講義メモと参考文献


Z・バウマン『近代とホロコースト』(2)

反ユダヤ主義とホロコースト

『近代とホロコースト』第2章「近代、人種差別、殲滅 I」

反ユダヤ主義とホロコーストの自明な因果関係?

ヨーロッパのユダヤ人が 殺されたのは、殺害したドイツ人やその地区で殺害を幇助した人間が、ユダヤ人を憎んでいたからである。 ホロコーストは数百年に及ぶ宗教的・経済的・文化的・民族的憎悪の劇的クライマックスであった。ホロコーストの説明として、まず頭に浮かぶのはこうしたものだ。(p.41)

c.f.
10年前、あるいは20年前まで、ヨーロッパ系ユダヤ人の大虐殺は、欧州における反ユダヤ主義の長い歴史の産物だと考えるのがふつうであった。一般大衆だけでなく、歴史家もそう考えていた。(p.241)

バウマンの反論(1)

最近数十年間の歴史研究のおかげで、ナチスが政権を取る前も、ナチスがドイツ支配を固めて大分経ったあとも、ドイツにおける大衆的反ユダヤ主義は、ほかの多くのヨーロツバ諸国のそれに比べればはるかに弱かったと、われわれは知るようになった。ワイマール共和国がユダヤ人解放の仕上げをおこなうはるか以前から、世界のユダヤ人のあいだでドイツは宗教的・民族的平等と寛容の安息地だと認められていた。 二〇世紀に入ったばかりのドイツには、現在のアメリカ、あるいは、イギリス以上に多数のユダヤ人学者や専門家が住んでいた。ユダヤ人への大衆憎悪は深くも、広くもなかった。ヨーロッパのほかの地域と異なり、ユダヤ人憎悪が公の暴力となって爆発することも少なかった。(p.41)

反ユダヤ主義は(ユダヤ人の運命についての)無関心を誘発した、という間接的なかかわりがあるだけ(p.42)


バウマンの反論(2)
宗教的にも、経済的にも、文化的にも、人種的にも、反ユダヤ主義は数百年にわたる普遍的な現象であった....しかるに、不変であり遍在的であることが明らかな反ユダヤ主義それ自体では、ホロコーストのユニークさを説明しえない。 ....反ユダヤ主義はホロコーストの必要条件ではあるが、十分条件たりえない。(pp.42-3)....

(ノーマン・コーンによれば)大衆の怒りの自発的な爆発が大虐殺を生むとするのは神話に過ぎず、村や町の住民がただ単純に隣人たるユダヤ人を襲撃し、虐殺したという例は確認されていない。中世においてさえ、こうしたことは起こらなかった。(p.43)....
嫌悪それ自体では、いかなる大虐殺の満足ゆく説明にはならない(p.44)

反ユダヤ主義の歴史

反ユダヤ主義に含まれる社会関係

19世紀末に現れた用語

単なる対集団憎悪とは異なる

内なる異人
    多数派と少数派

    ホストである大集団と異なるアイデンティティをもつ小集団
  
    生まれながらそこに住む「われわれ」と流入者たる「彼ら」
    の関係

ディアスポラという現象との結びつき
永遠・不変の故郷喪失状態



(1)近代以前

古代・中世ヨーロッパでは、その他者性がよほど奇妙なものであっても、ユダヤ人が既存の社会秩序から排斥されるようなことはなかった。
....
さらに前近代社会は区分社会であり、区分社会では分離も通常の状態であったから、共存も困難ではなかった。社会は身分、階級に分かれ、ユダヤ人であることも一つの身分、階級に過ぎなかった。....ユダヤ人は区別されていたが、区別は彼らを特殊な存在としなかった。(46-7)

プリズム的集団

一度に正反対の、また相互矛盾する2つの階級憎悪の対象になっている....
一方から見ると、粗野で、無教養で、乱暴な下層階級であり、また、他方から見ると、無慈悲で高慢な社会的上層階級となる。(p.56-7)

(2)キリスト教とユダヤ人

キリスト教の自己アイデンティティは、じつのところ、ユダヤ人分離に由来する。それはユダヤ人による拒絶によって生まれた。そして、ユダヤ人の拒絶から連続的に生命力を抽出してきた。キリスト教はユダヤ人との終わりなき敵対関係以外にその存在の理論化のすべを知らない。
....
ユダヤ人の特殊性はほかの少数派集団のいずれとも異なる。それはキリスト教の自己アイデンティティの一部
....
キリスト教のユダヤ人論は民衆、隣人レベルの関係、あるいは、紛争よりも、これとは異なる論理、つまり教会の自己増強と世界的支配の論理に則ったものである。(p.50-51)

