妻を引き抜く方法:儀礼をめぐる問題系の配置(補充版)

html 化 05/1995 (original text 11/1994)
最終更新 07/10/1997

要旨

人類学者は、さまざまな実践をまちまちな理由に基づいて「呪術」に分類しているように見える。呪術というカテゴリーがなんらかの統一された研究対象を規定しているとは考えないほうがよいのかもしれない。本論は、行為とその結果の結び付きについての知識の特殊な性格が、その知識を前提とした慣行を「呪術的」に見せているような場合について検討する。ケニア海岸地方のドゥルマにおいては、水甕を夫が動かすことが、妻に死をもたらす行為であるとして禁じられている。ここでの、水甕を動かすことと妻の死との因果的な結び付きについての知識を構成している諸要素の関係を明らかにすることが本論の具体的な課題である。この知識の内部では、妻と彼女が所属する屋敷との関係についての「隠喩的」な語り口の内部での必然性と、水甕を動かすことと土器の壺をめぐるさまざまな慣行とのあいだの相対的有縁性が、恣意的な規約性によって結び付いている。この種の規約性と因果性の配置は、呪術と分類されがちな慣行が前提としている知識の特徴の一つである。従来の象徴論的な分析が、この配置についての誤認に基づいたものであることも示される。

目次

  1. はじめに
  2. 夫と水甕
  3. 象徴論的解決
  4. 象徴論的解決の問題点
  5. 妻と屋敷をめぐる語り口
  6. 隠喩的論理性と構成的規則
  7. 有縁性の領分
  8. 諸関係の配置
  9. 参考文献

はじめに

人はビルの十階から落ちればまず間違いなく死ぬ。これを納得するのに万有引力の法則についての知識や、実際の経験による検証が必要なわけではない。少なくとも私は試してみたことも、実際にこの目で見たこともない。それは、わざわざ根拠を挙げて説得してみせる必要すらない当たり前の知識、世界はそんな風に--ビルの十階から落ちれば死んでしまうように--できているのだとでも言うしかないような知識である。また部屋の特定のスイッチを押せば部屋に電灯がつくことは、壁の中の配線の存在や電気の仕組みについて何も知らない幼稚園児ですら知っている。そのスイッチを押せば電灯がつくのは当たり前のことであり、彼にとって世界はそんな風に出来ているのである。私の知りあいのドゥルマの人々によると、ナイフで人が怪我をしてしまった場合、特定の植物を用いた薬液でナイフを洗えばその傷の回復は早まる--あるいはそうせずに放置したりすれば傷の治りが遅れるどころか、同様な事故が屋敷の他の人々にも降り懸かることになる。これは人々にとっては、誰でも知っている当然の話である。別にそれを説明してくれる理論があるわけではない。ただ世界はそんな風に出来ているのだ。

人を殺そうとしてビルの十階から突き落とした人は、けっして人殺しの呪術を行なったとは言われない。部屋に明かりをつけるためにスイッチを押している幼稚園児も、呪術で灯りをともそうとしているわけではない。それなのに、怪我人の傷が早く治るようにと彼を傷つけたナイフを薬液で念入りに洗っている人については、「呪術的」治療を行なっていると言われがちである。ナイフに薬を塗れば傷が癒えるという知識そのものが間違っているからだと言いたくなるかも知れないが、どのような経験がこの知識の持ち主にそれを撤回する気を起こさせるかを考えてみれば、話はそう簡単でないことがわかる。フランシス・ベーコンは、当時のイギリスで行なわれていた同様な治療法について、「実験」にもとづいてその効果を確信していた(フレーザー 1981(I):112-3)。そもそも、間違った知識がその行為を呪術にするというのであれば、アスピリンが胸焼けに効くと勘違いして飲み続けている人は、呪術で消化不良を治そうとしていることになってしまう(註1)。

いずれの場合も、Aという出来事の結果としてBという出来事が起るという知識にもとづいて、結果Bを手にいれようとしている点では同じである。そして出来事Aと出来事Bを結び付ける知識を当然のものとして保持するのに、経験による完璧な裏付けも、理論よる裏打ちも必ずしも必要とはしていない。むしろそれらが世界の秩序についての当たり前の知識の一部になっているのは、単に誰かからそう教えられ、誰もがそう言っているという事実の結果でもある。世界に対する実践的かかわりという点では、この三者を区別するものはない。

人類学者はあまりにも雑多な慣行を、それぞれ異なる理由に基づいて呪術に分類してしまっているため、「呪術」という言葉はもはや統一的な研究対象を指しているとはいいがたいものになっている。土地の人々自身が自分たちの常識での理解を越えたものであると認め、いくぶん半信半疑の目でながめている怪しげな術--そこでは常識を越えた力や不思議な出来事についての人々の想像力の思う存分の働きが見て取れる--と、彼らにとっては現実的な問題に対する常識的な決まりきった手順に属するものとがともに「呪術的」という言葉で括られてしまうのは、たしかに不当である。

私はなにも出来事の結び付きに関するそれぞれの知識に何の違いもないと主張するつもりはないし、人々が常識的な関係として受け入れているものを「呪術」として捉えることがまったく的外れだと言うつもりもない。単に呪術という言葉とそこに含まれる余計な含意にこだわらずに、行為とその期待される結果との結び付きに関する知識の性質について再検討してみたいと思うだけである。本論考では私の調査地で夫に課せられている一つの禁止を例にとり、こうした知識の一つの特殊なタイプについて考察してみよう。そこでは行為とその結果は規約性=無根拠性によって媒介されている。おそらく「呪術的」とされてきた実践の少なくともあるものは、この種の知識を内蔵した実践なのである。

夫と水甕

水甕はどの家庭にも見られるごく普通の日用品である。水道が普及していないドゥルマの多くの地域ではもちろんのこと、水道水が利用可能な一部地域においてさえ、生活に必要な水は女性による水汲みに負っている。汲んできた水を貯えておくのが水甕である。この地域の水事情は、けっして豊かとは言えない。入院施設をもつ大きな診療所をかかえたキナンゴの町までは、モンバサの水源の一つとなっているシンバ・ヒルの山腹にあるマレレ・ダムから水道管が引かれている。この水道管に沿った一部地域が、水道水の利用が可能な地域である。途中数ヵ所に設置された水道栓の所有者が朝夕二回水道栓を開き、バケツ一杯につきいくらの料金をとって女たちに水を売る。キナンゴの町でも、屋内に水道栓を引き込んでいる家はほとんどなく、町のかなりの住民が公設の水売り場から水を買って家に持ち帰る。水道を自宅に引いている人々も、水道栓を屋外に設置しており、日常使う水はやはり汲み置きの水である。一年のかなりの期間は給水制限が行われており、その間はキナンゴへの給水は朝夕二回に制限されている。乾期になると、この朝夕の水道の水さえも滞りがちになり、深刻な水不足が生じる(註2)。しかしキナンゴと、マレレからキナンゴに至る水道管沿いの一部の地域は、地表水に飲み水を頼っている他の地域に比べると、圧倒的に恵まれている。この水道が利用可能な地域は、ドゥルマの人々が居住している広大な土地のほんの一部にすぎない。大部分の地方の住民にとっては、雨期の雨の直後だけ水が流れる谷間のところどころに残った溜り水や、各地に自分たちで掘った小規模の溜め池だけが主たる水源である(註3)。大きな屋敷のなかには自らのため池を持っているものもあるが、乾期にはこれらのため池の多くは干上がり、女性たちは水を求めて、歩いて何時間もかかる遠くのため池まで水をもらいに行く。水汲みは、この地方の女性たちに課せられた一日たりとも欠かすことの出来ない重労働である。

