ヴィトゲンシュタインの儀礼論:「金枝篇」についての所見における

html 化 06/1996
最終更新 14/05/1997

要旨

ヴィトゲンシュタインの「フレーザーの『金枝篇』についての所見」はまさにフレーザーというコンテキストにおいて読まれねばならない。そのとき、「所見」はそれが未開の呪術的慣行についてのフレーザーの見解に対する、その後の人類学がとったのとはまったく方向の異なる、徹底した批判、むしろその完全な裏返しであることが明らかになる。フレーザーが、儀礼的実践に特徴的な類似性や隣接性の、隠喩性や換喩性の観念連合の戯れに、まさに儀礼的実践を根拠づけるものという位置を与えた--それによると、儀礼的実践は類似性や隣接性といった観念の連合関係を因果関係と誤認するという誤ったものの考え方に基づいた実践であるということになる--のに対して、ヴィトゲンシュタインは儀礼的慣行の根源的無根拠性を対置する。人々は何らかの理論的根拠にもとづいて、それを行なうのではなく、ただ単にそうするようになっているのである。しかしそのとき、儀礼を特徴づける類似性や隣接性の連合の戯れは、当の行為を説明するものというよりは、むしろ説明されるべき謎としてたち現われてくるであろう。「所見」を構成する20年近い歳月を隔てて書かれた二つの部分に、儀礼の無根拠性とそれを彩る観念的連合の広がりという二つの問題系を確認するのが本論の目的である。

もくじ

  1. はじめに:フレーザーというコンテキスト
  2. 「所見」第一部
  3. 「所見」第二部
  4. 結語
  5. 註釈
  6. 参考文献


はじめに:フレーザーというコンテキスト

ヴィトゲンシュタインが何かまとまった考察を儀礼に関して行なっているわけではない。彼の儀礼論ということで私が念頭に置いているのは、「フレーザーの『金枝篇』についての所見 Remarks on Frazer's Golden Bough」(Wittgenstein,L.,1979 以下『所見』と省略)である(註1)。これは、二つの時期にわたって、彼がフレーザーの『金枝篇』について、読書メモのような形で残したコメンタリーを集めたものであり、そこに見られる見解の多くは、個々の問題に対するヴィトゲンシュタインの最終的な判断を示したものというよりは、フレーザーの見解に対する即興的な異論・反論に近い。その性格上、なんらかの首尾一貫した儀礼論を期待すると、多くを望み過ぎることになる。かといって、そこに表明された、部分的には必ずしも互いに噛み合わない彼の見解の中から、自分にとって都合の良いものだけを取りだせば良い、と言うわけでもあるまい。方針が必要である。

人類学者では、メアリ・ダグラスの短評を別にすれば(Douglas, M.,1978)、ニーダム(Needham,R., 1985:149-177)とタンバイア(Tambiah,J.,1990:54-64)がそれに関してまとまった論評を行なっている。残念ながら、両者の論評にはそれぞれバイアスがある。タンバイアの場合は、表明されたヴィトゲンシュタインの見解の中に、人類学の後の展開が見いだすであろうものを読み取ろうとする彼の意図によって。ニーダムの場合はさらに深刻である。彼にとってヴィトゲンシュタインはニーダム自身の多配列分類の理論の源泉以上の意味をめったに与えられることがなく、ここでもヴィトゲンシュタインはその角度から切り刻まれている。さらにニーダムは儀礼を象徴的行為と同一視することを全く疑っていないので、ヴィトゲンシュタインの見解をすべて「象徴的行為」についての陳述であると考えてしまっている(註2)。実際にはヴィトゲンシュタインは自分が象徴的行為の特性について論じているなどと一言も言っていないにも関わらず。

言うまでもないことだが、ヴィトゲンシュタインのこのテキストを扱う唯一正しい方法は、それを当初のコンテキスト、つまりフレーザーの『金枝篇』との対決において考察することであったはずである。ヴィトゲンシュタインはこれら一連のコメンタリを『金枝篇』のさまざまな箇所で展開されているそれぞれの議論に対するいらだちと軽蔑から書いている。したがってそれを正しく評価するためには、フレーザーの議論が何であり、そのどの部分にヴィトゲンシュタインが反応しているのかを正確に押さえる必要がある。タンバイアとニーダムの論評の、もう一つの欠陥はここにある。彼らにとってフレーザーは、その議論を改めて正確に評価する作業が全くの時間の無駄ですらあるような、時代遅れで、すでに精算済みの存在でしかないからである。フレーザーに対するこの軽視は、それがあまりにも当然のことのように扱われているがゆえに、いっそう徴候的である。後の人類学における、儀礼を象徴的行為、表現行為、コミュニケーション行為などと捉える見方が、目を背けようとし、またそれにほぼ成功してきた一つの事実を、フレーザーの呪術=儀礼論は人類学者にたえず思い出させる。つまり呪術、あるいは儀礼が、なんらかの実際的な効果の期待と結び付いた、または現実的な変化に必然的に伴わなければならない「実効的な実践行為」でもあるという事実である。これを、結局それらの慣行が「誤謬」であると認めることなしに、受け入れることは多くの人類学者にとっては難しいことであったに違いない。彼らは、もちろんそれらの儀礼に何の実際的な効果もないことを「知っている」からだ。それらは実際にはけっして雨を降らせる効果などもっていないし、あるいは多産をもたらす効力もない。しかし、まさにこれこそがフレーザーの全議論がそこに収束していく点ではなかっただろうか。人類学者にとってのかくも豊かな研究対象を、単なる「愚かさ」の産物にしてしまうこと、これこそフレーザー以降の人類学者には到底受け入れることのできないことだった。しかもそれは呪術=儀礼を実効的な実践とみる限りは避けられないように思えた結論でもあった(註3)。実際には、人類学者がフレーザーを忘却のかなたに遠ざけることといっしょに忘れてしまいたかったのは、この事実だったのである。

