イスラムの霊

もくじ

  1. はじめに
    1. 非イスラム世界としての後背地
    2. イスラム化という問い
  2. 憑依霊の世界
    1. 概要
    2. 憑依霊についての知識:拡散
    3. 憑依霊についての知識:規格化
    4. 内陸部の霊と海岸部の霊:霊の分類
    5. 霊への語りかけ
    6. 弁別図式としての非イスラム/イスラム
  3. 付録:ドゥルマにおける霊の世界(リスト)

はじめに

本論考の目的は、ドゥルマにおける憑依霊の分類についての考察を通して、スワヒリ海岸後背地における「イスラム化」を問題にする際に有効であるかもしれないひとつのパースペクティヴを提出することにある。

非イスラム世界としての後背地

スワヒリ海岸の名で知られる、今日のソマリア南部からモザンビークへ延びる海岸線は古くから季節風を利用したアラブ・インド世界との交易によって栄え、11世紀にはスワヒリと呼ばれる独特のイスラム社会を形成していた。今日ミジケンダに分類されている人々は、こうした交易都市のひとつであったモンバサ島の対岸部の後背地に居住し、モンバサ島内部の政治抗争に際し、そのときどきに応じさまざまな派閥に軍事的支援を提供したり、モンバサ島と外部勢力(ポルトガルおよびオマーン)との抗争においても、あるときは外部勢力を支援し、別の時にはモンバサ島の勢力とともに外部勢力に対抗するといった形で、自律的な勢力として大きな役割を演じてきた。また農産物や交易品の交換を通じて、海岸部のスワヒリ社会と緊密で恒常的な相互依存関係を結んでいた。今日のミジケンダを構成するいくつかのグループ(チョー二、ラバイなど)の名前が具体的に記録に登場するのは17世紀にはいってからであるが、おそらくはその以前から続いていたにちがいないこうした何世紀にもわたる緊密な関係を考慮するとき、後背地の人々が20世紀にいたるまでほとんどイスラム化されていなかったという事実は、きわめて不思議なことに映るかもしれない。

もっとも Justin Willis によると後背地の「人々」がイスラム化しなかったというのは、いささか不正確である。Willis は、海岸部のスワヒリ社会と後背地の社会は、明確な境界をもった民族集団であるというよりも、異なる原理にもとづいたパトロン−クライアント関係の二つの代替的ネットワークと見るべきだと主張している。二つの社会の間での人々の移動は容易で、後背地における「屋敷」への編入という形でのパトロン−クライアント関係の網の目と、モンバサ都市部におけるアラブ・スワヒリ的なパトロン‐クライアント関係は、つねに選択可能なオプションであった。後者に属することはイスラム化を意味した。つまり Willis によると後背地の「人々」がイスラム化しなかったのではなく、イスラム化した後背地の人々は「スワヒリ」としてモンバサの人口の主要な部分を占めていたというのだ。私にはこの Willis の主張の正否を判断することはできないが、いずれにしても、海岸部のイスラム的な編成の社会と隣接するかたちで、非イスラムとして自己を差異化する社会が何世紀にもわたって維持されていたという点はまちがいないようにみえる。

イスラム化という問い

後背地はどの程度イスラム化されているのかという問いは何を意味しているのだろうか。それは単純にムスリムの人口が占める割合によって測られる問題なのだろうか。

モンバサの南海岸部に居住するディゴ人だけが、20世紀の初頭にはほぼイスラム化されており、母系相続廃止とイスラム法のより徹底した遵守を推奨するイギリス植民地行政のもとで、ディゴ社会は「よりイスラム的」な社会へと変貌を遂げたとされている。ある報告によると今日ディゴの91%がムスリムである。ディゴ社会に隣接する、私が主として調査をおこなってきたドゥルマにおいては、今日なおムスリムは少数派であり、数においてキリスト教徒にすら劣っている。ドゥルマ中心部に位置する町キナンゴのモスクで礼拝する人々は、インド(パキスタン)系の、あるいはラム島出身の商店主らがその多くを占めており、土地のドゥルマ人はほんの数人である。

私の調査地である<ジャコウネコの池>(ドゥルマ語でラロ lalo、スワヒリ語で mtaa と呼ばれる行政区分に相当する近隣集団)のモスクの状態は、おそらくこの地域におけるムスリムの現状の縮図を提供しているといえるかもしれない。このモスクがサウジアラビアの組織の資金援助で1992年に建造されるときには、隣接するラロとの間で熾烈な誘致合戦が繰り広げられた。人々によると「本当にムスリムだ(後述する名目上のムスリム mudzomba との対比で mwislamu mwenye などと言及される)」と言える人はわずか2名しかいなかったのだが、組織の視察団が来るときには、地域の人々は借りてきた白い長衣(カンズ)でにわかムスリムに成りすまし、信者の多さを訴えた。ライバルの隣のラロにはすでに小学校があったが、当時<ジャコウネコの池>には小学校がなかった。モスクが建てば、水道が引かれ、小学校が隣接して建てられるだろうというのが、地域の「発展」を望む人々の目論見だった。こうした運動が功を奏したのか、モスクは<ジャコウネコの池>に建造されることになった。派遣されてきた初代の導師 mwalimu はポコモ人であったが、布教に熱心でマダラサを開いて地域の子供たちを集め、コーランや歌を教えた。毎夕、子供たちのにぎやかな歌声があたりにこだましていた。しかし礼拝に集まる人の数は急速にしぼんでいった。モスクがもたらすはずの「発展」は期待はずれに終わった。水道は引かれなかったし(本管から遠すぎた)、小学校はこのモスクとは無関係に地域の人々の拠出によって1995年に完成することになる(小学校運営委員会の一人が熱心なキリスト教徒であったせいで「聖ルカ小学校」と名づけられてしまったが、キリスト教と関係があるわけではない。最初は私の名前がつけられるはずだった。もちろん固辞したが。ちなみに委員会の長はこの名づけ人と同じ屋敷に住む彼の年長のhalf-brotherであり、この人こそ他ならぬ二人しかいない「本当のムスリム」の一人であった。)。2003年現在、派遣されてきた導師もすでに三代目となり、マダラサはもはや開かれておらず、日々の礼拝に参加するのは当初から「本当のムスリムだ」とされていた二人の長老と、幼いころマダラサで学んだ数人の青年だけである。この点ではたしかに最初の導師は一定の布教の成果をあげたのだ。男の信者の少なさに対して、むしろ目を引くのは、金曜日ごとに、このラロのみならず、周辺のラロからも集まってくる、ブイブイや思い思いの一張羅の布で着飾った女性たちの数だろう。彼女らは、この地域に嫁いでいるディゴの女性たちで、このモスクの存在をありがたがっている。

もちろんモスクで礼拝するばかりがムスリムではない。ある意味でムスリムに数えてよいかもしれない人々を便宜上いくつかのカテゴリーにまとめてみたい(人々自身が行っている分類ではない)。

  1. 名前のムスリム:アリー、ジュマ、バカリ、オマリといったイスラム名(dzina ra chidzomba)をもち、クラン固有の名前(dzina ra mbarini)でよりもむしろこうしたイスラム名で通っている者が何人かいる。しかしこうしたイスラム名は必ずしも本人の信仰とは一致しない。ドゥルマでは男は、父系の祖父の一人が持っていた名前をそっくり受け継ぐからである。ある男がジュマと呼ばれているのは、祖父がその名で呼ばれていたからにすぎないかもしれない。

  2. 名目上のムスリム:問われるとムスリム(mudzomba)であることを自認し、ムスリムによって屠殺されなかった肉(afu)を拒み、帽子(kofia)を身につける。酒は飲むし、モスクで礼拝することはない。自分をムスリムと考える度合いは、人それぞれである。

