交換:「ただより高いものはない」わけは?

はじめに

 「私の欲しいものをください、そうすればあなたの欲しいものをあげましょう。」(アダム・スミス 1959(1776:118))ちょっと身もふたもない言い方だが、アダム・スミスの言うとおりなら、これこそが我々の社会をなりたたせる基本原理だということになる。なるほど、自分の生活に必要な物をすべて自分一人で作っている者など誰もいないわけで、だとするとそれらは誰かから手に入れてくるほかない。その手に入れる手段というのが冒頭のような取り引き、つまり「交換」だというのである。「こうして、あらゆる人は、交換することによって生活し、つまりある程度商人になり、また社会そのものも、適切にいえば一つの商業社会に成長するのである。」(アダム・スミス 1959(1776:133))

 とはいっても、我々の場合必要なものはたいてい買って手に入れているのであり、これをわざわざ「交換」と呼ぶのは若干ずれがあるような気もする。コンビニでタバコを買おうとする度に、「私の欲しいもの(タバコ)をください、そうすればあなたの欲しいもの(お金)をあげましょう」などといちいちやっていては堪らない。もしあなたが誰かに、タバコを買ってくると言うかわりに、お金をタバコに交換してくると言ったりすれば、変な目で見られることは請合いである。少なくとも言葉の感じとしては、買うことと交換することは同じではない。交換といえば、不用になった古新聞や古雑誌をチリ紙と取り替えたり、自分が余分にもっているビックリマンシールと引き換えに、友達から新しいビックリマンシールを手に入れたりすることであろう(ちょっと古いか?)。古新聞でチリ紙を買うなどとは誰も言わない。かと思うと、海外旅行にそなえて銀行の窓口で両替する際、実際には例えば円でドルを購入しているのであるが、我々はこれを、円をドルと「交換」したと言い、ドルを一ドルいくらで「買ってきた」とは普通言わない。「交換」と「買う」の使い分けはかなり微妙である。

 日本語の語感にこだわっていては経済学は始らないのだろう。たしかに物を買う際に我々は貨幣と引き換えに物を手に入れているのであるから、言われてみれば交換には違いない。アダム・スミスによると、貨幣自体もともと一つの商品、つまり交換されるさまざまな品物の一つであった。物々交換にともなう不便を解消するために、他の何とでも交換できる特殊な商品が選ばれそれが貨幣の役割を果たすようになったというのである。この話の真偽はさておき(私はおおいに疑っているが)、「交換」の概念をこんな風に広げて考えれば、そこに含まれる共通性も見えてくる。「交換」とは相手に何かを与えることによって、自分の必要とするものを手に入れる手段である。「チリ紙交換」しかり、「ビックリマンシール交換」しかりである。欲しいものを手に入れるためにはこちらも少しは損をしなければならないというわけだ(古新聞をもったいないと思う人もあまりいないだろうが)。もちろんその際、誰でも出来るだけ損を少なくして得を多くしようとするであろう。誰もがこの原理にしたがって振る舞っていると仮定することによって、多くの経済的な事象が説明可能となるらしい。これを経済学的な交換の概念だということにしておく。

 交換の概念をこんな風に広げていいのであれば、この際思い切ってもっと広げてしまった方がよい。ここではとりあえず交換を「誰かに何かを与えて、誰かから何かを受け取ること」だと考えよう。交換と呼べる行為の範囲は一気に広がって、逆に経済学的な交換の概念が実際にはきわめて限られたものであることが明らかになるはずだ。これがこの章のねらいである。ちなみに社会学の方でも、「愛」や「信頼」、「尊敬」といった無形のものまで交換の対象に含めて、すべての行為を交換として説明しようとする理論(社会交換理論)がある。これも「交換」概念の拡張の一種ではあるが、実際にはその交換のイメージ自体は経済学的な交換のイメージそのままだったりする(例えばブラウ 1976)。つまり、できるだけ損を少なくして得をしようとするという経済的交換行動の説明原理を、非物質的な利益にまで拡張しただけのものなのである。人類学が交換を問題にするときには、まさにこのイメージそのものを疑うことになる。

ワインと貝殻細工

 レヴィ=ストロースが交換の儀礼と呼んで紹介した次のような場面は、日本のどこかでも見られそうな光景である(レヴィ=ストロース 1977:141-143)。場所は南フランスのとある安レストラン、昼飯時で店が混んできたためか、二人の男が見知らぬ者どうしで一つのテーブルに向い合って腰をおろしている。それぞれの前には料理を載せた皿と、その料理にセットで含まれているちょうどグラス一杯分ほどの安ワインの小瓶。なんとなくぎこちない沈黙と装われた無関心。しかしそれは一方の男の何気ない仕草で一変する。彼は「まあ、どうぞ」などと言いながら自分のワインを相手のグラスになみなみと注いだのである。続いて何がおこるかはご想像のとおりである。相手は「いやあ、どうも申し訳ありません。恐縮します」なんて言いながら、すぐ相手に注ぎ返してやるだろう。ワインとワインの交換である。その後二人の間にちょっとした会話がはずんだということもおおいにありえそうである。

