　友達と連れ立って帰る道すがら、うっかり犬の糞を踏んでしまったりする。子供の頃の話だ。しまったと思ったときにはもう遅く、「○○君、犬のうんち踏みよった。」という叫び声とともに「○○君、汚い。踏みよった、踏みよった。えーんがちょ、えんがちょ」の大合唱が始まってしまっている。これは、はっきりいってくやしい。もちろんこちらもただ負けてはおらず、身体の方で、もうすでに行動にうつっている。誰かにタッチして、「つけて」やろうという訳だ。他愛のない追いかけっこ。５分と長続きしない闘争。

　ちょっとおおげさな言い方をすると、この「きたないもの」によって引きおこされた闘争は、一種の「共同性」をめぐる闘争として展開されている。犬のうんちを踏んだばっかりに、私は突然の排除をあじわう。この排除は、理不尽な暴力のようなものだ。その証拠に、私は泣きながらそのまま家に帰ってしまったかもしれない。もちろん普通はそんなことにはならない。しかし、かといって、その排除の理不尽さに抗議したり、許しを求めたりして、自分がそこから排除されてしまった共同性への再参入を試みようとする訳でもない。それどころか逆に私は「きたなさ」の権化となって、「きたなさ」を蔓延させるべく、自分の方から、共同性に外部から侵入する暴力という役割を引き受ける。排除しようとする暴力と、侵入しようとする暴力の闘い。私のこの仕草が、当初の排除する暴力を正当化する。これがすべてをゲームにしてくれるはずである。排除も侵入も。

　この危なっかしいゲームの引き金を引くのが「きたないもの」である。たかが犬のうんちだ。たしかにそれはきたない。それを踏むこともきたない。でも、ちょっと待ってくれ。うんちに直接触れたのは靴の底だけだ。私はじかにはそれに触れた訳ではない。なのに私まできたなくなってしまうのか。そして私の手が触れただけで、相手まできたなくなってしまうのか。これはどう考えてもおかしい。「きたないもの」はたしかに遠ざけたい。でも、ただそれだけのことがどうして暴力的な排除を正当化してしまうのだろう。私はたかが犬のうんちのことで、家に泣きながら帰るというはめになったかもしれないのだし、反対にいやがる相手に無理矢理タッチして相手を泣かせてしまうことになったかもしれないのだ。「きたない」というのはそんなたいしたことなのか。

汚物をめぐる言葉

　「きたない」ということがどういうことかは、別に難しく考えてみるまでもなくわかり切ったことのように思える。きたないものはきたないのだ。「きたない（汚い）」という言葉、あるいは「きれい／きたない」という区別は、普段の生活のさまざまな場面で用いられるごくありきたりの言葉だ。文字どおり汚いもの、汚物に関して用いられるほかに、散らかった部屋も「きたない」と言われることがあるし、乱れた「きたない」日本語を使っているなどといった形で用いられることもある。「あいつは金にきたない」とか、「汚い手を使う」といったふうに、人の性格や行為についても用いられる。ためしに国語辞典などを引いてみると、「きたない」の古語「きたなし」が、見た目に醜くきたないさまをいう「かたなし」つまり「形なし」とつながっているなどと解説されていて、そんなものかとも思う。

　言葉にこだわるついでに「きたない」と密接に関係しているように思われる「よごす（汚す）」とか「よごれる（汚れる）」、「よごれ（汚れ）」などの言葉、さらに「けがす（汚す、穢す）」、「けがれる（汚れる、穢れる）」、「けがれ（汚れ、穢れ）」などの言葉についても見てみよう。「よごす」も「けがす」も、きれいなものをきたなくする変化を指しているが、そのニュアンスは違っている。「よごす」というと普段のごくありきたりな過程だが、「けがす」というとなにかそれ以上のちょっと普通でない「きたなさ」に関係しているような気がする。「よごれ」は拭いたり洗ったりしてきれいにできそうだが、「けがれ」とくると日常的なやり方ではどうも除けそうにない。「清め」とか「祓い」、つまりなにか宗教的、儀礼的な手段でしか対処できないという雰囲気がある。辞書で見ると、「よごす」の方は、ゴマのあえもののことを「ごまよごし」といったりすることにも見られるように「混ぜあわせること」という意味を含んでいるらしい。「けがす」の方は、一説によると「けが（怪我）」という言葉と関係しているともされている。「けが」は、負傷の意味もあるが本来は「過失、不測の結果、偶然」などの意味をもつ言葉であった（その用法は今日でも「怪我の功名」、過失が思いがけなくよい結果をうむこと、などに残っている）らしい。そんな風に説明されても、いわゆる「きたない」とどう関係しているのか、ぴんとこない。日本民俗学の方では、「けがれ」はケが枯れるということであり、ケというのは気であってなにか「生命力」のようなものだなどという説明もなされているが、こうなるともうほとんどこじつけのような気がする。これがどう「きたない」とつながってくるのかもうさっぱりわからない。