  3. 治療上のムスリム:David Parkin による命名。後述するイスラム系の霊に憑依された結果、イスラム「的」な生活習慣の採用を余儀なくされた者。そのままムスリムを自認するようになる場合も多い。しかしモスクそのものは避ける傾向にある。別の治療体系にしたがっているからである。

そしてこれらすべてを合わせても、人数的には地域の住民の少数を占めるに過ぎないとわかるだろう。

何世紀にもわたる海岸部のスワヒリ社会との密接な関係にもかかわらず、ドゥルマではイスラム化はそれほど進んでいない、あるいはきわめて緩慢に進行していると結論すべきなのだろうか。人口500人を超える<ジャコウネコの池>でモスクで定期的に礼拝を行う男がたった二人であり、名目上のムスリムもせいぜい20人足らずであるという事実は、この結論にとって十分だといえるかもしれない。しかしイスラム化を量的な問題、程度問題として語ることに、どこまで根拠があるのだろうか。ひとつの自律的な社会空間に、その「外部」からある影響が加えられる、なにかがじわじわと侵入してくる、こうしたモデルはあまりにも素朴には過ぎないだろうか。そもそもこうした問題のたてかた自体が誤っているということもありうるのではないか。

たとえば、仮にムスリムを自認する人がさらに少なく、モスクに通う者が一人もいなかったとしても(実際、モスク誘致を張り合った隣のラロでは「本当のムスリム」は一人しかいなかった。彼は現在も金曜ごとに、<ジャコウネコの池>のモスクではなく徒歩で一時間以上かかるキナンゴのモスクに通っている。)、ドゥルマについて、たとえば日本の社会がイスラム化していないというのと同じような意味で、イスラム化していないと語ることができるだろうか。日本の社会的空間とそこでの日常的実践は、極端な言い方をすれば「イスラム」とはまったく無関係になりたっている。それに対して、海岸部スワヒリ社会との何世紀にもわたる相互交渉をもつドゥルマの社会的空間と日常的実践の成り立ちは、イスラムを無視しては語れないのではないだろうか。つまりそこは、ある意味で「イスラム」が織り込まれ済みの社会空間であり、隣接するイスラム的なスワヒリ空間といわば「共進化」してきた社会空間なのだとはいえないだろうか。言い換えれば、ドゥルマ社会は、イスラムの生活実践を取り入れたり、自らムスリムとなることなしに、つまりイスラムを採用することなしに、それ自体で十分にイスラムにチューンが合うように自己成型してきた社会空間なのではないか。あまり造語は好みではないが、シンクレティズムに対してパラクレティズムpara-cretism といったプロセスを想定してみてもよいかもしれない。それは、自らイスラムになることなき、しかしやはり一種のイスラム化の形態である。本論考では、こうしたプロセスを良くあらわしている事例として、ドゥルマにおける憑依霊の世界について考察したい。

憑依霊の世界

概要

この地域の人々にとって、それと係わり合いになると厄介な存在に憑依霊がいる。そいつらはニャマ(獣 nyama)、ペーポ pepo 、シェターニshetani などと呼ばれるやつらだ。人々の側から求めて係わり合いをもつというようなことはめったになく、たいていは憑依霊の方がかってに「惚れ込んで ku-tsunuka」とりついてくる。それはとりついた人(宿主と仮によんでおく)を病気にし、自分の存在を認めさせ、その要求をかなえさせる。その要求は、単に匂いの良い草の薬液 mavuo を浴びたり、その霊固有の木や根や葉を壷で煮立てた蒸気を浴びたりしたいだけだったり、その霊固有の布や品物を手に入れることだったり、宿主にそうした品物を折にふれて身につけさせ、霊が課した禁止にしたがわせることだったり、カヤンバ kayamba とかンゴマ ngoma とか呼ばれる徹夜の舞踏会(ngoma もkayamba もそこで使用する楽器の名前である)を開いてもらうことだったり、施術の仕事kazi ya ugangaを与えられること(要するに宿主が施術師になることである)だったりする。施術の仕事がその要求である場合、施術師になるための手続きに相当の出費を覚悟しておかなければならない。しかしいったん施術師になると(「外に出されるku-laviwa konze」と)、霊は彼/彼女が占い、治療活動を行うことを可能にしてくれる。霊に満たされ(u tele)あるいは霊が頭に上った(kupanda chitswani)状態で、施術師は占い mburuga で患者の問題を診断し、徹夜の舞踏会で患者にとりついている霊たちと交渉することが可能になる。

これら霊と係わり合いになってしまった者は、基本的に一生、彼らと付き合っていかなければならない。とりわけ女性の場合は、自分の娘にまで同じ霊がとりついてしまい何代にもわたってこの厄介な係わり合いが継承されてしまうこともある。娘が嫁いで行って、そういつも母親と一緒に施術や舞踏会を開くわけにいかない場合は、霊を分ける ku-gavya nyama 手続きが必要になるだろう。盛大な徹夜の舞踏会で、二人にかぶせられた布が切り分けられ、二人は以後それぞれ別個に治療や施術を受けることが可能になる。霊たちは自分が長い間なおざりにされていたり、要求がかなえられなかったりすると、すぐその宿主を病気にしてしまう。ほんのちょっとしたことで腹をたてて、宿主を病気にする。また、分別のない子供のような聞き分けのなさで、宿主を困らせる。宿主の身近な人が死に、宿主が悲しんでいると、霊はなぜ自分の宿主が悲しんでいるのか理解できず、自分たちが嫌われたのだと勘違いして怒って宿主を錯乱させたり病気にしたりしてしまうらしい。ふたたび徹夜の舞踏会(お悔みのカヤンバ kayamba ra pore)で、霊たちに事情を諄々と説き聞かせて納得してもらわねばならない。

憑依霊もちの宿主、とりわけ施術師が死ぬと、霊たちに宿主が死んだことを納得させるために、服喪 hanga 期間中は連夜カヤンバ演奏の舞踏会を開いてやる必要がある。宿主の死に納得した霊たちは立ち去るかもしれない。あるいはおそらくそういう状況が多いのだが、すでに宿主の子供や孫たちにとりついている場合、今後はもっぱら彼らとの付き合いになる。

すべての霊がこんな風に交渉可能なわけではない。別の特定のグループの霊は、人の影 chivuri を奪って自分の住処である水の底や洞窟、木の洞などに隠してしまうので、影を奪われた人は病気になる。専門の施術師は自分の霊の助けを借りて、奪われて隠されている影を嗅ぎ出し(ku-zuza)、それを奪い返して患者に戻してやる。別の一群の霊は、女性にとりついて彼女が生む子供を片端から殺してしまうので、こうした霊に対しては除霊 ku-kokomola というかなり手荒な治療が必要となる。別の一群の霊たちは、自分から進んで人にとりつく以外に、妖術使いたちによって送り付けられたりもするので、また別系統の治療が必要となる。

憑依霊についての知識:拡散

こうした霊たちの種類は数え上げると簡単に100を超えてしまう。それぞれの霊は、独自の性格、行動特徴をもち、特定の身体・精神症状を引き起こし、またそれぞれ自分にちなんだ固有の品物、徹夜の舞踏会で歌われる持ち歌をもっている。しかしこれら霊の完全なリストを作り上げようとしても無駄であろう(90年代の初期には私はこの作業にけっこう熱中していた)。霊についての情報は、解消不可能な不確かさをかかえている。なんと言っても普通は見ることも触ることもできない連中である。彼らの世界について直接知るすべはない。これはドゥルマの人々にとって霊について語る際の大前提であるように見える。どんな霊がいるのかということですら、その霊が実際に人間のもとに現れてくれないことには知りようがないのである。昔はよく現れたそうだが、今ではすっかり人間の世界から手を引いてしまったように見える霊たちがいる一方で、これまで誰も知らなかったような新しい霊が登場して、人々にとりつきだすことがある。これらの新しい霊は、もちろん昔から存在はしていたのだが、単に人間たちの知るところではなかったというだけのことである。

