virtuality

まさかこんなに頻繁に講義の補足をするはめになろうとは思ってなかったぞ。ま、自業自得なんだけど。連休明けの今週の講義では、最後の２０分で一番問題多い議論をかけあしで提示するなんてことをやっちゃったわけで、案の定「よくわからなかった」という感想の山でした。前半の話を簡単に済ませて、こちらに時間をもっと割くべきだったなと。

１

ヒトが（言語）記号を使用することによってアクセスし、そこに棲みつかねばならなくなった世界の特徴を、「ヴァーチャル」って言葉で比喩的にとらえる試みだったんだけど、もしかしたら（もしかしないでも）失敗だったかも（いや、失敗だった）。

その理由の一。おそらく皆さんがほとんど読んでいないはずのドゥルーズの「ヴァーチャル」概念などをもちだして、「ここではそういう意味で使おうとしているわけじゃない」とか、なんでわざわざ皆を逆に混乱させるみたいなことやっちゃったのかなぁ。知らんふりしてたら良いだけのことだったのに。僕本人が自分内部的に「対処しとかなくっちゃ」と思っていると、ついそれをしゃべってしまうって悪い癖がついでてしまった。

その理由の二。そのくせ、「ヴァーチャル」って言葉の、巷でもっとも広く理解されている意味や使い方については、これじゃあ駄目だよね、とかで簡単に済ませちゃった。でも皆の感想を読むと、やっぱりこの通常の使い方に縛られちゃってるみたいだね。てことは、こっちにこそもっと丁寧に対処しとくべきだった。けっしてこちらの努力不足を棚に上げて、おまえら頭固いな、なんて言いませんです。

その理由の三。僕は、ヴァーチャルをコンピューターの virtual memory（仮想記憶）の概念を中心事例にして展開しようと思ったんだけど、これって個人的趣味に走りすぎてました？この事例自体が良くわからなかったという感想もあった。

その理由の四。仮想記憶 virtual memory での「ヴァーチャル」って言葉の使い方をもとにして、記号学でいうところのシンボルのインデックスに対する関係を、インデックスのヴァーチャル化っていう風にとらえなおそうとしたわけなんだけど、パースの記号論とかの知識がない人には、ちょっとつらかったかな？もちろん一応、きちんとこれらの用語自体は説明したつもりなんだけど、それでもね...。

でも失敗の最大の理由は、この議論を２０分って時間内に押し込めちゃおうとしたことだな。というわけで、次回の講義で、もう少し丁寧におさらいします。ただ、一応講義には予定した段取りもあるし、あまり一箇所で止まってるわけにはいかないんで、おそらくすべての疑問点をクリアにするってわけにはいかないだろうと。で、ここで（走り書きなのでとてもきちっとした議論とはいえないんだけど）まえもって補足説明をしておこうかと。

２

「ヴァーチャル」をめぐる議論で、僕なんかがやっぱり気になっちゃうのは哲学者の人たちがやっている議論なんだけど（だってお馬鹿な人類学者と違って、あの人たち頭よさそうなんだもんな）、これらはもう忘れましょう。ヴァーチャルって言葉がアリストテレスのデュナミスの概念を翻訳するために作り出された（？）中世後期の新語だったとしても、いまさらその時代のその言葉の意味に遡って議論されても、ドゥンス・スコトゥスとか持ち出されても、ちょっと困るってことです。哲学の人って頭いいかもしんないけど、イヤンです。僕自身は、もう少しこうした議論に付き合っていくつもりだけど、皆さんは無視してください。講義でこの話に触れたのは僕のミス。それにドゥルーズって、僕もあんまりよくわからんし。ただ、ヴァーチャルを現実（実在）／非現実（非実在）の対立でとらえちゃだめっていうのは、僕も大賛成なんで、まぁそこらへんでつい触れてしまったわけだ。すまんかった。

