死を投げ棄てる方法:儀礼における日常性の再構築

I.序論

その長老の死から数えて六日目の早朝、集っていた人々は例の水浴びをすませ、死者の残された夫人たちや子供たちが頭を剃られるのを見た後、呪医の調合した薬を喉元に塗ってもらっては、三々五々家路についた。昼頃までにはもう誰もいなくなった。死者の近親者、その未亡人と子供や孫たち、別の屋敷に住む死者の兄弟たちを除いては。分別のある者ならもはやこの屋敷でいつまでもぐずぐずしているべきではない。私のあつかましい執拗な要求はまたしても穏やかに拒まれ、その後行なわれるであろうことはただ話して聞かされただけである。夕暮どきに男たちはこの六日間にでた残りものやゴミ、飲み食いに用いられた薪木の残りなどを掃きあつめてそれに火をつけるだろう。日が暮れると二人の未亡人は、長老の指図に従って、屋敷の外のブッシュのムコネの木の下の地面に横たわり、長老が前夜のダンスの出席者のなかから選んだ一人の若者がやってくるのを待つだろう。その若者はあわただしく無言のうちに彼女らと性交を行なう。それが済むと彼らは呪液で下半身を洗い、残った呪液を道の別れ目にぶちまけるだろう。明日から死者の近親者たちは、その年長順に厳密に従って一日に一人ずつ、その妻ないしは夫と今までどおりの性生活を開始していってよいのである。

ケニア南東部に住むドゥルマの人々(1) のあいだでは、このブッシュでの無言の性交は「マトゥミアをとりおこなうこと kuusa matumia」と呼ばれている。マトゥミアとは、本来「長老に関する事柄 mambo ga atumia」を意味するが、事実上もっぱらこうした性交を指す言葉になっている。死者をめぐる活動が一区切りついた後に行なわれるマトゥミアはまた「死を投げ棄てること kutsupha chifo 」とも呼ばれている。あるいは、人々の説明によると、マトゥミアをとりおこなうことを通じて人々は「死を投げ棄てる」。もしこれが行なわれなかった場合、屋敷の人々は次々と死に見舞われるだろうと言うのである。

本論の目的は、この儀礼の分析を通じて、儀礼的行為とは如何なる性質の行為であり、儀礼を通じて人々の経験が如何に組織されていくかを示そうとするものである。

II. 儀礼の「目的」

儀礼には目的がある。儀礼を執行する当の人々がそう言うのであるから、間違いない。一方、人類学者の方では、儀礼をこのように表明された目的に仕えるものという角度から見ることを、極力避けようとしてきた。確かに儀礼とその目的を通常のあるいは合理的な手段−目的関係として理解することは困難である。何故しかじかのことをすることが雨を降らせることになったり、豊作を保証することになったりするのか、何故未亡人がブッシュでよそ者と性交をすることが「死を投げ棄てる」ことになるのか、さっぱり合点がいかないという訳である。その結果とられた選択が儀礼を技術的行為以外のあるものとして、つまり象徴的な表現行為あるいはコミュニケーションとして見るという立場であった(2) 。事実、儀礼を構成する諸行為はいかにも「意味ありげ」に見えるため、それを「象徴」と呼ぶことはまったく自然なことであった。未亡人のブッシュでの性交は、なるほど性交であるには違いないが、明らかに単なる性交ではない。それは単なる性交以上の何か、つまり象徴なのだ。

定義によると、何かを象徴するもの、意味するものが「象徴」である。しかし人類学者は逆に、あるものが何を意味しているかわからないという理由で、それを「象徴」と呼ぶ方向を選んでしまったのである。儀礼は何か解読されるべきメッセージを含んだコミュニケーションだということになった。

しかし儀礼とその目的が、手段−目的の観点からは理解できないというのは本当だろうか。もし手段−目的関係を二つの独立した出来事のあいだの因果関係に言及するものであるとすると、そうした関係として理解できないのは、何も儀礼とその目的に限った話ではない(3) 。例えば、復讐を目的としてある人を殺すという場合、その目的−復讐−は彼を殺すことによって、その結果獲得できるそれとは別の何かではない。彼を殺すことが復讐することなのである。同じ行為が各々別の記述のもとで捉えられているだけのことなのだ。両者はけっして因果関係にはない。

もちろん復讐することは、人を殺すこととは独立に定義できる、それとは別の何かだという言い方はできる。かくして復讐にはさまざまな手段、やり方がある。しかし行為とその目的のあいだに、こうした独立性すら見出せない場合があることを、我々はよく知っている。例えば、結婚する目的で婚姻届を提出するという場合がそれである。単に婚姻届を出すという行為が同時に結婚する行為でもある、というだけのことではない。婚姻届を提出する行為が目的として目指している事態−結婚−を、婚姻届を提出するという行為とは独立に定義することができないからである。婚姻届を提出することが、すなわち結婚することなのであり、結婚するとはすなわち婚姻届を出すことなのだ。

殺人を犯した男に対して「何故彼を殺すことが彼に復讐することになるのか」と問うことは彼を当惑させはするであろうが、全く意味のない問いではない。しかし「何故婚姻届を出すことで結婚することになるのか」と問うことには、「何故相手の差し出した手を握り返しすことで、挨拶することになるのか」「何故しかじかの範囲にボールを打ち込むことでホームランを打つことになるのか」などの問いと同様意味がない。これらはいずれも「XすることをもってYすることと見做す」というタイプの規則、サールが「構成的規則constitutive rule 」と名付けた規則に従う行為であり、こうした問いには、「そうすることが結婚だからだ」といった形で規則に言及することによってしか答えることができないのである(4) 。つまりそれらは「なぜ」の問いを排除する。そしてもし結婚したいのであれば、人はそれを定義するところのこの規則に従う以外方法はない。

構成的規則は通常は他の規則と同様、「YするためにはXすべし」という形をとる。これはしばしばYを、Xすることとは別の何かだと考えさせる錯覚に人を導く。実際にはYはXすることそのものなのである。儀礼は「昔からの、祖先によって定められた」規則に従うことからなる行為である。人々が儀礼について知っていると言う場合、それはもっぱらその規則、そこで何が為されるべきかを知っているということである。そしてそれらはある目的のために為される。「死を投げ棄てる」ためには、未亡人はブッシュでよそ者としかじかの仕方で性交すべし、という訳である。しかしその「目的」は、そこで為されるしかじかの行為とは独立に定義できる何かではなく、ましてやそれらの行為を行なうことによって、その結果獲得されるそれらとは別の何かではない。ブッシュで未亡人がよそ者としかじかのやり方で性交することが、すなわち「死を投げ棄てる」ことであり、それ以外の何をしようとも「死を投げ棄て」たことにはならないのである。つまり儀礼はここで言う「構成的規則」に従う行為であり、その「目的」は、ちょうど人を殺すことにおいて復讐が実現し、婚姻届を提出することにおいて結婚という目的がかなえられるように、まさに儀礼が遂行されること「において」実現される何かなのである。

