講義メモと参考文献


Z・バウマン『近代とホロコースト』(4):結論およびバウマンの議論に対する批判

第7章「道徳の社会学的理論に向けて」

道徳は社会の産物か

道徳的基準を社会との因果関係において説明する(例えば、道徳を社会的環境からはせいするものとして...認識する)方法は、少なくともモンテスキューまで遡るだろう。

社会を道徳生産工場とみるデュルケームの見解

社会は道徳に則った行動を奨励し、非道徳を周辺化、抑圧、防止する。社会による道徳的規則の対概念は人間の自立ではなく、動物的感情の支配である。人間という動物の前社会的欲動は利己主義的で残酷、そして、攻撃的なものであったから、社会生活安定維持のため、それらは抑制され、飼い慣らされねばならなかった。社会的強制が取り除かれれば、人類は野蛮状態に逆戻りし、社会の力だけがそうした状態から人類を救いだす。(p.226)

  
                                 ↓
            道徳が社会の産物で、それぞれの共同性に準拠するのなら
                                 ↓
                         社会ごとにそれは多元的で相対的
                                 
                                 



当時、そして、その場所で支配的であった道徳規範に完全に従うという規律どおりの行動を、犯罪だと認定できないのであれば、戦争犯罪人は存在しないだろうし、アイヒマンを裁判にかけ、糾弾し、処刑することもできないだろう。(p.230)

(もしそうした結論を受け入れないのであれば)
社会的に支持された原理・原則に従わない行為、社会的連帯とコンセンサスに正面から逆らった行為の方が逆に道徳的であるという事実に直面させられることにな(る。)道徳的態度に前社会的基礎があるとするならば社会学理論は道徳的規範と強制力の起源にかんする伝統的解釈を根本的に変更しなければならない。(pp.230-1)

道徳の前社会的(pre-societal)源泉

社会的距離と道徳的責任

あらゆる道徳的行為の礎石ともいえる責任は、他者との近接性から発生する。(p.240)

               社会的距離の増大
                    ↓
               責任の希薄化
                    ↓
               道徳的衝動の中和
                    ↓
               物理的・精神的分離



結論

近接性が侵食されると責任は沈黙する。仲間や同胞が異人に変容すると、責任は憎しみに取って代わられる。....
何千人もの人間が殺され、何百万人もの人間が抵抗の姿勢を見せることなく殺人の傍観者になることを可能にしたのも、こうした分離だった。....分離を可能にしたのは近代合理社会の技術と官僚制度であった。(p.240)

ナチス国家の成果....その最大のものは老いや若きや、男性や女性を問わずあらゆる種類の人間を組織的、意図的、非感傷的、冷血的に殺害するための巨大な傷害を乗り越えたことだった。すなわち、「肉体的苦悩を目前にしてあらゆる正常な人間が感じる生物的同情」を克服したのだ。(p.241)

バウマンのホロコースト論に対する批判

ゴールドハーゲン「ヒトラーの自主的処刑人たち:普通のドイツ人とホロコースト(Hitler's Willing Executioners: Ordinary Germans and the Holocaust)」

ゴールドハーゲンの主張

  1. ドイツ市民たちはユダヤ人が殺されることに喜んで手を貸した。なぜなら彼らはユダヤ人を憎んでいたからだ。
  2. この憎しみは、最初は宗教的な偏見に始まり、何世紀にもわたってドイツ人の心性の一部となってきた。
  3. この種の有毒性の反ユダヤ主義はドイツにのみ見られるものである。
  4. 1930年代にはこれは病的なものになっていた。
    一例としてドイツ人たちはすべてのユダヤ人が敵だと偏執病的に信じていた。しかしこの観念は、実際の社会経験や現実となんの対応も持たず、単なる幻想だった。
  5. ヒトラーは何世紀にもわたって人々をむしばんできたこの憎しみと恐怖を利用し、ドイツ人たちが、自分たちを押さえつけていた最後の道徳的抑制を払い落とせるようにしたのである。