３

で、問題はおなじみの「ヴァーチャル・リアリティ」「仮想現実」とかって言う際の「ヴァーチャル」だ。もちろん僕も、こういう言葉が広く使われていて、またこの言葉によって現実についての新しいとらえ方が可能だと思うからこそ、ここでヴァーチャルって言葉を使うことにしたんだけど、ちょっと問題もある。この言葉を使う人のかなりの人（ほとんど？）は、このヴァーチャルって言葉を「現実」ってものを考え直す方向で使う代わりに、既存の「現実」ってものにどっぷり浸かったまま、現実／非現実の二項対立の中で使っちゃってるってことだ。

その人たちにとっては結局「ヴァーチャル・リアリティ」ってのは、本物の現実に対する作り物、にせものの現実ってことにすぎない。要するに非・現実ってことだ。それならヴァーチャルなんて言わないで、すなおに擬似現実とかまがい物現実とか言えよ。さらに厄介なことに「ヴァーチャル・リアリティ」の問題に技術的にかかわっている人たち自身が現実／非現実の対比で考えちゃってる節がある（もし誤解なら許せ）。彼らの課題は、日常的自然的に「現実」を経験する際の実在感と同等の実在感を、技術的人工的にどうやって与えることができるか、という形をとる。ある論者は、この意味での「ヴァーチャル・リアリティ」はむしろ「人工現実感」と表現する方が妥当かもしれないって言っている（註１）。この技術がもし完璧になったとしたら、映画マトリクスのような世界が出現する。ヴァーチャルにビルをぶっ壊しながら、まるで本当にビルを壊しているような経験をもつことができるってわけだ。だけどこの言い方自体が、「でも＜本当は＞壊してないんだけどねー」って暗黙の理解を含んでるわけで、にせもの・作り物の現実／本物の現実って区別は微動だにしていない。

もちろんヴァーチャル・リアリティってものに魅せられてる人は、もし技術的に作り出された現実感と自然に経験される現実感が、技術の極限的進歩の結果区別できなくなりうるんだとしたら、自然に経験される現実感が対応してることになってる「本物の現実」ってものの地位もちょっと危うくなるんじゃないかって感じて、ビビったリワクワクしたりするんだろう。ヴァーチャルな現実／本物の現実って区分が曖昧になって、もしかして現実ってもともとヴァーチャルなものかも、ってところまで突っ走るのも楽しい。でもヴァーチャルって言葉が、いつまでたっても現実（実在）／非現実（実在）の対立の中で「擬似の、うそっこの、にせものの」って意味を引きずっている限り、この「現実ってもしかしてヴァーチャル？」っていう疑問も、ただの想像ごっこの域をでないものになっちゃう。そんな風に想像したらちょっと楽しい、でも実際はそうじゃないことを知ってるから安心、ってね。

４

本物の現実、本当の経験、こういったものを自明のものとして想定するかわりに、そもそも僕らが本物の現実、本当の経験と呼んでるものがどんなふうにして成立してるんだろうと考えてみるべきじゃないだろうか。うその現実／本物の現実って区別をあたりまえだと思うのを止めてみよう。前回の講義で、僕がうまく示せればいいなと思っていたのは、僕らが本物の現実として経験しているものがヴァーチャル化によってできあがっているってことだった。ただしここでのヴァーチャルっていうのは擬似化、嘘ッこってことじゃないぞ。本物の現実がまがい物を作るやり方で出来上がっているって、もう話がめちゃくちゃになってしまう。

そのために、偽もの／本物の区別にすっかりからめとられたヴァーチャル・リアリティについての技術や議論からちょっと離れ、ヴァーチャルがけっして「にせもの」って意味じゃなく、技術的につかわれていた例から、再出発しようってわけだ。でコンピュータのヴァーチャル・メモリーつまり仮想記憶の話なんだけど、もちろん仮想メモリーってのはうそのメモリーとかにせもののメモリーって意味じゃ全然ない。ユニックスにもウィンドウズにもヴァーチャル・メモリーの技術が使われている。にせもののメモリーを積んでるなんてことになると、怖くてパソコンがいじれない。しかも、ここでのヴァーチャルっていう考え方は、実際にはヴァーチャル・リアリティ技術におけるヴァーチャルと概念的には同じものだ。「まがいもの、うそ」という余計な要素が付け加わっていないだけで。

