不幸の出来事 : 不幸の語りにおける「原因」と「非・原因」

I

 はじめに、やや唐突ではあるが、一つの民族誌的事実の紹介から始めよう。ベイトソンによると、ニューギニア・イアトゥムル族のあいだには「ングランビ ngglambi 」なる奇妙な観念が知られている(1) 。強いて訳すとなると、「危険で伝染性のある罪」とでもするしかないこの観念は、人々のあいだでは、はるかに具体性のあるイメージでとらえられている。それは、殺人などを犯したことのある者の家を包みこむ黒い雲のようなものであり、普通の人間の目には見えないが、特殊な専門家ならそれを見たり、その臭い−それは「死の臭い」がすると言われる−を嗅ぎつけたりすることができるとされている。ングランビは、このように殺人を犯した者の家をとりまき、当人やその親族の誰かを病気にしたり、あるいは殺してしまうのだと言われている。

 具体的には、ングランビの観念は、個々人を襲った特定の病気や死に際して持ち出される。その際、正式には、ングランビを見たりその臭いを嗅いだりできる専門家の意見があおがれ、その結果、その病気や死が誰それのングランビのせいであると判断されることになるのである。

 さて、人類学者が宗教について書いているものにある程度親しんでいる読者なら、人類学者がこうした観念をどのように扱ってきたか、よく御存知のことと思う。それは病気や死といった人々を襲う災いや不幸の「原因についての説明や解釈」の体系、つまり彼らの『災因論』(2) の一部をなすものとして分析されることになるのである。言うまでもないことであるが、人類学は宗教的諸観念をこうした角度から扱うことによって、大きな成果をあげてきた。すでにザンデ族の妖術信仰を、人びとが不幸について行なう「説明の体系」として見事に分析してみせた(3) エヴァンズ=プリチャードは、こうしたアプローチの意義を次のように表明している。「(アフリカの諸民族において、さまざまな独自の結びつき方をしている宗教的諸観念の中で)何が支配的モチーフであるかは、ふつう、そしておそらくつねに、危険や病気やその他の不幸に際して、人びとがそれらの原因を何に求め、それらから逃れたりそれらを排除したりするためにいかなる手段をとっているかを調べることによってわかる」(4) のであると。そして事実このアプローチはその後の研究においてきわめて有効なものであることがわかった。

 しかしその有効性は、皮肉なことに、エヴァンズ=プリチャードによって当初意図されていたような、各民族の『哲学』あるいはコスモロジーの性格自体の解明においてというよりも、その社会的な側面の解明のほうで主として発揮されたものであった。『災因論』という用語を日本において定着させた長島信弘が指摘しているように(5) 、不幸の「原因」についての語りのなかには、社会的な含意に直結するような両義性が含まれていたのである。不幸や災いの「原因」を何かに求めるということは、その「責任」を誰に(何に)求めるかという問題としばしば不可分な形で結びついているのだ。つまり不幸の「原因」についての語りは、個別的な不幸や災いの出来事を、人々のコスモロジーと社会的な葛藤劇の双方に同時に関係づけるものなのである。この後者に対する強調は一方で数多くのすぐれた研究を生んだが(6) 、その反面、宗教的諸観念は単に社会的葛藤劇のコンテクストのようなものとして描き出されるにとどまり、各民族の『災因論』が不幸や災いについての人々の経験をいかに形づくり組織しているかという、文字どおりそのコスモロジーとしての側面に切りこむ分析がなおざりにされてしまったのである。

 しかしこれは単に研究史上の偶然のいたずらによるものではない。実は、こうした研究上の不備の源泉は、『災因論』という問題構成そのものにもあったのである。つまり種々の宗教的観念が指しているものを、不幸や災いに対する「原因」の一語で片づけてしまったところに、これらの宗教的観念が人々の経験をどのようなものとして組織しているかという問題に対する人類学者の接近を阻む最大の障碍があったのだ。私が以下で論じようと思うのもこの点である(7) 。

 ところで、イアトゥムル族のングランビの観念を、病気や死の「原因」として語ることにどのような正当性があったのだろうか。確かに人々は、しかじかの病気や死が誰それのングランビのせいだと語ったりする。あるいは誰それのングランビがその息子を殺したのだと語ったりもする。こうした事実のみでそれを「原因」だとするのに充分だと考える者もいるかもしれない。しかしさらに詳しく見てみると、ングランビは、仮りに一歩譲ってそれを「原因」と呼びうるとしても、実に奇妙な「原因」であることがわかるのだ。ベイトソンによると、ングランビがどのようにして人を病気にするかに関して、人々は実に奇妙な説明をおこなう。例えば、犯人によって危害を受けた側の人々が嘆き悲しんでいると、ワガン( wagan)と呼ばれる彼らのクランの守護霊(祖霊)がそれを聞きとどけてくれる。あるいは人々はドラを打ち鳴らして彼らのワガンを呼び出し、復讐を依頼する。いずれにせよワガンはそれに答えて、犯人やその親族の者を病気にすることによって相手に復讐してくれるのである。あるいは、危害を被った人々は、ワガンに訴えることなく自ら邪術を行使して犯人に復讐する。これのどこがングランビの説明になっているのだろう。当のングランビは、いったいどこにあるというのだ。にもかかわらず、「こうしたすべての場合において、結果としておこる病気は犯人のングランビのせいであるとされる」(8) のである。いったいこれをどう理解したらいいのだろう。我々が見る限り、ここではングランビは「原因」としては何の役割も演じていない。それは問題の因果連関のなかで、まったく余計な要素なのである(9) 。

 もちろんアド・ホックな解釈ならいくらでも可能である。例えば、ングランビは邪術やワガンがその攻撃目標を見誤らないように目標がまとっている一種のマークのようなものなのかもしれない。実際、ワガンの復讐について人々は、ワガンがングランビを嗅ぎつけるといった言い方で語ることもある。しかし民族誌的事実の裏づけを欠いたこうした解釈をいくらしたところで何の解決にもならない。しかも、ベイトソンがあげる具体的な事例は、ングランビを因果連関の一要素としてなんとか位置づけようとするこうした試みを一瞬にして粉砕してしまうのだ。

 一例をあげよう。ある嫉妬深い男が妻の帰りの遅いのをとがめ、妻に問いただした。妻は夫の嫉妬深さをなじり、口論の末、かっとなった男は彼女を殴り殺してしまう。彼は悲しみのあまり小屋に引き篭ってしまう。その間妻の親族たちが復讐にやってきて、彼のオイの一人に怪我を負わせる。そういった経緯があったのち、彼は村の悪名高い呪術師を名指しし、「私の妻が死んだのはおまえのせいだ。彼女はングランビをもっていなかったのに。」と言いがかりをつけ、この邪術師に槍で決闘を挑み、結局敗れてしまった(10)。

 これはなんとも救いようのない例ではあるが、ングランビに関するきわめて明白な事実を我々につきつけている点で実に興味深い例でもある。つまり自分の手で妻を殺すという明白このうえもない事実を前にして、なおかつ、その死を他人のングランビのせいだと主張することが可能だったというのであるから。ベイトソンのあげる他の例においても、あきらかに相手の殺害を目的としたけんかや戦闘による死がングランビによるものとして語られている。これらの例においても、先に紹介したングランビがいかに働くかについての人々の説明においても、ングランビは出来事の直接、間接のさまざまな「原因」がすでに与えられているところで、しかもそれらによって出来事の経緯がくまなく語り尽くされうるところで、さらにそれに加えてそれらとは別に言及される何かなのである。

 ングランビとはいったい何なのであろうか。それは、しかじかの出来事がその「せいである」とされるという一点を除いては、そもそも我々が普段用いている「原因」の観念とはまったく馴染まない奇妙な観念であるようにみえる。これを直接的原因に対する究極的原因とか、自然の原因に対する超自然の原因とかの言い換えによって(11)救おうとしても無駄であろう。少なくとも、それは同様に「超自然的」な原因と呼べるであろうワガンや邪術と比べてすら、いくぶん奇妙な観念なのだ。もしングランビがそなえるこの奇妙な性格、他の諸々の「原因」との差異を覆い隠してしまう以上のことができないのであれば、ここで「原因」という言葉を用い続けることには、単に無意味であるという以上の弊害があるとさえ言えよう。しかしもしそれを「原因」と呼ぶことができないとすれば、それは何なのであろう。これに私なりの答えを出す前に、私は人類学者が病気や死といった不幸や災いの「原因」として語ってきた他の場合についても、同様な疑いの目を向けてみたいと思う。同じ「原因」という言葉で語られてきたものの中に、ちょうどこのングランビのように、他の原因たちとは種別の異なるものが紛れ込んでいないかを検討するのである。それは結局、我々自身「原因」という言葉に、その属する層位を異にする雑多な概念を包み込んでいたのだという事実を、あらためて確認することになるかもしれない。