「死を投げ棄てる」という目的は、儀礼の遂行において実現されるこうした目的が隠喩的に語られたものである。そもそも「死が投げ棄てられる」とはどういうことなのか、当の儀礼とは独立に考えてみてもおよそ無駄なことである。死を投げ棄てるのにより良い方法もなにもあったものではない。それがどういうことであるのかは、当の儀礼において何が実現するのかを知ることによって、はじめて明らかになる。「子供を大人にする」目的でなされる成人儀礼や、「雨を降らせる」目的でなされる降雨儀礼についても、実は同じことだったのだ。それらは一見字義どおりの内容をもつと見えながら、実は儀礼をとり行なうこと「において」実現するあることについて比喩的に語るものだったのであろう。それを儀礼とは独立に定義され、儀礼を行なうこと「によって」その結果獲得される何か別のものだと考えた点に、そもそも人類学者の躓きがあったのだ。

儀礼とその目的が、外的な因果関係であるところの手段−目的関係からは理解できず、また何故という問いを受け付けないのは、それが構成的規則に従う行為であるとすれば、あまりにも当然のことである。だからといって、それを目的に向けられた行為ではないとし、象徴的行為なのだと考えるのは、婚姻届を出すという行為に、結婚という目的を否定し、それを象徴的行為だとするようなものである。それは誤りである。

III.関係性に即した記述

構成的規則は、ある記述のもとでとらえられる行為を、それとは本来無縁でありうるような新しい関係性のなかに置く規則でもある。ある人を殺す行為は、彼に父親を殺されたといった事実のもとでは、別に「しかじかの行為をもって復讐と見做す」といった規則の有無とは無関係に、父親の死と関係付けられ、単に復讐する行為となる。しかし、右手を差し出したり、相手の差し出した右手を握り返したりする行為は、もしそれをもって挨拶と見做すという構成的規則がなければ(そうした社会を想像してみるのは困難なことではない)、たとえそれらが出会いに引き続いて起こったとしても、まったく場違いな行為となろう。それらの行為は、構成的規則の故に、出会いの事実と関係付けられるのである。儀礼の規則も同様に、儀礼に登場する諸要素を相互に、そして儀礼をとりまく諸要素に、強引に関係付けてしまう。しかし儀礼において起こっているのは単にそれだけのことではない。

行為をある記述のもとでとらえるということは、その行為をその記述が成立するような関係性に即してとらえるということである。「しかじかの筋肉を収縮させる」行為、「右手を上げる」行為、「電気のスィッチに手をのばす」行為、「発言を求める」行為等々は、いずれもそれが置かれている関係性に即して、異なる記述のもとでとらえられた、ある意味では同じ行為である。より正確には、ある関係性のもとで「右手を上げる」という記述のもとでとらえられる行為が、別の関係性のなかでは、例えば「発言を求める」という記述のもとでとらえられる行為に「なる」のだといってもよい。その関係性のもとでは、「右手を上げる」という記述は「発言を求める」という記述に言わば飲み込まれ、例えば「電気のスィッチに手をのばす」という記述は排除される(5) 。構成的規則に従う行為の場合も同様である。例えば「右手を差し出し、相手の差し出した右手を握り返す」行為という記述は、構成的規則によって設定された関係性のなかで、「握手をする」あるいは「挨拶をする」行為という記述に飲み込まれている。それは単に、「握手をする」などの記述でとらえられた別の行為になっている。それを改めて「右手を差し出し... 」といった記述のもとでとらえ直さねばならないのは、握手あるいは挨拶の何たるかを知らない者に「規則」を教える必要が生じたときくらいのものである。そして構成的規則に従う行為の多くにおいては、そもそも規則に従っているという事実自体が通常忘れ去られている。

儀礼が他の多くの構成的規則に従う行為と異なっているのは、まさにこの点なのだ。そこで強調されるのは規則、しかじかの行為が為されねばならないということである。そこでは行為は、当の規則を通じて全く新しい関係性のなかに置かれているにもかかわらず、そうした関係性に即した別の記述を与えられておらず、あいかわらず例えば「性交する」といった仕方で語られるしかない。それは確かに「性交」ではある。そう語られることによって、それはその記述が妥当するような通常の関係性を召喚している(6) 。しかしそれは、その行為がいまや置かれている特異な関係性とのズレを際だたせることにしかならない。それは単なる性交ではない。それ以外の、あるいはそれ以上の何かであるということになる。しかしその何かはけっして語られることはないのである。

もちろんその「何か」が語りえないものであるという訳ではない。あるものが通常の関係性とは異なる新奇な関係性のなかに見出され、出来あいの記述のもとでそれをとらえることができないとき、人は隠喩によってそれを行なう。儀礼においては、行為は例えば単に「性交する」行為であると語られてしまうことによって、それが関係性に即した隠喩によって語られる可能性を拒んでしまっているのである。儀礼が規則を通じて設定した関係性は、語られることなく単に生きられる。

儀礼のこの特徴は、明示的な構成的規則に従う行為一般に、程度の差はあれ見出される特徴である。構成的規則に従う行為は「なぜ」の問いを排除する。それを構成する諸要素が置かれた関係性は、それに即した記述としては語られず、単に生きられ実行されてしまう。結婚する際に、「婚姻届を提出する」という行為を、その関係性に即して、例えば「国家に報告する」といった形で、人々は語ってみようともしないのである。そしてそう語られることのないまま人々は「国家に報告」してしまう。構成的規則に従う行為について「何故」と問うことは、その制度そのものに疑問を投げかけることである。それを構成する行為について、関係性に即して語ることは、その効力を損なうことでもあるのだ。儀礼についてもこれはそのままあてはまる。人々は儀礼を構成する諸行為についてそれらを関係性に即して語ろうとせず、その関係性を単に生きてしまう。儀礼がその目的を達成するのは、まさにそれを通じてなのである。