　まあケが枯れるというのは冗談として（日本民俗学の方、ごめんなさい）、「きたない」と関係するとされる「形なし」（無形、異形、形式からの逸脱、型破り？）とか「混ぜあわせ」とか「けが」（過失、逸脱、偶然、法則性からの逸脱？）などは、なにかある共通の意味の場を取り巻いているようには思える。しかし、それが、「きたない」というほとんど説明を要するとは思えない性質にどう関係してくるというのだろう。

汚物の汚いわけ

　ともかく「きたない」ものはきたないからきたないんだ、という部分を検討してみなければ始まらない。本当にそれはそんなにわかり切ったことだろうか。

　犬のうんちはきたない。靴を通して接触しただけで、こっちまで汚くなるくらいなのだから。でも、人間のうんちになると、なぜか犬のうんち以上にきたない。道端に犬のうんちが落ちているのは、まあ許せるが、それが人のうんちだとなればそれどころではない。それを踏んだりするのは論外である。しかし一方、私はこの「きたないもの」と毎日、靴を通してどころではない身近な接触をもっている。それはいつも私のおなかの中にある。でもそのことで私は自分がきたないなどと思ったことはない。　話しがきたなくなりすぎそうなので少しトーンを落とそう。唾液についてはどうだろう。それは消化を助けるもので全然きたなくない。食べ物といっしょにいつも飲み込んでいるものである。でも、もし自分の唾液をコップのような容器に５０㏄ほども溜めて（がんばればものの２～３分で溜まるだろう）、それを改めて飲むようにいわれたとすればどうだろう。少なくとも私には出来そうにない。何故かそれは「きたならしいもの」になっている。その２～３分の間に私の唾液の成分が変わってしまった訳ではあるまい。

　さらにトーンを落とそう。食べ物は原理的にはきたなくない。食べるくらいであるから、むしろ「きれいなもの」のはずである。しかし、ケーキを食べていて、うっかりその生クリームをべっとり洋服につけてしまうと、その瞬間、洋服についた生クリームはきたないものになる。泥やペンキがついた以上にきたなく感じるくらいだ。生クリームの方としては空間を移動しただけなのに。またうっかりスープなどに手を突っ込んでしまうと、もちろんその結果として容器の中のスープもきたなくなるけれど、手の方まできたなくなったと感じる。スープはきたないものではないが、手についたスープはなぜかその瞬間きたないものになる。食べ残しもしばしばきたなく感じられる。まるで食べるという行為がすむと、まさにその行為によって食べ物がきたなくなってしまうかのようである。他人の食べ残しとなるとなおさらである。たとえその人物がきちんとナイフやフォークを使って食べ、その食物と直接にはいっさい接触していないとしてもそうだ。いくらもったいなくてもそれらはごみ箱に直行するしかない。どうも食べ物というものは、ほんのちょっとしたきっかけで「きれいなもの」から「きたないもの」に極端にかわってしまうらしい。泥などの場合、地面にあるときと服についたときできたなさにそれほど差がないのに比べると、実に不思議である。

