連鎖と体系化:物象化についての20年後の素描と反芻





0.はじめに

私が自分なりの物象化論の構想をまとめたのは1980年代の半ばである。私は当時より災因論---人々が不幸の経験をどのように説明=整序しているか、そのやり方とそこで用いられるさまざまな観念や語り口の解明がその主な研究テーマである---の問題に取り組んできた。人々が不幸の経験を整序する際に持ち出すさまざまないわゆる「神秘的エージェント」---妖術や憑依霊、諸神格などなど---の経験上の位置づけを問う作業の中で、私はそれらエージェントの観念がしばしば、経験が記述される異なる論理階型の水準を縫い合わせる(当時はそれを論理階型の「混同」というやや誤解を招く言い方で述べていたのだが)まさに縫い目の位置をしめているらしいことに気がついた。つまり、出来事の水準から見ると上位の水準(メタ・レベル)における実体---それらの出来事が形づくっているパターンなど---が、当の諸々の出来事自体が属しているオブジェクトレベルに滑り込み、そこにおける一つの実体として現れたものではないかと。その「神秘的」な性格は、それらが概念としてもつこの特殊な存在性格に起因している。しかしまさにこのようなエージェントを登場させることではじめて、諸々の出来事がまさにそこに示されたパターンをもつ出来事として整序され中心化される。出来事の相貌・パターンの文字通りの「物象化」を通じて、経験の整序化が可能であること、これがその当時私が明らかに出来たと思ったことであった。私の一連の論考(浜本 1986, 1989b, 1989c, 1990, 1992, 1993)はもっぱらこの物象化の構想を核になりたっている。

しかし当時私はこの物象化の議論を一つのまとまった理論として単独に論じることはせず、具体的な民族誌的問題を解明するなかで示すにとどめた。一つには、理論としてそれをきちんと定式化する仕事は哲学者の領分で、人類学者の作業ではないと考えていたこともある。人類学者にとって理論はその整合性や完成度においてよりも、具体的な問題にそれがいかなる照明を当て、どのような洞察へと導いてくれるかが、重要である。私は物象化の議論をそうした照明器具として用いることで満足し、理論としてそれをきちんと完成させること自体には、あまり関心がなかった。第二に、より大きな理由として、私自身がこの構想そのものを単純できわめてわかりやすい話だと考えていたことがある。それは一から説き起こして説明するまでもないと思われた。さらに最初の1986年の論文を読んでくださった何人かの方々から読むよう勧められた柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』(柄谷 1978)および廣松渉の一連の著作に目を通した結果、この二者の著作の中で物象化論の基本的な構想が完全に言い尽くされているように感じたということもある。私の物象化論の構想は、これら先人の議論にそう多くを付け加えるものではないように見えた。いずれにせよ、物象化論のみを主題化して自分でわざわざ論じる必要もあるまいと思われたのである。

ではなぜ今になって、領分違いの作業に手を出し、物象化論の構想をとりあえずまとめておこうという気になったのかというと、2004年度の学部ゼミの一環で物象化論をかいつまんで説明する必要に迫られたとき、今更ながらそれが意外と難しいとわかったことによる。一人の学部生が我々の経験における「自己」の存在を物象化の産物ととらえる卒業論文を提出したのだが、それはまさに私が以前考えていた問題の一つだった(浜本 1986a, b)。それもあって、私は彼の用いた「物象化」の概念が充分に明確ではないと考え、物象化が正確にはどのような概念なのか、手短に解説しようと試みた。それは最初、きわめて簡単な作業に見えた。マルクスの貨幣論を中心に、柄谷行人と廣松渉の著作から関連する個所を引用して、私が考えるところの物象化の意味することを簡単に説明することができるだろうと予想していた。しかし意外なことに、この両者のこれと目した著作の中に、私の物象化の構想と完全に一致するものを見つけ出すことはできなかった。そんなはずはないと、当時は読んだはずのない著作までひっくり返す羽目になった。たしかにマルクスの貨幣論をめぐっての物象化に関する議論は、この二人によってほぼ言い尽くされているかのようにも思えた。しかしその一方で、私が考えていた構想を適切に代弁してくれているはずの議論はいずれの著作にも見出せなかったし、逆にこの二人のそれぞれについて満足できない部分を見出すことになってしまった。

物象化論であることを表立って謳い、そのさまざまな側面にわたって議論を尽くしているのは廣松渉の方である。後に見るように、マルクスの資本論における後期の物象化論を、初期の疎外論と区別すべきであることを指摘した点は廣松渉の功績である。しかしマルクス自身が初期の疎外論を最後まで引きずっているのと同様に、廣松渉の物象化論も最後までマルクスの初期の定式化に呪縛されているところがある。また物象化論を貨幣論以外の領域に拡張し、イデア的な実体概念一般の成り立ちにまでその射程を広げている点で、私は彼の物象化論を高く評価するものであるが、その一方で、この拡張は物象化の概念をあまりにも拡散することにもなり、物象化プロセスをその最も注目すべき特徴---マルクスが貨幣の物神性のなかに見て取っていたような---においてとらえることにかえって失敗してしまっているように思われる。

他方、柄谷行人は廣松渉のように物象化論としては論を展開しておらず、貨幣論におけるマルクスの議論が見据えている問題とそれに対する洞察を浮き彫りにすることを主に目指しているようにみえる。その結果として、かえってそれは物象化の核心に迫る議論になっている。しかし貨幣の物神化に見られる構図を、人間経験の他の諸領域に繰り返し見出しうる可能性については漠然と示唆されるのみで、廣松渉の物象化論のようにそれを一般化する方向へは踏み出していない。むしろ後には、貨幣における物象化に固有の---そこでは等値の実践は交換という具体的な社会的実践の形をとるのだが、まさにその事実に由来する---売る立場と買う立場の非対称性といった社会関係における他者性の問題の方に注目が移ってしまって、物象化一般において働いている機構、つまり等値の実践を通じての経験世界の整序化という問題が視野の外に置き去りにされてしまっているように見える。

もちろん、物象化に関する私自身の議論が、この二人の議論に比してさして目新しいものではない、そう代わり映えのしないものであることは相変わらず事実である。単に両者の議論を足し合わせ、妙な部分を強調しただけのものであるようにも見える。おそらくこのことが、当時の私に、この二人によって言いたいことはほぼ言い尽くされているという感想を抱かせたのだろう。とは言うものの、単に両者の著作から引用して示すことができない以上、それをここできちんとまとめて定式化しておくことは、私の今後の作業の上でも必ずしも無駄なことではないように思う。例の卒論を書いた学生に対する約束も果たさないわけにはいかない。

以下においては、廣松渉、柄谷行人の議論を細かく検討しながら議論を進めるという形はとらず、できるだけ簡潔に私が考えているところの物象化の枠組みを提示していくよう心がけたい。その過程で必要に応じてこの両者の議論についてもその都度取り上げて論評することにする。

1.物象化概念の諸形態

1−1.物と非・物

言葉の確認からはじめよう。そもそも物象化とはどうなることなのだろう。物象化つまり物化であり、要するに「物になる」ということだ。最初から物として存在しているものならわざわざ物になる必要はないわけだから、これは「もともとは物でなかったもの」が「物になる」というプロセスを指しているはずである。しかしもちろん物理的な組成が変わるという話ではないし、あやしげな物質化のプロセスが問題になっているわけでもないだろう。例えば水が氷になる変化のように、わたしたちとは無関係に外の世界で生じているプロセスでもないはずだ。それは、わたしたちの世界の経験の仕方にかかわる問題なのであり、言い換えれば、「物ではないもの」「物としては存在していないもの」が私たちの経験の中に(意識に対して)あたかも物であるかのように、実体として立ち現れてくるという事態を指していることになる。それはある種の錯覚のようなものについて語ることなのかもしれない。「物象化的錯視」といった言い方もしばしば耳にする。

しかしそもそも「物である」とはどういうことだろう。あるいは逆に「物でないもの」というのはいったいなんだろう。上の説明では、「物」がなんであり、「物でないもの」がなんであるかが、あたかも誰でも知っているすでにわかりきったことであるかのように扱ったわけだが、しかし本当にそうだろうか。もし「物」であるということが、そんなにわかりやすい話であり、「物」と「物でないもの」の違いがそんなにはっきりしているのなら、そもそも「物でないもの」を「物」として経験するなどという奇妙なことは、そう頻繁に起こるようなことではないはずだし、もしそれが起こったとしたらたしかに錯覚や勘違いについて語りたくもなる話である。

物象化について論じるつもりであるなら、そこで問題になる「物」と「物でないもの」がそれぞれ何であるのかを確認してからでないと話は始まらないだろう。実際には同じ物象化という(あるいはそれに類した)表現を用いていても、「物」と「物でないもの」との区別がまるで別のところに立てられていたなら、それはまったく別のプロセスを指しているということもありえるのである。

1−2.人間/物あるいは主体/客体

早くからマルクスの物象化論を軸にその独自の哲学を構築してきた廣松渉は、1960年代にすでにルカーチの物象化論を、初期マルクスの疎外論と、資本論における物象化論を正しく区別し損ねていると批判しているが(廣松 1969)、ここで問題になっているのもそれぞれの物象化論において何が「物/物でないもの」として対置されているかである。廣松によると初期マルクスの疎外論における物象化概念において物に対して対置されていた<非・物>とは他ならぬ<人間>そのものであった。あるいは主体と客体の対立が問題になっていたといってもよい。廣松によると、これは物象化が主題化されるありふれた経路の一つである。それは以下の3つの層をもつ。

「(1)人間そのものの“物”化。−たとえぱ、人間が奴隷(商品)として売買されるとか、単なる機械の附属品になってしまっているとかいうような状態。ここでは、人間(さしあたり他人)の在り方が「人格」としてではなく、事物と同類なものに映じ、事物 と同様なものとして扱われる状態になっているという意味で「人間が物的な存在にな ってしまっている」と看ぜられる。

(2)人間の行動の“物”化。−たとえぱ、駅の構内での人の流れや満員電車のなかでの人々の在り方など、群衆化された人々の動きが個々の成員の意思では左右できなくなっているような事態の謂いであり、これは或る屈折を経て、行動様式の習慣的な固定化にも通ずる。ここでは、本来人間の行動であるところのものが、個々の自分ではコントロールできない惰性態になっており、主体的意思行為に対して“自存的抵抗性”をもつようになっているという意味で「人間の行動が物的な存在になってしまっている」とされる。

(3)人間の力能の“物”化。−たとえば、彫刻とか絵画とかいった芸術的作品や、俗流投下労働価値説的に考えられた商品価値など。ここでは、元来は人間主体に内在していた精神的・肉体的な力能が、謂わば体外に流出して物的な外在的存在となって凝結するとでもいった意味あいで「人間の力能が物的な存在になっている」と表象される。」(廣松 2001:74-5)

いずれも「主体的なものが物的なものに転化する」という発想であり、初期の疎外論においてはマルクスもこうした経路--特に第三のもの--で物象化をとらえていた。『経済学哲学草稿』では私有財産が疎外された労働、疎外された生活、疎外された人間という三重の疎外から説明されているが(マルクス 1964:102)、その基礎にあったのが人間的労働の物象化、つまり労働の生産物を「対象のなかに固定化された、事物化された労働であり、労働の対象化」と見る視点であった(マルクス 前掲書:87)。物象化が、「もともと物ではないもの」が「物」として経験されることであるとすれば、ここでの「もともと物ではないもの」とは人間、あるいは人間に内属する能力であるということになる。