 いったい何が起ったのだろう。二人が注ぎあったワインは全く同じもの、同じ分量である。結果的には、めいめいが自分のグラスに自分のワインを注いで飲んだのとなんの違いもない。この「交換」によって、二人は互いになんの損も得もしていない。経済的には全く無意味な交換だということになろう。そもそも最初の男は別に相手のワインが欲しくて、自分のワインを相手に与えたわけでもないし、またこの交換によって得をしようとしたわけでもない。もちろん、もし相手の男が注ぎ返さなかったとしたら彼は不愉快になっただろう。喧嘩になったかもしれない。しかしそれはグラス一杯分のワインの損失に怒ってのことではないはずだ。実際、もし注ぎかえしてこなかったとしたら、そいつは恐ろしく非常識な男である。幸い、相手の男は恐縮しながらワインを注ぎ返した訳だが、この男にしてもその恐縮ぶりは自分が与えられたものの経済的な価値とは全く不釣り合いだ。もしこの男が見知らぬ相手からワインのかわりに、いきなりそれ相当の現金(100円程度か)を渡されたとしたら、彼は恐縮するどころか、むしろ受け取るのを拒み、怒りだしてしまうかもしれない。彼にはそんなわけのわからないお金を拒むだけの権利がある。しかし、彼がもし自分のグラスに注がれようとしたワインを頑強に拒んだとすれば、それはとてつもなく気まずい雰囲気を作りだしたことだろう。  この交換の前後で物質的な状況にはなんの変化も生じていない。交換しようとしまいと、二人はそれぞれ一杯ずつの同じワインを飲むことになる。しかし、この交換は無関係な二人の間に関係を作りだす。この変化こそ、この交換の効果なのである。

 たかがグラス一杯のワインのやり取りで経済学が拠り所とする交換のイメージを壊そうなんてと言われそうなので、この話はいったん措いて、もっと大規模な交換、マリノフスキーの報告によって有名な(少なくとも人類学ではあまりにも有名な)メラネシアのクラ交易、について紹介しよう(マリノフスキー 1980)。

 クラはニューギニアの東に広がる海域の島々を円環状に結ぶ交換制度である。ムワリと呼ばれる白い貝の腕輪とソウラヴァと呼ばれる赤い貝の首飾の2種類の財がそこで互いに交換されるのだが、各々の財の引き渡しは同時には行われず、時間をあけて行われる。その都度、特定の財を受け取る側が相手の所まで出向いて受け取らねばならない。一つの島内でのクラと島どうしを結ぶクラとがあるが、島どうしのクラには大掛かりで命懸けの遠洋航海がともなう。クラでの成功は男の威信をおおいに高める人生をかけての大事業なのである。人々は何人かの決まった取り引き相手をもっており、この関係は終生続く。身分の高い人は一人で何百人ものクラの相手をもっていることもある。遠隔地でのクラの場合、こうしたクラ・パートナーは「不安で危険な土地で彼を客人としてもてなす主人であり、保護者、味方である。」(マリノフスキー 1980: 156) パートナーどうしは互いにさまざまな義務をおっており、近くに住むパートナーはしばしば同時に彼の姻族や友人でもある。

 遠方の島とのクラで財(たとえばソウラヴァ)を受け取る番になると、男たちは特別に建造した大きなカヌーで船団を組んで何日もかけて相手の島に出かけていく。ただ貰うためだけに出かけていくのである。浜辺で儀礼的な歓迎を受けた後、それぞれのクラ・パートナーとの取り引きが始る。取り引きと言っても、値切ったりふっかけたりといったことはいっさい行われない。与えるホスト側は「やぶからぼうに、ほとんど怒ったような態度で」財を投げだし、受け取る客の側も同様に冷淡でいかにも関心なさそうな態度で受け取る。どのソウラヴァを与えるかは与える側の判断次第で、受け取り手は与えられたものを拒んだり、それに文句をつけたりすることは出来ない。贈呈が行われる毎にホラ貝が荘重に吹きならされる。3〜4日の滞在ですべてのクラ・パートナーから受け取るべきものを受け取ると、船団は特別のお別れの儀礼も無しに、もと来た島に向けて帰りの旅につく。

