「文化」のモノ化

前回の「『文化』という言葉で語られる...」についてだけど、皆さんが受講票に記入したコメントのいくつかに即日反応してしまったせいで、ちょっと雑な議論(ここで出される議論はすべてそうなんだけど)でした(反省)。今週は休講なので、手遅れにならないうちに補足。

あらためて読み返してみたら、60年代の文化人類学万歳みたいに受け取られかねない。これじゃまるで時代に取り残された保守反動の愚痴みたいだなと。事実そのとおりじゃないかと言われてしまいそうなところが我ながらとほほだけど、私自身は別に昔をなつかしんでいるわけでも、昔ながらの文化人類学がいいなんて言うつもりでもなかった。って、なんだか最初っから言い訳がましいね。

それと、言うまでもないことだが(居直ってどうする)、歴史的経緯とかもまるで無視した議論だった。ある集団を他と区別して特徴付けるものとしての「文化」という観念、ある集団が産んだ「誇るべき」産出物という意味での「文化」という観念、それらの背後にあると想定された、その集団固有の産出原理、国民精神のような観念。これらは特定の歴史状況を背景にして、密接に絡まりあいながら「文化」をめぐるいろんな語り口を生み出してきたと。それは、集団のアイデンティティ、あるいはむしろ集団に仮託した自己のアイデンティティをめぐる語りと、つねに不可分だったのであって、それは今日における「文化の問題」にもしっかりつながっていると。

まぁ、そこらへんは周知の事実ということで(面倒くさいので、そういうことにして)、前回の議論ではすっとばしてしまった。もちろん、60年代の文化人類学がつかっていた「文化」の観念も、この歴史的経緯と無縁だったどころか....というのが実際のところなのだ。こうした歴史的経緯を追うことに興味のある方は、ぜひしっかり追っていただきたい。悪いことじゃない。過去を振り返れば、それだけで現在のことがよりよくわかったり、未来の展望が開けたりすることもある。いつもいつもそんな都合よくはいかないかもしれないけど、ほかにすることがなければ、好きな人にはまんざら無駄な作業でもなかろう。ただ人類学とはどんな学問かと聞かれて、「それは人類学という学問について反省し、その過去について考える学問です」なんて応えるしかない羽目にだけはならないように注意したい。私自身はというと、歴史的経緯にはとくにこだわる方ではない。ほかにやりたいことあるし、めんどうくさいし。

おっと、話がまたそれてしまった。

人類学の「文化」とのかかわりも、こうした歴史的経緯のなかに位置づけられねばならないってのは、もちろんそうには違いないんだけど、前回私が特に強調したかったポイントは、60年代にかけての人類学は、それが引き継いだ「文化」という言葉を用いて、実は全く新たな問題系を切り開こうとしていたってことだったんだ。社会生活がたいていの場合、そこそこ予測可能、計画可能、理解可能なものとして営めているってことは、人間の行動や経験がそれなりに制御され秩序づけられているってことでもある。60年代の文化人類学は、社会の秩序とその秩序を可能にする、社会を構成する個々人の経験と行動に働いている制御の仕組みを、「文化」という概念を中心に据えて、従来の社会理論とはやや異なった新たな角度から再主題化しようとしていたのだっ!

その制御の仕組みが、特定の社会的コンテキストの中での学習を通じて成立するものであること、またそれがけっして地球上いたるところで同じというわけじゃあなく、むしろかなりの違いがみられるってこと、これが問題だった。その問いは、「人間の行動と経験は文化によってどんな風に制御されてるんだろう?」という形で要約されるのが普通だ。「文化」という言葉を用いて歴史的に延々と繰り返されてきたアイデンティティがらみの語りのなかに紛れて、この問題を見失ってしまっちゃいけないってことだ。

でも、こう言ったからといって、60年代の文化人類学の原点に立ち戻れってことじゃない。というのは、せっかく立てられたこの問いなんだけど、もう出発点でかなりまずい状態になっていたからだ。その原因はおそらく、上で言ったことと矛盾するようだけど、人間の行動と経験の秩序化において働いているこの制御を「文化」と呼んでしまったことにある。