結論

The Holocaust occurred in Germany because and only because three factors came together. The most committed, virulent antisemites in human history took state power in Germany and decided to turn private, murderous fantasy into the core of state policy. They did so in a society where their essential views of Jews were widely shared. Had either of these two factors not obtained, then the Holocaust would not have occurred, certainly not as it did. The most virulent hatred, whether it be antisemitism or some other form of racism or prejudice, does not result in systematic slaughter unless a political leadership mobilizes and organizes those who hate into a program of killing. So without the Nazis, and without Hitler, the Holocaust would not have occurred. But without a broad willingness among the ordinary Germans to tolerate, to support, and even, for many, first to contribute to the utterly radical persecution of Jews in the 1930s and then, at least for those who were called upon, to participate in the slaughter of Jews, the regime would never have been able to kill six million Jews.
(location 9058)



ゴールドハーゲンの主張に対する評価





ゴールドハーゲンの取りあげる事例

  1. 第101警察予備大隊による虐殺

       第101警察予備大隊:どんな人々か
                正規軍等の経験のない、あまり好戦的でない中高年(平均36.5才)
                家族(子供)持ち
                中流の下、あるいは低所得者層が中心
                ブルーカラーや農民も含むが、多くは低所得のホワイトカラー
                550名中、ナチ党員は179名で全国平均と変わらない
                年齢や身体的な理由で兵役を免れていたものも含む
    
       輸送業務についていたが、1940年6月にポーランドへ行くよう命令を受ける
       到着後、作戦の直前に大隊長へその作戦内容が伝えられる
    
       当該地域のユダヤ人たちを銃殺するというのがその使命だった
    
       大隊長は隊員たちに作戦内容を告げ、故郷で空爆を受けている女性や子供
       たちのことを思って、作戦を遂行せねばならないと語るが、本人は隊付の
       医師に「なんでこんなことを私がやらなきゃなんないんだ」と愚痴っていた。
    
       具体的には、老人、年少者、病人、女子供を射殺し、労働ができる成人男子
       は殺さぬようとの指示
    
       隊長は、気が進まない者は名乗り出れば、参加を免除すると告げ、10数名が
       名乗り出る。彼らには何の咎めもなく、役目を免除された。
    
       医師から、どのように射殺するのか地面に図を書いて説明を受ける。
       
       夜明け前に、村の家々を回り、ユダヤ人を捕まえ集合場所まで連行する。
       その際、病人などで動けない者はその場で射殺する。隠れているユダヤ人も
       残らず探し出さねばならない。(見逃してあげた事例は報告されていない)
    
       当初は、連行する係、射殺する係の2班に分かれて行動していたが、
       時間が押し、日中に完了しないという恐れがあり、合同で作戦を遂行
    
       集合所にユダヤ人たちが到着すると、射殺係は一人ずつ自分が射殺する者を
       選び出し、犠牲者と並んで処刑場所まで歩く。
    
       
    With what thoughts and emotions did each of these men march, gazing sidelong at the form of, say, an eight- or twelve-year- old girl, who to the unideologized mind would have looked like any other girl? In these moments, each killer had a personalized, face-to-face relationship to his victim, to his little girl. Did he see a little girl, and ask himself why he was about to kill this little, delicate human being who, if seen as a little girl by him, would normally have received his compassion, protection, and nurturance? Or did he see a Jew, a young one, but a Jew nonetheless? (location 4258)
    銃殺が始まると、数人の男が作業から免除してほしいと申し出る。その 要求は容れられる。 気分が悪くなったり、一時的に落ち込む者も出て、休息をとることが 許される 銃の扱いに慣れていないせいで、脳漿を飛び散らせたりしたことについて 冗談を言い合う者も。 1200人以上のユダヤ人を射殺。