 やがて半年もたつと今度は、自分たちにソウラヴァを与えてくれた島の人々がムワリを受け取りに海を越えてやってくるだろう。同じ手続きが繰り返され、はるばる海をはさんでのムワリとソウラヴァの交換がここに成立する。交換の成立を土地の人々は、男性であるソウラヴァと女性であるムワリが結婚した、などと言い表している。  こんなにも苦労して手にいれる財なのであるが、それを手元にいつまでも置いておくことはできない。財はそれを求めてやってくる別のパートナーに与えられねばならない運命にある。男が自分が手に入れてきた財を保有できるのはせいぜい一年か二年で、それですら「欲が深い」だの「がめつい」だのと非難されてしまう。まさに右から左に手渡すために苦労して手に入れてきたようなものである。ムワリを手に入れてきてはそれをソウラヴァをくれた相手に渡し、ソウラヴァを手に入れてきてはそれをムワリをくれた相手に手渡す。こうしていずれの財もこの広大な交易圏を、ソウラヴァはつねに時計回りにムワリは反時計回りにぐるぐる回り続けるということになる。個々の財はだいたい2年から10年かかってクラの輪を一周するが、その都度その値打ちを高めていく。価値があるから交換されるというよりも、交換されることによってどんどん価値がでていくのである。

 経済学的な交換のイメージからはちょっと理解困難な交換である。ムワリやソウラヴァに苦労して手に入れるだけの値打ちがないというわけではない。誰もが一緒にいった他の者より良いムワリやソウラヴァを手に入れたがっている。それらは実際に身につける装飾品というよりも(多くのムワリは、腕輪とはいうものの実際には小さすぎて腕にはめることはできない)ながめて幸福に浸るものである。またそれは悪霊に供えてその心を「やわらげる」ことにも使えるし、死者を飾って「やすらぎ」を与えることもできる。病人の胸や腹をそれでこすってやって苦しみをやわらげることもできる。単なる物ではなく、何か不思議な力をもった物でもあるのだ。しかしいかに値打ちのあるものであっても、結局のところそれらは、他人に同様な交換を通じて渡してしまうためのものである。交換によって利益を得ることは問題にならない。そもそも与えられたものに文句をつけることができないのであるから、自分が以前に与えたものに相応しい財を手に入れることができるという保証すらない。一個のソウラヴァは一個のムワリとしか、同じくムワリはソウラヴァとしか交換できないのであるから、それらを貨幣のように他の何かを手に入れる手段として用いることもできない。まるで交換そのものが目的になっているみたいだ。

 経済的にはほとんど無意味な交換なのであるが、社会関係の観点からはきわめて重要な交換である。相互にクラ・パートナーの関係にたつものどうしが財を交換する。しかし同時にこうした交換をおこなってこその恒久的なパートナー関係なのである。交換をつうじてこの関係のネットワークがその都度確認され永続化することになるのである。  この地方には他のタイプの交換もいろいろ知られており、なかには経済学的な交換と呼んでよいものもある。ギムワリと呼ばれるものがそれである。クラ遠征は他の島の人々とギムワリをおこなう機会でもある。ギムワリで交換されるのは日常の生活物資であり、また取り引き相手は自分のクラ・パートナー以外の人々であれば誰でもよい。ギムワリには値切りやふっかけがつきもので、途中の島で仕入れてきた物をより高い交換率でさばいて利潤を上げることもできる。またクラと異なり直接その場で決済される。クラとギムワリはいろいろな点で対照的で、「クラをギムワリであるかのようにおこなう」ことは最も非難されることである。

 ギムワリと較べてみると、クラでの財のやりとりは贈物のやりとりに似たところがある。その都度の財の受け渡しでは、財はつねに一方向に与えられるだけで、それに対するお返しはただちには行われない。一見したところ一方的な贈物そのものである。また財は「気前よく」渡されねばならず、また受け取りを拒むことはできない。このことから、この種の交換は贈与交換と呼ばれたりしている。マリノフスキー自身もクラを「ある時間的間隔をおいてお返しのくる贈物である」と述べている。しかし、そもそも「交換」という言葉自体もそうなのであるが、別の社会の出来事を説明するのに、自分たちの社会の概念を安易に適用することはしばしば誤解を生じやすい。マリノフスキーによると、男は自分の財をパートナーに渡す際に「しかるべきときに、お前はこれに見あう大きなソウラヴァを返してくれよ」というようなことを言うらしい。最初から見返りを要求しながら渡すものを贈物と言ったりするだろうか。ギムワリのような取り引きと比較するとクラは贈物のやりとりに似ている。しかし、あくまでも交換になることが保証されているような贈物のやりとりなのである。そう言えば、南フランスの安レストランでのワインの交換も、どことなくそんな贈物のやりとりに見えないこともない。