II

 エヴァンス=プリチャードの『ザンデ族における妖術、託宣および呪術( Witchcraft,Oracles and Magic among the Azande )』は災因論的アプローチの有効性を最初に示した民族誌の一つである(12)。これはある意味で皮肉なことである。というのはこれから私が指摘しようとするのは、ザンデ族における妖術を不幸の「原因」として扱うことがどのような意味で不適切であるのかということだからだ(13)。

 予想される困難を前もって避けておくために、私は一つの区別を最初に導入しておきたい。それはザンデ族の人々が妖術なるもの『について』語ることと、妖術『によって』語ることのあいだの区別である。ある言葉、例えば「つき」という言葉によってさまざまな出来事について「俺は今日はついている」とか「彼にはつきがない」といった具合に自由に語ることができるのに、いざ「つき」とは何かと問われると正確な答えに窮してしまうといった経験は、我々なら誰でももっている。つまりある概念『によって』何事かを語るというのと、その概念『について』何事かを語るというのは、しばしば全く別のことなのである。そして、それ『によって』語られていることのほうが、それ『について』語られていることよりも、その概念について正しく把握するためには、往々にしてずっと役に立つことが多い。もちろん、だからといって後者を無視してよいことにはならないが、少なくとも両者を混同しないことが、ある概念について何かを学びとるために払うべき最も初歩的な注意だとは言えるであろう。ザンデ族の妖術に関しても、この二つの言説のズレに気付くことがまず大切なのである(14)。

 例えば、妖術『について』ザンデ族の人々が語ることから、我々は次のようなことを学ぶであろう。妖術( mangu )とは物的な手段によらず他人の健康や財産に危害を及ぼすことのできる作用の一種である。それは、ある種の人々の体内に生まれながらにそなわった物質(妖質 mangu ) に発する作用であり、妖術師( boro mangu )とはこの妖質をもち、それによって他人に危害を加えるような人々のことである。妖質は男なら父から、女なら母から受け継がれるが、死後に身体が解剖されないかぎり、誰がこの妖質を有しているかは、誰にも、当人にさえも知りえない。妖術は妖術師が嫉妬や憎悪、敵意を抱いた相手に対して作用し、相手に災いをもたらす。「憎しみがまず胸に涌きあがり、次にそれは腹に下りていって妖質をかきたてる」(15)のである。もちろんそれを行使した当人自身がそのことに無自覚である場合も可能性としてはありえ、少なくとも思いがけず妖術の告発を受けた者は、自分がそれに対して無自覚であったと主張するのが常である。しかし普通は、妖術師の相手に対する攻撃は意図的で企まれたものである。妖術師は夜間、相手が熟睡しているときに妖術を相手に差し向けるらしい。それは明るい光を発しながら空中を飛び、犠牲者の体内に入ってその精気をむさぼり食う。その結果、犠牲者は次第に衰弱し、ついには死んでしまう。あるいは妖術師は敵の体内に何か異物を射こむのだと言われることもある。妖術師はしばしば徒党を組んで行動し、仲間どうしその手柄を自慢しあったりもする。しかしもちろん妖術師はその攻撃を極秘裡に行なうので、彼らの行動の詳細については知りようもない。

 こうしたザンデ族の人々がもつ妖術『について』の知識は、病気や死などの不幸を妖術師という特定の他人が抱いた憎しみや嫉妬との関係においてとらえる点では、つまり病気や死が妖術師の「せいで」おこるのだということに関しては、何の曖昧な点も残していない。イアトゥムル族のングランビの場合と同様、このことだけをもってしても、多くの読者は妖術を病気や死などの不幸の「原因」だと呼びたい誘惑に駆られることであろう。しかも、ザンデ族は妖術師がいかに振舞い、どのような方法で人を病気にするのかについても、もちろん根本的には知りえないとはしながらも、いくつかの説明を提出してさえいるのである。妖術を不幸の「原因」と呼ぶことには何の問題もないかのように見える。

 しかしザンデ族は、妖術『について』語るよりもはるかに多くのことを妖術『によって』語ろうとする。そもそもエヴァンズ=プリチャードが繰り返し強調するように、ザンデ族は妖術について一般化したり、その教義を提出したりすることにはほとんど関心がないのだ(16)。妖術が問題になるのは、つねに自分の利害に直接関係のある個別的な状況においてなのである。そしてこの個別的な状況たるや、ほとんどあらゆる不幸や災いがそれにあたるのであり、エヴァンズ=プリチャードが言うように、まさに妖術は「ザンデ族が災いについて語ったり、それらを説明したりするときの常套表現 idiom 」(17)となっているのである。

 もし落花生の作が病害をこうむったら、それは妖術である。もし叢林を探し求めて獲物がなければ、それは妖術である。もし女たちが苦労して池の水を汲み出してその結果わずかの魚しか手に入らないなら、それは妖術である。もし白蟻が群がり出るはずのときにあらわれず、それが飛びかうのを待ちながら空しく寒い夜をおくるならば、それは妖術である。もし妻が不機嫌で夫に対し反応がないならば、それは妖術である。もし王侯が臣民に対し冷淡でよそよそしいならば、それは妖術である。もし呪術儀礼がその目的を達しそこなえば、それは妖術である。もし実際にだれかがあるときに、そのさまざまな活動のなにかと関連して失敗したり不幸にあうならば、それは妖術のせいでありうる。(17) 

 ざっとこういった具合である。こうしたどちらかと言うと取るに足らない災いから、重い病いや死に至る深刻な不幸までが同じ妖術の観念『によって』語られるのを見れば、誰しもこれらの語りと、妖術『について』の語りのあいだにある大きなギャップに気づかないわけにはいくまい。こうした個別の災いは単に妖術として語られるだけで、人々はその都度、妖術師がいかにしてこうした災いを引き起したかについて思案をめぐらすわけでもなければ、重い病気や死などの場合を別とすれば、その災いを引き起こした当の妖術師の正体について詮索するわけでもないのである。とすれば、我々がさまざまな災いや失敗を自分の「つきのなさ」のせいにしたりするのとどれ程の相違があるというのだろうか。妖術の観念『によって』何が語られているのかを、もう少し詳しく見てみる必要があろう。

 エヴァンズ=プリチャードがあげる一つの事例はきわめて示唆的である(18)。彼はある村を通りかかったとき、前の晩に火事で一軒の小屋を焼かれた男に出会った。小屋には葬式のためのビールが用意されていたので、それを失った男は悲嘆に暮れていた。この男によると、前夜ビールの状態を調べに小屋に入った際、ビール壷をよく見ようと手にしていた火のついた藁束を頭の上にかざしたときに、その火が小屋の屋根に燃え移ってしまったのだという。この男もまた居あわせた人々も、この災難が妖術のせいであることを確信していた。

 この例は我々をおおいに当惑させる。というのも、これほどまでに出来事の経緯、その因果連関がくまなく述べられたところでは、肝心の妖術が介入する余地など、どこにもないように思えるからである。少なくとも、妖術は、出来事の真の原因に無知な人々が誤ってもち出す偽りの原因のようなものではないのだ。原因ならすでに充分あたえられているのである。

 エヴァンズ=プリチャードによると、ザンデ族はこうした場合、次のように論じるという。毎年何百人ものザンデの人々がビールの醗酵状態を見るために夜小屋の中に入る。当然照明用に火のついた藁束をもっていくが、だからといって、その都度小屋が火事になるわけではあるまい。では何故この場合に限って小屋が火事になったのだろう。そこには妖術が関与しているのだ(19)。同様に森の中で象に出会って怪我をしたとすると、それも妖術のせいである。というのは森の中で象に出会った誰もが同じように怪我をするわけではないからである。またある男が自分の兄弟たちに腹をたてて、木に首をつって自殺したとすると、それも妖術のせいであり、妖術が彼を殺したのだ。なぜなら腹をたてた男が誰でも自殺するのであれば、この世から人間は一人もいなくなってしまうだろう。もし妖術が関係していなかったとすれば、彼もこれら大勢と同様、腹を立てたからといって首をくくったりはしなかったはずなのである(20)。もしある土器作りの名人が土器作りに失敗したとすると、それは妖術のせいである。というのは普段なら土器はうまくできているはずなのだ。彼はいつもどおり慎重に粘土を選び、その工程には何の不注意によるミスもなく、またタブーも犯していなかったからである。とすると彼の失敗は妖術のせい以外の何ものでもない(21)。我々はここにある意味できわめて首尾一貫した思考を見い出す。しかしそれにしても一体、彼らはこれによって何を言おうとしているのであろう。

