キドゥルマと神秘的制裁

この論文は「妻を引き抜く方法(補充版)」の補遺です。そちらの方をまずお読み下さい。
html化 28/10/1997(original text 11/1994)
最終更新 30/11/1997

要旨

人類学は、その対象を西洋的自己にとっての文化的他者、文明に対する未開として、自らとは極端に異なっているかのような存在に仕立ててきたと、しばしば批判されている。これはたしかにある点で事実である。しかし単なる反省だけならサルにでもできるそうである。どのような仕方で、自らの対象を自分たちとは異なる存在として提示してきたのか、その語り口のどこに問題があったのかをきちんと押えておく必要がある。
それは対比の語り口であった。それは、対象をただ自分たちとは異なった存在として提示することではない。違いは、その異なり加減をはかる暗黙のうちに想定された共通の物差しの上で提示される。イヌとコーヒーカップは確かに違っているが、だからといってその違いについて語ろうという気には、あまりならない。なぜならそれらは違っているというよりは、そもそも比べ物にならないからである。違いを語る語り口は、つねに対比の語り口に絡みとられていく。違いについて語るといっても、たとえばイヌとネコとの違いのように、まず比べ物になる違いでないことには、話しにならないということになる。たしかにイヌとネコとは正反対だと主張することには意味があるが、イヌとコーヒーカップについて同じことを主張するとナンセンスになる。対比の語り口とは、他者の異性を、ある種の同質性の想定のもとにはじめて語るに足るものとする、そうした語り口である。
 これは問題の構図をやや複雑なものにする。ほんとうには異なっている部分で、同一性が主張され、その結果として、非現実的な異和性が造形されてしまうという構図が考えられるのである。そして人類学は、文化的他者、異なるシステムの理解を標榜している結果として、ますますこの構図にはまってしまいやすい。なぜならそこではあらゆる理解は一種の隠喩的な理解--あるものを別の何かによって置き換え、なぞらえる作業--をつうじてもたらされるからである。「文化の」というまでもなくあらゆる翻訳作業が、比喩的なプロセス以外のなにものでもない。ある言葉(現地の)を別の言葉(われわれの)に等置し、ある対象をなにかに見立て、ある現象を何かになぞらえている。こんなやり方で実は最終的には、相手が我々とはいかに違っているのかを明らかにしようというのであるから、話がやっかいになる。違うことを言うために、ずいぶん多くのものを同じだと主張せねばならないという訳である。
いうまでもなく比喩一般、とりわけ隠喩は、差異の存在をある意味で暗黙のうちに仮定した上で、その差異を無視しておこなわれるところの同一性の主張である。恋人を白鳥に喩える青年は、その恋人には羽毛も水掻きもないという事実をあからさまに無視した上で、あるいはわきまえたうえで同一性を主張している。しかし同じであることを主張する際の、この違いの無視--まるで一瞬の目くばせによってそれへの同意が勝ち取れてしまうかのような--が、場合によっては致命的なことになりうる。人類学的理解が、対象を現実以上に異なった存在に仕立ててしまい、その結果当の他者理解に失敗していることがあるとすれば、その失敗が実は違いの提示そのものにおいてよりは、同一性の措定の部分における失敗だったのではなかったかと問うてみる必要がある。
本論では、ケニア海岸部ミジケンダ・グループの一つドゥルマの人々が用いているキドゥルマという概念を検討することを通して、この問題を考えてみたい。この概念はこれまでの人類学で「神秘的制裁をともなう規範や禁忌」として論じられてきた種類の概念である。本論考では、神秘的制裁という概念が、実際には不適切な比喩をごまかすための概念に過ぎないことを示し、さらにこうした比喩の失敗を根本で動機づけていたものが、秩序を自然的な秩序と約束事にもとづいた社会的な秩序に2分する二項対立そのものであることを明らかにしたい。この二項対立がとらえそこなうのは、われわれの経験領域のかなりの部分が比喩的な語り口によって構造化されているという事実であり、キドゥルマはまさにこうした比喩的な秩序に対応する概念だったのである。人類学が、比喩的手法を自らの他者理解の中心手段としておりながら、経験領域を秩序として構造化する語り口自体の比喩性を一貫してとらえ損なっているとすれば、これはまさに皮肉な話なのである。

目次

  1. キドゥルマ--「ドゥルマのやり方」
  2. 規則と神秘的制裁
  3. 自然の秩序
  4. 規約と自然
  5. 結論
  6. 引用・参考文献

キドゥルマ--「ドゥルマのやり方」

夫による水甕の移動についての別稿でとりあげた禁止は、キドゥルマ(chiduruma)と呼ばれる一群の規則のひとつである。キドゥルマは、普通に直訳するとすれば文脈に応じて「ドゥルマのやり方」「ドゥルマ風」さらには「ドゥルマ語」などと訳すことができる。

キドゥルマは、特定の場面でなさねばならない行為と、それを行なう正しいやり方に関係している。文字通りそれは「ドゥルマのやり方」なのである。例えば、屋敷の誰かが死んだとき何がなされねばならないか、埋葬はいかに行ない、服喪をどのように過ごし、どのように普段の暮らしを再開するか、こうしたやり方のすべてではないが、人々によるととりわけ重要だとされる部分がキドゥルマと呼ばれている。すでに見たように、服喪の最終日には寡婦を「巣立ちさせ」ねばならず、さらにその後、「死を投げ棄て」なければならない。水浴びの帰りの寡婦に大声をあげて走り回らせる等々が巣立ちのやり方であり、ブッシュの地面の上で余所者と無言の性交をおこなうことが死を投げ棄てる方法である。キドゥルマは単に定まったやり方であるというだけではない。その行為、あるいは手続きがなされなかったり、間違ったふうになされたりすると、さまざまな災いをまねいてしまう。正しく「巣立ち」できなければ寡婦は発狂や全身の痒みに捕らえられるかもしれない。正しく「死を投げ棄て」なければ、屋敷から引き続き死者を出すことになるだろう。