 クラはやや特殊な例に見えるかもしれないが、贈物のやり取りふうの交換ということであれば、実に多くの社会で広く見られる。日本もその一つなのだが、ここでは自分のことは棚に上げて、狩猟採集民のアンダマン島民を例にあげておこう。ここでも交換は人々の社会生活の特徴である。仲のよい友人、家族、集団どうしは互いに頻繁に往来しあい、そうした場合にはつねに贈物の交換がおこなわれる。この社会を調査したラドクリフ−ブラウンによると、時にはこうした交換が経済的にみて有益な結果をもたらすこともある。例えば、地方によっては自分のところで採れない彩色用の赤土とかをこうした交換を通じて手に入れることができるなど。「ほとんどの場合は、しかしながら、どの地域集団もどの家族も、武器にせよその他の品物にせよ、自分たちに必要なものは自分たちで調達できるので、こうした贈物の交換はより進んだ社会における交易や物々交換と同じ目的を果たしているとはいえない。」(ラドクリフ・ブラウン 1964: 83-84)たいていの場合、人々が受け取るのは自分たちがすでに充分に持っているものばかりであるし、また与えることができるのも相手がすでに持っているものばかりなのだ。人々は相手がそれほど「必要としていない」ものを贈りあって互いに気前よさを競っているのである。ラドクリフ−ブラウンが言うように、こうしたやりとりの目的は、経済的というより「人間関係」に関係しており「当事者間に友好的な感情をうみだすため」(ラドクリフ・ブラウン 1964:84)のものである。贈物が好感情を産むのだと言われても、当たり前すぎていっこうに感激しないが、しかし、ここではその好感情がけっして贈物を貰って得をして嬉しいということから、つまりもたらされた経済的な利得からくるものではないことに注意しよう。アンダマン島での贈物の多くは別に貰ってたいして得になるような品物ではないのである。

贈物と交換

 どうやら経済学でいうところの物質的な利益を目的とする交換と、物質的な利益を眼中におかず人と人とのつながりを作りだしたり、維持したりする交換との2種類の交換がありそうである。後者は、どこか贈物めいたやり取りによって特徴づけられている。しかし、贈物と交換というのもちょっと奇妙な取り合せだ。「海老で鯛をつる」なんて言い方もあるけれども、本来贈物とは見返りを期待せずにただ与えるだけの行為ではなかっただろうか。子供にクリスマスプレゼントをあげるとき私は何のお返しも期待していないし、事実これまでお返しなどもらったこともない。贈物は理念的には物の一方向的な移動であるし、多くの場合そのとおりである。しかし、とは言うものの、一方で贈物にお返しがつきものであるというのも事実だ。日本では親子や夫婦などのように一応親密だとされていたり、恩師と弟子のように上下関係がはっきりしている(?)関係の中では、贈物に対してお返しが問題になるようなことはあまりない。これに対し、ご近所づきあいや顔見知り程度の間柄での贈物については、かなりお返しに気を使う。子供からのお返しなどまったく期待していない一方で、他の場面では、贈物にお返しをしなかったために非常識呼ばわりされることもある。そんな場合、じゃあお返しが欲しくて贈物をくれたのか、と言いたくなってしまうが、もちろん送り主の方ではお返しが目当てなどという気は毛頭ない。にもかかわらず、いつまでたってもお返しがなければ、それはけしからんことである。実に厄介である。

 仮りにお返しをするにしても、それはそれで厄介な問題がある。律儀にその場ですぐまったく同じ品物でお返ししたりすると、それはもうほとんど贈物を突っ返しているのと変わらないことになってしまう。充分時間をおくか、程なくお返しがしたいのならぜんぜん別の品物でお返しするべきである。お返しをするタイミングや何をお返ししたらいいかは、微妙な問題だ。では、面倒だからといって最初から贈物を断って受けとらなければどうだろう。贈り主との関係が、単なる無関係という以上に悪くなってしまうことを覚悟しておいた方がよい。

 前節では贈物のやりとりのような形でおこなわれる交換を見てきたのだが、どうも贈物をする行為自体の中に、お返しという形で反対方向への贈物の動きをひきおこす要素が含まれており、従って「交換」を結果として成立させる、いやほとんど強引に交換を引き起こすとさえ言える場合があるようだ。贈物を受け取ることを拒むわけにはいかないし、受け取った以上いつか何かお返しせざるを得ないのであるから。それにしても、本来見返りを期待することなくただ与えられるはずの贈物が、なぜこのようなお返しを呼び起こすことになるのだろうか。

モースの「贈与論」

 マルセル・モースは、「交換や契約が進物の形式でなされる」ような諸社会を検討しながら、この問いに取り組んでいる(マルセル・モース 1973)。「贈物を受けた場合に、その返礼を義務付ける法的経済的規則はいかなるものであるか、贈られた物には、いかなる力があって、受贈者にその返礼をなさしめるのか」(マルセル・モース 1973: 224)というわけである。この問いのたてかたから見当がつくように、この問題に対するモースの解答は2つの道をたどる。

 第一の解答は比較的わかりやすい。贈り物の制度そのものに「義務のメカニズム」(マルセル・モース 1973: 264)が内在しているという答だ。贈り物は外見上は「任意的になされ」、「自由で非打算的」であるように見えるけれども、実は「贈る義務」「受け取る義務」「返礼の義務」の3つの義務を含んだ拘束的な制度なのだというのである。なるほどしかるべき状況で贈物を贈らねばならない「義務」があるから人は贈り物を贈り、「受け取る義務」があるから贈られたものを受け取らねばならず、「返礼の義務」があるからお返しなければならない。贈り物が結局「交換」を引き起こすのもまったく当然だということになる。この解答はわかりやすいのでたいていの教科書に書いてある。でも、これは少し考えてみるとあまり満足のゆく解答ではないことがわかる。見返りの要求なしになされているはずの贈り物なのにどうしてお返しせざるを得なくなるのだろう、というのが問いである。お返しの義務があるからですというのではまったく答になっていない。

