妻を引き抜く方法:規約的必然としての「呪術」的因果関係

要旨

人類学者は、さまざまな実践をまちまちな理由に基づいて「呪術」に分類しているように見える。呪術というカテゴリーがなんらかの統一された研究対象を規定しているとは考えないほうがよいのかもしれない。本論は、行為とその結果の結び付きについての知識の特殊な性格が、その知識を前提とした慣行を「呪術的」に見せているような場合について検討する。ケニア海岸地方のドゥルマにおいては、水甕を夫が動かすことが、妻に死をもたらす行為であるとして禁じられている。ここでの、水甕を動かすことと妻の死との因果的な結び付きについての知識を構成している諸要素の関係を明らかにすることが本論の具体的な課題である。この知識の内部では、妻と彼女が所属する屋敷との関係についての「隠喩的」な語り口の内部での必然性と、水甕を動かすことと土器の壺をめぐるさまざまな慣行とのあいだの相対的有縁性が、恣意的な規約性によって結び付いている。この種の規約性と因果性の配置は、呪術と分類されがちな慣行が前提としている知識の特徴の一つである。従来の象徴論的な分析が、この配置についての誤認に基づいたものであることも示される。

目次

  1. はじめに
  2. 夫と水甕
  3. 象徴論的解決
  4. 象徴論的解決の問題点
  5. 記述の複数性
  6. 妻と屋敷をめぐる語り口
  7. 隠喩的論理性と構成的規則
  8. 有縁性の領分
  9. 諸関係の配置
  10. 参考文献

はじめに

人はビルの十階から落ちればまず間違いなく死ぬ。これを納得するのに万有引力の法則についての知識や、実際の経験による検証が必要なわけではない。少なくとも私は試してみたことも、実際にこの目で見たこともない。それは、わざわざ根拠を挙げて説得してみせる必要すらない当たり前の知識、世界はそんな風に--ビルの十階から落ちれば死んでしまうように--できているのだとでも言うしかないような知識である。また部屋の特定のスイッチを押せば部屋に電灯がつくことは、壁の中の配線の存在や電気の仕組みについて何も知らない幼稚園児ですら知っている。そのスイッチを押せば電灯がつくのは当たり前のことであり、彼にとって世界はそんな風に出来ているのである。私の知りあいのドゥルマの人々によると、ナイフで人が怪我をしてしまった場合、特定の植物を用いた薬液でナイフを洗えばその傷の回復は早まる--あるいはそうせずに放置したりすれば傷の治りが遅れるどころか、同様な事故が屋敷の他の人々にも降り懸かることになる。これは人々にとっては、誰でも知っている当然の話である。別にそれを説明してくれる理論があるわけではない。ただ世界はそんな風に出来ているのだ。

人を殺そうとしてビルの十階から突き落とした人は、けっして人殺しの呪術を行なったとは言われない。部屋に明かりをつけるためにスイッチを押している幼稚園児も、呪術で灯りをともそうとしているわけではない。それなのに、怪我人の傷が早く治るようにと彼を傷つけたナイフを薬液で念入りに洗っている人については、「呪術的」治療を行なっていると言われがちである。ナイフに薬を塗れば傷が癒えるという知識そのものが間違っているからだと言いたくなるかも知れないが、どのような経験がこの知識の持ち主にそれを撤回する気を起こさせるかを考えてみれば、話はそう簡単でないことがわかる。フランシス・ベーコンは、当時のイギリスで行なわれていた同様な治療法について、「実験」にもとづいてその効果を確信していた(フレーザー 1981(I):112-3)。そもそも、間違った知識がその行為を呪術にするというのであれば、アスピリンが胸焼けに効くと勘違いして飲み続けている人は、呪術で消化不良を治そうとしていることになってしまう(註1)。

いずれの場合も、Aという出来事の結果としてBという出来事が起るという知識にもとづいて、結果Bを手にいれようとしている点では同じである。そして出来事Aと出来事Bを結び付ける知識を当然のものとして保持するのに、経験による完璧な裏付けも、理論よる裏打ちも必ずしも必要とはしていない。むしろそれらが世界の秩序についての当たり前の知識の一部になっているのは、単に誰かからそう教えられ、誰もがそう言っているという事実の結果でもある。世界に対する実践的かかわりという点では、この三者を区別するものはない。

人類学者はあまりにもまちまちな慣行を、それぞれ異なる理由に基づいて呪術に分類してしまっているため、「呪術」という言葉はもはや統一的な研究対象を指しているとはいいがたいものになっている。土地の人々自身が自分たちの常識での理解を越えたものであると認め、いくぶん半信半疑の目でながめている怪しげな術--そこでは常識を越えた力や不思議な出来事についての人々の想像力の思う存分の働きが見て取れる--と、彼らにとっては現実的な問題に対する常識的な決まりきった手順に属するものとがともに「呪術的」という言葉で括られてしまうのは、たしかに不当である。