反対に、禁止という形をとるキドゥルマもある。禁止は、してはならない行為のやり方、どんな風に振る舞うことがそのしてはいけない行為に当たるのかを述べたものである。例えば父と息子や兄弟を「まぜこぜにし(ku-tsanganya, ku-phitanya)」ないようにせねばならない。特定の関係に立つ二人が性関係をもつことがそれにあたる。子供を「追い越し(ku-chira)」てはならない。いろんな仕方で子供を「追い越す」ことはできるが、例えば妻の妊娠中に自分の妻以外の女性と性関係をもつことはその一つである。こうした禁止された行為をあえて行なってしまうと、同じように災いをまねいてしまう。「まぜこぜに」なった当事者たちや屋敷の人々は特徴的な病気に侵されるだろう。「追い越」された子供は、死にいたるほどに痩せ衰えるであろう。

災いとのこうした結び付きこそキドゥルマの特徴である。人々の言い方を用いるなら「キドゥルマは人を捕らえる(chiduruma chinagb'ira)」。「それぞれは小さい事だ。とるに足らない。でもそれは捕らえる。そうとも、それはそれは完璧に捕らえるんだよ。それでいて、一体それがどうやって捕えたのかは、けっしてわからない! Elani mautu madide madide, lakini ganagb'ira. Ee ganagb'ira tototo sana. Na kundamanya utu uno ugb'iradze!」こんな風に人々は違犯と災厄の結び付きを語る。その帰結は逃れようがなく、この点でキドゥルマは「過酷(chikali)」である。

 結果は長い時間を置いて現れるかもしれない。1998年にはこんな話が好んで語られていた。

 キナンゴ近くにMさんというカンバから移住してきた男がいるだろう。何年か前に息子を交通事故で失った。Mさんの息子が死んだとき、同じくカンバの友人が、「ここドゥルマでは、こうした不慮の事故による死はチェラ(chera)と呼ばれ、死体を屋敷に連れて帰ってはいけない。またその日のうちに埋葬して、夜を越し(kulazwa)てはならない。死体は(屋敷の墓地にではなく)道端に埋葬せねばならない」そうアドバイスした。Mさんは「いや、私はそうするまい。わが子が死んだのに家に連れて帰れないなんて。」こう言って忠告を無視した。何事もなく何年かが過ぎたが、なんとつい最近のことだ、彼の息子の一人がまた交通事故で死んだではないか。キドゥルマを無視すると、そのうちにまた同じ災いに見舞われることになる(undauyirwa chidzako)。今度もまたMさんは通常の埋葬を主張したが、結局おしとどめられ埋葬はチェラの死にふさわしいやり方で行われた。

この話はキドゥルマが、長い時間をおいても必ず人を捕らえること、ドゥルマ人以外の者すら捕らえることを示す例として、地域の人々の頭に刻み込まれたのである。人々はキドゥルマはたいへん「難しい(chifu)」とも言う。そのやり方にことごとく正しく従うことは至難の技である。

この論考で論じたいのは、キドゥルマと災いとのこうした結び付きの性格をどのように理解するべきかという問題である。人類学ではこの類いの事柄は通常、違犯に対する神秘的制約をともなう禁忌や規範の概念として処理されている。私は最初に、問題を違犯とそれに対する制裁という、一種の「法」の比喩によってとらえるこうした考え方が誤りであることを示したい。ついで、これとは全く逆の方向で、それを「自然の法則性」の認識になぞらえてみる可能性を検討し、これもまた不十分であることを示す。構成的規則の概念は、問題の結び付きを理解する上で有望な近似を提供しているように思えるが、この解決も同様に退けられるだろう。こうした紆余曲折を経て、私が明らかにしたいのは、自然と社会的規約という2項対立で問題をとらえようとする構図そのものに端的に不備があるという点である。この図式によると、秩序は自然の秩序でないとすれば、約束事にもとづいた規約的な秩序であるしかないということになるが、こうした硬直した割り切りは、われわれ自身の経験がどのような秩序として組織されているかを問う上ですら不十分である。別稿で示唆したように、われわれの経験のかなりの領域が、比喩的な語り口によって構造化された領域であるとするならば、その領域こそ自然と規約という二項対立を無効化するような種類の秩序の領域なのである。

規則と神秘的制約

キドゥルマを人々が従わねばならない規則の類として語ることは、けっしてそれほど不自然なことではない。げんに土地の人々の中にも、それらをスワヒリ語で「法」を意味するシェリア(sheria)という言葉によって説明してくれる者もいる。それは充分有効な比喩である。しかし規則の観念が--実際しばしば起ることなのであるが--何らかの明確な制裁によって裏打ちされた法規のようなものとして狭くとらえられてしまうとき、つまり「法」の比喩によって規則一般についての、次いでキドゥルマについての理解が絡みとられてしまうとき、一つの根本的な誤認が忍び込んでくる。

「キドゥルマを誤る(ku-kosera chiduruma)」と災厄におそわれる--「キドゥルマに捕まってしまう(ku-gb'irwa)」--という命題を、正しいきまった「ドゥルマのやり方」に従わなければ、望ましくない結果を得ると翻訳する限り、それはそれ自体としては別段なぞめいた主張とは言えない。料理にせよ、人との付き合い方にせよ、どんな行為であれ正しいやり方にそって行なわなければ、たいてい悲惨な結果を見ることになるのは、我々にとっても当たり前といえば当たり前なのである。もちろん何が正しいやり方だとされており、どんな災いが間違ったやり方を待ち受けているのかを問題にした途端、キドゥルマの多くはほとんどの日本人にとっては、再びわけのわからないものになってしまう。それはしかしまさに探究の出発点を提供する。

