講義メモと参考文献


Z・バウマン『近代とホロコースト』(1)

ホロコーストとは

概要

ホロコースト(The Holocaust)は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す。 ナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は少なくとも600万人以上とされている。同時期に、反社会分子とされた人々(労働忌避者、浮浪者、ロマ人など)や障害者、同性愛者等に対する迫害なども行われており、これらをも含めた犠牲者数は、900万から1,100万人にのぼるとも考えられている。

「夜と霧」

アラン・レネのドキュメンタリー映画

V・フランクルの強制収容所経験に基づく作品

ジークムント・バウマン『近代とホロコースト』(1)

緒言と第一章「序章ーホロコースト以降の社会学」

問題意識

もちろん、私もホロコーストについて知らなかったわけではない。無実の人間に邪悪な人間が加えたおぞましき犯罪というホロコーストのイメージを、私も同世代の、そして、若い世代の多くの人々と共有していた。世界は狂気の殺人者と無力な犠牲者に二分されている。そしてできるならば犠牲者を助けたかったものの、殆どの場合助けることができなかったその他の人々がいる。そうした世界においては、殺人者は、狂った邪悪な考えにとりつかれた、狂った邪悪な人間であったがゆえに殺した。犠牲者たちは、重装備した強大な敵の前に無力であったがゆえに、虐殺されるに至った。それ以外の残りの人々は、当惑し苦悶しつつただ眺めているしかなかった。反ナチスの連合軍の最終的な勝利だけが、人々のこの苦しみに終止符を打つだろうと信じつつ。こうした私のホロコーストについてのイメージは、まるで壁にかけられた絵みたいなものだった。それを壁紙から区別し、他の家具類からいかに異なっているかをあえて強調するフレームにきちんと収まった一枚の絵。
.......
ホロコーストは通常の歴史の流れに割り込んできた異常、文明社会という身体にとりついた腫瘍、精神的健全さのなかに一時的にまぎれこんだ狂気だと、私は(熟考の上にというよりは、当然のこととして)信じていた。そんなわけで私は、学生たちのためには、正常で健康で、正気な社会の姿を描いて見せつつ、ホロコーストの物語は病理学の専門家に任せておけたのである。(xi-xiii)

社会学とホロコースト

文明論、近代論、近代文明論としての社会学におけるホロコーストの矮小化、誤解、無視には二つの形 がある。
一つ目はホロコーストをユダヤ人の事件、ユダヤ史の出来事として提示すること。これによりホロコ-ストはユニ-クで、非典型的な、したがって、 社会学にとっては些末な問題とされる。ヨーロッパ・キリスト教による反ユダヤ主義が沸点に達したときホロコーストは起こったとする解釈などが、そのもっとも 典型的な例である。そもそも反ユダヤ主義自体、人種的宗教的偏見や暴力の長大なリストのなかでも比類のない、ユニークな現象だった。....
ホロコーストが独特の手段を使った反ユダヤ主義の延長だと定義されるならば、それは「唯一無二」の、 一回きりの出来事であることになり、それを起こした社会の異常さの解明には貢献するかもしれないが、 同じ社会の平常な状況の理解にはなんら寄与しない。
もう一つの形(先の形とは方向性が反対にみえながら、じつは、同一な)とはホロコーストを社会現象 の一般的で、身近なカテゴリー群のなかの特異なカテゴリーとみなすことである。
.......
ホロコーストはそれに類似した紛争、偏見、暴力の実例を数多く包括する広い範疇における一種目として分類される。最悪の昜合、ホロコーストは口ーレンツがいう本能的攻撃性...といった、原始的で人類の文化には抑圧できない「自然」な性癖と関係づけられる。ホロコーストの原因とされる要素は文化的操作のおよばない前社会的なものとされ、社会学の関心領域から効率的に除外されるのだ。(p.3-5)

これらのホロコースト観がもたらすホロコーストの説明

これらのホロコースト観がもたらすホロコーストの説明
正常な社会=人間の行動を制御する文明の手綱
→
この手綱が切れて、一時的に人間の反社会的欲動が
暴走した結果がホロコースト

つまり
ホロコーストは近代の社会が見舞われた一時的機能不全の結果
どのような特殊性がこうした機能不全を引き起こしたのか。


バウマンの説明の方向性

ホロコーストは近代社会の「正常な」機能の産物
「近代文明」そのものの可能性(暗黒面)

ホロコーストは
単なる逸脱、脱線、健康なはずの文明にできた腫瘍以上の
ものだ
つまり文明の対立概念でなく、近代文明のもう一つの顔、
文明が代表するすべての集大成ではないのか。

