あとがき

私が1982年にはじめてドゥルマの人々のもとを訪れてから20年近くが経過した。自分の仕事の遅さと怠慢にもあきれるが、それ以上にこの間の迂回の長さに愕然としてしまう。

調査の初期の頃から私が興味の中心に据え、最も精力的に取り組んできたのは、人々の生活をしっかり絡めとっているオカルト的想像力、とりわけ妖術と霊憑依をめぐる諸問題であった。調査地[ジャコウネコの池]での一週間7日のうち4日は、朝一番で自転車に乗って近所の憑依霊の施術師たちの屋敷に出かけ、占いに同席したり、治療があればそれに同行したりして一日を過ごしていたと言ってもよい。週末はたいてい、徹夜の治療ダンスだ。しばしば何ヶ所からも同時にお誘いがかかり、どの施術師が主宰するダンスに顔を出すか悩んだものである。しかし、私の経験と調査資料のなかで最も大きな場所を占めているこの肝心の事柄について、私はこれまでほとんど何も書いていない。

正確には、10年ばかり前にいったんは憑依をテーマに書き始めはした。一気に300枚分ほど書いたときにハードディスクがクラッシュした。バックアップはとっていなかった。今から考えると幸運だったと言える。それは調査者である私の経験を中心に据えた一人称の物語に近いもので、今になって思えば顔から火が出そうな代物だった。ともかくクラッシュをきっかけに、私は頭を冷やして研究計画を立て直した。憑依の問題をいきなり取り上げるよりも、憑依をめぐる変幻自在な語り口を理解するうえで不可欠の、より基底的なイディオム、コスモロジー的な諸観念について概観するところから始めようと。こうしたありきたりの手順を踏むことで、調査者の個人的経験を中心に据えたり、あえて物語的なわかりやすい道具立てを用意したりといった小細工を弄することなく、かえってより無理なく憑依の世界を了解可能な世界として共有できるだろうと思い直したのである。それは簡単な作業に見えた。

実際には10年近くかかってしまったこの作業の結果が本書である。この間、調査地では相変わらず妖術や憑依の問題に没頭しながら、日本ではまるで迂回そのものを楽しむかのように、当初の予定では1年以内にけりがつくはずだったこの作業に時間をかけた。なにごとも勢いが大切で、ただ時間をかければよいというものでもないということが、つくづくわかった。こうして一区切りがついたこと自体、まるで奇蹟のようだ。

作業の成果は1995年から順次ウェブ上に公開され、1999年に学位論文としてまとめられた。序文でも述べたように、本書はこの学位論文がもとになっているが、冗長なあるいは十分には論じきれていない議論を削除・整理し、事実に関するディーテイルを削るなどでかなりの短縮化をはかっている。

出版にいたるまでには多くの方々のおかげをこうむっている。出版にあたっては平成13年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けた。学位論文に対しては長島信弘、落合一泰、足羽與志子の諸先生からさまざまなご批判を頂いたが、もし本書がもとの学位論文に比べ、いくぶんなりとも読みやすく説得力を増しているとすれば、すべてこうしたご批判のおかげである。さらに弘文堂の中村憲生氏の多大なご助力と励ましがなければ、生みの親自身にすらあやうく見捨てられそうになっていた本書が出版にまで漕ぎつけることはけっしてなかっただろう。

現在すでに私は次の新たな作業にとりかかっている。妖術、つまり他者の悪意を巡る語りとオカルト的想像力の世界の微視的な研究であり、こうした想像力がマスメディアとも交錯しつつ、いかに人々の日常のみならず国民国家の枠内における地方政治の場にも浸透しているかを明らかにすることである。この作業が終われば、いよいよ憑依の問題に腰を据えて取り組むことができるだろう。相変わらず本人は、ほとんど見通しがついているような気でいる。妖術をめぐる語りに特徴的であるような、状況的な人々の語りにどのようにチューンを合わせればよいかについて、本書のもととなった研究が一段落ついた今では、かなり明確な方針も立っている。それにもかかわらず、またまたやたらと時間がかかってしまいそうな悪い予感がするのはどうしてだろう。おまけに私の悪い予感はたいていあたるのだ。

2001年 秋


Mitsuru_Hamamoto@dzua.misc.hit-u.ac.jp