儀礼を分析する人類学者は、儀礼がそれによって語られることを拒んでいるところの隠喩を提出してしまう。これはやむをえないことであろう。しかし人類学者はおうおうにして、それを儀礼の「象徴」が伝えるメッセージの解読だと誤認する。例えば、後に見るようにマトゥミアにおける性交はその関係性に即して比喩的に、「屋敷の秩序を創出する」行為として記述されるかもしれない。これは、「性欲を満たす」行為とか「子孫を求める」行為とか「妻の機嫌をとる」行為といった記述と資格においては対等な、その行為の関係性に即した記述の一つにすぎない。しかし人類学者は、えてして、マトゥミアにおける性交が「屋敷の秩序の創出」を象徴するなどと語ってしまうのである。かくして儀礼はコミュニケーションだということになる。しかしもしそうなら、彼は売春婦との性交をも「性欲の満足」を象徴するコミュニケーションだと語らねばならないことになろう。

こうした危険は、儀礼が設定する関係性を、まさにそれとして記述することができればもちろん回避できる。しかしこれは今のところほとんど不可能である。我々の言語は関係性に即して語るようにはできているが、関係性について語るようにはできていないのである。とすると唯一可能な道は、儀礼を構成する諸行為を従来どおり関係性に即して比喩的に記述し、つまり儀礼がそれによって語られることを拒んでいるところの比喩を提出し、語りの相互反照性を通じて、その記述が妥当する関係性を間接的に指し示すという方法だけである。儀礼の設定する生きられる関係性の網状組織は、比喩によって構成された物語を通じて間接的に示されることになるだろう。私が以下で行なうのはこれである。

IV. 死を投げ棄てるマトゥミア

死を投げ棄てる目的で行なわれるマトゥミアは、「熟していないハンガ hanga itsi 」と呼ばれる葬送−服喪儀礼が、死者の親族の水浴びと剃髪をもって終了した後に行なわれる(6) 。仮りにハンガが何らかの理由で行なわれない場合には、マトゥミアのみが埋葬の後に行なわれる。もしマトゥミアがきちんと行なわれないと、死者の屋敷(7) の人々に次々と死が訪れることになる。死者が妻帯した男であるか、妻であるか、未婚者であるか、などに応じて、その行なわれ方には若干の違いがあり、また誰がそれを行なうかも異なる(8) 。妻帯した男が死んだ場合、それは彼の未亡人たちによって行なわれる。マトゥミアが済むまで屋敷の人々のあいだでは夫婦の性交は禁止される。マトゥミアの終了後、一晩に一組ずつセニオリティ順に夫婦の性交が再開されていくことになる。

夜間、未亡人たちは長老によって指定されたブッシュの中の特定の木の下、あるいは道の分かれ目に行き、地面の上で性交を行なわねばならない。相手は「よそ者 goryogoryo 」と呼ばれる範疇に属する者、つまり他部族の男、素姓の知れない若者などでなければならず、通常は、ハンガに踊り目当てでやって来た若者の誰かに長老が依頼する形で選ばれる。性交に際しては一切口をきいてはならず、またそれに不必要に時間をかけてもならない。射精は一回きりでなければならない。それが済むと下半身を呪液で洗い、残った液は道の分かれ目に捨てねばならない。

こうしたマトゥミアの規則は、マトゥミアにおける性交をドゥルマの人々が区別する性交の三形態、夫婦間の性交、近親相姦、婚外交渉のいずれにも属さないものとして位置付ける。それは非親族との性交である点でそもそも、親族を「混ぜあわせ kutsanganyika」、人々を不具にしその子孫を奪う近親相姦 maphingani とははっきり異なっている。夫婦の通常の性交でもない。第一にそれは「無言」でなされねばならない点で、性が営まれる関係に常に伴う親密さが取り除かれている。第二にそれは性に伴う快楽の要素からも切り離されている。それは手早く済ませねばならず、射精も「一回きり」であるという点が強調される。第三に、とりわけ、それは生殖との結びつきも欠いている。マトゥミアの結果妊娠してしまうという可能性を人々は考えてもみない。それについて質問するだけでも、人々を当惑させるのに充分である。

またそれは、ドゥルマ語で「外で寝る kulala konze 」あるいは「ブッシュで寝る ku-lala musuhuni 」という言い方で呼ばれる、夫婦関係以外の性行為とも、この同じ特性によって区別される。結婚前の若者が「外で寝る」ことは大目に見られている。しかし夫婦にとっては、それは屋敷を危険に陥れる行為である。妊娠中、あるいは出産後子供がひとり歩きできるようになる以前に、夫あるいは妻のいずれかが「外で寝る」つまり浮気すると、その子供は衰弱しやがて放置すれば死亡すると信じられている。これは「子供を凌ぐ kuchira mwana」と呼ばれる。また前もって適切な処置を呪医によって施されていない場合、夫婦のいずれかが「外で寝る」ことは、牛の乳の出を悪くし、下手をすると牛の群を全滅させることにすらなる。それは「牛を凌ぐ kuchira ngombe 」と呼ばれる。にもかかわらず「外で寝る」ことは、性の喜びに直結した、社会的な拘束の外の強制されない自由な行為としても考えられている。マトゥミアにおける性交は、文字どおり「外」でよそ者と「寝る」行為なのであるが、快楽の要素や親密性と切り離されることによって、とりわけ注意深く、こうした通常の「外で寝る」行為とは区別されているのである。

一方使用される呪液の成分は、マトゥミアの性交を屋敷内の通常の性の秩序、夫婦の性とは異質なものとして、むしろ近親相姦や「外で寝る」行為に近づける。その成分は四種類の木の根や葉( reza, muphozo, mukone, munyundu )と羊の胃の一部 chipigatutu changonziからなる。羊 ngonzi はドゥルマにおいては呪薬の成分として、きわめて限られた用途をもっている。それは、近親相姦やそれと結びついた行為(例えば兄が弟のベッドや寝具を性交の目的で使用するといった)に対する治療、未亡人が死者の兄弟によって相続される際の治療(これは本来近親相姦と見做される事態である)、および葬送−服喪期間中に性の禁止を破る(「ハンガを凌ぐ kuchira hanga」と呼ばれる)ことの結果生じる事態に対する治療、「外で寝る」行為の結果として生じる「子供を凌ぐ」あるいは「牛を凌ぐ」事態に対する治療などに用いられる。つまり羊は一貫して、屋敷の人々のあいだに生じた性の秩序の乱れを、矯正する目的でのみ使用されるのである。


	        夫婦の性:秩序の肯定

		        義務的(肯定的命令)







			          