人間を主体として特権化して、その他すべての事物・客体と区別したいという気持ちはわからないでもないが、この区別の存在論的な根拠はいささか怪しげなものである。わざわざ物象化するまでもなく、人間もある意味で最初から一種の「物」でもあるからだ。その主体性を盾に、事実問題として人間は物とは違うのだとむきになって主張することは、ネコやイヌもそれなりに主体的に振舞うとか、生後すぐの人間はネコといい勝負だとか、脳死状態では人間ももはや物なのだとか、植物状態ではどうかとか、胎児は人間や否やとかの、同様にいかがわしい議論を相手にする羽目になってしまうのが目に見えている。人間が「物」になったと騒ぐ前に、そもそも何をもって人間と「物」を区別していたのかが問題だろう。それはこの種の議論においてはたいていは暗黙のうちにとどめられている。

人間に内属する能力が外化・対象化するという意味での物象化となると、問題はさらにやっかいになる。廣松渉によると、商品の価値を人間の労働力が対象化・結晶化したものとみる初期マルクスの疎外論は、神を人間の自己疎外(物象化)態としてとらえたフォイエルバッハのロジックに照応したものであり、もっぱらヘーゲル学派的なものであった。フォイエルバッハは、神の諸性質(全知、全能、愛などなど)は類としての人間の規定性が倒錯的に神に帰せられたものであり、神とは人間が自己の類的本質を疎外して立てたものに他ならない、にもかかわらず当の人間はこの事実を自覚せずもっぱらこの「神」の前に倒錯的に拝跪してきたのだ(したがってこの神の秘密を知ることによって、自己の神性にめざめそれにふさわしい生き方が可能になる)と論じていた。マルクスはこのロジックを、人間と彼が生産する商品---彼の労働の産物---との関係に適用する。

「労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分に対立して創造する疎遠な対象的世界がますます強大となり、彼自身が、つまり彼の内的世界がいよいよ貧しくなり、彼に帰属するものがますます少なくなる、ということである。このことは宗教においても同様である。人間が神により多くのものを帰属させれぱさせるほど、それだけますます人間が自分自身のうちに保持するものは少なくなる。労働者は彼の生命を対象のなかへと注ぎこむ。しかし対象へ注ぎこまれた生命は、もはや彼のものではなく、対象のものである。したがって、この活動がより大きくなればなるほど、労働者はますますより多くの対象を喪失する。彼の労働の生産物であるものは、彼ではないのである。したがってこの生産物が大きくなればなるほど、労働者はますます自分自身を失っていく。労働者が彼の生産物のなかで外化するということは、ただたんに彼の労働が一つの対象に、ある外的な現実的存在になるという意味ばかりでなく、また彼の労働が彼の外に、彼から独立して疎遠に現存し、しかも彼に相対する一つの自立的な力になるという意味を、そして彼が対象に付与した生命が、彼にたいして敵対的にそして疎速に対立するという意味をもっているのである。」(マルクス前掲書:87-88)

しかし人間的本質の外化・物化を比喩的にではなく額面どおりに主張するとき、それは神秘主義的な主張とならざるをえない。廣松によると、神のような宗教的対象について論じるフォイエルバッハの場合...

「自己疎外といい、外化といっても、それは意識内部の出来事であり、いわば想像的・幻影的な対象化だとされたのであって、.....まさしくそのことによって形而上学的な神秘性を免れることができた。マルクスの場合には、しかるに、私有財産や貨幣といった感性的対象の現実的定在を、人間の労働という対象的活動の「外化」「凝固化」として、「現実的な疎外」を説かねぱならなかった。そのため、形而上学的な妄言を避けようとする限り、困難な事態に途着する。社会的諸形象をフォイエルパッハのあばいた神になぞらえつつ、人間の類的本質の自己疎外という規定をレトリックとして適用する限りでは、現にマルクスが確保しえた通り“現状批判の素晴しい修辞法”たりうる。だが、「自己疎外」という概念に原理的な意義をもたせる限り、そして現に『経哲手稿』の立言はそれを要求するわけだが、そのとき、自己疎外の主体たる類的存在としての人間が擬神化されてしまう。....謂うところの外化、疎外は、所詮、形而上学的な神秘性を免れきれない。」(廣松前掲書:240-241)

たしかに人間の本質的規定性、本来人間に帰属する諸属性が外化して物の属性として立ち現れる、あるいは物に備わった性質と見えるものが実は人間の類的本質の外化したものなのだと言われても、その具体的な仕組みやプロセスが示されているわけではない。となると社会的諸形態の何に物象化を見出し、何に見出さないかをどうやって知ることができるというのだろう。あるものが物象化の産物である証拠を上げることもできなければ、逆にそうではないことを示すこともできない。この意味でもそれは神秘的なのだ。人間/物の対立にもとづく物象化論は、社会的諸形態の「秘密」を暴くのだという狙いから言っても、かならずしもとりたてて有効な議論とはいいがたいのである。

廣松によると後期の資本論におけるマルクスの物象化概念は、これとは「およそ異質な発想と構制にもとづく」ものになっているというのだが、それを検討する前に、廣松渉自身の物象化論---彼によるとその源泉はもちろんマルクスなのだが---を先に検討しておきたい。というのは、これも物/非・物の区別のもう一つの、今日では良く知られた立て方に対応しているからである。

1−3.関係/項(実体)

後期マルクスが「『実体=主体』の自己外化と自己獲得という『疎外論』の構制を自己批判的に止揚する旋回と相即的に、近代哲学流の『主−客』図式の拠って立つ地平そのものを決定的に超克しつつ、社会・歴史理論の新しいパラダイムを提出するに至った」(廣松 2001:52)と評価する廣松渉は、後期マルクスの物象化論を核に据えた独自の哲学を展開した。もちろん廣松自身認めているように、マルクスの物象化論は商品の価値と貨幣の物神性の解明を中心に展開され「『価値』以外の物象化存立態に関して、存在性格を主題的に論及した文典を遺していない。」(廣松前掲書:121)これに対し、廣松が展開する物象化論は、歴史的世界全体の存立構造へとその射程を広げたものである。マルクスの価値論とのつながりは後に検証することにして、ここでは廣松自身の到達した物象化論の特徴に注目したい。

80年代にはいってからの廣松において、物象化の構図でとらえられた「物/物でないもの」の対立がどこに置かれているかは、彼が「物象化」(あるいは「物性化」)という用語で語るいくつかの事例を見ると明らかだろう。

「肝要なのは、実態的な或るものがそれ自身で具えているかのように映現する性質が、例えば色の場合、光線や背景など、他のものとの関係性において存立するものであって、けっして内自的に具わっている性質ではないという点です。性質とは対他的な規定性が物性化的に帰属されたものにほかなりません。」(廣松 1980:195)
「人々が実存的な実体的個体に内属する個性として思念しているところのものは、決して個体それ自体に内在するものではなく、まさに関係的『結節』のユニークネスが実体的属性として、『物性化』的に錯視されたものにすぎない。」(廣松 2001:47)
「しかし、“力”が実在するとはどういうことでしょうか。論者たちは“力”なるものが在って、それが能因として作動するから変化という現象が生起する、と考えます。が、認識手続から言えば、“力”なるものが直載に先ず認識されるのではなく、経験的に確認される変化現象がまず在って、これを手掛りにしつつ、諸変化を整合的・統一的に説明しうべき項として“実在的力”なるものが“構成的〃に措定されるというのが実態です。....私としては、この経緯とそこにおける“物象化”に自覚的であるかぎり、“力”なるものの“実在性”措定とそれに拠る“説明”を顛から卻けてしまう心算はありません。がしかし、論者たちは説明項として“力”なる能因を立てているけれども、実質的には、状態Aから状態Cへの推移の具体相を「記述」しているにすぎないこと、原理的な次元での話としてはこのことを指摘せざるをえません。」(廣松 1988:133-4)

対他的な関係による規定性が、関係項そのものに内在する何かとして捉えられること、関係態が一つの実体的な何かとして(例えば「力」)として捉えられること、こうしたことが物象化であるとされているのがわかる。廣松自身が、物象化という際に、「物象へと化する当の“何かしら或るもの”」「それ自身ではまだ物象ならざるもの」とはいったい何かという問いに答えて、「それは一種独特の『関係』である」と述べている(廣松 2001:314-5)。物象化とは「学理的省察者の見地にとって(fur uns)一定の関係規定態であるところの事が、直接的当事意識には(fur es)物象の相で映現することの謂い」なのである。

この廣松による定式化は、後に見るように、後期マルクスの物象化論を特定の方向に延長したものである。それは物象化によって説明される対象を広げるが、それはほとんど広げすぎとも言えるほどである。廣松はこの物象化の構図によって、例えば<犬というもの><人間というもの><果物というもの>といった普遍的本質、意識の対象であるイデア的存在としての「意味」を、「物象化的錯認の所産」として説明しようとするのであるから。廣松がこれを説明するのに好んで用いているのが黒田節の例である。われわれがあるメロディを聴いて、それを黒田節と認めるとき、<黒田節なるもの>(廣松の言い方によると「所識」)を対象的に意識されているものと考える。肉声で歌われたものであれ、ピアノで弾かれた場合であれ、音質・高さ・強さ等々およそ異なるにもかかわらず同じ<黒田節>として聴き取る。それが黒田節と命名されていることも与って、個々の具体的な実演の背後に同一の<黒田節なるもの>が自存するかのような思念を抱く。しかし実際には、と廣松は言う。

「当人にとって直接に覚知されているのは、レアールな「所与的音声」と一定の「反応態勢的意識態」とだけです。「所与」とこの「意識態」のほかに〈黒田節〉そのものという第三のものが“本質直観”されてなどおりません。....しかしながら、黒田節与件を聞いた時と、木曾節、八木節…与件を聞いた時、ひいては、リンゴ与件、…等々を見た時、との「反応態勢的意識態」の相違を、第三者的・反省的には、〈黒田節〉というメロディ・ゲシュタルト所識と、〈木曾節〉(八木節)…〈リンゴ〉…等々という〈所識〉の相違ということで人は規定しようとします。こうして、実態においては、現認的所与に対する「反応態勢的意識態」の示差的区別たるにすぎないところ、人々はとかく、(〈黒田節〉〈木曾節〉〈八木節〉…〈何々節〉…のみならずまた〈リンゴ〉〈バラ〉…等々といった)志向対象的〈所識〉なるものが直載に弁別・認知されるのであるかのように思念し、しかも、諸々の志向対象的〈所識〉が示差的に区別された相で自存しているかのように物象化して思念します。」(廣松 1988:72-74、また1985:155-158)

要するに、当事者が経験しているのは「意識態」(意識のあり方)の相互の違いなのであるが、この「差異」の認識が、そうした差異を内自化した対象、個々の現実的な与件とは区別されるイデア的な対象に対する認識として現れる。廣松によると、これこそが「〈意味的所識〉なるものを自存する対象性であるかのように物象化して錯認する機制」(廣松 1985:159)に他ならない。ここでは物象と化する当の関係態が、構造主義でいう対他的・示差的関係にまでその内容を削ぎ落とされているのがわかる。

こうしたとらえ方そのものは、構造主義の見解をすでに織り込みずみの今日の人類学にとっては馴染みのないものではない。構造主義は、人間の経験の対象がそれ独自の特性をそなえた自立的な実体ではなく、関係性であることを教えている。実体にそなわっていると見える諸特性は、他の実体との対他的な反照規定にほかならない。関係の一次性という見方では、一定の特性を備えた自立的な諸実体がまずあって、ついでそれら諸実体が(二次的に)関係を取り結ぶというのではなく、こうした諸実体そのものが、諸関係の結節点を占める項としてのみ成立しているのだといった形で考えられる(eg. 浜本他 1991:57-66)。廣松の一連の議論は、項よりも関係に一次性を見出すこうした考え方を、物象化という主題に即して雄弁に主張するものであり、この限りにおいて、人類学者の多くにとって理解に難しいものではない。