キリスト教が構築したユダヤ人概念

寄せ集められた要素の相互矛盾

悪魔的に強大な力の主であるかのような神話

強烈に魅惑的であると同時に、強烈に不快で恐ろしい力

境界侵犯、囲いからの逸脱、忠誠心の欠如

          境界を脅かす「ぬるぬるした掴みがたさ」
          


教会のユダヤ人論において、反ユダヤ主義は「社会におけるユダヤ人の真の状況とほぼ無関係に存在しうる……」形態を獲得した。「もっとも驚くべきは、反ユダヤ主義 がユダヤ人をみたこともない人たちのあいだでも、また、何世紀にもわたり、ユダヤ人が存在しなかった国々でさえ起こりうるということである」。こうした状態は教会の精神支配が弱まり、民衆の世界観にたいする影響が後退したあとでも、長く存続した。近代という時代は身近な町や村に住むユダヤ人の男女とは、まるで違った「ユダヤ人」を受け継いだ。(pp.51)

近代化の中でのユダヤ人

近代化とユダヤ人の社会進出

近代による身近なもの、習慣的なもの、安定しているものの破壊の象徴が、ユダヤ人の理解し難い突然の社会的前進と変質であった。
数世紀に渡り、ユダヤ人はなかば強制的に、なかば自発的に囲い込まれ、安定的孤立状態にあった。今や、彼らは隔絶を抜け出し、かつてキリスト教徒だけの居住区であったところで不動産を借り、または取得し、日常的現実の一部,....言説のパートナーとなった。
.....
数世紀にわたり、ユダヤ人は最低の身分であり、階級の下の下にいる下層キリスト教徒からも見下されていた。いまや、最下層の人物の一部は地位決定の新基準となった、身分・出自には縛られない才能・財力によって、社会的影響力と名声をともなう地位に昇りつめている。事実、ユダヤ人の台頭は社会的混乱の恐るべき縮図であり、古い確実性の侵食、かつて、堅牢で永続的だとされていたもの すべての溶解と蒸発の鮮烈な証左でもあった。躓きそうになつた、脅威を感じた、あるいは、排除されそうになったと感じたことのある者は誰でも、動揺の陰にユダヤ人の破壊的不調和を察知し、不安を理解しようとするのである。(p.58-9)
....
裕福でありながら軽蔑されるユダヤ人は、反近代のエネルギーを放電させる自然の避雷針役を演じることとなった。(p.60)

国民国家とユダヤ人

世界の分割単位が民族国家になると、国際主義は居場所を失い、残された中間地帯は必ず侵攻の呼び水となる。民族と国民国家ですし詰めになった世界は、非民族的空白を憎悪する。ユダヤ人はそうした空白の中にあり、また、空白そのものなのである。(p.68)

人種差別の近代性

(かつては)ユダヤ人隔離の自明性は居住区分離や数限りない露骨な差別によって明確にされていたが、その自明性はいまや過去のものとなった。逆に、隔離は絶望的なほど人工的で不安定なものに見え始めた。かつての自明の理、暗黙の了解は明らかに未証明の「真実」となった。自らとは明らかに矛盾する現象を背後に隠した「本質」となった。(p.75)

ユダヤ人によるキリストの拒絶。この長い間受け継がれてきたユダヤ人分離の宗教的理由は、新しい線引の根拠としては全く不十分である。....
本当の混乱は(国家の求める)均一化の要求を受け入れ与えられた宗教形式を通じて、....改宗を遂げたユダヤ人が無数にいた事から生じた。フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリーのドイツ人支配地域において、遅かれ早かれ、すべてのユダヤ人が非ユダヤ人へと「社会化」あるいは「自己社会化」し、文化的に見分け難くなり、さいが社会的に不可視となる可能性は現実のものであった。(pp.76-7)

ユダヤ人の特異性が再度明確化され、文化や自己決定といった人間的な力に屈しない、新たな土台に乗せられねばならない。....ユダヤ教はユダヤ性にとってかわられねばならなかった。(p.77)

まとめ

永遠の故郷喪失者=内なる異人としての分離された少数者
キリスト教により構築されたイメージの一人歩き

                  ↓

民族境界を脅かす、すべての民族にとっての非民族、「内なる敵」
防塞をまたぐ境界侵犯者
旧来の秩序の崩壊と、古い確実性の解体の象徴
人種としての変更不可能性


『近代とホロコースト』第3章「近代、人種差別、殲滅 II」

人種差別とは

racism etc.

集団間の競争的敵意
対立する集団間の憎悪や偏見。
人間のアイデンティティ追求と境界線画定の活動から生まれる、特殊な恨みや競争的敵意
互いに容易に特定し、距離を置くことができる明確なカテゴリーを形作る、近づきたくない他者(p.83)

異物恐怖症
よく理解できず、容易に意思疎通できない、いつもどおりに振る舞うことができないような他人との遭遇で経験する漠然とした不快・不安
その集団性は不明確。何らかの防御策を講じなければ、土着の人間の間に浸透し、一体化を開始する。
その場合、それはホスト集団にとっての「内なる敵」となる。内なる敵は境界設定の引き金となるが、逆に、境界設定の過程で二股をかけた二重忠誠によって境界をまたがる、あるいはその嫌疑のかかる内なる敵には嫌悪と憎悪が際限なく浴びせられる。(p.83)