もちろん必要だったのは、忘れ去ることによってそこから目を背けることではなく、フレーザーの議論に正面から対応することであった。ヴィトゲンシュタインは少なくともそれを行おうとしている。冒頭近くで彼は述べている。「私は懐疑の水の中に何度となく潜り込まねばならない。人類がもってきた呪術的あるいは宗教的ものの見方についてのフレーザーの説明は、とても満足できるものではない。それはこれらのものの見方を『誤謬』に見せてしまう...最終的に、これらの慣行すべてが、いわば、愚かさの生んださまざまな作品として提示されてしまうとは驚くべきことだ。しかし人類がそれらすべてをまったくの愚かさからなしているなどというのは、とてもありえそうにない話である。」(Wittgenstein 1979:61)ヴィトゲンシュタインが標的にしたのは、人類学者たちとまさに同じく、フレーザーの議論が収斂していくこの地点であった。しかしヴィトゲンシュタインは、人類学者がそうしたように儀礼や呪術をそれらが本来そうでないもの--表現行為--に読み替えることによってこの問題を回避するかわりに、まさにそれらの行為の実践としての側面に向かっていくのである。彼にとって、あるいは彼が『所見』を書きとめていた時点では、フレーザーとその提起する問題は、未だ軽々しく回避できるものにはなっていなかった。この点を踏まえていない『所見』の読みは、いずれも不十分なものとなる。

先に進む前に、フレーザーの議論の核になる二つのポイントを確認しておきたい。一つはすでに述べたように、呪術あるいは儀礼が、なんらかの現実的な効果をもつ、あるいは現実的な変化の不可欠な一部をなす実効的な行為として実践されているのだという点である。そしてもう一点は--こちらの方はほとんどの人類学者がフレーザーに対する賞賛を惜しまない点なのだが--呪術あるいは儀礼的行為が類似性と隣接性という観念連合の、あるいは表象が互いに意味的に関係づけられる際の、二つの原則に基づいて構成されているという点である(註4)。この二つのポイントが接合され、呪術・儀礼的実践の前者の側面が後者を根拠にしていると主張されるとき、しかしながらそこに現れるのは一つの「誤謬」であるということになる。儀礼的実践の根拠である観念の連合は、それらが表す出来事どうしの因果関係とは無縁なものであり、儀礼的実践に課せられた目的に対しては何の力ももたないものなのだから。

「呪術の致命的欠陥は、法則によって決定される現象の因果的連鎖についての全体的な想定のうちに存するのではなくて、その因果的連鎖を支配するところの特殊な法則の性質に関する全体的誤認のうちにある。これまでにわれわれの検討をうけたところの、そして適切な研究資料であると思われる共感呪術の実例を分析してみるに、それらはことごとく私がすでに述べたように思考の二大根本的法則、つまり類似にもとづく観念の連合と、空間と時間における観念の連合のいずれかの誤適用であることがわかる。」(フレーザー I:127-8(註5))

つまり呪術=儀礼的実践とは、観念連合の関係を因果関係と取り違えるという誤謬の上に成立した技術である、ということになる。

人類学者たちの多くが、儀礼を象徴的行為、表現的行為、コミュニケーション等などと捉え直すことによって、フレーザーの議論の第一のポイント--呪術=儀礼をある目的に向けての実効的行為ととらえる--を回避することに力を注いできたのに対し、ヴィトゲンシュタインは--例えば、タンバイアの読解に反して--この方向には実際にはほとんど議論を進めてはいない。『所見』中、彼がこの点に疑問を提出している唯一の箇所--人類学者にとってはなぜか最も有名な箇所になっている--は、降雨呪術に関するくだりである。

「多くの同様な例の中でもとりわけ、アフリカの雨乞い王について書かれていること。『雨期がやってくると』人々は彼に雨を降らせてくれるよう求めるというのである。しかしこれは、人々が彼に本当に雨を降らせる力があると信じてなどいないということを、むしろ意味している。さもなければ、人々はむしろ、一年のうちでも大地が『からからに乾き切った砂漠』と化している乾期にこそ、雨を降らせようとしてもいいはずだ。....さらに別の例。人々は、明け方近く、太陽がまさに昇ろうとするときにのみ、夜明けをもたらす儀式を執り行うのであって、けっして真夜中にそれを行なったりはしない。真夜中には、かれらは灯をともすだけである。」(Wittgenstein, 1979:71-72)

これは見かけほど強力な議論ではない。それは降雨儀礼に、いつ何時にでもというわけではなく「然るべき時期に」雨を降らせるという効果こそが期待されているのだ、という事実まで否定するものではない。そして実際に人々にとって重要なのは、まさに然るべき時期に--乾季のど真ん中などにではなく--正しく雨をもたらすことなのである。この議論は、単に、変化をもたらすことを目的としたこれらの儀礼が、我々が「技術」に対して(しばしば誤って)イメージしているような、目的となる変化に対する「外在的」な手段なのではなく、目指されている当の変化そのものの不可欠な一部分、それに「内在」する構成的要素なのだということを明らかにしてくれるだけである(註6)。こうした儀礼は、それがなくては当の変化そのものが不完全であるような、変化のプロセス自身の不可欠な一部として、それが目的とするものに対して構成的に参与あるいは参画するのである。しかし、やはりそれはその目的となる変化--降雨であれ、夜明けであれ--をもたらすためになされる行為であることには違いはない。

いずれにせよ、ヴィトゲンシュタインのこのラインでの議論は、『所見』の中で二度と反復されない。あるいはより正確を期すならば、もう一つの断片--これもタンバイアによって過大な重要性を与えられているが--をそれに関連づけて読むことも出来るかもしれない。

「あきらかに敵を殺すという目的で、敵の像にナイフを突き刺すこの同じ未開人が、また、けっして模像ではない実物の小屋を木で建造したり、巧みに本物の弓矢を制作したりする未開人でもあるのだ。」(Wittgenstein 1979:64)ここでは呪術的慣行が、正真正銘の「技術行為」を排除したりしないことが、つまり呪術が技術の代替物ではないことが端的に主張されている。呪術とは別に、技術は技術でちゃんと存在しているのである。しかし「技術」と同じものではないから、それは象徴的表現行為であるというのは、タンバイア自身の(拙速な)見解であって(Tambiah 1990:58-59)、ヴィトゲンシュタイン自身はそのようなことは言っていないし、この記述の中にもそうした主張を正当化するようなものは何もない。

