言説空間。

今な、ちょっと酒飲んでええ気分やねん。実は昨日までリンパが腫れあがって熱出しとったんや。体の免疫力が低下しとるみたいで、かなんな。けど、今日は朝からえらい調子ええから、夕方になって久しぶりにちょっと安もんのぶどう酒飲んだら酔ってしもたんや。なんかちょっと大風呂敷広げたろかー言う気分や。ま、最後まで書き上げるかどうかわからへんけどな。これがもしウェブ上に登場しとったら、ま、最後まで書きあがったちゅうこっちゃな。ほな、行くで。

人類学言うてもいろんなやり方があるやろ思うけど、わしは研究対象を言説空間、まあ一種のコミュニケーションのスペースみたいなもんと捉えとる。これ実はすごい曖昧な言い方やねん。誤魔化しとったわけやないんやけどな。このスペースには二重の意味が重ね合わされとる。実際に人がコミュニケーションを交わすネットワークっちゅうか、回路ちゅうかのイメージ、これが一つ。それと、そこを流れる語りが互いに互いを参照したり関係しあったりしながら作り上げとる一種の意味空間ちゅうか論理的なスペースのイメージな。このどっちともとれるような言い方やねん。ほんま言うと、この二種類のグリッドちゅうか、ネットワークちゅうかの交叉の上に、ホログラムみたいに立ちあがっとる現実世界(リアリティ)までイメージしたら完璧やろ。そやけど、これいっぺんに研究するんは難しから、ほんまは分けられへんねやけど、仮に分けて研究するしかないやんか。

まず人々が互いにコミュニケーションや相互行為を通じて語りを流通させる回路そのものの研究。単一の閉じた回路とかネットワークとか考えたらあかんで。ものすごグローバルなもんから、めちゃローカルなもんまで、いろんな広がりもった複数のネットワークとか回路とかが、それぞれ異なる強度で交錯したりつながりあったりしとるんや。次に、それぞれの回路を流通しとる語りの研究。それぞれの回路ごとに、流通しとる語りが織り成しとう意味の空間があるやろけど、それが相互に干渉しあったり交叉したりしとるやろから、その関係もあきらかにせなあかん。こんな風に出来あがっとる言説空間上で、いったいどんな行為がどんな風にからまりあって、どんな出来事を生起させとるんやろか。あるいはこんな言説空間でどんな想像力が可能となっとって、どんな想像力がどんなふうに人を呪縛しとるんやろか。そこにどんなリアリティが立ちあがっとるんやろか。

どや。なんや宇宙的なイメージやろ?しかもこれ、いつもぞわぞわ動いとるねんで。どのネットワークも閉じとらんし、異質なものを排除したり取り込んだり、切れたりつながったり、いそがし話や。そこを流れる語りも、なんやパターンに収束しそうに見えたかと思たら、いきなり別の結びつきの可能性が開いてしもたり、ウィルスメールみたいなもんが流れて構造そのものがへたれてしもたり、何がおこるやわからへん。そんななかで人はまるで何かにとりつかれたみたいに呪縛されたり、そこからすこっと離脱したり、いろんなリアリティを夢見とう。ほんまにせわしないこっちゃ。

なんか、わし、ほんまに酔うとるな。飲みながら書くなちゅうんじゃ。その割には文章まともやけどな。て自分で言うか?でも酔うとる。まぁ、このサイバーな宇宙みたいなイメージ。こんなもん、まともに研究できるわけないがな。そやけど、正直言うて、わしいつもこんなイメージ、頭に浮かべながら研究やっとったような気ぃするわ。現実には、そら、こんな全体を見通せるようなポジションあらへんからな。こんな全体につながっとるんやろなぁとか思いながら、わし自身、いろんなコミュニケーションの回路の一部に引っかかりながら、そこから手に入る局所的な風景をとにかくきちんと分析したろと思とうだけやけどな。

今日な、こんなことちょっと書き留めたろ思たんは、ヨッぱらっとうからだけやのうて、まぁ、次の研究プランのことが頭に引っかかっとるからや。ほんまやで。そういうことにしよやないか。次の研究ゆうたら妖術論や。具体的に何せなあかんのか、もうちょっと明確にしとかんことにはいつまでたっても取り掛かれへん。