   近親相姦:秩序の破壊	  婚外交渉:秩序の無視

             禁止(否定的命令)             規制の欠如



マトゥミアにおける性交は、図のようなドゥルマの性の三角形のいずれの項にも属さなにものとして位置付けることができる。それが何であるかは、それが儀礼をつうじて置かれた関係性の中で、それに即して語られることになろう。

V.マトゥミアに先行する状況:葬送−服喪の儀礼

死を投げ棄てるマトゥミアに先行するのが、死と埋葬 kuzika およびそれに続いて催される葬送−服喪の儀礼「熟していないハンガ」である。人々によるとハンガの目的は「死者を喜ばす」ことにある。死者の屋敷の人々は死者に対してその「悲しみを示し」、一方大勢の弔問客たちは死者を「喜ばす」ことに努める。

死者が出た日からハンガが終了するまでの間、屋敷の人々は一切の日常的活動、料理、水浴び、洗濯、清掃などを停止する。ベッドの使用および夫婦のあいだの性交は禁止される。女性は屋敷内に、男たちは屋敷をはずれたブッシュの空き地 ndalaniにそれぞれ別れ、草で編んだマットを地面に敷いてその上で寝る。死者の未亡人たちは、最近自らの屋敷で死者を出したことのある者あるいは孤児に付き添われ、死者の出た小屋のなかで寝起きし、排泄以外の目的では外に出ない。こうした目的で外に出るときにも、彼女らは一団となって行動し、他の人々は彼女たちをじっと見たり話しかけたりしてはならない。死者の長男もまた付き添い人とともにブッシュの空き地の特定のマットの上でじっとしている。誰も彼のマットに座ったり、彼を見つめたり指さしたり、彼に話しかけたりしてはならない。死者の未亡人や長男は、付き添い人の作った料理のみを食べ、彼らをつうじてのみ自らの用を足し、自らの意志を伝える。彼らはそこに居ながら、そこに居ない、あたかも不可視の存在であるかのように扱われる。こうした扱いは、しばしば死者の両親(もしいれば)、同じ屋敷に住む兄弟姉妹、すべての息子や娘たちにも及ぶ。

彼らが性交の禁止を破ることは「ハンガを凌ぐ kuchira hanga」と呼ばれ、羊を屠殺して治療しなければ、違反したものを発狂に導くとされている。ハンガにおいては夫婦が性交することが、逆に、羊によって治療されねばならない「性の秩序」の乱れなのだ。屋敷の人々にとって性の秩序は、いまや「一切の性交をしない」という形でのみ存在しているのだと言える。死とともに屋敷とそこに属する人々は言わば「消滅」し、彼らの性は凍結する。  死者は死が出た日以来ベッドを使用する唯一の人物である。その日あるいは次の日、彼は他の屋敷からやってきた同じクランあるいは半族(9) に属する人々によって、裸にされ身体じゅうの毛を剃られ、洗われて白い布にくるまれる。この間、別の親族や隣人たちは墓を掘り、やってきた女性たちは掘られた墓穴のまわりでムセゴ musego と呼ばれる卑猥な歌と踊りを行なう。この歌は直接性交や性器に言及する内容をもち、踊りには腰布の中に棒を入れて男性性器に見たてたり、性交の動作を模した動きがみられる。死体は、布を張りめぐらして内側が見えないようにされた上下逆にしたベッドに載せられ、屋敷のはずれにある墓場に運ばれ埋葬される。屋敷の人々はこうした一切に手出しせず、死体は葬列に従う屋敷の人々の目から注意深く隠されている。

埋葬が済むと、やってきた人々に残された仕事はほとんどない。ハンガの開催を決める埋葬後の会議で、やって来た死者の親族たちは、屋敷の人々の生前の義務の不履行などを挙げつらい、罰金 makosa の山羊を取りたてる。「死者を喜ばせる」ハンガが始まると彼らは他の弔問客とともに、男はブッシュの空き地で、女は屋敷のなかで各々地面にマットを敷いてその上に寝泊りする。あとはハンガ期間中機嫌良くおおいに飲み食いするだけである。料理は男女別々に「戸外 konze」で行なわれる。屋敷の空間は今や限りなくブッシュの空間に近づいている。夜毎屋敷の庭には近隣の若者たちが集って、キフドゥ chifuduと呼ばれる猥褻な歌と踊りを行なう。弔問客もこれを見物し、興がのると踊りに加わる。こうした若者たちにとって、ハンガは気にいった相手を見つけ一夜をともにする、公認された絶好の機会となっている。死者と冗談関係にあるその孫娘が、まわりの女たちによって衣服を剥ぎとられ、裸体を晒すのもまた、こうした機会であるという。

屋敷の外からやって来た人々による、この浪費的な食物の消費と猥褻性の顕示は、ハンガを特徴付ける最も大きな特徴である。とりわけ「性」は普段の生活では慎重に隠蔽されるべきものであり、ハンガはそれを公然と晒す唯一の機会となっている。人前での下半身の露出は、たとえ幼児であっても嫌悪され、その母親はハンガの機会にその責任を問われ、親族の女性たちによって衣服を剥ぎとられることを覚悟せねばならない。ハンガ以外の場で猥褻な歌、ムセゴやキフドゥを歌う者は文字どおり「病気」であると考えられる。そうしたふるまいは「マハンガ(お葬式)mahanga 」と呼ばれる憑依霊が彼に取り憑いたために生じたものとされるのである。

こうした猥褻性は「死者を喜ばす」ためのものであると言われている。それはよく言われるような、死の不毛性を中和する豊穣性の象徴などではない。ムセゴやキフドゥの歌は性交や性器に関する露骨な言及に溢れてはいるが、そこには情感的なニュアンスも「産めよ殖やせよ」といった豊穣性の含意も一切欠けている。それは死者のための性である。そして死者のほうも埋葬に先立って、その裸体をやって来た人々に晒し、ハンガ期間中は、その孫娘が裸体を晒すことによって、屋敷の外から入りこんできたセクシュアリティに答えているのだ。人々は「ハンガは死者にとって結婚式のようなものだ」と言う。

死とともに屋敷は消失し、その性は凍結し、屋敷の空間はブッシュと化す。屋敷は外部によって完膚なきまでに席捲され、その浪費的な食物の消費と猥褻性の顕示に服従する。夫婦の性を放棄した死者は、こうした「外 konze」からの自由な性を楽しむ。残された屋敷の人々にとっては、こうした外部の侵入を経験するということが、すなわちハンガを経験するということ、身近な者の死を経験するということなのである。そしてその後にマトゥミアが行なわれ、夫婦の性交が再開されていく。