あるいは、このリストに、上のくだりのやや後に登場する断章を加えてもよいかもしれない。

「願望を表象することは、そのこと自体で(eo ipso)、その実現を表象することである。けだし呪術は願望を表象にもたらす。つまりそれは願望を表現している。」(Wittgenstein 1979:64)たしかにここではヴィトゲンシュタインは呪術・儀礼が象徴・表現行為であるという見解にもっとも接近しているといえるかもしれない。

上の3つの断章を、つなぎ合わせてみせれば、もちろんそこに呪術・儀礼を「技術」とは別のものと、そしてまた象徴的行為とみなす議論をそこに看て取ることが出来なくもない。タンバイアがヴィトゲンシュタインのテキストを用いつつ我々を誘導していくのも、こうした道筋である。しかしこの読みが、後の人類学で常識的となった見方を背景にして始めて自然な読みとして成立するのだということを忘れてはならない。なによりも、『所見』自体の中で、この3つの断章は、それが出現する前後の文脈からは全く孤立した断片であり、とりわけ後の二つは、それぞれが1ないし2文からなる互いに脈絡のない断片がまとめられている箇所に登場しているという点は、重要である。つまりこの3つの断片は、ヴィトゲンシュタインがフレーザーの見解に向ける攻撃の本線からははずれた、雑多で萌芽的な考察群に属しているのである。『所見』を構成する断片が、『金枝篇』を読み進みつつその都度書かれた読書メモの性格を持っているという事実を思い出すことは大切である。

『所見』におけるヴィトゲンシュタインの議論の本筋は、ではどこに向けられていたのであろうか。おそらく17年以上を隔てて書き記された二つの部分を分けて考える必要があるだろう。1931年の6月19日の日付から数週間にわたって書き加えられた所見を中心にした(Luckhardt 1979:15)第一部をまず検討しよう。

『所見』第一部

「出口を求めて押し寄せ、かえって出口のところで身動きがとれなくなってしまい、出てこれない無数の考え!」(Wittgenstein 1979:63)という彼自身のいらだちにも見られるように、『所見』の第一部は、互いに連係のとれていない無数のアイディアの断片と、試行錯誤が特徴的である。議論は錯綜し、少しでも有望な枝道はまずたどってみるとでも言うかのように、枝別れする。呪術を、我々自身の内部にも見られる傾向性から理解しようという試み(66-67)や、今なら「文化の翻訳」の問題だとされるだろう問題への言及(68)も見られる。前述の3つの断章も、それぞれがそうした考察の一つである。

しかしその一方で、それに気付かずにいられるのが不思議に思えるほど、くどいくらいに反復されている二つの主題がある。一つは、呪術的・儀礼的行為を前にしての「説明」行為そのものの無効性という主題である。冒頭で彼は表明する。「ある慣行--例えば、祭司王の殺害--を説明しようと欲することそのものが、間違っているように私には思える。」(Wittgenstein 1979: 61)この主題は、第一部を通じて繰り返し変奏されていく。もう一つの主題は、より直接にフレーザーに対する攻撃に関係している。フレーザーが、呪術的・儀礼的慣行を、未開人がもつ、因果関係についての誤った理解がうみだした慣行だとしている点が、直接の攻撃目標なのであるが、ヴィトゲンシュタインはそもそもそれらの慣行が、なんらかの理解や物の見方に根拠を置いているということ自体を否定しようとするのである。「(フレーザーとは反対に、)その行為がなんらかの『見解 opinion』を根拠にしてなされてはいないという点こそが、未開人の特徴であると私は信じる」(Wittgenstein 1979:71)

第一の主題が、結局どこに落ち着くかは、そのいくつかの変奏を並べてみるとき明らかである。「私は説明しようという企てはたしかに間違っていると信じる。なぜならひとはただ知っていることだけを正しく、何も付け加えずに、つなぎ合わせればよいのであって、説明から得ようと思っている満足は、そこからおのずと得られるからである。そもそも、ここで我々を満足させるものは説明ではない。」(Wittgenstein 1979:63)「ここでは人はただ『記述』し、次のように言うことができるだけである:人間の生とはこのようなものなのだと。」(ibid.)「人は次のように言いたくなるだろう:しかじかの出来事が実際に起こっている。笑い給え。もしできるなら」(Wittgenstein 1979:64)

つまり儀礼的行為を前にしたとき、言えることは、そこでは人々はしかじかのことをなす、それがまさに人々が行なうことである、ということだけであって、そこからさらに進んで、それがいかなる根拠に基づいてそうなっているのかを説明することは出来ないというのである。いきなりこのようなことを主張されて理解せよと言われるほうが無理というものであろう。たしかに、この説明すると言う行為自体の無効性の主張は、それのみをとると理解困難である。しかしなぜ説明の企てが意味をなさないのかは、ヴィトゲンシュタインの第2の主題が少しずつ形を明確にしてくるにつれて、明らかになってくる。その理由は儀礼的行為が示すある特徴にある。第二の主題が、さまざまに屈折し、あちこちさまよいながら展開していくさまを追ってみよう。

「いかなる『見解 opinion』も宗教的象徴 religious symbolを根拠付けたりはしない。そして見解だけが間違いを含むこともできるのである」(64)こんなふうに第2の主題は最初に、そしていくぶん唐突に提示される。いらぬ誤解が生じないように、ここで用いられている象徴という言葉が、この直前のパラグラフで儀礼 ceremony とほとんど同義で用いられているという事実を指摘しておこう。この第二主題の提示は、ただちに実例によって補われる。

「像を燃やすこと。恋人の写真にキスをすること。後者が、そうすることがその写真があらわしている対象になんらかの特定の影響を及ぼすだろう、などという信仰に基づいたものでないことは、明らかである。それは満足を目指しており、それを手に入れる。いや、むしろそれは何も目指してなどいない。我々はただこんな風に振る舞うのだ。そしてそのことで満足する。」(ibid)タンバイアのように、ここに儀礼を表出行為とみる見方を読み取る(Tambiah op.cit.: 58)のは筋違いであるし、ニーダムのように恋人の写真にキスをしても満足するとは限らずかえってフラストレーションを感じるかもしれないなどと揚げ足をとる(Needham op.cit.:172)のは、悪い冗談にもならない。ヴィトゲンシュタインはここで心理的機能によって、この特定の行為を説明しようなどとしているのではない。むしろその正反対だ。この行為が、その背後にあるかもしれない「信仰」(そしてこの場合は明らかにそんなものはありはしない)によっても、それによって得られるであろう心理的満足によっても説明できない(「それは何も目指してなどいない」)という点が重要なのである。我々はただそんな風に振る舞うようになっている、というだけなのである。その行動を、何かに基づいた行為として示すことはできない。