しかし物象化の概念をここまで拡張してしまうと、一つ問題が出てくる。つまり人間の経験のほとんどは物象化の産物であるということになり、特定の現象を取り上げてことさらにそれが物象化の産物であると分析することに、かえってあまり意味がなくなる。マルクスは商品の価値を物象化の産物として分析して見せたわけだが、今となっては、これは何も感心するほどのことではないということになってしまう。人間の経験のほとんどはもともと物象化の産物なのであるから、というわけである。物象化という概念自体のもつ説明力も薄れてしまう。

さらに、これも後に詳しく取り上げる予定であるが、廣松が最終的には「意味」という現象そのもののなかに物象性を見出していく手続きについても検討の余地がある。彼は、ある所与をそれ以上・以外のなにか(所識)として認識するという「二肢的二重性」をわれわれの認識における基本事態としてとらえ、そこから出発して、所識としてのイデア的意味、その物象性を浮き彫りにするという仕方で、物象化の事実にわれわれの注意を喚起し、ついでそれがいかに生じるのかを説明するという段取りで議論を進める。その議論に追従していくとき、たしかにわれわれ自身も、たとえば「意味」を一種のイデア的な存在態として思念しているという事実を認めさせられるということになる。しかし問題は、これが、そして認識の「二肢的二重性」自体が、はたしてわれわれが世界に向かっているときの認識の通常のあり方だと言えるのかどうかという点である。それは反省的・哲学的な特殊なスタンスのもとでのみ見て取られる二重性であり、物象性であるとは言えないだろうか(例えば浜本 1989a)。われわれは普段の生活において、意味という言葉をごく普通に用いながら物事について考えたり語ったりしているが、その際に、ほんとうにその都度なにやらイデア的な存在態を思念したりしていると言えるのだろうか。またさらに、例えば彼の用いる例でいえば、黒田節を聴いているという際に、はたして実際に<所与である一連の音>を<所識たる「黒田節」>として聴いているという二重化された認識は成立しているのだろうか。ただ黒田節を聴いている、あるいは黒田節が聞こえているという、単に何ものか一つの対象についての意識があるだけなのではないだろうか。

こうした問題について一定の結論を出す前に、上述の廣松渉の物象化の定式とマルクスの物象化理論とのつながりの問題に戻ろう。

1−4.マルクスから廣松渉の物象化論へ

物象化についての廣松の上記の定式化が構造主義経由ではなく、マルクス、エンゲルスの著作経由であることに注意せねばならない。廣松が彼のマルクス研究からどのようにその物象化論を導出していったか、それを正確に捉えておく必要がある。資本論の改訂過程における記述の変化までも考察の対象とした廣松の詳細なマルクス研究に対して、門外漢の私があつかましくも批判を加えようというのではない。廣松自身の論述に従って、彼の議論の特徴を整理しておこう。

すでに述べたように廣松は、マルクス初期の疎外論が後期の物象化論によって批判的に乗り越えられたという見解に立つ。しかしその議論が当初から解決すべき一つの困難を抱えていたことも廣松ははっきり自覚している。マルクスは後期においても、初期の疎外論とほとんど同じ言葉をもちいて語っている場合があるからだ。

廣松は商品の価値についてのマルクスの議論を整理すると三つのテーゼに帰着するという。

「つまり、第一には、商品どうしが交換・等置されるのだから、そこには或る共通な量が存在するということ、しかるに、量的規定というものは質的同一性を前提するから、そこには質的な共通者が存在する筈だということ、この意味で「諸交換価値は一つの同じもの」を表わしているということだ。第二には、交換価値はさまざまな表現様式で量的規定性を表現しうるけれども、それは当の「同じもの」の「現象形態」であって、この現象形態と「実質」とは区別さるべきだということ、第三に、謂うところの「共通の第三者」たる「同じもの」を価値と呼ぶことにすれば、この「価値」は、まさしく相異なる使用価値どうしが等置・交換されるのである以上、使用価値とは端的に区別さるべき「或るもの」だということ…」(廣松 1974:50)

二つの商品が等置されている以上は、その両者は質的・量的に等しい「何か」を含んでいるはずである。かくして、この両者に含まれる相等しい「実体」とはなんだろう、という形で問いが立てられることになる。この交換において等置されるところのこの「共通な或るもの」---商品価値---の実体を規定するためにマルクスは、商品の使用価値の捨象、一切の自然的属性の捨象を行なった後に「残留」するものを問題にする。その結果、唯一つの属性、「労働の生産物という属性」だけが残る。

「労働の生産物から使用価値を捨象するとき、われわれは当の生産物を使用価値たらしめる物的な諸成分や諸形態をも捨象することになる。それはもはや、机でも家でも糸でもなく、何らかの有用物ではない。感性的な諸性質はことごとく消失している。それはまた、指物労働、建築労働、紡績労働その他何らかの特定の生産的労働の生産物ではない。労働生産物の有用な性格と一緒に、当の生産物において表示されている労働の有用な性格も消失するのであって、生産的労働のさまざまな具体的な形態も消失し、労働はもはや互いに区別がなくなり、十把ひとからげに、同等な人間的労働、すなわち抽象的人間労働に還元されている。今や、労働生産物のこの残基を考察しよう−−とマルクスは続ける−−。もはや、労働生産物には、同じ幽霊のような対象性、無区別な人間的労働の、つまり、どういう形で支出されるかには無頓着な人間労働力の支出の、単なる凝結(eine blosse Gallerte)しか残留しない。これらの物は、もはや、それらの生産において人間の労働力が支出され、人間的労働が堆積されているということを表示するにすぎない。これらの物は、それらに共通なこの社会的な実体の結晶として、諸価値−諸商品価値である」。「こうして、一つの使用価値、財貨は、抽象的人間労働がその内で対象化、物質化(vergegenstandlicht oder materialisiert)されているがゆえに価値をもつのである」(Ib. S. 52f.)。」(マルクス『資本論』廣松 1969:224 よりの引用)

このように、この箇所での議論においては、廣松も指摘しているように、マルクスは初期の疎外論とまったく同じ言葉遣いで語っているのである。廣松の物象化論は、この難問の解決と連動している。

『マルクス主義の地平』において廣松はすでに、物象化論を疎外論の乗り越えとして論じているが、その際に、この『資本論』に現れる「抽象的人間労働の『凝結』」という表現(「凝結」という言葉の代わりに「実体化」「対象化」「物質化」などなどの言葉も用いられている)について、その表現自体が「そもそも物神化的な表現であり、いわば比喩的な表現であって、けっしてマルクスの究極的・最終的な規定ではない」(廣松前掲書:225)という説明を行なっている。同じ表現が、『経済学・哲学草稿』においてはほぼ額面どおりに使用されていたのに対して、『資本論』においてはいわば単に比喩として用いられているだけだというのは、門外漢から見れば、控えめに言ってもかなり苦しい説明に響く。この一見して無理のある説明を支えているのは、廣松がマルクスの『資本論』のなかに初期の「疎外論」とは異質なより強力な物象化のロジックを見出したという確信であろう。廣松によると、実は上の「比喩的」な語りが出発点において立てた問いの構造そのものが、すでに物象化の結果として成立した事態---商品の交換的等置を両商品に共通に含まれる「或るもの」に基づいているものとして思念すること---を前提としており、そのうえに立った「抽象的人間労働の『凝結』」という言い方自体が「商品世界における汎通的な物神性に即した表現」に他ならない(廣松前掲書:229)。そして彼によると後期マルクスの物象化論こそ、この「汎通的な物神性」がいかにしてもたらされているか、その機制を解き明かすものであった。結論的に言えば、それは「間主観的協働の...総体的な聯関」(廣松 1972:104)の物象化という機制になるわけだが、廣松の『資本論の哲学』という大著は、その全体がまさにこれをマルクス自身の著述の中に検証しようとする作業になっている。

かくして廣松は『資本論』におけるマルクスの価値論を、二段構えの構図を具えた議論として解読する。主体の間主観的協働の総体的連関、人間労働の特殊な社会的関係態が商品の価値として、つまり物と物との関係として物象化する機制についての解明と、こうして成立した汎通的な物神性に即して事態を比喩的に語る「疎外論」的言葉遣い。もちろん前者によって、初期の疎外論はすでに乗り越えられているという点が重要である。

「『資本論』においては、かつて『人間の類的本質力』という把捉のもとに富の主体的本質とされていたところのものが『社会的労働』として把え返されるだけでなく、それがいかなる『社会的諸関係』の物象化された反照規定であるかということも述定される。今や、かって『人間の類的本質力』という主体=実体の外化・疎外というシェーマで観ぜられていた事態を、一定の『社会的諸関係』の実体化、そして主体化という錯視であるとして対自化しつつ、謂うところの対象的外在態をも併せて関係規定に即しつつ、把え返すことになる。」(廣松前掲書:188-189)

一応、これによって『資本論』における価値の実体規定をめぐるマルクスの「一見矛盾めいた立論」(廣松前掲書:59)が矛盾ではないことがうまく説明できたのかもしれない。物象化において物象に転ずるのは<関係態>であり、物象化とは関係や関係の内部での反照規定が、項として対象化したり、項に内在する対象的な属性としてとらえられたりしている事態であるという、後の廣松の一般化は、後期マルクスについてのこうした解釈に基づいている。

マルクスが『資本論』において初期の疎外論をやはり未だ実質的に引きずっていたのか、廣松が言うようにそれを完全に乗り越えて単に比喩的な方便として用いていたのかの判断は私には下せない。しかしこうした表現が、たとえ方便であるにせよ用いられつづけていることによって、物象化の議論において、廣松の後の定式化における<関係と項>の対立のみが問題になり、関係態がいかに物象化するかが問題となるべきところで、<人間と物>という対立がつねに紛れ込んできているのも事実である。交換価値の「根拠」は相変わらず労働(社会的諸関係の物象化された反照規定としてとらえなおされたものであれ)であり、だからこそ人々は交換のなかで彼らの異種の生産物どうしを価値として等置することにおいて実際には「彼らの異種の労働を人間的労働として等置」(廣松前掲書:207よりの引用)しているのだという議論も成り立つことになる。商品の等置が労働の等置になるという議論はけっして自明ではない。等置される価値の実体が労働であるという前提があってはじめてなりたつ議論である。

マルクスの物象化概念は廣松の研究を通じて「人々の社会的関係が、当事者たちの日常的意識にとっては〈物と物との関係〉としてあらわれる」事態を指すものとして広く理解されている。引き合いに出されるのは、マルクスの例えば次のような発言だろう。「ベイリーは物神崇拝者である。というのは、彼は価値を...諸物相互の関係として把握しているからである。価値は、人と人とのあいだの一関係すなわち社会的な関係の物的表現にすぎないのであり、人間が自分たちの相互の生産的な活動に対してもつ関係にすぎないのである(Ib. S. 145)」(マルクス『剰余価値学説史』廣松前掲書:100よりの引用)。あるいは「人ぴとの目に物と物との関係という幻覚的な形態をとって現われるのは、人びと自身の一定の社会的関係たるにほかならない。…商品世界では、人間の手の生産物が、固有の生命を賦与され、相互間に、そしてまた人間とのあいだに、関係を結び合う自立的な形象であるかのように仮現するのである」(マルクス『資本論』廣松 2001:208よりの引用)。しかしここでも「人と人との間の一関係」と呼ばれているのは、実は労働相互の関係である。「交換価値というものは、実際には、同等で一般的な労働としての個々人の労働相互の関連にほかならず、労働の特殊社会的な形態の対象的表現にほかならない」(マルクス同上 廣松 1974:199より引用)。「商品形態においては人間的労働の相等性が労働産物の相等な価値対象性という物象的な形態をとり、人間的労働カの支出の時間的継続による度量が労働生産物の価値の大きさという形態をとり、…生産者たちの諸関係が生産物の社会的関係という形態をとる」(マルクス同上 廣松 2001:207-208よりの引用)。