私はなにも出来事の結び付きに関するそれぞれの知識に何の違いもないと主張するつもりはないし、人々が常識的な関係として受け入れているものを「呪術」として捉えることがまったく的外れだと言うつもりもない。単に呪術という言葉とそこに含まれる余計な含意にこだわらずに、行為とその期待される結果との結び付きに関する知識の性質について再検討してみたいと思うだけである。本論考では私の調査地で夫に課せられている一つの禁止を例にとり、こうした知識の一つの特殊なタイプについて考察してみよう。そこでは行為とその結果は規約性=無根拠性によって媒介されている。おそらく「呪術的」とされてきた実践の少なくともあるものは、この種の知識を内蔵した実践なのである。

夫と水甕

 ケニアのコースト・プロビンスに住むドゥルマの人々のあいだで、水甕(simikiro)はごく普通の日常生活用品である。炉の近くに据えられていて、飲み水や炊事用の水が貯えられる。今日では土器の壷に代わって、しばしばプラスチック製の容器も用いられている。この水甕に何か変った点があるとすれば、それは持ち主である女性以外の者--とりわけ彼女の夫--が、それを所定の位置から動かすことが禁じられているという点だけである。夫が水甕を動かす--実際には水甕を「引き抜く(ku-ng'ola)」という言い方が使われる--ことは「屋敷から妻を引き抜いてしまう」ことであり、妻を死に追いやってしまうというのである。炉石(figa)についても同じ禁止がある。

ある意味では些細な禁止である。もとより夫には好き好んで水甕や炉の石を動かさねばならない理由などないので、こんな禁止など普通にしていれば自動的に守られてしまう。この禁止があろうとなかろうと、人々の暮らしには見た目に何の違いもないであろう。しかしある女性は、自分のへそくりのもっとも安全な隠し場所が水甕の下であると教えてくれた。ビニールに念入りに包んでその下の地面に埋めておけば、たとえ夫でも手が出せないというのである。この禁止のおかげである。

水甕や炉石を動かすことによって妻が死の危険にさらされるのは、彼女がその屋敷に留まる限りにおいてのことだと言われる。それゆえ夫が水甕や炉石を動かすことは、結果的には妻を屋敷から追い出して二度と戻ってこれないようにする行為に近い。ヒツジの供犠をともなう本格的な「冷やし(ku-phoza)」によってのみ、この状態を解消することができる。夫婦喧嘩のすえ、怒りにまかせて夫が水甕を持ち上げたりしようものなら、大変なことだ。この恐るべき仕打ちに、妻は自分の死を怖れて二度とその屋敷には近づくまい。ささいな夫婦喧嘩でそこまでした夫に人々の非難が浴びせられること必定である。彼は越えてはならない一線を越えてしまったわけである(註2)。

この規則をどんな風に理解すれば良いのだろうか。なぜ水甕を動かすことが、妻の死に結びつくというのだろうか。これが、呪術において問題にされてきた出来事の結び付きと同質の結び付きであることはたしかである。この二つの出来事の結び付きの「当たり前さ」の性格について検討する必要がある。

象徴論的解決

 一つの象徴論的解決が思い浮かぶかもしれない。炉石や水甕は実は妻を「象徴」しているのではないだろうか。水甕や炉石を動かす(つまり「引き抜く」)ことは、屋敷から妻を「引き抜く」ことを「象徴」しており、このためにそれは禁じられているのだろう、という訳である。これほど粗雑な形をとらないにせよ、これは人類学ではほとんど常套的な語り口であった。関連する他の様々な慣行によっても証拠立てられているとすれば、ますます説得力を増す。実際、さまざまな慣行のなかに炉石や土器の壺を女性に等置する同じ象徴的図式が容易に見てとれるのである。

 炉石と女性との連想は、直接的で明示的である。占い(mburuga)の語りで炉と言えば女性のことを指すからである。炉は、小屋の主柱(mulongohini)が「夫」であるのに対する「妻」であると語られたりもする。「屋敷を据えるのは誰だ?主柱と炉じゃないかい?だって主柱は夫、炉は妻だから。...でも奇妙なことに、屋敷を移転する際に炉石は持っていってはいけない。妻は引き抜かれるのがきらいなんだ。(「では、主柱は?」の問いに)主柱?引き抜いて持っていく。だって夫には自分の場所があるからね。」

 土器の壺と女性の等置はこれほど明示的ではないが、一人一人の妻と水甕のあいだにはきわめて個人的な結び付きがある。水甕の内部を洗うことができるのは、それを所有する妻本人だけで、夫の別の妻たちには手が出せない。まんいち他の妻が洗ってしまうと、それはもはや元の所有者であった妻のものではなくなる。彼女がそれを使用しようとすると、彼女は病気になってしまうというのである。