汲んできた水は、それぞれの夫人の小屋の内部にもうけられている炉の近くに置かれた容器に貯めておかれる。昔ながらの土器の大きな壷もまだまだ用いられているが、大型のポリバケツやプラスチック製の容器にとってかわられていることも多い。水を貯えておくためのこうした容器はシミキロ(simikiro)という特別な名前で呼ばれる。一応水甕と訳しておくが、この言葉は「(地面に)突き立てる、据え付ける、安置する」などの意味の動詞シミカ(ku-simika)の派生語である。この表現に呼応するように、水甕に対しては「動かす」という動詞の代わりに「引き抜く(ku-ng'ola)」という表現を用いる。水甕をめぐる禁止はこれに関係している。その所有者である妻以外の者、とりわけ彼女の夫がそれを「引き抜」いては、つまり動かしてはならない。それは「屋敷から妻を引き抜くこと」であり、妻を死に追いやる行為だと言うのである。炉石(figa)についても、それを動かすことは同じく妻を引き抜くこととして禁止されている。炉石の場合はある意味でさらに徹底しており、小屋などの移転の際にもこれまで使っていた炉石はそのまま放置していかねばならない。新しい小屋で、新たに手にいれた石を用いて炉を設置し直す必要がある。水甕の場合は、その所有者である妻によって移動することは自由である。

ある意味でとるに足らない些細な禁止であるといえるかもしれない。もとより夫には好き好んで水甕や炉の石を動かさねばならない理由などないので、こんな禁止など普通にしていれば自動的に守られてしまう。おまけに水甕が置かれている炉の近辺は、男が普通近づかない女性の空間でもあるので、ますます夫が水甕を動かそうなどという気になる機会は乏しい。小屋は、前庭(muhala)に面して一つだけある戸口を入って左側が2層になり、上は収穫した穀物を入れておく穀物蔵(chitsaga)になっている。穀物蔵の下のちょっとかがんだ姿勢でないと頭をぶつけてしまう空間が、女性たちが炊事を行う台所(jikoni)であり、炉が切ってあるのもこの空間である。妻のある男にとって、この空間は、彼に一人しか妻がおらず、しかもその妻が月経期間中(この間妻は夫のために料理を作ることはできない)か病気で、おまけに手伝ってくれる女の子(自分や兄弟の娘など)も手近にはいないなどという条件が重なって、妻帯者でありながら自分で料理を作るような羽目にでもならない限り、まず用のない空間である。という訳で水甕を動かすなという禁止は日常生活を続けていく上では、どちらかというと余計な禁止である。この禁止があろうとなかろうと、人々の暮らしには見た目に何の違いもないであろう。事実私はこの禁止がやぶられたという話を一つしか知らない。ある男の愚かさを嘲笑する陰口の中で、彼が怒りにかられて水甕を持ち上げようとしたことが、いかにも分別のない愚かな振る舞いとして語られたのを聞いたのみである。しかしこの禁止を、私が幼い頃聞かされた夜中に爪を切ることを戒める禁止のような、それを破ったからといってどうということもないような禁止の類と同列に考えてはならない。単に普通にしていれば破ったりすることはないというだけでなく、「うっかりと」破られてしまう可能性が少ないだけに、なおさらもし破られてしまったら実際に大問題になることも確かなのである。ある女性は、自分のへそくりのもっとも安全な隠し場所が水甕の下であると教えてくれた。ビニールに念入りに包んでその下の地面に埋めておけば、たとえ夫でも手が出せないのだと彼女は言う。この禁止の遵守を思い切りあてこんだ策略である。

水甕や炉石を動かすことによって妻が死の危険にさらされるのは、彼女がその屋敷に留まる限りにおいてのことだと言われる。ヒツジの供犠によって本格的に屋敷を「冷や(ku-phoza)」さない限り、この状態は解消されない。それゆえ夫が水甕や炉石を動かすことは、結果的には妻を屋敷から放逐する行為となる。妻は自分の死を怖れるなら二度とその屋敷には近づけないことになるので、それは取り返しのつかない夫婦関係の崩壊をもたらしてしまう。そんなわけで、たかが夫婦喧嘩で怒りに我を忘れて水甕に手をかけてしまうような男は、その軽率さ、分別のなさを非難されても無理はない。この行為がもたらすとされる妻の死がどの程度現実的な可能性として想定されているのかを評価することはもちろん難しい。たしかに妻の死を現実に引き起こすまでもなく、この行為には、夫婦関係の破局を通告する行為、妻に対する深刻な侮辱あるいは夫婦間の重大なエチケット違犯として、それだけで十分深刻な「社会的」な帰結がそなわってしまっている。重ねて妻の死を付け加えてみても余計なことに思えてくるほどである。しかしこの禁止の社会的な帰結の深刻さが、妻の死の可能性を抜きには語られないという事実も忘れてはならない。本論ではこの、水甕を動かす行為とその帰結として想定されている妻の死という2項の結び付きの性質を検討していこう。なぜ水甕を動かすことが、妻の死に結びつくというのだろうか。これが、呪術において問題にされてきた出来事の結び付きと同質の結び付きであることはたしかである。この二つの出来事の結び付きの「当たり前さ」の性格について検討する必要がある。

象徴論的解決

 こうしたケースで常套的な説明を提供する人類学的アプローチの一つに象徴論的なアプローチがあるが、まずその不十分さを指摘するところから始めよう。象徴論的なアプローチは、こうした問題に際して水甕や炉石の象徴性を問題にするところから始めるであろう。そして簡単な解決が待っている。水甕は女性、あるいは妻の象徴なのである。水甕を動かすこと、つまりそれを「引き抜く」ことは、妻を引き抜くことを象徴している。まさにこの理由でその行為は禁止されているのだということになる。これほど粗雑な形をとらないにせよ、これが人類学でかなり常套的な語り口であったことに気付くだろう。関連する他の様々な慣行が証拠として動員できれば、ますます説得力を増す。実際、さまざまな慣行のなかに炉石や土器の壺を女性に等置する同じ象徴的図式が容易に見てとれる。

 炉石と女性との連想は、直接的で明示的である。占い(mburuga)の語りで炉と言えば女性のことを指すからである。炉は、小屋の主柱(mulongohini)が「夫」であるのに対する「妻」であると語られたりもする。「屋敷を据えるのは誰だ?主柱と炉じゃないかい?だって主柱は夫、炉は妻だから。...でも奇妙なことに、屋敷を移転する際に炉石は持っていってはいけない。妻は引き抜かれるのがきらいなんだ。(「では、主柱は?」の問いに)主柱?引き抜いて持っていく。だって夫には自分の場所があるからね。」

 土器の壺と女性の等置はこれほど明示的ではないが、一人一人の妻と水甕のあいだにはきわめて個人的な結び付きがある。水甕の内部を洗うことができるのは、それを所有する妻本人だけで、夫の別の妻たちには手が出せない。まんいち他の妻が洗ってしまうと、それはもはや元の所有者であった妻のものではなくなる。彼女がそれを使用しようとすると、彼女は病気になってしまうというのである。

 またドゥルマの母系クラン(ukuche)はキフドゥ(chifudu)と呼ばれる土器の壺を管理しており、この壺はときおり母系クランの成員を捕らえて病気にすると言われている。ボラ(bora)と呼ばれるキフドゥの管理者たちが行なう「水を打つ(ku-piga madzi)」という名の治療は、キフドゥの壺に水と細かくちぎって揉んだ数種類の薬草をいれ、壺を股のあいだに挟んで内側を丹念に洗い、その水で患者の全身を洗うというものである。キフドゥの壺は通常は地面から離して高いところに保管されねばならず、またその内部もいつも乾いている。雨が降っても、けっして中が濡れることはないのだとさえ言われる。ときおり祭祀メンバーが集まってそれを降ろし、黒い鶏を供犠し、壷の内部を水で洗ってやらねばならない。キフドゥが引き起こす病気は、母系集団の成員が壷のことを思い出し、その内部を洗ってくれるよう、キフドゥの壺が督促しているせいだとされる。キフドゥの壺は、あまりにも長期にわたってなおざりにされると「悲しみ怒って」自らを土中に「埋葬(ku-zika)」してしまう。そうなると母系集団はゆっくりと死に絶えてしまうだろう。壺は母系集団の連続性と豊饒性に結び付いているようにみえる。