合理的西洋文明自身のもつ毒がホロコーストだった。


ホロコーストと近代技術

(ヨーロッパの)世界支配に必要とされ使用された技術と、最終解決の効率性を支えた技術は同じものだという見解。

「アウシュヴィッツは近代工場システムを平凡に応用した結果にすぎなかった。....管理者たちは後進国が羨むような効率性と力をもった支配体制を立案した。計画全体が歪んだ近代科学精神の反映であった。我々が目撃したのは、まさに、社会エンジニアリングの壮大な実践だった」(ファインゴールド)
「官僚制度、合理的精神、効率の論理、科学信仰....といった近代的傾向のなかに」ナチスによる暴走の可能性は含まれていた。(ルーヴェンシュタイン)

近代化の神話

近代化=文明化のプロセス

   理性
        迷信に対する勝利
        感情、欲望に対する勝利

     合理性 
        非合理で非効率的な伝統・慣習に対する勝利

  人間の動物性を暴き、取り除き飼いならすこと

もしそうだとすれば

ホロコーストは人間に残る病的性癖の抑制に、文明が失敗した
特殊例ということになる。
あるいは文明は人の内なる獣性を完全に制御できるほど十分に
完成していなかった。


バウマンによる近代化の神話の反転

人間の本性

        殺人を憎む
        暴力を嫌う傾向性
        罪の意識
        非道徳的行為に対する責任

     こうした人間的特性は合理性効率性と衝突するとき、きわめて
     脆弱

もしそうであれば

     合理性・効率性を追求する官僚的システムのもつ
     倫理的盲目性がホロコーストを可能にした必要条件
     だった
     


<最終解決>というアイデアそのものが官僚的文化の産物であった。
........
<最終解決>つまりヨーロッパのユダヤ人の物理的抹殺という観念は狂気の怪物の一回きりのヴィジョンのなかで誕生したわけではない。それはその都度の危機的状況に対応しながら、あちこちと方向を変えるなかで行き当たりばったりに形成されたもの。


ユダヤ人問題の解決→官僚制の合理的問題処理プロセスの産物

異常な人間、狂気の産物としては理解できない



<排除>という目標のための最終手段、物理的殲滅の選択が、方法と目的の計算、予算の均衡化、普遍的規則の適用といった「平凡な官僚的手続きの産物であった」という事実(p.23)

ヒトラーの目的:ドイツをユダヤ・フリーにすること

普通の人々

生来の犯罪者、サディスト、狂人、社会的異端、道徳的破綻者による個人的暴力としてホロコーストを解釈することが、事実にかんがみていかに難しいかは、すでに、共通理解となっている。(p.26)

大量殺戮の加害者の殆どはふつうの人間であり、どんなに詳細な心理テストの網の目も容易に通過するだろうという事実は、道徳的に見て衝撃的である。(p.27)

<最終解決>の発案者たちが遭遇した最大の難問は「肉体への拷問を目撃した時、通常の人間全てに現れる生物的同情.....をいかに克服するか」であった。(p.27-8) 大量殺人と直接かかわる組織に組み込まれた人間は、サディスト的でも狂信的でもなかった。彼らも人間として肉体的拷問にたいする生理的嫌悪感、さらに普遍的な殺人への感情的抵抗感をもっていたことは疑いない。また、〈機動部隊〉〔Einsatzgruppen〕や、同じく殺戮現場 近くに位置する部隊の兵士選抜にあたり、狂信的・感情的・思想的すぎる人物が注意深く排除されていたことも知られている。個人の自発性は認められず、すべての任務は事務的で、ことさら非個人的な枠組みでなされるよう努力が払われていた。私的利益、私的動機一般は否定され、また、罰せられた。欲情的に、 あるいは快楽からなされた殺戮は、命令により組織化された形でおこなわれた殺戮と異なり、(少なくとも、原則的には)通常の殺人や故殺同様、裁判に付され、判決を受けることになっていた。日ごろ非人間的行為に従事している多くの部下たちの精神衛生と志気の維持について、ヒムラーは一度ならず懸念を表 明している。彼はまた、健常性も道徳性も、ともに傷つくことなくこの試練を乗り越える自信を堂々と述ベている。

普通の人々を殺人者に変える

とするならば、これらふつうのドイツ人はいかにして犯罪集団の一員に変えられていったのだろうか。 ハーバート・C・ケルマンの意見によれば、すさまじい残虐行為にたいする道徳的抵抗感は、ある三つの条件が同時にでも、別々にでも満たされたとき、いちじるしく浸食される傾向をみせるという。その三条件とは暴力が(法的権限をもつ部署からの公式な命令により)認められること、行為が(規則的実行と正確な役割分担を通じて)日常化されること、暴力の被害者が(思想的定義と洗脳によって)非人間化されることであった。三番目の条件にかんしては個別に扱いたい。前二者はきわめて聞き慣れた条件である。それらは近代社会のもっとも代表的な組織により、普遍的に応用される合理的行動の原理が考察されるさい、繰り返し指摘されてきたことでもある。(p.29)

