講義メモと参考文献


第四〜五回講義

イギリスの介入 〜1895

今回の講義の目的

イギリスの東アフリカに対する介入の背後にあった状況を検討し、ロマン主義、奴隷制反対運動、植民地主義の結びつきについて考える。

今回の講義の中心問題

(A)政治経済的動機  :インド洋の制海権(インドの保全)
		       東アフリカ海岸からウガンダへのルートの開発

(B)倫理的要素:イギリスにおける奴隷制反対運動
                  1787 奴隷貿易廃止委員会(イギリス)
「我らが帝国のアフリカにおける責任は、我々の支配地域の拡大に伴い、日増しに増大しつつある。我々の力が賢明にかつ公正に、アフリカの人々の向上と英国の市場の恒久的繁栄のために行使されることは、すべての愛国的キリスト教徒の祈りなのである。」
Newman, H.S., 1898, The transition from slavery to freedom in Zanzibar and Pemba

この両者の関係は?またそれぞれの評価は?

東アフリカ侵略の正当化、口実
奴隷制廃止は、植民地化を求める議論において第一の理由であり、植民地化ののちは、侵略を正当化。

「イギリスの奴隷制廃止運動は、やがて、全世界的なうねりとなって始動しはじめる。それが産業革命によって解き放たれた西欧列強の市場獲得競争とセットとなって動いていたことは、今や歴史の常識となっている。人道的な目的を掲げる運動が、資本主義的競争原理にからめとられていったというわけである。奴隷制廃止運動に対し、それが植民地化への布石を演じたというマイナス評価が下されるのはこうした理由による。しかし、ひとつの運動がその理念を実現する為に、しばしば経済界や政治勢力との癒着を余儀なくされるというジレンマを抱え込まざるを得ないこともまた確かである。」(富永 2001:114)


奴隷制廃止はかならずしも英国にとって経済的にプラスではなかった
議会においても少数派
綿業界からの反対
「奴隷貿易はまさに利益が増大していたときに廃止されたので、それは商業利害の実利主義(materialism)が理解するような経済的失敗に原因があったのではなく、思想(ideology)の力、すなわち、物質的利得や自愛心の牙城に対する、真実と正義の伝統的な概念の勝利であった。」『イギリス大西洋奴隷貿易廃止のための政治経済学』児島秀樹

奴隷制反対運動とロマン主義

盛り上がる奴隷制廃止の世論

1829 メリメ「タマンゴ」
奴隷船上の悲惨、奴隷の反逆をテーマにしたメリメの処女作

18世紀における黒人奴隷出身者の文学の流行

Phillis Wheatley
八歳のときにアフリカから連れ去られた Phillis Wheatley の詩。1773主人とともにイギリスを訪れ、社交界で熱狂的に歓迎される。詩集の出版。アフリカ人の知性を証明するものとしてその後も繰り返し言及される。


Olaudah Equiano
自伝 1789 は、オランダ語、ドイツ語、ロシア語にも翻訳された。自らも奴隷制反対運動に身を投じ、啓蒙主義者たちの黒人の劣性の主張に対して、黒人の「完全な人間性」を主張した。


  ゾング号事件(航海途中で生活用水の不足を理由に、奴隷たちを海に投棄、後にその損害に対して保険金を請求した)と奴隷貿易反対運動の盛り上がり

ロマン主義と奴隷制反対運動の結びつき?

奴隷制反対の言説は、ロマン主義者に一種の想像的転移を提供した。
Thelwall 'The Daughter of Adoption'
フランス領サン・ドミンゴでの奴隷の反乱について述べた小説。著者自身の既存の教会権力に対するマージナルな迫害された立場を投影している。

想像上の被植民者の声→イギリス中流階級の感性

Mary Butt Sherwood
アフリカのシェラレオネの解放奴隷が、キリスト教の教えに目覚め、敬虔なキリスト教徒になっていく物語を書いたが、彼女自身は、アフリカを経験したことのない(インド在住経験はあるが)熱烈な福音主義の女性であった。