前の研究(「秩序の方法」にまとめたやつな)では、わし、コミュニケーションの回路の方の問題には立ち入らんようにして、もっぱら回路を流れる語りの方の問題、個々の「陳述」の場から切り離された無記名の「文」が織り成す意味空間やな、そっちの方だけに集中しとったんや。まだ誰もそのことで文句言うて来とらへんけどな。そやけど今度やる予定の妖術論やと、どうもそれやったらあかんみたいなんや。何について誰とやったらどないな風に語ってようて、誰には何がぜったい話せんことなんかとか、妖術の語りゆうたら、そこらへんがめちゃめちゃセンシティブなんや。もろ回路の問題がかかわって来てるねん。それに問題なんは、語られてることの内容だけやない。陳述の問題、つまり特定の誰かがなんかを語ることあるいは語らんこと、それがそいつの行為としてどんな行為になっとるんか、つまり攻撃なんか、秘密の共有なんか、共謀なんか、非難なんか、真実の開示なんか、欺瞞なんか、ちゅうこととか、もう無視しるわけにもいかへん。なんかちょっとややこしなりそうなんや。

わしが明らかにしたい思とんのは、妖術の犠牲者、ドゥルマ語では「妖術にとらえられとる」ちゅうけどな、この妖術にとらえられとるちゅうことがどういうことなんや、ちゅうことや。今までのわしのやり方やったら、なんやうまく行かへんねん。妖術についていろんな話、集めたで。体験談とか一般的な話だけやのうて、実際の告発とかにもつきあって、その一部始終についても記録しとるしな。関係ない第三者やったことも、告発する方に回ったこともある。告発される人の側にまわったこともある。どっちもわしの友達ちゅうか知り合いやったんや。妖術の治療とか、もういやっちゅうほど付き合うたわ。毒の試罪法とか、妖術師狩りにまで同行したで。ちょっとびびったけどな。それやこれやで膨大なテキストがあるんやけど、それもとに妖術についてのドゥルマの人らの知識を、その部分的なパターンとか、不整合とか、知識のばらつきとかもふくめてな、どんなに整理してみても、それが現実をどんな風にからめとっとるんか(不幸の説明とかな)を明らかにしてみても、まぁええ線までは行くんやけど、なんやどこまでいっても結局は現実感のない話になってしまうんや。最後につい「と人々は信じとる」という一句を付けとうなってしまう。これ、「わしにはようわからんけどな」ちゅう理解の失敗の告白に過ぎひんやんか。

ちゅうわけで、おそらく意味空間としての言説空間を記録して分析するだけやったらあかんのや。

まだ具体的な作業にとりかかったばっかりやけど、なんやこんなことが言えるんやないやろか。「妖術にとらえられとる」ちゅうのは実は3重の呪縛になっとるちゅうことや。

まず妖術についてのドゥルマの語り口の分析からあきらかになること。妖術にとらえられるちゅうんは、「妖術使いがおそらくしかじかの薬を使っておこなった攻撃にさらされている」ちゅうことや。相手の仕掛けた術に呪縛されている、ちゅう人々の語りの中で文字通り表明されとることやな。

これに対して「と人々は信じとる」と付け加えとうなる「わし」の目には、これは別の種類の呪縛に見えるわな。つまり「妖術にとらえられとる」ちゅうとる人らは、妖術をめぐる語り、妖術をめぐる想像力に呪縛されとるんや、ちゅうわけや。妖術の語りがどんな風に現実を巻き込んで、自らのリアリティを獲得するかちゅうことやね。妖術の語りがいかによう出来た話かっちゅうことや。ここまでは「秩序の方法」でやったんとおんなじような分析で明らかに出来る思う。

そやけど、話がようできとるちゅうだけやったら、妖術の想像力の呪縛力はもうひとつ説明でけへん思う。たぶんな「妖術にとらえられとる」ちゅう人らは、別のもっと現実的な呪縛のもとにもあるんやないか。結論から言うと、ちょっといびつなコミュニケーションの回路にも呪縛されとると言えるんやないやろかっちゅうわけや。

妖術の犠牲者は(1)妖術(2)妖術の語り(3)それが語られる関係網、の3つに同時に絡みとられとるちゅうことやね。人々自身にはもっぱら(1)として経験されとる、あるいは語られとるんやけどな。

付記

なんやこれ。一晩置いて見直して、どないしよ思たで。だいたい後半で書いとうことって去年のゼミで繰り返し言うとったことちゃうんか。なにを今更や。やっぱり酔っ払いは頭がどうどうめぐりしとるだけや。載せへんとこか思たけど、そのまま載せて、アホさらしといたる。今からタグ埋め込むのもアホらしけどな。 わしほんまは今週は、人類学的な説明の中の「比喩」に注意しよっちゅう話しよ思とったんやけどな。邪魔されてしもたわ。わし自身が別人格やのに、まだ輪をかけたアホが出てきよって、ほんまどもならんわ。 今後は飲んだら書くな、書くなら飲むなっちゅうこっちゃ。


m.hamamoto@anthropology.soc.hit-u.ac.jp