 しかし「キドゥルマを誤るとキドゥルマに捕らえられる」という主張が、規則を破るとあるいは法を犯すとその罰として災いに見舞われるのだと翻訳された途端に、上のようにより常識的な仕方で理解できたはずのものが、なにやら非合理めいた要素を含んだ命題に作り変えられてしまうことになる。規則や規範やタブーに対する違犯が災厄をもたらすという考え方は、人類学にとってはたしかにお馴染の考え方であり、どこかにそう信じている人々がいたと報告されたとしても人類学を学んだ者なら誰も驚かないだろう。ただし馴染み深いといっても、自分たち自身の考え方としてそれがありふれているという意味ではもちろんない。我々はけっしてそんな風には考えないという揺るぎない確信と隣り合わせである。つまり「規則違犯が災厄をもたらす」という考え方は、実にありふれているのであるが、それはあくまでも人類学的な他者に適用されるときにのみありふれている、あけすけに言えば、悪名高い「未開人」たちだったら、あるいは古代の人間だったら、あるいは辺境に暮す人々なら、もっていても不思議ではないとされる類の「非合理な」考え方の一つとして受容されてしまっているのである。対比的な語り口によって提示される極端な他者像の一部なのだ。

もしそうだとすればキドゥルマつまり「ドゥルマのやり方」という観念を「法」の比喩でとらえる理解をまず疑ってみなければならない。比喩的な理解がつねにそうであるように、それは似ている部分を強調するあまりに、似ていない部分を正当に評価することに失敗しているかもしれないのである。「法」の比喩による語り口の中では、「ドゥルマのやり方」を間違えることは「規則」に従わない行為、つまり「違犯行為」だということになるだろう。そうすると、過ちの結果もたらされるとされる災厄は、規則違犯に対する「制裁」であることになる。ここまでくるとさすがに、この語り口の隠喩性に気付かないわけにはいくまい。しかもそれはかなり無理のある喩えなのである。

そもそも「制裁」の概念は、それを課すエージェント--特定の人間であれ機関であれ、あるいは神や神霊のような超人間的エージェントであれ--の観念と切り離して考えることはできない。一方「ドゥルマのやり方」と災厄との結び付きに、祖霊であれ神であれ、なんらかのエージェントが持ち出されることは、私の知る限りない。前章でみたように両者の結び付きは、より直接的でまた論理的--比喩の論理ではあるが--であった。水甕を動かすことは「妻を引き抜く」行為であり、死の危険はこの「引き抜」かれたという事実の当然の結果なのだとされている。据えられていたものが引き抜かれると、無事ですまないのは当たり前ではないだろうか。ここに仮になんらかのエージェントを登場させたとしても、この結び付きの中で彼が果たすことのできる役割などなにもないであろう。

「制裁」は本来、規則に対する侵犯の事実に対して発動するものであり、そこでなされた行為の単なる帰結や、その行為の内容に対する反応などとは違うのだという点に注意しよう。交通法規に違反して反対車線を走った場合、警官に制止され規則違犯のかどで罰金を課せられることを制裁と呼ぶのは、ごく普通の用法である。警官が罰金を課すのは、その運転者のとった行為が、たとえば、危ない行為であるからといった理由ではなく--それが対向車のほとんどない深夜のことであってもやはり罰せられるのであるから--、それが法に対する違犯行為であるからである。この意味でそれは「制裁」なのである。一方、反対車線で他の車の流れに逆らってつっ走ったことがもとで事故を起こしその運転者が大怪我を負ったとしても、それはけっして「制裁」と呼ばれたりはしないだろう。「制裁」は違犯という事実に対応しているのであって、単に車の流れに逆らって走ったという行動そのものに対応している訳ではないのである。キドゥルマつまり「ドゥルマのやり方」と災厄との結び付きは、違犯に対する制裁の関係にというよりは、どちらかというと、反対車線を走った結果の事故のような、行為とその単なる結果との結び付きの方に、あきらかに近い。夫が「違犯」を犯したという事実が問題になっているのではなく、妻の死を導きかねない彼が行なってしまった行為(「妻を引き抜くこと」)そのものの危さが問題になっているのである。

人類学者が無造作に使い続けてきた用語の一つである「神秘的制裁」という言葉には、法や掟の比喩によって語り続けることに含まれるこの無理を、あっさり覆い隠してくれる便利さがたしかにある。おまけに人類学的な他者--「未開人」--は、もともと「神秘」になじみ深い存在として想像される傾向にあったので、この結び付きは実に自然なものになる(註1)。ラドクリフ・ブラウンは「守らなければならないというあらゆる規則には、そこに何らかの制裁すなわち理由がある」とし、道徳的・法的制裁と儀礼的・神秘的制裁を区別した上で、後者が「多くの単純社会において一般的である」とこともなげに述べている(ラドクリフ・ブラウン 1981:285)。1952年の話である。しかし今日でも、例えば松園はグシイにおける「既婚者間の姦通とそれに対する『超自然的な制裁』、その結果としての身体的症状」(松園 1993:35)について語り、また長島も「それに違犯すると当人あるいは関係者がなんらかの『神秘的制裁』を受けると考えられている『禁忌』」をテソの災因論における災因の一つに数えている(長島 1987:370)。それくらいわれわれ人類学者にとってありきたりの概念になっているのである。「神秘的」という修飾語が、「象徴的」などの言葉同様に実質的にはほとんど何も意味しない、限りなく無意味に近い修飾語であるという点に、ここでいまさら注意を促す必要があるだろうか。その修飾語は、ただ単に通常の意味での「制裁」について語ることが困難であるという理由から要請されているだけなのである。しかしそれのおかげで、こうした現象を、「法」という狭い意味で理解された規則の比喩で語るさいに生じているはずの齟齬が人類学的常識の外皮に覆い隠されてしまう。「ドゥルマのやり方」は神秘的な制裁に裏打ちされた掟や法の一種として、「未開人」にありがちな観念として、理解ずみのラベルが貼られた項目に収まってしまうことになる。事態がこんな風に進行するときは、たいていの場合、こちらの理解に誤りがあったと考えて間違いない。「ドゥルマのやり方」を法の比喩でとらえることは、やはり具合いが悪い。