「文化」というと、「文化を有する」とか「共有する」とか「持つ」とかいった言い方がよく示しているように、どうしても、どことなくモノめいたイメージがつきまとう(またついでに言えば、「民族」のような特定の境界をもった集団についての想像とも、つい結びついてしまう)。現実には経験と行動の制御が、複雑にパターン化した相互行為の(コミュニケーションの)プロセスの中で行われているかもしれないとしても、モノまがいのものを連想させかねないこの「文化」という用語は、それをプロセスとして思い描くことの妨げになってしまう。その証拠に、当時この方向に考えを進めることができたのはベイトソンくらいのものだった。ベイトソンについては講義の方で、きっちり説明する予定だから、初めてその名前を聞いた人はそのときまで待っててほしい。彼以外の人類学者たちはっていうと、「色眼鏡」だの「フィルター」だの「暗黙の諸前提」だのといった(「前提」という言葉はベイトソンも使ってるけれどね)、いかにもモノめいた比喩を飽きもせず繰り出していたんだ。

特定の社会において人間の行動と経験を制御しているものはなんだろう、という一見無邪気な問いの中に、もう「モノ化」は知らず知らずのうちに入り込んでいる。それを「文化」と名づけることで、それにいっそうの拍車がかかる。こうなるとちょっと始末に負えない。みんなも「文化=人間の行動と経験を制御するもの」と言われて、なにか一種の制御装置のようなものを思い描かなかっただろうか?その最悪の帰結は、それを結局は個々人が各自内蔵すべき何か、身に付けているなにかだと考えてしまうことだ。「色眼鏡」や「フィルター」は結局一人一人が身につけるしかないものだ。単なる比喩だといって馬鹿にしちゃいけない。僕らは結構比喩にしばられて考えている。「暗黙の諸前提」にしても「意味の体系」にしても、この点では似たようなものだ。一人一人がそれらをもっていなかったとしたら、そして一人一人がその前提から自分でなんらかの行動を結論として引き出したり、その体系を使って自分で出来事の意味を算出したりしていないんだとしたら、いったいどうやってそれらが人間の行動や経験を制御し秩序付けることができるって言うんだろう。もっと最近の比喩だと、文化は、社会の成員が情報を処理し行動を組織する一群のプログラム、あるいはOSのようなものだなんて言われたりする。これなんかいい例だ。プログラムは個々人にインストールされているのであり、それを走らすのもまた当然のことだけど、一人一人の個人なんだから。

え?これのどこが悪いのかって?なかなか良い質問だ。以前の私なら、夢中になってしゃべっている途中に、こうした思いがけない切りかえしにあうと、すっかり鼻白んでしまったもんだけど、今はこうして余裕をもって自作自演できるほどだ。

どこが悪いんだって言いたくなるのも無理もない。僕らはこうした言い方に慣れっこになっている。言語だって、文化だって、一人一人が頭の中にもっている装置なんだと。一人一人がそれらを使って、文章を生み出し、言葉を喋ったり、経験に意味付けしたり、行動を制御したりしているんだと。小さい頃からの学習を通じて、僕らはそれらを身に付けるんだと。

でもちょっと考えてみよう。この考え方だと、肝心の社会がどっかへいってしまうんじゃないか?一人一人の人間が、自分の経験と行動を制御する仕組みを各自内蔵した、いわばスタンド・アローンの自立したマシンだ。自分の経験を秩序付けたり、行動を組織したりするのに誰の手助けも必要としない。コミュニケーションも、それによって出来上がっている社会も、こうしたスタンド・アローン・マシンにとっては二次的な存在物に過ぎないことになってしまう。社会もコミュニケーションも、極端な話、それぞれが独自の駆動装置をもった(しかし互いに前もって同期するように調整されている)無数のメトロノームがカチカチいっているってのと、何の違いもないってことになってしまう。すっごくグロテスクな情景じゃないか?(註1)

また、この考え方は、肝心の「文化」っていう観念そのものまで空洞化してしまいかねない。「文化」ってのはもともと集団のものとして思い描かれていたはずだ。でもいつのまにかそれは一人一人の個人がもっているものになっちまってる。「集団的」ってことは、単にみんなが同じものをもっているってだけのことになる。ウサギの耳がみな長いってのとどう違う?わざわざ集団的とか社会的とか呼ぶほどのことじゃない。ここには「文化が個人の経験や行動を規制する、制御する」って言ってたときの、なにやら謎めいた魅力はもうない。だって結局個人が自己制御してるだけって話になってしまってるんだから。