講義では、ヴァーチャル＝仮想って翻訳もちょっと居心地が悪いなって、言ったと思う。仮想っていうと「実在しない」って意味がどうしても、ともなっちゃうからね。ただはっきり贋とか擬似とか言うのとは違って、少し救いもある。仮想＝「（仮の）見なし」と考える余地もあるからね。それだとヴァーチャル・リアリティ、仮想現実ってのは「見なし現実」ってことになる。「（仮に）現実だと見なすことができるもの」ってわけだ。でも良く考えたら、僕らがまさに現実そのものだと見なしているものが現実にほかならないんだから、すべての現実は当然「見なし現実」でもあるわけで、実にまっとうな話になる。「仮に見なす」ってのと、「本気に見なす」ってのとの差なんてちっちゃなもんだ。

ご存知のようにコンピュータは、たいがいＩＣチップの形で物理的な本体メモリを搭載している。実行時にプログラムやデータはそのメモリ上に置かれて実行される。メモリには番地がふってあり、プログラムはその番地によってコードやデータがメモリ上のどこに置かれているかを知る。たとえていうと番地表みたいなものがあって、それに従って置き場所を指定すると、物理メモリのそれに対応した場所に置かれるようになっているってことだ。

でもこれだと、プログラムが大きくなると物理メモリはいくらあってもたりなくなる。そこでできたのが仮想メモリって仕組みだ。仮想メモリってのは、アクセス速度は速いけど値がはって大量には積めない物理メモリと、アクセスは遅いけど、安くて大量の領域を確保できるハードディスクの一部の領域をつかって、まるでどでかい物理メモリがあるのと同じような処理を可能にするしくみだ。

プログラムは（っていうかそれを作る人は）何ギガもあるどでかいメモリ空間の番地表のいろんな番地を使うことができる。実際の物理メモリは何十メガくらいしかないかもしれない。実は、当座つかわないコードを、こっそりハードディスクに退避させて空いたところに、当面使うコードを置くといった感じですくないメモリをやりくりしている。いわゆるスワップってやつだ。プログラムの方では、そんなやりくりの仕組みを意識する必要がなく、ただメモリ空間が何ギガもあると見なしてしまってよい。

仮想メモリの仕組みのないシステムだと、プログラムが扱う番地表は、それに見合う大きさの物理メモリと結びついている。仮想メモリの仕組みでは、番地表は、もはやそれにみあう巨大な物理メモリの存在とは結びついていない。いわば番地表と、それががかつて指していた現物リファラントとの関係が切れてしまっている。でもそれは、それに対する現物リファラント（物理メモリ）が存在しているのと同じような仕方で使われる。（もしこの説明で間違っていたら、教えてください。やっぱり専門外なもんで）

かつてはプログラムにとって、搭載されている物理メモリがそのメモリ空間に他ならなかった。仮想メモリの仕組みでは、プログラムにとってのメモリ空間は、もはや搭載している物理メモリを指示してはいない。でもそれはプログラムにとってはかつての物理メモリがそうであったのと同じく、れっきとしたメモリ空間なんだ。

ちょっと注意しよう。これを「本当は」存在しないメモリーを、まるでそれが存在するかのように見せかけてるんだ、なんて言ってしまうと擬人化が過ぎることになる。別にコンピュータやプログラムを騙してやろうってわけじゃない。ましてや本物のメモリに対して、にせものあるいはまがい物のメモリというわけでもない。単に番地表＝プログラムが当てにして良いアドレス空間＝メモリ空間と、物理メモリとの、かつてあった一対一の関係が切れたってだけのことだ。かつての仕組みだと、ある大きさをもった番地表は、それ相応の大きさの物理的メモリが実装されていなければ、それにあわせたアプリケーションはけっしてまともに動いてくれない。今の仕組みだと、それ相応の物理的メモリがなくても、サクサク動いてくれるってだけのはなしだ。番地表とそのリファラントの関係が変化しちゃったんだ。このリファラントとの関係の変化、これが仮想化、ヴァーチャル化ってことの意味だ。