さらに言うまでもなく、規則の違犯とそれに対する制裁の言葉で--「法」の比喩によって--語ることがより適切であるような諸規則も、「ドゥルマのやり方」とは別にちゃんと存在している。ケニア政府が課し警察によって維持されている法体系については言うまでもない。それ以外でも、例えば長老に支払わねばならない種々の罰金(kadzama, temo)という形の制裁は、キトゥミア(chitumia)と呼ばれる諸規則--年長者に対する正しい振る舞いや、集会の場での適切な発言などに関するものが含まれる--の違犯(ku-kosera chitumia)に対応している。この場合、違反者が規則によって「捕えられた」という語り方はされない。彼は「食べられ(ku-riwa)」たというのが、こうした主として罰金--かつては典型的にはヤギとヤシ酒からなっていた--という形で課せられる制裁に対する通常の語り口である。あるいは被害者による直接の制裁行使のさまざまな形態も知られている。例えば、盗みが禁じられた行為であることは誰でも知っている。それが露見するとひどい目に合わされることは盗みに対する制裁として、それほど比喩的な意味ではなく理解できる。「制裁」は、たとえば親族の原因不明の病気や死といった具合に一見して「神秘的」な災厄ですらありうる。盗みの被害者が、正体不明の盗人に対して一種の正当邪術であるキラボ(chirapho)と呼ばれる呪詛を行使することがあるからである。キラボは犯人を見つけだし、その母系親族に次々と死をもたらす。親族の不審な死に気付いた誰かが、占いで自分たちにキラボが打たれたという事実を突き止め、相応の賠償によって盗難の被害者にキラボを解除してもらうまでは。この場合も盗みを禁じている規則が人を捕らえたのだという風には語られない。盗人と彼の母系親族が被った災難は、盗みの代償を「支払(ku-ripha)」わされた--これには文字どおりの賠償の支払いの意味も含まれるが--という言い回しで語られる。

こうしたさまざまな事例のうち、何がどこまで法的な規則の比喩で正当に語りうるのかはもちろん一概には決定できないが、少なくとも「ドゥルマのやり方」に比べれば違犯や制裁という用語で語ることに、まだ無理がないように思えるこうした事例の存在は、ますます「ドゥルマのやり方」という観念の特異性、一連の「法」の比喩に対する不適合性を際立たせる。そこでは違犯と結果の結び付きの直接性が、制裁の概念の適用を無効にしてしまっているのである。

自然の秩序

 キドゥルマを、狭い意味でとらえられた「規則」の比喩で理解することに失敗したことは、我々をこうした人為的な「法」の観念とは正反対の領域へと向かわせるかもしれない。「ドゥルマのやり方」が人を捕らえるその仕方は、我々が通俗的な意味で「物理的な自然の法則性」として理解するような種類の出来事の結び付きに、むしろそれを喩えてみたい気にさせる。これも確かに規則に似てはいる。「自然の掟」などという比喩表現もある。

例えば、ビルの10階から飛び降りれば死ぬことは誰でも知っている。これに仮に「規則」の表現を与えてみる。すると我々が手にいれるのは「ドゥルマのやり方」にそっくりの「規則」である。いわく「ビルの10階から飛び降りてはならない。」そしてもしこの「規則」に違反して飛び降りたりすれば、たちどころに死んでしまうことになる。この「規則」に対する違反は「ドゥルマのやり方」に違犯した場合と同様に、何のエージェントの介入をともなうことなく、悲惨な結果を導く。しかしこの悲惨な結果をこの規則違犯に対する制裁として語ったりすれば実に滑稽なことになる。「どうしてこの『規則』を破ったら死ぬのか」という問いは、ほとんど無意味に近い。彼が死んでしまうのは別に規則を破ったことが理由で、規則違犯の罰としてではなく、単に10階から落ちたことの結果にすぎないからである。

 行為と結果との結びつきは、万有引力の存在、位置エネルギーが運動エネルギーに変換されること、空気抵抗と終端速度、地上に到達したときに生体に加わる力、などなどの自然の法則性に関係している。しかし重要なのは、この結び付きを理解する上で、それらすらまったく余分なものだという点である。べつに万有引力の物理法則などについて一切知らなくても、誰もビルの10階から飛び降りてみようなどとは思わないし、飛び降りたらどうなるかもわかっている。ここでは「なぜ10階から飛び降りたら死ぬのか」などという問いは、それに対して「世界はそんな風にできているのだ」とでも答えておけば充分であるような、誰もあらたまって問う気にならないような問いである。 「ドゥルマのやり方」の一例である水甕の移動についての禁止を検討した際にも、同様な自明性の岩盤に繰り返し突き当たらなかったであろうか。

 この類似は重要である。なぜなら問いの停止をもたらす私にとっての「世界はそんな風にできている」という答え、あるいは調査地でしばしば聞かされた「それがドゥルマのやり方なのだ」という類いの答えは、ともになんらかの自明な秩序のセンスを喚起する語りだからである。そもそも「そんな風にできている」というのは、どんな風にできていることなのだろうか。「世界は人がビルの10階から飛び降りたら死んでしまうようにできているのだ」という同語反復的な答え以上のものがそこにある。それこそは我々にとっての「物理的な自然の」世界が備えている「秩序」の姿に他ならない。「そんな風に」とは「どんな風に」なのかという問いに対する答えは、単一の同語反復的命題によってではなく「世界は、人がビルの10階から飛び降りれば死んでしまうように、そして水中で20分以上も息を止めていれば死んでしまうように、そして煮えたぎる油の中に手を突っ込めばやけどするように、等々...」という無数の命題の召喚の中に立ちあらわれてくる一つの秩序なのである(註2)。さまざまな「ドゥルマのやり方」が、そこに呼び出すのも同様な秩序の世界であるように見える。世界は「夫が妻を『引き抜いて』しまうと妻に死が訪れるように、寡婦が『巣立ち』しなければ発狂してしまうように、死を『投げ棄て』なければ引き続き屋敷に死が訪れるように等々...」という無数の(しかしもちろん、その数を特定することも、その内容を特定することもおそらくはできない)命題の総体が描き出すような形で、「そのように」できているのである。

