はじめに

本書のねらい

この小さい本は、一般教育科目としての文化人類学の教科書としてまとめられました。教科書にしてはちょっと変っているかもしれません。目次を見ただけでもおわかりのように、この本は人類学の「基礎用語」を解説したものでもなければ、人類学の主要な分野や学説を紹介したものでもありません。この教科書をこうした形で提出する私たちの考え方を最初に説明しておきたいと思います。

おそらくこの本をお読みの皆さんの大多数は、別に将来人類学を専門として学んでいこうとか、さらには人類学者になってやろうとか考えてはいないでしょう。別の専門や職業を目指している方がほとんどだと思います。そんな皆さんに人類学がどんな学問であるかを理解してもらうのに、人類学を専門にするためには知っておいたほうがよいさまざまな知識や、分析用語や、学説を並べ立てるのはあまりよい方法ではありません。それは何より退屈でしょうし、それを学ぶにはかなりの忍耐も必要です。どうしてこんなことを知る必要があるのかという疑問もわいてきます。そうした疑問を押えつけるために、人類学がいかに大切な学問であるかを必死に主張しなければならないとすれば、うっとうしい話です。そもそも人類学はどう転んでも目先の役に立ちそうな学問ではないので、そんな主張をすることは、いささか白々しくもあります。かと言って、学問は忍耐だ!わかる奴だけついて来い、では敷居が高すぎます。逆に、これは講義に挿入される雑談に交じってけっこう頻繁に繰り出されている反則技らしいのですが、私たちの目に突飛なものに映るさまざまな「奇習」の紹介で皆さんの興味をつなぎとめたり、日本との違いをことさらに強調してみせたりするのも、いかにもあざとくていけません。それでなくても人類学は「未開人」の「奇習」を研究する学問だと考えられがちです。実際そうとられてもしかたのない歴史を持っていることもたしかなのですが、それは今や乗り越えられなければならない障害でしかなく、こうしたイメージを再生産してしまうような反則技は、あまり誉められたものではありません。

そこで、別に居直ってしまったという訳でもないのですが、この本では極端に素直なやり方をとることにしました。いくつかのトピックスやありふれた観念を取り上げて、人類学者がそれらについて考える際に、どんな問題の切り取り方をし、それをどんなやり方で扱うのか、その一部をそのままお見せしてみようということにしたのです。「人類学的思考」とか「人類学的なものの見方」などというものがはたして確固とした形であるものかどうか、私自身あまり確信はありませんが、多くの人類学者は、個々の現象に対する解釈や主張する理論がどんなに違っていても、現象の切り取り方や、その取り扱い方や語り口、それを記述したり分析したりする際に用いるさまざまな概念に対する姿勢などにどこか似通ったところがあります。それは、他の分野の研究者たちと話をする機会などに、あらためて自覚させられる人類学者の思考に染みついた一種の共通のセンスのようなものです。それを言葉で説明してしまうと、なんだ、そんなことかということになってしまうのですが、あえてひとことで言えば、既存の概念の相対化ということになります。今の私たちの社会でごく日常的に流通している10円玉のような(その意味や価値についてあえて問題にする気にならないような)、それでいていろいろなものを買うことができる(それを使ってさまざまな出来事を記述したり説明したりすることのできる)ありふれた概念を主題化し相対化することです。人類学者には、せっかく何事もなく役に立っている足場をあえてゆすぶってみようとするやっかいな性向が身についてしまっているようなのです。この本の表題にした「人類学のコモンセンス」というのは、いわゆる「常識」つまり人類学者が共通にもっている知識という意味でではなく、人類学者にとって常套的な問題の切り取り方や語り口をささえているこうした一種の共通のセンスのようなものを指していると考えてください。

したがって、この本は人類学の語り口の「型」をお見せする、武道で言うところの「演武」のような性格を持っています(この本の著者の中にはむしろフィギュア・スケートの比喩で語りたがっていた人もいますが、それほど優雅なものではありません)。各章の執筆者の中には、この方針に忠実に自分が身につけた過去の人類学者が行なった議論の型を忠実に演じている人もいれば、かなり自由に演じて自分のあみ出した必殺技を思わず繰り出してしまっているような人もいますが、それは各人の自由にまかされています。したがって書かれている内容も、必ずしもすべてが人類学において定説になっている内容であるとは限りません。どの章をとっても、本来もっと慎重に徹底して論じなければならないものばかりです。短い枚数の中で論じるには、ちょっと無理もありました。また普段論文を書いているときの調子では書かないという点を心掛けたために、緻密さに欠ているところもあります。しかし、問題の切り口や扱い方をお見せするという意味では、はじめての試みにしてはうまく行っているのではないかと思います。判断は皆さんにお任せします。