VI. マトゥミアを必要とする他の状況

死とそれに続く状況はマトゥミアが行なわれる最も重要な機会である。しかしマトゥミアは他の目的ででもしばしば行なわれる。その場合、性交は夫と第一夫人のあいだで行なわれる。その目的は以下のように多岐にわたっている。

「子供を産む kuvyala mwana」:息子の結婚に際して行なわれる。息子が花嫁を屋敷に連れてきて住み始めた日、父とその第一夫人は一晩、性交抜きに同じベッドで眠り、次の晩、二人でマトゥミアを行なう。無言で手早く済ませねばならないが、ベッドは使用してよい。これが済むと、その次の晩は第二夫人と寝る(これはマトゥミアではない)といった具合にすべての夫人と順番に寝てゆき、すべて終ったら息子夫婦は初めて屋敷内で性交を許される。これを怠ると息子夫婦には子供が育たない。

「妻を産む kuvyala muche」:夫が新しい妻を屋敷に連れてきた場合、上の場合と同様に、まず第一夫人とマトゥミアを行ない、その後順番にすべての夫人と寝たあと、新しい夫人と屋敷内で性的交渉をもつことができる。これを怠ると、屋敷の人々に死が訪れる。 「屋敷を産む kuvyala mudzi」:屋敷を別の土地に移転する場合、場所が決まると、第一夫人と二人でそこに赴き、ブッシュのなかの小屋を立てる予定の場所で一晩、性交ぬきで眠る。次の晩、同じ場所で二人は無言のうちに手早くマトゥミアを行なう。これが済むとブッシュを拓いて、屋敷をそこに創る作業を開始してよい。これは新しい屋敷に死が訪れるのを防ぐためである。

「畑を産む kuvyala munda」:屋敷の畑 munda dzumbe を拓くとき、まず夫と第一夫人の二人だけで畑になる土地に行き、作業を開始する。その晩、二人は背中合わせに(性交ぬきに)寝る。次の日、再び二人で畑仕事をし、その晩小屋の床の地面でマトゥミアを行なう。これが済むと次の日から、畑仕事には他の妻たちも参加する。これを怠ると、作物が育たない。

「財産を産む kuvyala mari 」:娘が結婚し、婚資のうち一頭の雌山羊とその子供からなる「大黒柱の山羊 mubuzi ya mulongohini 」が支払われた日、父とその第一夫人は山羊たちを大黒柱につないで一晩寝かせ、本人たちは性交ぬきで寝る。次の晩、二人は大黒柱の下の地面にマットを敷いて、その上でマトゥミアを行なう。これを怠ると屋敷の家畜の群が減少する。

新たに山羊や牛を購入したときも同様にマトゥミアを行なう。購入した家畜を一晩寝かせ、自分たちはその日性交ぬきで眠る。次の晩、小屋の床の地面の上で、二人は無言の性交を行なう。これも「財産を産む」と呼ばれる。

「金を産む kuvyala pesa 」:息子が働いて得たサラリーをもって帰ってくると、父はその金を小屋の中で一晩「寝かせ」、自分たちは性交ぬきに眠り、次の日の晩、マトゥミアを行なう。ベッドで行なっても差しつかえない。これを怠ると金がなくなる!

これらのマトゥミアも細部においては若干の相異があるとは言え、原則的にはハンガの後のそれと変らない。まず夫婦の性交の禁止があり、それに続いてブッシュあるいは地面の上で、無言の性交が手早く済まされる。そしてその後にセニオリティ順に夫婦の普通の性交が再開される。しかしこれらと死の状況に共通しているものは何であろうか。

一見すると死の状況との共通性は何もないように見えよう。それどころか「産む ku- vyala 」という言葉に引きずられて、これらを単純に豊穣性の儀礼と見誤る危険性すらある。しかしこうした解釈は的はずれである。上のすべての例からわかるように、そもそもマトゥミアの目的は、既にある初期状態に何かを付け加えること、増やすことにはない。それは常に予期される減少、破壊、死滅をくい止めることを目的としているのだ。あたかもマトゥミアを必要とする状況は、むしろ何らかの意味で危険な状況と考えられているかのようなのである。

この六つの例に共通する状況は、息子の嫁を屋敷に迎えることといい、新しい妻を迎えることといい、ブッシュであったものを屋敷そのものに、あるいは屋敷の一部の畑として取り込むことといい、婚資を受けとることといい、家畜を購入し、サラリーを受けとることといい、すべて屋敷の外のものを屋敷のなかに導入するという状況である。そしてこの「外部」を屋敷の中にもちこむということのなかに、一種の危険が感じとられているのだとすれば、すべては辻褄があう。すでに見たように、ハンガあるいは身近なものの死は、屋敷の人々の外部への屈服、外部の屋敷のなかへの徹底した侵入として経験されていたのだ。

「産む kuvyala」という言葉のなかに「さらなる増殖」豊穣性を読み取る必要はない。事実マトゥミアの行為をつうじて何を「産む」のかといえば、上述のリストからも明らかなように、子供(息子の嫁)であり新しい妻であり、支払われた婚資である等々、外部から導入されたものが屋敷に帰属するものとして、あらためて「産みなおされて」いるだけなのである。外部と屋敷との境界が改めて引き直されているのである。

VII.物語を完結させるもの

ドゥルマのマトゥミアをめぐる儀礼を構成する諸要素をその関係性に即して記述する試みがなされた。屋敷の成員の死とそれに続く状況は、「屋敷の消滅」「外部の侵入」「死者の『外部の性』への解放」などとして比喩的に語られることになった。息子の嫁を屋敷に受け入れたり、婚資を受け取ったりは、「屋敷への外部の導入」として語られた。  屋敷に外部が侵入するとき、あるいはそれを導入するとき、夫婦の性行為は一時停止する。マトゥミアが行なわれたのち、それは再開される。マトゥミアの行為は、関係性に即して、「屋敷と外部の境界を引き直す行為」「屋敷の秩序を再建する行為」などと差しあたっては記述することができるかもしれない。とするとマトゥミアの行為そのものが行なわれる「外部」、ブッシュや地面は、すでに屋敷との対立において捉えられた「外部」ではなく、未だ屋敷とのあいだに境界が引かれていない外部、その上に「図」としての屋敷がうち立てられるところの「地」としての外部であるということになろう。