 またドゥルマの母系クラン(ukuche)はキフドゥ(chifudu)と呼ばれる土器の壺を管理しており、この壺はときおり母系クランの成員を捕らえて病気にすると言われている。ボラ(bora)と呼ばれるキフドゥの管理者たちが行なう「水を打つ(ku-piga madzi)」という名の治療は、キフドゥの壺に水と細かくちぎって揉んだ数種類の薬草をいれ、壺を股のあいだに挟んで内側を丹念に洗い、その水で患者の全身を洗うというものである。キフドゥの壺は通常は地面から離して高いところに保管されねばならず、またその内部もいつも乾いている。雨が降っても、けっして中が濡れることはないのだとさえ言われる。ときおり祭祀メンバーが集まってそれを降ろし、黒い鶏を供犠し、壷の内部を水で洗ってやらねばならない。キフドゥが引き起こす病気は、母系集団の成員が壷のことを思い出し、その内部を洗ってくれるよう、キフドゥの壺が督促しているせいだとされる。壺と水との結合は性交を暗示しているともとれるが、ドゥルマの人々がそれを表立って表明するわけではない。キフドゥの壺は、あまりにも長期にわたってなおざりにされると「悲しみ怒って」自らを土中に「埋葬(ku-zika)」してしまう。そうなると母系集団はゆっくりと死に絶えてしまうだろう。壺は母系集団の連続性と豊饒性に結び付いているのである。

 土器の壺と女性あるいは子宮との等置はさらに「土器片の呪詛(chirapho cha dzaya)」の観念の中にも明瞭にみてとれる。自暴自棄になった人が(とりわけ年老いた女性が)呪詛の言葉とともに土器の壺を地面に叩きつけて壊すのは、きわめて破壊的な呪詛である。それは当人も含め、彼女の母系集団の成員全員に徐々に死をもたらす。それは「クランの息の根を止める(ku-maligiza)。」別に特別の壺ではない。日常生活で用いているごく普通の壺である。したがって家事のおりに誤って壺を割ってしまった者は、自分が「悪い言葉(maneno mai)」をもってそれを割ったのではない旨をただちに口にせねばならない。土器片の呪詛が打たれたことが知れると、関係する母系集団をあげてのヒツジの供犠をともなう大規模な治療儀礼が緊急に必要となる。女性が呪詛の言葉とともに自分の性器を殴りつけることによっても同じことが起るとされており、この行為もなぜか「土器片の呪詛」と呼ばれている。

 水で満たされた土器の壺である水甕についても、子宮との等置を暗示する用いられかたがあった。ビョーニ(vyoni)と呼ばれる異常出産児の処理である。かつては逆子や双子はビョーニと呼ばれて殺害されていた。水甕に沈めるというやり方は最も一般的な方法の一つであった。「もしお前がビョーニならもといたところに帰れ」そう唱えながら、母方の祖母によって子供は水甕に沈められた。あたかも「壺=子宮」へと戻されることをつうじて、ビョーニはそれが本来所属しているブッシュの霊たちの世界に送り返されるかのようである。ドゥルマの起源に関する物語のなかには、最初の祖先が空から土器の壺に乗って降りてきたと語るものがある。壺は最初の人間がそこから現われる場所である。

 このように見てくると、ドゥルマでは土器の壺が女性とその豊饒性を象徴している、あるいは土器の壺を女性や子宮に等置する象徴図式が存在している、と考えることは自然であるし、夫による水甕の移動を禁じる規則がこうした象徴的等置図式の産物であり、それが「妻を屋敷から引き抜く」ことを「象徴」しているがゆえに禁じられているのだという説明にも十分な説得力がある。さらにこの図式によって打ち立てられているのが女性(子宮)と壷との「類似性」であると考えるなら、禁じられている行為はフレーザーの言うところの、類似性に基づく共感呪術であるということにもなる。

象徴論的解決の問題点

 しかしこうした象徴論的解決には大きな難点がある。第一の問題点は、他ならぬ「象徴的等置図式」の理論上の地位である。慣行を図式の産物として捉えることは、そうした図式をあたかも諸々の慣行とは独立に自存している何かであると見なすことである。諸慣行の「背後」や「深層」にある図式といった言い方に特徴的に見られるように、そこには奇妙な錯覚が含まれている。そもそもこうした等置の図式はドゥルマの諸々の慣行を互いにつき合わせてみたとき、そこにパターンとして見て取られたのであった。したがって、もし図式がどこかに存在すると言えるとすれば、まさにこれら一連の慣行どうしの現実の関係のなかにであって、けっしてそれらとは別のところ、例えばそれらの背後や裏側といった、現実のどこにも対応しない単に理論の枠組自体が生み出し、また要請している架空の位相空間になどではない。しかしこの空間の比喩が含む分断が、図式をそれを具現している当の諸慣行から切り離し、それに本来もっていない怪しげな独立した地位を与えてしまう。そもそもこうした図式を体現している個々の慣行がひとつひとつ消えていき、すべて消え去った後にそれらを生み出していた図式だけがどこかに残っているなどということがありえるだろうか。ばかばかしい話である。しかしこれこそ象徴論的解決が理論的に行き着いてしまうところなのである。

