今回の講義の目的
イギリスの東アフリカ植民地に先立つケニア海岸後背地の状況を把握する
人口
Group | Population | % of Total |
---|---|---|
Kikuyu | 4,455,865 | 20.78 |
Luhya | 3,083,273 | 14.38 |
Luo | 2,653,932 | 12.38 |
Kalenjin | 2,458,123 | 11.46 |
Kamba | 2,448,302 | 11.42 |
Kisii | 1,318,409 | 6.15 |
Meru | 1,087,778 | 5.07 |
Mijikenda | 1,007,371 | 4.70 |
....... | ....... | ....... |
Kenyan Arab | 33,714 | 0.16 |
....... | ....... | ....... |
Swahili | 13,920 | 0.06 |
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ミジケンダという呼称
Giriama, Digo, Rabai, Chonyi, Jibana, Ribe, Kambe, Kauma, Duruma
スワヒリ人と同じく Shungwaya 起源の伝承をもつ
言語もスワヒリと同じサバキ・グループ
宗教
19世紀以前:非ムスリム
(現在 ディゴ:91%ムスリム、ドゥルマ:34%クリスチャン etc.)
社会組織
拡大家族が居住する大きな屋敷(mudzi / midzi(pl))が基本単位
カヤ(kaya)と呼ばれる要塞村
部族全体を統治するリーダーをもたず、長老政治
経済
バントゥ系の雑穀類中心の農耕民
年間2回の雨期(大雨期 mwaka と小雨期 vuri)
頻繁な飢饉、極端な豊作/飢饉→雨に依存
今日のミジケンダ(ドゥルマ)社会の姿
スライド紹介
ミジケンダの歴史 〜19世紀
16c ポルトガル人、後背地の住民をモズングロとして言及
流動的な同盟関係
1610 モンバサのスルタンを破産に追い込む
17c ラバイ、チョーニなどの個々の集団の名称
18c〜
Wanyika の呼称が定着
スワヒリとミジケンダ
二つのシステム
モンバサ・スワヒリ/後背地(ミジケンダ)
流動的な同盟関係モンバサ内部の政治闘争で敗れた側が一時的に亡命 特定の党派を軍事的に支援 Busaidi/Mazurui 抗争において Mazurui を支援 1729 ポルトガルはモンバサから永久に駆逐 マズルイ(Mazrui)統治 オマーンのスルタンにより governor として赴任 オマーンでの王朝交代(1740s Yaarubi→Busaidi)にともない 事実上の独立 ブサイディ←→マズルイ抗争 1837 にブサイディに敗北。その後はMbaruk bin Rashid が数回にわたる蜂起。ミジケンダのサポート
象牙、コーパルなど ←→布、ビーズ、鉄器
穀物の地域間交易網 ケニア後背地/モンバサ/ペンバ島飢饉の際の食糧(穀物) モンバサ→後背地 他の時期 後背地→モンバサ 食糧、象牙 etc. 負債による pawn 関係 屋敷の成員を借金の抵当として一定期間差し出す モンバサの「奴隷」の謎
代替的ネットワーク網としてのスワヒリ/ミジケンダ
1837 Busaidi 支配以降の変化→(1)(2)の重要性減少
Busaidi は独自の軍事力→後背地の軍事力に依存しない
モンバサとの関係は消滅/タカウングのマズルイとのあいだには持続奴隷によるプランテーション経営 ペンバのクローブ農園化→穀物供給地としての役割低下
二つのシステム(まとめ)
中央集権的 | 自律的、無頭的 |
ムスリム | 非ムスリム |
商業 | 農耕 |
二つのシステム≠二つの民族
人的混淆
二つのオプション(Willis)
二つのシステムの相互嵌入
ミジケンダの興隆
ミジケンダと後背地の他部族との関係
- Waata (クシュ系)狩猟民: 象牙・毛皮 / 食糧・保護
- Oromo(クシュ系) 牧畜民: 伝統的宿敵→シュングワヤ伝承
- Kamba (バントゥ)海岸との交易を仲介
- Maa (ナイロート)(Kwavi、maasai)新たな脅威
1815 〜 1875 マサイ内戦
Kwavi グループ ←→ 他のマサイ・グループ
1840以降、モンバサの西部の内陸部はマサイの脅威の下に
マサイの主要な攻撃対象 Oromo
1860頃 サバキ河沿いでマサイはオロモを撃破する
さらにオロモは北からのソマリからの攻撃にも晒され撤退
↓
ミジケンダの拡大
1890s 牛疫 + 天然痘
マサイ、オロモは特に大打撃を受ける
脅威の消失 → ミジケンダの農業生産の拡大
↓
ミジケンダ経済の空前の発展
プランテーション衰退後の輸出穀物のほとんどを供給
Brantley, C., 1981, The Giriama and Colonial Resistance in Kenya, 1800-1920. Berkeley: University of California Press
Spear, T.T., 1978, The Kaya Complex: The history of the Mijikenda Peoples to 1900. Nairobi: Kenya Literature Bureau.
Willis, J., 1993, Mombasa, The Swahili, and the making of the Mijikenda. Oxford: Clarendon Press.
浜本 まり子 1991 「ドゥルマ族の起源伝承」『伝説が生れるとき』波平恵美子編 pp.59-95.福武書店