 土器の壺と女性あるいは子宮との等置はさらに「土器片の呪詛(chirapho cha dzaya)」の観念の中にも見いだされる。自暴自棄になった人が(とりわけ年老いた女性が)呪詛の言葉とともに土器の壺を地面に叩きつけて壊すのは、きわめて破壊的な呪詛である。それは当人も含め、彼女の母系集団の成員全員に徐々に死をもたらす。それは「クランの息の根を止める(ku-maligiza)。」別に特別の壺ではない。日常生活で用いているごく普通の壺である。したがって家事のおりに誤って壺を割ってしまった者は、自分が「悪い言葉(maneno mai)」をもってそれを割ったのではない旨をただちに口にせねばならない。土器片の呪詛が打たれたことが知れると、関係する母系集団をあげてのヒツジの供犠をともなう大規模な治療儀礼が緊急に必要となる。女性が呪詛の言葉とともに自分の性器を殴りつけることによっても同じことが起るとされており、この行為もなぜか「土器片の呪詛」と呼ばれている(註4)。

 水で満たされた土器の壺である水甕についても、子宮との等置を暗示する用いられかたがあった。ビョーニ(vyoni)と呼ばれる異常出産児の処理である。かつては逆子や双子はビョーニと呼ばれて殺害されていた。水甕に沈めるというやり方は最も一般的な方法の一つであった(註5)。「もしお前がビョーニならもといたところに帰れ」そう唱えながら、母方の祖母によって子供は水甕に沈められた。あたかも「壺=子宮」へと戻されることをつうじて、ビョーニはそれが本来所属しているブッシュの霊たちの世界に送り返されるかのようである。ドゥルマの起源に関する物語のなかには、最初の祖先が空から土器の壺に乗って降りてきたと語るものがある。壺は最初の人間がそこから現われる場所である(註6)。

 このように見てくると、ドゥルマでは土器の壺が女性とその豊饒性を象徴している、あるいは土器の壺を女性や子宮に等置する象徴図式が存在している、と考えることは自然であるのかもしれない。むしろ土器の壺をめぐるこれら一連の観念や慣行が互いに何の関係もないとすれば、その方がよほど信じられない話だ。夫による水甕の移動を禁じる規則がこうした象徴的等置図式の産物であり、それが「妻を屋敷から引き抜く」ことを「象徴」しているがゆえに禁じられているのだという説明にも十分な説得力があるという気がしてくる。さらにこの図式によって打ち立てられているのが女性(子宮)と壷との「類似性」であると考えるなら、禁じられている行為はフレーザーの言うところの、類似性に基づく共感呪術であるということにもなる。

象徴論的解決の問題点

にもかかわらずこうした象徴論的解決には根本的な誤りがある。
そもそもこの種の象徴論的分析は幾つかの理論上の問題を抱えている。第一に「象徴的等置図式」の存在論的な地位が問題である。慣行を図式の産物として捉えることは、そうした図式をあたかも諸々の慣行とは独立に自存している何かであると見なすことである。諸慣行の「背後」や「深層」にある図式といった言い方に特徴的に見られるように、そこには奇妙な錯覚が含まれている。もともとこうした等置の図式はドゥルマの諸々の慣行を互いにつき合わせてみたとき、そこにパターンとして見て取られたのであった。したがって、もし図式がどこかに存在すると言えるとすれば、まさにこれら一連の慣行どうしの現実の関係のなかにであって、けっしてそれらとは別のところ、例えばそれらの背後や裏側といった、現実にはどこでもないような架空の場所などにではない。しかしこの空間の比喩が含む分断が、図式をそれを具現している当の諸慣行から切り離し、おまけにそれらの諸慣行に論理的に先行するという、本来もっていない怪しげな独立した地位を与えてしまう。こうした図式を体現している個々の慣行がひとつひとつ消えていき、すべて消え去った後にそれらを生み出していた図式だけがどこかに残っているなどということがありえるだろうか。ばかばかしい話である。しかしこれこそ象徴論的解決が理論的に行き着いてしまうところなのである。

 第二に、あるaという行為なり出来事が他のbという行為なり出来事を「象徴している」と語る語り口そのものに問題がある。そう語ることは前者aから行為なり出来事なりとしての実効性を奪い取ってしまう。aがbを「象徴する」と語ることは、aがbを別の仕方で「実行する」ことだと語ることではもちろんないし、そもそも何かをすることであると語ることですらない。単にbを別の仕方で「言い表している」のだと主張することにほかならない。単に「言い表す」ことがどうやってなんらかの具体的な結果、不幸や災いを引き起こしうるというのだろう。当の行為からその行為としての実効性を原理的に排除しておいて、その後でいかにその行為に現実的な効果が想定されうるかを説明しようとしたところで、もうあとの祭りである(註7)。それは問題を単にいっそう複雑で解決困難な形にしてしまう。

 しかしこうした理論的困難よりも何よりも、「水甕を動かす(引き抜く)ことが妻を屋敷から引き抜くことを象徴している」と語ることのなかに含まれているナンセンスに気付かねばならない。ドゥルマの人々自身は、水甕を動かすことが妻を屋敷から引き抜くこと「である」と言っている。両者は象徴の関係というより、同一性の関係である。「相手に向かって銃の引き金をひく」ことが「相手を殺す」ことであるからといって、いったい誰が、相手に向かって銃の引き金をひくことが相手を殺すことを「象徴」しているなどと言い出したりするだろうか。それは殺人そのものである。同一の行為が二通りの形で記述されているだけなのである。たしかに次のように言いたくなるかもしれない。人は「水甕を引き抜く」ことによって実際に妻を引き抜いているわけではない。単に象徴的に引き抜いているだけではないか、と。しかし何をすれば象徴的にではなく文字どおりに「妻を引き抜」いたことになるというのだろうか。別に妻は屋敷に「文字どおり」据えつけられているわけでも、植え付けられているわけでもない。仮に誰かからお前の妻を引き抜いてみろとそそのかされてその気になったとしても、我々は実際に何をすればよいのか途方にくれるだけであろう。何をしたところで文字どおりに「妻を引き抜く」ことなどできるわけがない。「水甕を動かす」ことが象徴しているはずの当の「妻を引き抜く」という表現に対応する文字どおりの行為など、もともと存在しなかったのである。もちろん人々は具体的に何をすることが「妻を屋敷から引き抜く」ことになるのかわかっているのだが、それはけっして象徴論者を満足させるものではあり得ない。「炉石を動かすこと」「水甕を動かすこと」というのがそれだからだ。それが妻を引き抜くという言い方が対応している唯一の「文字どおり」の具体的な行為なのである。したがって次のように言わねばならない。「妻を屋敷から引き抜く」ことは、「水甕を動かす」ことによって「象徴」されたりする、何かそれとは別の行為などではない。「水甕を動かすこと」がすなわち「妻を屋敷から引き抜く」行為そのものなのである。同一の行為が、二つの異なる記述のもとに眺められているという構図である。それは象徴し、象徴される関係とは別ものであり、ここに象徴という言い回しを持ち込んでも、問題を単に紛糾させるだけにしかならない。

妻と屋敷をめぐる語り口

上の議論に対して別の方向からの異議がありうる。同一の行為に対する複数の異なる記述という構図--アンスコムが日常的な行為一般の分析においてきわめて強力な武器であることを証明したが(Anscombe 1957)--を「儀礼的」な行為に適用しようとすることを困難だと思わせる理由がある。儀礼的な行為が自らを記述する表現--ここでは「妻を屋敷から引き抜く」という表現--が、上で見たように、字義通りの解釈を拒んでいることがここでも再び問題になりうる。