 第二に、ある行為なり出来事なりaが他のある行為なり出来事なりbを「象徴している」と語る語り口そのものに問題がある。そう語ることは前者aから行為なり出来事なりとしての実効性を奪い取ってしまう。aがbを「象徴する」と語ることは、aがbを別の仕方で「実行する」ことだと語ることではもちろんないし、そもそも何かをすることであると語ることですらない。単にbを別の仕方で「言い表している」のだと主張することにほかならない。単に「言い表す」ことがどうやってなんらかの具体的な結果、不幸や災いを引き起こしうるというのだろう。当の行為からその行為としての実効性を原理的に排除しておいて、その後でいかにその行為に現実的な効果が想定されうるかを説明しようとしたところで、もうあとの祭りである(註3)。それは問題を単にいっそう複雑で解決困難な形にしてしまうのである。

象徴論的解釈の誤認を正し問題を正確に捉え直すために、水甕の禁止において絡まりあっている3つの関係を分離してみよう。(1)この禁止のなかで結び付けられている二つの行為「水甕を動かすこと」と「妻を屋敷から引き抜くこと」の関係。(2)「水甕を動かすこと」と、その行為によってもし妻が屋敷に留まりつづけるなら結果するであろう「妻の死」との関係。そして最後に、(3)この水甕の禁止と、土器の壺をめぐる他の諸慣行との呼応の関係。象徴論的解釈は(1)と(3)についての自然な解釈を提供するが、それは(2)の問題を極端に解決困難にするという犠牲をともなう。それは(2)をますます非合理で理解に苦しむ関係に、まさに呪術的という形容詞を喜んであてはめたくなるような関係にしてしまうのである。

記述の複数性

 「水甕を動かす(引き抜く)ことが妻を屋敷から引き抜くことを象徴する」と語ることがそもそもナンセンスであることに気付かねばならない。ドゥルマの人々自身は、水甕を動かすことが妻を屋敷から引き抜くこと「である」と言っている。両者は象徴の関係というより、同一性の関係である。「相手に向かって銃の引き金をひく」ことが「相手を殺す」ことであるからといって、いったい誰が、相手に向かって銃の引き金をひくことは殺人を「象徴」しているなどと言い出したりするだろうか。それは殺人そのものである。同一の行為が二通りの形で記述されているだけなのだ。たしかに次のように言いたくなるかもしれない。人は「水甕を引き抜く」ことによって実際に妻を引き抜いているわけではない。単に象徴的に引き抜いているだけではないか、と。しかし何をすれば実際に文字どおりに「妻を引き抜」いたことになるというのだろうか。別に妻は屋敷に「文字どおり」据えつけられているわけでも、植え付けられているわけでもない。何をしたところで文字どおりに「妻を引き抜く」ことなどできるわけがない。「水甕を動かす」ことが「象徴」しているはずの当の「妻を引き抜く」という表現に対応する文字どおりの行為など、もともと存在しなかったのである。もちろん人々には「妻を屋敷から引き抜く」ことが、具体的に何をすることであるかはわかっている。しかし彼らの答えは象徴論者を失望させる。「水甕あるいは炉石を動かす」こと、というのがその答えだからである。それが妻を引き抜くという言い方が対応している唯一の「文字どおり」の具体的な行為なのである。したがって次のように言わねばならない。「妻を屋敷から引き抜く」ことは、「水甕を動かす」ことによって「象徴」されたりする、何かそれとは別の行為などではない。「水甕を動かすこと」がすなわち「妻を屋敷から引き抜く」行為そのものなのである。

妻と屋敷をめぐる語り口

「水甕を動かすこと」と「妻を引き抜くこと」は同一の行為に与えられる二つの異なった記述である。それぞれの記述はもちろん異なる意味を持ち、行為をそれぞれに異なった関係のもとでとらえさせる。もっとも「妻を引き抜く」ということについて人々にさらなる解説を求めても、「妻を引き抜く」ことがどういうことであるかを直接に答える説明で応えられることはまずない。返ってくるのは例えば次のような説明である。「だって妻は屋敷にきちんと置かれているものではないだろうか。という訳で彼女は引き抜かれるのだ。」「屋敷にもってきたものは、きちんと置く(据える)必要がある。ただもってくる、そんなことは駄目だ。それは(もってこられたものに)病気を注ぎ込むことになる。妻を引き抜くのは、彼女を本当に憎んでいるのだ。」こうした断片的な証言でも、そこにある一貫した語り口が存在していることをうかがい知るに充分である。

もちろん断片的な証言の背後に、首尾一貫した理論を勝手に読み込んだりすることは避けねばならない。そうした理論とは往々にして人類学者が作り上げる理論でしかないからである。しかし「語り口」の一貫性まで否定する必要はない。「妻を屋敷から引き抜く」という表現は、妻が屋敷に「据え」られた存在であることを含意する。最初の証言は事実まさにそう語っている。それは妻というものが屋敷に「据えられた=きちんと置かれた(kp'ikp'a to)」存在だと語る。据えられたものなのだから引き抜くこともできるのだ、というのがこの証言の伝えようとしているポイントである。二番目の証言は、屋敷にただいる状態ときちんと置かれている(据えられている)状態の違いを語っている。きちんと置かれないで屋敷内に存在していることは、危険であるというのがそのポイントである。