もちろん人類学には、したがって人類学者にはたくさんの顔があります。おそらくここで執筆した人類学者たちの多くにとっての自画像は、「民族誌家」としての自分の姿でしょう。自分が行なったフィールドワークに基づいて、特定の社会や状況で生きる人々の暮らしや振る舞いや考え方などについて記述したものを「民族誌」と呼びます。本書の執筆者の中には、もう既に民族誌を書いてしまった人も、書いている途中の人も、これから書こうとしている人も、書けずに困っている人も、フィールドワークにとりかかったばかりの人もいますが、いずれも自分を(現に、あるいは未来の)民族誌家だととらえている点に違いはありません。これを仮に人類学者のおもての顔とでもしておくと、本書で見せている顔は、いわば人類学者の裏の顔とでもいうことになるでしょうか。このおもての顔と裏の顔は密接に関係しています。人類学を専門とする者は皆民族誌家を目指します。そのためにフィールドワークで出会った人々の暮らしや社会をできるだけ正しく理解しようと悪戦苦闘しています。また既に多くの人類学者によって書かれた民族誌を読みまくっています。その過程でいつのまにか裏の顔もでき上がってくるのです。人類学者がちょっぴり懐疑主義的で、屁理屈屋で臍曲がりに見えるとしても、こうした懐疑や相対化は、その限界も含めて、もっぱらこの「おもての顔」に規定されたものなのです。本書ではほとんど顔を出さないこの「おもての顔」について簡単に説明しておくことにしましょう。

民族誌としての人類学について

人類学は「未開社会」についての学問でした。といってもずっと昔のことでいまではそんなことはありません。と言い切ってしまいたいところなのですが、とっくに清算してしまったはずのこの規定には相変わらず居心地の悪い思いをしている人類学者がけっこう多いのです。それには理由があります。正しくは(と勝手に断定してしまいますが)、人類学はかつても、そして今も、つねに「他者」についての学問でした。ところが人類学の母体であった近代西欧にとって「他者」とは「未開社会」以外の何ものでもなかったのです。自分について何か語ろうとすれば、いつも暗黙のうちに他者を引き合いに出すことになります。自らを「文明」と考える社会にとって、引き合いに出される他者は「未開」であるしかないことになります。西欧社会の自己認識を前提とした「他者」の研究でありつづける限り、人類学は人類学者個々人がどう考えようとも「未開」の研究という規定を逃れることは不可能でした。未開と文明という対立は、どちらに転ぶにせよ、一方がもう一方より優れているという価値判断を含んだ対立です。実に居心地の悪い状況だったのです。

特定社会の自己認識を前提としない「他者」の研究になればいいではないかと言えそうですが、話はそう簡単ではありませんし、はっきり言って嘘になります。第一、ただ単に「他者」というだけなら、私の奥さんだって子供だって私にとっては他者です。ちょっと考えてみれば、よく知らない部分がいっぱいあります。世の中知らない人だらけです。改札口で毎朝ちょっと目をあわせたりするJRの職員にしても、私はその人についてほとんど知りません。そう思った途端に、むくむくと興味がわいてきて相手のことをもっと知りたくなってしまいます。普通、すぐ興味は失せますが。ところで、こういった他者は今のところ人類学における民族誌的理解の対象となってはいません。なぜなのでしょうか。ただ「未開社会」の研究であった時代の伝統を引きずっているだけなのでしょうか。