まぁ、これじゃ身も蓋もないってことで、たいていの人類学者は相変わらず「文化」を個人を超えた何かとして想像したがってきた。一方で個々人が身に付ける=内蔵するって考え方も維持しながらね。まるで見えないホスト・コンピュータからプログラムを各自ダウンロードしてインストールするって感じだ。今度は「文化」は極端に謎めいた存在になってしまう。個人を超えていると同時に、個人に内蔵されもする制御装置って、もう理論も糞もない。めちゃくちゃだ。

さらに、学習を通じていつのまにか身に付けている自己制御装置みたいな考え方は、社会を権力をめぐる闘争の場、さまざまな強制と無理やりの服従によってできあがった力関係の場として見る立場の人々からすると、あまりにも能天気でおめでたい考え方に見えるに違いない。僕らは経験から、僕らのとる行動が、自己制御どころか、しばしば他人にこつきまわされたり尻に敷かれたりした結果だったりすることを知っている。文化人類学者は実際しばしば、社会における権力の問題を主題化しそこねているなんて非難されてきたけれど、まあ、これも当然の非難だ(逆にマルクス主義の方から、権力への服従が、剥き出しの暴力による強制の結果としてではなく、文化的装置を介しての自己制御的な服従として実現するといった形の修正が提案されたりしているのが面白い。「文化」は、ここでもやっぱり力関係の隠蔽と結びついている。まあ有名な議論だけど、私には、人類学のいちばん締まりのない部分を輸入したずいぶん締まりのない議論に見える。最近人類学の方でそれを逆輸入したりしてるんで、ますますもって締まりがない(註2))。

なんだか今回は前回と正反対に、60年代の人類学をめちゃくちゃけなしているみたいな雰囲気だけど、誤解しないで欲しい。「文化」という言葉を使って人類学者が切り拓こうとしていた問題が、それだけ厄介な問題だったというだけの話だ。いろいろな比喩で、かろうじてその輪郭をぼんやりと掴まえることができるといった。またそれだけに、簡単に足をすくわれてしまうような。人間の行動や経験が「文化的に」制御されているということ、このことの意味をもう一度問い直してみる必要がある。なにか制御装置のようなモノを想像するのではなく、あくまでも個々人を超えた社会的、コミュニケーション的なプロセスそのものとしてそれを可視化すること、個々人をスタンド・アローンのマシンのようなものとして考える代わりに、社会というネットワーク空間に常時接続し、それによって支えられ、コミュニケーションを通じて常に互いにチューニングしあい常時自己を更新しつづけるようなそんな存在として想像すること、このネットワーク空間を構成しているコミュニケーションの性格とパターン(分裂生成とか模倣とかのパターン生成のプロセスをともなう)について明らかにすること、今さしあたって私が考えている代替案はこんな形でしか示唆することはできないけれど、この講義の中でそれをもっと具体的な形で示すことができたらいいなと考えている。

不一

補足の議論をさらに補足せねばならないとは情けないが、誰かが突っ込んでくる前に補足しておこう。それもこれも計画なしに行き当たりばったりで書いたりしているからなのだが、ちゃんと充分にリサーチして、議論のアウトラインも練って、議論に充分な論拠をあげて....なんてするくらいなら、初めから論文書いてます。(May 01, 2003)

(註1)お気づきの通り、ここで私は制御のさまざまなレベルを区別せずにちょっと乱暴な議論をしている。おそらく人類学者たちの共通認識としては、「文化」的制御はかなり下位の水準の制御であり(だからOSという比喩がしばしば用いられる)、その上に明示的な社会的規範や法、契約、政治的権力などによるより上位の制御過程がある。仮に制御にこうしたさまざまな水準を区別したとしても、ここでの私の論点にはあまり関係してこないことに注意。

(註2)もちろんこのくだりは系譜的に言えば、正確さを欠いている。実際、グラムシ本人が人類学に影響を受けたなんて話は私は聞いていないし、そんなつもりで書いた訳でもない。しかし後のグラムシ再評価は、文化人類学が世間的にもかなりはなばなしく文化による規定性を歌い上げていた時期に重なるので、その時期のマルクス主義的語りにおいて、人類学的文化観念の輸入は言い過ぎとしても、影響関係があったとしてもおかしくない。セバーグやアルチュセールのように、マルクス主義の「文化人類学的転回」と呼べるような流れも事実あったことだし。でももし間違ってたら、ごめん。この議論はいつでも撤回します。一方、80年代以降の人類学におけるグラムシ・ブームについては周知の事実。


m.hamamoto@anthropology.soc.hit-u.ac.jp