 また、この義務の3点セットが贈り物全般に当てはまるわけでもない。親が子供に対して贈るクリスマスプレゼントのように「返礼の義務」など全く含んでいないものもある。もっともモースは贈り物の形式で結局「交換」をしてしまっているようなケースだけを問題にしているのであって、贈り物一般について語っているのではないのだから、この批判は割り引かねばならないのかも知れない。たしかに前節で紹介したクラの場合などは義務の3点セットがまさに当てはまるケースで、贈り主はお返しをよこすよう念をおしながら財を手渡したりしているくらいであった。これは全くの余談だが、モースにならって、どの様な種類の義務(だけでは片手落ちで権利も当然考慮すべきだが)が日本のさまざまな贈与行為にともなっているかを考えてみるとおもしろいかもしれない。「贈る義務−受け取る権利」という組合わせが見られる場合もあろうし(例えば上司に対するお中元など)、逆に「贈る権利−受け取る義務」の組合わせのこともあろう(レストランで何人かで食事をとったあとに、誰が支払うかをめぐってしばしばおこる醜い争いを見よ)。日本はある意味で贈与慣行が実に複雑に発達した社会の一つなのである。同じ贈与慣行がさまざまなバリエーションをともないながら並存していることがわかるにちがいない。

 ところでモースの第二の解答の方はというと、かなり奇妙である。いきなり聞くとぶっ飛んでしまうかもしれない。贈られる物自体のなかにお返しがなされることを強制する力が宿っているというのがそれである。モースはさまざまな社会における贈与交換の慣習の背後に、物自体がもつこうした力についての観念を見出している。例えばニュージーランドのマオリのあいだに見られる贈物の霊「ハウ」の観念。マオリのある情報提供者は、要約すると、これを次のように説明したという。「ある人(A)が誰か(B)から品物をもらう。Aはそれをさらに別の人Cに渡す。やがてCからお返しの品物が届くと、AはそれをBに渡さねばならない。さもないとAは病気や死に見舞われる。というのも、AがCからもらったものは、AがBからもらいCに引き渡した品物のハウだからだ。」モースはこれを、贈物には霊的な力「ハウ」が宿っており、それはもともとの持ち主のもとへ帰ろうとしている、そして返礼がなされるまでその品物を引き渡された人に付きまとうのだ、というふうに解釈している。この解釈自体はどうやらモースの誤解だったらしいのだが(サーリンズ 1985,小田亮 1989)、贈物の形式での交換が発達しているところでは、しばしば贈られる物が単なる物ではなく、何か特別な力をおびた物みたいに考えられているということは言える。

 だからといってこれを返礼がなぜなされるのかの説明にしてしまうのはどうかと思う人も多いに違いない。日本でも、贈物には贈った人の「まごころ」がこもっているなどと言う場合があるけれども、これはいわば言葉の綾で、文字どおり贈られた品物のなかに何かが入っているなんて考える人はいないだろう。もちろん私も(そしてたぶんモースにしても)そんなことは考えていない。しかし、贈物として贈られたものが何かただの物とは異なるちょっと不可解な性格をもっていることもたしかなのである。身近な例で考えてみよう。繰り返しになるが、日本は贈物をめぐる慣習がけっこう複雑に発達した社会なので、この点で好都合である。

贈物のききめ

 贈物をもらうとたいてい嬉しい。でもその嬉しさは、買物や、チリ紙交換や、不用品交換バザーで得をしたときのように、贈物をもらってちょっと得をしたという意味での嬉しさではない。子供が父の日に絵なんかを描いて贈ってくれると、素直に嬉しい。部屋の装飾としてもあまり調和がとれていないので、たいていはしばらくのあいだ壁に飾られていて、そのうちいつの間にかどこかにしまい込まれてしまう運命にある。それほどもらって得になるものではないが、嬉しいものである(「こころ」がこもっているからだ?)。その嬉しさはもちろんその経済的価値とは何の関係もない。