同様な例。

「何かに猛烈に腹が立っているとき、私は地面や樹木を杖で殴りつけることがある。しかし私が、地面に責任があるとか、殴りつけることで何かが得られるとか信じているわけでないことは確かである。『私は怒りのはけ口を見出している』。すべての儀礼は、この種のことだ。こうした行動は本能行動と呼べるかもしれない。ここでは歴史的な説明--例えば、私が、あるいは私の祖先が地面を殴ることで何かが得られるとかつて信じていたのだなどという説明は、まったくの独り相撲である。『何も』説明しない余分な想定にすぎないからである。その行為と罰を与える行為との類似性は重要である。しかし、似ているという以上のことは何も主張し得ない。」(72)タンバイアが、ここにも儀礼=表出行為論を見て取ることは当然予想できる(Tambiah op.cit.:56)。しかし、それくらいならもっと文字どおりに、ここではすべての儀礼は本能行動だと主張されているのだとした方が、まだ素直である。もちろんヴィトゲンシュタインが本気でそんなことを主張しているなどと考えてはならない。ここで「本能的」というのは、無根拠というのとほとんど同義である。つまりこの行為が他の何か、歴史的経緯や信仰やらによって根拠づけることができないということ、それが何の根拠も説明も持ち得ないこと、にもかかわらずそれがただそう振る舞われてしまうということ、それがここでの「本能的」の意味なのである。あからさまな懲罰行為との類似性ですら、この慣行の根拠にはなり得ない。この類似性のゆえに私がそう振る舞っているのだ、とはけっして言えないからである。

とは言うものの、この二つの例が決定的なものであるどころか、むしろ誤解を招きやすいものであることも確かである。それはタンバイアの読みを許すし、ニーダムの誤解--ヴィトゲンシュタインが儀礼を共通の「感情」によって説明しようとしているという--も可能にする。この例では、これらの行為はなんらかの感情をその根拠として持っているのだと主張されうる。ヴィトゲンシュタイン自身その方向に引っ張られていると思える節もある。しかし次の例では、もはやその懸念は無用である。フレーザーが紹介するブルガリアとボスニアのトルコ人のあいだで見られる養子慣行について。

「仮に子供を養子にする手続きが、母親がその子供を自分の着衣の下から引っぱり出して見せるといったやり方で行われるとしても、だからといって、そこに錯誤があるとか、彼女はその子供が実際にうまれてきたのだと信じているのだとか、考えるのは正気の沙汰ではない。」(65)この慣行は、そうすればその子が実際に自分の子供として生まれてくるのだなどという理論(そしてもしそんな理論があるとすれば、まさしくそれは「誤った」理論であるということになろう)に基づいているわけではないし、そんなことを人々が信じる訳もない。また、既に出たヴィトゲンシュタインの語り口を借りれば、その行為と出産の行為との類似性は否定しようがないが、似ているという以上のことが主張できる訳ではない。その行為が出産に似ているという理由がその子を正しく養子にするわけではない。それならもっとリアルに出産を演出すればするほどよいということになってしまうだろう。それは馬鹿げている。さらにこの場合は、それがその子供をまさに自分の子供にしたいという彼女の感情あるいは願望の表出だなどというのも、ましてやそれが本能行動だというのも、まったく馬鹿げている。

ヴィトゲンシュタインはこのように、呪術的・儀礼的慣行が、それを根拠づける誤った理論を背景にしているというフレーザーの見解を徹底的に退けていく。「物事や事の成り行きについての誤った、あるいは単純過ぎる考え方に基づいた操作と、呪術的操作とは別物である」(65)と彼は指摘する。確かに、アスピリンが便秘に効くという誤った理論を信じて治療を行っている医師がいたとしても、我々は彼が呪術的治療をおこなっているなどとはまず言うまい。しかしヴィトゲンシュタインが主張しているのは、単に呪術的慣行が誤った理論に基づいたものではないということだけではない。いかなる理論にも、どのような根拠にも基づいていないということなのである。「むしろ、儀礼的行為を特徴づけるものは、いかなる意味においても、真であれ、僞であれ、なんらかの物の見方や見解ではない。」慣行の理論的無根拠性こそ彼がここで見ているものである。それが誰の目にも明らかになるのは、彼が次のような操作を提案するときである。

「フレーザーの説明がいかに迷妄かを見るためには、思うに、自分自身で未開の慣行をいとも簡単に発明出来るという事実に気付きさえすればよい。それらが実際にどこかで見いだされなかったしても、それは単に偶然の事実であろう。」(65)ヴィトゲンシュタインは、こうした慣行がとる形態の「すべての可能性」(ibid.)を考え付くことが出来ると本気で考えているのかどうかはおおいに疑わしいが、ニーダムの言うように(Needham op.cit.:162-163)もしそうだとすると、それは問題の多い主張である。しかしここでは、その考察の結果だけを見れば充分だろう。「例えば、部族の王が誰の目にも触れないようにされている場合を容易に想像することができる。しかしまた、部族の全員が彼を見なければならないとされている場合も想像できる。....誰も彼に触れてはならないとされている場合もあろうし、誰もが彼に触れねばならないとされている場合もあるかもしれない。シューベルトの死後、彼の兄弟が彼の楽譜の一部を小片に切り刻み、数小節からなるそれぞれの小片を彼の身近な弟子たちに与えたことを思いだそう。この行為は、敬愛のしるしとして、我々にも理解可能であるが、楽譜が一切誰の手にも触れないように保存されたとしても、同じようにして理解可能であろう。さらにもしシューベルトの兄弟が楽譜を焼いてしまったとしても、それすら敬愛のしるしとして理解しようと思えばできる。」(66)正反対の行為すらが、等価である。何をしてもいっしょだということなのだろうか?もちろん、それが何であれ、無造作に偶然そうなっているというのではいけない。それは、そうすべきものとしてそうされているのでなければならないだろう。「(王が部族の全員の人目に触れるという場合)そうなることが、多かれ少なかれ偶然に任されてたまたま起こるというのではいけない。王は人々に『展示』されるであろう。」(ibid.)「儀礼的ということ(熱いあるいは冷たい)」は「無造作(なまぬるい)」にこそ対立するのである(ibid.)(註7)。しかし、それが単に無造作で偶然にまかされているという場合を除けば、つまりそれが決められてそうなっているといえる限りは、そこでは事実上何をしても--正反対のことをしてすら--違いはないのだという点こそ、儀礼的行為の驚くべき真実なのである。それが特定の仕方でなされること、そのこと自体には、根拠などありはしない。現にある社会では王は人々の目から一切隠されているかも知れない。しかし、別にそうである必要はなかった。その正反対のことでもよかったというのであるから。ヴィトゲンシュタインが、フレーザーとの対決の中で見いだしたのは、儀礼的慣行のこの原理的「無根拠性」だったのである。

