講義メモと参考文献


第一回講義

本講義のテーマと課題

テーマ:
文化的他者の理解:植民地期ケニアにおける社会生成

課題:

  1. 文化的他者理解の問題について考える。
    文化的他者理解は常にある種の想像力の図式の影響のもとにおこなわれる。


  2. 『近代』を特徴づける他者理解の一つの支配的パタンである「植民地的想像力」の性格をあきらかにする。

    植民地という近代のプロジェクトを支え推進していた想像力の構図を明らかにし、現代におけるその意味を問う。


  3. 「植民地的想像力」がその後の社会形成において及ぼした影響の具体的なケースとして、イギリス植民地統治下のケニア海岸部の歴史をとりあげる。

    ケニア海岸部のスワヒリ社会および隣接するミジケンダ社会を対象に、その歴史と社会形成、とりわけイギリス植民地行政下における「部族社会」の形成について、植民地的想像力と現地の諸社会の反応の交錯を中心に検証する。

    ケニア海岸部は1895年に英国の保護領となった。それから約40年余りの期間に生起した歴史的出来事を本講義の分析の対象とする。イギリスの植民地政策は、現地の社会システムとのあいだに多くの齟齬を含んでいた。それは1914年の後背地の民族による蜂起(ギリアマの反乱として知られている)という形で悲劇的なクライマックスを迎える。それに至る経緯、その後の後背地の集団の部族社会化、ミジケンダという民族集団の出現の過程などを明らかにする。
    これを二つの社会の相互誤解としてとらえることはたやすい。しかしそこには他者に対する相互の誤解を生み出さざるをえないような力が極めて強く働いていた。私が植民地的想像力の構図として問題にするのは、まさにこの作用のことである。

本日の講義内容

文化的他者理解の諸類型

以下の2つのテキストを読んで、エジプト人についての、それぞれの著者の理解の何がおかしいのか(正しいのか)考えてみてください。

次に私はエジプト自体について詳しく述べたいと思うが、それはこの国には驚嘆すべき事物がきわめて多く、筆舌に絶した建造物が他のいかなる国よりも多数に存するからである。これからエジプトについて比較的に詳しく述べるのはこの故に外ならない。
エジプト人はこの国独特の風土と他の河川と性格を異にする河とに相応じたかのごとく、ほとんどあらゆる点で他民族とは正反対の風俗習慣をもつようになった。例えば女は市場へ出て商いをするのに、男は家にいて機織をする。機を織るにも他国では緯を下から上へ押し上げて織るのに、エジプト人は上から下へ押す。また荷物を運ぶのに男は頭に載せ、女は肩に担う。小便を女は立ってし、男はしゃがんでする。一般に排便は屋内でするか、食事は戸外の路上でする。どうしてもせねばならぬことでも恥ずかしいことは秘かにする必要があるが、恥ずかしくないことは公然とすればよい、というのが彼らの言い分なのである。...(中略)...
三六 神々の祭司は他国では長髪を貯えるものであるが、エジプトでは髪を剃り落す。また服喪とともに死者の近親か頭髪を刈るのか他国では慣わしとなっているが、エジプト人は死人の出た際に、それまで短く刈っていた頭髪と髯を伸びるにまかせるのである。また他民族は家畜とは別に生活するものであるが、エジプト人は家畜と同居している。
他国人は小麦と大麦とを主食としているが、エジプトではこれらを主食とすることは非常な恥辱とされており、彼らはオリュラという穀物を食糧にしている。これは人によってゼイアといっている穀物である。エジプト人は穀粉は足でこね、泥は手でこねる。また下肥を集めるのにも手を用いてする。また他国民は−−エジプト人の風習を学んだものは別であるが−−陰部を生れついたままにして置くが、エジプト人は包皮を切り取る。男子は誰しも着物を二枚重ねて着用するが、女は一枚だけである。また他国人は船の帆を操作するための綱と綱を通す環を、船体の外側に附けるが、エジプト人は内側に附ける。ギリシア人は文字を書いたり計算をする時、手を左から右へ運んでするが、エジプト人は右から左へする。それでいながらエジプト人は、自分たちが右向きに書き、ギリシア人は左向きに書くのだといっている。
(ヘロドトス『歴史』(上)松平千秋訳、岩波文庫 pp.183-184)