ここには一つの「物語」、自らのうちに完結しようとする関係性の網の目が見え隠れしている。しかしそれは儀礼の内部では完結しない。それは儀礼の外の日常をその網の目に搦め捕ることによって、つまりそれを儀礼が設定した特殊なコンテクストの中に置き直すことによって完結する。マトゥミアの物語を完結させるもの、それは夫婦の日常的な性である。

夫婦の性については、それが置かれうる任意のコンテクストに応じてあらゆることが語りえよう。しかし今やそれは、外部の侵入あるいは導入に際して停止されるべきもの、マトゥミアの後に順をおって再開されるべきものとして語られねばならない。

屋敷における夫婦の性は、承認された社会的に望ましい唯一の性の形態である。そのようなものとしてそれは、一方においてそれを犯した者を不具にし彼から子孫を奪う近親相姦と対立し、もう一方において、自由な性の享楽と結びついてはいるが既婚者によって行なわれると屋敷を危険に陥れる「外で寝る」行為、つまり婚外交渉に対立している。夫婦にはこうした禁じられた性を遠ざけ、逆に屋敷内の性をとどこおりなく規則的に遂行する義務あるいは責任のようなものがあると考えられている。「妻たちをないがしろにすると屋敷を駄目にする、Kala uchikosera achetu udzibananga mudzi.」という訳である。

屋敷内の空間はすぐれて「性的」な空間の側面をもっている。女性と二人きりで小屋の中にいることは、とりわけ他人の妻や実の孫娘のように、望ましくはないが性関係が不可能ではない者といることは、実際にはどうであれ、性交渉をもっていたものと見做されてしまう。思春期をむかえた息子たちが別の小屋を立てて暮すようになるのも、親子や兄弟が互いの寝具を借りることが一種の近親相姦に類する行為 makushekushe として禁止されるのも、屋敷内の空間が相互に区分され秩序付けられた性的空間として組織されている側面をもつことに関係がある。夫婦間の性交が再開される際に従う順序は、セニオリティという同一の原理をつうじて、新しい屋敷が造営される際に小屋が建てられていく順序と一致する。そして建造順の乱れは、羊によって治療されねばならないとされているのだ。

マトゥミアの物語は、こうした性の秩序として描き出される屋敷の秩序に関係し、同時に、それはその内部での夫婦の性を、こうした屋敷の秩序から外部を排除しそれを外部の侵入から守る営みとして捉えさせる。ハンガにおけるようにその停止とともに外部は侵入し、一方、外部を導入する際にはそれは停止させねばならないのである。

夫と妻は性交を行なう義務あるいは責任がある。彼らは他の性、とりわけ「外で寝ること」をあきらめねばならない。ドゥルマに限らず、我々ですらときとしてそうした「義務」に気付かないわけではない。夫婦の性を取り巻く、愛情やら性欲やら世間体やらによって守られ隠蔽されているこの義務こそ、ある意味で夫婦、あるいは結婚という制度の一つのよりどころ、その最も脆弱な根拠である。ドゥルマの男たちは、夫婦の性交のこの言わば強いられた側面を説明するのに、しばしば女性の満たされることを知らない性欲について語る。妻が夫にそれを強いるのだという訳である。しかし女たちも同時にそれを男の性欲のせいにしているとすれば、これは実に奇妙なことなのだ。

マトゥミアの物語はこの義務をめぐる問いに前もって答えを与えてしまっている。夫婦の義務としての性、それは屋敷の秩序を外部の侵入から守る行為だったという訳である。

ドゥルマに隣接するギリアマの人々のあいだでもマトゥミアと同様な儀礼が知られている。それが行なわれる機会ははるかに多く、小屋に新しい扉をつけるとか、新しい炉を設置するとか、新しい壷を購入するといった具合に実に多岐にわたっている。人々はこの理由を次のようなマトゥミアの起源説話で説明しているらしい。「かつて遊び好きで、外に愛人を作ってばかりいる妻がいた。夫はその妻を屋敷に引きとめておくために、こうしたさまざまな機会を作っては、妻に性交を強要したのである」と (10) 。とすると夫婦の性交は、「飼い馴らされた、あるいは飼い馴らされるべき『外部』としての妻」を不断に征服する行為だったのだということにもなろう。かくしてマトゥミアの物語は完結する。


          [affirmation of order]               [negation of order]



[homestead:       夫婦の性  S1 ---------------- S2   近親相姦 

     inside]    秩序の維持                           秩序の破壊

                強制された                           禁止された

                差異の維持                           差異の解消(混同)

                正常な出産(豊穰性)                 異常な出産(不毛)







[bush:         マトゥミア  ~S2 ---------------- ~S1  婚外交渉 

    outside]   秩序の創出                            秩序への無関心

               禁止の欠如                            強制の欠如

               差異の創出                            凌駕する

               出産の欠如                            出産後の成長の異常

               性の快楽の否定                        性の快楽の肯定





図における各項間の関係は次の如きものである。
<S1 / S2 >  矛盾対立
<〜S1(2)/S2(1)>含意関係
<〜S2 /〜S1 > 矛盾対立
<Si / 〜Si > 欠性対立
上段の二項は屋敷の内部の性という意味領域を対立によって分節し、下段の二項は、屋敷の「外」の性を対立によって分節する。左の軸は秩序の肯定、右の軸は秩序の否定の諸形態に対応することになる。かくして、S1 の「否定の否定」として〜S2 が得られることになる。                

マトゥミアにおける性交そのものは何だったのであろう。それはドゥルマの性の三角形が要請する隠れた第四項、それによって夫婦の性を意味論的に補完する「否定の否定」の操作によって得られる第四項だったのである。図はグレマスの意味の四角形によってそれを示したものである(11)。

VIII. マトゥミアの「物語」と儀礼のイデオロギー作用

かくして、ドゥルマの死を中心とする事の成りゆきは、次のような「物語」として語ることが可能となる。

屋敷はそれをとりまく外部の侵入を、飼い馴らされた外部である妻との秩序だった性交を通じてくい止めている。
夫あるいは妻が死ぬ。
屋敷を守る性の秩序と過程は停止する。
外部が屋敷に侵入し、屋敷を消滅させる。
死者は夫婦の性交の義務から解放され、「外部の性」を楽しむ。
屋敷の人々は「死者を喜ばす」ために、これらすべてに耐えねばならない。
人々は、しかし反撃を開始する。今や全体となった外部のまっただ中で、仮面を脱いだ暴力的な性交によって、女性は再び征服され、屋敷と外部の境界がうち立てられる。
人々は再び各々の妻を相手に、屋敷の性的秩序を再建していく。

