ずいぶん間があいてしまったが、このかんの事情を少し。この「断章」の文章群をめぐる事情について語る気持ちにようやくなれたということである。
一昨年の暮れ、私はチューニングぴったりの話し相手を失った。すっかりやる気もなにも失い、次第に思考回路まで妙な具合になってきた私は、妻の49日が過ぎたあたりから、とにかく「何か」書いてみて、その状況を打開しようと思った。それまでならこの相手に話していたようなしょうもない思いつきや感想の一部を、とりあえず人類学に関するという限定のうえで、それらが狂った思考回路の軋みのなかですりつぶされてしまう前に、ときにあまり飲めないアルコールの助けなどかりつつ、放り出すことにしたのである。それがこの「断章」の支離滅裂な文章群である。読み返すのも恥ずかしいし、読み返す気もないので、以来読み返したことはない。後は大学の講義とゼミだけに集中した。
一定の治療効果はあがったのではないかと思う。私のとなりにある空虚にも今ではすっかり慣れた。
さて、夏学期をなんとか無難に終え、夏休みに入ってほっとしたと同時に、こんどは身体の方がおかしくなってしまった。身体のバランスがとれなくなり、ほぼ常時眩暈の状態で、書いたり読んだりの基本作業すらしばらく不可能になってしまった。9月にはいると、症状は少しましになった。が、気が向いたときに首をかしげると、いつでもジェットコースター急降下が楽しめる人間遊園地と化してしまった私は、毎週の東京福岡往復の乗り物酔いの楽しみとともに、もう講義に穴をあけないことだけをひたすら目標に毎日を送った。冬学期の講義のテーマに、私には似つかわしくない、植民地時代のケニア海岸部の歴史などを選んでしまったせいもある。調子が悪いときには、しんきくさい地道な作業に限る。
大学・大学院の入試関連の業務が終わった3月、私は実に5年ぶりにケニア海岸部の私の調査地を訪れた。たった3週間の日程だったが、大乾季の終わりの太陽とドゥルマの友人たちの叱咤激励が、私の頭の配線を最終的にみごとに焦げ付かせてくれた。一昨日帰国したばかりだが、頭の中はいまだに焦げ臭い。香ばしいうちに、中断していた思考作業を再開しよう。
4月からの夏学期には、私は何年ぶりかで一般教育科目の人類学を担当する。良い機会なので、私は人類学が当初もっていた理論的野心をもういちど掘り返してチェックする作業に着手したい。講義では「文化」概念の純理論的可能性の一つを検討する予定でいる。人は地球上さまざまな場所において、さまざまに異なる存在条件のもとで生きている。こうした人々の社会的生存実践が、どのようにしてどんな程度に秩序だった実践として成立しているのか、私は「文化」の理論的可能性の一つが、この制御システムを主題化し、その特徴を明らかにしようとすることであったと考えている。講義ではヒトの霊長類からの進化の過程(ボールドウィン型進化のモデルはおそらく人間の記号コミュニケーションの理解にも適用可能だろうと思う)から始まり、人類学上のさまざまなトピックに触れつつ、記号によるコミュニケーションがどのような仕方でそうした制御システムの役割を果たしているのかを順次明らかにしていきたいと考えている。
この再開「断章」においては、夏学期のこの講義テーマと関連した、そして講義の中では時間をかけて論じることのできないさまざまな補足的議論を必要に応じて書いていくことにしたい。
2003年3月29日