　例を挙げ始めると切りがない。上に挙げた程度の（かなりトーンを落とした）例だけを考えても、きたないものの「きたなさ」の正体が一筋縄ではいかないことが分かるだろう。少なくともそれは大腸菌の含有量などといった、きたないもの自体にそなわっている成分のような形では捉えられそうにない。身近な例で考えてもこの有様だ。身近でない、他の社会の例まで入れるとほとんど収拾がつかなくなる。例えば、私の調査しているケニアのドゥルマの人々の間では、食事になると屋敷の男たちは一つの皿にもられた練り粥を手でつかみとって、それを一椀しかないスープに浸して食べる。何人もの手がスープのなかに突っ込まれるが、それは少しもきたないことではない。ただし、使っていいのは右手だけで、うっかり左手を突っ込もうものなら、食事はすっかり台無しになってしまう。それは汚くなる。左手はきたない手だからである。また、女性は女性たち（および小さい子供たち）だけで食べなければならない。男たちが食べているスープに女の手が突っ込まれると、これはたいへんきたないことである。女性が食べ残したスープを男性が食べることは論外であるが、男性がスープを余らせると、女たちはそれを鍋に残ったスープと混ぜて自分たちで食べる。それは少しもきたないことではない。

　文化による「きたなさ」の基準の違いの一番有名な例は、豚肉についてのものであろう。御存知のようにイスラム教徒は豚を食べない。それはそれを食べることを考えただけで吐き気を催すほどきたないものだとされているからである。古代のユダヤ人たちにとってもそうだった。旧訳聖書の中にそれは明記されている。例えば申命記１４章８節。「また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。」ここでは、きたなさの理由のようなものまで述べられているが、その理由（ひずめが分れているが、反芻しない）からして、また訳の分からない代物である。

リーチとダグラス

　こうした例を挙げればあげるほど、きたなさの正体は訳がわからないものになってしまいそうだ。さいわいエドモンド・リーチ、メアリ・ダグラスという二人の人類学者が、「けがれ」についてのとても明快な一般理論をほぼ同じ時期に発表してくれている。どちらも似通った説明で、「きたないもの」が人間にとっての「秩序」の創造に深くかかわっている点を明らかにしている。ダグラスは旧訳聖書における豚肉の禁止についても分析しているので、われわれにはあまり身近な例とはいえないけれど、そこから始めることにしよう。

　豚が食べてはならないきたない動物だとされている理由はなんだろうか。これが後代の、豚を汚いとする感覚をもはや共有していない多くの聖書解釈者たちを悩ませてきたのも無理はない。聖書のなかで汚いとされている生き物たち（ラクダ、兎、ハイラックス、豚など）に何が共通しているのかを明らかにしようとする説明はいずれも失敗している。なかには次のような珍奇な説明まであった。「立法者モーゼは、豚とか鱗のない魚とかのもっとも美味で脂肪の多い肉をもっている動物を、...すべて厳しく禁じたのであるが、それは、この種の肉が五感のうちもっとも卑しい味覚をとりこにし、大食の罪を生むことを知っていたからである」（[1]よりの引用）などなど。どうも食べ物の禁止だけをとりだして考えても埒があきそうにない。この禁止が登場する旧訳聖書の申命記やレビ記全体のなかで考えてみなければならない。

　申命記やレビ記というのはダグラスによると、どうも神の論理にしたがった一つの秩序、それに一致している人間には繁栄をもたらすが、そこから逸脱するものに災をもたらすような秩序が描かれているらしい。神の秩序といっても、結局は牧畜民であった当時のユダヤの人々が世界はこうあるべきだと考えた秩序に他ならない。秩序にとってはさまざまな区別をもうけ、分けておくべきものをきちんと分けておくことが肝心だ。家畜とそれ以外の獣を分ける区別も、彼ら牧畜民にとっては中心的なこうした区別の一つであっただろう。その区別の基準がひずめが分かれており反芻するという基準にほかならない。ひずめが分れて反芻する有蹄類こそ、家畜の、したがって牧畜民にとってふさわしい食べ物の、典型であった。「地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。獣のうち、すべてひずめの分れたもの、すなわち、ひずめのまったくきれたもの、反芻するものは、これを食べることができる」（レビ記１１章２、３節）という訳である。聖書はこの条件を二つとも満たさないその他の獣たちについては何も触れていない。いちいち断るまでもなく明らかだからだ。聖書がいちいち述べ立てねばならないのは、この分類に照らしてその地位が今一つはっきりしない境界的なケースである。「きたない」動物として挙げられているもの、兎やラクダや豚などは、すべてそれに引っ掛かる。それらは、ひずめが分れているが反芻しなかったり、反芻するがひずめが分れていなかったり、といった具合に、家畜とその他の獣を２分する区別にとっては曖昧な、どっちつかずの属性をもっているのである。実際レビ記や申命記の記述を素直に読めば、家畜であることを決定するこの二つの基準に一致しないということだけが、豚がけがれているとされる唯一の理由であることがわかる。