宗教復興運動と奴隷制反対運動

18c 末のイギリスにおける宗教的 revivalism(メソディスト、エバンゲリカル)

	個人主義と退廃に対する反発
	内的な罪の自覚
		内的には social reform
		外的には 海外での missionary movements

支配階級のイデオロギーとしての宗教復興運動
    支配階級内部の、不安定な居場所を占めるハグレ者たちの急進的な運動
   (教区司祭は土地持ち貴族の息子のために用意された名誉職であった)
    として出発した

            ↓

    興隆しつつあった中産階級が、宗教者や少数のラディカルな人々が賛美した
   「廉潔」や「勤勉」「禁欲の美徳」「よい行ない」への信仰を吸収していく
    につれ、それらを自己充足的なモラリズムへと固着化。(Hutchins 1967)


ロマン主義的自己のあり方

  ここでは、文学の一つのジャンルとしての「ロマンス」、その物語に見立てるように
  自己と世界を重い描く想像力のあり方として「ロマン主義的」という言葉を用いる。

  ロマンスの基本構造
	standard plot of romance(Babcock 1978)

	a.若い騎士が known familiar social world を離れる/追放
   
	b.妖精の国、さまよいの深い森、曠野...other places
		単なる外部 outside ではない  exotic space

		more complex: 野蛮人や怪物との出会い
                              世俗的世界で可能であるものを超えた存在物の世界
		simpler: good and bad の二項対立によって組織された単純な世界

	c.聖なるもの、真実の探索

	d.勇気や知性に対する試練

	e.帰還
                特別な能力や力を手に入れ、王というより高いペルソナとして
                世俗世界へ帰還する
   
      David Richards によると16世紀以降 other places はこうした romantic
      spaceとなった。
	Edmund Spencer「妖精の女王」1590:
	新大陸からの表象によって満たされている

      ハンナ・アレントによると、植民地的主体とは「竜退治騎士」という「少年の夢を
      捨てきれず、そのために正常な世界から植民地勤務へと逃げ出した人々」だった。
      そして植民地とは、彼ら「奇妙なドンキホーテ」たちの少年らしい理想が本国で
      「危険な大人の理想にならないようにするため」の受け皿を提供した。

      
     日常の社会空間における自己をいまだ本来の自分ではない存在としてとらえ、
「ロマン主義的外部の空間」において「本当の自分」を見出そうとする

     その最も急進的な部分が、支配階級の中でのはみ出し者→急進的福音主義者
                                                         とかさなりあう
                                                         ロマン主義者

急激に変化していく西欧社会において、西欧的自己の再確認を必要とした多くの中産
階層の人々に共通するメンタリティとなっていった


     

植民地空間の想像的変容

西洋的自己の自己確認の場としての植民地

社会の最下層(貧民etc.)が使い捨てられる地獄
   18世紀の植民地兵士の悲惨(1940s キューバ侵攻 12000人中生存300弱)
       植民地航海の仕事
  