 エヴァンズ=プリチャードの説明はきわめて明快である。妖術は個別的な出来事の個別性そのものを説明するものだというのだ。それは『何故』この特定の機会に、この特定の男にしかじかの不幸がおこったのかを説明しようとしているのであって、それが『いかにして』おこったのかを説明しようとしているのではない。それ故、それはなんら経験的な因果関係の知識と矛盾するものではなく、むしろそれを補完するものなのである(21)。つまり言い換えれば、それは因果的な説明によっては埋められない欠落、出来事の『偶然の符合 coincidence』(22)を説明しているのである。

 この解釈は、ある一点−−これについてはすぐ後で述べることになろう−−を除けば、まったく理にかなったものであるように見える。しかし、それに続けて彼がこれを一種の「二重の因果関係」のようなものとして語り始めるのを見れば、我々はそれには首をかしげざるをえない。妖術はある出来事を生み出すにあたって所謂「真の原因」に協力し、それに重ね合わされる一つの「原因」なのだと彼は言う。つまり出来事には、『いかにして』の問いに対応する原因と『何故』の問いに対応する原因との二種類の原因があるのだというのである。しかしこれは我々が使用する「原因」という言葉の、あまりにも不当な拡張ではないだろうか。

 確かにこの混乱はザンデ族自身にも責任がある。彼らは比喩的に、妖術は第二の槍( umbaga )のようなものだという。獲物が殺されたとき、その肉の分配は最初にその獣に槍を突きたてた男と二番目に槍を突きたてた男のあいだでなされるが、妖術はこの第二の槍にあたるものだとされるのだ。かくして、もし誰かが象に殺されたとすれば、象が第一の槍で妖術が第二の槍であり、両者がいっしょになってこの男を殺したのである(25)74。あたかも二つの対等な「原因」が問題にされているかの如くである。しかしここでも妖術は原因と呼ぶにはあまりにも空虚なのだ。

 もしザンデ族がここで、妖術が象に働きかけて普段以上にそれを強暴にしたのだとか、妖術が男に対して不思議な作用を及ぼし、彼の気力をなえさせその機敏さを奪って象の攻撃から逃げられなくしてしまったのだ、とかと説明しているのだとすれば、我々は妖術をその不幸な出来事の「原因」だと呼ぶことをけっして躊躇しないであろう。それは、我々にとっていかに奇妙で神秘的なものに見えるにしても、出来事の経緯に直接かかわってくる一要素には違いないのであるから。しかしザンデ族はけっしてそのような説明は与えない。むしろ逆なのである。象はいつもどおり強暴であった。そして男はいつもどおり注意深く機敏であった。にもかかわらず、この場合に限ってこうした不幸な出来事がおこったのであり、だからこそ、そこには妖術が介入していたにちがいないのだ。つまり妖術は個々の出来事の経緯、その「因果連関」のなかにはどのような形でも、その一構成要素としては登場してこないのである。出来事はまさにそれがそうであったようにしか起こっていないのであり、その中には妖術の占めるべき場所はない。それは言わば、あらゆる因果連関の「外部」に位置している。ところが、出来事がまさにそのように起こったということが、他ならぬ妖術のせいだというのである。性急にそれを我々の使用する「原因」の概念のなかに包摂してしまう前に、こうした妖術『による』語りが何を言おうとしているのかに、もっと素直に注意を向けてみなければならない。

 一つはっきりと言えることがある。エヴァンス=プリチャードが正しく指摘しているとおり、妖術は出来事の個別性に関係しているのである。あるいは、より正確には当の不幸な出来事の「異常性」が妖術によって語られていると言ったほうが良いかもしれない。単に個別性ということのみを問題にするのであれば、そもそもあらゆる出来事はそれ自体をとるといつも個別的なのだ。それに対し妖術が問題になる場合にひきあいに出されるのは、つねに、「普段ならば、」「普通には、」「たいていの場合には、」といった言い方で想定されている『正常』な事の成りゆきであり、それに対して、この特定のケースにおける事の成りゆきの異常性が強調されているのである。同様に単にすべての『偶然の符合』が問題になっているのではなく、異常な偶然の符合が問題になっているのだ。

 しかしだからと言って、エヴァンス=プリチャードが言うように、妖術がそういった出来事の異常性を「説明」するものだといえるかというと、必ずしもそうではない。私が先に彼の解釈に対してつけた保留はこの点に関している。ザンデ族は特定の出来事の異常性をまず認知して、「何故この場合に限ってこうなったのだろう」と問い、そのうえであらためて妖術を答えとして持ち出してくるわけではない。エヴァンス=プリチャード自身このことに薄々は気付いている。彼は言う。「土器製作者は、他の場合と同じ材料を用い、同じ技術を使っているのに、いったい何故この場合には土器が壊れてしまったのかを知りたいと思う。あるいはむしろ彼はすでに知っているのだ。なぜなら、その理由はいわば前もって知られているからである。もし土器が壊れるとすれば、それは妖術である」(26)68。とすると、それは別に説明を要する事柄ではないのだ。誰が答えが前もってわかっているような問いを真剣に問うてみようとしたりするだろうか。妖術はけっして出来事の「不可解」な異常性に対する答えなどではなく、まさにその出来事が異常であるということが、『すなわち』、それが妖術だということなのである。

 確かにすでに見たように、ザンデ族はエヴァンス=プリチャードに対して繰り返し、「もし妖術が関係していないならば、何故この場合に限って出来事はしかじかだったのであろう」という形の説明を行なっている。しかしザンデ族自らが、つねにこうした問いを発していると考えるのは誤りであろう。これは明らかに、彼自身認めているように「いつもザンデ族に議論をふっかけ、彼らの語りを批判するのが常であった」(27)66人類学者の挑発に答えただけのものなのである。例えば、我々は勝負で負けがこんできたとき、「今日は『つき』がない」といったことを言うかもしれない。しかしそう言ったからといって、我々は何もそれによって今日の負け方のひどさを「説明」しようとしているわけではない。単に負け方のひどさ、あるいはその「異常性」について語っているだけである。あるいは「異常なひどい負け方をする」ということが、すなわち「つきがない」ということなのである。しかし、もしここで誰かが我々のこの発言をとらえて、「つきがないわけではあるまい」と言ったとしよう。我々はそれを自分の技倆の未熟さを指摘するもの、あるいは「いつものことじゃないか」といったあてこすりと受けとめるかもしれない。我々はただちに「いつもはこうではない。悪くとも勝ち負け半々くらいにはおちつくのがふつうである。自分の技倆は他の人々と対等である。もし『つき』がないのでなければ、何故今日に限って、こんなに異常な負け方をするのだろう」などと反論を開始するであろう。しかしこのことは、我々が異常な負け方に直面するたびに、その理由を問い、その説明として『つき』をもち出しているのだということにはならない。また、何も出来事に外在する神秘的な「原因」の一つでもあるようなものとして『つき』をとらえていなくとも(もちろん、そう考えている人もいるかもしれないが)、我々はあい変わらず自分の「つきのなさ」について語るであろうし、それに対する批判には同様な反論をもって答えるはずなのである。ザンデ族の説明にも、何かこれに似たところはないだろうか。

 私は別にザンデ族の妖術と我々の『つき』が同じものだ、などと言う馬鹿げたことを主張しようとしているわけではない。単にザンデ族の妖術『による』語りから、それが出来事の異常性を語るものであるという以上の結論を引き出すことはできないのだということが言いたいだけである。そしてこの点で、ザンデ族の妖術による語りは、我々の「つきのなさ」による語りと大きな類似を示しているのである。つまりそれらはいずれも「語りのある種別」としてまとめうるような「語り」の特殊なあり方を示しているのである。

III

 ここでこの二つの語りに、イアトゥムル族のングランビ『による』語りを加えて、三つの語り口に共通するものを整理してみよう。

 ザンデ族の妖術にせよ、イアトゥムル族のングランビにせよ、あるいは我々の「つきのなさ」にせよ、いずれも何らかの焦点となる出来事、あるいは「事の成りゆき」に関連してもち出される概念である。しかしそれはその出来事自体の経緯の構成要素ではない。いずれの場合も事の成りゆきの経緯そのものは、こうした概念抜きに与えられるのである。ある嫉妬深い男の妻が死ぬにいたった経緯、小屋に火がつくにいたった経緯、その日の勝負における私の負け具合は、そこにングランビや妖術や「つき」を登場させることなしに記述できるし、現に人々はそうしている。もっと正確に言うと、人々はこれらの焦点となる出来事の経緯の記述自体の「中に」は、それらを登場させることができないのである。自分の手ひどい負けを「つきのなさ」のせいにする私が、その負けの経緯をもっと詳しく語ろうとしたと考えてみよう。私はしかじかの時点での迷いや、どの手札を捨てるかについての判断の誤り、成功する可能性があると思われた冒険がことごとく失敗したことなどについて語るかもしれない。しかしどれをとってみても、「つきのなさ」が私を迷わせたとか、私の判断を誤らせたとか、私の冒険を失敗させたとかと言うことはできない。私の冒険を失敗させたのは、対戦者のはるかにすぐれた「手」だったのである。そして、まさにこうした形で出来事が進行したということが、「すなわち」つきがなかったということなのだ。