ヨーロッパ人は綿密な理論を好む。事実を語る言葉には、一点の暖昧さもない。かりに論理学など学ばずとも、ヨーロッパ人は生まれながらにして論理学者である。ヨーロッパ人は生来の懐疑論者であって、いかなる仮定をも、証明を経ずして真理と認めることは肯んじない。その訓練された知性は、機械の部品のごとくに作動する。これに反し、東洋人の精神は、東洋の街路の活況にも似て、著しく均斉を欠いている。東洋人の推論は、このうえもなくずさんなものである。昔のアラブは、少しは高度な論証術の知識を習得していたが、その子孫ははなはだしく論理的能力を欠いている。彼らは、前提の真理たることがわかりさえすれば、そこから単純にひき出しうるはずのいたって明白な結論をも、なかなかに導き出すことができないのである。試みにごく普通のエジプト人をつかまえて、平明な事柄について陳述させてみるがよい。説明は、概して冗長で、明瞭さを欠くであろう。おそらく、話が終るまでに数回も自己矛盾に陥るのであり、それゆえ手心を加えた反対尋問に対しても、たちまち立ち往生することになる。
(クローマー卿「現代エジプト」第二巻、第三十四章。E・W・サイード『オリエンタリズム』上巻 pp.96-97 より引用)


  1. エキゾティシズム
    エジプト人であるということにとって、おそろしくどうでもよい細部(非・本質的な細部)の列挙
    体系を欠いた雑多な要素の集まり

    他者=「自己」という唯一の秩序からの逸脱、「自己」にとっての自然な属性の欠如や過剰、転倒、つまりそれ自身の脈絡やシステムを欠いた珍奇な存在
  2. オリエンタリズム
    オリエント=東方 研究
    サイードによると、オリエンタリズムとは東洋に後進性・官能性・受動性・神秘性といった型にはまったイメージを押しつける、西洋の自己中心的な思考様式であり、西洋による東洋支配に好都合な他者理解の型。
    西洋の自画像の反転像としての他者像であるが、逆にこうした他者像が西洋にとっての自己確認の手段として作用していた。
    文化的他者はいかに「本質的な点で」自分たちの正反対であるか

  3. 博物学的知
    森羅万象についての網羅的でシステマティックな知識をめざす。
    後に生物学等の専門分野に分化。
    「観察者の視点」が不問の前提となった記述。

    ビュフォンの博物誌
    「コウモリには奇妙な習性がある」
    「狐は狡猾な生き物である」
    「犬は人間の従順な僕である。つねに彼の主人やその友人を喜ばせるのに熱心で、 他方余所者には冷淡で、物乞いを手ひどく追い払う。その衣服や、声、しぐさ判別するのである。」

    キャプテン・クック第二次航海の搭乗博物学者の記録
    「低い身長と黄褐色の肌、それに疑り深い性格はエスキモーの特徴であり、一方、気高く美しい容姿、白い肌、裏切りやすさはチェルカシアの住民の特徴である。セネガルの原住民はその臆病さと、漆黒の肌、縮れた羊毛のような毛髪によって特徴づけられる。」

    エドワード・ウィリアム・レイン「現代エジプト人の風俗習慣」1836

  4. 人類学的他者理解

    「from the natives' point of view」 現地人の視点から、住民の視点から
    These three lines of approach lead to the final goal, of which an Ethnographer should never lose sight. This goal is, briefly, to grasp the native's point of view, his relation to life, to realize his vision of his world. We have to study man, and we must study what concerns him most intimately, that is, the hold which life has on him. In each culture, the values are slightly different; people aspire after different aims, follow different impulses, yearn after a different form of happiness. In each culture, we find different institutions in which man pursues his life-interest, different customs by which he satisfies his aspirations, different codes of law and morality which reward his virtues or punish his defections. To study the institutions, customs, and codes or to study the behaviour and mentality without the subjective desire of feeling by what these people live, of realising the substance of their happiness-- is, in my opinion, to miss the greatest reward which we can hope to obtain from the study of man. (Malinowski, B. 1922, Argonauts of the Western Pacific, p.25)

参考地図

スワヒリ海岸とアラビア半島

英国東アフリカ保護領 1895-1912

いずれも Salim, A.I., 1973 より

参考文献

E・W・サイード 1993『オリエンタリズム』(上・下) 板垣雄三・杉田英明監修、平凡社

Salim, A.I., 1973, Swahili-Speaking Peoples of Kenya's Coast: 1895-1965. Nairobi: East African Publishing House.