人種差別
人種差別は異物恐怖とも競争的敵意とも異なる。
人間的事象を理性を基礎に再構成することによって、人間的状況を改善するという前代未聞の力を発揮した世界のただなかに、理性的秩序にはどうしても組み込めない範疇の人間がいるという確信を表わすのが人種差別である。
科学的・技術的・文化的操作の限界を克服しつづけていることで知られる世界にも、除去、矯正できない汚点をもつ人間が存在し、彼らは感化の域を超えるだけでなく、永遠に感化できないと宣言するのが人種差別である。訓練と文化的改宗の驚異的力を主張する世界において、人種差別は議論やその他の訓練の手段では動かせない範疇の人間、したがって、永遠に異邦人でありつづけねばならない人種を抽出する。(p.84)



社会工学の一形態としての人種差別

近代の一部としての社会工学
よりよい秩序建設を目指す科学的作業としての社会工学

啓蒙主義以降の近代世界の特徴は自然と自らに対し、積極的に技術管理する態度であった。科学は科学そのものを目的としてなされるのではない。それは現実改良、人間の計画と設計に沿った現実の再形成....を可能にする力を与えてくれる道具とみなされた。造園と医療は建設的立場の原型となる一方、正常性、健康、健全性は人間的問題の管理における人間の任務と戦略の代名詞となった。....
雑草の侵入やがん細胞の増殖を防ぎたいならば、庭の草花や生物同様、人間も自然に任せていてはならない。造園と医療は生き延びて繁栄するよう運命づけられた有益な要素を、抹殺される運命にある有害で病的な要素から区別、分離するはっきりした機能を持った行為である。(p.90)

社会工学としての人種差別

人種的健全性の維持を目的とする積極政策 an active policy consistently aiming at the preservation of racial health:体系的選別と不健全要素の除去による健全血統の増殖


価値なき生命の強制除去

Charitable Foundation for Institutional Care(施設治療のための慈善事業団)
="euthanasia institutes"(安楽死施設)

近代的で「科学的」な人種差別の形態が登場するまで、幾時代にもおよぶユダヤ人排斥運動が公衆衛生上の問題とされたことはなかった。ユダヤ人憎悪が近代的な形で生まれ変わったとき、ユダヤ人は根絶できない悪徳、歴史と切り離せない内在的欠陥という罪をきせられたのである。それ以前にはユダヤ人は罪人であった。(改悛、矯正可能)...しかし、悪徳となると、罰が科されただけでは矯正されない。....癌、害虫、雑草は悔い改めない。それらは罪を犯したわけでなく、自らの性質に従つて生きているにすぎないからだ。それらを罰しても意味が無い。悪の性質にかんがみて、それらは殲滅されねばならない。(p.93)

ゲッベルスは巨大にして揺るぎない権力をふるう内閣の閣僚であつた。しかも、この内閣は癌、害虫、雑草のない生活の可能性を嗅ぎつけ、そうした可能性を現実のものとするための(近代文明のおかげで)物質的準備を整えていた内閣であった。 人種的イメージなしに全員の処刑という概念に到達するのはむずかしく、また、おそらく不可能であった。(p.93)

まとめ

社会工学:
社会を科学の力によってより合理的に理想的なものに作り変える
ことができるという観念
            |
       近代固有のもの

人種差別の考え方はそれと密接に結びついている

                ↓

反ユダヤ主義における殲滅を求める傾向は、完全に
近代的現象だとみられねばならない。(94)




反ユダヤ主義はホロコーストを説明できるか

それは思想の説得力を利用して目標の実行にみあう数の人間に力を与え、彼らの献身を目標貫徹までつなぎとめておかねばならぬことを意味する。イデオロギー的訓練、プロパガンダ、あるいは、洗脳により人種差別は非ユダヤ人大衆に、いつ、いかなるところで暴力に変わってもおかしくないような、強烈なユダヤ人憎悪とユダヤ人蔑視を吹き込まねばならなかった。
歴史家の広い共通意見によると、こうしたことは起こらなかった。ナチス体制が人種差別的プロパガンダに巨大な資金・資源を費やし、ナチス教育を徹底し、人種差別政策への抵抗がもたらす脅威を訴えても、 民衆による人種差別プログラムの受け入れは、感情に駆られた殲滅行動を起こすレヴェルまでとうてい達しなかった。

第3章の結論と第4章の議論の予告

殲滅型反ユダヤ主義と近代の結びつき

古い形の異物恐怖症とは隔絶した、したがって、人種差別理論と医療、治療という、ことさら近代的な二つの現象に依存する殲滅の思想。

しかし
異物恐怖症と境界侵犯に対する不安は、いかにおぞましかろうと、またいかなる潜在的暴力を宿そうと、直接的にも間接的にも大量殺戮に繋がることはない。(pp.104-5)

近代的思想にはまた近代の名にふさわしい履行の手段が必要であった。そして、そうした手段は近代官僚制度に見出せたのである。(p.98)



参考文献

ジークムント・バウマン、2006『近代とホロコースト』(森田典正訳)大月書店
Bauman, Z., 1989(1981), Modernity and the Holocaust, Polity Press

ホロコースト(wikipedia)

The Holocaust(wikipedia)

反ユダヤ主義(wikipedia)

水晶の夜(wikipedia)

Kristallnacht(wikipedia)