 一方で贈物を受け取ることによって「借り」ができたと感じる場合もある。この場合にも、その「借り」は必ずしも贈られたものの経済的な価値とは比例していない。夏目漱石の「坊っちゃん」のなかで、主人公の坊っちゃんが、初め信頼をよせていた同僚の「山嵐」が実は陰で生徒を扇動していた張本人であると知って(もちろんこれは坊っちゃんの誤解だったのだが)、にわかに以前「山嵐」におごってもらった氷水の代金が気になってきてしまう場面がある。「ここへ来た時第一番に氷水をおごったのは山嵐だ。そんな裏表のあるやつから、氷水でもおごってもらっちゃ、おれの顔にかかわる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃいない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。」(夏目漱石 1991: 57)もちろん山嵐はこれを受け取ろうとはせず、この一銭五厘の借りは坊っちゃんにとってますます気にさわるものになっていく。ちょっと極端な反応ではあるが、坊っちゃんの潔癖さを物語る有名なエピソードだからご存知の方も多いだろう。アメリカの人類学者ルース・ベネディクトはこのくだりを評して、「些細な事柄についてのこのような神経の過敏さ、このような傷つきやすさは、アメリカでは、不良青年の記録や、神経病患者の病暦簿のなかで見受けられるだけである。ところが日本では、これが美徳とされている」(ベネディクト 1967: 125)と驚いている。

 一方坊ちゃんは幼い頃から自分を可愛がってくれた下女の清から三円という大金をもらっている。「その三円は五年たったきょうまでまだ返さない。返せないんじゃない、返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにはしていない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。...返さないのは清を踏みつけるのじゃない。清をおれの片破れ(かたわれ)と思うからだ。」(夏目漱石 1991: 57-8)坊ちゃんのケースでは金がからんでいるため、「借り」は文字どおり金の貸借関係のイメージと重なりあっているが、そこでも「借り」の重さ、その負担は実際の経済的価値にはよっていないことがわかる。それはむしろ与え手と受け手の人間関係に左右される。坊ちゃんのケースはやや極端であるが、それほど特殊でもない。先輩に喫茶店で一杯のコーヒーをおごってもらったときに、「御馳走さまでした」と思わず深々と頭を下げてしまうのは、一杯のコーヒーの値段から考えるとばかみたいな反応である。一杯のコーヒーのおごりがうむ「借り」の一撃は、明らかにその現金価値には比例していない(一瞬のことで、何日も続くものでもないが)。

 贈与がおこなわれるとき、贈られたものといっしょに何かが、あるときには贈ってくれた人との快い結びつきであると感じられたり、別のときにはちょっと厄介な「借り」と感じられたり、さらに別のときには両者が入り交じったように感じられたりする何かが、運ばれる。それは贈られた品物の経済的価値−使用価値にせよ貨幣価値にせよ−には比例していないし、またそれよって表わすこともできない何かである。例えば、それほど親しくない近所の人からの贈物によって生じた「借り」を返そうとして、それの価格に相当する現金を払おうとした場合を考えてみればよい。全然借りを返したことになるどころか、あなたは人間関係を壊してしまっている。

 経済的価値に還元することができないため、あらゆる贈物は個別的で、厳密には互に比べようのないものとなる。贈物によって生じた借りを返そうとしてもできることはこちらからも贈物を贈ることだけだ。最初の贈物と同時に同じものを返すということ(それは贈物を突っ返すことと同じである)が、禁じられている以上、最初の贈物とお返しの贈物との間には、時間的な差異と内容における差異という二重の差異がさしはさまれる。貨幣価値という尺度が無効であるとすれば(貨幣をもたなかった多くの社会での贈与慣行については言うまでもない)二重の差異を含んだ二つの贈物を互いに比較するすべはない。ある人から頂いた田舎から送られてきた漬物のお裾分けと、しばらくしてこちらから差し出した出張土産のお饅頭とをどうやって較べることができるだろうか。父親が自分に大学までの教育をつけさせてくれたからといって、そのお返しに今度は父親を大学に入れてあげるという訳にはいかない。ではどうすることがそれに匹敵するお返しになるというのだろう。答えなどない。ご存知だろうか。日本でも昔は「親の恩(師の恩も!?)はいくら返しても返し切れない」と言われていた。

 経済的な貸借関係とは異なって、贈物が作りだす「借り」は原理的にキャンセル不可能である。ちょうど誰かに殴られたとき、そいつを同じ強さで殴り返してみても自分がこうむった打撃を帳消しにしたりできないのと同じである。「借り」は、いわば相手によって自分の位置、立場が規定されたという感覚につながっている。それは一方的な規定なので、そこにはある種の上下関係の萌芽が含まれている。それが親子関係のようにすでに二人の間にある関係の再認識に過ぎない場合は、それは甘んじて受け止められ「借り」はとくに意識されない。しかし、そうでない場合はそれは返すべき「借り」としてときに強く意識される。お返しの贈物とは、今度はこちらから相手に「借り」の一撃を加えて均衡をはかろうという試みにほかならない。贈物形式の交換を通じてお互いの位置が繰り返し確認され再生産されていくのである。