しかしいかなる議論が価値を労働と結びつけるのだろう。価値の実体を労働の結晶化とする「比喩的な」はずの規定以外の議論は提供されていない。価値は社会関係態が物象化されたものという肝心の議論そのものが、生産物と労働を外化、物化という形で結びつける初期の疎外論の構図を暗黙に前提しているのである。

廣松は、マルクスから関係態が物化するという構制を引き継ぐのだが、「関係」として当初念頭に置かれていた社会的諸関係、人々の労働実践の社会的関係態は、後にはその「社会的」な性格をすこしずつ希薄にしていく。すでに見たように、最終的には項相互の対他的な反照規定性にまで抽象化される。まるで廣松自身が、マルクスの初期の疎外論の尻尾をおおいそぎで切り捨てようとしているかのようにすら見える。その過程で物象化概念そのものがあまりにも一般化され拡散してしまったように思えるのも、すでに指摘したとおりである。

1−5.小結

物象化が字義どおりには「物ではないなにものか」が「物」に化するという現象であるとするなら、物象に転じる「物ではないなにものか」がいったい何であり、それがどういう意味で「物ではない」のかをはっきりさせておく必要がある。この観点から、主として廣松渉の議論によりながら、物象化が語られる二つの経路を検討した。一方では、人間、人格的なもの、主体的なものが「物」と対置され、物象に転じる当のものであると考えられており、もう一方の経路では、物(項)の間にあると思念される関係が、物と対置され、項にそなわった何かとして内自化されたり、それ自体ある種の実体として対象化されたりする形で、物象化が考えられていた。前者は人と物、主体と客体という区別そのものが存在論的にあやういだけでなく、そこでは物象化というプロセスそのものがきわめて神秘性を帯びてしまう。他方後者が関係の物象化を、関係がそれを担う項の属性として内自化される、あるいは関係の結節点が対象的に項としてたちあがることに見るとき、それは人間の世界認識にとってあまりにも一般的な特徴であるために、それをあえて物象化として問題にする意義が薄れてしまいかねない。

マルクスの貨幣の物神性についての議論が、単なる初期の神秘的な疎外論にも、交換における単なる対他的反照規定が価値として項(商品)に内属する実体として思念される---それを商品、つまり物どうしの関係ではなく、人と人との社会的関係だと述べることは、すでに見たように、そこに単に初期の疎外論を持ち込むことでしかない---という一般的な関係論的事実にも還元できないとすれば、おそらくそこにこそ物象化論の可能性の核心が見出せるはずである。次の章では廣松、柄谷を参照しつつ、マルクスの価値形態論の具体的な詳細を検討しつつ、物象化を主題化する第三の経路を探求しよう。

2.価値形態論と物象化の経路

2−1.サミュエル・ベイリーと価値形態論

『資本論』におけるマルクスの価値形態論の形成において、「経済学者としてみれば、特に『大物』ではない」(廣松 1974:87)サミュエル・ベイリーによるリカード批判が果たした重要性におそらく初めて注目したのは、やはり廣松渉である。リカードは全ての商品には内在的な価値があり、それはその商品の生産に投下された労働量によって決まる、つまり商品に内在するある種の実体、あるいは本質的属性として価値をとらえ、それがそれ自身の根拠を労働にもっていると主張した。それに対してベイリーは「価値という概念に対応する実体的本質の存在を否認するだけでなく、価値という対象的属性の存在をも否認する」(廣松前掲書:90-91)一種の唯名論的な立場に立つ。「価値は、何かしら絶対的ないし内在的なものを指示するのではなく、二つの対象が交換されうる商品として相互に立つ関係たるにすぎない」。「価値は二つの対象のあいだの一関係を指示するのであり、いかなる商品についても−−明示的にせよ暗黙にせよ−−他の商品との関連なしには述定できないという事情にあるわけで、この点で、価値は距離との類似性をもつ。…事物が他の事物との関連なしにそれ自身で価値をもつことができないのは、事物が他の事物との関連なしにそれ自身で距離をもつことができないのと同様である」(ベイリー『価値の本性、尺度ならびに諸原因に関する批判的論究』廣松前掲書:92 よりの引用)。後の廣松の言葉を用いて言うならば、価値とは諸事物相互の交換関係を通じての反照規定にすぎない、ということになるだろう。ではなぜ人々は、価値を商品に備わったなにか本質的な属性のように考えるのだろう。これに対してベイリーは「商品一般」とりわけ「貨幣」との恒常的な関係にその原因を見出す。「価値を何かしら内在的・絶対的なものとみなす想念が生じたのは、他の諸商品ないし貨幣との恒常的な関連というこの事情からである」(同上)。商品が他の諸商品に対して、あるいは「貨幣」との間でもつ相互参照関係の「恒常的」で、それゆえ安定した全体性、一つのシステムが想定されている。ベイリーはある意味で、後の廣松の物象化論の構図をほとんど先取りしているといってよい。つまり商品に備わっている属性であるかのように思念される価値とは、本来商品相互の交換のシステムのなかでの対他的反照規定であるところのものが物象化的に錯認されたものにほかならない(廣松の言葉遣いを模倣してみたのだが)というわけである。関係態の物象化として価値をとらえる議論であればすでにこの段階で完結している。後の廣松の物象化の定式化からみるとき、なぜ廣松がこの段階でマルクスといっしょになって、ベイリーを批判するのか、疑問に思われよう。

マルクスは、ベイリーのリカードに対する批判を「この反駁は一語一語正しい」(マルクス『剰余価値学説史』廣松前掲書:101よりの引用)と認める以上、それが価値の実体的基礎としての労働という彼自身の枠組みに対しても再考を迫っていることも認めないわけにはいかなかった。その結果として生み出されたのが『資本論』の価値形態に関する叙述であり、廣松によるとマルクスはそれによって「価値関係・交換価値・価値形態の実体的基礎をなす抽象的人間的労働に独自の存在性を明示的に与える」(廣松前掲書:163)ことを通じて、「ベイリーの軍門に降る」(同上)ことなく、「リカード派の価値実在論とベイリー流の価値唯名論との対立」を「止揚」することができたのである(廣松前掲書:274)。それが真の止揚であったのか、単に初期マルクスの疎外論的構図に対する固執にすぎないのかはさておき、我々が注目せねばならないのは、商品の価値を対他的反照規定にすぎないとするベイリーの議論自体に大きな難点があり、マルクスがそこに気づいていたという点である。

話をわかりやすくするために、少しマルクス(そして廣松)自身が行っている叙述を離れよう。ベイリーはまず価値とは商品相互の相対的な関係にすぎないという。そして、にもかかわらずそれが商品に内在する何かであるかのように考えられることになるのは、他の商品一般とのこうした参照関係の「恒常性」、つまりそれが一つのシステムになっているからだという。しかしこの議論は二つの点で不十分である。

まず第一に彼の議論はそのシステム自体の根拠を問うていない。価値とはしかじかの仕方で(相対的比率で)交換されているという関係に過ぎない。しかしなぜその商品が他ならぬその仕方で交換されているのか。そしてそうした交換全体が一つの恒常的な全体性であるのなら、それはいかにして成立しているのか。ここで「慣習」、あるいはいわゆる相場を持ち出すことは何の解決にもならない。体系性の成立を説明するのに、すでにある体系性を持ち出しているだけのことだからだ。

ベイリーの見解は極論すると、交換とそれによって成立する関係を第一原因に置いた説明であるとも言える。しかし交換はけっして真空中では起こらないし、また一回、一回の交換がユニークで他とは切り離された独立した出来事であるわけでもない。交換当事者も、真空中に孤立した自由な個々人ではない。もしそうであれば、個々の場面でどんな仕方で交換が成立するかはまったく予測不可能であるということになるだろう。その都度その都度で何が何とどのような比率で交換されるかが独立に決まるというのであれば、交換の総体は決していかなるシステムも結果しない。まさにそこに体系性があるということ自体が説明されるべき謎にほかならない。交換がもし全域的で恒常的な体系性を示しているとすれば、そのことは、交換そのものがすでに何か他のものによって規定されているということを、つまり何かに基づいていることを示しているのかもしれない。もし交換とその総体がこうした何かによって規定されているのであるとすれば、その結果としての価値にも内在的・実体的な根拠があったということにはならないだろうか。もちろん、廣松によるとベイリーが「価値の原因」---「人々の心に着実に作用する...外部的諸事情」---を考えていなかったわけではない(廣松前掲書:93)。しかしそれは「生産費」といったものであり、このこと自体、すでに価値のそして交換のシステムの存在が前提となってしまっていることを、逆に示してしまっている。廣松によると、ベイリーは「価値の形態に眼を奪われて、それを支えている深層構造の概念的把握を失している」(廣松前掲書:102)のである。

ベイリーの議論の第二の問題点は、彼がマルクスと異なり商品の物神性をとらえていない、つまり商品が不思議なものであるとは考えていないという点である。商品は「一見したところ平々凡々たるものにみえ」るが「分析してみると、商品は形而上学的な詭計にみち神学的な意地悪さでいっぱいの甚だ厄介なしろものであることが判」るとマルクスは言う(マルクス『資本論』廣松前掲書:198よりの引用)。単純に言えば、それは商品が自然形態であると同時に、価値である、つまり「超自然的・超感性的な属性」(廣松前掲書:176)を内在させているようにみえるという事実である。価値が関係であること、つまり対他的な反照規定であること、このことをベイリーは示した。しかし謎は、それがなぜ個々の商品に内属する属性であるかのように現れるのかという問題だ。ベイリーはそれを謎とは考えない。商品相互の(そして貨幣との)参照関係が恒常的であることを指摘すれば、それで十分だと考えている。しかしそれは本当に説明になっているだろうか。これは廣松の物象化図式にもあてはまる問題点である。このベイリーの説明は(そして廣松の物象化の図式も)仮に一つの命題の形で表現すると「関係態が安定的・恒常的であれば、項の間の対他的参照関係がそれぞれの項に内属する属性として経験される」ということになろう。しかしこの命題をどうやって証明できるだろうか。たしかに廣松が80年代以降のさまざまな書物の中で取り上げているように(廣松 1980、1985、1988、2001)、実際さまざまな場面でたしかにそうなっていることが確認できるだろう。しかしそれはなぜそうなるのかの説明を提供しない。これに対してマルクスは、個々の商品がなぜ価値を内自的にそなえた姿をとるのかを問うことによって、少なくともこの謎に向かい合っているように見える。

当の体系性を不問に付したままで、商品の価値を交換を通じての商品相互の恒常的な対他的な反照規定にすぎないと言ってしまうだけではまったく不十分なのだ。この点でベイリーはマルクスにとって、依然として価値の真の原因を理解しない「物神崇拝者である。というのは、彼は価値をたとえ個々の物の属性として(孤立的に考察して)いないとはいえ、諸物相互の関係として把握しているからである。ところが価値は、人と人とのあいだの一関係すなわち社会的な関係の物的表現に過ぎないのであり、人間が自分たちの相互の生産的な活動に対してもつ関係にすぎないのである」。マルクスはこのように論断する(マルクス『剰余価値学説史』廣松前掲書:99-100よりの引用)。

