-66)。廣松の一連の議論は、項よりも関係に一次性を見出すこうした考え方を、物象化という主題に即して雄弁に主張するものであり、この限りにおいて、人類学者の多くにとって理解に難しいものではない。

しかし物象化の概念をここまで拡張してしまうと、一つ問題が出てくる。つまり人間の経験のほとんどは物象化の産物であるということになり、特定の現象を取り上げてことさらにそれが物象化の産物であると分析することに、かえってあまり意味がなくなる。マルクスは商品の価値を物象化の産物として分析して見せたわけだが、今となっては、これは何も感心するほどのことではないということになってしまう。人間の経験のほとんどはもともと物象化の産物なのであるから、というわけである。物象化という概念自体のもつ説明力も薄れてしまう。

さらに、これも後に詳しく取り上げる予定であるが、廣松が最終的には「意味」という現象そのもののなかに物象性を見出していく手続きについても検討の余地がある。彼は、ある所与をそれ以上・以外のなにか(所識)として認識するという「二肢的二重性」をわれわれの認識における基本事態としてとらえ、そこから出発して、所識としてのイデア的意味、その物象性を浮き彫りにするという仕方で、物象化の事実にわれわれの注意を喚起し、ついでそれがいかに生じるのかを説明するという段取りで議論を進める。その議論に追従していくとき、たしかにわれわれ自身も、たとえば「意味」を一種のイデア的な存在態として思念しているという事実を認めさせられるということになる。しかし問題は、これが、そして認識の「二肢的二重性」自体が、はたしてわれわれが世界に向かっているときの認識の通常のあり方だと言えるのかどうかという点である。それは反省的・哲学的な特殊なスタンスのもとでのみ見て取られる二重性であり、物象性であるとは言えないだろうか(例えば浜本 1989a)。われわれは普段の生活において、意味という言葉をごく普通に用いながら物事について考えたり語ったりしているが、その際に、ほんとうにその都度なにやらイデア的な存在態を思念したりしていると言えるのだろうか。またさらに、例えば彼の用いる例でいえば、黒田節を聴いているという際に、はたして実際に<所与である一連の音>を<所識たる「黒田節」>として聴いているという二重化された認識は成立しているのだろうか。ただ黒田節を聴いている、あるいは黒田節が聞こえているという、単に何ものか一つの対象についての意識があるだけなのではないだろうか。

こうした問題について一定の結論を出す前に、上述の廣松渉の物象化の定式とマルクスの物象化理論とのつながりの問題に戻ろう。

1−4.マルクスから廣松渉の物象化論へ

物象化についての廣松の上記の定式化が構造主義経由ではなく、マルクス、エンゲルスの著作経由であることに注意せねばならない。廣松が彼のマルクス研究からどのようにその物象化論を導出していったか、それを正確に捉えておく必要がある。資本論の改訂過程における記述の変化までも考察の対象とした廣松の詳細なマルクス研究に対して、門外漢の私があつかましくも批判を加えようというのではない。廣松自身の論述に従って、彼の議論の特徴を整理しておこう。

すでに述べたように廣松は、マルクス初期の疎外論が後期の物象化論によって批判的に乗り越えられたという見解に立つ。しかしその議論が当初から解決すべき一つの困難を抱えていたことも廣松ははっきり自覚している。マルクスは後期においても、初期の疎外論とほとんど同じ言葉をもちいて語っている場合があるからだ。

廣松は商品の価値についてのマルクスの議論を整理すると三つのテーゼに帰着するという。

「つまり、第一には、商品どうしが交換・等置されるのだから、そこには或る共通な量が存在するということ、しかるに、量的規定というものは質的同一性を前提するから、そこには質的な共通者が存在する筈だということ、この意味で「諸交換価値は一つの同じもの」を表わしているということだ。第二には、交換価値はさまざまな表現様式で量的規定性を表現しうるけれども、それは当の「同じもの」の「現象形態」であって、この現象形態と「実質」とは区別さるべきだということ、第三に、謂うところの「共通の第三者」たる「同じもの」を価値と呼ぶことにすれば、この「価値」は、まさしく相異なる使用価値どうしが等置・交換されるのである以上、使用価値とは端的に区別さるべき「或るもの」だということ…」
(廣松 1974:50)

二つの商品が等置されている以上は、その両者は質的・量的に等しい「何か」を含んでいるはずである。かくして、この両者に含まれる相等しい「実体」とはなんだろう、という形で問いが立てられることになる。この交換において等置されるところのこの「共通な或るもの」---商品価値---の実体を規定するためにマルクスは、商品の使用価値の捨象、一切の自然的属性の捨象を行なった後に「残留」するものを問題にする。その結果、唯一つの属性、「労働の生産物という属性」だけが残る。引用がやや長くなるが、マルクスのこの議論を、廣松による引用箇所によって示そう。

「労働の生産物から使用価値を捨象するとき、われわれは当の生産物を使用価値たらしめる物的な諸成分や諸形態をも捨象することになる。それはもはや、机でも家でも糸でもなく、何らかの有用物ではない。感性的な諸性質はことごとく消失している。それはまた、指物労働、建築労働、紡績労働その他何らかの特定の生産的労働の生産物ではない。労働生産物の有用な性格と一緒に、当の生産物において表示されている労働の有用な性格も消失するのであって、生産的労働のさまざまな具体的な形態も消失し、労働はもはや互いに区別がなくなり、十把ひとからげに、同等な人間的労働、すなわち抽象的人間労働に還元されている。今や、労働生産物のこの残基を考察しよう−−とマルクスは続ける−−。もはや、労働生産物には、同じ幽霊のような対象性、無区別な人間的労働の、つまり、どういう形で支出されるかには無頓着な人間労働力の支出の、単なる凝結(eine blosse Gallerte)しか残留しない。これらの物は、もはや、それらの生産において人間の労働力が支出され、人間的労働が堆積されているということを表示するにすぎない。これらの物は、それらに共通なこの社会的な実体の結晶として、諸価値−諸商品価値である」。「こうして、一つの使用価値、財貨は、抽象的人間労働がその内で対象化、物質化(vergegenstandlicht oder materialisiert)されているがゆえに価値をもつのである」(Ib. S. 52f.)。」
(マルクス『資本論』廣松 1969:224 よりの引用)

このように、廣松も指摘しているように、ここではマルクスは初期の疎外論とまったく同じ言葉遣いで語っている。廣松の物象化論は、この難問の解決と連動している。

『マルクス主義の地平』において廣松はすでに、物象化論を疎外論の乗り越えとして論じているが、その際に、この『資本論』に現れる「抽象的人間労働の『凝結』」という表現(「凝結」という言葉の代わりに「実体化」「対象化」「物質化」などなどの言葉も用いられている)について、その表現自体が「そもそも物神化的な表現であり、いわば比喩的な表現であって、けっしてマルクスの究極的・最終的な規定ではない」(廣松前掲書:225)という説明を行なっている。同じ表現が、『経済学・哲学草稿』においてはほぼ額面どおりに使用されていたのに対して、『資本論』においてはいわば単に比喩として用いられているだけだというのは、門外漢から見れば、控えめに言ってもかなり苦しい説明に響く。この一見して無理のある説明を支えているのは、廣松がマルクスの『資本論』のなかに初期の「疎外論」とは異質なより強力な物象化のロジックを見出したという確信であろう。廣松によると、実は上の「比喩的」な語りが出発点において立てた問いの構造そのものが、すでに物象化の結果として成立した事態---商品の交換的等置を両商品に共通に含まれる「或るもの」に基づいているものとして思念すること---を前提としており、そのうえに立った「抽象的人間労働の『凝結』」という言い方自体が「商品世界における汎通的な物神性に即した表現」に他ならない(廣松前掲書:229)。そして彼によると後期マルクスの物象化論こそ、この「汎通的な物神性」がいかにしてもたらされているか、その機制を解き明かすものであった。結論的に言えば、それは「間主観的協働の...総体的な聯関」(廣松 1972:104)の物象化という機制になるわけだが、廣松の『資本論の哲学』という大著は、その全体がまさにこれをマルクス自身の著述の中に検証しようとする作業になっている。

かくして廣松は『資本論』におけるマルクスの価値論を、二段構えの構図を具えた議論として解読する。主体の間主観的協働の総体的連関、人間労働の特殊な社会的関係態が商品の価値として、つまり物と物との関係として物象化する機制についての解明と、こうして成立した汎通的な物神性に即して事態を比喩的に語る「疎外論」的言葉遣い。もちろん前者によって、初期の疎外論はすでに乗り越えられているという点が重要である。

「『資本論』においては、かつて『人間の類的本質力』という把捉のもとに富の主体的本質とされていたところのものが『社会的労働』として把え返されるだけでなく、それがいかなる『社会的諸関係』の物象化された反照規定であるかということも述定される。今や、かって『人間の類的本質力』という主体=実体の外化・疎外というシェーマで観ぜられていた事態を、一定の『社会的諸関係』の実体化、そして主体化という錯視であるとして対自化しつつ、謂うところの対象的外在態をも併せて関係規定に即しつつ、把え返すことになる。」
(廣松前掲書:188-189)

一応、これによって『資本論』における価値の実体規定をめぐるマルクスの「一見矛盾めいた立論」(廣松前掲書:59)が矛盾ではないことがうまく説明できたのかもしれない。廣松の後に一般化される物象化論の構図---物象化において物象に転ずるのは<関係態>であり、物象化とは関係や関係の内部での反照規定が、項として対象化したり、項に内在する対象的な属性としてとらえられたりしている事態であるという----もこの後期マルクス解釈に基づいている。

マルクスが『資本論』において初期の疎外論をやはり未だ実質的に引きずっていたのか、廣松が言うようにそれを完全に乗り越えて単に比喩的な方便として用いていたのかの判断は私には下せない。しかしたとえ方便であるにせよ、こうした表現が用いつづられていることによって、廣松の後の観点---後述するように、これも物象化論としては不十分なものなのではあるが---からすれば、<関係と項>の対立のみが問題になり、関係態がいかに物象化するかを問題とすればよかったかもしれないところに、<人間と物>という対立が紛れ込んでしまう結果になっている。交換価値の「根拠」はあいかわらず労働(社会的諸関係の物象化された反照規定としてとらえなおされたものであれ)であり、比喩的であるにせよ結晶化した労働なのである。だからこそ人々は交換のなかで彼らの異種の生産物どうしを価値として等置することにおいて実際には「彼らの異種の労働を人間的労働として等置」(廣松前掲書:207よりの引用)しているのだという議論も成り立つことになる。商品の等置が労働の等置になるという議論はけっして自明ではない。<労働こそが、等置される価値の実体なのだ>という前提があってはじめてなりたつ議論である。

マルクスの物象化概念は廣松の研究を通じて「人々の社会的関係が、当事者たちの日常的意識にとっては〈物と物との関係〉としてあらわれる」事態を指すものとして広く理解されている。「人ぴとの目に物と物との関係という幻覚的な形態をとって現われるのは、人びと自身の一定の社会的関係たるにほかならない。…商品世界では、人間の手の生産物が、固有の生命を賦与され、相互間に、そしてまた人間とのあいだに、関係を結び合う自立的な形象であるかのように仮現するのである」(マルクス『資本論』廣松 2001:208よりの引用)。しかしここでも「人と人との間の一関係」と呼ばれているのは、実は労働相互の関係である。「交換価値というものは、実際には、同等で一般的な労働としての個々人の労働相互の関連にほかならず、労働の特殊社会的な形態の対象的表現にほかならない」(マルクス同上 廣松 1974:199より引用)。「商品形態においては人間的労働の相等性が労働産物の相等な価値対象性という物象的な形態をとり、人間的労働カの支出の時間的継続による度量が労働生産物の価値の大きさという形態をとり、…生産者たちの諸関係が生産物の社会的関係という形態をとる」(マルクス同上 廣松 2001:207-208よりの引用)。

しかしいかなる論拠で、価値が労働に結びついているとされているのだろうか。価値の実体を労働の結晶化とする「比喩的な」はずの規定以外の議論は提供されていない。価値は社会関係態が物象化されたものという肝心の議論そのものが、生産物と労働を外化、物化という形で結びつける初期の疎外論の構図を暗黙に前提しているのである。

廣松は、マルクスから関係態が物化するという構制を引き継ぐのだが、「関係」として当初念頭に置かれていた社会的諸関係、人々の労働実践の社会的関係態は、後にはその「社会的」な性格をすこしずつ希薄にしていく。すでに見たように、最終的には項相互の対他的・示差的な反照規定性にまで抽象化される。まるで廣松自身が、マルクスの初期の疎外論の尻尾をおおいそぎで切り捨てようとしているかのようにすら見える。その過程で物象化概念そのものがあまりにも一般化され拡散してしまったように思えるのも、すでに指摘したとおりである。

1−5.小結

物象化が字義どおりには「物ではないなにものか」が「物」に化するという現象であるとするなら、物象に転じる「物ではないなにものか」がいったい何であり、それがどういう意味で「物ではない」のかをはっきりさせておく必要がある。この観点から、主として廣松渉の議論によりながら、物象化が語られる二つの経路を検討した。一方では、人間、人格的なもの、主体的なものが「物」と対置され、物象に転じる当のものであると考えられており、もう一方の経路では、物(項)の間にあると思念される関係が、物と対置され、それが項にそなわった何かとして内自化されたり、それ自体ある種の実体として対象化されたりする形で、物象化が考えられていた。前者は人と物、主体と客体という区別そのものが存在論的にあやういだけでなく、そこでは物象化というプロセスそのものがきわめて神秘性を帯びてしまう。他方後者が関係の物象化を、関係がそれを担う項の属性として内自化される、あるいは関係の結節点が対象的に項としてたちあがることに見るとき、それは人間の世界認識にとってあまりにも一般的な特徴であるために、それをあえて物象化として問題にする意義が薄れてしまいかねない。

マルクスの貨幣の物神性についての議論が、単なる初期の神秘的な疎外論にも、交換における単なる対他的反照規定が価値として項(商品)に内属する実体として思念される---それを商品、つまり物どうしの関係ではなく、人と人との社会的関係だと述べることは、すでに見たように、そこに単に初期の疎外論を持ち込むことでしかない---という一般的な関係論的事実にも還元できないとすれば、おそらくそこにこそ物象化論の可能性の核心が見出せるはずである。次の章では廣松、柄谷を参照しつつ、マルクスの価値形態論の具体的な詳細を検討しつつ、物象化を主題化する第三の経路を探求しよう。

2.価値形態論と物象化の経路

2−1.サミュエル・ベイリーと価値形態論

『資本論』におけるマルクスの価値形態論の形成において、「経済学者としてみれば、特に『大物』ではない」(廣松 1974:87)サミュエル・ベイリーによるリカード批判が果たした重要性におそらく初めて注目したのは、やはり廣松渉である。リカードは全ての商品には内在的な価値があり、それはその商品の生産に投下された労働量によって決まる、つまり商品に内在するある種の実体、あるいは本質的属性として価値をとらえ、それがそれ自身の根拠を労働にもっていると主張した。それに対してベイリーは「価値という概念に対応する実体的本質の存在を否認するだけでなく、価値という対象的属性の存在をも否認する」(廣松前掲書:90-91)一種の唯名論的な立場に立つ。「価値は、何かしら絶対的ないし内在的なものを指示するのではなく、二つの対象が交換されうる商品として相互に立つ関係たるにすぎない」。「価値は二つの対象のあいだの一関係を指示するのであり、いかなる商品についても−−明示的にせよ暗黙にせよ−−他の商品との関連なしには述定できないという事情にあるわけで、この点で、価値は距離との類似性をもつ。…事物が他の事物との関連なしにそれ自身で価値をもつことができないのは、事物が他の事物との関連なしにそれ自身で距離をもつことができないのと同様である」(ベイリー『価値の本性、尺度ならびに諸原因に関する批判的論究』廣松前掲書:92 よりの引用)。後の廣松の言葉を用いて言うならば、価値とは諸事物相互の交換関係を通じての反照規定にすぎない、ということになるだろう。ではなぜ人々は、価値を商品に備わったなにか本質的な属性のように考えるのだろう。ベイリーは「商品一般」とりわけ「貨幣」との恒常的な関係にその原因を見出す。「価値を何かしら内在的・絶対的なものとみなす想念が生じたのは、他の諸商品ないし貨幣との恒常的な関連というこの事情からである」(同上)。商品が他の諸商品に対して、あるいは「貨幣」との間でもつ相互参照関係の「恒常的」で、それゆえ安定した全体性、一つのシステムが想定されている。ベイリーはある意味で、後の廣松の物象化論の構図をほとんど先取りしているといってよい。つまり商品に備わっている属性であるかのように思念される価値とは、本来商品相互の交換のシステムのなかでの対他的反照規定であるところのものが物象化的に錯認されたものにほかならない(廣松の言葉遣いを模倣してみたのだが)というわけである。関係態の物象化として価値をとらえる議論であればすでにこの段階で完結している。後の廣松の物象化の定式化からみるとき、なぜ廣松がこの段階でマルクスといっしょになって、ベイリーを批判するのか、疑問に思われよう。

ベイリーのリカードに対する批判を「この反駁は一語一語正しい」(マルクス『剰余価値学説史』廣松前掲書:101よりの引用)と認めた以上、マルクスはそれが価値の実体的基礎としての労働という彼自身の枠組みに対しても再考を迫っていることも認めないわけにはいかなかった。その結果として生み出されたのが『資本論』の価値形態に関する叙述である。廣松によるとマルクスはそれによって「価値関係・交換価値・価値形態の実体的基礎をなす抽象的人間的労働に独自の存在性を明示的に与える」(廣松前掲書:163)ことを通じて、「ベイリーの軍門に降る」(同上)ことなく、「リカード派の価値実在論とベイリー流の価値唯名論との対立」を「止揚」することができた(廣松前掲書:274)。それが真の止揚であったのか、単に初期マルクスの疎外論的構図に対する固執にすぎないのかはさておき、我々が注目せねばならないのは、商品の価値を対他的反照規定にすぎないとするベイリーの議論自体に大きな難点があり、マルクスがそこに気づいていたという点である。

話をわかりやすくするために、マルクス(そして廣松)自身が行っている議論そのものから少し離れよう。ベイリーはまず価値とは商品相互の相対的な関係にすぎないという。そして、にもかかわらずそれが商品に内在する何かであるかのように考えられることの理由を、他の商品一般との参照関係が「恒常性」をもっていること、言い換えればそれが一つのシステムをなしていることに求める。しかしこの議論は二つの点で不十分であることがわかる。

まず第一に彼の議論はその当のシステム自体の根拠を問うていない。価値とはしかじかの仕方で(相対的比率で)交換されているという関係に過ぎない。しかしなぜその商品が他ならぬその仕方で交換されているのか。そしてそうした交換全体が一つの恒常的な全体性であるのなら、それはいかにして成立しているのか。ここで「慣習」、あるいはいわゆる相場を持ち出すことは何の解決にもならない。体系性の成立を説明するのに、すでに存在している体系性を持ち出しているだけのことだからだ。

ベイリーの見解は極論すると、交換とそれによって成立する関係を第一原因に置いた説明であるとも言える。しかし交換はけっして真空中では起こらないし、また一回、一回の交換がユニークで他とは切り離された独立した出来事であるわけでもない。交換当事者も、真空中に孤立した自由な個々人ではない。もしそうであれば、個々の場面でどんな仕方で交換が成立するかはまったく予測不可能であるということになるだろう。その都度その都度で何が何とどのような比率で交換されるかが独立に決まるというのであれば、交換の総体は決していかなるシステムも結果しない。まさにそこに体系性があるということ自体が説明されるべき謎なのである。交換がもし全域的で恒常的な体系性を示しているとすれば、そのことは、交換そのものがすでに何か他のものによって規定されているということを、つまり何かに基づいていることを示しているのかもしれない。しかし、もし交換とその総体がこうしたそれとは別の何かによって規定されているのであるとすれば、その結果としての価値にも内在的・実体的な根拠があったということにはならないだろうか。もしその体系性が、交換以外の他のなにかに原因をもたず、したがってベイリーが主張するように価値には、商品の相対的関係以外になんの内在的な実態的根拠もないのだとすれば、それがどうしてそうした体系性をもちえたのかが謎として残る。ベイリーはこうした問いを問わない。もちろん、廣松によるとベイリーは「価値の原因」---「人々の心に着実に作用する...外部的諸事情」---を考えていなかったわけではない(廣松前掲書:93)。しかしそれは「生産費」といったものであり、このこと自体、すでに価値のそして交換のシステムの存在が前提となってしまっていることを、逆に示してしまっている。廣松によると、ベイリーは「価値の形態に眼を奪われて、それを支えている深層構造の概念的把握を失している」(廣松前掲書:102)ように見える。