何がこうした儀礼的扱いの対象になるかという点に考察を進めても、彼が最終的にたどり着くのは同様な結論である。火が人間の心に訴えるところがあるという考察の後に、ただちに続けて彼は付け加える。「火が誰の心にも訴えるに違いないなどと言うつもりはない。火にせよ、他のどんな出来事にせよ、同じことである。ある人の心にはあるものが訴えかけ、別の人には別のものが訴えかけるだろう。なぜなら、いかなる現象もそれ自体で特に神秘的であったりはしないし、逆に、どんな出来事でも我々にとって神秘的になりうるからである。」(67)あるものがある人々にとって儀礼的扱いの対象になっているとしても、なぜそれでなければならなかったのか、なぜそうでなければならなかったのかの理由など、存在しないことになる。原理的に別の何かでもありえたはずなのだから。これは、別の断章における次のような議論にも響きあう。「ある民族に樫の木を崇拝するように仕向けたものは(フレーザーが主張するような)つまらない理由ではなかった。いや実際にはどんなものにせよ、理由などありえなかった。単に、彼らと樫の木が生の共同性の中で結び付いているという事実があるだけだ。」(73)

ヴィトゲンシュタインがフレーザーとの対決の中で見いだしたのが、呪術的・儀礼的慣行のこうした原理的無根拠性であったのだとすれば、『所見』第一部における第一主題の意味も明確になる。それが無根拠なのであるなら、儀礼的行為を「説明」しようとすること、なぜしかじかの行為がしかじかのやり方で行なわれねばならないのかという理由を明らかにしようとすることは、愚かしい企てになる。そこには理由などもともとないのだから。かくして人はただ記述し、次のように言うことしか出来ないことになる。「人間の生とはこのようなものなのだ」と。ある社会で雨を降らせるやり方が、子供を養子にするやり方が、死者に敬愛の念を示すやり方が、なぜしかじかであるのかを、その根拠を示すことによって説明しようとしても無駄である。そんな根拠などないのだから。ただその社会では人々はしかじかのやり方で雨を降らそうとし、子供を養子にし、死者に敬意を示すなどなどと記述することができるだけである。そうした全体が、そこでの人々の生のかたちなのである。

もちろんこれは『所見』のなかでのヴィトゲンシュタインの議論を逆回しにして見せたものである。実際にはヴィトゲンシュタインはフレーザーの議論に対する違和感の中に、儀礼を「説明」するという作業自体の無意味さを感じ取り、それを儀礼の原理的無根拠性の事実の中に確認したのである。呪術的・儀礼的慣行が原理的無根拠性によって特徴づけられるというのもまた転倒した言い方である。実際には、ある行為の中に、こうした無根拠性を見出したとき、その行為は呪術的・儀礼的にみえてくるのだ。そしてある瞬間、ヴィトゲンシュタインには人間のほとんどの行為が儀礼的に見えている。「人間とは儀礼的な動物 ceremonial animal だと言い切ってもいいくらいである。たしかにそう言うことは、部分的には間違っているし、部分的にはナンセンスでもある。しかしどこか正しいところもある。つまり、人類学についての本をこんな風に書き始めることもできるだろう。世界中の人間の生き方や行動を調べていくと、食物の摂取等々のいわゆる動物的活動を別にすると、人間はある奇妙な性格をおびた活動を行っていることがわかる。それらは儀礼的行為と呼びうるものである、と。」そして、無根拠性こそがその活動の「奇妙な性格」なのである。

『所見』第二部

『所見』の第一部が呪術・儀礼的行為の無根拠性の認識を基調にしているとするならば、そのかなり後(その多くは17年後の1948年に記されたものであるとされている(Luckhardt 1979:15))に再び書き留められたコメンタリー群である『所見』の第二部では、その正反対のことが論じられているようにも一見思われる。あいにく議論は明確な結論を指し示すには至っておらず、したがって、それについての私の論評も限定的なものにならざるをえないが、私が注目したいのは第一部における議論とのこの対比である。

第二部の中心をなす議論はベルテーンの火祭についての議論である。それについてのフレーザーの記述を参考までに示しておく。

「...宴の司会役をつとめる人物が卵で焼いて端を円く扇形に切った菓子をつくる。これは ambonnach beal-tine ベルテーン祭の菓子と呼ばれるものである。この菓子を数々に切り分けて、景気よく仲間の者たちに配る。その中には特別な一切れがあって、それを取った者は Cailleach beal-tine --ベルテーン祭のカールリンと呼ばれる。これは大変な侮辱の言葉である。その者が決まると、仲間の者たちが引き捉えて火で焼く所作をする。....この祭礼が人々の記憶にまだ新しい間、彼らはベルテーン祭のカールリンを死んだ者として扱うふりをするのである。」(フレーザー IV:253-4)