　要するに、秩序にとって基本的な分類からの「落ちこぼれ」が「きたない」とされているのである。これは「きたない」とされるもの一般についても言えるのではないだろうか。「けがれのあるところには必ず体系が存在する。...けがれとは事物の体系的秩序づけと分類との副産物なのである。...けがれとは、われわれの正常な分類図式から拒否された剰余ともいうべきカテゴリーのように思われる。」[1:79-80]くどいようだが一つ注意しておこう。それらのものは「きたない」から排除されるのではなく、そうした分類図式からこぼれ落ちていたり、排除されていたりするから「きたない」のである。

　エドモンド・リーチは、同じことをもっと明快な図式を用いて説明している。彼によると、われわれを取巻いている環境は本来一つの連続体である。われわれは成長の過程でこの世界を、それぞれが名前をつけられた多数の分離した物体からなるものとして見るよう学習していく。つまり連続体のなかにそれを切り分ける人工的な境界をつくりだしていく訳である。しかし、境界線自体は切り分けられたカテゴリーのいずれにも属さない曖昧なものとなる。こうした境界線上の存在、あるいは境界線の一方から他方へと行ったりきたりしてしまうもの、こういったものが「けがれ」として強いタブーの対象となる。リーチの示している図をあげておこう。

　この見方は、われわれが普通「きたないもの」と考えているものについてもけっこうよく当てはまるとリーチは言う。「人体から泌みでるものは、一般に厳しいタブーの対象となる。特に、糞便、尿、精液、月経血、切った髪や爪、垢、吐いたつば、母乳などが。これは理論どおりである。これらは根本的に紛らわしいものである。幼児にとって、最初にして永続的な問題は、まず自分の境界を決めることである。「世界に向い合っている私とは何か？」「どこまでが私か？」このような根本的な意味では、糞便、尿、精液などは私であって私でない。その結果、非常に厳しいタブーとなっている...」[4:76]これらは身体と外界との境界領域、重複領域、曖昧な領域に属しているために「きたない」のである。

　ダグラスと同じく、リーチにとっても「きたないもの」は人間が世界を秩序として構造化してゆく際の副産物である。もっと積極的に言うと、そうした秩序化がきたないものを生み出すのだ。「きたないもの」を意識しそれを排除することによって、われわれが作り上げる分類秩序もはっきりする。「われわれがさまざまな境界を厳しく定めれば定めるほど、境界線のどちら側かに間違って曖昧に入り込んできた汚いものをますます強く意識するようになる。境界はそのことによってきたなくなるが、われわれは自分たちのカテゴリーの体系を揺るぎないものにするために、それをきれいにしておこうと非常な努力を払うことになる。」[3:128]

　なかなかよくできた説明である。きたないもののきたなさについて考える上での重要なプラットフォームであることは間違いない。先に日本語で「きたなさ」に関連した言葉を検討した際に、それらが「混ぜあわせ」やら「異形性」やら「逸脱」やらに関係しているのを見たが、それもダグラスやリーチの説明と照し合せると合点がいく。分れているべきものが混じりあったり、分類図式にきちんと収ってくれない型破りや、逸脱は、たしかにこの理論が説明する「きたないもの」の特性に一致している。しかし、とりわけリーチの説明に顕著であるが、単に分類体系との関係だけが問題だというのは、ちょっと話を単純化しすぎているのじゃないだろうか。例えば、食べ残しや、誰かが食べた後の弁当殻がきたなく思えたりするのが、分類とどう関係しているというのか。そもそも分類から落ちこぼれたものなら何でも「きたない」とされているかというと、とてもそうは見えない。