特定の霊について、そいつがどんな奴で、何を要求するかなどその霊の特徴というべきものについては、一定の型にはまった知識が流通している。しかし個々の具体的な場合については、霊本人に語ってもらうしかない。一般人が宿主の場合、霊は治療にあたる施術師の求めに応じて、あるいは自分自身の意志で宿主の頭に上り、自分の要求をつたえる。より一般には、舞踏会 kayamba の席上でその宿主の頭に上ってきて宿主の口を借りてその要求を伝え、自分の持ち歌に合わせてひとしきり踊ったり、それ特有の振る舞いを示したり、施術師と交渉する。同じ一人の霊であっても、その振舞い方や要求は、宿主の一人一人に応じてどうしてもヴァリエーションがでてきてしまう。たとえばある霊は、私の知り合いの宿主を満たしているときには、冗談好きで、かなり卑猥で、ところかまわず排便したがる(周りの人は必死で排便しないよう説得し、実際に排便することはまずないが)という特徴を持っていて、当初私はそれがその霊のステレオタイプ的な特性だろうと考えていたのだが、別の施術師の意見によると、「その霊はたしかに田舎者でがさつだが、気難しく、けっして不潔なやつじゃない」らしい。霊の特長についての具体的な知識の源泉が、霊が目に見える存在として登場するこうした舞踏会を通じてのものであるとするなら、どの宿主を通してその霊についての親密な知識を得るにいたったのかによって、人がもつ個別の霊についての知識内容はずいぶん違ってくることになる。

施術師自身の持ち霊も、その施術師が治療に従事する機会や、舞踏会の場をとおして、自分がどんな霊であるのかを人々に見せる。しかし宿主が施術師である場合は、霊は頻繁に宿主の夢の中にやってきて、そこで自分自身について、施術法について、あるいは宿主に迫っている危険などについてさまざまな情報を伝えてくれる。「新しい霊」が出現してくるのも、こうした夢の中でである。施術師に自分の正体を明かし、自分が求めている布や品物が何であるかを伝え、また持ち歌を伝授する。夢で正しい情報を手に入れることができること、単なる無意味な夢ではなく、知識を与える夢を見ることができることは施術師の能力の一部であるが、それは彼/彼女を宿主とする霊たちによって与えられた能力だということになっている。しかし、なんと言っても「夢」であり、人がいったいどんな夢を見るかは前もって決定できない以上、夢で見たことが「正しい知識」だとされることは、知識の内容におそろしく大きな不確定性を付与することになる。

つまり憑依霊についての知識は、その真正な源泉--治療の場や舞踏会における、特定の個性を持った宿主のいくぶん個性的なパフォーマンス、あるいは施術師(あるいは未来の施術師であるところの宿主)がみる夢--の性質上、規格化とは反対のベクトルをもつ多様性への拡散によって特徴付けられるといえる。

施術師や宿主ごとに、特定の霊の性格や振る舞いや必要な品物が微妙に違ってくるというだけではない。かなりの施術師が自分にしかやってこない、彼/彼女以外は誰も知らない霊をもっていたりする。施術師によっては、頻繁にそれまでは来たこともなかった新しい霊がやってくるため、弟子 mwanamadzi の歌い手ですらその歌を施術師にそのつど教えてもらわねば演奏できないケースすらある。私が最も親しく付き合っている施術師Cは、キナンゴ周辺の地域に初めて「世界導師 mwalimu dunia」という霊を紹介した施術師である。彼女はモンバサ−ナイロビ街道沿いのギリアマ・ラバイ・ドゥルマ・カンバが混住している町に暮らしているころ病気になり、この霊の施術を伝授された。ラバイ、ギリアマ地域ではそこそこ名の知れた霊であったらしいが、ドゥルマではあまり知られていなかった。キナンゴ周辺では、世界導師は「彼女の霊」ということで知られている。彼女はそれ以外に、おそらくは彼女のまったくのオリジナルと思われる数人の霊をもっている。

憑依霊についての知識:規格化

このように霊が数においてもまたその知識の変異においても増殖していく傾向にある一方で、霊の世界を全体化し秩序付けようとするベクトルも働いている。

まず第一に、個々の施術師は、自分自身で霊の数や知識の変異体を増殖させる一方で、つねに霊の世界の全貌について理論化する努力を続けているように見える。霊をさまざまな仕方で分類し、整理し、その知識によって特定の霊が引き起こす病気に対する特定の治療法の正しさを根拠付けている。そうした体系化そのものも、個々の施術師によってかなりの違いがある場合もある。

全体化、全貌把握が必要なわけは、霊の病気に対する治療の考え方そのもののなかにある。ある症状が占いの結果、しかじかの霊の仕業であると判明したとしても、その霊だけに対して要求されている薬液や壷を差し出し、交渉すればよいというものではない。まず、本当にその霊の仕業なのか、あるいはその霊以外にも他の霊も関係しているのかがについての疑いが残る。さらに、ごく普通のことなのだが、患者に複数の霊がとりついている場合、そのなかの現在の症状に責任のある者だけに語りかけ、そいつの要求だけをかなえる約束をすると、他の霊たちが嫉妬して、治療そのものを妨害するだろう。患者にとりついていながらまだその姿を見せていない霊たちもいるかもしれない。したがって、施術師は治療に際しては「すべての」霊の名前をあげ、それらに語りかける必要がある。もちろん100を超える名前をすべて唱えるわけには行かないし、誰の知識にも限界がある以上、そうしたからといって知られていない霊についてまで網羅したことにはならない。列挙を節約しつつ、なおかつ全体を押さえる必要がある。施術師は、さまざまな霊の名前を同じひとりの霊の別名であるという形で整理したり(実際、かなりの霊は、その出現の特徴にちなんださまざまな別名をもっているとされている)、霊をグループ分けしたりする。別名の一つで多くの名前を代表させてしまったり、多くの霊を一まとめにして唱えることによって、「すべての」霊に対する語りかけができたことになっている。この整理の仕方そのものが、個々の施術師ごとに違っているということももちろんありうる。したがってこの理論化の作業のみでは、変異の増殖をかならずしもキャンセルできることにはならない。

変異の増殖に対して反対方向に働くより大きな要因は、施術師どうしのコミュニケーションである。親しい施術師たちは互いの治療に参加しあう。さらに施術師にとりついている霊たちは、施術師たちが他人の病気を治すのに力を貸してくれると同じくらい、あるいはそれ以上に施術師たち自身を病気にする霊でもある(しかもたいてい強力な霊たちであるから、いっそう始末におえない)ので、施術師は、かつて自分を治療し、自分にとりついている霊と交渉して自分を施術師にしてくれた施術師を、自分の施術の父あるいは母と呼んで、その後もトラブルに見舞われるつど、施術の父や母の治療を仰ぐことになる。こうした施術師どうしのネットワークがあり、その中で施術師たちは互いを治療しあっている。こうした親しい施術師たちどうしが会ったときの話題は、もちろん霊の話であり、そこでお互いの夢を報告しあったり、霊の振る舞いについて議論したり、自分が霊から教えられた治療法について話しあったりする。私は施術師Cと行動をともにする中で、頻繁にこうした場面に出くわした。それぞれが自分の夢を根拠に、特定の霊について真相がどうなのかを大真面目に論じあっている様は、なかなかのみものである。また互いにライバル関係にある施術師たちも、けっして互いの施術のやり方や知識に対して無関心なわけではない。むしろ互いを注意深く観察し、たいがいは批判的な論評の対象にしている。

ひとり、ひとりの施術師の経験や夢から生じる変異は、こうしたコミュニケーション空間に投げ出され、そのなかでそれなりのパターンに組織されることになる。

内陸部の霊と海岸部の霊:霊の分類

付録1は、ドゥルマにおける憑依霊の簡略化したリストである。この節ではこのリストについて説明しながら、憑依霊においてもっとも中心的な区別である、内陸部の霊 nyama a bara と海岸部の霊nyama a pwani =イスラムの霊 nyama a chidzomba の区別について考察する。