 もちろんこちらの方向にアナロジーを押し進めすぎるのも、規則の比喩を貫徹させようとするのと同様に危険である。「ドゥルマのやり方」は、われわれの言う自然の法則性と同様な、人々にとっての自然な出来事の連関に規則の表現を与えただけのものだということになってしまう。言うまでもなくドゥルマにおいても、多くの出来事の連関は別に「ドゥルマのやり方」としては語られない。人は高いヤシの木から落ちると、やはり大怪我をしたり死んだりするのであるが、それは別に「ドゥルマのやり方」に捕らえられたからではないし、この原因と結果の結び付きが高いヤシの木から飛び降りてはならないなどという規則の表現を持っているわけでもない。規則がないせいで飛び降りる人が後を絶たないという訳でもない。

上の若干トリッキーな例において、ビルの10階から飛び降りると死ぬという事実のつながりの中では、実は、他ならぬ「ビルの10階から飛び降りてはならない」という規則の表現そのものが余計なものであったのだという事実を思い出そう。それはもちろん私が勝手に作って付け加えたものなのだ。そんな規則の表現があろうとあるまいと、人は「ビルの10階から飛び降りる」行為を遂行できるし、同じ死亡という結果を期待してよい。つまりここでは結び付けられる二つの事象--ビルの10階から飛び降りるという行為と死という出来事--はもともと、私がここで気紛れにそれに「規則」の表現を与えたという事実とはまったく無関係に存在している。しかし「ドゥルマのやり方」の場合は、はっきり事情が異なっている。そこでは規則の表現は、当の出来事の連関にとって、後から取って付けた余計なものであるどころか、構成的な一部である。例えば、屋敷の中で「妻を引き抜く」と彼女が死の危険にさらされることになるという連関は、特定の規則の表現とは独立には成立しえない。「妻を引き抜く」という行為を現実的な行為として存在させているのは、何をすることが妻を引き抜く行為に当たるのかを定義している当の禁止の規則--「水甕を動かしてはならない」という禁止--以外にないからである。この規則の表現を失ってしまうと、「妻を引き抜く」というという行為そのものがその具体性を失ってしまう。ちょうど一群の規則によって構成された野球というゲームがないところでは、三振や盗塁という行為そのものが存在せず、人がどんなにそれに似た動作を行なってもけっして三振したり盗塁してみせたりできないのと同じように、「ドゥルマのやり方」の中にいない我々が、たとえば日本でどんなに奇抜な行為をしてみせたところで「妻を引き抜く」ことにも「死を投げ棄てる」ことにもけっしてならない。行為概念自体が当の規則の存在を前提としている。規則の表現はけっして単なる余計な付け足しではなく、ここでの原因と結果の結び付きにとって不可欠の構成要素なのである。

規約と自然

「ドゥルマのやり方」において主張されている原因と結果の結び付きは、違犯と制裁の結び付きによりは、自然の法則におけるそれに近い。しかしそれは自らのもつ規則の表現を自らの不可欠の構成要素としている。人為的な法的規則の比喩で語ることと自然の法則になぞらえて理解することという両極端のどちらも、キドゥルマの性格をとらえそこなう。しかし言うまでもなく、この両極端のどちらかを選ばねばならないという選択が不幸だったのである。規則・違犯・制裁のワンセットからなる比喩を用いるとき、我々がイメージしている規則は、規則の中でも特殊な特定の部類に属する規則に過ぎない。

実は、違犯の効果、結果について語ることはできるが、制裁について語ることが的外れであるような、そんな規則の概念があることを、われわれはすでに知っていた。サールが構成的規則と呼ぶタイプの規則においては、制裁の概念自体があまり意味をなさない。たとえば結婚する際には婚姻届を出さねばならないという規則を破ることによって、どんな制裁があるというのであろう。また婚姻届を出す際にはしかるべき欄に署名し、しかるべきところに捺印し等々の決まりがあるが、それを破るといかなる制裁が加えられるだろう。特になんの処罰も罰金も制裁も加えられない。単に結婚できなかった、単に婚姻届を提出できなかったという結果になるだけのことである。このタイプの規則は、まさに規則自身によってそれぞれの行為、結婚する、婚姻届を出す等の行為を定義するものに他ならないからである。規則に違犯するということは、単に当の規則が定義しているところの行為を成立させないだけである。この結果を制裁と呼ぶことはできない。もちろん、こうした「規則違犯」は、特定の効果、結果をもちうる。規則に従いそこねたせいで結婚が成立しなかったことの結果として、二人は単なる内縁の夫婦として生活することになるし、二人の間にできた子供は「認知する」という特別な行為を行なわなければ、自動的には男の法的な子供とはならない、などなど。これも違犯に対する制裁とは言いがたい。それは結婚しなかったことの結果に過ぎない。こうした帰結が、規則に従わないことに偶有的に付随する結果の類--例えば交通法規を破って反対車線を走ることによって事故に遭うといった--ではなく、規則の違犯に内在的かつ直接的に結び付いていることに注意しよう。両者の結び付きの必然性は、ある意味で自然の法則の中の必然性よりも強度な必然性であるといえるかもしれない。ビルの10階から飛び降りて「奇跡的に」死なずにすむ場合を想像することは可能であるが、婚姻届を出さなかったのに「奇跡的に」結婚できていたなどという可能性を考えること自体が馬鹿げているからである。