ヴィトゲンシュタインはこの事例を前にして、幾分唐突に儀礼の「奥行き depth」について語り始める。「この慣行に奥行きを与えているものが、その慣行と人間を焼くこととのあいだのつながりであることは今や明らかである」(75)問題になっているのは類似性--この火祭りは人身供犠を髣髴とさせる--である。しかし『所見』の第一部では、彼はこの種の類似性を正面から論じることをむしろ退けていたのではなかっただろうか。「その行為と罰を与える行為との類似性は重要である。しかし、似ているという以上のことは何も主張し得ない。」(72)と彼は書いていた。東欧での養子の慣行においても、そこでの所作と出産との類似性によってその慣行を説明することは、却下されていた。かつて却下されたこの同じ問題が、第二部では今度は中心的なテーマとして論じられることになるのである。

もちろんヴィトゲンシュタインにとって問題は、類似性の問題そのものというよりは当初は、儀礼のこの「奥行き」が正確には何に由来するのかをまず見定めることであった。彼が「奥行き」とか、この火祭りの「忌まわしさ the sinister」(ほとんど「奥行き」と互換的に用いられている)といった、この儀礼が彼に与えるどちらかというと主観的な印象を梃子にして考察を進めてしまったのは、結果としては不幸であったといえる。ともあれ、彼の議論をざっと追ってみよう。

彼はこの祭りの「忌まわしさ」が、その祭りが今行われるその姿そのものに備わっているのか、それとも、それが人身供犠に由来するという「起源の仮説」が証明されて始めてそれが忌まわしいものになるのかと自問することからはじめている。もし仮にこの火祭りの起源が、単に一人のボタン作り職人の誕生日を記念するためにケーキを作ったのが始まりだと判明したらどうだろう、と彼は問う。途端に、「この慣行は、実際、そのすべての『奥行き』を失ってしまうだろう」(76)。とするとやはりその祭りの起源が、実際に古代の人身供犠であったという事実によって、この奥行きは保証されているのであろうか。むしろヴィトゲンシュタインは、それが仮にボタン職人の誕生日を記念するものとして始まったという事実があったとしても、その現在の慣行にはそれとは別の起源、「先史的な起源」(ibid.)を確信させるものがあると指摘する。そしてこの根拠のない確信は、あきらかに歴史的な証拠から来るものではないので、それが現に行われている姿に由来するものであるはずである。

また逆のことも考えられる。たとえ実際にそれが古代の忌まわしい人身供犠に起源を持っていたとしても、もしそれが今日単に子供達のケーキ作り競技というかたちでしか残っていないとすれば、その今日の姿に誰も忌まわしい奥行きを見て取ることはできまい(ibid.)。

こうした行きつ戻りつの末、ヴィトゲンシュタインは次のように結論する。「この奥行き、忌まわしさは、この慣行の歴史が実際こうであったということには依存しない。というのはおそらく実際はぜんぜんそうじゃなかったということもあり得るからである。あるいは、たぶん、恐らくこうであったかもしれないという蓋然性にも依存していない。そうではなく、それは、こういったことを想定させる根拠を私に与えてくれるものにこそ依存しているのである。」(77)その祭に奥行きを与えているのは、その祭りの現在の慣行の姿自体の中に内在している何かであり、それは、事実そうであったか否かには関わりなく、人にその慣行の起源についての想定を抱かせるような何かである。それは何だったのだろうか。

別にもったいぶる必要はない。答えは最初から明らかであったのかもしれない。それは第二部において再び議論の中に裏口から持ち込まれた、儀礼慣行の中に見てとられる「類似性」の現象にほかならない。「ある特定の日に子供たちが藁人形を焼くという事実だけでも、たとえそれについてのいかなる説明も与えられなかったとしても、私たちは不安になりうる。」とヴィトゲンシュタインは書く。人を焼くこととの疑いようのない類似性が見て取られるからである。充分な結論にこそ至りはしないものの、この第二部において主題化されているのは、第一部で儀礼的慣行の根拠としてはいったん退けられた--フレーザーがまさに儀礼的慣行の根本原理であると考えた--類似性や隣接性の連合的諸連関であると言っても、おそらくそう誤ってはいないだろう。ベルテーンの火祭についての考察に先立つパラグラフでヴィトゲンシュタインはこう書いていた。

「これらすべての慣行において、人はもちろん観念の連合に類似した、そしてそれと関係のある何かを見いだす。慣行の連合と言ったものについて語ってもよいくらいである。」(74)

勘違いしないようにしよう。こうした連合、例えば「類似」が何かを説明するのではない。その可能性は、すでに第一部において却下されている。そうではなく「類似性」はむしろ「問題」として提起されているのだ。似ていることの意味が問われているのである。

しかし第二部の考察においては、ヴィトゲンシュタインは彼が捉えている現象の性格を誤認する方向へと絶えずずれていっているように思える。儀礼的慣行--例えばベルテーンの火祭--は、それ以外の何か--例えば火炙りによる人身供犠--との結び付きを提示する。しかしこの関連性の提示が、ベルテーンの火祭自体が、まさに火炙りによる人身供犠「ではない」という事実によって支えられている、という点を忘れてはならない。決定的な違い、差異のみが、両者の「類似性」について語ることを可能にするのだから。ベルテーンの火祭がそれ自体人身供犠であるなら、それが人身供犠を思い起こさせるとか、それが人身供犠に似ているとかいうことには、まるで意味がない。それは人身供犠そのものである。しかし、ヴィトゲンシュタインはこの差異を、火祭がつねに現在の姿と同じものではなかったということ、なんらかのオリジナルに対する不完全な残骸であることの証拠だと考えてしまう。「(ベルテーンの火祭が)現在のこの形で発明されたのだなどというのは、あまりにも馬鹿げている。それは私が残骸を見て、『かつてそれは家であったに違いない、なぜなら最初からこんなふうにぶつ切れて不規則に石を積みあげたりする人はいないだろうから』と言うのと似てはいないだろうか?」(78)こうした誤認や、主観的な印象を出発点としたことからくる焦点の曖昧さが、ヴィトゲンシュタインを、ロマン主義的ではあるが不毛な方向へ導いているように見えるのは残念なことだ。すでに第一部において、儀礼においては歴史的起源の仮説がその理解に貢献しないことを明らかにしておきながら、またここでも起源の仮説の真偽は重要ではないとしながら、ヴィトゲンシュタインは起源の思い、起源をめぐる幻影にこだわってしまっているのである。