５

さて、ここまで話を進めてきたら、きっとすごく勘のいい人は、おや、これって言語記号とリファラントの関係、言語の学習のある特定の局面とすごく似てるんじゃないか、って気がつくに違いない（気がついてくれー）。そう、まさにそのとおりなのだ（自作自演、みじめである）。

それを理解するのに、Ｃ・Ｓ・パースが行なったインデクスとシンボルの区別について知っておくと便利だ。パースは記号とそれが指示する対象物との関係の違いで、記号をイコンとインデクスとシンボルに分類した。今、問題なのはインデクスとシンボルとの関係だ。イコンの話はちょっと脇によけておこう。

記号とそれが指示する対象物との関係が、両者の因果的あるいは時間空間的連合に、つまり両者が同じ時間的空間的コンテキストを共有しているって事実にもとづいている場合、その記号はインデクスだと言われる。煙を見ただけで、あ、何か燃えているなと思う、これが煙が火のインデクスになっているっていうことなんだけど、こんな風に煙が火のインデクスになるのは、煙が出ている場面で、必ず何かの燃焼が起こっていることを見出すといった反復的経験を通じて、煙と火との結びつきを学習した結果だ。ある人のタバコを持つ指がぶるぶる震えているのを見て、やばっ、切れるぞっと思う。指の震えは、やがて起こるべき感情の爆発のインデクスになっている。両者の結びつきを繰り返し経験することを通して、学習した結果である。

それに対してシンボルは、シンボルとそれが指し示すものとの結びつきが、いわば社会的約束事でそうなっているような記号のことだ。ハトが平和と結びつくのは、別にハトが上空を飛ぶのを見るたびに戦闘が程なく終結したなどという経験の反復にもとづいていたりしない。まぁ、平和公園とかでよく飛んでたりはするけど。ちなみに私の調査したドゥルマでは、ハトは妖術使いが犠牲者を攻撃する際に遣わす使い魔だ。夜中に鳴いたら、屋敷の誰かが死ぬって印だ。いやなやつらなのだ。その肉など汚くって食えたもんじゃない。さらにちなみにスーダン北部のある社会では、ハトは女性の美しさ優雅さと結びついていて、その肉はもっとも清らかで美味しい肉だ。おっと話がずれていく。要するに僕らの社会で、ハトがなぜか平和を意味したりするのは、習慣のような感じでただそう決まっているからなだけで、ハトと平和が因果的、時間空間的に連合してたりするからではない。いわゆる僕らのつかう言語記号は、ほとんどがシンボルだってことになる。

人間だけでなく、他の動物もさまざまな出来事を、なにかのイコンやインデクスとして解釈しているし、動物同士のコミュニケーションは、威嚇の叫びや警戒音から、フェロモンやらによる嗅覚媒体によるコミュニケーションにいたるまで、もっぱらこうしたインデクスをもちいたものになっている。一方、何かをシンボルとして解釈するのは人間だけだと言われている。まぁ、ここまでは記号学とかの入門書の類には、どこにでもかいてあるような説明だ。って、講義ではちゃんと説明しないですまんかった。

６（註２）

インデクスとシンボルとの区別は、まあこんな感じなんだけど、こんなふうに書くとインデクスとシンボルとは、最初っから全然別種の、原理からして違った存在であるみたいに聞こえちゃうので、ちょっとまずくもある。もちろん両者のあいだのギャップはすごいんだけど、まるで無関係だってわけじゃない。それどころか人間だって、ずっとインデクス的なコミュニケーションの世界にどっぷりつかっていて、進化の過程でシンボルを獲得したわけで、まさか全くの新発明か神様からの突発的な贈り物みたいな形で、それまで使っていたコミュニケーション様式とは何の関係もないものを手にいれたなんて訳でもあるまい。インデクス的なコミュニケーションからの発展として、それを理解しなくっちゃ、それこそ２００１年宇宙の旅とか、神の恩寵とかの話になってしまう。人間ったって、そんな特別存在じゃないって。