交換と境界性

 上で述べたことは、日本の贈答慣行の論理の一つの粗っぽいスケッチであり、「坊ちゃん」みたいにわかりやすい話しに対するルース・ベネディクトの当惑からもわかるように、他の社会についてはあてはまらないだろう。しかし、すでに見てきたように贈物めいた交換は、世界中のほとんどあらゆるところで見られる。それをすべて贈物として一括してしまうことは、くどいようだが、特定の社会の概念を無批判に適用してしまうことで、あまりお勧めできないが、それらの慣行が贈物っぽく見える理由がないわけではない。時間的に隔たりをおいたり(ワインの注ぎあいのようにたとえその隔たりが数分、数秒程度のものであっても同時ではないことが重要である)、同じ品物のやり取りを禁止したりして、個々のやり取りを見れば常にそれが一方的な物の移動のように見えることがそれである。そして、こうした交換の効果は常に、経済的である以上に社会的である。それは当事者間の社会関係に一定の影響を及ぼす。「贈物」のこの奇妙な振る舞いは、日本では「借り」や「恩」といった変数によって語られ、他の社会では贈物そのもののなかに宿っている不思議な力や、「霊」といった言葉で語られる。

 しかし、なぜ単に物が当事者間を移動することによって、こうした奇妙な効果が生じてしまうのだろうか。こんなにまで似通った現象が世界中のあちこちで見られるとなると、一般化に関してはすごく慎重な人類学者(私のことだ)といえども、もしかしたらすごく単純なメカニズムがそこに働いているのじゃないかと、ついつい考えてしまう。  再び、日本の例で考えてみよう。贈物として誰かにあげられるものは自分の物だけである。当たり前だ。自分の物じゃないものを勝手に取ってきてそれを誰かにあげたとすれば、それは贈物ではなく、刑事事件である。しかし、こと贈物に関しては、この当たり前のことがそれほど当たり前でない域に達している。例えば、誰かから贈物としてもらったものを、ちょうどお中元シーズンでもあるしというので別の人に贈物としてあげてしまうこと、これはあまりよいことではないとされる。ばれるとひじょうにやばい。デパートで買ってきた物ならよくて、誰かからもらった物だとまずいというのは、いったいどういうわけだろう。どうも贈物をさらに第三者に回すことはいけないことのようで、私の母は急な来客に茶を出さねばならないのに買い置きの菓子を切らしており、たまたまそこに近所からの頂きものの菓子があったときなど、言わなきゃばれる訳がないのにわざわざ、「頂きもので申し訳ないのですが」などと言いながら出していた。贈物として受け取ったものは、自分の物でありながら、同時に充分には自分の物ではないとでもいうかのようである。贈ってくれた人の「まごころ」がこもっていたりするせいだろうか。

 誰もが同じようなものしかもっておらず、しかもそれを互いに贈物として交換しあっているアンダマン島民のような社会について、知らない人ならきっと「私有財産」の観念がさぞかし希薄な共産社会のような社会だろうと考えるかもしれない。こんないかにもありそうな誤解にマリノフスキーは釘をさす。「彼らは人にものをあげるということをあれほど熱心に考えるがゆえに、自分のものと人のものとのあいだの区別はなくなるどころか、むしろひどくなるのである。」(マリノフスキー 1980: 212)自分のものにこだわらない気前よさを示すためには、前もって何が自分のものであるかが逆にはっきりしていなければならないのだ。

 贈物の当事者たちはそれぞれ、自分と自分が自由に処分できる物からなる世界、はっきりした境界線によって囲まれた「自分の世界」をもっていなければならない。そして贈物とは相手の世界の境界線を破ってそこに打込まれた一撃、境界侵犯の行為だと言ってもよい。贈物はたとえデパートから配送されたものであっても、贈物である以上単なる物ではなく贈り主の世界からやってきた、贈り主のなにかがそこに刻み込まれた物である(「まごころ」がこもっている。ちょっとくどかったかな)。受け取り手は、贈り主の世界が刻みつけられた自分の世界には異質な要素を、甘んじて自分のうちに取り込まねばならない。贈られたものは、けっして完全には自分の物にはならない。それを受け取ることは自分の世界を贈り主の世界の影響下におくことなのである。モースが「贈物の霊」をめぐってたどり着いた議論もこれである。「ある者になにかを与えることは自分自身の一部を与えることである...だれかから、なにかを貰うということは、その人の霊の一部を貰うことである。かような物を保持しつづけることは危険であって、命にかかわることである。」だから贈物には返礼が必要となるのだ、というのがモースの結論であった(マルセル・モース 1973: 240)。

 第7章で「きたないもの」をめぐって紹介された「境界性」をめぐる議論を思いだしてほしい。贈物の交換をめぐって我々は、再びこの問題に出会ったことになる。境界はそれを侵犯する行為を通じてはじめてその正確な位置を明らかにする。贈物の交換は、互いに境界を侵犯しあうことを通じて両者の世界のあいだの境界の位置と性格を確認しあう行為である。贈物を通じて、無関係だった者のあいだに関係ができていったり、既存の社会関係が確認されたり、再定義されたりするというのもこのことに起因する。贈られたものは単なる「物」ではなく、境界線を往来することによって境界線上の存在に固有の「奇妙な」性格を必然的に宿した物となるのである。