本節の主題である内陸部の霊と海岸部の霊という区別のほかにも、憑依霊はさまざまな基準で区別されている。それらについて簡単に触れておこう。

身体の霊 nyama a mwirini と除去の霊 nyama a kuusa という区別は、交渉を通じて幾分かは良好な関係を作り上げることができ、一生つづく付き合いになるような霊と、最終的には除霊してしまうしかない霊の区別に対応する。前者の霊についてはそもそも除霊は不可能だと考えられており、後者の霊についても除霊はきわめて危険作業なので、よほど重大な場合以外はあえて除霊しないのが普通である。前節までで行った説明は、おおむね身体の霊についてのものである。除去の霊の代表は「上の霊」と呼ばれる霊たちである種の鳥と結びついている。これらを扱う施術師は、他の憑依霊の施術師とはまったく別系統の施術師で、妖術治療の施術と同様、薬と呪文を購入することによって誰でもなることができる。除去の霊のもう一つの代表は付録1のリストにおいて、海岸部の霊に分類されているジネ・グループの霊である。ジネは、霊自身の意志で人にとりつくこともあるが、妖術使いによって送りつけられることもあり、この場合は、体の霊の施術師たちとは別系統の「イスラム教徒」の施術師によって治療される。その治療においては、イスラムの太鼓やタンバリン、または手拍子のみで霊を呼び出し、必要とあれば除霊する。こうした施術師たちは、一方で、ジネを自由にあやつる妖術使いでもあると考えられている。ドゥルマの人々は、こうしたタイプのジネの治療が必要なときは、海岸部のスワヒリやディゴの施術師に依頼する。しかし他方で、ジネは身体の霊として、交渉を通じて宿主と良好な関係にたち、危険から宿主を守ってくれる霊になることもある。こうしたジネのあるものについては他の身体の霊と同様、舞踏会でカヤンバによって呼び出され、そこで踊ったり、自分の要求を伝えたりする。身体の霊と除去の霊の区別は、したがって、霊に対する対処法の違いによるもので、必ずしも霊を一意的に分類する基準ではない。

この区別と部分的に重なる区別で、身体を食らう霊 nyama aryao mwiri と子供を食らう霊 nyama aryao mwana という区別もある。

こうした大きな区別とは別に、いくつかの霊がグループを作っている場合がある。リストにみられるようにライカ laika やニャリ nyari そしてジネ jine のようにそれ自身が多くの種類(あるいは別名)をもつことによって一つのグループを作っているものもある。これらの大きなグループを作っている霊は、その活動様式やそれが引き起こす症状において独特で、他の憑依霊一般とは異なる独自の治療方法を必要としていることが多い。ライカは、そしてライカだけが人間の影を奪って隠してしまうので、その影を嗅ぎだして取り戻すという特別な治療を必要とする。ジネはさまざまな形で犠牲者の血を奪い、その奪い方と手段の違いの数に応じただけジネの種類がある。しかしこうした形ではなく、異質な霊が集まったグループもある。憑依霊の施術師は、自分にとりついて施術の仕事を欲しがっている霊に瓢箪で作った子供を与えることによって施術師となる。この瓢箪は瓢箪子供 mwana wa ndonga と呼ばれるが、この瓢箪が彼/彼女の治療に際してもっとも重要な役割を演じる。同じ瓢箪子供を共有するという形で、異なる霊がグループになることがある。たとえばムルング童子 mwana mulungu と「サンバラ人 musambala」は同じ瓢箪を共有する。一方、ライカlaikaとシェラshera、それに「ディゴ人 mudigo」も同じ一つの瓢箪のなかに収まることができる、といった具合である。霊たちどうしの間に、瓢箪を共有できる関係と、共有不可能の関係とがある。

さらに霊どうしのいわば社会関係が部分的に設定されている場合がある。たとえばムルング童子はつねにキツィンバカジを伴う。ムルング本人は蛇なので口が利けない。そこでキツィンバカジがスポークスマンのようにムルングの要求を代弁するのだという。同様に、ニャリも口が利けない霊なので、デナ(これも蛇なのだが..)がそのスポークスマンを務める。こうした代弁関係のほかに、ムルングジ(あるいはカルングジ)とムルングのような従者と主人の関係もある。しかし単一の位階序列や社会関係が霊たちの世界全体をカバーしているということはない。こうした社会関係は、ごく部分的にのみ成立している。

しかし霊の世界をもっとも首尾一貫して秩序立てているのは、冒頭であげた海岸部の霊nyama a pwani と内陸部の霊nyama a bara の区別である。この区別は、非イスラムとイスラムの区別に対応する。海岸部の霊は「イスラムの霊 nyama a chidzomba」とも呼ばれている。付録のリストに明らかなように、この区別にもとづいて憑依霊は二つの大きなグループに分かれる。それぞれのグループに属する霊に対しては、その治療法も異なっている。



         内陸部の霊               |         海岸部の霊
----------------------------------+----------------------------------
   香木・根、ミンツ系の香草       |     香辛料ミックス
                                  |
   ブッシュや水辺の草木の薬液     |     ローズウォーターと線香
                                  |
   壷治療(草木を壷で煮て、その   |     皿治療(サフランで描いた「アラビ
   蒸気を浴びる)                 |     ア」文字)
                                  |
   瓢箪子供                       |     「アラビア」文字を描いた護符
                                  |
   ドゥルマ語で交渉               |     スワヒリ語で交渉




ただし、後に見るように、「ペンバ人」と「世界導師」は海岸部の霊であるが、瓢箪子供をともなう。また「世界導師」は壷治療も必要とする。内陸部の霊も海岸部の霊も、徹夜の舞踏会(カヤンバ演奏)で呼び出されて交渉される点では、同じ憑依霊治療体系に属しているといえる。(ただしジネ・グループの霊は、舞踏会での交渉の対象であると同時に、除霊という手続きの対象にもなる。除霊は、憑依霊の施術師たちによってではなく、海岸部に住むディゴやスワヒリのイスラム教の施術師=導師によって行われる。)

このように憑依霊を内陸部の霊と海岸部の霊、あるいは異教徒の霊とイスラムの霊に分類するのは、けっしてモンバサ後背地特有のものではなく、むしろタンザニアからケニアにわたるスワヒリ海岸地方のスワヒリ人の憑依霊信仰にも広くみられる特徴である(Gray 1969, Caplan 1975, Koritschoner 1936)。一方、バントゥ系の他の地域、ジンバブエのショナやザンビアのトンガやモザンビークのバソンガにおける憑依霊に関しては、こうした分類は見られない(Colson 1969, Bucher 1980, Junod 1927)。またイスラム社会であるスーダンに広くみられるザール信仰においても、この区別はない(Boddy 1989)。

霊の世界における内陸部の霊と海岸部の霊の、土着の霊とイスラムの霊のこの区別は、スワヒリ海岸およびその後背地に広く共有されているが、個々のケースを比較してみると、それらがかならずしも固定したカテゴリーにはなっていない点に気づく。しばしば地域によって、同じ霊が正反対のカテゴリーに属している場合がある。タンザニアのセゲジュにおいては、「ペンバ人」と彼らのグループは、海の霊 sea spirits つまりイスラムの霊のカテゴリーにではなく内陸部の霊 land spirits に属している(Gray 1969)。一方マフィア島においては、他の地域では内陸部の霊に分類されているマブェングmabwengu(他地域ではキブェング chibwengu または kibwengu, chibwengo)は、海岸部のイスラム系の霊に分類されている(Caplan 1975)。私は後に、この二区分がカテゴリーそのものではなく、カテゴリーを動的に生成する弁別原理であることを示唆するつもりである。