ベイリーの議論の第二の問題点は、彼がマルクスと異なり商品の物神性をとらえていない、つまり商品が不思議なものであるとは考えていないという点である。商品は「一見したところ平々凡々たるものにみえ」るが「分析してみると、商品は形而上学的な詭計にみち神学的な意地悪さでいっぱいの甚だ厄介なしろものであることが判」るとマルクスは言う(マルクス『資本論』廣松前掲書:198よりの引用)。単純に言えば、それは商品が自然形態であると同時に、価値である、つまり「超自然的・超感性的な属性」(廣松前掲書:176)を内在させているようにみえるという事実である。価値が関係であること、つまり対他的な反照規定であること、このことをベイリーは示した。しかし謎は、それがなぜ個々の商品に内属する属性であるかのように現れるのかという問題だ。ベイリーはそれを謎とは考えない。商品相互の(そして貨幣との)参照関係が恒常的であることを指摘すれば、それで十分だと考えている。しかし彼は、恒常的な参照関係、あるいは廣松流に言えば関係的な反照規定が、商品に内属する属性として対象化されること自体を説明するいかなる理屈も用意していない。廣松であれば、まさにこれこそが「物象化」の過程---廣松自身もこの物象化の過程そのものについての理屈をけっして十分に用意していないように見えるのだが---だということになるが、ベイリーはそもそもそれを謎とはまるで考えていないのである。マルクスは、個々の商品がなぜ価値を内自的にそなえた姿をとるのかを問いとしてたてることによって、少なくともこの謎に向かい合っているように見える。

当の体系性を不問に付したままで、商品の価値を交換を通じての商品相互の恒常的な対他的な反照規定にすぎないと言ってしまうだけではまったく不十分なのだ。この点でベイリーはマルクスにとって、依然として価値の真の原因を理解しない「物神崇拝者である。というのは、彼は価値をたとえ個々の物の属性として(孤立的に考察して)いないとはいえ、諸物相互の関係として把握しているからである」(マルクス『剰余価値学説史』廣松前掲書:99-100よりの引用)。

さらに、ベイリーが商品世界の体系性を当然のように前提とし、その根拠を問おうとしていないとすれば、それと同時にベイリーは貨幣そのものの存在も説明抜きに前提としてしまっている。ベイリーは価値を商品相互の相対的関係にすぎないとするのだが、そこで「他の諸商品とりわけ貨幣との恒常的な関係」について語っていた。彼の議論の中に貨幣はいつのまにかすでに登場している。しかしその存在自体が問題として主題化されることはないのである。マルクスは次のように批判する。

「ベイリーによって示されているのは、諸商品価値は一つの貨幣表現を見出すことができるということ〔だけ〕である。……彼は貨幣表現においてそれが表現されているのを見出すのであるから、この表現がなにによって可能になるのか(本当の問題、すなわち、Aの交換価値をBの使用価値で表現することはどのようにして可能なのか−この問題は彼の心に全く浮かんでいない)、どのようにそれが規定されるのか、また、それは実際にはなにを表現するのか」(Ib.S.154f.Vgl. S.147)ベイリーはこれを「理解する必要」を認めないのである云々(マルクス同上 廣松前掲書:97よりの引用)。

商品が貨幣に対して、そしてこの貨幣との関係を通して、他の商品一般とある恒常的な関係にたっていること、これこそ商品世界の体系性がとる具体的な形である。まさにこのことが、商品にそなわる価値対象性---商品がまるで自らの内部に価値という実体を内在させているかのように立ち現れていること---にもかかわっているのだとはいえないだろうか。そうだとすると、商品世界の体系性は、貨幣の存在そのものについての説明と同時にしか解き明かされないだろう。

このようにベイリーの価値唯名論は、その最も中心的な問いに答えるどころか、その問いを問いとして立ててすらいない。しかしその解決は、マルクスや、『資本論の哲学』において廣松が言うように「それを支えている深層構造」(廣松前掲書:102)を持ち出すことによってなされるべきものなのだろうか。その場合「深層構造」とはいったい何にあたることになるのだろう。再び価値を実体論的に、「抽象的人間労働」が「対象化」「物質化」「凝結」したものとしてとらえよということなのだろうか。もちろん廣松は、この段階でのマルクスのこうした言い方は「比喩」にすぎないと言うだろう。そして『資本論の哲学』で論証しようとしているように、それは実際には「社会的生産・交通のある歴史・社会的な編制(表現が循環的になることを憚らず要言すれば“商品経済的”に編制された特殊歴史的な社会的諸関係)の反照規定」(廣松前掲書:216)のことを指しているのだと言うだろう。しかしマルクスは廣松の再解釈の試みにもかかわらず、上のベイリーに対する批判の中にも明らかなように、価値の源泉を人間の労働にもとめるという初期の疎外論的な語り口に絶えず落ち込んでいく。その問題点については前節ですでに指摘したとおりである。一方それを「社会的生産・交通のある歴史・社会的な編制」---これこそが問題の「深層構造」であるということになる---に読み替えようとする廣松の試みは、皮肉なことにベイリーの議論の難点を別の水準で再生産してしまうに過ぎないことがわかる。なぜならその当の「深層構造」、「歴史・社会的な編制」の体系性自体が、今度は前提とされ不問に付されていることになってしまうからである。すでに述べたように、物象化を関係態における反照規定にもとめる廣松の議論は、その関係態がどの水準においてとらえられているかの違いを除くと、実はとことんベイリー的なのである。

ベイリーに対質するなかで再措定された価値の実体論的規定ではないところ、ベイリーに即してマルクスが価値形態について再考察した問題提起のなかにこそマルクスの物象化論の、廣松が十分には気づいていないかもしれない、より重要な契機が、おそらくはひそんでいる。その点に着目したのが柄谷行人である。

2−2.マルクスの価値形態論

「たしかに価値形態論は、一見すれば、『貨幣の必然性』を、証明しているだけのように見える。しかし、貨幣の自己実現というヘーゲル的展開にもかかわらず、マルクスは、貨幣の成立が商品あるいは価値形態をおおいかくすことを語っているのだ。」『マルクスその可能性の中心』において柄谷はこう断言する(柄谷 1978:24)。

マルクスを「それ以外のいかなる場所でも読まないだろう」と言い、それが「マルクスをその可能性の中心において読む」ことだと述べる柄谷は、廣松のようにマルクスのテキストの一見した矛盾を解消し、そこに整合性を見出すことには関心を向けていない。マルクスが『資本論』の冒頭で行っている、二つの相異なる商品が等価であるためには、なにか「共通の本質」がなければならず、それは商品に凝結した人間的労働であるという例の議論についても柄谷は、「貨幣形態の起源を問うとき、マルクスは、もはや『等価』や『共通の本質』という考えを切りすてている」(柄谷前掲書:33)と断定して一言で処理してしまう。しかしこうしたある意味で乱暴な扱いが、一気に重要なポイントへと我々を連れて行く。

「貨幣の成立が...価値形態をおおいかくす」ということで、柄谷はいったい何を言おうとしているのだろうか。

「マルクスのいう商品のフェティシズムとは」−−と柄谷は確認することから始める−−「『自然形態』つまり対象物が『価値形態』をはらんでいるという事態にほかならない。」(柄谷前掲書:29)しかし柄谷は「だが、これはあらゆる記号についてあてはまる」(同上)と述べて、ただちに記号とのアナロジー---記号は意味をはらむ---で考え始める。そのとき記号学(構造言語学)で立てられる問いと、マルクスが立てる問いは同じ形をとる。言語を言語たらしめるもの、つまり言葉が「意味」をもつようにするものはなにか、この問いは「商品を商品たらしめるものはなにかという問いと同じである」(柄谷前掲書:30)。柄谷によると、前者の問いに答えようとしたソシュールの新しさは「言語を価値としてみようとしたことにある。つまり、それは言語を『意味するもの(シニフィアン)』の示差的な関係の体系としてみることであり、意味はアプリオリにあるのではなく差異づけの体系のなかで、いいかえれば、語と語の間からあらわれると考えることである。」同様に、マルクスの価値形態論も「商品が価値形態−−示差的な関係−−である」ことを示すものである。

廣松がマルクスとエンゲルスのテキストの詳細な読み返しを通して到達した地点に、柄谷は構造主義の近道をとおって一気にたどり着いているのがわかる。意味が「差異づけの体系の中で...語と語の間からあらわれる」というのは、表現こそ奇抜だが、廣松の言い方で、意味とは関係態における項どうしの対他的反照規定であるところのものが項に内在するものとして現相したものだと述べるのと同じである(また、真似してしまった。廣松の語り口が癖になってしまうとやばいかもしれない)。しかし柄谷の読みの本当に鋭いところはここではない。重要なのは貨幣の成立がこれをおおいかくしているのだという指摘である。

いましばらく、マルクスの価値形態論の柄谷による読解に沿っていこう。『資本論』においてマルクスは「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」「総体的または拡大せる価値形態」「一般的価値形態」そして「貨幣形態」の4つの段階をたどって貨幣の必然性を説くという形で議論をたてている。

「単純な価値形態」例えば「20エレの亜麻布が一着の上衣に値する」という場合、亜麻布は自分の価値を上衣の価値によって相対的に表現している。この関係において、上衣によって自らの価値を表現してもらう亜麻布は「相対的価値形態」にあり、亜麻布の価値を表現する材料として機能している上衣は「等価形態」にあるという。

『マルクスその可能性の中心』での柄谷は、この「単純な価値形態」については、やや奇妙な理解を提示する。「ソシュールにならっていえば、相対的価値形態は『意味されるもの(シニフィエ)』、等価形態は『意味するもの(シニフィアン)』であり、これらの結合としての価値形態が記号(シーニュ)なの」(柄谷前掲書:34)だというのである。これは単に間違っているという以上に、ほとんど意味をなさない主張なのだが、この時点での柄谷が「単純な価値形態」のもつ重要な意味をいまだとらえていないことをよく物語っている。柄谷は「単純な価値形態」を単に二つの商品の間の相互参照関係として理解している。彼は言う。「《一商品の価値は他の商品の使用価値で表示される》。しかし、たとえば亜麻布の価値なるものが内在的・超越論的に存在するわけではない。ここには、たんに亜麻布と上衣という「相異なる使用価値」があるだけなので、その関係のなかから「価値」が出現するのである。」価値を商品どうしの相対的関係にすぎないととらえたベイリーの理解と同じであり、その限りにおいてこれは間違った理解であるとはいえないが、マルクスが最も多くのページをさいてまで詳述している「単純な価値形態」の秘密の適切な理解とはいえない。実はここで重要なのは、相対的価値形態と等価形態のあいだの非対称なのだが(これは廣松によって別の観点から詳細に問題にされているが、ここではそれについての詳しい論述は省略したい)、このことに柄谷が重要な意味を見出すのは後の『探求I』においてのことである。しかし今はこの問題には深入りせずに先を急ごう。

次に、マルクスにとっての価値の第ニの形態「総体的または拡大せる価値形態」は、


20エレの亜麻布=1着の上衣
または          =10ポンドの茶
または          =2オンスの金
または          =云々


といった無限系列がその内容である。

これは一見すると全ての二つの商品の相対的な関係である「単純な価値形態」の無秩序な寄せ集めに過ぎないように見える。しかし実はここに一つの体系性の萌芽が隠れている。マルクスは次に「拡大せる価値形態」における上記の等式を一気に反転してみせることによって、それを明らかにする。


1着の上衣     −|
10ポンドの茶   | = 20エレの亜麻布
2オンスの金     |
云々           −|

一つの商品が他の諸商品に対して等価形態の位置をしめている。一見した無秩序な寄せ集めに「中心」が見出されることになる。これが「一般的価値形態」の内容である。

特定の商品がこうした「中心」として歴史的・社会的に固定化されるとき、最後の「貨幣形態」が確立されたことになる。「単純な価値形態」はしたがっていわば萌芽状態の貨幣であり、ここでは「単純な価値形態」から「拡大せる価値形態」へ、さらに「一般的価値形態」ついで「貨幣形態」への必然的発展が語られているようにも見えるかもしれない。

『マルクスその可能性の中心』における柄谷の独創は、このありきたりの理解を反転させるところに見出される。柄谷は言う。「マルクスは...中心としての一商品の出現の不可避性を説く。けれども、この叙述は、実は転倒しているというほかはない。『総体的または拡大せる価値形態』こそ、一般的価値形態または貨幣形態を非中心化したときにやっとみいだされる『中心のない関係の体系』なのだからである。言語学においてソシュールはちょうどこの地点に到達したのであり、レヴィ=ストロースはそれを人類学に適用したのである。この形態が未完成だというのは、むろん貨幣形態を完成態とみなす目的論的思考である。それは未完成であるどころか、“完成された”もののなかで見うしなわれる原初の光景なのだ。」(柄谷前掲書:35-36)

柄谷が貨幣が価値形態を隠蔽すると述べる意味はもはや明らかであろう。繰り返しになってしまうが通常の理解によると、マルクスの価値形態論においては、ニ商品の簡単な交換から始まる相対的な参照関係(「単純な価値形態」)の寄せ集まりが、やがてそれ自身のうちに一つの体系性をはらんでくる。たとえそれが中心を欠いたものであろうとも(「拡大せる価値形態」)。なぜならその参照関係の雑多な連鎖と見えたものは、見方を変えれば、実は(おそらくは複数の)特定の商品を等価形態として中心化されていることがわかるからである(「一般的価値形態」)。そして最後にその中心を単一化し固定化する「貨幣形態」が登場すると。この理解によると、貨幣が出現する前にすでに体系はほとんどできあがっていることになる。その段階では全ての商品はそれぞれがすでに「価値」をもっている。貨幣は単にほとんど出来上がった体系性の最後の仕上げに登場するだけのものになる。それは、すでに商品に備わっている価値を表現するだけのもの---より均一で統一された仕方ででであれ---にすぎないものになり、すでに存在している体系をただより可視化させるだけの、いわば二次的な余計なものということになってしまう。実際、古典派経済学はこうした意味で貨幣を二次的なものと考えていた。『経済学事典』は、財の「価格」は通常「財1単位と使用されている貨幣の交換比率で表わされる」が、「取引が行われれば(すなわち市場が存在すれば)価格は決定するから、貨幣の存在自体は価格概念の前提とはならない」と述べる。まるであってもなくても良いような存在なのだ(『経済学事典』、深田 nd よりの引用)。貨幣はベイリーにとってそうであったように、古典派経済学にとっては謎でもなんでもない。これに対して、貨幣を究極の謎と考えているのがマルクスであるとするなら、こうした通常の理解は、実はマルクスを転倒させたものなのだ。

柄谷が指摘しているのはまさにそれである。「拡大せる価値形態」は貨幣が登場する前にすでに出来上がっていた中心を欠いた体系などではない。まさに貨幣によって作り出された体系性から、貨幣を非中心化し、取り去ってみたときにそこにみいだされる光景、文字通り「完成したもののなかで見うしなわれる光景」なのである。

貨幣は単にすでに出来上がっていた体系性の最終産物ではなく、まさに貨幣形態こそが当の体系性をもたらすのだ。その体系の中での相対的な相互参照関係にほかならない商品の価値は、その中心である貨幣との関係の中に一律に表現されることになる。価値がそれぞれの商品にふくまれる共通の実体となるのはその結果である。しかしそのことが逆に貨幣を再び二次的な存在に見せかけることになる。柄谷は言う。「古典派経済学は、二つの異質な使用価値が等価たりうる根拠を、そこにふくまれた同質な人間的労働にもとめる。実はこれは貨幣形態を前提した発想であり、貨幣を各商品の中に内在させることだ。つまり、貨幣の成立によってはじめて各商品は“共通の実体”をもつかのようにみえるのに、彼らは各商品はもともと“共通の実体”をもつのだと考えるのである。」(柄谷前掲書:48-49)その結果として逆に貨幣は、その共通の実体、商品の価値の単なる二次的な表示形態であり、尺度にすぎないと考えられるようになる。

したがってより正確には、貨幣は“自らの存在を隠蔽する”ことによって、価値形態を隠蔽するといった方がよい。なぜなら自らは二次的なものとして身を隠し、価値を商品に内在する何らかの実体にしたてあげることを通じて、貨幣は「単純な価値形態」つまり価値が異なる使用価値のあいだの相対的参照関係に過ぎないという事実を隠蔽してしまうことになるからである。

しかし、柄谷のこうしたマルクスの価値形態論解釈が正しいとすれば---マルクスについての解釈としてどうであるかは別として、私はその議論そのものは正しいと思う---それはある意味で貨幣の謎をますます際立たせることにはならないだろうか。貨幣はまさに体系の体系性を支えていながら、こうして出来上がっている当の体系にとってはまるで余計な二次的なものであるかのようなのである。なぜなら貨幣によって中心化された体系から、当の貨幣をとりさったとしても、貨幣以外の商品の相互の参照関係にはなんの変化も生じない。20エレの亜麻布(2万円)=1着の上衣(2万円)の関係は、商品世界の体系から貨幣が突然消滅したとしても20エレの亜麻布=1着の上衣として、なんの変化もなくそのまま残る。体系の体系性はあたかも貨幣などいらなかったかのようにそのままそこにある。さらに貨幣は、価値の実体化を支えながら、当の価値にとっては二次的な単なる表示であり尺度にすぎないものとして映る。われわれにしても貨幣は、商品の値打ち---すなわちそれに内在する価値---を単に「表現=表示」するだけのものにすぎないとごく普通に考えている。

自らが作り出す当の体系性にとって、分析的には余計なものとして現れること、これこそが貨幣形態の最も奇妙な特徴なのである。貨幣形態はみずからが可視化させた秩序の前で姿を消すのだと言ってもよいかもしれない。そして貨幣形態がはじめて可能にした秩序の諸特徴が、あたかも最初からそこにあったかのように経験されるのである。『マルクスその可能性の中心』において柄谷はこのことを必ずしも一貫した形で明示的には述べていない。おそらく「単純な価値形態」の真の謎の重要性がまだこの時点では十分に把握されていなかったためだろう。単に貨幣の存在が、価値が実際には使用価値のあいだの参照関係に過ぎないという事実を隠蔽するという点が強調されているだけである。しかし実はこれも貨幣形態のもとで成立している現実を前提とした見方なのだ。相互参照関係から価値が出現すること自体は自明視されている。しかし後述するように、相互参照関係からかならずしも「価値」は出現しない。そうなること自体が、実はすでに体系性の効果なのである。価値は実際には使用価値のあいだの参照関係に過ぎない、と語ること自体が、ベイリーがそうであったように、その相互参照関係が一つの体系を作っているという事実を暗黙のうちに前提にしてしまっている。柄谷の議論は、体系という事実にいらだちつつも、つねにいたるところに体系性を前提としてしまう議論である。貨幣が切り開いた光景にあい変らず目がくらんだままになっているのだ。実は最大の謎はまさに体系が存在するという事実なのであり、貨幣によってここで隠蔽されているのは、体系性は不在でありえたという手に負えない可能性そのものである。しかしこのことを理解するためには、もうしばらく「単純な価値形態」に含まれる問題につきあう必要がある。

2−3.交換の不確定性と貨幣の物神性

雑誌『群像』に1985年新年号から掲載が始まった一連の評論---『探求I』(柄谷 1986)はそれを一冊の本にまとめたものである---において柄谷は再びマルクスの「単純な価値形態」から議論を始めている。そこで彼もついに相対的価値形態と等価形態の非対称性に着目する。しかし、その議論はかならずしも上で私が示した方向には向いていない。

「マルクスの功績は、....交換の根底に、そのような非対称性を見出したことにある」(柄谷前掲書:15)と柄谷は言う。しかし、その非対称性はただちに「売る立場と買う立場の非対称性にほかならない」(同上)とされ、交換そのものに内在する不確定性に結び付けて考えられる。売る立場は、交換が成立するという何の保証もなしに交換に入っていかねばならない。商品の価値は、こうした根拠のない「命がけの飛躍」のなかでしか実現しない。商品のそれぞれに貨幣によって表示されるような価値がすでに内在しており、それにしたがって---つまり同じ価値のものが交換されるという具合に---交換が行われると考えることは、この交換の根本的な無根拠性とそこでの売る立場と買う立場の非対称性をおおいかくしてしまう。こうした柄谷の理解は、マルクスの物象化論についての彼独自の再解釈を生み出すことになる。

「マルクスが、社会関係が貨幣形態によって隠蔽されるというのは、社会的な、すなわち無根拠であり非対称的な交換関係が、対称的であり且つ合理的な根拠をもつかのようにみなされることを意味している。物象化とは、このことを意味する。それは、『人間と人間の関係が物と物の関係としてあらわれる』とか、関係が実体化されることを意味するのではない。そんなことはマルクスでなくても誰でもいいうることにすぎない。」
(柄谷前掲書:17)