ベルテーンの火祭、火炙りによる人身供犠、このイメージの強烈さがヴィトゲンシュタインの躓きの石になっている。同じことを、例えばすでに取り上げた東欧の養子慣行で考えてみれば、こうした逸脱は回避できたかも知れない。そこでは養子にする子を、女性は自分の着衣の下から引き出してみせる。この行為は出産行為を彷彿させる。それは、言うまでもないが、出産行為そのものではない。しかしこの場合、誰もこの慣行が、起源においては、養子にする子供を実際に出産する行為であったのかもしれない、などという起源の思いにはとらわれそうにない。

しかし別の角度から眺めてみると、同時にこの残骸の比喩は、儀礼に見られる観念の連合ならぬ「慣行の連合」がもつある特徴を巧みに拾い上げているとは言えるかもしれない。それはある首尾一貫した何か--欠損のない家屋--を「指し示」してはいても、それ自体は首尾一貫せず破綻を含んだ不完全な何か--残骸 ruin--としてのみあらわれるという特徴である。この不完全性の認識が、この「慣行の連合」のなかにテキスト性を見て取る--そして儀礼的慣行をまさに意味を表明する行為にしてしまう--一歩手前でヴィトゲンシュタインを立ち止まらせたのだと言うとすれば、考えすぎだろうか。ベルテーンの火祭りの「奥行き」や「忌まわしさ」についての彼の分析は、あるところではほとんど修辞論的なテキスト批評に限りなく近づいている。一見罪のない菓子によって最も恐ろしい決定--犠牲の選出--がなされるということの反語性の指摘(77)などが良い例だ。しかし彼は儀礼的慣行の「奥行き」について語るにとどまり、儀礼の象徴的内容やメッセージについて語り始めることはついになかったのである。

ベルテーンの火祭においても、東欧の養子慣行においても「類似」はまさに一つの問題となる。何かを説明するものとしてと言うよりも、むしろ説明されるべき現象として。なぜなら、子供を養子にするのに何もそこで出産に似たことをやって見せねばならない理由などどこにもなく、かわりに別のこと、例えば子供の頭を3度ほうきの柄で叩くとかでも良かったかも知れないということを、我々は第一部の考察においてすでに知っている。「類似性」は、いわばなくてもよいのに、そこにいすわっているのだ。これは、フレーザーが考えたのとは逆に、何かを説明してくれるどころか、むしろ説明されねばならないことなのだ。

結語

フレーザーに対する応答の中でヴィトゲンシュタインが提出している見解は、フレーザーの儀礼の捉えかたのまさに正確な裏返しになっていることがわかる。

フレーザーは類似や隣接性などの観念連合に、呪術(儀礼)的行為を産み出す源泉、呪術(儀礼)的行為の原理という位置を与える。こうした捉えかたの下では、儀礼に類似や隣接性などの観念連合の働きが見られることには何の不思議もない。そしてこうした類似や隣接性の関係が呪術(儀礼)的行為を「説明」する。つまり、例えば「雨を降らす」ための行為が、なぜ他ならぬそういう形で行われるのかは、類似の関係などによって説明がつくのである。しかし、その瞬間、すべての呪術(儀礼)行為は「誤謬」になる。それは例えば、それが降雨に似ているから雨を降らせることができるのだ、などといった誤った理論に基づいた行為になるからである。似ているという事実にはもちろん、雨を降らせる力などない。

ヴィトゲンシュタインにあっては、すべてが裏返る。ある人々のところで、ある儀礼的実践がしかじかの形で行われねばならないことになっている場合、なぜそうなのかを説明することは原理的に不可能である。なぜなら、そこには理由などないからだ。言えるのはただ、その社会では人々はしかじかのやり方で、例えば雨を降らそうとし、子供を養子にしようとし、死者に敬意を示そうとする、などなどということだけである。彼が後に「生の形 form of life」と呼ぶようになるものは、こうした事柄からなっている。このように儀礼的行為の原理的無根拠性を正しく捉えたとき、逆に問題として浮上してくるのが儀礼的行為をまさに彩る類似や隣接性の連合関係の戯れである。

私が別稿で提示した儀礼をめぐる二つの問題系が、このヴィトゲンシュタインの提出する問題系を、私なりに、そしてその後の人類学の儀礼研究が付け加えたかもしれない知見を背景に、少しばかり正確さを加えて提出しなおしたものであることがおわかりいただけると思う(註8)。ヴィトゲンシュタインがすでに1930年代に到達していたこの認識を前にするとき、人類学の儀礼理論がたどってきた長い迂回はいったい何だったのだろうかと思わず考えてしまう。もちろんこの迂回が、まったく無意味であり、何も産み出さなかったなどと言うつもりはない。儀礼の織物(テクスチュア)--あえてテキストとは言うまい--を織りなす諸関係の糸を解きほぐす技量は格段に向上した。それは、例えば、ヴィトゲンシュタインのベルテーンの火祭りをめぐる考察を、どうしようもなく素朴で粗雑なものに見せるほどではある。しかし、それは自分たちが鮮やかに分析して見せる当の現象の存在自体を主題化することに、首尾一貫して失敗している。なぜならそれは問題ですらないからである。フレーザーを清算するために、人類学者がとった選択は呪術・儀礼的行為がなんらかの実践的な目的に向けられた実効的な行為であるということに目をつぶることであった。儀礼は象徴的行為、表現行為、伝達行為などになった。つまり、象徴によって何かを語る行為であるとされた。フレーザーが見出した連合の原理はまた表象操作の基本原理でもあるので、象徴的伝達行為--いわば行為によって記されたテキスト--である儀礼にそれらが見られることには何の不思議もない、ということになる。そして逆に、こうした連合関係の戯れが見られるという事実自体が、儀礼が象徴的表現行為であることの動かしがたい証拠ともされた。こうして、人類学における儀礼理論は、洗練された技法の発達と引き換えに、儀礼的行為をめぐる二つの問題系を見事に消滅させてしまったのである。一方には目をつぶるという形で、もう一方はそれを自明なものにすることによって。