また内陸部の霊と海岸部の霊を区別する、非イスラム/イスラムという区別が、われわれが理解するそれとはいささか異なっているという点にも注意が必要である。たとえば、「白人(ヨーロッパ人)」、「ドイツ人」、「イタリア人」はすべて海岸部の霊に、そしてイスラムの霊に分類されている。もちろん人々は実際の白人の多くがキリスト教徒であることを知っているが、霊の「白人」たちはあくまでも「イスラムの霊 nyama a chidzomba」であり(イスラム教徒だというわけではない)、その治療にもローズウォーターや線香が用いられるのである。同じことは、イスラム教徒ではない菜食主義のインド人(バニヤン)たちが、霊としてはイスラムの霊として分類されることにも言える。 そして逆に、今日そのほとんどがムスリムである「ディゴ人」は、内陸部の霊、つまり非イスラムの霊に分類されている。こうした点でも、この弁別原理が、実際の宗教上の非イスラム/イスラムのカテゴリーに対応しているというよりは、われわれに馴染み深い男/女のジェンダー的弁別原理と同様な、対他関係に対して行使される汎用性のある動的弁別原理であることを示唆している。

霊への語りかけ

上のような仕方で秩序付けられ整理された霊の世界が、実際の治療行為をどんな風に組織しているかの一例として、女性施術師Cがある施術に際して行った唱えごと makokoteri を取り上げてみよう。この唱えごとは、途中で生じた突発的な出来事によって中断されている。それでも全文をここに載せるのは冗長に過ぎるうえ、読者には馴染みのない霊の名前が列挙された、読解困難なテキストかもしれない。ただ、それは上で述べたような理論化され整理された霊の世界の描写の一例を提供してくれるだろう。
繰り返しは一部省略、括弧内は筆者注、「」でくくられた民族名はその民族名を名前としてもつ霊を指している。

ビスミラーイ・ラフマーニ・ラヒーム。アブドゥビラーヒ・ラシェトワーニ・ラジーム

(Cは彼女の唱えごとを、つねにこの章句から始める。彼女はアラビア語を知らないが、彼女によるとこの語りだしはコーランの章句である)。

生き生きとあれ。地上の存在たちよ(憑依霊たちに対する呼びかけ。死者の世界の住人である祖霊と区別されているのだという)。私はあなた方に語ります。生き生きとあれ。私は今あなた方に乞い願います。北の人々、南の人々、東の人々、西の人々、蔦の人々、ニェンゼの池の人々。あなた方に生き生きとあれと申します。マオゲラの池の人々にも、私は生き生きとあれと申します。ヴンヴーニ(海岸のスワヒリの町)の人々にも生き生きとあれと申します。チャキチャキ(ペンバ島にある町)の人々にも生き生きとあれと申します。私はまた乞い願います。ドゥガ(水草の一種)童子や、蓮童子、マユンギ(水草の一種)童子や、葦童子、はたまた池を覆いつくす浮草童子、それぞれの皆さんの仲間たちに。ムルング(神)童子よ、養う者よ。神の使者の皆さんひっくるめて。さらに「サンバラ人」童子よ。

(霊の住処による空間的に網羅的な呼びかけがなされている。東西南北の方位、海岸系=イスラム系の霊に連想されるペンバ島の町や、スワヒリ海岸の町の名前、内陸系の霊に結びつく池と水辺の草が列挙される。後者はそのまま霊の名前の列挙につながり、水辺の霊の筆頭であるムルング童子へと呼びかけは進む。「サンバラ人」はつねにムルングに付き従う。彼らの土地(ウサンバラ=シャンバー山地)は、あらゆる霊の施術の源泉と考えられている。)

私はあなた方に語ります。私はほかならぬあなた、ムルング童子に語りかけます。あなたこそ砦(患者の身体を指している)の主です。私はあなたに語りかけます。こんな時間に語りかけるつもりはなかったのです。でも私が語りかけるのはウマジ(患者の名前)のためなのです。ウマジは病気です。

(中略:患者ウマジの症状が細かく描写される)

占いに行ったところ、彼女は告げられました。それは、他ならぬあなた方、地上の存在のせいであると。地上の存在とはほかでもありません。あなたがたゾンボ(この地域で最も高い山)の人々です。私はあなたムルング童子に語ります。あなたこそ砦の主です。あなたムルング童子。それに続く者、ペーポー(ここではイスラム系の霊を代表する「アラブ人」の別名として用いられている)童子。ペーポー童子に続いて、「バラワ人」、サンズア、「バルーチ人」、「農耕マサイ人」、天のキツィンバカジ、池のキツィンバカジ、そしてムドエ。ムドエとは、あなたのことムリマ・ンガオ(盾の山)。ムトゥムア(奴隷)とはあなた、「ムンギンドゥ人」。

この患者の一家にはムドエがいるそうです。今日、私は護符 pingu を彼女に与えます。護符はほかならぬあなた、ムドエの護符です。あなたの護符を与えます。護符を差し出します。私は別の護符 ngata も差し出しますが、そちらの方はライカたちのための護符です。私は昨日、この患者にはムドエがいると告げられました。それも彼女の母系親族 ukuche のムドエだと。どうか両手で(快く)受け取ってください。

生き生きとあれ。彼女のなかにいる者たちよ。それはあなたデナとニャリ、キユガアガンガ、ルキ、ムビリキモ(小人)、カレ、そしてガーシャ。レロニレロ、マンダノ。そしてあなたプンガヘワ童子。プンガヘワといっしょにいる、あなた「ディゴ人」、そしてあなたシェラ。シェラとはほかならぬ、あなたイキリク。あなたがたみなさん、どなたも、彼女の中にいないなどとは申しません。でも人はこれから一層努力するものです。そうではないでしょうか(今回はこれらの霊に対しては施術しない。後日を待てという説得)。私はあなたがたに「お気の毒に、よしよし」と申します。

さらにあなた、内陸のジネの「マサイ人」、そしてあなた、ゴロゴシ。ゴロゴシとはンガイにほかなりません。そしてンガイとは「カンバ人」にほかなりません。「カンバ人」「カヴィロンド人」「マウィヤ人」「ナンディ人」「マニェニャ人」。皆さん方にも「お気の毒に、よしよし」と申します。

生き生きとあれ、生き生きとあれ。私は皆さんに生き生きとあれと申しにやってきました。このウマジのために壷を据えにやってきたのです。壷とはムルングの壷です。さあ、壷が蒸気に満ちますように。非難されるような施術師では困ります。「そのとおりだ」と言われる者こそまさに施術師です。そして私は施術師ではありません。本当の施術師はムルングだからです。私はただ平安の手をかざして、小指の先に退き、おとなしく座っていることにします。二人の人が争っているとき、三人目がやってきて、争いを収めます。今日、私は調停者です。あなたがた(霊と患者との)の争いを収めます。私はあなたがたに「お気の毒に、よしよし」と申します。どうかお聞き入れください。

さらに、あなたディゴゼーとムビリキモもごいっしょに。あなた方に生き生きとあれと申します。またあなたカドンゴ、あなたがたにも生き生きとあれと申します。生き生きとあれ。私はあなた方にも「お気の毒に、よしよし」と申します。

あなたライカ。ライカ・ムエンドよ、風とともに行くライカよ。ライカ・キブエンゴ、ライカ・ムカンガガ、ライカ・ヌフシもいます。ヌフシとはあなたパガオにほかなりません。ライカ・マニョーカもいます。ライカ・マフィラもいます。ライカ・ズズもいます。ライカ・キウェテもいます。あなた、ライカ・キフォフォ、ライカ・ビンギリ。あなたがた皆に生き生きとあれと申します。あなた方みなさん、限りなく生き生きとあれと。さらにあのライカ・ムズカ。あなた、トゥヌシ・ムァンガ、昼といわず夜といわず人にとりつく者よ。あなた海のトゥヌシよ。あなたがたにもごめんなさいを言います。あなたがたのせいだったのですね。今日、私は今、ライカの護符を彼女に巻きます。