例によってえらく高飛車で独断的な主張である。「物象化とは、このことを意味する」といきなり言われても、それのどこが「物象化」なのかと聞き返したくなってしまう。ではあるが、「単純な価値形態」の最大の秘密が、その等式の左辺「相対的価値形態」と右辺「等価形態」のあいだの非対称性であると気づいたのはおおいに評価してよい(と、私も高飛車になってみる)。体系の成立によって互換性が保障された後では隠蔽されてしまうこの非対称性---なぜならそのとき<20エレの亜麻布=1着の上衣>という等式とその右辺と左辺を入れ替えた等式<1着の上衣=20エレの亜麻布>は同じことを言っているようにしか見えないのであるから---こそ、『マルクスその可能性の中心』において柄谷が用いた「貨幣の成立が...価値形態をおおいかくす」という表現が真に指していたはずの事柄である。さらに、あらゆる現実的な交換が、そもそも共約不可能なものを等置するというありえない実践であり、その成立が実は前もっては何によっても保証されていないという根本的な不確定性をかかえていること、したがって「盲目的な跳躍」(柄谷前掲書:50)としてなされるしかないという事実に注目したのも、なかなかよい着眼である(と、ふたたび高飛車になってみる)。しかし問題は、この両者が同一視されてしまうことにある。

「盲目的な跳躍」だの「命がけの飛躍」だのの大げさな物言いには---もし文字通りにそうなら、商売人は死にまくりである---しばらく我慢して、柄谷の議論を追ってみよう。

彼がここで強調しているのは、すでにモースが贈与論においてとりあげていた不確定性と基本的にはそう違いがないことがわかる。モースによると差し出した贈物は、受け取りを拒まれる可能性をつねに含んでおり、返礼がなされない可能性にさらされている。だからこそそれらを有無を言わさず従うべき義務として定立することによって、贈与慣行そして交換は社会的に---しかし成功の確証なく---保証されねばならないのだ。柄谷がここで言うのも、いくらこちらから物(商品)を差し出しても、それが買ってもらえる保証はない、それは受け取りを拒まれ、反対給付を得そこなう危険とつねに隣り合わせである、ということである。いったん交換が成立した後では、それは規則に従った必然に見える。あたかもそうなることがすでに定められていたかのように。あるいは(商品交換の場合なら)両者は等しい価値を持っていたがゆえに、交換されたかのように。しかしこれは明らかに転倒した見方なのであり、商品の価値は、そのまっただなかでは成立がまるで保証されていない交換という行為を通じてはじめて確定する。交換に先立って、いくら自らの値打ちを主張したところで、買ってもらえなければ、そんな主張はむなしい。柄谷が言うように「あらゆる商品に、貨幣によって表示されるべき価値が内在し、交換過程はその実現に過ぎないという考えは、われわれの実際の「売る」経験からみると、まったくずれている。そこでわれわれが経験するのは、合理的基礎のない飛躍であり、反復しえないものの反復(キルケゴール)だからだ。」(柄谷前掲書:90)

柄谷は売り手が自らの商品の価値について言うことが出来るのは、交換という盲目的な跳躍の後になってであるという点を繰り返し強調する。「相異なる生産物が等置されるのは、それらが何らかの“共通の本質”(同質の労働)をふくんでいるからではない。実際にそれらが等置されたあとで、そのような共通の本質が想定されるにすぎない。ここで、マルクスが、物象化されてしまうという『社会的性格』が何であるかは、すでに明らかだろう。『社会的』とは、たんに『関係的』ということではない。むしろ、それは、交換(=等置)という『行為』に存する、盲目的な跳躍を意味するのだ。『規則』によって、等置という行為の仕方が決定されるのではない。その逆である。等置という行為があったあとで、そのつど規則が見出されるにすぎない。」(柄谷前掲書:50)

交換は、交換されるものに“前もって”内在している価値のようなものによって保証されてなどいない。したがって売ることはつねに一種の賭けになってしまう。この交換の不確定性の前での売る側の立場と買う側の立場の非対称性は、柄谷にとって、「単純な価値形態」における相対的価値形態と等価形態との非対称性のなかに見出されることになる。


20エレの亜麻布 = 1着の上衣
(相対的価値形態) (等価形態)

というすでに繰り返し出てきた等式について柄谷は言う。

「この等式が示すのは、二十エレのリンネルは、自らに“価値”があるということができず、一着の上着と等置されたあとで、はじめてその自然形態によって価値を示されるほかない、ということである。あとでいうように、ここで価値の“社会性”がいわれている。二十エレのリンネルの価値は、言葉の意味(規則)がそうであるように、他者(他物)に受けいれられたとき、そのときにのみ事後的に与えられる。ところが、一着の上着は、まるでそれ自身のなかに価値をもっているようにみえる。商品のフェティシズムは、そのような等価形態から生じる。」
(柄谷前掲書:93)

自分自身で自分の価値を示すことができない相対的価値形態にたつ商品に対して、「等価形態にある商品には、価値が実体としてあると思われる。」(柄谷前掲書:97)これが単純な価値形態のなかにひそむ非対称性である。そして貨幣とはまさに、つねに「等価形態にある商品」にほかならない。貨幣の物神性、あるいは「呪物崇拝」の秘密はここにあると柄谷は言う。「貨幣の呪物崇拝の謎は、ひるがえっていえば、商品自身には価値は内在せず、他の商品(貨幣)と交換されるほかに価値を与えられないという条件にもとづいている。」(柄谷前掲書:97)そして交換は、前もってその実現が保証されない無根拠な実践であるので、売る立場、つまりその価値を実現するためには他の商品(あるいは貨幣)と交換してもらわねばならない立場は、きわめて危ういことになる。それに対して等価形態にたつ商品、あるいは貨幣はすでに価値を内在しており、価値の実現のためにあやうい交換に飛び込む必要がない、そんな存在として映る。これこそがその呪物性なのである。

「マルクスは、貨幣が価値尺度や流通手段ではなく、商品の等価形態なのだということ、それゆえに呪物崇拝が生じるのだということをいいたいのだ。いいかえれぱ、貨幣を尺度または手段とみなす、したがって売ること=買うこととみなす古典経済学に対して、商品の価値形態のなかに、けっして拭いさることのできない対極性を、あるいは「売る」立場と「買う」立場の差異をみいだすのである。」
(柄谷前掲書:94)

以上、「単純な価値形態」における非対称性をめぐる柄谷の議論を要約的にたどってきたわけであるが、柄谷の一連の著作が広く評価されている現実を見てもわかるように、彼のこの鮮やかな議論に一定の説得力があることは確かである。しかしこの一見見事な議論にもかかわらず、「単純な価値形態」における非対称性を、売る立場と買う立場の非対称性として解釈する柄谷の議論には、実は根本的な誤りがある。

第一に、「単純な価値形態」における相対的価値形態と等価形態のあいだの非対称と、交換の無根拠性との間には、そもそもなんの論理的つながりもない。この非対称は、交換が原理的に無根拠であること、つねに失敗にさらされていることによって生まれた非対称性ではないし、この非対称性が交換の無根拠性を作り出しているわけでもない。交換は、あらゆる未来に向けて投げ出された実践につきものの、まえもってその成功を保証されてなどいないという一般的な不確定性をひとしく抱え込んでいるだけであり、その理由からいつなんどきにでも不発に終わる危険にさらされ、成功が前もって保証されていないというだけであって、そのことに相対的価値形態と等価形態の非対称はなんの関係もない。逆に、単純な価値形態におけるに商品の非対称性が、交換のこうした不確定性によって説明できるわけでもない。

第二に、柄谷は「単純な価値形態」において、まるで「相対的価値形態」に立つ商品だけが、自らの価値を別の商品との交換に依存しているかのように語るが、同じことが等価形態に立つ商品についても、それ以上に言えるのだという事実を忘れている。たしかに「相対的価値形態」に立つ商品は、自らの価値を成立の当てのない交換に賭けているとはいえる。しかしそれは交換のイニシエーターとしての積極的なポジションである。それに対して等価形態の方は、徹底的に受動的である。何かがそれに対して自らを差し出す形で交換の口火を切ってくれない限り、そうした相手の出現を待たずしては、それは等価形態にはそもそもなりえないのだから。モースが贈与論で明らかにしたように、差し出した贈物が受け取られずまた返礼もされないという可能性は、おそるべき可能性ではあるが、誰も自分に対して何も贈物として差し出してこないという可能性は、それにおとらず、あるいはそれ以上に悲惨である。だからこそ、受け取る義務、返礼の義務だけでなく、贈与慣行においては「贈ること」も義務として語られねばならないのである。贈物を思い切って差し出す者は、たしかに成功の保証のない「盲目の跳躍」をしているのかもしれないが、誰からも贈物を差し出してもらえない者は最初から奈落の底にいる。柄谷は売る立場が、買ってもらえないかもしれない危険に常にさらされている事をやたら強調するが、一方で買う側の何も売ってもらえない可能性は過小評価している。貨幣が紙切れと化して何も売ってもらえなくなるという可能性は、柄谷が言う恐慌よりもはるかに社会にとって危機的な状況である。等価形態という立場は、相手の売るというイニシアティヴに徹底的に依存した、受動的な立場なのであり、この非対称性だけについて考えている限りは、ある意味で「売る立場」よりもはるかに保証のない弱い立場であるともいえるのである。

第三に「単純な価値形態」における二つの商品の価値関係の成立を、柄谷は交換の成立と無条件に同一視した議論をしている。しかしこの同一視は、商品世界の体系性がすでに成立したところで、「価値」という観念そのものがすでに出現している事を条件とする。柄谷が『マルクスその可能性の中心』で論じていたように、「単純な価値形態」はけっして商品世界が成立する以前のある段階を描写しているのではなく、貨幣形態を非中心化し解体したときに、つまり貨幣とともに成立する商品世界の体系から当の貨幣を取り去ったときに見出される中心のない構造を、さらにその構成要素に解体することによって遡及的に見出されたものに他ならないからである。こうした条件がないところでは、交換は価値の観念とも、いわんや等価性とも無関係に成立する。贈与交換において、口火を切って渡された贈物は、受け取られ、やがて反対給付の贈物が返される。ここでは交換は成立しているのだが、それは二つの贈物をけっして比較可能にはしないし、その共通性も確立させないし、それぞれの贈物に同じ価値があるといった概念も成立させない。「単純な価値形態」における価値の相互参照関係など成立しないのである。世界中の多くの地域で行われていた婚姻にともなう贈物のやり取りでは、夫側からの男財と妻側からの女財は、まさに「比べ物にならない」という点に本質があった。それは両当事者の異質性と補完性を表示するための贈物だったのだから。トロブリアンドのクラにおける交換のように、相手の財を手に入れることが目的であるように見える贈与交換においてさえ、こちらが差し出すさまざまな贈物と相手がくれるだろう財(ヴァイグァ、例えばソゥラヴァと呼ばれる赤い貝殻の首飾り)の間の等価性など端から問題外である。こちらから差し出す一連の贈物は、相手を喜ばせて自分が気に入るようさせ、自分にその貴重なヴァイグァを与えても良い気にさせるための一連の懐柔と口説き行為の一環である。それらの贈物を、与えられるヴァイグァに対する等価物であるなどと考えることは、恋愛や交渉の際の口説きの言葉や相手に向けられた親しげな目配せに交換価値があると主張するようなものだ。クラ交換においては、相手がくれたヴァイグァにふさわしいそれに対応する唯一の財は、こうした一連の口説きの贈物などではなく、その数年後相手が自分のもとを訪れた際にこちらが相手の口説きに応えて同様に相手に与えるだろうヴァイグァ(例えばムワリと呼ばれる白い貝殻の腕輪)のみである。しかしこの二つのヴァイグァの同等性も、それぞれに内在した「価値」の等価性ではないことに注意しよう。両者の等価性はむしろ、ふさわしい結婚相手同士の対等性に等しい。なぜならムワリとソウラヴァは結婚で男と女が出会うように出会うとされているからである。これを等価物と考えることは、結婚における似合いのカップルのそれぞれが同じ交換価値をもっていると考えるようなものだ。こうした例は枚挙にいとまない。交換が成立することは「単純な価値形態」における二つの商品の価値関係が成り立つための必要条件ではあるが、単独に交換が成立するだけでは価値関係を成り立たせるには十分ではないのである。

第四に---私自身はこれが最も深刻な難点だと考えるのだが---柄谷は「単純な価値形態」のなかの非対称性を「売る立場」と「買う立場」の非対称性という、それ自体貨幣の存在をふまえた対立と同一視してしまうことによって、貨幣を自明視せず貨幣呪物の謎を謎として解明しようというその意図にもかかわらず、徹頭徹尾貨幣の存在を前提とし、貨幣の存在が啓いた光景の内部でのみ思考するという結果に陥ってしまっている。前節で論じたように、貨幣は単なる等価形態の権化---これが貨幣の呪物的性格なのだが---なのではない。それは商品世界におけるある種の全域的な体系性の出現と同義なのである。したがって「単純な価値形態」の考察を貨幣の比喩で行うことは転倒であり、そこにはない体系性をそこに読み込んでしまうことである。『マルクスその可能性の中心』においてと同様、柄谷の議論はここでも、体系性にいらだちつつ(そしてその無根拠性にこだわりつつ)あいかわらずいたるところに体系性を前提としてしまう議論である。しつこいようだが、貨幣が切り開いた光景に目がくらんだままになっているのだ。

実際、貨幣がすでに存在するもとでの「売る立場」と「買う立場」の非対称性を論じる際に柄谷が訴えているのは、「単純な価値形態」における非対称性よりも、むしろ体系性、そこでの貨幣の中心としての位置であることがわかる。

柄谷は言う。

「等価形態にある商品には、価値が実体としてあると思われる。商品の価値を実体的に(凝固された労働として)みた古典経済学は、実際のところ、商品を等価形態としてみているのであってしたがって、貨幣はそれを表示する二次的な手段でしかなくなる。べつのことぱでいえば、古典経済学は、基本的に「売る=買う」立場に立っている。そこでは、商品は互いに直接に交換しえず、必ず貨幣(商品の等価形態)と交換されねぱならない、という自明の事実が忘れられている。貨幣の呪物崇拝の謎は、ひるがえっていえば、商品自身には価値は内在せず、他の商品(貨幣)と交換されるほかに価値を与えられないという条件にもとづいている。」
(柄谷前掲書:97)

一見、「単純な価値形態」における非対称性について語っているようでありながら、実は、貨幣の体系的中心性---商品は互いに直接に交換しえず、必ず貨幣(商品の等価形態)と交換されねぱならない---が問題になっているのである。同じことは次の引用において一層明白である。

「いうまでもなく、その“神秘”は、たんに商品の等価形態にひそんでいる。すなわち、“直接的交換可能性”に。いいかえれぱ、一般的等価形態にある商品(=貨幣)は、いついかなる時でもどんな商品とも直接に交換しうるのに、他の商品は互いに直接に交換しえないということが、貨幣の神秘的な力の源泉である。」
(柄谷前掲書:106)

単に等価形態にあるということよりも、「いついかなる時でもどんな商品とも直接に交換しうる」というその中心性、「一般的等価形態」において可視化する体系性こそが問題になっているのだ。そもそも貨幣が常に等価形態の立場にあるということ自体が、それが体系内で占めている「中心」の効果以外のなにものでもない。売る立場と買う立場の非対称性は、むしろ中心と中心によって体系化された残余との非対称性だったのである。奇妙なことに柄谷はそのことに徹頭徹尾無自覚なままである。柄谷は『探求I』以降において『マルクスその可能性の中心』においてよりも、問題の中心---商品世界において体系性はいかに成立しているか---からかえって遠ざかってしまったように見える。

2−4.「単純な価値形態」の秘密

互いに比較可能な「価値(交換価値)」という概念そのものが、物どうしの相互参照の全域的な体系性の産物であり、我々が当然と考えている「物にはそれぞれ一定の値打ちがある」という観念も、こうした体系性の効果である。そしてこの体系性は貨幣という奇妙な存在物とともに成立しているように見える。なぜ奇妙なのか。それはこの貨幣が、すでに成立した体系の観点から見るときには、まるで二次的な余計なものであるかのように見えるからだ。にもかかわらず、貨幣は同時に価値そのもの---その物在性には依存しない(なぜなら単なる紙切れであってもかまわないのだから)価値のもっともむき出しの形象化---としても振舞う。貨幣の「物神性」を論じるなかでマルクスが明らかにしているのは、貨幣のこの奇妙な性格が価値形態、つまり商品の相互参照関係の体系性の特殊な成立形態に関係しているという事実に他ならない。

このことを理解する鍵は、「単純な価値形態」とそこでの非対称性の秘密にある。それは二つの商品の「価値」のあいだの関係について語っている。しかしそれを商品世界が成立する以前の想像上の物々交換のなかでの価値関係であると考えてはならない。柄谷が明らかにしたように、それは商品世界に対するある種の概念操作を通して、遡及的にのみ見出されたものだからである。貨幣形態---貨幣によって作り出された価値関係---の体系から貨幣を非中心化し取り去ったときに見出される中心のない体系「拡大せる価値形態」、それをを、さらに要素に分解したときに見出されたもの、それが二者間の価値関係である「単純な価値形態」だったのである。しかし同時に、その非対称性は、この関係そのものが「価値」の関係であるためにはすでに必要であったはずの体系性が、ある特別な仕方で成立せねばならなかったその理由を説明してくれてもいる。

なぜなら「単純な価値形態」における非対称性そのものには、体系化をみちびくどころか、それを、したがって当の価値形態そのものを自己破壊する契機が含まれていることがわかるからである。このことを確認したとき、「価値」という概念そのものが体系性の効果だったのだということもあらためて確認できるだろう。

物には一定の価値がある、物にはそれぞれ値打ちがある...この考え方は、孤立した「単純な価値形態」において維持できるだろうか。それを検証してみよう。

価値という概念にはある奇妙な特徴がある。それは、仮に価値が個々の物にそなわる属性であるとして、それぞれの物は自分の価値つまり値打ちの大きさをどのようにして表現することができるだろうか、という問題に関係している。たとえば1杯のラーメンには(あるいは1冊の哲学書には)どれくらい値打ちがあるのかという問いにどういう答えが可能だろうか。手を広げてこんなくらいとか、すごく!とか言ってもまるで答になっていない(おまけに、今貨幣はまだ存在していないことになっている)。原理的に、別の商品を参照することによってしか、この問いには答えられないことがわかる。ラーメン一杯は、哲学書3冊分の値打ちがある、といった形でしか示せないのである。友達との約束に遅れても食べるだけの値打ちがあるといった表現でも可能であるが、ポイントは、あるものの価値=値打ちは常に他の何かを引き合いに出すことによってしか示せないという点である。その場合、引き合いに出された他の何ものかの価値については、あたかも問うた方にも答えた方にもなんとなく共通の了解があるかのような形になる。「単純な価値形態」とはこのことを示している。

その参照関係は、具体的な交換の可能性を含意する。価値についての具体的な語り、たとえば、空腹で死にそうなときには1杯のラーメンの方が10冊の哲学書よりもはるかに値打ちがある、でも心が乾いているときには1冊の哲学書は100杯のラーメンよりもはるかに値打ちがある(ほんとか?)といった語り、が成り立つためには、実際にそうした交換が可能でなければならない。空腹時にラーメン屋のカウンターに哲学書を積み上げて、これでラーメン一杯食わせてくれ、と交渉してみよう。うまく行けば、たとえば4冊の哲学書=1杯のラーメンという関係が成立したりする。4冊の哲学書(著者についてはあえて言わない)には1杯のラーメン分の値打ちがあるということになる。ばかばかしい例ではあるが、「単純な価値形態」の一つの例である。

物は自分の値打ちを自分自身では言うことはできない。常に他の物を引き合いに出すことによってしか言うことができない。そしてそれは具体的な交換可能性によってしか示すことができない。これが価値という概念のもつ、他の属性にはない---他の属性、例えば「色」という属性であれば、特定の物は、他の物を引き合いに出すことなく自分がどんな色であるか(白であるとか赤であるとか)をいうことができるように思われる---奇妙な特徴である。20エレの亜麻布は自分にはどれくらいの値打ちがあるかを自分自身では示せない。別の物、1着の上衣を引き合いに出してそれによって示すしかない。20エレの亜麻布には1着の上衣分の値打ちがある、といった具合に。このとき1着の上衣がもつ値打ちについては、まるですでに了解済みであるかのようにみえる。20エレの亜麻布が「相対的価値形態」で1着の上衣が「等価形態」であるという非対称性とはこのことである。さらにそこではすでに「価値」という概念の存在そのものは前提とされている。ずいぶんくどいおさらいのようであるが、「単純な価値形態」の秘密はここにしかない。