 これは何も、出来事の経緯は「客観的」あるいは経験的なものであるという意味ではない。イアトゥムル族の場合に見たように、事の成りゆきの記述のなかに、守護霊ワガンの復讐や邪術のように十分神秘的なものが登場していたとしても、いっこうにかまわない。重要なのは、そこにングランビそのものが登場する余地がないということなのである。これはザンデ族の妖術にも、我々の「つきのなさ」にもあてはまる最も重要な特徴の一つである。それらはすべて、出来事のこうした記述にとっては余計なものなのだ。

 とすると、それらと出来事の経緯の関係はいったい何なのであろうか。もちろん、それらを出来事の経緯そのものと切り離すことはけっしてできない。例えば、私の悲惨な負け具合と切り離して、その日の私の「つきのなさ」について語ることなど、どだい出来ない相談なのだ。これはきわめて強い意味においてそうである。というのは、私のみじめな負けを「つきのなさ」のせいにした私が(つまり、エヴァンス=プリチャード流に言えば、みじめな負けを「つきのなさ」によって『説明』した私が)、逆にその日の私の「つきのなさ」を誰かに対して説明しようとすれば、再び当の出来事の経緯を語ることによってしかそうできないのであるから。言い換えれば、しかじかの経緯で私に負けがこんでしまったことが、とりもなおさず、その日の私の「つきのなさ」なのであり、しかじかの経緯で小屋が焼けおちたことが、とりもなおさず、小屋の所有者に妖術がかけられていたということなのである。この意味では、それらはいずれも当の事の成り行きそのものの「なかに」内在しているなにかである。

  出来事の経緯の一要素とはなりえないにもかかわらず、そのなかに、好むと好まざるとにかかわらず、見てとられるもの、それが妖術であり、誰それのングランビであり、「つきのなさ」なのだ。それは一言で言えば、その出来事、事の成り行きの経緯が示す一つの「表情」であり、その相貌なのである。ここでいきなり持ち出された「表情」の比喩に読者はとまどわれたかもしれない。しかしこれは、けっして的はずれな比喩ではない。そもそも例えば「ほほえみ」のような表情は、唇やその他の顔面の筋肉のしかじかの緊張の「なかに見てとれる」ものであるが、だからといって「ほほえみ」なるものがそのどこかに貼り付いているわけではない。しかし、それは、ライルがとりあげて以来あまりにも有名になってしまった例であるが(28)248 、[不思議の国のアリス」のチェシャー猫の微笑のように、それらから切り離されてその前を漂っているようなものでもないのである。「表情」は顔面の筋肉の動きのいかなる構成要素でもないが、にもかかわらず、そこに見てとれるなにかである。一連の不幸な出来事が妖術であると語られるとき、実は語られているのはその出来事の経緯が示すこうした「いまわしく」また「異常」な表情なのだ。

 しかしもちろんこのように言い切ってしまうと、単純化のそしりを免れないであろう。ザンデ族が妖術『によって』語るあれこれのことから、そこで語られているのが出来事の異常な在り方なのだという結論しか引き出せないとしても、だからといって「それは妖術である」と言うことが「それは異常な出来事である」と言うことと同じことだということにはけっしてならないし、同様に「今日はついていない」と言うことも単に「今日の負け方はひどい」と言うことと同じではないのである。我々にとっての「つき」はいざしらず、少なくともザンデ族自身は、妖術が単に出来事の異常さと同義であるなどという結論はけっして受け容れないだろう。妖術『について』の語りがはっきりとしめしているとおり、妖術は出来事に外在する確固とした実体として、御丁寧にも人間の体内にある物質としてすら、考えられているのである。同様にングランビも殺人者の家をとりまく黒い雲として、ある種の人々の目には見えもするし、臭いすらするといった代物なのである。そして考えてみれば、我々にとっての「つき」ですら、それ程はっきりした形ではないにせよ、なにかその出来事の外にある実体であるかのようにとらえられており、だからこそ我々も勝ち負けをなにか得体の知れないそいつの「せいに」したりもするのだ。事の成り行きが示す「表情」やその「相貌」が、その出来事の外にあって見たり臭いを嗅いだりできるなにかであるというのは、ちょっとありそうもないことである。

 これはすでに述べた結論、妖術や「つきのなさ」、ングランビは、実は事の成り行きが示す独特の表情や相貌なのだという結論が誤りであることを示しているのだろうか。もちろんそうではない。出来事の内に単に「内在」しているだけでもなく、だからといって「外在」しているだけでもなく、同時に内在しているものでもあるし外在しているものでもあるというこの奇妙さこそ、実はこれらの概念の独特の在り方なのである。もしそれが楽しい出来事の「楽しさ」、異常な出来事の「異常さ」のように、事の成りゆきのもつ単なる「表情」あるいはその性質として、そこにただ内在しているだけだというのであれば、それを一つの実体としてとらえ、出来事をその「せいである」と語ることなどそもそも不可能である。しかしだからといって、それが単に出来事に外在する実体であるとすると、今度は、出来事の経緯の中にそれが登場する余地が与えられていないというまさにその事実によって、それはそもそも「原因」にすらなりえないということになるのである。「(妖術は)一連の出来事の不可欠の絆ではなく、それらに外在するなにかであるが、それらに参加しそれらに特異な価値を付与するものなのである」(29)72とエヴァンス=プリチャードが語るとき、彼もまた妖術の観念のもつこの奇妙さに気付いていたのだ。それは出来事の経緯を構成する一要素にはけっしてならず、またさらにそれに外在しているにもかかわらず、その出来事の経緯が示す特異な相貌として、そのなかに読み取られる「なにか」なのである。それはまさにチェシャー猫の「ほほえみ」なのだ。

 私はこのように論じることによって、読者に過大な負担をかけていることを認めないわけにはいかない。しかしここで述べられているのはけっして無意味な単なる思弁のための思弁ではない。それが妙に抽象的に見えるとすれば、それは単に、ここで述べられているような存在の在り方について、我々が普段あまり考えたことがないからに他ならない。ザンデ族の妖術や、ングランビや「つき」は、ただそれが神秘的で迷信めいて見えるからではなく、まさに「概念」として奇妙な存在なのである。こうした存在を前にしてその奇妙さに気付いたとき、それに対する唯一の誠実な態度は、あくまでもその「奇妙さ」を見据え、それにとことんつきあうことであろう。

 しかし読者のなかには、この時点ですでに忍耐を放棄して、エヴァンス=プリチャードがそうしたように、妖術やングランビを「原因」だと呼んでしまう誘惑に身をまかせることを選ぼうと考える方もいるかもしれない。確かに人々は、これらの不幸な出来事が誰かの妖術の、あるいは誰それのングランビの、あるいは「つきのなさ」の『せいである』と語っているではないか。とすると、それらはやはりその出来事の「原因」なのである。仮りに、その出来事の経緯を構成するいかなる要素でもないとしても、少なくともそのできごとの「異常性」の原因だとは言えるのではないだろうか。エヴァンス=プリチャードは言う。妖術はさまざまな自然力(出来事の経緯のなかで普通の意味において原因と考えられるもの)と共同して不幸な出来事を引き起こすものであるが、これらの自然力そのものに対しては妖術には責任がない。「しかしながら、それらの原因が、ある特定の個人に対して破壊的な関係に置かれたという特定の状況については妖術に責任がある。」(30)そうした出来事の経緯の「異常な配置」が妖術の「せい」なのである。

 もちろん我々の使用する「原因」という言葉のなかにこうした用法を許す要素がないわけではない。しかし、このように語ることは、ザンデ族やイアトゥムル族、あるいは「つき」を自分に呼び戻すために縁起をかつぐ勝負師たちと「同様に」考え語ることであって、それらを「説明」することにはけっしてなっていないのである。つまり「原因」という言葉を、筋の通った通常の意味においてではなく、それ自体が説明されねばならないところの奇妙な概念として、いわば拡大して使用していることになるのだ。このこと自体はけっして非難されるべきことではないが、それに気付かずにそうしているのならおおいに問題であろう。妖術やングランビの問題に戻る前に、我々の用いている「原因」という概念について少々検討してみる必要があるかもしれない。