すでに我々は「ドゥルマのやり方」の一つである水甕の移動に関する禁止を検討した際に、その禁止が構成的規則の部類に属するものであることを確認していた。構成的規則という概念によって、我々は「ドゥルマのやり方」の性格についての理解にたしかに近づいてきている。同様に、ドゥルマのやり方に従わなかった結果の災厄も、こうした構成的規則に従わないことに内在する帰結として理解できるということにはならないだろうか。しかしそこには無理がある。ここでも、規則の概念がいわゆる「自然」の法則性と厳然と区別されるような「約束ごと」の領域に属するものとして捉えられているという事実が障害となる。ビルの10階から落ちれば死ぬに「決まって」いるとはいっても、それはけっして取り決めによってそう決まっているわけではない。自然の秩序に属する事実の結び付きはこうしたものである。これに対して、構成的規則に従わないことがある帰結に結び付いているとすれば、その結び付きは上で見たように規約的、つまり取り決めによってそう「決まって」いるだけの結び付きである。婚姻届の所定欄に正しく記入しなければ、婚姻届を受理されず、結婚したことにならないというのは、そう取り決めてあるからである。サールの実にわかりやすいが問題がないわけではない言い方を援用するなら、ビルの10階からの転落と死亡との関係は、規則の有無とは無関係にそれ自体で存在する「生まの事実(brute facts)」のあいだの関係であり、それに対して後者の婚姻に関するものは「制度的事実(institutional facts)」--構成的規則の体系からなる「制度」の存在を前提としてはじめて意味をもつ事実--をめぐっての関係なのである。

この区別に立つとき、キドゥルマの位置付けは再び微妙な問題になってしまう。キドゥルマ、つまり「ドゥルマのやり方」に従わないこととその結果の災いとの結び付きは、規約的な事実の結び付きによりは、あきらかに自然の秩序--「生まの事実」が属する秩序--内部での出来事の結び付きに近い。夫が水甕を動かしてしまうことによって妻が死の危険にさらされるのは、あるいは巣立ちさせられないことによって寡婦が発狂する危険にさらされるのは、別にそうなるように取り決められているからではない。しかしその一方で、妻を「引き抜くこと」や寡婦を「巣立ちさせること」は、結婚すること、王手をかけること、ホームランを打つことなどと同様に、構成的規則の存在を前提とする「制度的事実」のようでもある。キドゥルマは二つのあい反する秩序の、ありえそうもない組み合わせを示しているかのように見える。

むしろ、以上の考察においてわれわれがくり返しそこに戻っていった自然と規約性、「生まの事実」と「制度的事実」を峻別する図式そのものが不適切であったのだという可能性を考えてみるべきではないだろうか。少なくともこの区別が、われわれがそう考えたがっているほど、絶対的でも普遍的でも、また大きな違いでもないかもしれないという可能性は、考えてみる必要がある。

実際「ドゥルマのやり方」の起源についての語りのあるものは、この区別に対する一種の無頓着さを示している。例えばある老人は、ドゥルマの起源に関する、あまりまじめにはとれない話しの中で、母と息子の性関係の禁止の起源に言及する。

 最初のドゥルマは一人の女性であったが、空から大きな土器の壺(nyungu)に乗って地上に降りてきた。彼女は唖で、半身が不具であり、その名を「イブ」と言った。やがて彼女は妊娠し一人の息子を産んだ。夫もいないのにどうやって産んだのかと人々がいぶかると、彼女は始めて口をきいた。これは私の血(damu、ただしこれはドゥルマ語ではなくスワヒリ語で「血」を意味する名詞)だけでできた子供なのだと。そして彼女はこの息子を「アダム(Adamu: 'a'はドゥルマ語の所有格を表わす接辞、したがって『血でできた』という意味になる)」と名付けた。アダムもまた半身が不具であった。やがてアダムは母イブと交わり、その結果、五体満足な娘が産まれた。しかしこの関係がもとでイブは死んでしまった。アダムはそれを見て、母と息子が関係をもつことがよくないことだと知った(註3)。

この話の主眼点が、アダムと血との語呂合せによる駄洒落と、それを通してのキリスト教神話の換骨奪胎にあることは明らかである。しかし、母と息子の性関係の禁止について言えば、アダムによってあたかも自然法則を発見するように見出されたとされている点に注意すべきだろう。まるで、ビルの十階から落ちると死ぬという事実がふとしたきっかけから発見されたとでもいった具合なのである。それは約束ごとに基づく規範としての規則の観念からは随分遠いところにある。

一方屋敷に持ち込まれたさまざまなものを「産む」手続きである儀礼的性交マトゥミアの「起源」についての、同様にちょっと奇妙な話は、その正反対の極を示している。ある老人によると、それはドゥルマの先祖の女ずきに端を発している。

その先祖はいつもいつも妻を求めていたのだが、あるときからうんざりした妻が彼を拒むようになってしまった。彼は別の男に相談し知恵を授けられた。新しい壺を買ってこい。そして妻に言いなさい。新しい壺を買ったのだからお前は私と性関係をもたねばならない。それがまんまと成功したことに味をしめた彼は、新しいヤギを手に入れた、新しく扉をつけたといっては、その都度それを口実に妻を求めるといった具合に、何かと口実を作っては彼女に性関係を強要したのであった(註4)。

「我々の先祖は悪戯者(mutu wa matata)だった」こんな風に締めくくって居合わせた人々と笑い転げる。基本的には滑稽話なのである。まるで儀礼的性交の手順は、ほとんど一人の男の恣意、気紛れから始まったのだといっているようなものである。それは極めて恣意的に定められたのだ。だからといって人々は、これらの手順がどうでもいい、守る必要のないものだと言っているわけではない。それどころかそれはドゥルマの屋敷運営の上でももっとも重要な手続きの一つであり、たとえ仮にこんな経緯で始まったと語られているようなものであっても、その手順に従わなければそれはやはり「人々を捕らえる」のである。