  2. 敗戦時の死の行進

      ヘルムブレヒト収容所の看守たち:どんな人々か
              男女27名ずつ
              男性看守、平均年齢42.5歳、35%が50代、60%が40代
              ほとんどが所属ではナチとは無関係
              多くは軍務不適格とされ、自ら志願してではなく、たまたま
              収容所での職についた人々
    
              女性看守、平均年齢28歳、45%が25歳以下
              全員親衛隊員(戦争末期になって加入)、理由は
              工場労働より良さそうだったから
              ナチ党には所属していない
    
      収容所では、ユダヤ人に対する虐待の限りを尽くす。ロシア人やドイツ人
      の囚人の死者は何か月も0であったのに対し、最後の5週間に限っても44人
      のユダヤ人が死んでいる。同じ囚人でも差別待遇。
      これは上からの命令に従ったものではなく、看守たち自身の責任によるもの
    
      死の行進は終戦の4週間前の1945年4月13日に始まる
      戦争の終結は目前で、収容所を閉鎖し、迫りくる連合軍の追撃を避けるため
    
      徒歩での移動、ユダヤ人囚人の多くは襤褸をまとい、素足
      ユダヤ人には水や食料もあたえない
           数マイル進んだとき、村人が囚人に水と食料を提供しようとしたが、
           看守たちはそれを拒み、囚人用のパンを鶏に投げ与える
    
      歩みの鈍い囚人や、身体の弱った病人は情け容赦なく射殺される
    
      連合軍の空襲を受けた直後に、荒れ狂った看守たちが地面にひれ伏している
      ユダヤ人の囚人たちの多くを射殺
    
      5月5日には17人の囚人を山に登らせ、上り続けることができない者を
      ひとりずつ射殺。17名中14名が死亡。最後までたち続けていた3名は解放。
      地域がアメリカ軍に制圧される2日前のことだった。
    
      行進の3週間のあいだに30%のユダヤ人が死亡。そのままだと後数日で全員が
      死亡するところだった。
    
      驚くべき真相
      アメリカ軍の侵攻を前に所長のドールは収容所の閉鎖を決断。アメリカ軍に
      捕まらぬようにとの指示を出す。
      それ以降、所長と看守たちはドイツ軍の指揮系統から事実上、切り離される。
      行進の二日目に、ヒムラーからユダヤ人をこれ以上殺してはならないという
      命令を受け取る。ユダヤ人囚人を「人間的に」扱うようにと厳命。
    
      したがって、行進中の看守たちの行動は、命令違反であり、自分たちで選択
      した行動だった。これらはけっして彼らのサディズムによっては説明できない。
      ユダヤ人だけに対する虐待だった。
    
      ユダヤ人の死体を埋める際に、まだ息のある者がいたが、一緒に埋めた。
      生き埋めという残酷な処置に対して、所長のドールは「多くのユダヤ人が
      死ねば死ぬほど愉快だ」と述べた。
    
      一般住民の態度
      ある街に差し掛かった際に、囚人にと食料を差し出した村人がいたが、
      こいつらはユダヤ人だといわれるとひっこめた。そして子供たちが囚人に
      石を投げ始めた。
              
      

....the Germans were not emotionally neutral executors of superior orders, or cognitively and emotionally neutral bureaucrats indifferent to the nature of their deeds. The Germans chose to act as they did with no effectual supervision, guided only by their own comprehension of the world, by their own notions of justice, and in contradistinction to their own interests in avoiding capture with blood on their hands.
(location 6985)

参考文献

ジークムント・バウマン、2006『近代とホロコースト』(森田典正訳)大月書店
Bauman, Z., 1989(1981), Modernity and the Holocaust, Polity Press

Goldhagen, Daniel J., 1996, Hitler's willing Executioners: Ordinary Germans and the Holocaust, Knopf.

Browning, Christopher R., 1993, Ordinary Men: Reserve Police Battalion 101 and the final solution in Poland, Harper Perrennial.

ホロコースト(wikipedia)