こうした語り口は、実は妻の問題だけに限らず、屋敷に何か新しいものが加わる際の手続きについての、この地方での語りに共通する語り口である。妻に限らず、家畜にせよ、畑からの初めての収穫物にせよ、出産された子供にせよ、それらが屋敷にもたらされるときには、それを屋敷にきちんと「据え」てやる必要があると言われる。それらを屋敷にきちんと据えるために行なわれるのが「産む(ku-vyala)」という行為である。それは具体的にはマトゥミア(matumia)と呼ばれる特殊な性交(浜本 1989)を行なうことである。文字どおり生まれてきた子供でさえ、後でもう一度両親によって「産」んでもらう必要がある。「産」まずに屋敷に置いておくくらいなら「外に出(ku-lavya konze)」してしまった方がましだとさえ言われる。きちんと置かれずに、屋敷にただいることは、それ自身にとって危険なことなのである。男が初めて妻を娶る場合、彼女は屋敷で夫と暮らし始める前にまず夫の両親に「産」んでもらわねばならない。二番目以降の妻の場合、夫は第一夫人と二人でこの新しい妻を「産」み、それが済んではじめて彼女を妻たちの一人に加えることが出来る。こうして妻は屋敷に「据え」られたことになる。こうした一連の語り口の詳細な分析は別の機会に譲らねばならない(浜本 in print)。ただ「妻を引き抜く」という言い方が、単なるちょっと奇抜な言い回しなどではなく、こうした一連の語り口の中に位置づけられるものであることは明らかであろう。次の図はこの語り口における主要な表現相互の関係を示す。

Figure_1 ほとんど論理的と呼びうる一貫性が見て取れる。妻は自分を「産」んでもらうことによって屋敷に据えつけられている。据えつけられたものは、もちろん引き抜くことができる。そして引き抜かれた存在は、そこでは生き長らえることができない。きちんと据えられて守られているものが引き抜かれてしまうと駄目になるのは当たり前ではないだろうか。もし水甕を夫が動かしてしまう行為がまさにこの「引き抜く」ことに当たるのだとすれば、妻がそのせいで死ぬのは実に当然の話だということになる。このロジック自体には「象徴的」なところも非合理なところも誤謬もない。死は「引き抜かれる」ことに続く充分ありえそうな帰結となる。

隠喩的論理性と構成的規則

 しかしこの語り口に備わる一つの奇妙な特徴を見逃してはならない。具体的な諸行為の水準に関係付けようとした途端に、それは困難に陥るのである。ためしに屋敷に「据えられている」ということが、妻の実際のどのような状態を指しているのかと自問してみればよい。答えの見当もつかないはずである。単に空間的にそこにいることや成員的にそこに所属していることではないはずだ。それなら「住んでいる」とか「所属する」とか言えば済んだことである。「引き抜かれている」状態についても同様である。それが「具体的に」どのような状態を指しているのか自明ではない。一連の語り口に登場する表現は、いずれも具体的な諸関係や行為による言い換えを容易には許さない。あえて言うならば、「妻であること」と「屋敷」とのある抽象的な関係に言及しているのだとでも言えよう。しかしそれをより明確にする術はない。引き抜かれた妻についての上述の語り口の一貫性は「隠喩」としての一貫性だったのだと言ってよい。ただし、それは字義通りの表現への言い換えを許さず、したがって具体的には何をたとえているのかが、けっして明らかではないような隠喩で語られているのである。引き抜かれた妻と死の結び付きは、その内部でのみもっともらしい必然である(註4)。

この特徴こそが両者の結び付きの「当たり前さ」の内実である。屋敷から引き抜かれた妻は生き永らえることが出来ないという知識に対抗して、「引き抜かれていても彼女には何事も起こらない」と反論してみてもなんの説得力もないだろう。引き抜かれているという表現に対応する具体的な事実を示して、その安全さを語ることなど出来ない相談である。同じ語り口で語ることが、反論そのものを無効にしてしまう。「引き抜かれている」という表現で何かが語りうると想定されている限り、引き抜かれていながら無事であるなどという主張にどんな説得力があろうか。決定的な論駁が可能だとすれば、それは「引き抜く」とか「据える」という表現そのものが「無意味」であるとすることであろう。しかしそれはこの語り口の外に出てしまうことなのである。

 しかしこの語り口が具体的な諸行為の水準に接続する--せざるを得ない--場所がある。例えば、「据えられている」状態から「引き抜かれた」状態への変化そのものをもたらす他ならぬ「引き抜く」行為そのものは、なんらかの具体的な行為であるしかないだろう。しかし「据えられている」ことも「引き抜かれている」ことも、いずれも妻のなんらかの具体的状態について語るものではない以上、「引き抜く」行為だけが何か具体的な指示対象をもつことなどありえない。そんな行為は原理的に存在しえないはずなのである。「引き抜く」ということが具体的にどういうことであるのかが、独立に決定できてはじめて、何をすれば「引き抜」いたことになるのかの決定に根拠を求めることができる。さもなければ、何がその行為に当たるのだとされても、それらは等しく無根拠であるしかない。「人を殺すこと」がどういうことであるかが、それ自体として独立に決定できるからこそ、ある行為が人を殺すことになるのかどうかを根拠をもって決定しうる。「妻を引き抜くこと」にはこうした独立性はない。ある特定の行為が別の行為よりも、妻を「引き抜く」点でより効率的であるとか、より優れているとか劣っているとかいえる根拠など、どこにもありはしない。なぜ他の行為ではなく他ならぬ「水甕を動かす」ことがそれに当たるのかには、何の根拠もない。それは恣意的な決定だったのである。