 これらの物語において「ドゥルマのやり方」は、一方では我々にとっての自然の法則のようにただ発見されており、他方では人間の手でまったくの気まぐれから正当な理由なく作り出されたことになっている。ドゥルマの規則には自然の法則性の認知にあたるものと、純然たる約束ごととして制定された規則とが混在しているのだなどと、とんちんかんなことを言い出してはいけない。この二つの話からは、単にこの違いが重大な違いとは考えられていないことがわかるだけである。規約と自然という対立がそれとして認知されていないだけではない。起源の問い自体が実に軽々しく扱われている。大部分の「ドゥルマのやり方」においては人々は起源などそもそも問題にしていないし(註5)、この二つの話にしてもそこで起源が本当に問題にされているわけではない。逆に、これらの起源話の眼目が、「ドゥルマのやり方」の背後にしかるべき理由などありはしないという事実を示す点にあるのではないかと思えるほどである。ちょうど海の水がなぜ塩辛いかを、停止させる手順を知らなかったせいで海底で塩を出し続けることになった石臼によって説明するあの我が国の昔話の説明--おそらく小さな子供ですら真に受けたりしないだろう説明--が、実際には真であろうと偽であろうとたいした問題でないのと同じように、ここでも実は起源などどうでもよいことなのである。海底で石臼が回っていようといまいと、げんに海の水は塩辛い。本当に先祖の気まぐれから始まったのであろうと、先祖による大発見に由来するものであろうと、げんにある種の性関係は当事者に災いをもたらし、マトゥミアの性交を怠れば、せっかく購入した家畜も生き永らえない。起源などどうであれ、世界はげんに「そんな風に」できてしまっている。むしろ重要なのはこうした秩序の存在の方なのである。

規約と自然の対立に無頓着な人々がいるという事実が、この対立そのものを否定するものでないことはもちろんである。「ドゥルマのやり方」の観念は、しかし、この対立自体の絶対性をも疑問視させる。それは、規約の秩序か自然の秩序か、あるいは生まの事実か制度的事実かといった割りきりを許さない、我々にとってもまんざら馴染みのないわけではない領域の存在に気付かせてくれる。あるいはとうに気付いていてもよかったはずなのである。レイコフとジョンソンが指摘しているように、我々のもつ経験領域のかなりの部分が、その比喩性にはほとんど気付かれないままに、構造的な比喩で語られている。こうした隠喩的な--しかしまったく隠喩的であるとは感じられていない--語り口を通してある行為が記述されているときには、それが「生まの事実」としての行為の記述であるのか、それとも「制度的事実」としてのそれなのかを問うこと自体がほとんど無意味になってしまう。同じ例ばかりで気が引けるが、ある男の振る舞いを評して彼が「時間を無駄使い」していると述べることは、「生まの事実」を記述したものだろうか、それとも「制度的事実」を記述したものであろうか。「四角い小さなマットに向かって走りよる」という記述と「走塁する」という記述を振り分けるようには、事は簡単にはいかない。「時間を無駄使い」すると「時間が足りなくなる」のは当たり前のことであるが、そうなるのは別にそうなるようにきめられているからではない。無駄使いすれば足りなくなるという関係そのものは規約以前の道理である。ビルの10階から飛び降りると死んでしまうというのと同じくらい、それは人為的な規約とは無縁な結び付きである。しかし「時間を無駄使いする」という行為そのものが、そもそも時間を使用したり消費したり節約したり出来る何かであるかのように眺める比喩的な観点が存在しないところでは、存在しえない行為なのである。ちょうど野球というゲームがなければ誰も「走塁する」という行為を行なえないように、こうした観点がなければ「時間」などというものは「無駄使い」しようがない。単に観点、物の見方だけの問題でもない。それはさまざまな行為を、時間と生産という観点で振り分ける--「時間を無駄使い」する行為とは、そうして分類された行為の一つの類である--独特の分類法をともなう、生活の特殊な体制化と切離す事が出来ない。その体制を生きていない人には「時間を無駄使い」するといっても、まるで意味をなさないだろう。たしかに時間は物ではないので使うといっても物を使うようには使ったり浪費したりできるわけはないのである。しかし我々はたしかに「時間を無駄使い」すれば、その結果として「時間が足りなくな」ってしまうことが当たり前であるような秩序を生きている。それはもちろん「自然」の秩序ではありえない。しかしそれは「規約」によってそうきめられた関係からなる秩序でもない。生と物の見方についての特定の制度化と切離す事の出来ないという意味で「制度的」である「時間を無駄使い」する行為は、「生まの」自然的事実が関係しあうようにその帰結とつながりあう。少なくとも、この関係においては、それは「ドゥルマのやり方」における秩序の性格とおおいに共通しているのである。

人が生きている秩序の世界を「自然」と「約束事」のいずれかに振り分けてしまえると考えることは、われわれ自身が生きている秩序のさまざまな領域に目を向けてみるだけで、すでにあまりにも単純すぎる見方であることに気づく。そこに疑いようのない「自然」の秩序と、あからさまに人為的な「規約」にもとづいた秩序という両極が認められること自体を否定することはできない。しかしその両極の間に、単にただそうなるようになっているという形で根拠を問うことなく受け入れ、あるいは単にただそうすることになっているという形で根拠を問われることなく実践しているという意味での、消極的な自然性と消極的な規約性によって特徴づけられる膨大な領域が横たわっている。別稿で水甕についての禁止を論じた際にその片鱗を垣間見た「比喩的秩序」、それと自覚されない比喩的な語り口によって構造化された経験領域が属しているのも、「自然」と「規約」の二項対立を拒むこの空間である。この二項対立がとらえそこない、歪めてしまっているのが、まさにこの「比喩的」に構築されている秩序なのである。

あるいはこうした形で問題を提示すること自体に、すでに誤りが忍び込んでいる。我々が生きている秩序を「約束事」でも「自然」でもないもの、二つ極の中間の領域などとしてとらえること自体が、逆にこの二項対立を客体化し前提とした語り口になってしまっているからである。あいかわらずこの同じ「自然」対「約束事」の二項対立で考えてしまうことになる。実際には、比喩的な語り口によって構造化されている秩序を主題化することは、この二項対立で思考することに無効を宣言することであるのに。この二項対立は、自分たちが生きている秩序をめぐる思惟の上にぎこちなく、しかし圧倒的な破壊力をもって行使された想像力の構図である。ここで私が試みようとしているのは、この想像力の構図によって逆に見えなくなり歪められてしまったもの--われわれ自身の生の条件ででもあったところのもの--を再び思索の対象として取り戻すことである。