そもそも子供が言葉を学ぶ場面を考えてみよう。犬を指さして、「ほらワンワンだよ、ワンワン。ワンワン可愛いねー。」なんて感じで、言葉を叩き込んじゃあいないだろうか。チンパンジーにシンボル的な記号を学習させる試みがされてて、また成功しているんだけど、それも第一段階は、ひたすら気長に、ある記号とそれが指し示すリファラントとの結びつきを、同じ時間的空間的コンテキストのなかでの連合の学習を通して学習させることからなる。

なんだ、それだったら、うちじゃ犬にだってやってるぞ、という人もいるかもしれない。我が家の場合は猫だが、フ○ス○ー・モン○チの缶の底を、指で軽く打ちながら「ほいほい飯だぞい」というと、もう尻尾立てて大喜びだ。ちゃんと「飯」って言葉の意味を理解してるんだよ。賢いやつだ。なんて、あんた馬鹿ですねー。別に言葉として理解しているわけじゃなくて、一連の飼い主の動作と叫びと、それに続く餌の提供との、この一連のコンテキスト内でのインデクス的な結びつきが学習されているだけなんだね。

重要なのは言語の学習でも初期においては、この同じレベルの学習が起こっている。つまり同じ時間的・空間的コンテキストのなかでの連合にもとづく、インデクスの学習が起こっているわけだ。シンボルの学習においても、初期においてはインデクス学習のプロセスがかならず入ってきている。

しかし、シンボルとインデクスの違いはこの先にある。人間の子供はシンボルとしての言語記号をぐいぐい学んでいく。でも、繰り返すようだが、うちの馬鹿猫ときたら言葉を言葉としてはまるで理解してなどいない。「めし」という音を聞いて、それが餌を意味するから喜んでいるんじゃない。その証拠に缶の底をたたいて言う言葉が「すぽころぴょーん」だったとしても「きさーんくらっそー」だったとしても「しばいたろかー」だったとしても、そんな風に学習していれば同じように、大喜びするようになっていただろう。

言語の習得は、同一コンテキストでの連合をとおして、記号とそれが指示する対象との結びつきを、何十何百組学習したところで、けっしてなしとげられない。もしそれができるのなら、パブロフ的実験を犬に対して辛抱強く繰り返せば犬も言語が学習できるはずだってことになってしまう。

違いはこうだ。シンボルとしての言語記号が使えるということは、それが指し示しているたとえば犬が、その場にいなくとも、その気配すらなくても、「わんわん」という言葉で犬を意味することができるということだ。実は、これはすごくたいへんなことだ。パブロフの犬の場合、ブザーの音の後餌を与えるってことを繰り返すことによって、ブザーの音を餌がもらえることのインデクスとして解釈することを学ぶ。ブザーの音は、その犬にとって「餌」を＜意味している＞んだ、なんて言いたくなってしまう。でもシンボルとしてそれを使うということは、せっかく学習したコンテキスト内での連合を一度ご破算にしてしまわなけりゃならない。指し示すものとの時間的・空間的なコンテキスト内での結びつきから、記号を解放してやらなければならない。その指し示すものが存在しない全然別のコンテキストで使用可能にしなければならない。でなおかつ、それがかつて指し示していたものとの関係を保ちつづけていなければならない。