(症状の詳しい描写。それらの症状が消え去るよう祈願。その途中で患者がいきなりトランスに入って騒ぎ出したので、あとはかなり混乱状態になる)

ああ、ああ、お気の毒によしよし、よしよし、よしよし。いったいどうしたの。あなたは誰? ああ、よしよしったら。来て告げなさい。ああ、お気の毒によしよし。よしよし、よしよし。

(スワヒリ語に切り替え)

いったい何者か述べなさい。我々は咳を引き起こしている者が何者か知りたいのだ。

(患者ウシが反芻するようにげーげーし始める)

お前は、ニャリ?ニャリ・ンゴンベ(ngombe ウシ)か?ニャリ・ンゴンベよ。われわれはお前が欲しいものが護符 pande だってことはわかっている。しかし今日、それを手に入れるというわけにはいかない。だってわれわれはお前だということを知らなかったのだから。もし本当にお前だというのなら

(ここで、ドゥルマ語に切り替え)

お気の毒に、よしよし、あなた。よしよし。ああ、よしよし、よしよし、よしよし。もし護符なんだったら、私はあなたがそれを手に入れられるよう取り計らいます。もし布がほしいというのなら、あなたは手に入れるでしょう。でも今、さあ。人は話されたことには、ちゃんと耳を傾けるものですよ。ああ、あなた。

(患者、少し沈静化)
(私に向かって)こいつニャリ・ンゴンベだよ。あんた、わかった?
(患者に向かって)

さて、あなた。もしあなたニャリ・ンゴンベなら、あなたの護符を今度もってきてあげます。生き生きとあれ。今は彼女を解放してやってください。護符が欲しいのなら、あなたはそれを手に入れます。でも、あなた、私たちはいったい誰なのか知りたかったのです。今、あなたニャリ・ンゴンベに出てきていただいたというわけです。あなたはあなたの護符を手に入れるでしょう。もし布が欲しいのなら、まず彼女が回復に向かっていると私たちに示してください。もう二度と彼女が咳に苦しむことがないように。

(私に向かって)
やれやれ、終わったよ。
(患者の女性、正気に戻って、「これは飲み薬なの?」)
飲み薬だよ、あんた。

この女性患者は、胃腸の異常、胸の痛みと咳、頭痛と悪寒、女性特有の下腹部の症状に苦しんでいる。占いの結果は、ムルング童子(壷による蒸気浴び治療)とムドエ(護符)、それにライカ(護符)を指定していた。ムドエは彼女がその母や母の姉妹とも共有している霊である。唱えごとの中では、霊たちがいくつかのグループごとに名指されているのがわかる。また、同じ霊の別称関係も随所で指摘されている。これらのなかには他の施術師によれば別の霊として扱われている二つの名前ものもある。ムトゥムア(奴隷)と呼ばれる霊が、実は「ムンギンドゥ人」であるという指摘などがそれである。一方シェラがイキリクと呼ばれる霊の別称であることは(この霊は他にも「気違い女」「長い髪の女」「重荷女」「おしゃべり者」などさまざまな別称を持っている)、広く同意されている知識である。一方、他の施術師たちの多くがイキリクの別称であるとしているレロニレロは、ここでは別個の霊として名指されている。シェラはプンガヘワとともにディゴ系の霊であると考えられており、そのため「ディゴ人」と同時に名指されている。

ムルングとライカは彼女の症状に責任があると考えられている霊たちなので、それぞれの霊たちについてはやや細かく名前が挙げられている。ムルングとその仲間たち、およびその別名の数々については、施術師Cはどの患者に対する唱えごとにおいても詳しく述べることにしている。ムルングはすべての霊の筆頭だからだという。それに対し、彼女の症状にかかわりがあるとは考えられていなかった霊については、グループの代表者の名前を挙げるだけ、あるいはグループ名に言及するだけで済ませている。イスラム系の霊については、この唱えごとの中では「アラブ人」と「バラワ人」「バルーチ人」の名前が挙げられているのみである。もしイスラム系の霊が症状に関係していたならば、彼らの名前はもっと詳細に言及されることになったに違いない。またニャリにもいろいろな種類がいるのであるが、ここではグループ名のみで処理されている。この施術では、唱えごとの途中で患者がトランスに入ってしまったため、中断されてしまっているが、通常であれば、施術師Cの唱えごとは、最後は「ドゥルマ人」とその仲間や別称、世界導師とその仲間や別称で締めくくられるのが常である。

このケースで興味深いのは、唱えごとの途中で生じた患者のトランスを契機に、使用する言語が交替している点である。内陸部の霊/海岸部の霊=イスラムの霊の区別が、それらに対する使用言語の違い(前者はドゥルマ語で、後者はスワヒリ語で)に対応していることはすでに指摘したとおりである。このケースでは、施術師は当初イスラムの霊の介入を想定していなかったため、イスラム系の霊はその代表者の名前をあげるだけで済ませていた。施術の過程で予想外の抵抗が生じたとき、彼女がほとんど自動的にスワヒリ語にスイッチしたのも、この施術における最大の省略箇所がイスラム系の霊たちであったことに関係しているに違いない。しかしそれが内陸系の霊であるニャリ・グループの霊の一人の仕業であると判明した後は、すぐにドゥルマ語に戻っている。内陸系/海岸系=イスラム系という区別が、単なる霊に対する知的分類にとどまらず、施術実践におけるほとんど身体化された(身についてしまった)実践の図式になっていることがわかる。

この図式が、対象化された知識のレベルの図式ではなく、いわば実践と思考のハビトゥス・レベルの図式であることは、実は、すでにあげた霊の分類をより詳細に検討してみたときに一層はっきりする。

弁別図式としての非イスラム/イスラム

男/女というジェンダーの二項図式が、さまざまな領域に対して行使される、カテゴリー生成的な弁別原理であることは、よく知られている。たとえば色彩の領域に行使され、黒と赤を比べるなら、どちらかというと黒が男で赤が女であるとか、太陽と月をとれば、どちらかというと太陽が男で月が女であるとか。注意せねばならないのは、こうした仕方でこの図式を(ほとんど意識的に適用しているという自覚なしに)適用しているとき、われわれはけっしてたとえば色の性別に基づいて分類しているというわけではない。色には性別などない。我々はこの種の図式を一種のハビトゥスとして身につけている。そしてその図式をどんな風に用いるか、その図式を通してどんな風に臨機応変に世界を眺めるかも、我々は同様に身につけている。それは我々が世界に対して行使する想像力の形を規定する図式である。こうした図式は、さまざまな領域で行使され、さまざまな領域を横断して、ひとつひとつをとれば取るに足りない無数の二項対立を引き連れている。そしてこうした二項対立の連鎖が、実際にいる「男」と「女」をどのように思い描くかを、逆に規定することになる。実際にいる「男」と「女」について実際に知っていることに基づいて、男/女という弁別原理をさまざまな領域に適用しているのではない、という点に注意して欲しい。逆なのだ。この弁別のしぐさの、ありとあらゆる意味領域への適用の実践が、我々が男と女についてどのように思い描くかを、むしろ決定してしまうのだ。この点で、二項対立の図式による弁別の実践は、分析的精神とは逆の方向を、アナロジー的関係論的な精神の方向を向いている。

同じことが内陸と海岸、非イスラムとイスラムの対立図式についてもあてはまる。我々が分析的なスタンスで臨むとき、こうした分類は、一定の概念規定と分類基準に従った分類として眺められることになるだろう。まず(人々にとって)「イスラム」とは何であり、「非イスラム」は、いかなる点においてイスラムと違っているのかという概念規定を明らかにし、そうした概念規定にもとづいて、さまざまなものが非イスラムとイスラムに分類されているといった姿をそこに見て取ろうとする。