IV

 何も「原因」なる概念の正確な規定を行なおうというのではない。「原因」の概念をめぐっては、すでに膨大な議論が提出されてきており、勉強不足の私にはとてもそれらを一々検討する力もなければ、そうする余裕もないからである。もちろん我々は何も哲学者でなくとも、原因ということば『によって』さまざまな事柄について語っている。その語のこうしたごく日常的な使用のなかに、この概念に含まれる幾つかの層位を確認してみたいと思うのである。

 例えば、我々は「温度が0℃以下になるならば、水は凍り始める」という命題が恒常的に成り立つとき、温度が0℃以下になることは水が凍り始めることの原因であると言ってもよい。ここには因果関係の最も形式的な定義が含まれる。つまり二つの前後しておこる出来事の関係が恒常的である場合、先行する出来事は、後の出来事の原因だというものである。つまり因果関係は二つの出来事のあいだの恒常的関係を指している。これは我々が「原因」という言葉を使用する際の最も模範とすべきモデルである。しかし我々はこの模範だけに従ってこの語を使用しているわけではない。そうしようと思っても関係の恒常性などそう簡単に確認できるものではなかろう。我々は「経験的」に真である限りにおいてそこに恒常性を認めるのだと言われるかもしれない。しかしそれは馬鹿げた結論を導く。例えば、もし我々が条件反射の訓練を受けているパヴロフの犬だったとする。あるとき私は自分が唾液を出せば、常にその後に食事が出てくるという事実に気付くかもしれない。とすると私の唾液は食事の原因だったということになるのだろうか。もちろんこれは誤りである。しかし恒常性の基準のみにしたがって「原因」という言葉を使用している限り、実験者が食事の提出を突然止めてしまうといった事態が新たにおこるまでは、私が私の唾液を食事の原因だと考えることを妨げるものは、何もないのである。

 また「ある図形が三角形であるならば、その内角の和は二直角である」という命題があるとき、その図形が三角形であることが、内角の和が二直角であることの原因だと言うとすればどうであろう。この関係は実際には論理的な関係であり、上で述べた因果関係とは別のものである。しかし、ある図形が三角形であることをその図形の内角の和が二直角であることの「原因」だと呼ぶ人がいてもおかしくはないような気がする。二つの事実の関係の恒常性は、言わば完全に保証されているのであるから。しかし、だからといって、もしある男が死亡してその原因が究明されている場で、誰かが、例の有名な命題に基づいて、彼の死の原因は彼が人間であったことにあるなどと言い出したりすれば、それは悪い冗談だと受けとられるのがおちである。論理的な関係は我々が「原因」という言葉を使用する際のあまりよい見本とは言えないのである。

 私は非現実的になるのを覚悟のうえで、あえて最も明快な基準から出発してみた。しかしいずれの基準も、我々の「原因」という言葉の使用を部分的にしか説明してくれてはいない。では我々がこの言葉を使用する際のもっと現実的な含意についてはどうだろう。ある出来事Aが別の出来事Bを「生じさせ」「引き起こし」「生み出す」場合に、AはBの「原因」だったと呼べるのではないだろうか。読者は、ここで初めてこの言葉の最も常識的な、また中心的な使用基準に出会ったと感じるかもしれない。しかしそれはいったいなんという基準であろう!出来事を「生じさせ」たり「引き起こし」たりするというのが具体的には何を指しているのか、さっぱりわからないのだ。まさか母親が子供を生むように生むわけでもあるまい。それは機械的な「力」やエネルギーの伝達なのだろうか。それとも後続する出来事の条件といった意味だろうか。しかし、そうだとするとそれは結局最初に述べた形式的基準に一致することになる。

 要するに、我々は「原因」なる言葉を二つの出来事のあいだの、けっして単一のではなく、複数のさまざまな関係にもとづいて、かなりルースに使用しているのである。「目的因」などと言う言葉があるように、それは前後関係すら無視することさえあるのだ。

 しかし、もし我々が「原因」なる言葉の現実の使用を問題にするのなら、この言葉の使用の一般的基準について詮索することには、実はあまり意味がないことがわかる。というのは実際には我々は、この言葉を出来事どうしの何か一般的、普遍的、恒常的な関係を述べるのに使うよりは、むしろ個別の出来事について語るのに用いているからである。従ってこの言葉の現実の使用については、自然科学者からよりも、歴史学者からはるかに多くを学ぶことができる。例えば、E. H. カーは、彼がロビンソン事件と名づけた次のような例をあげて我々をおおいに楽しませてくれる(30)153-158 。

  ジョーンズがあるパーティでいつもの分量を越えてアルコールを飲んでの帰途、ブレーキがいかれかかった自動車に乗り、見通しが全く利かぬブラインド・コーナーで、その角の店で煙草を買おうとして道路を横断していたロビンソンを轢き倒して殺してしまいました。混乱が片づいてから、私たちは−−例えば、警察署−−に集まって、この事件の原因の調査をすることになりました。

 ところでカーによると、運転手の酩酊状態、いかれたブレーキ、ブラインド・コーナーのいずれを、あるいはすべてを事故の原因とすることにも意味がある。しかしもし誰かが「ロビンソンが煙草を切らしさえしなければ、彼は道路を横断しなかっただろうし、殺されなかっただろう。だから、ロビンソンの煙草への欲求こそ彼の死の原因である」と主張したとすればどうであろう。カーはこうした主張には意味がないと論じる。確かに警察はこうした主張を問題にしないだろう。しかしこの相違は、いったいどこから来ているのであろうか。この男の主張は、ある意味では、全く非のうちどころのないものなのである。 カーがこの例によって我々の注意を引こうとしているのは、因果的説明における選択性の介入である。つまり我々が何かをある何かの「原因」だと語るとき、実はそこに見てとれるさまざまな出来事相互の関係の中から、我々は真に意味あると思われるもののみを選び出しているのだ。そしてどの出来事と出来事の関係が有意味であるかは、我々の関心(カーは「目的」という言い方をしているが)によって決定される。例えば、交通事故による死者を減らそうという暗黙の関心のもとでは、飲酒を禁じたり、自動車の整備を徹底したり、道路を改良したりすることには意味があるが、喫煙を禁じることにはあまり意味がない。事故責任の追究に関心のある警察は、当然、飲酒の事実に最も重きを置くであろうし、歴史学者ならば、どの関係が未来や過去における一般化の可能性を秘めているかを重視するだろう、といった具合である。

 もちろん事はそう簡単ではなかろう。しかしともかく明らかになったことが三つある。こうした一回性の出来事をめぐって「原因」に言及するとき、我々はけっしてその出来事の経緯を構成する要素間の恒常的、一般的関係について語ろうとしているわけではない。そこからさまざまな「有意味」な要素を選び出し、繋ぎ合せ、他方、「無意味」なものを捨てて、首尾一貫した織り物にしようとしているだけなのである。言い換えれば、我々は出来事の経緯を構成する諸要素間のどの関係が有意味なのかを指定することによって、「出来事の経緯」「事の成りゆき」として語られる一つの『物語』に意味ある物語としての骨格を与えようとしているのである。ロビンソンの喫煙の欲求が「原因」として指定されないのは、そうしたとたんにこの物語が「不思議の国のアリス」に見られるようなナンセンスな物語の骨格をそなえてしまうからである。もっとも常日頃から彼に禁煙を勧めていたロビンソン氏の妻なら、彼の喫煙と事故との関係を有意味だと指定して、第三者にとってはきわめて奇妙に見える物語を作り出すかもしれないが。「だから煙草を止めなさいとあれ程言っていたのに... 」というわけだ。彼女の個人的な、いささか奇妙な『物語』のなかでは、喫煙の欲求は立派な「原因」として指定されうるのである。つまり一回性の出来事の内部で構造指定される因果関係は、法則性に言及するものというよりは、その出来事の「物語性」に言及するものなのである。これが第一に明らかになった点である。