同一の行為が複数の異なる記述のもとで眺められているという構図において、それぞれの異なる記述は、一方が他方の単なる言い換えという関係に立っているわけではない。ある殺人の行為が復讐でもあるという場合、同じ一つの行為に対するこの二つの記述--「殺人」と「復讐」--が単なる言い換えであるなどとはとても言えないであろう。それぞれの記述は、同じ一つの行為がそれぞれ異なる観点から、異なる関係の中で眺められたときに見せる姿を示している(註8)。それぞれの記述には、互いに独立した意味がある。「水甕を動かすこと」と「屋敷から妻を引き抜くこと」の間にも同じことが言えるだろうか。「水甕を動かす」方はともかくとして、「妻を引き抜く」方はたった今それがいったい何をすることであるのか--それ自体として何を意味しているのか--が我々には実はよくわからないのだということを確認したばかりである。つい先ほど象徴論的説明を振りかざしていたときとはうって変わって、今や我々は「妻を引き抜く」という行為を現実的な実行可能な行為として眺めることができなくなっている。それは単なる奇抜な表現、一風変わった言い回し、それ自体として具体的に何かを意味しているわけではない単なる言葉の綾でしかないように見える。それがこの二つの記述の関係を、同一の行為に対する殺人と復讐という異なる記述の関係と同じだと考えることを躊躇わせる。「水甕を動かす」行為を別の観点から、別の関係の中でとらえたときに、それが「妻を屋敷から引き抜く」行為という姿をとるのだと言おうにも、そもそも「妻を屋敷から引き抜く」という記述が行為のどんな姿を指しているのかわからないわけであるし、行為がそうした姿で見て取れるという観点なるものが、どのようなものであるのかも当然見当のつけようがないからである。

この種の一風変わった言い回しは、人類学者が儀礼と名付けるさまざまな行為につきものの特徴の一つ--儀礼にその独特のエキゾティックな、違和的な香気を付け加えてくれるかもしれない--ではなかっただろうか。たとえば我々は服喪の最終日にドゥルマの人々が寡婦を「巣立ちさせ(飛び立たせ)」ようとしたり、「死を投げ棄て」(浜本 1989a)ようとするのを見るだろう。我々はこの表現をそこで行なわれる手続きに対して与えられた単なる名前、ちょっと奇抜な呼び名にすぎないかのように見過ごしがちになる。もちろん寡婦に翼があるわけでもなければ、死は物のように手にとったりもできないので、これらの表現を字義通りにとるわけにはいかない。たしかに妻を引き抜こうとしたと言って非難されている男は、彼の妻の身体を抱えて何かしようとしたわけではないし、服喪の最終日に人々が寡婦にありもしない翼で羽ばたくように急き立てるわけでもない。いずれの表現もそれが字義通りに意味する行為を指してはいない。その意味では、どれも「比喩的」な表現である。しかもそれらが何をたとえているのか、字義通りの表現に言い換えるとどういうことなのかすら、はっきりしない比喩である。

しかしそれを比喩と呼ぶことによって、まるで単なる表現上の趣向ででもあるかのように、それに重要性を認めるのを拒むことになるのだとすれば、それは間違っている。なぜならその「比喩的」な言い回しが、同時に屋敷と妻との関係について語るごく普通の語り口の一部を構成してもいることがわかるからである。「妻を引き抜く」ということについて人々に説明を求めた場合、それがどういうことであるかを直接に答えるかわりに、しばしば例えば次のような説明が返ってくるだろう。「だって妻は屋敷にきちんと置かれているものではないだろうか。という訳で彼女は引き抜かれるのだ。」「屋敷にもってきたものは、きちんと置く(据える)必要がある。ただもってくる、そんなことは駄目だ。それは(もってこられたものに)病気を注ぎ込むことになる。妻を引き抜くのは、彼女を本当に憎んでいるということだ。」あたかも「妻を引き抜く」とか「据える」とかに比喩性などまるで認めていないかのように、それらがごく普通の現実的な行為であるかのように語られている。しかもこうした語りには一種の一貫性すらある(註9)。

「妻を屋敷から引き抜く」という表現は、妻が屋敷に「据え」られた存在であることを含意する。最初の証言は事実まさにそう語っている。それは妻というものが屋敷に「据えられた=きちんと置かれた(kp'ikp'a to)」存在だと語る。据えられたものなのだから引き抜くこともできるのだ、というのがこの証言の伝えようとしているポイントである。二番目の証言は、屋敷にただいる状態ときちんと置かれている(据えられている)状態の違いを語っている。きちんと置かれないで屋敷内に存在していることは、危険であるというのがそのポイントである。

こうした語り口は、実は妻の問題だけに限らず、屋敷に何か新しいものが加わる際の手続きについての、この地方での語りに共通する語り口である。妻に限らず、家畜にせよ、畑からの初めての収穫物にせよ、出産された子供にせよ、それらが屋敷にもたらされるときには、それを屋敷にきちんと「据え」てやる必要があると言われる。それらを屋敷にきちんと据えるためには、屋敷の長によってそれらを「産(ku-vyala)」んでやらねばならない。具体的にはマトゥミア(matumia)と呼ばれる特殊な性交--無言で手を使わずに手早く一回きりおこなう性交--をすることが「産む」ことである。文字どおり生まれてきた子供でさえ、もちろん後でもう一度両親によってちゃんと「産」んでもらう必要がある。「産」まずに屋敷に置いておくくらいなら「外に出(ku-lavya konze)」してしまった方がましだという言い方もある。きちんと置かれずに、屋敷にただいることは、それ自身にとって危険である。

妻についてもそれは言える。男が初めて妻を娶る場合、彼女は屋敷で夫と暮らし始める前にまず夫の両親に「産」んでもらわねばならない。息子の初めての妻が屋敷に連れてこられた夜、息子の両親は「背中合わせに」(つまり性関係抜きに)眠る。これは連れてこられた嫁を一晩「眠らせる」ことである。そして翌晩、両親は無言の性交を行って息子の新妻を「産」んでやるのである。これは「子供を産む(ku-vyala mwana)」マトゥミアと呼ばれている。もちろん息子の新妻は両親にとっては、新たに「子供」を手にいれることに等しい。その後数日間、新しい嫁は小屋の中に隔離され外に出るところを人に見られてはならない。彼女は一切の家事労働を免除され毎日丁重に養われる。夜毎に新郎、新婦の友人知人が訪れ、夜通し部屋でにぎやかに遊んでいく。夫の両親は、まだ嫁の顔を見ることは許されていない。夫の屋敷の経済的余裕によって、この期間の長さは左右される。そして「外に出す(ku-lavya kondze)日」と呼ばれる前もって設定されていた日に、大勢の来客の前で嫁は布をすっぽりかぶった芋虫のような行列の中に隠されて、小屋から連れ出され、新郎の両親に引き合わされ、両親の手から口に料理をねじこまれる。このにぎやかな祝祭の日がすんで、はじめてようやく夫は妻との夫婦生活を開始することができる。二番目以降の妻の場合にも同様な手続きがとられるが、この場合、彼女は夫の両親に「産」んでもらう必要はなく、夫が第一夫人と二人でこの新しい妻を「産む」手続きを行えばよい。いずれにせよ、この「産む」という手続きを経て、妻は屋敷にまぎれもなく「据え」られたことになる。産んでもらう前に、夫が新しい妻と屋敷内で性関係を持ったりすれば、それは彼女に「病気を注ぎ込む(ku-mtiya ukongo)」ことになる。

こうした一連の語り口の詳細な分析は別の機会に譲らねばならない(浜本 in print)。ただ「妻を引き抜く」という言い方が、単なるちょっと奇抜な言い回しなどではなく、こうした一連の語り口の中に位置づけられるものであることは明らかであろう。次の図はこの語り口における主要な表現相互の関係を示す。