境界性

　ここで、少し脇道にそれよう。ダグラスとリーチの議論が提出した理論はたしかに「きたなさ」の問題とある部分で交わっているが、ある意味では別のより一般性の高い問題である。これをはっきりさせておきたい。それは「分類されたカテゴリーの中間的な領域（すなわち境界領域）は神秘性、宗教性を帯びやすい」(7:237)という仮説の形にまとめることができる。これを「境界性」の問題と呼んでおこう。

　身近な例で考えてみよう。例えばわれわれは一日を昼と夜に区別している。観念としての「昼」と「夜」は光と闇のようにまったく正反対で、互いにあいいれない両極端である。しかし他方、時間は連続しており、昼と夜との交代はけっして一瞬の出来事ではない。昼から夜へと代るとき、そこにはもはや昼ではないがまだ夜でもない、あるいはまだ昼でもあるがすでに夜であるともいえる、どちらつかずの移行期間が介入する。夕暮時である。なぜか妙にロマンティックであったり、ふと感傷的になったり、あるいは何かの予感にわくわくしたりする時間である。別に昼飯時にロマンティックになってもいいはずなのであるが、なぜかロマンティックになる時間といえば夕暮時と相場がきまっている。昼も夜もないような暮しをしているわれわれはほとんど忘れてしまったように見えるが、昔は夕暮時は一種魔性を帯びた時間だと考えられていたらしい。地方によっては夕暮時をオオマガドキ（逢魔が刻）などと呼んで魔物が出没する時間としていた。私が子供の頃、夕方になるとコトリ（人さらい）が出て捕まってサーカスに売られてしまう、だから早めに家に帰るようになどと聞かされ、素直な幼年期を送った私は真剣にびびっていた記憶がある。夕暮時を魔性と結びつけるのは、日本にかぎった現象ではなく、多くの伝統的な社会でひろく見られる[6:4-8]。夕暮時がとりわけ特別な時間としてマークされねばならない理由は、それが「昼」と「夜」という区分の境界領域であるという点を除いては、あまりないように思える。

　空間に関しても、境界的な空間、例えば村と外との境目や、分かれ道、四つ辻などは多くの社会で魔物が出没するのにもっともふさわしいセッティングになっている。鉄道の駅や飛行場などは、ある町や国の一部でありながら、その外部とつながった境界的な空間であり、今のご時世では魔物こそ出ないが、何か特別な趣をもった場所だと感じられ、映画やドラマの舞台として独特の雰囲気をかもしだしたりすることは御存知のとおりである。

　成長などにともなう社会的地位の変化にも同様な境界領域は出現する。例えば「子供」と「大人」は、それぞれ異なる義務や責任や権利のセットと結びついた、明確に区別されたカテゴリーである。子供から大人への変化は、概念のレベルでは単にカテゴリーを切り替えることにすぎないが、現実にはある幅をもった中間領域がそこに介在する。つまり、もう子供ではないがまだ大人でもない、あるいはまだ子供でもあるがもう大人でもある、といったどっちつかずの期間を経ることになる。多くの社会では、この人工的に引かれた社会的境界を横断する行為は儀礼として処理されるのが普通である[3:74]。こうした場合、儀礼のなかにいる「もはや子供ではないがいまだ大人でもない」存在は、きわめて無防備で危険にさらされた存在と考えられたり、逆に周囲に害を及ぼしうる危険な存在と考えられたりしている。社会的地位の移行にともなう境界的な状態は、通過儀礼の名のもとに多くの人類学者によって分析されている（とりわけ[2],[5]を参照のこと）。今の日本の都市社会では、子供から大人への移行期間はとりたてて儀礼的にマークされてはいないように見える（成人式なんてものもあるけれど）。むしろ大学の数年間が、何となくそうした移行期間になっているのかもしれない。そういえば、学生作家などという言葉は、少なくとも作家がたまたま学生でもあったという以上のニュアンスを含んでいるようでもあるし、風俗営業がわざわざ「女子大生～」の看板をあげて中年のおじさんを引きつけようとするのも、境界期間の存在としての学生が発する普通でない何かのせいであるのかもしれない。学生であることが単に作家であることや、単に女の子であることに何かそれ以上のものを付け足しているかのようである。少なくともそれが教養や知性などでないことは確かだ。