  第二に、「原因」という言葉は、かなりルースに使用されているとはいっても、こうした例においては、なお明確な限定をもって使用されている。意味の限定ではなく、使用法の限定である。この言葉は、あまりにも当り前のことであるが、出来事の経緯を構成する諸要素間の関係について使用され、その限りにおいて意味のある言葉なのだ。出来事の経緯のなかには、ちょうどロビンソン氏の煙草への欲求のように、有意味の指定を受けず、従って「原因」としては語られない要素はあっても、その逆に、出来事の経緯として語ることのできないような「原因」はありえないのである。つまり「原因」として語りうるものは、つねに、出来事の経緯として語りうるはずなのだ。それは「自然的」原因に対する「超自然的」原因であれ、直接的原因に対する究極的原因であれ、なんら違いはない。例えば、事故を起こしたジョーンズ氏は、ブラインド・コーナーで女の幽霊を見たのだと言いはるかもしれない。それによって手元が狂わされたのであると。また、ある人は、そもそも自動車のような機械が存在したことがロビンソン氏の死の究極の原因だと訳知り顔に語るかもしれない。あるいは人は、当の焦点となる出来事の経緯に登場しない要素、例えばジョーンズ夫妻の夫婦仲、を原因に指定することもありうる。実は、ジョーンズ氏がパーティでしたたかに酔っぱらったのは、その日の夫婦喧嘩で彼がむしゃくしゃしていたためであるといった具合だ。つまり当の焦点となる出来事の構造をいささかも変えることなしにそれを単に拡張してみせたわけである。いずれにせよ出来事の経緯として語りうるものだけが「原因」として語られうるものだという点については、いささかも違いはないのである。

 第三に、差しあたっての議論には直接関係してこないのだが、こうして出来上がる『物語』の有意味性が、その物語そのものよりも広いコンテクスト、先に「関心」とか「目的」とかで言及したもの、によって支えられたものである、という事実も指摘しておきたい。こうした有意味性を支えるコンテクストこそが、その『物語』がいかなる骨格をもつべきものかを指定し、例えばロビンソン氏の煙草に対する欲求を彼の死の有意味な原因から排除したり、そもそも自動車などというものがあるからいけないのだなどと主張する人に御退席願うことになるのだ。

 もちろん、事の成り行きに、有意味な『物語』としての骨格を与えるために指定される関係は、なにも因果関係に限られるものではない。私は別の論文(32)で、物語の骨格を与える種々の構造指定を一般に、「物語的呼応」と呼ぶことを提唱している。因果関係は、こうした構造指定の一種、我々の文化においては最も重要だと考えられているとはいえ、その一種にすぎないのである。しかし今は因果関係のことだけを考えよう。

 ところで、このロビンソン事件のような一回性の出来事について我々が「原因」という言葉を使用するとき、それは、確かに今見たとおりいささか怪しげなものではあるとはいえ、原因という言葉の正常な使用例であることには違いはない。こうした使用例のなかから、例えば『理論的関心』に促されて一般化可能なもの、より恒常的なもの、普遍的なものを求めていけば、最初に触れたような、形式的定義をみたす因果関係や、論理的関係に出会うことであろう。それらはこうした抽象的関係の源泉なのである。我々が日常「原因」という言葉を使用しているとき、それはたいていこうした正常な、ごく普通の使用の範囲におさまっている。しかしそうではない使用を、我々はときに行なっているのである。それが、まさに「つき」が彼の成功の「原因」であるとか、今日の負けは「つきのなさ」が「原因」だと言ったりする場合なのだ。というのは、それは出来事の経緯としては語りえないものを「原因」指定してしまっているのだから。我々は、ある事の成り行きが、普通期待できる以上にうまくはこんだという意味で、それは「幸運であった」などと言う。それはその事の成り行きのもつ「表情」について語るものである。しかし同時に我々は、得てして、「幸運」がそうした事の成り行きを生んだのだとか、「幸運」がその事の成り行きの「原因」だとかとも語ってしまうのである。

 こうした場合にいったい何がおこっているのであろう。もし我々が、「原因」という言葉の普通の用法が、ロビンソン事件について見てきたようなものであるということに同意するなら、こうした「奇妙」な用法こそ、実はむしろ説明されるべきものなのだ。けっして、それをごく普通の用法であるとして受け容れて、それによってその他の場合を説明したりするべきではないのである。エヴァンス=プリチャードが、ザンデ族の妖術を彼らの不幸な出来事の原因だとして説明するとき、彼がしているのがまさにこれである。それは「つき」こそが自分の勝利の原因であると考えて縁起をかついだりする勝負師と同じ流儀で考えていながら、これらの勝負師の考え方を『説明』したつもりになっているようなものである。

V

 ザンデ族がしかじかの事の成り行きが妖術のせいであると語るとき、勝負師が自分の負けは「つきのなさ」のせいであると語るとき、彼らが何を根拠としてそう語っていたのかを思い出してみよう。彼らは同様に起こりえたかもしれない他の「可能な」事の成り行きを対比として持ち出すことによってしか、その根拠を示すことができなかった。それは、単に問題の事の成り行きが、他とは違う独特の「表情」をもつものであると主張しているだけのことなのだ。あるいは(もうこの言葉を使っても、読者は違和感を覚えないであろうが)しかじかの事の成り行きとして語られる『物語』にそなわった、独特の「物語性」が主張されているのだと言ってもよい。つまりそれは、異なる物語を比較することによって、その物語の物語性の特殊な型を明らかにするという、一種のメタ・レベルの語りなのである。事の成り行きが示す「表情」、その物語性、あるいはそこに含まれた関係性、について語ることは、事の成り行きそのものを語る語りとは、論理的な層位を異にする別のタイプの語り、事の成り行きについてのメタ・陳述なのである。「つきのなさ」や「幸運」が「原因」として語られる際に生じているのは、実は、こうした二つの異なるタイプの語りの混同、陳述の異なる論理的層位の混同なのだ。

 しかしこう述べたからといって、問題は少しも解決するわけではない。それは確かに人類学者の側での誤謬を取り除くことにはなるであろうが、そもそもこうした混同がどうして起こるのかについては、何も答えられていないからである。それはいつも起こるわけではないのだ。確かに「幸運」な事の成り行きについて、我々は「幸運」がそうした事の成り行きを生じさせたのだと語ってしまう。しかし「いまわしい」あるいは「楽しげな」事の成り行きが、「いまわしさ」や「楽しさ」によって生じたのだと言う者など誰もいないはずである。事の成り行きが示す独特の「表情」が、その事の成り行きに「内在」するものとして見てとられると同時に、あたかもその「外部」に存在する実体であるかのようにもとらえられていない限り、つまりその表情が、我々の微笑ではなく、チェシャー猫の微笑として存在していない限り、こうした語りが成立するはずもないのである。こうして、我々は再び、ザンデ族の妖術やングランビや「つき」の、概念としての奇妙さの問題に立ち戻ることになるのである。問題は、事の成りゆきが示す「表情」が、焦点となる出来事の経緯を構成する諸要素の関係性が、あるいは『物語』の物語性が、それ自身一つの実体として、言わば『物象化』される機制を明らかにすることである。

 読者をがっかりさせることになるかもしれないが、正直に告白すると、私はなぜある種の関係性がこうした形で『物象化』され、別の種類の関係性が単に経験の表情としてそこにとどまるのかを、明快に説明する理論を用意していない。そもそもどういった関係性が『物象化』の道を歩むのかすら未だ把握していない。宗教的とされる諸観念の研究がこの後者の問いに対する答えを用意しているにちがいないと考えて、それに着手したばかりなのである(32)。従って今は一つの出来の悪い比喩を使って、探究の可能なアウトラインを素描することで、許していただきたい。

 比喩的に言うならば、実体化した関係性とは、いわば、一枚の風景画において画家の視点が占める位置のようなものなのである。我々はそれが当の画面の外にあるものだと考えている。近代的な遠近法に従って描かれた風景画を思いうかべればすぐわかるように、その絵を描いた画家の視点は画面の手前にあるはずであるし、我々はその風景画を見て、もはやそこには画家本人も彼が見ていたはずの風景も存在していないにもかかわらず、それがほぼどのあたりにあるかを示すことすらできるであろう。もちろん常識的な意味では、画家は自分の位置、その風景を描いている自分自身の姿を、当の風景のなかに描き込むことはけっしてできない。しかし、実は画家の視点は画面の外にはなく、その風景自体のなかに描き込まれているのである。その風景の構成要素である描かれた物としてではなく、そこに描かれた諸事物どうしの相互関係、それらの配列、その体系性として。画家の視点なるものは、そうした絵そのものの「中に」見てとれる関係性にもとづいて、我々がその風景の「外部」に想定してみせる、実は実在しない結節点、絵として我々の前にあらわれた一つの現実のもつ体系性の空虚な中心なのである。遠近法とは、そもそも、こうしたやり方で一つの視点を画面のなかに描きこむ技法であり、ちょうど一度も空を飛んだことのない画家が建物の俯瞰図を描くことが可能であるように、実際には存在していないかもしれない視点を画面の「外部」に作り出す一種の「だまし絵」の技法なのだ。そこにあるのはただ、さまざまな比率で描かれ、それによって相互に関係付けられた諸要素だけ、つまり絵の「中に」ある一種の関係性だけなのである。画家の視点として我々がその風景画の外に構想してみせるものは、実は、その描かれた風景の中に読みとられる関係性、描かれた風景の示す一つの「表情」だったのである。