Figure_1
<図1>

一種の体系性がここには見て取れる。この語り口を構成している表現はいずれも「比喩的」であるが、ここまでくると単なる言葉の綾としての比喩には到底おさまらない。レイコフとジョンソン(Lakoff & Johnson 1980)は日常言語における言い回しを分析することを通じて、我々の日常的な諸活動がいかに「隠喩的」な概念によって構造化されているかに注意を喚起している。こうした「構造的」な比喩は経験領域を独特の仕方で関係付け、組織する。逆にそうした経験領域は、まさにその比喩によって、初めてそれとして経験できるような経験領域である。我々は時間について「時間を無駄使いする(浪費する)」とか「時間を節約する」とか「時間をとっておく」「時間を稼ぐ」「時間を使い切る」等々の言い回しをごく普通に使っているが、これらの言い回しのもつ「隠喩性」を滅多に意識することはない。我々はそれらを我々と時間との具体的な関係を直截に指示するごく普通の表現として受け取っているし、またそれを踏まえて自分たちの時間に対する行動を組み立てている。しかし言うまでもなくこれらの言い回しは本来、お金や財物について語るための言い回しであり、良く考えてみるまでもなく、時間は字義通りに「節約」してみたり「浪費」できたりするような財ではない。時間を預かっておいてくれる銀行などどこにも存在しない。これらの言い回しは、本質的に比喩的なのである。しかしまさにこの語り口が我々の時間についての経験を構造化している(註10)。そして我々の時間経験のそのように構造化された側面は、この語り口以外の語り口で語ろうとすると--例えばこの語り口が「比喩的」であることに突如気づいて、それを字義通りの表現に直そうとするような場合に--かえって困難なほどである。我々は現に時間をこの語り口にそって、有効に使ったり、投資したり、節約したり、浪費したり出来るような「なにか」であるかのように経験している。時間をお金に等置する隠喩を文字どおり生きてしまっているのである。我々にとっては、例えば「時間を節約する」ことは現実的な実行可能な行為であり、時間の無駄使いを止めようというのは、我々にとっては気のきいた修辞などではなく、このうえなく現実的で耳の痛い提言である。このように構造的な隠喩は、ある特定の経験領域について語る語り口を用いて、別のより捉えどころのない経験領域を構造化し、それに対する理解を提供する(Lakoff & Johnson 1980:5)。

「妻を引き抜く」という言い方が属している一連の語り口も、これと同様な構造的な比喩であると考えることができよう。一連の体系的な比喩的な語り口は、屋敷をめぐるある特定の経験領域を、まさにその語り口で語られるような仕方で人々の理解に供しているのである。それは我々にとっての時間についての上述の語り口がそれを生きる我々にとって少しも比喩的でないように、その語り口に絡みとられている人々にとっては比喩的でも何でもない、リアリティについて直截に語る語りでありうる。もちろん我々には「妻を引き抜く」とか「寡婦を巣立ちさせる」とかが、ただの比喩的言い回しであるとか、儀礼に付けられた単なる名前であるかのように見えるだろう。しかし逆に「時間の無駄使いを止めよう」という我々にとっては疑いもなく現実的で、即実行可能な勧めをそもそも理解できず、いざ実行に移そうとして途方にくれるだけの人々がいたとしても、同様におかしくはない。そもそも本当に時間とは「使っ」たりできるものだろうか(註11)。構造的な比喩の比喩性は、それに絡み取られた者に対しては隠蔽されているというだけのことである。

レイコフとジョンソンは、こうした構造的な隠喩のもつ内的論理性にも注目する。隠喩には「リアリティを規定する力がある。リアリティの特定の特徴にハイライトをあて、別の側面を隠す一貫した<論理的帰結(entailments)>の網の目を通じてそうするのである。隠喩を受け入れると、それはそれが照らしだす経験の側面にのみ我々の目を向けさせ、その隠喩の論理的帰結を<真実>と見るように我々を誘うのである。」(Lakoff & Johnson 1980:157)時間を「無駄使い」すると時間がなくなってしまうのは当たり前の話だ、と我々は感じる。我々は時間をお金や財としてみる隠喩の論理的結論を、このように受け入れているのである。妻は屋敷に据えつけられた存在である。据えつけられたものは、もちろん引き抜くことができる。そして引き抜かれた存在は、そこでは生き長らえることができない。きちんと据えられて守られているものが引き抜かれてしまうと駄目になるのは当たり前ではないだろうか。もし水甕を夫が動かしてしまう行為がまさにこの「引き抜く」ことに当たるのだとすれば、妻がそのせいで死ぬのは実に当然の話だということになる。このロジック自体には「象徴的」なところも非合理なところも誤謬もない。死は「引き抜かれる」ことに続く充分ありえそうな帰結となる。

この一連の比喩的語り口がもっているこの体系性こそが、「水甕を動かす」行為を「妻を引き抜く」という記述のもとで眺めさせる、単にそれを「水甕を動かす」行為として捉えさせる関係性とは別のもう一つの関係性の姿に他ならない。

隠喩的論理性と構成的規則

しかし妻と屋敷をめぐるこの語り口のもう一つの特徴を見逃してはならない。具体的な諸行為の水準に関係付けようとした途端に、それは困難に陥るのである。もちろんこれは比喩的な語り口に多かれ少なかれつきもののことである。比喩を正確に字義通りの別の表現に置き換えることはできない。しかし何かを譬えているといえるような通常の比喩の場合、これはあくまでも「正確に」ということであって、一切の置き換えができないということではない。「時間を無駄使いする」というのが比喩的表現であるのはたしかであるが、それがどういうことであるかを、不正確であるとしても別のより字義通りの表現で説明し直すことは可能であろう。しかし妻と屋敷をめぐる語り口においては、それは困難であるように思える。ためしに屋敷に「据えられている」ということが、妻の実際のどのような状態を指しているのかと自問してみればよい。答えの見当もつかないはずである。単に空間的にそこにいることや成員的にそこに所属していることではないはずだ。それなら「住んでいる」とか「所属する」とか言えば済んだことである。「引き抜かれている」状態についても同様である。それが「具体的に」どのような状態を指しているのかはけっして自明なことではない。一連の語り口に登場する表現は、いずれも具体的な諸関係や行為による言い換えを容易には許さない。あえて言うならば、「妻であること」と「屋敷」とのある抽象的な関係に言及しているのだとでも言えよう。しかしそれをより明確にする術はない。引き抜かれた妻についての上述の語り口の一貫性が「隠喩」としての一貫性だったとすれば、それは字義通りの表現への言い換えを許さず、したがって具体的には何をたとえているのかがけっして明らかではないような隠喩--時間とお金の場合以上に--で語られているのである。引き抜かれた妻と死の結び付きは、その内部でのみのもっともらしい論理的必然なのである。

屋敷から引き抜かれた妻は生き永らえることが出来ないという知識に対抗して、「引き抜かれていても彼女には何事も起こらない」と反論してみてもなんの説得力もないだろう。引き抜かれているという表現に対応する具体的な事実を示して、その安全さを語ることなど出来ない相談である。同じ語り口で語ることが、反論そのものを無効にしてしまう。「引き抜かれている」という表現で何かが語りうると想定されている限り、引き抜かれていながら無事であるなどという主張にどんな説得力があろうか。決定的な論駁が可能だとすれば、それは「引き抜く」とか「据える」という表現そのものが「無意味」であるとすることであろう。しかしそれはこの語り口の外に出てしまうことなのである。

 しかしこの語り口が具体的な諸行為の水準に接続する--せざるを得ない--場所がある。例えば、「据えられている」状態から「引き抜かれた」状態への変化そのものをもたらす他ならぬ「引き抜く」行為そのものは、なんらかの具体的な行為に対応していないわけにはいかないだろう。しかし「据えられている」ことも「引き抜かれている」ことも、いずれも妻のなんらかの具体的状態について語るものではない以上、「引き抜く」行為だけが何か具体的な指示対象をもつことなどあろうか。そんな行為は原理的に存在しえないはずなのである。「引き抜く」ということが具体的にどういうことであるのかが、独立に決定できてはじめて、何をすれば「引き抜」いたことになるのかの決定に根拠を求めることができる。さもなければ、何がその行為に当たるのだとされても、それらは等しく無根拠であるしかない。「人を殺すこと」がどういうことであるかが、それ自体として独立に決定できるからこそ、ある行為が人を殺すことになるのかどうかを根拠をもって語ることが出来る。「妻を引き抜くこと」にはこうした独立性はない。ある特定の行為が別の行為よりも、妻を「引き抜く」点でより効率的であるとか、より優れているとか劣っているとかいえる根拠など、どこにもありはしない。なぜ他の行為ではなく他ならぬ「水甕を動かす」ことがそれに当たるのかには、何の根拠もない。それは恣意的な決定なのである。