柄谷行人はこの非対称性を売る立場と買う立場の絶対的な区別と一気に重ね合わせるのであるが、ここで重要なのはむしろ、この非対称性が救いがたく推移的であるということである。20エレの亜麻布の値打ちを尋ねて、それが上衣1着分の値打ちであると答えられたとする。しかし実際にはそれはまるで答えになっていないのだ。それが答えになるためには、上衣一着分の値打ちがなんであるかがわかっている必要がある。ではそれはなにか。我々は再びその上衣1着分の値打ちはどれくらいなのかと問うことになる。このとき、上衣のほうでも、自分の値打ちを自分では言うことが出来ない。再び、さらに他のものを引き合いに出して、自分は例えば靴3足分の値打ちがある、という形で自分の値打ちを表現するしかないだろう。かくしてこの系列は原理的に際限がない。マルクスがあるいは柄谷がするように右辺と左辺を反転させるだけではいけないという点に注意しよう。20エレの亜麻布の値打ちは、と尋ねられて上衣1着分だと答え、さらに、では1着の上衣の値打ちはと尋ねられて、亜麻布20エレ分の値打ちだと答えたりすれば、それは単なるトートロジーでどちらのものの値打ちについても何も言っていないことと等しい。「単純な価値形態」とは通常理解されているように二者間の関係なのではなく、不在の第三者を常に前提とした連鎖的関係なのである。ある物についてその値打ちは何か、という問いの答えは無限に先送りされていく。別の何かの物の値打ちで、そしてその別の何かのものの値打ちはというと、さらに別の何かの物を引き合いに出すことで....「単純な価値形態」はけっして自立的・孤立的単位ではありえず、つねに残余の関係を想定している。

連鎖は体系化の要素である。しかしそれ自体ではいかなる体系も保証しない。それはインセストタブーについてのレヴィ=ストロースの議論を思い起こさせる。インセストタブーは婚姻の連鎖を生成する。山田家の娘は田中家へ嫁ぎ、田中家の娘は木村家へといった具合にインセストタブーの結果として、婚姻はつねに<結果的に>一つの連鎖を作り出す。それはいかなる体系性をもそれ自体では導かない。時に途切れたり、枝分かれしたりしながら、際限なく社会空間にナメクジの這ったような痕跡を刻みつけていく。レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』はインセストタブーが必然的に含意するこうした連鎖のなかに、なんらかの体系性が見出されるための条件と経路について研究したものとして読むことが可能である(eg. 浜本 1991)。

「単純な価値形態」における価値関係---自己の価値を他の物を参照することによって表現する---も、それ自身では体系を生成しない。それは参照の際限のない連鎖を含意するだけである。一つ一つの参照関係は、具体的な交換を含意する。亜麻布20エレによって上衣1着が手に入り、20エレの亜麻布の値打ちが上衣1着分ということになる。1着の上衣はついで3足の靴と取り替えられ、3足の靴分の値打ちがあったということになる。3足の靴はさらに...(くどい)。しかし、それぞれが個別的で独立した交換実践として行われる限り、こうした連鎖が一つの体系を作り上げる保証はどこにもない。それどころかそれは簡単に自己撞着を引き起こしてしまう。この連鎖をさらに見ていこう。3足の靴は、なんと1冊の哲学書と取り替えられ、一冊の哲学書の価値があることが判明する。ところが一読して眠気に襲われその哲学書が不要になったその男は、哲学書を5エレの亜麻布ととりかえてしまう(5エレの亜麻布にしか取り替えてもらえなかった)。かくしてこの時点で、20エレの亜麻布には5エレの亜麻布分の値打ちがあったということになってしまう!もしこのような形で、参照関係の連鎖が自己矛盾を生成し続けるとすれば、そもそも「価値」という観念自体、つまり物には一定の値打ちがあるという観念そのものも、不可能になってしまうだろう。

「単純な価値形態」の秘密とはこれであった。「単純な価値形態」は価値の非対称的な相互参照関係であり、物にそなわった「価値」という観念を前提としているが、その当の「価値」の概念が成立するためには、その相互参照関係がすでに、一つの矛盾なく自己完結したシステムの要素であることことが前提になっているのである。相互参照関係の連鎖が、自己矛盾を引き起こさない形で一つのシステムを形作っているというのでなければならない。つまり「価値」という概念、そして「単純な価値形態」は、こうした全域的な体系の存在、あるいは少なくともその可能性の前提の上にはじめて成立するのである。しかし「単純な価値形態」そのものと、個別の交換実践はこうした体系性の成立を保証するものではない。ではそれはなぜ、いかにして可能なのか。

「価値」という概念の前提である商品どうしの相互参照関係は、そうやすやすと一貫した体系をなしてくれない。個別的な交換行為の集積が、そのまま体系性をもってくれるわけではない。

前節で指摘したように、交換が贈物のやり取りとして実現する場合には、二つの贈物、給付と反対給付の間にはしばしば比較そのものが成立せず、したがって当然いかなる価値の相互参照関係も成立しないこともありえるだろう。先にあげた空腹の男がカウンターに積み上げた哲学書と一杯のラーメンとの交換にしても、それは実はかならずしも価値の関係ではなかったかもしれない。単にその青年に対する同情と好意に基づいた反対給付であり、店主としては哲学書そのものに価値を認めたわけではなかった、というのも大いにありそうな話である。このように交換は価値の関係を生み出すそもそもの契機すら欠いているかもしれない。

物の値打ちという観念が存在し、それどころか貨幣が物の交換を中心化しているように見えるところですら、交換の連鎖における撞着は容易に生じる。定期市における物の売買を例にとってもよい。ほとんど同じ瞬間に別の人を相手に同じものがまったく別の値段で売られたりする。なぜなら売り手がその特定の買い手を気に入ったからだ、あるいは親族の一員だから、あるいはその日は気分がよかったから。高く売りつけられたからといって買い手には文句を言う筋合いはない。もっとちゃんと売り手を喜ばせればよかったのだ。そして人を喜ばせるには、それこそいろいろなやり方がある。あるいは最初から、親族の売り手の所を襲えばよかったのだ。逆に買い手の方でもときには、同じ品物を多少高くても気に入った人から購入したりする。売り手が買ってもらえないことに文句を言うのも筋違いだ。もっと頑張って買い手を喜ばせればよかったのだ。貨幣経済のもとでこれらをたくみにやってのけるには相当の技量が必要であるに違いない。ドゥルマ人の商売人の多くは、このせいでその商売を長続きさせることができない。親族とのほとんどたかり同然の取引で、商売をたたまざるをえなくなる。こうした取引のなかに実現する相互参照関係の連鎖は容易に自己撞着を引き起こしてしまうに違いない。

もちろん、貨幣のもとでは、これらは全体の体系性にとっては誤差にしか過ぎない単なる「価格」の些細なばらつきとして語られるかもしれない。価格と(交換)価値とは違う。前者は、商品そのものに備わった実体的属性である価値の、単なる現象形態、表現形にすぎないのだと。しかし言うまでもなく「価値」なるものが、商品の相互参照関係に由来するものであるとするなら、その都度の具体的な参照関係の実現であるこうした「価格」における自己撞着こそ、「価値」という観念そのものを破壊する契機でありうるのだ。

深田淳太郎が報告するトーライ社会の例は、この点で興味深い。深田によるとこの社会ではニューギニアの法定通貨キナと並んで貝殻を加工して作られた現地貨幣タブも用いられている。タブはその特殊な儀式用用途や支払手段に加えて、商品売買の媒体としても用いられている。つまりタブでも普通に物を買うことができるのである。タブは一定量があつまるとロロイという巨大な輪の形にまとめられ、蓄蔵されて流通の場から姿を消すが、そのロロイが再びばらされタブが参加者に気前良くばら撒かれるのが葬式などの儀礼の場である。深田はこうした儀礼的集まりにおいて行われる小商い(出店のようなもの)において商品が同時にキナとタブで売られている(どちらの貨幣で購入することもできる)ことから、キナとタブそれぞれによる「価格」の奇妙な不一致に注目する。


表1:B村での葬式儀礼における商品の価格

                タブでの価格     キナでの価格
アイスブロック  50パラタブ      0.2キナ
揚げ菓子        40パラタブ      0.2キナ
スナック菓子    80パラタブ      0.7キナ
アイスクリーム  100パラタブ     1.2キナ

「タブでの価格に注目すると、すぐにキナによる価格設定とタブによる価格設定が明らかにズレているということに気がつくだろう。例えば、キナでアイスクリームを買うときには1.2キナを支払わなければならない。これはアイスブロックを買うために支払う0.2キナの6倍の額に当たる。しかしながらタブでアイスクリームを買う場合の100パラタブという価格は、アイスブロックの50パラタブの2倍でしかない。この表にある四つのモノの交換比はキナで売買される場合とタブで売買される場合とで大きく異なっている。」

タブを貨幣とする場合と、キナを貨幣とする場合で、商品間の相互参照関係が違ってしまっているというのである。逆にこの商品どうしの関係から導き出されるタブとキナとの交換比つまり、相対的価値関係も、いわゆる両貨幣の公定レートともずれている。「この儀礼の場におけるスクラップ(スナック菓子)の取引においてタブが持っている(発揮している)購買力は、通常の交換レートと比して半分以下である」。深田は「つまりタブとキナの二つの貨幣はその価値体系が調整されずにズレたまま共存しているのである。」と結論付ける。

こうした事例は、交換に基づいて価値相互参照関係の首尾一貫した体系が出現することの困難性を明瞭に物語っている。

2−5.貨幣の物神性

問題はこうである。諸物の(交換)価値とは、交換にもとづく物どうしの相互参照関係である。しかしその相互参照関係は、参照点をどんどん先送りしてしまう連鎖という形をとらざるをえない。この連鎖が交換可能性---個別的な交換実践にその成否がかかっている---にもとづく連鎖である限り、それはそれ自身で首尾一貫した相互参照の体系の生成を保証しない。しかし相互参照関係が体系性をもたずに、いたるところで自己撞着を引き起こすとすれば、そもそも「価値」という観念---物にはそれぞれに固有の一定の「価値」という属性がそなわっているという観念---そのものが成り立たなくなってしまう。貨幣の物神性は、この問題---出現すべきであるのに、まるでそれを阻まれているかのよう見える参照関係の体系性---との関係で理解されねばならないだろう。

それは貨幣の存在が、この限りなく先送りされる相互参照関係の連鎖に対して何をなしたかを考えてみるだけでわかる。いまや商品は相互の参照関係の体系性を、貨幣に対する個別的な参照関係を通じて保証される。20エレの亜麻布と1着の上衣は、互いのあいだの現実的な交換可能性に実際に賭けてみる必要なしに、それぞれが同量の貨幣(たとえば2万円)とのあいだにもつ参照関係を通じて、20エレの亜麻布=1着の上衣という相互参照関係を、そして他のすべての商品とのあいだにそれぞれがもつ相互参照の関係をまるごと受け取っている。貨幣は、すべての商品のあいだの相互参照関係の限りなく先送りされていく連鎖のなかにうちたてられるべき体系性を、そっくり引き受けている。貨幣の存在こそが、そこに体系性をもたらし、物の交換価値という観念を支えているのである。

20エレの亜麻布の価値を1着分の上衣分の値打ちであるといい、逆に1着分の上衣の価値はと問われて、それを20エレ分の亜麻布の値打ちであるということが、このときはじめて単なるトートロジーであることをやめる。第三者である貨幣の存在によって、「単純な価値形態」の右辺と左辺を入れ替えることが同じことになる。相互参照の参照点をさらに他の商品へとひたすら先送りする必要がなくなるのである。商品は際限のない相互参照の連鎖からいわば解放されている。右辺と左辺を入れ替えても同じことだとする認識は、柄谷が言うように売る立場と買う立場の非対称性を誤認した結果であるというよりは、この相互参照の際限ない連鎖からの解放の結果である。

しかし貨幣は、自ら他の諸商品と交換可能である一商品であることによって、それをなしとげるわけではない。貨幣は商品と交換可能な「物」ではあるのだが、しかしそれはけっして一つの商品ではありえない。貨幣を「特別な」一商品と呼ぶことも誤りである。もし貨幣も他の物と同様な商品であるなら、あらゆる商品が巻き込まれる相互参照の際限ない先送りの連鎖に、貨幣も入り込むことになろう。20エレの亜麻布が2万円分の貨幣の値打ちがあるという参照関係は、ただちに、では2万円分の貨幣にはどれだけの値打ちがあるのか、という問いに引き継がれてしまう。もし貨幣が他の商品と同じように「商品」であるのなら、その価値は再び、別の他の商品によってあらわされるしかないことになろう。そして、相互参照関係の総体はその体系性をどこからも保証されないことになろう。実際にはある物(たとえば20エレの亜麻布)の価値が貨幣(たとえば2万円)によって答えられたとき、もはやその貨幣(2万円)について、それはどれくらいの価値があるのかとは問われない。それは例えば1メートルの物差しの長さはどれくらいか、と問うことに似て、ばかばかしい問いに見える。この点で貨幣は連鎖の外に、つまり諸商品の集合の外にいる。貨幣が、自分以外の他のすべての物たちが属するこの相互参照関係の連鎖に体系性をもたらし、それを保証できるのは、この位置のゆえである。

すでにたびたび強調してきたことであるが、貨幣の最も奇妙な特徴の一つは、すでに成立した商品世界において、貨幣がまるでそこでは二次的で「余計な存在」であるかのように映るという事実である。いったん体系性をもつと、商品世界におけるあらゆる商品の間の相互参照の網の目は、仮にそこから貨幣を取り去ったとしても、そのまま手付かずで残るかのように見える。20エレの亜麻布が1着の上衣に等価であるといった商品相互の参照関係は、それ自体で、貨幣の有無とは無関係に成立しているように見える。このとき貨幣はこうした相互参照関係であるところの諸商品の価値を単に表示する「物差し」にすぎないもの、あるいは商品同士の交換可能性を橋渡しする媒体にすぎないものと映るだろう。貨幣が「物」であることは、単に偶然的なものに見えてくる。いっそ単なる記号になってしまって差し支えない、とでも言うかのように。言うまでもなくこのとき、物差しが物に長さを作り出しているなどとは誰も考えないように、貨幣も物の価値の存在そのものにとっては、二次的などうでもよいものに見えている。それはある意味で長さを測る物差し以上である。物差しそのものに「長さ」があることを疑う者は誰もいないが、「貨幣は単なる紙切れであり、貨幣そのものに価値があるわけではない」といった語りがしばしばなされるからである。このようなかたちで、あたかも既存の体系を単に表現しているだけのものであるかのように見えることを通じて、貨幣は自分自身の秘密と、「単純な価値形態」のもつ秘密---物の価値は参照点を次々に先送りにする連鎖的な相互参照関係にもとづいており、しかもそのなかには「価値」という概念そのものの成立をはばむ契機が含まれているということ---を隠しおおす。

しかしその反面、貨幣は商品世界の外に完全に出てしまうこともできない。1メートルの物差し自体も、長さをもった「物」の一種である---したがっていつなんどきその長さが問題にされないとも限らない---ように、貨幣も他の商品と交換可能である限り特定の「価値」をもった「物」でもありつづける。こうして貨幣は、「物」でありながら「物」ではないという奇妙な矛盾した性格をもつ。他の諸商品と交換されるという限りで「物」でありながら、あらゆる商品の相互参照の連鎖から排除され、商品世界に属さないという点で「物」ではない。あるときには真の価値物である商品にとって二次的な存在にすぎないものであると見えるかと思うと、次の瞬間には反対に限りない欲望と執着、拝金主義、いわゆる「物神崇拝」の対象---純粋な「価値」そのもの---として見える、という貨幣のもつ二重の相貌もこれに関係している。貨幣の「物神性」は、柄谷が言うように、ありとあらゆる商品に対して「等価形態」であるという、貨幣が占めている、この相互参照の体系に対する奇妙な中心性---しかし当の商品相互の参照の網の目の外にある---に由来している。

貨幣はあらゆる商品に対して「等価形態」として関係する、すなわち「価値」そのものとして現れる。しかしそもそも「価値」とは商品相互の参照関係---ただしその総体が一つの体系性を持つかぎりにおいて---に他ならなかった。マルクスは「一般的等価形態」の位置にたつ物の価値について、それが無意味なトートロジーの形でしか語りえないと指摘する。「一般的等価形態」にたつ物は、商品世界を構成する諸商品の相互参照関係の網の目には参入できない。「2万円分の貨幣の価値は?」という問いには「2万円分の価値がある」としか答えようがないように見える。しかし「これは内容のない繰り返しであって、そこには価値も価値の大いさも表現されていない」(マルクス 1969:128)。しかしこれは一般的等価形態の相対的価値が存在しないということではない。マルクスは言う。「一般的等価の相対的価値を表現するためには、われわれはむしろ第三形態(一般的等価形態を右辺にもつ中心化された体系の定式化)をひっくり返さなければならない。」つまり一般的等価形態の相対的価値は、実は、他の何らかの特定の商品との相互参照のなかにではなくて、「すべての他の商品体の無限の序列」全体のなかに「相対的に表現」されているのだというのである(同上)。貨幣が表示しているもの、その相対的価値とは、貨幣によって中心化された相互参照関係の全体系そのものなのである。この意味でもまさに貨幣は商品相互の参照関係の網の目の「物象化」である。しかも貨幣は一つの物在であるのだから、その物象化は文字通りのものだ。

貨幣とは結局、すべての商品が相互に参照し合う網の目のなかからたちあらわれる一種の虚焦点、その網の目の体系性がその一点で支えられているような空白の中心、体系の全体がその一点において表現されるところの空虚である。いかなる特定の商品もその位置を占めることができないこの空白の支点に、貨幣は一つの「物」として登場する。それは、この参照関係のパターンがまさに一つの「物」の姿で化身したものなのだと言ってもよい。パターンとそのパターンを構成する項であるところの諸物とは異なる論理階型---メタ・レベルとオブジェクト・レベル---に属する。したがってこれは、別の言い方で言えば、論理階型の混同---あるいは二つの異なる論理階型の縫い合わせ---が生じているということでもある。マルクスは相互参照関係の総体を中心化する「一般的等価形態」の出現について次のような比喩で語っている。「それは、ちょうど、群れをなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他すべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個体化的化身が存在しているようなものである」(マルクス『資本論(初版)』柄谷 2001:292 よりの引用)。彼は、上位の階型の要素が下位の階型の中に紛れ込むという、論理階型の混同とでも呼ぶべき事態が、一般的等価形態において起こっていることを正確にとらえていたのである。

貨幣という物象化形態は、「学理的省察者の見地にとって(fur uns)一定の関係規定態であるところの事が、直接的当事意識には(fur es)物象の相で映現することの謂い」(廣松 2001:314-5)という廣松渉による物象化の規定---かくして廣松にとっては物象化は往々にして一種の「錯視」として語られることになる---が二重の意味で不十分なものであることをわからせてくれる。ここでは関係態が物象化しているのは、当事者意識における錯認の問題ではない。それは実際に文字通りの「物在」として登場している。さらに、より重要なことであるが、当の関係態---相互参照の網の目とその体系性---は、貨幣が物として登場することによってはじめて完成する。つまり関係態がまずあって、ついでそれが物象化するという構図ではなく、当の関係態そのものが物象化のプロセスとともに成立するのである。

貨幣における物象化についてのこのような理解は、人間どうしの社会的関係が物と物のあいだの関係として顕れるといった、物象化についての一般的な理解に比べて、社会的な含意が著しく欠落していると一見したところ見えるかもしれない。しかし以上で見てきたように、商品と貨幣の物神性において、こうした一般的理解は単純には維持しえないように思われる。それはおそらく実際の関係を転倒してしまっている。人間どうしの関係が物の関係として現象するのではなく、商品世界における相互参照の体系---これ自体が交換という社会的実践によって展開する現象であり、この点ではまさに人と人との社会的関係態に他ならないのだが、この事実をもって人間どうしの社会的関係の物象化という定式化に固執することは、単に自明の理をもっともらしく述べ立てる以上の新しい理解をまったくもたらさない---が貨幣を支点にして成立するときに、まさにそうした商品世界を媒介として、社会における人間どうしの諸関係も特異な仕方で編成されることになるのである。

3.物象化の構図とその適用

3−1.物象化の構図

前節において提示した物象化のとらえかたにおいては、物象化についての価値判断が含まれていないことに気がつかれたと思う。それは必ずしも本来あるべきではない望ましくない事態、嘆かわしい状態、批判の対象としては考えられていない。またそれは錯覚や錯認とも考えられていない。商品世界の体系性が貨幣として物象化することは、いかなる意味においても「誤り」の類ではなく、商品の相互参照関係が体系として成立し、価値という観念が意味をもつための、不可避のプロセスにすぎないという位置づけである。