どうやってこれを学ばせればいいだろう。インデクス的な結びつきを学習させるのはわりと簡単だ。パブロフの実験みたいに同じコンテキストの中で繰り返し提示してやればよい。でもこのコンテキストからの切断をどうやって学習させろというのだろう。ブザーがなっても、餌が絶対出てこないような状況を繰り返し経験させる。あるいは「飯だぞい」と言いながら、何もやらないってことを繰り返す。でもこれだと、犬は単純に餌のインデクスとしてブザーに反応しなくなるだけのことである。単に連合の学習が解消されちゃっうだけのことだ。犬はどうしてもシンボルとしての言語は学んでくれそうにない。犬も猫もインデクス世界の住人なのだ。彼らのメモリ空間は、つねにそれに対応する物理メモリの存在によってささえらる必要がある。チンパンジーにとっても、ここのところのジャンプが一番むずかしいみたいだ。でも彼らはそれをなしとげるらしい。当然人間はやすやすと飛躍して見せることができる。

もうおわかりだろう？人間も、もちろん動物だからインデクス世界に生きている。ちょうどいくら仮想メモリってっても、物理メモリを全然搭載しないってわけにはいかないようなもの。言語記号の学習の初期においては、まずそれをインデクスとして学ぶところから始めざるをえない。現物が同じ時間的空間的コンテキストにないと、記号の意味を教えられない。でも仮想メモリの仕組みが、プログラムにとってのメモリ空間（論理アドレス）と物理メモリ（物理アドレス）＝リファラントとの対応を解消して、後者に依存しない広大なメモリ空間を可能にしたように、人間の場合、インデクス世界を作り上げる記号（論理アドレス）と指示対象＝リファラント（物理アドレス）との学習された連合をいったんぶちきることを通して、対象とのコンテキスト内での共起に依拠しない記号によって描かれた世界の住民となることが可能となっているわけだ。つまりわれわれの用いている言語記号は、インデクス記号をヴァーチャル化したものなんだね。

なんでいきなり仮想メモリの話が再び登場したのかって？説明するまでもないと思ったんだけど、メモリの仮想化（ヴァーチャル化）っていうのは、実はインデクスからシンボルへの移行とまったく同じ形をしている。かつてのシステムでは、プログラムが相手にする番地表（論理アドレス空間＝メモリ空間）は、それと時間的・空間的コンテキストを共有する物理メモリ（物理アドレス）との結びつきを必要としていた。つまりそれは物理アドレスに対するインデクスだった。メモリのヴァーチャル化は、この結びつきを切って、番地表をシンボルとして使用するということと同じとも言えるんだ。

仮想メモリは、物理メモリとハードディスクのような二次記憶装置とを組み合わせてやりくりする仕組みのうえに実現している。人間の言語におけるインデクスのヴァーチャル化はなにによって可能となったんだろう。これはもうこんな断章で議論するような話じゃないけれど、シンボル記号、つまりヴァーチャル化したインデクス記号が、相互に支えあうというか、参照し合うようなシステムの成立を介してなんじゃないだろうか。そう考えると、ソシュール風の構造言語学が主張していることとも符合しているみたいだ。

それはともあれ、人間は言語記号の使用を通じて、インデクス世界（そこでは同じ時間的・空間的コンテキストの中で共起するもの同士の連合関係の網の目に存在は絡みとられている）からヴァーチャル世界へと自分の住む世界を作り変えた。その世界で存在を絡めとる無数の網の目は、もはやそこに実在するもの、今ここの時間的・空間的コンテキストにおいて共起するもののみからではなく、去年はいたが今はもういなくなったもの、やがているかもしれないもの、ぜったいいっこないし、こんごもいそうにないもの、これらの無数のヴァーチャル化したインデクス＝シンボル記号によって作り出された網の目である。「おおかみ」って言葉で話をはじめさえすればよい。そこには動物園で３０年程前にその実物を一度見たことがあったかなかったすらさだかではないヴァーチャルおおかみがしっかり出現している。それどころか、目の前に広がる今このコンテキストに重ねあわされるように、何百キロか離れたところで真っ白な車列を黙々と走らせている人々やら、お化けやら、にくたらしい上司やら、どこかで自分に思いを寄せてくれてるかもしれないまだ見ぬ女性やら、来月是非手にいれたいＣＤやら、なんとも騒々しいことこの上ない。こういった世界が僕らの経験する「現実」なわけで、それはどうにもヴァーチャルなんだけど、にせものでもまがいものでもない紛れもない現実なんだな。