おまけにこの恣意的な決定を与えているのは、当の禁止規則そのものである。夫による水甕移動を禁止する規則は、水甕を動かすと妻を屋敷から引き抜いてしまうからだと説明される。しかし実は、水甕や炉石を動かしてはならないという、まさにその規則が、何をすることが妻を引き抜くことに当たるのかを定義しているのである。ちょうど、「最終ディフェンスラインよりも奥でパスを受け取ってはならない」という禁止が、オフサイドが何であるかの定義になっているように。この禁止とは独立に、オフサイドが何であるかを言うことなどできない。同様に、水甕の禁止とは独立に、妻を引き抜くことがどうすることであるかを言うこともできない。

ここでは規則とそれが規制するものとの関係がやや特殊である。それはサールが通常の規則--規制的規則(regulative rule)--と区別して構成的規則(constitutive rule)と呼んだものが示す特徴である(Searle 1969)。通常の規則つまり規制的規則は、ある行為を対象としてそれに規制を加えるのものであり、規則の対象となる行為は当然ながら規則に先行する。道路では車は道の右側を通行してはならない。これは規則である。しかしこのような規則があろうとなかろうと、車で道を通行する行為自体は可能であるし、この規則を破ったからといって道を通行していなかったなどということにはならない。規則とそれが規制しようとする対象とは、互いに独立している。これに対し構成的規則にあっては、そうした独立性が欠けている。そこでは規則が、自らが規制する当の行為を定義するような具合になっている。構成的規則の場合「YするにはXせねばならない」という規則の表現は、容易に「Xすることをもって、Yすることとする」という別の表現に言い換えられる。結婚に際しては婚姻届を提出せねばならないという規則においては、この規則そのものが結婚するという行為を定義しようとしている。この規則を破った場合、規則を破りながら結婚した、ということにはならないで--左側通行の規則を破って通行しても、規則を破りながら道路を通行したということになるだけであるのと違って--単に結婚しなかったということになってしまう。水甕についての禁止規則も、「妻を引き抜く」という行為を定義しているのが当の禁止規則であるという点で、こうした構成的規則だったのである(註12)。

もちろん重要なのは規則をこのように2種類に分類して見せることでも、その違いに固執することでもない。規則という表現をもつにせよもたぬにせよ、ある種の実践において、当の実践が自分自身を自らの存在の根拠として持ち出してくる--言い換えれば外部に根拠を持たず、恣意的である--という構図が重要なのである。水甕をめぐる禁止を特徴づけるのもこれである。それは根拠の問いを封印してしまう。どうして夫が水甕を動かすと妻は引き抜かれてしまうのか?この問いには、なぜならそうすることが妻を引き抜くことだからだという形でしか答えられない。これは「なぜ水のことを例えば『ミオ』といわずに『ミズ』というのか?」という言葉についての問いと同じ構造である。答えなどありはしない。現に『ミズ』が水のことである以上、他の何も--例えば『ミオ』も--水ではありえない。規約の恣意性が露呈する。こうした「規約」は、規約といっても意思や合意によってどうにか出来る類の規約ではない。規則としての表現をもっているわけでもない。それは規則として従われるというよりも、単に生きられてしまっているような規約性である。

有縁性の領分

比喩的な語り口の内部でその意味が決定されているような行為が、具体的な実践に接合している場合、その結び付きは恣意的、規約的な結び付きである。これは極端な場合、ドゥルマで「水甕を動かす」代りに、「三回まわってワンと吠える」ことが「妻を引き抜く」行為として禁じられることすら原理的にはありえたということを意味する。これは馬鹿馬鹿しい結論にみえるかもしれない。実際、水甕に関するこの禁止が、少なくとも土器の壷をめぐるさまざまな慣行や、そこに見て取ることができるかもしれない図式--女性あるいは子宮と壷とを結び付ける等置の図式--と無関係であるとはとても考えられないことは、すでに確認したとおりである。水甕を禁止の対象とすることは、これら他の諸慣行のあいだに見てとれるパターンにあまりにもきっちりと収まっているように見えるために、ここでは恣意性どころか、象徴的な図式による決定性についてむしろ語りたくなるほどである。しかし前節までの議論がもし正確に進められていたとすれば、これはもはや可能な選択肢ではない。水甕を動かすことが妻を引き抜く仕方になっているという事実の規約性、その恣意性は動かしがたい。両者の結び付きの原理的な無根拠性を認めた上で、さまざまな慣行が示す照応関係や、そのパターンを正しく評価しなおす必要がある。

 おそらくソシュールにならって、「水甕を動かすこと」は他の諸慣行の存在によって相対的に動機づけられていると言えば正確であるかもしれない。良く知られているようにソシュールは言語を恣意的な記号のシステムとして理解したが、同時に記号相互の相対的な動機づけ(motivation 小林の日本語訳では「有縁化」と訳されている)にも注意を払っている(Saussure 1974:133[邦訳 182頁])。10が「ジュウ」であり、2が「ニ」であるのはまったく恣意的であるが、12が「ジュウニ」であることはそうではない。それは10が「ジュウ」であり2が「ニ」であるという事実に「動機付け」られている。言語の核心をなす恣意性と記号どうしの動機づけ=有縁性は、別に矛盾していない。「決定されている」と言わずに「動機づけられている」と言う、この違いに注目せねばならない。動機づけを決定性と取り違えてはならない。言語においては、記号の恣意性という「不合理な原理」の方が「本質的条件」となると、ソシュールは述べる(ibid.)。この根源的な無根拠性、恣意性がいかなる決定論も排除してしまう。10が「ジュウ」であり、2が「ニ」であるからといって、12が必ず「ジュウニ」でなければならなかったというわけではない。日本語が英語のように12を全く別様に扱う言語であったらと考えてみればよい。動機づけ=有縁性の関係は、決定の関係ではない。

さらに有縁性を形作る「統辞的、連合的秩序」(Saussure 1974:134)は一貫した閉じた体系にはなれない。あらゆるものが他のあらゆるものと何らかの点で類似しており、何らかの点で関係付けうるように、連合の網の目にはつねに際限のなさがつきまとう。壺をめぐる慣行の多くが「壺=女性(子宮)」のテーマで組織されているようにみえるという事実は、別の文脈で壺が頭の比喩として用いられることを排除できない。新生児の大泉門(ひよめき)が閉じることは、ドゥルマ語では「壺に蓋がされた(ku-finika dzungu)」と言う。明らかにここでは「壺=頭」である。有縁性は一つの方向のみにはけっして一貫しえない。

 慶田の報告によると、ドゥルマに隣接し、同様にミジケンダ・グループに属するギリアマでは、トウモロコシを砕くのに用いる「臼(vinu)」が「炉石(figa)と並び結婚した女性の象徴とでもいえるものである」(慶田 1994: 313)という。ドゥルマでも「つき臼(chinu)」は特別な扱いを受ける。役目を終えても、それを割って薪とすることが禁じられているのである。それは手足を膨満させる病気をもたらすだろう。つき臼を割る(ku-tsanga)のは「お前を育ててくれるお前の母親をたち割る(ku-tsanga)ようなもの」なのである。臼と女性は強く関連づけられている。とすればドゥルマでも、「妻を引き抜く」とされる禁止の対象が、炉石にならんで水甕の代わりに臼でも別によかったのだということにはならないだろうか。夫に課せられる禁止が、なぜ水甕についてのものであり、臼についてのものにならなかったのか、この選択を前もって決定するような論理などありそうにない。ただドゥルマでは現に禁止の対象が水甕であって、臼にはなっていないと言うことができるだけである。結局は規約の恣意性が勝利をおさめる。「3回まわってワンと吠える」が妻を引き抜くことであってはならない理由すら--それがそこに出てこなければならない理由となるとそれ以上に希薄であるが--最終的にはどこにもない。