　ごくわずかな例を挙げただけだが、分類図式からこぼれ落ちるもの、分類されたカテゴリーの中間的、境界的な領域に属するもの、が特殊な性格を帯びるという一般的な傾向は確認できるだろう。リーチの理論は、こうした境界性の問題一般を述べたものであって、それをそのまま「きたなさ」の説明にする訳にいかないのも当然である。夕暮れ時がその境界性のせいで、特殊な、ある場合には危険な時間帯と考えられているというのは確かかもしれないが、それは別に「きたない」あるいは「けがれた」時間帯だという訳ではない。

汚さと境界性

　したがって単なる並んだ二つのカテゴリーの間の境界が問題な訳ではない。どんな種類の境界であるかが問題なのである。最も典型的に「きたない」とされるものが身体の周辺部にかかわるものであったことを思い出そう。そこで問題になっている境界は、「内部」をそれを取り囲む「外部」から分けている境界である。実はダグラスが「けがれ」を理論化しようとする際に繰り返しあらわれるのも、この同じ種類の境界である。「儀礼的なけがれもまた、形式あるものとそれを取り囲む形式に欠けるものとの相互作用から生じる。けがれの危険は、形式が侵されたときに触発される。」[1:201]とすると、この種類の境界との関係が「きたないもの」にかかわる最有力候補であろう。

　実際「きたないもの」が問題になる境界は、つねにある意味では「内部／外部」の境界でもある。旧約聖書におけるけがれた動物のケースを思い出そう。けがれは二つの区別されたカテゴリー、家畜とそれ以外の獣の境界に、その区別を脅かす曖昧な存在としてあらわれてくると考えられていた。ダグラスは指摘していないけれども、この区別が内部と外部の区別でもあることは比較的簡単にわかる。家畜とは明らかに人間の側、社会の側に属すものであり、これに対して家畜でない獣とは、野生の側、荒野、つまり社会の外に属している獣にほかならないからである。

　「内部／外部」の区別は秩序や社会についてのきわめて強力なモデルを提供している。秩序は無秩序によって取り囲まれている、という言い回しを聞いてもたいていの人はとりたてて奇異な感じを受けないだろう。しかし、じゃあどこで秩序は無秩序と接しているのか、その場所を明示せよなどと言われると困ってしまう。結局これは比喩的な言い回しなのだ。しかしそれを比喩とは感じさせないほどにこの「内部／外部」の図式は我々が「秩序」というものをイメージする際の基本的なモデルになっているのである。この同じ図式は我々が「社会」や「世間」などの共同性について考える際のイメージも提供している。例えば我々は犯罪者や不良などは社会の薄暗い「片隅」でうごめく、「はみ出し者」、「逸脱者」であるなどと言ったりする。たとえ彼らが実際に住んでいるのが東京のど真ん中であっても、彼らは社会の辺境部、その外側にいるなどと言われる。ここでの外とか辺境とかが実際の地理的位置ではなく、観念としての「社会」や「世間」についてのものであることは言うまでもないだろう。つまり我々は観念としての「社会」とその共同性を、何か輪郭をそなえたものとして、その輪郭によってそれを取り巻く外部から区切りだされたようなものとして考える傾向にあるのである。

　こうした「社会」やその共同性の輪郭は、「秩序」の場合と同様、それ自身とらえ所がない。ここがその境界だ、といった具合に具体的に示すことなど出来ないからである。では社会を輪郭を持ったものとしてイメージすることは、全く実質的な根拠を欠いているのかというとそうではない。「きたないもの」、「けがれ」が関係するのはここである。つまり、きたなさ、けがれの発生によって、我々はその都度この見えない共同性の輪郭を具体的に感じ取るのである。したがってここでは、「けがれ」は境界が侵されたときに生じるというのは転倒した言い方だということになる。逆に「けがれ」が生じることによって、そこが見えない共同性の境界であったとわかるのであるから。