 これが乱暴な比喩であることは私も認める。しかしこのように、関係性を見てとることが同時に、その関係性がまさに読みとられた場所の「外部」に、何か空虚な実体を作り出してしまうこと、その「外部」に何かを見てとってしまうことでもある、といった場合もあるのである。「つき」やザンデ族の妖術や、ングランビもまた、こうしたものであるのかもしれない。そして人々がそれら『によって』だけでなく、それら『について』語れば語るほど、それらはますます、それらが当初「表情」として読みとられた出来事の経緯そのものから独立した実体であるかのように振舞うのだ。

 仮りにこうした説明が、ある程度満足のいくものだとすると、それはこれまで故意に触れてこなかった妖術やングランビの語りがもつもう一つの、実は最も重要な、特徴にも光をあててくれるかもしれない。それは妖術やングランビのような概念が、当の焦点となる事の成りゆきを、つねに、他のなんらかの出来事や状況に関係付けるものであるという事実である。

 私は関係性が、まさにそれが読みとられる場所の外部に実体として想定されると述べた。風景画の場合には、それが実体化される「外部」とは当然その絵の手前の空間だということになるであろう。しかし妖術や「つき」やングランビについてはどうだろう。というのは、展覧会の絵と違って、出来事の経緯、経験そのものには、外部も裏も手前もないのである。とすると当の焦点となる事の成りゆきから身を引き剥がしたその出来事の経緯が示す表情、妖術やングランビあるいは「つき」などとして物象化された、その「異常性」はどこに行くのだろうか。それは当の焦点となる出来事にとっては、過去の、あるいは未来の別の『物語』のなかに身をひそめようとするのである。もちろん、それはいかなる物語にも属することはできない。しかしこうしてそれは、過去、現在、そして未来に属するさまざまな物語を結びつけ、関連づけるのである。つまりそれは、異質な物語相互のあいだを浮動し、それらを媒介する「間−物語的」な結節点となるのである。物語からなる物語がここに生まれる。

 それらは本来、「事の成りゆき」として語られる一つの陳述に対するメタ・陳述、事の成りゆきについての語り、物語の物語性についての陳述という地位をもつものであったが、まさにその資格において実体化されたそれらは、自らのまわりに異種の物語を結集させるのである。今日の自分の「つきのなさ」に着目する人は、例えば、それによって同じ骨格をもつ物語、同様な表情をもつ出来事の経緯をそこに結集させ、最近の自分の「つきのなさ」や生れつきの「つきのなさ」などについて語り始めるかもしれない。あるいは一つの「異常性」を別の「異常性」に関連付けるかもしれない。例えば自分や身内の誰かが犯した犯罪、近隣の誰かとの心穏やかならぬ喧嘩、目ざめた後も人を不安にさせる夢、等々といった具合である。それらは出来事の経緯が示すさまざまな表情、さまざまな異常性など、を分類し相互に関係付ける。そして逆に、こうしてでき上るより広い関心のコンテクストが当の焦点となる物語の物語性、その意味ある骨格の構造を決定するのである。こうして妖術あるいはングランビなる観念をつうじて、さまざまな物語のあいだの相互反照的な過程がはじまる。ングランビは、被害者またはその親族の過去の殺人と当の出来事を関係づける。妖術は、被害者が身を置いたことのある、あるいは現に身を置いている社会的な葛藤劇にそれを関連づける。過去の物語は現在の物語によってその姿を変え、現在の物語はこうした過去の物語によってその骨格を明らかにするのでる。人々が生きている、「経験」という最も壮大な物語が、こうして綴られてゆくことになる。

VI

 私は理論的考察として予定していた枚数を大幅に超過してしまったようである。当初の目的であった、私自身の調査地でもある東アフリカの一社会における『病因論』を、ここで提出したような視点から分析する試みは別の機会に譲らねばならない。最後に今後の課題について簡単に触れることによって、この小論のしめくくりとしたい。

 文中でも述べたとおり、関係性が実体としてとらえられる機制については、もっと徹底した議論が必要である。そしてどのようなケースにこうした実体化、物象化がおこるのかについても、数多くの事例を検討することによって明らかにせねばならない。しかしこうした課題と並行して、あるいはそれ以前に、我々は、人々が行なうさまざまな語りのうちに、本論で簡単に触れたような論理的タイプの異なる諸々の語りの種別を正確に評定しておく必要があろう。これはけっして容易な課題ではない。というのは他ならぬ我々自身が、さまざまにレベルの異なる語りを時に混同して、しかもそれをあたかも分析であるかのように提出してしまっているからである。この論文でも言及した『災因論』的アプローチが、さまざまな宗教観念を、出来事の経緯を構成する諸要素と同じく「原因」として分析しているのも、こうした混乱の一つである。その結果、自然的/超自然的とか、直接の原因/究極の原因といった、「原因」の種別を設定することによっては本来説明できない概念を説明したような気になってしまっていたのである。自分自身が陥ってしまっている陥穽に気付くことはしばしば、おそろしく困難である。しかし我々は、人間の経験がいかに組織されていくかの解明を目指そうとする以上、それ自身ただの人間であるところの「自分自身」についての反省に不断に連れ戻される必要があるのである。人間がその中で生きているありとあらゆる幻想的なものの正体の解明は、同様な幻想を生きている自分自身の解明と並行してなされねばならないのだ。


<註>

(1)Bateson, G., 1958(1936), Naven ( 2nd. ed.) Stanford: Stanford University Press. pp.54-73.

(2)長島信弘の用語。長島信弘, 1982, 「解説」(エヴァンズ=プリチャード著、向井元子訳『ヌアー族の宗教』岩波書店、pp.539-540.)

(3)Evans-Pritchard, E. E., 1937, Witchcraft, Oracles and Magic among the Azande. Oxford: Clarendon Press.

(4)Evans-Pritchard, E. E., 1956, Nuer Religion. Oxford: Clarendon Press. 邦訳 向井元子訳『ヌアー族の宗教』岩波書店、pp.494-495)

(5)長島信弘, 1983, 「序」『ケニアの六社会における死霊と邪術〜災因論研究の視点から』(『一橋論叢』Vol.90(5). pp.595-597 )

(6)ごく数例のみを挙げる。
Turner, V., 1957, Schism and Continuity in an African Soiety. Manchester: Manchester University Press.
Middleton, J.,1960, Lugbara Religion. London: Oxford University Press.
Gluckman, M.,ed., 1972, The Allocation of Responsibility. Manchester: Manchester University Press.

(7)同様な疑問は最近渡辺によっても繰り返し表明されている。この論文は彼のこれらの議論を踏まえたものである。以下を参考にされたい。渡辺公三, 1983, 「病いはいかに語られるか:二つの事例による」『民族学研究』 48 巻 3号・336-348 頁/渡辺公三, n.d., 「人類学における「原因」「因果性」という語の使用について:断章」

(8)Bateson, op. cit. pp.55-56

(9)ベイトソンがこれに気付いていないわけではない。しかし彼はングランビを「原因」として分析することには関心をもたず、単にそれを親族間の同一視の原理としてのみとらえているので、つまり誰と誰が復讐の対象として等価なのかを分析するためだけに使用しているので、この奇妙さはさして問題にならないのである。

(10)ibid., pp.71-72.

(11)Morley, P., 1978, “Culture and the Cognitive World of Traditional Medical Belief, ”Morley, P., and R. Wallis eds., Culture and Curing. London: Peter Owen.
波平恵美子,1982, 「医療人類学」祖父江孝男編『医療・映像・教育人類学』現代のエスプリ別冊・現代の文化人類学2・至文堂:19-84 頁.
波平恵美子,1984, 『病気と治療の文化人類学』海鳴社

(12) Evans-Prichard, 1937.

(13) 私は以前にこの同じ素材について論じたことがある。そこでもこの問題に触れておいたのだが、その扱いは簡略にすぎ、若干の誤解を生んだ。以下の議論はそれをより詳細に論じなおすと同時に、いくつかの点でさらに発展させたものである。
浜本,1982, 「妖術現象理解の新展開についての試論」(加藤泰氏と共著のうち55〜72頁)『東京大学教養学部人文科学科紀要・第76号・文化人類学研究報告』p3:55-93.