さらに、ベイリーが商品世界の体系性を当然のように前提とし、その根拠を問おうとしていないとすれば、それと同時にベイリーは貨幣そのものの存在も説明抜きに前提としてしまっている。ベイリーは価値を商品相互の相対的関係にすぎないとするのだが、そこで「他の諸商品とりわけ貨幣との恒常的な関係」について語っていた。彼の議論の中に貨幣はいつのまにかすでに登場している。しかしその存在自体が問題として主題化されることはないのである。マルクスは次のように批判する。「ベイリーによって示されているのは、諸商品価値は一つの貨幣表現を見出すことができるということ〔だけ〕である。……彼は貨幣表現においてそれが表現されているのを見出すのであるから、この表現がなにによって可能になるのか(本当の問題、すなわち、Aの交換価値をBの使用価値で表現することはどのようにして可能なのか−この問題は彼の心に全く浮かんでいない)、どのようにそれが規定されるのか、また、それは実際にはなにを表現するのか」(Ib.S.154f.Vgl. S.147)ベイリーはこれを「理解する必要」を認めないのである云々(マルクス同上 廣松前掲書:97よりの引用)。

商品が貨幣に対して、そしてこの貨幣との関係を通して、他の商品一般とある恒常的な関係にたっていること、これこそ商品世界の体系性がとる具体的な形である。まさにこのことが、商品にそなわる価値対象性---商品がまるで自らの内部に価値という実体を内在させているかのように立ち現れていること---にもかかわっているのだとはいえないだろうか。そうだとすると、商品世界の体系性は、貨幣の存在そのものについての説明と同時にしか解き明かされないだろう。

しかしその解決は、ここで言われているように「それを支えている深層構造」(前出)を持ち出すことによって、再び価値を実体論的に、「抽象的人間労働」が「対象化」「物質化」「凝結」したものとしてとらえよということなのだろうか。廣松は、この段階でのマルクスのこうした言い方は「比喩」にすぎないと言うだろう。そして『資本論の哲学』で論証しようとしているように、それは実際には「社会的生産・交通のある歴史・社会的な編制(表現が循環的になることを憚らず要言すれば“商品経済的”に編制された特殊歴史的な社会的諸関係)の反照規定」(廣松前掲書:216)のことを指しているのだと言うだろう。しかしマルクスは廣松の再解釈の試みにもかかわらず、上のベイリーに対する批判の中にも明らかなように、価値の源泉を人間の労働にもとめるという初期の疎外論的な語り口に絶えず落ち込んでいく。その問題点については前節ですでに指摘したとおりである。一方それを「社会的生産・交通のある歴史・社会的な編制」に読み替えようとする廣松の試みは、皮肉なことにベイリーの議論の難点を別の水準で再生産してしまっているに過ぎないことがわかる。なぜならその「歴史・社会的な編制」の体系性自体が、今度は前提とされ不問に付されていることになってしまうからである。すでに述べたように、物象化を関係態における反照規定にもとめる廣松の議論は、実はとことんベイリー的なのである。

ベイリーに対質するなかで再措定された価値の実体論的規定ではないところ、ベイリーに即してマルクスが価値形態について再考察した問題提起のなかにこそマルクスの物象化論の、廣松が十分には気づいていないかもしれない、より重要な契機が、おそらくはひそんでいる。その点に着目したのが柄谷行人である。

2−2.マルクスの価値形態論

「たしかに価値形態論は、一見すれば、『貨幣の必然性』を、証明しているだけのように見える。しかし、貨幣の自己実現というヘーゲル的展開にもかかわらず、マルクスは、貨幣の成立が商品あるいは価値形態をおおいかくすことを語っているのだ。」『マルクスその可能性の中心』において柄谷はこう断言する(柄谷 1978:24)。

マルクスを「それ以外のいかなる場所でも読まないだろう」と言い、それが「マルクスをその可能性の中心において読む」ことだと述べる柄谷は、廣松のようにマルクスのテキストの一見した矛盾を解消し、そこに整合性を見出すことには関心を向けていない。マルクスが『資本論』の冒頭で行っている、二つの相異なる商品が等価であるためには、なにか「共通の本質」がなければならず、それは商品に凝結した人間的労働であるという例の議論についても柄谷は、「貨幣形態の起源を問うとき、マルクスは、もはや『等価』や『共通の本質』という考えを切りすてている」(柄谷前掲書:33)と断定して一言で処理してしまう。しかしこうしたある意味で乱暴な扱いが、一気に重要なポイントへと我々を連れて行く。

「貨幣の成立が...価値形態をおおいかくす」ということで、柄谷はいったい何を言おうとしているのだろうか。

「マルクスのいう商品のフェティシズムとは」−−と柄谷は確認することから始める−−「『自然形態』つまり対象物が『価値形態』をはらんでいるという事態にほかならない。」(柄谷前掲書:29)しかし柄谷は「だが、これはあらゆる記号についてあてはまる」(同上)と述べて、ただちに記号とのアナロジー---記号は意味をはらむ---で考え始める。そのとき記号学(構造言語学)で立てられる問いと、マルクスが立てる問いは同じ形をとる。言語を言語たらしめるもの、つまり言葉が「意味」をもつようにするものはなにか、この問いは「商品を商品たらしめるものはなにかという問いと同じである」(柄谷前掲書:30)。柄谷によると、前者の問いに答えようとしたソシュールの新しさは「言語を価値としてみようとしたことにある。つまり、それは言語を『意味するもの(シニフィアン)』の示差的な関係の体系としてみることであり、意味はアプリオリにあるのではなく差異づけの体系のなかで、いいかえれば、語と語の間からあらわれると考えることである。」同様に、マルクスの価値形態論も「商品が価値形態−−示差的な関係−−である」ことを示すものである。

廣松がマルクスとエンゲルスのテキストの詳細な読み返しを通して到達した地点に、柄谷は構造主義の近道をとおって一気にたどり着いているのがわかる。意味が「差異づけの体系の中で...語と語の間からあらわれる」というのは、表現こそ奇抜だが、廣松の言い方で、意味とは関係態における項どうしの対他的反照規定であるところのものが項に内在するものとして現相したものだと述べるのと同じである(また、真似してしまった。廣松の語り口が癖になってしまうとやばいかもしれない)。しかし柄谷の読みの本当に鋭いところはここではない。重要なのは貨幣の成立がこれをおおいかくしているのだという指摘である。

いましばらく、マルクスの価値形態論の柄谷による読解に沿っていこう。『資本論』においてマルクスは「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」「総体的または拡大せる価値形態」「一般的価値形態」そして「貨幣形態」の4つの段階をたどって貨幣の必然性を説くという形で議論をたてている。

「単純な価値形態」例えば「20エレの亜麻布が一着の上衣に値する」という場合、亜麻布は自分の価値を上衣の価値によって相対的に表現している。この関係において、上衣によって自らの価値を表現してもらう亜麻布は「相対的価値形態」にあり、亜麻布の価値を表現する材料として機能している上衣は「等価形態」にあるという。

『マルクスその可能性の中心』での柄谷は、この「単純な価値形態」については、やや奇妙な理解を提示する。「ソシュールにならっていえば、相対的価値形態は『意味されるもの(シニフィエ)』、等価形態は『意味するもの(シニフィアン)』であり、これらの結合としての価値形態が記号(シーニュ)なの」(柄谷前掲書:34)だというのである。これは単に間違っているという以上に、ほとんど意味をなさない主張なのだが、この時点での柄谷が「単純な価値形態」のもつ重要な意味をいまだとらえていないことをよく物語っている。柄谷は「単純な価値形態」を単に二つの商品の間の相互参照関係として理解している。彼は言う。「《一商品の価値は他の商品の使用価値で表示される》。しかし、たとえば亜麻布の価値なるものが内在的・超越論的に存在するわけではない。ここには、たんに亜麻布と上衣という「相異なる使用価値」があるだけなので、その関係のなかから「価値」が出現するのである。」価値を商品どうしの相対的関係にすぎないととらえたベイリーの理解と同じであり、その限りにおいてこれは間違った理解であるとはいえないが、マルクスが最も多くのページをさいてまで詳述している「単純な価値形態」の秘密の適切な理解とはいえない。実はここで重要なのは、相対的価値形態と等価形態のあいだの非対称なのだが(これは廣松によって別の観点から詳細に問題にされているが、ここではそれについての詳しい論述は省略したい)、このことに柄谷が重要な意味を見出すのは後の『探求I』においてのことである。しかし今はこの問題には深入りせずに先を急ごう。

次に、マルクスにとっての価値の第ニの形態「総体的または拡大せる価値形態」は、


20エレの亜麻布=1着の上衣
または          =10ポンドの茶
または          =2オンスの金
または          =云々

といった無限系列がその内容である。

これは一見すると全ての二つの商品の相対的な関係である「単純な価値形態」の無秩序な寄せ集めに過ぎないように見える。しかし実はここに一つの体系性の萌芽が隠れている。マルクスは次に「拡大せる価値形態」における上記の等式を一気に反転してみせる。


1着の上衣     −|
10ポンドの茶   | = 20エレの亜麻布
2オンスの金     |
云々           −|

一つの商品が他の全ての商品に対して等価形態の位置をしめている。一見した無秩序な寄せ集めに「中心」が見出されることになる。これが「一般的価値形態」の内容である。

特定の商品がこうした「中心」として歴史的・社会的に固定化されるとき、最後の「貨幣形態」が確立されたことになる。「単純な価値形態」はしたがっていわば萌芽状態の貨幣であり、ここでは「単純な価値形態」から「拡大せる価値形態」へ、さらに「一般的価値形態」ついで「貨幣形態」への必然的発展が語られているようにも見えるかもしれない。

『マルクスその可能性の中心』における柄谷の独創は、このありきたりの理解を反転させるところに見出される。柄谷は言う。

「マルクスは...中心としての一商品の出現の不可避性を説く。けれども、この叙述は、実は転倒しているというほかはない。『総体的または拡大せる価値形態』こそ、一般的価値形態または貨幣形態を非中心化したときにやっとみいだされる『中心のない関係の体系』なのだからである。言語学においてソシュールはちょうどこの地点に到達したのであり、レヴィ=ストロースはそれを人類学に適用したのである。この形態が未完成だというのは、むろん貨幣形態を完成態とみなす目的論的思考である。それは未完成であるどころか、“完成された”もののなかで見うしなわれる原初の光景なのだ。」(柄谷前掲書:35-36)

柄谷が貨幣が価値形態を隠蔽すると述べる意味はもはや明らかであろう。繰り返しになってしまうが通常の理解によると、マルクスの価値形態論においては、ニ商品の簡単な交換から始まる相対的な参照関係(「単純な価値形態」)の寄せ集まりが、やがてそれ自身のうちに一つの体系性をはらんでくる。たとえそれが中心を欠いたものであろうとも(「拡大せる価値形態」)。なぜならその参照関係の雑多な連鎖と見えたものは、見方を変えれば、実は(おそらくは複数の)特定の商品を等価形態として中心化されていることがわかるからである(「一般的価値形態」)。そして最後にその中心を単一化し固定化する「貨幣形態」が登場すると。この理解によると、貨幣が出現する前にすでに体系はほとんどできあがっていることになる。その段階では全ての商品はそれぞれがすでに「価値」をもっている。貨幣は単にほとんど出来上がった体系性の最後の仕上げに登場するだけのものになる。それは、すでに商品に備わっている価値を表現するだけのもの---より均一で統一された仕方ででであれ---にすぎないものになり、すでに存在している体系をただより可視化させるだけの、いわば二次的な余計なものということになってしまう。実際、古典派経済学は貨幣を二次的なものと考えていた。『経済学事典』は、財の「価格」は通常「財1単位と使用されている貨幣の交換比率で表わされる」が、「取引が行われれば(すなわち市場が存在すれば)価格は決定するから、貨幣の存在自体は価格概念の前提とはならない」と述べる。まるであってもなくても良いような存在なのだ(『経済学事典』、深田 nd よりの引用)。貨幣はベイリーにとってそうであったように、古典派経済学にとっては謎でもなんでもない。これに対して、貨幣を究極の謎と考えているのがマルクスであるとするなら、こうした通常の理解は、実はマルクスを転倒させたものなのだ。