一般化して言うなら、物象化は「物」どうしの相互の関係付けの中から一つの創発的なパターン(emergent pattern)が立ち現れようとしている状況に関係している。問題となる創発的なパターンは、それ自身を立ち上げるうえである種の困難をかかえている。そのときそれは、自らが関係づける個々の「物」の水準に一つ余計なもの、一種の虚焦点、空虚な支点を登場させる。その支点がそれ自身一つの「物」のように振舞うことを通じて、その創発的なパターンははじめて自らを実現する。そのときそのパターンを支え、パターンそのものを表現するその当の支点の位置に登場する「物」は、二つの異なる論理階型を縫い合わせる極めて特異な位置を占めることになり、「物」としてきわめて謎めいた属性をもつことになるだろう。貨幣における物象化をめぐってマルクスが切り開いて見せたのは、まさにこうした物象化のプロセスの、おそらくは最も大規模な事例の一つだったのである。

貨幣の姿をとる商品世界の物象化は、商品世界が一つの体系性をもって成立する---物と物との相互参照関係を安定した網の目としてとらえることが可能になり、価値という現象が汎通的に成立する---にあたって、それ抜きでは当の体系そのものが成立しない不可避のプロセスとしてみることができる。廣松のように、それを当事者意識における錯認であるとし、学理的省察者のために真理を確保しようとするのは、結局はその謎から目を背けつづけることにしかならないし、また柄谷のように、地域通貨であれなんであれ、「物象化」をまぬかれた貨幣を空想することも---単に空想にとどまらず、それはこうした貨幣を現実に実現しようという、原理的に失敗が運命付けられた試みをもたらした訳であるが---「物象化」を何か望ましくないこと、避けるべき誤謬と考える根強い習性に屈しただけの、物象化プロセスそのものについての無理解の表現でしかない。彼は資本へと転化しない、利潤を生じさせない完全に等価性のみの関係で閉じた関係が、物象化なしに成立すると思い込んでいる。事物相互の参照関係が、限りなく先送りされていく連鎖の姿でしか存在しないところでは、等価関係の閉じた体系の成立など、ほとんど奇跡のようなものだ。それは物象化と貨幣の存在によってはじめて可能となる。大急ぎで付け加えるなら、実際には貨幣によってもそれは可能になっているわけではない。それはそうした自己完結した等価性の体系の「見せ掛け」を成立させているに過ぎず、実際の商品どうしの相互参照関係はあい変らず、限りなく先送りされる連鎖---マルクスはそれを「単純な価値形態」として見出した---の姿をとっており、それは商品世界の内部に常にズレを生み出し続けている。その連鎖は実際には、交換という具体的な実践---あらゆるコミュニケーションがそうであるように、その内部の不確定性を顕著な特徴とする---の形でのみ実現するからである。貨幣は単に自らを支点としてその連鎖を短絡させることによって、この事実を覆い隠しているにすぎない。貨幣のもとで一つの体系性と見えたもの、相互参照の等価関係の網の目と見えたものは、実は内部にズレを生み出し続ける参照関係の連鎖である。そうでなければ柄谷も認めている通り、そもそも等価な体系の内部の交換から利潤が生まれるわけがないのである。

こうした物象化のとらえ方---人間の経験世界が整序され、諸事象のなかにある体系性をそなえたパターンが立ち上がってくる際に、不可避的に伴うきわめて一般的なプロセスとして---について、私はすでにいくつかの機会にそれを提示してきた。例えば、ディンカの神観念をめぐるリーンハートの議論の再分析のなかで、ディンカの神観念を、人々の経験の諸相のなかに立ち現れるパターンがここで述べたような意味で「物象化」したものとして分析し、同時に経験主体としての「私」そのものについても、人間の経験の原初的整序化に際する第一次の物象化の産物として捉えられることを示唆した(浜本 1986)。またドゥルマのさまざまな神秘的エージェント---祖霊、神、妖術、憑依霊など---の経験的基盤が、日常的な経験の秩序の乱れとそのなかで生成したノイズから立ち上がってくる別の創発的なパターンとして病気経験が整序化される際の物象化プロセスにあることを論じ(浜本 1989b,1990)、それが占いの語りのなかでどのように実現されているかを示した(浜本 1993)。それを「物象化」と述べ、そこに論理階型の「混同」(論理階型の二つの異なる水準の「縫合」という用語の方が適切であるかもしれない)が見られると述べることは、ときに誤解されてきたように、そこでなんらかの誤認が生じているとか、過ちが犯されたと述べることではない。それなしには当の文化的経験が成立し得ない何かが生じたと述べているだけのことである。

同様な物象化の機制は文化・社会的経験のさまざまな場面に見出すことができる。しかしだからといって、それは廣松が後に経験のあらゆる場面に当てはめて論じているほどには広範にみられるプロセスではない。すでに紹介したように、廣松においては、(1)関係の中での対他的反照規定であるものがそれぞれの項に内在する対象的属性のように経験されること、(2)関係態が一つの物在として経験されること、という二つの事態が「物象化」という言葉で語られていた。廣松の別の箇所での用語(廣松渉 2001:116)では、各々「反照規定関係の物性化」「反照規定関係の実体化」と呼ばれる、物象化の内実を構成するこの二つの事柄は、いずれも人間の経験においてほとんど一般的と言ってもよいほど広く見られるものであり、結果として廣松の物象化論は商品世界において生じている事態の特殊性を説明するには、あまりにも一般的すぎるといわざるを得ない。関係の一次性に着目すること自体が、まだ新鮮な知的転回でありえた時代のことだということをもちろん差し引いて評価する必要がある。しかし、構造主義を代表とする、同じ知的転回に参加していた一連の思潮が、その新奇性を失いながら着実にわれわれの世代の知的基盤に回収され終わったと思われる現在、廣松の物象化論のあまりの一般性と、マルクスが商品世界の成立のなかに認めた特異な---ユニークではないとはいえ---機制との隔たりはきわめて大きい。

少し考えてみればわかるように、廣松が「物象化」という言葉で語っている二つの事態は、いずれも<物ならざる関係>が<物>に転じているという点を別にすると、そもそもそれぞれまったく異なる事柄に言及している。(1)は商品世界において、それぞれの商品に「価値」なるものが内在しているかのように捉えられる---柄谷がこの問いが言語記号がなぜ「意味」をもっているかという問いと同形だと見ていたことを思い出そう---という事態に対応し、(2)は商品世界における一般的等価形態の成立に対応している。商品世界における物象化においては、廣松が同じく「物象化」という言葉で語るこの二つの事柄の特殊な結合こそが問題になっていたのである。廣松が物象化として語るこのそれぞれの事態を検討することによって、前節までの議論でその概要を描いた物象化の機制の特殊性とその中心的特徴についてさらに明らかにすることができるだろう。

3−2.反照規定関係の物性化

廣松渉は1968年に発表された論文「歴史的世界の物象化論」(廣松渉 2001 所収 pp.189-244)のなかで早くもマルクスの物象化論を意味理論にまで拡張する試みを提案している。そこでは、後に柄谷も行ったように、廣松渉は言語記号が「意味」をもっているという事態を、商品が「価値」をもっているという事態と類比的にとらえている。ただし柄谷の場合、ソシュールと構造主義を経由しつつ、示差的な関係の体系---これこそが言語を言語たらしめているもの、つまり言葉が「意味」をもつようにしているものとされるのだが---の角度から、商品の物神性を見ようとするのに対して、廣松の場合は、マルクスの物象化の理論の方から意味理論に向かおうとするという方向の違いがあった。つまり商品の「二重性」と同じ構造を、歴史世界の汎通的特徴として見出していく---後には「何かあるもの(所与)が何か(所識)として現相する」という「現相世界のニ肢的二重性」として定式化されることになる---という方向をとっている。

その試みの最初のスケッチとでも言うべきこの論文においては、両者のアナロジーは、価値を一般的抽象労働の凝結体と語るマルクスの価値論の用語を転用して、意味の対象性を「一般的言語活動の『凝結体』(Gallerte)」(廣松渉 2001:221)と述べるまでに推し進められている。廣松は例えば、「トマトは果物ではない」「メロンは果物である」と言うとき、「野菜」と「果物」について「客観そのもの自体のもつ本質的な属性が相異るかのように」考えられていると指摘する。「果物」と呼ばれるものにはすべて何か「同一」の属性があり、それが「果物」という言葉にそなわる「意味」になっていると、つまり「イデアールな存在性格を有する『意味なるもの』が自体的に存在する」(同上:225)かのように考えてしまっているというのである。しかしその内実は、トマトが果物ではなく、メロンが果物だというのは単にわれわれの言葉の使い方の違い、それぞれを果物と呼ぶか呼ばないかの違いにすぎない。つまり廣松によると、言葉によって伝達される、イデア的な何かとしての意味の対象性は、「言語的交通(交換)の機能的関係が物象化して現われ」たものだといえる(廣松前掲書:225)。

この魅力的な構想は、残念ながらやはりいかにも荒削りなスケッチでしかない。「意味」をコミュニケーション関係の物象化、一般的言語活動の「凝結体」として捉えるといっても、その筋道は単純ではありえないだろう。当のコミュニケーション、言語活動そのものが「意味」をもった記号のシステムとしての言語によって徹底的に媒介されたものであるからだ。「意味」の謎を明らかにするためには、したがってマルクスが商品世界についておこなったように、まず言語世界を非中心化された体系性として再発見し---柄谷によるとこれはソシュールがすでにおこなっている---、さらにマルクスが商品の価値について見出した「単純な価値形態」にあたるものを見出さねばならないだろう。廣松はこの短いスケッチにおいてはその筋道を示すには至っていないし、その後もこの方向へは具体的な展開を見せていない。すでに1−3.で紹介したように、「意味」は、示差的な反照規定がそれぞれの項に内属する形で「物象化」されたものであるという、構造主義における関係の一次性の議論により親和的なおなじみの定式のなかに回収されていくことになる。

物象化を単なる反照規定の内属化---こちらは人間の経験のきわめて汎通的な特徴である---と同一視した形で考えることが、物象化をあまりにもありふれた現象にしてしまい、かえってそこからそれがもつ説明力を奪うことになってしまうという点は、すでに批判したとおりである。しかしここでは、さらに、これを物象「化」という一種のプロセスに見立てることそのものに含まれる問題点も指摘しておきたい。通常それは、<本来は>反照規定的な関係であったところのものが、あたかも錯覚のように、<本来は>そうした内属的な属性をもたない項に、まるでその項に内在する本質であるかのように帰属させられる、という形で述べられる。項をしかじかの本質をそなえた自存的な実体としてとらえ、そうした自律的な項が二次的に他の実体と関係を結んでいるという従来の実体的な存在論を批判し、関係の一次性を強調的に導入する際には、こうした言葉遣いで語ることも批判的レトリックとしては正当化できるかもしれない。しかしこの語り口自身が、自らが批判するべき存在論的区分を暗黙のうちに採用した語り口であることに目をつぶるわけにはいかない。<実体としての項にそなわっていると通常考えられている属性は、本当は項そのものに備わったものではないのだ>と語る語り口自身が、なにか一切の関係から切り離されたようなあり方で項を想定し、それについて語る語り口になってしまっている。その一方で、<そうした属性が実は反照規定的関係にすぎない>と言って関係の一次性を主張することも、今度はまるで項を度外視して関係そのもののみを捉えることができると想定しているかのような言い方なのである。しかし、言うまでもないことであるが、私たちが関係に注目できるのは、つねに何らかの項とその他の項(あるいは全体)との間の関係としてであり、逆に、私たちの項についての経験も、一切の関係から切り離されたなんらかの自律的な実体に対する経験ではなく、当初からつねにすでになんらかの関係性のなかでとらえられたその項についての経験である。項と関係をそれぞれ他方から切り離して、それ単独でとらえることなどもともとできはしないのである。ある本質的属性を備えたものとして何かを見ているということが、すなわち、それをある特定の反照規定的関係の中でとらえているということであり、特定の反照規定的関係に目を向けているということが、すなわち、しかじかの属性を備えた項をそこに見ているということなのである。これはまさに相即的な事態なのであって、単一の経験が見せる二つの相にすぎない。けっして一方から他方へ錯覚的に移行するプロセスのたぐいではないのである(浜本 1989a)。それを物象化として問題にすること自体が、項についての対象的な認識と、関係についての認識をそれぞれ独立した二つの事態としてとらえる思い違いのもとになる。その結果として、むしろここで問わねばならないはずの問い、対他的な反照規定的関係の把握が同時にその関係の中でとらえられた項の属性として把握されるという相即的な経験がいかなる条件によって可能となっているのかという問いが、問われないままになってしまう。

それを考えるのに、前節までの議論の中で、ときおり喩えとして持ち出した「長さ」という属性を例にとろう。ここでも商品世界における「価値」の場合と同様に、「長さ」という属性が、物どうしの間の相互参照関係の連鎖にもとづいていることがわかる。物にはそれぞれ特定の方向での長さがあるが、物は自分の長さを自分自身では示すことができない。共通の尺度と物差しの存在を括弧にいれてみよう。ある物の長さは、それとは別の他の物を引き合いに出すことによってしか、つまりしかじかの他の物をいくつつなげた長さであるとか、その半分の長さであるとかの形でしか、示せないことがわかる。「価値」の場合と同様に、ある物Xの長さは、それとは別の物Yの長さによって---たとえばY2つ分の長さがあるといった風に---答えられる。しかしではYの長さはと問われると、もちろんY自身もその長さを自分では示せないので、再びそれとは別の他の物Zを引き合いに出さねばならないことになる。こうして再び相互参照関係の無限に先送りされる連鎖---実践的には物どうしをそろえるとか比べるとかつなぐとかの単純な対物操作を通じて実現することになる---を見出すことになる。ここまでは商品世界における物の価値と同じに見える。違いは、この連鎖がわれわれが生きているこの世界においては、首尾一貫した体系をそれ自身で生成してくれるという点である。その結果「長さ」という属性はほとんどの物にそなわった---固形物には決まった長さが、そうでない物には伸び縮みしたりする長さが具わっているという風に認識されている---属性であることになる。対他的な反照規定の関係の安定した体系は、そのままそれぞれの項に内在する属性の認識となる。

ためしにこの相互参照関係がつねに矛盾を生成するような---ある物の長さが同時にそれ自身の半分であったり5倍であったりするような連鎖が成立している---世界を想定してみればよい。そんな世界では、そもそも「長さ」という観念自体が成立しないし、したがってこの当の相互参照関係の連鎖すらそもそも始まらないことになるだろう。付け加えるまでもないだろうが、そうした世界では全てのものが常に伸び縮みしているだけで、「長さ」の観念が成り立たないわけではない、などと的外れなことは考えないようにしよう。相互参照関係がただちに矛盾を生成するような世界では、物の伸び縮みについて語ることも---何かが伸び縮みしていると語りうるためには、その伸び縮みがそれとの関係で認知できるような他の何ものかが必要であるはずだ---できないだろうからである。

「長さ」の相互参照の連鎖が作る体系においては、商品世界において貨幣の存在が示しているような物象化は起こっていない。物差しは貨幣とは根本的に違っている。まず第一に、原理的に任意の物を物差しとして使うことができる。おまけにたまたま物差しに選ばれた物は、それによって相互参照の連鎖から排除されるわけではない。物差しは、あくまでも自分でも「長さ」という属性を他の物とまったく同様にそなえた、それ自身一つの物として、相互参照の連鎖の体系の内部に属する存在である。貨幣についてしばしば聞かれる語り口---「物としての貨幣そのものに価値があるわけではない」という語りは可能であるし、しばしば耳にする---は物差しについてはけっして用いられない。物差しそのものに長さがあるわけではない、などと誰も考えはしない。対他的反照規定関係の体系は、それ自身の要素をもちいて自らのパターンを示すことができているのである。尺度の体系と物差しの存在は、この相互参照関係を中心化するが、その中心は商品世界における貨幣とは異なり、相互参照しあうものどうしの内部で調達された中心で、任意の他の要素によって複製可能な中心に過ぎない。ここで成立しているのはきわめて単純な事態である。そこには自分自身で体系性をそなえた一つの関係態があり、その反照規定関係についての認識は、単にその関係態を構成する要素のそれぞれが、長さという属性をそなえた物として認識されるという形で成立している。ここで「長さ」という属性が個々の物の属性としてとらえられているという事実を、物象化とわざわざ呼んだとしても、そのことで、すでにわかっていること以上の何かが付け加わるわけではない。

この例からもわかるように、物象化という言葉は、反照規定関係が項の属性として認識されるというあまりにもありふれた事態---これはいかなる対象認識もつねになんらかの関係性のもとでとらえられた限りでの対象についての認識であるということの言い換えに過ぎない---に対してよりも、マルクスが商品世界の成立に対して示したようなやや特殊な出来事に対してとっておいたほうが良い。

3−3.意味と物象化

もちろん具体的な実践を通じての経験世界の整序化が、つねにこんな風に単純でないことは、わざわざ強調する必要もなかろう。廣松が80年代以降その物象化の議論において好んで取り上げる「意味」の問題では、このような単純な体系性が前提できないことは確かである。言語と意味の問題は、一〜ニの節で扱うにはあまりにも大きな問題であり、ここではその一端に触れる以上のことはできないだろうが、ここまで行ってきた物象化の議論に即してそれを論じる方向性だけを示唆しておこう。その性格上、以下の議論はあくまでも非常に粗いスケッチ以上のものではないことを、つねに念頭においておいていただきたい。

ソシュール以降、言語がシニフィアンの示差的な体系であり、「意味」つまりシニフィエをそれとは独立した別個の体系としてではなく、ソシュールの言い方を用いれば紙の表と裏との関係のように相即した、同じ体系の二重性とみるとらえ方が一般的である。柄谷の表現では「意味」はシニフィアンの「差異づけの体系」の中で「語と語の間からあらわれる」ものである。マルクスの物象化論についての彼自身の解釈から出発しながら、廣松も自存的な志向対象としての「意味」を、「現認的所与に対する反応態勢的意識態」における示差的な区別が物象化して「示差的に区別された相で自存している」対象性であるかのように思念されたものだ、という言い方で---この場合、言語だけが特別扱いされるのではなく、世界におけるあらゆる認識対象が<現相的所与>/<意味的所識>のニ肢的構造においてとらえられるという形で議論は一般化されているのだが---意味についての同様なとらえ方に達している。1983年に刊行された彼の『物象化論の構図』(廣松 2001)は、彼がそれまでに書いた物象化に関する論文を集めたものであるが、その際に付された、その後の彼の物象化論の展開を予期させる跋文「物象化理論の拡張」(廣松前掲書:313-349)においては、彼は存在を大きく「実在態」と「意義態」に分け(そのうえで、存在は「実在態」に「意義態」が受肉した「用材態」の姿をとるとされる)、ついで意義を「意味的意義」と「価値的意義」に分けるという見取り図を提示している。「意味」も「価値」もともに一定の関係の反照規定態に対する「物象化的錯認」であるとされる点では同様なのであるが、上の見取り図における両者の区別のうちに、物象化的に錯認されるところの反照規定的関係が、両者においてその性質を異にしているという彼の想定が見て取れるだろう。意味について考察するとき、彼がソシュール以降の構造主義的とらえ方の影響下にあることをよく物語っている。

ほんとうにシニフィアンの差異づけの関係---これも確かに反照規定の一種ではあるが---のみで、記号が「意味(シニフィエ)」をそなえるという事態をただしく説明できるものか、私はいささか疑問に思っている。シニフィアンとしての「ネコ」と「タコ」の差異の関係(要するに「ネ」か「タ」かという違いなのだが)は、どう考えてもシニフィエとしての「ネコ」と「タコ」の差異の関係と同じとは思えないからだ。とは言うものの、この問題を正面から議論する代わりに、ここでは私は、単に「意味」の観念においても、マルクスが「価値」の観念を分析する際に到達した「単純な価値形態」にあたる、限りなく先送りされる相互参照の連鎖がさまざまなかたちで存在することを指摘するだけにしたい。

「意味」とはなんぞやという問いは多くの理論家たちを悩ませてきた問いであるが、意味という言葉の使い方について言えば、小学生でもそれを知っているほどで、そこには難しい問題は何もない。これは「価値」という言葉についてとまさに同じ事情である。何かあるものの意味を問い、それに答えるというのは、ごく日常的な言語実践であり、もし「意味」がなんであるかわかっていないのだとしたら実に奇妙な話である。「『うそぶく』ってどういう意味?」という問いに対して、例えば「『そらとぼける』って意味だよ。『大きなことを言う』とか『えらそうなことを言う』っていう意味で使われることもある」などと答える。言葉はそれ自身で自らの意味を言うことはできず、それ以外の別の言葉によって、その意味を示されるしかない。このように言えば、この関係がマルクスの価値形態論における「単純な価値形態」の二つの商品の関係と似ていることがわかる。