 最後に、当の禁止そのものが、自らを動機づけていた有縁性の網から離脱して孤立した慣行になりうる。これは「水甕の規則」が今日とっている姿にはっきり表れている。すでに述べたように、実は今日多くの屋敷において水甕はもはや土器の壺ではなく、プラスチック製の容器やバケツにとって代られてしまっている。「水甕の規則」と土器の壺=女性(子宮)の結び付きは希薄になりつつある。しかしプラスチックの容器になってしまった水甕を動かしてしまうことは、今なお「妻を屋敷から引き抜く」行為である。水甕の規則は壺=女性の図式を現出させる他の諸慣行が作るパターンから外れて、孤立した規則になりつつあると言えるだろう。もし将来ドゥルマの諸家庭に水道栓が普及した暁に、この規則が相変わらず「夫が水道栓の位置を変えることはできない」という(ほとんど実行不可能で、したがってもはや禁じること自体に意味のない)形で--今度は水甕=炊事用の水の供給元という連合に動機づけられて--残っているとすればどうだろう。その場合には、この慣行が壺=女性の等置図式に基づいているなどとはとても言えないはずだ。それどころか、この等置図式とのかすかな関係すら見出すことは困難であろう。さらにアルミニウムの鍋などの普及が家庭から一切の土器の壺を駆逐してしまったときには、もはや土器の壺=女性の図式そのものが消えてしまっているかもしれない。たがいに無関係になった諸規則や慣行は消えてしまうかもしれないし、別の関係を取り結びつつ異なる図式を産出しはじめるかもしれない。

 もちろんなんの根拠もない憶測である。しかし重要なのは次の点である。たしかに諸々の規則や慣行は、互いに呼応し動機づけあいつつ柔軟な「相対的有縁性 relative motivation」(Saussure ibid.)の網を張り巡らす。そこに明確なパターン、図式が見て取られる度合に応じて、それを構成する諸部分の相互規定関係について語ることも許されるだろう。しかし誤解してはならないのは、この諸慣行の網やそこに見て取れる網目模様は、互いを参照しあう諸慣行の産物であって、原因などではないということだ。それはけっして個々の慣行を根拠づけはしない。土器の壷が女性を「象徴」する、あるいはある点で類似しているからという理由で、水甕の夫による移動が禁止されているわけではない。この類似や象徴性が妻の想定された死の(同じく誤って想定された)原因であったりするわけではない。土器の壷の代りに、プラスチックのバケツやポリタンクにしたからといって、夫がそれを動かしてしまうことによる妻の死の可能性が低くなったり、禁止が軽減されるということにはならない。一方、個々の慣行を作っている規則自体の根源的な無根拠性が、この有縁性の関係の網の統一性を常に妨げ続ける。個々の慣行が互いに有縁的に関係しあわねばならない必然的な理由などないのである。実現するパターンはせいぜい不安定で流動的であるしかない。そこに深層の構造を読み取ってしまう象徴論的なアプローチが誤認し転倒させているのは、この諸慣行を結び付ける意味論的関係網とそれを構成する諸慣行との産出の関係である。個々の規則や慣行が、自らの根源的な無根拠性を隠蔽するかのように、互いを参照しあい関係しあうことによって作り上げられたパターンが、あたかも個々の慣行を産出するマスタープランででもあったかのように誤認されてしまうのである。

諸関係の配置

以上の考察を通じて、問題の見取り図が少し明確な姿を現してきた。それを次の図によって示してみよう。

Figure_2 「妻を屋敷から引き抜くこと」および「水甕を動かす(引き抜く)こと」という二つの記述は、一方がそれ自体として具体的な内容をもち得ないがために、論理的な含意の関係にも、因果的な関係にも立つことができない。両者の結び付きは規約的、恣意的である。この二つの記述は、しかし、それぞれのレベルで関係の網に絡みとられている。「妻を屋敷から引き抜くこと」は「屋敷に据えられていること」と「引き抜かれていること」のあいだに立って、一つのロジックを完結させる。「引き抜かれた者の死」は「引き抜く」という比喩表現の論理的帰結である。一方「水甕を動かすこと」は、土器の壺をめぐる他の諸慣行と呼応しながら、それらが作るパターンによって部分的に動機づけられている。これが我々が出発点において取り上げた問題、つまり「水甕を動かすこと」と「妻の死」の結び付きの問題に部分的な解答を与える。それは、それ自体をとると無根拠で恣意的な関係をあいだにはさんだ、間接的な因果性なのである。

しかし、「水甕を動かすこと」と「引き抜くこと」との結び付きはたしかに恣意的であるが、実はそうであるがゆえに、逆にそれ以外の結び付きを考えることのできない「必然」の関係でもあるのだ。水が「ミズ」であるのは恣意的である。しかし日本語をしゃべる人間にとっては、言語を特徴づけるその恣意性の事実のゆえに、水は「ミズ」以外の何かであることはできない。ソシュールが言語記号の本性として指摘した「恣意性」に対してバンヴェニストがその「必然性」を指摘することによって答えた事実を思い出そう。「能記と所記のあいだにおいて、そのきずなは恣意的ではない。それどころか、そのきずなは必然的である。boeuf「牛」という概念(《所記》)は、私の意識の中では bof という音の全体(《能記》)とどうしても同一である。どうしてそうでないわけがあろうか?」(バンヴェニスト 1983:57)「水甕を動かすこと」(あるいは炉石を動かすこと)は「妻を屋敷から引き抜くこと」そのものであって、一方を他方以外の形で考えることはできない。かくして、このシステムの内部においては「水甕を動かすこと」と「妻の死」の結び付きは、「必然」となる。

 我々の目の前にあるのは、象徴論的な人類学が誤認するであろうような、何かを言い表す象徴のシステムでもなければ、伝達のシステムでもなく、あえて言えば「恣意性」を中枢にすえた秩序の機構である。それのみをとると隠喩的であるしかない平面で展開する論理性と、こう言ってよければ「意味論的な」有縁性が、恣意的であると同時にその内部では必然的であるしかない結び付きの中で、結合している。そこに含まれた規約性=恣意性の事実は、その機構の外部にいる者にそれを「呪術的」に見せてしまうだろう。

しかしこの秩序の機構は、ある意味では実に頼りない秩序である。一方で秩序の一側面を組織している構造的な比喩の語り口は、その比喩性が強く意識されてしまうと、その呪縛力を損なわれてしまうだろう。その語りを具体的な行為の仕方に結びつけている絆が恣意的で、無根拠であることが露呈するとき、同時にその必然性、当たり前さの見かけも剥ぎ取られてしまうだろう。そして有縁性に、まるでそれが当の慣行の根拠であるかのように照明が当てられるとき、それは却ってもっともらしさを失ってしまうだろう。柿本人麿の名前である人麿が「火とまる」と類似しているから、この類似が理由で、彼を祀ると火事よけになるのだと言われれば、すべては突然ばかばかしさのなかに解体してしまう。それぞれをとるとすべてを台無しにしてしまいそうなこれらのパーツが、自らの本性を隠蔽しつつ組み合さって、現実的なものとして生きることのできる秩序ができあがっているというのは、実に奇妙な話ではないだろうか(註13)。


註釈

註1)この論点はすでにG・ルイス(Lewis 1980:13-15)がきちんと展開している。

註2)1989年に新しい水道管がマレレ・ダムからキナンゴまで敷設された。しかし今のところこの水道管はキナンゴ病院に水を供給するのにだけ用いられており、一般の家庭がそこから水を引き込むことは許可されていないらしい。

註3)この地域を流れる小川のいくつかは、塩分を多く含んでいるため飲料には適さない。

註4)人々は、この老女が性器を打つ「土器片の呪詛」を、父母などの年長親族が行う呪詛の一つとして語る。父が自分の性器をつかみながら、あるいは母が自分の乳房をつかみながら行う呪詛は、子供たちにとってきわめておそろしい深刻な呪詛の一つである。ドゥルマの呪詛についての概説は、浜本・長島 1994 を参照のこと。