もちろんこれは唯一可能な物語ではない。マトゥミアの性につながる関係の軸を辿り、それに即して、語られた限りでのものである。儀礼は実際には複雑に錯綜した関係の網の目を設定している。別の軸を辿れば、例えば埋葬の経緯を「出産の物語」として語ることも可能であるし、死を時間的・空間的に囲い込み、その痕跡を一気に消し去る物語や、山羊の供犠によってマークされる「死者の祖霊化」の物語として語りうるような事の成りゆきも認められる。

これらは儀礼の「象徴性」について論じる人類学者の語り口である。儀礼を構成する諸要素が置かれている特殊なコンテクスト、常軌を逸した関係付けに気付いた人類学者は、そうした関係性について語ろうとするであろう。しかし実際には、彼はそれら諸要素をそれらが置かれている「関係性に即して」記述することをつうじて、そうした関係性を示してみせることができるだけである。「通常」のものではない関係性に即して語ろうとするとき、その語りは比喩的であらざるをえない。そして関係性の完結した網の目は、そうした隠喩によって構造化された物語を通じて示されるしかあるまい。

しかし、個々の要素の関係性に即した記述が、それらの「象徴的な意味」と誤認され、それによって組織された物語が儀礼の伝える「メッセージ」として誤認されるとき、人類学者は儀礼を、それがそうでないもの、コミュニケーションあるいは伝達行為にしてしまうことになる。実際にはすべてが、そこに含まれる関係性について語ろうという人類学者の側での特殊な選択によってもたらされたものにすぎないのだ。

儀礼はそれについて語られるためにあるわけではない。それは単に遂行される。関係性は一つの物語として語られるためにそこにあるのではない。それは単に経験をそうした形で組織しているだけである。それは、「もし語られるとすれば」隠喩によって組織された物語として語られるしかないが、実際には語られずに、単にそれとしてあるだけである。婚資の山羊を受けとることは、外部のものを屋敷に導入することを象徴しているのではなく、当のコンテクストにおいては、まさに外部のものを導入することそのものである。それは、もし語るとすれば「外部の導入」として語られることになるが、実際には語られずに単にそうされるだけである。

儀礼は構成的規則に従う行為であるという資格において、有無を言わさず経験をそうした仕方で組織してしまう。ハンガを通じて人々は屋敷の成員の死を、まさにハンガの規則がそうと定めた仕方で経験させられる。あるいはそうした規則に当惑しつつも従うことを通じて、人々は屋敷の成員の死を経験するとはどういうことであるかを知らされるのである。しかしその経験を組織する「語られない物語」は儀礼の外部の日常性の領域ではじめて完結する。別の言い方をすると、死の経験は、死が生じる以前の日常と特殊な形でいやおうなく関係付けられるような仕方で組織された経験なのである。日常の姿は、いわば死の経験に照らされるような形で、思いがけない姿をとって、つまり死によって停止しマトゥミアによって再建されるような性の秩序として現われる。

もちろん身近な人の死は、我々の社会でも、死者が生きていたときには何げなく受けとめていた、彼とともにあった日々の暮しの姿を思いがけない照明のもとに浮かび上がらせる。死はすぐれて物語的な契機なのである。儀礼が制御しようとするのは、こうした経験の組織化がとるべき形である。ドゥルマの死の儀礼は、死に先立つ日常を、二度と帰ってこない日々としてではなく、再生可能な秩序として経験させる。人々は、けっして語られることのない、そしてもし物語として語られてしまうとにわかに嘘っぽいものとなる一つの物語を単に生きさせられるのである。しかし、語られないもの、単に経験されているもの、自分の経験に他ならないものに対して、人は異議を申し立てることなどできない。

そしてこれこそが儀礼が目的として掲げているものなのだ。「死が投げ棄てられる」とは、儀礼の物語を生きることを通じて思いもよらぬ姿で捉えなおされた日常性、性の秩序として捉えられた日常性へと人々が送り返されるという事態に他ならない。ここでは手段は目的に対して適合的であるしかない。手段であるところの儀礼が、その目的を自らの手で描き出してしまうのであるから。

ここに見られるのは一種の相互反照的 reflexive な過程である。「人間は狼である」という隠喩は、「ある観点あるいはコンテクストのもとで」人間と狼に等価性を打ちたてるものであるが、同時にそして逆に、人間と狼を等価に置くことを可能にするような「観点あるいはコンテクスト」を生成させるものでもある。構成的規則が儀礼を構成する諸要素のあいだに設定した関係性のもとで成立する語られない隠喩が、同時にそして逆に、自らを根拠付けるコンテクストを儀礼の外部の日常性を搦めとるような形で生成させる。儀礼はこうして新しい相貌のもとに現われた日常性のなかに人々を送り込むのだ。

こうしたことを首尾良く為し遂げている限りにおいて、儀礼はすぐれてイデオロギー的な装置であるといえる。物語として語られてしまうと、あるいは荒唐無稽なものとして、あるいは根拠のない臆説として異議に晒されるかもしれない、出来事相互のあいだに強引に引かれた関係付けは、けっして語られることのない物語として単に生きられ経験されることによって、一切の異議を受けつけないものとなる。マトゥミアを行なうことを通じて、ただ漠然と義務あるいは責任と感じられている夫婦の性交が晒されるかもしれない問いに、前以って答えが与えられてしまうのである。かくして夫婦の性交に義務や責任をうすうすとではあれ感じることは、きわめて「自然な」ことだということになる。

死を投げ棄てなければ、屋敷には次々と死が訪れるであろう。そして死を投げ棄てるためにはしかじかのことを為さねばならない。なぜならそのしかじかの行為を為すことが、そもそも「死を投げ棄てる」ということだからである。かくして構成的規則に従う行為一般がそうであるように、ここには一切の逃げ道はない。そして人々は「死を投げ棄てる」という目的が具体的にはどのようなものであるかをはっきりとは知らぬまま、ハンガを経験し死を投げ棄てる。そしてそのとき事実死が投げ棄てられたのだと知るのである。

しかし一方で儀礼をきわめて効果的なイデオロギー装置としているこの同じ特性、「構成的規則に従う技術的行為」という一見ありえない組みあわせが、イデオロギー装置としての儀礼の死をも準備している。隠喩は常に死せる隠喩となる運命にある。そしてどの社会にも隠喩をそれとして受け入れることができず、何が何でも「字義どおりの表現」に言い直さねば気がすまない馬鹿や、隠喩を字義どおりにとってしまう馬鹿がいる。儀礼の目的の隠喩性が失われるとき、儀礼はまさに構成的規則に従う行為というその特性の故に、目的との連関を失い、「意味のない形式性」に転落する。