柄谷が指摘しているのはまさにそれである。「拡大せる価値形態」は貨幣が登場する前にすでに出来上がっていた中心を欠いた体系などではない。まさに貨幣によって作り出された体系性から、貨幣を非中心化し、取り去ってみたときにそこにみいだされる光景、文字通り「完成したもののなかで見うしなわれる光景」なのである。

貨幣は単にすでに出来上がっていた体系性の最終産物ではなく、まさに貨幣形態こそが当の体系性をもたらすのだ。その体系の中での相対的な相互参照関係にほかならない商品の価値は、その中心である貨幣との関係の中に一律に表現されることになる。価値がそれぞれの商品にふくまれる共通の実体となるのはその結果である。しかしそれは逆に貨幣を再び二次的な存在として理解させることになる。柄谷は言う。「古典派経済学は、二つの異質な使用価値が等価たりうる根拠を、そこにふくまれた同質な人間的労働にもとめる。実はこれは貨幣形態を前提した発想であり、貨幣を各商品の中に内在させることだ。つまり、貨幣の成立によってはじめて各商品は“共通の実体”をもつかのようにみえるのに、彼らは各商品はもともと“共通の実体”をもつのだと考えるのである。」(柄谷前掲書:48-49)その結果として逆に貨幣は、その共通の実体、商品の価値の単なる二次的な表示形態であり、尺度にすぎないと考えられるようになる。

したがってより正確には、貨幣は“自らの存在を隠蔽する”ことによって、価値形態を隠蔽するといった方がよい。なぜなら自らは二次的なものとして身を隠し、価値を商品に内在する何らかの実体にしたてあげることを通じて、貨幣は「単純な価値形態」つまり価値が異なる使用価値のあいだの相対的参照関係に過ぎないという事実を隠蔽してしまうことになるからである。

しかし、柄谷のこうしたマルクスの価値形態論解釈が正しいとすれば---マルクスについての解釈としてどうであるかは別として、私はその議論そのものは正しいと思う---それはある意味で貨幣の謎をますます際立たせることにはならないだろうか。貨幣はまさに体系の体系性を支えていながら、こうして出来上がっている当の体系にとってはまるでどうでもよい二次的なものであるかのようなのである。なぜなら貨幣によって中心化された体系から、当の貨幣をとりさったとしても、貨幣以外の商品の相互の参照関係にはなんの変化も生じない。20エレの亜麻布(2万円)=1着の上衣(2万円)の関係は、商品世界の体系から貨幣が突然消滅したとしても20エレの亜麻布=1着の上衣として、なんの変化もなくそのまま残る。体系の体系性はあたかも貨幣などいらなかったかのようにそのままそこにある。さらに貨幣は、価値の実体化を支えながら、当の価値にとっては二次的な単なる表示であり尺度にすぎないものとして映る。われわれにしても貨幣は、商品の値打ち---すなわちそれに内在する価値---を単に「表現=表示」するだけのものにすぎないとごく普通に考えている。

自らが作り出す当の体系性にとって、分析的には余計なものとして現れること、これこそが貨幣形態の最も奇妙な特徴なのである。貨幣形態はみずからが可視化させた秩序の前で姿を消すのだと言ってもよいかもしれない。そして貨幣形態がはじめて可能にした秩序の諸特徴が、あたかも最初からそこにあったかのように経験されるのである。『マルクスその可能性の中心』において柄谷はこのことを必ずしも一貫した形で明示的には述べていない。おそらく「単純な価値形態」の真の謎の重要性がまだこの時点では十分に把握されていなかったためだろう。単に貨幣の存在が、価値が実際には使用価値のあいだの参照関係に過ぎないという事実を隠蔽するという点が強調されているだけである。しかし実はこれも貨幣形態のもとで成立している現実を前提とした見方なのだ。相互参照関係から価値が出現すること自体は自明視されている。それがすでに体系性の効果であるにもかかわらず。柄谷の議論は、体系という事実にいらだちつつも、つねにいたるところに体系性を前提としてしまう議論である。貨幣が切り開いた光景にあい変らず目がくらんだままになっているのだ。実は最大の謎はまさに体系が存在するという事実なのであり、貨幣によってここで隠蔽されているのは、体系性は不在でありえたという手に負えない可能性そのものである。

2−3.「単純な価値形態」の秘密と貨幣の物神性

雑誌『群像』に1985年新年号から掲載が始まった一連の評論---『探求I』(柄谷 1986)はそれを一冊の本にまとめたものである---において柄谷は再びマルクスの「単純な価値形態」から議論を始めている。そこで彼もついに相対的価値形態と等価形態の非対称性に着目する。しかし、その議論はかならずしも上で私が示した方向には向いていない。

「マルクスの功績は、....交換の根底に、そのような非対称性を見出したことにある」(柄谷前掲書:15)と柄谷は言う。しかし、その非対称性はただちに「売る立場と買う立場の非対称性にほかならない」(同上)とされ、交換そのものに内在する不確定性に結び付けて考えられる。売る立場は、交換が成立するという何の保証もなしに交換に入っていかねばならない。商品の価値は、こうした根拠のない「命がけの飛躍」のなかでしか実現しない。商品のそれぞれに貨幣によって表示されるような価値がすでに内在しており、それにしたがって---つまり同じ価値のものが交換されるという具合に---交換が行われると考えることは、この交換の根本的な無根拠性とそこでの売る立場と買う立場の非対称性をおおいかくしてしまう。こうした柄谷の理解は、マルクスの物象化論についての彼独自の再解釈を生み出すことになる。

「マルクスが、社会関係が貨幣形態によって隠蔽されるというのは、社会的な、すなわち無根拠であり非対称的な交換関係が、対称的であり且つ合理的な根拠をもつかのようにみなされることを意味している。物象化とは、このことを意味する。それは、『人間と人間の関係が物と物の関係としてあらわれる』とか、関係が実体化されることを意味するのではない。そんなことはマルクスでなくても誰でもいいうることにすぎない。」(柄谷前掲書:17)例によってえらく高飛車で独断的な主張である。「物象化とは、このことを意味する」といきなり言われても、それのどこが「物象化」なのかと聞き返したくなってしまう。ではあるが、「単純な価値形態」の最大の秘密が、その等式の左辺「相対的価値形態」と右辺「等価形態」のあいだの非対称性であると気づいたのはおおいに評価してよい(と、私も高飛車になってみる)。体系の成立によって互換性が保障された後では隠蔽されてしまうこの非対称性---なぜならそのとき<20エレの亜麻布=1着の上衣>という等式とその右辺と左辺を入れ替えた等式<1着の上衣=20エレの亜麻布>は同じことを言っているようにしか見えないのであるから---こそ、『マルクスその可能性の中心』において柄谷が用いた「貨幣の成立が...価値形態をおおいかくす」という表現で語るにふさわしい事柄である。さらに、あらゆる現実的な交換が、そもそも共約不可能なものを等置するというありえない実践であり、その成立が実は前もっては何によっても保証されていないという根本的な不確定性をかかえていること、したがって「盲目的な跳躍」(柄谷前掲書:50)としてなされるしかないという事実に注目したのも、なかなかよい着眼である(と、ふたたび高飛車になってみる)。しかし問題は、この両者が同一視されてしまうことにある。

「盲目的な跳躍」だの「命がけの飛躍」だのの大げさな物言いには---もし文字通りにそうなら、商売人は死にまくりである---しばらく我慢して、柄谷の議論を追ってみよう。彼がここで強調しているのは、すでにモースが贈与論においてとりあげていた不確定性にほかならない。差し出した贈物は、受け取りを拒まれる可能性をつねに含んでおり、返礼がなされない可能性にさらされている。だからこそそれらを有無を言わさず従うべき義務として定立することによって、贈与慣行そして交換は社会的に---しかし成功の確証なく---保証されねばならないのだ。柄谷がここで言うのも、いくらこちらから物(商品)を差し出しても、それが買ってもらえる保証はない、それは受け取りを拒まれ、反対給付を得そこなう危険とつねに隣り合わせである、ということである。いったん交換が成立した後では、それは規則に従った必然に見える。あたかもそうなることがすでに定められていたかのように。等しい価値を持つがゆえに、両者は交換されたかのように。しかしこれは明らかに転倒した見方なのであり、商品の価値は、そのまっただなかでは成立がまるで保証されていない交換という行為を通じてはじめて確定する。交換に先立って、いくら自らの値打ちを主張したところで、買ってもらえなければ、そんな主張はむなしい。

柄谷が言うように「あらゆる商品に、貨幣によって表示されるべき価値が内在し、交換過程はその実現に過ぎないという考えは、われわれの実際の「売る」経験からみると、まったくずれている。そこでわれわれが経験するのは、合理的基礎のない飛躍であり、反復しえないものの反復(キルケゴール)だからだ。」(柄谷前掲書:90)

柄谷は売り手が自らの商品の価値について言うことが出来るのは、交換という盲目的な跳躍の後になってであるという点を繰り返し強調する。

「相異なる生産物が等置されるのは、それらが何らかの“共通の本質”(同質の労働)をふくんでいるからではない。実際にそれらが等置されたあとで、そのような共通の本質が想定されるにすぎない。ここで、マルクスが、物象化されてしまうという『社会的性格』が何であるかは、すでに明らかだろう。『社会的』とは、たんに『関係的』ということではない。むしろ、それは、交換(=等置)という『行為』に存する、盲目的な跳躍を意味するのだ。『規則』によって、等置という行為の仕方が決定されるのではない。その逆である。等置という行為があったあとで、そのつど規則が見出されるにすぎない。」(柄谷前掲書:50)

交換は、交換されるものに“前もって”内在している価値のようなものによって保証されてなどいない。したがって売ることはつねに一種の賭けになってしまう。この交換の不確定性の前での売る側の立場と買う側の立場の非対称性は、柄谷にとって、「単純な価値形態」における相対的価値形態と等価形態との非対称性のなかに見出されることになる。


20エレの亜麻布 = 1着の上衣
(相対的価値形態) (等価形態)


というすでに繰り返し出てきた等式について柄谷は言う。

「この等式が示すのは、二十エレのリンネルは、自らに“価値”があるということができず、一着の上着と等置されたあとで、はじめてその自然形態によって価値を示されるほかない、ということである。あとでいうように、ここで価値の“社会性”がいわれている。二十エレのリンネルの価値は、言葉の意味(規則)がそうであるように、他者(他物)に受けいれられたとき、そのときにのみ事後的に与えられる。ところが、一着の上着は、まるでそれ自身のなかに価値をもっているようにみえる。商品のフェティシズムは、そのような等価形態から生じる。」(柄谷前掲書:93)

自分自身で自分の価値を示すことができない相対的価値形態にたつ商品に対して、「等価形態にある商品には、価値が実体としてあると思われる。」(柄谷前掲書:97)これが単純な価値形態のなかにひそむ非対称性である。そして貨幣とはまさに、つねに「等価形態にある商品」にほかならない。貨幣の物神性、あるいは「呪物崇拝」の秘密はここにあると柄谷は言う。