経済的交換と贈物交換

 経済学では交換はもっぱら必要なものを手に入れるための手段であり、またそうしたものとして発達してきたように描かれている。しかし市場経済をもたないさまざまな社会では、こうした経済学的な交換よりも贈与交換、つまり贈物形式での交換の方がずっと一般的に見られる。ラドクリフ−ブラウンがアンダマン島民について指摘していたように、贈物形式の交換も一定の経済的役割を果たすことはできる。しかしそれが目指しているのは経済的な機能というよりは、むしろ社会的なものである。

 まとめの意味で、この二つのタイプの交換の違いを整理しておこう。 典型的な態度:贈物に典型的な態度は気前のよさである。これに対し、経済的な交換を特徴づけるのは利得の追及である。
社会関係:贈物の場合、交換が成立することによって無関係だった者どうしが結びつけられたり、すでにある関係が強まったり、変化したりする。つまり交換の成立が関係を作る。これに対し経済的な交換の場合、交換に入るにあたっては特別の関係は前提とされておらず、交換のあいだ一時的な取り引きの関係が生じ、交換が成立するとその関係は解消される。つまり交換は関係を解消する。実際、ハンバーガーショップでハンバーガーと現金を交換する度にお店の女の子と新たな関係ができ上がったりした日にはうっとうしくてかなわないだろう。たぶん。
等価性:贈物の場合、交換された物どうしを比較する一定の基準はない。むしろ厳密には比較不可能であり、二つの贈物が釣り合っているかどうかの判断は漠然としている。これに対し、経済的な交換の場合、交換されるものの等価性に対する合意が厳格に追及される。
時間性:贈物の場合、二つの贈与行為が時間的に隔てられることがしばしば重要である。経済的な交換の場合基本的には交換の同時性、直接性が要求される。

 二つの交換形式は、ほとんど正反対と言っていいほど対照的である。我々がよく知っている利得目的の交換よりも、贈物形式の交換の方がより一般的な交換の形式であるのだとすれば、一つの疑問がもちあがる。どちらの形式も交換の当事者間での物の移動であるという点では、違いはない。仮にこうした物の移動が、つねに前節で見たような「効果」をともなってしまうのだとすれば、一見こうした効果をまったくともなっていないように見える経済的な交換が、そもそもどうして可能なのだろうか、という問いである。あるいは、こう言い直してもよい。経済的な交換は、どのような方法で物の移動にともなう贈物的「効果」を消し去ることに成功しているのだろうか。

 贈物において、この効果を消し去るおそらく唯一の方法は贈物を受け取らないこと、それを突っ返すことである。同じものを同時に返すことによっても、それは可能である。経済的交換は、まさにこれを目指している。直接性、同時性の強調がこれにあたる。クラ圏でクラと平行しておこなわれている経済的な交換、ギムワリにおいては、決済はその場でなされねばならなかった。ただし経済的な交換においては貰った物と同じものを渡したのでは話にならないので、こちらの点に関しては二つの品物の等価性を強調することでカバーしている。こうした交換には値切りやふっかけがつきものである。単により得をしようという意図だけで、こうした交渉がおこなわれていると考えては片手落ちである。もちろんそれもあるが、実際には人々はまるでゲームのようにこうした交渉を楽しんでいる。値切り交渉は、この種の交換の本質的な一部と言えるほどである。貨幣という共通の尺度のない社会では、この長々と続く交渉を経たことが、まさに交換されたものの等価性を保証するのである。この交渉によって、両者は「同じ」品物になるのだ。

 しかし、おそらく我々の社会ほどこのタイプの交換を首尾よく成立させている社会はないであろう。貨幣の存在がおおいにこれに関係している。単に貨幣が共通の尺度として機能することによって、等価性が見えやすくなっているというだけではない。冒頭で、私はお金でものを買うことが交換とは若干ニュアンスの異なる行為である点に注意を向けておいた。アダム・スミスやその他の経済学者は、貨幣も、きわめて特殊なものではあるが、商品の一種であると考えているようであるが、実際には貨幣は商品の、交換される品々の秩序には属さない独特の存在である。貨幣を支払うことは、他の一切の品物ではそう易々とは成し遂げられないことを、一気に成し遂げる。つまり、それは贈物のあらゆる効力をキャンセルしてしまうのである。私は、貨幣の起源などを論じるつもりはないし、その準備もないが、「貨幣」という言葉自体、ケガレや危険を「祓う」ための呪物である「御幣」に由来するという説がある。そう言えば、お金を「払う」という言葉も「祓う」という言葉に似ていなくもない。その起源がなんであれ、少なくとも我々の社会では、貨幣が交換を媒介しているおかげで、贈物のやり取りが引き起こすだろう煩わしい関係に入ることなく、そんなことをほんの一瞬も意識することなく、我々は毎日無数の人々と交換関係に入ることができているのである。

参考文献

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