人類学における儀礼論の、このおそらく半世紀にも及ぶ伝統の力の前には、この問題系を正しく提示する試みを、くどいくらいにもうしばらく繰り返してみるぐらいのことが確かに必要であろう。

註釈

(註1)ここではラックハート 1979(Luckharadt 1979)に収録されたバーバースルイスの英訳を用いる。なおこの資料の書誌的情報についてはラックハートの序文、Needham 1985 で必要なことはわかる。日本語訳もあるが、かなり誤訳が多く、ほとんど参考にはならない。

(註2)ニーダムは「多配列的概念の一つとして、象徴的行為の一種として儀礼にアプローチすることは、良い出発点である」(157)と語る。たしかにそうかもしれないが、少なくともこれはヴィトゲンシュタインが『所見』で行っている議論とは、ほとんど無縁な出発点である。ニーダムの結論部での見解--儀礼とは根本的に意味を欠いているものであるかもしれず、「おしゃべりや踊りなどと同じく、『儀礼的動物』である人間がたまたま自然に行うようになっている活動の一つにすぎない」(177)のかもしれないという--が、ヴィトゲンシュタインの見解と極めて近いことを考えると、驚くべきことである。

(註3)例えばリーチが彼自身の定義で独特のものとなった記号論を用いて、この誤謬の性格をより軽微なものとおもわせようと腐心している(Leach 1976:31-32)のがよい例である。

(註4)実際には、おなじことをタイラーがすでに萌芽的な形で表明していた。「オカルト的知を理解するための第一の鍵は、観念の連合、つまり人間理性のもっとも基礎にある能力にもとづいたものとして、それを考察することである。」(Tylor 1958: 116)さらにはこの連想の二つの原理そのものが、ヒュームの認知の3つの原理--類似性(resemblance)、隣接性(contiguity)、因果関係(cause and effect)--に由来することも指摘されている(Richards 1994: 180-181)。M・ダグラスが手厳しく評しているように「フレーザーにも良い点はたくさんあるが、そこに独創性を含めるわけにはいかない」(Douglas 1966: 10)のかもしれない。しかし呪術についてのこうした主知主義的な理解が、今日フレーザーと結び付けて考えられていることは事実である。私がそれをフレーザーの理論という形で言及するのもそのためである。

(註5)以下でのフレーザーからの引用は岩波文庫版『金枝篇』によるものとする。ローマ数字は文庫版の巻数を示す。

(註6)この違いはデヴィッシュの、単なる単線的な「因果性」と「構造的因果性」と彼呼ぶものとの、2種類の因果性概念の相違に近いかも知れないが(Devisch 1986 )、この用語はかえって誤解を招く恐れがある。ミル的な意味での因果性は原因と結果の相互の独立性に基づいているのであるが、今問題になっているケースでは、まさに原因が結果に構成的に参与してしまうような因果関係なのである。むしろリーの「線的」と「モザイク的」という二つの思考モードの区別がより適切である(Lee, D.1960)

(註7)ニーダムは両者の違いを、儀礼的行為に備わる「形式性 formality」の有無に求めようとしているが(Needham 1985:164)、問題はあきらかに形式張っているかどうかには直接関係がない。シューベルトの楽譜がたまたま誰の手も触れることなくある場所に「放置」されていたと言う場合と、誰の手にも触れないようにその場所に「保管」されていたというのとの間の違いこそ、ヴィトゲンシュタインが問題にするところの違いである。そうすべきであるからそうしてあるというのと、ただたまたまそうなっているの違いだと行ってもよい。この場合「形式性」においては何の違いもない。どちらにせよ我々には、置いてある楽譜が目に入るだけである。

(註8)実際には私がヴィトゲンシュタインのこの論考に注目しはじめたのは最近になってからのことであるので、この言い方は転倒している。しかし私は、えらい哲学者を引っ張りだして自分の見解を権威付けようなどという姑息な意図は全く抜きで、この天才哲学者のするどく徹底した視点に、進んで敬意を表したいと思う。

参考文献

Devisch,R., 1985, "Perspectives on Divination in Contemporary Sub-Saharan Africa," In W.van Binsbergen & M. Schoffeleers (eds.), Theoretical Explorations in African Religions, pp.50-83 London: Routledge and Kegan Paul

Douglas, M., 1966, Purity and Danger: An analysis of the concepts of pollution and taboo., London: Routledge & Kegan Paul(邦訳『汚穢と禁忌』塚本利明訳 思潮社 1985)

Douglas, M., 1978, "Judgements on James Frazer", Daedalus(Journal of American Academy of Arts and Sciences) Fall, 1978.

Frazer,J., 1955, The Golden Bough: A Study in Magic and Religion 3d ed rev & enl 13 vols.(邦訳『金枝篇』永橋卓介訳 (全5巻)岩波文庫)New York: Macmillan

Leach, E., 1976, Culture and Communication: The Logic by which Symbols are Connected. Cambridge: Cambridge University Press(邦訳『文化とコミュニケーション』青木保・宮坂敬造訳 紀伊国屋書店 1981)

Lee,D., 1960, "Lineal and Non-Lineal Codifications of Reality," In Carpenter,E. & McLuhan M. eds., Explorations in Communication. Boston: Beacon Press

Luckharadt, C.G., 1979, "Editor's Introduction," In Luckhardt ed., Wittgenstein; Sources and Perspectives. pp.61-81, Ithaca: Cornell University Press

Needham,R., 1985, Exemplars. Berkeley and Los Angeles: University of California Press

Richards, D., 1994, Masks of Difference: Cultural Representations in Literature, Anthropology and Art., Cambridge University Press

Tambiah,S.J., 1990, Magic, science, religion, and the scope of rationality. Cambridge: Cambridge University Press

Tylor, E.B., 1958, Primitive Culture (first publisehd 1871). NewYork: Harper & Row

Wittgenstein,L., 1979, "Remarks on Frazer's Golden Bough ( transl. by J. Beversluis)," In Luckhardt ed., Wittgenstein; Sources and Perspectives. pp.61-81, Ithaca: Cornell University Press