おまけにこの恣意的な決定を与えているのは、当の禁止規則そのものである。夫による水甕移動を禁止する規則は、水甕を動かすと妻を屋敷から引き抜いてしまうからだと説明される。しかし実は、水甕や炉石を動かしてはならないという、まさにその規則が、何をすることが妻を引き抜くことに当たるのかを定義しているのである。ちょうど、「最終ディフェンスラインよりも奥でパスを受け取ってはならない」という禁止が、オフサイドが何であるかの定義になっているように。この禁止とは独立に、オフサイドが何であるかを言うことなどできないように、すでに確認したように、水甕の禁止とは独立に、妻を引き抜くことがどうすることであるかを言うこともできない。言い換えれば、この水甕の規則は構成的規則(註5)だったのである。

「水甕の規則」を特徴づけるのは、根拠付けの欠如、論理の循環性である。そしてこの原理的な無根拠性、恣意性が、逆に根拠の問いを封印してしまう。どうして夫が水甕を動かすと妻は引き抜かれてしまうのか?なぜ水甕を動かすことが妻を引き抜くことになるのか?こうした問いには、なぜならそうすることが妻を引き抜くことだからだという形でしか答えられない。これは「なぜ水のことを例えば『ミオ』といわずに『ミズ』というのか?」という言葉についての問いと同じ構造である。答えなどありはしない。現に『ミズ』が水のことである以上、他の何も--例えば『ミオ』も--水ではありえない。規約の恣意性が露呈する。こうした「規約」は、規約とは言え、意思や合意によってどうにか出来る類の規約ではない。それは規則として従われるというよりも、単に生きられてしまっている。

有縁性の領分

 「水甕を動かすこと」をもって「妻を屋敷から引き抜く行為」とするこの決定の原理的な無根拠性は、この決定が現実にまったくでたらめであるということを意味しない。ドゥルマにおいて、例えば「3回まわってワンと吠える」などではなく「水甕を動かす」ことがたまたま「妻を引き抜くこと」に当たっているのが、純粋に偶然の結果であるなどということに納得できるだろうか。すでに見たように実際問題として、水甕の規則も、土器の壺をめぐる他の諸慣行と呼応しあい、他の諸慣行が作り上げているパターンの形成にあずかっている。「壺=女性」の等置図式が見て取られたのも、まさにこうした呼応関係の中にであった。「水甕を動かすこと」は他の諸慣行の存在によって相対的に動機づけられていると言うことが可能である。恣意性とそれを部分的に補償するかのようなこうした動機付け=有縁性(motivation)は、別に矛盾していない。ソシュールが言うように、言語においても恣意性は有縁性をけっして排除しない(Saussure 1974:133)。10が「ジュウ」であり、6が「ロク」であるのはまったく恣意的であるが、16が「ジュウロク」であることはそうではない。

 しかし動機付けを決定性と取り違えないようにしよう。根源的な無根拠性、恣意性がいかなる決定論も排除してしまう。10が「ジュウ」であり、6が「ロク」であるからといって、16が必ず「ジュウロク」でなければならなかったというわけではない。それは例えば十六夜が「ジュウロクヤ」ではなく「イザヨイ」であることを妨げない。有縁性の関係は、決定性の一貫した閉じたシステムとはほど遠い関係である。壺をめぐる慣行の多くが「壺=女性(子宮)」のテーマで組織されているようにみえるという事実は、別の文脈で壺が頭の比喩として用いられることを排除できない。新生児の大泉門(ひよめき)が閉じることは、ドゥルマ語では「壺に蓋がされた(ku-finika dzungu)」と言う。明らかにここでは「壺=頭」である。有縁性は決して一貫していない。

 慶田(1994: 313)の報告によると、ドゥルマに隣接するギリアマではトウモロコシを砕くのに用いる「臼(vinu)」が「炉石(figa)と並び結婚した女性の象徴とでもいえるものである」という。ドゥルマでも「つき臼(chinu)」は特別な扱いを受ける。役目を終えても、それを割って薪とすることが禁じられているのである。それは手足を膨満させる病気をもたらすだろう。つき臼を割る(ku-tsanga)のは「お前を育ててくれるお前の母親をたち割る(ku-tsanga)ようなもの」なのである。臼と女性は強く関連づけられている。とすればドゥルマでも、炉石にならんで水甕の代わりに臼でも別によかったのだということにはならないだろうか。夫に課せられる禁止が、なぜ水甕についてのものであり、臼についてのものにならなかったのか、この選択を前もって決定するような論理などありそうにない。ただドゥルマでは現にそうなっていると言うことができるだけである。結局は規約の恣意性が勝利をおさめる。「3回まわってワンと吠える」が妻を引き抜くことであってはならない理由すら最終的にはどこにもない。