複雑に絡み合うシステム

「〔大虐殺の〕実行犯のほとんどはユダヤ人の子どもたちに向かいライフルの引き金を引くことはなかったし、また、有毒ガスをガス室に送りこむこともしなかった ……役人のほとんどはメモを作成し、青写真を描き、電話で相談し、会議に出席するだけだった。彼らは机に座ったまま、あれだけ多くの人々を抹殺したのだ」。表面的には無害にみえる態度が最後になにを生みだすか気づいていたとしても、そうした知識は、せいぜい、彼らの心の奥底の片隅にとどまって、外に出ることはなかった。彼らの行動と大量殺人のあいだに因果関係をみつけるのは至難の業だ。(p.33)

驚くべきは誤った行動、あからさまな不正義をみてそう気づかないということではない。われわれを驚かせるのは各人の行動が無害なのにもかかわらず、それらが誤った行動、あからさまな不正義となるその仕組みなのだ。

ユダヤ人自身の「合理的」な協力

(複雑に絡み合う大量殺戮のシステムの構成要素)にはドイツ人によってなされたこと、また、ドイツ人の指令により、ほぼ諦めに近い形で、ユダヤ人自らによって献身的になされたことが含まれる。目的どおりに計画され、合理的に組織された大量殺人の方が、熟狂による無秩序な殺人より技術的に優れている証拠はここにもみられる。大虐殺の実行者と 犠牲者の協力は、およそ、想像不可能だが、〈親衛隊〉の役人と犠牲者の協力は計画に織り込みずみだったのである。事実、それは計画成功のための重要な要件でもあった。「全プロセスの成否の大半が、組織的行動から単純な個人的行動にいたるユダヤ人の協力にかかっていた。ドイツ人管理者は情報、資金、労働力、警察組織をユダヤ人に求め、ユダヤ人組織は毎日休みなくそれらを供給した」。
......
第二に、どの段階においても犠牲者に選択の余地が残るような環境が慎重に用意された。しかも、合理的基準を応用し、合理的行動としてなされた選択が「管理計画」と矛盾することはけっしてなかった。「ドイツ人によるユダヤ人の段階的強制移送は大成功だった。なぜならば、連行されずに残されたユダヤ人は多数のユダヤ人の救済に少数の犠牲は不可欠だと推測したのだから」。
(p.31-2)

犠牲者の不可視性

犠牲者の不可視性効果を考えあわせれば、ホロコーストの段階的技術改良のいきさつも理解しやすくなる。〈機動部隊〉が使われていた段階では、逮捕された犠牲者たちは機関銃の前に連れ出され、至近距離から銃殺された。武器と死者が倒れこむ溝の距離を最大限にとる配慮はなされていたものの、射殺者にとって、銃の発射と殺害の関係はあまりにも明白だった。ゆえに、大虐殺の責任者たちはこの方法を原始的、非効率的と考え、また、実行者たちの士気に危険な影響をおよぼすだろうと推測した。犠牲者を殺人者から視覚的に遮断する殺害方法が検討され、やがて検討は成功し、まず、移動式の、のちに固定式のガス室が考案されたのだった。...殺害者の役割は「消毒剤」を建物の屋根に開けられた、覗いたこともない穴に注入する「衛生担当官」のそれへと縮小された。(pp.35-36)

バウマンによるまとめ

文明化プロセスは暴力の使用・展開から道徳的配慮を排除したプロセスであり、合理性を倫理基準、あるいは、道徳的抑制の干渉から解放するプロセスであった....

ホロコースト型の現象は文明化が有する傾向の当然の結末、文明化の持つ不変の潜在力の顕在化とされるべきであろう。(p.38)


バウマンの議論をどう位置づけるか

                     従来の考え方                   バウマンの議論

人間の本性     攻撃的、暴力的な           他者への暴力の嫌悪
          自然な性癖                     共感
          反道徳性                        道徳性

近代文明       人間の本性に対する         合理性・効率性の追求         
           抑圧・統御
                   ↓                                  ↓
             ホロコーストは                 ホロコーストは成熟した
             不十分な近代性が          近代的システムが人間本来
             人間本性の統御に          の他者への共感と道徳性を
             失敗した結果                  抑えることに成功した結果
                 
                 


参考文献

ジークムント・バウマン、2006『近代とホロコースト』(森田典正訳)大月書店
Bauman, Z., 1989(1981), Modernity and the Holocaust, Polity Press

V・E・フランクル、1985『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』(霜山徳爾訳)みすず書房
Frankl, V. E., 1992(1946), Man's Search for Meaning, Boston:Beacon Press

ホロコースト(wikipedia)

The Holocaust(wikipedia)