今回の講義の目的
東アフリカ会社からイギリスの保護領への推移を概観するとともに、イギリス植民地関係者が東アフリカ社会を眺める際の想像力の図式を明らかにする
状況
ヨーロッパ:奴隷制廃止のために直接介入を求める世論 国家の保護を受けない個々人(商人、探検家、宣教師etc.)による先鋒的活動 列強によるアフリカ争奪 スワヒリ海岸:オマーン・アラブのプランテーション経済の衰退 内陸部:ミジケンダの経済的躍進
英国東アフリカ会社の活動
マズルイ・アラブとの協調関係↓ 東アフリカ会社の破産 "poorly conceived, badly managed, and grossly undercapitalized"
ウガンダ・ルートの調査→鉄道計画(1902完成全長800マイル)
衰退した海岸部のプランテーション農業の再生を企てる
保護領時代の始まり
東アフリカ会社の撤退
1895 英国保護領 アーサー・ハーディングArthur Hardinge
英国・マズルイ戦争 1895
1837 モンバサ、ブサイディのスルタンの支配下に入る
Takaunguに落ち延びたマズルイ勢力も1865年にブサイディのスルタンに帰順
1895 Mbaruk bin Rashid の反乱
海岸地帯のアラブ人所有の耕地に対して壊滅的な打撃植民地政府のミジケンダに対する介入
ミジケンダの農業生産者としての発展
ミジケンダ、とりわけギリアマとマズルイとの協力関係が反乱鎮 圧の障碍
Hardinge 「ハイエナの呪薬」を流用し、誓約の儀礼
「文化的プロセス」としての植民地主義(Nicholas Thomas)
そこにふくまれる「発見」も「進出」もすべて記号、隠喩、物語を通じて想像され、それらによって活力をあたえられていた
「植民地的想像力」(M. Taussig)
植民地的プロジェクトの背後にありそれを支えていた想像力のあり方
「他者」を管理し統治し、発展させるという近代のプロジェクト自身が植民地的
国内の下層階級=未開人:調査、開発、啓発、改良の対象
植民地的想像力の構成要素
観察するもの/されるもの
管理するもの/管理の対象
文明/未開
植民地プロジェクト=「文明化」のプロジェクト
未開 | 文明 |
過去 | 現在 |
粗野 | 洗練 |
不潔 | 清浄 |
野蛮・残虐 | 人道的・温情的 |
卑劣・卑屈 | フェア・高潔 |
怠惰 | 勤勉 |
貧困 | 豊か |
刹那的 | 計画的 |
感情的 | 理性的 |
子供 | 大人 |
動物的 | 人間的 |
未開 | 文明 |
無垢 | 罪悪 |
純粋 | 穢れ |
子供 | 大人 |
精神的 | 物質的 |
素朴 | 虚飾 |
真実 | 虚偽 |
高潔 | 堕落 |
生命力 | 無気力 |
豊饒 | 不毛 |
文明/未開の二項対立が「文明化」という実践を可能にする。
→この二項対立は維持されねばならない
→ しかし文明化の結果、この二項対立はあいまいになってしまう
文明化する側の主体 =
文明化の実践という物語のなかに自己を確認しようとするロマン主義的自己(文明化という実践が続くことに支えられた自己)
の地位は「同化された」原住民の存在によって脅かされる
ハイブリディティの問題(H.Bhabha)
植民地的欲望の曖昧さ
被植民者が植民者の「真似」を通じて統治可能な存在になることを命じながらも、同時に被植民者が「他者」(=下位のもの)であり続けることを要求する
この分割と結合の同時性としてのハイブリディティが植民地支配のテクノロジー にもかかわらず、バーバによると、この同じハイブリディティには、支配のテクノロジーであると同時に、支配者の認識者としての権威を転覆する契機が内包されている。植民者の欲望の曖昧さをそのまま具現させてしまう被植民者たちは、一方で植民者たちの認識論的支配をすり抜けるとらえどころのない存在となり、観察者たる植民者たちを観察され「物真似」によって嘲笑われるかのような対象に立たせてしまう。
文明化の実践の産物 = 現地の知識人 etc.
↓
- 真の「アフリカ人らしさ」「インドらしさ」を失った「猿真似」として軽蔑
- 西洋人の地位を脅かす不気味な存在、戯画化された西洋人の姿を突きつける存在として嫌悪
- 「我々の如くあれ」という命令と「我々とおなじになってはならないという」命令のダブルバインド
「我々の責務は、全力で原住民を発展させることである。それも彼を西洋化しヨーロッパ人の不完全なコピーにするのではない仕方で。我々はアフリカ的な雰囲気を、アフリカ的精神を、アフリカ人種の基礎を壊してはならない。 もし我々が彼らの部族的組織をすべて一掃してしまったとすれば、そういった 事態になるだろう。」(D.Cameron 1925 cited in Illife 1979)「教育を受けた原住民は自ら白人になろうと試みるだろう。我々はそんな悲惨を防がねばならない。なぜなら結局それは不可能な離れ業だからだ。」(Kidd, D.,1904)結論
「迷信深い」「呪術を恐れる」現地人という、イギリス植民者がもつ植民地的想像力のなかでとらえられた被植民者のイメージの上に構想されたハーディングの「奇手」は、当のハーディングら植民地支配者を奇妙な愚かしい存在に見せてしまう。
しかし、彼らの奇手は、今度は逆に現地の人々によって戦略的な仕方で模倣されることになる(後に詳しく論じるように)。参考文献
Bhabha, H., 1994, The location of culture. London, New York: Routledge
Brantley, C., 1981, The Giriama and Colonial Resistance in Kenya, 1800-1920. Berkeley: University of California Press
E.W. サイード, 1993,「オリエンタリズム」(今沢紀子訳)平凡社
Spear, T.T., 1978, The Kaya Complex: The history of the Mijikenda Peoples to 1900. Nairobi: Kenya Literature Bureau.
Taussig, M., 1986, Shamanism, colonialism, and the wild man: a study in terror and healing. University of Chicago Press
Thomas, N., 1994, Colonialism's culture : anthropology, travel and government. Cambridge : Polity Press