「価値」という観念が商品世界の体系化とともに成立してしまうと、二つの商品について<両者の価値が同じであるから交換される>---いうまでもなくこれは転倒した言い方なのだが---と述べることが可能であるように、ここでの二つの言葉の言い換えについても<両者の意味が同じであるから言い換えられる>といった言い方がしばしば聞かれる(小学校の国語の試験では「下線を引いた語を意味が同じ別の言葉で言いなおしなさい」などという問題はおなじみである)。「意味」も、商品に内在する「価値」と同様に、言葉に内在する自存する対象性のような形で考えられていることになる。「単純な価値形態」が価値が商品どうしの相互参照関係であることを明らかにしたように、「意味」についてのこの単純な形態も、「意味」が言葉相互の参照関係にほかならないことを示している。

このいわば「単純な<意味>形態」のなかで、その意味を他の言葉の意味によって示してもらわねばならない「うそぶく」は、マルクスの「単純な価値形態」における「相対的価値形態」の位置にあり、一方「等価形態」の位置にある「そらとぼける」は、この言い換えの中では自らのうちに自明な意味をすでにもっているかのようにみえる。しかし「単純な価値形態」の場合と同様に、この参照関係はそこで完結してしまうことができない。なぜならさらに「では『そらとぼける』という言葉の意味は?」と問うことが可能であり、その意味は再び、それとは別の言葉を引き合いに出すことによってしか示すことができない---「『そらとぼける』の意味は『うそぶく』ということだ」という答えはトートロジーになってしまう---からである。こうしてこの関係は、次々と参照関係を先送りする連鎖を生成する。

言語における相互参照関係の連鎖は、商品の相互参照の連鎖とは比べ物にならない複雑さをそなえている。パースはその独自の記号論の構想の中で同様な無限の連鎖に言及している。パースは、記号が「精神のなかに作り出す、それと等価な記号、あるいはより展開された記号」を、その記号のインタープリータント(interpretant)---通常は「解釈項」と訳されている---と呼ぶ(Peirce 2.228)。インタープリータントつまり解釈項とは、パースによると「ある外国人が自分が言っていることと同じことを言っているのだと語る通訳(interpreter)」のようなものである(op.cit. 1.554)。つまりインタープリータント(解釈項)とは、自らがしゃべる記号の「意味」によって、問われている記号の意味を示すもの、つまり「等価形態」の位置を占めるもののことに他ならない。しかしそれは無限の連鎖を含意する。「インタープリータント(解釈項)は真理の松明が受け渡される別な表象にすぎない。そして表象としてそれはまたそれ自身のインタープリータント(解釈項)を有する。またしても無限の系列である」(op.cit. 1.339)。パースがインタープリータントを単一の記号に限っていないことに注意しよう。それは「展開された記号」でありうる。というか、一つの言葉の「意味」を示すために、インタープリータ(通訳≒解釈項)があの手この手で延々としゃべり続ける、あるいはそのために一冊の本を書き上げるということすらありえるように、インタープリータント(解釈項)になりうる記号列には事実上制約がない。即興で、その都度、新たな喩えや比喩が登場する。予測不可能性がその特徴である。結果として、言語記号の相互参照の連鎖が描き出す網の目は、結果として内部に多くの不確定性を抱え込んだ極めて錯綜した複雑なものとなるはずである。「長さ」世界は言うまでもなく、商品世界と比べてすらはるかに錯綜したこの相互参照の連鎖の総体に、単純な自己完結した体系性が保証されていたりすれば、ほとんど奇跡に近いことになる。しかし言語の意味世界は、まさにある種の体系として成立しているはずである。相互参照の無限の連鎖がナンセンスをいたるところで生成しまくらない限りにおいてのみ、「意味」という観念も可能になっているのだから。

パースの記号論に大きく影響を受けた構造言語学者ヤコブソンは、意味世界が自己完結的な体系性をそなえていることを当然の前提としつつ、この相互参照関係の野放図な連鎖を一気に処理する方法を思いついている。彼は記号の「意味」を、その記号が置き換えられうるあらゆる他の記号---パースの用語で言うなら、記号の解釈項、そしてその無限の連鎖ということになるだろう---を要素にもつ「等価クラス」として定義しようというのである(ヤコブソン 1973)。つまりある言葉の意味とは、それと置き換え可能なすべての記号を要素にもつ一つの「集合」のことだということになる。意味を、相互に参照関係にたつ諸記号にとっては上位の論理階型に属する存在として、諸記号に対してメタレベルにたつ存在として処理しようというスマートな試みである。しかしこれは残念ながらうまくいかない。参照関係の連鎖は、その場の即興や、気の利いた比喩などによって、その展開にはつねに予測不可能性がともなうが、それは置き換えの「等価クラス」の存在を前もって仮定することを困難にする。しかしより大きな困難がある。上で言及した「単純な<意味>形態」において、ちょうど「単純な価値形態」において「価値」が「等価形態」という形で一つの商品の姿でたち現れているように、「意味」はオブジェクトレベルの記号(列)の姿で出現している。まさに一つの記号『そらとぼける』そのものが、『うそぶく』という言葉の「意味」であるとされるのであるから。メタレベルの存在であるはずのものが、オブジェクトレベルに紛れ込んできているということになる。ヤコブソン流の処理をもってしても、「意味」は二つの異なる論理階型を縫い合わせる、特異な存在であることがわかるのである。

この事実だけをもっても、意味世界が、おそらく商品世界とは比べ物にならないほど重層化した複雑な組織体であり、そのさまざまな次元での体系性を保証する多くの物象化的プロセスを内部に抱えていることは推測に難くない。言語がどのように組織されているのか、その体系性は何によって可能になっているのか、こうした問題について、ここでは立ち入って考察することはできない。シニフィアンの示差的な対立だけの組織でないことだけは明らかであろう。

3−4.世界の整序化と言語

しかし言語がいかにそれ自身の内部で組織されているのかが問題になる以前に、おそらく明らかにしておかねばならない問いがある。つまり言語という存在そのものについて、それはいったい何かを問う問いである。言語実践は、けっして言語自身について語るだけの実践ではない。というよりも、そもそもわれわれの言語実践のほとんどは、むしろ言語外の世界について語る実践なのだということを忘れてはならない。しかしそこに目を向けると、言語そのものが---ソシュールはすでに同じ比喩で言語について語っていたのであるが---商品世界における貨幣のような存在---物象化のプロセスによって成立した物象---であることが明らかになるだろう。ここでも私にできることは、問題の簡単なスケッチを提出することだけである。

最初に一つの問いを考えるところからはじめよう。言葉で世界について語れるのはなぜかという問いである。この問いは、なぜ貨幣で商品が買えるのかという問いと明らかに似たところがある。後者については常識的には、その商品と貨幣とが同じ「価値」をもっているからだと答えたり、貨幣が「単なる尺度・媒体にすぎない」と考える向きなら、その商品にはその貨幣が<表示・表現>している「価値」が含まれているからだと答えるだろう。言葉についてはどうか。話を極端に単純化して、「げんに存在する」物や事柄---ここではあまり難しいことは考えずに、「物」とか「存在する」とかについては、ごく普通に理解されているような意味で受けとっておいて欲しい---をある名詞で語るという場面に限ろう。ある<物>---たまたまそこにいるかもしれないし、いないかもしれない---を指して、それを「ネコ」であると言うような場面である。なぜその<物>を「ネコ」という言葉で語ることができるのかという問いに対して、「ネコ」という言葉の「意味」がその<物>に対してあてはまるからだと答えることができるかもしれない。あるいは「ネコ」と呼ばれる<物>たちがもっている本質的属性がその<物>にもそなわっているからだと答えることも可能だろう。通常の理解では、この二つの答え方は同じことであると考えられている。「ネコ」と呼ばれている<物>にそなわっているとされる本質的諸属性は、ネコの「概念」と呼ばれることもある。それこそが「ネコ」という言葉の「意味」であるとされることもある。言葉「ネコ」には「意味」が、そしてその<物>には「ネコ」の概念であるところの本質的諸属性がそなわっている。「意味」イコール「概念」であるとすれば、結局、言葉「ネコ」と、その言葉によって語られるその<物>にはともに同じものが備わっているということになる。さらに言葉は「概念」を(その言葉の「意味」として)<表示・表現>しているという、これもありふれた理解をここに付け加えるなら、ある言葉である<物>について語れるという関係は、まさに貨幣で物が買えるという関係とほとんど同じ構図をしていることがわかる。貨幣と商品の場合、両者に共通するあるものは「価値」と呼ばれ、言葉と<物>の場合、同じく両者に共通するあるものは「意味」あるいは「概念」と呼ばれる、というわけである。

しかし詳しく見ると、事態ははるかに複雑である。言葉と<物>の関係についての、上に述べた二つの答え方は、実は必ずしも同じではないからである。それぞれについて、少し詳しく見ていこう。

3−4−1.連鎖I

言葉の「意味」が言葉の相互参照関係であるという前節の議論を思い出していただきたい。「単純な<意味>形態」において「ネコ」という言葉の意味は、それとは別の言葉(あるいは、パースやヤコブソンの拡張を受け入れるならば、その他の記号列)に置き換えられ、その中に示される。「ヒゲを生やしたニャアと鳴く四本足の気高い隣人」といった具合に。それはしばしば予測不可能な方向に展開するきまぐれな相互参照の無限系列を導く。さてそうすると、「ネコ」という言葉の「意味」がその<物>に対してあてはまるということは、その<物>を「ネコ」という言葉で語れるのであれば、その<物>はまた、言葉「ネコ」が引き渡される他の別の言葉(パースの言い方を用いればインタープリータント=解釈項)でも語れる、ということを意味しているということだと言い換えることができる。その<物>を「ネコ」と呼んでよいのなら、その<物>を「ヒゲを生やした...気高い隣人」と語ることもまた可能なはずだ。つまり、その<物>は、パースの用語を再び用いるなら、記号「ネコ」の「対象」であるということになる。パースのちょっと謎めいた記号の定義はこの事情を踏まえている。それによると「記号とは、ある第三項つまりそのインタープリータント(解釈項)をして自らが関係する同じ対象と関係付けるような形で、ある第二項つまり対象と関係付けられるもの」(Peierce op.cit. 2.92)である。ややこみいった表現だが、記号が対象に関係できるのは、その記号のインタープリータント(解釈項)が同じ対象に関係付けられるからだと言っているのであり、「ネコ」という言葉でその<物>について語れるのは、その「ネコ」という言葉のインタープリータント、つまりその言葉が展開される別の記号(列)も、同じその<物>に当てはまるからだということである。

図に示したとおり、言葉の相互参照の網の目を、一つの物---より正確には物在として思念された項---が中心化している構図になっている。あるいは限りなく先送りされていく参照関係を、「対象」項が短絡している。商品同士の際限ない相互参照関係(「単純な価値形態」)を貨幣が短絡していたのと似た構図である。これをとりあえず「連鎖I」とでも呼んでおこう。

3−4−2.連鎖II

しかしこれはまだ話の半分に過ぎない。なぜその<物>を「ネコ」と呼べるのかという問いに対するもう一方の答え---「ネコ」と呼ばれる<物>たちがそなえているはずの本質的諸属性がその<物>にもそなわっているからだという答え---からは、これとはまったく別の関係が見てとれるのである。

「ネコ」と呼ばれる<物>たちにそなわる本質的諸属性、つまり「ネコの概念」を人がどんな風に手に入れるのかについては、昔からちょっと厄介な問題があることが知られている。「ネコ」と呼ばれる<物>たちからの抽象によって、という普通の答えが成り立たないことが簡単に示せるからである。有名な議論であるので再述するのも憚られるが、以下の展開において重要な点なので一応確認しておきたい。廣松渉が入門書の中で行っている議論をそのまま使わせていただく。引用が長くなるが寛恕願いたい。

抽象に基づく概念形成について廣松は述べる。

「それはニ段階の手続から成るものと考えられている。第一段において、比軟校合する素材的与件たる一群の個物が弁別収集され、第二段において、それら与件群の普遍本質的な規定性がピック・アップされる、云々。−−これが「帰納的抽象」の手続だというわけである。
だがしかし、謂うところの「第一段」(これは現物を実地に寄せ集めるというより、実際問題としては、当座の概念形成に必要な与件群が記憶その他をも動員して意識野に引出される過程なのであるが)、そこにおいて既に重大な先決問題がある。
人は、〈犬〉という概念を形成しようと試みるさい、自家の飼犬ポチ、隣家の飼犬ジョン、……等々の個体群を“集め”ることであろう。が、ミケ、タマ、等々の個体は初めから除外してかかる。ましてや、〈犬〉という概念を抽象しようという今の場合、机とか石とか、木とか草とか、……こういった多数のものどもは与件群に入れられない。
では、一体なぜポチやジョン……を比較校合の素材的与件として集めるのか?まさに、それらは犬であるから。また、ミケやタマや、机や石や草や木……なビを排除するのは、まさに、それらは犬でないから、であろう。
ということは、人は〈犬〉という概念を今から抽象・形成しようと企てているのであるにもかかわらず、何は犬であり何は犬でないかを与件集拾の場面ですでに知っているということを意味する。ポチ、ジョン……を集め、ミケ、タマ、机、石……等を除外するさいの、判別基準は何か?まさに〈犬〉という概念、つまり、今から形成すべき概念を事前に知っているということにならないか?もし、そうなら、なにもいまさら、〈犬〉という概念を抽象などという手続で形成する必要もあるまいではないか!」
(廣松 1985:117-118)

したがって問題は次のような形になる。そもそも「ネコ」という言葉の使い方を知っているといえるためには、「ネコ」と呼ばれるべき<物>に対して、それを正しく使用できねばならない。それまでに実際に見たことがある<物>に対してだけではなく、初めて出会った<物>に対しても、それが「ネコ」と呼ばれるべきか、そう呼ばれるべきでないかが、わからねばならない。とすると、言葉を使えるためには「ネコ」と呼ばれる<物>に備わる弁別的特性、本質的属性がなんであるのかがすでにわかっていなければならない。しかし、具体的な<物>たちからの抽象でないとすれば、それをいったい人はどうやって手に入れるというのだろうか(本質直感とか、神によってはじめから与えられているとかは、なしだ)。なにやらわざわざ自分で問題を厄介にしてしまっているような気がしないでもない。

ここで、概念形成の抽象作業がおこなわれるはずの個体群を、「ネコ」と呼ばれる<物>のすべてを要素とする集合、つまり外延群の全体---それを相手にすることはそもそも原理的に不可能な話なのだが---とする代わりに、人が実際に経験しうる有限数の個体の集合に限ってみても、困難は同じことであるし、またそうした集合に属する個体すべてが共通の属性をもつ(単配列集合)と考える代わりに、全個体によってではなく大多数の個体によって共有されている特性の複数の組み合わせ---どの単一の特性も共通しておらずしたがって集合に属するうえで本質的でも十分でもない---が見出されるのだ(多配列集合)という考え方に立っても(Sokal and Sneath 1963 cited in Needham,R., 1975:356) 、問題はなんら変わらない。いずれにしても、その集合から抽象によって取り出されるはずの諸属性が、そもそも諸個体をその集合にまとめる段階で、その作業の中ですでに使われてしまっていることになるからである。


 ┌──┬────────┬───────┐  
 │    │ 多配列クラス │単配列クラス │ 
 ├──┼────────┼───────┤  
 │個体│ 1 2 3 4 |   5  6    │ 
 ├──┼────────┼───────┤  
 │ 特 │ A   A A │         │ 
 │  │ B B  B   │         |  
 │  │ C C   C │          │ 
 │  │   D D D │         |
 | 性 |            |  F F     │ 
 │  │              │  G G    │ 
 │  │              │  H H    │ 
 └──┴────────┴───────┘ 
 Skal and Sneath 1963(cited in R.Needham 1976)

さて、こうしたアポリアは、たいていは誤った前提の存在から生じると相場が決まっている。したがって前提を変えてやれば解消する。ここでも、暗黙のうちに想定された3つの事柄があり、困難はその3つの前提から生じている。一つの言葉で呼ばれる<物>たち、たとえば「ネコ」と呼ばれる<物>たちが、あつまって一つの境界をもった集合を形作っているという想定、さらに、ある<物>についてその言葉で語る際に、こうした集合のレベルで関与的な属性---それがたとえばネコの概念であるということになる---によって弁別が行われているという前提、最後にこの二つの前提に加えて、特定の集合から関与的な属性を抽象によって引き出す作業と、<物>たちをその当の集合に集める作業がいわば同じ一つの精神によってなされねばならないと想定していること、これである。

この3つの前提のうち、どれか一つを置き換えることによって、それなりの解決がもたらされるように見えるかもしれない。たとえば、三番目の前提を、「関与的な本質的属性の抽象を行うための有限数の個体からなるサンプルの集合は、他者たちからお仕着せの形で与えられる」---言語の習得過程を考えるとこの想定の方が少しはもっともらしく見える---という想定に置き換えることによって、最大の困難であった論点の先取りというアポリアは回避できるように見える。たとえば、言語の習得過程においては、周囲の大人たちが「ネコ」と呼んでいるという事実のみから、子供は属性をとりだすべき元となるサンプル集合を得ているのだ---別にその子供自身がなんらかの弁別基準によって個体をまず集める必要なしに---というのは、ありえそうなことである。こうすれば廣松が指摘しているような問題は回避できる。

しかしこの中途半端な修正がもたらす解決は、それなりのものでしかない。なぜなら、このお仕着せのサンプル集合は大人たちが「ネコ」という言葉を新たな個体に対して用いる都度、常時更新され続けるわけだが、子供はその都度、その新しい集合からの抽象作業を繰り返すということになるのだろうか。人間は言語の習得において、ほんとうにそんな非効率なことをしているのだろうか。子供自身は、いつ、新しい出会いに対して自ら「ネコ」という言葉を用いることによって、自前でそのサンプル集合の更新を行うようになるのだろうか。もしこのように自ら更新した集合をもとに、属性の抽象を行うことになるのなら、そこでは上で述べたようなアポリアが結局出現してしまうのではないか。このような疑念が次々に出てきてしまうからである。

したがって、第三の前提だけを修正するだけでは不十分であって、それと結びついた他の二つの前提も見直さねばならない。ある言葉で特定の<物>について語る際に、行われているはずの弁別作業を、<物>の「集合」をいちいち経由するような作業として考えるのをやめることはできないだろうか。

ある<物>を「ネコ」という言葉で語れるのはなぜかに対する二番目の答え---本節で検討しているもの---は、「ネコ」という言葉で呼ばれる他の<物>たちと同じ属性を、その<物>がもっているからだいう形をとっていた。しかし、これは必ずしも問題の「ネコ」と呼ばれる他の<物>たちが一つの集合の成員として考えられているということを意味しているわけではない。実はもっと簡単な考え方があるのである。

察しのよい読者ならすでにおわかりの通り、私はここでウィトゲンシュタインの「家族的類似」の概念を念頭においている。ウィトゲンシュタインのこの概念は、しばしば多配列集合の考え方と同一視されているが(eg. Needham 1975)、これはとんでもない誤解である。たしかにウィトゲンシュタインは一つのクラス(集合)に属するものが共通の属性をもっているはずだという考え方を否定する。しかし彼がクラスを特徴付けるのに、共通の属性に代えて、単なる類似性をもってきたとしか理解しないとすれば、それはウィトゲンシュタインのこの概念の可能性をおそろしく狭め、陳腐化してしまうことになる---さらに廣松が行っているように簡単に批判の対象にしてしまいうる(廣松 前掲書:134-137)。むしろウィトゲンシュタインは「家族的類似」の概念によって、言語の問題を、「集合」を経由して考える従来の筋道から解放することに成功したのだと言ったほうがよいくらいなのだ。この概念についての彼の説明に耳を傾けよう。