→ロマン主義的主体の試練と自己成就の想像的外部空間へ

   シエラレオネ、グランビル・タウンの顛末
       多大な犠牲を出し、植民地的侵略として現地の反発をかいつつ
       情熱的に推進され破綻する



植民地実践=自己確認の儀式       崇高な使命
 「わかるだろ、私はインドなど決して好きではないのだ。しかし人間という  ものは、何か不愉快な義務をやってのけることで、ある種のストイックな喜  びを感じるものなんだ。」(「東洋での交友」1855 W.D.アーノルド)
 「白人の責務をやり遂げよ。汝らの育てし最良のものを送り出し、  彼の地で異郷生活を送らせしめるのだ。囚われの身の者たちに仕えるために。  思い馬具を身に着けて、おびえる野蛮なものたち、...半ば悪魔で半ば子供の  彼らに奉仕するために。」(キプリング)
自己=西洋性を演じる 単純な経済的動機→ 自己確認の場としての植民地           イギリス性の演出
  「オリエンタリストたちが書斎に閉じこもって「他者」を構築していたとすれば、   植民地で生活した白人たちは日常生活を通じて自らの「西洋性」を構築してい   かねばならなかった。」(大杉高司)
「現地人」軽蔑しつつ、そのまなざしに怯える
  「ヨーロッパのジェントルマンを安っぽく見せるものは何であっても... 我々の支配力を失わせてしまうに違いない。」(L.ペリー 1858(大杉 1993))
  ↓   インド植民地における孤児や貧民の隠蔽、公費での本国送還 舞台の上の自己 オーウェル『象を撃つ』
「わたしは完全にビルマ人の側に立っていて、彼らを抑圧している大英 帝国に反旗を翻していた。自分がやっている仕事については、とうてい ことばにできないほど、激しく憎んでいたのだ。」 「心のどこかでは、英国の植民地支配を、強固な専制支配である、抑圧 された人々の意志を、半永久的に踏みつけにするものだと思いながら、 別のところでは、僧侶たちのはらわたに銃剣を突き刺してやれたらこれほ ど愉快なことはないだろう、と思っている。こうした感情は、帝国主義に あってはごくありきたりの副産物なのである。」 「わたしはなんとなく不安な心持ちだった。象を撃つつもりなどなかった ――ライフルを借りにやったのは、単に万一の場合に我が身を守るためだ ったにすぎない ――し、群衆が後ろからついてくるというのは、どんな 場合でもあまり気持ちのいいものではない。ライフルを肩にかけ、馬鹿 づらをさげ、事実、馬鹿になったような気分で丘を降りていくわたしの 後ろに、押し合いへし合いしながらついてくる群衆は、増えていくばかり だった。」 「とつぜん、結局は自分が象を撃たなければならなくなったことを悟った。 人々がそれを望んでいる以上、わたしはそうせざるをえないのだ。否応 なく、二千人の意志によって前に押し出されていくのを感じる。この瞬間、 ライフルを手に立ちつくしているまさにそのとき、東洋における白人に よる支配の虚しさ、無益さを、わたしは初めて理解したのだった。ここに わたしがいる。銃を手にした白人が、武器を持たない原住民の群衆の前に 立っている。いかにもこの劇の主役のように。けれども実際は、うしろの 黄色い顔の意志に押されて右往左往する愚かな操り人形にすぎないのだっ た。」 「だからこそ、支配するためには「原住民」に感心されなければならず。 そのためには「原住民」を威圧することに、生涯を捧げること、どんな 場合でも「原住民」の期待を裏切らないこと、それが白人支配の条件な のだ。仮面をかぶっているうちに、顔が仮面に合ってくるのだ。 わたしは象を撃たないわけにはいかなかった。」
CS(イギリス植民地高等文官) アフリカ植民地においては書類選考と面接に逆行→エリート階級出身者に限定
「アフリカやアジアにおいて原住民の中での行政経験を持っものは誰で も、どんな原始的未開人でも、普通に『ジェントルマン』として知られて いる人間と出自のいやしい者の違いを見分ける、驚くべき直感力をもっ ていることを知っている。彼らは『支配』階級に属する人間と、知力や 努力によって地位と権力を保持している人間とを直感的に区別する。前 者に対しては問題なく従順であるが、後者の命令は便宜的に実行される ことが多い。未開人の扱いにおいては、すべての面で『サーヒブ(支配 者)』で、スポーツマンで運動家である人間の方が、学業成績の良さだけ でその地位に登った...おそらくより勤勉な官僚がまれにしか達成でき ないような成果をあげるのが普通である。」 (サー・ヘスケス・ベル『極東における外国植民地行政』(浜渦 1991:147-148)
貴族の植民地としてのケニア植民地   「愛と悲しみの果てに」(メリル・ストリープ主演)   「白い炎の女」(グレタ・スカッキ主演)    に描かれる植民者の世界 植民地主義者=奴隷廃止論者=ロマン主義者 religious revitalism as 支配階級のイデオロギー 奴隷制廃止論者:bankers, merchants and captains of industry  植民地推進論者=奴隷制廃止論者、人道主義者、宗教的情熱家 マッキノン(IEAC)、ルガード、リヴィングストンはいずれも religious revitalists 彼らの内部では、宗教、大英帝国の拡大、商業交易、文明化は一つ の「神の計画」に属するものとして密接に結びついていた。 彼らの報告するアフリカの惨状は母国の人道主義者たちのあいだでの 奴隷制廃止の世論を高める 財政上の理由から進出に消極的であった英国政府を植民地経営へむけて動か すまでになる。 欲望の対象である他者としてのアフリカ 欲望の対象としてのアフリカ植民地 列強同士の競合←模倣的欲望(他者が求めているという理由で 対象が魅惑的に見える) 経済的利得←熱帯の豊饒の幻想 イギリスによるスワヒリ海岸支配 1807 奴隷交易を非合法化 (奴隷貿易の廃止と奴隷制度の廃止は別 奴隷制廃止 1907) ナポレオン戦争でモーリシャス獲得後、この地域の 奴隷交易廃止へ向けての介入を強める→効果なし (この時期、オマーンは次第にプランテーション経営に重点を移し つつあった) 1822 セイード・サイド キリスト教圏への奴隷禁輸に調印 奴隷はザンジバル、ペンバ等のプランテーションにおいて消費 1873 域内でのすべての奴隷交易の廃止、奴隷市場の閉鎖(バルガシュ 1870〜) 奴隷の海上交易不可→大陸内部での陸上交易の繁栄 1876 陸上交易も禁止→プランテーションへの奴隷の供給は 事実上絶たれる →プランテーション経済の衰退 例:マリンディ 1860 ほぼ無人に近い土地 1873 6000人の奴隷人口 1884 30万テレサ・ドル 3万エーカーの土地、202名の地主、1000人の自由民 5000人の奴隷 ↓ 1890 人口400人、見捨てられたプランテーション 1887 British East Africa Company スルタン・バルガシュより それまでスルタンの支配下にあったスワヒリ海岸の10マイル幅の coastal strip に対する管理権を譲り受ける。イギリス政府は尻込み (1888 Imperial British East Africa Company) 1890 ザンジバル保護領 1895 ケニア→British Protectorate