註5)ビョーニとされたのは、逆子、双子の他に、生まれたときから毛髪の生えそろった子供、上の歯から先に生えてきた子供(この子供は特にキジェゴ(chijego)とも呼ばれる)等である。しかしそれ以外にも出産時の奇形は一般にすべてビョーニと呼ばれている。ビョーニは地域の住民にさまざまな災いをもたらすとされていた。とりわけその地域に雨が降らなくなるというのは、ビョーニがもたらすとされる典型的な災いだった。ビョーニのもっとも正しい処理法は、かつてドゥルマのカヤ(19世紀まで人々は防衛上の理由から深い森の中に要塞化した村を築いて住んでいたとされるが、そうした森林の中の村がカヤ(kaya)と呼ばれていた)の近くを流れるムァチェ川の淵に置き去りにするという方法であった。その大きな岩の上に置き、ちょっと顔をそらせているだけで、一陣の風とともに子供は運び去られて姿を消したという。実際には、子供は淵の底に沈められたのかもしれない。ムァチェ川のこの淵は、周辺の住民からマビョーニ(mavyoni)という名で呼ばれている。ドゥルマの人々は19世紀以来、カヤを離れ急速に今日彼らが住んでいる広大な丘陵地帯に広がっていった。ムァチェから遠く離れてしまった人々は、ビョーニの処理をそれに代わる方法で行うようになった。一つが、ここで触れた水甕に沈めるという方法である。もう一つの方法は、大きな洞のあるバオバブの木の根本に連れていき、そこで赤ん坊を背負う負ぶい布を紐状にして赤ん坊を鞭打ち、そこに放置するという方法である。いずれの殺害方法にしても、もし赤ん坊が生き延びたならば、赤ん坊はそのまま生き延びることが許された。

註6)この地域では、ミジケンダ全体に今日広く分布している起源伝承であるシュングワヤ伝承とは別に、独自の起源の物語が語られている。さまざまなバージョンがあり最近語られるものは、シュングワヤ伝承となんとか辻褄を合わそうとさまざまな工夫がこらされている(浜本まり子 1991)。この独自の起源伝承の方では、ドゥルマの最初の祖先は、空から降りてきたことになっている。降りてくる手段は、紐を伝って、鎖を伝って、祖霊の機械装置(muhambo wa koma)に乗って、などさまざまであるが、土器の大きな壷に乗ってというのもその一つである。鎖の類いで下りてきたというバージョンは、最初の祖先が男だけだったと語る。一方、壷に乗って下りてきたバージョンでは最初の祖先は女性であると語る。

註7)オースティンの言語行為論(Austin 1962)、とりわけ発話内行為 illocutionary action の概念が召喚されるのもこうした文脈においてである。例えばタンバイア(Tambiah 1985:60-86)は儀礼(呪術を含む)を言葉と行為においてアナロジーを述べることであるとしたうえで、その実効性を、オースティンの発話内行為、あるいは行為遂行的発話 performatives の概念を持ち出すことによって確保しようとしている。しかしその見掛け上の成功は、発話内行為の概念の意味を、故意にか、あるいは単なる勘違いでか、ずらして理解することによってのみかろうじてもたらされたものである。

註8)これは厳密にはやや不正確な、誤解を招きやすい定式化である。行為の複数記述という問題構成については浜本 1989b で予備的な考察を行なっている。

註9)もちろん断片的な証言の背後に、首尾一貫した理論を勝手に読み込んだりすることは避けねばならない。そうした理論とは往々にして人類学者が作り上げる理論でしかないからである。しかし「語り口」の一貫性まで否定する必要はない。

註10)言うまでもないことであるが、時間をお金と等置するこの語り口だけで、我々の時間経験が組織されているわけではない。隠喩による構造化はつねに部分的でしかない(Lakoff & Johnson 1980:52)。例えば時間は、ある時には「流れ」の比喩で、さらに別の時には一種の「みちのり」の様なものとして語られるといった具合に、我々の時間経験の異なる側面が、それぞれ別の構造化された隠喩によって組織されている。

註11)「時間を大切に使う」「時間を無駄に使う」といった表現を、例えばドゥルマ語に直訳してみると、端的に意味をなさない文章になる(あるいは「時計を大切に使う」という意味に誤解されることになろう)。これはドゥルマ語による語り口にも、またこの地方の普通の人々の暮らしぶりにもまだ馴染んでいない表現である。しかし英語を学んだ若者たちが、ドゥルマ語の会話に、英語で表現されたこの表現を挟み込んで使っているのを耳にしたことがある。ある語り口の採用は、ある経験を身につけることに等しい。こうした若者は、この英語の表現にそって時間というものを眺める見方を手にいれているのかもしれない。

註12)サールの構成的規則(サール 1986)の概念を儀礼研究に適用したものとしてエイハン(Ahern 1981)、タンバイア(Tambiah 1985:123-166)、浜本(浜本 1989a)があるが、前二者はサール自身がこの概念を提出した理論的文脈--言語行為論--を一歩も出ていない。たとえばエイハンは、ある結果を出した占いが占いとして認定される条件の分析にこの概念を使用しているのみであり、また特定の規則についてそれが構成的であるか、規制的であるかを分類してみることにまるで意義があるかのように考えている。浜本はこれに対し、構成的規則がもつ根拠の問いを封印するという性格に着目し、儀礼が構成的規則にしたがった行為であるという事実が秩序の自明性に対してもつ意味を主題化した。福島(1993)は、この違いを充分には理解していないようである。

註13)これらのパーツのうち構造的な比喩によって組織された語り口、および有縁性の網状組織の二つについて、何れもこの秩序の仕組みの不可欠の要素であり、儀礼的と形容されるような慣行にはつねに必ず伴うものだとは考えないようにしよう。壺をめぐる慣行がドゥルマにおいて他に一切なかったとしても、なおかつ水甕の移動が禁止の対象されている場合を想像することは可能である。さらに水甕の移動が「妻を引き抜く」といった比喩的な語り口で語られることなく、端的に妻を死の危険にさらす行為として禁じられているという制度を想像することも可能である。両者を同時に欠いている場合すら想像可能である。その場合われわれの目の前にあるのは、他のどのような慣行とも連想によって結び付いていない「水甕の移動」という行為が、「妻を引き抜く」などと語られることなく、直接に妻の死という想定された結果に結び付いているという制度であるということになろう。それは、白いソックスを履けば交渉が成功するという類のジンクスの実践とかわらないものになる。白いソックスであることに、たまたま一度それでうまく行ったという事実以外に、なんらかの理由があるわけでもなければ、白いソックスがなにかと連想付けられているという訳でもない。白いソックスを履くことがどうすることであるから、交渉の成功につながるのだという類のロジックもない。むき出しの無根拠性、おそらく人間が生きることの出来る究極の無意味な秩序の雛形がここにある。個々の慣行がこうしたものでありうる可能性を否定してみても無駄なことである。しかし、それはそれだけのものであるので、その事実を認定してしまえば、それ以上の興味の対象にはなりえない。逆にこうした実も蓋もない恣意的な連結だけで出来上がっている秩序というのも、想像しがたいのである。そこにおけるほとんどすべての実践が、ただジンクスに従うように遂行されているような社会を想像することができるだろうか。それは、昔からの掟に理由もなくただ盲従することだけから社会生活がなりたっているというかつての「未開人」に対するイメージと匹敵するくらい、非現実的である。


参考文献

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浜本 満, 1989b, 「行為の記述」『福岡大学人文論叢』Vol.21(3):945-978

浜本 満, 1995,「ドゥルマ社会の老人--権威と呪詛」中内敏夫・長島信弘他『社会規範--タブーと褒賞』藤原書店 pp.445-464

浜本 満, in print,「違反と災厄:ドゥルマの屋敷の秩序とその侵犯」吉田禎吾編『秩序と不幸:東アフリカ・ミジケンダ諸族における病気とコスモロジー』(仮題)平河出版

慶田 勝彦, 1994,「ギリアマにおける妖術告発とパパイヤのキラホをめぐる噂」『国立民族学博物館研究報告』Vol.19(2):311-348

Lakoff, G. & M. Johnson, 1980, Metaphors We Live By, Chicago: The University of Chicago Press

Lewis, G., 1980, Day of Shining Red: An Essay on Understanding Ritual, Cambridge: Cambridge University Press

Saussure, F. de., 1974, Course of General Linguistics. London: Fontana(邦訳『一般言語学講義』小林英夫訳 1973 岩波書店)

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Tambiah, S.J., 1985, Culture, Thought, and Social Action: An Anthropological Perspective, Harvard University Press