あ、そうだ。受講表のなかに質問で、姿の見えない飼い主をじっと待ちつづけるハチ公を例に出して、犬だって同じでは？っていうのがあったけど、ハチ公は単に気が長いだけ、学習したインデクス関係にしっかりがんじがらめになってるだけなんだよ。すごい長い時間的コンテキストのなかで、ちょうどパブロフの気の長い犬がブザーの音がしてから何時間もじっと餌が出るのを待ち受けているように。ヴァーチャル世界の住人の場合、バーチャルな飼い主について、今頃きっと友達と酒でものんで楽しんでるんだろうな、こんちくしょう、などといった複雑なシンボル操作に余念がないところで、インデクス世界の住人の犬はただじっと起こるべき筈のことが起こるのを、待っているだけなんだな。インデクスは、同じ空間的・時間的コンテキストの中にそれが指し示すリファラントが属してくれていないと成り立たない。シンボルについてはそんなことはない。「おおかみ」という言葉が発せられたからといって、あたりにおおかみがいるはずだとか、じっと待っていたら本物のおおかみがやがて（数分後か数年後かそれはどれだけ気長に時間的コンテキストを構成しうるかにかかっているが）現れるだろうとか、ついさっきまでおおかみがいたんだな、とか考える人はいないだろう。ま、ときには言霊（ことだま）とか言って、言語記号がまるでインデクスみたいに感じ取られちゃうようなこともあるにはあるが。

７

がぁっ。もう４時か。疲れたぞ。天気のいい土曜の午後をひっきぃ状態でずっとこんな文章を書いてたなんて、ちょっと悲しいぞ。文章の乱れは疲れの表われだから、これ以上書いても、また再度補足ってのは目に見えている。

最後にもう一頑張りして、ここまでの議論から浮き彫りになってきた（と本人が勝手に思っている）ヴァーチャル化という関係を形式化しておこう。

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それにしても今回つくづく思ったのは、比喩を使うことの難しさだ。比喩ってのは、ある意味で、言葉をすっごく乱暴に扱いまわすことだ。でもそのなかで面白い発見や、おやっという真理が仄見えたりする。でもそれを、今ここでやったみたいにぶちぶち説き起こしてみたら、なんだかちょっとつまらなかったりする。はっきり言って、自分でもつまらなくなってしまった。そんな風に説明できるんなら、じゃ、なにもヴァーチャルなんて問題ありな言葉つかわないで、最初からそんな風に説明したらいいのにってね。でもヴァーチャルという比喩でなんとなく見えてくる部分を大事にしたいって気もする。

まぁ、比喩は慎重に使うにこしたことはない。言葉は大切に使おう。もっとも日本語の方では僕に大切にされたって少しも嬉しくないかもしれないが。まぁ、そういわずに、たっぷり可愛がってやるから、覚悟しとけってことだ（？）。

註

（註１）安彦一恵 2001　のなかで紹介されてます。

（註２）シンボルを学習することの困難さと問題についてはテレンス・Ｗ・ディーコンの議論がすごく刺激的だ。私が上で書いたことなんか、もうほとんど受け売り。だからちゃんとした議論が読みたい人はディーコンを読むべし。

参考文献

安彦一恵 2001「「ヴァーチャル／リアル」という問題－－現代世界の問題として－－」（日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業　電子社会システム　「情報倫理の構築」プロジェクト編『情報倫理学研究資料集Ⅲ』）

テレンス・Ｗ・ディーコン 1999(1997)「ヒトはいかにして人となったか：言語と脳の共進化」金子隆芳訳、新曜社

ヴァーチャルな世界

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