 さらに規則そのものが、有縁性の網から離脱して孤立した規則になりうる。これは「水甕の規則」が今日とっている姿にはっきり表れている。すでに述べたように、実は今日多くの屋敷において水甕はもはや土器の壺ではなく、プラスチック製の容器やバケツにとって代られてしまっている。「水甕の規則」と土器の壺=女性(子宮)の結び付きは希薄になりつつある。しかしプラスチックの容器になってしまった水甕を動かしてしまうことは、今なお「妻を屋敷から引き抜く」行為である。水甕の規則は壺=女性の図式を現出させる他の諸慣行が作るパターンから外れて、孤立した規則になりつつあると言えるだろう。もし将来ドゥルマの諸家庭に水道栓が普及した暁にも、この規則は相変わらず「夫が水道栓の位置を変えることはできない」という(ほとんど実行不可能で、したがってもはや禁じること自体に意味のない)形で残っているだろうか。その場合には、この慣行が壺=女性の等置図式に基づいているなどとはとても言えないであろう。それどころか、この等置図式とのかすかな関係すら見出すことは困難であろう。さらにアルミニウムの鍋などの普及が家庭から一切の土器の壺を駆逐してしまったときには、もはや土器の壺=女性の図式そのものが消えてしまっているかもしれない。たがいに無関係になった諸規則や慣行は消えてしまうかもしれないし、別の関係を取り結びつつ異なる図式を産出しはじめるかもしれない。

 もちろんなんの根拠もない憶測である。しかし重要なのは次の点である。たしかに諸々の規則や慣行は、互いに呼応し動機づけあいつつ柔軟な「相対的有縁性 relative motivation」(Saussure ibid.)の網を張り巡らす。そこに明確なパターン、図式が見て取られる度合に応じて、それを構成する諸部分の相互規定関係について語ることも許されるだろう。しかし誤解してはならないのは、この諸慣行の網やそこに見て取れる網目模様は、互いを参照しあう諸慣行の産物であって、原因などではないということだ。しかも当の規則自体の根源的な無根拠性が、この関係の網の統一性を常に妨げ続ける。個々の慣行が互いに有縁的に関係しあわねばならない必然的な理由などないのである。実現するパターンはせいぜい不安定で流動的であるしかない。そこに深層の構造を読み取ってしまう象徴論的なアプローチが誤認し転倒させているのは、この諸慣行を結び付ける意味論的関係網とそれを構成する諸慣行との産出の関係である。個々の規則や慣行が、自らの根源的な無根拠性を隠蔽するかのように、互いを参照しあい関係しあうことによって作り上げられたパターンが、あたかも個々の慣行を産出するマスタープランででもあったかのように誤認されてしまうのである。

諸関係の配置

 以上の考察を通じて、問題の見取り図が少し明確な姿を現してきた。それを次の図によって示してみよう。

Figure_2 「妻を屋敷から引き抜くこと」および「水甕を動かす(引き抜く)こと」という二つの記述は、一方がそれ自体として具体的な内容をもち得ないがために、論理的な含意の関係にも、因果的な関係にも立つことができない。両者の結び付きは規約的、恣意的である。この二つの記述は、しかし、それぞれのレベルで関係の網に絡みとられている。「妻を屋敷から引き抜くこと」は「屋敷に据えられていること」と「引き抜かれていること」のあいだに立って、一つのロジックを完結させる。このロジックの内部では「引き抜かれた者の死」は「引き抜くこと」の必然的な帰結である。一方「水甕を動かすこと」は、土器の壺をめぐる他の諸慣行と呼応しながら、それらが作るパターンによって部分的に動機づけられている。これが我々が出発点において取り上げた問題、つまり「水甕を動かすこと」と「妻の死」の結び付きの問題に部分的な解答を与える。「妻の死」は「引き抜くこと」の属するロジックの内部では自明な必然である。「妻の死」と「水甕を動かすこと」との結び付きは、あいだに恣意的な関係を挟んだ間接的な関係であるということになる。

しかし、「水甕を動かすこと」と「引き抜くこと」との結び付きはたしかに恣意的であるが、実はそうであるがゆえに、逆にそれ以外の結び付きを考えることのできない「必然」の関係でもあるのだ。水が「ミズ」であるのは恣意的である。しかし日本語をしゃべる人間にとっては、言語を特徴づけるその恣意性の事実のゆえに、水は「ミズ」以外の何かであることはできない。ソシュールが言語記号の本性として指摘した「恣意性」に対してバンヴェニストがその「必然性」を指摘することによって答えた事実を思い出そう。「能記と所記のあいだにおいて、そのきずなは恣意的ではない。それどころか、そのきずなは必然的である。boeuf「牛」という概念(《所記》)は、私の意識の中では bof という音の全体(《能記》)とどうしても同一である。どうしてそうでないわけがあろうか?」(バンヴェニスト 1983:57)「水甕を動かすこと」(あるいは炉石を動かすこと)は「妻を屋敷から引き抜くこと」そのものであって、一方を他方以外の形で考えることはできない。かくして、このシステムの内部においては「水甕を動かすこと」と「妻の死」の結び付きは、「必然」となる。