しかしドゥルマの憑依霊の分類を仔細に検討すると、事態はそうではないことがわかる。いったい、どのような「イスラム」の概念規定が、あるいは基準が、ドイツ人やイギリス人を非イスラムではなくイスラムの側に分類させるというのだろう。そして今日大多数がムスリムとなっているディゴ人を、非イスラムの側に分類させるというのだろう。しかし、イスラム/非イスラムを、ディゴ人とたとえばイギリス人との区別に適用しようとした場合、それはどちらかといえばイギリス人がイスラムであり、ディゴ人が非イスラムであるという形で適用されてしまっているのだ。

しかしドゥルマの憑依霊の分類を仔細に検討すると、事態はそうではないことがわかる。いったい、どのような「イスラム」の概念規定が、あるいは基準が、ドイツ人やイギリス人を非イスラムではなくイスラムの側に分類させるというのだろう。そして今日大多数がムスリムとなっているディゴ人を、非イスラムの側に分類させるというのだろう。しかし、イスラム/非イスラムを、ディゴ人とたとえばイギリス人との区別に適用しようとした場合、それはどちらかといえばイギリス人がイスラムであり、ディゴ人が非イスラムであるという形で適用されてしまっているのだ。

この対立が、静的な二つのカテゴリーの対立ではなく、パターン生成的な弁別図式であることは、内陸部の霊/海岸部の霊というカテゴリーの内部に目を向けるときに、さらに明らかになる。表立ってはいないが、内陸部の霊の上に、再びこの非イスラム/イスラムの対立が作動しているのが見て取れるからである。たとえば、内陸部の霊の中で、ニャリ系の霊はやや特殊な位置で曖昧な位置を持っている。ニャリ系の霊は患者の四肢や関節に割れるような痛みをもたらし、しばしば歩行困難、奇形を引き起こす霊で、その症状によってさまざまな種類が区別されている。その施術にあたっては瓢箪子供を必要とし、イスラム系の霊が嫌うとされる黒い呪薬を用い、壷治療をともなうニャリは、まぎれもなく内陸部の霊である。しかしニャリの宿主がときおり身につけねばならないニャリの布は、黒地に二本の交差する直線模様、それに月と星の縫いつけがなされたものであり、これはほとんどのドゥルマ人にイスラムを連想させる布なのである。ニャリの正体については施術師たちの間でもしばしば意見が分かれる。私は、ある施術師がもうひとりの施術師にむかって、彼女の夢の中に現れるニャリがいつも白いカンズとコフィアというムスリムの姿をしているということを根拠に、ニャリにはイスラム的なところがあると強く主張している場に居合わせたことがある。他の内陸部の霊たちが、男性よりも圧倒的に女性にとりつくのとは対照的に、ニャリは年配の男性にも多くとりつくのも、海岸部の霊たちと傾向が似ている。

一方、海岸部の霊として分類されるものの中にも、他の海岸部の霊たちと比較したときには、より内陸部的であるような霊が存在する。たとえば「ペンバ人」は、犠牲者から血を奪うという点で、その振る舞いの点ではジネ・グループの霊と同じであるが、ジネたちの治療が海岸部のスワヒリやディゴ人の導師に多くを頼っているのとは対照的に、むしろドゥルマ人の施術師たちが治療で中心的な役割を演じる、数少ないイスラム系の霊である。それが海岸部の霊であることには一点の疑問の余地もないのだが、海岸部の霊のなかで、世界導師とともに、瓢箪子供をもつ唯一の霊でもある。

しかし最も驚くべき霊は、おそらく世界導師 mwalimu dunia であろう。ジンジャ導師 mwalimu jinja、岩石導師 mwalimu jabale、カリマンジャロ kalimanjaro などはすべて世界導師の別名だとされている。この霊は、私の調査地域周辺では最近登場した霊である。1988年にここに移り住んできた施術師Cの最も強力なもち霊であり、彼女とともにこの地域でにわかに知られるようになった霊である。施術師Cは、この地域の病気で苦しんでいる多くの女性(そのなかには数人の施術師もいた)の病気が、実は世界導師によってひきおこされたものであることを明らかにし、世界導師のこの地での唯一の専門家である彼女は、これらの女性の病気を首尾よく治していった。そして二人の施術師にたいして、世界導師が施術の仕事を手に入れる(彼女らが世界導師の施術師となる)手助けをし、彼女らの施術上の「母」になっている。

この霊の特徴は、「ペンバ人」同様、海岸部の霊でありながら、ローズウォーターによる治療と平行して壷治療が重要な治療手段の一部を構成していること、瓢箪子供をもつことである。しかしそこではよりあからさまに、内陸部的な霊の特徴が打ち出されている。世界導師のまたの名の一つは文字通り「内陸部と海岸部 bara na pwani」である。壷治療に用いる草木には、海岸部のマングローブ林で手に入る樹木の葉や根にくわえて、他の内陸部の、とりわけムルングのための草木が加えられている。



      ジンジャ導師の歌
           霊をあおげ、私はジンジャ導師         punga pepo, ni mwalimu jinja
           わが子、ジンジャ導師は施術師		mwanangu jinja ni muganga
           私は内陸部にもいる、海岸部にもいる	bara niko, pwani niko
           わが子、ジンジャ導師は施術師		mwanangu jinja ni muganga
           さあ私に毛ばたきを渡してくれ		niphani mwingo
           妖術使いを探し出してやろう		niphoyere

      カリマンジャロの歌
           戦いだ、カリマンジャロ		kondo wee Kalimanjaro 
           なんと戦いだよ、カリマンジャロ	kondo wee vyoo Kalimanjaro
           私は内陸部にいる			bara niko
           でもふるさとは遠くだ			la kp'ehu ni kure vyoo
           戦いだ、カリマンジャロ		kondo wee Kalimanjaro


施術師Cによると、世界導師は唯一、内陸部と海岸部の両方の特徴をあわせ持つ霊で、だからこそ最も強力な霊、至高神ムルングよりすら強力な霊なのだという。二項対立的な弁別図式が、しばしば対立する二項を調停する媒介項を生成することは、われわれにはすっかりおなじみの話なのだが、ドゥルマの霊の世界でもまさにそれが目の前で展開されているのである。

このように霊の世界のうえに作動している非イスラムとイスラムの対立図式の検討は、この対立が、後背地の人々にとっての「我々」/「外部の他者」といった対象化された外的関係の描写にとどまっていないことを良く示している。それは後背地の人々が世界について想像するさいの、想像力の身体化した図式の位置を占めている。ムスリムの数という意味ではまるでイスラム化していない後背地の社会の人々が、世界に向けた想像力そのものは、ある意味で完璧に「イスラム化」されているのだともいえる。世界は、非イスラム/イスラムの対立を透かしてのみ、人々の前にたち現れるのである。

付録:ドゥルマの霊の世界(リスト)


以下の分類は施術師Cのバージョンである。
他の施術師たちの見解と大きく異なる点がある場合はその旨、注記した。
細かい差異についてはいちいち言及しない。

内陸部の霊 nyama a bara

        水辺の人々 achina maziyani

ムルング童子 mwana mulungu (ムルング=雨をもたらす至高神)
      mwana toro, mwana duga, mwana mukangaga etc.(水辺の草)
      mwana nyoka (蛇)
	    mwamunyika(雨をもたらす天の蛇)
	    vunzarere(パフアダー)
      marera (養育者)
      mwanyika (ブッシュの者 蛇)

mulunguzi (神の僕)

pepokoma (koma 祖霊)
      pepokoma wa kuzimu (kuzimu 地界=死者の世界)
      pepokoma wa ziyani (ziya 池、沼)


chitsimbakazi(女性、小人 ku-tsimba kazi 仕事を割り振る)
      chitsimbakazi cha ziyani
      chitsimbakazi cha mbinguni( mbinguni 天)
      mukusi(laika とも kusi 旋風)
      muyemuye