少し考えてみると、私の周りにそれこそうじゃうじゃいる他者たちは、実はある意味では他者ではないのです。改札口にいるJRの職員の人のことを私はほとんど何も知らないのですが、普段はそんなことを気にもとめません。相手の方としても同様です。たしかに、自分は相手のことをほとんど何も知らない、そう思った瞬間には私は実際相手をリアルな他者としてとらえています。相手を私にとってリアルな他者とするような隔たりを、私の方で設定したのです。そして相手のことが知りたくなります。ある意味で自分で作り出しておいたその隔たりを、今度は何とか埋めて橋渡しをせねばならないような気持になるのです。こんなことを繰り返していたらたまりませんし、逆に出会う人、出会う人がつねにそんな好奇の目を注いできたりした日には、居心地が悪いことうけあいです。もちろん実際には、こんなことはまずありません。まるで円滑な社会生活を営んでいくためには、そこでかかわりをもつ他者たちを、リアルな他者として認知することが抑圧されてでもいるかのようです。おそらくこれが、私がこれらの人々と一つの共同性を共有しているということの意味の一部なのではないでしょうか。まるでお互いに相手について知らない部分が、とるに足らないものであるとでも考えているかのように。それにあらためて気がつくことは、相手をそうした共同性から排除するきっかけでもありえますし、逆に露骨な興味詮索の目を向けられることはそうした排除の経験でありえます。

したがって、民族誌的理解の対象が「他者」であると言うことは、人類学がある種の共同性をすでに前提としており、そこから排除されたものとして自分の研究の対象を規定していたということでもあるのです。とんでもない学問なのでしょうか。そうかもしれません。しかし私は必ずしも悲観的ではありません。かりに人類学が、こうした構成済みの「他者」としてその対象に向かうところから出発し、それが対象に対する民族誌的興味の最初の源泉であったとしても、民族誌家としての人類学者の営みは必ずしも前提となっていた共同性の再確認と、対象の他者としての排除を完成する方向にのみ向かっているとは思えないのです。むしろ逆に、民族誌的理解の営みは出発点となっていた共同性を問いなおし、そこに含まれる自己認識に修正を迫るような方向で行なわれてきたと言えます。すでに触れた人類学者の裏の顔です。テレビのクイズ番組やある種の「アフリカ(だけには限りませんが)特集」などに見られる他者に対する興味本位の詮索は、他者の排除へ向かいますが、相手をもっとよく知ろうという営み自体は、前提となっている隔たりを問いなおし、新たな共同性へ向けての関係の模索にもなりうるのです。かなり無力ですが。

話がちょっと抽象的になりすぎたようです。またいくぶん「きれいごと」っぽくもあります。実際の民族誌家の姿はというと、それは行きがかり上かかわりあうことになった特定の「民族誌的他者」に単にとりつかれた人間にすぎません。この本の執筆者の中には、例えばフィリピンのアエタと呼ばれる人々についての、あるいはアフリカのドゥルマ、ギリアマ、ディゴなどの人々についての我が国における「権威」がいます。別に威張っているわけでもないし、誰かにそう認められているわけでもありません。ただ、ほかにやっている人がいないというだけです。これはもうほとんど「おたく」の世界ではないでしょうか。一般教育としての人類学を、この「おもての顔」で紹介することが難しいのも当然でしょう。ただ、人類学者が自らの日常についての少しばかり懐疑的で反省的なまなざしをその共通のセンスとして身につけているとすれば、それはこの一見「オタク」的な他者とのかかわりにおいて身につけられたものであるということを、理解していただきたいとおもいます。

この本は、将来人類学を専門とするつもりなどさらさらない大多数の皆さんを一応のターゲットにしています。出も、もしこの本を読んで人類学に興味をもたれたら、是非仲間に入ってください。人類学は皆さんを呼んでいます。ほかの学問も呼んでいるけど。

付記

この本は九州の福岡市周辺にいてしょっちゅう顔をあわせている人類学者が中心となって作られています。いっしょに研究会を持っている人々ですが、別に狭い仲間意識や地域主義で執筆者が選ばれたわけではありません。単に編者が目先の状況でしか動かない怠惰な人間だったというだけのことです。多くの章は執筆者たちが実際に講義で話した内容を元にして書かれています。いろいろ重要な項目が抜け落ちていますが、それはまたの機会(そんなものがあれば)にしたいと思います。最後にひとつ重要なことわりをつけておきます。この本の中でも人類学者が研究してきたいろいろな社会の事例が用いられています。それぞれの事例のもとになった調査の時期は、当然まちまちです。20世紀初めごろの資料もあれば、ごく最近のものもあります。しかし便宜上すべての事例は「現在形」で紹介されています。取りあげられた人々の現在の姿とは大きく異っている可能性があります。どうかこの点は誤解しないようにお願いします。


Mitsuru_Hamamoto@dzua.misc.hit-u.ac.jp