 我々の目の前にあるのは、象徴論的な人類学が誤認するであろうような、何かを言い表す象徴のシステムでもなければ、伝達のシステムでもなく、あえて言えば「恣意性」を中枢にすえた秩序の機構である。それのみをとると隠喩的であるしかない平面で展開する論理性と、こう言ってよければ「意味論的な」有縁性が、恣意的であると同時にその内部では必然的であるしかない結び付きの中で、結合しているのである。そこに含まれた規約性=恣意性の事実が、その機構の外部にいる者にそれを「呪術的」に見せてしまう。


註釈

註1)この論点はすでにG・ルイス(Lewis 1980:13-15)がきちんと展開している。

註2)この行為に夫婦関係の破局を通告する側面があることは明らかであり、その意思表示の重大さの前ではそれが妻の死を結果するかどうかはどうでもよいことかもしれない。しかしなぜその行為にそれほど決定的な意味があるのかは、ふたたびそれが妻の死という深刻な結果につながるものだからだということになる。

註3)オースティンの言語行為論(Austin 1962)、とりわけ発話内行為 illocutionary action の概念が召喚されるのもこうした文脈においてである。例えばタンバイア(Tambiah 1985:60-86)は儀礼(呪術を含む)を言葉と行為においてアナロジーを述べることであるとしたうえで、その実効性を、オースティンの発話内行為、あるいは行為遂行的発話 performatives の概念を持ち出すことによって確保しようとしている。しかしその見掛け上の成功は、発話内行為の概念の意味を、故意にか、あるいは単なる勘違いでか、ずらして理解することによってのみかろうじてもたらされたものである。

註4)レイコフとジョンソンにならって、まさにこの隠喩的語り口こそが--ちょうど時間をお金にたとえて、それを浪費するとか節約するとか語る語り口が、時間についての我々の経験をその隠喩性をまったく感じさせないまでに首尾良く組織しているように--問題となっている経験領域の組織化を提供しているのだと言ってもよいかもしれない(Lakoff & Johnson 1980)。引き抜かれた妻と死の結び付きは、ちょうど「時間を浪費すると、時間が足りなくなる」と語ることが時間を金に等置する一貫した隠喩の内部での帰結であるのと同様な、隠喩的帰結 metaphorical entailment であるということになる。

註5)サールの構成的規則(サール 1986)の概念を儀礼研究に適用したものとしてエイハン(Ahern 1981)、タンバイア(Tambiah 1985:123-166)、浜本(浜本 1989)があるが、前二者はサール自身がこの概念を提出した理論的文脈--言語行為論--を一歩も出ていない。たとえばエイハンは、ある結果を出した占いが占いとして認定される条件の分析にこの概念を使用しているのみであり、また特定の規則についてそれが構成的であるか、規制的であるかを分類してみることにまるで意義があるかのように考えている。浜本はこれに対し、構成的規則がもつ根拠の問いを封印するという性格に着目し、儀礼が構成的規則にしたがった行為であるという事実が秩序の自明性に対してもつ意味を主題化した。福島(1993)は、この違いを充分には理解していないようである。


参考文献

Ahern, E.M., 1981, Chinese Ritual and Politics, Cambridge: Cambridge University Press

Austin, J.L., 1962, How to do things with words. Oxford: Clarendon Press.

E・バンヴェニスト, 1983,『一般言語学の諸問題』(河村正夫他訳),みすず書房

福島真人, 1993,「儀礼とその釈義」民俗芸能研究の会/第一民俗芸能学会編『課題としての民俗芸能研究』ひつじ書房

J・フレーザー, 1981,『金枝篇』永橋卓介訳 岩波文庫(第一巻)

浜本 満, 1989, 「死を投げ棄てる方法:儀礼における日常性の再構築」田辺繁治編著 『人類学的認識の冒険:イデオロギーとプラクティス』同文館 pp.333-356

浜本 満, in print,「違反と災厄:ドゥルマの屋敷の秩序とその侵犯」吉田禎吾編『秩序と不幸:東アフリカ・ミジケンダ諸族における病気とコスモロジー』平河出版

慶田 勝彦, 1994,「ギリアマにおける妖術告発とパパイヤのキラホをめぐる噂」『国立民族学博物館研究報告』Vol.19(2):311-348

Lakoff, G. & M. Johnson, 1980, Metaphors We Live By, Chicago: The University of Chicago Press

Lewis, G., 1980, Day of Shining Red: An Essay on Understanding Ritual, Cambridge: Cambridge University Press

Saussure, F. de., 1974, Course of General Linguistics. London: Fontana

J・R・サール, 1986,『言語行為』坂本百大・土屋俊訳 勁草書房

Tambiah, S.J., 1985, Culture, Thought, and Social Action: An Anthropological Perspective, Harvard University Press