 冒頭で示したように「ドゥルマのやり方」を単に文字どおりに「やり方」として、さまざまな実践の正しいきまった「やり方」として素直に理解しておいたなら、この二項対立の安易な適用による混乱と付き合わずにすんだのかもしれない。キドゥルマとは、そのやり方でやっていれば万事うまく行き、それに逆らって間違ったやり方でやったら、ろくな結果にならない、そうした「正しいやり方」のことに他ならない。これ自体は、実にわかりやすい話である。正しいやり方が決っている場合、料理の仕方にせよ、書類の書式にせよ、誠意の示し方にせよ、その正しいやり方からはずれると、ろくな結果にならないのは、われわれの社会でも同じことである。重要なのは、そうしたやり方がつねにある秩序--そのやり方でうまく行くようになっている秩序--を前提としているという事実の方である。こうした経路で秩序を主題化していくことは、例の二項対立に再び絡めとられてしまうことを避ける手立てになるかも知れない。「ドゥルマのやり方」が単なるレシピやマニュアル、あるいは役所に出す書類の書式を定めた法令集や道路交通法などと、どこか極端に違っているように見えるとすれば、それはそれが可視化させる秩序のもつ一見して特殊な性格のせいである。それはとりわけ露骨に「比喩的」に構築されたように我々には見える秩序なのである。「ドゥルマのやり方」は、それ自身の根拠をもはや問うことのできないこうした「秩序」の存在を踏まえており、またそうした秩序のセンスを喚起しつづけているように見える。しかしこの一見したところの特殊さが、単にそれを構成している比喩が、我々にとってあまりにも馴染みのない比喩であるというだけのことからくるのだという点に気付くことはさらに重要である。おそらく、われわれの秩序のかなりの部分にしても、それを共有していない人にとっては理解困難な比喩的な語り口によって構成されているのかもしれないのだ。しかしこの一見したところの特殊さのおかげで、「自然」対「約束事」の二項対立の想像力がわれわれに見せなくしてしまった部分を主題化すること、そしてそれを通じてこの二項対立を無力化することが、さしあたって可能になる。そこではわれわれ自身が全体的な秩序について想像する際の語り口である「自然」対「約束事」という図式は、ただ邪魔になるだけであることが判明するのであるから。

結論

人類学の具体的な課題がつねにそうであったように、ここでも実際に取り組まねばならない作業は、異なる社会空間--言説空間--を流れている語り口を理解するという作業である。ある語り口がどのような秩序を前提としているか、あるいはどのように経験領域を組織し、そして自らが前提としている秩序を不断に召喚し可視化しているかを明らかにすることであり、問題はそこでの特殊な語り口、構造的比喩をいかに正確に把握するかということである。それをつうじて「ドゥルマのやり方」が前提としまた可視化している秩序がどのようなものであるかを垣間見ることができるだろう。そして人々が「ドゥルマのやり方」の呼び起しと実践とをつうじて、それにどのようにかかわっているのかを考察すること、これが私の次の探求課題である。


註釈

註1)おそらく禁止規則をわざわざ「禁忌」や、さらには「タブー」と呼ぶ言い換えのなかにも、規則の比喩の適用におけるギャップを埋める同様な操作がみてとれるだろう。こうした「神秘」のコノテーションを付け加えることによって、比喩との不整合がカバーできるとでもいうかのようである。現実の差異は、こうしたコノテーションの差異として、解明されないまま覆い包まれてしまう。 (註2)そして我々の自然科学が、こうした無数の経験的命題の召喚の中に立ち現れて来る当の「秩序」そのものを一つの体系として記述しようとしているものであるという事実は、あらためて指摘するまでもないであろう。

註3)ドゥルマでしばしば語られる起源伝承のなかでもこの話はアダムやイブの登場によって、かなり変わった部類に属する話になっている。しかし、アダムやイブを除くと、基本的な語り口は共通している。別註 を参照のこと。なおここでは最初の女性をわれわれが知っている聖書の記述との対応が明らかになるように「イブ」としたが実際は「ハワ Hawa」と語られる。ハワはスワヒリ語訳聖書でイブの名前である。

註4)儀礼的性交の起源をめぐるこの語りは、最初 1987 年に、隣接するギリアマを調査した慶田氏から聞かされた。当時の彼の情報源から推して、酒飲みの戯れ言の類として余り重きを置いていなかったのだが、その後私の調査地でもくり返し聞くことになった。ドゥルマと同じ儀礼的性交の慣行をもつギリアマでも、同種の語りがなされているという事実は、これが必ずしも単に冗談好きの個々人の気の利いた創意の産物ではなく、この地域を流れる定型的な話のストックに属していることを物語っている。この話が出るときの雰囲気が、いつも冗談めいた雑談の場であるということはあるにしても。

註5)大部分の「ドゥルマのやり方」に関して言えば、起源の問題はそもそも語られない。あえて問うと、我々の祖先が「置いた」ものだという答えが返って来るだけである。まさに起源すら問題にならない「世界はそのようにできているのだ」の世界である。


引用・参考文献

浜本満 1997 「妻を引き抜く方法(補充版)」http://dzua.misc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/research/published/pottaboo3.html

Lakoff, G. & M. Johnson, 1980, Metaphors We Live By, Chicago: The University of Chicago Press

松園万亀雄 1993 「アマサンギアまたは性の共有--グシイにおける姦通と制裁」『性の民族誌』須藤健一・杉島敬志編、人文書院

長島信弘 1987 『死と病いの民族誌:ケニア・テソ族の災因論』岩波書店

ラドクリフ・ブラウン 1981 『未開社会における構造と機能』青柳まちこ訳、新泉社(originally Radcliffe-Brown, 1952, Structure and Function in Primitive Society, London: Cohen and West)

J・R・サール, 1986,『言語行為』坂本百大・土屋俊訳 勁草書房