「まあ例えば、我々が「ゲーム」と呼ぶところの事象について、考察しよう。私は、盤ゲーム、カードゲーム、ボールゲーム、格闘ゲーム、等々、を思っているのである。何が、これら全てに共通しているのか?−−「それらには何か或るものが共有されていなくてはならない。さもないと、それらは「ゲーム」とは呼ばれないから」などと言ってはならない。....君がそれらを良く見れば、それら全てに共有されている何か或るものを見出す事はないとしても、しかし君は、そこに類似性や血縁関係を見出すであろうし、しかも場合によっては、或る完全な系列をも見出すであろうから。....例えば、盤ゲームを良く見よ;そこには、多種多様な血縁関係がある。さて、カードゲームに移ろう;君はここに、盤ゲームとの多くの対応物を見出すが、しかし盤ゲームに於ける多くの共通な特徴は消え失せ、別の特徴が現われている。次に我々がボールゲームに移れば、カードゲームに於ける多くの共通な特徴が保たれている一方、多くの特徴が失われている。−−これら全ては、「娯楽」であろうか?チェスをミュールファーレン[子供の盤ゲーム?]と比較せよ。チェスは必ずしも娯楽ではないであろう。或いは、如何なるゲームにも勝敗或いは競争があるのであろうか?独りトランプのぺイシェンスについて、考えよ。この場合には、勝敗も競争もない。ボールゲームに於いては、一般には勝敗や競争があるが;しかし、子供がボールを壁にぶつけて跳ね返ってきたそれを受け取る遊びをしているときには、勝敗も競争も無くなっている。それらのゲームに於いて、器用さと運が演じる役割について、良く見よ。そして、チェスに於ける器用さとテニスに於ける器用さが、如何に異なっている事か。さて、ライゲン遊び[輪舞のようなもの?]について考えよ;ここには、娯楽の要素があるが、しかし、ゲームが一般に有するその他の特徴が如何に多く消え去っている事か!....そして今や、これらの考察の成果は、こうである:様々なゲームを順次見てゆくと、我々はそこに、相互に重なりあい交差しあう種々の−−そして、大きな或いは小さな−−類似性の、複雑な網状組織を見るのである。私はこの類似性を、「家族的類似性」という語による以外、よりよく特徴づける術をしらない。」
(L・ウィトゲンシュタイン, 1997:55-57)

もはや明らかであろう。彼は「家族的類似」ということで、ある言葉、たとえば「ゲーム」という言葉で呼ばれる<物>どうしのあいだの個別的な相互参照関係の複雑な「網状組織」を問題にしている。出発点では彼はたしかに「ゲーム」という言葉で呼ばれる事象の集合を問題にしているように見える。しかしそれは、それらに共通する何らかの本質的属性があるという考え方を否定するためだけに持ち出されている。それに続く展開においては、彼はもはや集合の観点では考えていない。重要なのは、「ゲーム」という言葉で語られるそうした<物>どうしのあいだの「血縁関係」、つまり個別的で、次から次へと連想ゲームのようにほとんど予測不可能な形で展開していく類似性の連鎖である。したがって、ある言葉---「ゲーム」といった---で呼ばれる<物>たちは、一つの境界の定まった集合の成員なのではない。それは集合にではなく、一つの際限なく広がっていく関係の網の目に属しているのだ。

したがって、集合の全成員に共有された本質的属性の代わりに、全成員にではなく、その大多数に共有されている---ただし個々の属性の共有分布は一致するとは限らない---属性群によって集合を定義しようとする「多配列集合」の考え方は、「家族的類似」の考え方とは似ても似つかないものであり、事実それはまさにウィトゲンシュタイン自身によってきっぱり否定されている。

「もし或る人が「そうであるとすれぱ、そのような多くのものの全てには、或るものが−−即ち、それらの間で部分的に共有されているもの全体の選言的結合が−−共有されているのである」と言おうとするならば、−−私はこう答えるであろう:そのように言う事で、君はただ言葉を弄んでいるのである。」(L・ウィトゲンシュタイン, 前掲書:57)「家族的類似」を多配列分類と同一視する多くの論者は、ほんとうにウィトゲンシュタインを読んでいるのだろうか。

境界をもつ集合とは異なり、関係の網の目は明確な境界をもたない。血縁関係が拡大していくように、それは拡張する。

「同様にして、例えばいろいろな種類の数−−基数、序数、自然数、整数、有理数、無理数、実数、虚数、複素数、等々−−も、一つの家族を構成しているのである。しからば、何故我々は、或るものを「数」と呼ぶのか?さようそれは、その或るものが、人がこれまで数と呼んできた多くのものと、或る−−直接的な−−血縁関係を持っているからである;そして、この事によってその或るものは、我々がやはり数と呼ぶ他のものと、或る−−間接的な−−血縁関係を持つのである−−と言えよう。そしてこのようにして我々は、我々の数の概念を拡張するのである」
(L・ウィトゲンシュタイン 同上)

類似は、この関係の連鎖の中の隣り合った項どうしのあいだに認められる関係である。そして、彼が「ゲーム」について論じているように、個別的な類似関係は、必ずしも首尾一貫しない形で、その都度、予想もつかない連鎖をつむぎだす。以下のような具合だ。<将棋>は「ゲーム」という言葉で語ってよい。なぜなら同じ「ゲーム」という言葉で語れる<人生ゲーム>に似て、それは盤の上で駒を動かして遊ぶものだから。<相撲>は「ゲーム」という言葉で語ってよい。なぜならそれは<将棋>に似て、二人の勝ち負けが重要だからだ。 等々。これはやや不自然な例ではあるが、ここでは<相撲>は<将棋>とあいだに、ウィトゲンシュタインの言葉を用いれば、直接的な「血縁関係」を、<人生ゲーム>とのあいだに間接的な「血縁関係」をもっていることになる。ウィトゲンシュタインが「血縁関係」として語るこの個別的な二者関係が、一種の参照関係でもあることに気づくだろう。<相撲>は自分自身では、それがどのような言葉で語られるべきかを言うことができない。それは<将棋>を参照することによって、その<将棋>がそれであるところのものによって自らを示すことができる。再び「単純な価値形態」において認めた先送りされていく参照関係の連鎖を我々は見出すことになる。類似は一種の等置=等価性の樹立にほかならないから、これはある意味で当然のことである。ただしそれは、価値の関係以上に、不確定で野放図な連鎖を張り巡らしてしまいうる参照関係である。これを「単純な<対象>形態」とでも呼んでおこう。

もちろん実際には類似性がこれほど行き当たりばったりに連鎖していくことはあまりないだろうが、家族的類似の概念のポイントは、それが行き当たりばったりに、あるいは予測不可能な仕方で、あるいはとんでもない方向に連鎖してしまい「うる」という点である。だからこそ、「集合--共通属性」という言語理解は破綻するのである。

ある<物>をどのような言葉で語りうるかは、その<物>が、他のどの<物>たちとこうした連鎖関係に入りうるかの問題だということになる。ある<物>を「ネコ」という言葉で語ってよいのは、それが「ネコ」という言葉ですでに語ることができているこの<物>、あの<物>たちと、似ている、あるいは区別がつかない、同じ属性をもっている etc. からだということになる。これはウィトゲンシュタインが数の概念の拡張を例にとって語っているように、概念が(しばしば行き当たりばったりに)拡張されていく事態をうまく説明するし、また子供の言語習得の過程にもよく当てはまるように思われる。『あれは「にゃあにゃ(ネコ)」だ。だって、うちのタマに似ている。』こんな風に子供が新しい<物>を「ネコ」という言葉で語るとき、それは周囲の他者によってそのまま認められるかもしれないし---その場合、子供は正しく類似を見出したのだ---、あるいは修正される---子供は周囲の大人たちが是認しないような仕方で類似を見出してしまったのだ---かもしれない。『違うのよ、ボク。あれはキツネっていうのよ。』いずれにしても、「ゲーム」の場合と同様、集合を規定する共有属性(単配列的であれ、多配列的であれ)など、ここではまったく問題になっていない。

なぜある<物x>を「ネコ」と呼んでよいのか。それは「ネコ」と呼んでよいこの<物Y>としかじかの点で似ているからだ。ではなぜこの<物Y>を「ネコ」と呼んでよいのか。それはこの<物Y>が、さらに別の、「ネコ」と呼んでよいあの<物Z>と、これこれの点で似ているからだ。「家族的類似」の網の目は、我々にすでにおなじみになった、際限なく先送りされていくしかない参照関係の複雑に分岐する錯綜した網の目にほかならない。

類似による---場合によっては、おそらくより正確には、積極的な類似の措定というよりも、違いが認知されないことによるのかもしれない(ディーコン 1999(1997):)---相互参照関係とは、別の言い方をすると比喩ということでもある。比喩においては、人は<物>を、自分がすでに知っている別の<物>に見立てて、あるいはそれになぞらえて、それと等置する。今、目の前にいるある<物>を、自分が知っている<タマ>になぞらえて、それと等置する。そのときその<物>を「ネコ」と呼ぶことが可能になる。これは、あらゆる認識作用を比喩的過程としてとらえたニーチェの議論を思い起こさせるだろう。彼によると「われわれの感官知覚の基礎になっているものは、比喩であって、....類似のものを類似のものと同一化すること---一方の事物と他方の事物とにおける何らかの類似性を見つけ出すこと、これが、根源的な過程である。....認識作用とは、極度に愛好された隠喩における作業、つまり、もはや模倣とは感受されなくなった模倣作用、であるにすぎない。」(ニーチェ 1994:312-318)したがって当然のことながら、概念形成について論じるとき、ニーチェはウィトゲンシュタインに極めて近い位置にたつことになる。「すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得るような何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである」(ニーチェ前掲書:352-353)。概念の形成について考えながら、ニーチェはそこに、それぞれが異なる等しからざる<物>たち---例えば<桜の葉><銀杏の葉><ヤシの葉><稲の葉>等々....---が類似性によって次々と等置されていく際限のない連鎖を垣間見ている。「木の葉」という言葉は、こうした連鎖の網の目によって生み出されたものなのだが、同時にそうした等置の根拠として振舞う。それらの<物>たちは互いに似ている---場合によっては「共通の属性」すらもっているかのように思念される---、なぜならそれらはすべて「木の葉」だからだ、という具合に。このとき言葉「木の葉」は、相互に類似性の参照関係にたつ個別的な<葉>たちに対して、あたかも貨幣が相互に参照しあう商品に対して立っていた位置にある。この関係を、前節からずっと例にとってきた「ネコ」という言葉に関して図示すると次のようになるだろう。

<物>どうしの相互参照関係の際限のない連鎖---「単純な<対象>形態」の連鎖---を中心化する項として言葉「ネコ」が登場している。これを連鎖IIと仮に呼んでおきたい。

3−4−3.言語と世界の整序化(結論)

以上の簡単な素描的な考察からも、われわれが相手にしているのがとてつもなく複雑な現象であることの一端はうかがえるだろうと思う。言語は、けっして単なる示差的な差異のシステムに尽きるものではないし---もちろんそれが言語にとって最も基底的な事実であるということは疑いの余地はないが---、また「意味」の問題を、そうした反照規定的な差異の関係が、項に内自化した形でとらえられたものとして片付けてしまうこともできない。そこには商品世界において見出されたような、際限なく先送りされる相互参照関係の連鎖(網の目)が再び見出される。しかも二種類の関係態が、互いを前提としあうような形で密接に支えあいながら存在している。「単純な価値形態」として見出される商品の相互参照関係は、使用価値において異なる二つの商品、つまり等しからざる二つのものを等置する交換という等置の実践によるものであり、その結果として、それが生み出す連鎖は容易に自己撞着を引き起こす可能性を秘めていた。この反システム的な可能性に対して、創発的なシステムは物象化という形でのみ自己を存在させることができた。

さて、言語においても、われわれは同様な連鎖を見出したのである。一つは記号どうしの相互参照の連鎖。記号は、別の記号(列)を引き合いに出すことによってのみ自らの意味を示すことができる。記号と、それとは等しくない別の記号との際限のない等置の実践であり、これはわれわれの言語実践の重要な一部をなしている。この原理的には際限のない「言い換え」は、詩人の奇抜な言語実践を引き合いに出すまでもなく、いとも簡単に常軌を逸した連鎖を産出してしまう可能性をはらんでいる。それがナンセンス=意味の消滅をたえず生成してしまわないのは、ほとんど奇跡のようなものかもしれない。しかし言語の可能性はまさにこの奇跡に依存している。この意味の相互参照の連鎖が、ある種の体系性に回収されるためには、創発的なパターンは、ちょうど商品世界において貨幣が「価値」を支えるように、「意味」を担保してくれる支点をひつようとしている。ここにおいてまさに「対象」つまり<物>が、あたかも意味の貨幣であるかのような位置を占めているのが見出された。諸記号が一つの体系性をそなえた総体として自己を実現するには、「対象」との交換関係(指示関係)がいる。そして「対象」の方でもまた、記号どうしの意味の相互参照の連鎖の網の目によって生み出され、それに支えられた限りにおける物象であることが判明するのである(本論考では議論を単純化するために、「対象」をいわゆる普通の意味での物であるかのように想定してきたが、パースの言うところの対象がはるかに複雑な概念であることは、あらためて断るまでもないだろう。パースによると「対象」はその存在を、インタープリータント(解釈項)の無限の連鎖に負っているのである。)。

しかし<物>の方にも、われわれは同様な連鎖を見出すことになった。<物>は自らとは別の他の<物>を引き合いに出すことによって、つまりそれと「似ている」という形でしか、自らが何であるかを言うことができない。再び、際限なく先送りされる相互参照関係の連鎖をわれわれは前にしていることになる。やはりこの連鎖も、等しからざるものを等置する実践の産物である。それは、ニーチェが比喩的と呼び、ウィトゲンシュタインが「家族的類似」の「血縁関係」と呼んだ、どこまでも広がり続ける網の目を生成する。この網の目も、ウィトゲンシュタインが「ゲーム」を例にとって示してみせたような一種の際限のない無軌道ぶりを特徴としている。あらゆるものが何らかの点であらゆるものに似ており、あらゆるものが他のあらゆるものを表しうるというベンヤミンがバロックのアレゴリーについて指摘した状況(ベンヤミン 1995:212-213)は、この「比喩的」実践がつねに抱えている可能性である。この網の目が体系性をもち、まさに<物>の秩序をそこに出現させるためには、再びこの際限のない連鎖を中心化してくれる何かが必要である。そしてニーチェが鋭く指摘しているように、まさに言葉が---それ自体は「音」という<物>の一種であるにもかかわらず、あたかも<物>の秩序からは除外された、それ自体の存在であるかのようにふるまうことによって---ちょうど商品世界における貨幣のように、この<物>たちの類似による相互参照の連鎖を中心化する役割を演じることになる。言葉の、<物>たちの相互参照関係を短絡し中心化するこの役割は、言葉がそうした相互参照の網の目が生み出した虚焦点の位置に出現した、そうした網の目によって支えられた限りにおける物象であることに負っているのだということをここで付け加える必要はないであろう。

かくして「言葉」と<物>は、互いが互いの物象化態として、それぞれの体系性を保証しあいながら、われわれの経験世界を編み上げているのである。

何度も繰り返してしつこいようだが、これは言語と意味の問題をめぐっての、あくまでも非常に粗い---多くの点でかなり乱暴な単純化を行っている---スケッチに過ぎない。しかしこのような粗いスケッチであっても、廣松渉が早い時期に、マルクスの物象化論を言語と意味の世界に適用しようという計画の中で見て取っていたように、言語と意味の世界の整序化が同様な物象化のプロセスによってもたらされていること、それらがわれわれの「言語実践の凝結体」とは言わないまでも、まさにわれわれの言語実践---具体的には二つの相互参照の連鎖を作り上げる比喩的作業---のなかで起こっていること、この二つの点は示せたのではないかと思う。廣松の予感はまさしく正しかった。ただそれは後の廣松が見たような、示差的な反照規定関係の項の属性への内自化、つまり「反照規定関係の物性化」といったような単純な、そして人間の経験の全領域にあてはまる話とは違っていたのではあるが。

このように言うと、ここで問題にしてきた参照関係の連鎖の系と、私が言語にとってより基底的な事実であると喜んで認めている示差的な反照規定関係の系との関係がどうなっているのかという疑問を感じる人もいるかもしれない。粗雑なスケッチに、さらに粗雑なスケッチをつなぎ合わせるようで気が進まないのだが、私が構造主義の提出してきた知見をまるで無視しているかのようにとられるのも不本意なので、自分自身の昔書いた文章から例をとって、両者の関係を簡単に素描しておきたい。

特定の属性をもった項の認識が、示差的な反照規定関係の認識に他ならないという点について、私はかつてある概説書の中で「色」を例にとって説明したことがある。

「われわれが日常、なんらかの性質をもった具体的な「モノ」を相手にしていると考えるような場面でも、われわれが実際に相手にしているのはそれらが置かれている関係にすぎないと明らかになる場面が結構ある。たとえばカラーテレビの映像を見ている場面を考えてみよう。そこに女性の長い黒髪が映っている。われわれが見ているのは、「黒」という色である。しかし、振り返って考えてみると、カラーテレビは黒という色を映すことは原理的にできないはずなのだ。というのは、カラーテレビはブラウン管を発光させて色を出しているのであるが、ブラウン管を黒く発光させることなどできる訳がないからだ。そもそも黒い光など存在しないのである。われわれが黒い色として見ていたのは、実はブラウン管の発光していない部分の色だったのだ。ためしにそれが実際にはどんな色かを、テレビのスウィッチを切って確かめて見ればよい。それはせいぜいちょっと濃い目の緑色がかった灰色でしかない(著者註:この文章を書いた当時のテレビの話であることを割り引いて欲しい)。それはその隣の黒いオーディオセットの「黒」、その脇に立っている実際の女性の髪の毛の色の「黒」とは、似ても似つかない色だ。
とするとわれわれは、テレビ画像の中では、本当は緑色がかった灰色であるものを「黒」として見ていたのだということになる。しかしこれは厳密には正しい言い方ではない。正しくは、壁紙の色やキャビネットの色などとの対比においては緑色がかった灰色であるものが、ブラウン管の他の発光している部分との対比においては「黒」なのである。われわれが見ていたのはさまざまな色のあいだの違い、その対比だったのであり、こうした対比の関係を見て取ることが、われわれが日常「色」を見るという経験において実際に行なっていることなのである。別の言い方をすれば、発光していないブラウン管の色<黒1>が映像の中の他の色<赤1>、<青1>、等々に対してもつ関係が、オーディオセットの<黒2>が部屋の中の壁紙や家具の<赤2>、<青2>等々に対してもつ関係と同じであることが、両者を同じ<黒>にしているのである。」
(浜本 1991:)

この記述は構造主義を概説するなかで、関係の一次性を強調した場面での記述であり、その焦点は示差的差異の反照規定的な関係の方に置かれている。15年も前の文章を自分で解説するというのも妙な話だが、最後の文章に注目していただきたい。それは、<黒1>と<黒2>のあいだに成立している類似性、等価性の関係について語っている。素朴な構造主義における関係の一次性の主張とは、示差的な差異の反照規定的な関係が、類似性、等価性の連鎖を規定するという主張に他ならない。「色」というきわめて単純な経験においては、幸いにして、<黒1>→<黒2>→といった形で成立している類似(あるいは等置)の参照関係は、上の引用の中で論じられているように、示差的差異の反照規定的な関係によって規定されているかのように見えている。関係の一次性の説明には好都合になっているのである。しかし普通はそううまくはいかない。他の多くの場合においては、示差的差異の反照規定関係のみでは、項として経験される<物>のあいだの相互参照関係の連鎖を一意的に規定することはできないだろう。商品の価値において、交換という具体的実践のはらむ不確定性が、つねに価値の参照関係の連鎖の網にしばしば予測不可能なずれをもたらしてしまうように、具体的な言語実践におけるコミュニケーションの不確定性も、即興的にとんでもない仕方で類似性の網の目を広げてしまいうる。「家族的類似」によってウィトゲンシュタインが着目したのもこの事実であった。そしておそらく、項のあいだの示差的差異の反照規定関係の体系---ソシュールはラングをまさにそうした体系として思い描いていたのだが---は、むしろこうした項のあいだに等価性の、類似性の、相互参照の連鎖を張り巡らす具体的な言語実践の一種の沈殿物のような産物とも見なすことができるだろう。この観点からは、それは実践の体系性を規定しそれを支えているというよりは、むしろ実践においてもたらされた経験の整序化の効果として眺められることになるだろう。物象化の議論においては、こちらの側面により大きな強調が置かれている。しかしそれはこの輻輳した諸関係の系のどれかを無視してよいということではない。われわれが相手にしているのは、いずれの単純な分析によってもその全連関を解き明かすことができないような複雑な関係態であり、したがって、それについての全体的な議論は、どうしても素描的なものにとどまるしかないのである。

3−5.「反照規定関係の実体化」

本論考の最後の課題として、廣松渉の物象化概念の二番目の内容である、関係態が一つの物在として経験されること、つまり「反照規定関係の実体化」と彼が述べる事態について検討しておきたい。すでに述べたように彼のいう「反照規定関係の物性化」の方は、それだけで物象化の具体的な内容と考えるわけにはいかないものであった。「反照規定関係の実体化」の方はどうであろうか。