参考文献

Babcock, B. ed., 1978, The reversible world : symbolic inversion in art and society, Ithaca: Cornell University Press.
(『さかさまの世界 : 芸術と社会における象徴的逆転』岩崎宗治・井上兼行訳、岩波書店、2000)

Middleton, J., 1992, The World of the Swahili: an African Mercantile Civilization. New Haven: Yale University Press.

富永智津子,2001,『ザンジバルの笛 : 東アフリカ・スワヒリ世界の歴史と文化』未来社

大杉高司, 1993, 「植民者のアイデンティティ:植民地下インドにおける境界の維持」大阪大学人間科学部『年報人間科学』第14号:67-85

浜渦哲雄 1991 「英国紳士の植民地統治」中公新書

James Fox, 1990, White mischief:The Murder of Lord Erroll Penguin

Fulford, T. and P.J. Kitson eds., 1998 Romanticism and Colonialism: Writing and Empire, 1780-1830, Cambridge: Cambridge University Press

Fulford, T. and P.J. Kitson, 1998, 'Romanticism and colonialism: text, contexts, issues,' In Feulford and Kitson eds., 1998 pp.1-12

Kitson, P.J., 1998, 'Romanticism and colonialism: races, places, peoples, 1785-1800,' In Fulford and Kitson eds., 1998 pp.13-34

Lauren Henry, 1998 '"Sunshine and Shady Groves": what Blake's "Litle Black Boy" learned from African writers,' In Fulford and Kitson eds., 1998 pp.67-86

Moira Ferguson, 1998, 'Fictional constructions of Liberated Africans: Mary Butt Sherwood' in Fulford and Kitson eds., 1998 pp.148-163

Richards, D., 1994, Masks of Difference: Cultural Representations in Literature, Anthropology and Art, Cambridge University Press.

von Zwanenberg, R.M.A., 1979, "Anti-Slavery, the Ideology of 19th century Imperialism in East Africa," in B.A. Ogot ed., 1979, Economic and Social History of East Africa Nairobi: Kenya Literature Bureau