(14) この区別はもちろん誇張されたものである。なぜならあらゆる『について』の語りは同時に、その概念を使った『によって』の語りでもあるのだから。しかし以下の議論においては、この区別は有効である。

(15)Evans-Pritchard, 1937:119.

(16) ibid.:26, 28, 70.

(17) ibid.:64.

(18) ibid.:63-64.

(19) ibid.:66.

(20) ibid.:67.

(21) ibid.:71.

(22) ibid.:67.

(23) ibid.:72-73.

(24) ibid.:70.

(25) ibid.:72-73.

(26) ibid.:74.

(27) ibid.:68.

(28) ibid.:66.

(29) Ryle, G., 1949, The Concept of Mind. New York: Barnes and Noble. p.248.

(30) Evans-Pritchard, op.cit., p.72.

(31) Evans-Pritchard, E. E., 1955, “Witchcraft”, Africa, Vol.8(4). pp.418-419
下線部は私による。

(32) E. H. カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波書店(岩波新書)1962. pp. 153-158.

(33) 浜本, 1985, 「呪術〜ある『非・科学』の素描」『理想』 9月号$ No.628:108-124(34) 浜本, 1986, 「異文化の練習問題1〜ディンカ族の『神的なるもの』と経験の遠近法について」(未発表の草稿)


補論:「いかに原因」と「なぜ原因」

 本論で簡単にふれたように、エヴァンズ=プリチャードはザンデ族の妖術を「不幸の説明原理」として説明する際に、「いかに・どのようにして」不幸が起こったのかという問いにではなく、「なぜ」起こったのかという問いに答えるものとして、妖術観念を位置付けた。ザンデ族はビールの醗酵状態を見ようとしてかざした松明の火が屋根に燃え移って小屋が焼けたことを知っている。つまり「いかに・どのようにして」その不幸な出来事が生じたかは知っているのだが、「なぜ」この時に限ってそして自分の場合に限ってこうした不幸が生じたのかを妖術によって説明しようとしているのだというわけである。

 私は本論でこれについて充分に答えたつもりであった。つまりザンデ族自身が不幸に直面するたびにこうした問いを発しているわけではないこと、「妖術による語り」を正当化する際に持ち出されるこうした修辞疑問文の本当のねらいは、出来事の経緯そのものの個別性、独特性、異常性を他の可能な事の成り行きと対比させることによってきわだたせることにあるということ、従ってこれが「いかに原因」と「なぜ原因」とでも呼べるような原因の二類型に対応するものなどではないということなどである。そもそも「なぜ」の問いに答えるものがすべて「原因」の名に値するというのは、原因概念のあまりにも不当な拡張ではないだろうか。

 しかしその後、草稿段階でよせられたコメントの多くは、こうした原因の二類型になおもこだわるものであった。こうした形で「原因」を分類してみせたりするのが人類学者ぐらいのものであるという点はさておいても、この種の見解が少なくとも人類学者のあいだでは根強いものである以上、それにはきちんと答えておく必要があろう。事実モーリーは伝統的な病因論を分類する際に、こうした見解を踏襲して、「いかに」の問いに対応する「直接的原因」を「なぜ」の問いに対応する「究極的原因」と区別してさえいる(Morley op. cit.:2 ) し、波平も彼のこの分類を受け入れている(波平 op. cit.)。

 言うまでもなく「いかに」の問いと「なぜ」の問いは、各々異なる答えを要求する問いである。そのことについてとやかく言うつもりはない。問題は、それらの答えが正確には何であり、どのような意味で異なっているのかという点である。本論中でも取りあげた「ロビンソン事件」に再登場願うことにしよう。パーティーでしたたかに酔っぱらったジョーンズがブレーキのいかれかかった自動車に乗り、見通しのきかないブラインド・コーナーでちょうど煙草を買おうと道路を横切りつつあったロビンソン氏を轢き殺してしまったという例の事件である。ここで誰かが「いかに・どのようにして」この事故が起こったのかを問うたとすれば、その答えはどのようなものであろうか。おそらく今述べたとおりの事故の顛末が、事の経緯としてそのまま語られることになるだろう。これが何を意味するかはもちろんおわかりのことと思う。つまり「いかに・どのようにして」の問いに対して語られるのは、事の成り行き、出来事の経緯がそのものなのであり、それは「原因」についての語りではないのである。そこには「原因」として言及されることになる要素ももちろん含まれてはいるが、それ以外にも話し手によって関与的と見做された諸要素が細大漏らさずもりこまれているはずである。「物語」はすでに始まっている。つまり話し手によって選別された諸事実が有意性の網の目によって結びあわされ、何らかの軸に沿って関連付けられている。誰も、その日たまたま衆議院が解散されたという事実などをここで持ち出したりはしないはずである。しかし一方で、特定の事実を「原因」として有意味指定する作業もまだここでは始まっていない。単なる出来事の経緯が語られるだけなのである。 「いかに・どのようにして」の問いに対する語りのもつ別の特徴は、必ずしもそれが一般的な特徴だと主張するつもりはないが、その語りのもつ非人称性である。それはしばしば非当事者の視点を借りて語られる。「いかに」の問いに対する答えが、話し手の立場や利害をあまりにも明瞭に告知することによってその人称性を主張する場合、そうした語りの信憑性は往々にして疑問視されることになる。従ってそれは少なくとも非人称性を指向し、あるいはそれを偽装するのである。

 これに対して「なぜ」の問いは、特定の事実を有意味指定することを求めることによって、その答えにより明確な物語としての骨組を要求する問いである。例えば前述の事件において、「なぜ」こうした事故が起こったのかという問いに対して、あらためて飲酒運転や自動車の整備不良、道路条件の不備などがもち出されることになるのである。ここで注意していただきたいのは、「なぜ」の問いに対して常に、「いかに」の問いに対する答えと全く別の事柄がもち出されるというわけではない点だ。それは「いかに」の問いに対する答えに含まれている部分集合を指定するだけかもしれない。その場合「なぜ」の問いに対する答えに含まれているのは、すでに「いかに」の語りに含まれているか、そこに含意されているような事実だけなのである。狭義の因果関係が問題となるのはこうした場合である。それに対して、「なぜ」ロビンソン氏が事故にあったのかという問いに「彼のつきのなさのせいである」と答えたとすれば、それは当の事の経緯をそれとして肯定したうえで、この事件を、彼の事業の失敗や、子供の死といった他のさまざまな出来事に同時に関係付けてしまうような「メタ物語的」な語りである。つまり「なぜ」の問いに対してはあらゆる有意味指定された物語的呼応をもって答えることができる。当然そこにはいわゆる因果関係も含まれる。またそれは「つき」やザンデ族の妖術のような出来事の経緯が示す相貌についての語りによっても答えることができる。それはけっして「究極的原因」の専売特許ではないのである。

 「なぜ」の問いは物語の骨組の明確化を求める問いである。この点で、この問いはしばしば語りの人称性を先鋭化することになる。ロビンソン氏の奥さんは、彼の死は彼女の勧めにさからって彼が煙草をやめなかったせいだ、と語り始めるかもしれない。ここには二重の人称性がみられる。物語がロビンソン氏と奥さんを主人公とするよう中心化されているということと、奥さんの特異な関心によって組織されているという点で。こうした物語が一般に受け入れられるわけもない。「なぜ」の問いが顕在化させる語りの人称性を排除しようとするとき、その語りは、しばしば自らを「いかに」の問いに対する答えに偽装する。自然科学における因果関係はこうした非人称的な語りの代表である。しかし、これは「いかに」の問いに対する答えが「原因」についての語りであることを意味しない。それはあくまでも、特定の有意味性の軸を明示することによってその物語としての骨組を顕在化させるに至っていない、単なる出来事の経緯についての語りなのである。

 エヴァンズ=プリチャードが質問したザンデ族の男は、自分の経験した不幸の経緯を隣人の嫉妬や悪意をまじえた一つの物語として語ろうとしたはずである(Evans-Pritchard 1937:67 ) 。しかし、それが調査者の容赦ない懐疑にさらされたとき、彼は自らが行なってきた「いかに」の語りが、相手の信憑性基準を満たしていないことに気付いたにちがいない。彼は「いかに」の語りを調査者の基準にあうものとして提示しなおし、そのうえでとっておきの「なぜ」の問いを今度は調査者に向けて発したのである。それは物わかりの悪い調査者をして、その出来事の経緯の示す特異な相貌に気付かせ、彼に自らの物語を受け入れさせるための戦略に他ならなかった。

 「いかに・どのようにして」の問いと「なぜ」の問いに各々対応しているような二種類の原因などがあるわけではなかったのである。人は「いかに」の問いで物語り、「なぜ」の問いを通じて人々をその物語にいざなうのである。