もちろんそうした状態にあっても、無意味であると知りつつ儀礼が遂行され、儀礼が張りめぐらした関係性の網の目に人々を首尾よく捕え、かくして人々がその語られることのない物語を生きてしまう限り、儀礼はなおその効果を発揮し続ける。しかし、再生産されるべき秩序そのものが外部の暴力によって既に失われ、あるいは人々が自らの行為に対する感受性を失い、儀礼が、まさに構成的規則に従う行為であるというその特性故に可能となることであるが、単に規則として無感動に盲目的に従われるとき、それは物語として人々の経験を組織する力を失うだろう。儀礼が設定する関係性の網状組織は、もはや生きられない。それは見て取られるべきもの、解読されるべきもの、そして語られるべきものとなる。儀礼は観賞の対象、単なる見世物となる。そして今や儀礼の物語は、物語として語られ、かくして誰が発したわけでもなく、また誰が受けとるわけでもないメッセージとなる。誰もが儀礼を観賞し、その「象徴性」について語り始める。彼らこそ儀礼の最後の殺害者である。


<註>

(1)ドゥルマ(Duruma) は、ケニアの東海岸からタンザニアの北部にかけて南北に帯状に分布するミジケンダ諸族の一つで、人口は約15万人を数える。ドゥルマのほとんどはクワレ県の海岸ぞいにはしる山脈をはさんで内陸側のサヴァンナ叢林地帯に住んでいる。トウモロコシを主作物とするバントゥー系農耕民であるが、牛、山羊、羊などの牧畜もかなりな経済的重要性をもつ。

(2)Goody 1961, Leach 1954, 1966, 1968.

(3)行為とその目的との関係についての以下の議論は Anscombe 1957 に基く。

(4)構成的規則に関しては、Rawls 1955, Seale 1969 参照。

(5)Anscombe op.cit.

(6)記述とコンテクストあるいは関係性は相互反照的な関係に立つ。単にある関係性におかれた行為がその関係性に即して記述されるというだけでなく、ある行為をある記述のもとに捉えるということは、その行為をその記述が成立するような関係性のなかに見るということでもある。

(7)熟していないハンガの数年後に「熟したハンガ hanga ivu」と呼ばれる死の儀礼が開かれる。死者の未亡人や財産の相続は「熟したハンガ」の後に行なわれる。この二つのハンガの間の期間、未亡人や死者の屋敷の人々は、軽い服喪の状態に置かれる。マトゥミアは最初のハンガの後にのみとり行なわれる。

(8)ドゥルマにおいて「屋敷 mudzi」はコンテクストに応じてさまざまな範囲の集団を指す。「屋敷」と呼ばれる最も小規模の集団は、夫とその複数の妻たち、およびその子供たちからなる集団である。しかし既婚の息子たちは、父の存命中は、通常父の「屋敷」内に屋敷をかまえ、父の屋敷に属するとされるのが普通である。父の死後も、同じ土地に暮す息子たちは自分たちの屋敷を父の名前で呼び続ける。父の存命中に他の土地に移った既婚の息子は、ほとんどのコンテクストで独立の屋敷を構えているものと見做される。しかし父の死に際しては、彼らも父の屋敷の成員として扱われる。同様に婚出した娘も、コンテクストによっては父の屋敷の成員と見做される。屋敷は居住単位であると同時に、親族単位を指す言葉としても使われうるのである。いずれの場合も、屋敷 mudzi は外 konze との対立においてとらえられる。

(9)妻が死んだ場合、その夫は彼の別の妻を相手にマトゥミアを行なう義務がある。もし彼に他の妻がいない場合、町で売春婦を相手に行なわれるが、やはり無言で手早く済まさねばならない。呪液での治療はマトゥミアの前に行なわれる。子供が死んだ場合、その両親が行なう。やはり地面で無言で手早くなされねばならない。息子とともに暮す寡婦が死んだ場合、その息子に義務があるが、これは特例であるため、複雑な儀礼的手続きを伴う。ときにマトゥミアは失敗することがある。屋敷に引き続き死が訪れ、占いの結果、マトゥミアの際に口をきいてしまったことが明るみに出されるかもしれない。このような場合、羊が屠殺され、それによって治療した後、すべてが再度やり直されることになる。

(10)ドゥルマは14の父系クラン mbari ya kulumeと約20の母系クラン mbari ya kuche をもつ二重単系社会である。父系クランはムエジおよびムリマと呼ばれる 7つずつの半族を構成する。各父系クランはさらに「戸 muyango」と呼ばれる大リニージ、「家 nyumba 」と呼ばれる小リニージに分節している。その下の単位が「屋敷」である。埋葬とそれに続くハンガは死者の小リニージに属する人々によって主に取りしきられる。それより上の単位、大リニージ、クラン、半族に属する人々は死者との個人的な関係によって参加し、補助的な役割を演じる。彼らは他の弔問客たちとは名目的に区別されている。死者の屋敷の成員以外は、しかし屋敷にとっては「外」の人々である。

(11)慶田勝彦氏よりの情報

(12)意味の四角形、あるいは意味の「基本構造」についての詳細は、Greimas and Rastier,In Greimas, 1970:135-155. を参照されたい。なお三角形から四角形への移行の意味については Jameson, 1972:166-168. 意味の四角形のイデオロギー論における重要性は、Jameson, 1981.

参考文献

Anscombe, G.E.M., 1957, Intention. Oxford: Basil Blackwell.

Goody, J.R., 1961, ‘ Religion and ritual’British Journal of Sociology 12:142-64.

Greimas and Rastier, 1970, ‘ Les Jeux des constraintes semiotiques’In Greimas, A.J., 1970, Du Sens. Paris: Seuil.

Jameson, F., 1972, The Prison-House of Language. Princeton University Press.

Jameson, F., 1981, The Political Unconscious. Cornell University Press.

Leach, E., 1954, The Political Systems of Highland Burma. Boston: Beacon.

Leach, E., 1966, ‘ Ritualization in man in relation to conceptual and social development ’In Lessa, W.A. and E.Z. Vogt, eds., 1979, Reader in Comparative Religion. pp.229-233.

Leach, E., 1968, ‘ Ritual ’In International Encyclopedia of the Social Science. New York: Macmillan and Free Press.

Rawls, J., 1955, ‘ Two concept of rules ’Philosophical Review 64:3-32.

Searle, J.R., 1969, Speech Acts. Cambridge University Press.


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