「貨幣の呪物崇拝の謎は、ひるがえっていえば、商品自身には価値は内在せず、他の商品(貨幣)と交換されるほかに価値を与えられないという条件にもとづいている。」(柄谷前掲書:97)

そして交換は、前もってその実現が保証されない無根拠な実践であるので、売る立場、つまりその価値を実現するためには他の商品(あるいは貨幣)と交換してもらわねばならない立場は、きわめて危ういことになる。それに対して等価形態にたつ商品、あるいは貨幣はすでに価値を内在しており、価値の実現のためにあやうい交換に飛び込む必要がない、そんな存在として映る。これこそがその呪物性なのである。

「マルクスは、貨幣が価値尺度や流通手段ではなく、商品の等価形態なのだということ、それゆえに呪物崇拝が生じるのだということをいいたいのだ。いいかえれぱ、貨幣を尺度または手段とみなす、したがって売ること=買うこととみなす古典経済学に対して、商品の価値形態のなかに、けっして拭いさることのできない対極性を、あるいは「売る」立場と「買う」立場の差異をみいだすのである。」(柄谷前掲書:94)

しかしこの一見見事な議論にもかかわらず、「単純な価値形態」における非対称性を、売る立場と買う立場の非対称性として解釈する柄谷の議論には、いくつかのやっかいな問題がある。

第一に、「単純な価値形態」における相対的価値形態と等価形態の非対称は、交換の無根拠性とはなんの論理的つながりもない話である。この非対称は、交換が原理的に無根拠であること、つねに失敗にさらされていることによって生まれた非対称性ではないし、この非対称性が交換の無根拠性を作り出しているわけでもない。商品に内在する価値が交換を保証しているのではなく、交換に先立ってそのような価値などないのだというのは正しいが、交換が無根拠なのは別にそのことだけが理由なのではない。価値は交換の根拠足りえない。しかしそこから「したがって交換は無根拠な実践である」は帰結しない。他の根拠がある可能性を排除しないからである。実はあらゆる実践は、まえもってその成立を保証されてなどいないという一般的な不確定性をひとしく抱え込んでいる。交換の無根拠性、不確定性もそこから来ている。これには、相対的価値形態と等価形態の非対称はなんの関係もない。

第二に、柄谷は「単純な価値形態」において、まるで「相対的価値形態」に立つ商品だけが、自らの価値を別の商品との交換に依存しているかのように語るが、同じことが等価形態に立つ商品についても、それ以上に言えるのだという事実を忘れている。たしかに「相対的価値形態」に立つ商品は、自らの価値を成立の当てのない交換に賭けているとはいえる。しかしそれは交換のイニシエーターとしての積極的なポジションである。それに対して等価形態の方は、徹底的に受動的である。何かがそれに対して自らを差し出す形で交換の口火を切ってくれない限り、そうした相手の出現を待たずしては、それは等価形態にはそもそもなりえないのだから。モースが贈与論で明らかにしたように、差し出した贈物が受け取られず、また返礼もされないという可能性が、誰も自分に対して何も贈物として差し出してこないという可能性よりも、いっそう悲惨だというわけではない。かくして贈物を贈ることが義務としてかたられるのであり、その「贈る義務」は、受け取る義務、返礼の義務にくらべて軽いわけでもないということになる。贈物を思い切って差し出す者は、たしかに成功の保証のない「盲目の跳躍」をしているのかもしれないが、誰からも贈物を差し出してもらえない者は最初から奈落の底にいる。柄谷は売る立場が、買ってもらえないかもしれない危険に常にさらされている事をやたら強調するが、一方で買う側の何も売ってもらえない可能性は過小評価している。貨幣が紙切れと化して何も売ってもらえなくなるという可能性は、柄谷が言う恐慌よりもはるかに社会にとって危機的な状況である。等価形態という立場は、相手の売るというイニシアティヴに徹底的に依存した、受動的な立場なのであり、この非対称性だけについて考えている限りは、ある意味で「売る立場」よりもはるかに保証のない弱い立場であるともいえるのである。

第三に「単純な価値形態」における二つの商品の価値関係の成立を、柄谷は交換の成立と無条件に同一視した議論をしている。しかしこの同一視は、商品の価値という考え方がある種の体系性のもとですでに出現している事を条件とする。柄谷が『マルクスその可能性の中心』で論じていたように、「単純な価値形態」はけっして商品世界が成立する以前のある段階を描写しているのではなく、貨幣形態を非中心化し解体したときに、つまり貨幣とともに成立する体系の体系性から当の貨幣を取り去り、さらにそれを部分に解体したときにようやく見出された中心のない構造の構成原子に他ならないからである。こうした条件がないところでは、交換は価値の概念とも、いわんや等価性とも無関係に成立する。贈与交換において、口火を切って渡された贈物は、受け取られ、やがて反対給付の贈物が返される。ここでは交換は成立しているのだが、それは二つの贈物を必ずしも比較可能にはしないし、その共通性も確立させないし、それぞれの贈物に同じ価値があるといった概念も成立させない。世界中の多くの地域で行われていた婚姻にともなう贈物のやり取りでは、夫側からの男財と妻側からの女財は、まさに「比べ物にならない」という点に本質があった。それは両当事者の異質性と補完性を表示するための贈物だったのだから。トロブリアンドのクラにおける交換のように、相手の財を手に入れることが目的であるような交換においてさえ、こちらが差し出すさまざまな贈物と相手がくれるだろう財(ヴァイグァ、例えばソゥラヴァと呼ばれる赤い貝殻の首飾り)の間の等価性など端から問題外である。こちらから差し出す一連の贈物は、相手を喜ばせて自分が気に入るようさせ、自分に貴重な財を与えても良い気にさせるための一連の懐柔と口説き行為の一環である。それらの贈物を与えられる財に対する等価物であるなどと考えることは、口説きの言葉や相手に向けられた親しげな目配せに交換価値があると主張するようなものだ。相手がくれた財にふさわしいそれに対応する唯一の財は、こうした一連の口説きの贈物などではなく、その数年後相手が自分のもとを訪れた際にこちらが相手の口説きに応えて同様に相手に与えるだろう財(ヴァイグァ、例えばムワリと呼ばれる白い貝殻の腕輪)のみであるが、これもそれぞれに内在した同等の「価値」の等価性というよりは、ふさわしい結婚相手同士の対等性に等しい。なぜならムワリとソウラヴァは結婚で男と女が出会うように出会うとされているからである。これを等価物と考えることは、似合いのカップルのそれぞれが同じ交換価値をもっていると考えるようなものだ。こうした例は枚挙にいとまない。交換が成立することは「単純な価値形態」における二つの商品の価値関係が成り立つための必要条件ではあるが、交換が成立するだけではそうした価値関係を成り立たせるには十分ではないのである。

第四に---私自身はこれが最も深刻な難点だと考えるのだが---柄谷は「単純な価値形態」のなかの非対称性を「売る立場」と「買う立場」の非対称性という、それ自体貨幣の存在をふまえた対立と同一視してしまうことによって、貨幣を自明視せず貨幣呪物の謎を謎として解明しようというその意図にもかかわらず、徹頭徹尾貨幣の存在を前提とし、貨幣の存在が啓いた光景の内部でのみ思考するという結果に陥ってしまっている。前節で論じたように、貨幣は単なる等価形態の権化---これが貨幣の呪物的性格なのだが---なのではない。それは商品世界におけるある種の全域的な体系性の出現と同義なのである。したがって「単純な価値形態」の考察を貨幣の比喩で行うことは転倒であり、そこにはない体系性をそこに読み込んでしまうことである。『マルクスその可能性の中心』においてと同様、柄谷の議論はここでも、体系性にいらだちつつ(そしてその無根拠性にこだわりつつ)あいかわらずいたるところに体系性を前提としてしまう議論である。しつこいようだが、貨幣が切り開いた光景に目がくらんだままになっているのだ。

実際、貨幣がすでに存在するもとでの「売る立場」と「買う立場」の非対称性を論じる際に柄谷が訴えているのは、「単純な価値形態」における非対称性よりも、むしろ体系性、そこでの貨幣の中心としての位置であることがわかる。

柄谷は言う。

「等価形態にある商品には、価値が実体としてあると思われる。商品の価値を実体的に(凝固された労働として)みた古典経済学は、実際のところ、商品を等価形態としてみているのであってしたがって、貨幣はそれを表示する二次的な手段でしかなくなる。べつのことぱでいえば、古典経済学は、基本的に「売る=買う」立場に立っている。そこでは、商品は互いに直接に交換しえず、必ず貨幣(商品の等価形態)と交換されねぱならない、という自明の事実が忘れられている。貨幣の呪物崇拝の謎は、ひるがえっていえば、商品自身には価値は内在せず、他の商品(貨幣)と交換されるほかに価値を与えられないという条件にもとづいている。」(柄谷前掲書:97)

一見、「単純な価値形態」における非対称性について語っているようでありながら、実は、貨幣の体系的中心性---商品は互いに直接に交換しえず、必ず貨幣(商品の等価形態)と交換されねぱならない---が問題になっているのである。同じことは次の引用において一層明白である。

「いうまでもなく、その“神秘”は、たんに商品の等価形態にひそんでいる。すなわち、“直接的交換可能性”に。いいかえれぱ、一般的等価形態にある商品(=貨幣)は、いついかなる時でもどんな商品とも直接に交換しうるのに、他の商品は互いに直接に交換しえないということが、貨幣の神秘的な力の源泉である。」(柄谷前掲書:106)

単に等価形態にあるということよりも、「いついかなる時でもどんな商品とも直接に交換しうる」というその中心性、「一般的等価形態」において可視化する体系性こそが問題になっているのだ。そもそも貨幣が常に等価形態の立場にあるということ自体が、それが体系内で位置する「中心」の効果以外のなにものでもない。売る立場と買う立場の非対称性は、むしろ中心と中心によって体系化された残余との非対称性だったのである。奇妙なことに柄谷はそのことに徹頭徹尾無自覚なままなのである。柄谷は『探求I』以降において『マルクスその可能性の中心』においてよりも、問題の中心---商品世界において体系性はいかに成立しているか---からかえって遠ざかってしまったように見える。

2−4.価値形態論における物象化の構図

「単純な価値形態」とそこでの非対称性の秘密を正確につかんでおく必要がある。それは二つの商品の「価値」のあいだの関係について語っている。したがって、それを商品世界が成立する以前の、たとえば物と物が贈物のような形をとって互いに交換されている物々交換のようなものを描写していると考えてはならない。それは貨幣形態つまり貨幣によって作り出された体系性から、貨幣を非中心化し取り去ったときに見出される、中心のない体系を、さらに分解したときに取り出される、その体系を構成する基本原子とみなければならない。

このことを理解するには、「単純な価値形態」における非対称性そのものには体系化の契機が含まれていないこと、むしろそこに当の価値形態そのものを自己破壊する契機が含まれていることを確認すればよい。そのときに「価値」という概念そのものが体系性の効果だったのだということがわかるだろう。マルクスと同様に、貨幣を非中心化し、それを取り除いた場面から出発しよう。そしてそこでもまだ「価値」について語りうると想定しよう。そして「単純な価値形態」における非対称性が、当の「価値」概念自体を解体してしまうのを見よう。