　ダグラスのように[1:219]、身体が社会や宇宙のモデルになっているのだとまで言ってしまうと問題かもしれないが、少なくとも「内部／外部」図式が、身体と社会を、さらには宇宙の秩序を共通のイメージで結び付けているのは確かである。そしてこの図式がもっとも具体的なレベルで展開する場が身体の境界であるとすれば、「きたないもの」の問題がそこでもっとも集約的な形であらわれるとしても、別に不思議ではない。「きたないもの」の問題を身体の境界において観察することによって、「内部／外部」の境界面の振る舞い一般についてのある程度の見通しが手に入るかもしれない。

　この境界面で起こる方向の異なる２種類の境界横断運動、内から外へと、外から内へが、きたないものの出現に関係しているのがわかる。糞尿やいったん吐き出された唾液などがきたないとされることは、内から外への境界横断に関係している。それらは「排除」によってきたないとされるものである。これとは逆に、外から内に入ってくるものも、同様にきたないものでありうる。口を通して摂取される食物はこの方向の運動を代表するものであり、きたないもののこちらの代表格でもある。これは少々逆説的な言い方かもしれない。普通我々は食べ物を「きたないもの」に勘定したりしていないからである。しかし、少し考えてみればわかるように、食べ物は正しい仕方で処理され、正しい仕方で提供されたものに限って「きれい」なのであり、少しでも間違うとそれはたいがいもっともきたならしいものになってしまう（もちろん何が正しいやり方かは社会ごとに様々でありうる）。性もこの点では同様である。正しい関係の二人が、正しいセッティングで、正しいやり方で営む限りは問題ないが（何をもって正しいとするかは再び社会ごとに多様でありうる）、少しでも外れているとそれは「きたならしい」、「けがらわしい」ものに変じてしまう。これらを排除によるきたないものに対して、「とりこみ」によるきたないものだと言うことが出来るだろう。

　「排除」はもちろん「力」の行使であり、一種の暴力でありうる。しかしそれはつねに別の暴力に対抗するための暴力という偽装をともなった暴力である。われわれは自分達にとって痛くもかゆくもないものを排除したりはしない。われわれが何かを排除するというとき、われわれはそれによって暗に排除されるものに備わっているわれわれを脅かす力を認めているのである。おそらく「きたなさ」の正体はこれ、われわれが排除することによって同時に認知している力のことなのであろう。われわれが何かを注意深く取り込むときにその対象に認めている力もやはりこの同じ力である。身体の境界面で発生する「きたなさ」を検討することは、そこで何がきたないと考えられているかを知ることは、われわれが自分の身体的な過程をどのような力の比喩で考えているかを明らかにすることでもある。そしてその力の比喩は、「内部／外部」の図式でイメージされるあらゆる共同性の領域、社会であれ、秩序であれ、宇宙論的構造であれ、を等しく組織している比喩であろう。つまり、「きたなさ」が問題になるあらゆる場面で、われわれは共同性をめぐっての侵入する暴力と排除する暴力のせめぎあいを目撃することになるはずである。

参考文献

[1] Ｍ・ダグラス, 1985, 『汚穢と禁忌』塚本利明訳, 思潮社.

[2] Ａ・ファン・ヘネップ, 1977, 『通過儀礼』綾部恒雄・裕子訳, 弘文堂.

[3] Ｅ・Ｒ・リーチ, 1981, 『文化とコミュニケーション』青木保・宮坂敬三訳, 紀伊國屋書店.

[4] Ｅ．Ｒ．リーチ, 1976, 「言語の人類学的側面：動物のカテゴリーと侮蔑語について」（諏訪部仁訳）, 『現代思想』Vol.4(3), pp.68-90.

[5] Ｖ・ターナー, 1976, 『儀礼の過程』富倉光雄訳, 思索社.

[6] 吉田禎吾, 1976, 『魔性の文化誌』, 研究社叢書.

[7] 吉田禎吾（編）, 1975, 『文化人類学読本』, 東洋経済社.

Mitsuru_Hamamoto@dzua.misc.hit-u.ac.jp

けがれ：「きたなさ」の正体

排除のゲーム

汚物をめぐる言葉

汚物の汚いわけ

リーチとダグラス

境界性

汚さと境界性

参考文献