(以下、昔ながらの霊たちといわれるもの)

怪物グループ
dungumaro(怪物)
zimu(怪物)
chizuka(泥人形、上の霊 nyama a dzulu として別扱いのことも)
gojama(怪物、イスラム系に分類する人も)

sunduzi

mudoe
      murima ngao

kanyango

kaniki

muchirima(山の人、太鼓の名称とも)

fyulamoyo(心を曲げる、妖術の一種)

chiyuga aganga(施術師泣かせ)

mwavitswa(気違い男)

murisa(牛飼い、 muduruma の一種とも)

luki

digozee(老人、muduruma の一種とも)

musichana(少女、muduruma の一種とも)
	kasichana

mwahanga(葬式男、しばしばイスラム系の霊として扱われる)

kadongo(土塊)

kare

gasha(占いをつかさどる。施術師Cの中心霊のひとり)

mandano(黄疸)

(以下、諸民族の霊)
mugala(「ガラ(オロモ)人」)

muboni(「ボニ人」)

mudahalo(「ムダハロ人」)

mukorongo(「コロンゴ人」? korongo 自体は「サギ」)

mukoromea(「コロメア人」?)

mukp'aphi(「ムクァビ(農耕マサイ)人」)

maasai(「マサイ人」)

mbilichimo(「ピグミー」ただし空想上の小人とも)

muganda(「ガンダ人」施術師Cのみ)

mugiryama(「ギリアマ人」)
      sandzuwa(占いをつかさどる、太陽とも)
      pini(火渡り大好き、施術師Cの持ち霊のひとり)
      chiroboto(蚤)

muduruma(「ドゥルマ人」)
      kalumengala (輝く男 male)
      kasidi(無礼者 female)
      marambo(飾り物、銀河 kasidi の別名とも)
      mugayi(貧乏人)
      nyoe(ばったの一種)
      mashaka(難儀・不安)
      magendoro(浮気相手?)
      bwana kaseja
      murisa(牛飼い 独立の霊とも)

mudigo(「ディゴ人」)
(以下、ディゴ・グループの霊)
       pungahewa(風送り)
       ichiliku
	    shera(箒)
	    mwadiwa(長い髪)
	    muchetu wa koma(気違い女)
	    muchetu wa mizigo(重荷女)
	    chibarabando(おしゃべり)
        rero ni rero(今日中にすませろ)

mukamba(「カンバ人」)
       gologoshi
       ngai(カンバにおける至高神)

mukavirondo(「カヴィロンド人」)

munandi(「ナンディ人」)

mumanyenya(「マニェニャ人」?)

musambala(「サンバラ人」)

mungindu (「ムンギンドゥ人」)
      mutumwa

munyamwezi(「ニャムウェジ人」)

mumwakonde(「マコンデ人」)

mumawiya(「マウィヤ人」?マコンデ人の別名とも)

muzigula(「ジグア人」)

muzaramo(「ザラモ人」)

musegeju(「セゲジュ人」施術師Cのみ)


(ニャリ・グループ)
dena(ギリアマの老人、7つの頭を持つ蛇、ニャリ一族のスポークスマン)

nyari
       nyari nyoka (蛇)
       nyari chipinde(ku-pinda 捻じ曲がる)
       mwalukano (lukano 血管)
       nyari ngombe(ウシ)
       mwafira (コブラ)
       boko(カバ)
       nyari njinja 
       njunjula 
       chiwete(いざり)
       nyari chitiyo(近親相姦)


(ライカ・グループ)
上でディゴ・グループで言及した ichiliku は laika と瓢箪を共有する

laika
       laika dondo(大きな乳房 chitsimbakazi の別名とも)
       laika mukangaga(葦)
       laika manyoka(蛇)
	     laika tophe(泥)
       laika mwafira(コブラ)
       laika mbawa(ハンティング・ドッグ)
       laika tsulu(土丘)
       laika zuzu(愚か者)
       laika mwendo(速度)
	     laika jaro(旅)
       laika chiwete(不具、片側人間)
	     laika chitiyo(近親相姦)
	     laika gudu(ちんば)
       laika bingiri
       laika muzuka(社)
	     laika chifofo(癲癇)
	     laika nuhusi(驚かす者)
	     laika tunusi(怒りっぽい者)
	     tunusi(独立の霊とも)
		tunusi mwanga (ku-anga とりつく、襲う)
       laika chibwengo(laika tunusi の別名、あるいはlaika gudu の別名とも)
	     laika chigwengwele
       laika makumba(denaの別名とも)
       laika mukusi(つむじ風 laika mwendo の別名とも)



海岸部の霊 nyama a pwani

	イスラムの霊 nyama a chidzomba
	achina chakichaki(チャケチャケ(ペンバ島の中心町)の人々) etc.


(以下諸民族の霊)
mwarabu(「アラブ人」)
	mwana pepo
	magana(100シリング)
	merigana(100隻の船)

mubarawa(「バラワ人」)
	matari(小型の太鼓)

bulushi(「バルーチ人」)

musomali(「ソマリ人」)

mupemba(「ペンバ人」)
	mupemba jabale
	burusaji(ペンバ人のパートナー、ペンバ人と同時に治療)
	etc.(very many)

baniani	(「バニヤン商人(インド人)」)

muzungu(「白人、ヨーロッパ人」)
      muzungu wa keya(英国アフリカ植民地正規軍)
      muzungu wa mumiani(採血白人)
      mwalimu jerumani(ドイツ人、Samburu近辺のドゥルマ人のあいだで人気)
      mwalimu italiano(イタリア人、ドゥルマではギリアマ地方にいっぱいいるとの噂のみ)


(以下、導師系)
rohani

mumanga musaji

mwalimu sorotani

mwalimu kuruani

mwalimu sudiani
      pepo mulume
      kadume
      tsovya
      sudiani maka

mwalimu maskati

mwalimu musafiri

mwalimu gojama(内陸系の霊に入れられる場合もある)

mwalimu jamba

(ジクル系)
zikiri
      zikiri maiti
      zikiri maurana
      他

(ジネ系)
ジネ系の霊は、妖術使いによっても使役されるので、治療体系は他の霊たちとは異なる。
jine
	jine tsimba
	jine makata
	jine panga
	jine wembe
	jine mwanga
	jine ng'ombe
	jine bahari
	jine chipemba
	jine bara wa chimasai



(世界導師 mwalimu dunia)
mwalimu dunia
	bara na pwani(内陸と海岸)
	mwalimu jabale(岩石導師)
	kalimanjaro(キリマンジャロ?)
	mwalimu jinja





(参考まで)
上の霊 nyama a dzulu

ニューニ nyuni で代表されることもある
鳥の霊であるとも言われる。子供にヒキツケなどの症状を引き起こす。
子供に直接とりつくこともあるが、多くは母親にとりついている者が、彼女の子供の病気を引き起こす。
治療体系は、上記の憑依霊とはまったくことなり、自ら霊にとりつかれていなくてもだれでも施術師になることができる。
子供を捉えている霊に、子供を解放させるのが基本的な治療だが、悪性の場合(女性が産む子供を次々に殺してしまうといった)
は母親にとりついている霊を除霊 kukokomola する必要がある。

nyagu
     mwee

chilui
     dzuni bomu

zuka
     chizuka(内陸系の霊として舞踏会に登場することもある)
     zuka ra chipemba

nyuni
     chiraphai
	mwee
	gb'avumukumbe
	dzuni(chilui とも)
	zinje
     chiduruma
	chifulo
	pwekupweku
	   chigulu mukono
	   chikohozi





m.hamamoto@anthropology.soc.hit-u.ac.jp