もちろん私が上で提示してきた物象化のモデルにおいて述べられてきたのは、まさに反照規定関係の実体化という事態に他ならなかった。私は、際限なく先送りされるタイプの相互参照の連鎖---私は相互参照の関係がこの種類のみに限ると言うつもりはない---にとりわけ注目してきたが、それはその種の連鎖のもとで---マルクスの価値形態論にも明らかなように---物象化がもっとも明確な仕方で姿をあらわしていることが多いように思えるからだ。物象化は、そうした連鎖が---それ自身で首尾一貫した体系性をもった創発的なパターンを生成することが困難であるような状況で---安定したパターンを生成することを可能にするプロセスである。参照関係の網状組織が、あたかも虚焦点のように、ある<物象>の上に、自らの創発的(emergent)パターンの像を結像させ、それが当のパターンを支える支点として振舞うという形で、パターンは中心化され、そして安定する。そこでは関係態が、いわばその外部に一つの物象の姿をとって現象しているわけである。しかし、本論考の最後の節になる本節では、さらに進んで、これを単に「関係の実体化」と言うだけでは不十分なのだということを示したいと思う。

ここまでの物象化の議論においては、物象として現象する、当のパターンの支点、あるいは中心の位置について、空虚な中心とか虚焦点といった言葉で語ってきた。ある意味でこれは、貨幣という<物象>が典型的に示しているように、相互参照の連鎖の網の外にあり、同時にその当の連鎖の構成要素でもあるという二つの見え姿の間をめまぐるしく交替するという問題の<物象>のあり方と位置について語るうえでは、かなり有効な比喩であったと思う。それは、メタレベルの存在であるパターンそのものが論理階型の一つ下のレベル---オブジェクトレベル---の存在として顕れたものという、まさに論理階型の縫い合わせのような事態に対する直感的な説明を提供していた。しかしそれは所詮、一種の光学的な比喩にすぎず、いつまでもそれに寄りかかっているわけにはいかない。物象化における「関係---より正確には関係態--の実体化」を、光学的な比喩によらない形でもう少し正確にとらえておく必要がある。

廣松が物象化を「反照規定関係の実体化」あるいは「関係態が一つの物在として経験されること」ととらえるとき、「関係態」として存在することと「物在」(あるいは「物象」「物」)として存在することの間には、はっきりとした区別が引かれている。関係とは物と物との間に成り立っている事態であり、物とは関係によって結び付けられた諸項であるとすれば、両者の違いはあまりにも自明なことだと思われるだろう。もしそうだとすると、たしかに物象化、つまり関係態があたかも一つの物在として経験される、などという事態は、悪くすると単純な現実誤認---良くてせいぜいやむをえない錯覚---だということになるのも無理はない。多くの論者が物象化を、多くの場合なんらかの誤認の類としてとらえているのも当然のことである。しかし、私が本論で提示してきた物象化の構図は、たしかに関係態が一つの物在の形で結像してしまう---光学的な比喩にもうしばらく我慢していただきたい---つまり関係態の実体化という構図には従っているものの、それを誤認や錯覚の類としては捉えていない。そこでは、認識主体のいわば主観的なとらえ方の産物ではなく、いわば主体にとっての境遇世界の秩序の成立の機制そのものに即したもの---こういってよければ秩序そのものの「客観的」なあり方---として物象化をとらえてきた。それが誤認であるともし言うのだとすれば、それは世界のあり方を認識主観がゆがめて捉え、正しく捉えそこなっているという意味での誤認ではなく、世界のあり方そのものに含まれた「誤謬」---世界そのものは真であったり偽であったりするわけではないので、これはまったくナンセンスな言い方なのだが---であり、そこでは世界のあり方を正しく捉えることが誤謬になるような、そんな種類の誤謬だということになるだろう。

この論考全体を通して括弧に入れ続けてきた一つの問題、<物象>つまり<物>とはいったい何であったのかという問題について、あらためて考えてみる必要がある。何が<物>であり、<物>を経験することがどういうことであるかという問題がきわめて複雑で厄介なものでありうることは、前節で明らかにしたように、われわれにとっての<物>の世界の整序化が言語の整序化と複雑に連動しあいながら、双方の物象化プロセスを通じて成立しているという事情を考えれば、容易に予想できるだろう。したがって、ここでもまた、おそろしく単純化された目の粗いスケッチによってとりあえず論点を提出することで満足するしかない。

何かが<物>であるというのは、あるいは何かを<物>として経験するというのは、どういうことなのだろうか。ほとんどトートロジーではないかと言われそうだが、とりあえず、他の同様な項と区別される一つの項にたいする経験をもつことであると言っておきたい。項は意識にとっての一つの焦点であり---また光学的比喩だ---対象である。しかし、それは---くどいほどの繰り返しになるが---常にあくまでもなんらかの関係(性)の中で---たとえそれが最も単純な図と地の関係でしかないとしても---捉えられた限りでの項である。前節でも述べたように、項を経験することと関係を経験することは、別物ではなく、同じ経験の二つの切り離しえない側面にすぎない。ある関係(性)、あるいはパターンをパターンとして経験しているということが、言い換えればすなわち、そのパターンを構成する個別的な項を、しかじかの姿で意識に対して立ち現れている一つの項として経験しているということでもあるのである。当然、逆もまた真である。経験はこのように常に、論理階型の異なる二つの水準---関係態と項---のあいだの相即的な関係として成立している。この相即的な経験の中で、項と関係の二つの水準は混同されることなく区別されている。両者に同じ述語を使うことはできない。再び「色」を例にとると、項について「黒い」とか「赤い」とか記述することは可能であるが、項の対他的関係について、それらが「黒い」とか「赤い」とか記述することには意味がない。「黒」と「赤」のあいだの差異そのものは、別に黒くも赤くもない。論理階型の相違とは、こういうことを意味している。項を物象と呼ぶならば、項と項との関係は物象ではない。この二つの水準のみが問題である限り、物象と、物象ならざる関係態との区別はどこまでも明瞭であり、下位のオブジェクトレベルと上位のメタレベルとのあいだの区別に等しいのである。

しかしそうであるなら、物象と物象ならざるものとの区別は絶対的なものではないことにもなる。われわれの経験世界は単に二つのレベルを含んでいるのではなく、原理的には際限なく、何階にもわたって階層化されているからである。このとき、いかなる存在も、より上位のレベルに対しては<物>であり、より下位のレベルに対しては<関係態>なのである。その本性上もっぱら<物>であるものとか、もっぱら<関係態>であるものといったものは存在しないことになる。

そんなことはない、<物>というのはどこまでも<物>であり、われわれは何が<物>であり何が<物>ではないかぐらい、十分心得ているとお考えになる方もいるだろう。そんな方のために、私が講義などで「唯名論アタック」と呼んでいる種類の議論を紹介しよう。一種の必殺技の類であるが、なにも私のオリジナルではなく、西欧中世の有名な「普遍論争」のあたりにさかのぼる伝統技である。このアタックをかけられると、<物>だと思っていたものが<物>ではなくなってしまうのである。

例えば「時計」を考えてみよう。腕時計でもなんでも目の前にあるものを適当にみつくろってほしい。時計はどこをどう考えても正真正銘の<物>であろう。しかしそう思っているあなたに、彼はこんな風に問いかけてくる。「その時計をもっとよく見てごらん。その中もよく調べてごらん。あなたはそこに歯車やらピンやらの<物>を見出すだろう。まちがっても『時計の生命』とか『時計の精』みたいなものは見つからない。どこまで行ってもこれらの<物>以外、何も見つからないだろう。君は時計が<物>であると言うが、結局は時計そのものが<物>なのではなく、こうした実際の細々とした<物>が集まっただけのものだとわかるだろう。では、これらの<物>たちが時計なのだろうか。いや、ちがう。これらの歯車やピンの属性をどんなに詳しく---たとえばその寸法を細かく測って書き出しても良い---調べても、それによって時計の動きや機能は全然説明できない。だから時計の本質は、これらの<物>それ自体にはないのだ。時計の動きや機能を形作っているのは、これらの<物>ではなく、こうした<物>どうしの機能的連関だ。つまり時計の本質とはこれらの<物>がある一定の仕方で機能的に関係づけられているということにあり、時計とはこうした機能的関係からなる一つの関係態、パターンに他ならないのだ。」あなたは、ついさっきまで時計は立派な<物>だと思っていたのだが、この議論によると、時計は<物>ではなく、<物>どうしのあいだの機能的関係からなる関係態なのだということになってしまった。たしかに目を凝らしても、見つかるのは歯車やピンやといった類の<物>ばかりで、そこにそれらに混じって「時計」という<物>がひょっこり見つかったりすることはない。時計は<物>ではなく、パターンにすぎなかったのだ!

時計の場合は、だからといって時計は<物>ではないという結論は、そう簡単には受け入れられそうにない。しかし次の例ではどうだろうか。国あるいは国家である。国が争うとか、アメリカがイラクを空爆したとか、国際情勢をめぐる語りの中では国は一つの<物>として---さらには一種の人格をそなえた擬人法で---とらえられている。アメリカという「国」はたしかに実在する。それはれっきとした実体、つまり<物>であると思われるだろう。さて唯名論アタックはこんな風な議論を仕掛けてくる。「しかし君はアメリカがイラクを空爆したと言うが、ほんとうに「アメリカ」なるものがやってきて、爆弾を落としたとでも言うのかい?やってきたのは何機かの爆撃機で、実際に爆弾を投下したのは、例えばジョーンズ少尉などといった特定の個々人だ。アメリカなどではなく、彼らが爆撃したのだ。いや厳密には爆撃というのは彼らが行った単独の行為そのものですらない。ジョーンズは上官の命令を受けて、爆弾のボタンを押したのであり、出撃命令はさらに別のところから、そして国防総省の誰それが....といった一連の経緯がある。こんな風に、実際におこったのは特定の役割をもった具体的な個々人と、それらの個々人の行為のあいだの複雑な連関だけだ。注意してほしい。この連関のどこにも「アメリカ」なる実体は顔を出していない。もちろんそんなものが顔をだせるはずもない。なぜならそんなものはどこにも実在しないからだ。アメリカといい国家といっても、それは実体ではない。実際には個々人の行為の極めて複雑な相互連関のプロセスの総体があるだけだ。国家というのは、相互に密接に連携し統合された、そうした複雑なプロセスの関係態にすぎないのだ。」(この例はジジェク 1999:155-156 より借用)。時計の場合と違って、このケースでは「国」が実体ではないという議論は頭から受け入れがたいとは見えない。国家など「虚構」にすぎないとか、「共同幻想」であるとかいう言い方はずいぶん昔からあった。国家をあたかも実在する実体であるかのように語る語り口に対して、実際には特定の仕方で振舞う個々人とその行為の複雑な連関があるだけだ、国家をあたかも一つの実体であるかのように語るのは一種の「物象化」だと、つい口を滑らしたくなる人もいるかもしれない。

しつこいかも知れないがもう一つ例を挙げよう。吉田戦車の『伝染るんです』第一話で、いかなる品種でもないただの「犬」を買いにやってきた客の話である。もちろん、われわれは犬という生き物がいることをもちろん知っている。犬は<物>である。これも時計が<物>であるのと同じくらい疑い得ない事実であるようにみえる。さてこの客にとってもその通りなのだ。それどころか、その客はまさにそのただの「犬そのもの」を買いに来ている。ペットショップの店員の「....い、犬っていったっていろいろいますからね、ポメラニアンとかコリーとか....」といった応答に対して、その女性客は顔色ひとつ変えず「だからそういうのじゃなくて犬ください。」と繰り返すのである(吉田戦車 1999:3)。われわれはいつの間にか店員の肩をもって、どんな特定の品種でもないようなただの「犬」をくれと言われても困る、ただの「犬」なんて存在はいやしないのだと言いたくなっている。

おそらくこれは中世のスコラ哲学にさかのぼる最も伝統的な唯名論アタックの型だろう。ただの「犬」そのものなどというものは存在しない。ただ「犬」というだけだと、それは犬種はもとより、もちろんオスだともメスだともわからないし、仔犬であるとも年とっているともいえないそんな存在だというしかない。そんな存在を思い描いたりすることができるだろうか。あなたが思い描くことができるのは、雑種であれなんであれ特定の犬種に属し、雄であるか雌であるか、若いか年取っているかいずれかであり、そのどれでもないようなただの「犬」などという存在ではないのだ。

われわれはすでに前節の議論の中で(そこでは「ネコ」を例にとったわけだが)、「イヌ」という言葉に対応しているのが、実はその名で呼ばれるさまざまな<物>のあいだに張り巡らされた類似関係の相互参照の網の目にほかならないことを見ていた。その言葉が対応しているのは<物>たちが形作っているひとつの関係態なのだというわけである。しかし、それにしてはつい先ほどまで、「イヌ」という言葉に具体的な<物>が対応しているかのように、イヌという<物>が存在しているかのようにわれわれは考えていなかっただろうか。そう言われると、たしかにイヌという<物>が存在しているようにも思える。イヌという言葉は、まさに貨幣のようにその<物>と交換され、その<物>の正体を、その<物>の本質を明かすものである。

この最後の例など、われわれにとっての<物>の世界の整序化が、言葉の整序化と連動しながら起こるという事情のおかげで、すっかり頭がこんがらがりそうだが(これをきちんと解きほぐして説明しようとすると、それでなくともすでにくどくどしい議論がますますくどいものになってしまうだろう)、この3つの例のポイントは次の点にある。日常生活の文脈では、時計もアメリカという国もイヌも、他の同様な<物>たちと差異の関係によって区別された独立した項、意識の対象としてれっきとした<物>として登場している。時計の場合だと装身具や道具、計時実践などの文脈の中では正真正銘の<物>であり、アメリカという国は国際関係などの対他的反照関係のなかではれっきとした<物>であるし、イヌもネコやフェレットなどと対等の資格でひとつの独立した<物>だと考えて差し支えない。つまり、それらはそれらを<物>として成り立たせてくれる上位の関係網のなかで眺められている。しかし唯名論アタックによって、それを無理やり、下位の階型から眺めるよう強いられた瞬間、それらはこの下位の階型における<物>たちから見て、単なる関係態、パターンにすぎないものとして立ち現れてくる。つまり<物>であるか<関係態>であるかの違いは相対的であり、上位の関係性の中で<物>としてとらえられているどんなものも、下位の階型との関係で見るともはや<物>ではなく<関係態>であることが判明するのである。論理階型のどの水準に焦点をあわせているかによって、<物>でもあれば<関係態>にもなりうる。

したがって関係態が<物>になること、つまり「反照規定関係の実体化」をもって物象化と考えるという際には、慎重さが必要である。時計が、上の唯名論アタックの議論に見られるように、その部品の水準から見るとひとつの関係態に過ぎないことがわかったとしても、だからといって時計を<物>として扱っていることが一種の物象化に他ならないなどと議論したりすれば、滑稽なことになろう。アメリカという国をひとつの<物>であるかのようにとらえていることも、上のような議論だけをもって物象化の産物だと考えるわけにはいかない。イヌやネコという概念についても同様である。われわれの経験の階型的秩序---しつこいようだが、これが言語の整序化と連動したものであるから議論は実際にはより複雑にならざるを得ない---の中を単にこちらの視点が上下した結果として、それらがそのときどきに<物>として見えたり<関係態>として見えたりしているだけのことだからである。そうした場合には、そこで起こっていることを物象化と呼ぶことは明らかに不適切である。

廣松渉が物象化の概念をさまざまな領域にどんどん拡大適用していくときに、まさにこれが起こってしまっているように思われる。例えば彼が「黒田節」を例にとって「意味的所識」の対象性を「物象化的錯認」の所産として論じる際に、どのような議論が行われていたかを思い出してみよう。われわれがあるメロディを聞いて黒田節だと認める場合、なにか<黒田節なるもの>(「所識」)を対象的に経験しているかのように考えている。つまり本節での言い方でいうと、それを<物>として経験している。しかし、私たちが実際に聞いているのはそのときどき、肉声あるいはピアノでといった特定の音質で、またさまざまに異なりうる高さや強さをもった「所与的音声」なのだ、と廣松は言う。われわれが聞き取っているのは、実は、こうした特定の「所与的音声」---「黒田節与件」と彼は言いなおす---と、他の与件、木曾節与件、八木節与件、さらにはリンゴを経験するときのリンゴ与件などなどとの相違、つまり与件に対する「反応態勢的意識態」の相違なのである。実はわれわれが、<黒田節なるもの>を対象的に経験していると考えているときに、われわれが実際に経験しているのは個々具体的な「所与的音声」---黒田節与件---と他の与件についての経験との示差的区別のパターンだったのだ、こんな風に彼は論じていた。私が前節でカラーテレビの色をめぐって行った色の認識についての議論を思い出して欲しい。まったく同じ形の議論である。

廣松がここで行っている議論は、基本的には私が唯名論的アタックと名づけた種類の議論であることがわかる。単純に黒田節という(その名前を仮に知らなかったとしても)特定の<物>としてのメロディに対する経験をもっていると思っているときに、彼は、立ち止まってもっと詳しく見よという。そうするとわれわれが聴いていたのが、「実は」特定の音色、特定の高さや強度をもった個別的な「音」の経験でしかなかったことがわかる。そのとき、われわれが聴いていたと思っていた<黒田節>なるものは、こうした個別の与件経験に照らして、単なる関係態に対する経験であったことが判明するというわけである。これは私たちが時計という、あるいはアメリカという、あるいはネコというひとつの<物>を経験していると思っているときに、それを唯名論アタックにそって「もっとよく見て」みた結果、そこにそれを構成する部品、個別的な相互行為の連鎖、個別的特徴や品種に分かれた個物を見出すことになって、最初の対象経験が突然たんなる関係態の経験に過ぎなかったと無理やり説得されてしまうのと同じなのである。

階型にそって焦点合わせを上下するだけで、経験は関係態に対する経験としてとらえられたり<物>に対する経験としてとらえられたりする。しかしそれは一方の<物>としての認識が「物象化的錯認」であることを全然意味していない。ここで起こっていることはなんら特筆すべき出来事ではない。物象化が「反照規定関係の実体化」であるという定式化そのものは正しい。しかしそれをこうした論理階型の相違にそっての焦点合わせの移動の結果の見え方の変化と混同してはならない。

5.結論

廣松渉は物象化概念を拡張する際に、それを「反照規定関係の物性化」および「反照規定関係の実体化」という二つの形で定式化した。私は、この規定がいずれもそれ自身では物象化とは無縁な事態にしか対応していないことを示してきた。

「反照規定関係の物性化」は、われわれの対象経験がつねに論理階型の上下二つの水準における相即的な経験として---特定の項をつねにある関係の中における項として経験し、特定の関係態を下位の項どうしのそれとして経験するという---成立しているという事実を述べているに過ぎず、物象化という言葉で呼べるようななんらかのプロセスではないこと、一方の「反照規定関係の実体化」はしばしば、経験の焦点合わせが階型の異なるレベルを上下することによって、項として経験されていたものが関係態としてあらわれたり、関係態として経験されていたものが項としてあらわれてきたりするという事実を述べているにすぎないことがわかった。

したがってこの方向で物象化概念を拡張することは、物象化として捉えることができる機制のもっとも重要で問題性のある特徴から、われわれの目をかえって逸らせてしまうことになる。

問題は商品にとっての価値や、言語にとっての意味のように、項が特殊な対象的属性---もちろんそれは特殊な反照規定関係のなかにその項があるということの言い換えである---をもつようになるための、そうした特殊な反照規定関係が、体系性をもった安定したひとつの関係態として成立することがいかにして可能であったのか、にかかわっている。物象化とは体系が立ち上がる際に起こらねばならなかったひとつの出来事にほかならない。それは、経験の焦点合わせが階型秩序をめまぐるしく上下する際に起こることと同じような効果をそこに引き起こしたのだ。つまり二つの異なるレベルがある特殊な項の出現によって縫い合わされてしまうことにより。その項は、同じオブジェクトレベルに属するさまざまな項のうちのひとつが、そこから排除され、そのことによって残余の項たちが形作る対他的参照関係そのものを外部から支える支点となったものと見ることもできるし、上位の階型である当の参照関係のパターンそのものが、オブジェクトレベルに属するひとつの項の姿をとって下降してきたものと見ることもできる。この特殊な項において、階型の異なるレベルへの焦点合わせが上下する際に生じること、項と関係態という二つの見え姿のめまぐるしい交替が起こる。それはシステムの中に発生した---そしてそのことによってシステム全体が一定の安定を獲得する---あらゆるものがその周りをただ回っているだけのように見える、しかしそこを通って異なる次元が交流しあう渦のような特異点なのである。そして、おそらくわれわれの経験は、そうした渦を何箇所にも配置することで成立している。物象化という主題によってわれわれが明らかにしたいと思うのは、われわれの経験におけるこうした渦の所在であり、それによっていかなる整序化がもたらされているのかその機制である。

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m.hamamoto@anthropology.soc.hit-u.ac.jp