物には一定の価値がある、あるいは卑俗な言い方をすれば、物にはそれぞれ値打ちがある。この考え方は、孤立した「単純な価値形態」において維持できるだろうか。経済学者たちはそれを使用価値と価値(あるいは交換価値)にわけて考える習慣があるが、ここでは特にその区別にはこだわらないことにする。仮に一つ一つのものにそれぞれの値打ちがあると認めたとき、問題はそれぞれの物は自分の価値つまり値打ちの大きさをどのようにして表現することができるだろうか、ということである。たとえば1杯のラーメンには(あるいは1冊の哲学書には)どれくらい値打ちがあるのかという問いにどういう答えが可能か。手を広げてこんなくらいとか、すごく!とか言ってもまるで答になっていない(おまけに、今貨幣はまだ存在していないことになっている)。原理的に、別の商品を参照することによってしか、この問いには答えられないことがわかる。ラーメン一杯は、哲学書3冊分の値打ちがある、といった形でしか示せないのである。友達との約束に遅れても食べるだけの値打ちがあるといった表現でも可能であるが、とにかく他の何かを引き合いに出すことによってしか示せないというのがポイントである。その場合、引き合いに出された他の何ものかの価値については、問うた方も答えたほうでもなんとなく共通の了解ができているかのような形をとる。「単純な価値形態」とはこのことを示している。

その参照関係は、具体的な交換の事実に基づいているだろう。価値についての具体的な語り、たとえば、空腹で死にそうなときには1杯のラーメンの方が10冊の哲学書よりもはるかに値打ちがある、でも心が乾いているときには1冊の哲学書は100杯のラーメンよりもはるかに値打ちがある(ほんとか?)といった語り、が成り立つためには、実際にそうした交換が可能でなければならない。空腹時にラーメン屋のカウンターに哲学書を積み上げて、これでラーメン一杯食わせてくれ、と交渉してみよう。うまく行けば、たとえば4冊の哲学書=1杯のラーメンという関係が成立したりする。4冊の哲学書(著者についてはあえて言わない)には1杯のラーメン分の値打ちがあるということになる。ばかばかしい例ではあるが、「単純な価値形態」の一つの例である。

物は自分の値打ちを自分自身では言うことはできないで、常に他の物を引き合いに出すことによってのみ言うことができる。そしてそれは具体的な交換可能性によってしか示すことができない。20エレの亜麻布は自分にはどれくらいの値打ちがあるかを自分自身では示せない。別の物、1着の上衣を引き合いに出してそれによって示すしかない。20エレの亜麻布には1着の上衣分の値打ちがある、といった具合に。このとき1着の上衣がもつ値打ちについては、まるですでにわかっているかのようであるという点に注意しよう。20エレの亜麻布が「相対的価値形態」で1着の上衣が「等価形態」であるという非対称性とはこのことである。ずいぶんくどいおさらいのようであるが、「単純な価値形態」の秘密はここにしかない。

柄谷行人はこの非対称性を売る立場と買う立場の絶対的な区別と一気に重ね合わせるのであるが、ここで重要なのはむしろ、この非対称性が相対的かつ推移的であるということである。20エレの亜麻布の値打ちを尋ねて、それが上衣1着分の値打ちであると答えられたとする。しかし実際にはそれはまるで答えになっていないのだ。ではその上衣1着分の値打ちはどれくらいなのかと問われるとどうなるだろう。上衣のほうでも、自分の値打ちを自分では言うことが出来ない。再び、さらに他のものを引き合いに出して、自分は例えば靴3足分の値打ちがある、という形で自分の値打ちを表現するしかないだろう。この系列は原理的に際限がない。マルクスがあるいは柄谷がするように右辺と左辺を反転させるだけではいけないという点に注意しよう。20エレの亜麻布の値打ちは、と尋ねられて上衣1着分だと答え、さらにでは1着の上衣の値打ちはと尋ねられて、亜麻布20エレ分の値打ちだと答えたりすれば、それは単なるトートロジーでどちらのものの値打ちについても何も言っていないことと等しい。「単純な価値形態」とは通常理解されているように二者間の関係なのではなく、不在の第三者を常に前提とした連鎖的関係なのである。「単純な価値形態」はけっして自立的・孤立的単位ではありえず、つねに残余の関係を想定している。

連鎖は体系化の要素である。しかしそれ自体はいかなる体系性も保証しない。それはインセストタブーについてのレヴィ=ストロースの議論を思い起こさせる。インセストタブーは婚姻の連鎖を生成する。山田家の娘は田中家へ嫁ぎ、田中家の娘は木村家へ...。それはいかなる体系性をも導かない際限なく続きながら社会空間にナメクジの這った跡のような痕跡を刻みつけていく。レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』はインセストタブーが必然的に含意するこうした連鎖の生成から、なんらかの体系性が生み出される条件と経路について研究したものとして読むことが可能である(eg. 浜本 1991)。

「単純な価値形態」における価値関係---自己の価値を他の物を参照することによって表現する---も、それ自身では体系を生成しない。それは交換の際限のない連鎖を含意するだけである。亜麻布20エレによって上衣1着が手に入り、20エレの亜麻布の値打ちが上衣1着分ということになる。1着の上衣はついで3足の靴と取り替えられ、3足の靴分の値打ちがあったということになる。3足の靴はさらに...(くどい)。それぞれが個別的で独立した交換実践として行われるなら、こうした連鎖が一つの体系を作り上げる保証がどこにもないことがわかる。それどころかそれは簡単に自己撞着を引き起こしてしまう。この連鎖をさらに見ていこう。3足の靴は、なんと1冊の哲学書と取り替えられることになった。ところが一読して眠気に襲われその哲学書が不要になったその男は、哲学書を5エレの亜麻布ととりかえてしまう(5エレの亜麻布にしか取り替えてもらえなかった)。かくしてこの時点で、20エレの亜麻布には5エレの亜麻布分の値打ちがあったということになってしまう!こうした連鎖は、そもそも「価値」という観念自体、物には一定の値打ち、値段というものがあるという観念そのものをぶち壊してしまうだろう。

こうしたことは別に珍しい話ではない。前節で指摘した、交換が贈物のやり取りとして実現する場合には、二つの贈物、給付と反対給付の間には比較そのものが、したがっていかなる価値関係も成立しない可能性があるという事実は、置いておいても良い。実際に物の値打ちという観念があり、それどころか貨幣がその交換を中心化しているように見えるところですら、交換の連鎖における撞着は容易に生じる。花嫁代償(婚資)のやりとりでそれは露骨に表れるのだが、人類学外では特殊すぎる例かもしれないので、定期市における物の売買に話を限っても良い。ほとんど同じ瞬間に別の人を相手に同じものがまったく別の値段で売られたりする。なぜなら売り手がその特定の買い手を気に入ったからだ、あるいは親族の一員だから、あるいはその日は気分がよかったから。高く売りつけられたからといって買い手には文句を言う筋合いはない。もっとちゃんと売り手を喜ばせればよかったのだ。あるいは最初から、親族の売り手の所を襲えばよかったのだ。逆に買い手の方でもときには、同じ品物を多少高くても気に入った人から購入したりする。貨幣経済のもとでこれをたくみにやってのけるには相当の技量が必要であるに違いない。ドゥルマ人の商売人の多くは、このせいでその商売を長続きさせることができない。親族とのほとんどたかり同然の取引で、商売をたたまざるをえなくなる。もちろん、貨幣のもとではこうした些細なばらつきは全体の体系性にとって取るに足らないノイズにすぎないかもしれない。しかしこうした部分的自己撞着は、それ自体の中に「価値」という観念自体を破壊する要素を含んでいる。

深田淳太郎が報告するトーライ社会の例は、この点で興味深い。深田によるとこの社会ではニューギニアの現地通貨キナと並んで貝殻を加工して作られた現地貨幣タブも用いられている。タブはその特殊な儀式用用途や支払手段に加えて、商品売買の媒体としても用いられている。つまりタブでも普通に物を買うことができるのである。タブは一定量があつまるとロロイという巨大な輪の形にまとめられ、蓄蔵されて流通の場から姿を消すが、そのロロイが再びばらされタブが参加者に気前良くばら撒かれるのが葬式などの儀礼の場である。深田はこうした儀礼的集まりにおいて行われる小商い(出店のようなもの)において商品が同時にキナとタブで売られている(どちらの貨幣で購入することもできる)ことから、キナとタブそれぞれによる「価格」の奇妙な不一致に注目する。

表1:B村での葬式儀礼における商品の価格


	       タブでの価格     キナでの価格
アイスブロック  50パラタブ       0.2キナ
揚げ菓子        40パラタブ       0.2キナ
スナック菓子    80パラタブ       0.7キナ
アイスクリーム  100パラタブ      1.2キナ

「タブでの価格に注目すると、すぐにキナによる価格設定とタブによる価格設定が明らかにズレているということに気がつくだろう。例えば、キナでアイスクリームを買うときには1.2キナを支払わなければならない。これはアイスブロックを買うために支払う0.2キナの6倍の額に当たる。しかしながらタブでアイスクリームを買う場合の100パラタブという価格は、アイスブロックの50パラタブの2倍でしかない。この表にある四つのモノの交換比はキナで売買される場合とタブで売買される場合とで大きく異なっている。」

タブを貨幣とする場合と、キナを貨幣とする場合で、商品間の相互参照関係が違ってしまっているというのである。逆にこの商品どうしの関係から導き出されるタブとキナとの交換比つまり、相対的価値関係も、いわゆる両貨幣の公定レートともずれている。「この儀礼の場におけるスクラップ(スナック菓子)の取引においてタブが持っている(発揮している)購買力は、通常の交換レートと比して半分以下である」。深田は「つまりタブとキナの二つの貨幣はその価値体系が調整されずにズレたまま共存しているのである。」と結論付ける。

つづく

参考文献

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廣松渉 2001(1983)『物象化論の構図』岩波現代文庫 岩波書店

廣松渉 1980『弁証法の論理:弁証法における体系構成法』青土社

廣松渉 1974『資本論の哲学』評論社

廣松渉 1988『新哲学入門』岩波新書 岩波書店

廣松渉 1985『哲学入門一歩前』講談社現代新書 講談社

廣松渉 1972『世界の共同主観的存在構造』勁草書房

柄谷行人 1978『マルクスその可能性の中心』講談社

柄谷行人 2001『トランスクリティーク:カントとマルクス』批評空間

柄谷行人 1986『探求I』講談社

K・マルクス 1964 『経済学・哲学草稿』城塚登・田中吉六訳 岩波文庫 岩波書店

浜本満 1986 「異文化理解の戦略(1)、(2)〜ディンカ族の「神的なるもの」と「自己」の観念について」『福岡大学人文論叢』Vol.18(2) 381-407、Vol.18(3) 521-543

浜本満 1989a 「記号の有意味性:ソシュール言語学における意味の観念−−象徴性の一般理論へむけての試論」『福岡大学人文論叢』Vol.21(1) 1-33

浜本満 1989b「不幸の出来事:不幸の語りにおける『原因』と『非原因』」吉田禎吾編 『異文化の解読』 55-92 平河出版

浜本満 1989c「フィールドにおいて『わからない』ということ」『季刊人類学』Vol.20(3) 34-51

浜本満 1990「キマコとしての症状:ドゥルマ族における病気経験の階層性について」波平恵美子編 『病むことの文化』 36-66 海鳴社

浜本満・他 1991 『レヴィ=ストロース』(吉田禎吾・板橋作美と共著)清水書院

浜本満 1992「病気の表情」波平恵美子 『人類学と医療』(講座「人間と医療を考える」4) 70-93 弘文堂

浜本満 1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28

深田淳太郎 nd 「パプアニューギニア・トーライ社会における金と貝貨とモノの関係」(草稿)


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